2024年12月17日
あめだま ペク・ヒナ作 長谷川義史・訳
あめだま ペク・ヒナ作 長谷川義史(はせがわ・よしふみ)訳 ブロンズ新社
先日読んだ、『ぼくは犬や ペク・ヒナ作 長谷川義史(はせがわ・よしふみ)訳 ブロンズ新社』と同じ作者、訳者の絵本です。
『ぼくは犬や』が、2020年(令和2年)の発行で、こちらの、『あめだま』が、2018年(平成30年)の発行です。
同じ登場人物が出てきます。
こどもさんの名前が、『ドンドン』という男の子で、『あめだま』のほうは8歳で、『ぼくは犬や』のほうは、3歳ぐらいに見えます。時系列でいうと順番が逆ですな。
こちらの、『あめだま』の絵本のほうが売れているようですが、わたしは、先日読んだ、『ぼくは犬や』のほうが好みです。『ぼくは犬や』のほうが好きですな。
ちなみに、犬のお名前は、『グスリ』です。
立体的な写真に見える絵本です。
リアルです。表情とか、とくに手のひらのしわとかが本物の人間の手みたいです。
紅葉がきれいな絵本でした。
葉っぱが、黄色とかオレンジ色です。
紅葉(もみじ)や、イチョウの木の葉っぱが地面に落ちて広がっています。
8歳(日本だと小学二年生)のドンドンが、犬のお散歩で、グスリの首に付いているヒモを引っ張っています。
ドンドンは、新しいビー玉が欲しいそうです。
文房具屋か雑貨屋のおじいさんが、ドンドンに、あめだまが入った袋をくれました。
袋には、6個のあめだまが入っています。
1個目のあめだま:ハッカ味。あめだまをなめると、しゃべらない物がしゃべる声が聞こえるという効果があるらしい。自宅の居間にあるリビングがしゃべる声が聞こえてきます。
読んでいて、笑いました。ソファーが言います。お~れの(ソファーの)わき腹にテレビのリモコンがはさまっているから取ってほしい。わき腹が痛いそうです。
あわせて、キミのパパの『おなら』がつらい。息ができんと訴えてきます。おもしろい。
2個目のあめだま:犬のグスリが話す声が聞こえてきました。自分はもう年寄りの犬で、若い頃のような元気はなくなってきているから、いっしょに駆け回って遊ぶのもほどほどにしてちょうだいとドンドンに相談しています。走り回ることがしんどい年齢だそうです。グスリはおじいちゃんになってしまったのね。(人間のおじいちゃんみたいです)
突然パパがでてきて、ドンドンに、ああしろ、こうしろと命令と指示が山のように出てきました。
ページいっぱいに、ああしろ、こうしろと文字が書いてあります。
しゅくだいしたんか? おもちゃちゃんとかたづけろ……
うっとおしいなあ。
3個目のあめだまをなめました。どういうわけか、『すき(好き)』の連呼です。
なんだかんだ言われても、ドンドンは、パパが好きということを表現したのでしょうが、読んでいるわたしには、ちょっと意味がわかりませんでした。
パパの愛情に感謝なのでしょうが、あまりにも指示や命令が多すぎます。(そういえば、この家にはママがいません。わけありですな)。
4個目のあめだま:おばあちゃんの声が聞こえてきました。先日読んだ、『ぼくは犬や』に出ていたおばあちゃんは、それから5年ぐらいが過ぎた設定で、こちらの絵本では亡くなっています。
2冊の絵本の出版時期と内容が前後していますが、あとから出版された絵本のほうが、時代をさかのぼっています。
おばあちゃんの声は元気です。(ゆうれいのおばあちゃんです)
『ドンドンや。元気にしてるか?』。おばあちゃんは、女学校のときの友だちみんなと会ったそうです。(天国で)。
おばあちゃんから、ドンドンは、ともだちとぎょうさん走って遊びなはれとアドバイスがあります。
5個目のあめだま:たぶん公園でしょう。紅葉がとてもきれいです。遠くにぼんやり人の姿が見えます。バイバイの声が聞こえてきました。
6個目のあめだま:声は聞こえてきません。だから、ドンドンから声をかけました。『ぼくと いっしょに あそべへん?』。新しいともだちの出現です。公園にいた子どもに声をかけました。
りくつっぽいかなと思います。
あとは、詩的です。
なにせ、紅葉の背景が美しい。
なんとなく、心が温まる、少年の心理でした。
先日読んだ、『ぼくは犬や ペク・ヒナ作 長谷川義史(はせがわ・よしふみ)訳 ブロンズ新社』と同じ作者、訳者の絵本です。
『ぼくは犬や』が、2020年(令和2年)の発行で、こちらの、『あめだま』が、2018年(平成30年)の発行です。
同じ登場人物が出てきます。
こどもさんの名前が、『ドンドン』という男の子で、『あめだま』のほうは8歳で、『ぼくは犬や』のほうは、3歳ぐらいに見えます。時系列でいうと順番が逆ですな。
こちらの、『あめだま』の絵本のほうが売れているようですが、わたしは、先日読んだ、『ぼくは犬や』のほうが好みです。『ぼくは犬や』のほうが好きですな。
ちなみに、犬のお名前は、『グスリ』です。
立体的な写真に見える絵本です。
リアルです。表情とか、とくに手のひらのしわとかが本物の人間の手みたいです。
紅葉がきれいな絵本でした。
葉っぱが、黄色とかオレンジ色です。
紅葉(もみじ)や、イチョウの木の葉っぱが地面に落ちて広がっています。
8歳(日本だと小学二年生)のドンドンが、犬のお散歩で、グスリの首に付いているヒモを引っ張っています。
ドンドンは、新しいビー玉が欲しいそうです。
文房具屋か雑貨屋のおじいさんが、ドンドンに、あめだまが入った袋をくれました。
袋には、6個のあめだまが入っています。
1個目のあめだま:ハッカ味。あめだまをなめると、しゃべらない物がしゃべる声が聞こえるという効果があるらしい。自宅の居間にあるリビングがしゃべる声が聞こえてきます。
読んでいて、笑いました。ソファーが言います。お~れの(ソファーの)わき腹にテレビのリモコンがはさまっているから取ってほしい。わき腹が痛いそうです。
あわせて、キミのパパの『おなら』がつらい。息ができんと訴えてきます。おもしろい。
2個目のあめだま:犬のグスリが話す声が聞こえてきました。自分はもう年寄りの犬で、若い頃のような元気はなくなってきているから、いっしょに駆け回って遊ぶのもほどほどにしてちょうだいとドンドンに相談しています。走り回ることがしんどい年齢だそうです。グスリはおじいちゃんになってしまったのね。(人間のおじいちゃんみたいです)
突然パパがでてきて、ドンドンに、ああしろ、こうしろと命令と指示が山のように出てきました。
ページいっぱいに、ああしろ、こうしろと文字が書いてあります。
しゅくだいしたんか? おもちゃちゃんとかたづけろ……
うっとおしいなあ。
3個目のあめだまをなめました。どういうわけか、『すき(好き)』の連呼です。
なんだかんだ言われても、ドンドンは、パパが好きということを表現したのでしょうが、読んでいるわたしには、ちょっと意味がわかりませんでした。
パパの愛情に感謝なのでしょうが、あまりにも指示や命令が多すぎます。(そういえば、この家にはママがいません。わけありですな)。
4個目のあめだま:おばあちゃんの声が聞こえてきました。先日読んだ、『ぼくは犬や』に出ていたおばあちゃんは、それから5年ぐらいが過ぎた設定で、こちらの絵本では亡くなっています。
2冊の絵本の出版時期と内容が前後していますが、あとから出版された絵本のほうが、時代をさかのぼっています。
おばあちゃんの声は元気です。(ゆうれいのおばあちゃんです)
『ドンドンや。元気にしてるか?』。おばあちゃんは、女学校のときの友だちみんなと会ったそうです。(天国で)。
おばあちゃんから、ドンドンは、ともだちとぎょうさん走って遊びなはれとアドバイスがあります。
5個目のあめだま:たぶん公園でしょう。紅葉がとてもきれいです。遠くにぼんやり人の姿が見えます。バイバイの声が聞こえてきました。
6個目のあめだま:声は聞こえてきません。だから、ドンドンから声をかけました。『ぼくと いっしょに あそべへん?』。新しいともだちの出現です。公園にいた子どもに声をかけました。
りくつっぽいかなと思います。
あとは、詩的です。
なにせ、紅葉の背景が美しい。
なんとなく、心が温まる、少年の心理でした。
2024年12月16日
ぼくは犬や ペク・ヒナ作 長谷川義史・訳
ぼくは犬や ペク・ヒナ作 長谷川義史(はせがわ・よしふみ)訳 ブロンズ新社
心温まる絵本です。
親戚のちびっこにプレゼントする一冊にします。
登場する人物や動物が、立体的な絵の絵本です。
めずらしい。
人形みたい。
おもしろい。
優しい(やさしい)。
いい絵本です。
登場する犬のお名前:グスリ。犬種はポインターの子犬に見えます。
グスリの母親のお名前が、パンウリで、そのとき住んでいたのが、スーパーマーケットで、4匹の子犬が産まれて、グスリは、4匹目に生まれた子犬だったそうな。
そこから、もらわれた家が、今の家だそうです。
おとうちゃんとおばあさんと、ちびの男の子(お名前は、ドンドンで6歳。わるさをする。すぐ泣く。パンツにおもらしをする。おねしょもする)の三人家族です。
不思議なのは、グスリは犬種でポインターに見えるのですが、グスリの母親は、犬種がポインターではありません。
父親が、ポインターなのだろうか。
近所にいる犬の一覧が出てきます。29匹もいます。みんな家族、みんな仲間だそうです。
人間三人がお出かけして、グスリだけがお留守番で、さびしいな。
このへんを表現した絵がなかなかいい。(まだ、まだ、まだ、まだ、帰ってこない……(三人の帰宅を心待ちにしています))
グスリがお散歩に行くときの勢いがすばらしい!!
グスリには、6歳のこどもであるドンドンのめんどうをみなければならないという責任感があります。
うんこするのよ。グスリは、犬だから。そのへんで。うんこするのよ。ベッドの上で。いやーねぇ。 (おとうちゃんにしかられた)
優しい男の子のドンドンが、犬のグスリのところに来てくれました。
よかったね。
心温まる絵本です。
親戚のちびっこにプレゼントする一冊にします。
登場する人物や動物が、立体的な絵の絵本です。
めずらしい。
人形みたい。
おもしろい。
優しい(やさしい)。
いい絵本です。
登場する犬のお名前:グスリ。犬種はポインターの子犬に見えます。
グスリの母親のお名前が、パンウリで、そのとき住んでいたのが、スーパーマーケットで、4匹の子犬が産まれて、グスリは、4匹目に生まれた子犬だったそうな。
そこから、もらわれた家が、今の家だそうです。
おとうちゃんとおばあさんと、ちびの男の子(お名前は、ドンドンで6歳。わるさをする。すぐ泣く。パンツにおもらしをする。おねしょもする)の三人家族です。
不思議なのは、グスリは犬種でポインターに見えるのですが、グスリの母親は、犬種がポインターではありません。
父親が、ポインターなのだろうか。
近所にいる犬の一覧が出てきます。29匹もいます。みんな家族、みんな仲間だそうです。
人間三人がお出かけして、グスリだけがお留守番で、さびしいな。
このへんを表現した絵がなかなかいい。(まだ、まだ、まだ、まだ、帰ってこない……(三人の帰宅を心待ちにしています))
グスリがお散歩に行くときの勢いがすばらしい!!
