2025年04月01日
東京有楽町駅にて 宝くじのこと
東京有楽町駅にて 宝くじのこと
昨年、11月末に東京見物に行きました。
東京駅のお隣にあるJR有楽町駅を出たあと、乗り換え先の地下鉄出入口がわからなくて、道に迷いました。
そのとき道路に、ものすごく長い行列ができていて驚いたのですが、宝くじを買うための行列だということがわかって、たいそうびっくりしました。
さらに、売り場にいくつかある窓口のうちの、特定の番号の窓口にだけ人が並んでいるそうで、またまたびっくりしました。
年末ジャンボ宝くじを買うための行列でした。すごい数の人たちが並んでいました。当たりくじがよく出ている窓口だそうです。その窓口で買うために、4時間半待ちとか、6時間待ちで宝くじを買うそうです。もうとにかくびっくりしました。
自分が二十代だった頃、友だちと組んで(お金を出しあって)、1年間、毎週のように宝くじを買ったことがあります。(当たりませんでした)
毎年9月2日のくじの日に、ハズレ券の番号を対象にして、景品の抽選があるのですが、それも当たりませんでした。
友だちと、大量のハズレ券を床にぶちまけて、踏んづけながら、『バカヤロー』と大声を出しました。
それ以来、宝くじは買わなくなりました。宝くじは、当たりません。
職場に親睦会があって、毎月会費を払って、宴会とかバス旅行の原資として使っていました。幹事は持ち回りでした。
あるとき、そのときの幹事連中が、宴会でのビンゴゲームの景品を宝くじにしました。なんというか、景品がいろいろあって、そのうちのひとつが、宝くじなのだろうと思っていたら、すべての景品が宝くじだったので、わたしは怒りが爆発しました。幹事が楽をしたいという手抜きの選択です。宝くじは当たりません。毎月払っている会費が道ばたに捨てられたようなものです。人の金をむだづかいするな! 金返せと吠えました。(ほえました)。そんなことがありました。
①宝くじは当たらない。(もし当たっても、当たったことを知った人間や組織がお金をたかりにくる(脅したり(おどしたり)、泣きついたりして、お金をせびりにくる。貸したお金は返ってこない)
②宝くじは胴元が儲かる(もうかる)仕組みになっている。どうもと:元締め(もとじめ)、主催者
③お金がないから宝くじを買う。宝くじを買うとさらにお金がなくなる。お金がないのに宝くじを買う。もっとお金がなくなる。夢は買えない。さらにお金がなくなる。宝くじは、こわいシステムです。
昨年、11月末に東京見物に行きました。
東京駅のお隣にあるJR有楽町駅を出たあと、乗り換え先の地下鉄出入口がわからなくて、道に迷いました。
そのとき道路に、ものすごく長い行列ができていて驚いたのですが、宝くじを買うための行列だということがわかって、たいそうびっくりしました。
さらに、売り場にいくつかある窓口のうちの、特定の番号の窓口にだけ人が並んでいるそうで、またまたびっくりしました。
年末ジャンボ宝くじを買うための行列でした。すごい数の人たちが並んでいました。当たりくじがよく出ている窓口だそうです。その窓口で買うために、4時間半待ちとか、6時間待ちで宝くじを買うそうです。もうとにかくびっくりしました。
自分が二十代だった頃、友だちと組んで(お金を出しあって)、1年間、毎週のように宝くじを買ったことがあります。(当たりませんでした)
毎年9月2日のくじの日に、ハズレ券の番号を対象にして、景品の抽選があるのですが、それも当たりませんでした。
友だちと、大量のハズレ券を床にぶちまけて、踏んづけながら、『バカヤロー』と大声を出しました。
それ以来、宝くじは買わなくなりました。宝くじは、当たりません。
職場に親睦会があって、毎月会費を払って、宴会とかバス旅行の原資として使っていました。幹事は持ち回りでした。
あるとき、そのときの幹事連中が、宴会でのビンゴゲームの景品を宝くじにしました。なんというか、景品がいろいろあって、そのうちのひとつが、宝くじなのだろうと思っていたら、すべての景品が宝くじだったので、わたしは怒りが爆発しました。幹事が楽をしたいという手抜きの選択です。宝くじは当たりません。毎月払っている会費が道ばたに捨てられたようなものです。人の金をむだづかいするな! 金返せと吠えました。(ほえました)。そんなことがありました。
①宝くじは当たらない。(もし当たっても、当たったことを知った人間や組織がお金をたかりにくる(脅したり(おどしたり)、泣きついたりして、お金をせびりにくる。貸したお金は返ってこない)
②宝くじは胴元が儲かる(もうかる)仕組みになっている。どうもと:元締め(もとじめ)、主催者
③お金がないから宝くじを買う。宝くじを買うとさらにお金がなくなる。お金がないのに宝くじを買う。もっとお金がなくなる。夢は買えない。さらにお金がなくなる。宝くじは、こわいシステムです。
2025年03月24日
日本銀行本店を見学に行く。
日本銀行本店を見学に行く。
この記事は、すでに先日、カテゴリ、『株式投資』に掲載しましたが、カテゴリ、『東京』にも掲載したいので、同じ内容でカテゴリ、『東京』に掲載します。
(次の記述は、2024年12月中旬に書きました)
定期預金の利息が低いことに嫌気がさして、3年半ぐらい前から株式投資を始めました。当時の日経平均株価(日本経済新聞社が算出・公表している日本の株式市場の代表的な株価指数のひとつ)は、2万6000円~2万8000円ぐらいでした。その後、4万円を超えたときはびっくりしました。
株取引を始めた時期が良かったのでしょう。幸いに(さいわいに)、今のところ損失はありません。
株式投資の参考にしようと思って、これまでに、東京証券取引所と日本銀行貨幣博物館を見学しました。
去年の今頃、日本銀行本店を見学できることを知り、見学に行ってみようと思い立ちましたが、都合がつかなくて先延ばしにしていました。
自分の感覚だと、1月~3月は見学予約がとりやすそうだけれど、4月以降になるとなかなか予約が取れないような雰囲気を感じました。
今回ネットで、日銀本店見学予約のページを開いたら、3月に予約できる日が数日あったので、夫婦で見学ということで、2名で予約を入れて予約がとれました。来年の楽しみのひとつになりました。
見学時間は1時間ぐらいで、20名のかたまりです。職員の引率による説明とビデオでの説明があります。
(その後:2025年3月のとある日に日銀本店を見学してきました)
20人ぐらい、申し込みをされた一般の方たちといっしょに、職員の付き添い案内で回りました。参加者は、わたしたちのような年配の夫婦、お年寄り夫婦と息子さんとか娘さんとか、おだやかそうな人たちでした。
次の建物写真は、見学場所である日銀本店内で展示してあった掲示物を撮影したものです。この建物の中を案内してもらいました。
じっさいの日銀業務は、古い建物の向こう側に立っている白いビルディングの中でやられているそうです。
見学は、古い建物内の周遊で、2階を見て、1階を見て、地下フロアーを見ました。(説明はありませんでしたが、3階部分があるようです)

