熊太郎の旅と映画と読書感想文
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ja
熊太郎
2007-05-07T11:32:08+09:00
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九州旅行番外編(ペッパー警部)
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e47365.html
九州旅行番外編(ペッパー警部)旅立ちは雨でした。次の写真は鹿児島から到着したANA機で、この機体で鹿児島に向かいました。飛行機はこわくて苦手ですが乗ります。(もう100回以上はのったと思います)以前は旅立ちの前にどうか落ちませんようにと神社や神明社でお祈りをしていました。(いまはしていません。機内で揺れたときに南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華今日とか、イエスさまとか、心の中でつぶやきます。どんな神さまでも時と場合に応じて信じます)この日も離着陸ともによく揺れました。機内の音楽放送で、懐メロ(なつかしいメロディー)を聴いていました。都倉俊一特集でした。離陸後15分間ぐらい、かなり揺れました。着陸時の15分間はもっと揺れました。フライトアテンダントさんの大丈夫ですよというアナウンスには本当に助けられます。あなたを信じてもいいですかといいたくなります。離陸後、ピンクレディーのペッパー警部が流れ出すと、機体がガクンガクンと揺れる。激しい音楽とともに機体も揺れる。歯を食いしばって、両手でひじ掛けを強く握り締めました。雲の上、上空高い位置にくればもう揺れません。音楽テープが1周回って、着陸態勢に入ったとき、またペッパー警部が流れ始めました。機体はぐらんぐらんと揺れる。ときおり、急激に下降する。これから先わたしは、ペッパー警部を聴くたびに体がぐらぐらと揺れるのでしょう。上空から宮崎県の宮﨑空港、鹿児島の桜島が見えたときにはほっとしました。(写真は、指宿スカイラインから撮影した桜島です)雲の上の景色は美しい。雲が雪のように見えました。これからも飛行機にはのるでしょう。そのほか、搭乗券ではなくて、QRコードというのでしょうか、二次元バーコードを搭乗する前に機械の画面にあてる方式に変わっていたので、かなりとまどいました。
九州旅行番外編(ペッパー警部)
旅立ちは雨でした。次の写真は鹿児島から到着したANA機で、この機体で鹿児島に向かいました。
飛行機はこわくて苦手ですが乗ります。(もう100回以上はのったと思います)
以前は旅立ちの前にどうか落ちませんようにと神社や神明社でお祈りをしていました。(いまはしていません。機内で揺れたときに南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華今日とか、イエスさまとか、心の中でつぶやきます。どんな神さまでも時と場合に応じて信じます)
この日も離着陸ともによく揺れました。
機内の音楽放送で、懐メロ(なつかしいメロディー)を聴いていました。都倉俊一特集でした。離陸後15分間ぐらい、かなり揺れました。着陸時の15分間はもっと揺れました。フライトアテンダントさんの大丈夫ですよというアナウンスには本当に助けられます。あなたを信じてもいいですかといいたくなります。
離陸後、ピンクレディーのペッパー警部が流れ出すと、機体がガクンガクンと揺れる。激しい音楽とともに機体も揺れる。歯を食いしばって、両手でひじ掛けを強く握り締めました。雲の上、上空高い位置にくればもう揺れません。音楽テープが1周回って、着陸態勢に入ったとき、またペッパー警部が流れ始めました。機体はぐらんぐらんと揺れる。ときおり、急激に下降する。これから先わたしは、ペッパー警部を聴くたびに体がぐらぐらと揺れるのでしょう。
上空から宮崎県の宮﨑空港、鹿児島の桜島が見えたときにはほっとしました。(写真は、指宿スカイラインから撮影した桜島です)
雲の上の景色は美しい。雲が雪のように見えました。これからも飛行機にはのるでしょう。
そのほか、搭乗券ではなくて、QRコードというのでしょうか、二次元バーコードを搭乗する前に機械の画面にあてる方式に変わっていたので、かなりとまどいました。]]>
鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-27T10:43:42+09:00
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鹿児島県 知覧特攻平和会館
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e47333.html