グスリには、6歳のこどもであるドンドンのめんどうをみなければならないという責任感があります。
うんこするのよ。グスリは、犬だから。そのへんで。うんこするのよ。ベッドの上で。いやーねぇ。 (おとうちゃんにしかられた)
優しい男の子のドンドンが、犬のグスリのところに来てくれました。
よかったね。
2024年11月21日
書いてはいけない 日本経済墜落の真相 森永卓郎
書いてはいけない 日本経済墜落の真相 森永卓郎 三五館シンシャ(さんごかんしんしゃ)
わたしは、著者のことをほとんど知りません。
森永卓郎(もりなが・たくろう):経済アナリスト(分析家)、1957年(昭和32年)生まれ、67歳。2023年12月にがんであることを公表した。
お金の話(投資)かと思ってこの本を買いましたが、表紙を開いてみると、書いてあることは、①ジャニーズ事務所の話 ②財務省と統一教会の話 ③御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の話 ④日本経済が墜落した話でした。週刊誌の記事みたい。
まあ、ざーっと読んでみます。
『まえがき』に、本当のことを言ったら、瞬時にメディアに出られなくなるとあります。
がんになったから、覚悟を決められたということもあるのでしょう。
ようやく出版を受けてくれる出版社が見つかったそうです。三五館シンシャ(さんごかんしんしゃ)は、一人で経営している出版社だそうです。以前、職業体験をされた一般人の方々が書いた同社の本を何冊か読んだことがあります。
『第1章 ジャニーズ事務所』
セクハラ行為のことが書いてあります。
人事権があるかなり年上の男が、支配下にある少年たち多数に対して、性的に異常な行為をしたのです。
わたしは、組織の上層部にいる人に、いい人はいないと思っています。組織の上層部にいる人の役割は、利潤の追求という目的を達成するために、自分より下の地位にある人間を将棋の駒のように動かしたり、扱ったりすることが仕事です。人情を排除して、非人間的な面を求められることもある立場です。
そして、人間には二面性があります。あんな感じがいい人が、あんなことをするのかと驚くこともあります。コワイ、コワイです。
勉強ができる頭のいい人たちは、事件や事故が起きたときに、自分や自分たちの都合がよくなるように、何も起きていない、何も起こらなかったという状況を想定することができる人たちです。オソロシイ人たちがいます。
人の気持ちや命よりも、自分たちの利益を優先することが、資本主義とか、社会主義、民主主義だと思っている人がいます。
マスコミ(マスメディア)は、正義ではありません。人心を誘導する力をもっているコワイ組織です。
カリスマ型人間がいます。生きている神さまです。生き神さま的立場の人のそばに、人がたくさん集まってきて、彼あるいは彼女と組織に心理をコントロールされて、組織の上層部にいる一部の人間だけが得をするシステムを構築します。古代卑弥呼(ひみこ)の時代から続く人間界のありようです。人間界には、天才的な詐欺師(さぎし)がいます。そこに(彼や彼女、そして、組織に)お金が集まるのです。
日本には、『長い物には巻かれろ』ということわざがあります。(自分よりも強い相手にはさからわない。そのほうが自分にとって得になる)。
先日、NHKスペシャルでジャニーズ事務所の件について、報道番組が流れていました。わたしは見ていませんが、家族がその番組を見て、なにか話をしていました。闇(やみ)は深い。
『放置』が、モンスターを育てて、のさばらせた。モンスターをかばう身内である親族がいた。利益がからんだ関係者たちが口をつぐんだ。(黙った)。
いっけん対立する組織同士であっても、上層部同志は知り合いということもあります。私立中学校から大学までの同窓生であったり、ときには、仕事では対立する立場であっても、お互いに親族関係があったりもするでしょう。
グル(仲間)なのです。対立する立場であっても、互いが組んで、権力を思いのままに操作できる人間関係とシステムがあります。同じ箱(類似職業世界)の中でなら、やれることです。
自分や自分のグループが被害を受けなければ、他人がどうなってもいいという感覚が、身にしみついている人がいます。
抗拒不能(こうきょふのう):抵抗できない。
2003年7月東京高等裁判所判決:加害者と事務所による名誉棄損で出版社を訴えた裁判の判決は、加害者による性被害を認めた。民事事件だった。
2004年2月、最高裁が上告を棄却。高裁の判決が確定した。明らかに刑事事件に該当する事件だった。
警察は動かなかった。マスコミは騒がなかった。
以降も性被害は続いた。
おぞましい。(ぞっとする。不気味(ぶきみ))。
芸能界だから、そんなこともあるだろうで、見すごされたのか。
それに耐えて、売れるのが、芸能人の仕事ぶりと判断されたのだろうか。
なんともひどい世界ですが、一般企業で同じようなことがあってもおかしくはありません。
事務所のタレントは、まじめで、努力家で、人間性も豊かだったとあります。
著者が理解できなかったのは、なぜ一般人の女性たちが、彼らのようなタレントに熱狂するのかという点だったそうです。
かれらよりもかっこいい男子は、一般社会にもいる。(彼女たちは洗脳されている。マインドコントロール)。
まだこどもの頃から、タレントを育てる。タレントを、自分が育てた自分の創作物とする気持ちが女性の側にあるそうです。
熱狂する女性たちと同じ感覚を、異常な性的志向をもっていた加害者が有していた。
事務所には、テレビ界・芸能界に対する『圧力』という武器があった。お金の流れと、うっとうしさという側面がある『圧力』だった。
なにかしら、きついことがいろいろ書いてあります。
事務所の記者会見をわたしもテレビで見ましたが、表面上はおだやかな話し方でも、じっさいにあった事実は、この本によるとかなりひどくきつい。不信感はつのるばかりです。
なんというか、芸能界とかテレビ界では重要なことなのでしょうが、暗黙の忖度(そんたく。相手に言われなくても相手にとって有利な方向へ話を導く)とか、芸能界でのおかしな慣例の事例を読むと、利害関係にない者からすると、ばかばかしい行為に思えます。違法行為とも思えるテレビ局から事務所に対する忖度(そんたく)があります。
人間のまっすぐな心がゆがめられています。ひどい。
性加害を意図的に表に出さない、『共犯者、共犯組織』があります。さらに、それぐらいいいじゃないかという意識もあります。鬼や悪人がいます。日本人社会にありがちな傾向です。
人間の(日本人の)もつ闇の部分が、イギリスの放送局によって(外国人によって)暴かれて(あばかれて)います。日本人社会によくある、『同調圧力』です。だれかを助けるために、だれかをみんなでいじめるのです。自分たちの反対勢力を徹底的に叩く(たたく)のです。犠牲者がいます。まるで生贄(いけにえ)のようです。
ふりかえってみると、昭和の時代は、いいところもありましたが、前記したようなよくないところもありました。みんなの感覚が鈍って(にぶって)いました。
テレビ局の中にも役所のような縦割り行政のようなものがあることは、本を読んで初めて知りました。『報道番組部門』と『バラエティ番組部門』です。両者に壁があるそうです。
事務所の権力は、『恐怖による支配』だったそうです。
わたしは、テレビ報道は、人心を操作することができるので、気をつけなければならないと思っています。
情報を丸のみにして信じてはいけないと常日頃から思って番組を見ています。
報道されたとおりに、未来がそうならないこともままあります。
テレビの人は、予想がはずれても知らん顔です。
わたしはテレビやネットの情報をあてにしていません。ニュース報道や解説、出演者の発言などは、たいてい疑いながら見たり聞いたり読んだりしています。本当だろうか? だまされないぞという意識です。
バーター(抱き合わせ):売れているタレントを出演させる引き換えに若手を売り込む。
人権感覚が、鈍い(にぶい)とあります。
『第2章 ザイム真理教』
う~む。78ページまで読んで思ったことです。
センセーショナル(人の心をかきたてる。かきまわす。あおる。ゆすぶる。あっといわせる)に書いてある。おおげさに感じます。それから、もう終わったことです。いまさらという気持ちも湧きます。著者はあせっているのか……
財務省のことが書いてあります。
『税金』の話です。
ときおり、税収が増えたと、いいことがあったかのようなニュースが流れます。
税収が増えることは、本当にいいことなのだろうか。
喜ぶのは、税金徴収とそれをもとに予算をつくたり、執行したりする関係者だけではなかろうか。
財務省という組織の体質は、芸能事務所と同じ、カルト教団(教団の上層部が、信者から財産を搾取(さくしゅ。ぶんどる。しぼりとる)する)と同じというような書きぶりです。
アベノミクスについて書いてあります。
2012年(平成24年)12月発足第二次安倍晋三政権の政策です。
おもに、異次元の金融緩和と財政出動です。大規模な資金供給拡大があったとあります。
物価が下がる。給料が上がらないという時代が長らく続いていたが改善のきざしがあった。それなりの良い効果があった。
2014年(平成26年)4月に消費税を5%から8%に上げたとたん、経済は冷えた。アクセルを踏みながらブレーキを踏んだようなものだった。
いろいろ書いてあります。
内容は、国から(財務省から)、補助金(利益)を受けている有名人・有名企業は、国の(財務省の)味方である。(だから、増税に賛成する。利益をもらったお返しに、増税をPRするための広告塔の役割を果たす。もちつもたれつ)ということです。
そして、財務省の方針(増税)に反対する個人や法人には、税務調査に入って、不正があったとして、税金を追加徴収して、さらしものにするという制裁を課すのです。税務職員には、裁量権があるので、グレーゾーンにあたる行為に対しては、特定の意思をもって、いやがらせが合法的にできるそうです。
お金と人事の権力をもっている幹部や特定の職員が頂点に立って、政治家も国民も自らの支配下に置こうとしているのです。(なんだかすごい話です。極端な表現もあるような気もしますが……)
財務省内では、増税を『勝ち』、減税を、『負け』と呼ぶそうです。
『勝ち』を続けた人が、天下りができて得をするそうです。天下りができる人の数はそれほど多くはないらしい。(そこまでしてお金が欲しいのか)。
『増税』でふえた税収は、どこへ行ったのだろう?