門を入って、中庭になっている空間で撮った写真です。屋根の上は、ドーム型になっていました。

2階は、会議室などになっていました。2階は、撮影はだめよの区域でした。
役付きの人たちが、円形にまあるくなって座って会議をするテーブルと椅子がセットしてありました。
ドーム型の天井が東京駅の天井(てんじょう)みたいできれいでした。
2階通路となっている廊下の壁には、歴代総裁の肖像画が飾られていました。時代が新しくなってきて、肖像画は途中から上半身を写した写真に変わりました。
2階の廊下や部屋などの照明が暗いなあと感じましたが、明治時代とか大正時代ぐらい、昔の照明はあれぐらいだったのでしょう。まあ、今の日本の照明が明るすぎるということも感覚が違う理由としてあるのでしょう。(2階の照明は電球を使用してあるような電灯色でした。1階の照明はたぶんLED(発光ダイオード)の白い色でした)
以下の写真は1階部分です。まんなかの広い空間が、銀行でお客さんたちが動いたり、椅子に座る待合場所にしていたりしたスペースだそうです。
突き当りにある茶色のしきりの部分が、接客用のカウンターで、カウンターの向こう側に銀行員がいたそうです。





地下フロアーに大きくてがっちりした金庫のパネル写真とか、現金を積んだ小型トロッコが部屋をぐるりととりまく廊下部分を周回するように走っていた線路跡などがありました。
立派な建物の基礎部分(地面の下)が、透けて(すけて)見えるようにしてありました。建物を支える基礎部分はかなり深くて、地震の揺れる動きに合わせて建物全体が揺れるという耐震化もなされていました。
なんというか、明治時代、大正時代、昭和初期の時代の人たちの知恵とか職人技(しょくにんわざ)の能力の高さが伝わってくる建物でした。たいしたものです。関東大震災とか、第二次世界大戦のときの空襲などの災害・戦災を乗り越えてきています。
わたしのブログの契約上のことですが、ブログに掲載できる記事や写真の容量があまりないので、地下部分の写真の掲載はやめておきます。
この記事は、すでに先日、カテゴリ、『株式投資』に掲載しましたが、カテゴリ、『東京』にも掲載したいので、同じ内容でカテゴリ、『東京』に掲載します。
(次の記述は、2024年12月中旬に書きました)
定期預金の利息が低いことに嫌気がさして、3年半ぐらい前から株式投資を始めました。当時の日経平均株価(日本経済新聞社が算出・公表している日本の株式市場の代表的な株価指数のひとつ)は、2万6000円~2万8000円ぐらいでした。その後、4万円を超えたときはびっくりしました。
株取引を始めた時期が良かったのでしょう。幸いに(さいわいに)、今のところ損失はありません。
株式投資の参考にしようと思って、これまでに、東京証券取引所と日本銀行貨幣博物館を見学しました。
去年の今頃、日本銀行本店を見学できることを知り、見学に行ってみようと思い立ちましたが、都合がつかなくて先延ばしにしていました。
自分の感覚だと、1月~3月は見学予約がとりやすそうだけれど、4月以降になるとなかなか予約が取れないような雰囲気を感じました。
今回ネットで、日銀本店見学予約のページを開いたら、3月に予約できる日が数日あったので、夫婦で見学ということで、2名で予約を入れて予約がとれました。来年の楽しみのひとつになりました。
見学時間は1時間ぐらいで、20名のかたまりです。職員の引率による説明とビデオでの説明があります。
(その後:2025年3月のとある日に日銀本店を見学してきました)