鹿児島県 知覧特攻平和会館館内は撮影禁止だったので、建物の外から撮影しました。カーナビで、電話番号で行き先設定をしようとしたのですが、どういうわけか、手持ちのガイドブックにはこの場所の紹介とか電話番号がありません。近くに武家屋敷群があるのですが、そちらは紹介記事や電話番号がガイドブックに掲載されていました。しかし、わたしは武家屋敷や庭園には興味がないので通り過ぎました。次の写真は平和会館の敷地内にあったもので、特攻隊員の宿舎です。上空から見つからないように周囲を樹木で囲まれています。また、地上は屋根だけで、室内部分は半地下になっています。青森で見た三内丸山遺跡とか、佐賀で見た吉野ヶ里遺跡とか、縄文・弥生時代の家に建て方・構造が似ていました。意外だったのは次の点です。知覧飛行場は地図で右側にある大隈半島の鹿児島湾に面した海岸の近くにあると思っていました。*鹿児島湾の左側、薩摩半島の山間部でした。長方形の滑走路があると思っていました。*正方形の広い土地で、そのなかの一部分が滑走路として使用されていました。特攻隊の飛行機は、たとえば80機とか100機という単位で飛び立って行ったと思っていました。*1回の攻撃は、4機から8機でした。飛行機という武器を失うわけですから無理もありません。最終的に何百機という単位に至っています。しかし、そんな戦法はありえません。負けることがわかっていたのにひどい話です。まだ、17歳ぐらいから20代前半の若者たちばかりです。わたしは社会に「独裁者」を生み出してはいけないと強く決意しました。この訪問のあとに「新装版ソウルの練習問題」関川夏央著を読み始めました。韓国人年配男性の言葉があります。日本がもう少し早く降伏してくれていたら朝鮮半島は分裂しなかった。降伏が遅れたからソ連が侵攻してきた。悔やんでも悔やみきれない。(当時朝鮮半島は日本の管轄下にありました。日本が終戦を迎えたのが8月15日、ソ連が日本に宣戦布告して朝鮮半島に侵入してきたのが8月6日だったと思います。)
鹿児島県 知覧特攻平和会館
館内は撮影禁止だったので、建物の外から撮影しました。
カーナビで、電話番号で行き先設定をしようとしたのですが、どういうわけか、手持ちのガイドブックにはこの場所の紹介とか電話番号がありません。近くに武家屋敷群があるのですが、そちらは紹介記事や電話番号がガイドブックに掲載されていました。しかし、わたしは武家屋敷や庭園には興味がないので通り過ぎました。
次の写真は平和会館の敷地内にあったもので、特攻隊員の宿舎です。上空から見つからないように周囲を樹木で囲まれています。また、地上は屋根だけで、室内部分は半地下になっています。青森で見た三内丸山遺跡とか、佐賀で見た吉野ヶ里遺跡とか、縄文・弥生時代の家に建て方・構造が似ていました。
意外だったのは次の点です。
知覧飛行場は地図で右側にある大隈半島の鹿児島湾に面した海岸の近くにあると思っていました。
*鹿児島湾の左側、薩摩半島の山間部でした。
長方形の滑走路があると思っていました。
*正方形の広い土地で、そのなかの一部分が滑走路として使用されていました。
特攻隊の飛行機は、たとえば80機とか100機という単位で飛び立って行ったと思っていました。
*1回の攻撃は、4機から8機でした。飛行機という武器を失うわけですから無理もありません。最終的に何百機という単位に至っています。しかし、そんな戦法はありえません。負けることがわかっていたのにひどい話です。まだ、17歳ぐらいから20代前半の若者たちばかりです。わたしは社会に「独裁者」を生み出してはいけないと強く決意しました。
この訪問のあとに「新装版ソウルの練習問題」関川夏央著を読み始めました。韓国人年配男性の言葉があります。日本がもう少し早く降伏してくれていたら朝鮮半島は分裂しなかった。降伏が遅れたからソ連が侵攻してきた。悔やんでも悔やみきれない。(当時朝鮮半島は日本の管轄下にありました。日本が終戦を迎えたのが8月15日、ソ連が日本に宣戦布告して朝鮮半島に侵入してきたのが8月6日だったと思います。)]]>
鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-26T13:44:30+09:00
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鹿児島県 指宿(いぶすき)温泉、開門岳、池田湖
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e47262.html
