2024年11月01日

わたしの、本のある日々 小林聡美

わたしの、本のある日々 小林聡美(こばやし・さとみ) 毎日文庫

 著者は読書家だと思って読み始めましたが、書いてあることは反対です。
 本はあまり読まない。本屋にもあまり行かない。僭越(せんえつ)きわまりないとあります。せんえつ:出過ぎたこと。
 この本の成り立ちです。
 2016年(平成28年)から、週刊誌、『サンデー毎日』に、月に一度連載してきたものをまとめた。月に2冊読んで、それについてなにかしらを書いた。
 連載は、約6年間続いた。
 2021年(令和3年)に単行本が出た。
 2024年(令和6年)に文庫本が出た。

 5つのくくりがあって、たくさんの項目があります。
 『Ⅰ 出会いと気づきの日々』、『Ⅱ 言葉のふしぎ』、『Ⅲ 先輩たちの本』、『Ⅳ 愉しいひとり暮らし(たのしいひとりぐらし)』、『Ⅴ それからの日々』とあります。

『Ⅰ 出会いと気づきの日々』
 たくさんの短い文章が並んでいます。文のかたまりひとつずつに2冊、本の紹介があります。
 全体で、318ページあります。読んで、わたしが関心をもった部分について、書いてみます。

 猫の7歳は人間でいうと44歳だそうです。著者の飼い猫ですが、体重が7kgもあるそうです。
 そういえば、NHKBSドラマ、『団地のふたり』で著者と共演している小泉今日子さんも愛猫家でした。お互いに話が合うのでしょう。
 そのドラマがきっかけで、先日は小泉今日子さんのエッセイ本を読みました。『黄色いマンション 黒い猫 小泉今日子 新潮文庫』でした。赤裸々(せきらら。ありのまま)に実生活について書いてあったのでびっくりしました。

秋田の乳頭温泉(にゅうとうおんせん):秋田県と岩手県の県境、秋田県の田沢湖の東にある。標高600m~800mに位置する。

 シンプルな文章です。ゆえに、脳みそに残らないということはあります。
 う~む。内容がどうかなあ。エッセイとしての出来栄えが浅いような。

 横尾忠則さん(グラフィックデザイナー。1936年(昭和11年)生まれ。88歳)が、70歳になったときに、『したいことしかしない』と決めたそうです。したくないことをしていたことに違和感があられたようです。わたしも、そうありたい。

 『テレビのニュースは大抵(たいてい)うんざりするものばかりで……』(同感です。あおりすぎです。あおる:おおげさに騒ぐ。大騒ぎする。なんというか、かれらは、テレビとか投資で、未来はこうなるとか予測を強い調子で言いますが、わたしはそういったことを信じません。かれらは、予想がはずれても知らん顔をしています。そして、かれらの予想はたいていはずれます。
 本では、この部分のエッセイに、『急がない人生』とタイトルが付けられています。

 紹介されている本で、自分も読んでみようと思った本です。(以降あとから読んだ文章の分も追加していきます)
『ぼくの鳥あげる 佐野洋子・作 広瀬弦・絵 幻戯書房(げんきしょぼう)』(絵本作家の佐野洋子さんも亡くなってしまいました。2010年(平成22年)。72歳没。代表作として、『百万回生きたねこ』)。
『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか 堀内都喜子 ポプラ新書』
『ねこはい』と、『ねこはいに』、南伸坊 青林工藝社(せいりんこうげいしゃ)
『倍賞千恵子の現場 倍賞千恵子 PHP新書』
『私は私のままで生きることにした キム・スヒョン ワニブックス』
『いやよいやよも旅のうち 北大路公子 集英社文庫』
『ぼくは犬や ペク・ヒナ ブロンズ新社』と、『あめだま ペク・ヒナ ブロンズ新社』
『神さまの貨物 ジャン=クロード・クランベール 河野万里子・訳 ポプラ社』

 著者は、2019年に、フィンランドと日本の外交関係樹立百周年記念の親善大使のひとりに任命されたそうです。
 フィンランド人は自分の時間を大切にする。家族と過ごす。趣味を楽しむ…… 上下関係をつくらない、性別関係なく平等の機会がある…… とあります。
 
 いろんな本をたくさん紹介してくれる本です。
 本を、『観察』してあります。

『Ⅱ 言葉のふしぎ』
 ハイブロウ:教養や学識のある人。

 俳句はけして、年寄りのものではない。

 『ふたつの夏 谷川俊太郎・佐野洋子 小学館』という本が紹介されています。
 以前、佐野洋子さんの文章を読んだことがあります。谷川俊太郎さんが、自分を追いかけてくるので怖い。逃げなきゃ、みたいな趣旨で書いてありました。おふたりは夫婦だったのですが、離婚されています。人生いろいろあります。(婚姻期間1990年(平成2年)-1996年(平成8年))

 スピリチュアルについて宇宙をからめた本のことが書いてあります。わたしはスピリチュアルを信用しません。
 なにもないところに、なにかがあるようなことにして、なにもないのに悩む。
 時間のムダです。なにもないのに悩むことはありません。ないのに、あるとするから、混乱するのです。ないものは、ないのです。

 猫の話が多い。

メラミンスポンジ:メラミンフォームという素材でつくられているスポンジのこと。水あかを落とすのに効果がある。

『Ⅳ 愉しいひとり暮らし(たのしいひとりぐらし)』
 燻し銀(いぶしぎん):加工して灰色にした銀細工。華やかさはないが、実力や魅力がある。

 著者は、ひとり者のせいか、『ひとりで暮らす本』の紹介が多い。(三谷幸喜さんと結婚されていたことは初めて知りました。離婚されています)
 それから、猫好きで、猫の本が多い。
 あと、フィンランドに関する本が多い。
 フィンランドには、『シス』というものがあるそうです。シス:決してあきらめず、安易な道に逃げない強い心、困難に立ち向かう勇敢さ、忍耐、不可能を可能にする、氷のように冷たい決意=折れない心だそうです。
 そして、俳句の話題が多い。

『Ⅴ それからの日々』
 テレビ画面の字幕機能について書いてあります。
 著者は、自分でテレビ画面に字幕を出すように設定するのですが、そのこととは別にして、わたしは、テレビ画面の文字表示がうっとうおしいと感じている人です。
 小さな親切大きなお世話です。画面に文字やデータ(とくに野球中継のときがうっとおしい)がいっぱいすぎて、見たい映像がだいなしです。だから、テレビ画面を見るときは、文字を見ないようにしています。
 
 甘いものが好き。両親は糖尿病だそうです。
 長生きの話が出ます。

『巻末対談 酒井順子×小林聡美 わたしたちの、本のある日々』
 内容は、あちこち話が飛んで、あまり中身がありませんでした。
 全国各地で暮らしたことがないおふたりです。
 おふたりとも、東京以外には住んだことがないそうです。
 地理的なこととして、人生における世界は狭くなります。
 おふたりとも、狭く深い世界で暮らされていると感じたのです。  

Posted by 熊太郎 at 06:45Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年10月30日

こどもかいぎ 北村裕花

こどもかいぎ 北村裕花(きたむら・ゆうか ) フレーベル館

 こどもさんが読む絵本です。
 会議の議長であるけんたの、『おっほん……』から始まりました。
 「おっほん」という言葉を久しぶりに聞きました。古い表現です。
 メンバーは6人です。けんた、あゆみ、まさと、みか、りく(男子)、らん(女子)です。

 議題(話し合うテーマ)です。
 『おこられたときは、どうしたらいいか?』
 けんたが、『きょうの おだいは……』と話し始めました。
 「おだい」という言葉も古い。今どき聞きません。落語のお題(おだい)のようです。
 作者は年配の人だろうかと思ったら、そうでもない方だったので不思議です。1983年(昭和58年)栃木生まれの女性です。
 
 おこられたときには……
 あやまる。(謝る)。
 
 コラー!って、おこられるそうです。
 「コラー!」もまた古い表現だと思いました。

 おこられたときは……
 泣く。
 笑ってごまかす。
 (いろいろあります。歳をとると怒られる(おこられる)こともなくなります。年寄りにおこってくる相手は、自分のこどもぐらいです。
 年金生活者は、とりあえず、死ぬまで生きるだけです。だんだん感情が薄くなっていきます。おこられてもなにも感じません。なんだったぁ?です。

 とあるこどもさんから訴えがあります。
 手洗いをしないと親におこられるそうです。
 (そうかな。今どきは、おふろに入らない女の人が増えたと聞きました。シャワーだけです)
 
 ピーマンを残すと、おとうさんに叱られるそうです。(しかられる)
 (設定が古いような。ピーマンで怒る(おこる)父親はいないような気がします)
 (ピーマンを食べなくても人間は死なない)

 なんだか、会議じゃありません。
 それぞれが、自分の親が一番怖いと(こわい)主張します。
 ストーップ!
 議長役のけんたが、発言を止めました。
 けんたが、軌道修正をしました。
 『おこられたときには、どうしたらいいのか』についての話し合いです。

 らんさんの答えです。
 『ぎゅっとする(親にだきつく。だきしめる)』
 スキンシップです。
 ぎゅとしたあとで、ごめんなさいという。

 会議が終わりに近づきました。
 絵本の絵で、会議をしている場所が、幼稚園(わかばえん)の教室であることがわかりました。
 設定は、小学生低学年だと思って読んでいました。幼稚園の年長さんですな。(6歳)
 ページをめくると、園庭のようすです。この絵が、最初にあったほうがわかりやすい。
 
 おこられたら、ママにだきついて、ごめんなさいという。ママに甘える。
 けっこうむずかしい解決法です。
 こどもを攻撃してくるママもいます。
 あしたの会議では、結果報告ですな。
 こどももたいへんです。  

Posted by 熊太郎 at 06:27Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年10月28日

黄色いマンション 黒い猫 小泉今日子

黄色いマンション 黒い猫 小泉今日子 新潮文庫

 今、毎週日曜日夜10時からあるNHKBSドラマ、『団地のふたり』を楽しみに観ています。
 主人公役を務める小泉今日子さんと小林聡美さんが、それぞれエッセイ本を出されていることを知りました。まず、小泉今日子さんの本を先に読んでみます。

 令和3年(2021年)12月1日に発行された文庫本です。単行本は、平成28年(2016年)4月にスイッチ・パブリッシングから刊行されています。
 197ページに、この本のもとになるエッセイの連載は、2007年(平成19年)から2016年(平成28年)だったと書いてあります。雑誌、『SWITCH』の『原宿百景』。

 『はじめに』があって、35本のエッセイがあって、『あとがきのようなもの』があります。エッセイ:随筆。散文(さんぶん。気楽な文章)。
 著者は、1966年(昭和41年)生まれ、デビューは、16歳のとき、1982年(昭和57年)です。