著者は、景気上昇のために、消費税の減税を強く訴えています。
景気を良くして、所得税の税収を増やすことが社会を良くすると判断されています。
増税に代わる保険料の引き上げは、邪道(じゃどう。正しくないやりかた)だと主張されています。
83ページに、『高齢者は年金をもらいすぎている?』という項目があります。
わたしは、年金は、長生きをした人が得をする制度だと思っています。こまかくいえば、年金をもらう前に亡くなれば、納めた年金保険料はパーになるし、超高齢まで生きれば、納めた年金保険料よりも得をします。
基本的には、年金制度は世代間の支え合いですが、ふつうに考えると、貯金的感覚で、自分が納めた年金保険料という貯金を、歳をとって働けなくなったから食いつぶしていくという体感があります。
わたしはまず、これまでに自分がいくら年金保険料を納めたかを計算します。サラリーマンは給料からしっかり各種税金も各種保険料も差し引かれます。
次に、事業主負担がいくらだったかを把握します。合計の年金保険料をこれから先、何年生きたらペイ(消化、消費、元をとれる)できるかを計算します。事業主負担については、事業主が支払った年金保険料(個人が払う額と同額)ですが、わたしは、朝早くから夜遅くまで働いたサービス残業(無料奉仕。タダ働き)の分や仕事関係で自腹を切った自己負担分が事業主負担分だという理屈で自分の気持ちを納得させています。
預金や国債の利子もあったとして計算した合計額は、けっこう長く生きないと元は取り戻せません。
そして命は、いつ尽きるのかはわかりません。
高齢者が年金をもらい過ぎているという実感はありません。なぜなら、自分がすでに納めた保険料という自分のお金を返してもらっているという意識があるからです。
サラリーマンとして、イヤな仕事に耐え続けて年金保険料を納付してきた結果です。後ろめたさはありません。とても長い歳月にわたる忍耐と努力と根性の成果なのです。
権力者たちは、みんなグル(悪い仲間)で、自分たちの利益のために徒党(ととう。良からぬことをたくらむ集まり)を組んでいるというような書き方がしてあります。(すべてとは思えませんが、あたっている面もあるのでしょう。上級国民は、法に守られるのです)。
ときに、職務に忠実な正義を訴える公務員がうつ病になって自殺してしまいます。それでも悪人はケロっとしています。責任は感じません。責任を感じるような脳みそはもっていないのです。
お金と人事権をもっている部署は強い。
教科書に書いてある、『三権分立(さんけんぶんりつ。立法、行政、司法は、各自独立していて、権力の濫用(らんよう。むやみやたらに使う)はしないで、国民の権利と自由を守る』ということは、ないのです。特定の人と組織を守るのです。
本を読みながら、昔、公務員が不祥事をおかして損害を与えたときは、まずは、自治体なりが、賠償をして、その後、自治体なりが、不祥事をおかした本人に賠償請求をすると習ったことがありますが、あれは、そう文章に書いてあっただけで、現実に実行はされていないということなのだろうかと思いました。
『第3章 日航123便はなぜ墜落したのか』
すごいことが書いてあります。映画にできそうな内容です。
御巣鷹山(おすたかやま)に日航ジャンボ機が墜落して大事故になったとき、わたしは、帰省した九州福岡の実家でその時、そのテレビニュースを見ていました。
夕方のニュースでした。自分も飛行機で帰省をしていたので、他人事とは思えませんでした。大きなショックを受けました。
速報があったそのときは、たしかまだ、事故があったらしいジャンボジェット機の機体がどこにいるのか見つからないという報道でした。(自衛隊が墜落現場を特定したのは、公式発表で、翌朝4時39分とされている)。
ところが、それはウソだったと本に書いてあります。機体は、墜落直後に見つかっていた。自衛隊機の小型ジェット機が二機、ジャンボ機の後ろを飛んでいた。米軍機もすみやかに現場に到着していた。米軍のヘリも救援に駆け付けた。しかし、救出活動にストップがかかった。
そんな恐ろしい話が書いてあります。さらに、事故原因は、その後公表されたジャンボ機の機体後部にある圧力隔壁が破損したことによるものではない。圧力隔壁の破損が、過去の尻もち事故の修理に欠陥や問題があったのではない。そのとき自衛隊が実験だか練習だかで、なんとか(可能性として、「対艦誘導弾」)を発射したら、それが、偶然日航ジャンボ機の尾翼のまんなかあたりに当たってしまったそうです。だから、自衛隊はあわてて、二機の小型ジェット戦闘機で乗客乗員500人以上が乗ったジャンボ機を追いかけたのです。
そんな話、初めて聞きました。さらに、そのことに引き続いて、ひどい話がどんどん書いてあります。乗客乗務員の命は、国家の不祥事を隠すために犠牲になったのです。救出活動をすみやかに実行すれば、助かった命があった。
読み始める前、最初はこの部分を、航空機事故についてなにか問題があったようだが、いかんせん、もうずいぶん前のことだ、いまさらという気分で読み始めました。
1985年(昭和60年)8月12日18時12分発日本航空123便羽田→伊丹。18時56分群馬県にある御巣鷹山の尾根に墜落した。乗員乗客524人中520人が死亡した。
読んで、かなりショックを受けました。政府を始め、権力者たちはひどいことをします。そして、報道機関もグル(悪だくみの仲間)です。
裁判は、法律論で結論付けられる。人間の感情は度外視される。どがいし:無視される。
そうか、あれは、嘘(うそ)だったのか。
昔は、『(秘密を)墓場まで持って行く』と言ったものですが、最近は、持って行かない人が出てきました。
お互いに権利義務関係がなくなって、生活の糧(かて。お金)の心配がなくなると、がまんしていたものをがまんしなくてもすむようになります。
事故や事件を実行した関係者が亡くなると、公表の自由が保障されたりもします。
本当のことがわかる世の中に変化してきています。
それでも、亡くなった命が生き返ることはありません。人の世は非情です。
事実を確認できる証拠が示されていきます。
一般的に事件とか、事故の真実には、驚くべきものがあります。
本当のことは、当事者とそのそばにいて深く関りになる立場の者にしかわかりません。(報道等は、うわべだけのことです)。数式を解くように、公式とか論理で事実が進行していくわけではありません。
まさか、そんなことがあったのか、(普通は考えられないチョンボ(失策、エラー。うっかりミス))ということがあります。
あわせて、トラブルとか、チョンボは、単体で順番に起きるわけではありません。
複数のチョンボが、同時進行で、起きます。関連のないものが、最後に関連をもって、大きな事故や事件につながります。
だから、責任者の立場にある人は、危機管理の気持ちをゆるめてはいけないのです。チョンボは避けられません。だけど、被害を最小限に食い止める努力は、毎日必要です。
読みながらそんなことを考えました。
自衛隊は本当に国民を守ってくれるのだろうか。
自衛隊が守るのは、自衛隊という組織と自衛隊の関係者だけではなかろうか。
同様に、警察も、警察という組織と警察職員を守るためにあるのではなかろうか。
読んでいると、いろいろな不信感が増幅していきます。
マスコミも同様のパターンに思えてきます。
それが人間界の現実と限界なのでしょう。
考えが、『人間とは何か』にまで及んでいきます。
お金もうけは、じょうずに人心をあやつって、できるだけ多くの人から薄く広くお金を集めた人が成功するものと思えてきます。
日航ジャンボ機は、神奈川県にある横田基地に緊急着陸したかった。
だれかが、あるいは、どこかの組織が、その願いをはばんだ。
横田基地への着陸をあきらめたジャンボ機は、長野県内にあったレタス畑に着陸を考えた。それもかなわなかった。
証拠隠滅のために、自衛隊の特殊部隊が、証拠を焼いた。(第4エンジン)。
ジャンボジェット機に備え付けられていたブラックボックス(ボイスレコーダーとフライトレコーダー)を調べればわかるが、非公開となっている。情報開示をしない。もし公開しても、改ざん(変更)された情報が発表される可能性がある。
そんなことが書いてあります。
結局、権力者と権力を持つ組織は信用できない。
彼らは、自分たちの都合のよいように、歴史を書き換えてしまう。(外国ではありそうなことです)。
『第4章 日本経済墜落の真相』
プレゼンス:存在感。
歴史が流れていく中で、衰退していく日本企業の経済活動を解説されています。
繁栄を誇った1980年代(昭和55年代)がありました。
日航ジャンボ機墜落事故が、1985年(昭和60年)8月12日です。
同年9月22日プラザ合意(ニューヨークにあるプラザホテルに先進5か国の代表者が集まって、日本円の急激な円高をもたらす合意がなされた。1ドル240円台が、1987年年末に120円台まで円高になった。日本の輸出商品の現地価格がとても高くなった。(円高は、日本経済にマイナスの影響を与える)。輸出総額が年々減っていった。
1986年(昭和61年)9月2日に、日米半導体協定が締結された。(わたしは、この部分を読んでも理屈を理解することができませんが、世界シェア50%を超えていた日本の半導体産業は、このあとぼろぼろになったと書いてあります)
日航ジャンボ機墜落事故の原因をボーイング社に押し付けた反動(反作用)として、日本は米国の要求を飲んだという理屈立てになっています。
読んでいて、なかば信じられないのですが、現実には、そういうことってあるのだろうなあという気分になります。
責任は取りたくないけれど地位と名誉とお金が欲しい人が責任者になっているという構図です。あれこれ、策略を考えて、自分や自分の組織だけのために作戦を立てて実行する人です。
著者は、政府とか、国の幹部職員、日銀のやりかたを批判しています。
わたしもリアルタイムであの渦巻の中にいるような時代にいたわけで、思い出してみると、住宅ローンは高金利であり、ああもう自分は、一生、中古マンションも買えないとあきらめた時期がありました。
株式の持ち合い:取引関係にある企業間で、お互いに株式を持ち合う仕組み。企業の乗っ取り防止策。
不動産担保金融:金融機関が不動産を担保にとって融資をする。
不良債権:担保割れ。担保にした不動産に十分な価値がない。
2001年(平成13年)4月自民党総裁選がありました。小泉純一郎首相が誕生しました。
そのときのニュース番組でのご自身の質問発言をとても後悔されています。そのことが、小泉純一郎内閣の誕生につながったと判断されています。メンバーは、橋本龍太郎氏、麻生太郎氏、亀井静香氏、小泉純一郎氏です。コメントをしていた著者の前振りの言葉を起点にして、そのとき、小泉純一郎氏から、『私は自民党をぶっこわす。構造改革だ!』という発言が飛び出しています。小泉劇場が開幕したとあります。
アメリカ合衆国有利の政策がなされた。日本はアメリカの言いなりになった。
郵政民営化と不良債権処理だった。
元本保証のある郵便貯金を、元本保証のない投資信託に誘導する。
国民がコツコツ貯めてきたばく大な郵便貯金を、投資に回してもらって、そのお金を外国のハゲタカ組織が狙う(ねらう)という構図を解説されています。
読み終えると、もう日本の未来はだめなのかなあと、元気がなくなる本でした。
わたしは、著者のことをほとんど知りません。
森永卓郎(もりなが・たくろう):経済アナリスト(分析家)、1957年(昭和32年)生まれ、67歳。2023年12月にがんであることを公表した。
お金の話(投資)かと思ってこの本を買いましたが、表紙を開いてみると、書いてあることは、①ジャニーズ事務所の話 ②財務省と統一教会の話 ③御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の話 ④日本経済が墜落した話でした。週刊誌の記事みたい。
まあ、ざーっと読んでみます。
『まえがき』に、本当のことを言ったら、瞬時にメディアに出られなくなるとあります。
がんになったから、覚悟を決められたということもあるのでしょう。
ようやく出版を受けてくれる出版社が見つかったそうです。三五館シンシャ(さんごかんしんしゃ)は、一人で経営している出版社だそうです。以前、職業体験をされた一般人の方々が書いた同社の本を何冊か読んだことがあります。
『第1章 ジャニーズ事務所』
セクハラ行為のことが書いてあります。
人事権があるかなり年上の男が、支配下にある少年たち多数に対して、性的に異常な行為をしたのです。
わたしは、組織の上層部にいる人に、いい人はいないと思っています。組織の上層部にいる人の役割は、利潤の追求という目的を達成するために、自分より下の地位にある人間を将棋の駒のように動かしたり、扱ったりすることが仕事です。人情を排除して、非人間的な面を求められることもある立場です。
そして、人間には二面性があります。あんな感じがいい人が、あんなことをするのかと驚くこともあります。コワイ、コワイです。
勉強ができる頭のいい人たちは、事件や事故が起きたときに、自分や自分たちの都合がよくなるように、何も起きていない、何も起こらなかったという状況を想定することができる人たちです。オソロシイ人たちがいます。