鹿児島県 指宿(いぶすき)温泉、開門岳、池田湖ホテルに着いたときには真っ暗でした。午後6時過ぎです。さっそく楽しみにしていた「砂むし湯」に向かいました。台湾人のお客さんが多い。わたしの右側には娘さん、左側には娘さんのおかあさん(おばあさん)、三世代の一族12人で日本に遊びに来たそうです。翌々日訪れた福岡県太宰府では韓国人の観光客が多く、なんだか、日本人よりも東アジア人の人たちのほうが、日本を愛しているという印象をもちました。砂むし湯は、おしりのほっぺたが熱くなって、15分ぐらいで出ました。次の写真は夜明け前の鹿児島湾(錦江湾)の光景です。レストランで朝食をとっていると、海面ではぴょんぴょんと魚がジャンプしていました。ぼらだと思うのです。魚を狙って、海鳥が飛んできて、彼らは、長時間の潜水をしながら魚を獲(と)っていました。開門岳はミニチュアの富士山のようでした。街路樹が南国風です。前日、鹿児島空港に降り立ったときも空気があたたかく、南国に来たという風情がただよっていました。12月中旬でしたが、前日の気温は20度近くあったと思います。次の写真は、開門岳から池田湖へ向かう途中です。この部分だけなのですが、菜の花がきれいでした。池田湖と開門岳です。恐竜の名前は池田湖だからおそらく「イッシー」でいいと思います。
鹿児島県 指宿(いぶすき)温泉、開門岳、池田湖
ホテルに着いたときには真っ暗でした。午後6時過ぎです。
さっそく楽しみにしていた「砂むし湯」に向かいました。
台湾人のお客さんが多い。わたしの右側には娘さん、左側には娘さんのおかあさん(おばあさん)、三世代の一族12人で日本に遊びに来たそうです。翌々日訪れた福岡県太宰府では韓国人の観光客が多く、なんだか、日本人よりも東アジア人の人たちのほうが、日本を愛しているという印象をもちました。
砂むし湯は、おしりのほっぺたが熱くなって、15分ぐらいで出ました。
次の写真は夜明け前の鹿児島湾(錦江湾)の光景です。レストランで朝食をとっていると、海面ではぴょんぴょんと魚がジャンプしていました。ぼらだと思うのです。魚を狙って、海鳥が飛んできて、彼らは、長時間の潜水をしながら魚を獲(と)っていました。
開門岳はミニチュアの富士山のようでした。
街路樹が南国風です。前日、鹿児島空港に降り立ったときも空気があたたかく、南国に来たという風情がただよっていました。12月中旬でしたが、前日の気温は20度近くあったと思います。
次の写真は、開門岳から池田湖へ向かう途中です。この部分だけなのですが、菜の花がきれいでした。
池田湖と開門岳です。
恐竜の名前は池田湖だからおそらく「イッシー」でいいと思います。
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鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-24T22:25:17+09:00
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九州自動車道 霧島、北熊本サービスエリア
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e47194.html
九州自動車道 霧島、北熊本サービスエリア吉松パーキングエリアで休憩しました。見えているのは、霧島の韓国岳(からくにだけ、標高1700m)だと思うのです。高速道路をゆっくり走っているトラックがありました。わたし「牛を運んでいるんじゃなーい」大学生の息子「うそー」(北熊本サービスエリアにて)本当に牛が乗っていました。まだあどけない子牛たちでした。将来、お肉になってしまうのだなあ。わたし「(熊本にある父方の実家が農家だったので)こどもの頃、牛を飼っていたんだよ」
九州自動車道 霧島、北熊本サービスエリア
吉松パーキングエリアで休憩しました。見えているのは、霧島の韓国岳(からくにだけ、標高1700m)だと思うのです。
高速道路をゆっくり走っているトラックがありました。
わたし「牛を運んでいるんじゃなーい」
大学生の息子「うそー」
(北熊本サービスエリアにて)
本当に牛が乗っていました。
まだあどけない子牛たちでした。将来、お肉になってしまうのだなあ。
わたし「(熊本にある父方の実家が農家だったので)こどもの頃、牛を飼っていたんだよ」]]>
鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-23T10:02:03+09:00
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大分県 日田温泉
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e47143.html
