2022年10月13日
たろうのおでかけ 村山桂子・さく 堀内誠一・え
たろうのおでかけ 村山桂子・さく 堀内誠一・え 福音館
1966年(昭和41年)の絵本です。
昔をなつかしむ読書です。
たろうくん、5さいぐらいが、まみちゃんのたんじょうびいわいにいきます。
たろうくんといっしょにいくのが、つぎのメンバーです。
いぬの、ちろー
ねこの、みーや
あひるの、があこ
にわとりの、こっこ
どうぶつは、ちびっこの友だち、仲間です。
まみちゃんへのたんじょうびプレゼントは、すみれの鉢植えとアイスクリームです。
時代背景は、昭和30年代後半でしょう。
いなかでは、テレビはまだ各家庭に普及していませんでした。
加入電話があるうちも、それほど多くはなかった。
令和の今と比較すると、こどもをとりまく環境は、ずいぶん違います。
個人商店が並ぶ商店街があります。
パン屋、くだもの屋、魚屋。
たばこ屋は、昔はたくさんありましたが、最近は見かけません。
道を走る「おーとさんりん」が出てきました。
タイヤが3本ある車です。前に1本、後ろに2本。回転するときにひっくりかえりやすいと聞いたことがあります。
今は見かけません。
人と人との気持ちの距離が近い時代でした。
たろうが歩いていると、おとなたちが声をかけてきます。
消防署とガソリンスタンドが出てきました。
絵本に描いてあるガソリンスタンドは、MobilとESSOです。ガソリンスタンドは合併が進みました。いまはどこもたいていENEOS(エネオス)です。
信号機が出てきました。
昔は、信号機の数は少なかった。
自家用車が少なかった。
たろうくんは、信号の色が黄色で交差点を渡ろうとしたので、警察官に止められました。
わたしも7歳のときに、いなかから都会に引っ越して、信号機というものを知らずに、ひとりで交差点を渡ろうとして、婦人警官につかまって、自宅のアパートまで連れていかれて、母親が婦人警官に指導を受けたことがあります。
たしか去年の今頃、もう90歳近くなった母親にそんな話をしたことがありますが、母親は、もうそこに住んでいたことすら覚えていませんでした。
この絵本は、お年寄りが読むとなつかしい気持ちにひたれる絵本です。
たろうくんは、まみちゃんへのたんじょうびプレゼントにアイスクリームをもっています。
いそがないと、アイスクリームがとけてしまいます。
されど、この絵本は『交通安全啓発絵本』の側面をもっています。
アイスクリームがとけることよりも、たろうの命のほうがだいじです。
アイスクリームは、とけてもいいのです。
そもそも、たろうのおかあさんは、なぜ、たろうにとけるアイスクリームをもたせたのだろう。
読み進むたびに疑問が大きくなる絵本です。
郵便屋さんが自転車で配達をしています。
いまどきは、電動バイクで静かな動力音を流しながら、配達員さんは、郵便の配達をされています。
出川哲朗さんの充電バイクの旅『充電させてもらえませんか?』を思い出しました。スイカヘルメットです。
それから、昔、長嶋一茂さんが主役をした『ポストマン』という自転車で郵便配達をすることにこだわる郵便局配達職員さんの映画を思い出しました。長嶋一茂さんは、がんこな郵便配達員さんでした。
絵本の絵には、馬を乗せたトラックが描いてあります。
九州の熊本県とか宮崎県あたりに行くと、和牛をのせたトラックを見かけます。
馬だと、今は、競馬馬の移送ぐらいしか思いつきません。
市街地を抜けると、はらっぱです。
思い出すと、昔は、こどもが安全に遊べる空き地や原っぱがいっぱいありました。
植物や虫がたくさんいました。
広がっていた原野は宅地開発されて、道路や店舗、住宅地に変わりました。
原っぱまで来るまでは、おとなたちから、あれだめ、これだめと言われ続けた、登場人物のたろうです。
原っぱは、車が来ないので安全です。
そうか、こどもがのびのび移動できた時代がありました。
ページの右奥で、まみちゃんが両手をふって、出迎えてくれています。
この絵本には、60年ぐらい前の日本の風景があります。
1966年(昭和41年)の絵本です。
昔をなつかしむ読書です。
たろうくん、5さいぐらいが、まみちゃんのたんじょうびいわいにいきます。
たろうくんといっしょにいくのが、つぎのメンバーです。
いぬの、ちろー
ねこの、みーや
あひるの、があこ
にわとりの、こっこ
どうぶつは、ちびっこの友だち、仲間です。
まみちゃんへのたんじょうびプレゼントは、すみれの鉢植えとアイスクリームです。
時代背景は、昭和30年代後半でしょう。
いなかでは、テレビはまだ各家庭に普及していませんでした。
加入電話があるうちも、それほど多くはなかった。
令和の今と比較すると、こどもをとりまく環境は、ずいぶん違います。
個人商店が並ぶ商店街があります。
パン屋、くだもの屋、魚屋。
たばこ屋は、昔はたくさんありましたが、最近は見かけません。
道を走る「おーとさんりん」が出てきました。
タイヤが3本ある車です。前に1本、後ろに2本。回転するときにひっくりかえりやすいと聞いたことがあります。
今は見かけません。
人と人との気持ちの距離が近い時代でした。
たろうが歩いていると、おとなたちが声をかけてきます。
消防署とガソリンスタンドが出てきました。
絵本に描いてあるガソリンスタンドは、MobilとESSOです。ガソリンスタンドは合併が進みました。いまはどこもたいていENEOS(エネオス)です。
信号機が出てきました。
昔は、信号機の数は少なかった。
自家用車が少なかった。
たろうくんは、信号の色が黄色で交差点を渡ろうとしたので、警察官に止められました。
わたしも7歳のときに、いなかから都会に引っ越して、信号機というものを知らずに、ひとりで交差点を渡ろうとして、婦人警官につかまって、自宅のアパートまで連れていかれて、母親が婦人警官に指導を受けたことがあります。
たしか去年の今頃、もう90歳近くなった母親にそんな話をしたことがありますが、母親は、もうそこに住んでいたことすら覚えていませんでした。
この絵本は、お年寄りが読むとなつかしい気持ちにひたれる絵本です。
たろうくんは、まみちゃんへのたんじょうびプレゼントにアイスクリームをもっています。
いそがないと、アイスクリームがとけてしまいます。
されど、この絵本は『交通安全啓発絵本』の側面をもっています。
アイスクリームがとけることよりも、たろうの命のほうがだいじです。
アイスクリームは、とけてもいいのです。
そもそも、たろうのおかあさんは、なぜ、たろうにとけるアイスクリームをもたせたのだろう。
読み進むたびに疑問が大きくなる絵本です。
郵便屋さんが自転車で配達をしています。
いまどきは、電動バイクで静かな動力音を流しながら、配達員さんは、郵便の配達をされています。
出川哲朗さんの充電バイクの旅『充電させてもらえませんか?』を思い出しました。スイカヘルメットです。
それから、昔、長嶋一茂さんが主役をした『ポストマン』という自転車で郵便配達をすることにこだわる郵便局配達職員さんの映画を思い出しました。長嶋一茂さんは、がんこな郵便配達員さんでした。
絵本の絵には、馬を乗せたトラックが描いてあります。
九州の熊本県とか宮崎県あたりに行くと、和牛をのせたトラックを見かけます。
馬だと、今は、競馬馬の移送ぐらいしか思いつきません。
市街地を抜けると、はらっぱです。
思い出すと、昔は、こどもが安全に遊べる空き地や原っぱがいっぱいありました。
植物や虫がたくさんいました。
広がっていた原野は宅地開発されて、道路や店舗、住宅地に変わりました。
原っぱまで来るまでは、おとなたちから、あれだめ、これだめと言われ続けた、登場人物のたろうです。
原っぱは、車が来ないので安全です。
そうか、こどもがのびのび移動できた時代がありました。
ページの右奥で、まみちゃんが両手をふって、出迎えてくれています。
この絵本には、60年ぐらい前の日本の風景があります。
2022年10月12日
絵本のプレゼント
絵本のプレゼント
この秋に用事があって、夫婦で九州の親せきに会いに行きます。(この部分の文章は、2022年8月につくりました)
ちびっこたちがいるので、おみやげに絵本とバナナをもっていくつもりです。
どんな絵本がいいか考えています。
(5歳の女の子と3歳の女の子にあげたい絵本)
だんまりこおろぎ エリック=カール 偕成社(最終ページをめくるとこおろぎの鳴き声が流れてきます)
ね~ね~(雑誌です。2022年4・5月号 主婦と生活社 このうち(家)のちびっこがファンである「すみっコぐらし」の記事が満載です)
いちにち ひろたあきら KADOKAWA
キャベツくん 長新太(ちょう・しんた) 文研出版
ほしじいたけ ほしばあたけ 石川基子 講談社
(4歳の女の子と2歳の男の子)
