2024年06月27日
図書館がくれた宝物 ケイト・アルバス
図書館がくれた宝物 ケイト・アルバス・作 櫛田理恵・訳 徳間書店
イギリスが舞台の児童文学です。
時代は第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)6月で、ロンドンから始まります。
両親を亡くして祖母に預けられていた三人きょうだいがいるのですが、親代わりだった祖母が亡くなってしまいました。祖父はいません。こども三人が家政婦さん付の屋敷に残されました。
弁護士が出てきて、空襲を避けるためにいなかへ疎開するという流れのようです。学童疎開です。とりあえず、18ページまで読みました。
登場する家族は、ピーアス家(け)です。
ウィリアム:男児12歳。5歳のときに両親が死亡した。7年前のことです。両親の死因は出てきません。
エドマンド:男児11歳。4歳のときに両親死亡。
アンナ:女児9歳。2歳のときに両親死亡。三人とも読書が好きなようすで、アンナは今、『メアリー・ポピンズ』を読んでいます。物語の中には、メアリー・ポピンズとジェインとマイケルがいます。学校で寄宿舎生活を送っているような話が出ます。
ケジア・コリンズ:ピーアス家のお手伝いさん。40年間以上ピーアス家でお手伝いをしている。歳をとった女の人。祖母の死亡により雇用契約は解除となる。三人の子どもたちが学童疎開したあと、ロンドンの北西25キロのところにあるワトフォードで、自分の妹と暮らす。
エリナー:三きょうだいの亡くなった祖母
エンガーソル:祖母の弁護士。耳から毛がぼうぼうと生えている。あたまのてっぺんには毛がない。
こどもたちの後見人決めとか、遺産とかの話があります。
学童疎開先にある図書館に助けられるという流れのようです。
(さて、お話です)
祖母のお葬式の日から始まります。
イギリスですから、教会でお葬式です。
祖母は、外の人たちからは立派な人と思われていたようですが、三人のこどもたちにとってはそうでもないようすです。あんまり悲しくなさそうです。
次男のエドマンドは祖母のことを、あのいやなばあさんと言います。祖母はこどもたちに向かって、『イライラさせる子たちだね』と言っていたそうです。
いまいましいドイツ人:(第二次世界大戦)今回の戦争をしかけてきたのは、ナチス・ドイツです。
(ふと気づいたこと)
本のタイトルは、『図書館がくれた宝物』ですが、本の裏表紙を見ると、『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
読みながら、タイトルの意味を考えてみます。
セント・マイケル小学校:疎開先の小学校。ロンドンの北のほうにある。
ジュディス・カー先生:学校疎開の責任者。攻撃的で厳しい姿勢がある。裏では、こどもたちがばかにするように、『バーカラス』と呼んでいる。
フランシス:女生徒。三きょうだいの長男のウィリアムに気があるようです。
ウォーレン先生:いい人。優しい。疎開先の小学校で、ピーアス家のこどもたち三人のクラス担任になる。お話の途中で、北アフリカに行っていた(たぶん戦争の兵隊として)夫が亡くなり、夫のもとへ行って小学校からいなくなります。
どうも三人きょうだいは、お金持ちのこどもたちです。大きな遺産があります。
お金はありますが、両親も祖父母もいません。お金があっても、まだこどもです。
遺産目当てに、悪いおとなたちに利用されるわけにはいきません。
遺産のことは秘密にして生きていかねばならないこどもたち三人です。
祖母の遺言に、三人のこどもたちの後見人をだれにしたらいいかの事柄が書かれていればいいのですが書いてありません。適任者がいなかったから書けなかったということもあるでしょう。
こどもたちとお手伝いさん、弁護士の関係者は、疎開先で、後見人になってくれそうな人を探せないかと考えています。だれかの養子になれないかということです。されど、こども三人いっぺんに養子にしてくれるような人はなかなか見つからない。三人バラバラ、ひとりずつなら養親になってくれる人が見つかる可能性が高い。だけど、三人はバラバラにはなりたくありません。
長男ウィリアム:『つまりね、ぼくらにはお金はあるけど、世話をしてくれる人がいないってことだよ』
疎開する少年少女は、25万人もいます。
疎開先へ移動するための荷物の準備をします。
お気に入りの本を一冊だけ持って行くこと。
候補として、『ピーターパンとウェンディ』、『アルプスの少女ハイジ』、『小公女』、『ブリタニカ百科事典第四巻(かん。全体だと24巻ある)』、『モンテ・クリスト伯(はく)』
1940年(昭和15年)の話ですから、もうずいぶん前のことです。
現実のことなら、ピーアス家(け)の3きょうだいはもうこの世にはいないでしょう。
生きていれば、
ウィリアムが、96歳
エドマンドが、95歳
アンナが、93歳です。
日本人ならもしかしたら生きている平均寿命ですが、イギリス人だと平均寿命が、80.70歳です。
シラミの検査:シラミは、大きさ数ミリの小さな虫。人間の血液や体液を吸う。
『ハーメルンの笛吹男』:ドイツの伝説。ハーメルンは町の名称。笛の音で、こどもたちを町から連れ出した。
キングス・クロス駅:ロンドンの主要ターミナル駅。昔、わたしがオーストラリアのシドニーに行ったとき、同じ名称の駅がありました。オーストラリアは、イギリスの人たちがつくったということがわかります。たしか、そこで二泊しました。帰国してから、そのとき泊まった場所が繁華街で、ちょっとぶっそうな場所だったと知りました。実際はそんな感じはしませんでした。でも今思うと、ホテルのエレベーターは利用するときにカードキーがいりました。キングス・クロス駅で切符を対面販売で買って乗車しましたが、切符を買わずに自動改札機を力づくで足でストッパーの板を押して通って列車に乗り込む人がいて、すごいなーーと思ったことを思い出しました。
宿舎:学童疎開先のセント・マイケル小学校のある町でお世話になるお宅のことを『宿舎』という。宿舎の提供者にはお金が出る。宿舎には、終戦まで一時的に滞在する。(だけど、この三きょうだいは、終戦後、どこの家に行くのだろう。これまでのロンドンにある家は空襲で燃えてなくなるかもしれません)
『モンテ・クリスト伯』:貧しい少年たちのヒーロー、エドモン・ダンテスの物語。日本での題名は、『岩窟王(がんくつおう)』。
イヴリン・ノートン夫人:婦人奉仕団の代表。学童疎開の担当で、いばった感じの女性。
ネリー・フォレスター:ピーアス三きょうだいの疎開受け入れ先の奥さん。明るくおしゃべり。三きょうだいの長女であるアンナ・ピアース9歳を気に入った。夫婦ともに人柄は良さそう。
ピーター・フォレスター:フォレスター家のご主人。優しそう。家は、肉屋を営んでいる。
サイモンとジャック:12歳フォレスター家の双子の兄弟。ピーアス三きょうだいに対して冷たい。いじわるをする。まあ、無理もありません。自分たちの寝室にウィリアム12歳とエドマンド11歳が入ってきて寝るようになりました。もとからいた双子にとっては、侵略されているようなものです。
ネリー・フォレスター(受け入れ先の奥さん)は、もともと、9歳のアンナ・ピアースだけを預かりたかったが、まあしょうがないかというようなようすで、ウィリアムとエドマンドもついでで預かった。
キャベツとナメクジ亭:パブ(飲み屋)
アンダーソン・シェルター:家庭用の防空壕(ぼうくうごう)。ドイツの飛行機が空襲に来たら隠れるところ。
村の公会堂:学童疎開に来たこどもたちを見て、地元の人がどの子を預かるか見に来た場所。
(日本の学童疎開だと、地元のお寺さんとか旅館で、いちどに全員を預かっていたと思います。集団生活、集団行動でした)
ヒュー:学童疎開できた児童。小さい男の子。エドマンドがチョコレートをあげた。
アルフィー:地元のこども。
フランシス:同じく地元のこども。
イギリスは、6月ぐらいから夏休みで、本来なら学校で勉強はないのですが、このときは、学校が開かれています。疎開に来た児童は、夏休み中ではありますが、午前中9時から12時まで地元の小学校で授業を受けます。
アンナ9歳は、自分が地元の人たちにとって、『負担扱い』されていることがおもしろくありませんでした。
フォレスター宅の建物がチューダー様式:建物のデザインなど。イギリス風のデザインの戸建て。
この物語のポイントは、両親がいないけれど、両親が残してくれた財産がたくさんあると、こどもたち三人の未来はどうなるかという点にあります。
財産を三人の幸せのために、じょうずに生かさなければなりません。亡くなったご両親の願いです。
他人の家に居候(いそうろう)するとき、心はブルーになります。若かったころ、自分も何度か体験があります。親戚の家だったり、知り合いの家だったりでした。
気を使います。たいてい、いやがられます。狭くてもいい。汚くてもいい。自分が好きにすごせる空間がほしい。
相手は、最初はウェルカム(ようこそ)という態度でも、だんだん、やっかい者扱いされます。
宿泊先の奥さんのネリーさんはいい人なのでしょうが、彼女の希望は、『かわいい女の子がほしかった』であり、アンナ9歳の兄のウィリアムとエドマンドは、しかたなしのおまけなのです。(話の設定として無理があります。現実には、このパターンはまずないでしょう)
戦争はひどい状況を生みます。戦争はしてはいけないのです。対立しても武力行使はせず、話し合いで解決を図るのです。
作者は、アメリカ合衆国の児童文学作家です。年配の人かと思ったら若い女性でした。意外です。物語の中身は、現在80代後半ぐらいから90代はじめの人たちが体験したことです。あわせて、場所はイギリスロンドンの郊外です。
居候先の家族とギクシャクしそうな不穏な雰囲気がただよっています。わざといじわるをするようにつくってある話なら、わたしは流し読みに入ります。つくったじめじめ話を読まされることは読み手にとっては苦痛です。不快な思いはしたくありません。
疎開野郎(そかいやろう):差別用語。双子のサイモンとジャック12歳が使う言葉。
お金の話です。
お金があるといいことのひとつに、優位な気持ちに立つことができるということがあります。
たとえば、クレーマーみたいな人にひどいことを言われても、心の中で、(ああ、自分はこの人よりもお金をもっているから、この人よりも自分のほうが幸せだ)と思うと、優越感が余裕になって、相手に対する怒りの気持ちが(いかりのきもちが)おさまるということはあります。
物語の中のこどもたち三人は、まだそういうことが理解できないことが残念です。
おそらく、こどもたち三人は、本を読むことでつらい境遇に耐えるのでしょう。
がっしりとした石造りの建物があった。
『図書館』と書いてある。
アンナは…… ここがあれば、なにがあってもだいじょうぶ、と思った。
ひとつの教室で、複数の学年の児童が勉強します。自習が多い。
9歳と10歳が教室の前のほうで先生の話を聞く。11歳と12歳は、そのうしろで自習です。
ヨーロッパは、はるか昔から、多くの災害や戦争に見舞われてきた。いっぽう日本は、第二次世界大戦のときに初めて戦闘機や爆撃機の空襲を受ける戦地になりました。
89ページまで読んで思い出した本があります。
『としょかんライオン ミシェル・ヌードセン・さく ケビン・ホークス・え 福本友美子・やく 岩崎書店』以下は、感想メモの一部です。
孤独なライオンはどこから来たのだろう。孤独なライオンはだれかのそばにいたかった。
ライオンは自分のために本読みをしてほしい。自分のために本をもっと読んでほしい。ライオンは人にかまってほしい。甘えたい。甘えるだけでなくて、だれかの役に立ちたい。
もう一冊あります。
『わたしのとくべつな場所 パトリシア・マキサック 新日本出版社』こちらも感想メモの一部です。
わたしのとくべつな場所がどこなのかが秘密としてスタートします。登場したのは、おそらく12歳の女の子、パトリシアです。彼女は、とくべつな場所に向かう途中、いくつかの人種差別を体験します。彼女は黒人です。差別するのは、アメリカ合衆国の白人です。
バスの中のパトリシアは怒っています。黒人席はこっちという案内サインに憤り(いきどおり)を感じているのです。
公園のベンチには白人専用という表示がありますが、じゃあ、黒人専用のベンチがあったかというとなかったでしょう。白人以外は人間ではなかったのです。絵本の時代設定は、1950年代、今から60年ぐらい前のアメリカ合衆国の社会です。
この本でパトリシアが行きたいとくべつな場所とは、『公共図書館』を指します。『だれでもじゆうにはいることができます』で結ばれています。
(つづく)
ミュラー夫人(ノラ):図書館の司書。栗色の髪、細かい花柄模様のワンピースを着て、もこもこした毛糸のカーディガンを羽織っている。読書をとおして、三人のきょうだいの心の支えになってくれる。
フローレンス:白髪(しらが)のおばあさん。
図書館には、<子どもの本>コーナーがあります。
寄宿学校:イギリスの全寮制の学校。公立と私立があって、男女共学。寮は男女別。初等教育(4歳または5歳から13歳)、中等教育(11歳または13歳から16歳)、そのあとは、16歳から18歳が対象となっている。
三人きょうだいの家では、こどもは、寄宿学校に通っていた。
乳幼児のときは、乳母(うば)がいた。
乳母とは別に、家政婦のコリンズさんがいた。
でも、両親はいなかった。家族は、きょうだい三人だけだった。
愛書家:あいしょか。書籍という物体を愛する者。読書家は、本の内容とか読書という行為が好きな者をいう。
本がたくさん出てきます。書き並べてみます。
『ブレインストーム教授大あわて』、『きいろの童話集』、『むらさきいろの童話集』、『しっかり者のスズの兵隊』、『火打ち箱』、『魔法の森』、イギリス人は魔法が好きなようです。『小公女』、『赤毛のアン』、なにかと孤児の話が多い。『砂の妖精』、たのしい川べ』、『はなのすきなうし』、『野生の呼び声』、『バスカビル家の犬』、『アンナ・カレーニナ』、『クリスマスのまえのばん』、『ホビットの冒険』、『アラビアンナイト』、『ビロードうさぎ』(最後まで読んで、373ページに、この物語に登場する本を列記してあるページがありました。わたしが読んだことがある本が何冊も含まれています)
ウィリアムとエドマンドは、ふたりにいじわるをする双子の兄弟サイモンとジャックともめて、彼らの部屋を出ます。ふたりは、アンナの部屋ですごすことにしました。三人きょうだいが同じ部屋です。三人で悩みます。お金があっても、行くところがないこども三人です。
双子の兄弟の母親であるネリー・フォレスターは、いい人ですが、きちんと自分のこどもが何をしているのかが見えていません。こどもに甘い親です。そして、双子はずるがしこい。
ラディッシュ:ダイコンのこと。
フランスがナチス・ドイツの手に落ちた。フランスの領土にドイツ軍がいる。
『小公女』に出てくるセーラーはお金持ち。こどもなりに判断したのは、ミンチン先生がセーラーに優しくするのは、セーラーがお金持ちだからに違いないそうです。
戦争対策として、家庭菜園を使って、野菜をつくる。食糧不足なので、自給自足をする。
聡明(そうめい):賢い(かしこい)ということ。
図書館にドイツ人が書いた本を置くことはけしかんことなのか。(グリム童話を書いたグリム兄弟はドイツの人)
1940年(昭和15年)7月、ドイツ軍がイギリス西部の町や、港を攻撃した。
イギリスのチャーチル首相はドイツ軍とまだまだ戦う気持ちが強い。けして、ナチス・ドイツには屈しない。(ウクライナの大統領を思い出しました)
映画館で、『ピノキオ』を観た。
映画のタイトルがいろいろ出てきます。『ランカシャーのラッシー(おとな向けのミュージカル・コメディ)』、『オズの魔法使い』、『白雪姫と七人のこびと』
153ページまで読んで、(全体は、372ページです)、ふと思ったのです。
この三きょうだいは、最終的には、図書館で司書をしているミュラー夫人が、三人きょうだいの後見人になってくれるのではないか。(予想が当たるかどうか、これから先を読むことが楽しみです)
コヴェントリー:イギリスにある都市の名称。航空機とか弾薬とかの工場がある。三きょうだいが学童疎開しているところから40キロの位置にある。のちのちドイツ軍から空襲される場所です。
夏休みが終わり、村のこどもたちが小学校に戻って来て、村のこどもたちと疎開で来ているこどもたちの間に溝が生まれています。
ふと思い出したのは、2011年(平成23年)の東日本大震災の時に、各地へ避難した東北のこどもたちが、避難先で苦労したことです。(原発の)放射能がうつるとか、ばいきん扱いするとか、賠償金をもらっただろうとか、国を問わず、人間の現実のありようとして、いじめがなくなりません。残念なことです。人をばかにしたり、いじめたりして、うれしがる人がいます。
1940年(昭和15年)9月7日、ロンドン大空襲。
戦争というのは、国民と国民が戦うのではなく、独裁者とそのグループの判断でするものだと理解できます。
国民は、権力闘争に巻き込まれるのです。独裁者に反対すると、拘束されたり、殺されたりするのです。
エリザベス王女(1940年当時のこととして本に記述があります):エリザベス二世。1926年(大正15年)-2022年(令和4年)96歳没。女王としての在位期間:1952年(昭和27年)-2022年(令和4年)70年間。
地元のこどもと疎開で来ているこどもが対立します。やられたらやりかえします。仕返しとか、復讐です。混乱します。
ミュラー夫人の家庭菜園講演会に人が集まりません。集まったのは、講師のミュラー夫人を入れてもたった6人です。
いばりんぼうの婦人奉仕団所属イヴリン・ノートンが月間に政府関係者を呼んで、盛大に家庭菜園の講演会を開くからだそうです。だから、人が集まらない。
いろいろあって、エドマンドが、双子きょうだいの罠(わな)にはまって、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されそうです。たいへんだ! フォレスターのおじさんもおばさんも、結局は自分たちのこどもであるいじわるな双子兄弟の味方です。ピーアス家の三きょうだいは、他人です。
ああ、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されてしまいました。
次に見つかった家は、かなり貧困そうです。
三人きょうだいのめんどうをみるともらえる手当目当てで、こどもを預かる女性宅です。夫は、戦争に行っています。
サリー・グリフィス:こどもが3人いる母親で主婦。住所は、リビングストーン横丁四番地。
ペニー:サリーの長女。ちょっと大きい子と書いてあります。5歳か6歳ぐらい。
ヘレン:サリーの次女。2歳か3歳。
ジェイン:サリーの三女。1歳ぐらいか。
ロバートジュニア:まだあかちゃん。サリーの長男。
三人きょうだいを預かると国からもらえる手当の金額。
1人目:10シリングと6ペンス。
2人目以降:8シリングと6ペンス。
3人分の配給(食べ物を支給してもらえる)
こども3人の昼食は学校給食で支給される。
生活習慣として、月曜日は洗濯、金曜日の夜はおふろ、おふろは週に一回しか入れない。トイレは屋外にあって汚い。虫がいそうです。
さあ、たいへんだ。(だけど、わたしがこどものころの日本のいなか暮らしもそんなものでした)
司書のミュラーさんにお世話になることはできないそうです。
なにか、事情があるようですが、まだその理由は明かされません。
婦人奉仕団代表のイヴリン・ノートン夫人が言います。『ノラ・ミュラーは、子どもを預かるのにふさわしくありません』
デヴォン:イギリス南西部の地域。
三人きょうだいの亡くなった両親の話がときおり出ます。
長男のウィリアムが、末っ子のアンに話してくれます。たぶんつくり話です。
18ページ:母さんが小さかったころ、友だちがローラースケートで走ってきて、母さんの足の小指にぶつかったんだって。それで、折れちゃったんだ。
106ページ:父さんはラディッシュ(ダイコン)がきらいだったんだ。
171ページ:母さんはこどものころ、タクシーの運転手になりたかったんだ。
190ページ:結婚したとき、父さんと母さんは、それぞれのタオルに刺繍(ししゅう)で名前をいれてたんだ。
ウォーレン先生のご主人が北アフリカで亡くなってしまいました。たぶん戦死でしょう。ウォーレン先生はしばらく学校には来ることができないそうです。優しい先生がいなくなって、厳しい先生が残ってしまいました。カー先生のことです。
三きょうだいは、お金持ちの家のこどもだったので、こどもたちだけで買い物をしたことがありません。ロンドンの家にいたときは、お手伝いのコリンズさんがそばにいてくれていました。残念ですが、三きょうだいには、生活能力に欠けた部分があります。
以前お世話になっていた肉屋のフォレスター家に買いものに行って、父親が、自分の息子たちが三きょうだいにひどいしうちをしたことを知っていて、三きょうだいを家から追い出したことがわかりました。失望するアンナたちです。それが、人間界の現実なのです。寛容になって、心に折り合いをつけるしかありません。しかたがないのです。
三きょうだいはみじめですが、将来のためにしておくべき経験です。三人はお金持ちの家に生まれて、これまで甘やかされていたのです。
入浴の話が出ます。
わたしは、外国人は、日本人のように浴槽につかることはないと思いこんでいました。
外国人はたいていシャワーだけの利用です。
でも、この本には、浴槽に入浴すると書いてあるので意外でした。
あたたかいお湯にゆったりつかれるお風呂ならいいけど…… と書いてあります。
お手伝いだったケジア・コリンズさんは、リウマチだそうです。リウマチ:関節の炎症で、関節の機能が失われる。放置しておくと関節が変形してしまう。
この時代の人たちは苦労されています。
アルフィー:すでにお話に登場している地元のこども。男児。
アーネスト:疎開に来ている男児。アルフィー宅で世話になっている。
土曜日です。
アンナは、グリフィスおばさんが買い物に出ている間に、三人のちびっこのめんどうをみます。
ウィリアムとエドマンドは、集落であるネズミの駆除に参加します。やっつけたネズミの数だけお金をもらっておばさんに渡します。でもふたりとも、気が優しいというか、気が弱いというかで、苦戦します。ちょっと、男としては情けない。お金持ちのおぼっちゃんだからなのか、考えが甘い。ネズミは害獣(がいじゅう)です。ディズニーのミッキーマウスとは違います。もっと強くなれ! もっと強い気持ちをもて! くそっ、負けてたまるか思え! と応援したくなりました。
わたしも小学生だったこどものころ、海が近い福岡県の炭鉱住宅で、集落のネズミ退治に参加したことがあります。おとなたちが木造家屋の床下に罠(わな)をかけて捕まえて、麻袋にたくさんのネズミを入れて、こどもの集団でネズミの息の根を止めました。う~む。あまりそういうことは、ここには書かないほうがいいな……
似たようなことが、こちらの本に書いてあります。
物語の中で、ネズミ狩りを指導してくれるのはおじいさんたちです。戦争に行かなくていい年齢の人たちが集落に残っています。
つらい体験をして、ウィリアムとエドマンドは成長しました。
とくに、エドマンドは、『ありがとう』が言える人間になりました。
『ありがとう』が言えない人間はダメ人間です。
両親を亡くした三人の疎開児童たちは、母(というもの)を知らない。父(というものも)知らない。図書館司書のミュラーさんが、母親代わりになっています。
この本を読み始めて10日ぐらいが経過します。
自分の頭の中で、ふだんから、主人公のウィリアムとエドマンドとアンナが動いています。本当に生きているみたいに動いています。読書の心地よさがあります。
本の中では、疎開を始めてから半年がたち、12月、ヨーロッパイギリスは冬を迎えています。
寒い。1940年(昭和15年)です。終戦は、1945年(昭和20年)ですから、終戦まではまだ遠い。
アンナ9歳が、グリフィス家にいる4人のちびっこたちのお母さんみたいです。アンナは、ちびっこたちに本の読み聞かせをしています。
降誕劇(こうたんげき):イエス・キリストの誕生を祝う劇。
エドマンドが、星の役を演じます。
ウィリアムは、フランシスに好かれているので、フランシスがウィリアムとヨセフとマリアの夫婦役をやりたいとささやかれますが、どうもウィリアムは、フランシスがお好みではないようです。だんだん女の子は、色気(いろけ。異性を意識した言動)づいてきましたな。
長頭(ちょうとう):『バスカビル家の犬』に出てくる言葉。人間の風貌(ふうぼう。身なり、顔かたち)として、長頭蓋(ちょうとうがい)。頭の形。頭の前後が長い形をしている。
シラミ:小さな虫。かゆくなる。
婦人奉仕団による服の交換会でもらったコートにシラミがいたようです。アンナの髪の毛にシラミがわきました。
図書館司書のミュラーさんが、薬を提供してくれました。
ミュラーさんの事情がミュラーさんから語られます。
ミュラーさんのだんなさんは、敵国であるドイツ人だそうです。だから、近隣の人たちからミュラーさんは、よく思われていないそうです。
ふたりは、イギリスノーザンプロンにある本屋で知り合って結婚したそうです。
ドイツで独裁者が誕生して、軍事化がすすんで、だんなさんは、ドイツにいる両親と妹のことが心配で、ドイツの実家へようすを見に行って、以降行方不明になってしまったそうです。だんなさんがいなくなってから、もうじき3年たつそうです。だんなさんは、ナチス党の人間ではなさそうです。
人生、いろいろあります。
エドマンドが言います。ぼくらは、疎開児童で、地元の人間から嫌われる。
司書のミュラーさんは、夫がドイツ人だから、地元の人間から嫌われている。
おんなじだ。
読んでいて思ったことです。