『はじめに』
 東京原宿について書いてあります。原宿に愛情、愛着をもたれています。
 新宿と渋谷の間にあって、明治神宮の東にある地域です。
 18歳から21歳までの4年間、原宿でひとり暮らしをされていたそうです。(73ページの記事)

『黄色いマンション 黒い猫』
 読み終えて、絶句します。ぜっく:言葉が出てこない。
 なんと感想を書いていいのかわかりません。
 アイドルという仕事はたいへんです。
 深夜放送の仕事が終わって、放送局から原宿あたりにある自宅マンションに帰る。
 帰宅する車をファンに追跡される。
 ある日、ドアを開けると、ダンボールの中に両目をつぶされた黒い子猫が入れられていた。
 子猫を抱いていたら、子猫が逃げて、階段の7階から落下していった。
 あわてて階下へ行ったが、子猫の姿はなかった。見つからなかった。
 そんなことが書いてあります。
 わたしが思うに、猫をダンボールに入れた人間は、ようすをずっと見ていたと思うのです。その者が、死んだ子猫を回収したと思うのです。ひどいことをする人間がいます。
 ここまで読んで、著者は、外国も含めて、全国各地をあちこち飛び回るのでしょうが、とても狭い世界の中で生きて来た人に思えてきます。芸能界という世界です。

『スクーターズとチープ・トリック』
チンコおじさん:小田急線本厚木駅北口にある彫像(ほんあつぎえき)。(グーグルマップの映像で確認できました。円盤投げみたいなかっこうをされています)
ノリコ:男兄弟の中で育っている。
著者:三人姉妹の末っ子。長姉がヨーコさん(8歳年上)。
ヒロコさん:著者の2歳上の姉。著者の天敵。いばる。ばかにする。からだがでかい。口が達者。小さい時から著者とケンカばかりしている。著者は、一度も勝ったことがない。
チープ・トリック:アメリカ合衆国のロックバンド。
サーキュラースカート:円型に生地(きじ)を縫い合わせる。裾(すそ)に向かって広がるスカート。ボリューム感がある。
 読んでも、おじいさんのわたしには、わからない内容でした。原宿のことが書いてありました。

『リッチくんのバレンタイン』
 けっこう深刻なことが書いてあります。近所に住んでいた幼なじみのリッチくん(ヨーロッパのハーフ)が、青年期に車の中で二酸化炭素ガスを吸って、自殺してしまうのです。
 あたしんち→タナカさんち→スガワラさんち→リッチくんち。リッチくんとは、オムツをしているころからの知り合い。同い年。幼稚園、小中学校、高校も同じだった。リッチくんはモテた。
 みんなは、強くてかっこいいリッチくんが好きだった。著者は、弱くて悲しいリッチくんを知っていて怖かった。リッチ君は、そのことを知っている著者が怖かったに違いない。
 バレンタインデーの話が出ます。モテモテのリッチくんです。
 お金があっても、見た目がハンサムでかっこよくても、悲しいことはあります。

『嵐の日も 彼とならば』
 ボイストレーナーのコウノ先生のお宅で出るごはんの話です。ふつうのごはんです。ふつうだから心にしみるのです。
 歌手発掘番組、萩本欽一さん(きんちゃん)司会の、『スター誕生!』の話が出ます。自分も似たような世代なので、中学・高校のときに、リアルタイムで観ていました。日曜日お昼前の放送だった記憶です。
 中学三年生の数学の授業中にクラスメートから、メモのような手紙が回ってきた。スター誕生に応募しようという内容だった。
 クラスメートと応募して、オーディションを受けた。
 『どこにでもいるような普通の子が、人の目に触れてどんどん垢抜け(あかぬけ)ていくのをまるで身内のような親し気な気分で見守ったりするのも楽しいものだ』と書いてあります。
 著者は、予想外に、オーディションに受かってしまった。人生が大きく動き出してしまった。
 読んでいて、アイドルは、『商品』だと思う。アイドルを中心において、たくさんの人たちが、収入を分かち合って生活をしていきます。
 著者は、日記を書いているのではなかろうか。かなり昔の話です。毎日ではなくても、ぽつりぽつりと、そのときどきの心境を書き残しているものと想像します。

『真剣に親権問題』
 驚くほど、家庭内の事情とか人生の流れについて書いてあります。
 お父さん自営の会社が倒産して、最終的には、ご両親が別居をして離婚されています。著者中学二年生から別居が始まって、その後、ご家族は、親子がバラバラになるように双方の親と暮らしたり離れたりされていますが、一度別居後は、もうご家族全員でひとつの家で暮らすことはされていません。
 ご両親の離婚時、著者は19歳で、離婚届提出時にあたって、著者の親権者を決めて離婚届の用紙に記入しなければなりません。著者の親権者は著者の希望で父親になりました。
 今は18歳が成人ですから、19歳なら親権者はいらないのでしょう。
 そういえば、高校時代のわたしのクラスにも、親の経営する会社が倒産して、どこかへいってしまった女子がいました。この部分を読んで、忘れていた記憶がよみがえりました。
 生(なま)の生活について書いてあります。人間の暮らしが書いてあります。

『ユミさんのお母ちゃん』
 実母のことを、『ユミさん』という著者です。著者と実父の距離は近いけれど、実母との距離は少し離れています。実母は、父親以外と恋をする人です。(若い頃は芸者をしていたそうです)。じっさいそういう女性っています。こどもより、男性に寄っていくのです。
 母方祖父は、恋をして出奔(しゅっぽん。逃げ出して行方不明)。母方祖母は自殺されたそうです。なんだか、すごいことが書いてあります。現実の生活では、ユミさんにとっての母親が、ユミさんの娘である著者なのです。

『夕暮れの保健室』
 著者はよく中学校をサボっていた。途中で帰宅したり、そのあと再び登校したりしていた。(びっくりです)。
 ひとりでいるのが好きだった。
 
 タイマン:一対一のケンカ。

『彼女はどうだったんだろう?』
 あのころビルから飛び降り自殺をした女性アイドルとのことが書いてあります。40年近く前のことです。
 う~む。わたしはそのアイドルのサインを持っていたことがあります。自分は二十代でした。
 ただ、もうそのサインは見つかりません。何度か引っ越しをするなかで、なくした覚えはないのですが、どこにあるのかわからなくってしまいました。
 ちょっと、ドキッとする文章でした。

『原宿キッス』
 たのきんトリオのとしちゃんのことが書いてあります。
 
 なんだかすごいこどものころの体験記です。
 中学二年生のときに一家での夜逃げを体験されています。
 あとは、勉強は好きではなかった。中学は行ったり行かなかったり、高校はアイドル活動に専念ということで、退学したとか……  けっこう荒れた思春期の生活を体験されています。
 お風呂も、電話も、テレビもない生活があります。
 テレビで、『三年B組金八先生』を見たかった。(女子中学生が妊娠、出産する内容でした)。
 著者は、中学生の時に、妊娠したかもしれないという同級生の友だちと産婦人科に行っておられます。(妊娠はしていなかった。妊娠はしていなかったのに、友だちは残念そうな顔をしていた)。

 なんというか、昭和の時代のおおらかさとか、力強さを思い出しました。
 たくましく生きている人間たちがいました。

 この文庫本は、今年読んで良かった一冊になりそうです。

『天使に会ったのだ』
 まあ、思春期の著者にはボーイフレンドがいます。
 著者は、優等生ではありません。
 ボーイフレンドとは、親しくなって、しばらくたって、なんとなく会わなくなった。

 父親が亡くなった。
 末期のガンだった。糖尿病で、肺炎になりかけていた。

 そしてもうひとりその後亡くなった人がいます。
 ボーイフレンドだった人のおかあさんが亡くなっています。

『チャリン、チャリン、チャリン』
 今ではふつうに家庭にあるものでも、60年ぐらい前は家にはありませんでした。
 電話機(固定電話。黒いダイヤル式電話)、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、テープレコーダー、水洗トイレ、クーラー、エアコン、ビデオデッキ、ビデオカメラ、そして、道は土の状態で、まだアスファルト舗装はされていませんでした。
 そんなことが書いてあります。
 電話でアイドルの歌を聴けた。著者宅の電話機の横に缶があって、アイドルの歌を聴く時は、通話料として、30円を入れていたそうです。
 そういえば、わたしも公衆電話をかけて、アグネス・チャンの歌を何度か聞いたことがあります。

 著者は、いつしか、電話機でアイドル歌手の歌を聴く立場から、聴かせる立場に変わるのです。

『海辺の町にて』
 いなかの夜道は暗くて怖い。買い物はどうしてもバスを利用するしかないぐらい不便。
 東京の街は夜でも明るい。怖くはない。(こわくはない)。
 いなかの夜は、月や星が美しい。
 18歳から21歳までの4年間、著者は、原宿に自宅があった。ひとり暮らしをしていた。

『ラブレター フロム』
 ロンドンから、東京の自分あてにハガキを出した。
 
 ほかに恩師からの手紙、ボーフレンドからの手紙。
 ご自身は、年賀状も書かないそうです。

『愛だの 恋だの』
 自分の母親のことを、『ユミさん』と呼ぶ著者です。ユミさんは、母親というよりも、『女』です。そして、ユミさんの母親のような存在が、著者なのです。ちょっと変わった親子関係があります。

 丸子のおばあちゃん:母方祖父の恋人。妻ではない。いろいろ複雑です。

『ただの思い出』
 著者の実家は、神奈川県厚木にある。
 著者は若い時から車好き。ホンダのステップバンが好き。
 だけど、運転はどうか。仮免の試験に3回落ちています。
 音楽を聴きながらドライブすることが好き。
 車内でカセットテープをガチャンと押し込んで音楽を聴いていたという行為がなつかしい。今の若い人にはわからないことでしょう。
 11月15日、亡き父上の17回忌だったそうです。

『飛行機の音 ラジカセの音』
 神奈川県厚木市米軍基地:厚木市に基地なんかないと書いてあります。調べたら、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがって米軍の軍用飛行場があるそうです。名称が、『厚木基地』だそうです。米軍と自衛隊の共同使用だそうです。

 著者は戦後20年の昭和41年にこの世に生まれた。実家である厚木市には、まだ戦争の名残があった。厚木市内でアメリカ兵をよく見かけた。
 
 そのあと、原宿の話が出ます。
 青春時代の遊びは、原宿だった。
 代々木公園で遊んだ。

『母と娘の喫茶店』
 母親の『ユミさん』はコーヒーが好きだった。
 しかし著者は、今もコーヒーがにがてだそうです。コーヒーは飲めないそうです。でも、アルコールは得意だそうです。あとは、喫煙者でヘビースモーカーのようです。