だんまりこおろぎ
なまえのないねこ 竹下文子・文 町田尚子・絵 小峰書店
おっぱい おっぱい わかやま けん 童心社
ゴムあたまポンたろう 長新太(ちょう・しんた) 童心社
さてどうなりますか。
(その後 実際に絵本をちびっこたちに渡したときのこと 以下の部分の文章は、2022年10月につくりました)
『いちにち ひろたあきら KADOKAWA』
5歳の女の子が、最近、ひらがなを読めるようになったらしく、本の内容というよりも、文章のひらがなを、ひと文字ずつ大きな声で読みあげていました。ひらがなを読めることが嬉しく、自慢のようすでした。
『なまえのないねこ』
4歳の女の子が、ねこの絵を熱心にながめていました。文章で書かれた物語部分よりも、ねこの顔の表情に強い興味をもっていました。
『おっぱい おっぱい』
2歳の男の子のためにプレゼントしたつもりだったのですが、4歳の女の子が、動物たちの親子のようすが描かれた絵を一生懸命に見ていました。
バナナをもっていくつもりでしたが、スーパーマーケットで、ブドウの巨峰を手に入れて、それぞれひと房(ふさ)ずつあげました。ちびっこは、おいしい食べ物が大好物です。
この秋に用事があって、夫婦で九州の親せきに会いに行きます。(この部分の文章は、2022年8月につくりました)
ちびっこたちがいるので、おみやげに絵本とバナナをもっていくつもりです。
どんな絵本がいいか考えています。
(5歳の女の子と3歳の女の子にあげたい絵本)
だんまりこおろぎ エリック=カール 偕成社(最終ページをめくるとこおろぎの鳴き声が流れてきます)
ね~ね~(雑誌です。2022年4・5月号 主婦と生活社 このうち(家)のちびっこがファンである「すみっコぐらし」の記事が満載です)
いちにち ひろたあきら KADOKAWA
キャベツくん 長新太(ちょう・しんた) 文研出版
ほしじいたけ ほしばあたけ 石川基子 講談社
(4歳の女の子と2歳の男の子)
だんまりこおろぎ
なまえのないねこ 竹下文子・文 町田尚子・絵 小峰書店
おっぱい おっぱい わかやま けん 童心社
ゴムあたまポンたろう 長新太(ちょう・しんた) 童心社
さてどうなりますか。
(その後 実際に絵本をちびっこたちに渡したときのこと 以下の部分の文章は、2022年10月につくりました)
『いちにち ひろたあきら KADOKAWA』
5歳の女の子が、最近、ひらがなを読めるようになったらしく、本の内容というよりも、文章のひらがなを、ひと文字ずつ大きな声で読みあげていました。ひらがなを読めることが嬉しく、自慢のようすでした。
『なまえのないねこ』
4歳の女の子が、ねこの絵を熱心にながめていました。文章で書かれた物語部分よりも、ねこの顔の表情に強い興味をもっていました。
『おっぱい おっぱい』
2歳の男の子のためにプレゼントしたつもりだったのですが、4歳の女の子が、動物たちの親子のようすが描かれた絵を一生懸命に見ていました。
バナナをもっていくつもりでしたが、スーパーマーケットで、ブドウの巨峰を手に入れて、それぞれひと房(ふさ)ずつあげました。ちびっこは、おいしい食べ物が大好物です。
2022年10月11日
夕日は沈み 朝日は昇る 撮影地 福岡県内
夕日は沈み 朝日は昇る 撮影地 福岡県内 2022年10月
用事があって九州まで夫婦で行ってきました。
夕映えがきれいでした。遠賀川(おんががわ。下流に向かっての右岸道路を走る車の中から撮影しました。ちょっと車の中からの反射があります)沿いの光景です。
紅色(くれないいろ)の空のショーが始まりました。
次の写真は、翌朝の東方向です。日の出です。この地域は、朝もやが出ることが自然の特徴です。地域全体を囲む(かこむ)山の中腹が白くかすんでいます。
さきほどの朝日が照らす西側方向です。山並みの向こうが福岡市方向です。
この日は、お墓参りをしたあと『伊藤伝右衛門邸(いとう・でんえもん邸)』を見学しました。大きなお屋敷でした。前回見学したのは、2015年10月で、そのときは、次の予定があったので、かけあしでのあわてた見学でした。今回は、ゆっくり見学できました。
見学者は、自分たちと同じような年配の夫婦をちらほら見かけました。前回見学したときは、NHKの朝ドラが放映されたころだったので、見学者がたくさんおられました。
伊藤伝右衛門:1861年(江戸時代)-1947年(昭和22年)86歳没。炭鉱事業経営の実業家。2番目の妻が、柳原樺子(やなぎはら・あきこ。華族(貴族階級)。婚姻期間1911年(明治44年)-1921年(大正10年)歌人。筆名:柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん))
柳原白蓮:1885年(明治18年)-1967年(昭和42年)81歳没。26歳の時に50歳の伊藤伝衛門と結婚した。1921年(大正10年)白蓮事件。柳原白蓮は、駆け落ちをした。
花子とアン:2014年上半期NHK朝ドラ。「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子の半生。村岡花子の大親友が、柳原白蓮。
(新幹線)
博多行きは、岡山駅で降りる人が多かった。
広島駅で大部分の人たちが降りて行って、自分たち夫婦のまわりは、前も後ろも横も空席だらけで、新幹線は空気を運んでいるような感じでした。コロナ禍の影響があるのかもしれません。
岡山駅を過ぎてからの九州方面への景色では、紅色の(くれないいろの)ヒガンバナの群生を多く見ました。
旅をしながら、地方の経済は冷えているという印象を受けました。
高齢化が進み過疎化著しい田舎と人口密集地の都市部と、両極端な状況があります。
お店や車内にお客さんがいないのに、その場にいて働くという、お金のためと割り切ればいいのでしょうが、働く動機付けがむずかしいシーンもありました。
地方も都市部も、どちらも暮らしにくさがあるように感じられました。
バランス(平均的な平衡感覚)が求められます。
博多駅からの帰路では、日本で生活しているような外国人乗客が多かった。神戸駅と京都駅で乗り降りする人たちが多かった。
博多駅近くの街は、人が多く、案内表示も雑多で大量で、かえって地理方向がわかりにくかった。
ちょっと疲れた旅でした。
用事があって九州まで夫婦で行ってきました。
夕映えがきれいでした。遠賀川(おんががわ。下流に向かっての右岸道路を走る車の中から撮影しました。ちょっと車の中からの反射があります)沿いの光景です。
紅色(くれないいろ)の空のショーが始まりました。
次の写真は、翌朝の東方向です。日の出です。この地域は、朝もやが出ることが自然の特徴です。地域全体を囲む(かこむ)山の中腹が白くかすんでいます。
さきほどの朝日が照らす西側方向です。山並みの向こうが福岡市方向です。
この日は、お墓参りをしたあと『伊藤伝右衛門邸(いとう・でんえもん邸)』を見学しました。大きなお屋敷でした。前回見学したのは、2015年10月で、そのときは、次の予定があったので、かけあしでのあわてた見学でした。今回は、ゆっくり見学できました。
見学者は、自分たちと同じような年配の夫婦をちらほら見かけました。前回見学したときは、NHKの朝ドラが放映されたころだったので、見学者がたくさんおられました。
伊藤伝右衛門:1861年(江戸時代)-1947年(昭和22年)86歳没。炭鉱事業経営の実業家。2番目の妻が、柳原樺子(やなぎはら・あきこ。華族(貴族階級)。婚姻期間1911年(明治44年)-1921年(大正10年)歌人。筆名:柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん))
柳原白蓮:1885年(明治18年)-1967年(昭和42年)81歳没。26歳の時に50歳の伊藤伝衛門と結婚した。1921年(大正10年)白蓮事件。柳原白蓮は、駆け落ちをした。
花子とアン:2014年上半期NHK朝ドラ。「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子の半生。村岡花子の大親友が、柳原白蓮。
(新幹線)
博多行きは、岡山駅で降りる人が多かった。
広島駅で大部分の人たちが降りて行って、自分たち夫婦のまわりは、前も後ろも横も空席だらけで、新幹線は空気を運んでいるような感じでした。コロナ禍の影響があるのかもしれません。
岡山駅を過ぎてからの九州方面への景色では、紅色の(くれないいろの)ヒガンバナの群生を多く見ました。
旅をしながら、地方の経済は冷えているという印象を受けました。
高齢化が進み過疎化著しい田舎と人口密集地の都市部と、両極端な状況があります。
お店や車内にお客さんがいないのに、その場にいて働くという、お金のためと割り切ればいいのでしょうが、働く動機付けがむずかしいシーンもありました。