シーンとはぴったりきませんが、むかしのことにしばられて今を生きる必要はないのではないか。今は、今なのだから。
いろいろトラブルがあって、三きょうだいは、グリフィス家を追い出されるように出て行きました。
悲惨です。
いくところがありません。今夜泊るところがありません。
しかたなく、教会へ行くのです。
不吉な物語を思い出しました。パトラッシュという犬が出てくる児童文学、動画アニメでした。犬と少年が最後に死んでしまうのです。
三きょうだいに助け舟を出してくれたのはやはり、図書館司書のノラ・ミュラー夫人でした。
雪が降り、クリスマスイブなのに、すったもんだがあります。
おなかいっぱい食べ物を食べたい。
サンタクロースにプレゼントをもらいたい。
三きょうだいとグリフィス夫人の間でトラブルのもとになる本、『はなのすきなうし』は読んだことがあります。『はなのすきなうし おはなし/マンロー・リーフ え/ロバート・ローソン やく/光吉夏弥(みつよし・なつや) 岩波書店』、闘牛なのに、闘志がなく、心優しい闘牛用の牛の話でした。お母さん牛がその牛を守ってくれます。
途中、三きょうだいは、図書館で暮らすことを考えます。(無理でした)
そんな本が二冊ありました。
村上春樹氏の「海辺のカフカ 新潮文庫上・下」では、カフカくんが、四国の図書館で寝泊まりの暮らしをします。もうひとり、ナカタさんという人が、東のほうからカフカくんの図書館を目指す内容だったと思います。わたしには好みの設定でした。
もう一冊が、『図書室で暮らしたい 辻村深月(つじむら・みずき) 講談社』で、エッセイ集でした。
クリスマスイブに住む場所をなくした三きょうだいです。
ミュラー夫人の夫がドイツ人、もしかしたら、夫は、ナチス・ドイツの党の味方で、連合国軍の敵ではないか。
ミュラー夫人自身はイギリス人で、ドイツ人ではないし、ナチスの人間でもないのに、夫婦は一体に見られます。犯罪加害者の親族が冷たい目で見られるのに似ています。自分がやったわけでもないのに、犯罪をおかした親族と同類のように見られます。それが人間世界の現実です。
読んでいて不思議なのが、宗教です。
戦時中で、都市部では空襲があるのに、疎開地のいなかでは、クリスマスイブでイエスキリストの生誕を祝います。
宗教の異様さがあります。クリスマス休戦という言葉がありますが、平和を望むのなら、クリスマスだけではなく、いつだって殺し合いをする戦争はやめるのではないかと思うのです。
なにか、考え方の基本がおかしい。
だれも知らないようで、だれもが知っています。
三きょうだいが、預けられた先で、差別のような扱いを受けていたことを、ご近所さんたちは知っていても、知らぬふりをしているのです。
世の中には、ひどいことをする人もいますが、優しい人もいます。
親子で会話がない家が多い。
家族内での話し言葉は、親から子への命令とか、指示だけになっている。
気持ちのこもった言葉でのキャッチボールが親子の間でないから、こどもの心がすさみます。
親の役割はただひとつ、こどもに食べさせることです。
小説そして映画になった、『東京タワー -オカンとボクと、時々、オトン- リリー・フランキー 新潮文庫』では、母親役の樹木希林さん(きききりんさん)が、息子のことをいつも気にかけています。実家は九州福岡で、息子は東京へひとりで出て行くわけですが、いつも息子に、『ちゃんと食べてるか?』とたずねます。息子が、『食べてるよ』と返事をすると、母親は安心するのです。母親にとってのこどもに対する役割はただ一点なのです。食べさせることだけなのです。
ミュラー夫人と三きょうだいの食事風景があります。
幸福があります。
マーティン:ミュラー夫人の行方不明になっている夫の名前。
外国は寝るときはベッドなので、日本のように和室でふとんで固まってというようなスキンシップがしにくいやり方です。
こどもは寝る前に、おとなに本を読んでほしい。
本の中身というよりも、そういう時間帯が、こどもは好きです。
クリスマスの朝は、ひとりだけでは迎えたくない。
ミュラー夫人の家には本がたくさんあります。
本のプレゼントがあります。紙の本です。いまどきの電子書籍だと渡しにくい。
ラジオ放送があります。まだ、このころ、テレビは普及していなかったのではないか。
新年が近づいています。
以前の家に置いてきた三きょうだいの荷物を取りに行かねばなりませんが、グリフィス夫人とけんか別れしたので三きょうだいは、グリフィス夫人宅へ行きにくいのです。
ミュラー夫人がひとりで行ってくれることになりました。ありがたい。
ミュラー夫人は優しい。長男に声をかけてくれました。『……特にあなたの場合、がんばりすぎたと思うの…… もうがんばらなくていいいから』
ときおり出てくる言葉が、『比喩(ひゆ)』です。
-あることを、別の言葉でたとえること-
ラバ:オスのロバとメスの馬の交配種。北米、アジア、メキシコに多い。
セントポール大聖堂:ロンドンにある。
涙なくしては読めない316ページです。
長男ウィリアムと、次男エドマンドの会話です。
長男が9歳の長女をかばって、両親についてのつくり話をしていることを次男が長男に指摘します。
母親の話として、ひとつだけ本当の話があります。この本の原題に関するものです。
『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
母親が、三きょうだいは、夜空に輝く、『月』みたいだと言っていたそうです。
でももう、母親はこの世にいません。
次男のエドマンドが言います。『…… ぼくらのこと、お月さまみたいだって思ってくれる人に、お母さんになってもらうんだ』
そして、『…… これまで、いろいろとありがとう。兄さん』
(考え方、感じ方として、三きょうだいだから月が3つあるのではなく、三きょうだいを一体のものとしてとらえて、ひとつの大きな月を思い浮かべたほうがいい)
(以前疎開に来た時にエドマンドがチョコレートをあげた)ヒューからエドマンドにチョコレートのお返しがあります。
バチがあたります。(悪いことをすると、悪いことをした人に、神さまや仏さまが罰(ばつ)を与えること)
人をいじめた人間にはバチがあたります。
わたしは長いこと生きてきて、バチが当たった人を何人か見たことがあります。うまくいかないことが起きます。
『……竜がそばにいる以上、竜に気を配るしかないってね?』(ホビットの冒険から)
ベティ・バクスター:元教師。園芸好き。ノラ・ミュラー夫人の協力者。
ノラ・ミュラー夫人のドイツ人夫マーティン・ミュラー氏が亡くなっていたことが判明します。
ドイツベルリンで8月に空襲があったそうで、空襲のときに亡くなったそうです。
1940年(昭和15年)8月にドイツのベルリンで空襲があった。
調べたら、8月24日にドイツ軍がイギリスロンドンを爆撃して、8月26日にイギリス軍がベルリンを報復爆撃しています。仕返しです。イギリス人妻ノラ・ミュラー夫人とドイツ人夫マーティン・ミュラー氏のつながりを考えると複雑な気持ちになります。
やられたらやりかえす。人類が大昔からやっていることです。これから先もなくなることはないのでしょう。そして最後に核戦争になって、人類は滅ぶというのは映画や小説のテーマになる素材です。
三きょうだいにとっての今の目標は、自分たちを養育してくれる親探しです。
両親から受け継いだ相続財産というお金はあっても、親がいません。
『…… ぼくらのことを、お月さまみたいだって思ってくれる人が、お母さんになる人なんだ』
363ページに答えがあります。ノラ・ミュラー夫人の言葉、『わたしにはあの子たちが、暗闇をてらしてくれるお月さまみたいに思えるのよ』
ウィリアムは誕生日(1月11日)を迎えて13歳になりました。(人生は、まだまだはるかに長い)
誕生日祝いに自転車のプレゼントがあります。
こどもたちが思う自分たちの母親になってほしいノラ・ミュラー夫人は、三きょうだいが、親なし子であることを知りません。
ノラ・ミュラー夫人は、空襲がおさまって、戦争が終わるころに、三きょうだいは、ロンドンにいる親の元へ帰るものだと思いこんでいます。
『勝利のための菜園運動』(食糧不足の戦時中のこととして、食料を自給自足で確保するために庭や公園を畑にする運動)日本と似ています。日本でも空いた(あいた)土地を畑にして野菜や穀物をつくっていました。
『ミュラーさんとエドマンドは、それぞれやるべきことにもくもくと取り組んだ……』
ホビットの冒険に出てくる竜のような人物→ジュディス・カー先生。おこりんぼさん。本では、こわい年寄り魔女と表現があります。
ドイツ人の夫がイギリス空軍によるドイツベルリンの空襲で死んだから、イギリス人であるノラ・ミュラー夫人に対するまわりのイギリス人たちの気持ちがノラ・ミュラー夫人を許す方向へ気持ちが変化したという皮肉があります。ひにく:遠回しに、敵国ドイツを嫌い、自国イギリスを愛す。
野菜を育てて食べる。農業を賛美するメッセージがあります。
『疎開児童たちの勝利のための菜園』
『…… ぼくは、きたない疎開野郎さ!』
お金はある。でも、親はいない。
親になってくれる人が見つかった。
こどもは、いつまでもこどもでいるわけではありません。
あと、10年もたてば、三人とも自立・自活をしていく年齢になります。
そのときは親代わりになってくれたノラ・ミュラー夫人に感謝してほしい。
ありがとうが言える人であってほしい。
最後まで読んで思い出した本が二冊あります。
『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』
『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』
おいしいごはんを食べながら、なんだかんだと会話をすることが、人間であることの楽しみなのです。
読み始めて終わるまで2週間ぐらいかかりましたが、読みごたえのあるいい本でした。
イギリスが舞台の児童文学です。
時代は第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)6月で、ロンドンから始まります。
両親を亡くして祖母に預けられていた三人きょうだいがいるのですが、親代わりだった祖母が亡くなってしまいました。祖父はいません。こども三人が家政婦さん付の屋敷に残されました。
弁護士が出てきて、空襲を避けるためにいなかへ疎開するという流れのようです。学童疎開です。とりあえず、18ページまで読みました。
登場する家族は、ピーアス家(け)です。
ウィリアム:男児12歳。5歳のときに両親が死亡した。7年前のことです。両親の死因は出てきません。
エドマンド:男児11歳。4歳のときに両親死亡。
アンナ:女児9歳。2歳のときに両親死亡。三人とも読書が好きなようすで、アンナは今、『メアリー・ポピンズ』を読んでいます。物語の中には、メアリー・ポピンズとジェインとマイケルがいます。学校で寄宿舎生活を送っているような話が出ます。
ケジア・コリンズ:ピーアス家のお手伝いさん。40年間以上ピーアス家でお手伝いをしている。歳をとった女の人。祖母の死亡により雇用契約は解除となる。三人の子どもたちが学童疎開したあと、ロンドンの北西25キロのところにあるワトフォードで、自分の妹と暮らす。
エリナー:三きょうだいの亡くなった祖母
エンガーソル:祖母の弁護士。耳から毛がぼうぼうと生えている。あたまのてっぺんには毛がない。
こどもたちの後見人決めとか、遺産とかの話があります。
学童疎開先にある図書館に助けられるという流れのようです。
(さて、お話です)
祖母のお葬式の日から始まります。
イギリスですから、教会でお葬式です。
祖母は、外の人たちからは立派な人と思われていたようですが、三人のこどもたちにとってはそうでもないようすです。あんまり悲しくなさそうです。
次男のエドマンドは祖母のことを、あのいやなばあさんと言います。祖母はこどもたちに向かって、『イライラさせる子たちだね』と言っていたそうです。
いまいましいドイツ人:(第二次世界大戦)今回の戦争をしかけてきたのは、ナチス・ドイツです。
(ふと気づいたこと)
本のタイトルは、『図書館がくれた宝物』ですが、本の裏表紙を見ると、『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
読みながら、タイトルの意味を考えてみます。
セント・マイケル小学校:疎開先の小学校。ロンドンの北のほうにある。
ジュディス・カー先生:学校疎開の責任者。攻撃的で厳しい姿勢がある。裏では、こどもたちがばかにするように、『バーカラス』と呼んでいる。
フランシス:女生徒。三きょうだいの長男のウィリアムに気があるようです。
ウォーレン先生:いい人。優しい。疎開先の小学校で、ピーアス家のこどもたち三人のクラス担任になる。お話の途中で、北アフリカに行っていた(たぶん戦争の兵隊として)夫が亡くなり、夫のもとへ行って小学校からいなくなります。
どうも三人きょうだいは、お金持ちのこどもたちです。大きな遺産があります。
お金はありますが、両親も祖父母もいません。お金があっても、まだこどもです。
遺産目当てに、悪いおとなたちに利用されるわけにはいきません。
遺産のことは秘密にして生きていかねばならないこどもたち三人です。
祖母の遺言に、三人のこどもたちの後見人をだれにしたらいいかの事柄が書かれていればいいのですが書いてありません。適任者がいなかったから書けなかったということもあるでしょう。
こどもたちとお手伝いさん、弁護士の関係者は、疎開先で、後見人になってくれそうな人を探せないかと考えています。だれかの養子になれないかということです。されど、こども三人いっぺんに養子にしてくれるような人はなかなか見つからない。三人バラバラ、ひとりずつなら養親になってくれる人が見つかる可能性が高い。だけど、三人はバラバラにはなりたくありません。
長男ウィリアム:『つまりね、ぼくらにはお金はあるけど、世話をしてくれる人がいないってことだよ』
疎開する少年少女は、25万人もいます。
疎開先へ移動するための荷物の準備をします。
お気に入りの本を一冊だけ持って行くこと。
候補として、『ピーターパンとウェンディ』、『アルプスの少女ハイジ』、『小公女』、『ブリタニカ百科事典第四巻(かん。全体だと24巻ある)』、『モンテ・クリスト伯(はく)』
1940年(昭和15年)の話ですから、もうずいぶん前のことです。
現実のことなら、ピーアス家(け)の3きょうだいはもうこの世にはいないでしょう。
生きていれば、
ウィリアムが、96歳
エドマンドが、95歳
アンナが、93歳です。
日本人ならもしかしたら生きている平均寿命ですが、イギリス人だと平均寿命が、80.70歳です。
シラミの検査:シラミは、大きさ数ミリの小さな虫。人間の血液や体液を吸う。
『ハーメルンの笛吹男』:ドイツの伝説。ハーメルンは町の名称。笛の音で、こどもたちを町から連れ出した。
キングス・クロス駅:ロンドンの主要ターミナル駅。昔、わたしがオーストラリアのシドニーに行ったとき、同じ名称の駅がありました。オーストラリアは、イギリスの人たちがつくったということがわかります。たしか、そこで二泊しました。帰国してから、そのとき泊まった場所が繁華街で、ちょっとぶっそうな場所だったと知りました。実際はそんな感じはしませんでした。でも今思うと、ホテルのエレベーターは利用するときにカードキーがいりました。キングス・クロス駅で切符を対面販売で買って乗車しましたが、切符を買わずに自動改札機を力づくで足でストッパーの板を押して通って列車に乗り込む人がいて、すごいなーーと思ったことを思い出しました。
宿舎:学童疎開先のセント・マイケル小学校のある町でお世話になるお宅のことを『宿舎』という。宿舎の提供者にはお金が出る。宿舎には、終戦まで一時的に滞在する。(だけど、この三きょうだいは、終戦後、どこの家に行くのだろう。これまでのロンドンにある家は空襲で燃えてなくなるかもしれません)
『モンテ・クリスト伯』:貧しい少年たちのヒーロー、エドモン・ダンテスの物語。日本での題名は、『岩窟王(がんくつおう)』。
イヴリン・ノートン夫人:婦人奉仕団の代表。学童疎開の担当で、いばった感じの女性。
ネリー・フォレスター:ピーアス三きょうだいの疎開受け入れ先の奥さん。明るくおしゃべり。三きょうだいの長女であるアンナ・ピアース9歳を気に入った。夫婦ともに人柄は良さそう。
ピーター・フォレスター:フォレスター家のご主人。優しそう。家は、肉屋を営んでいる。
サイモンとジャック:12歳フォレスター家の双子の兄弟。ピーアス三きょうだいに対して冷たい。いじわるをする。まあ、無理もありません。自分たちの寝室にウィリアム12歳とエドマンド11歳が入ってきて寝るようになりました。もとからいた双子にとっては、侵略されているようなものです。
ネリー・フォレスター(受け入れ先の奥さん)は、もともと、9歳のアンナ・ピアースだけを預かりたかったが、まあしょうがないかというようなようすで、ウィリアムとエドマンドもついでで預かった。
キャベツとナメクジ亭:パブ(飲み屋)
アンダーソン・シェルター:家庭用の防空壕(ぼうくうごう)。ドイツの飛行機が空襲に来たら隠れるところ。
村の公会堂:学童疎開に来たこどもたちを見て、地元の人がどの子を預かるか見に来た場所。
(日本の学童疎開だと、地元のお寺さんとか旅館で、いちどに全員を預かっていたと思います。集団生活、集団行動でした)
ヒュー:学童疎開できた児童。小さい男の子。エドマンドがチョコレートをあげた。
アルフィー:地元のこども。
フランシス:同じく地元のこども。
イギリスは、6月ぐらいから夏休みで、本来なら学校で勉強はないのですが、このときは、学校が開かれています。疎開に来た児童は、夏休み中ではありますが、午前中9時から12時まで地元の小学校で授業を受けます。
アンナ9歳は、自分が地元の人たちにとって、『負担扱い』されていることがおもしろくありませんでした。
フォレスター宅の建物がチューダー様式:建物のデザインなど。イギリス風のデザインの戸建て。
この物語のポイントは、両親がいないけれど、両親が残してくれた財産がたくさんあると、こどもたち三人の未来はどうなるかという点にあります。
財産を三人の幸せのために、じょうずに生かさなければなりません。亡くなったご両親の願いです。
他人の家に居候(いそうろう)するとき、心はブルーになります。若かったころ、自分も何度か体験があります。親戚の家だったり、知り合いの家だったりでした。
気を使います。たいてい、いやがられます。狭くてもいい。汚くてもいい。自分が好きにすごせる空間がほしい。
相手は、最初はウェルカム(ようこそ)という態度でも、だんだん、やっかい者扱いされます。
宿泊先の奥さんのネリーさんはいい人なのでしょうが、彼女の希望は、『かわいい女の子がほしかった』であり、アンナ9歳の兄のウィリアムとエドマンドは、しかたなしのおまけなのです。(話の設定として無理があります。現実には、このパターンはまずないでしょう)
戦争はひどい状況を生みます。戦争はしてはいけないのです。対立しても武力行使はせず、話し合いで解決を図るのです。
作者は、アメリカ合衆国の児童文学作家です。年配の人かと思ったら若い女性でした。意外です。物語の中身は、現在80代後半ぐらいから90代はじめの人たちが体験したことです。あわせて、場所はイギリスロンドンの郊外です。
居候先の家族とギクシャクしそうな不穏な雰囲気がただよっています。わざといじわるをするようにつくってある話なら、わたしは流し読みに入ります。つくったじめじめ話を読まされることは読み手にとっては苦痛です。不快な思いはしたくありません。
疎開野郎(そかいやろう):差別用語。双子のサイモンとジャック12歳が使う言葉。
お金の話です。
お金があるといいことのひとつに、優位な気持ちに立つことができるということがあります。
たとえば、クレーマーみたいな人にひどいことを言われても、心の中で、(ああ、自分はこの人よりもお金をもっているから、この人よりも自分のほうが幸せだ)と思うと、優越感が余裕になって、相手に対する怒りの気持ちが(いかりのきもちが)おさまるということはあります。
物語の中のこどもたち三人は、まだそういうことが理解できないことが残念です。
おそらく、こどもたち三人は、本を読むことでつらい境遇に耐えるのでしょう。
がっしりとした石造りの建物があった。
『図書館』と書いてある。
アンナは…… ここがあれば、なにがあってもだいじょうぶ、と思った。
ひとつの教室で、複数の学年の児童が勉強します。自習が多い。
9歳と10歳が教室の前のほうで先生の話を聞く。11歳と12歳は、そのうしろで自習です。
ヨーロッパは、はるか昔から、多くの災害や戦争に見舞われてきた。いっぽう日本は、第二次世界大戦のときに初めて戦闘機や爆撃機の空襲を受ける戦地になりました。
89ページまで読んで思い出した本があります。
『としょかんライオン ミシェル・ヌードセン・さく ケビン・ホークス・え 福本友美子・やく 岩崎書店』以下は、感想メモの一部です。
孤独なライオンはどこから来たのだろう。孤独なライオンはだれかのそばにいたかった。
ライオンは自分のために本読みをしてほしい。自分のために本をもっと読んでほしい。ライオンは人にかまってほしい。甘えたい。甘えるだけでなくて、だれかの役に立ちたい。
もう一冊あります。
『わたしのとくべつな場所 パトリシア・マキサック 新日本出版社』こちらも感想メモの一部です。
わたしのとくべつな場所がどこなのかが秘密としてスタートします。登場したのは、おそらく12歳の女の子、パトリシアです。彼女は、とくべつな場所に向かう途中、いくつかの人種差別を体験します。彼女は黒人です。差別するのは、アメリカ合衆国の白人です。
バスの中のパトリシアは怒っています。黒人席はこっちという案内サインに憤り(いきどおり)を感じているのです。
公園のベンチには白人専用という表示がありますが、じゃあ、黒人専用のベンチがあったかというとなかったでしょう。白人以外は人間ではなかったのです。絵本の時代設定は、1950年代、今から60年ぐらい前のアメリカ合衆国の社会です。
この本でパトリシアが行きたいとくべつな場所とは、『公共図書館』を指します。『だれでもじゆうにはいることができます』で結ばれています。
(つづく)
ミュラー夫人(ノラ):図書館の司書。栗色の髪、細かい花柄模様のワンピースを着て、もこもこした毛糸のカーディガンを羽織っている。読書をとおして、三人のきょうだいの心の支えになってくれる。
フローレンス:白髪(しらが)のおばあさん。
図書館には、<子どもの本>コーナーがあります。
寄宿学校:イギリスの全寮制の学校。公立と私立があって、男女共学。寮は男女別。初等教育(4歳または5歳から13歳)、中等教育(11歳または13歳から16歳)、そのあとは、16歳から18歳が対象となっている。
三人きょうだいの家では、こどもは、寄宿学校に通っていた。
乳幼児のときは、乳母(うば)がいた。
乳母とは別に、家政婦のコリンズさんがいた。
でも、両親はいなかった。家族は、きょうだい三人だけだった。
愛書家:あいしょか。書籍という物体を愛する者。読書家は、本の内容とか読書という行為が好きな者をいう。
本がたくさん出てきます。書き並べてみます。
『ブレインストーム教授大あわて』、『きいろの童話集』、『むらさきいろの童話集』、『しっかり者のスズの兵隊』、『火打ち箱』、『魔法の森』、イギリス人は魔法が好きなようです。『小公女』、『赤毛のアン』、なにかと孤児の話が多い。『砂の妖精』、たのしい川べ』、『はなのすきなうし』、『野生の呼び声』、『バスカビル家の犬』、『アンナ・カレーニナ』、『クリスマスのまえのばん』、『ホビットの冒険』、『アラビアンナイト』、『ビロードうさぎ』(最後まで読んで、373ページに、この物語に登場する本を列記してあるページがありました。わたしが読んだことがある本が何冊も含まれています)
ウィリアムとエドマンドは、ふたりにいじわるをする双子の兄弟サイモンとジャックともめて、彼らの部屋を出ます。ふたりは、アンナの部屋ですごすことにしました。三人きょうだいが同じ部屋です。三人で悩みます。お金があっても、行くところがないこども三人です。
双子の兄弟の母親であるネリー・フォレスターは、いい人ですが、きちんと自分のこどもが何をしているのかが見えていません。こどもに甘い親です。そして、双子はずるがしこい。
ラディッシュ:ダイコンのこと。
フランスがナチス・ドイツの手に落ちた。フランスの領土にドイツ軍がいる。
『小公女』に出てくるセーラーはお金持ち。こどもなりに判断したのは、ミンチン先生がセーラーに優しくするのは、セーラーがお金持ちだからに違いないそうです。
戦争対策として、家庭菜園を使って、野菜をつくる。食糧不足なので、自給自足をする。
聡明(そうめい):賢い(かしこい)ということ。
図書館にドイツ人が書いた本を置くことはけしかんことなのか。(グリム童話を書いたグリム兄弟はドイツの人)
1940年(昭和15年)7月、ドイツ軍がイギリス西部の町や、港を攻撃した。
イギリスのチャーチル首相はドイツ軍とまだまだ戦う気持ちが強い。けして、ナチス・ドイツには屈しない。(ウクライナの大統領を思い出しました)
映画館で、『ピノキオ』を観た。
映画のタイトルがいろいろ出てきます。『ランカシャーのラッシー(おとな向けのミュージカル・コメディ)』、『オズの魔法使い』、『白雪姫と七人のこびと』
153ページまで読んで、(全体は、372ページです)、ふと思ったのです。
この三きょうだいは、最終的には、図書館で司書をしているミュラー夫人が、三人きょうだいの後見人になってくれるのではないか。(予想が当たるかどうか、これから先を読むことが楽しみです)
コヴェントリー:イギリスにある都市の名称。航空機とか弾薬とかの工場がある。三きょうだいが学童疎開しているところから40キロの位置にある。のちのちドイツ軍から空襲される場所です。
