2023年11月22日

東京市ヶ谷『JICA(ジャイカ)地球ひろば』の見学とランチ

東京市ヶ谷にある『JICA(ジャイカ 独立行政法人 国際協力機構)地球ひろば』を見学して、世界のランチを食べる。

 世界のランチをお目当てにして訪れました。(豪華ランチを楽しむということではなく、発展途上国の昼ごはんを食べるのです。現地の人が食べている、ふだんのお昼ごはんです)
 この日の世界のランチはペルーのごはんでした。どこのお国でも日常生活のなかで食べるごはんはシンプルなものだと思います。

 J‘s Cafe という食堂で、雰囲気としては、大きな市の市役所の中にある食堂のようでした。こちらの食堂は、大規模改修工事のため、このあと、12月から1月は利用できないそうです。

 ペルー共和国の『アヒデ・ガ・ジーナ』というごはんでした。鶏肉のシチューです。
 自衛隊の施設がそばにあるので、制服姿のかっこいい隊員さんたちとか、このJICA自体が、今、改修工事をしているらしく工事会社の人たちとかが食事に来られていました。

 入口入って、料理の券売機があります。券売機で食券を買うのは久しぶりだったので、熊太郎夫婦はとまどいましたが、うしろに並んでいる人に教えてもらって食券を買うことができました。
 けっこう利用者は多い。料理の受け取りは長いカウンターがあって、定食類と麺類は場所が分かれていました。

 1階が展示スペース、『地球ひろば』で、二階が会議室、研修室、食堂、3階以上は事務室でしょう。
 1階では、ペルー共和国の展示がされていました。



 掲示してあった『ペルーと日本』を読んでびっくりしたのですが、観光地で有名な、『マチュピチュ(インカ帝国の遺跡。標高2430mにある。インカ帝国(1533年スペインに滅ぼされた)』の初代村長は日本人野内与吉さんだったそうです。
 1917年(大正6年)21歳の移民として日本からペルーに渡られた野内与吉(のうち・よきち。福島県出身)さんが中心になって、マチュピチュへ行くための鉄道をつくったそうです。
 遠く離れた南半球の土地で、日本人が初代村長をしていたとは驚きです。
 そおいえば、最近皇室のメンバーの方がペルーを訪問されたニュースが流れていました。







 次の写真ですが、有名な人たちのサインが展示されていました。
 左が、『さかなクン』、まんなかが、『広瀬すずさん』で、右が、『尾木ママ』です。



 この動物は、アルパカだったと思います。






 JR山手線の市ヶ谷駅で降りて、お堀にかかる橋を渡って、急な坂道を登って行きました。
 ジャイカの建物のそばに防衛省の広い敷地がありました。
 思い出すに、わたしがまだ子どもだったころ、三島由紀夫氏が、自決をされたところでもあります。
 小説作品『潮騒』(NHK朝ドラ『あまちゃん』の素材にもなっていました)とか、『金閣寺』、『三島由紀夫レター教室』、『仮面の告白』を読んだことがあります。
 愛知県渥美半島にある伊良湖岬から三重県鳥羽市へ渡るフェリーに乗ったときは、潮騒の舞台の素材になった『神島』を船から間近で見ました。
 ジャイカを見学したあと、JR市ヶ谷駅に向かう急な下り坂を歩きながら、そんなこんなを思い出しながら、ころばぬよう気をつけてゆっくり歩きました。
 『昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつばしゃ)』では、1955年(昭和30年)ころ、まだ30歳ぐらいの三島由紀夫氏がひとり、あるいは、新婚の奥さんといっしょに、著者が営む地元の古本屋をちょくちょく訪ねてくることが書いてあります。同氏は小説家として世界的に有名になってからは古本屋には来なくなったそうです。1970年(昭和45年)に、ここ市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自ら命を絶っておられます。
 世界的に有名になって、なにかをなさねばならぬというプレッシャーがあったのだろうかと思いつつ、超有名人になるって、何なのだろうかと思いを巡らせながら坂道をくだったのです。  

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2023年11月21日

東京JR渋谷駅あたり ハチ公、宮下公園

東京JR渋谷駅あたり ハチ公、宮下公園(MIYASHITA PARK)

 60年以上の長い間生きてきましたが、これまで縁がなく、用事もなかったので、初めて渋谷駅そばにある観光名所『忠犬ハチ公像』を見学しました。それほど、広い場所ではなく、外国人観光客のみなさんの撮影順番待ちの長い列ができていました。
 自分たち夫婦は、ハチ公の正面から撮影するための列には並ばず、ハチ公からは離れた横方向から自撮りなどで写真撮影をしました。
 忠犬ハチ公:秋田犬(あきたいぬ)。1923年(大正12年)-1935年(昭和10年)。飼い主は東京帝国大学教授(1925年(大正14年)死去)。ハチは、飼い主の死後も渋谷駅で飼い主を待ち続けた。1934年(昭和9年)にハチの銅像が完成してハチも除幕式に参列した。銅像は第二次世界大戦中に金属供出で溶解され機関車の部品となったが、戦後1948年(昭和23年)に再建された。
 邦画:1987年(昭和62年)公開『ハチ公物語』
 洋画:2009年(平成21年)公開『HACHI 約束の犬』(製作:アメリカ合衆国とイギリス)



 テレビでよく見る『スクランブル交差点』を初めて見て渡りました。
 なにせ、人が多い。外国人観光客も多い。
 交差点の広さはまあこんなものだろうと。
 ビルが多くて、駅周りは工事中で、なにかしらごちゃごちゃした感じでした。
 東京は、人も車も多い、高層が重なる空間世界です。
 ちょっと、わたしが住むのには無理な場所です。ひとりになれる自然の風景が暮らしのそばにあってほしい。
 大都市は、人が多いので、人の群れの一員になって、同じ方向へ流れるように歩くしかありません。
 方向音痴なわたしはいつものように道に迷うばかりです。












 ビルの屋上が公園になっている『宮下公園』へ行きました。テレビ番組『出没アドマチック天国』で見たような記憶があります。
 あとで、思ったのですが、明治神宮の南(地図で言うと下方向)にあるので、宮下公園というのであろう。もともとは、このビルの敷地、地面の上にあった公園であろう。
 下の写真は、ボルダリング(壁登り)ができる壁です。ほかにビーチバレーをやるのだろうと推測できる砂のグラウンドとか、スケートボード(スケボー)を楽しめるコンクリートでできた施設がありました。こどもたちがスケボーを乗り回していました。