地方も都市部も、どちらも暮らしにくさがあるように感じられました。
バランス(平均的な平衡感覚)が求められます。
博多駅からの帰路では、日本で生活しているような外国人乗客が多かった。神戸駅と京都駅で乗り降りする人たちが多かった。
博多駅近くの街は、人が多く、案内表示も雑多で大量で、かえって地理方向がわかりにくかった。
ちょっと疲れた旅でした。
2022年10月10日
はっぴいさん 荒井良二
はっぴいさん 荒井良二 偕成社
こどもさん向けの絵本です。
はっぴい=HAPPY=幸せ ということでしょうと思い浮かべながら読み始めます。
黄色の下地に2羽の白鳩とチョウチョと葉っぱがある絵の表紙をめくります。
『なんだこの落書きは?』小学生が描いたスケッチのようです。
銀色の下地に鉛筆書きの跡です。
お人形さんのような人が、左斜め上から、右斜め下方向へ歩いていきます。
緑色のとんがり帽子をかぶっています。
背中のリュックはオレンジ色です。
ページをめくります。こんどは、女の人が登場してきました。
女の人は『わたし』さんです。
右手に持っている手提げ袋はオレンジ色です。
男の人が『はっぴいさん』かと思っていたら違いました。
男の人が『はっぴいさん』に会いに行くそうです。
女の人も『はっぴいさん』に会いに行くそうです。
はっぴいさんは、山の上にいる。
石の上に時々いる。
はっぴいさんは、願い事をきいてくれる。
まるで、、神さまか仏さまのようです。
男の人は『ぼく』だそうです。
のろのろしている性格だそうです。
路線バスは右側通行で、バス車内の運転席は左側にあるから、ここは外国でしょう。
日本ではありません。
人が、バスを降りて歩いてきました。
バスを降りて来た女の人は『わたし』です。
『わたし』が『ぼく』に近づいて来ました。
『わたし』と『ぼく』のふたりは、お互いに離れて、はっぴいさんに会うために、山を登り始めました。
女子の『わたし』は、のろのろじゃない。わたしは、きびきび動くそうです。
だけど『わたし』は、あわてんぼさんだそうです。
ふたりの『ねがい』とは、なんだろう。
ふたりが登った山の上には、大きな四角い石が横たわっています。
以前、わたしが、奈良の明日香村(あすかむら)へ行ったときに見た『石舞台(いしぶたい)』に似ています。蘇我馬子(そがのうまこ。大昔の豪族(ごうぞく。お金持ち一族のボス)の古墳らしい。(お墓)
のろのろのかたつむり。
ぴょんぴょん移動するうさぎ。
どういうわけか、ハトとリス。
文章は「歌」のようです。
一定のリズムがあります。
「オチ」はどうなるのだろう。
オチ:印象的な最後。
自分にないものを相手に求めて助け合う。
そんなお話です。
黄色い太い輪がまぶしい。
太陽だろうか。
太陽でした。
恋愛とか結婚とか。
そうか『大きな黄色い太陽』が、はっぴいさんなんだ。
淡々と『時(とき)』は流れていきます。
人生の営みがあります。
2003年(平成15年))の作品です。
ロードムービーのようでした。
登場する人物は、旅をしながら人間的に成長していきます。
自然に包まれて、男と女がいて、恋愛とか愛情があります。
心優しいお話でした。
(その後)
この絵本についてほかの人の感想を読みましたが、絵本の最初のほうに戦車の絵があり、反戦とか平和を願う意味がこめられている絵本という趣旨があるようです。ただ、戦争反対、平和の希望という強い主張は表には出てきません。
自分は、ラブストーリーだと思って読みました。
作品は作者の手を離れた瞬間に、読み手のものになります。
この絵本の絵はへたくそな絵で、そのことをどう受けとめるかも読み手しだいです。
こどもさん向けの絵本です。
はっぴい=HAPPY=幸せ ということでしょうと思い浮かべながら読み始めます。
黄色の下地に2羽の白鳩とチョウチョと葉っぱがある絵の表紙をめくります。
『なんだこの落書きは?』小学生が描いたスケッチのようです。
銀色の下地に鉛筆書きの跡です。
お人形さんのような人が、左斜め上から、右斜め下方向へ歩いていきます。
緑色のとんがり帽子をかぶっています。
背中のリュックはオレンジ色です。
ページをめくります。こんどは、女の人が登場してきました。
女の人は『わたし』さんです。
右手に持っている手提げ袋はオレンジ色です。
男の人が『はっぴいさん』かと思っていたら違いました。
男の人が『はっぴいさん』に会いに行くそうです。
女の人も『はっぴいさん』に会いに行くそうです。
はっぴいさんは、山の上にいる。
石の上に時々いる。
はっぴいさんは、願い事をきいてくれる。
まるで、、神さまか仏さまのようです。
男の人は『ぼく』だそうです。
のろのろしている性格だそうです。
路線バスは右側通行で、バス車内の運転席は左側にあるから、ここは外国でしょう。
日本ではありません。
人が、バスを降りて歩いてきました。
バスを降りて来た女の人は『わたし』です。
『わたし』が『ぼく』に近づいて来ました。
『わたし』と『ぼく』のふたりは、お互いに離れて、はっぴいさんに会うために、山を登り始めました。
女子の『わたし』は、のろのろじゃない。わたしは、きびきび動くそうです。
だけど『わたし』は、あわてんぼさんだそうです。
ふたりの『ねがい』とは、なんだろう。
ふたりが登った山の上には、大きな四角い石が横たわっています。
以前、わたしが、奈良の明日香村(あすかむら)へ行ったときに見た『石舞台(いしぶたい)』に似ています。蘇我馬子(そがのうまこ。大昔の豪族(ごうぞく。お金持ち一族のボス)の古墳らしい。(お墓)
のろのろのかたつむり。
ぴょんぴょん移動するうさぎ。
どういうわけか、ハトとリス。
文章は「歌」のようです。
一定のリズムがあります。
「オチ」はどうなるのだろう。
オチ:印象的な最後。
自分にないものを相手に求めて助け合う。
そんなお話です。
黄色い太い輪がまぶしい。
太陽だろうか。
太陽でした。
恋愛とか結婚とか。
そうか『大きな黄色い太陽』が、はっぴいさんなんだ。
淡々と『時(とき)』は流れていきます。
人生の営みがあります。
2003年(平成15年))の作品です。
ロードムービーのようでした。
登場する人物は、旅をしながら人間的に成長していきます。
自然に包まれて、男と女がいて、恋愛とか愛情があります。
心優しいお話でした。
(その後)
この絵本についてほかの人の感想を読みましたが、絵本の最初のほうに戦車の絵があり、反戦とか平和を願う意味がこめられている絵本という趣旨があるようです。ただ、戦争反対、平和の希望という強い主張は表には出てきません。
自分は、ラブストーリーだと思って読みました。
作品は作者の手を離れた瞬間に、読み手のものになります。
この絵本の絵はへたくそな絵で、そのことをどう受けとめるかも読み手しだいです。
2022年10月08日
4回目のワクチン接種
4回目のワクチン接種
オミクロン対応ワクチン接種が受けられる時期を待って、夫婦で接種をしてきました。
集団接種の会場は、お年寄りばかりが順番に並んでいます。
なんだか、棺桶に入る順番待ちのようで、しみじみしました。
帰りの電車で、夫婦そろって席を譲ってもらいました。
他人同士の若い女性ふたりがわたしたちに席を譲ってくださいました。
ありがとうございます。
最近は、電車に乗ると、席を譲られることが多くなりました。
自分たちは、頭では若いと思っていますが、外見は明らかにおじいさんとおばあさんなのでしょう。
席を勧められて遠慮すると、相手に恥をかかせると思って、素直にお礼を言いながら座るようにしています。
思えば、夫婦ふたりとも、頭の毛はだいぶ白くなってしまいました。同い年で18歳の時からの付き合いなので、お互いに人生の良き友です。
共に老いながら、体も頭の働きもだいぶやつれてきました。
歯茎はぐらぐらです。
おしっこのコントロールも危うい。(あやうい)
若い人たちへのアドバイスです。
できるだけ健康な体で老後を迎えることを心がけてください。
暴飲暴食、体に負担をかける日常生活を送ることは避けましょう。
体を壊してからの老後はつらいですよ。
(追記 その後のこと)
先日バスに乗っていて、夫婦で会話をしていたら、運転手さんからマイクで、会話はやめてくださいと注意されました。ごめんなさいとふたりで謝りました。ちょっぴり心が傷つきました。
そのあと、おそば屋さんでお昼の定食を頼んで、夫婦でしゃべりながらごはんを食べていたら、テーブルに、会話をしないで食事をしてくださいと書かれた紙が貼って(はって)あることに気づいて、また気持ちが沈みました。
いったいいつまで、こんなことを続けなければならないのだろうか……
コロナ禍騒ぎは、そろそろ終息してほしい。