『あの男』
 マネージャーだった5歳年上の男性について書いてあります。変わり者の男性だったようです。
 まあ、変な男です。

『懐古と感謝(かいことかんしゃ)』
 80年代(昭和55年代)の原宿のことが書いてあります。
 著者は、82年(昭和57年)に16歳で歌手デビューしています。
 18歳から21歳までの4年間、原宿でひとり暮らしをしています。
 ふつうにひとりで原宿の街を出歩かれています。
 著者がアイドルであることをまわりの人も気づいていますが、ふつうの対応をされています。
 仕事が芸能人ということはあります。そして、だれだって仕事をしています。
 自分に合う仕事が芸能人だった。自分は芸能人の仕事しかできないタイプだということはあります。まあ、たいていの人は、自分はこれしかできないからこの仕事をしているということはあります。
 原宿に住む、あるいは働く人が、著者に優しい。いやむしろ、みんなに優しいのでしょう。
 著者の言葉で、『原宿の街には善意が溢れていた(あふれていた)…… 勤労少女だった私の心が健やか(すこやか)だったのは……』

『彼女からの電話』
 すごいことが書いてあります。
 十代のころの話です。
 仲が良かった女友だちから、『好きになっちゃいけない人』を好きになって、付き合いが始まったというような相談事、告白を聞かされます。
 結婚している人なの?と問うと、違うという返事です。
 著者は、女友だちに自分のカレシを盗られて(とられて)しまいました。
 初めての失恋だったそうです。

『ミカちゃん、ピテカン、そして……』
 ミカちゃんというのはお姉さんのような女ともだちです。ピテカン(ピテントロプス・エレクトス)は、日本で初めてのクラブの名称です。クラブ:娯楽・社交のための会員制のお店。
 ミカちゃんとミカちゃんの友だちのミユキちゃんは、著者のことを、『タマゴ』と呼ぶ。
 ミカちゃんは彼氏とパリで暮らすそうです。ちょっと淋しさが(さみしさが)ただよう文章でした。

『あたしのロリポップ』
 セントラルアパートの下に、原宿プラザがあった。十代のころの著者にとってワクワクする場所だった。
 ロリポップ:ペロペロキャンディー
 
 川勝正幸さんという方について、讃える(たたえる)文章が書いてあります。
 川勝正幸:ライター、編集者。2012年(平成24年)55歳没。自宅が火災にあって亡くなった。

 文章を読んでいて思うのは、著者は、永遠の18歳です。文章の中では、46歳ですが、気持ちは若い。

(124ページまで読んできて思うことです)
 自分は未来において、どうなっていてもいいとする。
 自分らしく、今を生きる。
 生き抜く自信がある。
 自分の未来を、やっていけると信じている。
 なんとかなるという力強さが著者にあります。
 ときおり、胸にじんとくる文章があります。
 アイドルであっても、芸能人であっても、タレントであっても、同じ人間だと思うのです。

『雨の日の246』
 246:国道246号。東京千代田区から静岡県沼津市。
 アイドルをしていて、何かをあきらめてしまったような気持ちがあった。
 いつも自信がなかった。
 カレシとの思い出話です。

『あの子の話』
 ご本人が、離婚したところから始まります。(婚姻期間1995年(平成7年)29歳-2004年(平成16年)38歳。
 離婚して再び始まるひとり暮らしです。青葉台というところ。駅は、中目黒駅。
 新居が、自然が豊かな話、猫の話。ひとりの暮らしにウキウキしていた話。

『お化け怖い!(おばけこわい!)』
 50歳近いけれど、おばけがこわい。
 されど、二十代の頃は、ホラー映画にハマっていた。
 歳をとって、怖さに対抗できる免疫(めんえき。体を守る仕組み)がなくなってしまったとのことでした。

『アキと春子と私の青春』
 朝ドラです。じぇじぇじぇの『あまちゃん』ですな。アキは、のんさんですな。
 アキの母親である春子を演じたのが、小泉今日子さんです。
 ご本人の16歳からのアイドル時代は、つらかったそうです。つらかったけれど、楽しいこともあった。原宿や表参道あたりをぶらぶら歩くことが楽しみだった。

『渋滞~そして人生考』
 表参道のクリスマスイルミネーションです。
 自分でミニクーパーを運転しながら渋滞している道を進みます。車の中で、脳裏に思い出がよみがえってくるそうです。
 右に代々木公園、左にNHKです。(今年9月にわたしたち夫婦も散歩したルートです。雰囲気がわかって読んでいて楽しい)
 山手通りに出て、ご自宅マンションがある中目黒青葉台へ帰って行かれたようです。

『ジョーゼットのワンピース』
 ジョーゼット:薄く、軽く、緩やか(ゆるやか)に編まれた織物。
 母親は、日暮里(にっぽり)の染物屋の娘だった。
 こどものころの自分の写真は、長姉の写真の数の半分ぐらいしかなかった。それに気づいた母親が、ときおり写真を撮ってくれた。
 アイドルになってから、数えきれないぐらいの仕事用の写真が撮られた。街のあちこちに自分の顔写真が飾られた。自分のようで自分ではない顔の写真だった。
 これからも仕事で自分の顔やスタイルの写真がたくさん撮られていく。

『花や 庭や』
 休日の夕方は、商店街をぷらぷら歩いている。
 ひとりの時間、ひとりの生活もずいぶん長くなったとあります。
 こどもの頃からお花が好きだった話が書いてありました。

『団地のヌノタくん』
 15歳のとき、団地に19歳か20歳のヌノタくんが住んでいた。
 パンチパーマのヤンキーファッションだった。
 友人たちとヌノタくんが運転するトヨタマークⅡ(マークツー)で、熱海までドライブに行って、札幌ラーメンを食べて帰って来た思い出話が書いてあります。

『ナンパの季節』
 中学生三年のときに女友だちと横浜に買い物に行って、『彼女たちぃ……』と、ナンパされた話です。
 スウィングトップ:ゴルフ用のジャンパー。
 最近、若い女性と間違われてナンパされたそうです。でも、男は中年女性だとわかって、逃げるように去って行ったそうです。

『四月某日の手記』
 ユミ(母)78歳の誕生日祝いを新宿の某デパートで、ヒロコ(次姉。2歳年上。もうすぐ52歳)と三人で買いに行きました。
 親族の話がいろいろ出ます。甥の(おいの)5歳男児とか、長姉のヨーコさん(著者より8歳年上)が、がんで亡くなったとか。

『続、生い立ちの記』
 自分が生まれたときの難産の状態だったことなどが書かれています。

『逃避行、そして半世紀』
 神奈川県の葉山です。43歳から46歳までの3年間を葉山で海を見ながら猫と暮らしたそうです。
 沢村貞子:1908年(明治41年)-1996年(平成8年)87歳没。女優、随筆家。
 沢村さんに影響を受けて、海の見える部屋にしたそうです。
 著者は読書家のようです。
 
 この部分を読んでの感想です。
 ひとつは、こどもさんの頃はそうではないかもしれませんが、デビューされた以降、お金で苦労されたことはない人なのだなということ。
 もうひとつは、年齢を重ねておられますが、気持ちは若いということ。結婚はされましたが、出産子育ての体験をされていないことが、今もなお気持ちが若いということだと推測しました。
 あとは、健康に気をつけてくださいということ。とくにタバコはやめたほうがいい。お父上もお姉さんも癌で亡くなっておられます。癌になりやすい体質の遺伝はあろうかと思います。

『和田さんの今日子ちゃん』
 和田誠さんのお話です。
 和田誠:イラストレーター。グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。1936年(昭和11年)-2019年(令和元年)83歳没。料理愛好家の平野レミさんが奥さん。

『あとがきのようなもの』
 最初のお話に出た、7階から転落した黒猫の話です。追悔(ついかい。あとになって悔やむこと(くやむこと)。後悔)シーンがよみがえるそうです。
 コロナ禍の際中で、実家へ一年以上帰っていないとあります。
 過ぎてみれば、コロナってなんだったのだろうと思い出す今日この頃です。
 たくさんの人たちが亡くなりましたが、コロナ以外の病気で亡くなった方もいます。
 うちの親族も亡くなりました。
 お見舞いの面会もきちんとできませんでした。お互いに無念だった出来事と思います。

 今度は、NHKBSドラマ、『団地のふたり』で著者と共演されている小林聡美さんのエッセイ本を読んでみます。『わたしの、本のある日々 小林聡美(こばやし・さとみ) 毎日文庫』です。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年10月27日

赤と青のガウン 彬子女王(あきこじょうおう)

赤と青のガウン オックスフォード留学記 彬子女王(あきこじょうおう) PHP文庫
(月刊誌『Voice』でのエッセイ掲載期間は、2012年(平成24年)4月号~2014年(平成26年)5月号まで。タイトルは、『オックスフォード留学記-中世の街に学んで』だった。単行本は、2015年(平成27年)に発行されています。2024年(令和6年)の文庫化にあたって、加筆後再編集されています)

 テレビ番組、『徹子の部屋』にゲストとして出られて、本を出していると聞いたので、取り寄せて読んでみました。
 皇族の方が書いた本です。
 
 彬子女王(あきこじょうおう):1981年(昭和56年)生まれ。学習院大学卒業後、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。大正天皇のひ孫。父親は、寛仁親王(ひろひとしんのう。2012年(平成24年)66歳没。大正天皇の孫。愛称『ヒゲの殿下(ひげのでんか)』)。
 最初の留学が、20歳の時、2001年(平成13年)9月から1年間留学した。2回目が、学習院大学卒業後の2004年(平成16年)からオックスフォード大学の大学院に入学して、2010年(平成22年)1月に博士課程を修了した。

 ざっと目を通して、たくさんの文章を書く方だとお見受けしました。(63ページに、オックスフォード大学で、たくさんのエッセイ(小論文)を書いたと記事があります)
 タイトルにある、『赤と青のガウン』は、入学するとまず黒一色のガウンを着る。博士号を授与されると赤と青のガウンを着るそうです。学位(がくい。学びを修めた(おさめた)者に対する称号)によってガウンの色が違う。

 皇族の一員として、『自由』が制限された立場でお生まれになった方です。
 『役割』を果たすために、『自由』が制限されているのです。
 ちょっと、『役割』について書いてみます。わたしは、人はだれしも、人間社会において、なにがしかの役割を与えられて、この世に生まれてくると思っています。
 先日、高齢となった親族のお見舞いに九州福岡県まで行って来たのですが、『(人の)役割』について考えさせられました。
 初回は、7月に病院に入院した時にお見舞いに行ったのですが、そのときは、意識がはっきりしていて、きちんと受け答えができていました。
 その後、病院から施設に移って、9月に施設へ面会に行ったのですが、なにかしら変なのです。喜怒哀楽の表情が薄くなって、意識がぼんやりとしていました。人の固有名詞である名前が、口から出てきませんでした。
 同行の妻が、『役割』がなくなったからだと解説してくれました。不自由な体であっても、衣食住の毎日の生活を自分の力で送っていれば、自分の『役割』がある。
 人間は自分に、社会的な『役割』、家族の中での『役割』があるときは、しっかりしなきゃという自意識がある。
 ところが、施設に入ると、まわりにいる人たちが自分の身の回りのことをやってくれる。本人はただ、生かされているだけになる。なにもしなくても生きていける。しっかりしなきゃという自意識が、だんだん消滅していく。脳みそにある意識が薄れていく。(なるほどと思いました)
 そのことに関連付けて考えてみると、皇族の一員としてお生まれになった著者は、自分の役割を果たしていく決断をどこかの時点でされて、がんばっておられるのだと思います。たいしたものです。