大分県 日田温泉夜明け前の温泉街近くを流れる三隈川(みくまがわ、やがて筑後川ちくごがわ)の風景です。川の流れはまったくないようにみえます。朝なので、鳥の鳴き声が耳にやさしい。山には霧がかかっています。きょうは、霧がかかった山を車で越えなければなりません。幽玄な風景です。九州地方の山地や盆地にあるホテル・旅館に宿泊すると、朝は、こんな風景がよくみられます。気に入っています。川べりには屋形船が並んでいます。いっぽう川とは反対側の地域は都会のようでした。ビルや家が立ち並んでいました。日田市はわたしにとってはいつも、阿蘇とか九重(くじゅう)方面から福岡方面へ移動するときの通過点でした。ムツゴロウシリーズを書いた畑正憲さんが学生時代を過ごした地とか、江戸時代に岐阜県高山市同様幕府直轄の天領であったとか、高校野球で林業の高校が出場するとか、その程度しか知識はありません。
大分県 日田温泉
夜明け前の温泉街近くを流れる三隈川(みくまがわ、やがて筑後川ちくごがわ)の風景です。川の流れはまったくないようにみえます。朝なので、鳥の鳴き声が耳にやさしい。
山には霧がかかっています。きょうは、霧がかかった山を車で越えなければなりません。
幽玄な風景です。九州地方の山地や盆地にあるホテル・旅館に宿泊すると、朝は、こんな風景がよくみられます。気に入っています。川べりには屋形船が並んでいます。
いっぽう川とは反対側の地域は都会のようでした。ビルや家が立ち並んでいました。
日田市はわたしにとってはいつも、阿蘇とか九重(くじゅう)方面から福岡方面へ移動するときの通過点でした。ムツゴロウシリーズを書いた畑正憲さんが学生時代を過ごした地とか、江戸時代に岐阜県高山市同様幕府直轄の天領であったとか、高校野球で林業の高校が出場するとか、その程度しか知識はありません。]]>
鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-21T19:32:51+09:00
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佐賀県 吉野ヶ里遺跡
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e47094.html
佐賀県 吉野ヶ里遺跡鹿児島県薩摩半島のさきっぽにある指宿(いぶすき)を午前8時30分にレンタカーで出発して、佐賀県東脊振(ひがしせぶり)インターを出たのは午後3時頃でした。先月は、青森県青森市の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を見学しました。縄文時代のものでした。豪華な展示でした。しかし、こちらの吉野ヶ里遺跡はさらに豪華でした。弥生時代の遺跡になります。映画のセットのようでした。縄文時代は5000年間、弥生時代は、500年間ぐらいとじぶんなりにはおぼえています。最初に上の写真の場面に出くわします。黒澤明映画「七人の侍(さむらい)」が、ぱっと思い浮かびました。集落を守るための壕(ごう、おほり)と先がとんがった防衛のための木がたくさん突き刺さっています。富(とみ)や利益を守るための闘争は、人間社会の常です。この時代からも続いている。外敵を見張るためのやぐらだとおもいます。見学者はのぼることも可能です。佐賀県は、筑紫平野(ちくしへいや)が広がるとてもひたべったい地形です。起伏がある地域で育った者にとっては、平坦さに違和感があります。建物の中では、女性がなにかお祈りをしていました。未来を占っていたのかもしれません。下の写真は、お墓です。こちらから見ると、なんの変哲もない小山に見えますが、反対側に入口があり、内部は近代的な展示室になっています。遺体が納められていた石棺がいくつか展示されています。閉館時刻の午後5時頃まで見学をして、そのあと大分県の日田温泉郷へ向かいました。
佐賀県 吉野ヶ里遺跡
鹿児島県薩摩半島のさきっぽにある指宿(いぶすき)を午前8時30分にレンタカーで出発して、佐賀県東脊振(ひがしせぶり)インターを出たのは午後3時頃でした。
先月は、青森県青森市の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を見学しました。縄文時代のものでした。豪華な展示でした。しかし、こちらの吉野ヶ里遺跡はさらに豪華でした。弥生時代の遺跡になります。映画のセットのようでした。縄文時代は5000年間、弥生時代は、500年間ぐらいとじぶんなりにはおぼえています。
最初に上の写真の場面に出くわします。
黒澤明映画「七人の侍(さむらい)」が、ぱっと思い浮かびました。集落を守るための壕(ごう、おほり)と先がとんがった防衛のための木がたくさん突き刺さっています。
富(とみ)や利益を守るための闘争は、人間社会の常です。この時代からも続いている。
外敵を見張るためのやぐらだとおもいます。見学者はのぼることも可能です。