 次の写真は、クリスマスツリーです。
 近くにある劇場でミュージカルを観たあと、夜9時半過ぎに、ライトアップされた宮下公園を観るために同じ場所を再訪しました。
 夜は、人がたくさん集まっていたので、クリスマスツリーの写真は遠目から撮影したものをこのあとのせています。



 劇場『東急シアターオーブ』のロビーから見えた夜の宮下公園です。紫色の照明が広がっている部分です。



 次の写真は、屋上にある公園へ上がる部分です。







 昼間は、ちびっこたちが、ドラえもんやのび太のまわりにいました。
 この時、もう午後10時に近い夜は、ちびっこはいないので、ゆっくり撮影できました。


 
 遠目にクリスマスツリーが輝いています。


  

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2023年11月20日

ミュージカル『天使にラブ・ソングを』を渋谷へ観に行く。

ミュージカル『天使にラブ・ソングを』を東京渋谷シアターオーブへ観に行く。

 10月のとある夜に、東京帝国劇場でミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を鑑賞しました。
 そのとき、同行の妻が、劇場に置いてあったチラシを見せてくれて、「太川陽介さんも出るんだって……」と言ったように聞こえました。太川陽介さんとえびすさんよしかずさんのバス旅ファンのわたしは、そうか、偶然だが、太川陽介さんを見ることができて良かったと思い、ずっと舞台を見ていました。神父役で出てくると妻が言っていたので、いつになったら、神父が出てくるのだろうかと首をかしげながら太川陽介さんの登場を待っていました。(神父役が出てくるシーンあったかなあ)
 劇は終わってしまいました。太川陽介さんはいつ、どこのシーンで出てきたのだろう。

 妻が笑いながら、別のミュージカルの劇のことだと説明してくれました。映画では観たことがありますが、『天使にラブ・ソングを』という劇のほうでした。『チャーリーとチョコレート工場』に出ていた森公美子さんも(もりくみこさんも)『天使にラブ・ソングを』に出演されています。

 東京渋谷にある東急シアターオーブという劇場で11月に上演があるとチラシに書いてありました。オーブというのは、球体だそうです。渋谷に浮かぶ球体、天体にある星というような意味かと理解しました。
 そのときは、もうチケットは売れてしまっているだろうと思いこんでいました。
 一週間ぐらいがたち、自分はバス旅ファンであるからして、太川陽介さんご本人を実際に観てみたいという欲求が湧いてきました。
 調べたら演劇のチケットは、完売にはなっていませんでした。妻に話をして、チケットを手に入れて観劇に行くことにしました。

 自分はキリスト教会とか宗教に興味はありませんが、宗教を離れて、娯楽として楽しむつもりです。(実際に舞台を観たとき、そんな話題もセリフとして出ました。警察の指示で、殺人現場の目撃証人として修道院にかくまわれた黒人女性クラブ歌手の主人公デロリスは、禁欲生活を送る歌がへたっぴーな修道女たちに、『ぱーっとやろうぜ!』と、人生の謳歌(おうか:エンジョイしよう!)を呼びかけるのです)


(11月のとある夜 じっさいにミュージカルを鑑賞したときのこと)
 念願の太川陽介さんを観ることができて良かった。けっこう長い時間帯、ステージに立たれていました。同世代なのでわかるのですが、ああ、太川陽介さんはアイドルだったのだと実感が湧きました。何か一曲歌われると良かったに、単独での歌唱はありませんでした。太川陽介さんはだいたいステージのまんなかあたりに位置しておられて嬉しそうにニコニコされていました。穏やかな表情が良かった。
 太川さんは、テレビで見たとおりの人でした。まじめでさわやかです。バス旅をするときのいつもの表情でした。
 生真面目な(きまじめな)神父役です。役柄としてお金がないということばかりを強調するセリフが続きます。経営難の教会ですから、修道女グループの歌唱ショーで、寄付を募って(つのって)、教会の維持を目指します。しかたがありません。お金は大事です。お金がないと組織も人も維持していけません。
 
 劇場の『東急シアターオーブ』は、座席に座って見渡すと映画館のようにきれいでした。(たとえかたが変かもしれません)
 客層は、熊太郎夫婦のような年配のカップル、若い女性、小学生の女の子、高校の制服を着た20人ぐらいの女子高生集団もいました。にぎやかでいい雰囲気です。
 
 黒人女性クラブ歌手デロリスを演じるモリクミさんは(森公美子さんは)、なにせ体つきがすごい。ダイナマイトボディです。もう胸はバンバンに張ってはちきれて衣装からはみでそうでした。
 舞台は色彩がきれいです。ミラーボールがキラキラ輝いて、光線が規則正しく回転していい感じです。
 
 自分は裏方の立場に立って物事を見るクセがあるのでいろいろ考えを巡らせました。
 大きな舞台装置をじょうずに組み合わせて、狭いステージという範囲内を区切ってテレビ映像のようすを表現したり、建物を回転させながら人の移動をリアルに見せたり、観ていてとても感心しました。
 背景にあるあの大きな舞台装置をどうやって、ビルの11階にある劇場まで上げて組み立てたのだろうかと思いを巡らせながらステージ上をながめていました。お疲れさまです。
 
 オーケストラのみなさんは、最前列から5列目あたりのスペースにおられて(その部分は、床下のように下にへこませてある)、幕間休憩のときにそこを見ることができたので、ステージ前まで見に行きました。
 狭いところに電子ピアノがたくさん並んでいて窮屈そうでした。演奏者のみなさんは、おそらくお互いの体がふれるような状態で汗をかきながら楽器を弾いておられるのでしょう。
 なにより感心したのは、指揮者の男性も俳優さんのようになって、観客全体をリード(誘導)されていました。楽団の指揮だけではなく、観客のほうも向いて観客に合図をするように指揮もされていました。
 指揮者には天井から垂直におりるスポットライトがあてられて目立っていました。指揮者の方は、かつらのような帽子をかぶって、ローマ法王のような役柄も演じておられました。なかなか良かった。