夏休みが終わり、村のこどもたちが小学校に戻って来て、村のこどもたちと疎開で来ているこどもたちの間に溝が生まれています。
ふと思い出したのは、2011年(平成23年)の東日本大震災の時に、各地へ避難した東北のこどもたちが、避難先で苦労したことです。(原発の)放射能がうつるとか、ばいきん扱いするとか、賠償金をもらっただろうとか、国を問わず、人間の現実のありようとして、いじめがなくなりません。残念なことです。人をばかにしたり、いじめたりして、うれしがる人がいます。
1940年(昭和15年)9月7日、ロンドン大空襲。
戦争というのは、国民と国民が戦うのではなく、独裁者とそのグループの判断でするものだと理解できます。
国民は、権力闘争に巻き込まれるのです。独裁者に反対すると、拘束されたり、殺されたりするのです。
エリザベス王女(1940年当時のこととして本に記述があります):エリザベス二世。1926年(大正15年)-2022年(令和4年)96歳没。女王としての在位期間:1952年(昭和27年)-2022年(令和4年)70年間。
地元のこどもと疎開で来ているこどもが対立します。やられたらやりかえします。仕返しとか、復讐です。混乱します。
ミュラー夫人の家庭菜園講演会に人が集まりません。集まったのは、講師のミュラー夫人を入れてもたった6人です。
いばりんぼうの婦人奉仕団所属イヴリン・ノートンが月間に政府関係者を呼んで、盛大に家庭菜園の講演会を開くからだそうです。だから、人が集まらない。
いろいろあって、エドマンドが、双子きょうだいの罠(わな)にはまって、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されそうです。たいへんだ! フォレスターのおじさんもおばさんも、結局は自分たちのこどもであるいじわるな双子兄弟の味方です。ピーアス家の三きょうだいは、他人です。
ああ、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されてしまいました。
次に見つかった家は、かなり貧困そうです。
三人きょうだいのめんどうをみるともらえる手当目当てで、こどもを預かる女性宅です。夫は、戦争に行っています。
サリー・グリフィス:こどもが3人いる母親で主婦。住所は、リビングストーン横丁四番地。
ペニー:サリーの長女。ちょっと大きい子と書いてあります。5歳か6歳ぐらい。
ヘレン:サリーの次女。2歳か3歳。
ジェイン:サリーの三女。1歳ぐらいか。
ロバートジュニア:まだあかちゃん。サリーの長男。
三人きょうだいを預かると国からもらえる手当の金額。
1人目:10シリングと6ペンス。
2人目以降:8シリングと6ペンス。
3人分の配給(食べ物を支給してもらえる)
こども3人の昼食は学校給食で支給される。
生活習慣として、月曜日は洗濯、金曜日の夜はおふろ、おふろは週に一回しか入れない。トイレは屋外にあって汚い。虫がいそうです。
さあ、たいへんだ。(だけど、わたしがこどものころの日本のいなか暮らしもそんなものでした)
司書のミュラーさんにお世話になることはできないそうです。
なにか、事情があるようですが、まだその理由は明かされません。
婦人奉仕団代表のイヴリン・ノートン夫人が言います。『ノラ・ミュラーは、子どもを預かるのにふさわしくありません』
デヴォン:イギリス南西部の地域。
三人きょうだいの亡くなった両親の話がときおり出ます。
長男のウィリアムが、末っ子のアンに話してくれます。たぶんつくり話です。
18ページ:母さんが小さかったころ、友だちがローラースケートで走ってきて、母さんの足の小指にぶつかったんだって。それで、折れちゃったんだ。
106ページ:父さんはラディッシュ(ダイコン)がきらいだったんだ。
171ページ:母さんはこどものころ、タクシーの運転手になりたかったんだ。
190ページ:結婚したとき、父さんと母さんは、それぞれのタオルに刺繍(ししゅう)で名前をいれてたんだ。
ウォーレン先生のご主人が北アフリカで亡くなってしまいました。たぶん戦死でしょう。ウォーレン先生はしばらく学校には来ることができないそうです。優しい先生がいなくなって、厳しい先生が残ってしまいました。カー先生のことです。
三きょうだいは、お金持ちの家のこどもだったので、こどもたちだけで買い物をしたことがありません。ロンドンの家にいたときは、お手伝いのコリンズさんがそばにいてくれていました。残念ですが、三きょうだいには、生活能力に欠けた部分があります。
以前お世話になっていた肉屋のフォレスター家に買いものに行って、父親が、自分の息子たちが三きょうだいにひどいしうちをしたことを知っていて、三きょうだいを家から追い出したことがわかりました。失望するアンナたちです。それが、人間界の現実なのです。寛容になって、心に折り合いをつけるしかありません。しかたがないのです。
三きょうだいはみじめですが、将来のためにしておくべき経験です。三人はお金持ちの家に生まれて、これまで甘やかされていたのです。
入浴の話が出ます。
わたしは、外国人は、日本人のように浴槽につかることはないと思いこんでいました。
外国人はたいていシャワーだけの利用です。
でも、この本には、浴槽に入浴すると書いてあるので意外でした。
あたたかいお湯にゆったりつかれるお風呂ならいいけど…… と書いてあります。
お手伝いだったケジア・コリンズさんは、リウマチだそうです。リウマチ:関節の炎症で、関節の機能が失われる。放置しておくと関節が変形してしまう。
この時代の人たちは苦労されています。
アルフィー:すでにお話に登場している地元のこども。男児。
アーネスト:疎開に来ている男児。アルフィー宅で世話になっている。
土曜日です。
アンナは、グリフィスおばさんが買い物に出ている間に、三人のちびっこのめんどうをみます。
ウィリアムとエドマンドは、集落であるネズミの駆除に参加します。やっつけたネズミの数だけお金をもらっておばさんに渡します。でもふたりとも、気が優しいというか、気が弱いというかで、苦戦します。ちょっと、男としては情けない。お金持ちのおぼっちゃんだからなのか、考えが甘い。ネズミは害獣(がいじゅう)です。ディズニーのミッキーマウスとは違います。もっと強くなれ! もっと強い気持ちをもて! くそっ、負けてたまるか思え! と応援したくなりました。
わたしも小学生だったこどものころ、海が近い福岡県の炭鉱住宅で、集落のネズミ退治に参加したことがあります。おとなたちが木造家屋の床下に罠(わな)をかけて捕まえて、麻袋にたくさんのネズミを入れて、こどもの集団でネズミの息の根を止めました。う~む。あまりそういうことは、ここには書かないほうがいいな……
似たようなことが、こちらの本に書いてあります。
物語の中で、ネズミ狩りを指導してくれるのはおじいさんたちです。戦争に行かなくていい年齢の人たちが集落に残っています。
つらい体験をして、ウィリアムとエドマンドは成長しました。
とくに、エドマンドは、『ありがとう』が言える人間になりました。
『ありがとう』が言えない人間はダメ人間です。
両親を亡くした三人の疎開児童たちは、母(というもの)を知らない。父(というものも)知らない。図書館司書のミュラーさんが、母親代わりになっています。
この本を読み始めて10日ぐらいが経過します。
自分の頭の中で、ふだんから、主人公のウィリアムとエドマンドとアンナが動いています。本当に生きているみたいに動いています。読書の心地よさがあります。
本の中では、疎開を始めてから半年がたち、12月、ヨーロッパイギリスは冬を迎えています。
寒い。1940年(昭和15年)です。終戦は、1945年(昭和20年)ですから、終戦まではまだ遠い。
アンナ9歳が、グリフィス家にいる4人のちびっこたちのお母さんみたいです。アンナは、ちびっこたちに本の読み聞かせをしています。
降誕劇(こうたんげき):イエス・キリストの誕生を祝う劇。
エドマンドが、星の役を演じます。
ウィリアムは、フランシスに好かれているので、フランシスがウィリアムとヨセフとマリアの夫婦役をやりたいとささやかれますが、どうもウィリアムは、フランシスがお好みではないようです。だんだん女の子は、色気(いろけ。異性を意識した言動)づいてきましたな。
長頭(ちょうとう):『バスカビル家の犬』に出てくる言葉。人間の風貌(ふうぼう。身なり、顔かたち)として、長頭蓋(ちょうとうがい)。頭の形。頭の前後が長い形をしている。
シラミ:小さな虫。かゆくなる。
婦人奉仕団による服の交換会でもらったコートにシラミがいたようです。アンナの髪の毛にシラミがわきました。
図書館司書のミュラーさんが、薬を提供してくれました。
ミュラーさんの事情がミュラーさんから語られます。
ミュラーさんのだんなさんは、敵国であるドイツ人だそうです。だから、近隣の人たちからミュラーさんは、よく思われていないそうです。
ふたりは、イギリスノーザンプロンにある本屋で知り合って結婚したそうです。
ドイツで独裁者が誕生して、軍事化がすすんで、だんなさんは、ドイツにいる両親と妹のことが心配で、ドイツの実家へようすを見に行って、以降行方不明になってしまったそうです。だんなさんがいなくなってから、もうじき3年たつそうです。だんなさんは、ナチス党の人間ではなさそうです。
人生、いろいろあります。
エドマンドが言います。ぼくらは、疎開児童で、地元の人間から嫌われる。
司書のミュラーさんは、夫がドイツ人だから、地元の人間から嫌われている。
おんなじだ。
読んでいて思ったことです。
シーンとはぴったりきませんが、むかしのことにしばられて今を生きる必要はないのではないか。今は、今なのだから。
いろいろトラブルがあって、三きょうだいは、グリフィス家を追い出されるように出て行きました。
悲惨です。
いくところがありません。今夜泊るところがありません。
しかたなく、教会へ行くのです。
不吉な物語を思い出しました。パトラッシュという犬が出てくる児童文学、動画アニメでした。犬と少年が最後に死んでしまうのです。
三きょうだいに助け舟を出してくれたのはやはり、図書館司書のノラ・ミュラー夫人でした。
雪が降り、クリスマスイブなのに、すったもんだがあります。
おなかいっぱい食べ物を食べたい。
サンタクロースにプレゼントをもらいたい。
三きょうだいとグリフィス夫人の間でトラブルのもとになる本、『はなのすきなうし』は読んだことがあります。『はなのすきなうし おはなし/マンロー・リーフ え/ロバート・ローソン やく/光吉夏弥(みつよし・なつや) 岩波書店』、闘牛なのに、闘志がなく、心優しい闘牛用の牛の話でした。お母さん牛がその牛を守ってくれます。
途中、三きょうだいは、図書館で暮らすことを考えます。(無理でした)
そんな本が二冊ありました。
村上春樹氏の「海辺のカフカ 新潮文庫上・下」では、カフカくんが、四国の図書館で寝泊まりの暮らしをします。もうひとり、ナカタさんという人が、東のほうからカフカくんの図書館を目指す内容だったと思います。わたしには好みの設定でした。
もう一冊が、『図書室で暮らしたい 辻村深月(つじむら・みずき) 講談社』で、エッセイ集でした。
クリスマスイブに住む場所をなくした三きょうだいです。
ミュラー夫人の夫がドイツ人、もしかしたら、夫は、ナチス・ドイツの党の味方で、連合国軍の敵ではないか。
ミュラー夫人自身はイギリス人で、ドイツ人ではないし、ナチスの人間でもないのに、夫婦は一体に見られます。犯罪加害者の親族が冷たい目で見られるのに似ています。自分がやったわけでもないのに、犯罪をおかした親族と同類のように見られます。それが人間世界の現実です。
読んでいて不思議なのが、宗教です。
戦時中で、都市部では空襲があるのに、疎開地のいなかでは、クリスマスイブでイエスキリストの生誕を祝います。
宗教の異様さがあります。クリスマス休戦という言葉がありますが、平和を望むのなら、クリスマスだけではなく、いつだって殺し合いをする戦争はやめるのではないかと思うのです。
なにか、考え方の基本がおかしい。
だれも知らないようで、だれもが知っています。
三きょうだいが、預けられた先で、差別のような扱いを受けていたことを、ご近所さんたちは知っていても、知らぬふりをしているのです。
世の中には、ひどいことをする人もいますが、優しい人もいます。
親子で会話がない家が多い。
家族内での話し言葉は、親から子への命令とか、指示だけになっている。
気持ちのこもった言葉でのキャッチボールが親子の間でないから、こどもの心がすさみます。
親の役割はただひとつ、こどもに食べさせることです。
小説そして映画になった、『東京タワー -オカンとボクと、時々、オトン- リリー・フランキー 新潮文庫』では、母親役の樹木希林さん(きききりんさん)が、息子のことをいつも気にかけています。実家は九州福岡で、息子は東京へひとりで出て行くわけですが、いつも息子に、『ちゃんと食べてるか?』とたずねます。息子が、『食べてるよ』と返事をすると、母親は安心するのです。母親にとってのこどもに対する役割はただ一点なのです。食べさせることだけなのです。
ミュラー夫人と三きょうだいの食事風景があります。
幸福があります。
マーティン:ミュラー夫人の行方不明になっている夫の名前。
外国は寝るときはベッドなので、日本のように和室でふとんで固まってというようなスキンシップがしにくいやり方です。
こどもは寝る前に、おとなに本を読んでほしい。
本の中身というよりも、そういう時間帯が、こどもは好きです。
クリスマスの朝は、ひとりだけでは迎えたくない。
ミュラー夫人の家には本がたくさんあります。
本のプレゼントがあります。紙の本です。いまどきの電子書籍だと渡しにくい。
ラジオ放送があります。まだ、このころ、テレビは普及していなかったのではないか。
新年が近づいています。
以前の家に置いてきた三きょうだいの荷物を取りに行かねばなりませんが、グリフィス夫人とけんか別れしたので三きょうだいは、グリフィス夫人宅へ行きにくいのです。
ミュラー夫人がひとりで行ってくれることになりました。ありがたい。
ミュラー夫人は優しい。長男に声をかけてくれました。『……特にあなたの場合、がんばりすぎたと思うの…… もうがんばらなくていいいから』
ときおり出てくる言葉が、『比喩(ひゆ)』です。
-あることを、別の言葉でたとえること-
ラバ:オスのロバとメスの馬の交配種。北米、アジア、メキシコに多い。
セントポール大聖堂:ロンドンにある。
涙なくしては読めない316ページです。
長男ウィリアムと、次男エドマンドの会話です。
長男が9歳の長女をかばって、両親についてのつくり話をしていることを次男が長男に指摘します。
母親の話として、ひとつだけ本当の話があります。この本の原題に関するものです。
『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
母親が、三きょうだいは、夜空に輝く、『月』みたいだと言っていたそうです。
でももう、母親はこの世にいません。
次男のエドマンドが言います。『…… ぼくらのこと、お月さまみたいだって思ってくれる人に、お母さんになってもらうんだ』
そして、『…… これまで、いろいろとありがとう。兄さん』
(考え方、感じ方として、三きょうだいだから月が3つあるのではなく、三きょうだいを一体のものとしてとらえて、ひとつの大きな月を思い浮かべたほうがいい)
(以前疎開に来た時にエドマンドがチョコレートをあげた)ヒューからエドマンドにチョコレートのお返しがあります。
バチがあたります。(悪いことをすると、悪いことをした人に、神さまや仏さまが罰(ばつ)を与えること)
人をいじめた人間にはバチがあたります。
わたしは長いこと生きてきて、バチが当たった人を何人か見たことがあります。うまくいかないことが起きます。
『……竜がそばにいる以上、竜に気を配るしかないってね?』(ホビットの冒険から)
ベティ・バクスター:元教師。園芸好き。ノラ・ミュラー夫人の協力者。
ノラ・ミュラー夫人のドイツ人夫マーティン・ミュラー氏が亡くなっていたことが判明します。
ドイツベルリンで8月に空襲があったそうで、空襲のときに亡くなったそうです。
1940年(昭和15年)8月にドイツのベルリンで空襲があった。
調べたら、8月24日にドイツ軍がイギリスロンドンを爆撃して、8月26日にイギリス軍がベルリンを報復爆撃しています。仕返しです。イギリス人妻ノラ・ミュラー夫人とドイツ人夫マーティン・ミュラー氏のつながりを考えると複雑な気持ちになります。
やられたらやりかえす。人類が大昔からやっていることです。これから先もなくなることはないのでしょう。そして最後に核戦争になって、人類は滅ぶというのは映画や小説のテーマになる素材です。
三きょうだいにとっての今の目標は、自分たちを養育してくれる親探しです。
両親から受け継いだ相続財産というお金はあっても、親がいません。
『…… ぼくらのことを、お月さまみたいだって思ってくれる人が、お母さんになる人なんだ』
363ページに答えがあります。ノラ・ミュラー夫人の言葉、『わたしにはあの子たちが、暗闇をてらしてくれるお月さまみたいに思えるのよ』
ウィリアムは誕生日(1月11日)を迎えて13歳になりました。(人生は、まだまだはるかに長い)
誕生日祝いに自転車のプレゼントがあります。
こどもたちが思う自分たちの母親になってほしいノラ・ミュラー夫人は、三きょうだいが、親なし子であることを知りません。
ノラ・ミュラー夫人は、空襲がおさまって、戦争が終わるころに、三きょうだいは、ロンドンにいる親の元へ帰るものだと思いこんでいます。
『勝利のための菜園運動』(食糧不足の戦時中のこととして、食料を自給自足で確保するために庭や公園を畑にする運動)日本と似ています。日本でも空いた(あいた)土地を畑にして野菜や穀物をつくっていました。
『ミュラーさんとエドマンドは、それぞれやるべきことにもくもくと取り組んだ……』
ホビットの冒険に出てくる竜のような人物→ジュディス・カー先生。おこりんぼさん。本では、こわい年寄り魔女と表現があります。
ドイツ人の夫がイギリス空軍によるドイツベルリンの空襲で死んだから、イギリス人であるノラ・ミュラー夫人に対するまわりのイギリス人たちの気持ちがノラ・ミュラー夫人を許す方向へ気持ちが変化したという皮肉があります。ひにく:遠回しに、敵国ドイツを嫌い、自国イギリスを愛す。
野菜を育てて食べる。農業を賛美するメッセージがあります。
『疎開児童たちの勝利のための菜園』
『…… ぼくは、きたない疎開野郎さ!』
お金はある。でも、親はいない。
親になってくれる人が見つかった。
こどもは、いつまでもこどもでいるわけではありません。
あと、10年もたてば、三人とも自立・自活をしていく年齢になります。
そのときは親代わりになってくれたノラ・ミュラー夫人に感謝してほしい。
ありがとうが言える人であってほしい。
最後まで読んで思い出した本が二冊あります。
『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』
『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』
おいしいごはんを食べながら、なんだかんだと会話をすることが、人間であることの楽しみなのです。
読み始めて終わるまで2週間ぐらいかかりましたが、読みごたえのあるいい本でした。
2024年06月24日
じゅげむの夏 最上一平
じゅげむの夏 最上一平(もがみ・いっぺい) マメイケダ・絵 佼成出版社
小学4年生のメンバーです。小学校の夏休み前の時期で、場所は天神集落です。雨傘川(あまがさがわ)が流れています。川には、天神橋がかかっています。天神橋を右に回ると、筋ジストロフィーという病気にかかっているかっちゃんの家があります。
4人の少年たちが、ひと夏の冒険をします。
アキラ:誠蔵の孫の明。『ぼく』という一人称で、この物語を引っ張っていきます。ぼくのひとり語りのお話です。
山ちゃん:喜一郎の孫の大輔(だいすけ)。両すねに、けがをしたあとにできた血のかさぶたがあります。用水路をとびこそうとして失敗して、けがをしたのです。
かっちゃん:筋ジストロフィーという病気です。筋肉が動かなくなってやがて動けなくなる病気です。保育園だった時はふつうだった。
今は、ひっくりかえりそうになるぐらい体を左右にふって歩く。松葉づえや車いすを使うこともある。かっちゃんの家の部屋が、4人の少年のたまり場になっている。かっちゃんは、将来、落語家になりたい。落語の演目(えんもく)である、『じゅげむ』の練習をしている。
シューちゃん:政彦の孫の修一。どこでも寝っ転がる(ころがる)。きたないスニーカーをはいている。スニーカーの側面にシューちゃんがペンで、ナイキのマークを書いている。ニセナイキのスニーカーである。
熊吉つぁん:本当の名前は千吉という、へんくつじいさん。じいさんはひよこを飼い始めた。ひよこをニワトリにして卵をとる。卵を産まなくなったら、殺して食べる。
熊吉つぁんは、40歳のときに、熊とばったり会って、柔道の一本背負いで、熊を投げた。熊は逃げ出した。それから、集落の人たちに熊吉と呼ばれるようになったそうです。
周囲からへんくつ者といわれているが、それは誤解で、人付き合いがにがてなだけだそうです。
熊吉つぁんが、熊とたたかったときのことが書いてあります。熊吉つぁんは、無我夢中だったそうです。
参考までにわたしが、以前読んだ本を紹介します。
『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』、感想メモの一部です。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
さきほども書きましたが、ベルトを振り回すのは有効です。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようです。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのことです。
話を戻します。こちらの本のもくじを見ると、章がみっつあります。
少ない章の数だと思いました。
1 『ひよことパインサイダー』を読み終えて、ああ、短編3本のつくりかと理解しました。
2 『じゅげむの夏』
3 『おばけのトチノキ』です。
『1 ひよことパインサイダー』
4年生の夏休みです。
わたしが小学4年生の時は、夏休み中に引っ越しと転校を体験しました。
そんな夏があったことを思い出しました。
物語の中の4人の少年の冒険先は、熊吉つぁんの家へ行くところです。
ドウダンツツジ:落葉低木。庭木や公園にある。
ひよこを飼う話が出ます。
熊吉つぁんが、ひよこを成長させて、ニワトリにして、卵とか鶏肉(とりにく)を食べるために買うのです。
ここで思い出した一冊があります。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』 以下、感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
また、話はこちらの本に戻ります。
少年たちも熊吉つぁんも心がやさしい。
38ページの熊吉つぁんの顔はこわいけれど、勝手に人の家に忍び込んだら、だれでもおこります。
『おめえはどこのだんじゃ?』→『おまえたちは、どこのだれだ?』
熊吉つぁんの家は、山で湧く清水(しみず)を利用しています。
半世紀ぐらい前、わたしがこどものころも、いなかでは、水道設備がまだ十分ではなく、井戸や山の湧き水を利用していました。つるべ式の井戸や、手押しポンプ式の井戸がありました。
熊吉つぁんは、4人の少年たちに、楽しく遊べと声をかけてくれました。熊吉つぁんは、心がやさしい。井戸で冷えたパインサイダーをこどもたちにごちそうしてくれました。
『2 じゅげむの夏』
7月31日。自転車に乗っての冒険・探検です。
浮き輪持参です。川で泳ぎます。川の水はきれいで、鮎(あゆ)もいます。
ときおり筋ジストロフィー症の落語家志望かっちゃんが、落語話(らくごばなし)じゅげむの長ったらしい名前をとなえます。
『じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの、すいぎょまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やうらこうじのぶらこうじ、パイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーの、ポンポコナーの、ちょうきゅうめいの、ちょうすけ』(自分がこどものころに、本で、この話を読んだことを思い出しました)
小学3年生とか4年生、この年頃のこどもたちは、ギャグのような文章を言っておもしろがります。
うちの小学生の孫たちがときおりくりかえして言っている言葉があるので、ここに落としてみます。
『ごめんごめん いったんごめん』、それから、『ゴーケツ、ゴーケツ、カンゼンムケツのダイシュウケツ』(わたしには、意味はわかりません。マンガが関係しているようです)
こどもは遊ぶのが仕事です。遊びながら、社会を学びます。
さし絵がおもしろい。なんまいかありますが、どれも雰囲気があって楽しめます。
小学生のときの思い出がいっぱいです。
天神橋からの飛込み:岐阜県郡上八幡市での吉田川への飛込みを思い浮かべます。夏の風物詩です。
筋ジストロフィー症のかっちゃんも川に飛び込みたい。
本人はやる気です。
出川哲朗さんの、『ヤバイよ、ヤバイよ』が出ます。
飛んだーーー
70・71ページ、見開き2ページに、かっちゃんのジャンプシーンの絵があります。
ダイナミックです。
ドボーン!