佐賀県は、筑紫平野(ちくしへいや)が広がるとてもひたべったい地形です。起伏がある地域で育った者にとっては、平坦さに違和感があります。
建物の中では、女性がなにかお祈りをしていました。未来を占っていたのかもしれません。
下の写真は、お墓です。
こちらから見ると、なんの変哲もない小山に見えますが、反対側に入口があり、内部は近代的な展示室になっています。遺体が納められていた石棺がいくつか展示されています。
閉館時刻の午後5時頃まで見学をして、そのあと大分県の日田温泉郷へ向かいました。]]>
鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-20T17:47:57+09:00
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太宰府天満宮と九州国立博物館
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e46969.html
太宰府天満宮と九州国立博物館隣接の九州国立博物館へと近道を歩く。福岡県志賀島(しかのしま)で発見された金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう」を見たかった。展示場内を何度も回ったが見つからない。パンフレットにも書いてない(ここには、ないのか)福岡市博物館に展示してあるのかと想いをめぐらせた。失意のまま展示場所を出て聞くと、レプリカなら展示してあるとのこと。でも、展示場所から出場してしまった。レプリカでもいいから見たかった。「おみやげコーナーでレプリカを売ってるよ」びっくりしました。そしてレプリカを衝動的に買いました。2000円ぐらいでした。とてもうれしい。家の玄関に飾りました。最初は、大きな印を想像していましたが、2cm角程度のちいさなものです。2000年ぐらい前のものでしょうから、純金でそんな大きな印があるはずもないと納得しました。(上の記事を書いた数日後)金印に朱肉を付けて押印してみました。きれいに印影が出ました。そこで気づいたのですが、文字に朱肉が付くのではなく、文字の周りに朱肉が付く。今の印鑑とはさかさまなのでした。
太宰府天満宮と九州国立博物館
隣接の九州国立博物館へと近道を歩く。
福岡県志賀島(しかのしま)で発見された金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう」を見たかった。
展示場内を何度も回ったが見つからない。パンフレットにも書いてない(ここには、ないのか)福岡市博物館に展示してあるのかと想いをめぐらせた。失意のまま展示場所を出て聞くと、レプリカなら展示してあるとのこと。でも、展示場所から出場してしまった。レプリカでもいいから見たかった。
「おみやげコーナーでレプリカを売ってるよ」
びっくりしました。そしてレプリカを衝動的に買いました。2000円ぐらいでした。
とてもうれしい。家の玄関に飾りました。
最初は、大きな印を想像していましたが、2cm角程度のちいさなものです。
2000年ぐらい前のものでしょうから、純金でそんな大きな印があるはずもないと納得しました。
(上の記事を書いた数日後)
金印に朱肉を付けて押印してみました。きれいに印影が出ました。
そこで気づいたのですが、文字に朱肉が付くのではなく、文字の周りに朱肉が付く。
今の印鑑とはさかさまなのでした。
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鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-17T22:24:20+09:00
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キャナルシティとセントレアのイルミネーション
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e46886.html
博多キャナルシティとセントレア中部空港のイルミネーション鹿児島から福岡まで、2泊3日の旅がもうじき終わる頃、レンタカーを返却して、離陸まで時間があったので、地下鉄に乗ってキャナルシティへクリスマスイルミネーションを見に行きました。午後6時ごろです。親子連れを中心にして、たいへんな人出でした。このあと午後10時過ぎには、セントレア中部国際空港にいました。飛行時間は1時間程度でとても近い。到着後、他の降車客とは反対方向、ライトアップされている送迎デッキへ向かいました。もう空港内の照明は落とされていて、人の姿は少ない。マスコットの名前は知りません。照明の下を歩くと光に包まれて心地よい。こうして、光陰矢のごとく月日が流れていく。