20人ぐらい、申し込みをされた一般の方たちといっしょに、職員の付き添い案内で回りました。参加者は、わたしたちのような年配の夫婦、お年寄り夫婦と息子さんとか娘さんとか、おだやかそうな人たちでした。
次の建物写真は、見学場所である日銀本店内で展示してあった掲示物を撮影したものです。この建物の中を案内してもらいました。
じっさいの日銀業務は、古い建物の向こう側に立っている白いビルディングの中でやられているそうです。
見学は、古い建物内の周遊で、2階を見て、1階を見て、地下フロアーを見ました。(説明はありませんでしたが、3階部分があるようです)

門を入って、中庭になっている空間で撮った写真です。屋根の上は、ドーム型になっていました。

2階は、会議室などになっていました。2階は、撮影はだめよの区域でした。
役付きの人たちが、円形にまあるくなって座って会議をするテーブルと椅子がセットしてありました。
ドーム型の天井が東京駅の天井(てんじょう)みたいできれいでした。
2階通路となっている廊下の壁には、歴代総裁の肖像画が飾られていました。時代が新しくなってきて、肖像画は途中から上半身を写した写真に変わりました。
2階の廊下や部屋などの照明が暗いなあと感じましたが、明治時代とか大正時代ぐらい、昔の照明はあれぐらいだったのでしょう。まあ、今の日本の照明が明るすぎるということも感覚が違う理由としてあるのでしょう。(2階の照明は電球を使用してあるような電灯色でした。1階の照明はたぶんLED(発光ダイオード)の白い色でした)
以下の写真は1階部分です。まんなかの広い空間が、銀行でお客さんたちが動いたり、椅子に座る待合場所にしていたりしたスペースだそうです。
突き当りにある茶色のしきりの部分が、接客用のカウンターで、カウンターの向こう側に銀行員がいたそうです。





地下フロアーに大きくてがっちりした金庫のパネル写真とか、現金を積んだ小型トロッコが部屋をぐるりととりまく廊下部分を周回するように走っていた線路跡などがありました。
立派な建物の基礎部分(地面の下)が、透けて(すけて)見えるようにしてありました。建物を支える基礎部分はかなり深くて、地震の揺れる動きに合わせて建物全体が揺れるという耐震化もなされていました。
なんというか、明治時代、大正時代、昭和初期の時代の人たちの知恵とか職人技(しょくにんわざ)の能力の高さが伝わってくる建物でした。たいしたものです。関東大震災とか、第二次世界大戦のときの空襲などの災害・戦災を乗り越えてきています。
わたしのブログの契約上のことですが、ブログに掲載できる記事や写真の容量があまりないので、地下部分の写真の掲載はやめておきます。
2025年03月22日
皇居東御苑(ひがしぎょえん) 江戸城跡
皇居東御苑(ひがしぎょえん) 江戸城跡
昨秋テレビで放送された、『出没!アド街ック天国』を参考にして回ってみました。番組では、『竹橋』という地名で紹介されていました。
番組で紹介されていた竹橋駅そばに建っている、毎日新聞社のビルに見えたのですが、『パレスサイドビル』というビルの中にある飲食店で昼食を食べました。とくに、写真はありません。
江戸城跡で驚いたのは、まわりは、世界各国から訪れているらしき外国の人ばかりで、日本人は、わたしたち夫婦だけでした。
欧米の人たちはにぎやかで、大きな声で雑談をしておられました。
ほかに、東南アジアから来たらしきファミリーや団体さんを見かけました。みなさん仲良しです。
日本のまんなか、皇居の中、江戸城跡の石垣まわりなのですが、いろんな外国語が飛びかい、まるで、外国にいるような感じでした。
次の写真は江戸城の天守台となっている石垣です。

