2024年08月26日
向田邦子ベストエッセイ ちくま文庫
向田邦子ベストエッセイ 向田和子編(妹さんです。向田邦子さんは長女で和子さんの9歳年上、和子さんは末っ子です。邦子さん没後40年になるころこの本の出版について声をかけられたそうです。2020年(令和2年)ころでしょう) ちくま文庫
向田邦子(むこうだくにこ):わたしが昨年12月に鹿児島市を観光で訪れたときに、城山公園でかけっこのイベントが開催されていて、参加していたのが、向田邦子さんが通っていた小学校の児童さんたちだったので驚きました。(本書の98ページあたりから105ページにかけてのエッセイで、当時のことがいろいろ書いてあります)
1929年(昭和4年)-1981年(昭和56年)台湾にて航空機墜落事故で死去。51歳没。脚本家、エッセイスト、小説家。
アンソロジー:選んで集めた本。
1945年(昭和20年)3月10日東京大空襲の夜のことが書いてあります。(たまたまですが、このあと読んだ、『板上(ばんじょうに)咲く 原田マハ 幻冬舎 (木版画家である棟方志功の妻チヤの語り)』にも東京大空襲のことが書いてありました)
空襲で大きな火災が発生する中、大八車で逃げる一家がいます。
B29という爆撃機による激しい空襲の中で、筆者は、大八車を捨てて逃げる家族を見ます。
大八車の上に、おばあさんが置き去りにされました。
向田邦子さんのお父さんがそのおばあさんを助けます。
おばあさんは助かります。翌日、おばあさんを探しに来た息子を、おばあさんが叩きます。(たたきます)
そんな話が書いてあります。
読んでいると、筆者も含めての亡くなった人たちの暮らしがよみがえります。
心にしみる文章です。
男が女をしもべのように使う時代でした。しもべ:召使(めしつかい)
味わい深い文章が続きます。
同じ日本でも、現在と戦前のようすはずいぶん異なります。
おたき婆さんは、靴をはいたことがなかった。下駄(げた)をはいていた。
著者の母の世代は、洋服を着たことがあまりなかった。着物を着ていた。人生70年のほとんどを和服で通してきた。
女にとって、結婚は、『賭け(かけ)』だった。見合い結婚ばかりだった。
知らない男と一生を過ごす。その男の子を産む。その男の母親に仕え(つかえ)、その男と、その男の子に仕える(つかえる。その人のために働く)。どれをとっても大博打(おおばくち)だったとあります。
わたしが若い頃に聞いた言葉として、『男は就職、女は結婚』が人生のポイントだと示した言葉がありました。
著者は乳がんを患って(わずらって)いたことがあるそうです。
初めて知りました。
著者の父親像は、当時の一般的な父親像でもあったそうです。
人一倍情が濃い癖に、不器用で家族にやさしい言葉をかけることができず、なにかというと怒鳴り手を上げる。自分には寛大、妻には厳しい身勝手な夫です。
ふんどしひとつで家じゅうを歩き回り、大酒を飲み、癇癪(かんしゃっく)を起して母や子供たちに手を上げる父親だったそうです。(昔は、そういう男がたくさんいました)
留守番電話のことが書いてあります。
今では加入電話の数も減るばかりです。
黒柳徹子さんが出てきます。
向田邦子さんの留守番電話に黒柳徹子さんが録音するのですが、徹子さんは、機械相手に話をすることがにがてで、合計9連続で(1回1分間)で留守録が入っていたそうです。結局、用件はあとで話すわねとなっていたそうです。
読んでいて、著者も含めて、登場するだいたいの人たちは亡くなっています。
著者のお父さんは、64歳のときに心不全で急死されています。
人は亡くなっても文章は残ります。
父上は、筆まめな人だった。
遺伝でしょう。著者は、文筆業を職とされました。
男中心の社会で、女は耐えることを強いられていた(しいられていた)時代です。
今なら非常識と指摘できますが、当時は、あたりまえの風習、習慣でした。女性の生き方に選択肢がほとんどありません。男に仕えることが(つかえる)女の役割であり宿命だったのです。
昭和10年(1935年)ころのこどものおやつが書いてあります。
当時、父親は保険会社の次長で、月給が95円だったとあります。アンパン1個が2銭です。森永のキャラメル、明治のキャラメル、そして、グリコのおまけ付きキャラメルのことが書いてあります。
『農林一号』という銘柄が出てきました。
わたしが、小学一年生のとき、農家だった父方祖父が、おそらく農協の職員が家をたずねてきたときに、銘柄は何にするかと問われて、『農林一号にしてくれ』と返答していたことを記憶しています。そのときは、お米の銘柄だと思いましたが、こちらのエッセイを読むと、ジャガイモの銘柄とあります。知りませんでした。
村岡花子:1893年(明治26年)-1968年(昭和43年)75歳没。翻訳家、児童文学者。『赤毛のアン』の翻訳者。
関屋五十二(せきや・いそじ):1902年(明治35年)-1984年(昭和59年)81歳没。童話作家、放送作家。
鹿児島に対する愛着が書いてあります。
保険会社に勤める父親の転勤に伴って、1939年(昭和14年)から足かけ三年間滞在した。筆者は、鹿児島市内にある山下小学校に三年生のときから通った。
筆者が10歳のとき、父親は33歳だった。
鹿児島は、食べ物がおいしかった。
直木三十五(なおき・さんじゅうご):1891年(明治24年)-1934年(昭和9年)43歳没。小説家、脚本家。
阿部定事件(あべさだじけん):1936年(昭和11年)阿部定(あべ・さだ)という女性が、愛人の男性を殺害して、男のシンボルをちょん切った事件。新聞の号外が出て、小説や映画になった。
勅使河原蒼風(てしがわら・そうふう):生け花草月流の創始者。1900年(明治33年)-1979年(昭和54年)78歳没。
動物に関するエッセイがあります。『犬と猫とライオン』。昔の話ですが、ライオンを東京中野区の自宅で飼っていた人が出てきます。びっくりです。深大寺の墓に葬った。(ほうむった)。深大寺:じんだいじ。東京調布市。本には、動物慰霊塔があると書いてあります。
向田鉄(むこうだ・てつ):犬の名前です。甲斐駒と呼ばれる中型の日本犬。著者の飼い犬だった。著者が、二十代の中ごろ飼っていた。(1954年。昭和29年ころ)。病気で、生後10か月で死んだそうです。
林芙美子(はやし・ふみこ):作家。1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。第二次世界大戦時中国において日本軍国主義を支持する従軍記者。放浪日記。
コラット:ブルー・グレイの猫。著者の飼い猫。なぜ、猫を飼うことにしたのかについて、結婚とからめた話が出ます。コラットを、『ただ何となく』飼った。猫には縁があったが、男には縁が薄かった。なんとなく結婚しなかった。『なぜ結婚しないのですか』という問いに正確に答えるのはむずかしい。具体的な理由を提示できない。(わたしが思うに、人間というものは、やりたいからやるだけです。理由はあるようでないのです。(その行為を)やりたいからやる。個々の脳みその中に個々の性質として生まれながらに、その人なりの『欲』が埋め込まれているのです)
猫の頭が、ラディッシュの大きさしかない(ちいさい):ラディッシュとは、赤い小さなダイコン。地中海沿岸が原産地。
串田孫一(くしだ・まごいち):詩人、哲学者、随筆家。1915年(大正4年)-2005年(平成17年)89歳没。わたしがたしか中学生の時に、教科書にこの方の旅をしている風景についての随筆が載っており、自分もおとなになったら、このような文章を書いてみたいと思ったことがあります。
旅に関するエッセイがあります。
筆者が小学校4年生・5年生の2年間を過ごした鹿児島市内の訪問について書いてあります。
居住していたのは、1939年(昭和14年)から足かけ三年間です。太平洋戦争が、昭和16年から20年でした。もうずいぶん前のことであり、訪問しても、昔あった風景がすっかり消えてなくなっています。そのかわりに、当時の同級生や先生たちとの再会があります。風景を失った失意と、なつかしい人たちとの感激の再会があります。40年ぶりの同窓会を13人で開かれています。風景は変わったけれど、人は変わっていなかったとあります。壺井榮さんの作品、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』のようです。
(わたしは、昨年12月に観光で鹿児島市内を訪れました。こちらの本に書いてある文章を読みながら訪問した時の風景が頭によみがえりました。いいお天気でした。著者と同じホテルに宿泊したことが本を読んでわかりました)
日支事変:にっしじへん。日本と中国の紛争。1937年(昭和12年)7月盧溝橋事件(ろこうきょうじけん。日本と中国の軍事衝突)に始まる。
ニューヨークに旅したことが書いてあります。
滞在中に、ロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂事件があったようです。(1981年(昭和56年))。ビートルズとか、ジョンレノンとかオノ・ヨーコという名前が文章に出てきます。
世の中のありようが書いてあります。大統領が狙撃されても、騒ぐのは関係者だけで、人々は淡々と日常生活を送っていると書いてあります。『一国の大統領が撃たれても、人は同じように食べ、同じように眠り、同じように犬を散歩に連れてゆく。』
アフリカモロッコへの旅について書いてあります。
訪問したけれど、映画、『カサブランカ』で観た景色がない。街には高層ビルが立ち並んでいる。
映画のセットの部分だけが、観光地として残っている。
あわせて、南米アマゾン川に行ったときのことが書いてあります。原住民だと思ったら、観光用の原住民で、観光客のために集められた原住民を演じる人たちだったそうです。
観光客の要望を満たすためにしかたがないと結んであります。
読み終わりました。
最後は、261ページあたりから最後の373ページまでを休み休み読みました。
なんというか、後半部分は、著者の遺書のような、あるいは、遺言のような内容になっていました。
航空機事故で自らが死ぬことを予言しているようなエッセイがありました。そして、自分のこれまでの生き方をふりかえるようなエッセイもありました。
旅の話です。
いろいろなところに海外旅行をされています。
稼いだお金を自分に投資される生き方をされる方です。
わたし自身にもそういう傾向があるので共感というか、同じ仲間の人間だと感じます。
著者の訪問先として、ペルー、カンボジア、ジャマイカ、ケニヤ、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、多彩です。
でも、飛行機への搭乗には、不安をかかえておられました。
昔の話ですから、ジェット機ではなく、プロペラ機の話です。
『一杯のコーヒーから 夢の花咲くこともある』そういうコマーシャルがありました。1939年(昭和14年)の作品です。
著者の愛称は、『クロちゃん』。色黒だった。夏は水泳、冬はスキーに夢中だった。いつも黒い服を着ていた。