大成功でした。安堵(あんど。安心)しました。
かっちゃん『いいなあ。今年の夏はいいなあ』
ふつう、小学四年生だったら、そこから先の人生は長い。
だけど、筋ジストロフィー症のかっちゃんは、そうではないかもしれない。
1リットルの涙という本を思い出しました。動けていたのに、だんだん動けなくなってしまうのです。
『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』、感想メモの一部です。
体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.(ドクター。医師)に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。(日記を書いていたご本人は、脊髄小脳変性症という病気で、25歳で亡くなっています)
『おばけトチノキ』
こちらも一冊思い出す本があります。
『怪物はささやく パトリック・ネス あすなろ書房』、感想メモの一部です。
主人公コナー・オマリーは書中で13才とありますが、読んでいる本の途中では小学校5年生ぐらいの男子です。
コナーの両親は6年前に離婚しています。そして今、同居している母親は末期癌で死につつあります。コナーとおかあさん、そしてかれらと別居のおばあさんはイギリスで生活しています。コナーは学校でいじめに遭っています。
コナーの心理状態は精神病の症状のようです。幻覚が見えます。幻聴も聞こえます。家の外にある「イチイの木」がしゃべったり歩いたりするのです。そして、イチイの木は怪物です。イチイの木がどんな木か知らなかったので調べてみました。別名「アララギ」、なんだか聞いたことがあります。常緑針葉樹、高さ20mぐらい。コナーは常に恐怖感を抱いている。(この小説はその後、映画化されています)
さて、こちらは明るい少年4人組です。
いかずち山のトチノキ=おばけトチノキ。いかずち山の棚田の上にある。
むかし、トチノキが村を救ったそうです。冷害があったときに、トチの実が村人の食料になったそうです。トチの実は、見た目が栗に似ています。
話ははずれますが、シューちゃんはたいていドラえもんのコミック本をねっころがって読んでいます。
うちもドラえもんのコミック本全巻を手に入れて、孫たちが楽しみに読んでいます。
ドラえもんの未来の道具は多種多様で驚かされます。
作者の藤子・F・不二雄さん(藤本弘さん)はたいしたものです。
屁八十のばっちゃん(へはちじゅうのばっちゃん):いまどきは、おならのことを屁(へ)とは言わなくなりました。昔はよく、へをこいたとか、へをしたとか言ったり聞いたりしましたが、屁という言葉をいまではほとんど聞かなくなりました。上品な社会になったのでしょう。
『生栗ひとつ、屁八十』と、シューちゃんのひいばあさんがこどもたちに教えたそうです。
『バカウケ』という言葉も出てきました。思い出すに、欽ちゃん(きんちゃん)こと萩本欽一さんが、欽ドン(欽ちゃんのドンといってみよう)というラジオ番組で、視聴者からのコントが書いてあるハガキを読み上げて、評価としての、『バカウケ、ヤヤウケ、ドッチらけ』、という格付けからきている言葉なのでしょう。
昭和40年代ぐらいのころのことでした。
『ドロドロドロは、ゆうれいだよ』
(最近は、幽霊が、ドロドロドロと出てくるという表現もしなくなりました)
おばけトチノキは、樹齢が千年。
今年2024年の1000年前は、1024年です。
NHK大河ドラマ、『光る君へ』みたいですが、清少納言の枕草子ができたのが1001年、紫式部の源氏物語ができたのが1007年ですから、おばけトチノキが芽を出した時代は平安時代ですな。ドラマに出てくる柄本佑(えもと・たすく)さんの藤原道長の寿命が、966年~1028年でした。
棚田のというのは、一般的に、景観が美しい風景の観光地というイメージがあるのですが、わたしはそうは感じません。昔の人たちの、『貧困』の象徴だと思っています。
土地がなかったから棚田形式で田んぼをつくって稲を育てて米を手に入れた。
棚田の上にまいた肥料は、雨風の自然現象で棚田の下に流れるから、下のたんぼのほうがいい米がとれた。下の者は裕福で、上のものはそうではなく、上の土地の耕作のほうが、下の土地の耕作よりもつらかった。そんな文章を読んだことがあります。『飢餓海峡(きがかいきょう) 上下巻 水上勉(みずかみつとむ) 新潮文庫』だったという記憶です。
棚田の上まで行くのに、筋ジストロフィーのかっちゃんは、体が不自由です。車いすで行くのは無理そうです。
ドラえもんのどこでもドアがあればいいのにねとシューちゃんが言います。
発想として、『ねこ』が登場します。建築工事現場などで使う一輪車のことを、『ねこ』といいます。なぜねこというのかは、わたしにはわかりませんが、わたしは高校生の頃、学校の長期休み中に、建築現場で肉体労働をしていました。その時の作業で使っていました。おもに生コンクリート(なまコンクリート)を入れて運んでいました。
その『ねこ』に筋ジストロフィーのかっちゃんをのせて、山の上まで、ほかの三人で運んで行くのです。いいアイデアです。
小学4年生というのは、体はまだ大きくもありません。いろいろなつかしい思い出がいつまでも残る年齢です。とくに男子にとっては、冒険心が燃え上がる年齢です。がんばれーー
バケット:三輪車である『ねこ』の物を入れる容器部分(皿、さら)。
山の上ですから、行きは登りでたいへんですが、帰りは下り坂です。ころばぬように気をつけてね。
97ページのこどもたちの絵からは、こどもたちによる、協力とか、無邪気とか、おもしろいこととか、笑えることに挑戦する気持ちが伝わってきます。
『ねこ』がひっくりかえって、筋ジストロフィーのかっちゃんがほおりだされませすが、かっちゃんは、よつんばいになって、ハイハイしながら、おーれは、不死身だとアピールします。
かっちゃんの不自由な体のことについて、胸が詰まる(つまる)ほかのメンバーたちです。
ただ、じっくり考えてみてください。
人間は歳をとるとたいてい、かっちゃんみたいな体になるのです。ころんで倒れて骨折して立って歩けなくなってやがて寝たきりになってあの世へ行くのです。
若い頃、どんなにスポーツマンでかっこよくても、男でも女でもそうなるのです。
物語全体の冒険は、洋画、『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて)』パターンです。
将来の夢について語り合う4人です。今はまだ全員10歳です。
大村勝利(おおむら・かつとし。かっちゃん):落語家、医学者、宇宙飛行士、歌手、画家
山本大輔(やまもと・だいすけ):冒険家
鈴木修一(すずき・しゅういち):世界中の大地に寝る人(寝っ転がる人)
細谷明(ほそや・あきら):橋をかける人
小学4年生のメンバーです。小学校の夏休み前の時期で、場所は天神集落です。雨傘川(あまがさがわ)が流れています。川には、天神橋がかかっています。天神橋を右に回ると、筋ジストロフィーという病気にかかっているかっちゃんの家があります。
4人の少年たちが、ひと夏の冒険をします。
アキラ:誠蔵の孫の明。『ぼく』という一人称で、この物語を引っ張っていきます。ぼくのひとり語りのお話です。
山ちゃん:喜一郎の孫の大輔(だいすけ)。両すねに、けがをしたあとにできた血のかさぶたがあります。用水路をとびこそうとして失敗して、けがをしたのです。
かっちゃん:筋ジストロフィーという病気です。筋肉が動かなくなってやがて動けなくなる病気です。保育園だった時はふつうだった。
今は、ひっくりかえりそうになるぐらい体を左右にふって歩く。松葉づえや車いすを使うこともある。かっちゃんの家の部屋が、4人の少年のたまり場になっている。かっちゃんは、将来、落語家になりたい。落語の演目(えんもく)である、『じゅげむ』の練習をしている。
シューちゃん:政彦の孫の修一。どこでも寝っ転がる(ころがる)。きたないスニーカーをはいている。スニーカーの側面にシューちゃんがペンで、ナイキのマークを書いている。ニセナイキのスニーカーである。
熊吉つぁん:本当の名前は千吉という、へんくつじいさん。じいさんはひよこを飼い始めた。ひよこをニワトリにして卵をとる。卵を産まなくなったら、殺して食べる。
熊吉つぁんは、40歳のときに、熊とばったり会って、柔道の一本背負いで、熊を投げた。熊は逃げ出した。それから、集落の人たちに熊吉と呼ばれるようになったそうです。
周囲からへんくつ者といわれているが、それは誤解で、人付き合いがにがてなだけだそうです。
熊吉つぁんが、熊とたたかったときのことが書いてあります。熊吉つぁんは、無我夢中だったそうです。
参考までにわたしが、以前読んだ本を紹介します。
『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』、感想メモの一部です。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
さきほども書きましたが、ベルトを振り回すのは有効です。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようです。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのことです。
話を戻します。こちらの本のもくじを見ると、章がみっつあります。
少ない章の数だと思いました。
1 『ひよことパインサイダー』を読み終えて、ああ、短編3本のつくりかと理解しました。
2 『じゅげむの夏』
3 『おばけのトチノキ』です。
『1 ひよことパインサイダー』
4年生の夏休みです。
わたしが小学4年生の時は、夏休み中に引っ越しと転校を体験しました。
そんな夏があったことを思い出しました。
物語の中の4人の少年の冒険先は、熊吉つぁんの家へ行くところです。
ドウダンツツジ:落葉低木。庭木や公園にある。
ひよこを飼う話が出ます。
熊吉つぁんが、ひよこを成長させて、ニワトリにして、卵とか鶏肉(とりにく)を食べるために買うのです。
ここで思い出した一冊があります。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』 以下、感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
また、話はこちらの本に戻ります。
少年たちも熊吉つぁんも心がやさしい。
38ページの熊吉つぁんの顔はこわいけれど、勝手に人の家に忍び込んだら、だれでもおこります。
『おめえはどこのだんじゃ?』→『おまえたちは、どこのだれだ?』
熊吉つぁんの家は、山で湧く清水(しみず)を利用しています。
半世紀ぐらい前、わたしがこどものころも、いなかでは、水道設備がまだ十分ではなく、井戸や山の湧き水を利用していました。つるべ式の井戸や、手押しポンプ式の井戸がありました。
熊吉つぁんは、4人の少年たちに、楽しく遊べと声をかけてくれました。熊吉つぁんは、心がやさしい。井戸で冷えたパインサイダーをこどもたちにごちそうしてくれました。
『2 じゅげむの夏』
7月31日。自転車に乗っての冒険・探検です。
浮き輪持参です。川で泳ぎます。川の水はきれいで、鮎(あゆ)もいます。
ときおり筋ジストロフィー症の落語家志望かっちゃんが、落語話(らくごばなし)じゅげむの長ったらしい名前をとなえます。
『じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの、すいぎょまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やうらこうじのぶらこうじ、パイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーの、ポンポコナーの、ちょうきゅうめいの、ちょうすけ』(自分がこどものころに、本で、この話を読んだことを思い出しました)
小学3年生とか4年生、この年頃のこどもたちは、ギャグのような文章を言っておもしろがります。
うちの小学生の孫たちがときおりくりかえして言っている言葉があるので、ここに落としてみます。
『ごめんごめん いったんごめん』、それから、『ゴーケツ、ゴーケツ、カンゼンムケツのダイシュウケツ』(わたしには、意味はわかりません。マンガが関係しているようです)
こどもは遊ぶのが仕事です。遊びながら、社会を学びます。
さし絵がおもしろい。なんまいかありますが、どれも雰囲気があって楽しめます。
小学生のときの思い出がいっぱいです。
天神橋からの飛込み:岐阜県郡上八幡市での吉田川への飛込みを思い浮かべます。夏の風物詩です。
筋ジストロフィー症のかっちゃんも川に飛び込みたい。
本人はやる気です。
出川哲朗さんの、『ヤバイよ、ヤバイよ』が出ます。
飛んだーーー
70・71ページ、見開き2ページに、かっちゃんのジャンプシーンの絵があります。
ダイナミックです。
ドボーン!
