2018年12月02日

男はつらいよ(20作-29作) 邦画DVD

男はつらいよ(20作-29作) 邦画DVD

第20作 寅次郎頑張れ! 1977年 昭和52年12月
 中村雅俊さんも大竹しのぶさんも若い。41年ぐらい前の映画です。大竹さんは可愛らしくスターの雰囲気がただよっています。
 10月に、柴又商店街、題経寺(だいけいじ)あたりを散策しました。映像のなかに、境内風景があり、なんだか、不思議な気分で映画を観ていました。
 ロケ地は長崎県平戸市です。大竹しのぶさんの登場するシーンは情感たっぷりでした。

第21作 寅次郎我が道をゆく 1978年 昭和53年8月
 ピンクレディーの「UFO」から始まります。
 タコ社長は相変わらず不景気を嘆いています。しかし、現実には、このあとバブル景気が訪れます。男はつらいよの中ではどのように描かれるのか楽しみです。
 今回の映画は従来と趣を異にしています。木の実ナナさんそして、SKD(松竹歌劇団)を讃える内容です。
 ロケ地は最初、阿蘇ではないかと思い、次に、宮崎、最後に劇中で熊本と紹介があります。

第22作 噂の寅次郎 1978年 昭和53年12月
 大原麗子さん当時32歳ぐらい。渥美清さんは50歳ぐらいです。
 大原さんは、マンガ「ガラスの仮面」の主人公北島マヤのライバル姫川亜弓のような人だというイメージが自分にはあります。同様に、北島マヤは大竹しのぶさんでした。
 どたばただけど、底辺は静かに流れています。初期作品以降のときよりも渥美さんが加齢で体力が落ちた感じがします。
 人の洗濯物が雨に濡れそうで声をかけてあげたり、軽トラックの荷台に人が何人も乗ったり、先生が親族の引っ越しに生徒をかりだしたり、今だったら問題行為になるようなことがいくつも描かれています。案外、昔のほうが、人の心に優しい生活がありました。べたべたの人間関係でいやなこともありましたが今となってはなつかしい。

第23作 翔んでる寅次郎 1979年 昭和54年8月
 シリーズの中では名作と数えられる1本だと思います。
 当時、映画館でこの映画を観た先輩が、職場の独身寮のわたしの部屋に来て、いい映画だったと熱弁をふるわれたのを思い出します。
 桃井かおりさんの熱演が光っています。結婚式場から逃げ出すシーンは、洋画「卒業」を思い出しますし、桃井さん自身の発言は、名作「幸せの黄色いリボン」を思い出します。桃井さんだからできる役柄でした。びったりのはまり役です。そういえば、この頃「翔んでる(とんでる)」という言葉が流行しました。
 喫茶店でのインベーダーゲームの音、BGMのグリーンスリーブス、日清のカップヌードル。なつかしい。
 結婚式が周囲のペースでどんどん進んでいくなか、花嫁ひとりが、引き返したいと思う。それを言い出せないまま結婚式当日になってやっぱり嫌という気持ちに追い込まれる。
 実際、そういうことって、あるのでしょう。
 ひろしさんも、寅さんもまじめです。
 ほとんどの役者さんは亡くなりましたが、映画の中では生きています。

第24作 寅次郎の夢 1979年 昭和54年12月
 千葉県のお寺で飼っていた虎が逃げ出して2頭の虎が射殺された話が出てなつかしい。そういうことがありました。
 アメリカ人寅さん版で、ビタミン剤の錠剤を行商する男性が登場します。彼のマザコン設定とさくらさんに恋する話があって、それらが、映画全体に湿っぽい雰囲気を出して、どうなのかなという気にさせられました。
 いっぽう寅さんの香川京子さんへの失恋はせつない。
 なんだかんだと英語が飛び交います。まあ、いろいろありますが、昔の日本人の大家族のにぎやかさが楽しい。
 10月に現地に行ったとき、京成電車で千葉方面から行ったのですが、乗った電車が上野行きで、「ああ、上野動物園のパンダを見に行ける」と気づき、今度行ってみようかと思っていたら、映画のなかで、京成上野あたりの風景とセリフが出てきてうれしかった。