書いたテレビドラマの脚本として、『寺内貫太郎一家』、『七人の孫』、『きんきらきん』、『時間ですよ』、『だいこんの花』、『じゃがいも』など。『阿修羅のごとく(あしゅらのごとく)』もありました。
エッセイに有名な俳優さんが次々と登場します。もう亡くなられた方が多い。
小坂明子さんがピアノを弾きながら歌う、『あなた』もよく流行りました。(はやりました。1974年(昭和49年)。
四国の香川県高松の記述が出てきます。
わたしは、偶然ですが、高松駅で列車待ちの時間があったので、近くにあったお城を見学したことがあって、その近くに著者が住んでいたことを後年知りました。保険会社の父親の転勤に伴って、小学6年生のときに高松市内で1年間過ごしたそうです。
エッセイでは、『四番丁小学校』が出てきます。著者は、7回から8回転校されています。わたしも、父親の仕事続かず癖が原因で、小学校は6校、中学校は3校通いました。こどものときから日本列島を東へ西へと引っ越しをしました。そんなふうだったので、著者と似たような体験があります。著者は、栃木県の宇都宮市に住んでいたことがあるとも書いてあります。宇都宮市ではありませんが、わたしも栃木県に住んでいたことがあります。
お金ほしさで、物を書くようになったそうです。出版社で働き始めたけれど、給料は安かった。
脚本1本を書くと、いいお金をもらえた。そのお金でスキー遊びに行った。
なんだろう。
読んでいて思うのは、人を集めるためには、言葉は悪いのですが、優れた(すぐれた)詐欺的(さぎてき)な技術と能力がいる。作為的に(さくいてきに。わざと。作戦として)人の気持ちを感動させることに導く技術がいるのです。出来事を加工、脚色して作品として仕上げるのです。
読んでいると、それほどまじめ一筋(ひとすじ)の方でもありません。喜怒哀楽、欲もある普通の人です。文章を書く才能はこどものころからあった。そして、文章を書くことが好きだった。
340ページに、『ヒコーキ』というエッセイがあります。
飛行機に乗るのがにがてだと書いてあります。
飛行機が墜落して死者が出たというような話が書いてあります。
自分は、いつもこわい思いをしながら飛行機に乗っているというようなことが書いてあります。それでも旅には出たいのです。
自分が飛行機墜落事故で死ぬ(1981年(昭和56年))ことを予言しているような文章です。
お母さんのことが書いてあります。(著者の)母親は、飛行機が大好きだった。理由は、落ちると、飛行機会社でお葬式をしてくださるからだとあります。
『職業』も『つき合う人』も、自分で選ぶというようなことが書いてあります。
22歳だったときのことが書いてあります。1951年(昭和26年)ころのことです。
自分は、子供のころから、ぜいたくで、虚栄心(きょえいしん。うぬぼれ、じまん、みばえ、見栄)が強い子供だった。
自分は、若くて健康だった。親きょうだいにも恵まれていた。暮らしに事欠いたこともない。つきあっていた男性たちもいたし、縁談もあった。立派な男性ばかりだった。どの人と結婚しても世間並みの暮らしを送れた。
自分で、自分は、何をしたいのかがわからなかった。今のままではいやだという気持ちだけは強かった。やりなおすなら今だと強く思った。結婚することはやめて、このままゆこうと決めた。結婚を求めない人生を歩むことにした。
ここで、ちょっとびっくりする言葉が出てきました。『(そしてわたしは決めたのです)反省するのをやめにしよう』(この言葉は、以前テレビ番組、『徹子の部屋』で、ゲストが黒柳徹子さんにモットー(信条。生き方に関する方向性)を質問した時だったと思うのですが、徹子さんが、『反省しないこと』と返答されました。長生きの秘訣は?という質問だったかもしれません。なお、黒柳徹子さんと向田邦子さんは親しかったという印象があります)
著者は、『清貧(せいひん。貧しくとも清く正しく美しく)』という言葉がキライだそうです。『謙遜(けんそん。へりくだる。相手より自分を下におく)』もキライだそうです。
『謙遜』は、おごりと偽善に見えるそうです。
お金がほしい、地位も欲しい、自分はなになにができると正直に自慢する人が好きだそうです。
自分は人生において、がまんしない。やりたいことをやる。
読み終えて思い出した一冊があります。
『東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ) 大和書房』
福岡県出身の女性が東京暮らしを体験します。『こじらせ女子』という流行語を発信された方だそうです。40歳のときに、自宅で事故死されています。
人生を、太く短く生きる人と、細く長く生きる人がいます。
自分でも知らないうちに、どちらかの生き方を選択しているということがあります。そう思いました。
向田邦子(むこうだくにこ):わたしが昨年12月に鹿児島市を観光で訪れたときに、城山公園でかけっこのイベントが開催されていて、参加していたのが、向田邦子さんが通っていた小学校の児童さんたちだったので驚きました。(本書の98ページあたりから105ページにかけてのエッセイで、当時のことがいろいろ書いてあります)
1929年(昭和4年)-1981年(昭和56年)台湾にて航空機墜落事故で死去。51歳没。脚本家、エッセイスト、小説家。
アンソロジー:選んで集めた本。
1945年(昭和20年)3月10日東京大空襲の夜のことが書いてあります。(たまたまですが、このあと読んだ、『板上(ばんじょうに)咲く 原田マハ 幻冬舎 (木版画家である棟方志功の妻チヤの語り)』にも東京大空襲のことが書いてありました)
空襲で大きな火災が発生する中、大八車で逃げる一家がいます。
B29という爆撃機による激しい空襲の中で、筆者は、大八車を捨てて逃げる家族を見ます。
大八車の上に、おばあさんが置き去りにされました。
向田邦子さんのお父さんがそのおばあさんを助けます。
おばあさんは助かります。翌日、おばあさんを探しに来た息子を、おばあさんが叩きます。(たたきます)
そんな話が書いてあります。
読んでいると、筆者も含めての亡くなった人たちの暮らしがよみがえります。
心にしみる文章です。
男が女をしもべのように使う時代でした。しもべ:召使(めしつかい)
味わい深い文章が続きます。
同じ日本でも、現在と戦前のようすはずいぶん異なります。
おたき婆さんは、靴をはいたことがなかった。下駄(げた)をはいていた。
著者の母の世代は、洋服を着たことがあまりなかった。着物を着ていた。人生70年のほとんどを和服で通してきた。
女にとって、結婚は、『賭け(かけ)』だった。見合い結婚ばかりだった。
知らない男と一生を過ごす。その男の子を産む。その男の母親に仕え(つかえ)、その男と、その男の子に仕える(つかえる。その人のために働く)。どれをとっても大博打(おおばくち)だったとあります。
わたしが若い頃に聞いた言葉として、『男は就職、女は結婚』が人生のポイントだと示した言葉がありました。
著者は乳がんを患って(わずらって)いたことがあるそうです。
初めて知りました。
著者の父親像は、当時の一般的な父親像でもあったそうです。
人一倍情が濃い癖に、不器用で家族にやさしい言葉をかけることができず、なにかというと怒鳴り手を上げる。自分には寛大、妻には厳しい身勝手な夫です。
ふんどしひとつで家じゅうを歩き回り、大酒を飲み、癇癪(かんしゃっく)を起して母や子供たちに手を上げる父親だったそうです。(昔は、そういう男がたくさんいました)
留守番電話のことが書いてあります。
今では加入電話の数も減るばかりです。
黒柳徹子さんが出てきます。
向田邦子さんの留守番電話に黒柳徹子さんが録音するのですが、徹子さんは、機械相手に話をすることがにがてで、合計9連続で(1回1分間)で留守録が入っていたそうです。結局、用件はあとで話すわねとなっていたそうです。
読んでいて、著者も含めて、登場するだいたいの人たちは亡くなっています。
著者のお父さんは、64歳のときに心不全で急死されています。
人は亡くなっても文章は残ります。
父上は、筆まめな人だった。
遺伝でしょう。著者は、文筆業を職とされました。
男中心の社会で、女は耐えることを強いられていた(しいられていた)時代です。
今なら非常識と指摘できますが、当時は、あたりまえの風習、習慣でした。女性の生き方に選択肢がほとんどありません。男に仕えることが(つかえる)女の役割であり宿命だったのです。
昭和10年(1935年)ころのこどものおやつが書いてあります。
当時、父親は保険会社の次長で、月給が95円だったとあります。アンパン1個が2銭です。森永のキャラメル、明治のキャラメル、そして、グリコのおまけ付きキャラメルのことが書いてあります。
『農林一号』という銘柄が出てきました。
わたしが、小学一年生のとき、農家だった父方祖父が、おそらく農協の職員が家をたずねてきたときに、銘柄は何にするかと問われて、『農林一号にしてくれ』と返答していたことを記憶しています。そのときは、お米の銘柄だと思いましたが、こちらのエッセイを読むと、ジャガイモの銘柄とあります。知りませんでした。
村岡花子:1893年(明治26年)-1968年(昭和43年)75歳没。翻訳家、児童文学者。『赤毛のアン』の翻訳者。
関屋五十二(せきや・いそじ):1902年(明治35年)-1984年(昭和59年)81歳没。童話作家、放送作家。
鹿児島に対する愛着が書いてあります。
保険会社に勤める父親の転勤に伴って、1939年(昭和14年)から足かけ三年間滞在した。筆者は、鹿児島市内にある山下小学校に三年生のときから通った。
筆者が10歳のとき、父親は33歳だった。
鹿児島は、食べ物がおいしかった。
直木三十五(なおき・さんじゅうご):1891年(明治24年)-1934年(昭和9年)43歳没。小説家、脚本家。
阿部定事件(あべさだじけん):1936年(昭和11年)阿部定(あべ・さだ)という女性が、愛人の男性を殺害して、男のシンボルをちょん切った事件。新聞の号外が出て、小説や映画になった。
勅使河原蒼風(てしがわら・そうふう):生け花草月流の創始者。1900年(明治33年)-1979年(昭和54年)78歳没。
動物に関するエッセイがあります。『犬と猫とライオン』。昔の話ですが、ライオンを東京中野区の自宅で飼っていた人が出てきます。びっくりです。深大寺の墓に葬った。(ほうむった)。深大寺:じんだいじ。東京調布市。本には、動物慰霊塔があると書いてあります。
向田鉄(むこうだ・てつ):犬の名前です。甲斐駒と呼ばれる中型の日本犬。著者の飼い犬だった。著者が、二十代の中ごろ飼っていた。(1954年。昭和29年ころ)。病気で、生後10か月で死んだそうです。
林芙美子(はやし・ふみこ):作家。1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。第二次世界大戦時中国において日本軍国主義を支持する従軍記者。放浪日記。
コラット:ブルー・グレイの猫。著者の飼い猫。なぜ、猫を飼うことにしたのかについて、結婚とからめた話が出ます。コラットを、『ただ何となく』飼った。猫には縁があったが、男には縁が薄かった。なんとなく結婚しなかった。『なぜ結婚しないのですか』という問いに正確に答えるのはむずかしい。具体的な理由を提示できない。(わたしが思うに、人間というものは、やりたいからやるだけです。理由はあるようでないのです。(その行為を)やりたいからやる。個々の脳みその中に個々の性質として生まれながらに、その人なりの『欲』が埋め込まれているのです)