 ミュージカルショーは、午後5時開場、6時スタートで3時間ぐらい。午後9時過ぎぐらいに終わりました。途中25分間の幕間休憩があります。
 ステージ上の演者の人たちも観客のみなさんも細い体の人が多い。10人ぐらい横並びの席でも座っている人の膝さきの狭い空間を、すいすい歩いて列のまんなかあたりの席に行かれる女性ばかりでびっくりしました。熊太郎夫婦は、1階の通路に面した2席でした。
 幕間のときに、係員の方たちがしきりに、階段状になった通路、端の席の人に荷物を通路に出ないようにしてくださいとお願いして回っておられました。ステージが始まってしばらくすると、修道女のみなさんたちが、ステージから階段を使って下に降りてこられて、観客がいる座席の通路を右に左に前に後ろに縦横無尽にすさまじいスピードで走り回りました。
 演者がステージから客席に降りてこられたのでびっくりしました。すごいスピードで、きれいなお顔をされた若い修道女役の女性たちが走り回っていました。ああ、だから、通路にかばんを置かないでねと係員さんがお願いされていた理由がわかりました。足がひっかかってこけたり、バッグをけとばしたりしたらたいへんです。

 洋画『サウンドオブミュージック』のようなシーンもあります。デロリスが歌の先生で、生徒たちが修道女のみなさんです。娯楽のショーです。みんなで力強く合唱します。生きている歓喜がありました。迫力とパワー(強力な力)がありました。観客と一体になって、観客の手拍子と歌唱がつながってシアター内に一体感が満ち満ちていました。(みちみちていました)
 聖歌隊の中ではとくに、小柄な女性と黒ぶち眼鏡をかけた女性、それから大柄な女性の演技がなかなか良かった。
 オンチで下手な歌唱の聖歌隊の人たちを指導するというところで思い出す一冊があります。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) お笑い芸人チャンス大城 朝日新聞出版』
 著者の家族全員がクリスチャンという話が出ます。聖歌隊にお父さんが入っていることが驚きなのですが、お父さんはオンチでまわりに迷惑をかけるので聖歌隊から除外されて、気持ちがふさいで、それでもがんばって再入隊して、だけど、口パク(くちぱく。声はださない。口の開閉だけする)で参加してというくだりに大笑いしました。悲喜(ひき)こもごもです。人生っていいなと思わせてくれます。いい本でした。

 歌を通して助け合うということが集団の力を結集して表現されます。
 ギャング一味VS修道女グループのシーンがあります。修道女たちは数の力で対抗します。(18人ぐらいおられました。ギャングは数名です)
 なんというか、またいらぬことを書くと、こういう集団演技を完璧に完成させようとするといまどきもめている某歌劇団のような統制が必要になります。古くは、軍国主義日本の軍隊のような教育手法です。問答無用で命令に従わないと出来栄えの良い仕事が完成しないのです。もう半世紀ぐらい前、自分の高校生活を振り返っても上級生の指示に対して下級生は服従でした。上級生から下級生に対する荒っぽい暴言もありましたが、先生は知っていても知らぬふりでした。下級生にとって、今を耐えれば自分が上級生になったときには優位に立てるという慰めはありました。というようなやりかたで、多くの日本人年配男女は育ってきました。年功序列社会です。
 これからの日本人社会はどうなるのだろう。どうにか保っていた秩序が揺らいで不安定になりそうです。

 後半はとにかく、色彩がきれいでした。ツタンカーメン王のマスクのような、黄金色(おうごんいろ)と黒の組み合わせがきれいでした。いろんな色の衣装がとてもきれいです。

 観終わって、けっこう感動しました。日本人1億2300万人のなかの、この仕事を適職とする人たちの演技でした。
 このショーは10年ぐらい続いているそうで、モリクミさんは、体力的に限界で、今回で降りられるお気持ちがあられるそうですが、それもあってか、全体的に、太っちょネタが多く、モリクミさんを讃えるショーでした。
 おすもうさんのような体格の方ですが(失礼しました)、大きな体を動かして、びゅんびゅんダンスもされて、体力以上に、相当の精神力を使われていたと思います。お体を大切にされてください。

 モリクミさんのショー最後の声掛けがとても良かった。
 『お客さん、サイコーー!!』

 劇終了後は、演者のみなさんたちと観客席のみんなで、(1階席は観客も立って)、男優さんの誘導で簡単な踊りをしました。
 楽しめました。ありがとう。

 まんなかあたりにある工事用赤白クレーンの向こうにある建物が『渋谷ヒカリエ』というビルで、建物横のでっぱっている部分が劇場『東急シアターオーブ』の部分だと思います。手前の背が高いビルは、『渋谷スクランブルスクエア』です。







 次の階段をあがったところが劇場です。



 ロビーからながめる夜景がきれいでした。
 終幕後、午後9時過ぎの山手線渋谷駅あたりです。



 次の写真の紫色のところは、『宮下公園』というところで、ビルの屋上が公園になってライトアップされていました。このあと、ビルを出て宮下公園に立ち寄りました。


  

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2023年10月23日

東京日比谷公園あたりを散策する。

東京日比谷公園あたりを散策する。

 10月のとある日に、銀座のホテルで宿泊したのですが、受付カウンターの人は外国人で、エレベーターに乗ってくるのも外国人で、朝食会場も外国人ばかりで、日本人に会いませんでした。外国に行かなくても外国にいるような感じでした。
 前夜遅くに銀座を歩きましたが、なんだかさびれているような雰囲気でした。7月に泊まった時の東京都武蔵野市にある吉祥寺の駅まわりのほうがにぎやかでした。
 銀座は、他県の地方都市にある駅周辺のように、夜は冷めていました。意外です。

 前夜は、帝国劇場でミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を観劇したのですが、帝国劇場と帝国ホテルはくっついていると勘違いしていました。
 次の写真が帝国ホテルです。劇場から少し離れた位置にホテルが建っていました。



 お散歩をしていて、ハイビスカスのきれいなお花を見つけました。
 東京駅付近ですが、花をながめていると、ハワイとかグアム島にいるようです。沖縄でも咲いていますな。
 今年は暑い夏でした。