 エッセイ集です。
 
『1 百川学海(ひゃくせんがっかい)』:川は海を目標にして流れていく。常に修養・努力して、大きな海(目標)をめざす。
 2011年5月(平成23年):オックスフォード大学から博士号を授与された。(専攻は日本美術)
 ドミニク:スイス人の友人。学友。
 ベネディクト:英国人。男性。英会話ができなかった著者を救ってくれた。2学年上の上級生。
 父親に対する感謝があります。
 英会話ができなかったけれど、努力を続けた結果、ある日突然相手が話す英語が明瞭に理解できるようになられたそうです。(英語学習者にとっては、いいアドバイスになります)。
 英語がわからなかったゆえの孤独があります(日本に帰りたい)。それを救ってくれる学友の存在があります。人間は助け合いです。

 まず、2001年9月から1年間留学した。9月に入学して、翌年1月に突然英語が聞き取れるようになった。(その後、2回目の留学があります)。

『2 大信不約(たいしんふやく)』:本当の信義は約束しなくても守られる。信頼関係は大事。
 側衛官(そくえいかん):警察庁皇宮警察本部所属皇宮護衛官。国家公務員。
 警衛(けいえい):皇族を守ること。
 警護:要人を守ること。
 警備:モノを守ること。
 
 オックスフォード大学に行って、側衛官がつかなくなった。生まれて初めて、ひとりで街を歩いた。心細く辛かった。(つらかった)。慣れてきたら、楽しめるようになった。帰国してまた側衛官が付くことを心配するように変化した。(側衛官がつかないほうが気楽でいい)。

 皇族に関する内輪話が楽しい。
 清少納言の、『枕草子(まくらのそうし)』を読むようです。

『3 苦学力行(くがくりっこう)』:働いて学費を稼ぎながら勉学に励む。定時制高校とか夜間の大学みたいです。
 日本の大学と英国のオックスフォード大学は、組織と運営が大きく異なる。
 オックスフォード大学は、日本の学習院、慶応、早稲田、青山学院等をすべてひっくるめて、東京大学というようなもの(組織)。
 コレッジ(学寮):オックスフォード大学の中にある。40近くある。どのコレッジに所属したかが大事になる。
 著者は、皇太子殿下(現在の令和天皇)と同じ、マートン・コレッジに所属した。
 レクチャー:所属コレッジに関係なく学生が集まる。
 セミナー:コレッジで10人程度の専攻学生が集まる。
 チュートリアル:先生(チューター)と学生(3人まで)が集まって、個人指導を受ける。
 著者は、聴講生として、オックスフォード大学に留学した。(試験を乗り切る必要はない)
 
 ケルト人:紀元前から、ヨーロッパ大陸で繁栄した民族。
 著者の専攻は、最初が、『ケルト史』。その後、『日本美術』。
 トマス・チャールズ=エドワーズ:ケルト史のチュートリアル(先生)
 スティーヴ・ガン先生:特別科目『方法論』のチュートリアル。同級生が、ルイーズとエリッサ。

『4 日常坐臥(にちじょうざが)』:座ること、寝ることで、起きているときも寝ているときも。いつでもという意味。
 マートン・コレッジ:1264年設立(日本では鎌倉時代の元寇(げんこう)の頃)
 ポーターズ・ロッジ(守衛所):郵便受けの確認に行く。夕食の席を機械にカードを通して予約する。食堂で他の学生などから情報を収集する。
 英国映画、『ハリーポッター』の出てくる食堂風景は、自分が利用していた食堂の近くにある別の食堂でのロケだったそうです。
 
『5 合縁奇縁(あいえんきえん)』:人と人との縁(えん)。巡り合わせ。因縁(いんねん。運命)。
 番組『徹子の部屋』でのご本人の語り口調を覚えているので、読みながら、本人がしゃべっているように聞こえる文章です。わかりやすい。
 フレッド:マートン・コレッジ所属。偶然のような出会いがあった。原宿駅前で会った。
 著者は、私費留学だった。
 海外での留学は、日本での就職には不利になる。
 日本における研究者の世界は、学閥主義が多い。(同じ学校の出身者で集まる)。

『6 一期一会(いちごいちえ)』:茶道の用語。出会いは一度だけ。
 JR:鉄道ではない。ジェシカ・ローソン先生。とても厳しい人。マートン・コレッジの学長。妥協を許さない人。
 19世紀末から20世紀にかけて、西洋人が、日本美術をどのように見ていたかを明らかにする。なぜ、大英博物館は、明治時代に多くの日本美術を蒐集(しゅうしゅう。目的をもって特定のものを集める)したのか、理由を研究する。
 研究をしながら、自分が日本人であることを自覚したそうです。
 外国人は日本人を誤解している。(日本人はみんな寿司を握ることができる。日本には今も忍者がいる)。
 日本の絵画は、部屋の中に季節感を生む。

『7 千載一遇』:千年に一回の絶好のチャンス。
 ティム・クラーク先生:大英博物館の日本セクション長。完璧主義者。
 
 バッキンガム宮殿に招かれて、エリザベス女王陛下とふたりだけで紅茶を飲んだお話です。女王がお茶を入れてくださったそうです。
 2005年(平成17年)夏のことでした。日本では、愛知万博の開催、小泉純一郎政権の時代でした。

『8 危機一髪(ききいっぱつ)』:ほんのちょっとのことで危機におちいる瞬間。
 英国は電車が日本のようにちゃんとしていないということが書いてあります。時刻どおりに来ないとか、事故のときの代替え手段を用意してくれないとかです。
 でも、時刻どおりに来ないことには慣れるそうです。

『9 多事多難(たじたなん)』:平穏無事(へいおんぶじ)の反対。立て続けに悪いことが起きること。
 皇族のパスポートは、一般人とは異なるそうです。赤ではなく、茶色で、たまに、外国入国時に止められるそうです。一般人のようにフリー(自由)に移動ができません。
 付き添いなしのひとり移動の苦労が書いてあります。
 すごいなあ。冒険です。ヨーロッパ国内の空港移動は不安しかありません。節約のために格安航空会社を利用した時がうまくいかないことがあるそうです。(節約されるということが意外でした)

『10 奇貨可居(きかおくべし)』:チャンスを利用する。
 ビジティング・スチューデント(聴講生)。
 オックスフォード大学で聴講生として1年間学んだのですが、生徒の立場できちんと大学院で学位をとりたい。
 お父上とのむずかしい関係が書いてあります。お父さんは、厳しい人だったそうです。烈火のごとく怒るときがあったそうです。大学院へ行くためには費用がいる。親から出してもらわなければならない。そんな交渉事が書いてあります。理論武装が必要だったそうです。
 でも、簡単に許可がおりたそうです。
 読んでいて、皇族の人たちも同じ人間だと感じました。
 なにかしらめんどうな父子関係があります。意外でした。お金がある人たちなのに。
 (なお、お父さんは2012年にご病気で亡くなっています)
 英会話学習と習得についての手法、経過が書いてありました。

『11 五角六張(ごかくろくちょう)』:なにをやってもうまくいかない日。
 最初の留学が2001年(平成13年)9月、20歳のときでした。
 二度目が、2004年(平成16年)9月、23歳です。
 マートン・コレッジ大学院生専用寮でひとり暮らしです。
 ワンルーム、キッチンは共用です。
 うまくいかないことが書いてあります。
 バレンタインデーの記事になって、(ヨーロッパでは、女性が男性にチョコレートを贈る習慣はないそうです。逆で、男性が女性にお花やお菓子を贈るそうです)
 日本の習慣に従ってやって救われたという話が書いてあります。

『12 一念通天(いちねんつうてん)』:固い決意で取り組めば必ず達成できる。
 2005年の夏休みに、大英博物館で、日本セクションのボランティア・スタッフになる。作品の整理整頓作業です。
 昔の英国人の筆記体が読めるようになる。(今の日本の英語教育では筆記体を教えなくなっています)

『13 日常茶飯(にちじょうさはん』:いつものこと。
 英国の料理はまずい。(まずくはないけれど、おいしくもないそうです)。英国人には、おいしいものを食べようという気持ちがない。宗教で贅沢(ぜいたく)を制止したことが原因のようです。
 当時の英国にある日本食は、日本食の味ではなかったそうです。
 自分で自炊して料理をするようになった。体が和食を欲する。
 マーケット(市場)の話になります。
 食事づくりにおいて、いろいろ工夫があります。野菜類の有効活用です。
 食事会の話しも出ます。
 外国人は、「甘い豆」が苦手(にがて)だそうです。
 英国人は、食器をきちんと洗うことをしない。洗剤がついたまま、カゴに入れるというような記事もあり驚きました。洗剤は体に毒ではないようですが、ちょっと気持ち悪いです。

『14 骨肉之親(こつにくのしん)』:血のつながりが濃い肉親関係。その間の深い愛情。
 ゴッドドーターがおられるそうです。(著者が名付け親になった)。『菜夏子グレース(ななこグレース。出版当時6歳。2008年(平成20年)6月生まれ)』。
 ゴッドファーザー、ゴッドマザー:キリスト教洗礼名の名付け親。
 『おもちゃのチャチャチャ』を歌ってあげた。(著者の父親が、著者が小さい頃に歌ってくれたそうです)

『15 前途多難(ぜんとたなん)』:未来に困難と災難がある。
 ロンドンの北東、ノリッチという町にあるセインズベリー日本藝術研究所長ニコル・ルーマニエール先生に半分だまされるようにして、フランス国内で巡回式の展覧会を企画実行したことが書いてあります。
 かなりしんどい思いをされています。

『16 一以貫之(いつをもってこれをつらぬく)』:ほかに目を奪われず、おのれの道を進む。
 ジョープライス:江戸時代の日本絵画の美術収集家。伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)を世界の人気者にした。(私がずいぶん前に読んだ本で、『若冲(じゃくちゅう、江戸時代中期の絵師) 澤田瞳子(さわだとうこ) 文藝春秋』があります)

 5年間の留学中に体調を壊された話が出ます。
 人間ですから長い人生の間には何度か病気に悩まされることもあります。
 自然光で絵画を観ることの大切さについて書いてあります。