人の気持ちや命よりも、自分たちの利益を優先することが、資本主義とか、社会主義、民主主義だと思っている人がいます。
マスコミ(マスメディア)は、正義ではありません。人心を誘導する力をもっているコワイ組織です。
カリスマ型人間がいます。生きている神さまです。生き神さま的立場の人のそばに、人がたくさん集まってきて、彼あるいは彼女と組織に心理をコントロールされて、組織の上層部にいる一部の人間だけが得をするシステムを構築します。古代卑弥呼(ひみこ)の時代から続く人間界のありようです。人間界には、天才的な詐欺師(さぎし)がいます。そこに(彼や彼女、そして、組織に)お金が集まるのです。
日本には、『長い物には巻かれろ』ということわざがあります。(自分よりも強い相手にはさからわない。そのほうが自分にとって得になる)。
先日、NHKスペシャルでジャニーズ事務所の件について、報道番組が流れていました。わたしは見ていませんが、家族がその番組を見て、なにか話をしていました。闇(やみ)は深い。
『放置』が、モンスターを育てて、のさばらせた。モンスターをかばう身内である親族がいた。利益がからんだ関係者たちが口をつぐんだ。(黙った)。
いっけん対立する組織同士であっても、上層部同志は知り合いということもあります。私立中学校から大学までの同窓生であったり、ときには、仕事では対立する立場であっても、お互いに親族関係があったりもするでしょう。
グル(仲間)なのです。対立する立場であっても、互いが組んで、権力を思いのままに操作できる人間関係とシステムがあります。同じ箱(類似職業世界)の中でなら、やれることです。
自分や自分のグループが被害を受けなければ、他人がどうなってもいいという感覚が、身にしみついている人がいます。
抗拒不能(こうきょふのう):抵抗できない。
2003年7月東京高等裁判所判決:加害者と事務所による名誉棄損で出版社を訴えた裁判の判決は、加害者による性被害を認めた。民事事件だった。
2004年2月、最高裁が上告を棄却。高裁の判決が確定した。明らかに刑事事件に該当する事件だった。
警察は動かなかった。マスコミは騒がなかった。
以降も性被害は続いた。
おぞましい。(ぞっとする。不気味(ぶきみ))。
芸能界だから、そんなこともあるだろうで、見すごされたのか。
それに耐えて、売れるのが、芸能人の仕事ぶりと判断されたのだろうか。
なんともひどい世界ですが、一般企業で同じようなことがあってもおかしくはありません。
事務所のタレントは、まじめで、努力家で、人間性も豊かだったとあります。
著者が理解できなかったのは、なぜ一般人の女性たちが、彼らのようなタレントに熱狂するのかという点だったそうです。
かれらよりもかっこいい男子は、一般社会にもいる。(彼女たちは洗脳されている。マインドコントロール)。
まだこどもの頃から、タレントを育てる。タレントを、自分が育てた自分の創作物とする気持ちが女性の側にあるそうです。
熱狂する女性たちと同じ感覚を、異常な性的志向をもっていた加害者が有していた。
事務所には、テレビ界・芸能界に対する『圧力』という武器があった。お金の流れと、うっとうしさという側面がある『圧力』だった。
なにかしら、きついことがいろいろ書いてあります。
事務所の記者会見をわたしもテレビで見ましたが、表面上はおだやかな話し方でも、じっさいにあった事実は、この本によるとかなりひどくきつい。不信感はつのるばかりです。
なんというか、芸能界とかテレビ界では重要なことなのでしょうが、暗黙の忖度(そんたく。相手に言われなくても相手にとって有利な方向へ話を導く)とか、芸能界でのおかしな慣例の事例を読むと、利害関係にない者からすると、ばかばかしい行為に思えます。違法行為とも思えるテレビ局から事務所に対する忖度(そんたく)があります。
人間のまっすぐな心がゆがめられています。ひどい。
性加害を意図的に表に出さない、『共犯者、共犯組織』があります。さらに、それぐらいいいじゃないかという意識もあります。鬼や悪人がいます。日本人社会にありがちな傾向です。
人間の(日本人の)もつ闇の部分が、イギリスの放送局によって(外国人によって)暴かれて(あばかれて)います。日本人社会によくある、『同調圧力』です。だれかを助けるために、だれかをみんなでいじめるのです。自分たちの反対勢力を徹底的に叩く(たたく)のです。犠牲者がいます。まるで生贄(いけにえ)のようです。
ふりかえってみると、昭和の時代は、いいところもありましたが、前記したようなよくないところもありました。みんなの感覚が鈍って(にぶって)いました。
テレビ局の中にも役所のような縦割り行政のようなものがあることは、本を読んで初めて知りました。『報道番組部門』と『バラエティ番組部門』です。両者に壁があるそうです。
事務所の権力は、『恐怖による支配』だったそうです。
わたしは、テレビ報道は、人心を操作することができるので、気をつけなければならないと思っています。
情報を丸のみにして信じてはいけないと常日頃から思って番組を見ています。
報道されたとおりに、未来がそうならないこともままあります。
テレビの人は、予想がはずれても知らん顔です。
わたしはテレビやネットの情報をあてにしていません。ニュース報道や解説、出演者の発言などは、たいてい疑いながら見たり聞いたり読んだりしています。本当だろうか? だまされないぞという意識です。
バーター(抱き合わせ):売れているタレントを出演させる引き換えに若手を売り込む。
人権感覚が、鈍い(にぶい)とあります。
『第2章 ザイム真理教』
う~む。78ページまで読んで思ったことです。
センセーショナル(人の心をかきたてる。かきまわす。あおる。ゆすぶる。あっといわせる)に書いてある。おおげさに感じます。それから、もう終わったことです。いまさらという気持ちも湧きます。著者はあせっているのか……
財務省のことが書いてあります。
『税金』の話です。
ときおり、税収が増えたと、いいことがあったかのようなニュースが流れます。
税収が増えることは、本当にいいことなのだろうか。
喜ぶのは、税金徴収とそれをもとに予算をつくたり、執行したりする関係者だけではなかろうか。
財務省という組織の体質は、芸能事務所と同じ、カルト教団(教団の上層部が、信者から財産を搾取(さくしゅ。ぶんどる。しぼりとる)する)と同じというような書きぶりです。
アベノミクスについて書いてあります。
2012年(平成24年)12月発足第二次安倍晋三政権の政策です。
おもに、異次元の金融緩和と財政出動です。大規模な資金供給拡大があったとあります。
物価が下がる。給料が上がらないという時代が長らく続いていたが改善のきざしがあった。それなりの良い効果があった。
2014年(平成26年)4月に消費税を5%から8%に上げたとたん、経済は冷えた。アクセルを踏みながらブレーキを踏んだようなものだった。
いろいろ書いてあります。
内容は、国から(財務省から)、補助金(利益)を受けている有名人・有名企業は、国の(財務省の)味方である。(だから、増税に賛成する。利益をもらったお返しに、増税をPRするための広告塔の役割を果たす。もちつもたれつ)ということです。
そして、財務省の方針(増税)に反対する個人や法人には、税務調査に入って、不正があったとして、税金を追加徴収して、さらしものにするという制裁を課すのです。税務職員には、裁量権があるので、グレーゾーンにあたる行為に対しては、特定の意思をもって、いやがらせが合法的にできるそうです。
お金と人事の権力をもっている幹部や特定の職員が頂点に立って、政治家も国民も自らの支配下に置こうとしているのです。(なんだかすごい話です。極端な表現もあるような気もしますが……)
財務省内では、増税を『勝ち』、減税を、『負け』と呼ぶそうです。
『勝ち』を続けた人が、天下りができて得をするそうです。天下りができる人の数はそれほど多くはないらしい。(そこまでしてお金が欲しいのか)。
『増税』でふえた税収は、どこへ行ったのだろう?
著者は、景気上昇のために、消費税の減税を強く訴えています。
景気を良くして、所得税の税収を増やすことが社会を良くすると判断されています。
増税に代わる保険料の引き上げは、邪道(じゃどう。正しくないやりかた)だと主張されています。
83ページに、『高齢者は年金をもらいすぎている?』という項目があります。
わたしは、年金は、長生きをした人が得をする制度だと思っています。こまかくいえば、年金をもらう前に亡くなれば、納めた年金保険料はパーになるし、超高齢まで生きれば、納めた年金保険料よりも得をします。
基本的には、年金制度は世代間の支え合いですが、ふつうに考えると、貯金的感覚で、自分が納めた年金保険料という貯金を、歳をとって働けなくなったから食いつぶしていくという体感があります。
わたしはまず、これまでに自分がいくら年金保険料を納めたかを計算します。サラリーマンは給料からしっかり各種税金も各種保険料も差し引かれます。
次に、事業主負担がいくらだったかを把握します。合計の年金保険料をこれから先、何年生きたらペイ(消化、消費、元をとれる)できるかを計算します。事業主負担については、事業主が支払った年金保険料(個人が払う額と同額)ですが、わたしは、朝早くから夜遅くまで働いたサービス残業(無料奉仕。タダ働き)の分や仕事関係で自腹を切った自己負担分が事業主負担分だという理屈で自分の気持ちを納得させています。
預金や国債の利子もあったとして計算した合計額は、けっこう長く生きないと元は取り戻せません。
そして命は、いつ尽きるのかはわかりません。
高齢者が年金をもらい過ぎているという実感はありません。なぜなら、自分がすでに納めた保険料という自分のお金を返してもらっているという意識があるからです。
サラリーマンとして、イヤな仕事に耐え続けて年金保険料を納付してきた結果です。後ろめたさはありません。とても長い歳月にわたる忍耐と努力と根性の成果なのです。
権力者たちは、みんなグル(悪い仲間)で、自分たちの利益のために徒党(ととう。良からぬことをたくらむ集まり)を組んでいるというような書き方がしてあります。(すべてとは思えませんが、あたっている面もあるのでしょう。上級国民は、法に守られるのです)。
ときに、職務に忠実な正義を訴える公務員がうつ病になって自殺してしまいます。それでも悪人はケロっとしています。責任は感じません。責任を感じるような脳みそはもっていないのです。
お金と人事権をもっている部署は強い。
教科書に書いてある、『三権分立(さんけんぶんりつ。立法、行政、司法は、各自独立していて、権力の濫用(らんよう。むやみやたらに使う)はしないで、国民の権利と自由を守る』ということは、ないのです。特定の人と組織を守るのです。
本を読みながら、昔、公務員が不祥事をおかして損害を与えたときは、まずは、自治体なりが、賠償をして、その後、自治体なりが、不祥事をおかした本人に賠償請求をすると習ったことがありますが、あれは、そう文章に書いてあっただけで、現実に実行はされていないということなのだろうかと思いました。
『第3章 日航123便はなぜ墜落したのか』
すごいことが書いてあります。映画にできそうな内容です。
御巣鷹山(おすたかやま)に日航ジャンボ機が墜落して大事故になったとき、わたしは、帰省した九州福岡の実家でその時、そのテレビニュースを見ていました。
夕方のニュースでした。自分も飛行機で帰省をしていたので、他人事とは思えませんでした。大きなショックを受けました。
速報があったそのときは、たしかまだ、事故があったらしいジャンボジェット機の機体がどこにいるのか見つからないという報道でした。(自衛隊が墜落現場を特定したのは、公式発表で、翌朝4時39分とされている)。
ところが、それはウソだったと本に書いてあります。機体は、墜落直後に見つかっていた。自衛隊機の小型ジェット機が二機、ジャンボ機の後ろを飛んでいた。米軍機もすみやかに現場に到着していた。米軍のヘリも救援に駆け付けた。しかし、救出活動にストップがかかった。
そんな恐ろしい話が書いてあります。さらに、事故原因は、その後公表されたジャンボ機の機体後部にある圧力隔壁が破損したことによるものではない。圧力隔壁の破損が、過去の尻もち事故の修理に欠陥や問題があったのではない。そのとき自衛隊が実験だか練習だかで、なんとか(可能性として、「対艦誘導弾」)を発射したら、それが、偶然日航ジャンボ機の尾翼のまんなかあたりに当たってしまったそうです。だから、自衛隊はあわてて、二機の小型ジェット戦闘機で乗客乗員500人以上が乗ったジャンボ機を追いかけたのです。
そんな話、初めて聞きました。さらに、そのことに引き続いて、ひどい話がどんどん書いてあります。乗客乗務員の命は、国家の不祥事を隠すために犠牲になったのです。救出活動をすみやかに実行すれば、助かった命があった。
読み始める前、最初はこの部分を、航空機事故についてなにか問題があったようだが、いかんせん、もうずいぶん前のことだ、いまさらという気分で読み始めました。
1985年(昭和60年)8月12日18時12分発日本航空123便羽田→伊丹。18時56分群馬県にある御巣鷹山の尾根に墜落した。乗員乗客524人中520人が死亡した。