猫の頭が、ラディッシュの大きさしかない(ちいさい):ラディッシュとは、赤い小さなダイコン。地中海沿岸が原産地。
串田孫一(くしだ・まごいち):詩人、哲学者、随筆家。1915年(大正4年)-2005年(平成17年)89歳没。わたしがたしか中学生の時に、教科書にこの方の旅をしている風景についての随筆が載っており、自分もおとなになったら、このような文章を書いてみたいと思ったことがあります。
旅に関するエッセイがあります。
筆者が小学校4年生・5年生の2年間を過ごした鹿児島市内の訪問について書いてあります。
居住していたのは、1939年(昭和14年)から足かけ三年間です。太平洋戦争が、昭和16年から20年でした。もうずいぶん前のことであり、訪問しても、昔あった風景がすっかり消えてなくなっています。そのかわりに、当時の同級生や先生たちとの再会があります。風景を失った失意と、なつかしい人たちとの感激の再会があります。40年ぶりの同窓会を13人で開かれています。風景は変わったけれど、人は変わっていなかったとあります。壺井榮さんの作品、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』のようです。
(わたしは、昨年12月に観光で鹿児島市内を訪れました。こちらの本に書いてある文章を読みながら訪問した時の風景が頭によみがえりました。いいお天気でした。著者と同じホテルに宿泊したことが本を読んでわかりました)
日支事変:にっしじへん。日本と中国の紛争。1937年(昭和12年)7月盧溝橋事件(ろこうきょうじけん。日本と中国の軍事衝突)に始まる。
ニューヨークに旅したことが書いてあります。
滞在中に、ロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂事件があったようです。(1981年(昭和56年))。ビートルズとか、ジョンレノンとかオノ・ヨーコという名前が文章に出てきます。
世の中のありようが書いてあります。大統領が狙撃されても、騒ぐのは関係者だけで、人々は淡々と日常生活を送っていると書いてあります。『一国の大統領が撃たれても、人は同じように食べ、同じように眠り、同じように犬を散歩に連れてゆく。』
アフリカモロッコへの旅について書いてあります。
訪問したけれど、映画、『カサブランカ』で観た景色がない。街には高層ビルが立ち並んでいる。
映画のセットの部分だけが、観光地として残っている。
あわせて、南米アマゾン川に行ったときのことが書いてあります。原住民だと思ったら、観光用の原住民で、観光客のために集められた原住民を演じる人たちだったそうです。
観光客の要望を満たすためにしかたがないと結んであります。
読み終わりました。
最後は、261ページあたりから最後の373ページまでを休み休み読みました。
なんというか、後半部分は、著者の遺書のような、あるいは、遺言のような内容になっていました。
航空機事故で自らが死ぬことを予言しているようなエッセイがありました。そして、自分のこれまでの生き方をふりかえるようなエッセイもありました。
旅の話です。
いろいろなところに海外旅行をされています。
稼いだお金を自分に投資される生き方をされる方です。
わたし自身にもそういう傾向があるので共感というか、同じ仲間の人間だと感じます。
著者の訪問先として、ペルー、カンボジア、ジャマイカ、ケニヤ、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、多彩です。
でも、飛行機への搭乗には、不安をかかえておられました。
昔の話ですから、ジェット機ではなく、プロペラ機の話です。
『一杯のコーヒーから 夢の花咲くこともある』そういうコマーシャルがありました。1939年(昭和14年)の作品です。
著者の愛称は、『クロちゃん』。色黒だった。夏は水泳、冬はスキーに夢中だった。いつも黒い服を着ていた。
書いたテレビドラマの脚本として、『寺内貫太郎一家』、『七人の孫』、『きんきらきん』、『時間ですよ』、『だいこんの花』、『じゃがいも』など。『阿修羅のごとく(あしゅらのごとく)』もありました。
エッセイに有名な俳優さんが次々と登場します。もう亡くなられた方が多い。
小坂明子さんがピアノを弾きながら歌う、『あなた』もよく流行りました。(はやりました。1974年(昭和49年)。
四国の香川県高松の記述が出てきます。
わたしは、偶然ですが、高松駅で列車待ちの時間があったので、近くにあったお城を見学したことがあって、その近くに著者が住んでいたことを後年知りました。保険会社の父親の転勤に伴って、小学6年生のときに高松市内で1年間過ごしたそうです。
エッセイでは、『四番丁小学校』が出てきます。著者は、7回から8回転校されています。わたしも、父親の仕事続かず癖が原因で、小学校は6校、中学校は3校通いました。こどものときから日本列島を東へ西へと引っ越しをしました。そんなふうだったので、著者と似たような体験があります。著者は、栃木県の宇都宮市に住んでいたことがあるとも書いてあります。宇都宮市ではありませんが、わたしも栃木県に住んでいたことがあります。
お金ほしさで、物を書くようになったそうです。出版社で働き始めたけれど、給料は安かった。
脚本1本を書くと、いいお金をもらえた。そのお金でスキー遊びに行った。
なんだろう。
読んでいて思うのは、人を集めるためには、言葉は悪いのですが、優れた(すぐれた)詐欺的(さぎてき)な技術と能力がいる。作為的に(さくいてきに。わざと。作戦として)人の気持ちを感動させることに導く技術がいるのです。出来事を加工、脚色して作品として仕上げるのです。
読んでいると、それほどまじめ一筋(ひとすじ)の方でもありません。喜怒哀楽、欲もある普通の人です。文章を書く才能はこどものころからあった。そして、文章を書くことが好きだった。
340ページに、『ヒコーキ』というエッセイがあります。
飛行機に乗るのがにがてだと書いてあります。
飛行機が墜落して死者が出たというような話が書いてあります。
自分は、いつもこわい思いをしながら飛行機に乗っているというようなことが書いてあります。それでも旅には出たいのです。
自分が飛行機墜落事故で死ぬ(1981年(昭和56年))ことを予言しているような文章です。
お母さんのことが書いてあります。(著者の)母親は、飛行機が大好きだった。理由は、落ちると、飛行機会社でお葬式をしてくださるからだとあります。
『職業』も『つき合う人』も、自分で選ぶというようなことが書いてあります。
22歳だったときのことが書いてあります。1951年(昭和26年)ころのことです。
自分は、子供のころから、ぜいたくで、虚栄心(きょえいしん。うぬぼれ、じまん、みばえ、見栄)が強い子供だった。
自分は、若くて健康だった。親きょうだいにも恵まれていた。暮らしに事欠いたこともない。つきあっていた男性たちもいたし、縁談もあった。立派な男性ばかりだった。どの人と結婚しても世間並みの暮らしを送れた。
自分で、自分は、何をしたいのかがわからなかった。今のままではいやだという気持ちだけは強かった。やりなおすなら今だと強く思った。結婚することはやめて、このままゆこうと決めた。結婚を求めない人生を歩むことにした。
ここで、ちょっとびっくりする言葉が出てきました。『(そしてわたしは決めたのです)反省するのをやめにしよう』(この言葉は、以前テレビ番組、『徹子の部屋』で、ゲストが黒柳徹子さんにモットー(信条。生き方に関する方向性)を質問した時だったと思うのですが、徹子さんが、『反省しないこと』と返答されました。長生きの秘訣は?という質問だったかもしれません。なお、黒柳徹子さんと向田邦子さんは親しかったという印象があります)
著者は、『清貧(せいひん。貧しくとも清く正しく美しく)』という言葉がキライだそうです。『謙遜(けんそん。へりくだる。相手より自分を下におく)』もキライだそうです。
『謙遜』は、おごりと偽善に見えるそうです。
お金がほしい、地位も欲しい、自分はなになにができると正直に自慢する人が好きだそうです。
自分は人生において、がまんしない。やりたいことをやる。
読み終えて思い出した一冊があります。
『東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ) 大和書房』
福岡県出身の女性が東京暮らしを体験します。『こじらせ女子』という流行語を発信された方だそうです。40歳のときに、自宅で事故死されています。
人生を、太く短く生きる人と、細く長く生きる人がいます。
自分でも知らないうちに、どちらかの生き方を選択しているということがあります。そう思いました。
2024年08月21日
そそそそ たなかひかる
そそそそ たなかひかる ポプラ社
絵本の表紙には、コアラが8頭重なっています。
最初のコアラだけが木につかまって、あとの7匹が背中に順番にのっかっています。
ナンセンス絵本でしょう。ナンセンス:意味がない。ばかげている。だけど、味わいがある。おもしろい。
わたしが好きな絵本作家で、長新太(ちょう・しんた)さんという方がいらっしゃいます。ナンセンス絵本の大家(たいか。ベテランで優れて(すぐれて)いる人)だと思います。
たくさんの作品を読みました。『へんてこ へんてこ』、『みみずのオッサン』、『ゴムあたまポンたろう』、『おなら』、『ぼくのくれよん』、『キャベツくん』などを読みました。そのほかに、原作者は別の方で、絵が長新太さんというパターンの絵本も何冊か読みました。
自分なりに分類すると、こちらのたなかひかるさんの本もナンセンス絵本です。
比較すると、長新太さんほどのパワーはありません。たなかひかるさんの絵本の内容は、おとなしい。
ページをめくると、コアラが9頭います。
絵本の表紙に描いてある絵よりも1頭多い。
9頭のコアラの足が、にゅーっと伸びました。
その絵は、うちの小学生の孫のひとりが大好きな、『ニャンコ大戦争』というマンガの絵のようでもあります。ニャンコですから、ネコの足がにゅーっと伸びたような絵のマンガです。足のすぐ上に顔がある変な絵です。
絵本のページをさらにめくります。
ふふふふふ…なにか変だけれど笑えます。
コアラ+パンダです。
コアラは、そそそそと歩き、パンダは、ころころと背中を左右に動かします。
パンダの背が伸びて、モデルさんみたいな姿になりました。かっこいい! いかしてる! クールです。
ワニが来た。ワニは2頭います。
なにかと伸びる絵本です。
ワニのあごが伸びました。
今度はラクダと鳥が出てきました。鳥は、オウムのようなインコのような、ヨウムという鳥かもしれません。
ラクダのこぶがにゅーんと伸びました。
こぶとこぶの間にヨウム鳥がはさまれました。ヨウムは2羽います。
あれ? ヨウムの話は終わって、今度はキリンが登場しました。
キリンは、体のどこが伸びるのだろうか?