オミクロン対応ワクチン接種が受けられる時期を待って、夫婦で接種をしてきました。
集団接種の会場は、お年寄りばかりが順番に並んでいます。
なんだか、棺桶に入る順番待ちのようで、しみじみしました。
帰りの電車で、夫婦そろって席を譲ってもらいました。
他人同士の若い女性ふたりがわたしたちに席を譲ってくださいました。
ありがとうございます。
最近は、電車に乗ると、席を譲られることが多くなりました。
自分たちは、頭では若いと思っていますが、外見は明らかにおじいさんとおばあさんなのでしょう。
席を勧められて遠慮すると、相手に恥をかかせると思って、素直にお礼を言いながら座るようにしています。
思えば、夫婦ふたりとも、頭の毛はだいぶ白くなってしまいました。同い年で18歳の時からの付き合いなので、お互いに人生の良き友です。
共に老いながら、体も頭の働きもだいぶやつれてきました。
歯茎はぐらぐらです。
おしっこのコントロールも危うい。(あやうい)
若い人たちへのアドバイスです。
できるだけ健康な体で老後を迎えることを心がけてください。
暴飲暴食、体に負担をかける日常生活を送ることは避けましょう。
体を壊してからの老後はつらいですよ。
(追記 その後のこと)
先日バスに乗っていて、夫婦で会話をしていたら、運転手さんからマイクで、会話はやめてくださいと注意されました。ごめんなさいとふたりで謝りました。ちょっぴり心が傷つきました。
そのあと、おそば屋さんでお昼の定食を頼んで、夫婦でしゃべりながらごはんを食べていたら、テーブルに、会話をしないで食事をしてくださいと書かれた紙が貼って(はって)あることに気づいて、また気持ちが沈みました。
いったいいつまで、こんなことを続けなければならないのだろうか……
コロナ禍騒ぎは、そろそろ終息してほしい。
2022年10月07日
ざんねんな先生 有馬心一朗
ざんねんな先生 有馬心一朗(ありま・しんいちろう) 新評論
『これから出る本』の情報をチェックしていて目に留まったので読んでみることにしました。
『ざんねんな』は、ヒットした『ざんねんななんとか』シリーズにヒントがあるタイトル付けだろうと思いました。
タイトルだけみると、内部告発本のようにもみえます。
だいじょうぶだろうか。
親として教師や学校に望むことは、学校で事件や事故がないようにということです。
それだけです。生きてちゃんと卒業させてもらえればいい。
以前読んだ本でいい本がありました。
『友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 菅野仁(かんの・ひとし) ちくまプリマ―新書』
著者は2016年(平成28年)56歳のときに癌で亡くなっています。亡くなった方が残したメッセージです。
著者は大学の先生で、娘さんが不登校になって悩まれたことがこの本を書くきっかけだったというような記憶です。そして、お父さんが亡くなった数か月あとに、娘さんも心臓の病気で亡くなっています。
その本を読んだときの読書メモの一部です。著者が望む教師像です。
生徒の記憶に残らない教師像でいい。ドラマや映画の教師像はドラマや映画のなかだけのものです。一般的に、現実には、過剰な精神的関与や信念の押しつけはしないとあります。教師に人格の高い高邁な資質を求めない。(こうまい:ぬきんでている能力をもつ)
(1回目の本読み)
ゆっくりすべてのページを最後までめくります。
『ざんねん』という単語がいっぱい出てきます。
へんてこりんな癖(くせ)をもつわたしは、何回『ざんねん』という言葉が出てくるか、カウントしてみることにしました。
本のカバーにふたつ、本の本体表紙にひとつ…… 目次にもいっぱい『ざんねん』があります。
本文は全体で、227ページあります。
以前別の本で同様に『ため息』という言葉をカウントしたことがあります。『みんなのためいき図鑑 村上しいこ・作 中田いくみ・絵 童心社』でした。『ためいき』という単語が218回出てきました。この本の『ざんねん』で新記録達成となるでしょうか。楽しみです。(64ページまで読んで気づいたのですが、奇数ページの左上に章とみだしの文章があり、延々と「ざんねん」が表示されています。その「ざんねん」もカウントに加えることにしました)
読み終えた結果です。「ざんねん」とか「残念」という単語が本のカバーと本文に132回ありました。また、奇数ページの左上の表示に109回ありました。合計で241回です。『ためいき』を抜きました。だからなんということもないのですが。「ざんねん」は目にすると気持ちが沈む単語ですから、ちょっと多すぎるかなと感じました。
「大告白」とあるから内情暴露です。
暴露して、対策を提示するのでしょう。
この本は何を目指しているのかを考えながら読みます。
「ざんねんじゃない状態」は、どんなものなのか。
現実には、100%改善・改革できることはなかなかありません。
世の中は、グレーゾーン(灰色)で調和をとっています。
モデルとなる教師像があるのだろうか。
だれなのかわかるとまずいんじゃないのか。
ページをめくりながらふと思う。
現実社会では、民間事業者や依頼する立場の人間を見下す学校の先生がいます。
先生は、いばっています。
民間事業者等より、教職のほうが、立場が上だといばっています。
民間事業者等は、頼むほうの立場なので、ぺこぺこするしかありません。
先生も変だけど、親も変らしい。
学校は人生においては、通過点でしかない。
早く通過したい。こどもの心身が病気にならないようにして、無事に卒業させてほしい。
こどもは、長時間イスに座って、じっとして、理解できない話を聞かされて、とても苦痛です。
昔からずーっとそうでした。
身体を拘束(こうそく)されての授業はとても苦痛です。
公務員を目指す動機が『安定しているから』だけの人は、公務員にならないでほしい。
そういう人は選考時に、はじいてほしい。
教職者は、大学を出て、会社勤めをしたことがないから、組織で働く人間の苦労を体験していない。社会人といえるようでそうでもない。
後半には、スポーツが強い学校のことが書いてあるようです。
強豪校は、学校をPRするために、スポーツ活動を推進します。
「あとがき」を読みました。
著者がメモ魔であることが書いてあります。(わたしも同様です)
饒舌です。(じょうぜつ:おしゃべり多い)
自慢もあるし、読んだ人が嫌悪感をもつかも。
まあ、読んでみます。
(2回目の本読み)
モンペ:モンスターペアレント(筋の通らない要求や苦情を繰り返すしつこい親)の略語。
学校でトラブルがあったとしても、卒業までの一時的な事柄なので、がまんして、時間が経過するのを待つということはあります。生徒も先生も一時的な出会いです。
それではいけないと著者は主張します。
自分は、学校は『人間』を学ぶ場所だと考えています。
先生も児童・生徒も人間的に100%いい人はいません。
『残業』のことが書いてあります。
不思議です。
一般サラリーマンは、早朝から満員電車に揺られて出勤して、夜遅くに帰宅して、また翌朝早く出勤して、土日の休みは死んだように眠っているということの繰り返しの毎日です。出世したかったら長時間労働は当たり前です。
教師には、業務としての金銭的な達成目標はありません。いわゆるノルマ(お金の獲得目標値)はありません。
自分で労働時間内の行動の割り振りを自由にできる裁量もありそうです。
自費で自分の時間で仕事の勉強をしている労働者はいくらでもいます。
『居残り給食』食べ残しを許さない。
自分は体験したことがあります。
ぬるぬるするワカメがにがてで、どうしてもみそ汁のなかのワカメがのどを通ってくれませんでした。
小学校低学年の時に、同じくワカメがにがてなクラスメートとふたりで、給食時間が終わったあとも、黒板の前に横に並んで正座させられて、飲めないワカメのみそ汁を飲もうとしていました。
結局、飲めませんでした。掃除の時間が始まって、まわりにいる児童たちは、ぞうきんがけなどの掃除をしていて、泣けて来たのを覚えています。
もう半世紀以上もたったのに、まだ覚えているということは、そのときのショックが脳みそのどこかに残っているのでしょう。
授業中にこどもにビンタをする先生は何人か見ました。
案外、女性の教師がそういうことをしていました。言うことをきかなければ、たたかれるのです。
生徒をげんこつでなぐる男性教師もいました。
感情的な暴力でした。
合法的な、児童、生徒に対する虐待です。
髪の長い女子中学生が、男性教師に長い髪をつかまれて、円盤投げのときのように、教師がコンパスの中心に位置して、女生徒がぐるぐる回されていたのを遠めに見たことがあります。