博多キャナルシティとセントレア中部空港のイルミネーション
鹿児島から福岡まで、2泊3日の旅がもうじき終わる頃、レンタカーを返却して、離陸まで時間があったので、地下鉄に乗ってキャナルシティへクリスマスイルミネーションを見に行きました。午後6時ごろです。親子連れを中心にして、たいへんな人出でした。
このあと午後10時過ぎには、セントレア中部国際空港にいました。飛行時間は1時間程度でとても近い。到着後、他の降車客とは反対方向、ライトアップされている送迎デッキへ向かいました。もう空港内の照明は落とされていて、人の姿は少ない。
マスコットの名前は知りません。
照明の下を歩くと光に包まれて心地よい。こうして、光陰矢のごとく月日が流れていく。]]>
鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-15T20:05:18+09:00
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九州沖縄全図分県地図鹿児島・熊本・佐賀・福岡 昭文社
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e46814.html
九州沖縄全図 分県地図 鹿児島・熊本・佐賀・福岡 昭文社(旅立ちの前とあと。*アスタリスクが、旅立ちのあとの感想です。)レンタカーで、鹿児島から福岡まで1日で走ることを計画しています。資料集めということで、標題の地図を購入しました。「九州沖縄全図・昭文社」行ってみたいところを蛍光ペンで囲む。桜島(見たことがない)、指宿(いぶすき、砂蒸湯に入りたい)・知覧(ちらん、特攻隊の展示を見たい)、都井岬(野生の馬を見たい、シーガイア、西都市(さいとし、お花がきれいらしい)、別府(もちろん温泉)、水俣(みなまた、公害病の地をみたい)、日田市、大宰府、吉野ヶ里、国東半島(くにさきはんとう、石仏巡りをしたい)、下関。全部行けるはずも無い。鹿児島-宮﨑-大分ルートをとるか鹿児島-熊本-佐賀ルートをとるか、数日間迷いました。2泊3日の短い行程であり、九州自動車道を使う熊本・佐賀ルートにしました。どこにも寄らなければ4時間半ぐらいです。*2泊3日で、初日がセントレア中部空港から鹿児島空港へ。そこでレンタカーを借りて、指宿(いぶすき)で宿泊しました。2日目が、指宿から佐賀県吉野ヶ里遺跡に立ち寄った後に、日田温泉で宿泊しました。鹿児島県の指宿を午前8時30分に出て、日田市には、午後6時過ぎに到着しました。3日目に福岡県の大宰府へ行き、福岡空港からセントレア中部空港へ帰ってきました。鹿児島から福岡は直線距離だと、350キロから400キロだと思います。大学生の息子とのふたり旅で、かわりばんこに運転しました。以下分県地図の感想です。「鹿児島県」自分の無知が判明しました。鹿児島県には行ったことがありません。知覧(ちらん)は、地図でいうと右側の大隅半島(おおすみ)にあると思っていました。さらに海の近くだと思っていました。実際は、左側の薩摩半島で、山間部にありました。*大隈半島と薩摩半島に囲まれているのが鹿児島湾(錦江湾・きんこうわん)です。自分が抱いていたイメージでは、円形の幅広い湾でしたが、じっさいは、細長い入り江のような形だと気づきました。それを気づかせてくれたのは、福岡県の九州国立博物館で見た伊能忠敬氏の測量図でした。なお、知覧特攻平和記念館には行きました。ちいさなこどもさんたちあてにカタカナで書かれた、おかあさんを大切にしてくださいという遺書には、涙を誘われました。「熊本県」訪れたところも多く、見慣れた地名が多い。*九州自動車道のトンネルが多い部分が済んで、熊本方面に出るとパアーと雰囲気が明るくなりました。「佐賀県」さしあたって、吉野ヶ里遺跡に○(まる)をつける。邪馬台国はここだったかもしれない。でも、奈良だったかもしれない。*鳥栖ジャンクション(とす)で、九州自動車道から長崎自動車道へ入るときに、オレンジの部分を通るようにとの表示があり、それは、本線だと思っていた車線を横切って、その向こうの車線まで直線的に車線変更するわけであり、車の速度もかなり出ているわけであり、隣の車線の後方から来る車と接触しないかとはらはらドキドキして、かなり緊張しました。なお、吉野ヶ里遺跡には行きました。たいへん豪華な建築物の展示でした。邪馬台国(やまたいこく)はここにあったのではないか、卑弥呼(ひみこ)はここにいたのではないかと信じたくなりました。大昔とはいえ、現代と変わらない高度な社会があったことをうかがわせる展示でした。「福岡県」長々と見入ってしまいました。思い出多い。自分が生まれたところでもある。意外に思われるかもしれませんが、ふるさとを離れて30年以上になるので、地理にはそれほど明るくはありません。18歳当時の地理知識はしれています。そして、その知識はそのときのままです。*分県地図全体を通じてですが、わたしは本になった地図は苦手です。方向音痴でもあります。カーナビに強いわけでもありません。ワンペーパーで全体がわかる地図を愛用しています。指宿スカイラインから見えた桜島です。残念ながら曇っていましたが、わたしは満足しました。佐賀県吉野ヶ里遺跡にあった展示で、弥生時代のひとたちが、会合をしている様子です。これから年末にかけて、九州旅行の結果をまじえながらブログをアップしてみます。