……
キリンじゃなくて、コアラの鼻が伸びました。
意表をつかれました。いひょう:予想外のこと、考えてもいなかったことでびっくりする。
キリンの鼻息が荒い。何かが起こりそうだ。
なんじゃこりゃ? コアラの鼻から大量の、『ふんす』が放出されました。
えッ? 伸びるんじゃなくて、キリンの首がちぢみました。
首が短い生き物は、見た目はもうキリンじゃありません。
足の長いペリカンが飛んできます。
ぞそぞぞ、ぞぞぞそが続いて、コアラの長かった足も手も元どおりです。
おもしろかった。
絵本の表紙には、コアラが8頭重なっています。
最初のコアラだけが木につかまって、あとの7匹が背中に順番にのっかっています。
ナンセンス絵本でしょう。ナンセンス:意味がない。ばかげている。だけど、味わいがある。おもしろい。
わたしが好きな絵本作家で、長新太(ちょう・しんた)さんという方がいらっしゃいます。ナンセンス絵本の大家(たいか。ベテランで優れて(すぐれて)いる人)だと思います。
たくさんの作品を読みました。『へんてこ へんてこ』、『みみずのオッサン』、『ゴムあたまポンたろう』、『おなら』、『ぼくのくれよん』、『キャベツくん』などを読みました。そのほかに、原作者は別の方で、絵が長新太さんというパターンの絵本も何冊か読みました。
自分なりに分類すると、こちらのたなかひかるさんの本もナンセンス絵本です。
比較すると、長新太さんほどのパワーはありません。たなかひかるさんの絵本の内容は、おとなしい。
ページをめくると、コアラが9頭います。
絵本の表紙に描いてある絵よりも1頭多い。
9頭のコアラの足が、にゅーっと伸びました。
その絵は、うちの小学生の孫のひとりが大好きな、『ニャンコ大戦争』というマンガの絵のようでもあります。ニャンコですから、ネコの足がにゅーっと伸びたような絵のマンガです。足のすぐ上に顔がある変な絵です。
絵本のページをさらにめくります。
ふふふふふ…なにか変だけれど笑えます。
コアラ+パンダです。
コアラは、そそそそと歩き、パンダは、ころころと背中を左右に動かします。
パンダの背が伸びて、モデルさんみたいな姿になりました。かっこいい! いかしてる! クールです。
ワニが来た。ワニは2頭います。
なにかと伸びる絵本です。
ワニのあごが伸びました。
今度はラクダと鳥が出てきました。鳥は、オウムのようなインコのような、ヨウムという鳥かもしれません。
ラクダのこぶがにゅーんと伸びました。
こぶとこぶの間にヨウム鳥がはさまれました。ヨウムは2羽います。
あれ? ヨウムの話は終わって、今度はキリンが登場しました。
キリンは、体のどこが伸びるのだろうか?
……
キリンじゃなくて、コアラの鼻が伸びました。
意表をつかれました。いひょう:予想外のこと、考えてもいなかったことでびっくりする。
キリンの鼻息が荒い。何かが起こりそうだ。
なんじゃこりゃ? コアラの鼻から大量の、『ふんす』が放出されました。
えッ? 伸びるんじゃなくて、キリンの首がちぢみました。
首が短い生き物は、見た目はもうキリンじゃありません。
足の長いペリカンが飛んできます。
ぞそぞぞ、ぞぞぞそが続いて、コアラの長かった足も手も元どおりです。
おもしろかった。
2024年08月19日
おばけのかわをむいたら たなかひかる
おばけのかわをむいたら たなかひかる 文響社
全体が黄色い絵本です。
バナナの皮をむくイメージでできあがっています。
本の帯にあるキャッチコピーです。
『もう1回読んで!が止まらない』(そうかなあ)
1回読みましたが、好みが分かれる内容です。
不気味でもあります。
シュールレアリスム(超現実主義。じっさいには、目には見えない世界である思考、意識、夢などを絵にする)
なにこれ? という人もいることでしょう。
おばけは、バナナみたいな形をしていて、バナナの皮をむくように、むくことができます。
皮をむくと、何かが出てくるパターンが続きます。
おすもうさんが3人、肩車をした状態で(3人が縦に重なる)で現れました。(ちょっときもい(気持ち悪い))
ページをめくると、こんどは、おばけの皮をむいたら、電車が縦に現れました。(まあ、ありえない設定の話です)
次のページでは、おばけの皮をむいたら、ホットドックが出てきました。(おいしそう)
くりかえしのリズムがあります。
本のまんなかあたりで、とつぜん、バナナの形状がボールの形状に変化しました。
みかんの皮をむくイメージです。
ふむ。ブタたちが出てきました。(わたしは、おもしろい)
今度は豆の形状をしたものが出てきました。
それを割ると、ライオンが出てきました。
次は、そら豆みたいな形状のおばけが出てきました。
皮を押すと、どろぼうとおまわりさんが出てきました。
次は、海にいるウニの形です。
イガイガおばけだそうです。
ウニの形を割ると、車が出てきました。
さらに車の皮をむくと、またおすもうさんたちが出てきました。(作者はおすもうさんが好きなようです。わたしも相撲ファンです。宇良(うら)と熱海富士と翔猿(とびざる)と遠藤と若隆景(わかたかかげ)、翠富士(みどりふじ)、炎鵬(えんほう)、大の里(おおのさと)、尊富士(たけるふじ)のファンです)
最後は、ロシア人形マトリョーシカ状態です。たまねぎみたいに、むいてもむいてもおばけです。
最後のオチは意味をとれません。
『だれかが そらを むこうとしている』
巨人の存在があります。地球より大きな巨人です。
わたしが高校生だった時につくった詩を思い出しました。
ちょっとここに落としてみます。
『路(みち)』
ぼんやり 空虚のむこうにある世界を眺める(ながめる)
週刊誌のページが
テレビ画像のような気がしてくる
頭に圧力が
(それも均等な)
視界は破壊につながる
いつの間にか
おれは原始人だと自覚する
ダンプカーは毛むくじゃらのマンモスだ
横断歩道を歩くのは人間の化石?
それとも異次元人?
球形をした地球の一点は
めくりあがる風に
塵(ちり)となって過去の空気に紛れる(まぎれる)
黙った時間は
太陽の真近で乾ききる
炎の中で無数の影が討論会をする
宇宙をかかえた男がみつめていた
その男も
何者かの胃袋の中にいるのかもしれない
全体が黄色い絵本です。
バナナの皮をむくイメージでできあがっています。
本の帯にあるキャッチコピーです。
『もう1回読んで!が止まらない』(そうかなあ)
1回読みましたが、好みが分かれる内容です。
不気味でもあります。
シュールレアリスム(超現実主義。じっさいには、目には見えない世界である思考、意識、夢などを絵にする)
なにこれ? という人もいることでしょう。
おばけは、バナナみたいな形をしていて、バナナの皮をむくように、むくことができます。
皮をむくと、何かが出てくるパターンが続きます。
おすもうさんが3人、肩車をした状態で(3人が縦に重なる)で現れました。(ちょっときもい(気持ち悪い))
ページをめくると、こんどは、おばけの皮をむいたら、電車が縦に現れました。(まあ、ありえない設定の話です)
次のページでは、おばけの皮をむいたら、ホットドックが出てきました。(おいしそう)
くりかえしのリズムがあります。
本のまんなかあたりで、とつぜん、バナナの形状がボールの形状に変化しました。
みかんの皮をむくイメージです。
ふむ。ブタたちが出てきました。(わたしは、おもしろい)
今度は豆の形状をしたものが出てきました。
それを割ると、ライオンが出てきました。
次は、そら豆みたいな形状のおばけが出てきました。
皮を押すと、どろぼうとおまわりさんが出てきました。
次は、海にいるウニの形です。
イガイガおばけだそうです。
ウニの形を割ると、車が出てきました。
さらに車の皮をむくと、またおすもうさんたちが出てきました。(作者はおすもうさんが好きなようです。わたしも相撲ファンです。宇良(うら)と熱海富士と翔猿(とびざる)と遠藤と若隆景(わかたかかげ)、翠富士(みどりふじ)、炎鵬(えんほう)、大の里(おおのさと)、尊富士(たけるふじ)のファンです)
最後は、ロシア人形マトリョーシカ状態です。たまねぎみたいに、むいてもむいてもおばけです。
最後のオチは意味をとれません。
『だれかが そらを むこうとしている』
巨人の存在があります。地球より大きな巨人です。
わたしが高校生だった時につくった詩を思い出しました。
ちょっとここに落としてみます。
『路(みち)』
ぼんやり 空虚のむこうにある世界を眺める(ながめる)
週刊誌のページが
テレビ画像のような気がしてくる
頭に圧力が
(それも均等な)
視界は破壊につながる
いつの間にか
おれは原始人だと自覚する
ダンプカーは毛むくじゃらのマンモスだ
横断歩道を歩くのは人間の化石?
それとも異次元人?
球形をした地球の一点は
めくりあがる風に
塵(ちり)となって過去の空気に紛れる(まぎれる)
黙った時間は
太陽の真近で乾ききる
炎の中で無数の影が討論会をする
宇宙をかかえた男がみつめていた
その男も
何者かの胃袋の中にいるのかもしれない
2024年08月09日
なんのサンドイッチ? たなかひかる
なんのサンドイッチ? たなかひかる 大和書房
(1回目の本読み)
発想の進展経過をマンガを読むように絵本にしてあるユニーク(珍しい(めずらしい))な絵本です。
(2回目の本読み)
サンドイッチです。
食パンが2枚、中になにかがあります。
ありえないものが、具材に使用されています。
食べられないものです。(自動車、すべり台……)
絵を見ていれば、なにがはさまっているのか、うすうすわかります。
食べられるけれど、一般的な日本人は食べないものです。(ウサギ)
ウサギたちは、オレンジ色のニンジンを食べています。
なかなかおもしろい。
ヘリコプターです。
ヘリコプターのプロペラが、クルクル回っているから、上にある食パンはクルクル回っています。
今度は、馬です。
ここからがおもしろい。
馬だと思っていたらケンタウロスでした。(上半身が人間です)
硬式野球のボールです。
キャッチャーのミットが、食パン2枚です。(おもしろい)
ヒーローと怪獣です。
戦っていたけれど、ふたりは仲良しになります。(おもしろい)
パンのサンドイッチ。
パンのあいだにパンがはさんであります。(なるほど)
どんどん話が発展していきます。
なかなか雄大な展開です。
なるほど。
じょうずな終わり方でした。
小学校低学年の孫に読んであげましたが、発想を理解できず、いまいちだったようです。
(1回目の本読み)
発想の進展経過をマンガを読むように絵本にしてあるユニーク(珍しい(めずらしい))な絵本です。
(2回目の本読み)
サンドイッチです。
食パンが2枚、中になにかがあります。
ありえないものが、具材に使用されています。
食べられないものです。(自動車、すべり台……)
絵を見ていれば、なにがはさまっているのか、うすうすわかります。
食べられるけれど、一般的な日本人は食べないものです。(ウサギ)
ウサギたちは、オレンジ色のニンジンを食べています。
なかなかおもしろい。
ヘリコプターです。
ヘリコプターのプロペラが、クルクル回っているから、上にある食パンはクルクル回っています。
今度は、馬です。
ここからがおもしろい。
馬だと思っていたらケンタウロスでした。(上半身が人間です)