 日比谷公園は全体的に老朽化しているような印象を受けました。なんだか、古い公園の風景です。






 キャンディーズが、普通の女の子に戻りたいと宣言した日比谷野外大音楽堂を観たかったのですが、イベントの準備中で入れませんでした。遠目にスタンドが見えましたが、音楽堂は、かなり古そうでした。改修の予定があるようです。
 (女性3人組のアイドルグループ)キャンディーズの解散宣言:1977年7月17日(昭和52年)日比谷野外大音楽堂にて宣言あり。1978年4月に解散しました。メンバーのうち、田中好子さん(スーちゃん)は病気で亡くなってしまいました。
『週刊文春 シリーズ昭和④哀悼篇 昭和の遺書 魂の記録 生きる意味を教えてくれる91人の「最期の言葉」 文春ムック 平成29年12月11日発行 2017年11月27日電子版発行 Kindle Unlimited 電子書籍』:『田中好子』 歌手キャンディーズのメンバー 2011年4月21日(平成23年) 55歳 乳がんで死去。ご本人が書いた文章からは、もっと生きていたかったという思いが切々と伝わってきました。
 10月21日土曜日にメンバーだった伊藤蘭さんのコンサートが日比谷野外大音楽堂で開催されたようです。
 長い歳月が流れました。

 散歩するように散策していたら、正午の鐘が鳴りました。公園内にあるこの鐘がなっていたのだろうかと、連れの妻とじろじろこの鐘をながめていました。たぶんこの鐘が鳴ったのだと思います。



 裁判所のあるあたりにあった看板です。
 辻村深月(つじむら・みづき)小説作品『琥珀の夏(こはくのなつ)』では、このあたりの風景描写が出てきます。登場人物のひとりが、弁護士の女性でした。『琥珀の夏(こはくのなつ) 辻村深月(つじむらみづき) 文藝春秋』 近藤法子(こんどう・のりこ)弁護士でした。



 裁判所関係の建物も高層ビルディングです。



 こういう街路も歩道橋があって、古めかしい。




 次の写真『東京国際フォーラム』の中にあった飲食店で昼食をとりました。
 デザインがきれいな建物でした。この土地は、もともとは東京都庁があった場所だそうです。

 昼食時には、自分のスマホでお店のテーブルに表示してあるQRコードを読み込ませて料理を注文する方式でした。
 以前、愛知県内の新装した焼き肉店で同じシステムを体験したことがあったので、とまどわずにやれました。ただ、同店のときは、QRコードを読み込ませて表示したら、どういうわけか全部中国語でメニューの画面が出てきて、結局店員さんにスマホを見てもわからないからと言って、口頭で注文しました。今回はそんなことはありませんでした。
 歳をとりましたが、なんとか、新しいやり方についていきたい。



 東京国際フォーラムでは、学会が開かれていて、たくさんのスーツ姿の若い男女が行き来していました。日本血液学会と表示されていました。全国から集まって来ておられるのでしょう。みなさまのご活躍をお祈りいたします。


  

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2023年10月20日

チャーリーとチョコレート工場 映画と小説と観劇

チャーリーとチョコレート工場 映画と小説と観劇

(この部分を書いている今は、2023年9月上旬です)
 毎朝、じぇじぇじぇの『あまちゃん』NHKBS再放送を見ています。
 演者の荒川良々(あらかわ・よしよし)さんと皆川猿時(みながわ・さるとき)さんを舞台でじかに見たくなりました。
 おふたりが出演される演劇として、東京下北沢の本多劇場で『ドクター皆川 ~手術成功5秒前~ 』という舞台を見ようと思いました。
 チケット発売日に申し込み用のネットに接続しようとしたら「集中していてつながりにくくなっています」と表示が出ました。7分ぐらいたって、ようやくつながったら「(発売)予定枚数が終了しました」とメッセージが書いてありがっかりしました。人気者ですなあ。
 ほかになにかないかと探したら、東京池袋のサンシャイン劇場で、三宅裕司さんと小倉久寛さんが出る劇団スーパー・エキセントリック・シアターの『ラスト★アクションヒーロー ~地方都市に手を出すな~ 』のチケットが手に入りそうでした。でも、家族が「古いのではないか」というので、やめました。(でも自分としては、いつかは観てみたい)
 さらに探したら、帝国劇場で公演される『チャーリーとチョコレート工場』を見つけました。家族が見たいといいました。どうせ当たらないだろうと思いながらも抽選に申し込んだら当たりました。うれしい。
 (後日、東山紀之さん出演の『チョコレートドーナツ』が同じような時期に東京渋谷で上演されることを知りました。さらに、某事務所の社長に東山紀之さんがなったり、『チャーリーとチョコレート工場』のほうの出演者である堂本光一さんが事務所のことで話題になったり、“チョコレート”というタイトルも重なって不思議な気配(けはい)を感じました)

 作品のほうは、その後、ジョニー・デップさんの映画と原作の小説があることを知りました。
 こどもさんがらみのどちらかといえば社会福祉関係の物語です。
 家のテレビで、動画配信サービスhulu(フールー)で洋画を見ることができたので、まず映画の感想を書いてみます。

『チャーリーとチョコレート工場 洋画 2005年公開』の感想です。
 主題は「家族をだいじにしよう」です。パパやママ、おじいちゃんやおばあちゃんをだいじにするのです。貧しいチャーリー少年にとっては、チョコレート工場の経営でお金もうけをして大金を手に入れるということよりも、貧乏でも家族7人の助け合い生活を送ることのほうが優先なのです。

 映画を見ながら感じたことをポツポツと書き落としてみます。
 ディズニー映画みたい。とくに工場見学は、ディズニーランドのアトラクションに参加しているような雰囲気でした。
 映像が進むにつれて、いろいろな俳優さんのことが頭に浮かびました。
 チャップリン→(タレントの)パックン→柳生博さん→長州力さん(ちょうしゅうりきさん。プロレスラー)
 洋画「スターウォーズ」のシーンのようでもある。洋画「オズの魔法使い」のような雰囲気もあります。
 ピーターパンの趣旨のようでもある。(気持ちがいつまでもこどもで、おとなになりきれない「こどもおとな」の話)

