熊太郎の旅と映画と読書感想文
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ja
熊太郎
2007-05-07T11:32:08+09:00
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ホテルの朝食
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153373.html
ホテルの朝食 旅に出ると、ホテルで宿泊して、翌朝の朝食は、たいてい、好きなものをとりほうだいのバイキングです。 先日泊まったホテルはふだんとは異なる形式の朝食で、心に残ったのでここに記しておきます。 朝食は、チェックインのときに、800円の金券をもらって、ホテルの1階にあるホテルとは別会社のパン屋でパンを買って食べるのです。 最初は、なんだかなあという抵抗感があったのですが、なかなか良かったのです。 二泊しました。 初回は、勝手がわからず、パン屋の店内をウロウロして、パンを選ぶのに迷いました。 いろんなパンがあるのです。迷うのです。パンは焼き立てで、どれもおいしそうです。(パンをつくる人は、朝早くからお疲れさまです) 前日、ホテルに到着した時、パン屋は閉店一時間前ぐらいで、残っているパンの投げ売りみたいなことをやっていました。お客さんの姿がたくさんありました。かなり、価格を引いて販売されていました。パンが売れ残るのは、あと処理もしなければならないのでできるだけ売りたいのでしょう。 パン屋で、いろいろ迷いながらパンをいくつか選んで、飲み物はパックのオレンジジュースをトレイにのせて、会計を済ませました。800円では足りなかったので、200円ぐらい足しました。コーヒーは、紙コップをくれて、おかわりOKの飲み放題無料サービスでした。 なかなかいい。これで十分です。 通常のホテルのバイキングだと、朝食代は、けっこう高いです。だから、無理して、たくさん食べてしまいます。もとを取り戻したい。 パンなら、持ち帰りもできます。あとからおやつで食べることができます。 二日目の朝です。慣れたので、パン屋に行く前にきょうはあれとこれと、と食べたいパンの予定をたてて自分なりの朝食プランをつくります。 されど、きのうあったパンが、きょうはない。あるいは、あったのかもしれないが、自分がパン屋に行く前に先客に買われて、売り切れてしまった。ちょっとがっかりです。 パンを食べる場所でいろいろと驚かされました。 パン売り場の隣が広い空間の部屋になっていて、自由席で朝食を食べることができるスペースになっています。フードコートのようなものなのですが、テーブルとイスがバラバラにたくさん配置されてあるわけではなく、12人がけのとても長いテーブルが4本、テーブルの幅は広く、一枚板のテーブルでした。全体で、50人ぐらいが座ることができる空間です。 イスが並べてあって、朝食は、どこのだれだかわからない他人さんと隣り合わせで同席するような位置取りで食べることになります。 二日目の朝にひっくりかえるほどびっくりしたのが、生まれたばかりではないかと思うような赤ちゃんがいたのです。家族連れで、よーく見ると、生まれてそれほど日にちがたっていないようなあかちゃんで、ひいき目に見ても生まれて1か月もたっていないように見えました。 人数の多いご家族で、そばには、あかちゃんの姉と思われる女児と兄と思われる男児、それからご両親とおじいちゃんおばあちゃんもおられるようすでした。あかちゃんは、3人目のお子さんでしょう。 そうなのか、そうでないのかはわかりませんが、ホテルのそばに大きな総合病院があり、そこで誕生されたあかちゃんをみんなで迎えに来られたのかもしれないと推理しました。 ちょっと席が離れていたので、声をかけることはできませんでした。移動手段は車のようなごようすでした。 なにせ、朝食場所にいるお客さんの年齢層の幅が広いのです。就学前のちびっこがたくさんいました。さきほどの生まれたてのようなあかちゃんから、もうすぐお迎えがきそうな超高齢者(90歳近くに見えました)までが、いろんな世代でごちゃごちゃとしながらパン食の朝食を召し上がっておられるのです。 ざわざわと雑談がBGM(バックグラウンドミュージック)になって、なんだか、あったかい雰囲気がただよっていて、いい感じでした。 江戸時代の宿場町での旅籠(はたご。宿泊施設)の朝は、こんな感じだったのではないかと思いを巡らせました。 思うに、ホテルと道を隔てたところに大きな総合病院があり、その病院がらみのお客さんたちが宿泊しているのではなかろうか。さきほどのあかちゃんもそうですが、入退院がらみの高齢者の人たちとかご家族、それから、病院で働いている人たちも関係しているかもしれません。 