硬式野球のボールです。
キャッチャーのミットが、食パン2枚です。(おもしろい)
ヒーローと怪獣です。
戦っていたけれど、ふたりは仲良しになります。(おもしろい)
パンのサンドイッチ。
パンのあいだにパンがはさんであります。(なるほど)
どんどん話が発展していきます。
なかなか雄大な展開です。
なるほど。
じょうずな終わり方でした。
小学校低学年の孫に読んであげましたが、発想を理解できず、いまいちだったようです。
2024年08月07日
リカバリー・カバヒコ 青山美智子
リカバリー・カバヒコ 青山美智子 光文社
味わい深い文章を書かれる作家さんです。
電子書籍の週刊誌で紹介されていたので取り寄せてみました。
こどもさんが乗って遊ぶ公園にあるカバを手でなでると、なでたその部分が治るというパターンは、長野善光寺にある、『びんずるさん』に似ています。本堂内に置いてあるお釈迦様(おしゃかさま)のお弟子さんの木像です。
わたしたち夫婦がお参りして、びんずるさんをなでなでしたしばらくあとに、その木像が盗まれるという事件がありました。びっくりしました。
びんずるさんは、その後、発見されて善光寺に戻りました。まず、おどろいたのは、木像を持ち上げて持って行ける状態にあったということでした。盗むための対象物という発想はありませんでした。あわせて、仏像がそこにただ置いてあったということでした。盗まれないように(ぬすまれないように)何かで固定されていたわけではありませんでした。
こちらの物語では、児童公園にあるカバの遊具をなでると、その体の部分が良くなるというものです。
人間にはだれしも、『願い』があります。
先日読んだ児童文学、『希望のひとしずく キース・カラブレーゼ作 代田亜希子・訳(だいた・あきこ) 理論社』では、公園の古井戸にコインを投げ入れて願いを言うのですが、井戸の底には、三人の中学一年生、男子ふたり、女子ひとりがいて、願いごとをした人の願いをかなえようと頑張るのです。(洞窟と古井戸の底がつながっている)
登場人物を変えながら、第1話から第5話まであるようです。
第1話を読み終えた時点で、今年読んで良かった一冊になりました。
『第1話 奏斗の頭(かなとのあたま)』
奏斗(かなと):高校一年生。中学までは、いなかの中学校で学力優秀者だった。都内に近い分譲マンションに引っ越して、都内の優秀な進学高に入学したら、今までは良かったテストの点数が、がた落ちになってショックを受けている。高校で友だちはいない。42人中35位の成績です。
新築マンション、『アドヴァンス・ヒル』に住んでいる。両親がいる。父親は奏斗に関心をもっていないようすです。『父さんはいつも優しい。でも褒めてくれる(ほめてくれる)ことはほとんどない』
『どうして僕は、バカになっちゃたんだ……?』
奏斗は自分を、『バカ』ではないと信じたいが、学力が高い学校では、成績順位はうしろのほうになっている。自信を打ち砕かれた状態です。
児童公園にあるのりものである『カバヒコ』の後頭部に油性マジックで落書きされた『バカ』という文字が奏斗自身に重ねた物語になっています。
奏斗は、返ってきたテストの点数、『61点』を『89点』に偽造します。母親は気づけません。先日同じようなシーンが、NHK朝ドラ、『虎に翼』であったことを思い出しました。
奏斗が住む場所の近所にあるものとして、『サンライズ・クリーニング』、『団地』、『日の出公園』、『カバの遊具(アニマルライド。のちに、「リカバリー・カバヒコ」と呼ばれていることがわかる)』。リカバリー:修復。
雫田美冬(しずくだ・みふゆ):奏斗のクラスメート女子。団地住まい。6号棟に住んでいる。6人の兄弟姉妹。家族が多いので自分の部屋もないけれど、勉強でがんばっている。いい子です。高校の学費を稼ぐためにバイトをしている。奏斗が彼女に恋をします。
矢代先生:ふたりの担任の先生。地理担当。
『でも順位なんてさ、いつだって、狭い世界でのことだよ』(そのとおりです)
『(バカという落書きの処理をめぐって)消すのと、隠すのは違うのだ。(『バカ(という落書きを)』塗りつぶすことをめぐって)』
マンション、『アドヴァンス・ヒル』の住人として5歳ぐらいの女の子とその母親:たぶん、このあとの話で主人公として出てくるのでしょう。
アレック先生:奏斗が以前住んでいたところで英語を教えてくれた英会話スクールの先生。
テストの点数のことが書いてあります。
点数で人間の価値が決まるわけではありません。そういうことを重視する人もいますが、全体からみれば少数派です。
まずは、60点でいい。そして、なにかひとつ高得点なものがあるとなおいい。
人生で大事なことは、『心身の健康』です。
わたしは長いこと生きてきて、学力優秀、仕事の業績優秀でも、人生の途中で重い病気にかかって亡くなった人を何人か見ました。志半ばで(こころざしなかばで)人生を終える人はいます。
自分はだいじょうぶなんていうことはありません。わたしも複数回、病気や事故で死にそうになったことがあります。まずは、生きていてこそです。
教室内で、教師から成績優秀者の点数の披露があるのですが、思い出したことがあります。
わたしが中学だった1965年代(昭和40年代)のとき、中間テストや期末テストの結果を、点数順に廊下に張り出してありました。かなりの人数分で実名が書いてありました。40人以上は書いてあった記憶です。今だと大問題になるのでしょうが、当時はあたりまえのことで、だれも文句を言う人はいませんでした。
『誰かに勝ちたかったんじゃなくて、私が、がんばりたかったんだ』
庇:屋根のひさし
セリフの趣旨として、『褒められたくて(ほめられたくて)がんばると、褒められなかったときにくじけちゃう』
『第2話 沙羽の口(さわの口)』
幼稚園のママ友づきあいに悩む主人公の女性です。
樋村砂羽(ひむら・さわ)35歳:ひばり幼稚園年長組の娘みずほ5歳か6歳がいる。夫が佳孝(よしたか)。時期は9月。田舎にある2LDKの賃貸マンションから都心に近い5階建て分譲マンション『アドヴァンス・ヒル』の2階3LDKを夫の意向で購入して4月に転居してきた。
前島文江35歳:樋村砂羽のママ友のひとり。
行村果保(ゆきむら・かほ)37歳:同じく、ママ友のひとり。
西本明美40代なかば:ボス的存在で問題あり。えこひいき。いじめの源(みなもと)となる人物。娘は、杏梨(あんり)と小学6年生の男児。薄笑いをする。
絹川:こどもは、友樹。マイペース。周囲の人間と群れない。自分をもっている。細身でしゅっとしていて無口。
雫田(しずくだ):アサヒストアの店員。感じがいい。第一話で出て来た雫田美冬の母親。50歳ぐらい。
読んでいると気持ちが沈んでいきます。
不本意なのに、つきあいで、グループに巻き込まれていく幼稚園ママさんです。
なんというか、道ばたで、女の人が数人集まって話をしている姿を見かけると、ああ、まただれかの悪口を言っているんだろうなあと思います。人の悪口か、役所の悪口か、そんなことが話題だろうと思います。
主人公は専業主婦で無職です。
分譲マンションを買う時に、『夫に買ってもらってよかったね』と人から声をかけられて、違和感をもちました。
主人公は、もともとは働いていた。
アイネ(全国チェーンのファッションビル)に入っているショップの店員をしていた。それなりにやりがいがあった。誇りもあった。
出産後も働いていたが、あかちゃんの子育てに振り回されて、義母から子育てにおいて、子どもが幼いうちは、母親はそばにいるべきだみたいに言われて仕事を辞めた。以降働き出すチャンスを逸した。(いっした)。
読んでいて思うのは、主人公は、イヤなものはイヤとはっきり言ったほうがいい。
やめてくださいと言ったほうがいい。
正直な気持ちを言葉にしていけばいい。
ママ友どうしのつきあいのつらさが書いてあります。
意思表示をしない人はずるい人です。
被害者のような顔をした加害者です。
以前、建築家の人が書いた本に、チームを組むときは必ず外国人スタッフを入れると書いてありました。日本人だけだと、必ずいじめが始まるそうです。
救いがある本です。文章に救いがあります。
リカバリー・カバヒコには、華(はな)がない。
主人公女性は、働き始めました。
働いた方がいい。
子育ては、10年ぐらいでひと段落します。
マレー:ショッピングセンターだろうか。サマンサというファーストフード店がある。
ひばり幼稚園で11月にバザーがあり、父兄に役割分担がある。
『第3話 ちはるの耳』
失恋とかメンタルの休職みたいな話です。
新沢ちはる(にいざわ・ちはる):26歳。3年間、ブライダルプロデュース会社でウェディングプランナーとして働いていたが、いろいろ人間関係で悩んでいる。
耳が聞こえにくくなって(ストレス、過労が原因。『耳管開放症(じかんかいほうしょう)』)今は休職し始めて2週間がたっている。両親と同居の3人家族、父は私立高校教師、母は公立中学校の教師をしている。
4月に、『アドヴァンス・ヒル』に引っ越してきた。3階に住んでいる。下の部屋が、第二話の樋村砂羽(ひむら・さわ)が住んでいる。
澄恵(すみえ):会社で新沢ちはるの後輩。新沢より1歳年下の25歳。
島谷洋治(しまたに・ようじ):新沢ちはるの同期社員。新沢ちはるは、島谷と結婚したかったが、同期の島谷と後輩の澄恵が恋人同士になってしまった。
稲代(いなしろ):新沢ちはるの顧客。男性。55歳だが初婚。妻となるのは40歳の優菜で再婚者。稲代は、結婚式のやり方で、なにかと新沢ちはるに口やかましい。
『(恋愛・結婚の相手が)どうして私じゃないの?』
こちらが相手を好きでも、相手がこちらを好きでなければ、あきらめるしかありません。
人は、好きだからといって結婚するけれど、しばらくすると、こんなはずじゃなかったということはあります。だから新沢ちはるさんは、失意をもつ必要はありません。
『第4話 勇哉の足』
4年3組の勇哉が、ウソをつくのです。
11月にある駅伝大会出場者を決めるためのくじ引きのときに、けがもしていないのに、右足首に湿布をはって登校し、自分は右足をひねって、足首をねんざしているから走ることはできませんと先生に申告してくじ引きをパスできたのですが、足をけがしているふりをして足をひきずって歩いていたら、本当に足が痛くなってしまったのです。だけど、病院で検査をしても足首に異常はみつかりません。心の持ち方に問題があって、心と体の協調が壊れてしまったのです。
勇哉の家のこと:父親が栃木県から東京本社勤務になったことをきっかけとして、分譲マンション、『アドヴァンス・ヒル』を購入して引っ越してきた。家族は4階に住んでいる。
高杉、森村:クラスメート。ふたりとも足が速い。駅伝大会には、クラスで3人出場する。残りひとりがくじ引きになった。
スグル:くじ引きで駅伝の選手に選ばれた。足が遅いが、本人は駅伝大会に出ることを気にしていない。むしろ楽しみにしている。まじめに練習に取り組んでいるけれど、走りは遅い。
牧村先生:二十代なかばの女性。
伊勢崎:整体師。勇哉のウソを見破りますが、心優しい対応をされます。物静か。黒いTシャツと黒いトレパン姿。長い髪の毛を後ろでひとつにまとめている。