次の写真は、江戸城の天守台である石垣を上って(のぼって)、上にあがったところです。
それほど広くはありません。
小雨もようだったので、景色が残念です。
また、来てもいいかなと思いました。
晴れていれば、高層ビル群がきれいに見えると思います。

次の写真は、さきほどの江戸城石垣の上から見えるそばに建つ建物です。
『桃華楽堂(とうかがくどう)』という名称の音楽堂だそうです。和風なつくりです。

珍しいなあと思ったので次の写真を撮りました。
梅の木ですが、ピンクとホワイトと、二種類の色の花が1本の樹木に咲いていました。
ほかにも、たくさん梅の木があって、満開のように花が咲いていました。
早咲きの桜(河津桜みたいな種類)もあって、外国人観光客の人たちが、それぞれ花々の前に並んで写真撮影を楽しんでおられました。

次の写真は、『二の丸庭園』の区域です。日本庭園になっていました。


次の写真の鯉は、番組、『出没!アド街ック天国』で紹介されていたのですが、上皇陛下の発案と研究で(かけ合わせで)生まれた、新種の鯉だそうです。ヒレが立派で長い。
日本産のニシキゴイとインドネシア産のヒレナガゴイをかけあわせてあると放送では説明がありました。

そのときは、黄金色のヒレナガニシキゴイが三匹いました。
外国人観光客たちが来ると、小さな橋の下あたりへと遠くからゆっくりと近寄ってきます。
人慣れしていて、観光客に近くで姿を見てくれという観光サービスみたいでした。
とてもきれいな体をしています。

滝のようになっている部分もあって、外国人観光客の人たちが、滝の前で記念写真を撮っておられました。

あとは、大奥があった場所とか、忠臣蔵の松の廊下があった場所などを見ましたが、今となっては、広っぱであり、小道になっていて、実感は湧きませんでした。
お天気が小雨で、傘をさしての観光でした。散策がしにくく、いまいちの状況だったので、お天気がいいときにまた訪れてみたい。
昨秋テレビで放送された、『出没!アド街ック天国』を参考にして回ってみました。番組では、『竹橋』という地名で紹介されていました。
番組で紹介されていた竹橋駅そばに建っている、毎日新聞社のビルに見えたのですが、『パレスサイドビル』というビルの中にある飲食店で昼食を食べました。とくに、写真はありません。
江戸城跡で驚いたのは、まわりは、世界各国から訪れているらしき外国の人ばかりで、日本人は、わたしたち夫婦だけでした。
欧米の人たちはにぎやかで、大きな声で雑談をしておられました。
ほかに、東南アジアから来たらしきファミリーや団体さんを見かけました。みなさん仲良しです。
日本のまんなか、皇居の中、江戸城跡の石垣まわりなのですが、いろんな外国語が飛びかい、まるで、外国にいるような感じでした。
次の写真は江戸城の天守台となっている石垣です。

次の写真は、江戸城の天守台である石垣を上って(のぼって)、上にあがったところです。
それほど広くはありません。
小雨もようだったので、景色が残念です。
また、来てもいいかなと思いました。
晴れていれば、高層ビル群がきれいに見えると思います。

次の写真は、さきほどの江戸城石垣の上から見えるそばに建つ建物です。
『桃華楽堂(とうかがくどう)』という名称の音楽堂だそうです。和風なつくりです。

珍しいなあと思ったので次の写真を撮りました。
梅の木ですが、ピンクとホワイトと、二種類の色の花が1本の樹木に咲いていました。
ほかにも、たくさん梅の木があって、満開のように花が咲いていました。
早咲きの桜(河津桜みたいな種類)もあって、外国人観光客の人たちが、それぞれ花々の前に並んで写真撮影を楽しんでおられました。