付け加えて、皆さんの服装が『普段着』なのです。近所の人たちが、散歩の途中でここに立ち寄ってパンを食べていますという雰囲気なのです。落ち着きました。きどった人もいないし、企業戦士のスーツを着たビジネスマンもいません。 かなり高齢なおばあさんがひとり、巨大な宝石の石が付いた指輪をふたつ指にはめておられましたが、なんというか、そのへんの駄菓子屋さんで買ったようなおもちゃの指輪で、見ていて、心豊かになれるような感じを受けました。ユーモアと人のぬくもりがあります。 朝食だけではなくて、夕食についても書いてみます。 ホテルに夕食をとれるところはなく、周囲に、前日の夜近所をうろうろしてみましたが、食事ができるお店はあるようでなく、ほかのお客さん、仕事の出張で来ているらしきサラリーマンの男性たちは、『ほっともっと』でお弁当を買われていました。ポリ袋にお弁当を入れて歩いている人を見かけます。ホテルの部屋で食べるのでしょう。 わたしたち夫婦は、地元の大きなスーパーマーケットで、やきそばとか唐揚げを買って帰って部屋で食べました。 翌日の夜は、同じスーパーマーケットで、お寿司を買ってホテルに帰って部屋で食べました。 それでいいと思います。気楽が一番です。
ホテルの朝食
旅に出ると、ホテルで宿泊して、翌朝の朝食は、たいてい、好きなものをとりほうだいのバイキングです。
先日泊まったホテルはふだんとは異なる形式の朝食で、心に残ったのでここに記しておきます。
朝食は、チェックインのときに、800円の金券をもらって、ホテルの1階にあるホテルとは別会社のパン屋でパンを買って食べるのです。
最初は、なんだかなあという抵抗感があったのですが、なかなか良かったのです。
二泊しました。
初回は、勝手がわからず、パン屋の店内をウロウロして、パンを選ぶのに迷いました。
いろんなパンがあるのです。迷うのです。パンは焼き立てで、どれもおいしそうです。(パンをつくる人は、朝早くからお疲れさまです)
前日、ホテルに到着した時、パン屋は閉店一時間前ぐらいで、残っているパンの投げ売りみたいなことをやっていました。お客さんの姿がたくさんありました。かなり、価格を引いて販売されていました。パンが売れ残るのは、あと処理もしなければならないのでできるだけ売りたいのでしょう。
パン屋で、いろいろ迷いながらパンをいくつか選んで、飲み物はパックのオレンジジュースをトレイにのせて、会計を済ませました。800円では足りなかったので、200円ぐらい足しました。コーヒーは、紙コップをくれて、おかわりOKの飲み放題無料サービスでした。
なかなかいい。これで十分です。
通常のホテルのバイキングだと、朝食代は、けっこう高いです。だから、無理して、たくさん食べてしまいます。もとを取り戻したい。
パンなら、持ち帰りもできます。あとからおやつで食べることができます。
二日目の朝です。慣れたので、パン屋に行く前にきょうはあれとこれと、と食べたいパンの予定をたてて自分なりの朝食プランをつくります。
されど、きのうあったパンが、きょうはない。あるいは、あったのかもしれないが、自分がパン屋に行く前に先客に買われて、売り切れてしまった。ちょっとがっかりです。
パンを食べる場所でいろいろと驚かされました。
パン売り場の隣が広い空間の部屋になっていて、自由席で朝食を食べることができるスペースになっています。フードコートのようなものなのですが、テーブルとイスがバラバラにたくさん配置されてあるわけではなく、12人がけのとても長いテーブルが4本、テーブルの幅は広く、一枚板のテーブルでした。全体で、50人ぐらいが座ることができる空間です。
イスが並べてあって、朝食は、どこのだれだかわからない他人さんと隣り合わせで同席するような位置取りで食べることになります。
二日目の朝にひっくりかえるほどびっくりしたのが、生まれたばかりではないかと思うような赤ちゃんがいたのです。家族連れで、よーく見ると、生まれてそれほど日にちがたっていないようなあかちゃんで、ひいき目に見ても生まれて1か月もたっていないように見えました。
人数の多いご家族で、そばには、あかちゃんの姉と思われる女児と兄と思われる男児、それからご両親とおじいちゃんおばあちゃんもおられるようすでした。あかちゃんは、3人目のお子さんでしょう。
そうなのか、そうでないのかはわかりませんが、ホテルのそばに大きな総合病院があり、そこで誕生されたあかちゃんをみんなで迎えに来られたのかもしれないと推理しました。
ちょっと席が離れていたので、声をかけることはできませんでした。移動手段は車のようなごようすでした。
なにせ、朝食場所にいるお客さんの年齢層の幅が広いのです。就学前のちびっこがたくさんいました。さきほどの生まれたてのようなあかちゃんから、もうすぐお迎えがきそうな超高齢者(90歳近くに見えました)までが、いろんな世代でごちゃごちゃとしながらパン食の朝食を召し上がっておられるのです。