半世紀以上前は、親も文句を言わない時代でした。こどもは、家では親兄弟に叩かれて、学校では先生や先輩や級友に叩かれて、ときには、生意気な下級生にも叩かれて、それでもそれが普通の時代でした。人にもまれながら、強くたくましく、図太く(ずぶとく)生きることを学びました。
アナフィラキシー:アレルギー反応による症状。
社会では、頭が良くても、自分の思いどおりにならないと、机を叩いたり、イスを蹴ったりする人がいます。凶暴です。自分で自分の感情と言動をコントロールすることができないようです。
本に書いてある文章は饒舌です。(じょうぜつ。言葉数が多い)
文章量を減らしたほうが読みやすくわかりやすい。
ときに、感情的な勢いがあります。
「ざんねんな教師」に対する対応を求めておられます。
公務員である教職員は身分保障が手厚いので、なかなか解雇処分はできないでしょう。
反故(ほご):なかったことにする。
鉄棒で、さかあがりができてもできなくても、人間は生きていけるということはあります。
(つづく)
たまたま同時進行で読んでいる『こんな人いるよねぇ~ つぶやきシロー 自由国民社』つぶやきシローさんが出版社に与えられた本の読書感想メモを書いてある本なのですが、こちらの本と似たようなタイトルの本が紹介されています。『残念な教員 学校教育の失敗学 林純次 光文社』
ネットで、その本と今読んでいるこの本の感想を読みました。賛否両論あります。まあ、そうなるような内容です。関係者が読んだら、腹を立てる人もいるでしょう。予想どおりの感想でしょう。
本にいろいろ書いてありますが、教員とか教育関係の組織の人って、性的趣向がどうかと思うようなニュースをときおり目にします。
盗撮とか、SNS出会い系交際アプリサイトでこどもをだますとか、ストーカーになるとか、脳みその中はだいじょうぶだろうかと心配します。この本では、ロリコンのことが書いてあります。幼児趣味の性癖です。エロ教師では、学校にこどもを預ける親は心配になります。
信頼関係がないと、どこの世界でもうまくいきません。
性癖で変な人を教員に採用しないでほしいし、変なことをした人は二度と採用しないでほしい。いくら制裁を与えても直らない病気です。なのに、本では、再度採用されることが書いてあります。残念です。不満です。不信感が湧きます。
そもそも法令では、そんな変な人が教育職に就くということを想定していないのでしょう。抜け穴があります。
上司は何もしません。関わり合いになりたくないのです。
教職の人は二重人格の人が多いという文章を以前読んだことがあります。
いい人でいなければならないということはつらいでしょう。
教師でなくても、表向きは、差別はいけないといいながら、内部ではあからさまに差別する人がいます。同様に、いじめはいけないといいながら、裏では人をいじめている人もいます。自分が加害者だという意識はありません。人間とはそういうもの。それでいいと割り切っているようです。
頭がいい人たちのいじめは陰湿です。なかなか表に出ません。
こども相手の仕事は、弱い者いじめの面があります。
親の顔色をうかがってのえいこひいきもあるでしょう。
いじめ加害者のこどもの親や親族が、地元の名士(めいし。有名人)や地元で要職に就いていて、気後れ(きおくれ)や遠慮・配慮があることもあるのでしょう。。
アイドルオタクの教師について書いてあります。
脳みその中は少年です。
見た目はおとなでも頭の中はこどものままです。
保護者には、教師からこどもを守るための選択肢の数は限られています。
異常な空間です。
42ページ付近の教師のファッション(服装)に関する批判の記述は、言い過ぎではなかろうかという感想をもちました。
著者は攻撃的です。『自分(たち)とあいつら』の世界です。
(つづく)
学校という狭い世界の奥深い話が続きます。
兵庫県で実際にあった小学校教師同士のいじめ事件のことが出ます。ボス的存在の女教師を含む4人の小学校教師が若手教師をいたぶっています。もしかしたら、一般企業や組織でもありそうなことです。だれかをいじめることで、ストレスを解消する。
職場に『村社会』があって、村長の立場のボスがいて、取り巻きの村民がいる。自分たちだけで通用するルールをつくって、掟(おきて。破ってはいけないこと)で被害者を縛る。(しばる)
昔だったら、いじめの被害者は、泣き寝入りで終わることが多かった。現代は、動画配信の時代です。加害者の動きも言葉も記録されて外に発信できます。
先生は、人間を評価する人たちです。
人間を評価することが仕事です。
評価をやめたらどうなるのだろう。
評価をやめてもいいのではないか。
社会に出て働いて食べていくうえで、学校の評価の影響や効果は小さそうです。
科目によって、できるできないは、個人それぞれの能力の違いではなかろうか。
わが子を自慢したい毒親がいます。
中学受験合格をまわりに自慢する親です。
そんな親の子どもは、ほんとうに幸せなのだろうか。
『友だち』というのは、微妙な関係です。
上下関係があったりします。
相手を見下しての友だち関係ということがあります。
たしか、恐ろしい作品がありました。乃南アサ作品でした。
読んだ時の読書メモが残っています。周囲が親友同士だと思っていたふたりが、殺人の加害者と被害者になるのです。
『殺意・鬼哭(きこく・亡霊が浮かばれないで泣く) 乃南アサ 双葉文庫』
2本の小説が1本の作品になっています。「殺意」は殺したほう、「鬼哭(きこく)」は殺されたほう、それぞれの当事者が語り続けます。珍しい形式です。
『殺意』恐ろしいお話です。世の中にこのような人間がいないと否定できません。真垣徹36才会社員は殺人刑で収監されて8年が経過しています。12年の刑ですがもうすぐ仮出所します。彼は、周囲の人間が彼の親友とみていた人物を刺殺しました。
『鬼哭(きこく・死者のすすり泣き)』真垣徹36才に刺殺された的場直弘40才のひとり語りが続きます。的場直弘が、真垣徹に刃物で刺されて意識を失うまでの3分間の思考が、178ページに渡って延々と表現されます。加害者の真垣は、被害者の的場を、自分を支配している者としてとらえていました。こちらは相手に好かれていると思っていても、相手はこちらを嫌っている。殺された的場は、殺した真垣からみて、殺される理由をもっていました。相手に忍耐をさせる関係を、親友とは呼ばないのです。
よかれと思ってやったことが、相手にとっては迷惑なことだったというのは、よくあることです。
ただ、そういうものだと思えばよいということはあります。悪意があるわけではないのですから。
1年目で実技経験のないまじめな女教師が担任になるのはハズレというような記述があります。
女教師を、一方的に教える側の人として考えるとそうなるのでしょうが、お互いとその周囲という固まりで、全体が育つように考えることが一般的です。
こどもに向かって「お前ら、バカか!」「死ねよ!」と教師が言うそうです。侮辱(ぶじょく)、脅迫、恐喝(きょうかつ)です。罰されます。ばかでもそこそこ生活していけます。だいじょうぶです。先生には、そこまで心配してもらわなくてもいいです。
64ページまで読んだところで、この本の構成を整理してみます。
まえがき
(以下「ざんねん」を頭につけて)
先生のタイプを分類してざんねんとする。
授業を科目別に分類してざんねんとする。
学校行事ごとに、その内容についてざんねんとする。
部活のクラブごとに分類してざんねんとする。
あとがき
参考文献一覧
先生の仕事は少なくとも民間企業のような『利益の追求』ではありません。
先生の仕事は、こどもの生命を守ることが最優先です。親としては、一番大事なことです。それ以上のことは望んでいません。無事に卒業証書を手にすることができればいい。
記述にありますが、教師も含めて、本を読む人は減りました。
国語はけっこうむずかしいです。
スポーツといっしょで、生まれつきの能力ということもあります。
文章を書くことはむずかしい。
Fランク大学とは何だろう?:偏差値40以下の学力底辺校とあります。初めて聞きました。Fランク大学卒の教師は、頭のいいこどもたちから、ばかにされるそうです。
『体育』は、遊びの延長、気休めの場なのか。
いろいろと指導の仕方の良しあしで、細かい分析が入ります。
読んでいて、そこまで先生にがんばってもらわなくてもいいですよと言いたくなります。
親としては、こどもにけがのないように対応していただければいいです。
勝ち負けは関係ありません。
ドッジボールの記事を読んでいたら、自分たちがこどものころはみんな貧乏で、ボールを買うお金がなくて、古新聞紙をまるめてのりで固めて、ドッジボールにしたり、野球遊びのボールにしたりして遊んでいたことを思い出しました。体に当たっても痛くないボールです。楽しかった。
ベクトル:向いている方向。
外国人英語教師はハイテンション、小学校の英語の授業はハイテンションだそうです。