次の写真は、『二の丸庭園』の区域です。日本庭園になっていました。


次の写真の鯉は、番組、『出没!アド街ック天国』で紹介されていたのですが、上皇陛下の発案と研究で(かけ合わせで)生まれた、新種の鯉だそうです。ヒレが立派で長い。
日本産のニシキゴイとインドネシア産のヒレナガゴイをかけあわせてあると放送では説明がありました。

そのときは、黄金色のヒレナガニシキゴイが三匹いました。
外国人観光客たちが来ると、小さな橋の下あたりへと遠くからゆっくりと近寄ってきます。
人慣れしていて、観光客に近くで姿を見てくれという観光サービスみたいでした。
とてもきれいな体をしています。

滝のようになっている部分もあって、外国人観光客の人たちが、滝の前で記念写真を撮っておられました。

あとは、大奥があった場所とか、忠臣蔵の松の廊下があった場所などを見ましたが、今となっては、広っぱであり、小道になっていて、実感は湧きませんでした。
お天気が小雨で、傘をさしての観光でした。散策がしにくく、いまいちの状況だったので、お天気がいいときにまた訪れてみたい。
2025年03月21日
東京駒場公園(旧前田家本邸、日本近代文学館)と日本民藝館
東京駒場公園(旧前田家本邸、日本近代文学館)と日本民藝館の見学
東京大学駒場キャンパスのそばにある公園です。
昨秋テレ東の番組、『出没!アド街ック天国』で紹介されていました。
建物は、加賀百万石16代当主だった前田家の前田利為(まえだ・としなり。1942年(昭和17年)57歳ボルネオで戦死)侯爵の居宅跡で、洋館と和館(わかん)が立っていました。
あいにく、洋館は休館日でしたが、和館は見学可能でした。
『出没!アド街ック天国』では、出演者の山田五郎さんが、昔よくこちらの洋館に来ていたが、たいてい見学者は自分ひとりだけで、自分の家みたいな感覚があったとお話をされていました。
パンフレットの写真を見ていると、内部は、わたしが昨年秋に訪れた福岡市にある、『旧福岡県公会堂貴賓館』みたいな感じだと思いました。
ちょっとびっくりしたのは、以前鎌倉市にある、『鎌倉文学館』を見学したことがありますが、そちらは、前田家の別荘だったそうです。パンフレットにそう書いてありました。



次の写真は、洋館のお隣の敷地に建っている和館(わかん)です。
館内は静かでした。数人の見学者がおられました。年配の方たちでした。

部屋に入ると、なんとなく、武家屋敷の中にいるような雰囲気でした。

『欄間(らんま。部屋と部屋の間にある。天井の下。彫刻板になっている。採光と通風のためのもの)』がきれいでした。直線的な模様が珍しい。

和館のお庭には、石川県金沢兼六園にあるような、『雪づり』があり、いい雰囲気でした。
また、お庭には、青森の奥入瀬渓流を思わせるような、渓流部分がありました。福岡市にある東公園にも似たようなつくりの清流部分があります。

次の写真は、『日本近代文学館』です。
こちらの施設については、次の本で知りました。
『昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつはしゃ)』
210ページに、『「日本近代文学館」の地下室にて』という項目があります。
64ページあたり、146ページ、170ページにも日本近代文学館の記事があります。
1966年(昭和41年)開館です。
わたしが訪れたときには、2階にある展示室で、東日本大震災にちなんだ、『海、山、人、黙す(もだす。沈黙という意味)-震災と言葉』展という展示をしてありました。
1階にある閲覧室は、図書館みたいに事前登録が必要と聞いたので、観光客であるわたしたちは時間もそれほどなかったので見学はやめておきました。

駒場公園の南にある出口を出てしばらく西方向へ歩くと、『日本民藝館』がありました。
こちらの施設は次の本を読んで知りました。
『板上に咲く 原田マハ 幻冬舎』159ページに、日本民藝館の最初の収蔵品として、棟方志功氏の作品<大和し美し>を購入したいという話が出てきます。
木版画家棟方志功さんの作品を見たくて訪問しました。
棟方志功さんの妻チヤコさんの絵とか、ゴッホが描いたような棟方志功さん自身の自画像の絵、鯉・狐・カワウソの絵がありました。あと、眼鏡があったような気がするのですが、ちょっと記憶に自信がありません。
棟方志功さんの自画像の絵を観ていて、『ワぁ、ゴッホになる!』という棟方志功さんが17歳のときの言葉を思い出しました。ゴッホみたいなお顔をされた絵でした。
民藝館は、思想家の柳宗悦(やなぎ・むねよし)氏(1961年(昭和36年)72歳没)の企画で1936年(昭和11年)に開設されたとパンフレットにあります。
本では、民藝とは:日本全国に存在する無名の職人たちの手による日常の生活道具全般の総称と書いてあります。
鑑賞者には、外国人の方も多かった。日本文化に興味がある人たちなのでしょう。