読んで、かなりショックを受けました。政府を始め、権力者たちはひどいことをします。そして、報道機関もグル(悪だくみの仲間)です。
裁判は、法律論で結論付けられる。人間の感情は度外視される。どがいし:無視される。
そうか、あれは、嘘(うそ)だったのか。
昔は、『(秘密を)墓場まで持って行く』と言ったものですが、最近は、持って行かない人が出てきました。
お互いに権利義務関係がなくなって、生活の糧(かて。お金)の心配がなくなると、がまんしていたものをがまんしなくてもすむようになります。
事故や事件を実行した関係者が亡くなると、公表の自由が保障されたりもします。
本当のことがわかる世の中に変化してきています。
それでも、亡くなった命が生き返ることはありません。人の世は非情です。
事実を確認できる証拠が示されていきます。
一般的に事件とか、事故の真実には、驚くべきものがあります。
本当のことは、当事者とそのそばにいて深く関りになる立場の者にしかわかりません。(報道等は、うわべだけのことです)。数式を解くように、公式とか論理で事実が進行していくわけではありません。
まさか、そんなことがあったのか、(普通は考えられないチョンボ(失策、エラー。うっかりミス))ということがあります。
あわせて、トラブルとか、チョンボは、単体で順番に起きるわけではありません。
複数のチョンボが、同時進行で、起きます。関連のないものが、最後に関連をもって、大きな事故や事件につながります。
だから、責任者の立場にある人は、危機管理の気持ちをゆるめてはいけないのです。チョンボは避けられません。だけど、被害を最小限に食い止める努力は、毎日必要です。
読みながらそんなことを考えました。
自衛隊は本当に国民を守ってくれるのだろうか。
自衛隊が守るのは、自衛隊という組織と自衛隊の関係者だけではなかろうか。
同様に、警察も、警察という組織と警察職員を守るためにあるのではなかろうか。
読んでいると、いろいろな不信感が増幅していきます。
マスコミも同様のパターンに思えてきます。
それが人間界の現実と限界なのでしょう。
考えが、『人間とは何か』にまで及んでいきます。
お金もうけは、じょうずに人心をあやつって、できるだけ多くの人から薄く広くお金を集めた人が成功するものと思えてきます。
日航ジャンボ機は、神奈川県にある横田基地に緊急着陸したかった。
だれかが、あるいは、どこかの組織が、その願いをはばんだ。
横田基地への着陸をあきらめたジャンボ機は、長野県内にあったレタス畑に着陸を考えた。それもかなわなかった。
証拠隠滅のために、自衛隊の特殊部隊が、証拠を焼いた。(第4エンジン)。
ジャンボジェット機に備え付けられていたブラックボックス(ボイスレコーダーとフライトレコーダー)を調べればわかるが、非公開となっている。情報開示をしない。もし公開しても、改ざん(変更)された情報が発表される可能性がある。
そんなことが書いてあります。
結局、権力者と権力を持つ組織は信用できない。
彼らは、自分たちの都合のよいように、歴史を書き換えてしまう。(外国ではありそうなことです)。
『第4章 日本経済墜落の真相』
プレゼンス:存在感。
歴史が流れていく中で、衰退していく日本企業の経済活動を解説されています。
繁栄を誇った1980年代(昭和55年代)がありました。
日航ジャンボ機墜落事故が、1985年(昭和60年)8月12日です。
同年9月22日プラザ合意(ニューヨークにあるプラザホテルに先進5か国の代表者が集まって、日本円の急激な円高をもたらす合意がなされた。1ドル240円台が、1987年年末に120円台まで円高になった。日本の輸出商品の現地価格がとても高くなった。(円高は、日本経済にマイナスの影響を与える)。輸出総額が年々減っていった。
1986年(昭和61年)9月2日に、日米半導体協定が締結された。(わたしは、この部分を読んでも理屈を理解することができませんが、世界シェア50%を超えていた日本の半導体産業は、このあとぼろぼろになったと書いてあります)
日航ジャンボ機墜落事故の原因をボーイング社に押し付けた反動(反作用)として、日本は米国の要求を飲んだという理屈立てになっています。
読んでいて、なかば信じられないのですが、現実には、そういうことってあるのだろうなあという気分になります。
責任は取りたくないけれど地位と名誉とお金が欲しい人が責任者になっているという構図です。あれこれ、策略を考えて、自分や自分の組織だけのために作戦を立てて実行する人です。
著者は、政府とか、国の幹部職員、日銀のやりかたを批判しています。
わたしもリアルタイムであの渦巻の中にいるような時代にいたわけで、思い出してみると、住宅ローンは高金利であり、ああもう自分は、一生、中古マンションも買えないとあきらめた時期がありました。
株式の持ち合い:取引関係にある企業間で、お互いに株式を持ち合う仕組み。企業の乗っ取り防止策。
不動産担保金融:金融機関が不動産を担保にとって融資をする。
不良債権:担保割れ。担保にした不動産に十分な価値がない。
2001年(平成13年)4月自民党総裁選がありました。小泉純一郎首相が誕生しました。
そのときのニュース番組でのご自身の質問発言をとても後悔されています。そのことが、小泉純一郎内閣の誕生につながったと判断されています。メンバーは、橋本龍太郎氏、麻生太郎氏、亀井静香氏、小泉純一郎氏です。コメントをしていた著者の前振りの言葉を起点にして、そのとき、小泉純一郎氏から、『私は自民党をぶっこわす。構造改革だ!』という発言が飛び出しています。小泉劇場が開幕したとあります。
アメリカ合衆国有利の政策がなされた。日本はアメリカの言いなりになった。
郵政民営化と不良債権処理だった。
元本保証のある郵便貯金を、元本保証のない投資信託に誘導する。
国民がコツコツ貯めてきたばく大な郵便貯金を、投資に回してもらって、そのお金を外国のハゲタカ組織が狙う(ねらう)という構図を解説されています。
読み終えると、もう日本の未来はだめなのかなあと、元気がなくなる本でした。
2024年11月18日
なんでもない 鈴木のりたけ
なんでもない 鈴木のりたけ アリス館
こどもさん向けの絵本です。表紙をめくると、カメ(亀)がひっくりかえっています。
前回読んだ同作者の、『とんでもない アリス館』と同じパターンのようです。
ページをめくって、うむ。やはり、『とんでもない』と同じです。『とんでもない』の初めのページは、海に近い住宅地の風景でした。こちらの、『なんでもない』のはじめのページは、海が見えない内陸部にある住宅地の風景です。
着ている服が破れて、がっかりしている少女が公園のベンチに座っています。
公園にはカラスたちがいます。
カラスはみな黒い。カラスは、黒い服しか持っていない。
カラスにも言い分があります。
ただ、読んでいて、カラスのしゃべりには、なにかしら無理があります。
『のろまなカメ』
どこかで聞いたことがあるセリフです。
昔ドラマであった、『スチュワーデス物語』です。堀ちえみさんと風間杜夫さん(かざまもりおさん)が出演されていました。
堀ちえみさんは、自称、『ドジでのろまなカメ』でした。その後の実生活では、ご病気でご苦労がありました。人生はとても長い。なにがあるかわかりません。
カメはやることがない。
やることがないから、一日中ひなたぼっこをしている。
(なんだか、年金生活者みたい。人生の最後は、死ぬまで生きているだけです)
そんなカメは、土の下で暮らすモグラに同情します。
カメの評価に対して、モグラにはモグラの言い分があります。
ミミズを食べているモグラの絵です。
土に囲まれて暮らすモグラは、そんなこと(地面の下で暮らすこと)なんでもないそうです。
土の下にあるおうちでは、快適な暮らしを送っているそうです。
モグラたちの楽しそうな絵があります。
そんなモグラは、体が大きいゾウに同情します。
ゾウが自分の後ろ足の間から顔を出しています。
おもしろい。
ゾウは、こどもたちと遊びます。楽しそうです。
そんなゾウは、みんなから怖がられる(こわがられる)トラに同情します。
トラはまわりから怖がられる(こわがられる)ことを気にしていません。
『なんでもない』のです。
トラにはトラの理屈があります。
そんなトラは人間に同情します。
そして、人間の女の子が描いてあるページにたどりつきました。
最初の頃に絵本のページに出ていた少女です。
読み終えました。
う~む。ちょっとつまらなかった。
パジャマの下をはいたまま、女の子がランドセルをしょって家を出て行ったところは、おもしろかった。
最後のページにあるクイズは、鹿の数のところがむずかしかった。鹿が17匹いると答えがありますが、わたしが何度数えても16匹しか見つけきれません。(その後1か月ぐらいがたって、絵本を読み返して、ようやく見つけきれなかった鹿1匹を見つけました。建物の2階から首を出していました。小さな鹿の絵です。老眼で見えませんでした。とほほ)。
こどもさん向けの絵本です。表紙をめくると、カメ(亀)がひっくりかえっています。
前回読んだ同作者の、『とんでもない アリス館』と同じパターンのようです。
ページをめくって、うむ。やはり、『とんでもない』と同じです。『とんでもない』の初めのページは、海に近い住宅地の風景でした。こちらの、『なんでもない』のはじめのページは、海が見えない内陸部にある住宅地の風景です。
着ている服が破れて、がっかりしている少女が公園のベンチに座っています。
公園にはカラスたちがいます。
カラスはみな黒い。カラスは、黒い服しか持っていない。
カラスにも言い分があります。
ただ、読んでいて、カラスのしゃべりには、なにかしら無理があります。
『のろまなカメ』
どこかで聞いたことがあるセリフです。
昔ドラマであった、『スチュワーデス物語』です。堀ちえみさんと風間杜夫さん(かざまもりおさん)が出演されていました。
堀ちえみさんは、自称、『ドジでのろまなカメ』でした。その後の実生活では、ご病気でご苦労がありました。人生はとても長い。なにがあるかわかりません。
カメはやることがない。
やることがないから、一日中ひなたぼっこをしている。
(なんだか、年金生活者みたい。人生の最後は、死ぬまで生きているだけです)
そんなカメは、土の下で暮らすモグラに同情します。
カメの評価に対して、モグラにはモグラの言い分があります。
ミミズを食べているモグラの絵です。
土に囲まれて暮らすモグラは、そんなこと(地面の下で暮らすこと)なんでもないそうです。
土の下にあるおうちでは、快適な暮らしを送っているそうです。
モグラたちの楽しそうな絵があります。
そんなモグラは、体が大きいゾウに同情します。
ゾウが自分の後ろ足の間から顔を出しています。
おもしろい。
ゾウは、こどもたちと遊びます。楽しそうです。
そんなゾウは、みんなから怖がられる(こわがられる)トラに同情します。
トラはまわりから怖がられる(こわがられる)ことを気にしていません。
『なんでもない』のです。
トラにはトラの理屈があります。
そんなトラは人間に同情します。
そして、人間の女の子が描いてあるページにたどりつきました。
最初の頃に絵本のページに出ていた少女です。
読み終えました。
う~む。ちょっとつまらなかった。
パジャマの下をはいたまま、女の子がランドセルをしょって家を出て行ったところは、おもしろかった。
最後のページにあるクイズは、鹿の数のところがむずかしかった。鹿が17匹いると答えがありますが、わたしが何度数えても16匹しか見つけきれません。(その後1か月ぐらいがたって、絵本を読み返して、ようやく見つけきれなかった鹿1匹を見つけました。建物の2階から首を出していました。小さな鹿の絵です。老眼で見えませんでした。とほほ)。
2024年11月15日
ハサミ男 殊能将之(しゅのう・まさゆき)
ハサミ男 殊能将之(しゅのう・まさゆき) 講談社文庫
文庫本の帯に、『古典にして、大傑作』とあります。知らなかった。洋画のシザーハンズとは違うでしょう。読んでみたい。読み始めます。
作者のみょうじが読めませんでした。作者は、1964年(昭和39年生まれ)、そして、2013年(平成25年)に亡くなっています。49歳没。
読み始めて数ページで感じたことです。
社会のようすが古いかな。しかたがありません。
スマホの地図アプリは出てきません。交通系ICカードも出てきません。地図は紙です。
小型の東京都分区地図です。文庫版東京23区地図です。うちにも古い物があります。
ほかにもいろいろ過去のものがあります。時代としては、1980年代から90年代、昭和55年代から平成の始めの世の中の風景です。
単行本は、1999年(平成11年)の発行です。
殺人事件の加害者が、ハサミ男です。すでにふたり犠牲者が出ているようですが、逮捕はされていません。三人目の犠牲者を物色して決めて、下調べをしている段階です。
二番目の殺人は、半年以上前だったそうです。
目黒区鷹番:わたしは、『たかばん』と読む地名だと思いましたが、ハサミ男は、『たかつがい』と読みます。蝶番(ちょうつがい)からきているそうです。(でも、たかばんが正解でした)