ハイテンション:感情が高ぶる。
無意味にハイテンションという文脈です。
読んでいて『ひきこもり』について考えています。
ひきこもっているこどもと、通学しているこどもの学力差が、一日一日経過するごとに開いていきます。日数がたつほど、能力差は開きます。ひきこもっているこどもの脳内の世界は、いつまでたってもこどものままです。されど、本人がその気にならないとなんともいたしかたありません。
『いじめはいじめ』ではなく『いじめは犯罪』という理屈には賛成です。『犯罪は罰せられます』
いじめる人の性格は、生まれつきのもので変わらないと思ったことがあります。
いじめるほうを擁護(ようご。かばう。守る)する教職員関係者がいます。加害者を助けることで、なにか自分に利益があるのでしょう。
授業のやりかたのすべてがムダというような書き方は、授業をしている立場の人が読んだら救われない気持ちになるでしょう。
ムダだという『道徳』の授業が年間315時間あるそうです。うーむ。いろいろと考えさせられます。
運動会の練習で熱中症になるというニュース報道をよく聞きます。
無理をしないでほしい。
半世紀ぐらい前は、熱中症という症状は聞いたことがありませんでした。日射病はありました。不思議です。
ずいぶん前から、小中学校の運動会は、親抜きで開催されているような気がします。
この本では、親に見せるために運動会の練習をするという内容で書いてあることが、違和感があって、ちょっと現実味がありませんでした。
町内会の運動会なら親も子も参加しています。
運動会での組体操は、半世紀以上前の自分たちの時代は、なんの疑問も持たず、だれがやってもできることとしてやっていました。
山がくずれることがあってもけがをしたということは聞いたことがありませんでした。
時の流れで、いろいろなことが正反対に変化してきました。
体育というのは、練習をしたから1番になれるというものでもありません。
他の科目でも同じです。勉強時間が長かったから1番になれるわけではありません。
勉強ができたから仕事もできるわけでもありません。
1997年にポケモンの動画がまぶしくて、気分が悪くなるこどもがたくさん出た話が書いてあります。
そういうことがあったと思い出しました。
なにごともやりすぎてはいけないようです。
越えてはいけない一線は、越えてはいけないのです。
中国であった修学旅行生の鉄道死亡事故の記事も読んでいて思い出しました。
思えば、毎年、どこかで事故が発生して、命を落とす人がいます。
病気やけが、事件や事故、自然災害は、人生に付き物です。
どうやったら避けられるのか。まずは自分が危機管理の警戒心をもって用心する。
二分の一成人式というのは、自分に知識がありません。そういうものがあるのか。10歳でなにか儀式があるのか。何のためにするのか。わたしにはわかりません。
読んでいると、やらなくてもいいことをやっている。それが仕事とされている。
時間つぶしをすることが仕事。
『指導死』有形と無形あり。有形は、指導中の死。無形は、子の自殺。
直接は見ていませんが、中学の時、マラソンをしていて倒れて亡くなった同級生がいました。
もし、教師が強制してマラソンをさせたのなら有形なのでしょう。真相はわかりません。
高校の柔道で亡くなった先輩がいたと聞いたことがあります。これも有形なのか。指導した教師はその後も働いていました。
この本には、有形の指導死は隠蔽されやすい(いんぺい:組織を守るために真実をわざと隠す)と書いてあります。
無形というのは身の回りでは、聞いたことはありません。
無形について、本では、野球とかサッカーの部活について書いてあります。悩んでの自殺です。
指導者と合わなくて、どうにもこうにもやっていけないとなれば、部活における野球の選手もサッカーの選手も部をやめればいいのです。その代わり、高校の卒業証書は必ず手に入れたほうがいい。スポーツ推薦であったとしても授業料をちゃんと払えば退学処分にはならないと思います。人間関係において、合う合わないはあります。無理すると心が壊れます。
学校でなくても、人事権やお金の裁量権をもったリーダーが、パワハラやセクハラをやると、部下は最悪の思いをすることになります。(今のロシアの大統領に似ています)
お金のためなら何をやってもいい。お金を出しているから何でもやらせろです。めちゃくちゃです。
嫌いなリーダーに従わなければならない立場の者はつらい。
少し前に書いた『いじめは犯罪』という考え方にのっとって、パワハラ、セクハラは犯罪だから警察に通報する。権力の濫用(らんよう。基準や限度を超えて権力を行使する)をするリーダーは、たとえ外見的に合法的であったとしても、リーダーから引きずりおろして、組織から永久追放する。
マスコミに対する批判もあります。
『美談』を求めるような台本をつくって、映像と音楽で雰囲気を創作して、つくり話の情報を流して、人心を操作する。(これもまたロシアの報道スタイルに似ています)
全体を読み終えた感想です。
著者の一生懸命な気持ちはよく伝わってきました。
されど、現場が変化することは大変そうです。
学校は、一般的に、教師にとってもこどもにとっても、親にとっても、一時的な滞在地で『駅』のようなものです。
学校を経て、みんなそれぞれが、自分の生きたいところへ出発していくのです。
『これから出る本』の情報をチェックしていて目に留まったので読んでみることにしました。
『ざんねんな』は、ヒットした『ざんねんななんとか』シリーズにヒントがあるタイトル付けだろうと思いました。
タイトルだけみると、内部告発本のようにもみえます。
だいじょうぶだろうか。
親として教師や学校に望むことは、学校で事件や事故がないようにということです。
それだけです。生きてちゃんと卒業させてもらえればいい。
以前読んだ本でいい本がありました。
『友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 菅野仁(かんの・ひとし) ちくまプリマ―新書』
著者は2016年(平成28年)56歳のときに癌で亡くなっています。亡くなった方が残したメッセージです。
著者は大学の先生で、娘さんが不登校になって悩まれたことがこの本を書くきっかけだったというような記憶です。そして、お父さんが亡くなった数か月あとに、娘さんも心臓の病気で亡くなっています。
その本を読んだときの読書メモの一部です。著者が望む教師像です。
生徒の記憶に残らない教師像でいい。ドラマや映画の教師像はドラマや映画のなかだけのものです。一般的に、現実には、過剰な精神的関与や信念の押しつけはしないとあります。教師に人格の高い高邁な資質を求めない。(こうまい:ぬきんでている能力をもつ)
(1回目の本読み)
ゆっくりすべてのページを最後までめくります。
『ざんねん』という単語がいっぱい出てきます。
へんてこりんな癖(くせ)をもつわたしは、何回『ざんねん』という言葉が出てくるか、カウントしてみることにしました。
本のカバーにふたつ、本の本体表紙にひとつ…… 目次にもいっぱい『ざんねん』があります。
本文は全体で、227ページあります。
以前別の本で同様に『ため息』という言葉をカウントしたことがあります。『みんなのためいき図鑑 村上しいこ・作 中田いくみ・絵 童心社』でした。『ためいき』という単語が218回出てきました。この本の『ざんねん』で新記録達成となるでしょうか。楽しみです。(64ページまで読んで気づいたのですが、奇数ページの左上に章とみだしの文章があり、延々と「ざんねん」が表示されています。その「ざんねん」もカウントに加えることにしました)
読み終えた結果です。「ざんねん」とか「残念」という単語が本のカバーと本文に132回ありました。また、奇数ページの左上の表示に109回ありました。合計で241回です。『ためいき』を抜きました。だからなんということもないのですが。「ざんねん」は目にすると気持ちが沈む単語ですから、ちょっと多すぎるかなと感じました。
「大告白」とあるから内情暴露です。
暴露して、対策を提示するのでしょう。
この本は何を目指しているのかを考えながら読みます。
「ざんねんじゃない状態」は、どんなものなのか。
現実には、100%改善・改革できることはなかなかありません。
世の中は、グレーゾーン(灰色)で調和をとっています。
モデルとなる教師像があるのだろうか。
だれなのかわかるとまずいんじゃないのか。
ページをめくりながらふと思う。
現実社会では、民間事業者や依頼する立場の人間を見下す学校の先生がいます。
先生は、いばっています。
民間事業者等より、教職のほうが、立場が上だといばっています。
民間事業者等は、頼むほうの立場なので、ぺこぺこするしかありません。