ざわざわと雑談がBGM(バックグラウンドミュージック)になって、なんだか、あったかい雰囲気がただよっていて、いい感じでした。
江戸時代の宿場町での旅籠(はたご。宿泊施設)の朝は、こんな感じだったのではないかと思いを巡らせました。
思うに、ホテルと道を隔てたところに大きな総合病院があり、その病院がらみのお客さんたちが宿泊しているのではなかろうか。さきほどのあかちゃんもそうですが、入退院がらみの高齢者の人たちとかご家族、それから、病院で働いている人たちも関係しているかもしれません。
付け加えて、皆さんの服装が『普段着』なのです。近所の人たちが、散歩の途中でここに立ち寄ってパンを食べていますという雰囲気なのです。落ち着きました。きどった人もいないし、企業戦士のスーツを着たビジネスマンもいません。
かなり高齢なおばあさんがひとり、巨大な宝石の石が付いた指輪をふたつ指にはめておられましたが、なんというか、そのへんの駄菓子屋さんで買ったようなおもちゃの指輪で、見ていて、心豊かになれるような感じを受けました。ユーモアと人のぬくもりがあります。
朝食だけではなくて、夕食についても書いてみます。
ホテルに夕食をとれるところはなく、周囲に、前日の夜近所をうろうろしてみましたが、食事ができるお店はあるようでなく、ほかのお客さん、仕事の出張で来ているらしきサラリーマンの男性たちは、『ほっともっと』でお弁当を買われていました。ポリ袋にお弁当を入れて歩いている人を見かけます。ホテルの部屋で食べるのでしょう。
わたしたち夫婦は、地元の大きなスーパーマーケットで、やきそばとか唐揚げを買って帰って部屋で食べました。
翌日の夜は、同じスーパーマーケットで、お寿司を買ってホテルに帰って部屋で食べました。
それでいいと思います。気楽が一番です。]]>
福岡県
熊太郎
2023-12-21T07:26:31+09:00
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まちなかイルミネーション
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153364.html
まちなかイルミネーション 鹿児島県からの帰路に立ち寄った福岡県内で撮影しました。 いなかゆえに、人が少なかった。 いくつかの若い人たちのグループが散策をしていました。 『こんばんわ』と声をかけると、いやいやながらにも『こんばんわ』の返事が返ってきました。 時のあいさつから始まる人と人とのコミュニケーションは、人間関係づくりの定番です。 『こんばんわ。きれいですね』『こんばんわ。寒いですね』
まちなかイルミネーション
鹿児島県からの帰路に立ち寄った福岡県内で撮影しました。
いなかゆえに、人が少なかった。
いくつかの若い人たちのグループが散策をしていました。
『こんばんわ』と声をかけると、いやいやながらにも『こんばんわ』の返事が返ってきました。
時のあいさつから始まる人と人とのコミュニケーションは、人間関係づくりの定番です。
『こんばんわ。きれいですね』『こんばんわ。寒いですね』]]>
福岡県
熊太郎
2023-12-20T07:59:51+09:00
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福岡県博多櫛田神社(はかた・くしだじんしゃ)
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e150735.html
福岡県博多櫛田神社(はかた・くしだじんしゃ) 前回訪れたのは、たぶんもう二十年以上前のことです。 もう記憶が薄らいでいます。 そのときは、境内(けいだい)に大相撲の力士が持ち上げたというような大きな石がありました。 横綱・大関の名前が表示してあった記憶です。 いい雰囲気でした。 外国からのお客さんの姿も目立ちます。 お着物姿の日本人女性も多い。 屋根の下に『風神・雷神さま』がおられます。 次におられますのが『雷神さま』です。 正面に向かって、左側におられます。 正面に向かって右側におられるのが『風神さま』です。 雷神に向かって、『あっかんべー』をしているそうです。 雷神が暴風雨を起こそうぜと風神を誘っているのですが、風神は『やーだよ』と意思表示をしているそうです。人間関係といっしょで、神さま関係にもいろいろあるごようすです。 お祭り(博多山笠)の飾りです。 二十年以上前に来たときの飾りは『決闘巌流島(がんりゅうじま)』でした。 宮本武蔵と佐々木小次郎による巌流島の決闘シーンでした。 今回は、次の写真が『義経千本桜』です。 そして、もうひとつありました。 