大成功でした。安堵(あんど。安心)しました。
かっちゃん『いいなあ。今年の夏はいいなあ』
ふつう、小学四年生だったら、そこから先の人生は長い。
だけど、筋ジストロフィー症のかっちゃんは、そうではないかもしれない。
1リットルの涙という本を思い出しました。動けていたのに、だんだん動けなくなってしまうのです。
『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』、感想メモの一部です。
体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.(ドクター。医師)に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。(日記を書いていたご本人は、脊髄小脳変性症という病気で、25歳で亡くなっています)
『おばけトチノキ』
こちらも一冊思い出す本があります。
『怪物はささやく パトリック・ネス あすなろ書房』、感想メモの一部です。
主人公コナー・オマリーは書中で13才とありますが、読んでいる本の途中では小学校5年生ぐらいの男子です。
コナーの両親は6年前に離婚しています。そして今、同居している母親は末期癌で死につつあります。コナーとおかあさん、そしてかれらと別居のおばあさんはイギリスで生活しています。コナーは学校でいじめに遭っています。
コナーの心理状態は精神病の症状のようです。幻覚が見えます。幻聴も聞こえます。家の外にある「イチイの木」がしゃべったり歩いたりするのです。そして、イチイの木は怪物です。イチイの木がどんな木か知らなかったので調べてみました。別名「アララギ」、なんだか聞いたことがあります。常緑針葉樹、高さ20mぐらい。コナーは常に恐怖感を抱いている。(この小説はその後、映画化されています)
さて、こちらは明るい少年4人組です。
いかずち山のトチノキ=おばけトチノキ。いかずち山の棚田の上にある。
むかし、トチノキが村を救ったそうです。冷害があったときに、トチの実が村人の食料になったそうです。トチの実は、見た目が栗に似ています。
話ははずれますが、シューちゃんはたいていドラえもんのコミック本をねっころがって読んでいます。
うちもドラえもんのコミック本全巻を手に入れて、孫たちが楽しみに読んでいます。
ドラえもんの未来の道具は多種多様で驚かされます。
作者の藤子・F・不二雄さん(藤本弘さん)はたいしたものです。
屁八十のばっちゃん(へはちじゅうのばっちゃん):いまどきは、おならのことを屁(へ)とは言わなくなりました。昔はよく、へをこいたとか、へをしたとか言ったり聞いたりしましたが、屁という言葉をいまではほとんど聞かなくなりました。上品な社会になったのでしょう。
『生栗ひとつ、屁八十』と、シューちゃんのひいばあさんがこどもたちに教えたそうです。
『バカウケ』という言葉も出てきました。思い出すに、欽ちゃん(きんちゃん)こと萩本欽一さんが、欽ドン(欽ちゃんのドンといってみよう)というラジオ番組で、視聴者からのコントが書いてあるハガキを読み上げて、評価としての、『バカウケ、ヤヤウケ、ドッチらけ』、という格付けからきている言葉なのでしょう。
昭和40年代ぐらいのころのことでした。
『ドロドロドロは、ゆうれいだよ』
(最近は、幽霊が、ドロドロドロと出てくるという表現もしなくなりました)
おばけトチノキは、樹齢が千年。
今年2024年の1000年前は、1024年です。
NHK大河ドラマ、『光る君へ』みたいですが、清少納言の枕草子ができたのが1001年、紫式部の源氏物語ができたのが1007年ですから、おばけトチノキが芽を出した時代は平安時代ですな。ドラマに出てくる柄本佑(えもと・たすく)さんの藤原道長の寿命が、966年~1028年でした。
棚田のというのは、一般的に、景観が美しい風景の観光地というイメージがあるのですが、わたしはそうは感じません。昔の人たちの、『貧困』の象徴だと思っています。
土地がなかったから棚田形式で田んぼをつくって稲を育てて米を手に入れた。
棚田の上にまいた肥料は、雨風の自然現象で棚田の下に流れるから、下のたんぼのほうがいい米がとれた。下の者は裕福で、上のものはそうではなく、上の土地の耕作のほうが、下の土地の耕作よりもつらかった。そんな文章を読んだことがあります。『飢餓海峡(きがかいきょう) 上下巻 水上勉(みずかみつとむ) 新潮文庫』だったという記憶です。
棚田の上まで行くのに、筋ジストロフィーのかっちゃんは、体が不自由です。車いすで行くのは無理そうです。
ドラえもんのどこでもドアがあればいいのにねとシューちゃんが言います。
発想として、『ねこ』が登場します。建築工事現場などで使う一輪車のことを、『ねこ』といいます。なぜねこというのかは、わたしにはわかりませんが、わたしは高校生の頃、学校の長期休み中に、建築現場で肉体労働をしていました。その時の作業で使っていました。おもに生コンクリート(なまコンクリート)を入れて運んでいました。
その『ねこ』に筋ジストロフィーのかっちゃんをのせて、山の上まで、ほかの三人で運んで行くのです。いいアイデアです。
小学4年生というのは、体はまだ大きくもありません。いろいろなつかしい思い出がいつまでも残る年齢です。とくに男子にとっては、冒険心が燃え上がる年齢です。がんばれーー
バケット:三輪車である『ねこ』の物を入れる容器部分(皿、さら)。
山の上ですから、行きは登りでたいへんですが、帰りは下り坂です。ころばぬように気をつけてね。
97ページのこどもたちの絵からは、こどもたちによる、協力とか、無邪気とか、おもしろいこととか、笑えることに挑戦する気持ちが伝わってきます。
『ねこ』がひっくりかえって、筋ジストロフィーのかっちゃんがほおりだされませすが、かっちゃんは、よつんばいになって、ハイハイしながら、おーれは、不死身だとアピールします。
かっちゃんの不自由な体のことについて、胸が詰まる(つまる)ほかのメンバーたちです。
ただ、じっくり考えてみてください。
人間は歳をとるとたいてい、かっちゃんみたいな体になるのです。ころんで倒れて骨折して立って歩けなくなってやがて寝たきりになってあの世へ行くのです。
若い頃、どんなにスポーツマンでかっこよくても、男でも女でもそうなるのです。
物語全体の冒険は、洋画、『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて)』パターンです。
将来の夢について語り合う4人です。今はまだ全員10歳です。
大村勝利(おおむら・かつとし。かっちゃん):落語家、医学者、宇宙飛行士、歌手、画家
山本大輔(やまもと・だいすけ):冒険家
鈴木修一(すずき・しゅういち):世界中の大地に寝る人(寝っ転がる人)
細谷明(ほそや・あきら):橋をかける人
2024年06月21日
いつかの約束1945 山本悦子・作 平澤朋子・絵
いつかの約束1945 山本悦子・作 平澤朋子・絵 岩崎書店
『1945』は、西暦1945年で、昭和20年のことでしょう。
第二次世界大戦終戦の年です。日本が欧米を中心とした連合国軍に負けた年です。
いろいろありました。
わたしたちの上の世代は、とても苦労されました。
一部の権力者たちが暴走したために、多数の国民の命が犠牲になりました。
独裁国家反対です。
本の帯に、『あたし、いろんな人のひとりになる』と書いてあります。
どういうことだろう。
あたしが、いろんな人、ひとりひとりにのりうつるのだろうか。(憑依(ひょうい)です。青森県恐山(おそれざん)のイタコみたいです。(これから本を読み始めます。読んでみないとわかりません。読みながら感想をつぎたしていきます)
『1』、から、『9』までの章になっています。
目次を読むと、まいごのおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは、どこに行ってしまったのだろう? でしょう。
すずちゃんというのは、おばあちゃんのお名前でしょう。たぶん。
すずちゃんおばあちゃんが、若い時にもどるようです。
そして最後に、だれかとだれかがした約束が披露されるのでしょう。(ひろう:公表すること)
さて、読み始めます。
みく:麦わら帽子をかぶっている。みくのひいおばあちゃんが介護施設に入所している。(82ページにみくのお父さんはパイロットと書いてあります。わたしは、飛行場のそばにあるホテルに泊まったときに、朝食会場で、パイロットという人は見たことがありますが、パイロットのこどもは見たことがありません)。
みくの家族は、13階建てマンションの最上階に住んでいます。
ゆきな:野球帽をかぶっている。みくとゆきなは同級生の友だち。小学四年生ぐらいに見えます。(あとから73ページに書いてあって、3年2組、教室は校舎の二階であることがわかりました)
市立図書館があって、その向かいに時計屋があって、ふたつの間にある横断歩道のむこう、時計屋のそばに、88歳ぐらいの(たぶん認知症の)おばあさんである関根すずがいて、すずさんは、自称9歳で(自分で自分は9歳だと言う人です)、みくとゆきなは、関根すずを認知症だと思わずに、9歳のだれかと高齢者女性の心が、互いに体がぶつかったことが原因になって、入れ替わったのであろうと勘違いして、あれやこれや、たぶん戦争がらみの話に発展していくのだろうと思いながら読んでいるいまは71ページあたりです。
広島県尾道を舞台にした邦画、『転校生』パターンの勘違いですな。尾身としのりさんと小林聡美(こばやし・さとみ)さんの心が入れ替わる1982年(昭和57年)の映画でした。まだ結婚する前、奥さんと映画館で観ました。自分たちも含めて、俳優さんたちも歳をとりました。いい映画でした。男女の心が入れ替わって、お互いの苦労を知るのです。
そういえば、先日観た邦画、永野芽郁さん(ながのめいさん)主演の、『マイ・ブロークン・マリコ』で、尾身としのりさんが、アル中のDV(家庭内暴力)父を演じていました。暗い内容の映画でした。尾身くんも歳をとりました。がんばっています。
さて、最初のページに戻って感想を付け足します。
関根すずは、自分のことを、自分はおばあちゃんじゃない。自分は9歳と言います。
もうずいぶん昔、わたしが30歳なかばぐらいだった頃、そういうおじいさんを実際に見たことがあります。
外見はどう見ても80歳を超えているのに、ご自身は、自分の年齢を40歳と言っていた記憶です。わたしとそれほど年齢差がありません。冗談で言っているようすはなく、話をしていて、まあ、本人がそう言うのならそれでいいじゃないかという気持ちになったことを覚えています。
そのときは、その人とは短期間の付き合いで、どこかへ行かれてしまいました。本人はぼけていたのかなあ。よくわかりません。
その後、民族として、年齢にこだわるのは日本人ぐらいで、とくに東南アジアの人たちは、自分の生まれた年はわかるけれど、自分の誕生日は知らない人が多いと聞いて、そんなものなのかと世界の広さを知りました。
日本には、戸籍制度があるから生年月日にこだわれるということもあるのでしょう。外国のほとんどの国には戸籍はありません。外国には、日本でいうところの住民登録のようなものがあるだけだと聞きます。
みくもゆきなも小学生中学年だからか、『認知症』のことをほとんど知りません。『いろんなこと、わすれる病気なんでしょ?』、ぐらいしか知りません。
関根すずの住所は、『おいけのはた一丁目』だそうです。
昔あった住所で、現在は、町名変更とか、住居表示(街区と家に番号を付ける)がなされているかもしれません。
みくとゆきなのふたりは、誤解があるけれど、心は優しい。
関根すずを助けようとします。
話はややこしいけれど、9歳のときの関根すずを探すことになります。
おかっぱ(昔の表現):ヘアースタイルです。本では、『ボブ』と書いてあります。
『かっぱ』にこだわりがある作者です。
以前、こちらの作者さんの別の本を読んだことがあります。たしか、かっぱがからんでいました。
『がっこうかっぱのイケノオイ 山本悦子 童心社』
ブラジル人の男の子が、池にいる『カエル』のことを、日本語の発音がうまくできないせいなのか、『かっぱ』と言い、『イケノオイ』は、『池の匂い(におい)』ということで、カッパ(カエルのこと)の名前なのです。その本は、登校拒否を防ぐための本だった記憶です。作者は、こどもたちが、学校を好きになるようにという願いをこめて、この作品をつくりました。(そんなふうに、自分の読書メモが残っています)
『かっぱ、かっぱ、おかっぱすずちゃん』
駅が出てきます。
おばあさんの心と入れ替わった心をもつ9歳の女の子を探します。
読んでいて、絵本にあるその駅は、自分がまだ若かったころ、たまたま用事があって行ったことがある駅のことではなかろうかと思いました。
日本で一番古い駅舎と言われているそうです。愛知県半田市にある、『亀崎駅(かめざきえき)』です。
ほかの本で見たことがあります。絵本でした。
『でんしゃでいこう でんしゃでかえろう 間瀬なおかた ひさかたチャイルド』、次が、読んだ時の読書メモの一部です。
『うみのえき』の建物のモデルは、愛知県半田市にある、『亀崎駅』だそうです。わたしは、30年ぐらい前に用事があって何度か亀崎駅を利用しました。坂を下ったところにあった記憶です。まだ今も、木造のまま残っているらしくびっくりしました。
無人駅:半世紀以上前、わたしがこどもだったときには、無人駅というものはなかった記憶です。無人というのは、駅員がいない駅ということです。列車の運転手や車掌が切符を回収します。
老人クラブ:自主的な集まり。おおむね60歳以上がメンバー。
いろいろ勘定(かんじょう。計算)してみると、関根すずは、1936年(昭和11年)生まれで、2024年(令和6年)の今年、88歳になる計算です。
飲み物の自動販売機:昔はありませんでした。
アスファルト舗装(ほそう)の道路:これも昔はありませんでした。半世紀以上前、とくにいなかでは、道路面はまだ土でした。車自体が少なかった。自家用車をもつ人は少なかった。道は、こどもたちの遊び場でした。
路線バスは、土の上を走っていました。砂ぼこりが舞い上がっていました。
ぶうんちょうきゅう:武運長久。この言葉が、この物語の伏線になっていきます。(ふくせん:あとあと感動をうむしかけ(仕掛け))。戦時中の祈り。武人(ぶじん。兵士)としての命が長く続くこと。兵士としての役割を果たし続ける命が続くこと。勝利運があること。
同じ地域に何十年間も住んでいると、土地に、どのような建物が建っていたかの記憶が脳に残っています。
昔はあったけれど、今はもうなくなった建物があります。
そのあとに新しくできた建物が現在あります。
原野でなにもなかったところが、区画整理などで、道路や住宅や店舗やビルが密集する街になっているということもあります。
土地には、歴史があります。
七ツ木池(ななつぎいけ):読んでいてピンときたのですが、この池のモデルは、愛知県半田市にある、『七本木池』ではなかろうか。近くに用事があって、たまに車を運転してそばを通ります。
爆弾の話があります。
戦時中に空襲でたくさんの爆弾が落とされました。
まだ自分が十代後半だった頃、年配の人たちから聞いた話です。
『(まだ自分がこどものころ。10歳ぐらい)爆弾が空からどんどん落ちてくる中をぴょんぴょんはねながら逃げた記憶がある。火災が起きていた』
さらに別の人で、爆発しなかった爆弾がころがっていたので、家に持ち帰って庭に飾ったという人もいました。(今考えるとびっくりです。人間って、精神的に、たくましくて、強い面をもっています)
90ページに、戦後食糧難の時代に、野生の鳥や魚を食べた話が出ます。
たしかに、わたしが幼児、小学校低学年のときは、集落の人たちは、山にワナをかけて野鳥を捕って(とって)焼いて食べたりしていました。今はやっちゃいけないのでしょう。
戦後はみんなおなかをすかしていました。先日のNHK朝ドラ、『虎に翼』で、お弁当につめるごはんがないというような話をしていました。
ヤミ米の話です。ヤミ米(闇米):違法な取引で流通するお米のこと。たてまえとしては売買してはいけない米です。食糧管理法の規制がありました。
ヤミ米を手に入れてはいけないという法律を守った裁判官が、栄養失調で亡くなったという出来事がドラマ、『虎に翼』に出てきました。
たしか、わたしが中学生の時に、先生からそういうことがあったと教わった記憶が脳みそに残っています。
事実なのです。あのころ、戦争で中国や東南アジアの戦地に行って兵隊として戦った体験のある先生が、中学や高校に何人かおられて、戦時中のことや戦後まもなくのことを授業中に話されていました。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの話です。そうして、戦争はもうやっちゃいけないと教わりました。
広島市の平和公園にあるような銅像の絵が93ページにあります。わたしは、広島の平和公園には二度行ったことがあります。千羽鶴を上にかかげる、『原爆の子の像』を見たときには、胸にグッとくるものがありました。原爆で、たくさんのこどもさんたちが亡くなりました。犠牲者多数です。戦争においては、ひどいことをする人たちがいます。
以前読んだ反戦の本で、強く記憶に残った写真本があります。
『ヒロシマ 消えた家族 指田和(さしだ・かず 女性) ポプラ社』
おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。おかあさんが、フジエさん。英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、原子爆弾の投下(とうか)で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
ペットのネコのクロとイヌのニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。
さて、こちらの本に戻ります。
関根すずの体には、戦争、おそらく空襲のときにできたやけどの傷が残っています。
114ページ、『決めた。あたし、いろんな人になる』(関根すずの言葉)
『じゃあ、あたし、いろんな人のひとりになる!』
わたしは、その部分の表現がピンときません。
この部分では、関根すずの心は、自分が7歳のときの心になっています。
同一人物の過去と現在で完結している状態なので、ほかの人の心をもつということは、意味が異なるのではないかと感じるのです。
みくのマンションの前の道で、関根すずのひ孫が現れます。中学生女子です。
舞台は、時計屋→図書館→駅→小学校→七ツ池→みくの家(マンション)と移動してきました。
旧姓が、『関根』で、結婚して、現在は、『後藤すず』だそうです。
124ページの小学生女子3人の絵を見て、若さが輝いていたと気づくのは、歳をとってからだと思います。若い時は、若いことのありがたさに気づけません。歳をとると、若い時は良かったなとしみじみするのです。
昔は、『米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)』というものがありました。自分がこどものころに見たことがあります。1981年(昭和56年)に廃止されています。
戦後、お米は、配給制だったそうです。はいきゅう:家の家族の人数ごとに割り当てられた分のお米が支給された。
歴史をふりかえって、人間のおかした過ち(あやまち)を二度と繰り返さないように学ぶ。
されど、現実には、大昔から、戦争とか戦いの歴史は繰り返されています。
世代が入れ替われば、戦時中の苦労を知らない世代になって、また、戦争が起きます。それが人間のありようです。戦争になると、たいていは、体力が弱い者が犠牲になります。こどもや女性、年寄り、そして障害がある人たちです。敵の攻撃から逃げきれません。
物語では、後半のクライマックスになって、胸が熱くなるものがあります。
本のタイトル、『いつかの約束』は、絵のタイトルでもあるのです。
『1945』は、西暦1945年で、昭和20年のことでしょう。
第二次世界大戦終戦の年です。日本が欧米を中心とした連合国軍に負けた年です。
いろいろありました。
わたしたちの上の世代は、とても苦労されました。
一部の権力者たちが暴走したために、多数の国民の命が犠牲になりました。
独裁国家反対です。
本の帯に、『あたし、いろんな人のひとりになる』と書いてあります。
どういうことだろう。
あたしが、いろんな人、ひとりひとりにのりうつるのだろうか。(憑依(ひょうい)です。青森県恐山(おそれざん)のイタコみたいです。(これから本を読み始めます。読んでみないとわかりません。読みながら感想をつぎたしていきます)
『1』、から、『9』までの章になっています。
目次を読むと、まいごのおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは、どこに行ってしまったのだろう? でしょう。
すずちゃんというのは、おばあちゃんのお名前でしょう。たぶん。
すずちゃんおばあちゃんが、若い時にもどるようです。
そして最後に、だれかとだれかがした約束が披露されるのでしょう。(ひろう:公表すること)
さて、読み始めます。
みく:麦わら帽子をかぶっている。みくのひいおばあちゃんが介護施設に入所している。(82ページにみくのお父さんはパイロットと書いてあります。わたしは、飛行場のそばにあるホテルに泊まったときに、朝食会場で、パイロットという人は見たことがありますが、パイロットのこどもは見たことがありません)。
みくの家族は、13階建てマンションの最上階に住んでいます。
ゆきな:野球帽をかぶっている。みくとゆきなは同級生の友だち。小学四年生ぐらいに見えます。(あとから73ページに書いてあって、3年2組、教室は校舎の二階であることがわかりました)
市立図書館があって、その向かいに時計屋があって、ふたつの間にある横断歩道のむこう、時計屋のそばに、88歳ぐらいの(たぶん認知症の)おばあさんである関根すずがいて、すずさんは、自称9歳で(自分で自分は9歳だと言う人です)、みくとゆきなは、関根すずを認知症だと思わずに、9歳のだれかと高齢者女性の心が、互いに体がぶつかったことが原因になって、入れ替わったのであろうと勘違いして、あれやこれや、たぶん戦争がらみの話に発展していくのだろうと思いながら読んでいるいまは71ページあたりです。
広島県尾道を舞台にした邦画、『転校生』パターンの勘違いですな。尾身としのりさんと小林聡美(こばやし・さとみ)さんの心が入れ替わる1982年(昭和57年)の映画でした。まだ結婚する前、奥さんと映画館で観ました。自分たちも含めて、俳優さんたちも歳をとりました。いい映画でした。男女の心が入れ替わって、お互いの苦労を知るのです。
そういえば、先日観た邦画、永野芽郁さん(ながのめいさん)主演の、『マイ・ブロークン・マリコ』で、尾身としのりさんが、アル中のDV(家庭内暴力)父を演じていました。暗い内容の映画でした。尾身くんも歳をとりました。がんばっています。
さて、最初のページに戻って感想を付け足します。
関根すずは、自分のことを、自分はおばあちゃんじゃない。自分は9歳と言います。
もうずいぶん昔、わたしが30歳なかばぐらいだった頃、そういうおじいさんを実際に見たことがあります。
外見はどう見ても80歳を超えているのに、ご自身は、自分の年齢を40歳と言っていた記憶です。わたしとそれほど年齢差がありません。冗談で言っているようすはなく、話をしていて、まあ、本人がそう言うのならそれでいいじゃないかという気持ちになったことを覚えています。
そのときは、その人とは短期間の付き合いで、どこかへ行かれてしまいました。本人はぼけていたのかなあ。よくわかりません。
その後、民族として、年齢にこだわるのは日本人ぐらいで、とくに東南アジアの人たちは、自分の生まれた年はわかるけれど、自分の誕生日は知らない人が多いと聞いて、そんなものなのかと世界の広さを知りました。
日本には、戸籍制度があるから生年月日にこだわれるということもあるのでしょう。外国のほとんどの国には戸籍はありません。外国には、日本でいうところの住民登録のようなものがあるだけだと聞きます。
みくもゆきなも小学生中学年だからか、『認知症』のことをほとんど知りません。『いろんなこと、わすれる病気なんでしょ?』、ぐらいしか知りません。
関根すずの住所は、『おいけのはた一丁目』だそうです。
昔あった住所で、現在は、町名変更とか、住居表示(街区と家に番号を付ける)がなされているかもしれません。
みくとゆきなのふたりは、誤解があるけれど、心は優しい。
関根すずを助けようとします。
話はややこしいけれど、9歳のときの関根すずを探すことになります。
おかっぱ(昔の表現):ヘアースタイルです。本では、『ボブ』と書いてあります。
『かっぱ』にこだわりがある作者です。
以前、こちらの作者さんの別の本を読んだことがあります。たしか、かっぱがからんでいました。
『がっこうかっぱのイケノオイ 山本悦子 童心社』
ブラジル人の男の子が、池にいる『カエル』のことを、日本語の発音がうまくできないせいなのか、『かっぱ』と言い、『イケノオイ』は、『池の匂い(におい)』ということで、カッパ(カエルのこと)の名前なのです。その本は、登校拒否を防ぐための本だった記憶です。作者は、こどもたちが、学校を好きになるようにという願いをこめて、この作品をつくりました。(そんなふうに、自分の読書メモが残っています)
『かっぱ、かっぱ、おかっぱすずちゃん』
駅が出てきます。
おばあさんの心と入れ替わった心をもつ9歳の女の子を探します。
読んでいて、絵本にあるその駅は、自分がまだ若かったころ、たまたま用事があって行ったことがある駅のことではなかろうかと思いました。
日本で一番古い駅舎と言われているそうです。愛知県半田市にある、『亀崎駅(かめざきえき)』です。
ほかの本で見たことがあります。絵本でした。