クリーニング店のおばあさんの声かけがいい。勇哉が10歳と聞いて、自分は80歳だ。生まれてからまだ10年なら、自分にとっては、きのうのようなものだと笑います。
整体師伊勢崎さんのアドバイスがいい。『足から意識を飛ばす(足を意識しない)』、『(今ある)目の前のことだけを考える(集中する)』
168ページにあるスグルの言葉は、すぐに仕事を辞めてしまう今の若い人に送りたい。
『(自分は足が遅いけれど、クジが当たって選手に選ばれて)駅伝、やったことないからさ、おれに番が回ってきたから、まずはやってみるっていう、それだけ。もしかしたら楽しいかもしれないし……』
ウソをついたという罪悪感があるから、異常のない右足首が痛む状態になっている。
ふだんの生活の中で、今、目の前にあることを考える。
そうすることによって、意識が変わっていく。
舞台劇になるといいなと思わせてくれる短編でした。
ぼくらはまだ生まれてから十年しか経っていない(たっていない)。
これからです。
『第5話 和彦の目』
中年サラリーマンの悩み事です。世代交代時期を迎えて、仕事のやり方を変えることに抵抗感が強い。悶々としておられます。(もんもんと:悩んで苦しみあり)
溝端和彦(みぞばた・かずひこ):51歳。都内にある出版社栄星社勤務で働いて30年が経つ。編集長。アドヴァンス・ヒルの5階に住んでいる。妻が美弥子(みやこ)47歳。ペットの猫が、チャオという名前です。保護猫だそうです。
高岡:栄星社の社員。編集部員。30歳。新しい企画を通したいが、溝端が壁になっている。
砂川清:漫画家。『ブラック・マンホール』というマンガの作者
溝端和彦の言葉にあるとおり、48歳ぐらいから体のあちこちが壊れ始めます。そして、壊れた部分はもとには戻りません。老眼あたりから始まります。今まで見えていたものが、見えにくくなります。
老化は必ずだれにでも起こります。若い頃にはそのことに気づけません。
物忘れをするようになり、歯周病で歯ぐきから複数の歯が抜けそうな感覚が始まります。それとなく、耳も聞こえづらくなります。
サンライズ・クリーニング:溝端和彦の実家。母親がひとり暮らしをしながらクリーニング店を営んでいる。母親と息子の折り合いは良くはない。息子は、結婚式は挙げていない。入籍だけ。
溝端和彦は知らないけれど、溝端和彦の奥さんは、いい奥さんです。
作者が、のりうつっているように、溝端和彦として語ります。
老いた親の介護はつらい。
一番つらいのは、自分の時間を介護で奪われることです。したいことができなくなります。がまんにも限界があります。
溝端和彦は、日の出公園で、第4話の立原勇哉に出会います。
リカバリー・カバヒコの話になります。
小学4年生の立原勇哉からサンライズ・クリーニングの店主の話が出ます。溝端和彦の実母の話です。
ベクトル:考え方の方向
仕事は、お金のためだけにするんじゃない。
仕事には、人と人を紡ぐものがある。(つむぐ:会ったり、話したりすることで人生が豊かになっていく)
(偶然ですが、このあと読んだ、『きみのお金はだれのため 田内学 東洋経済新報社』にも同様のことが書かれていました)
味わい深い文章を書かれる作家さんです。
電子書籍の週刊誌で紹介されていたので取り寄せてみました。
こどもさんが乗って遊ぶ公園にあるカバを手でなでると、なでたその部分が治るというパターンは、長野善光寺にある、『びんずるさん』に似ています。本堂内に置いてあるお釈迦様(おしゃかさま)のお弟子さんの木像です。
わたしたち夫婦がお参りして、びんずるさんをなでなでしたしばらくあとに、その木像が盗まれるという事件がありました。びっくりしました。
びんずるさんは、その後、発見されて善光寺に戻りました。まず、おどろいたのは、木像を持ち上げて持って行ける状態にあったということでした。盗むための対象物という発想はありませんでした。あわせて、仏像がそこにただ置いてあったということでした。盗まれないように(ぬすまれないように)何かで固定されていたわけではありませんでした。
こちらの物語では、児童公園にあるカバの遊具をなでると、その体の部分が良くなるというものです。
人間にはだれしも、『願い』があります。
先日読んだ児童文学、『希望のひとしずく キース・カラブレーゼ作 代田亜希子・訳(だいた・あきこ) 理論社』では、公園の古井戸にコインを投げ入れて願いを言うのですが、井戸の底には、三人の中学一年生、男子ふたり、女子ひとりがいて、願いごとをした人の願いをかなえようと頑張るのです。(洞窟と古井戸の底がつながっている)
登場人物を変えながら、第1話から第5話まであるようです。
第1話を読み終えた時点で、今年読んで良かった一冊になりました。
『第1話 奏斗の頭(かなとのあたま)』
奏斗(かなと):高校一年生。中学までは、いなかの中学校で学力優秀者だった。都内に近い分譲マンションに引っ越して、都内の優秀な進学高に入学したら、今までは良かったテストの点数が、がた落ちになってショックを受けている。高校で友だちはいない。42人中35位の成績です。
新築マンション、『アドヴァンス・ヒル』に住んでいる。両親がいる。父親は奏斗に関心をもっていないようすです。『父さんはいつも優しい。でも褒めてくれる(ほめてくれる)ことはほとんどない』
『どうして僕は、バカになっちゃたんだ……?』
奏斗は自分を、『バカ』ではないと信じたいが、学力が高い学校では、成績順位はうしろのほうになっている。自信を打ち砕かれた状態です。
児童公園にあるのりものである『カバヒコ』の後頭部に油性マジックで落書きされた『バカ』という文字が奏斗自身に重ねた物語になっています。
奏斗は、返ってきたテストの点数、『61点』を『89点』に偽造します。母親は気づけません。先日同じようなシーンが、NHK朝ドラ、『虎に翼』であったことを思い出しました。
奏斗が住む場所の近所にあるものとして、『サンライズ・クリーニング』、『団地』、『日の出公園』、『カバの遊具(アニマルライド。のちに、「リカバリー・カバヒコ」と呼ばれていることがわかる)』。リカバリー:修復。
雫田美冬(しずくだ・みふゆ):奏斗のクラスメート女子。団地住まい。6号棟に住んでいる。6人の兄弟姉妹。家族が多いので自分の部屋もないけれど、勉強でがんばっている。いい子です。高校の学費を稼ぐためにバイトをしている。奏斗が彼女に恋をします。
矢代先生:ふたりの担任の先生。地理担当。
『でも順位なんてさ、いつだって、狭い世界でのことだよ』(そのとおりです)
『(バカという落書きの処理をめぐって)消すのと、隠すのは違うのだ。(『バカ(という落書きを)』塗りつぶすことをめぐって)』
マンション、『アドヴァンス・ヒル』の住人として5歳ぐらいの女の子とその母親:たぶん、このあとの話で主人公として出てくるのでしょう。
アレック先生:奏斗が以前住んでいたところで英語を教えてくれた英会話スクールの先生。
テストの点数のことが書いてあります。
点数で人間の価値が決まるわけではありません。そういうことを重視する人もいますが、全体からみれば少数派です。
まずは、60点でいい。そして、なにかひとつ高得点なものがあるとなおいい。
人生で大事なことは、『心身の健康』です。
わたしは長いこと生きてきて、学力優秀、仕事の業績優秀でも、人生の途中で重い病気にかかって亡くなった人を何人か見ました。志半ばで(こころざしなかばで)人生を終える人はいます。
自分はだいじょうぶなんていうことはありません。わたしも複数回、病気や事故で死にそうになったことがあります。まずは、生きていてこそです。
教室内で、教師から成績優秀者の点数の披露があるのですが、思い出したことがあります。
わたしが中学だった1965年代(昭和40年代)のとき、中間テストや期末テストの結果を、点数順に廊下に張り出してありました。かなりの人数分で実名が書いてありました。40人以上は書いてあった記憶です。今だと大問題になるのでしょうが、当時はあたりまえのことで、だれも文句を言う人はいませんでした。
『誰かに勝ちたかったんじゃなくて、私が、がんばりたかったんだ』
庇:屋根のひさし
セリフの趣旨として、『褒められたくて(ほめられたくて)がんばると、褒められなかったときにくじけちゃう』
『第2話 沙羽の口(さわの口)』
幼稚園のママ友づきあいに悩む主人公の女性です。
樋村砂羽(ひむら・さわ)35歳:ひばり幼稚園年長組の娘みずほ5歳か6歳がいる。夫が佳孝(よしたか)。時期は9月。田舎にある2LDKの賃貸マンションから都心に近い5階建て分譲マンション『アドヴァンス・ヒル』の2階3LDKを夫の意向で購入して4月に転居してきた。
前島文江35歳:樋村砂羽のママ友のひとり。
行村果保(ゆきむら・かほ)37歳:同じく、ママ友のひとり。
西本明美40代なかば:ボス的存在で問題あり。えこひいき。いじめの源(みなもと)となる人物。娘は、杏梨(あんり)と小学6年生の男児。薄笑いをする。
絹川:こどもは、友樹。マイペース。周囲の人間と群れない。自分をもっている。細身でしゅっとしていて無口。
雫田(しずくだ):アサヒストアの店員。感じがいい。第一話で出て来た雫田美冬の母親。50歳ぐらい。
読んでいると気持ちが沈んでいきます。
不本意なのに、つきあいで、グループに巻き込まれていく幼稚園ママさんです。
なんというか、道ばたで、女の人が数人集まって話をしている姿を見かけると、ああ、まただれかの悪口を言っているんだろうなあと思います。人の悪口か、役所の悪口か、そんなことが話題だろうと思います。
主人公は専業主婦で無職です。
分譲マンションを買う時に、『夫に買ってもらってよかったね』と人から声をかけられて、違和感をもちました。
主人公は、もともとは働いていた。
アイネ(全国チェーンのファッションビル)に入っているショップの店員をしていた。それなりにやりがいがあった。誇りもあった。
出産後も働いていたが、あかちゃんの子育てに振り回されて、義母から子育てにおいて、子どもが幼いうちは、母親はそばにいるべきだみたいに言われて仕事を辞めた。以降働き出すチャンスを逸した。(いっした)。
読んでいて思うのは、主人公は、イヤなものはイヤとはっきり言ったほうがいい。
やめてくださいと言ったほうがいい。
正直な気持ちを言葉にしていけばいい。
ママ友どうしのつきあいのつらさが書いてあります。
意思表示をしない人はずるい人です。
被害者のような顔をした加害者です。
以前、建築家の人が書いた本に、チームを組むときは必ず外国人スタッフを入れると書いてありました。日本人だけだと、必ずいじめが始まるそうです。
救いがある本です。文章に救いがあります。
リカバリー・カバヒコには、華(はな)がない。
主人公女性は、働き始めました。
働いた方がいい。
子育ては、10年ぐらいでひと段落します。
マレー:ショッピングセンターだろうか。サマンサというファーストフード店がある。
ひばり幼稚園で11月にバザーがあり、父兄に役割分担がある。
『第3話 ちはるの耳』
失恋とかメンタルの休職みたいな話です。
新沢ちはる(にいざわ・ちはる):26歳。3年間、ブライダルプロデュース会社でウェディングプランナーとして働いていたが、いろいろ人間関係で悩んでいる。