次の写真は『怪童金太郎』です。 写真撮影はにがてで、へたくそなので、わかりにくくてすいません。 もっと近づけばよかった。 お馬さんの銅像です。 牛さんの銅像です。 写真をながめていたら思い出したことがあります。 たしか、滋賀県比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の入口付近にも牛さんの像がありました。 お寺さんと牛って関係があるのでしょうなあ。 近くにあった『博多町屋ふるさと館』に入って、ゆっくり見学させてもらいました。 博多山笠のようすについて、メガネのようなゴーグルをかけて映像を見ました。また、スクリーンの映像も見ました。博多弁講座とか、昔の生活をのぞくようなところもありました。 展示の入口付近に年表がありました。 たまたま前日に、福岡県飯塚市にある歴史資料館を見学したのですが、同館と同様に『西暦57年 魏志倭人伝(ぎしわじんでん。奴国(なこく。日本)が後漢に使いを送る。後漢が奴国に「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)という金印を贈る(福岡県志賀島(しかのしま)で発見』とか『西暦239年 卑弥呼が(ひみこが)魏(ぎ)に使いを送る。魏志倭人伝(ぎしわじんでん。魏志倭人伝は、読んだことがありますが、意外に長い文章だったので驚きました)』のことが書いてあり縁を感じました。福岡県は海を越えた大陸と交流がある古代からの歴史がある地域です。 櫛田神社を見学したあと、おなかがすいていたので、近くのうどん屋で定食を食べました。 そのあと、博多駅まで歩いて、列車内での夕食代わりの駅弁を買って、新幹線に乗りました。 博多駅は、ものすごい人出で驚きました。 去年の晩秋に、宮城県を旅行したのですが、東北の大都会である仙台市仙台駅周辺での人の多さに驚きましたが、九州の都である博多駅はさらに人が多い。 されど、この日、新幹線で下車した名古屋駅は、夜7時半ごろでしたが、博多駅よりももっと人が多かった。びっくりしました。 これだけおおぜいの人が動いているということは、たくさんのお金が動いているということです。 なんだかんだといいながらも、日本の経済力のパワーは強い。 駅ごとに人の雰囲気が異なります。名古屋駅は、人は多いけれど地味です。みんなが同じような雰囲気で淡々と移動しています。まあ、車の街ですから、個性的な人は、車で移動をしている人が多いこともあるのでしょう。 いっぽう、博多駅を流れていく人たちには、勢いがあります。 個々が、文化的な雰囲気をまとっておられます。 『華(はな)』があります。 スポーツ選手とかタレントさんみたいな人もいます。 ファッショナブル(おしゃれ)であったり、国際的であったりもします。 ここにいるとなにか楽しいことがありそうだという期待感があるのが博多駅です。(その後の追記 博多べい) 写真を整理していたら櫛田神社の境内(けいだい)にあった写真で『博多べい』が出てきたので追加することにしました。 豊臣秀吉の意向で、黒田官兵衛と石田三成が博多にこの塀をつくったそうです。 写真を見て、愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮に『信長塀(のぶながべい)』という塀があることを思い出したのです。 織田信長は、今川義元との桶狭間の合戦(おけはざまのかっせん)の前に、熱田神宮で勝利祈願をしています。祈願どおり勝利がかなったので、お礼として熱田神宮に『塀』を寄進したのです。 そのことを思い出して、戦国時代の武将たちにとって『塀』というのは、ずいぶん思い入れがある物体だったのだなと妙な解釈をした次第です。
福岡県博多櫛田神社(はかた・くしだじんしゃ)
前回訪れたのは、たぶんもう二十年以上前のことです。
もう記憶が薄らいでいます。
そのときは、境内(けいだい)に大相撲の力士が持ち上げたというような大きな石がありました。
横綱・大関の名前が表示してあった記憶です。
いい雰囲気でした。
外国からのお客さんの姿も目立ちます。
お着物姿の日本人女性も多い。
屋根の下に『風神・雷神さま』がおられます。
次におられますのが『雷神さま』です。
正面に向かって、左側におられます。
正面に向かって右側におられるのが『風神さま』です。
雷神に向かって、『あっかんべー』をしているそうです。
雷神が暴風雨を起こそうぜと風神を誘っているのですが、風神は『やーだよ』と意思表示をしているそうです。人間関係といっしょで、神さま関係にもいろいろあるごようすです。
お祭り(博多山笠)の飾りです。
二十年以上前に来たときの飾りは『決闘巌流島(がんりゅうじま)』でした。
宮本武蔵と佐々木小次郎による巌流島の決闘シーンでした。
今回は、次の写真が『義経千本桜』です。