 日本人は、絵画を見るときに、まず誰が描いたか、偽物ではないかを確認したがる。(お金目的だから)
 絵は、作者の名前を気にして鑑賞するものではないとあります。

 ロサンゼルスのディズニーランドに行ったことが書いてあります。
 ディズニーランドでの一日で、最後の花火を観ることへのこだわりがあります。

『17 玉石混淆(ぎょくせきこんこう)』:よいもの、つまらないものが入り混じっているようす。
 勉強以外の時間について書いてあります。散歩の時間です。
 植物園、映画館などです。
 自分にとっての留学期間は、自分の時間を自分のためにだけ使える贅沢な(ぜいたくな)時間であったそうです。
 
 英国のチャリティーショップ:日本とは趣旨が異なる。お金もうけではない。使わなくなったものをもらって、売れるものは店頭で売る。売上金は、発展途上国のために使う。売れないものは、そのまま発展途上国へ送る。物を提供した人にはお金は渡らない。

 ロンドンのノッテングヒル:高級住宅街。高級品がチャリティに出る。
 香合(こうごう):茶道で、香(こう。かおり)を持ち運びするふた付の容器。
 
 なんというかすごいことが書いてあります。
 皇族ゆえに、『鍵』を持ち歩いたことがない。(日本だと、皇族は、生まれた時から、だれかがいつもそばにいる)
 英国に留学して、学生寮に入って、部屋から出かけるときは、部屋に鍵をかけていたが、自分が部屋にいるときは、鍵をかけていなかった。
 ある夜、酔っ払った知らない寮生であろう男子が、部屋を間違えて、著者の部屋に入ってきた。その男性にかけた著者の言葉がすごい。
 『あなた、この部屋に住んでいる人ですか?』
 相手は、自分が部屋を間違えたことに気づいて謝って出て行ったそうです。
 ご無事でなによりでしたが、現代の一般人には、ちょっと考えられない鍵の扱いです。
<半世紀前の昭和の時代の庶民の鍵事情>
 さきほどの部分を話題にして、家族で半世紀ぐらい昔のわたしたちがこどもだったころの話をしました。いろいろ思い出話が出ました。
 日本、とくに農家では、農作業に出るとき、家に鍵をかけるという習慣はなかった記憶です。地域に固まって住んでいるのは、血縁関係がある親族でした。よそ者が来ることもありませんでした。
 都市部でも、木造平屋の長屋が並ぶ公営住宅とか、同じく炭鉱の木造長屋とかでも、鍵をかける習慣は薄かった記憶です。玄関は開き戸で、夜寝るときに、内側からねじを回して戸が開かなくするぐらいでした。
 そのころ、殺人事件のニュースはめったに聞きませんでした。現代では日常茶飯事です。
 人づきあいが濃厚な時代でした。長屋が密集する地域では、昼間は奥さんたちが集まって立ち話しをしていました。男は仕事、女は主婦の時代でした。こどもがたくさんいて、集落ではこどもたちが上級生から下級生までがグループをつくって集団で体を動かすお金のかからない遊びをして遊んでいました。
 女の子たちは、輪ゴムをつなげて、ゴム飛び遊びをしていました。男の子は、ゴムボールで、三角ベースの野球をしていました。お金がなくて、不便ではあったけれど、人間らしい生活を送っていました。

『18 古琴之友(こきんのとも)』:自分をよく理解してくれる友人のこと。
 ロンドン在住の日本人:京都出身のマキさんと山形出身のケイスケさんご夫妻。筆者が名付けた筆者がロンドンで泊る時の民宿『M&K』がご自宅。
 吉岡幸雄先生:染織工房で機織りの仕事をされていた。

 本来、お正月に皇室では、お雑煮が出ない話があります。
 『御菱はなびら』というものを召し上がるそうです。
 
 スコーン:パンが起源の焼き菓子。
 ジェイミー:オックスフォードの友人。英国人男性。おいしいスコーンをつくる。

『19 傾蓋知己(けいがいのちき)』:初対面で意気投合すること。
 スイスの話です。
 スイス人のお友だちが多いそうです。
 スティーヴ・ガン先生:コレッジ・チューター。中世史が専門。
 カミラ:イタリア人。一年先輩。
 著者はお酒をほとんど飲めない。
 ドミニク:カミラの先輩。スイス人。ベトナムの人類学専攻。
 バーバラ:ドミニクのパートナー。スイス人。
 パーティーのメンバー:カミラ、クリス、ドミニク、バーバラ、著者。

 スキー場のケーブルカーの駅、日本人が登山をしたときの写真が飾ってあった。
 写真に著者の見覚えがある顔があった。
 著者の祖母と叔母だったのでびっくりされたそうです。
 祖母である崇仁親王妃百合子様は、現在も存命で101歳であられます。びっくりしました。

『忍之一字(にんのいちじ)』:成し遂げるために最も大切なことは、耐え忍ぶことである。
 英国人とはという内容です。英国人は、融通がきくときと、きかないときの差が激しいそうです。
 同じことでも、人によって、許可されなかったり、許可されたりするそうです。
 
 もうひとつは、路線バスのことが書いてあります。
 日本の路線バスとはずいぶん違います。
 時間通りには来ない。そもそも定刻になっても来ない。最後まで来ない。来ないという案内もない。
 慣れるそうです。
 日本の親切で、ち密な対応のほうが、丁寧すぎるのではないかというようにも思えてくるそうです。

『21 当機立断(とうきりつだん)』:機会をとらえて、すばやく決断すること。
 2回目の留学が、当初2年間だったのが、5年間に伸びた理由と経過が書いてあります。
 2年間は、修士課程です。5年間は、博士課程です。先生に勧められたことをきっかけにして、最終的に博士号を取得されています。
 2006年(平成18年)6月に博士課程の学生になられています。2010年(平成22年)1月に博士課程を修了されています。

『随類応同(ずいるいおうどう)』:人の能力や性質に応じて指導すること。
 スーパーバイザー:指導教官。著者の場合、ジェシカ・ローソン先生とティム・クラーク先生。それから、ティム・スクリーチ先生。
 ロンドン大学SOAS(ソアス):東洋アフリカ研究学院。
 アーネスト・フェノロサ:アメリカ合衆国の東洋美術史家。1853年(日本は江戸末期)-1908年(明治41年)55歳没。

『七転八倒(しちてんばっとう)』:激しい苦痛で、苦しみもだえるようす。
 博士論文を仕上げる苦労が書いてあります。孤独があります。
 5年間日本美術史の研究を続けた。
 ストレス性胃炎になった。
 『独りにならないことって大切なんだ』と改めて思ったそうです。
 日本からの入浴剤に助けられた。
 サンドイッチを出すカフェにも助けられた。
 しんどいときに、おいしいものを食べると、生き続けたいという意欲が湧くことがあります。

『24 進退両難(しんたいりょうなん)』:進もことも退く(しりぞく)こともできない状態。
 博士論文完成までの話です。
 アドバイスとして、『いちばん大切なことは、アキコが書きたいことを書くことだよ』だったそうです。
 博士論文にアキコさんの個性を出す。

『25 不撓不屈(ふとうふくつ)』:強い意思をもって、くじけない。
 ついに最後のエッセイになりました。
 博士課程の修了時の話です。
 人間がやることです。人間は感情の生き物です。
 『どこの国でも学者間の嫉妬(しっと)というのは大なり小なりあり……』(現実的なお話です)
 試験官の話です。口頭試問があります。
 慎重に行動されています。
 ふたりのうちの一人の試験官は、見た目は日本人だが、中身はドイツ人の試験官です。日本人父とドイツ人母をもつハーフの試験官です。
 口頭試問に合格します。
 意外なこととして、著者が、博士課程の試験に合格したことを日本社会に公表しないという考えの父上・宮内庁と公表したほうがいいと主張する著者との間で対立が起きます。非公表の理由は、前例がないからです。前例がないから著者のオックスフォード大学博士課程合格を日本社会に公表したくないのです。
 読んでいて、宮内庁という組織が不思議な組織に思えました。これまでと同じことをこれからもずっと続けることが仕事のようです。ずーっと考えていると、職員は、毎月決まった日に決まった給料がもらえればそれでいいと考えているだけではなかろうかという推測ができてしまいます。皇族のことは慮らない(おもんばからない。十分に考えない)。面倒な事務処理を前例どおりにこなしていけばよい。例外を好まない。不思議なサラリーマン体質です。公務員体質か。

 もうひとつ不思議だったことがあります。
 家族関係が他人行儀(たにんぎょうぎ。親子、親族なのに、他人と接する時のよう)です。(367ページ、『特別寄稿』の部分に、『(父と自分は)親子というよりは先輩後輩のような関係であったと思う』と文章があります)
 父と子の関係が?です。庶民の親子とは異なります。
 とりあえず、エッセイの部分は読み終わりました。
 なかなかいい本でした。今年読んで良かった一冊です。

『特別寄稿 父・寛仁親王(ともひとしんのう)の思い出』
 2012年(平成24年)6月6日薨去(こうきょ。皇族の死去)。355ページに、『66歳の6月6日に逝かれた(いかれた。亡くなった)』とあります。
 奉悼(ほうとう):死を悼む(いたむ。嘆き悲しむ)
 斂葬の儀(れんそうのぎ):お葬式の本葬のこと。

 お父上に対する深い感謝、愛情、が語られます。
 お父上の愛称は、『ともさん』です。裏表のない人だったそうです。お父上は、風貌(ふうぼう。見た目)や着ている服装から、警官官に職務質問をされたこともあったそうです。
 お父上は、極度のアナログ人間だった。ビデオ録画の操作、パソコン、メール、携帯電話の使用はできなかった。原稿は手書きだった。文字は小さく、悪筆だった。留学中、メールのやりとりはできず、父と娘は手紙で文通をしていた。そんなことが書いてあります。
 その部分を読んでいて、自分自身のこととして思い出したことがあります。
 もう10年ぐらい前のことになりますが、働いていた頃、わたしは、なにかの依頼文を複数の人たちに送る時は、封筒に手書きで住所氏名のあて名を書いていました。ふだんから付き合いがある人たちではないので、手書きで住所や名前を書きながら氏名などを暗記するように心がけていました。
 それを見ていた年下の社員から、宛名シール(あてな)シールをつくってはったほうが早くて便利ですよと、ばかにしたように声をかけられました。(ああ、何もわかっていないと思いました。IT化(インターネットテクノロジー)とか、ゆとり教育の影響なのか、なんでもかんでも省略して楽をしたがる世代が生まれました。知恵の水準が低下しています。これから先、日本の未来は暗くなるであろうと予測しています)。ちゃんとしたものをつくるためには、時間も手間もかかるのです。

 ずっと読み続けていて、とても不思議だったことがあります。
 著者のお母さんのことは出てこないのです。お母さんは、ご存命です。妹さんや父方祖母、伯母さんのことは文章に出てきます。お母さんは出てきません。
 触れてはいけないタブー(禁止事項)があるようです。
 その件について、これ以上書くことはやめておきます。どこの家でもいろいろあります。