『でんしゃでいこう でんしゃでかえろう 間瀬なおかた ひさかたチャイルド』、次が、読んだ時の読書メモの一部です。
『うみのえき』の建物のモデルは、愛知県半田市にある、『亀崎駅』だそうです。わたしは、30年ぐらい前に用事があって何度か亀崎駅を利用しました。坂を下ったところにあった記憶です。まだ今も、木造のまま残っているらしくびっくりしました。
無人駅:半世紀以上前、わたしがこどもだったときには、無人駅というものはなかった記憶です。無人というのは、駅員がいない駅ということです。列車の運転手や車掌が切符を回収します。
老人クラブ:自主的な集まり。おおむね60歳以上がメンバー。
いろいろ勘定(かんじょう。計算)してみると、関根すずは、1936年(昭和11年)生まれで、2024年(令和6年)の今年、88歳になる計算です。
飲み物の自動販売機:昔はありませんでした。
アスファルト舗装(ほそう)の道路:これも昔はありませんでした。半世紀以上前、とくにいなかでは、道路面はまだ土でした。車自体が少なかった。自家用車をもつ人は少なかった。道は、こどもたちの遊び場でした。
路線バスは、土の上を走っていました。砂ぼこりが舞い上がっていました。
ぶうんちょうきゅう:武運長久。この言葉が、この物語の伏線になっていきます。(ふくせん:あとあと感動をうむしかけ(仕掛け))。戦時中の祈り。武人(ぶじん。兵士)としての命が長く続くこと。兵士としての役割を果たし続ける命が続くこと。勝利運があること。
同じ地域に何十年間も住んでいると、土地に、どのような建物が建っていたかの記憶が脳に残っています。
昔はあったけれど、今はもうなくなった建物があります。
そのあとに新しくできた建物が現在あります。
原野でなにもなかったところが、区画整理などで、道路や住宅や店舗やビルが密集する街になっているということもあります。
土地には、歴史があります。
七ツ木池(ななつぎいけ):読んでいてピンときたのですが、この池のモデルは、愛知県半田市にある、『七本木池』ではなかろうか。近くに用事があって、たまに車を運転してそばを通ります。
爆弾の話があります。
戦時中に空襲でたくさんの爆弾が落とされました。
まだ自分が十代後半だった頃、年配の人たちから聞いた話です。
『(まだ自分がこどものころ。10歳ぐらい)爆弾が空からどんどん落ちてくる中をぴょんぴょんはねながら逃げた記憶がある。火災が起きていた』
さらに別の人で、爆発しなかった爆弾がころがっていたので、家に持ち帰って庭に飾ったという人もいました。(今考えるとびっくりです。人間って、精神的に、たくましくて、強い面をもっています)
90ページに、戦後食糧難の時代に、野生の鳥や魚を食べた話が出ます。
たしかに、わたしが幼児、小学校低学年のときは、集落の人たちは、山にワナをかけて野鳥を捕って(とって)焼いて食べたりしていました。今はやっちゃいけないのでしょう。
戦後はみんなおなかをすかしていました。先日のNHK朝ドラ、『虎に翼』で、お弁当につめるごはんがないというような話をしていました。
ヤミ米の話です。ヤミ米(闇米):違法な取引で流通するお米のこと。たてまえとしては売買してはいけない米です。食糧管理法の規制がありました。
ヤミ米を手に入れてはいけないという法律を守った裁判官が、栄養失調で亡くなったという出来事がドラマ、『虎に翼』に出てきました。
たしか、わたしが中学生の時に、先生からそういうことがあったと教わった記憶が脳みそに残っています。
事実なのです。あのころ、戦争で中国や東南アジアの戦地に行って兵隊として戦った体験のある先生が、中学や高校に何人かおられて、戦時中のことや戦後まもなくのことを授業中に話されていました。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの話です。そうして、戦争はもうやっちゃいけないと教わりました。
広島市の平和公園にあるような銅像の絵が93ページにあります。わたしは、広島の平和公園には二度行ったことがあります。千羽鶴を上にかかげる、『原爆の子の像』を見たときには、胸にグッとくるものがありました。原爆で、たくさんのこどもさんたちが亡くなりました。犠牲者多数です。戦争においては、ひどいことをする人たちがいます。
以前読んだ反戦の本で、強く記憶に残った写真本があります。
『ヒロシマ 消えた家族 指田和(さしだ・かず 女性) ポプラ社』
おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。おかあさんが、フジエさん。英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、原子爆弾の投下(とうか)で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
ペットのネコのクロとイヌのニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。
さて、こちらの本に戻ります。
関根すずの体には、戦争、おそらく空襲のときにできたやけどの傷が残っています。
114ページ、『決めた。あたし、いろんな人になる』(関根すずの言葉)
『じゃあ、あたし、いろんな人のひとりになる!』
わたしは、その部分の表現がピンときません。
この部分では、関根すずの心は、自分が7歳のときの心になっています。
同一人物の過去と現在で完結している状態なので、ほかの人の心をもつということは、意味が異なるのではないかと感じるのです。
みくのマンションの前の道で、関根すずのひ孫が現れます。中学生女子です。
舞台は、時計屋→図書館→駅→小学校→七ツ池→みくの家(マンション)と移動してきました。
旧姓が、『関根』で、結婚して、現在は、『後藤すず』だそうです。
124ページの小学生女子3人の絵を見て、若さが輝いていたと気づくのは、歳をとってからだと思います。若い時は、若いことのありがたさに気づけません。歳をとると、若い時は良かったなとしみじみするのです。
昔は、『米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)』というものがありました。自分がこどものころに見たことがあります。1981年(昭和56年)に廃止されています。
戦後、お米は、配給制だったそうです。はいきゅう:家の家族の人数ごとに割り当てられた分のお米が支給された。
歴史をふりかえって、人間のおかした過ち(あやまち)を二度と繰り返さないように学ぶ。
されど、現実には、大昔から、戦争とか戦いの歴史は繰り返されています。
世代が入れ替われば、戦時中の苦労を知らない世代になって、また、戦争が起きます。それが人間のありようです。戦争になると、たいていは、体力が弱い者が犠牲になります。こどもや女性、年寄り、そして障害がある人たちです。敵の攻撃から逃げきれません。
物語では、後半のクライマックスになって、胸が熱くなるものがあります。
本のタイトル、『いつかの約束』は、絵のタイトルでもあるのです。
2024年06月18日
聞いて聞いて! 音と耳のはなし
聞いて聞いて! 音と耳のはなし 高津修・遠藤義人 文 長崎訓子(ながさき・くにこ) 絵 福音館書店
こどもさん向けの絵本です。
何の話だろう。まず思う。何のお話が書いてあるのだろう。何のお話が始まるのだろう。
お部屋で、ひとりで、絵本を読んでいる少年の絵があります。そばには、時計とラジオと太鼓とワンちゃんがいます。窓の外には鳥が三羽飛んでいます。
ベビーベッドで寝ていたあかちゃんが、『ほぎゃー』と大きな声で泣き出しました。
ママがあわててあかちゃんに駆け寄ります。あかちゃんは、泣かないとめんどうをみてもらえません。めんどうをみてもらえないと、最悪死んじゃいます。だから、あかちゃんは、必死で泣きます。
少年は、あかちゃんの泣き声を聞いて、何か思いついたようです。
どうして、声が出るのかな。どうやったら、声が出るのかな。声という音が聞こえる仕組みはどうなっているのかな。
『のどの奥に「声帯」がある。「声帯」は2枚ある。息がのどを通る時に、声帯が震えて声が出る。』
(へーぇ。人間のからだって、うまくできている)
音=空気の振動
口から出た音を、耳が拾う。
耳は、空気の振動をキャッチする。
鼓膜(こまく)→耳小骨(じしょうこつ。3つの骨。振動が大きくなる)→蝸牛(かぎゅう。振動が電気信号をつくって、信号を脳に伝える)→脳が計算をして、何の音なのかを判断する。
スピーカーの構造みたいな話です。
耳鼻科(じびか)の勉強みたいです。
事例が列挙されます。
大太鼓、輪ゴム、電動鉛筆削り器、鼻をかむ動作など。
低い音、高い音、例示しながら説明があります。
ミンミンゼミは、おなかの中の膜を震わせて音を出すそうです。羽をこすり合わせて音を出していると勘違いしていました。
羽をすりあわせて音を出していたのは、コオロギのほうでした。
動物によって、聞こえる音の振動の範囲があるらしい。
人間:1秒間に、20回から2万回の震え(振動)を聞き取れる。
ネズミ:1秒間に、5万回震える音で仲間に合図を送る。(ネコには、その音が聞こえる)
ネコ:1秒間に、7万回以上震える音がわかる。
イルカとコウモリ:1秒間に、10万回以上震える音がわかる。その音がはねかえってくる仕組みを利用して獲物をつかまえる。(すごいなあ)
クジラやゾウ:グーンと低い声で、離れたところにいる仲間に合図を送る。そういえば、クジラの出す音を素材にした小説作品がありました。
『52ヘルツのクジラたち 町田そのこ 中央公論新社』。クジラの声が表現するものが、人間の『孤独』でした。
ゾウ:1秒間に、10回から20回震える音でとても低い声を出すそうです。
小さなものが出す音は高くて、大きなものが出す音は低いそうな。
音を伝えるものとして、『空気』以外の紹介があります。
鉄のレール:たった1秒で、6km先まで音が届く。
川の水:音は、1秒間で1.5km進む。
空気:1秒間に、約340mしか進まない。6km先で上がった花火の音が聞こえるのは、18秒後になる。
光:1秒間で、30万km進む。(地球を7周半です)。絵本では、花火を例に説明があります。そういえば、雷の稲妻(いなづま)の光と、音の時差があります。ふとそう思いつきました。
100年以上前のフランスでのことが書いてあります。
当時は、ラジオもテレビもありません。
発明家クレマン・アデールが、電話の受話器を両耳に当てた。昔の受話器は、マイクのような形でした。両耳に当てて音を聴くと、リアルな音に聞こえた。(自分がその場所にいるような感じということです)。両方の耳に、電話の受話器を当ててその場の音を聴くと、ふたつの耳と脳が、リアルな光景を脳内に再現してくれる。これを、『ステレオ効果』というそうです。
脳の力はすごい。左右で聞こえた音のズレから、ステレオ効果をつくりだすそうです。
この絵本は、『音』の研究本です。
読みながら、毎週日曜日午前10時から熊太郎じいさんが聴いているNHKラジオ番組、『子ども科学電話相談』のコーナーを思い出しました。
こどもさんから、こういう音に関する質問もあるでしょう。
絵本では、いわゆる、『こだま(山でヤッホーというとヤッホーと自分の声が返ってくる)』の説明があります。発展して、音楽ホールで、合唱の声が反響することの説明があります。『ステレオ効果』の説明です。
熊太郎じいさんは、たまに夫婦でミュージカルを観に行くので、観に行ったときのステージを思い出しました。
胎児のことが書いてあります。(おなかの中にいるとき、あかちゃんは、お母さんの声を聞いている)
生まれてくると、まっしろな脳みそに、たくさんの情報が、順番に記録されていく。
きみたちの未来は明るいというような雰囲気で、絵本は終わっています。
絵本を読み終えて、いわゆる耳が聞こえない障害者の人たちの本を2冊思い出しました。参考までに、ここに落としておきます。
『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。
コーダ:耳が聞こえない・聞こえにくい親をもつこどものこと。
ふたりのお子さんをもつ、ろうのご両親のうちのパパが書いた本です。本の帯にあるメッセージは、『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。
もう一冊です。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。著者は、ろうあ者の両親のもとに生まれて、いつもひとりぼっちだったそうです。
本の中では、著者と、著者とは他人である聴覚障害者たちとの出会いがあります。手話と手話で話すのですが、言葉が通じると、心が通い合ったり、気持ちが通じ合ったりします。ステキなことです。
そして『……ぼくは決して孤独ではなかったのだ。』という自覚が芽生えます。(日本国内には推定2万2000人のコーダがいる)
耳が聴こえない人たちのお誕生日会があります。
あっぴーあーすでぃうーゆー:ハッピバースディトゥユー
拍手を表す手話:両手を上にあげてヒラヒラさせる。(音はしません)
ステキです。
本の中に、『第五章 母親との関係をやり直す』がありました。人生は、やり直すことができるのです。
こどもさん向けの絵本です。
何の話だろう。まず思う。何のお話が書いてあるのだろう。何のお話が始まるのだろう。
お部屋で、ひとりで、絵本を読んでいる少年の絵があります。そばには、時計とラジオと太鼓とワンちゃんがいます。窓の外には鳥が三羽飛んでいます。
ベビーベッドで寝ていたあかちゃんが、『ほぎゃー』と大きな声で泣き出しました。
ママがあわててあかちゃんに駆け寄ります。あかちゃんは、泣かないとめんどうをみてもらえません。めんどうをみてもらえないと、最悪死んじゃいます。だから、あかちゃんは、必死で泣きます。
少年は、あかちゃんの泣き声を聞いて、何か思いついたようです。
どうして、声が出るのかな。どうやったら、声が出るのかな。声という音が聞こえる仕組みはどうなっているのかな。
『のどの奥に「声帯」がある。「声帯」は2枚ある。息がのどを通る時に、声帯が震えて声が出る。』
(へーぇ。人間のからだって、うまくできている)
音=空気の振動
口から出た音を、耳が拾う。
耳は、空気の振動をキャッチする。
鼓膜(こまく)→耳小骨(じしょうこつ。3つの骨。振動が大きくなる)→蝸牛(かぎゅう。振動が電気信号をつくって、信号を脳に伝える)→脳が計算をして、何の音なのかを判断する。
スピーカーの構造みたいな話です。
耳鼻科(じびか)の勉強みたいです。
事例が列挙されます。
大太鼓、輪ゴム、電動鉛筆削り器、鼻をかむ動作など。
低い音、高い音、例示しながら説明があります。
ミンミンゼミは、おなかの中の膜を震わせて音を出すそうです。羽をこすり合わせて音を出していると勘違いしていました。
羽をすりあわせて音を出していたのは、コオロギのほうでした。
動物によって、聞こえる音の振動の範囲があるらしい。
人間:1秒間に、20回から2万回の震え(振動)を聞き取れる。
ネズミ:1秒間に、5万回震える音で仲間に合図を送る。(ネコには、その音が聞こえる)
ネコ:1秒間に、7万回以上震える音がわかる。
イルカとコウモリ:1秒間に、10万回以上震える音がわかる。その音がはねかえってくる仕組みを利用して獲物をつかまえる。(すごいなあ)
クジラやゾウ:グーンと低い声で、離れたところにいる仲間に合図を送る。そういえば、クジラの出す音を素材にした小説作品がありました。
『52ヘルツのクジラたち 町田そのこ 中央公論新社』。クジラの声が表現するものが、人間の『孤独』でした。
ゾウ:1秒間に、10回から20回震える音でとても低い声を出すそうです。
小さなものが出す音は高くて、大きなものが出す音は低いそうな。
音を伝えるものとして、『空気』以外の紹介があります。
鉄のレール:たった1秒で、6km先まで音が届く。
川の水:音は、1秒間で1.5km進む。
空気:1秒間に、約340mしか進まない。6km先で上がった花火の音が聞こえるのは、18秒後になる。
光:1秒間で、30万km進む。(地球を7周半です)。絵本では、花火を例に説明があります。そういえば、雷の稲妻(いなづま)の光と、音の時差があります。ふとそう思いつきました。
100年以上前のフランスでのことが書いてあります。
当時は、ラジオもテレビもありません。
発明家クレマン・アデールが、電話の受話器を両耳に当てた。昔の受話器は、マイクのような形でした。両耳に当てて音を聴くと、リアルな音に聞こえた。(自分がその場所にいるような感じということです)。両方の耳に、電話の受話器を当ててその場の音を聴くと、ふたつの耳と脳が、リアルな光景を脳内に再現してくれる。これを、『ステレオ効果』というそうです。
脳の力はすごい。左右で聞こえた音のズレから、ステレオ効果をつくりだすそうです。
この絵本は、『音』の研究本です。
読みながら、毎週日曜日午前10時から熊太郎じいさんが聴いているNHKラジオ番組、『子ども科学電話相談』のコーナーを思い出しました。
こどもさんから、こういう音に関する質問もあるでしょう。
絵本では、いわゆる、『こだま(山でヤッホーというとヤッホーと自分の声が返ってくる)』の説明があります。発展して、音楽ホールで、合唱の声が反響することの説明があります。『ステレオ効果』の説明です。
熊太郎じいさんは、たまに夫婦でミュージカルを観に行くので、観に行ったときのステージを思い出しました。
胎児のことが書いてあります。(おなかの中にいるとき、あかちゃんは、お母さんの声を聞いている)
生まれてくると、まっしろな脳みそに、たくさんの情報が、順番に記録されていく。
きみたちの未来は明るいというような雰囲気で、絵本は終わっています。
絵本を読み終えて、いわゆる耳が聞こえない障害者の人たちの本を2冊思い出しました。参考までに、ここに落としておきます。
『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。
コーダ:耳が聞こえない・聞こえにくい親をもつこどものこと。
ふたりのお子さんをもつ、ろうのご両親のうちのパパが書いた本です。本の帯にあるメッセージは、『毎日は、いつもおもしろい』です。0才と3才のこどもさんがおられます。
もう一冊です。
『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐内(いがらし・だい) 幻冬舎』
ろう(聾):聴力を失っている。耳が聞こえない。本の帯に『耳の聞こえない母が大嫌いだった。』と書いてあります。著者は、ろうあ者の両親のもとに生まれて、いつもひとりぼっちだったそうです。
本の中では、著者と、著者とは他人である聴覚障害者たちとの出会いがあります。手話と手話で話すのですが、言葉が通じると、心が通い合ったり、気持ちが通じ合ったりします。ステキなことです。
そして『……ぼくは決して孤独ではなかったのだ。』という自覚が芽生えます。(日本国内には推定2万2000人のコーダがいる)
耳が聴こえない人たちのお誕生日会があります。
あっぴーあーすでぃうーゆー:ハッピバースディトゥユー
拍手を表す手話:両手を上にあげてヒラヒラさせる。(音はしません)
ステキです。
本の中に、『第五章 母親との関係をやり直す』がありました。人生は、やり直すことができるのです。
2024年06月13日
集団就職 高度経済成長を支えた金の卵たち 澤宮優
集団就職 高度経済成長を支えた金の卵たち 澤宮優(さわみや・ゆう) 弦書房(げんしょぼう)
『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』を読んで、こちらの本につながりました。
物語の中の話ですが、宙(そら)わたる教室には、次のご夫婦が出てきます。おふたりとも集団就職の体験者です。
長嶺省造:定時制高校二年生。昭和23年生まれ。74歳。金属加工の会社を自営で経営していたが、70歳で会社経営を閉じた。子どもはふたりで、孫がいる。福島の常磐炭田(じょうばんたんでん)の炭鉱町で育った。炭鉱が斜陽化したためもあり、中卒で、集団就職で東京に来て町工場でがんばった。37歳で独立した。父親は10歳のときに炭鉱事故で亡くなった。
長嶺江美子:長嶺省造の妻。『じん肺(仕事中に大量の粉塵(ふんじん。ほこり、金属の粒(つぶ)などを長期間吸い込んで肺の組織が壊れた)』で現在は入院中。退院はいつになるのかわからない。学歴は中学卒業。青森から集団就職で上京して、タイル工場で10年間粉まみれで働いた。高校に行きたかった。
まず、パラパラとページを最後までめくってみました。
自分に記憶のある地名がいくつも出てきます。
熊本県八代市(やつしろし)、福岡県大牟田市(おおむたし)、熊本県天草(あまくさ)諸島、名古屋市、炭鉱の町、岐阜県多治見市虎渓山(こけいざん)、熊本県宇土半島(うとはんとう)、長崎、沖縄、愛知県瀬戸市……
貧困があります。生活保護の文字も見えます。
金の卵(きんのたまご)と言われて、都市部へ列車で送られた義務教育中学卒業の男女の皆さんは大変なご苦労をされました。
福岡にいたころ、自分の身近にも金の卵だった同級生の生徒がいました。
盆正月に帰省してくるのですが、ときに、帰省して、都市部の職場に戻らないこどもがいました。そういうこどものところには、都会の職場からお迎えのおとなが来ました。若い女性社員でした。説得されて、こどもはまた都会の職場へ連れて行かれます。
職場へ戻るときにこどもが父親に、『とおちゃんには、オレの気持ちはわからんだろ!』と激しく怒鳴っていたのを耳にしたことがありました。遠い昔の思い出です。そのとおちゃんは、もうこの世にはいないであろう年齢です。
53ページに、筆者が、岐阜県に集団就職した女性に取材を申し込んだら、『昔のことは思い出したくない』と言われたとあります。
それでもみんな、一生懸命生きてきた。
そんな時代に生まれて、そんな生活を送った男女がいました。
大手紡績会社、繊維会社、陶器会社、鉄鋼会社、自動車工場、大手スーパー、いろいろあります。寿司屋とか、床屋とかの、職人仕事もあります。
地方出身をばかにされた。
会社の寮暮らしです。事業所への住み込みもあります。邦画、『ALWAYS 三丁目の夕日』を思い出します。青森から集団就職列車に乗って東京へ出て来たという設定の堀北真希さんが熱演でした。『鈴木オート』という自動車屋で工員として働くのです。泣けました。
こちらの本では、定時制高校への通学話も出てきます。みんなが高校に行きたかった。でもお金がなくて高校に行けないこどもがたくさんいた時代です。
本の最後に年表があります。
1954年(昭和29年)青森-上野で、集団就職者専用臨時列車が走る。
1955年(昭和30年)熊本県天草諸島、福岡県、佐賀県、鹿児島奄美大島、長崎の中学卒業性が、関東、中京、阪神地区へ集団就職をした。
1956年(昭和31年)鹿児島から集団就職。
1957年(昭和32年)沖縄から集団就職。
1960年(昭和35年)都市部の高校進学率は、男子55.6%、女子54.2%。(地方の進学率はそれより低かった)
1977年(昭和52年)集団就職廃止。
最後のページまでめくって、この著者の方の本を以前読んだことがあることを思い出しました。
『昭和の消えた仕事図鑑 澤宮優(さわみや・ゆう) 原書房』以下は、そのときの感想メモの一部です。
図鑑なので、網羅する読み方ではなく、ポイントで目を落としていきます。職に盛衰(せいすい)があります。 歴史の流れのなかで、そのときどきで必要な職があります。
時間がかかる作業、たとえば、職人技が機械化されていきます。ドラマや映画になった職もあります。自分がこどものころ、かやぶき屋根をふき替える作業は見たことがあります。電話交換手は、代表電話でまだ残っている法人もあります。
山師(やまし。鉱脈を探す職の人)には会ったことはありませんが、山師の息子だった人には会ったことがあります。
半世紀前、子どもたちはたいてい貧しかった。二本の棒をさしたアイスキャンデーは、ひとつのキャンデーを半分に分けて食べられるようにしてあったと記述があります。
さて、集団就職の本の最初に戻って、もう一度目を通していきます。
目次にある単語などです。
炭鉱の町、京・阪神で働く(鉄鋼と紡績の街)、タイル職人、仕送り、鹿児島・島根、中京で働く(繊維と陶器と鉄鋼の町)、大手自動車工場、関東で働く、沖縄、定時制高校……
『序章 見送る人たち』
昭和時代に、経済の高度成長期がありました。
大都会の企業は、若い働き手がたくさん必要だった。
都市圏では高校進学率が進んだので、求人難だった。
地方の中学卒業生が集団で大都市圏に労働力として運ばれた。
各県と国鉄は、集団就職列車をつくった。
昭和29年、青森から622名が、東京上野まで、21時間かけて到着した。
集団就職者を、『金(きん)の卵』と呼んだ。
15歳で中学を卒業したこどもたちは、労働現場で苦労した。慣れない都会での孤独感、人生の悩み、労働条件の悪さ、都会の誘惑と挫折などがあった。
住んでいる土地によって移動手段が異なったりもします。鉄道に始まって、貸し切りバスでの長距離移動、離島であれば船です。
集団就職列車は、戦時中の赤紙が来た若い人たちが兵隊として赴任地へ送られる列車にも似ています。親子のつらい別れがあります。
企業は採用に当たって親にお金を払っています。人質のようでもあります。途中でこどもが仕事をやめたら、親はそのお金を企業に返さなければなりません。
こどもはたいてい親に仕送りをしています。ちゃんとした親は一円も使わずに貯めてくれて、こどもが結婚する時に、お祝いとして仕送りした以上の金額を子に渡しました。でもそんな親ばかりではありません。
教師たちは、こどもたちの就職先の職場を見に行きます。いろいろあります。みんながいろんなことをがまんしています。