先生も変だけど、親も変らしい。
学校は人生においては、通過点でしかない。
早く通過したい。こどもの心身が病気にならないようにして、無事に卒業させてほしい。
こどもは、長時間イスに座って、じっとして、理解できない話を聞かされて、とても苦痛です。
昔からずーっとそうでした。
身体を拘束(こうそく)されての授業はとても苦痛です。
公務員を目指す動機が『安定しているから』だけの人は、公務員にならないでほしい。
そういう人は選考時に、はじいてほしい。
教職者は、大学を出て、会社勤めをしたことがないから、組織で働く人間の苦労を体験していない。社会人といえるようでそうでもない。
後半には、スポーツが強い学校のことが書いてあるようです。
強豪校は、学校をPRするために、スポーツ活動を推進します。
「あとがき」を読みました。
著者がメモ魔であることが書いてあります。(わたしも同様です)
饒舌です。(じょうぜつ:おしゃべり多い)
自慢もあるし、読んだ人が嫌悪感をもつかも。
まあ、読んでみます。
(2回目の本読み)
モンペ:モンスターペアレント(筋の通らない要求や苦情を繰り返すしつこい親)の略語。
学校でトラブルがあったとしても、卒業までの一時的な事柄なので、がまんして、時間が経過するのを待つということはあります。生徒も先生も一時的な出会いです。
それではいけないと著者は主張します。
自分は、学校は『人間』を学ぶ場所だと考えています。
先生も児童・生徒も人間的に100%いい人はいません。
『残業』のことが書いてあります。
不思議です。
一般サラリーマンは、早朝から満員電車に揺られて出勤して、夜遅くに帰宅して、また翌朝早く出勤して、土日の休みは死んだように眠っているということの繰り返しの毎日です。出世したかったら長時間労働は当たり前です。
教師には、業務としての金銭的な達成目標はありません。いわゆるノルマ(お金の獲得目標値)はありません。
自分で労働時間内の行動の割り振りを自由にできる裁量もありそうです。
自費で自分の時間で仕事の勉強をしている労働者はいくらでもいます。
『居残り給食』食べ残しを許さない。
自分は体験したことがあります。
ぬるぬるするワカメがにがてで、どうしてもみそ汁のなかのワカメがのどを通ってくれませんでした。
小学校低学年の時に、同じくワカメがにがてなクラスメートとふたりで、給食時間が終わったあとも、黒板の前に横に並んで正座させられて、飲めないワカメのみそ汁を飲もうとしていました。
結局、飲めませんでした。掃除の時間が始まって、まわりにいる児童たちは、ぞうきんがけなどの掃除をしていて、泣けて来たのを覚えています。
もう半世紀以上もたったのに、まだ覚えているということは、そのときのショックが脳みそのどこかに残っているのでしょう。
授業中にこどもにビンタをする先生は何人か見ました。
案外、女性の教師がそういうことをしていました。言うことをきかなければ、たたかれるのです。
生徒をげんこつでなぐる男性教師もいました。
感情的な暴力でした。
合法的な、児童、生徒に対する虐待です。
髪の長い女子中学生が、男性教師に長い髪をつかまれて、円盤投げのときのように、教師がコンパスの中心に位置して、女生徒がぐるぐる回されていたのを遠めに見たことがあります。
半世紀以上前は、親も文句を言わない時代でした。こどもは、家では親兄弟に叩かれて、学校では先生や先輩や級友に叩かれて、ときには、生意気な下級生にも叩かれて、それでもそれが普通の時代でした。人にもまれながら、強くたくましく、図太く(ずぶとく)生きることを学びました。
アナフィラキシー:アレルギー反応による症状。
社会では、頭が良くても、自分の思いどおりにならないと、机を叩いたり、イスを蹴ったりする人がいます。凶暴です。自分で自分の感情と言動をコントロールすることができないようです。
本に書いてある文章は饒舌です。(じょうぜつ。言葉数が多い)
文章量を減らしたほうが読みやすくわかりやすい。
ときに、感情的な勢いがあります。
「ざんねんな教師」に対する対応を求めておられます。
公務員である教職員は身分保障が手厚いので、なかなか解雇処分はできないでしょう。
反故(ほご):なかったことにする。
鉄棒で、さかあがりができてもできなくても、人間は生きていけるということはあります。
(つづく)
たまたま同時進行で読んでいる『こんな人いるよねぇ~ つぶやきシロー 自由国民社』つぶやきシローさんが出版社に与えられた本の読書感想メモを書いてある本なのですが、こちらの本と似たようなタイトルの本が紹介されています。『残念な教員 学校教育の失敗学 林純次 光文社』
ネットで、その本と今読んでいるこの本の感想を読みました。賛否両論あります。まあ、そうなるような内容です。関係者が読んだら、腹を立てる人もいるでしょう。予想どおりの感想でしょう。
本にいろいろ書いてありますが、教員とか教育関係の組織の人って、性的趣向がどうかと思うようなニュースをときおり目にします。
盗撮とか、SNS出会い系交際アプリサイトでこどもをだますとか、ストーカーになるとか、脳みその中はだいじょうぶだろうかと心配します。この本では、ロリコンのことが書いてあります。幼児趣味の性癖です。エロ教師では、学校にこどもを預ける親は心配になります。
信頼関係がないと、どこの世界でもうまくいきません。
性癖で変な人を教員に採用しないでほしいし、変なことをした人は二度と採用しないでほしい。いくら制裁を与えても直らない病気です。なのに、本では、再度採用されることが書いてあります。残念です。不満です。不信感が湧きます。
そもそも法令では、そんな変な人が教育職に就くということを想定していないのでしょう。抜け穴があります。
上司は何もしません。関わり合いになりたくないのです。
教職の人は二重人格の人が多いという文章を以前読んだことがあります。
いい人でいなければならないということはつらいでしょう。
教師でなくても、表向きは、差別はいけないといいながら、内部ではあからさまに差別する人がいます。同様に、いじめはいけないといいながら、裏では人をいじめている人もいます。自分が加害者だという意識はありません。人間とはそういうもの。それでいいと割り切っているようです。
頭がいい人たちのいじめは陰湿です。なかなか表に出ません。
こども相手の仕事は、弱い者いじめの面があります。
親の顔色をうかがってのえいこひいきもあるでしょう。
いじめ加害者のこどもの親や親族が、地元の名士(めいし。有名人)や地元で要職に就いていて、気後れ(きおくれ)や遠慮・配慮があることもあるのでしょう。。
アイドルオタクの教師について書いてあります。
脳みその中は少年です。
見た目はおとなでも頭の中はこどものままです。
保護者には、教師からこどもを守るための選択肢の数は限られています。
異常な空間です。
42ページ付近の教師のファッション(服装)に関する批判の記述は、言い過ぎではなかろうかという感想をもちました。
著者は攻撃的です。『自分(たち)とあいつら』の世界です。
(つづく)
学校という狭い世界の奥深い話が続きます。
兵庫県で実際にあった小学校教師同士のいじめ事件のことが出ます。ボス的存在の女教師を含む4人の小学校教師が若手教師をいたぶっています。もしかしたら、一般企業や組織でもありそうなことです。だれかをいじめることで、ストレスを解消する。
職場に『村社会』があって、村長の立場のボスがいて、取り巻きの村民がいる。自分たちだけで通用するルールをつくって、掟(おきて。破ってはいけないこと)で被害者を縛る。(しばる)
昔だったら、いじめの被害者は、泣き寝入りで終わることが多かった。現代は、動画配信の時代です。加害者の動きも言葉も記録されて外に発信できます。
先生は、人間を評価する人たちです。
人間を評価することが仕事です。
評価をやめたらどうなるのだろう。
評価をやめてもいいのではないか。
社会に出て働いて食べていくうえで、学校の評価の影響や効果は小さそうです。
科目によって、できるできないは、個人それぞれの能力の違いではなかろうか。
わが子を自慢したい毒親がいます。
中学受験合格をまわりに自慢する親です。
そんな親の子どもは、ほんとうに幸せなのだろうか。
『友だち』というのは、微妙な関係です。
上下関係があったりします。
相手を見下しての友だち関係ということがあります。
たしか、恐ろしい作品がありました。乃南アサ作品でした。
読んだ時の読書メモが残っています。周囲が親友同士だと思っていたふたりが、殺人の加害者と被害者になるのです。
『殺意・鬼哭(きこく・亡霊が浮かばれないで泣く) 乃南アサ 双葉文庫』
2本の小説が1本の作品になっています。「殺意」は殺したほう、「鬼哭(きこく)」は殺されたほう、それぞれの当事者が語り続けます。珍しい形式です。