 『柏さま、「多謝」。雪より。』(意味はたぶん、お父さんありがとう、なのでしょう。柏さまが、お父さんで、雪さんが著者なのでしょう)。

『あとがき』
 シェルドニアン・シアター:学位授与式の会場。
 父も留学体験あり。父が娘の留学を喜んでくれた。
 雑誌編集部への感謝。
 2014年(平成26年)9月の記述となっています。
 たくさんの人たちが関りになってくれてできあがった一冊です。

『ご留学に乾杯 解説にかえて 学習院大学元学長 福井憲彦(ふくい・のりひこ)』
 著者は、仲良し学生の間では、『宮ちゃん』と呼ばれていた。
 学習院大学での卒業論文は手書きが義務付けられている。400字詰め原稿用紙で100枚。
 2014年(平成26年)の記述になっています。

『文庫版へのあとがき』
 本を出したのは、2015年(平成27年)なのに、なぜ今バズっているのかという話で始まっています。
 バズる:インターネットやSNS上で大きな話題となる。
 2024年1月の記述になっています。

 本一冊を読み終えての感想です。
 国民に、開かれた皇室、皇族をめざして、有意義な一冊をこの世に送り出されたと、この本の価値を認めます。

 本の最初に戻って、巻頭にある白黒写真をながめていて、本に書いてあった内容が、すんなり頭に入ってきました。
 若い人は、『広い世界を知りたい』のです。  

Posted by 熊太郎 at 07:30Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年10月26日

愛人!? 困っちゃう… 保科有里(ほしな・ゆり) 山中企画

愛人!? 困っちゃう… 保科有里(ほしな・ゆり) 山中企画

 BS放送の番組の合間に、夢グループのコマーシャルが入ります。
 初めて見たときには笑いました。
 『DVD(デー・ブィ・デーという発音)』とか、『CD(シーデーという発音)』は、笑えるのですが、年配者にとってはわかりやすい! 買う人いるだろうなあ。
 小型液晶画面なのに、『大画面(だいがめん)』、やっぱり買う人いるだろうなあ。
 じょうずに宣伝してあります。
 くわえて、『しゃちょーー もっとお安くしてーー』のかけ声とそのあとの格安値段で、これは、買う人いるだろうなーーと思ってしまうのです。
 日曜夕方の番組『笑点(しょうてん)』で、桂宮路さんが、こちらの本の著者女性の物まねをします。『しゃちょーー』のかけ声に笑います。

 本を読んでみることにしました。
 『愛人(ではない)』ことが強調されている本です。
 愛人とは:いろいろ解釈がありそうですが、この本の場合、社長のお妾さん(おめかけさん)のような印象があります。奥さん以外の恋人(社長がお金を女性に渡している)。2号さん。一夫多妻制のなごり。半世紀以上前、わたしがこどものころにはよくあった話です。社会的な立場が確立されていた記憶です。お妾さんでもちゃんとした仕事だった記憶で、地位もありました。お金を持っている男が、おおっぴらに女性を囲っていた時代です。

 著者の場合は、まず、自分は社長の愛人ではありませんと否定されています。
 “夢グループ”という会社における社長と社員の関係だそうです。

 さて、読み始めます。

 『千鳥の相席食堂(あいせきしょくどう)』に出たそうです。わたしは、以前は相席食堂を見ていましたが、あまりにも下品なので観るのをやめました。
 ただし、先日は、鹿児島県沖永良部島編(おきのえらぶじま)で、島が、どんなところだろうかと興味が湧いたので見ました。女性のお笑いタレントさんが出ていて爆笑しました。8月6日放送、阿部なつき&オダ・ウエダの植田紫帆の旅!でした。植田紫帆さんのダイナマイトボディがすごかった。

株式会社夢グループ:通信販売事業会社。芸能事務所(コンサートの主催)。石田重廣社長。最初は、『狩人(かりゅうど。兄弟でのコーラス歌手。歌曲として、「あずさ2号」』のマネジメント担当会社としてスタートした。歌手三善英史が加入して、夢グループという名称になった。2022年(令和4年)5月、石田社長とこの本の著者保科有里さんがデュエットで歌手デビューした。(保科有里さんはもともと歌手で長い間歌っていたが、会社である夢グループの事務員もしていた)。

 保科有里:歌手、62歳、石川県金沢市出身。未婚。
 社長の愛人ではない。上司と部下ではある。社長と社員ではある。
 石田社長にとって、保科有里さんは好みのタイプではない。
 石田社長のご家族も、保科有里さん愛人説を聞いて笑っている。
 保科有里さんは、好きで、『シャチョー! 安くして~!』と言っているわけではない。ほんとうは、そんなことを言うような人間ではない。自分は男に甘えるような人間ではない。勉強が好きではなかったので大学に行く気はなかった。高校を出て、自動車販売会社に入って、総務課で経理事務をしていた。車の運転が好きで、運転手役もしていた。そんなこんなが書いてあります。

 まあ、すごい。有名人、芸能人がたくさんでてきます。
 反発も受けています。ヒット曲がないのに、どうして、同じステージで歌うのだと責められています。
 でも、彼女を誘った石田社長が自分のプライドをかけて、彼女を使い続けます。
 芸能界というところは、『メンツ(立場。上下関係。世間体(せけんてい)。プライド(自信))』の世界であることがわかります。
 保科有里さんについて思うのは、『人は変われる』ということです。

 52ページまで読んで、今年読んで良かった一冊になりました。
 非常に現実的なことが書いてある本です。
 学びがある本です。

『第一章 「愛人」じゃなくて、「社長と社員」!』
 保科有里さんは、1993年(平成5年)デビューです。1961年生まれですから、デビュー当時は、32歳ぐらいです。かなり遅いデビューです。
 1996年(平成8年)、東京品川駅前のホテルで歌っていた時にレコードディレクターの塩入さんから石田社長を紹介されて、採用された。石田社長は軽い気持ちだったようです。
 自分なりに思うのは、仕事は、才能と努力と人間関係です。自分の過去を振り返ってみてそう思います。自分だけの力だけでは伸びていけません。支えてくださる人が必要です。
 されど、保科有里さんは、歌手としては売れません。歌を出してもさっぱりです。

 夢グループのコンサートや舞台劇に出てくれた人です。
 狩人、三善英史、チェリッシュ、千昌夫、松方弘樹、小林旭、黒沢年雄、島倉千代子、新沼謙治、山本リンダ、浅丘ルリ子、そこに保科有里さんが入ります。(本にも書いてありますが、保科有里さんがそこに並ぶのは、何かしらバランスがとれないような……)

 本のつくり方に関する感想です。
 ご本人のお話の部分は、明朝体の文章でつくられています。
 石田社長ほか、お世話になった人たちの文章は、丸文字のゴシック体で文章が書いてあります。
 意図的に区別されています。いとてき:目的があって、わざとそうしている。
 思うに、文章は、出てくる各自が書かれたものではない。インタビューをもとにして、文章がまとめてある。まあ、そのような企画でつくられた本なのでしょう。

 人間界の現実的な話です。お金もうけとか、プライド(自信満々になりたい)とか。
 
『第二章 金沢・我が町』
 金沢市内でラジオ番組をもたれているそうです。ご自身の故郷が金沢市です。
 昭和6年生まれの亡父(89歳で死去。クリーニング店をしていたが設備投資で失敗して廃業。保科有里さんが23歳、妹さんが15歳だった。その後借金が理由で離婚。されど親子の交流は続いた。父の借金を保科有里さんと母親で返した。(たいしたものです。親族間での助け合いは必要なことです)。『父の人生は若い頃からずっとつらかった』とあります。
 昭和11年生まれの母。8歳年下の妹。4人家族だった。
 
 保科有里さんは、お歌はおじょうずだったようで、NHKのど自慢でチャンピョンになったこともある。(歌がうまいだけでは、歌手としては食べていけない。唯一(ゆいいつ)という個性が欲しい)

 石山奈穂美さん(高校時代からの親友)のコメントです。
 保科有里さんは、目立たないタイプだった。歌好きで歌謡教室に通っていた。文化祭ではバンドを組んでいた。
 二十代後半で、東京の有名な先生に誘われて、歌手になる最後のチャンスとして東京へ出て行った。
 歌手ではなく、『社長、安くして~!』のコマーシャルで出てきたのでびっくりした。
 そんな話が書いてあります。楽しい。

 吉田万里子さん(OL時代の友人)のコメントです。自動車販売会社です。
 保科有里さんは、仕事に厳しく怖いイメージの人だった。
 色気は皆無だった。付き合ってみれば、気さくでかわいい人だったので意外だった。
 
 お母さんと妹さんからのコメントがあります。
 妹さんからみて、8歳年上のお姉さんである保科有里さんは、父親のような存在だそうです。(実父は離婚している)。
 お母さんは、26歳ぐらいで東京に行くと行った娘に反対した。東京の先生には、『ダメなら早く返してください』とお願いした。

 苦労話があります。親子とかきょうだいとかって、なんだろうなあと考えながら読んでいます。歳をとってから売れるということについても考えさせられました。

 両親がトラブルで離婚すると、それを見ていたこどもは、結婚願望がなくなるということはあるようです。
 女性も自分で働いて自活できるようになると、結婚を必要と感じなくなるもののようです。
 (半面、女性にとっての『結婚』は、男性の収入に依存することと考えてしまいます)

 男女交際において、男が複数の女性と交際をする。複数の女性の中にいる自分が、ほかの女性と比較される。男性に選ばれる立場になることが苦しい。

 ご自身が、結婚相手ではなく、愛人の対象として見られてしまう。
 誘ってくるオジさんが多い。
 赤裸々な話がでます。(隠さない)
 お金をもっていてもクズみたいなオジさんがいます。
 (文句を言わなそうな女性が狙われます(ねらわれます))
 そして、石田社長は、そんなオジさんではないのです。
 石田社長は、宇宙人だそうです。視点が、へんなオジさんとは違うそうです。

 たくさん、有名芸能人のお名前が出てきます。
 夢グループでの歌謡ステージとか舞台劇でごいっしょされたのでしょう。びっくりします。
 松方弘樹(2017年(平成29年)74歳没)、島倉千代子(2013年(平成25年)75歳没)、浅丘ルリ子(84歳)、小林旭(85歳)、橋幸夫(81歳。先日『徹子の部屋』に出演されたのを見ました)、東てるみ(あずまてるみ。68歳)、桑江知子(くわえ・ともこ。64歳)、石井明美(59歳)、平浩二(たいら・こうじ。75歳)、ロザンナ(ヒデとロザンナ。74歳)、葛城ユキ(2022年(令和4年)73歳没)、あべ静江(72歳)、おりも政夫(71歳)、チェリッシュ(松崎義孝74歳、松崎悦子73歳)、西口久美子(73歳。フォークグループ「青い三角定規」)、黒沢年雄(80歳)、尾藤イサオ(80歳)、江木俊夫(72歳)、伊藤咲子(66歳)、大野真澄(74歳。フォークロックグループ元「ガロ」のメンバー)、あいざき進也(67歳)、元フィンガー5の晃(あきら。63歳)
 