つらい体験ばかりではなかったと思うのです。働いてお金をもらって、好きな食べ物を買って食べて、着たい服を買って着てという楽しみもありました。
集団就職を体験されたみなさんは、今はもう老齢期を迎えておられます。
あれはあれで良かったと思うしかありません。後悔しても、過去を変えることはできません。
いつだって、自分はいっしょうけんめいやったと思うしかありません。
国の政策にほんろうされる弱者である国民の姿があります。
競争社会の中で、力の弱い立場の者は、一部の富裕層の人間のために利用されます。
権力を握った人間が、自分たちのために国民を好きなように動かします。
カネ、カネ、カネの時代がありました。
タイル職人の話、長崎の話、母子家庭の話、生活保護の話、修学旅行に行くお金がなかった話、狭い部屋の住み込み仕事、庶民は、だれもかれもが貧乏です。
別の本を読んだ時に書いた文章をここにも落としてみます。
『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』
物語の中の定時制高校では、世代間の対立が、くっきりと出てきて、荒っぽい言動も出てくる表現になってきます。世代間衝突です。
老齢者は、いまどきの若いもんはと定時制高校に来ても勉強しない若い人たちを𠮟りつけ、若い人は、自分たちのことを何も知らないくせにうっとおしいと高齢者の世代を攻めます。
気づくのは、貧困という苦労はあったけれど、昭和時代の若い人には未来への夢があった。地方から出て来てがんばって、じっさいに経済的に豊かになった人が多い。ところが、今の若い人には、未来への夢がないということです。
社会制度とか社会秩序が変わりました。人口構成も大きく変化しました。
この部分を読んでいて思ったのは、昔は、たいてい、まわりにいるみんなが、同じように貧乏だった。
今は、貧富の差とか、学歴・学力の差が、極端に分かれてしまった。格差というのでしょう。
わたしが高校生の頃、大学進学にあたって、家が経済的に苦しい母子家庭だったので、日本育英会の奨学金を申請しました。審査のために面接があったのですが、今はどうか知りませんが、当時は集団面接で、面接会場に行ってみたら、同じ高校に通っている顔見知りの生徒がたくさんいて、なんだおまえもかという雰囲気になり、みんな貧乏なんだなあとお互いにお互いを思った次第です。あんな、頭が良くてかっこいい奴でも、家は貧乏なんだなあです。いいとこのボンボンなんていない田舎でした。
こちらの本に戻ります。
『昔のことは思い出したくない』
『ただ真面目なだけが取り柄で周囲の方々に助けて頂きながら一生懸命生きて来ただけです』。実感がこもっています。納得します。
中学を卒業して、鹿児島から列車で運ばれて来て、大阪の紡績会社で働く。知り合いもおらず心細い。高温の職場で、労働条件はきつい。何度泣いたかわからない。
新幹線はまだありません。蒸気機関車での長時間移動です。
根性です。努力と忍耐があれば、楽しい時もあります。独身寮ではイベントがあります。大手の会社には、社内に学園があって、いろいろ学習させてくれます。洋裁、和裁、編み物、生け花、礼儀作法など。嫁ぎ先で役に立った。
労働組合の仕事をすれば、読み書き計算を学べた。
昔は電話も十分なくて、手紙をたくさん書いた。
休みの日には、都会の街に出て娯楽を楽しみます。歌声喫茶に入る。
会社の人事担当者は、採用した少女たちの実家をたずねておやごさんにこどもさんの近況を伝えた。
父兄会で、オープンリール式のテープレコーダーだと思いますが、少女たちの録音した声を聞いてもらった。
人間的なつながりが濃厚な時代でした。
給料は安くて、仕事はきつくて、今どきのような個人情報がどうのこうのもなくて、プライバシーはさらけだしてみんながかたまって生活していました。
『第二章 中京(ちゅうきょう。名古屋地区を中心にした地域)で働く 繊維と陶器と鉄鋼の町』
知っている地名がたくさん出てきます。岐阜県多治見市内にある永保寺(えいほうじ)は、紅葉がとてもきれいなお寺さんです。愛知県尾張旭市にある森林公園は、こどもたちが小さい時によく遊びに連れていきました。熊本県宇土半島(うとはんとう)は、自分が中学生のときに何度か路線バスで通りました。
名古屋市公会堂のことも書いてあります。NHK朝ドラ、『虎に翼』の映像で、名古屋市公会堂がある鶴舞公園(つるまこうえん)の噴水塔が出てきます。
愛知県瀬戸市とか岐阜県多治見市に集団就職がらみで出て来た九州出身の人が多いとは、この本を読んで初めて知りました。
本のこの部分を読んでいて、中京地区に集団就職で出て来た方々はとても苦労されたことがわかります。苦労されて、安定した生活を築かれています。
金の卵の受け皿となったのが、中京工業地区とあります。愛知、岐阜、三重です。
製糸、紡績、繊維工業、毛織物工業、瀬戸市、常滑市、多治見市、土岐市、岐阜市、一宮市、窯業(ようぎょう)、陶磁器製造、鉄鋼業、石油化学工業、自動車工業など、製造業が盛んな地域です。
九州から来た人間はバカにされた。どうせ中学で勉強もしていないのだろう。(誤解があります。中学で成績が優秀だった人たちが学校から選ばれて来ています。経済的な事情で高校への進学ができなかった人たちです)
自分より成績の悪い子が高校に行くと聞いてくやしかったとあります。自分より成績の悪い子が大学に行くというくやしさもあります。
地元の人は、九州人は気が荒いからと嫌がるので、九州から出てきている同郷の相手と結婚したとあります。夫婦だったからがんばれたともあります。
15歳で出て来て、電話もなくて、外国に売り飛ばされる感じだったと話す熊本から来た女性がいます。
職業病として、肺疾患が紹介されます。有害なアスベストも仕事場にありました。
集団就職で来た人たちは、定時制高校に通う人が多い。
陶器の瀬戸焼は九州有田や天草(あまくさ)からきていることは、この本を読んで初めて知りました。
中学を出て、15歳で働き始めるから、女子には誘惑があります。
女子工員をへんな男たちが狙います。(ねらいます)
体目的の男たちを追い払うのがたいへんです。
女子たちを集めて性教育をします。望まない妊娠があってはいけません。堕胎(だたい)も関係してきます。きれいごとばかりをいってはおれません。現実的な対応が必要です。
岐阜県多治見市の住人は、北海道から鹿児島までの集団就職で来た人たちが多いということは初めて知りました。陶磁器や美濃焼タイルの産地です。
『第三章 関東で働く 京浜工業地帯(けいひんこうぎょうちたい)』
東北出身の集団就職者が多いが、九州沖縄からの就職者もいる。九州から名古屋をへて、東京で働くというパターンもある。
『中学を出たら就職することはあたりまえという感じだった……』鹿児島の方です。
学力があってもお金がなくて高校に行くのは無理です。
関東の電機メーカーに就職した。
当時、就職した土地に定時制高校はまだなかった。
女性ですからいろいろあります。仕事を辞めれば水商売です。
男からだまされることもあります。
女ともだちから、産婦人科に行くからあなたの保険証を貸してくれと言われて断ったことがあるそうです。
親の援助を受けることができなかったから自分でがんばる。
仕事場で連れて行ってくれるバス旅行が楽しみだった。
給料をもらってステレオを買ってレコードを聴くことが楽しみだった。
原子爆弾が落ちた長崎のことが出てきます。
戦争は悲惨です。原爆の犠牲になったご親族のことがリアルな描写で出てきます。戦争はしてはいけません。
権力をもつ独裁者たちは自分と自分の関係者以外の人間を、人間だと思っていません。
思うのは、肌の色で人種差別をする当時のアメリカ合衆国の白人たちは、黄色人種の日本人を人間とは思っていなかったのだろうということです。原爆を落とすという実験をしてみたかった。黄色人種の日本人を人体実験がわりのモルモットのように見ていた。
『社会保険制度があの時代はなかった……』病院にかかるときの保険証が国民皆保険(こくみんかいほけん。全員が保険に加入)としてまだなかった。国民健康保険のスタートは、1961年(昭和36年)です。
仕事は長時間労働です。とくに自動車製造のための単純作業の連続労働は発狂しそうなぐらいの苦痛を伴います。
東京上野の不忍池(しのばずのいけ)あたりの夕日の光景が、熊本県天草諸島で見る夕日の景色に似ていた。(天草西海岸は、どこにいてもたいていきれいな夕陽を見ることができます)
『境遇は選べないが、生き方は選ぶことができる』
生まれる場所と親は選べませんが、その後の人生をどう生きるかは自分で選ぶことができます。学校を出たら、自分の好きなところに住んで、好きな仕事をして、好きな人と結婚できます。
146ページまで読んできて思ったことです。
なんでも『集団』だった時代がありました。
昭和30年代から40年代、西暦だと、1955年代から1975年代ぐらいです。
さらに時代はさかのぼりますが、戦時中の『集団疎開(しゅうだんそかい。空襲からのがれるために田舎へ集まる』。昭和10年代後半です。昭和20年が終戦(1945年)。
明治、大正、昭和初期の軍国主義、軍事教育の名残が、『集団』という単語につながっていくと理解しました。
『集団就職』、『集団行動』、そして、『連帯責任』です。
個人を標準化して富国強兵(ふこくきょうへい。国の産業に従事させて、軍事力を強くする)のために管理監督するのです。
そして、『産めよ増やせよ』です。たくさんこどもをでかして、労働者として、そして軍人として国のために貢献してもらうのです。国家の上層部にいる人間のためではなく、国民全体のためという発想はあったかと思いますが、それがすべてでもなかったような気もします。
『第四章 僕らは南の島からやってきた』
鹿児島県の与論島、沖永良部島(おきのえらぶじま)、徳之島、奄美大島、種子島からの集団就職です。移動手段に船があります。郵便局の赤い自転車と白黒パトカーしか知らない中学卒業生たちを都会へ運びました。かれらにも将来の夢がありました。
沖縄県では、沖縄本島、宮古島、八重山諸島からの集団就職です。
14世紀なかごろに、沖縄には、北山、中山、南山の三国があった。
15世紀前半に、三国が統一されて、琉球王国が成立した。首里城が王の住む城だった。
江戸時代は、清と(しん。昔の中国)と江戸幕府の薩摩藩に属した。
明治時代に沖縄県になった。
第二次世界大戦後、沖縄県は、日本の主権からはずれた。
昭和28年(1953年)に鹿児島県の奄美諸島が日本に復帰した。
昭和46年(1971年)に沖縄県が日本に復帰した。(わたしがこどものころは、沖縄に行くためにはパスポートが必要でした)。沖縄はアメリカ合衆国の統治下にありました。
沖縄の集団就職者は本土の人間から差別を受けた。パスポートをとりあげる会社もあった。方言で苦労した。丸坊主にされた。刑務所帰りと誤解されて、警察によく呼び止められた。(ひどい差別行為をする人がいます。人間なのに、家畜同様の扱いです)
ナンクルナイサ:なんとかなるさ。
本土の都市部には、沖縄のような美しい自然がなかった。海は汚れていた。きれいな海がなつかしい。
高校野球で、沖縄県のチームは負けてばかりだった。最初に出場した高校が持ち帰った甲子園の思い出の土は、アメリカ統治下だったため、検疫(けんえき)にひっかかって、沖縄到着時に、海に捨てられたと書いてあります。みなさん、そうとうくやしい思いを体験されています。1999年(平成11年)春の大会で、沖縄尚学高校が甲子園で初優勝しています。
戦後沖縄では、日本円ではなく、米ドルで金銭の支払いをしていた。昭和46年(1971年)のこととして、まだ米ドルが使われていた。(昭和47年に沖縄は、日本に復帰しました)
こどもたちは、集団就職で本土に来て、日本円の価値がわからなかった。
また、沖縄の道路はアメリカ統治下ですから、車は右側通行だった。本土に来て、対向車線から来る車が怖かった。(こわかった)
そんな話が続きます。
本土では、バカ!とか、アホ!とか、ひどい言葉を浴びせられています。
自分のこととして、歳をとってみて、むかし自分に対して、ひどいことを言った人は、今、どこでどうしているのだろうかと思うことがあります。
たいていは、もう亡くなっています。自分が20代だったころに50代ぐらいだった人たちはもうこの世にはいません。
歳をとってみて、もう終わったのだなあと思います。
沖縄のみなさんは、苦労されました。
沖縄県の集団就職は、昭和51年(1976年)に終わったと書いてあります。
このときは、飛行機による移動だった。新卒239人が、飛行機に乗って、本土へ就職したそうです。
『第五章 年季奉公 封建的労働の名残り』
集団就職ではないけれど、中卒で、大きな農家で住み込みで働いた女性たちの話が書いてあります。
お金で売られていくような労働力です。最初に年間の契約金を親が受け取って、遠方の豪農の家へ行って働く。一年契約です。逃げ出せません。お金でしばられています。逃げれば親に迷惑がかかります。お金欲しさで、親が娘を身売りするようなものです。もらったお金は、親が漁師だから、漁をする道具を買ったり修理したりするお金に当てる。子だくさんだから、生活費にあてる。
ここでも、さきほどの沖縄同様に、人をばかにする人がいます。
『(熊本県の)天草(あまくさの人間は貧乏だから)は、いもばっかし食うとるんやろう』
どうして人は、人をばかにするのだろう。
ばかにすることで、優位な気持ちになって、いい気分になるのか。
言われた人は、心が傷つきます。
蒸気機関車の床に新聞紙を敷いて座って九州から大阪まで行った。
大阪で橋幸夫のコンサートに行った。とてもうれしかった。(NHK朝ドラの『あまちゃん』で、舞台は岩手県でしたが類似のシーンがありました)
『適職とか言うけれど、それはやってみないとわからないことですね……』(同感です。採用されてもすぐ会社をやめる新卒大学生は、最初から働く気がない人間なのです。自分には向いていないと感じられる仕事でも、やってみたら自分に合っていたということはあります)
『第六章 隔週定時制高校 織姫たちの青春』
昭和40年代(1965年代)です。定時制高校卒業までは4年間です。
繊維工場での二交代制勤務です。一週おきに変わります。
A組 朝5時~午後1時半までの勤務:午後3時~午後7時半 5限授業。
B組 午後1時半~午後10時までの勤務:水・木・金に、午前9時~午前11時半 3限授業。
当時の定時制高校教師女性からコメントがあります。
定時制高校には、『教える』、『学ぶ』の原点があった。
沖縄から来た生徒から、沖縄の実家には電気がきていないと言われた。
生徒たちは実家に仕送りをしていた。
卒業した生徒たちは、高卒資格を取得して、看護師になったり、短大や大学に進学したりした人もいた。
生徒思いの熱心な教師がたくさんいた。
193ページに、いい文章が書いてあります。(かがやき 貝塚隔定40年のあしあと)
『気性の激しい人、おとなしい人…… いろいろな人にめぐりあう…… それぞれの花が、それぞれの場所で、それぞれに美しく咲いている。コスモスが逆立ちしてもバラになれないように、どうあがいても、「私」は「貴方(あなた)」になれない。一人一人が自分の持ち味を、思い切り、咲かせればいいと思う』
195ページには、『まだ親と別れるのが悲しいという年齢でやって来て、いきなり働くことになるわけでしょう。もうしょっちゅう泣いていましたよ…… だから人と人の結びつきは凄かった(すごかった)と思いますよ』
大きな楽しみは修学旅行である。信州に行ったそうです。ほかには、東京ディズニーランドが修学旅行の行き先としてあって、三泊四日だったそうです。
長崎県の島原鉄道の話が出ます。旅番組では、海岸沿いを走る鉄道で、景色が美しいと、ときおり放送されます。
されど、この本では、島原鉄道で、中学を出たばかりのこどもたちが集団就職です。長崎駅から集団就職の列車に乗せられて大阪方面へ行きます。
思うに、学校というところは、コツコツ続けていれば、最後は卒業につながります。
期限がある苦労の期間です。永久に続くものではありません。人生において、学校は一時的な滞在地です。
『第七章 いま、働くことの意味を問う』
昭和三十年代から四十年代に集団就職でいなかの若い人たちが都市部に運ばれたから、今になっていなかが過疎化(かそか)してしまったということはあります。
当事者はもうリタイヤしている世代です。遠い思い出の出来事となっています。
『[付]集団就職とその時代』
福岡県の部分を読んでいてのことです。たまに福岡へ行くのですが、不思議な気分になることがあります。
福岡には、東京へ出て行って有名になられた人たちがたくさんおられます。
駅の近くに元首相の実家が残っていて(現在は会社が管理している)、道をへだてた先には、有名になった芸能人が通っていた高校があったりもします。でも、静かです。駅の周辺はさびれています。人材は、東京へ流れていきました。
250ページあたりまで読んで、すごいなという感想をもちました。
ち密な取材の成果がこの本になっています。
今年読んで良かった一冊になりました。
(その後、思ったこと)
自分がおとなになったときに、驚いたことがあります。
自分は、自分の両親の兄弟姉妹の人たち、(おじさんとかおばさんとか)を見て育って、兄弟姉妹というものは仲がいいものだと思いこんでいました。
でも、社会人になって体験を積んでいくと、必ずしもそうではない。むしろ、逆で、仲が良くない兄弟姉妹がけっこういるということがわかって、ちょっとしたショックでした。仲が悪い理由は、たいていが財産の取り合いでした。介護が必要な高齢の親のたらいまわしもあります。それから、相手を見下す(みくだす)気持ちでした。兄弟姉妹間で、『比較』があります。兄弟姉妹はライバルなのです。
わたしの叔父叔母たちは、兄弟姉妹の数がとても多い世代でした。
わたしの両親はふたりとも九州の人間で、この本に出てくる集団就職を体験された叔父叔母もおられます。みんな貧しかった。だからお互いに助け合っておられました。
上の兄弟姉妹を頼って、下の兄弟姉妹が都市部に出て行くというパターンがありました。仕事を探してもらって、アパートに泊めてもらって、自分の住む場所へ移るというやり方でした。お互いに助け合っておられました。
なんというか、兄弟姉妹間で対立する人生を送るということは、精神的にけっこうきついものがあります。そんなことを思いました。
『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』を読んで、こちらの本につながりました。
物語の中の話ですが、宙(そら)わたる教室には、次のご夫婦が出てきます。おふたりとも集団就職の体験者です。
長嶺省造:定時制高校二年生。昭和23年生まれ。74歳。金属加工の会社を自営で経営していたが、70歳で会社経営を閉じた。子どもはふたりで、孫がいる。福島の常磐炭田(じょうばんたんでん)の炭鉱町で育った。炭鉱が斜陽化したためもあり、中卒で、集団就職で東京に来て町工場でがんばった。37歳で独立した。父親は10歳のときに炭鉱事故で亡くなった。
長嶺江美子:長嶺省造の妻。『じん肺(仕事中に大量の粉塵(ふんじん。ほこり、金属の粒(つぶ)などを長期間吸い込んで肺の組織が壊れた)』で現在は入院中。退院はいつになるのかわからない。学歴は中学卒業。青森から集団就職で上京して、タイル工場で10年間粉まみれで働いた。高校に行きたかった。
まず、パラパラとページを最後までめくってみました。
自分に記憶のある地名がいくつも出てきます。
熊本県八代市(やつしろし)、福岡県大牟田市(おおむたし)、熊本県天草(あまくさ)諸島、名古屋市、炭鉱の町、岐阜県多治見市虎渓山(こけいざん)、熊本県宇土半島(うとはんとう)、長崎、沖縄、愛知県瀬戸市……
貧困があります。生活保護の文字も見えます。
金の卵(きんのたまご)と言われて、都市部へ列車で送られた義務教育中学卒業の男女の皆さんは大変なご苦労をされました。
福岡にいたころ、自分の身近にも金の卵だった同級生の生徒がいました。
盆正月に帰省してくるのですが、ときに、帰省して、都市部の職場に戻らないこどもがいました。そういうこどものところには、都会の職場からお迎えのおとなが来ました。若い女性社員でした。説得されて、こどもはまた都会の職場へ連れて行かれます。
職場へ戻るときにこどもが父親に、『とおちゃんには、オレの気持ちはわからんだろ!』と激しく怒鳴っていたのを耳にしたことがありました。遠い昔の思い出です。そのとおちゃんは、もうこの世にはいないであろう年齢です。
53ページに、筆者が、岐阜県に集団就職した女性に取材を申し込んだら、『昔のことは思い出したくない』と言われたとあります。
それでもみんな、一生懸命生きてきた。
そんな時代に生まれて、そんな生活を送った男女がいました。
大手紡績会社、繊維会社、陶器会社、鉄鋼会社、自動車工場、大手スーパー、いろいろあります。寿司屋とか、床屋とかの、職人仕事もあります。
地方出身をばかにされた。
会社の寮暮らしです。事業所への住み込みもあります。邦画、『ALWAYS 三丁目の夕日』を思い出します。青森から集団就職列車に乗って東京へ出て来たという設定の堀北真希さんが熱演でした。『鈴木オート』という自動車屋で工員として働くのです。泣けました。
こちらの本では、定時制高校への通学話も出てきます。みんなが高校に行きたかった。でもお金がなくて高校に行けないこどもがたくさんいた時代です。
本の最後に年表があります。
1954年(昭和29年)青森-上野で、集団就職者専用臨時列車が走る。
1955年(昭和30年)熊本県天草諸島、福岡県、佐賀県、鹿児島奄美大島、長崎の中学卒業性が、関東、中京、阪神地区へ集団就職をした。
1956年(昭和31年)鹿児島から集団就職。
1957年(昭和32年)沖縄から集団就職。
1960年(昭和35年)都市部の高校進学率は、男子55.6%、女子54.2%。(地方の進学率はそれより低かった)
1977年(昭和52年)集団就職廃止。
最後のページまでめくって、この著者の方の本を以前読んだことがあることを思い出しました。
『昭和の消えた仕事図鑑 澤宮優(さわみや・ゆう) 原書房』以下は、そのときの感想メモの一部です。
図鑑なので、網羅する読み方ではなく、ポイントで目を落としていきます。職に盛衰(せいすい)があります。 歴史の流れのなかで、そのときどきで必要な職があります。
時間がかかる作業、たとえば、職人技が機械化されていきます。ドラマや映画になった職もあります。自分がこどものころ、かやぶき屋根をふき替える作業は見たことがあります。電話交換手は、代表電話でまだ残っている法人もあります。
山師(やまし。鉱脈を探す職の人)には会ったことはありませんが、山師の息子だった人には会ったことがあります。
半世紀前、子どもたちはたいてい貧しかった。二本の棒をさしたアイスキャンデーは、ひとつのキャンデーを半分に分けて食べられるようにしてあったと記述があります。
さて、集団就職の本の最初に戻って、もう一度目を通していきます。
目次にある単語などです。
炭鉱の町、京・阪神で働く(鉄鋼と紡績の街)、タイル職人、仕送り、鹿児島・島根、中京で働く(繊維と陶器と鉄鋼の町)、大手自動車工場、関東で働く、沖縄、定時制高校……
『序章 見送る人たち』
昭和時代に、経済の高度成長期がありました。
大都会の企業は、若い働き手がたくさん必要だった。
都市圏では高校進学率が進んだので、求人難だった。
地方の中学卒業生が集団で大都市圏に労働力として運ばれた。
各県と国鉄は、集団就職列車をつくった。
昭和29年、青森から622名が、東京上野まで、21時間かけて到着した。
集団就職者を、『金(きん)の卵』と呼んだ。
15歳で中学を卒業したこどもたちは、労働現場で苦労した。慣れない都会での孤独感、人生の悩み、労働条件の悪さ、都会の誘惑と挫折などがあった。
住んでいる土地によって移動手段が異なったりもします。鉄道に始まって、貸し切りバスでの長距離移動、離島であれば船です。
集団就職列車は、戦時中の赤紙が来た若い人たちが兵隊として赴任地へ送られる列車にも似ています。親子のつらい別れがあります。
企業は採用に当たって親にお金を払っています。人質のようでもあります。途中でこどもが仕事をやめたら、親はそのお金を企業に返さなければなりません。
こどもはたいてい親に仕送りをしています。ちゃんとした親は一円も使わずに貯めてくれて、こどもが結婚する時に、お祝いとして仕送りした以上の金額を子に渡しました。でもそんな親ばかりではありません。
教師たちは、こどもたちの就職先の職場を見に行きます。いろいろあります。みんながいろんなことをがまんしています。
つらい体験ばかりではなかったと思うのです。働いてお金をもらって、好きな食べ物を買って食べて、着たい服を買って着てという楽しみもありました。
集団就職を体験されたみなさんは、今はもう老齢期を迎えておられます。
あれはあれで良かったと思うしかありません。後悔しても、過去を変えることはできません。
いつだって、自分はいっしょうけんめいやったと思うしかありません。
国の政策にほんろうされる弱者である国民の姿があります。
競争社会の中で、力の弱い立場の者は、一部の富裕層の人間のために利用されます。
権力を握った人間が、自分たちのために国民を好きなように動かします。
カネ、カネ、カネの時代がありました。
タイル職人の話、長崎の話、母子家庭の話、生活保護の話、修学旅行に行くお金がなかった話、狭い部屋の住み込み仕事、庶民は、だれもかれもが貧乏です。
別の本を読んだ時に書いた文章をここにも落としてみます。
『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』
物語の中の定時制高校では、世代間の対立が、くっきりと出てきて、荒っぽい言動も出てくる表現になってきます。世代間衝突です。