 お金がない家のこども(男児チャーリー)のお話です。
 家族の人数は多い。7人もいます。こども、両親、父方祖父母と母方祖父母です。
 1枚の板チョコを7人で分け合って食べる家庭なのです。

 チョコレート工場の見学に5組の保護者とこどもが参加します。
 ブラックユーモアがあります(皮肉をこめた笑い。不安、不吉、不気味、残酷さ)
 わがままなこどもと、こどもをわがままに育てた親のことを責める内容でもあります。
 
 ウォンカという工場経営者が、自分が父親とうまくいかなかった葛藤が表現されています。(かっとう:やるせなさ。争い(あらそい)。気持ちのもつれ)

 映画よりも原作小説のほうがおもしろいという映画評が多い。

 その後:似たタイトルの洋画「チョコレートドーナッツ」を観たことがあるのを思い出しました。調べたら今秋演劇が上演されることも知りました。東京渋谷にあるPARCO劇場です。つらい内容です。裁判所の決定によって帰宅した母子家庭、15才のダウン症の少年が、母親のネグレクト(育児放棄)にあって、3日間、屋外を放浪したあと、橋の下で亡くなりました。
 差別撤廃を呼びかける映画です。障害者差別であり、同性愛者差別です。まず、ダウン症の少年を救ったおとなは、ゲイのカップルです。
 ダウン症の少年は母子家庭で、母親は薬物中毒の売春婦です。
 スラム(すさんだ貧困地域)です。どん底です。同性愛者同士の女性役がルディという役名の男性俳優(特典映像で本当にゲイとありました)、彼の夫役が弁護士のポールで、ダウン症の少年がマルコです。
 疑似家族ですが、3人はそれでも1年間、事実上の家族として、幸せな共同生活(夫婦・親子としての)を送ります。
 しかし、そのことを裁判所は認めません。少年は異常な母親のもとに返されて亡くなります。

 事務所を支えるために引退されるという東山紀之さんにとっては最後の作品になるようです。11月の名古屋公演が最後なのかなあと思っています。
 年寄りの自分が思うに、会社員なら定年退職などで退職すると、同じ会社に復帰することはもう無理ですが、芸能人の方たちは個人営業の自由業ですから、引退も復帰も本人の気持ち次第です。いつでも復帰できると思うのです。まわりのファンが支持してくれればだいじょうぶです。今までも、引退後復帰されたタレント(歌手の方など)さんは複数おられました。

 さらにその後:『チャーリーとチョコレート工場』のほうは、12月に洋画が公開されることを知りました。『ウォンカとチョコレート工場の始まり』というタイトルです。なんだか偶然がどんどん重なってきていて不思議な感じがします。


 今度は児童文学小説を読んでみます。本を取り寄せました。
『チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール クェンティン・ブレイク(絵) 柳瀬尚樹(訳) 評論社』
 
ロアルド・ダール:イギリスの作家。1916年(日本だと大正5年)-1990年(平成2年)74歳没

ウィリー・ウォンカ:ミュージカルでは、KinKi Kidsの堂本光一さんが演じます。まちの人たちにとっては英雄で、みんなから好かれています。チョコレート製造の魔術師だそうです。

チャーリー・バケツ(ミュージカルでは発音が「バケット」):子役さん。子役さんたちは複数おられます。その日その日で演じる子役さんが変わります。

バケツ婦人(バケット婦人):観月ありささん

オーガスタス・ブクブトリー:ミュージカルでは子役さんです。

マイク・テレヴィズキー:ミュージカルでは、「マイク・ティビー」という子役さんになっています。

イボダラーケ・ショッパー:ミュージカルでは、いまのところ、どなたかわかりません。

ウンパッパ・ルンパッパ人たち:ミュージカルでは、今のところ、どなたかわかりません。映画では同じ人の姿と顔でたくさんのウンパッパ・ルンパッパが出ていました。忍術の分身の術(じゅつ)みたいでした。こびとで不思議な存在でした。チョコレートの妖精だろうか。背丈はこどもの膝(ひざ)ぐらい。チョコレート工場の工員さんの役割を果たしているようです。

バイオレット・アゴストロング:ミュージカルでは、いまのところ、どなたかわかりません。

以下、ミュージカルでは、

グループ夫人:Wキャストで、鈴木ほのかさんと森公美子さんです。わたしたち夫婦が観劇するときは、森公美子さんです。

ボーレガード氏:芋洗坂係長さん

ジョーじいちゃん:小堺一機さん。本では、96歳半という年齢設定です。

ソルト氏:岸佑二さん

ティービー夫人:彩吹真央さん

 さて、本を読み始めます。
 こどもひとり、おとな6人の7人で、食べていくのもたいへんな貧乏三世代家族です。
 部屋はふたつ、ベッドはひとつ、そのひとつのベッドに年寄り4人が寝ています。4人とも体が弱っていて寝たきりなのです。
 隣の部屋の床に夫婦とこどもであるチャーリー・バケツがマットを敷いて寝る生活をしています。

バケツ氏:世帯主男性。歯磨き工場で、歯磨きの小さなキャップをくるくると回して付けるという仕事をしている。賃金は低い。

バケツ氏の妻

バケツ夫婦の息子:チャーリー・バケツ。本のはじまりに『こんにちは。はじめまして。よろしくね。この子は、きみたちに会えて大喜びだ。』とあります。ここから物語がスタートします。チャーリー少年は、いつもおなかをすかしている。何よりも食べたいのは「チョコレート」だそうです。年に一度だけ、誕生日に板チョコのプレゼントがもらえる。ひと月以上かけて少しずつ板チョコレートを食べるそうです。

バケツ氏の父:ジョーじいちゃん。年寄り4人は全員が90歳を超えている。設定では、チャーリーは孫となっていますが、どう考えてもひ孫としか勘定できません。4人ともチャーリーが好きでおしゃべり好きだそうです。

バケツ氏の母:ジョゼフィーンばあちゃん

バケツ氏の奥さんの父:ジョージじいちゃん

バケツ氏の奥さんの母:ジョージナばあちゃん

チャーリーの家の窓から、巨大なチョコレート工場が見える。『ワンカの工場』だそうです。ウィリー・ワンカは、チョコレート発明家で、チョコレートを製造する巨大な工場を保有している。