第25作 寅次郎ハイビスカス 1980年 昭和55年8月
 冒頭の夢「ネズミ小僧寅吉」がおもしろかった。昔の時代劇を思い出します。
続いて、チャンバラをするこどもたちの風景、まだ、舗装されていない道路の右側には小川が流れ、左側には田んぼが広がる。家はわらぶきの大きな農家、たしかにあった現実の世界です。
ロケ地は沖縄で、感覚的に当時の沖縄は心理的に今ほどは近くはなかった。空は、米軍基地の飛行機でいっぱいです。
沖縄から帰ってきての寅さんの行き倒れと「うな重」にがっつく姿には大笑いしました。そういえば、「家族はつらいよシリーズ」でもうな重が出てきます。
浅丘ルリ子さんと寅さんが所帯をもつということは、映画のシリーズが終わるということであり、互いのプロポーズの言葉は観客には重い。
海があって、山があって、日本人の原風景を見た一作でした。

第26話 寅次郎かもめ歌 1980年 昭和55年12月
自分としては、これまで観たシリーズ作品のなかで、いまのところ、この作品が一番好きです。
国勢調査から始まって、さくらさん一家が戸建住宅を購入、その2階には、寅さんの部屋を用意する。お祝いの金額が2万円で、その当時の2万円は高額でした。(たしか、高卒の初任給が7万円代でした)
  北海道奥尻島出身のわけあり、貧しい高校中退娘の伊藤蘭さんが、東京都内の定時制高校に進学する。この部分が、のちの山田洋次作品「夜間中学もの」につながっていくのでしょう。

第27話 浪花の寅次郎(なにわのとらじろう) 1981年 昭和56年8月
 いつも、寅さんは、事前の電話連絡もなく、突然に葛飾柴又商店街にあるだんごや寅屋に帰って来ます。
 お隣の印刷工場の様子を見ながら、昔は、地方から人を雇い入れて、住まわせて、疑似家族のように生活していったのを思い出します。
 寅さんのあの口上(こうじょう)はどこから生まれてきたのだろう。脚本を書いている山田洋次さんが生み出したのでしょう。ひとり芝居もおもしろい。
 松坂慶子さんと渥美清さんがお墓参りをするシーンを観ながら、最近は、納骨堂方式が多くなったとしみじみします。
 珍しく、湿っぽい内容でしたが笑いました。
 吉岡秀隆さんはまだ子役で10歳ぐらいに見えます。「北の国から」の黒板純役を思い出します。芦谷雁之助さん、大村崑さん、歌は「愛の水中花」「浪花恋しぐれ」、これからバブル経済に向かって行く頃で、日本の勢いがあった時代でした。

第28話 寅次郎紙風船 1981年 昭和56年12月
 季節は秋のお彼岸で、小学校の同窓会に出席する寅さんですが、みんなから嫌われることばかりを言って、周囲の人たちの気持ちを傷つける寅さんです。みんなの成功した姿が、フーテンの寅さんにはうらやましい。ひがみ根性がそうさせています。寅さんに自分自身の影を見るような部分があるのが、支持される理由なのでしょう。
 結婚話が近くなって、正社員を目指す寅さんですが、採用してくれる会社があるとは思えません。病気でも、障害でもないけれど、働けない人がいるということを知ったのは、おとなになってずいぶんたってからでした。
 東八郎 1988年 昭和63年 52歳没
 小沢昭一 2012年 平成24年 83歳没
 地井武男 2012年 平成24年 70歳没
 前田武彦 2011年 平成23年 82歳没

第29話 寅次郎あじさいの恋 1982年 昭和57年8月
 シリーズ中の傑作でしょう。
 今までとは雰囲気が違うドラマ仕立てです。
 いしだあゆみさんが、寅さんに迫りますが、寅さんが引きます。
 映像のなかの光景を見ながら、ああいう暮らしがあったと過去へタイムトラベルしたようです。
 全体に哀愁が満ちています。センチメンタル(感じやすく涙もろい)なギターの弦の響きがあります。
 人間の弱さをさらす。
 いしだあゆみさんに迫られて、寅さんが緊張しています。寅さんは誠実な人です。
 柄本明さんが若い。まだ、下っ端の役です。
 「北の国から」の吉岡秀隆さんがまだ小学6年生ぐらいで、博さんとさくらさんの子どもの満男役で寅さんとがんがんからみます。とてもおかしくて笑えます。名子役です。
 恋愛感情において、本当に好きな人とはうまく話せません。
 鎌倉からの帰りの電車でいしだあゆみさんと別れたあと寅さんは泣いていた。満男くんのその言葉が胸にじんときました。
 10月に柴又商店街を訪問しましたがまた行ってみたい。
 最後のいしだあゆみさんの手紙にはしみじみしました。最近は手紙を書くことももらうこともなくなりました。
 人間国宝がつくったお茶碗の伏線も良かった。しっとりとした内容なのに、何度か爆笑しました。