老齢者は、いまどきの若いもんはと定時制高校に来ても勉強しない若い人たちを𠮟りつけ、若い人は、自分たちのことを何も知らないくせにうっとおしいと高齢者の世代を攻めます。
気づくのは、貧困という苦労はあったけれど、昭和時代の若い人には未来への夢があった。地方から出て来てがんばって、じっさいに経済的に豊かになった人が多い。ところが、今の若い人には、未来への夢がないということです。
社会制度とか社会秩序が変わりました。人口構成も大きく変化しました。
この部分を読んでいて思ったのは、昔は、たいてい、まわりにいるみんなが、同じように貧乏だった。
今は、貧富の差とか、学歴・学力の差が、極端に分かれてしまった。格差というのでしょう。
わたしが高校生の頃、大学進学にあたって、家が経済的に苦しい母子家庭だったので、日本育英会の奨学金を申請しました。審査のために面接があったのですが、今はどうか知りませんが、当時は集団面接で、面接会場に行ってみたら、同じ高校に通っている顔見知りの生徒がたくさんいて、なんだおまえもかという雰囲気になり、みんな貧乏なんだなあとお互いにお互いを思った次第です。あんな、頭が良くてかっこいい奴でも、家は貧乏なんだなあです。いいとこのボンボンなんていない田舎でした。
こちらの本に戻ります。
『昔のことは思い出したくない』
『ただ真面目なだけが取り柄で周囲の方々に助けて頂きながら一生懸命生きて来ただけです』。実感がこもっています。納得します。
中学を卒業して、鹿児島から列車で運ばれて来て、大阪の紡績会社で働く。知り合いもおらず心細い。高温の職場で、労働条件はきつい。何度泣いたかわからない。
新幹線はまだありません。蒸気機関車での長時間移動です。
根性です。努力と忍耐があれば、楽しい時もあります。独身寮ではイベントがあります。大手の会社には、社内に学園があって、いろいろ学習させてくれます。洋裁、和裁、編み物、生け花、礼儀作法など。嫁ぎ先で役に立った。
労働組合の仕事をすれば、読み書き計算を学べた。
昔は電話も十分なくて、手紙をたくさん書いた。
休みの日には、都会の街に出て娯楽を楽しみます。歌声喫茶に入る。
会社の人事担当者は、採用した少女たちの実家をたずねておやごさんにこどもさんの近況を伝えた。
父兄会で、オープンリール式のテープレコーダーだと思いますが、少女たちの録音した声を聞いてもらった。
人間的なつながりが濃厚な時代でした。
給料は安くて、仕事はきつくて、今どきのような個人情報がどうのこうのもなくて、プライバシーはさらけだしてみんながかたまって生活していました。
『第二章 中京(ちゅうきょう。名古屋地区を中心にした地域)で働く 繊維と陶器と鉄鋼の町』
知っている地名がたくさん出てきます。岐阜県多治見市内にある永保寺(えいほうじ)は、紅葉がとてもきれいなお寺さんです。愛知県尾張旭市にある森林公園は、こどもたちが小さい時によく遊びに連れていきました。熊本県宇土半島(うとはんとう)は、自分が中学生のときに何度か路線バスで通りました。
名古屋市公会堂のことも書いてあります。NHK朝ドラ、『虎に翼』の映像で、名古屋市公会堂がある鶴舞公園(つるまこうえん)の噴水塔が出てきます。
愛知県瀬戸市とか岐阜県多治見市に集団就職がらみで出て来た九州出身の人が多いとは、この本を読んで初めて知りました。
本のこの部分を読んでいて、中京地区に集団就職で出て来た方々はとても苦労されたことがわかります。苦労されて、安定した生活を築かれています。
金の卵の受け皿となったのが、中京工業地区とあります。愛知、岐阜、三重です。
製糸、紡績、繊維工業、毛織物工業、瀬戸市、常滑市、多治見市、土岐市、岐阜市、一宮市、窯業(ようぎょう)、陶磁器製造、鉄鋼業、石油化学工業、自動車工業など、製造業が盛んな地域です。
九州から来た人間はバカにされた。どうせ中学で勉強もしていないのだろう。(誤解があります。中学で成績が優秀だった人たちが学校から選ばれて来ています。経済的な事情で高校への進学ができなかった人たちです)
自分より成績の悪い子が高校に行くと聞いてくやしかったとあります。自分より成績の悪い子が大学に行くというくやしさもあります。
地元の人は、九州人は気が荒いからと嫌がるので、九州から出てきている同郷の相手と結婚したとあります。夫婦だったからがんばれたともあります。
15歳で出て来て、電話もなくて、外国に売り飛ばされる感じだったと話す熊本から来た女性がいます。
職業病として、肺疾患が紹介されます。有害なアスベストも仕事場にありました。
集団就職で来た人たちは、定時制高校に通う人が多い。
陶器の瀬戸焼は九州有田や天草(あまくさ)からきていることは、この本を読んで初めて知りました。
中学を出て、15歳で働き始めるから、女子には誘惑があります。
女子工員をへんな男たちが狙います。(ねらいます)
体目的の男たちを追い払うのがたいへんです。
女子たちを集めて性教育をします。望まない妊娠があってはいけません。堕胎(だたい)も関係してきます。きれいごとばかりをいってはおれません。現実的な対応が必要です。
岐阜県多治見市の住人は、北海道から鹿児島までの集団就職で来た人たちが多いということは初めて知りました。陶磁器や美濃焼タイルの産地です。
『第三章 関東で働く 京浜工業地帯(けいひんこうぎょうちたい)』
東北出身の集団就職者が多いが、九州沖縄からの就職者もいる。九州から名古屋をへて、東京で働くというパターンもある。
『中学を出たら就職することはあたりまえという感じだった……』鹿児島の方です。
学力があってもお金がなくて高校に行くのは無理です。
関東の電機メーカーに就職した。
当時、就職した土地に定時制高校はまだなかった。
女性ですからいろいろあります。仕事を辞めれば水商売です。
男からだまされることもあります。
女ともだちから、産婦人科に行くからあなたの保険証を貸してくれと言われて断ったことがあるそうです。
親の援助を受けることができなかったから自分でがんばる。
仕事場で連れて行ってくれるバス旅行が楽しみだった。
給料をもらってステレオを買ってレコードを聴くことが楽しみだった。
原子爆弾が落ちた長崎のことが出てきます。
戦争は悲惨です。原爆の犠牲になったご親族のことがリアルな描写で出てきます。戦争はしてはいけません。
権力をもつ独裁者たちは自分と自分の関係者以外の人間を、人間だと思っていません。
思うのは、肌の色で人種差別をする当時のアメリカ合衆国の白人たちは、黄色人種の日本人を人間とは思っていなかったのだろうということです。原爆を落とすという実験をしてみたかった。黄色人種の日本人を人体実験がわりのモルモットのように見ていた。
『社会保険制度があの時代はなかった……』病院にかかるときの保険証が国民皆保険(こくみんかいほけん。全員が保険に加入)としてまだなかった。国民健康保険のスタートは、1961年(昭和36年)です。
仕事は長時間労働です。とくに自動車製造のための単純作業の連続労働は発狂しそうなぐらいの苦痛を伴います。
東京上野の不忍池(しのばずのいけ)あたりの夕日の光景が、熊本県天草諸島で見る夕日の景色に似ていた。(天草西海岸は、どこにいてもたいていきれいな夕陽を見ることができます)
『境遇は選べないが、生き方は選ぶことができる』
生まれる場所と親は選べませんが、その後の人生をどう生きるかは自分で選ぶことができます。学校を出たら、自分の好きなところに住んで、好きな仕事をして、好きな人と結婚できます。
146ページまで読んできて思ったことです。
なんでも『集団』だった時代がありました。
昭和30年代から40年代、西暦だと、1955年代から1975年代ぐらいです。
さらに時代はさかのぼりますが、戦時中の『集団疎開(しゅうだんそかい。空襲からのがれるために田舎へ集まる』。昭和10年代後半です。昭和20年が終戦(1945年)。
明治、大正、昭和初期の軍国主義、軍事教育の名残が、『集団』という単語につながっていくと理解しました。
『集団就職』、『集団行動』、そして、『連帯責任』です。
個人を標準化して富国強兵(ふこくきょうへい。国の産業に従事させて、軍事力を強くする)のために管理監督するのです。
そして、『産めよ増やせよ』です。たくさんこどもをでかして、労働者として、そして軍人として国のために貢献してもらうのです。国家の上層部にいる人間のためではなく、国民全体のためという発想はあったかと思いますが、それがすべてでもなかったような気もします。
『第四章 僕らは南の島からやってきた』
鹿児島県の与論島、沖永良部島(おきのえらぶじま)、徳之島、奄美大島、種子島からの集団就職です。移動手段に船があります。郵便局の赤い自転車と白黒パトカーしか知らない中学卒業生たちを都会へ運びました。かれらにも将来の夢がありました。
沖縄県では、沖縄本島、宮古島、八重山諸島からの集団就職です。
14世紀なかごろに、沖縄には、北山、中山、南山の三国があった。
15世紀前半に、三国が統一されて、琉球王国が成立した。首里城が王の住む城だった。
江戸時代は、清と(しん。昔の中国)と江戸幕府の薩摩藩に属した。
明治時代に沖縄県になった。
第二次世界大戦後、沖縄県は、日本の主権からはずれた。
昭和28年(1953年)に鹿児島県の奄美諸島が日本に復帰した。
昭和46年(1971年)に沖縄県が日本に復帰した。(わたしがこどものころは、沖縄に行くためにはパスポートが必要でした)。沖縄はアメリカ合衆国の統治下にありました。
沖縄の集団就職者は本土の人間から差別を受けた。パスポートをとりあげる会社もあった。方言で苦労した。丸坊主にされた。刑務所帰りと誤解されて、警察によく呼び止められた。(ひどい差別行為をする人がいます。人間なのに、家畜同様の扱いです)
ナンクルナイサ:なんとかなるさ。
本土の都市部には、沖縄のような美しい自然がなかった。海は汚れていた。きれいな海がなつかしい。
高校野球で、沖縄県のチームは負けてばかりだった。最初に出場した高校が持ち帰った甲子園の思い出の土は、アメリカ統治下だったため、検疫(けんえき)にひっかかって、沖縄到着時に、海に捨てられたと書いてあります。みなさん、そうとうくやしい思いを体験されています。1999年(平成11年)春の大会で、沖縄尚学高校が甲子園で初優勝しています。
戦後沖縄では、日本円ではなく、米ドルで金銭の支払いをしていた。昭和46年(1971年)のこととして、まだ米ドルが使われていた。(昭和47年に沖縄は、日本に復帰しました)
こどもたちは、集団就職で本土に来て、日本円の価値がわからなかった。
また、沖縄の道路はアメリカ統治下ですから、車は右側通行だった。本土に来て、対向車線から来る車が怖かった。(こわかった)
そんな話が続きます。
本土では、バカ!とか、アホ!とか、ひどい言葉を浴びせられています。
自分のこととして、歳をとってみて、むかし自分に対して、ひどいことを言った人は、今、どこでどうしているのだろうかと思うことがあります。
たいていは、もう亡くなっています。自分が20代だったころに50代ぐらいだった人たちはもうこの世にはいません。
歳をとってみて、もう終わったのだなあと思います。
沖縄のみなさんは、苦労されました。
沖縄県の集団就職は、昭和51年(1976年)に終わったと書いてあります。
このときは、飛行機による移動だった。新卒239人が、飛行機に乗って、本土へ就職したそうです。
『第五章 年季奉公 封建的労働の名残り』
集団就職ではないけれど、中卒で、大きな農家で住み込みで働いた女性たちの話が書いてあります。
お金で売られていくような労働力です。最初に年間の契約金を親が受け取って、遠方の豪農の家へ行って働く。一年契約です。逃げ出せません。お金でしばられています。逃げれば親に迷惑がかかります。お金欲しさで、親が娘を身売りするようなものです。もらったお金は、親が漁師だから、漁をする道具を買ったり修理したりするお金に当てる。子だくさんだから、生活費にあてる。
ここでも、さきほどの沖縄同様に、人をばかにする人がいます。
『(熊本県の)天草(あまくさの人間は貧乏だから)は、いもばっかし食うとるんやろう』
どうして人は、人をばかにするのだろう。
ばかにすることで、優位な気持ちになって、いい気分になるのか。
言われた人は、心が傷つきます。
蒸気機関車の床に新聞紙を敷いて座って九州から大阪まで行った。
大阪で橋幸夫のコンサートに行った。とてもうれしかった。(NHK朝ドラの『あまちゃん』で、舞台は岩手県でしたが類似のシーンがありました)
『適職とか言うけれど、それはやってみないとわからないことですね……』(同感です。採用されてもすぐ会社をやめる新卒大学生は、最初から働く気がない人間なのです。自分には向いていないと感じられる仕事でも、やってみたら自分に合っていたということはあります)
『第六章 隔週定時制高校 織姫たちの青春』
昭和40年代(1965年代)です。定時制高校卒業までは4年間です。
繊維工場での二交代制勤務です。一週おきに変わります。
A組 朝5時~午後1時半までの勤務:午後3時~午後7時半 5限授業。
B組 午後1時半~午後10時までの勤務:水・木・金に、午前9時~午前11時半 3限授業。
当時の定時制高校教師女性からコメントがあります。
定時制高校には、『教える』、『学ぶ』の原点があった。
沖縄から来た生徒から、沖縄の実家には電気がきていないと言われた。
生徒たちは実家に仕送りをしていた。
卒業した生徒たちは、高卒資格を取得して、看護師になったり、短大や大学に進学したりした人もいた。
生徒思いの熱心な教師がたくさんいた。
193ページに、いい文章が書いてあります。(かがやき 貝塚隔定40年のあしあと)
『気性の激しい人、おとなしい人…… いろいろな人にめぐりあう…… それぞれの花が、それぞれの場所で、それぞれに美しく咲いている。コスモスが逆立ちしてもバラになれないように、どうあがいても、「私」は「貴方(あなた)」になれない。一人一人が自分の持ち味を、思い切り、咲かせればいいと思う』
195ページには、『まだ親と別れるのが悲しいという年齢でやって来て、いきなり働くことになるわけでしょう。もうしょっちゅう泣いていましたよ…… だから人と人の結びつきは凄かった(すごかった)と思いますよ』
大きな楽しみは修学旅行である。信州に行ったそうです。ほかには、東京ディズニーランドが修学旅行の行き先としてあって、三泊四日だったそうです。
長崎県の島原鉄道の話が出ます。旅番組では、海岸沿いを走る鉄道で、景色が美しいと、ときおり放送されます。
されど、この本では、島原鉄道で、中学を出たばかりのこどもたちが集団就職です。長崎駅から集団就職の列車に乗せられて大阪方面へ行きます。
思うに、学校というところは、コツコツ続けていれば、最後は卒業につながります。
期限がある苦労の期間です。永久に続くものではありません。人生において、学校は一時的な滞在地です。
『第七章 いま、働くことの意味を問う』
昭和三十年代から四十年代に集団就職でいなかの若い人たちが都市部に運ばれたから、今になっていなかが過疎化(かそか)してしまったということはあります。
当事者はもうリタイヤしている世代です。遠い思い出の出来事となっています。
『[付]集団就職とその時代』
福岡県の部分を読んでいてのことです。たまに福岡へ行くのですが、不思議な気分になることがあります。
福岡には、東京へ出て行って有名になられた人たちがたくさんおられます。
駅の近くに元首相の実家が残っていて(現在は会社が管理している)、道をへだてた先には、有名になった芸能人が通っていた高校があったりもします。でも、静かです。駅の周辺はさびれています。人材は、東京へ流れていきました。
250ページあたりまで読んで、すごいなという感想をもちました。
ち密な取材の成果がこの本になっています。
今年読んで良かった一冊になりました。
(その後、思ったこと)
自分がおとなになったときに、驚いたことがあります。
自分は、自分の両親の兄弟姉妹の人たち、(おじさんとかおばさんとか)を見て育って、兄弟姉妹というものは仲がいいものだと思いこんでいました。
でも、社会人になって体験を積んでいくと、必ずしもそうではない。むしろ、逆で、仲が良くない兄弟姉妹がけっこういるということがわかって、ちょっとしたショックでした。仲が悪い理由は、たいていが財産の取り合いでした。介護が必要な高齢の親のたらいまわしもあります。それから、相手を見下す(みくだす)気持ちでした。兄弟姉妹間で、『比較』があります。兄弟姉妹はライバルなのです。
わたしの叔父叔母たちは、兄弟姉妹の数がとても多い世代でした。
わたしの両親はふたりとも九州の人間で、この本に出てくる集団就職を体験された叔父叔母もおられます。みんな貧しかった。だからお互いに助け合っておられました。
上の兄弟姉妹を頼って、下の兄弟姉妹が都市部に出て行くというパターンがありました。仕事を探してもらって、アパートに泊めてもらって、自分の住む場所へ移るというやり方でした。お互いに助け合っておられました。
なんというか、兄弟姉妹間で対立する人生を送るということは、精神的にけっこうきついものがあります。そんなことを思いました。
2024年06月12日
おちびさんじゃないよ イマジネイション・プラス
おちびさんじゃないよ マヤ・マイヤーズ ぶん ヘウォン・ユン え まえざわ あきえ やく イマジネイション・プラス
子どもさん向けの絵本です。
テンちゃん:からだの小さな女の子
マルくん:転校してきたこども。からだがテンちゃんよりも小さいかもしれない。たぶん小さい。
『イマジネイション・プラス』という出版社は初めて聞きました。子どもたちの、『おもいやるきもち』と、『やさしくするきもち』を育む(はぐくむ)絵本・児童書の出版社だそうです。えらい!
家族8人の絵から始まります。
テンちゃんは、幼稚園の年中さん(5歳)ぐらいに見えます。
祖父母、両親、長女(中学生ぐらい)、長兄・次兄(ちょうけい。じけい。ふたりとも小学6年生ぐらいに見えます)、そして、テンちゃんです。
色が明るい絵です。服装がリアルです。普段着です。
外国の絵本だなあ。
こどもが、体が小さい時期は、それほど長くはありません。
こどもは日々成長しています。生まれて10年もたてば、かなり大きくなります。
ときおり、成長してく孫たちを見ていて、ずっと体が小さいままでいればかわいいのになあと思うことがあります。
幼稚園生だと思っていたテンちゃんは、小学校の2年生ぐらいでした。
さらに、ヨーロッパかアメリカ合衆国だと思っていたお国は、インドネシアでした。ジャカルタが首都ですと、テンちゃんが教えてくれました。
テンちゃんは、見た目はおちびさんでも、のうみその中は、おとななのよと言っています。
プライドがあります。プライド:自信とか誇り(ほこり)とか。人にばかにされたくない気持ち。
テンちゃんは、おとなからこども扱いされたくありません。自立とか、自活(じかつ)の意識が強いテンちゃんです。
かわいげがない女と言われそうですが頼もしい。
今放送されているNHK朝ドラ、『虎に翼(鬼に金棒という意味らしい)』に出てくる女性で初めて裁判所長になった寅ちゃん(とらちゃん)に似ています。伊藤沙莉(いとうさいり)さんが演じています。いつも、『はて?』と言って、女性差別に向かっていきます。
起承転結(きしょうてんけつ)の、『転(てん)』の部分にきました。
転校生として、テンちゃんのクラスにマルくんが入ってきました。
マルくんは、体が小さいのです。
小さいから、いじめっこに目をつけられます。いじめっこは、マルくんをいじめてやろうとします。なんてやつだ! 撃退しなければなりません。(げきたい:追い払う)
からだが小さい子は、いじめに合いやすい。相手に自分より弱いと思われるからです。
マルくんのことを心配するテンちゃんです。テンちゃんも体が小さいけれど、気は強いからだいじょうぶなのです。
やっぱり、いじめっこは、マルくんのことをいじめようとしはじめました。
いじめっこは、マルくんのお弁当の中身をバカにします。
人のお弁当の中身をバカにする人間は、将来はだめ人間になります。
そういう人がさきざきお金に困って、お金を貸してくれなどと言ってきます。お金を貸したら絶対に返してくれません。気をつけましょう。(わたしの実体験です)
テンちゃんの怒り(いかり)が爆発します。
『あたしは、ちびじゃないっ!!』
強烈な意思表示があります。
人をバカにする人は、さきざき苦労します。人が離れていきます。いまのうちに反省して、態度を改めたほうがいい。
重ねて(かさねて)、テンちゃんの強い意思表示があります。
『基本的人権の尊重』という言葉が頭に浮かびます。
絵を見ていると、インドネシアの小学校の昼食というのは、食堂で食べるようです。教室ではありません。
マルくんの言葉に笑いました。
『テンちゃんって、いままであったともだちのなかで、いちばん、おおものだとおもう』、本当にテンちゃんの将来が楽しみです。女性国会議員になってほしい。おおもの:ほかの人たちよりも格上の人物。ずばぬけて優れた(すぐれた)能力をもっている。
体の大きさと、頭の中にある能力とは関係がありません。
世の中には、『いじめ』というひどいことをする人間がいます。
いじめをする人間は、いつの時代にも存在します。
だから、いじめをする人間とはかかわりあいにならない。
負けてたまるかって、思わなければならない。
自分を守るためにがんばる。
マルくんの心もちが優しい(やさしい)。
でも、テンちゃんも、マルくんより自分のほうが体が少し大きいことに優越感をもっています。
テンちゃんは、そのことに自分で気づいて、そう思ったらいけないと気づけました。
人間の心の動きを正確に表現したいい絵本でした。
子どもさん向けの絵本です。
テンちゃん:からだの小さな女の子
マルくん:転校してきたこども。からだがテンちゃんよりも小さいかもしれない。たぶん小さい。
『イマジネイション・プラス』という出版社は初めて聞きました。子どもたちの、『おもいやるきもち』と、『やさしくするきもち』を育む(はぐくむ)絵本・児童書の出版社だそうです。えらい!
家族8人の絵から始まります。
テンちゃんは、幼稚園の年中さん(5歳)ぐらいに見えます。
祖父母、両親、長女(中学生ぐらい)、長兄・次兄(ちょうけい。じけい。ふたりとも小学6年生ぐらいに見えます)、そして、テンちゃんです。
色が明るい絵です。服装がリアルです。普段着です。
外国の絵本だなあ。
こどもが、体が小さい時期は、それほど長くはありません。
こどもは日々成長しています。生まれて10年もたてば、かなり大きくなります。
ときおり、成長してく孫たちを見ていて、ずっと体が小さいままでいればかわいいのになあと思うことがあります。
幼稚園生だと思っていたテンちゃんは、小学校の2年生ぐらいでした。
さらに、ヨーロッパかアメリカ合衆国だと思っていたお国は、インドネシアでした。ジャカルタが首都ですと、テンちゃんが教えてくれました。
テンちゃんは、見た目はおちびさんでも、のうみその中は、おとななのよと言っています。
プライドがあります。プライド:自信とか誇り(ほこり)とか。人にばかにされたくない気持ち。
テンちゃんは、おとなからこども扱いされたくありません。自立とか、自活(じかつ)の意識が強いテンちゃんです。
かわいげがない女と言われそうですが頼もしい。
今放送されているNHK朝ドラ、『虎に翼(鬼に金棒という意味らしい)』に出てくる女性で初めて裁判所長になった寅ちゃん(とらちゃん)に似ています。伊藤沙莉(いとうさいり)さんが演じています。いつも、『はて?』と言って、女性差別に向かっていきます。
起承転結(きしょうてんけつ)の、『転(てん)』の部分にきました。
転校生として、テンちゃんのクラスにマルくんが入ってきました。
マルくんは、体が小さいのです。
小さいから、いじめっこに目をつけられます。いじめっこは、マルくんをいじめてやろうとします。なんてやつだ! 撃退しなければなりません。(げきたい:追い払う)
からだが小さい子は、いじめに合いやすい。相手に自分より弱いと思われるからです。
マルくんのことを心配するテンちゃんです。テンちゃんも体が小さいけれど、気は強いからだいじょうぶなのです。
やっぱり、いじめっこは、マルくんのことをいじめようとしはじめました。
いじめっこは、マルくんのお弁当の中身をバカにします。
人のお弁当の中身をバカにする人間は、将来はだめ人間になります。
そういう人がさきざきお金に困って、お金を貸してくれなどと言ってきます。お金を貸したら絶対に返してくれません。気をつけましょう。(わたしの実体験です)
テンちゃんの怒り(いかり)が爆発します。
『あたしは、ちびじゃないっ!!』
強烈な意思表示があります。
人をバカにする人は、さきざき苦労します。人が離れていきます。いまのうちに反省して、態度を改めたほうがいい。
重ねて(かさねて)、テンちゃんの強い意思表示があります。
『基本的人権の尊重』という言葉が頭に浮かびます。
絵を見ていると、インドネシアの小学校の昼食というのは、食堂で食べるようです。教室ではありません。
マルくんの言葉に笑いました。
『テンちゃんって、いままであったともだちのなかで、いちばん、おおものだとおもう』、本当にテンちゃんの将来が楽しみです。女性国会議員になってほしい。おおもの:ほかの人たちよりも格上の人物。ずばぬけて優れた(すぐれた)能力をもっている。
体の大きさと、頭の中にある能力とは関係がありません。
世の中には、『いじめ』というひどいことをする人間がいます。
いじめをする人間は、いつの時代にも存在します。
だから、いじめをする人間とはかかわりあいにならない。
負けてたまるかって、思わなければならない。
自分を守るためにがんばる。
マルくんの心もちが優しい(やさしい)。
でも、テンちゃんも、マルくんより自分のほうが体が少し大きいことに優越感をもっています。
テンちゃんは、そのことに自分で気づいて、そう思ったらいけないと気づけました。
人間の心の動きを正確に表現したいい絵本でした。