ハサミ男:アルバイトをしている。バイト先は、『氷室川出版(ひむろかわしゅっぱん)神田小川町にある。5階建てビルの3階営業部と4階編集部を借りている。正社員は十数名。アルバイトは3人』そこで、2年以上働いている。
地下鉄駅に近い鉄筋アパートに住んでいる。駅から徒歩1分のところにある。相当古い建物である。アパートの住人は他人に無関心である。
樽宮由紀子(たるみや・ゆきこ):三番目の殺人被害者候補。16歳高校2年生。私立葉桜高校に通学している。目黒区鷹番に住んでいる。親と同居らしい。マンションの503号室。デゼール碑文谷(ひもんや)503。赤褐色のマンション。
樽宮一弘:由紀子の父親。
わたしも今、東京の一枚地図を見ながら、目黒区あたりに目を落としています。
鉄道線路の話が多い。著者は鉄道好きなのでしょう。そして、地図好きなのでしょう。
目黒区、駒沢通り、東急東横線、学芸大学駅、地下鉄丸の内線、日比谷線、中目黒駅、菊名行き。
小西美奈:第一の犠牲者、高校一年生。平成14年10月21日。埼玉県内送電塔の敷地内で殺された。埼玉県居住者だった。美人ではないが、若々しく愛らしい顔立ちだった。ショートヘア、銀ぶち眼鏡。
松原雅代:第二の犠牲者。江戸川区の湾岸で殺された。
岡島部長:五十代女性。ハサミ男のバイト先である『氷室川出版』の部長。白髪まじりのおかっぱ頭。化粧気がない馬面(うまづら)。地味だが、いいスーツを着ている。有能。
佐々塚:三十代なかばの小男(こおとこ)。氷室川出版の社員
和田:デザイナー
山岸:氷室川出版のアルバイト。ハサミ男の同僚。中途退職後アルバイトをしている。黒ぶち眼鏡の脱サラ中年男性
スピードキング:バイク便の会社
タブロイド紙:新聞の用紙サイズの半分のサイズの新聞など。
写真のポジ:ポジフィルム。フィルムの状態で色などがわかる。
彫心鏤骨(ちょうしんるこつ):非常に苦心してつくりあげたもの。
玉稿(ぎょっこう):他人の原稿を敬って言う言葉
光磁気ディスク:MOディスク。記憶媒体。それらは、代替品が出て、2000年代に消滅した。
ハサミ男は、火曜日に有給休暇をとる。(女子高生を尾行するため)。
ハサミ男は、アルバイト先で、高校生たちの個人情報を見ることができる。(獲物の候補をそうやって探す)。添削式通信教育の仕事をする勤務先が、個人情報を盗む場所になっている。(恐ろしいことです。(おそろしい)。人を雇う時は、能力の前に、人間として信用できるかを判断せねばなりません)
ハサミ男には、自殺願望があるらしい。(薬物による自殺)。
ドラッグストアーで、『クレゾール石鹸液』を購入しました。
(つづく)
犯罪者自身の心理が、一人称による本人の語りで語られ続けます。
不気味で気色悪い。(きしょくわるい。生理的に受け付けがたい)。また、薄気味悪い。
仕事の資料を利用して、女子高生を物色して、自宅を下見して、学校を見張って、殺人の獲物のとして狙います。ハサミ男は、頭のいい女の子にあこがれています。
不思議なのは、本人に自殺企図の意思があることです。クレゾール石鹸(化学物質)を飲みます。でも、未遂です。本気で死ぬ気はないと読み手であるわたしは判断します。
おそろしい人格をもった男です。地球上には、79億人、日本には、1億2300万人ぐらいが住んでいて、いろんな脳みそがあるわけで、凡人では理解できない不可解な脳みそをもった人がいます。殺したいから殺す。具体的な理由はありません。人間個々がもつ、その人間なりの、『欲(よく)』です。
精神科医であろう60歳ぐらいの医師。純白の短髪。まんなか分け。痩身(そうしん。やせている)。丸い眼鏡をかけている。
殺人のターゲットにしている女子高生が住むマンション503号室の住人として、
おそらく父であろう、樽宮一弘
おそらく母であろう、とし恵。(のちに美人とわかる。37歳)。
狙われている(ねらわれている)本人、由紀子。葉桜高校2年生。背中まで髪が伸びている。美人。165cm。細い体。猫のよう。
おそらく弟であろう、健三郎(のちに、葉桜高校1年生とわかる)
<のちにわかることとして、お互いに連れ子を連れた者同士の再婚。健三郎には実兄がいる。兄が、ふたりいる>
高校の制服で、本人を特定していく。(もう、制服の制度は防犯上やめたほうがいいのかも)。
(つづく)
目黒署刑事課のメンバーです。
磯部龍彦:27歳。ハサミ男と同じぐらいの年齢。第1章では、彼のひとり語りで物語が進行していく部分があります。髪はまんなか分け。逆三角形の顔。整った顔立ち。背は高い。童顔。頼りなさそう。
下川宗夫:160cm。中2のひとり息子がいる。『長さん』と呼ばれるのがイヤ。(ドリフターズのいかりや長介さんのことでしょう)
上井田嘉暁(かみいだ・よしあき)警部:刑事課長。はげている。立派なあごヒゲがある。温厚で礼儀正しい。
松元順三郎:唯一の喫煙者。偏屈そう(へんくつそう)です。
進藤誠斗(しんどう・まこと):若手。おとなしくて優しい。
村木晴彦:巡査部長。30代後半。天然パーマ。手足がひょろ長い。クラシック音楽マニア。冷笑的。いつも超然としている。ときおり突拍子もない行動に出る。予想不可能な性格。
10月17日金曜日:ハサミ男は、早退した。樽宮由紀子の尾行。
カリカチュア:漫画、風刺画
ブランド品のスーツを着た40歳前後の男:援助交際の相手か。
ハサミ:仕事場から盗んだ。仕事場の備品。(なぜ、凶器がハサミなのだろうか)。
11月1日土曜日:尾行する。
高橋:アルバイト。のっぽ。
キルモア:殺鼠剤(さっそざい)
プラシーボ効果:偽薬で効果がみられる。気持ちのもちよう。
ロマン主義者:情緒的、感情的な人。
ハサミ男の主治医は、ハサミ男が殺人犯人であることを知っている。
主治医は、仮想のドクターなのではないか。
『チョキ、チョキ、チョキ…… 三人目の犠牲者が出る……』
おふらんど:学芸大学駅のすぐそばの喫茶店。
アヤコ:樽宮由紀子の友人。高校生。
自由が丘駅の近くにある映画館。上映中の映画は、『地下鉄のザジ』。
11月4日火曜日:二日ぶりに出勤する。
平成15年(2003年)11月11日火曜日午後9時40分頃:東京都目黒区鷹番四丁目にある西公園の茂みの中で、鷺宮由紀子が殺されていた。首にビニール紐(ひも)、絞殺後、首にハサミが突き立てられていた。
ハサミ男の手口で殺されていたが、第一発見者は、ハサミ男であり、ハサミ男は真犯人ではない。鷺宮由紀子の首に刺さっていたハサミは、ハサミ男がその時、かばんの中にもっていたハサミと同じものであった。ハサミ男は、ごまかすために、そのハサミを公園の茂みに捨てた。
ハサミ男はまた、鷺宮由紀子の足もとに、なにやら、『小さく光るもの』を見つけたが、小説では、そのあと、詳記(しょうき。くわしい説明)はされない。(その後:金属製のガスライター。『K』のイニシャル彫り込みありとわかる)。
マルサイ:警視庁科学捜査研究所内に新設された犯罪心理分析官職。サイコアナリシス:成人分析。サイコメトリックス:心理測定法。
広域連続殺人犯エ十二号:マスコミが付けた通称が、『ハサミ男』。
(つづく)
ハサミ男の自殺願望の理由がわかりません。自分はこの世に存在していてはいけない人間だと自分で定義づけしているのだろうか。自分が存在していると、自分がだれかを殺してしまう。(ターゲットは女子高生というのもなにか理由があるのか)。
ディクスン・カー:アメリカ合衆国の推理小説家。密室殺人を素材にする。
11月14日金曜日:第一回捜査会議開催。
堀之内靖治(ほりのうち・やすはる):40歳手前の年齢。科捜研の犯罪心理分析官(マルサイ)。大学講師のように見える。髪はまんなか分け。丸顔。
警視庁捜査一課長:パンチ・ドランカー(ボクシングで、相手にパンチをもらいすぎ)のブルドッグみたいな顔。特別捜査本部の総責任者。
索状物(さくじょうぶつ):ひものようなもの。
死亡推定時刻は、11月11日午後8時から8時20分の間。
白皙(はくせき)の検事:皮膚の色が白い検事。
快楽殺人者:苦しむ姿が楽しい。本人がもつ固定観念。無意識の衝動。
第三の殺人は、ハサミ男による可能性は75%(100%ではない)
犯人は、知能指数が高い(ただし、真犯人は、ハサミ男ではない)、慎重かつ周到で、学習能力がある。
11月14日:ハサミ男は、アルバイトを休む。ハサミ男は、仕事で得た資料で、樽宮家へ電話をかけて、犠牲者の母親樽宮とし恵と話して、葬儀の日取りを聞いた。11月15日午後2時から。春藤斎場にて(しゅんどうさいじょう)。
(つづく)
岩佐邦馬(いわさ・くにま):私立葉桜学園高校の体育教師。35歳独身。
長谷川:葬儀の世話人。60代前半。
黒梅夏絵(くろうめ・なつえ):週刊アルカナ編集部所属のフリーライター(正社員ではない)
250ページまで読みました。全体の半分ぐらいの位置です。全体で502ページあります。
読んでいて、真犯人のめぼしはまだつきません。まだ、情報が足りません。
だれかが、人を殺したのですが、犯行をハサミ男がしたものとみせかけています。
本物のハサミ男は、自分の名前をかたって人殺しをしたのが、だれなのかを知ろうとしています。
ただ、考えてみると、ハサミ男が偽装犯人を警察に通報しようとすると、自分がハサミ男であることが警察にばれてしまいます。さて、そのへんを物語の中で、どう処理するのだろうか。
読んでいて、なんとなく、うすうす気づいていましたが、被害者の家庭がいろいろわけありであり、被害者自身も問題ありです。
連れ子同士をともなっての再婚には、読んでいるうちに気づきました。また、本人が援助交際を積極的にしていることにも気づきました。だれかが、なにかしらの不都合があって女子高生を殺して、その行為をハサミ男がやったことにしようとしたのです。
女子高生樽宮由紀子は、お金欲しさで、接客相手を脅していた(おどしていた)というパターンがひとつあります。
親族間のもつれがからんでいたというパターンもあります。
話のつくりを推理する小説という位置づけで文章を読んでいます。
なぜ凶器が、『ハサミ』なのかにも興味が湧きます。
ハサミ男の心理として、『わたしの内側は、からっぽだ』。
アヤコ(椿田亜矢子)という同級生が、鍵を握っている。
周囲の人間の現実的な話が書いてあります。
女子高生殺人事件は、関係者にとっては悲劇ですが、騒ぎ立てる、あおりたてるマスコミ関係者と捜査する警察関係者にとっては、仕事です。仕事だからやっている。給料をもらうためにやっている。
シリアル・キラー:複数の連続殺人犯。異常な心理的欲求をかかえている。
こどもを亡くした直後の親の心理として:『……子供といっしょに何かが死んでしまったようなんだ。とても大事なにかが。』
人間のその時の心理を観察するために、その人間の手の動きを見る。
犯罪心理分析は、心理がどうなのかを考える学問ではなく、『統計学』だそうです。たくさんのサンプルを集めて分析して、こういうときは、こうだという傾向を研究して参考にする。プロファイリング=横顔を描く。こういうふうだから、犯人は、こういうふうのパターンが多いと考える。
動機がないのに、殺人を繰り返す人間がいる。
『正社員になる気はありませんか』(ハサミ男にかけられた言葉です)。
<世界は誤解と錯覚で成り立っている(女ひとりで世界を旅した人の言葉です。以前旅行記の本で読みました)>
犯人検挙のためには、物的証拠が大事。
(つづく)
402ページまで読みました。
日高光一:26歳。さて、誰でしょう。髪の毛の生え際(はえぎわ)が後退している。体重が90キロから100キロぐらい。誰なのかはここには書けません。
喫茶『おふらんど(フランス語で、「捧げ物(ささげもの)」という意味』の店主50歳ぐらい。自家製ミートパイがお勧めの商品。
精神分析医:丸い眼鏡をかけている。土に汚れた白衣を着ている。もぐらの顔をしている。
樽宮由紀子は、ロックバンドの音楽が好きだった。
解離性人格障害(かりせいじんかくしょうがい):多重人格。
鍵を握るポイントとして、『金属製ライターにあったイニシャル「K」』、ライターと関連づけて、『喫煙者』、そして、わたしは、『ハサミ』と考えます。
刑事の進藤が使っているカメラが、デジカメではなく、フィルムカメラのようです。時代を感じました。
読んでいて思ったことです。悪意をもった善意というのはあります。
相手ができないことがわかっているのに、親切そうに声をかけて、相手ができなくて困っているようすをみて楽しむのです。やっかいなのは、加害者の立場にある者が、その行為を無意識にやっていることです。
真実を伝えることがジャーナリズムではない。
パターンをつくって、ドラマチックな報道をして、お金もうけをすることがジャーナリズムである。
ジャーナリズム:新聞、雑誌、放送などの報道活動。
ニヒリスト:虚無主義者(きょむしゅぎしゃ)。なにもないとする。すべて、無価値である。
母と娘の関係に、『異常』あり。
容疑者の目撃者探しのあたりの記述に不自然さを感じました。目撃者が、見つかりそうなものなのに、なかなか見つかりません。いくら、人海戦術によるローラー作戦がやれないとはいえ、駅近くにいつもいる目撃者をいつまでたっても見つけられないというのは不自然です。
住宅地図を持って聞き込みをします。今もそうだろうか。違うような気がします。う~む。わからない。