九州沖縄全図 分県地図 鹿児島・熊本・佐賀・福岡 昭文社
(旅立ちの前とあと。*アスタリスクが、旅立ちのあとの感想です。)
レンタカーで、鹿児島から福岡まで1日で走ることを計画しています。資料集めということで、標題の地図を購入しました。
「九州沖縄全図・昭文社」行ってみたいところを蛍光ペンで囲む。桜島(見たことがない)、指宿(いぶすき、砂蒸湯に入りたい)・知覧(ちらん、特攻隊の展示を見たい)、都井岬(野生の馬を見たい、シーガイア、西都市(さいとし、お花がきれいらしい)、別府(もちろん温泉)、水俣(みなまた、公害病の地をみたい)、日田市、大宰府、吉野ヶ里、国東半島(くにさきはんとう、石仏巡りをしたい)、下関。全部行けるはずも無い。鹿児島-宮﨑-大分ルートをとるか鹿児島-熊本-佐賀ルートをとるか、数日間迷いました。2泊3日の短い行程であり、九州自動車道を使う熊本・佐賀ルートにしました。どこにも寄らなければ4時間半ぐらいです。
*2泊3日で、初日がセントレア中部空港から鹿児島空港へ。そこでレンタカーを借りて、指宿(いぶすき)で宿泊しました。2日目が、指宿から佐賀県吉野ヶ里遺跡に立ち寄った後に、日田温泉で宿泊しました。鹿児島県の指宿を午前8時30分に出て、日田市には、午後6時過ぎに到着しました。3日目に福岡県の大宰府へ行き、福岡空港からセントレア中部空港へ帰ってきました。鹿児島から福岡は直線距離だと、350キロから400キロだと思います。大学生の息子とのふたり旅で、かわりばんこに運転しました。以下分県地図の感想です。
「鹿児島県」自分の無知が判明しました。鹿児島県には行ったことがありません。知覧(ちらん)は、地図でいうと右側の大隅半島(おおすみ)にあると思っていました。さらに海の近くだと思っていました。実際は、左側の薩摩半島で、山間部にありました。
*大隈半島と薩摩半島に囲まれているのが鹿児島湾(錦江湾・きんこうわん)です。自分が抱いていたイメージでは、円形の幅広い湾でしたが、じっさいは、細長い入り江のような形だと気づきました。それを気づかせてくれたのは、福岡県の九州国立博物館で見た伊能忠敬氏の測量図でした。なお、知覧特攻平和記念館には行きました。ちいさなこどもさんたちあてにカタカナで書かれた、おかあさんを大切にしてくださいという遺書には、涙を誘われました。
「熊本県」訪れたところも多く、見慣れた地名が多い。
*九州自動車道のトンネルが多い部分が済んで、熊本方面に出るとパアーと雰囲気が明るくなりました。
「佐賀県」さしあたって、吉野ヶ里遺跡に○(まる)をつける。邪馬台国はここだったかもしれない。でも、奈良だったかもしれない。
*鳥栖ジャンクション(とす)で、九州自動車道から長崎自動車道へ入るときに、オレンジの部分を通るようにとの表示があり、それは、本線だと思っていた車線を横切って、その向こうの車線まで直線的に車線変更するわけであり、車の速度もかなり出ているわけであり、隣の車線の後方から来る車と接触しないかとはらはらドキドキして、かなり緊張しました。なお、吉野ヶ里遺跡には行きました。たいへん豪華な建築物の展示でした。邪馬台国(やまたいこく)はここにあったのではないか、卑弥呼(ひみこ)はここにいたのではないかと信じたくなりました。大昔とはいえ、現代と変わらない高度な社会があったことをうかがわせる展示でした。
「福岡県」長々と見入ってしまいました。思い出多い。自分が生まれたところでもある。意外に思われるかもしれませんが、ふるさとを離れて30年以上になるので、地理にはそれほど明るくはありません。18歳当時の地理知識はしれています。そして、その知識はそのときのままです。
*分県地図全体を通じてですが、わたしは本になった地図は苦手です。方向音痴でもあります。カーナビに強いわけでもありません。ワンペーパーで全体がわかる地図を愛用しています。
指宿スカイラインから見えた桜島です。残念ながら曇っていましたが、わたしは満足しました。
佐賀県吉野ヶ里遺跡にあった展示で、弥生時代のひとたちが、会合をしている様子です。
これから年末にかけて、九州旅行の結果をまじえながらブログをアップしてみます。]]>
鹿児島県~福岡県(車)
熊太郎
2009-12-14T18:13:56+09:00