耳が聞こえにくくなって(ストレス、過労が原因。『耳管開放症(じかんかいほうしょう)』)今は休職し始めて2週間がたっている。両親と同居の3人家族、父は私立高校教師、母は公立中学校の教師をしている。
4月に、『アドヴァンス・ヒル』に引っ越してきた。3階に住んでいる。下の部屋が、第二話の樋村砂羽(ひむら・さわ)が住んでいる。
澄恵(すみえ):会社で新沢ちはるの後輩。新沢より1歳年下の25歳。
島谷洋治(しまたに・ようじ):新沢ちはるの同期社員。新沢ちはるは、島谷と結婚したかったが、同期の島谷と後輩の澄恵が恋人同士になってしまった。
稲代(いなしろ):新沢ちはるの顧客。男性。55歳だが初婚。妻となるのは40歳の優菜で再婚者。稲代は、結婚式のやり方で、なにかと新沢ちはるに口やかましい。
『(恋愛・結婚の相手が)どうして私じゃないの?』
こちらが相手を好きでも、相手がこちらを好きでなければ、あきらめるしかありません。
人は、好きだからといって結婚するけれど、しばらくすると、こんなはずじゃなかったということはあります。だから新沢ちはるさんは、失意をもつ必要はありません。
『第4話 勇哉の足』
4年3組の勇哉が、ウソをつくのです。
11月にある駅伝大会出場者を決めるためのくじ引きのときに、けがもしていないのに、右足首に湿布をはって登校し、自分は右足をひねって、足首をねんざしているから走ることはできませんと先生に申告してくじ引きをパスできたのですが、足をけがしているふりをして足をひきずって歩いていたら、本当に足が痛くなってしまったのです。だけど、病院で検査をしても足首に異常はみつかりません。心の持ち方に問題があって、心と体の協調が壊れてしまったのです。
勇哉の家のこと:父親が栃木県から東京本社勤務になったことをきっかけとして、分譲マンション、『アドヴァンス・ヒル』を購入して引っ越してきた。家族は4階に住んでいる。
高杉、森村:クラスメート。ふたりとも足が速い。駅伝大会には、クラスで3人出場する。残りひとりがくじ引きになった。
スグル:くじ引きで駅伝の選手に選ばれた。足が遅いが、本人は駅伝大会に出ることを気にしていない。むしろ楽しみにしている。まじめに練習に取り組んでいるけれど、走りは遅い。
牧村先生:二十代なかばの女性。
伊勢崎:整体師。勇哉のウソを見破りますが、心優しい対応をされます。物静か。黒いTシャツと黒いトレパン姿。長い髪の毛を後ろでひとつにまとめている。
クリーニング店のおばあさんの声かけがいい。勇哉が10歳と聞いて、自分は80歳だ。生まれてからまだ10年なら、自分にとっては、きのうのようなものだと笑います。
整体師伊勢崎さんのアドバイスがいい。『足から意識を飛ばす(足を意識しない)』、『(今ある)目の前のことだけを考える(集中する)』
168ページにあるスグルの言葉は、すぐに仕事を辞めてしまう今の若い人に送りたい。
『(自分は足が遅いけれど、クジが当たって選手に選ばれて)駅伝、やったことないからさ、おれに番が回ってきたから、まずはやってみるっていう、それだけ。もしかしたら楽しいかもしれないし……』
ウソをついたという罪悪感があるから、異常のない右足首が痛む状態になっている。
ふだんの生活の中で、今、目の前にあることを考える。
そうすることによって、意識が変わっていく。
舞台劇になるといいなと思わせてくれる短編でした。
ぼくらはまだ生まれてから十年しか経っていない(たっていない)。
これからです。
『第5話 和彦の目』
中年サラリーマンの悩み事です。世代交代時期を迎えて、仕事のやり方を変えることに抵抗感が強い。悶々としておられます。(もんもんと:悩んで苦しみあり)
溝端和彦(みぞばた・かずひこ):51歳。都内にある出版社栄星社勤務で働いて30年が経つ。編集長。アドヴァンス・ヒルの5階に住んでいる。妻が美弥子(みやこ)47歳。ペットの猫が、チャオという名前です。保護猫だそうです。
高岡:栄星社の社員。編集部員。30歳。新しい企画を通したいが、溝端が壁になっている。
砂川清:漫画家。『ブラック・マンホール』というマンガの作者
溝端和彦の言葉にあるとおり、48歳ぐらいから体のあちこちが壊れ始めます。そして、壊れた部分はもとには戻りません。老眼あたりから始まります。今まで見えていたものが、見えにくくなります。
老化は必ずだれにでも起こります。若い頃にはそのことに気づけません。
物忘れをするようになり、歯周病で歯ぐきから複数の歯が抜けそうな感覚が始まります。それとなく、耳も聞こえづらくなります。
サンライズ・クリーニング:溝端和彦の実家。母親がひとり暮らしをしながらクリーニング店を営んでいる。母親と息子の折り合いは良くはない。息子は、結婚式は挙げていない。入籍だけ。
溝端和彦は知らないけれど、溝端和彦の奥さんは、いい奥さんです。
作者が、のりうつっているように、溝端和彦として語ります。
老いた親の介護はつらい。
一番つらいのは、自分の時間を介護で奪われることです。したいことができなくなります。がまんにも限界があります。
溝端和彦は、日の出公園で、第4話の立原勇哉に出会います。
リカバリー・カバヒコの話になります。
小学4年生の立原勇哉からサンライズ・クリーニングの店主の話が出ます。溝端和彦の実母の話です。
ベクトル:考え方の方向
仕事は、お金のためだけにするんじゃない。
仕事には、人と人を紡ぐものがある。(つむぐ:会ったり、話したりすることで人生が豊かになっていく)
(偶然ですが、このあと読んだ、『きみのお金はだれのため 田内学 東洋経済新報社』にも同様のことが書かれていました)
2024年08月02日
なんかひとりおおくない? うめはらまんな
なんかひとりおおくない? うめはらまんな BL出版
意味深な絵本です。いみしん:なにやら深い意味がありそうだ。
ゆうれいばなしを想像、予想します。
まずは、文章を読まずに最後のページまでめくりました。
そうか、『ざしきわらし(座敷童)』の話だなと悟る。さとる:理解する。
ざしきわらしを素材にして、水谷豊さんが出ていたいい映画がありました。映画館で観ました。
原作も良かった。たしかこの映画が映画館で上映されていたころ、阿部寛さんの、『テルマエ・ロマエ』も上映されていました。テルマエ・ロマエは満員で、こちらのざしきわらしの映画はあまりお客さんが入っていませんでした。
『愛しの座敷わらし(いとしの)上・下 荻原浩 朝日文庫』
映画館で映画を観たときの感想が残っていたのでここに落としてみます。
岩手県の自然が美しい。冒頭付近は、邦画、『トトロ』のようです。
水谷豊・安田成美夫妻が演じる高橋ファミリーには東京でいじめに遭っていた長女とゲームでしかサッカーをしたことがない小学生長男がいます。
水谷パパは左遷で盛岡に飛ばされた50代の食品会社課長職という設定になっています。草笛光子さん演じる澄代おばあさんには認知症の気配があります。
悪いこともあればいいこともある。コンクリート、アスファルト、ガラスと金属とプラスチックに囲まれた都会のマンション暮らしから、山や川、田畑や樹木という自然に包まれた地域に引っ越したファミリーは引っ越してきたばかりなのに都市暮らしに戻ろうとします。
最初、ファミリーは、座敷わらしに恐怖感をもちます。古老のおばあさんが「(座敷わらしは)間引きされたこども(いらないこどもと判断されて、わざと流産させられた(死んじゃった))」というあたりから物語は真剣味を増します。
大木が風に揺すられて出す葉の重なり合う音、ときおり差し込まれるコノハズク(フクロウ)の映像、満天いっぱいに広がる無数の星、わたしは風に揺れるススキの一瞬の映像が気に入りました。
座敷わらしのぼくちゃんは座敷わらしそのものの表情としぐさで適役です。水谷パパは愛を語ります。世の中がそうであるといいなという夢があります。でも現実はそうではありません。無理なことです。せめて映画の世界のなかではこんな世界にひたりたい。
絵本の表紙には7人の小学生たちが書いてあります。
男の子が3人、女の子が4人です。
そして、裏表紙のところにもうひとりいます。ざしきわらしくんですな。
樹木の上のほう、ちょっと太い枝のうえにちいさな男の子がちょこんとおすわりをしています。
きみが、ざしきわらしくんだね。
絵にあるようなわらぶきの大きな家でわたしも暮らしていた頃(ころ)があります。
熊本県にある父方の祖父母宅で居候(いそうろう。間借り。一時的なもの)みたいにして世話になっていた時期があります。自分は7歳前後でした。
大きな農家だったので、牛小屋もあり、小屋には、親子の牛がいて、農耕作業で働く牛でした。
深いつるべ式の井戸もありました。ほかにニワトリも飼っていたような覚えです。
岐阜県の白川郷とか五箇山集落(ごかやま)に観光で行ったことがあるのですが、大きな農家に自分が住んでいた体験があると、そのような家屋についての興味は湧きません。
今住んでいる愛知県だと、豊田市に合併した足助町(あすけちょう)にも、この絵本に描いてあるような家屋が展示されています。
ざしきわらしは、ふだんはひとりぼっちでさみしいから、だれか遊びにくると、じぶんも仲間に入れてほしくて、そーっとあそびに入ってくるのです。
(さて、ゆっくり、読み始めます)
大縄跳びをしている絵から始まりました。
小学校低学年ぐらい、それから幼稚園生ぐらいのこどもたち7人とたぶん白いワンちゃん(ふつうの柴犬っぽいけれど、たぶん雑種でしょう)の姿があります。
次のページでは、7人が両手をつないで輪をつくって、笑顔でなにか歌いながらまわっているようすです。まんなかにひとり、だれかがしゃがんでいれば、『かーごめ、かごめ かーごのなかのとーりぃは……』という遊びですが、だれもしゃがんでいません。それとも、目には見えないけれど、ざしきわらしが、しゃがんでいるのだろうか。想像はふくらみます。
夏休みに祖父宅にいとこたちが集まりました。
昔はよくあった光景です。今どきはどうでしょうか。少子化です。いとこ関係がたぶん減っています。祖父母との交流もこどもさんが小さいうちだけのような気がします。さみしい限りです。
昭和の時代、盆正月には、祖父母宅には兄弟姉妹やそのこどもたち(いとこ)が集まって、冠婚葬祭でも集まって、親睦を深めてという慣例や風習がありましたが、すたれてしまいました。
生まれてくるこどもの数は減って、ひとり暮らしをする人が増えて、なんだか孤独な日本人が増えています。この傾向は、もうなんともしようがないのでしょう。
(この大きな古い家は)ぼくたちが住んでいるマンションとは違うというこどもさんの言葉があります。
それでも最近はいなかでもマンションが建つようになりました。
空き家が多いのに、いなかにマンションを建てる必要があるのだろうか。
いつも金もうけ優先、工事優先の世の中です。
ページをめくると、広い屋根裏の空間に、ざしきわらしがいます。
顔はよく見えませんが、鼻から下が見えます。
屋根裏の梁(はり。柱と柱をつなぐために横にのびる木の部分)の部分に、ざしきわらしがちょこんとのっかって座っています。
次のページにもざしきわらしがいます。
屋根裏の空間で、女の子の背後にそーっと隠れています。そこは薄暗い。
なんだか、絵本、『ウォーリーをさがせ!』、みたいになってきました。
こどもたちは、かくれんぼ遊びをしたあと、こんどは、ドッジボールを始めました。