喫煙の話がたびたび出てきます。
たぶん作者も喫煙者なのでしょう。
真犯人がだれなのか、いつまでたってもわからない390ページあたりです。
時間が流れて、雪が降ってきました。
冬が始まったのです。
フランス革命:1789年-1795年。貴族+高級聖職者VS商工業者+金融業者。王制が崩壊した。『シゾー・オム、ア・ラ・ランテルヌ!』フランス語で、『ハサミ男を街灯に吊るせ!(つるせ)』。
どうして人を殺してはいけないのか:人が死ぬところを見ると不愉快になるから。たんなる不快感。
読んでいて、阿部サダヲさんの映画を思い出しました。
『死刑にいたる病(やまい) 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス』
こちらの映画は、阿部サダヲさんが、連続殺人鬼を演じます。17歳・18歳のまじめでおとなしく学力優秀な高校生である男女23人と、26歳の成人女性1人を殺した罪で、死刑判決を受けて服役中です。
400ページあたり、自問自答をする文章が続きます。読みながら、『引用が多い』と感じていたら、401ページに、『……ぼくには、引用癖がついたようです!……』と文章があり笑いました。
(つづく)
すべて読み終わりました。
う~む。これでいいのだろうか。これでいいのでしょう。わたしは、本格的な推理小説マニアではないので否定する力がありません。これでいいのです。
ハサミ男の正体が判明します。
ここには書きません。
よくわからない内容の文章が続きます。本自体が多重人格です。
ハサミ男は豪快です。
こんがらがって混乱する422ページあたりです。
だれが話をしているのかわからない。
現実と幻(まぼろし)が、同じ空間に存在する。
女子高生は、男たちを相手に実験をしていた。
なんというか、事実がわからない文章です。
現実と幻想が入り混じった内容の文章になっているのではないか。
刑事課職員のチームワークと真実の追求があります。
この終わり方でいいのだろうか。
496ページの位置にいます。あと5ページで終わります。
『不幸』があります。
『悪魔』あるいは、『悪党』のような人間が生き続けます。
人間と言うよりも、『人格』が生き延びます。
(参考・引用文献の部分を読みました)
鶴見済(つるみ・わたる)『完全自殺マニュアル』(太田出版)は、読んだことがあります。2022年12月22日に長い感想メモがあります。自殺防止が目的の本です。
文庫本の帯に、『古典にして、大傑作』とあります。知らなかった。洋画のシザーハンズとは違うでしょう。読んでみたい。読み始めます。
作者のみょうじが読めませんでした。作者は、1964年(昭和39年生まれ)、そして、2013年(平成25年)に亡くなっています。49歳没。
読み始めて数ページで感じたことです。
社会のようすが古いかな。しかたがありません。
スマホの地図アプリは出てきません。交通系ICカードも出てきません。地図は紙です。
小型の東京都分区地図です。文庫版東京23区地図です。うちにも古い物があります。
ほかにもいろいろ過去のものがあります。時代としては、1980年代から90年代、昭和55年代から平成の始めの世の中の風景です。
単行本は、1999年(平成11年)の発行です。
殺人事件の加害者が、ハサミ男です。すでにふたり犠牲者が出ているようですが、逮捕はされていません。三人目の犠牲者を物色して決めて、下調べをしている段階です。
二番目の殺人は、半年以上前だったそうです。
目黒区鷹番:わたしは、『たかばん』と読む地名だと思いましたが、ハサミ男は、『たかつがい』と読みます。蝶番(ちょうつがい)からきているそうです。(でも、たかばんが正解でした)
ハサミ男:アルバイトをしている。バイト先は、『氷室川出版(ひむろかわしゅっぱん)神田小川町にある。5階建てビルの3階営業部と4階編集部を借りている。正社員は十数名。アルバイトは3人』そこで、2年以上働いている。
地下鉄駅に近い鉄筋アパートに住んでいる。駅から徒歩1分のところにある。相当古い建物である。アパートの住人は他人に無関心である。
樽宮由紀子(たるみや・ゆきこ):三番目の殺人被害者候補。16歳高校2年生。私立葉桜高校に通学している。目黒区鷹番に住んでいる。親と同居らしい。マンションの503号室。デゼール碑文谷(ひもんや)503。赤褐色のマンション。
樽宮一弘:由紀子の父親。
わたしも今、東京の一枚地図を見ながら、目黒区あたりに目を落としています。
鉄道線路の話が多い。著者は鉄道好きなのでしょう。そして、地図好きなのでしょう。
目黒区、駒沢通り、東急東横線、学芸大学駅、地下鉄丸の内線、日比谷線、中目黒駅、菊名行き。
小西美奈:第一の犠牲者、高校一年生。平成14年10月21日。埼玉県内送電塔の敷地内で殺された。埼玉県居住者だった。美人ではないが、若々しく愛らしい顔立ちだった。ショートヘア、銀ぶち眼鏡。
松原雅代:第二の犠牲者。江戸川区の湾岸で殺された。
岡島部長:五十代女性。ハサミ男のバイト先である『氷室川出版』の部長。白髪まじりのおかっぱ頭。化粧気がない馬面(うまづら)。地味だが、いいスーツを着ている。有能。
佐々塚:三十代なかばの小男(こおとこ)。氷室川出版の社員
和田:デザイナー
山岸:氷室川出版のアルバイト。ハサミ男の同僚。中途退職後アルバイトをしている。黒ぶち眼鏡の脱サラ中年男性
スピードキング:バイク便の会社
タブロイド紙:新聞の用紙サイズの半分のサイズの新聞など。
写真のポジ:ポジフィルム。フィルムの状態で色などがわかる。
彫心鏤骨(ちょうしんるこつ):非常に苦心してつくりあげたもの。
玉稿(ぎょっこう):他人の原稿を敬って言う言葉
光磁気ディスク:MOディスク。記憶媒体。それらは、代替品が出て、2000年代に消滅した。
ハサミ男は、火曜日に有給休暇をとる。(女子高生を尾行するため)。
ハサミ男は、アルバイト先で、高校生たちの個人情報を見ることができる。(獲物の候補をそうやって探す)。添削式通信教育の仕事をする勤務先が、個人情報を盗む場所になっている。(恐ろしいことです。(おそろしい)。人を雇う時は、能力の前に、人間として信用できるかを判断せねばなりません)
ハサミ男には、自殺願望があるらしい。(薬物による自殺)。
ドラッグストアーで、『クレゾール石鹸液』を購入しました。
(つづく)
犯罪者自身の心理が、一人称による本人の語りで語られ続けます。
不気味で気色悪い。(きしょくわるい。生理的に受け付けがたい)。また、薄気味悪い。
仕事の資料を利用して、女子高生を物色して、自宅を下見して、学校を見張って、殺人の獲物のとして狙います。ハサミ男は、頭のいい女の子にあこがれています。
不思議なのは、本人に自殺企図の意思があることです。クレゾール石鹸(化学物質)を飲みます。でも、未遂です。本気で死ぬ気はないと読み手であるわたしは判断します。
おそろしい人格をもった男です。地球上には、79億人、日本には、1億2300万人ぐらいが住んでいて、いろんな脳みそがあるわけで、凡人では理解できない不可解な脳みそをもった人がいます。殺したいから殺す。具体的な理由はありません。人間個々がもつ、その人間なりの、『欲(よく)』です。
精神科医であろう60歳ぐらいの医師。純白の短髪。まんなか分け。痩身(そうしん。やせている)。丸い眼鏡をかけている。
殺人のターゲットにしている女子高生が住むマンション503号室の住人として、
おそらく父であろう、樽宮一弘
おそらく母であろう、とし恵。(のちに美人とわかる。37歳)。
狙われている(ねらわれている)本人、由紀子。葉桜高校2年生。背中まで髪が伸びている。美人。165cm。細い体。猫のよう。
おそらく弟であろう、健三郎(のちに、葉桜高校1年生とわかる)
<のちにわかることとして、お互いに連れ子を連れた者同士の再婚。健三郎には実兄がいる。兄が、ふたりいる>
高校の制服で、本人を特定していく。(もう、制服の制度は防犯上やめたほうがいいのかも)。
(つづく)
目黒署刑事課のメンバーです。
磯部龍彦:27歳。ハサミ男と同じぐらいの年齢。第1章では、彼のひとり語りで物語が進行していく部分があります。髪はまんなか分け。逆三角形の顔。整った顔立ち。背は高い。童顔。頼りなさそう。
下川宗夫:160cm。中2のひとり息子がいる。『長さん』と呼ばれるのがイヤ。(ドリフターズのいかりや長介さんのことでしょう)
上井田嘉暁(かみいだ・よしあき)警部:刑事課長。はげている。立派なあごヒゲがある。温厚で礼儀正しい。
松元順三郎:唯一の喫煙者。偏屈そう(へんくつそう)です。
進藤誠斗(しんどう・まこと):若手。おとなしくて優しい。
村木晴彦:巡査部長。30代後半。天然パーマ。手足がひょろ長い。クラシック音楽マニア。冷笑的。いつも超然としている。ときおり突拍子もない行動に出る。予想不可能な性格。
10月17日金曜日:ハサミ男は、早退した。樽宮由紀子の尾行。
カリカチュア:漫画、風刺画
ブランド品のスーツを着た40歳前後の男:援助交際の相手か。
ハサミ:仕事場から盗んだ。仕事場の備品。(なぜ、凶器がハサミなのだろうか)。
11月1日土曜日:尾行する。
高橋:アルバイト。のっぽ。
キルモア:殺鼠剤(さっそざい)
プラシーボ効果:偽薬で効果がみられる。気持ちのもちよう。
ロマン主義者:情緒的、感情的な人。
ハサミ男の主治医は、ハサミ男が殺人犯人であることを知っている。
主治医は、仮想のドクターなのではないか。
『チョキ、チョキ、チョキ…… 三人目の犠牲者が出る……』
おふらんど:学芸大学駅のすぐそばの喫茶店。
アヤコ:樽宮由紀子の友人。高校生。
自由が丘駅の近くにある映画館。上映中の映画は、『地下鉄のザジ』。
11月4日火曜日:二日ぶりに出勤する。
平成15年(2003年)11月11日火曜日午後9時40分頃:東京都目黒区鷹番四丁目にある西公園の茂みの中で、鷺宮由紀子が殺されていた。首にビニール紐(ひも)、絞殺後、首にハサミが突き立てられていた。
ハサミ男の手口で殺されていたが、第一発見者は、ハサミ男であり、ハサミ男は真犯人ではない。鷺宮由紀子の首に刺さっていたハサミは、ハサミ男がその時、かばんの中にもっていたハサミと同じものであった。ハサミ男は、ごまかすために、そのハサミを公園の茂みに捨てた。
ハサミ男はまた、鷺宮由紀子の足もとに、なにやら、『小さく光るもの』を見つけたが、小説では、そのあと、詳記(しょうき。くわしい説明)はされない。(その後:金属製のガスライター。『K』のイニシャル彫り込みありとわかる)。
マルサイ:警視庁科学捜査研究所内に新設された犯罪心理分析官職。サイコアナリシス:成人分析。サイコメトリックス:心理測定法。
広域連続殺人犯エ十二号:マスコミが付けた通称が、『ハサミ男』。
(つづく)
ハサミ男の自殺願望の理由がわかりません。自分はこの世に存在していてはいけない人間だと自分で定義づけしているのだろうか。自分が存在していると、自分がだれかを殺してしまう。(ターゲットは女子高生というのもなにか理由があるのか)。
ディクスン・カー:アメリカ合衆国の推理小説家。密室殺人を素材にする。
11月14日金曜日:第一回捜査会議開催。
堀之内靖治(ほりのうち・やすはる):40歳手前の年齢。科捜研の犯罪心理分析官(マルサイ)。大学講師のように見える。髪はまんなか分け。丸顔。
警視庁捜査一課長:パンチ・ドランカー(ボクシングで、相手にパンチをもらいすぎ)のブルドッグみたいな顔。特別捜査本部の総責任者。
索状物(さくじょうぶつ):ひものようなもの。
死亡推定時刻は、11月11日午後8時から8時20分の間。
白皙(はくせき)の検事:皮膚の色が白い検事。
快楽殺人者:苦しむ姿が楽しい。本人がもつ固定観念。無意識の衝動。
第三の殺人は、ハサミ男による可能性は75%(100%ではない)
犯人は、知能指数が高い(ただし、真犯人は、ハサミ男ではない)、慎重かつ周到で、学習能力がある。
11月14日:ハサミ男は、アルバイトを休む。ハサミ男は、仕事で得た資料で、樽宮家へ電話をかけて、犠牲者の母親樽宮とし恵と話して、葬儀の日取りを聞いた。11月15日午後2時から。春藤斎場にて(しゅんどうさいじょう)。
(つづく)
岩佐邦馬(いわさ・くにま):私立葉桜学園高校の体育教師。35歳独身。
長谷川:葬儀の世話人。60代前半。
黒梅夏絵(くろうめ・なつえ):週刊アルカナ編集部所属のフリーライター(正社員ではない)
250ページまで読みました。全体の半分ぐらいの位置です。全体で502ページあります。
読んでいて、真犯人のめぼしはまだつきません。まだ、情報が足りません。
だれかが、人を殺したのですが、犯行をハサミ男がしたものとみせかけています。
本物のハサミ男は、自分の名前をかたって人殺しをしたのが、だれなのかを知ろうとしています。
ただ、考えてみると、ハサミ男が偽装犯人を警察に通報しようとすると、自分がハサミ男であることが警察にばれてしまいます。さて、そのへんを物語の中で、どう処理するのだろうか。
読んでいて、なんとなく、うすうす気づいていましたが、被害者の家庭がいろいろわけありであり、被害者自身も問題ありです。