そして、もうひとつありました。
次の写真は『怪童金太郎』です。
写真撮影はにがてで、へたくそなので、わかりにくくてすいません。
もっと近づけばよかった。
お馬さんの銅像です。
牛さんの銅像です。
写真をながめていたら思い出したことがあります。
たしか、滋賀県比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の入口付近にも牛さんの像がありました。
お寺さんと牛って関係があるのでしょうなあ。
近くにあった『博多町屋ふるさと館』に入って、ゆっくり見学させてもらいました。
博多山笠のようすについて、メガネのようなゴーグルをかけて映像を見ました。また、スクリーンの映像も見ました。博多弁講座とか、昔の生活をのぞくようなところもありました。
展示の入口付近に年表がありました。
たまたま前日に、福岡県飯塚市にある歴史資料館を見学したのですが、同館と同様に『西暦57年 魏志倭人伝(ぎしわじんでん。奴国(なこく。日本)が後漢に使いを送る。後漢が奴国に「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)という金印を贈る(福岡県志賀島(しかのしま)で発見』とか『西暦239年 卑弥呼が(ひみこが)魏(ぎ)に使いを送る。魏志倭人伝(ぎしわじんでん。魏志倭人伝は、読んだことがありますが、意外に長い文章だったので驚きました)』のことが書いてあり縁を感じました。福岡県は海を越えた大陸と交流がある古代からの歴史がある地域です。
櫛田神社を見学したあと、おなかがすいていたので、近くのうどん屋で定食を食べました。
そのあと、博多駅まで歩いて、列車内での夕食代わりの駅弁を買って、新幹線に乗りました。
博多駅は、ものすごい人出で驚きました。
去年の晩秋に、宮城県を旅行したのですが、東北の大都会である仙台市仙台駅周辺での人の多さに驚きましたが、九州の都である博多駅はさらに人が多い。
されど、この日、新幹線で下車した名古屋駅は、夜7時半ごろでしたが、博多駅よりももっと人が多かった。びっくりしました。
これだけおおぜいの人が動いているということは、たくさんのお金が動いているということです。
なんだかんだといいながらも、日本の経済力のパワーは強い。
駅ごとに人の雰囲気が異なります。名古屋駅は、人は多いけれど地味です。みんなが同じような雰囲気で淡々と移動しています。まあ、車の街ですから、個性的な人は、車で移動をしている人が多いこともあるのでしょう。
いっぽう、博多駅を流れていく人たちには、勢いがあります。
個々が、文化的な雰囲気をまとっておられます。
『華(はな)』があります。
スポーツ選手とかタレントさんみたいな人もいます。
ファッショナブル(おしゃれ)であったり、国際的であったりもします。
ここにいるとなにか楽しいことがありそうだという期待感があるのが博多駅です。
(その後の追記 博多べい)
写真を整理していたら櫛田神社の境内(けいだい)にあった写真で『博多べい』が出てきたので追加することにしました。
豊臣秀吉の意向で、黒田官兵衛と石田三成が博多にこの塀をつくったそうです。
写真を見て、愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮に『信長塀(のぶながべい)』という塀があることを思い出したのです。
織田信長は、今川義元との桶狭間の合戦(おけはざまのかっせん)の前に、熱田神宮で勝利祈願をしています。祈願どおり勝利がかなったので、お礼として熱田神宮に『塀』を寄進したのです。
そのことを思い出して、戦国時代の武将たちにとって『塀』というのは、ずいぶん思い入れがある物体だったのだなと妙な解釈をした次第です。
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福岡県
熊太郎
2023-03-09T06:59:58+09:00
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福岡大仏(博多 東長寺(とうちょうじ))
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e150717.html