 ユーチューブで、保科有里さんの歌声を聴いてみました。とてもおじょうずです。
 
床山(とこやま):俳優や力士の髪を結う人(ゆうひと)。

 この本は、保科有里さんの人生の集大成という位置づけで出された本だと理解しました。
 人はだれしも、自分があの世にいくときに、自分が地球上で、この時代に生きていた痕跡を残しておきたいと思うものです。ときに人は、その夢を『本』という形で残そうとします。そう思いました。

 橋幸夫さんのコメントがあります。
 橋幸夫さんと聞くと、NHK朝ドラ、『あまちゃん』を思い出します。夏ばっぱのあこがれの人でした。歌曲、『いつでも夢を』が良かった。
 ここまで書いてきて、『夢』という言葉が何度も出てくる本です。
 
 読み終えました。なかなかいい本でした。
 人には、いろいろな人生のパターンがあるわけで、標準的な就職、結婚、出産、育児というルートをたどらない人生もあるし、そのことを、いいとかそうでないとかと言うこともできないと思ったのでした。

 さて、まだ少し感想を付け足しておきます。
 橋幸夫さんのコメントがあります。(番組『徹子の部屋』で、一度引退したけれど、周囲に押されて復帰したと、先日お話しされていました。サラリーマンと違って、芸能人の方は、引退も復帰も自分次第です。ファンがいれば復帰はできます)
 保科有里さんは、色気がないそうです。サバサバしていて、男の話(恋話)も聞かないそうです。
 本格的なクラブ歌手で、松尾和子さん(1992年(平成4年)57歳没)とか、青江三奈さん(2000年(平成12年)59歳没)タイプの歌手だそうです。
 
 東てる美さんのコメントがあります。
 保科有里さんは、人柄がいい人ですとあります。また、運の話が出ます。ヒット曲が出るためには、運も関係してくるのです。

 桑江知子さんと石井明美さんのコメントがあります。
 みんな仲良しです。ひとりで歌う歌手は孤独なのですが、この世代の人たちはとても仲良しだそうです。
 
 第五章に、ご本人からこれまでやってくることができたのは、『奇跡』だとして、その理由が説明されます。(わたしもたまに、これまで長い間生きてくることができたのは奇跡だと思うことがあります。長生きするためには、運が必要です)
 人生の変化のタイミングについて書いてあります。
 お母さんと妹さんへの感謝があります。
 三十年ぐらい続く地元金沢でのラジオ番組の話があります。
 ピンチになると、いつもだれかが助けてくれた。
 小沢音楽事務所(芸能事務所)、菅原洋一(91歳)、伊東ゆかり(77歳)。
 10年以上ホテルで歌を歌えた。
 カラオケの先生をした。生徒は、60代・70代の女性(ご主人やご家族のことは忘れて、自分が女子高生だったころを思い出して、ステキな男性を思い浮かべながら歌いましょうというようなことが書いてあります。ずーっと、夫と家庭にしばられて、がまんしてきた自分を解放しましょうということでしょう)。うまい歌ではなくて、心にしみる歌をうたうことを指導されています。
 (人生に歴史ありです)
 保科有里さんは、自分のためにではなく、人のために歌うことにした。
 男にとことん尽くしますというのは、自分はにがてだそうです。
 自分には、ライバルがいなかった。(自分のようなタイプがいなかった)
 夢スター:夢コンサートが開催する昭和歌謡歌合戦のユニット(集団)。120分間のコンサート。

 挫折と奇跡を繰り返す人生だったそうです。
 わたしも同じような世代ですから、健康に留意して長生きして、余生を楽しみましょう。  

Posted by 熊太郎 at 06:27Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年10月21日

傲慢と善良 辻村深月

傲慢と善良(ごうまんとぜんりょう) 辻村深月(つじむら・みづき) 朝日文庫

 昨年の秋ごろはやった文庫本の小説だと思います。やっと読む順番が回ってきました。(わたしは、ダンボール箱に読みたい本が何冊もあらかじめ入れてあって、基本的には購入した順番に読んでいます)

 最初の数ページを読みました。
 なんだかうっとおしい話が始まりました。
 『(男への)依存』、そして、ストーカーに追われているような女性の気持ちが書いてあります。
 『助けて。私を助けて。』です。

『第一部』 と『第二部』があります。
全体で、493ページある長編です。

西澤架(にしざわ・かける):男性です。39歳。東京都江東区豊洲のマンション303号室に住んでいる。(坂庭真実との結婚後の新居になる予定だった)。
33歳のとき父親から継いだブリューイング・カンパニーという会社を経営している。輸入業の代理店である。従業員5人。父親はくも膜下出血で急死した。実家は東京三鷹市にある。

あいつ:男性でしょう。ストーカー、さらには、ストーカーされる女性を殺したのではないかという殺人犯人のような雰囲気の書き方です。

坂庭真実(さかにわ・まみ):主人公となる女性でしょう。あるいは、西澤架(にしざわ・かける)のほうが主人公かもしれません。
英会話教室の事務員をしていた。うりざね顔。ひとえまぶた。和風な顔立ち。黒髪。父親似。35歳。結婚式を控えている。婚活で相手の西澤架(にしざわ・かける)を見つけた。

坂庭陽子:坂庭真実の母親。群馬県前橋市居住。二重まぶた。丸顔。パーマをかけた茶髪。

ミサキ:坂庭真実のいとこ。東京都内住まい。

岩間希実(いわま・のぞみ):坂庭真実の姉。東京都江戸川区小岩住まい。顔は、母親似。都内の証券会社勤務。夫剛志はデザイナーで、3歳の娘桐歌(きりか)がいる。
 
 単行本は、2019年3月(平成31年)発行です。今から読むのは文庫本です。

 2月2日深夜二時。坂庭真実が行方不明です。消えてしまいました。
 スマホは、電波が届かないところか、電源が入っていないそうです。
 
 不安をかりたてる文章がつづく。26ページ付近です。
 なにか、(読者をだます、あざむくための)しかけがあるのではないかという疑いをもちながら読んでいるわたしです。

大原:西澤架(にしざわ・かける)の友人。妻ミキと子2人(2歳児ゆうみともうひとり小学一年生)がいる。無精ひげ。彫りが深い顔立ち。

美奈子:西澤架(にしざわ・かける)と付き合いが長い。
梓(あずさ):美奈子とつるんでいる。

アユちゃん:三井亜優子。西澤架(にしざわ・かける)の元カノ。ほかの男と結婚した。西澤架(にしざわ・かける)より6歳年下。
 
 行方不明になったという坂庭真実は、なにか、本人の性格に問題があるのではなかろうか。
 読んでいて、本人の意図で、姿を消したようにも思えるのです。
 ストーカーという存在は、もともといないのではないか。
 
ペリエ:フランス起源の炭酸入りナチュラルミネラルウォーター

マリッジブルー:結婚する前の不安。

 58ページ付近、もうこれ以上読んでも得られるものはないような気がしてきました。

 坂庭真実と西澤架(にしざわ・かける)の結婚式の予定は9月です。
 場所は、麻布のミランジェハウス(西澤架(にしざわ・かける)の元カノ三井亜優子が結婚式をあげた場所であることがあとから判明する)

 西澤架(にしざわ・かける)は、坂庭真実を婚活で見つけた。
 
坂庭正治(さかにわ・しょうじ):坂庭真実の父親。元群馬県前橋市市役所職員。長身。

縁結び小野里(おのざと。群馬県県会議員の名前です。屋号かもしれません。(個人事業主が使う時の名称)):前橋市の結婚相談場所。県会議員の妻がひとりでやっている。元市職員の坂庭正治とつながりがある。

 坂庭真実は実家の群馬県で積極的に婚活をしていたが、断られたり断ったりで、かなりの人数の男性と面談をしたが、なかなか結婚相手が見つからなかった。
 (愛情のない、あるいは、愛情の薄い、結婚願望が見えます。西澤架(にしざわ・かける)の側にも同様のことがあります。西澤架(にしざわ・かける)も多数の女性と婚活をしていたが、元カノのことが忘れられず結婚に乗り気になれなかった)
 
 本音(ほんね)を突く。きれいごとを許さないところが、作者の特徴と持ち味でもあります。
 
 坂庭真実に紹介された男性はふたり。ひとりはすでに結婚している。(ふたりともストーカー犯人とは思えないタイプ)。ふたりの居住地は、前橋市と高崎市。紹介は、もう、6年前の話です。

 女性は出産できる時期があるから、いつまでも男を待てない。

 『高慢と偏見』:イギリスの小説。ジェーン・オースティン作。恋愛小説。結婚小説。
 
 結婚がうまくいかない理由として、傲慢さ(ごうまんさ)と善良さが要因になっている。
 自分と相手を比較する。自分は、何点の人間だからと仮定して、相手にも同様の点数を求める。(70点ではだめなんですとか)。点数的に自分にふさわしくない相手は、結婚相手にしない。
 
 143ページあたり以降を読んでいてですが、なんだか、お昼のラジオ番組である『人生相談』を聞くようです。
 母親が、娘の結婚相手をお見合いで、自分好み(職業とか収入、家柄においての母親好み)の男性を娘に夫としてあてがおうとしています。
逆に、お見合いにおいて、娘が好む相手男性は親に拒否されます。そこに見合い相手を紹介してくれた県会議員夫婦への恩義がからんできます。
 まあ、娘は苦しい立場です。
 この点を、小説では、『(親の)傲慢(ごうまん。相手を見下す(みくだす)。バカにする)』と位置付けます。
 でも、現実的な話ではあります。

カナイ・トモユキ:坂庭真実の見合い相手だった男性。前橋市内居住。市内の電子メーカー勤務のエンジニア。のちに、『金居智之 既婚』と判明します。
金居智之は体格がいい。体育会系に見える。日に焼けている。東日本大震災でボランティアの経験あり。金居智之が32歳、坂庭真実が26歳のときに見合いをした。金居智之は、坂庭真実には陰(かげ)があると気づいたとのこと。(見た目と中身が違うということ)。

 わたしの考えとして、そもそもこの話で設定されている坂庭真実に対するストーカーはいないのではないか。

傲慢とは(ごうまん。見合い相手の品定めをする):坂庭真実の母親である坂庭陽子のこと。自分好みの男性を、次女である坂庭真実の夫にしようとするから。

善良とは:傲慢な母親の言うことをきこうと努力する坂庭真実のこと。

 さらに、見合い相手である(結婚相手でもある)西澤架(にしざわ・かける)の実母が、息子夫婦との同居をさきざき希望している。(わたしが孫のめんどうをみてあげると言う)
 いろいろプレッシャーが、坂庭真実33歳にはあります。加えて、男性経験が33歳までなかったという事情が出てきます。
 坂庭真実はかなり苦しい。ストーカーに追われているというのは、口実で、じっさいは、ひとりで姿をくらましたような展開です。