 本の『3章 ワンカ氏とインドの王子』の部分は、映画で忠実に再現されていたのでわかりやすかった。

 ワンカの工場の特徴というか秘密:従業員の出入りがない。(ロボット方式でチョコレートづくりをしているのだろうか)
 昔、ウィリー・ワンカは、たくさんの従業員を雇っていた。その中にスパイがいた。チョコレートづくりのアイデアを盗まれた。ワンカは、従業員を信用しなくなった。
 キママチョコピーの工場:溶けないアイスクリームをつくりはじめた。
 ハナツッコミーの工場:噛んでも噛んでも味の消えないチューインガムを売り出した。
 ナメクジナミーの工場:大きくふくらませることができる砂糖風船を作り始めた。
 みんな、ワンカのアイデアだった。

 話は『ワンカ工場ついに公開 幸運の数名限定』へとつながっていきます。

(つづく)

 10年間姿を見せなかったウィリー・ワンカ氏が、顧客のちびっこ5人(保護者同伴)をチョコレート工場に招く。
 手法は、商品の板チョコレートに当選券を忍ばせる(しのばせる。『黄金切符(おうごんきっぷ』。その黄金切符を各自が手に入れるまでの経過が記されています。
 最後の1枚をチャーリーが手に入れて、ジョウじいちゃんとチャーリーがワンカのチョコレート工場を訪問することになります。
 見学の最後に特別プレゼントとして、一生分のチョコレートとキャンディがプレゼントされます。

 寵児(ちょうじ):親に愛されている(甘やかされている)こども。流行にのっているこども
 いけすかない:気にくわない。
 
 祖父母たちのチャーリーに対する愛情が伝わってくる文章です。
 祖父母たちはチャーリーに腹いっぱい食べさせてやりたい。
 祖父母は間接的な立場ですが、こどもにおいしいものをおなかいっぱい食べさせることを続けることが親の愛情であり親の役割です。親が親であることの基本です。

 50ペンス銀貨:75円ぐらい

 読んでいて思うのは『お金とか財産は、ひとり占めをするともめる』という法則です。

 工場訪問の日:2月1日。午前10時から。

 作者は貧乏人の味方です。

 ローン・レインジャー:西部劇を題材にしたラジオドラマ。アメリカ合衆国。1930年代(昭和5年)日本のテレビドラマは1958年(昭和33年)アニメ1967年(昭和42年)
 
 以下、黄金切符を手にしたこどもたちです。

1 オーガスタス・ブクブトリー 男の子9歳 でぶでぶ。太っている。付き添いは両親

2 イボダラーケ・ショッパー 女の子 金持ち両親 遠くの大都会に住んでいる。付き添いは両親。夫人は地理担当教員

3 バイオレット・アゴストロング お嬢さん いつもチューインガムを噛んでいる。付き添いは両親

4 マイク・テレヴィズキー 男の子 9歳 テレビを見るのが好き。付き添いは両親

5 チャーリー・バケツ 主役です。付き添いは父方祖父

(昨夜、テレビで帝国劇場の裏側を紹介するような放送を番組『行列のできる法律相談所』でやっているのを偶然見ました。来月観に行く演目で主演者の方々も出ておられたので偶然のことでしたが映像を楽しみました。帝国劇場の地下にある部屋部分での説明がありました。ウィリー・ワンカのチョコレート工場の構造みたいです。地下に大きなチョコレート工場があります)

 おとな9人とこども5人、合計14人のグループをウィリー・ワンカが自分のチョコレート工場を案内します。
 (読んでいて、昔こどもたちを連れて行ったことがある『お菓子の城』を思い出しました。愛知県犬山市にあります)

 ウィリー・ワンカのチョコレート工場の製造場所部分は地下です。地面からずーっと深い場所に広い工場部分があります。
 チョコレート室、ウンパッパ・ルンパッパ人(チョコレート工場の工員さんに思えます。こどもの膝(ひざ)ぐらいの高さの身長です)、永久ペロペロキャンディー、ヘアトッフイ(食べると30分後に頭のてっぺんにふさふさの毛が生える。口ひげもあごひげも生える)、食用マシュマロ枕、なめられる壁紙、いろいろアイデアがいっぱいです。ホット・アイスクリーム、チョコレート・ミルクを出す乳牛、炭酸上昇ドリンク、丸目に見える四角いキャンディ、バタースコッチとバタージン(酔っ払いそうです)。
 
 チョコレート・ファッジ:チョコレートを混ぜたお菓子、食べ物

(『ナルニア国物語』を読んでいるようでもある)

 チャーリー・バケツは、心が優しい。
 ウィリー・ワンカもいい人です。
 ジョウじいちゃんも優しい。
 ほかのメンバーは、いじわるだったり、くしんぼうだったり、欲が深い。
 
 オーガスタス・ブクブトリーとバイオレット・アゴストロングがいなくなります。行儀が悪いふたりでした。

 映画の流れと同じ内容なのでわかりやすい。
 クルミの実をむくリスたちの登場です。
 そして、すったもんだがあります。

(つづく)

 残ったちびっこは、マイク・テレヴィズキーとチャーリー・バケツだけになりました。
 その後、テレビ好きのマイク・テレヴィズキーは『テレビチョコレート室』で、テレビの中に入ってしまいました。(この部分を読んだとき、わたしがたぶん小学生のときに放映されていたテレビ番組の『万国びっくりショー(ばんこくびっくりしょー)』を思い出しました。
 最終的に残ったのは、チャーリー・バケツだけです。
 『ガラスの大エレベーター』で大移動です。
 
 氷砂糖鉱山、ココナッツ・アイス・スケートリンク、ストローベリー・ジュース水鉄砲、自宅庭園用トッフィーアップル樹の全サイズ、敵撃破爆弾キャンディ、夜間ベッド用棒付き夜光飴…… 甘いものがいっぱいです。