福岡大仏(博多 東長寺(とうちょうじ)) 愛知県に帰るために予約した新幹線の発車時刻待ちまでの数時間を利用して、夫婦ふたりで、櫛田神社(くしだじんじゃ)の見学に向かいました。 櫛田神社は、博多駅から歩いて行けるところなので、夫婦二人で道路を歩いていました。 途中、先日(1月16日)、ストーカー殺人事件があった路上の横を通りました。慰霊のための花束がいくつか置かれていました。痛ましい事件でした。 博多駅前近くの、こんなに車や人通りが多い場所で、午後6時頃という仕事を終えた通勤ラッシュ時間帯に、なぜという不思議な思いがこみあげました。 加害者は、脳みそがなにかに支配されていて、正常に自分の意思をコントロールできなくなっていたのでしょう。 生まれつき脳みそに正常ではない部分があったのか、それとも、成育歴において、脳みその一部がうまく生育できなかったのかわかりませんが、小さいころに絵本の読み聞かせをしっかりやってもらっていれば、救われたかもしれないのにと、残念でなりません。被害者の方はお気の毒でした。ご遺族も無念でならないと思います。 そのあと、櫛田神社(くしだじんじゃ)を目指して歩いていましたが、途中で、立派な武家屋敷みたいな建物が見えて、体が自然とそちらへ引かれて行きました。(なんだろう。見てみたい) 『東長寺(とうちょうじ)』というお寺さんでした。福岡大仏という大仏さんがおられるそうです。 黒田家という文字を見て、去年読んだ本を思い出しました。福岡黒田藩の藩祖となる黒田官兵衛(くろだかんべえ)が登場します。『黒牢城(こくろうじょう) 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 角川書店』 荒木村重(あらき・むらしげ):織田信長の部下。1578年に摂津有岡城(ありおかじょう。兵庫県伊丹市)にこもって、織田信長に反発した。 荒木村重と黒田官兵衛がからんだ物語でした。 人はいかに生きるのか。人生哲学がありました。荒木村重に捕らえられた黒田官兵衛が自分を殺せと荒木村重に訴えるのですが、荒木村重は黒田官兵衛を殺しません。『生きる』。生きていたからこその、その後の福岡黒田藩の存在があります。 あいにく福岡大仏の写真はありませんが、次の写真のレンガ色の建物の中に安置されていました。 大仏さんにお参りをしたあと、大仏の足もとのまわりをぐるっと回る『地獄めぐり』というものを体験しました。 数日前に、大分県別府市内で、温泉の地獄めぐりを体験したばかりだったので、博多に来てまた「地獄めぐり」で縁を感じました。 大仏さんの地獄めぐりは、真っ暗で何も見えない部分を、左にある手すりにつかまって、右手で右側にある壁に触れながら少しずつ前進するという、けっこう不安で、怖い思いをしました。 気が弱い人やこどもさんだとパニックになるかもしれません。 人間はどうして「地獄」が好きなのだろう。 明るい場所に出てきて、そんなことを思いつきました。 境内(けいだい)にある五重塔(ごじゅうのとう)が立派です。 梅の花がとてもきれいでした。 若い外国人カップルの見学者が多いなと感じました。アジアの人もいましたし、西欧の人もいました。 梅の花がきれいなので、男性がモデルさんを撮影するように、梅の花といっしょに、彼女さんを撮影されていました。 春が少しずつ近づいてきています。(訪問は、二月下旬のことでした)
福岡大仏(博多 東長寺(とうちょうじ))
愛知県に帰るために予約した新幹線の発車時刻待ちまでの数時間を利用して、夫婦ふたりで、櫛田神社(くしだじんじゃ)の見学に向かいました。
櫛田神社は、博多駅から歩いて行けるところなので、夫婦二人で道路を歩いていました。
途中、先日(1月16日)、ストーカー殺人事件があった路上の横を通りました。慰霊のための花束がいくつか置かれていました。痛ましい事件でした。
博多駅前近くの、こんなに車や人通りが多い場所で、午後6時頃という仕事を終えた通勤ラッシュ時間帯に、なぜという不思議な思いがこみあげました。
加害者は、脳みそがなにかに支配されていて、正常に自分の意思をコントロールできなくなっていたのでしょう。
生まれつき脳みそに正常ではない部分があったのか、それとも、成育歴において、脳みその一部がうまく生育できなかったのかわかりませんが、小さいころに絵本の読み聞かせをしっかりやってもらっていれば、救われたかもしれないのにと、残念でなりません。被害者の方はお気の毒でした。ご遺族も無念でならないと思います。
そのあと、櫛田神社(くしだじんじゃ)を目指して歩いていましたが、途中で、立派な武家屋敷みたいな建物が見えて、体が自然とそちらへ引かれて行きました。(なんだろう。見てみたい)
『東長寺(とうちょうじ)』というお寺さんでした。福岡大仏という大仏さんがおられるそうです。
黒田家という文字を見て、去年読んだ本を思い出しました。福岡黒田藩の藩祖となる黒田官兵衛(くろだかんべえ)が登場します。
『黒牢城(こくろうじょう) 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 角川書店』
荒木村重(あらき・むらしげ):織田信長の部下。1578年に摂津有岡城(ありおかじょう。兵庫県伊丹市)にこもって、織田信長に反発した。
荒木村重と黒田官兵衛がからんだ物語でした。