連れ子同士をともなっての再婚には、読んでいるうちに気づきました。また、本人が援助交際を積極的にしていることにも気づきました。だれかが、なにかしらの不都合があって女子高生を殺して、その行為をハサミ男がやったことにしようとしたのです。
女子高生樽宮由紀子は、お金欲しさで、接客相手を脅していた(おどしていた)というパターンがひとつあります。
親族間のもつれがからんでいたというパターンもあります。
話のつくりを推理する小説という位置づけで文章を読んでいます。
なぜ凶器が、『ハサミ』なのかにも興味が湧きます。
ハサミ男の心理として、『わたしの内側は、からっぽだ』。
アヤコ(椿田亜矢子)という同級生が、鍵を握っている。
周囲の人間の現実的な話が書いてあります。
女子高生殺人事件は、関係者にとっては悲劇ですが、騒ぎ立てる、あおりたてるマスコミ関係者と捜査する警察関係者にとっては、仕事です。仕事だからやっている。給料をもらうためにやっている。
シリアル・キラー:複数の連続殺人犯。異常な心理的欲求をかかえている。
こどもを亡くした直後の親の心理として:『……子供といっしょに何かが死んでしまったようなんだ。とても大事なにかが。』
人間のその時の心理を観察するために、その人間の手の動きを見る。
犯罪心理分析は、心理がどうなのかを考える学問ではなく、『統計学』だそうです。たくさんのサンプルを集めて分析して、こういうときは、こうだという傾向を研究して参考にする。プロファイリング=横顔を描く。こういうふうだから、犯人は、こういうふうのパターンが多いと考える。
動機がないのに、殺人を繰り返す人間がいる。
『正社員になる気はありませんか』(ハサミ男にかけられた言葉です)。
<世界は誤解と錯覚で成り立っている(女ひとりで世界を旅した人の言葉です。以前旅行記の本で読みました)>
犯人検挙のためには、物的証拠が大事。
(つづく)
402ページまで読みました。
日高光一:26歳。さて、誰でしょう。髪の毛の生え際(はえぎわ)が後退している。体重が90キロから100キロぐらい。誰なのかはここには書けません。
喫茶『おふらんど(フランス語で、「捧げ物(ささげもの)」という意味』の店主50歳ぐらい。自家製ミートパイがお勧めの商品。
精神分析医:丸い眼鏡をかけている。土に汚れた白衣を着ている。もぐらの顔をしている。
樽宮由紀子は、ロックバンドの音楽が好きだった。
解離性人格障害(かりせいじんかくしょうがい):多重人格。
鍵を握るポイントとして、『金属製ライターにあったイニシャル「K」』、ライターと関連づけて、『喫煙者』、そして、わたしは、『ハサミ』と考えます。
刑事の進藤が使っているカメラが、デジカメではなく、フィルムカメラのようです。時代を感じました。
読んでいて思ったことです。悪意をもった善意というのはあります。
相手ができないことがわかっているのに、親切そうに声をかけて、相手ができなくて困っているようすをみて楽しむのです。やっかいなのは、加害者の立場にある者が、その行為を無意識にやっていることです。
真実を伝えることがジャーナリズムではない。
パターンをつくって、ドラマチックな報道をして、お金もうけをすることがジャーナリズムである。
ジャーナリズム:新聞、雑誌、放送などの報道活動。
ニヒリスト:虚無主義者(きょむしゅぎしゃ)。なにもないとする。すべて、無価値である。
母と娘の関係に、『異常』あり。
容疑者の目撃者探しのあたりの記述に不自然さを感じました。目撃者が、見つかりそうなものなのに、なかなか見つかりません。いくら、人海戦術によるローラー作戦がやれないとはいえ、駅近くにいつもいる目撃者をいつまでたっても見つけられないというのは不自然です。
住宅地図を持って聞き込みをします。今もそうだろうか。違うような気がします。う~む。わからない。
喫煙の話がたびたび出てきます。
たぶん作者も喫煙者なのでしょう。
真犯人がだれなのか、いつまでたってもわからない390ページあたりです。
時間が流れて、雪が降ってきました。
冬が始まったのです。
フランス革命:1789年-1795年。貴族+高級聖職者VS商工業者+金融業者。王制が崩壊した。『シゾー・オム、ア・ラ・ランテルヌ!』フランス語で、『ハサミ男を街灯に吊るせ!(つるせ)』。
どうして人を殺してはいけないのか:人が死ぬところを見ると不愉快になるから。たんなる不快感。
読んでいて、阿部サダヲさんの映画を思い出しました。
『死刑にいたる病(やまい) 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス』
こちらの映画は、阿部サダヲさんが、連続殺人鬼を演じます。17歳・18歳のまじめでおとなしく学力優秀な高校生である男女23人と、26歳の成人女性1人を殺した罪で、死刑判決を受けて服役中です。
400ページあたり、自問自答をする文章が続きます。読みながら、『引用が多い』と感じていたら、401ページに、『……ぼくには、引用癖がついたようです!……』と文章があり笑いました。
(つづく)
すべて読み終わりました。
う~む。これでいいのだろうか。これでいいのでしょう。わたしは、本格的な推理小説マニアではないので否定する力がありません。これでいいのです。
ハサミ男の正体が判明します。
ここには書きません。
よくわからない内容の文章が続きます。本自体が多重人格です。
ハサミ男は豪快です。
こんがらがって混乱する422ページあたりです。
だれが話をしているのかわからない。
現実と幻(まぼろし)が、同じ空間に存在する。
女子高生は、男たちを相手に実験をしていた。
なんというか、事実がわからない文章です。
現実と幻想が入り混じった内容の文章になっているのではないか。
刑事課職員のチームワークと真実の追求があります。
この終わり方でいいのだろうか。
496ページの位置にいます。あと5ページで終わります。
『不幸』があります。
『悪魔』あるいは、『悪党』のような人間が生き続けます。
人間と言うよりも、『人格』が生き延びます。
(参考・引用文献の部分を読みました)
鶴見済(つるみ・わたる)『完全自殺マニュアル』(太田出版)は、読んだことがあります。2022年12月22日に長い感想メモがあります。自殺防止が目的の本です。
2024年11月10日
とんでもない 鈴木のりたけ
とんでもない 鈴木のりたけ アリス館
油絵のようなタッチ(筆致)の絵本です。
『サイ』の後ろ姿から始まります。
自転車にのった『サイ』が、ペダルをこぐ後ろ姿がかわいい。
のっている『サイ』は、ママさんだろうか? パパさんだろうか? わかりません。
ページをめくって意外です。
海辺の町の風景画が出てきました。
日本各地の海岸線に似たような風景があります。
少年である『ぼく』が、一戸建ての二階にある自分の部屋で、窓辺で頬づえをつきながら、なにやらぶつぶつ不満をつぶやいています。
自分は平凡だ。なにかしらずばぬけた能力があるわけでもない。
『サイ』はいいなあ。よろいのような体がかっこいいなあ。
そんなことをつぶやいています。
読み終えてわかるのですが、連鎖の回転が始まります。
少年の自宅のお隣に、『サイ』が住む家がある?
なんか、変な絵があります。
おもしろい!
『サイ』が部屋の中でイスにこしかけて話します。
『とんでもない』
わたしにも苦労があるんだよ。(おもしろい)
『サイ』は、『うさぎ』がうらやましい。
ほう。
『うさぎ』になりたいようなことを言った『サイ』の次は、『うさぎ』です。
読んですぐにぱっと理解できるものでもないのですが、『うさぎ』が語ります。
『うさぎ』にも苦労があるのです。
『うさぎ』は、『くじら』がうらやましい。
『くじら』の絵の構図がすごい。
見開き2ページのすべてが『くじら』の顔に見えます。
ブルーの色がきれいです。
海の中で暮らすのにも苦労があるのです。
『くじら』は、『きりん』がうらやましいそうです。
おもしろい!
『きりん』の顔が、煙突(えんとつ)から出ています。
帰宅しても首が長すぎて困るらしい。
絵がリアルです。
『きりん』が生きているみたいです。
『きりん』は、『とり』みたいに空へ舞い上がりたい。
『とんでもない』
『とり』は、地面の上で暮らしたいそうです。
地面の上には、エサがたくさんあるからだそうです。
でも、『とり』を襲う敵も多いから、敵につかまらないように空を飛んでいるそうです。
『とり』は、強い『ライオン』になりたい。
ページをめくったら、『ライオン』が出てくると思ったのに違っていました。
たくさんの『ねこ』が、公園広場の草地の上にいます。にゃー にゃー。
ついに、『らいおん』が出てきました。
『らいおん』にもお悩みがあるのかと思ったら、なさそうです。『うん まあ そうかもね(強いから襲われることがない)』
ストーリーが進む中で、リズムの変化がありました。おもしろい。
そんなことを言っていた『男らいおん』の頭に、『パコンッ』と、『らいおんの奥さん』からのお玉(台所の)叩き(たたき)が飛んできました。
『男らいおん』は、狩りをしません。『女らいおん』が、狩りをします。奥さんは、獲物を追いかけるのもたいへんだと主張します。
『奥さんらいおん』は、『人間のこども』がうらやましい。人間のこどもは、家でひっくりかえって本でも読んでいればいい気楽な身分だみたいなことを言います。
ここまで読んで、この絵本を親戚の男の子にプレゼントすることにしました。
3歳半ぐらいですが、楽しんでもらえそうです。
いい絵本でした。
港に近い山の上にある住宅地の夜景がきれいです。
いいなあ。
夜の『サイ』の姿、『サイ』は自転車にまたがってペダルをこいでいます。
読み終えて、おまけのクイズもありました。
ちょっとむずかしい問題もありました。
第1問の答である、『うさぎが描いてあるポスター』が、わたしには見えません。老眼のせいだろうか。
油絵のようなタッチ(筆致)の絵本です。
『サイ』の後ろ姿から始まります。
自転車にのった『サイ』が、ペダルをこぐ後ろ姿がかわいい。
のっている『サイ』は、ママさんだろうか? パパさんだろうか? わかりません。
ページをめくって意外です。
海辺の町の風景画が出てきました。
日本各地の海岸線に似たような風景があります。
少年である『ぼく』が、一戸建ての二階にある自分の部屋で、窓辺で頬づえをつきながら、なにやらぶつぶつ不満をつぶやいています。
自分は平凡だ。なにかしらずばぬけた能力があるわけでもない。
『サイ』はいいなあ。よろいのような体がかっこいいなあ。
そんなことをつぶやいています。
読み終えてわかるのですが、連鎖の回転が始まります。
少年の自宅のお隣に、『サイ』が住む家がある?
なんか、変な絵があります。
おもしろい!
『サイ』が部屋の中でイスにこしかけて話します。
『とんでもない』
わたしにも苦労があるんだよ。(おもしろい)
『サイ』は、『うさぎ』がうらやましい。
ほう。
『うさぎ』になりたいようなことを言った『サイ』の次は、『うさぎ』です。
読んですぐにぱっと理解できるものでもないのですが、『うさぎ』が語ります。
『うさぎ』にも苦労があるのです。
『うさぎ』は、『くじら』がうらやましい。
『くじら』の絵の構図がすごい。
見開き2ページのすべてが『くじら』の顔に見えます。
ブルーの色がきれいです。
海の中で暮らすのにも苦労があるのです。
『くじら』は、『きりん』がうらやましいそうです。
おもしろい!
『きりん』の顔が、煙突(えんとつ)から出ています。
帰宅しても首が長すぎて困るらしい。
絵がリアルです。
『きりん』が生きているみたいです。
『きりん』は、『とり』みたいに空へ舞い上がりたい。
『とんでもない』
『とり』は、地面の上で暮らしたいそうです。
地面の上には、エサがたくさんあるからだそうです。
でも、『とり』を襲う敵も多いから、敵につかまらないように空を飛んでいるそうです。
『とり』は、強い『ライオン』になりたい。
ページをめくったら、『ライオン』が出てくると思ったのに違っていました。
たくさんの『ねこ』が、公園広場の草地の上にいます。にゃー にゃー。
ついに、『らいおん』が出てきました。
『らいおん』にもお悩みがあるのかと思ったら、なさそうです。『うん まあ そうかもね(強いから襲われることがない)』
ストーリーが進む中で、リズムの変化がありました。おもしろい。
そんなことを言っていた『男らいおん』の頭に、『パコンッ』と、『らいおんの奥さん』からのお玉(台所の)叩き(たたき)が飛んできました。
『男らいおん』は、狩りをしません。『女らいおん』が、狩りをします。奥さんは、獲物を追いかけるのもたいへんだと主張します。
『奥さんらいおん』は、『人間のこども』がうらやましい。人間のこどもは、家でひっくりかえって本でも読んでいればいい気楽な身分だみたいなことを言います。
ここまで読んで、この絵本を親戚の男の子にプレゼントすることにしました。
3歳半ぐらいですが、楽しんでもらえそうです。
いい絵本でした。
港に近い山の上にある住宅地の夜景がきれいです。
いいなあ。
夜の『サイ』の姿、『サイ』は自転車にまたがってペダルをこいでいます。
読み終えて、おまけのクイズもありました。
ちょっとむずかしい問題もありました。
第1問の答である、『うさぎが描いてあるポスター』が、わたしには見えません。老眼のせいだろうか。