東京大学駒場キャンパスのそばにある公園です。
昨秋テレ東の番組、『出没!アド街ック天国』で紹介されていました。
建物は、加賀百万石16代当主だった前田家の前田利為(まえだ・としなり。1942年(昭和17年)57歳ボルネオで戦死)侯爵の居宅跡で、洋館と和館(わかん)が立っていました。
あいにく、洋館は休館日でしたが、和館は見学可能でした。
『出没!アド街ック天国』では、出演者の山田五郎さんが、昔よくこちらの洋館に来ていたが、たいてい見学者は自分ひとりだけで、自分の家みたいな感覚があったとお話をされていました。
パンフレットの写真を見ていると、内部は、わたしが昨年秋に訪れた福岡市にある、『旧福岡県公会堂貴賓館』みたいな感じだと思いました。
ちょっとびっくりしたのは、以前鎌倉市にある、『鎌倉文学館』を見学したことがありますが、そちらは、前田家の別荘だったそうです。パンフレットにそう書いてありました。



次の写真は、洋館のお隣の敷地に建っている和館(わかん)です。
館内は静かでした。数人の見学者がおられました。年配の方たちでした。

部屋に入ると、なんとなく、武家屋敷の中にいるような雰囲気でした。

『欄間(らんま。部屋と部屋の間にある。天井の下。彫刻板になっている。採光と通風のためのもの)』がきれいでした。直線的な模様が珍しい。

和館のお庭には、石川県金沢兼六園にあるような、『雪づり』があり、いい雰囲気でした。
また、お庭には、青森の奥入瀬渓流を思わせるような、渓流部分がありました。福岡市にある東公園にも似たようなつくりの清流部分があります。

次の写真は、『日本近代文学館』です。
こちらの施設については、次の本で知りました。
『昔日の客(せきじつのきゃく) 関口良雄 夏葉社(なつはしゃ)』
210ページに、『「日本近代文学館」の地下室にて』という項目があります。
64ページあたり、146ページ、170ページにも日本近代文学館の記事があります。
1966年(昭和41年)開館です。
わたしが訪れたときには、2階にある展示室で、東日本大震災にちなんだ、『海、山、人、黙す(もだす。沈黙という意味)-震災と言葉』展という展示をしてありました。
1階にある閲覧室は、図書館みたいに事前登録が必要と聞いたので、観光客であるわたしたちは時間もそれほどなかったので見学はやめておきました。

駒場公園の南にある出口を出てしばらく西方向へ歩くと、『日本民藝館』がありました。
こちらの施設は次の本を読んで知りました。
『板上に咲く 原田マハ 幻冬舎』159ページに、日本民藝館の最初の収蔵品として、棟方志功氏の作品<大和し美し>を購入したいという話が出てきます。
木版画家棟方志功さんの作品を見たくて訪問しました。
棟方志功さんの妻チヤコさんの絵とか、ゴッホが描いたような棟方志功さん自身の自画像の絵、鯉・狐・カワウソの絵がありました。あと、眼鏡があったような気がするのですが、ちょっと記憶に自信がありません。
棟方志功さんの自画像の絵を観ていて、『ワぁ、ゴッホになる!』という棟方志功さんが17歳のときの言葉を思い出しました。ゴッホみたいなお顔をされた絵でした。
民藝館は、思想家の柳宗悦(やなぎ・むねよし)氏(1961年(昭和36年)72歳没)の企画で1936年(昭和11年)に開設されたとパンフレットにあります。
本では、民藝とは:日本全国に存在する無名の職人たちの手による日常の生活道具全般の総称と書いてあります。
鑑賞者には、外国人の方も多かった。日本文化に興味がある人たちなのでしょう。