人はいかに生きるのか。人生哲学がありました。荒木村重に捕らえられた黒田官兵衛が自分を殺せと荒木村重に訴えるのですが、荒木村重は黒田官兵衛を殺しません。『生きる』。生きていたからこその、その後の福岡黒田藩の存在があります。
あいにく福岡大仏の写真はありませんが、次の写真のレンガ色の建物の中に安置されていました。
大仏さんにお参りをしたあと、大仏の足もとのまわりをぐるっと回る『地獄めぐり』というものを体験しました。
数日前に、大分県別府市内で、温泉の地獄めぐりを体験したばかりだったので、博多に来てまた「地獄めぐり」で縁を感じました。
大仏さんの地獄めぐりは、真っ暗で何も見えない部分を、左にある手すりにつかまって、右手で右側にある壁に触れながら少しずつ前進するという、けっこう不安で、怖い思いをしました。
気が弱い人やこどもさんだとパニックになるかもしれません。
人間はどうして「地獄」が好きなのだろう。
明るい場所に出てきて、そんなことを思いつきました。
境内(けいだい)にある五重塔(ごじゅうのとう)が立派です。
梅の花がとてもきれいでした。
若い外国人カップルの見学者が多いなと感じました。アジアの人もいましたし、西欧の人もいました。
梅の花がきれいなので、男性がモデルさんを撮影するように、梅の花といっしょに、彼女さんを撮影されていました。
春が少しずつ近づいてきています。(訪問は、二月下旬のことでした)]]>
福岡県
熊太郎
2023-03-07T09:20:59+09:00
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駅中(えきなか)での、ひな人形展示
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e150683.html
駅中(えきなか)での、ひな人形展示 別府温泉地獄めぐりを楽しんだあと、親戚に会うために福岡県内に移動しました。 特急ソニックに乗って、北九州市内の駅で乗り換えました。『折尾駅』でした。とてもきれいな駅でした。まだできて新しいようです。もうずいぶん前のことで記憶が定かではないのですが、昔の折尾駅は、複雑で、当然古く、広かったような覚えです。地域の関係者の方々は、相当努力されて、改築されたようです。気持ちがいいぐらいきれいな駅でした。 途中の直方駅(のおがたえき)で、もう一度乗り換えをして『新飯塚駅』に着きました。 折尾駅から、昔で言うところの養護学校の中学校の生徒さんたちが、先生を含めて十人ぐらいの集団で同じ車両に乗り込んでこられました。いい雰囲気でした。なんというか、資本主義、民主主義の世界だと、意見がふたつに割れて『自分たちとあいつら』とか、利潤の追求のための『競争第一主義、成果第一主義』とか、ぎすぎすした空気の中で働いて生活している実感があります。 電車の中で、生徒さんたちのやりとりをみていると、競争しなくていい。ありのままでいいという人間らしい暮らしの風景があります。車窓の外に見えるいなか風景も車内の雰囲気に合っていて、ほっとできました。 下車した新飯塚駅の構内にひな人形が展示されていたので写真を撮りました。 なかなか上手にお人形さんを並べてありました。 ホームとホームをつなぐ、空中に浮かぶ橋のような部分の自由通路に飾ってありました。(駅構内の跨線橋(こせんきょう)という部分です) 駅の近くに『飯塚市歴史資料館』という展示施設があったので中に入って見学しました。 弥生時代ぐらいからの石器や青銅器等の展示や古墳のことがらなどが充実していました。 このあたりは、古代からの長い歴史がある地域で、一時期栄えた炭鉱の歴史は、江戸時代以降150年間ぐらいの長さしかなかったのだなあと年表をながめながら考察しました。 資料館の中にある広い部屋でもたくさんのおひな様飾りのお人形が展示されていました。圧倒されました。たいしたものです。 今日はもう3月4日(土)なので、3月3日のひな祭りの日を過ぎてしまいましたが、遅ればせながらご紹介しておきます。資料館では、3月21日(火)まで展示されているそうです。 資料館を出たあと、これまた歩いて行ける距離に、元総理の実家があるので見学に行きました。ネットの情報だと、春と秋に一般公開があるということでした。春はひな人形の展示がメイン、秋は紅葉が美しいそうです。 建物は、現在は一族の関連会社が管理されているそうです。総理になられたご本人は、小学校三年生ぐらいまでこちらの家にいて、東京へ行かれたそうです。昭和23年ぐらいのころです。(1948年) 麻生大浦荘(あそうおおうらそう)というところです。林に囲まれた小高い里山の中にありました。ただし、今春の一般公開はなかったようでひっそりした雰囲気だったので引き返しました。(追記:2023年5月15日) ニュースを見ていたら、将棋の藤井聡太竜王が、次回の対局(名人戦七番勝負第4局)を自分たち夫婦がこの時見に行った『麻生大浦荘』で、5月21日と22日に渡辺明名人と行うと知り縁を感じました。藤井君は愛知県瀬戸市出身であり身近に感じるので親近感があります。