 199ページまで読んで、これから先のページをペラペラとめくってみました。
 327ページから第二部が始まります。
 どうも、第二部は、行方不明になっている坂庭真実のひとり語りのようです。

(つづく)

 群馬県庁が出てきます。33階建て、上に展望台。自分に、なにかしら記憶があります。
 路線バスで鬼ごっこ太川陽介さんとEXILE(エグザイル)松本利夫さんの対決で、ゴール地点になった場所ではなかろうか。調べてみます。調べたら、違っていました。テレビ番組のほうは、前橋市役所21階展望室でした。群馬県庁は、高崎市にあります。
 群馬県の県庁所在地は高崎市です。以前、高崎か前橋か、どちらが県庁所在地になるかでかなりもめたという記事を読んだことがあるのを思い出しました。

 県の職員採用、その後の共働き結婚生活などを話題にして、地方で暮らす人間の暮らし方に関する記述が続きます。その標準的な暮らし方になじむことができなかった女子は、土地にいづらくなって、東京へと逃げるように出て行くのです。

有阪恵:群馬県庁の臨時職員(1年更新で継続就労中)。25歳で職場結婚した。坂庭真実と同じ年齢。35歳。

 お見合いにおいて、自分は、選ばれるほうの人間だと思いこんでいる(誤解している)。
 お見合いの相手を見下すことがある。(自分が断ったその相手が、その後別の女性と結婚してこどもができて幸せに暮らしているという事実がある)。

 坂庭真実は、ストーカーするほどの価値がある女性ではなさそうです。

 『(お見合いで)いい人がいない』→あなた自身が、いい人ではないという裏返しの言葉です。

 『在庫処分のセールワゴン』→30歳を過ぎて、売れ残り同士(男女)のお見合いと結婚のことをいう。

泉ちゃん:坂庭真実のにがてな相手。同級生女性35歳。高校は坂庭真美の姉である岩間希実と同じ。大学は、西澤架(にしざわ・かける)と同じ大学。商社で働いていたが出産子育てで高崎市に帰郷している。

 学歴とか、卒業校をばかにしている。学歴の優越感で生きている人がいる。

(そして、第一部を読み終えました)

 ジャネット:坂庭真実が結婚のために退職した英会話教室での同僚台湾人女性。

 花垣歯科医院(群馬県高崎市にある)→代替わりして、フラワー・デンタル・クリニックに名称変更をする。坂庭真美が6年前に見合いをした相手の弟が後を継いでいる。見合いをした相手(長男)が歯科助手をしている(わけあり。長男が跡継ぎになれていない。次男が跡を継いでいる)。

 坂庭真実が行方不明になってから3か月が経過している。今は、5月です。

 美奈子、梓、渚、多佳子:西澤架(にしざわ・かける)の友人。男女の友人で、恋人関係はない。

 坂庭真実は、西澤架(にしざわ・かける)の元カノ三井亜優子(みついあゆっこ)のことを知ったのではないか。(当たりでした)

 坂庭真実は、お見合いの相手であったふたりの男性に、傲慢(ごうまん)な態度をとった。自分よりもレベルが下と、見下した(みくだした)。

 『皆が行くから大学に行き、親が決めたから就職し、そういうものだからと婚活する』

 西澤架(にしざわ・かける)という男性は、婚活の場において、『(坂庭真実にとっての)掘り出し物(いい商品、物件)』だった。

 『自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない……』(坂庭真実に対する厳しい人物評が続きます)

 読んでいると、(30歳過ぎの男女の結婚って)何なのだろうなあという気分になります。
 まわりがそういうから(結婚しろと言うから)、婚活をする。
 
 坂庭真実のストーカー話は、つくり話であることが判明しました。

『第二部』
 ストーカー事件に巻き込まれたというウソつき話を西澤架(にしざわ・かける)に持ち出した坂庭真実の語りでしょう。

 自立できない女子の悲しい話です。
 母親の言いなりになって育って、大人になって、自分の脳みそで自分のことが決められないのです。
 男(西澤架(にしざわ・かける))に依存しようとしますが、彼は坂庭真実のことを自分にとっては、70点と点数付けした人間です。せめて、80点は欲しかったと坂庭真美がつぶやきます。西澤架(にしざわ・かける)にとっての100点満点の女性は、彼の元カノの三井亜優子なのです。

 『いつ結婚するんだって、親にせかされるのは、もう嫌なの……』
 坂庭真実はあせっていた。西澤架(にしざわ・かける)で手を打つことにした。ふたりとも打算(ださん。損得勘定をすること)で結婚するのです。
 
 西澤架(にしざわ・かける)に恋愛感情をもつ女性たちは、西澤架(にしざわ・かける)の婚約者である坂庭真実を激しく攻撃します。彼女の人格を貶めます。(おとしめます。さげすむ)。ありがちな人間的社会です。人の不幸が嬉しい、悪人がいます。

 これは、女の生きづらさを書いてある本だろうか。

 母親の言いなりです。世の中での生き方を知らない、母親にコントロールされた自主性のない女性が坂庭真実です。坂庭真実は、現実を知りません。
 
 『真面目でいい人』→結婚相手の対象にはなっても、恋愛の対象にはなりにくい。

 31歳にもなって、親から、帰りが遅いと言われる坂庭真実です。(親がおかしい。娘を高校生扱いしています)
 
 居場所がない坂庭真実です。

 坂庭真実の部分を読みながら、この人は、結婚には向いていないと判断します。『無理』です。『無理』が完成しています。今は、374ページ付近を読んでいます。

 偽名を使って、仙台市内で生活する。東日本大震災復興のためのボランティアスタッフとして生活する。

 プロセスネット:震災復興の民間組織。
 谷川ヨシノ:プロセスネットのスタッフ。三十代はじめぐらいの明るい美人。背が高い。
 樫崎写真館(かしざきしゃしんかん):館長が、樫崎正太郎、白髪の老人。芸術家っぽい。その孫が、樫崎耕太郎、彼女あり。
 樫崎写真館で寝泊まりしているスタッフが、早苗(38歳)とその小学生のこども男児で力(ちから。11歳)。
 震災で汚れた写真を洗ってきれいにする作業をする。

 仙台は観光で去年訪れたので、読んでいてイメージがつくれます。

直之:坂庭真実のいとこ。離婚した。

板宮:五十代の男性。地図製作会社の社員。ベテラン地図調査員。地図づくり担当。震災で、家がなくなって、新しい建物がそこにできる。地図でそのことを表示していく。

花垣学:坂庭真実のふたりめのお見合いの相手だった人。しゃべらない人だった。朴念仁(ぼくねんじん。無口で愛想がない(あいそがない))だった。花垣学は、こどものようにオレンジジュースを飲む。

高橋:30歳。地図づくりのアルバイト。背が高くて肩幅が広い。茶髪、ピアスをしている。

 震災で被災した写真をきれいに洗って持ち主に渡すという内容は、邦画、『浅田家』を思い出します。
 『浅田家』という家族の看板を掲げて、写真家が、『家族』のありかたについてこだわる映画でした。

仙石線:仙台駅から石巻駅。(わたしは乗ったことがあります。読んでいると実感が湧きます)

ネルシャツにチノパン:表面を起毛させた暖かいシャツ。綿やポリエステルのズボン。

(ストーカーの話から、うまくいっていない婚活の話になって、話題は突如、東日本大震災に飛んで、う~む。これでいいのだろうか……)

幸子(さちこ):被災写真の花嫁さん。

健太:幸子さんのこどもさん。

 石母田(いしもだ)とその娘:三波神社(みつなみじんじゃ)の人

メグちゃん:坂庭真実が、群馬県庁で働いていたときの同僚。既婚者。

 なんというか、亡くなった人が大事に保管していた昔の写真というのは、扱いが難しい。
 子孫にとっては、知っている人がだれも映っていない白黒写真もあります。
 最終的には処分することになるのですが、簡単そうで、そうでもないのです。放置することが多い。そうすると、時が流れて、さらに縁遠い子孫は困ります。ここにある古い写真を届けるという発想は、届ける人の側の自己満足の感情があります。届ければ、喜ばれると思いこまないほうがいい。相手にとっては迷惑なこともあります。

権禰宜(ごんねぎ):神社の役職。禰宜(ねぎ。役職。一社にひとり。責任者ということか)の補佐役。複数設置可。

 472ページあたりから先、ひょうしぬけするような結末へ移行しました。(力が抜ける)。
 坂庭真実にとっては重大なことであっても、読み手である傍観者にとっては、その程度のことで、そのような気持ちになるのかと、主人公の思考に寄り添えなくなります。やはり、まだ、気持ちがこどもなのです。

 自分に70点という点数をつけた男とこれから先、どうするのか。
 傷ついた自分の気持ちをどうするのか。

 物語の結末は、わたしには、そうなるとは思えません。

 人生は、しんどい。(骨が折れる。難儀(なんぎ)だ)

 『私とお母さんは違う人間だということを、どうしてわかってくれないの……』
 『母にとっては、私は一生自分の一部のようなもので……』

 486ページの展開、うまい!
 こういうふうに話をもっていくわけか。

 されど、この先は、けっこうしんどい。
 親族・身内を拒んで(こばんで)、個別単体で生きていけるほど、世の中は甘くない。

 『結婚』というものは、たいてい、こんなはずじゃなかったと思うものです。
 そこを乗り越えて、これはこういうものだと、気持ちに折り合いをつけて、やっていかないと結婚生活は長続きしません。

 親戚づきあいをしたくない人、親戚づきあいがにがてな人は、結婚は、思いとどまったほうがいいです。
 戸籍の届を出して、戸籍ができると、法的に権利義務関係が発生します。扶養の義務も発生します。
 
 人生は障害物競争みたいなものです。
 病気や事故、自然災害や事件に巻き込まれることもあります。
 一生元気で健康な体を維持できる人はほとんどいません。
 ひとり、あるいは、夫婦ふたりだけでは生きにくいのです。
 助け合いが必要です。精神的・金銭的援助を親族同士ですることはふつうのことです。そこを割り切れない人は、戸籍をいっしょにせずに、事実婚状態のほうがベターです。

 読み終えてわたしは、坂庭真実は、自分をバカにした女友だち複数をもつ西澤架(にしざわ・かける)とやっていけるとは思えないのです。
 尻すぼみの終盤でした。

 辻村深月作品の特徴は、本当のことを追求して、本当のことを把握して、じゃあどうするんだと考えることです。
 例として、作品、『琥珀の夏(こはくのなつ)』があります。
 善人とされていた男性指導者の脳みそにあったのは、エロ(性的興味が強い)だったと暴かれています。(あばかれています)。

(その後のこと)
 こちらの小説作品が映画化されて現在公開中であることを知りました。
 う~む。わたしは観に行かないと思います。  

Posted by 熊太郎 at 07:32Comments(0)TrackBack(0)読書感想文