 断乎(だんこ):どんなことがあってもかならずするという強い意思表示のあらわれ。

 ウィリー・ワンカは、チャーリー・バケツに、自分の工場の経営権を自分の死後渡すことを約束します。こどもがいないお金持ちが、養子をもらったようなものです。
 ウィリー・ワンカは、心が純粋できれいな人です。
 『わたしは年寄りでしてね…… いつまでもつづけられはしない。わたしには子供はいませんし、家族もない…… 「欲(よく)」のある人間はいらない』チョコレートづくりに関して、わたしの意思を継いでくれるこどもをさがしていたと続きます。
 社会福祉の物語でもあります。正直者がばかをみない世の中をめざしているウィリー・ワンカです。ちなみに、著者も同じ意思で、この本の収益の一部は寄付に回されています。

 ハッピーエンドでした。
 良かった。
 
 最後の訳者のメッセージに、9歳から12歳を対象に書かれた作品ですが、幅広い世代に楽しんでいただける作品ですと書いてありました。


『観劇の感想です。チャーリーとチョコレート工場 東京帝国劇場にて 10月のとある夜』
 ミュージカルです。
 思い出すまま、思いつくまま、感想を並べてみます。

 森公美子さんは意外に小柄な方でした。歌は声量があって迫力がありました。
 みどり色のシンボルカラーのお母さん役の方とテレビ好きヤンキー少年役の男の子の演技がとても良かった。リズミカルに歌と踊りが展開されていました。
 事前に物語のあらすじを知っておいたほうが内容を理解しやすい。
 にぎやかでいい雰囲気でした。
 始まりからしばらくは、話の展開も演技もいまいちな感じがしましたが、幕間のあとの後半は密度が濃くなって、充実していました。全体で3時間ぐらい、幕間の休憩が20分から25分間ぐらいでした。午後6時開始、午後9時過ぎ終了でした。
 舞台背景の月の色が最初はオレンジ色で、わたしなりに、月は白色のほうが、色合いがいいのにと気になりましたが、幕間のあとの後半では、白っぽい月の色に変わっていました。満足しました。
 こびとの妖精のようなチョコレート工場の従業員であろうウンパ・ルンパ役(やく)の人たちのがんばり演技が、舞台の盛り上がりに貢献しています。かなりいい感じです。
 照明、灯り(あかり)、映像、目の前にある情景がすべて映画の映像のように見えることがあり、たいしたものだと感じ入りました。
 人生で初めて、1500人以上の女性のかたまりの中で過ごしました。熊太郎夫婦のようにカップルや両親とこどもの親子連れの人もいて、男性が少ない姿に違和感はありませんでしたが、観客は女性のものすごい人の群れでした。女性用トイレの行列はすさまじく長く(男子はすんなり用を足せました)、グッズ販売の行列もすごく、二階席へ続く階段も人が並び、ロビーは、人ひとりがかろうじて移動できる通路の空間が残されているだけでした。
 食事は、開幕前にロビーのイスに座っておにぎりを食べて、幕間の休憩のときに座席でサンドイッチを食べました。幕間中に座席で飲食することは禁止されていないようです。
 前半は、ユーモアの部分にかけるかなあという印象がありましたが、後半は笑える部分もそこそこありました。
 上演が最後に終わった時、びっくりしました。観客全員が立ち上がってステージの演者に盛大な拍手を送りました。つられて自分たちも立ち上がりました。ものすごい音量の拍手でした。
 座席のイスの前後の長さが太ももの部分が長い男性にとっては短い気がしました。長時間の着席なので、お尻が痛くなるときが何度かありました。劇場自体がだいぶ古いです。建て替えの計画があるようです。
 後半で出てきたリスのつくりものがかわいらしかった。
 観月ありささんは、背の高い人だと感じました。演者は子役のこどもさんたちもいて、小柄な人が多かった。叱られるかもしれませんが、ステージ上では、小太りの人、(役柄的に)小太りの衣装を着ている人(ウンパ・ルンパ役の人たちはたぶん膝で立っておられたと思います)が多いわけで、いっぽう、観客の女性のなかにもいくぶん小太りの女性のかたもちらほらとおられ、自分は長いこと生きてきましたが、あんなにたくさんの小太りの人を見たのは初めてでした。劇のタイトルにチョコレートとあり、話の中身もお菓子の話だから、タイトルと中身が一致していて納得しました。
 こちらも小太りである芋洗坂係長(いもあらいざかかかりちょう。体重が100キロ以上あるそうです。ダンサーさんです)さんは、動きが意外にシャープで、しゅっとして、キレがある動きを披露されていました。以前テレビで観たときの老齢の配役の顔とはぜんぜん違いました。
 後半部の舞台装置や映像は、万華鏡(まんげきょう)の中のようで、宝石がキラキラ輝く視界でした。絵本の連続撮影のようでもありました。草間彌生(くさまやよい)さんが描く絵画の色調でした。
 キーワードが『イマジネーション(発想力。想像力)』でした。小説だと、親や祖父母を大切にするチャーリー少年の思いやりの意識が重要視されるのですが、こちらの劇では、チョコレート類の新製品を発想する『イマジネーション』が主題として重視されていました。
 歌のときに、観客席ももっと積極的に手拍子をするシーンが何度かあっても良かったのではないかと感じました。ステージ上は盛り上がっているのに、観客席は静かだったことが何度かありました。サクラ役(頼まれて意図的に雰囲気づくりをする人)の観客のグループがいて、音楽に合わせた手拍子を誘導してくれるといいのになと思いましたが、もしかしたら、そういうことはしてはいけないというマナーがあるのかもしれません。
 舞台の最後に幕がどんどん上がっていって、中二階(ちゅうにかい)みたいな位置にオーケストラのみなさんがおおぜい座っていて、生演奏をされていたことを知りびっくりしました。音楽は録音されたものが再生されていたと思っていました。演技に合わせて生演奏をしていたんだーー 驚きました。すさまじいエネルギーが注ぎ込まれていた舞台でした。