『殺意』恐ろしいお話です。世の中にこのような人間がいないと否定できません。真垣徹36才会社員は殺人刑で収監されて8年が経過しています。12年の刑ですがもうすぐ仮出所します。彼は、周囲の人間が彼の親友とみていた人物を刺殺しました。
『鬼哭(きこく・死者のすすり泣き)』真垣徹36才に刺殺された的場直弘40才のひとり語りが続きます。的場直弘が、真垣徹に刃物で刺されて意識を失うまでの3分間の思考が、178ページに渡って延々と表現されます。加害者の真垣は、被害者の的場を、自分を支配している者としてとらえていました。こちらは相手に好かれていると思っていても、相手はこちらを嫌っている。殺された的場は、殺した真垣からみて、殺される理由をもっていました。相手に忍耐をさせる関係を、親友とは呼ばないのです。
よかれと思ってやったことが、相手にとっては迷惑なことだったというのは、よくあることです。
ただ、そういうものだと思えばよいということはあります。悪意があるわけではないのですから。
1年目で実技経験のないまじめな女教師が担任になるのはハズレというような記述があります。
女教師を、一方的に教える側の人として考えるとそうなるのでしょうが、お互いとその周囲という固まりで、全体が育つように考えることが一般的です。
こどもに向かって「お前ら、バカか!」「死ねよ!」と教師が言うそうです。侮辱(ぶじょく)、脅迫、恐喝(きょうかつ)です。罰されます。ばかでもそこそこ生活していけます。だいじょうぶです。先生には、そこまで心配してもらわなくてもいいです。
64ページまで読んだところで、この本の構成を整理してみます。
まえがき
(以下「ざんねん」を頭につけて)
先生のタイプを分類してざんねんとする。
授業を科目別に分類してざんねんとする。
学校行事ごとに、その内容についてざんねんとする。
部活のクラブごとに分類してざんねんとする。
あとがき
参考文献一覧
先生の仕事は少なくとも民間企業のような『利益の追求』ではありません。
先生の仕事は、こどもの生命を守ることが最優先です。親としては、一番大事なことです。それ以上のことは望んでいません。無事に卒業証書を手にすることができればいい。
記述にありますが、教師も含めて、本を読む人は減りました。
国語はけっこうむずかしいです。
スポーツといっしょで、生まれつきの能力ということもあります。
文章を書くことはむずかしい。
Fランク大学とは何だろう?:偏差値40以下の学力底辺校とあります。初めて聞きました。Fランク大学卒の教師は、頭のいいこどもたちから、ばかにされるそうです。
『体育』は、遊びの延長、気休めの場なのか。
いろいろと指導の仕方の良しあしで、細かい分析が入ります。
読んでいて、そこまで先生にがんばってもらわなくてもいいですよと言いたくなります。
親としては、こどもにけがのないように対応していただければいいです。
勝ち負けは関係ありません。
ドッジボールの記事を読んでいたら、自分たちがこどものころはみんな貧乏で、ボールを買うお金がなくて、古新聞紙をまるめてのりで固めて、ドッジボールにしたり、野球遊びのボールにしたりして遊んでいたことを思い出しました。体に当たっても痛くないボールです。楽しかった。
ベクトル:向いている方向。
外国人英語教師はハイテンション、小学校の英語の授業はハイテンションだそうです。
ハイテンション:感情が高ぶる。
無意味にハイテンションという文脈です。
読んでいて『ひきこもり』について考えています。
ひきこもっているこどもと、通学しているこどもの学力差が、一日一日経過するごとに開いていきます。日数がたつほど、能力差は開きます。ひきこもっているこどもの脳内の世界は、いつまでたってもこどものままです。されど、本人がその気にならないとなんともいたしかたありません。
『いじめはいじめ』ではなく『いじめは犯罪』という理屈には賛成です。『犯罪は罰せられます』
いじめる人の性格は、生まれつきのもので変わらないと思ったことがあります。
いじめるほうを擁護(ようご。かばう。守る)する教職員関係者がいます。加害者を助けることで、なにか自分に利益があるのでしょう。
授業のやりかたのすべてがムダというような書き方は、授業をしている立場の人が読んだら救われない気持ちになるでしょう。
ムダだという『道徳』の授業が年間315時間あるそうです。うーむ。いろいろと考えさせられます。
運動会の練習で熱中症になるというニュース報道をよく聞きます。
無理をしないでほしい。
半世紀ぐらい前は、熱中症という症状は聞いたことがありませんでした。日射病はありました。不思議です。
ずいぶん前から、小中学校の運動会は、親抜きで開催されているような気がします。
この本では、親に見せるために運動会の練習をするという内容で書いてあることが、違和感があって、ちょっと現実味がありませんでした。
町内会の運動会なら親も子も参加しています。
運動会での組体操は、半世紀以上前の自分たちの時代は、なんの疑問も持たず、だれがやってもできることとしてやっていました。
山がくずれることがあってもけがをしたということは聞いたことがありませんでした。
時の流れで、いろいろなことが正反対に変化してきました。
体育というのは、練習をしたから1番になれるというものでもありません。
他の科目でも同じです。勉強時間が長かったから1番になれるわけではありません。
勉強ができたから仕事もできるわけでもありません。
1997年にポケモンの動画がまぶしくて、気分が悪くなるこどもがたくさん出た話が書いてあります。
そういうことがあったと思い出しました。
なにごともやりすぎてはいけないようです。
越えてはいけない一線は、越えてはいけないのです。
中国であった修学旅行生の鉄道死亡事故の記事も読んでいて思い出しました。
思えば、毎年、どこかで事故が発生して、命を落とす人がいます。
病気やけが、事件や事故、自然災害は、人生に付き物です。
どうやったら避けられるのか。まずは自分が危機管理の警戒心をもって用心する。
二分の一成人式というのは、自分に知識がありません。そういうものがあるのか。10歳でなにか儀式があるのか。何のためにするのか。わたしにはわかりません。
読んでいると、やらなくてもいいことをやっている。それが仕事とされている。
時間つぶしをすることが仕事。
『指導死』有形と無形あり。有形は、指導中の死。無形は、子の自殺。
直接は見ていませんが、中学の時、マラソンをしていて倒れて亡くなった同級生がいました。
もし、教師が強制してマラソンをさせたのなら有形なのでしょう。真相はわかりません。
高校の柔道で亡くなった先輩がいたと聞いたことがあります。これも有形なのか。指導した教師はその後も働いていました。
この本には、有形の指導死は隠蔽されやすい(いんぺい:組織を守るために真実をわざと隠す)と書いてあります。
無形というのは身の回りでは、聞いたことはありません。
無形について、本では、野球とかサッカーの部活について書いてあります。悩んでの自殺です。
指導者と合わなくて、どうにもこうにもやっていけないとなれば、部活における野球の選手もサッカーの選手も部をやめればいいのです。その代わり、高校の卒業証書は必ず手に入れたほうがいい。スポーツ推薦であったとしても授業料をちゃんと払えば退学処分にはならないと思います。人間関係において、合う合わないはあります。無理すると心が壊れます。
学校でなくても、人事権やお金の裁量権をもったリーダーが、パワハラやセクハラをやると、部下は最悪の思いをすることになります。(今のロシアの大統領に似ています)
お金のためなら何をやってもいい。お金を出しているから何でもやらせろです。めちゃくちゃです。
嫌いなリーダーに従わなければならない立場の者はつらい。
少し前に書いた『いじめは犯罪』という考え方にのっとって、パワハラ、セクハラは犯罪だから警察に通報する。権力の濫用(らんよう。基準や限度を超えて権力を行使する)をするリーダーは、たとえ外見的に合法的であったとしても、リーダーから引きずりおろして、組織から永久追放する。
マスコミに対する批判もあります。
『美談』を求めるような台本をつくって、映像と音楽で雰囲気を創作して、つくり話の情報を流して、人心を操作する。(これもまたロシアの報道スタイルに似ています)
全体を読み終えた感想です。
著者の一生懸命な気持ちはよく伝わってきました。
されど、現場が変化することは大変そうです。
学校は、一般的に、教師にとってもこどもにとっても、親にとっても、一時的な滞在地で『駅』のようなものです。
学校を経て、みんなそれぞれが、自分の生きたいところへ出発していくのです。