頭髪がおちょんぼ(サムライのちょんまげみたい)で、おもしろいみためのざしきわらしです。小さなおとこの子です。人間だと、二歳半ぐらいです。わたしは、こどもさんは、二歳半ぐらいがいちばんかわいらしい時期だと感じています。まるで天使です。
ページをめくるたびに、ざしきわらしが、どこかに隠れています。
絵本の読み聞かせなどをしながら、読み手と聞き手で、ざしきわらしがどこにいるのかを探すゲームになりますな。
おじいさんはいるけれど、おばあさんは出てきませんなあ。
次のページをめくったら、おばあさんが出てきました。
やっぱりおじいさんとおばあさんは両方でてきたほうが安心します。
ひとりだけ、江戸時代のこどものようなみためをしています。ざしきわらしのことです。
みんなで、スイカを食べて、庭に向かって、スイカの種を飛ばします。
いなかの大きな敷地にある大きな農家だからできることです。
ここには、ゲームはなさそうです。
夜になりました。オバケが出てくるような雰囲気があります。
暗い庭にだれかがいます。(ざしきわらしです)、何かをしています。
たくさんのスイカの芽が見えます。
お昼にこどもたちが、スイカの種飛ばし競争をしたのですが、その種から芽が出たようです。
魔法ですな。
お庭に大きなまるいスイカがたくさんできました。
ざしきわらしの恩返しです。
きのうごちそうになったから、おかえしに、たくさんのスイカをくれたのでしょう。
スイカの皮に、三角のおめめと口をかいてお面みたいにして、顔を隠しているのが、ざしきわらしです。ほかの子たちも、おめん遊びをしています。
ざしきわらしのスイカのおめんがはずれて、ざしきわらしの照れている笑顔がみんなに丸見えになりました。
(全体をとおしてですが、ちみつな絵です。白黒鉄筆版画の線でしょうか。時間をかけて、ていねいに作画してあります。わたしが中学生のときに体験した美術版画作成のためのエッチングという手法を思い出しました)
いろりを囲んで、ざしきわらしに関するおじいさんのお話をこどもちが聞いています。
年寄りの話はためになります。経験で物事を考える人間になった人たちが年寄りです。
ざしきわらし=妖怪(ようかい)です。妖精(ようせい)ともいえます。
会いたいときに会えないのが、ざしきわらしです。
夏休みが終わります。
こどもはみんな、じいちゃんの家を去ります。2台の乗用車が、こどもたちをお迎えに来ました。
おじいちゃんの家は、さみしくなります。
『らいねんもきてね』
麦わら屋根のてっぺんで、ざしきわらしがぽつんと座って、都会の自宅に帰るこどもたちをながめています。
こどものときだけ見えるのが、ざしきわらしです。ピーターパンに似ています。
バイバーイ
最後のページです。
なわとびしよう。そうしよう。
いとこがいっぱいいていいねぇ。
意味深な絵本です。いみしん:なにやら深い意味がありそうだ。
ゆうれいばなしを想像、予想します。
まずは、文章を読まずに最後のページまでめくりました。
そうか、『ざしきわらし(座敷童)』の話だなと悟る。さとる:理解する。
ざしきわらしを素材にして、水谷豊さんが出ていたいい映画がありました。映画館で観ました。
原作も良かった。たしかこの映画が映画館で上映されていたころ、阿部寛さんの、『テルマエ・ロマエ』も上映されていました。テルマエ・ロマエは満員で、こちらのざしきわらしの映画はあまりお客さんが入っていませんでした。
『愛しの座敷わらし(いとしの)上・下 荻原浩 朝日文庫』
映画館で映画を観たときの感想が残っていたのでここに落としてみます。
岩手県の自然が美しい。冒頭付近は、邦画、『トトロ』のようです。
水谷豊・安田成美夫妻が演じる高橋ファミリーには東京でいじめに遭っていた長女とゲームでしかサッカーをしたことがない小学生長男がいます。
水谷パパは左遷で盛岡に飛ばされた50代の食品会社課長職という設定になっています。草笛光子さん演じる澄代おばあさんには認知症の気配があります。
悪いこともあればいいこともある。コンクリート、アスファルト、ガラスと金属とプラスチックに囲まれた都会のマンション暮らしから、山や川、田畑や樹木という自然に包まれた地域に引っ越したファミリーは引っ越してきたばかりなのに都市暮らしに戻ろうとします。
最初、ファミリーは、座敷わらしに恐怖感をもちます。古老のおばあさんが「(座敷わらしは)間引きされたこども(いらないこどもと判断されて、わざと流産させられた(死んじゃった))」というあたりから物語は真剣味を増します。
大木が風に揺すられて出す葉の重なり合う音、ときおり差し込まれるコノハズク(フクロウ)の映像、満天いっぱいに広がる無数の星、わたしは風に揺れるススキの一瞬の映像が気に入りました。
座敷わらしのぼくちゃんは座敷わらしそのものの表情としぐさで適役です。水谷パパは愛を語ります。世の中がそうであるといいなという夢があります。でも現実はそうではありません。無理なことです。せめて映画の世界のなかではこんな世界にひたりたい。
絵本の表紙には7人の小学生たちが書いてあります。
男の子が3人、女の子が4人です。
そして、裏表紙のところにもうひとりいます。ざしきわらしくんですな。
樹木の上のほう、ちょっと太い枝のうえにちいさな男の子がちょこんとおすわりをしています。
きみが、ざしきわらしくんだね。
絵にあるようなわらぶきの大きな家でわたしも暮らしていた頃(ころ)があります。
熊本県にある父方の祖父母宅で居候(いそうろう。間借り。一時的なもの)みたいにして世話になっていた時期があります。自分は7歳前後でした。
大きな農家だったので、牛小屋もあり、小屋には、親子の牛がいて、農耕作業で働く牛でした。
深いつるべ式の井戸もありました。ほかにニワトリも飼っていたような覚えです。
岐阜県の白川郷とか五箇山集落(ごかやま)に観光で行ったことがあるのですが、大きな農家に自分が住んでいた体験があると、そのような家屋についての興味は湧きません。
今住んでいる愛知県だと、豊田市に合併した足助町(あすけちょう)にも、この絵本に描いてあるような家屋が展示されています。
ざしきわらしは、ふだんはひとりぼっちでさみしいから、だれか遊びにくると、じぶんも仲間に入れてほしくて、そーっとあそびに入ってくるのです。
(さて、ゆっくり、読み始めます)
大縄跳びをしている絵から始まりました。
小学校低学年ぐらい、それから幼稚園生ぐらいのこどもたち7人とたぶん白いワンちゃん(ふつうの柴犬っぽいけれど、たぶん雑種でしょう)の姿があります。
次のページでは、7人が両手をつないで輪をつくって、笑顔でなにか歌いながらまわっているようすです。まんなかにひとり、だれかがしゃがんでいれば、『かーごめ、かごめ かーごのなかのとーりぃは……』という遊びですが、だれもしゃがんでいません。それとも、目には見えないけれど、ざしきわらしが、しゃがんでいるのだろうか。想像はふくらみます。
夏休みに祖父宅にいとこたちが集まりました。
昔はよくあった光景です。今どきはどうでしょうか。少子化です。いとこ関係がたぶん減っています。祖父母との交流もこどもさんが小さいうちだけのような気がします。さみしい限りです。
昭和の時代、盆正月には、祖父母宅には兄弟姉妹やそのこどもたち(いとこ)が集まって、冠婚葬祭でも集まって、親睦を深めてという慣例や風習がありましたが、すたれてしまいました。
生まれてくるこどもの数は減って、ひとり暮らしをする人が増えて、なんだか孤独な日本人が増えています。この傾向は、もうなんともしようがないのでしょう。
(この大きな古い家は)ぼくたちが住んでいるマンションとは違うというこどもさんの言葉があります。
それでも最近はいなかでもマンションが建つようになりました。
空き家が多いのに、いなかにマンションを建てる必要があるのだろうか。
いつも金もうけ優先、工事優先の世の中です。
ページをめくると、広い屋根裏の空間に、ざしきわらしがいます。
顔はよく見えませんが、鼻から下が見えます。
屋根裏の梁(はり。柱と柱をつなぐために横にのびる木の部分)の部分に、ざしきわらしがちょこんとのっかって座っています。
次のページにもざしきわらしがいます。
屋根裏の空間で、女の子の背後にそーっと隠れています。そこは薄暗い。
なんだか、絵本、『ウォーリーをさがせ!』、みたいになってきました。
こどもたちは、かくれんぼ遊びをしたあと、こんどは、ドッジボールを始めました。
頭髪がおちょんぼ(サムライのちょんまげみたい)で、おもしろいみためのざしきわらしです。小さなおとこの子です。人間だと、二歳半ぐらいです。わたしは、こどもさんは、二歳半ぐらいがいちばんかわいらしい時期だと感じています。まるで天使です。
ページをめくるたびに、ざしきわらしが、どこかに隠れています。
絵本の読み聞かせなどをしながら、読み手と聞き手で、ざしきわらしがどこにいるのかを探すゲームになりますな。
おじいさんはいるけれど、おばあさんは出てきませんなあ。
次のページをめくったら、おばあさんが出てきました。
やっぱりおじいさんとおばあさんは両方でてきたほうが安心します。
ひとりだけ、江戸時代のこどものようなみためをしています。ざしきわらしのことです。
みんなで、スイカを食べて、庭に向かって、スイカの種を飛ばします。
いなかの大きな敷地にある大きな農家だからできることです。
ここには、ゲームはなさそうです。
夜になりました。オバケが出てくるような雰囲気があります。
暗い庭にだれかがいます。(ざしきわらしです)、何かをしています。
たくさんのスイカの芽が見えます。
お昼にこどもたちが、スイカの種飛ばし競争をしたのですが、その種から芽が出たようです。
魔法ですな。
お庭に大きなまるいスイカがたくさんできました。
ざしきわらしの恩返しです。
きのうごちそうになったから、おかえしに、たくさんのスイカをくれたのでしょう。
スイカの皮に、三角のおめめと口をかいてお面みたいにして、顔を隠しているのが、ざしきわらしです。ほかの子たちも、おめん遊びをしています。
ざしきわらしのスイカのおめんがはずれて、ざしきわらしの照れている笑顔がみんなに丸見えになりました。
(全体をとおしてですが、ちみつな絵です。白黒鉄筆版画の線でしょうか。時間をかけて、ていねいに作画してあります。わたしが中学生のときに体験した美術版画作成のためのエッチングという手法を思い出しました)
いろりを囲んで、ざしきわらしに関するおじいさんのお話をこどもちが聞いています。
年寄りの話はためになります。経験で物事を考える人間になった人たちが年寄りです。
ざしきわらし=妖怪(ようかい)です。妖精(ようせい)ともいえます。
会いたいときに会えないのが、ざしきわらしです。
夏休みが終わります。
こどもはみんな、じいちゃんの家を去ります。2台の乗用車が、こどもたちをお迎えに来ました。
おじいちゃんの家は、さみしくなります。
『らいねんもきてね』
麦わら屋根のてっぺんで、ざしきわらしがぽつんと座って、都会の自宅に帰るこどもたちをながめています。
こどものときだけ見えるのが、ざしきわらしです。ピーターパンに似ています。
バイバーイ
最後のページです。
なわとびしよう。そうしよう。
いとこがいっぱいいていいねぇ。