2025年03月20日
東京大学駒場キャンパスでランチを食べる
東京大学駒場キャンパスでランチを食べる
なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(永田町。お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、農林水産省(霞ヶ関。クジラ料理の定食を注文して食べました)でランチをとりました。
昨年秋にテレビ東京の番組、『出没!アド街ック天国』で、東京大学駒場キャンパスの学食で食事ができることを知り今回チャレンジしてみました。
スマホカメラで写真撮影をするような雰囲気のところではなかったので、食事に関する写真はありません。
東大の学生さんに混じって、夫婦で、醤油ラーメンとカレーライスを食べました。おいしかったです。
男子学生のみなさんは、みな同じような雰囲気で、おとなしい感じがする、なんというか、あまり個性がない感じの男子学生諸君でした。東大パターンというものがあるのでしょう。女子学生さんも似たような感じでした。おとなしくて静かな感じです。
欧米の人たちであろう若い外国人女性たちは、留学生なのでしょう。
高齢者あるいは年配者の人たちは、教授とか准教授とか講師とか、先生なのでしょう。
食事をしたあと、お隣にあったカフェで、コーヒーとシュークリーム、ケーキのデザートなどを食べました。おいしかったです。
とてもきれいなカフェで、映画やドラマのロケ地としてつかえる場所だと思いました。おおぜいの学生さんや年配の人やら、外国の人やらがいますが、静かで穏やかな(おだやかな)雰囲気が流れていました。
もう半世紀ぐらい前、自分がとても若かったころに独身寮で生活していたのですが、4月に東大を出た人が入寮してきました。彼は、寮生が共用で利用していた二層式洗濯機の前で腕組みをしてじっと立ったまま考え込んでおられました。わたしよりも年上の男の人だったので、どうされましたか?と声をかけたら、『洗濯のやりかたがわからない』と返答があったので、ていねいに教えてあげました。東大生でも洗濯機の使い方がわからないんだと、不思議な気持ちでした。
同じ時期に、もうひとり、東大の人が入寮していて、翌年の冬、寮の有志数人で長野県にあるスキー場へスキーをしに行きました。その人は、スキーがへたくそなわたしに親切にしてくださったのでありがたかったです。
その後、その人は、国家公務員試験に合格して転職されました。勤務先が、博多になったので、近くに来たら寄ってちょうだいと言われましたが、それっきりになりました。
おふたりともまだ生きておられたら今はもう前期高齢者なかばの年齢になっておられます。
遠い昔に、そんなことがあったことを思い出しながら、あのおふたりも1・2年生の教養学部のときは、こちらのキャンパスで学ばれたのだろうと想像しながら、コーヒーを飲んで、シュークリームを食べて、カフェでしばしの時間を過ごしました。
キャンパス内にある建物の大半は古く感じました。
キャンパス内に生えている(はえている)樹木も老木が多い。
食事とコーヒータイムのあと、次の訪問目的地である、『日本近代文学館』の方向へ歩いていたら、とてもきれいな並木道がありました。太くて大きくて背の高い樹木は、地面に落ちている葉っぱで、イチョウの木だということがわかりましたが、今の季節はまだ春先で、すべての木は、葉っぱが一枚もなく、まるぼうずでした。
帰宅してからわかったのですが、秋になると黄金色(おうごんいろ)に美しく輝くという有名なイチョウ並木でした。
そこでの写真は遠慮なくとれたのでここに載せておきます。いい感じのイチョウ並木です。
右方向にはテニスコートと、ホッケーのコートがありました。
数人の学生さんたちがテニスをされていました。
キャンパス内には、運動クラブをPRする大きなポスターがけっこうたくさん掲示されていて、運動部がいろいろあることが意外でした。今春入学される1年生たちに入部の勧誘をされるのでしょう。

なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(永田町。お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、農林水産省(霞ヶ関。クジラ料理の定食を注文して食べました)でランチをとりました。
昨年秋にテレビ東京の番組、『出没!アド街ック天国』で、東京大学駒場キャンパスの学食で食事ができることを知り今回チャレンジしてみました。
スマホカメラで写真撮影をするような雰囲気のところではなかったので、食事に関する写真はありません。
東大の学生さんに混じって、夫婦で、醤油ラーメンとカレーライスを食べました。おいしかったです。
男子学生のみなさんは、みな同じような雰囲気で、おとなしい感じがする、なんというか、あまり個性がない感じの男子学生諸君でした。東大パターンというものがあるのでしょう。女子学生さんも似たような感じでした。おとなしくて静かな感じです。
欧米の人たちであろう若い外国人女性たちは、留学生なのでしょう。
高齢者あるいは年配者の人たちは、教授とか准教授とか講師とか、先生なのでしょう。
食事をしたあと、お隣にあったカフェで、コーヒーとシュークリーム、ケーキのデザートなどを食べました。おいしかったです。
とてもきれいなカフェで、映画やドラマのロケ地としてつかえる場所だと思いました。おおぜいの学生さんや年配の人やら、外国の人やらがいますが、静かで穏やかな(おだやかな)雰囲気が流れていました。
もう半世紀ぐらい前、自分がとても若かったころに独身寮で生活していたのですが、4月に東大を出た人が入寮してきました。彼は、寮生が共用で利用していた二層式洗濯機の前で腕組みをしてじっと立ったまま考え込んでおられました。わたしよりも年上の男の人だったので、どうされましたか?と声をかけたら、『洗濯のやりかたがわからない』と返答があったので、ていねいに教えてあげました。東大生でも洗濯機の使い方がわからないんだと、不思議な気持ちでした。
同じ時期に、もうひとり、東大の人が入寮していて、翌年の冬、寮の有志数人で長野県にあるスキー場へスキーをしに行きました。その人は、スキーがへたくそなわたしに親切にしてくださったのでありがたかったです。
その後、その人は、国家公務員試験に合格して転職されました。勤務先が、博多になったので、近くに来たら寄ってちょうだいと言われましたが、それっきりになりました。
おふたりともまだ生きておられたら今はもう前期高齢者なかばの年齢になっておられます。
遠い昔に、そんなことがあったことを思い出しながら、あのおふたりも1・2年生の教養学部のときは、こちらのキャンパスで学ばれたのだろうと想像しながら、コーヒーを飲んで、シュークリームを食べて、カフェでしばしの時間を過ごしました。
キャンパス内にある建物の大半は古く感じました。
キャンパス内に生えている(はえている)樹木も老木が多い。
食事とコーヒータイムのあと、次の訪問目的地である、『日本近代文学館』の方向へ歩いていたら、とてもきれいな並木道がありました。太くて大きくて背の高い樹木は、地面に落ちている葉っぱで、イチョウの木だということがわかりましたが、今の季節はまだ春先で、すべての木は、葉っぱが一枚もなく、まるぼうずでした。
帰宅してからわかったのですが、秋になると黄金色(おうごんいろ)に美しく輝くという有名なイチョウ並木でした。
そこでの写真は遠慮なくとれたのでここに載せておきます。いい感じのイチョウ並木です。
右方向にはテニスコートと、ホッケーのコートがありました。
数人の学生さんたちがテニスをされていました。
キャンパス内には、運動クラブをPRする大きなポスターがけっこうたくさん掲示されていて、運動部がいろいろあることが意外でした。今春入学される1年生たちに入部の勧誘をされるのでしょう。

2025年03月19日
東京日本橋三越本店にある屋上庭園
東京日本橋三越本店にある屋上庭園
前日掲載しましたが、日本銀行本店見学の集合時刻までにまだ時間があったので、日本銀行本店の近くにある日本橋三越本店の屋上庭園でしばし過ごしました。
きれいなところでした。すがすがしい。
いろいろな樹木がありました。
木の肌がつるつるな、『百日紅』(さるすべり)』の樹(き)が目立ちました。サルスベリの木は、ほんとうに、サルがつかまったらすべりそうな樹でした。写真は撮り忘れました。



神社があったので、お参りをしておきました。
宮城県仙台市に行ったときも、百貨店の屋上に神社がありました。
どうして、百貨店の屋上に神社を設置するのかはわかりません。
(その後、調べたら、店内事故防止の祈願(きがん。神仏に祈る)が目的だそうです。加えて、『商売繁盛』だそうです。なるほど)

前日掲載しましたが、日本銀行本店見学の集合時刻までにまだ時間があったので、日本銀行本店の近くにある日本橋三越本店の屋上庭園でしばし過ごしました。
きれいなところでした。すがすがしい。
いろいろな樹木がありました。
木の肌がつるつるな、『百日紅』(さるすべり)』の樹(き)が目立ちました。サルスベリの木は、ほんとうに、サルがつかまったらすべりそうな樹でした。写真は撮り忘れました。



神社があったので、お参りをしておきました。
宮城県仙台市に行ったときも、百貨店の屋上に神社がありました。
どうして、百貨店の屋上に神社を設置するのかはわかりません。
(その後、調べたら、店内事故防止の祈願(きがん。神仏に祈る)が目的だそうです。加えて、『商売繁盛』だそうです。なるほど)