 撮影しませんでしたが、写真にある幕の下には、おおぜいの女性たちが固まっています。



 翌日、劇場前にある日比谷公園を散策したときにまた写真をとりました。






 素敵な舞台をありがとう。

(その後のこと。11月5日曜日追記)
 先日の夜NHKで、俳優吉岡秀隆さんの『ファミリーヒストリー』を見ていたら、帝国劇場の建物と帝国劇場内のステージ、イス席、ロビーの映像が流れてびっくりしました。
 半月ほど前に、自分たち夫婦が観劇で着席していたシートも見えて本当にびっくりしました。
 吉岡秀隆さんのお父上が帝国劇場の大道具責任者を担当されていたそうです。
 白黒映像は1966年(昭和41年)のものでした。当時で、最新式のものと紹介がありました。現在は老朽化が進んでいるように見えるのですが、建物も内装も先日訪れたときと変わりありませんでした。感激しました。長いこと働いてきてリタイヤして歳をとってしまいましたが、ようやく舞台芸術とか娯楽という世界を楽しめるような立場になれました。やれやれです。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年07月28日

東京都世田谷区下北沢『本多劇場(ほんだげきじょう)』にて

東京都世田谷区下北沢『本多劇場(ほんだげきじょう)』にて

 初めて下北沢というところへ行きました。
 人がいっぱいで活気があります。テレビのインタビュー番組でよく登場するところです。『家、ついて行ってイイですか?』とか『月曜から夜ふかし』とか。
 駅を出たところで妻が芸能人を見たそうですが、1980年代ぐらいに活躍された音楽をやる男性で、名前が出てこないといまだに言っています。
 駅の周りは再開発をしているようで、工事のために道が迷路のようになっています。
 エスカレーターで、段差があるようなところを下がってなんとか目的の本多劇場へ着きました。
 スマホの地図を見ながら行きましたが、駅から近いのに、ややこしくて、帰り道のルートを忘れてしまわないかと不安になりましたが、同行の妻が覚えていてくれてだいじょうぶでした。
 都市部での劇場というと、広い道路に面した大きな建物を想像していたのですが、本多劇場は街中のビルで、おそらく地下から3階か4階ぐらいまでが劇場で、上の階は住居に見えました。(事実はわかりません)
 階段をあがっていくとアナログな感じ(昔風)で折り畳みの机を並べただけの受付がありました。演目の開始までに時間があったので、近くのラーメン屋に寄って、しょうゆラーメンを食べました。外食をあまりしないので、夫婦でカウンターに座ったら入口にある機械で食券を買ってくださいとうながされました。ああそうだったと思い出しました。定年退職をしてから何年もたちましたので事前食券購入のやりかたを忘れてしまいました。



 劇場では『鹿版 銀河鉄道の夜‘23』という音楽劇を観劇しました。にぎやかで良かった。ご当地ネタでは、会場が爆笑していました。スズナリという劇場があるようです。柄本明さんのお名前が出ていました。
 演劇のほうは、なんというか、若い男の人たちが、男のだいじなところ(あそこ)だけを隠して、すっぱだかに近い姿で熱演されていました。(いやらしくはありません)
 座長の女性がしきりにお金がないということを強調されていました。衣装を買うお金がないようです。舞台装置のお金もないようです。まあ、劇団というのはそういうものだろうと思っています。
 演劇にしても音楽にしてもダンスにしても、舞台の上は華やかですが、舞台をおりるとお金がない世界です。

 おぼろげな記憶ですが、宮沢賢治作品の銀河鉄道の夜は、貧しくてひとりぼっちのジョバンニが、カムパネルラ(実は水の事故で死んでいる)と電車に乗って、夜空を旅する(冥土(めいど)へ行く旅。死後の世界へ行く旅)話で、途中、タイタニックの沈没事故で亡くなったような人たち(霊魂でしょう)も乗車してくるような感じの話だった記憶です。
 今回の観劇のしばらく前に、外国の人が、氷山に衝突後沈没したタイタニックの残骸(ざんがい)を観光で見学に行って、深海潜水艇が事故を起こして死者が出たニュースがありました。
 天の川=(イコール)三途の川(さんずのかわ。あの世へと渡る川)かなと自分は思っています。わたしの思う筋立てに勘違いがあったらごめんなさい。
 宮沢賢治作品は文章に色彩のイメージがあって、わたしにはむずかしいです。愛知県半田市出身の新美南吉(にいみ・なんきち)作品のこどもさん向け童話のほうが、自分にとっては読みやすいです。

 劇は、若い人たちのパワーが全開でした。男性たちは裸、女性たちは白い衣装をまとって、舞台装置は少なく、体全体をいっぱいに使って表現されていました。
 演者のみなさんが、この演劇の上演のために、すさまじいパワーをつぎこんだことがわかります。大量の労力と時間がそそぎこまれた演技でした。たくさん練習(稽古けいこ)をされたと思います。

 舞台の背景に映し出されるたくさんの色鮮やかな星々は、プラネタリウムのようにロマンチックできれいでした。

 ジョバンニに対する『(あなたは)死ぬな! 死んではいけない!!』のメッセージを正面から受け止めることができました。ジョバンニは、死んでいるカムパネルラについていこうとするのです。親友であるカムパネルラを失いたくないということが動機です。
 カムパネルラは、自分といっしょについてきてはいけないと、ジョバンニを説得します。
 ジョバンニは、死んではいけないのです。君は、生きろ!です。

 劇場には、お客さんがたくさん入っていて、家族的な温かい雰囲気があり好感をもちました。
 ロビーも『昭和時代』の雰囲気が残っていて、そこにいるとほっとできました。



 こちらの劇場では、小泉今日子さんとか、石田ひかりさん、竹下景子さん、松雪泰子さん、黒島結菜(くろしま・ゆいなさん)、それから、自分は今BSNHKで再放送の『あまちゃん』を見ているのですが、あまちゃんに出ている皆川猿時さんとか、荒川良々(あらかわ・よしよしさん)も舞台出演されています。

 今回の観劇で、女性の座長さんの話を聞きながら、自分も十代のころは、そちらの世界で働きたいなあという気持ちがあったけれど、しかしそれでは食べていけないわけで、そんなこともあったなあと自分の若い時をふりかえりました。

 その後、座長さんの履歴を見て、ひっくりかえるほどびっくりしました。
 座長さんの出身地がわたしと同じでした。同郷の人でした。わたしが同地を離れたあとにお生まれになっています。
 山に囲まれた盆地のようなところで、田んぼや川がある自然豊かな地域から、福岡県の博多駅なり、小倉駅まで出て、東を目指されたのでしょう。ご苦労をお察しします。  

Posted by 熊太郎 at 06:56Comments(0)TrackBack(0)東京