2009年12月26日

鹿児島県 知覧特攻平和会館

鹿児島県 知覧特攻平和会館

館内は撮影禁止だったので、建物の外から撮影しました。



カーナビで、電話番号で行き先設定をしようとしたのですが、どういうわけか、手持ちのガイドブックにはこの場所の紹介とか電話番号がありません。近くに武家屋敷群があるのですが、そちらは紹介記事や電話番号がガイドブックに掲載されていました。しかし、わたしは武家屋敷や庭園には興味がないので通り過ぎました。
次の写真は平和会館の敷地内にあったもので、特攻隊員の宿舎です。上空から見つからないように周囲を樹木で囲まれています。また、地上は屋根だけで、室内部分は半地下になっています。青森で見た三内丸山遺跡とか、佐賀で見た吉野ヶ里遺跡とか、縄文・弥生時代の家に建て方・構造が似ていました。






意外だったのは次の点です。
知覧飛行場は地図で右側にある大隈半島の鹿児島湾に面した海岸の近くにあると思っていました。
*鹿児島湾の左側、薩摩半島の山間部でした。
長方形の滑走路があると思っていました。
*正方形の広い土地で、そのなかの一部分が滑走路として使用されていました。
特攻隊の飛行機は、たとえば80機とか100機という単位で飛び立って行ったと思っていました。
*1回の攻撃は、4機から8機でした。飛行機という武器を失うわけですから無理もありません。最終的に何百機という単位に至っています。しかし、そんな戦法はありえません。負けることがわかっていたのにひどい話です。まだ、17歳ぐらいから20代前半の若者たちばかりです。わたしは社会に「独裁者」を生み出してはいけないと強く決意しました。
この訪問のあとに「新装版ソウルの練習問題」関川夏央著を読み始めました。韓国人年配男性の言葉があります。日本がもう少し早く降伏してくれていたら朝鮮半島は分裂しなかった。降伏が遅れたからソ連が侵攻してきた。悔やんでも悔やみきれない。(当時朝鮮半島は日本の管轄下にありました。日本が終戦を迎えたのが8月15日、ソ連が日本に宣戦布告して朝鮮半島に侵入してきたのが8月6日だったと思います。)


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