駅中(えきなか)での、ひな人形展示
別府温泉地獄めぐりを楽しんだあと、親戚に会うために福岡県内に移動しました。
特急ソニックに乗って、北九州市内の駅で乗り換えました。『折尾駅』でした。とてもきれいな駅でした。まだできて新しいようです。もうずいぶん前のことで記憶が定かではないのですが、昔の折尾駅は、複雑で、当然古く、広かったような覚えです。地域の関係者の方々は、相当努力されて、改築されたようです。気持ちがいいぐらいきれいな駅でした。
途中の直方駅(のおがたえき)で、もう一度乗り換えをして『新飯塚駅』に着きました。
折尾駅から、昔で言うところの養護学校の中学校の生徒さんたちが、先生を含めて十人ぐらいの集団で同じ車両に乗り込んでこられました。いい雰囲気でした。なんというか、資本主義、民主主義の世界だと、意見がふたつに割れて『自分たちとあいつら』とか、利潤の追求のための『競争第一主義、成果第一主義』とか、ぎすぎすした空気の中で働いて生活している実感があります。
電車の中で、生徒さんたちのやりとりをみていると、競争しなくていい。ありのままでいいという人間らしい暮らしの風景があります。車窓の外に見えるいなか風景も車内の雰囲気に合っていて、ほっとできました。
下車した新飯塚駅の構内にひな人形が展示されていたので写真を撮りました。
なかなか上手にお人形さんを並べてありました。
ホームとホームをつなぐ、空中に浮かぶ橋のような部分の自由通路に飾ってありました。(駅構内の跨線橋(こせんきょう)という部分です)
駅の近くに『飯塚市歴史資料館』という展示施設があったので中に入って見学しました。
弥生時代ぐらいからの石器や青銅器等の展示や古墳のことがらなどが充実していました。
このあたりは、古代からの長い歴史がある地域で、一時期栄えた炭鉱の歴史は、江戸時代以降150年間ぐらいの長さしかなかったのだなあと年表をながめながら考察しました。
資料館の中にある広い部屋でもたくさんのおひな様飾りのお人形が展示されていました。圧倒されました。たいしたものです。
今日はもう3月4日(土)なので、3月3日のひな祭りの日を過ぎてしまいましたが、遅ればせながらご紹介しておきます。資料館では、3月21日(火)まで展示されているそうです。
資料館を出たあと、これまた歩いて行ける距離に、元総理の実家があるので見学に行きました。ネットの情報だと、春と秋に一般公開があるということでした。春はひな人形の展示がメイン、秋は紅葉が美しいそうです。
建物は、現在は一族の関連会社が管理されているそうです。総理になられたご本人は、小学校三年生ぐらいまでこちらの家にいて、東京へ行かれたそうです。昭和23年ぐらいのころです。(1948年)
麻生大浦荘(あそうおおうらそう)というところです。林に囲まれた小高い里山の中にありました。ただし、今春の一般公開はなかったようでひっそりした雰囲気だったので引き返しました。
(追記:2023年5月15日)
ニュースを見ていたら、将棋の藤井聡太竜王が、次回の対局(名人戦七番勝負第4局)を自分たち夫婦がこの時見に行った『麻生大浦荘』で、5月21日と22日に渡辺明名人と行うと知り縁を感じました。藤井君は愛知県瀬戸市出身であり身近に感じるので親近感があります。]]>
福岡県
熊太郎
2023-03-04T10:39:06+09:00
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夕日は沈み 朝日は昇る 撮影地 福岡県内
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e149248.html
夕日は沈み 朝日は昇る 撮影地 福岡県内 2022年10月 用事があって九州まで夫婦で行ってきました。 夕映えがきれいでした。遠賀川(おんががわ。下流に向かっての右岸道路を走る車の中から撮影しました。ちょっと車の中からの反射があります)沿いの光景です。 紅色(くれないいろ)の空のショーが始まりました。 次の写真は、翌朝の東方向です。日の出です。この地域は、朝もやが出ることが自然の特徴です。地域全体を囲む(かこむ)山の中腹が白くかすんでいます。 さきほどの朝日が照らす西側方向です。山並みの向こうが福岡市方向です。 この日は、お墓参りをしたあと『伊藤伝右衛門邸(いとう・でんえもん邸)』を見学しました。大きなお屋敷でした。前回見学したのは、2015年10月で、そのときは、次の予定があったので、かけあしでのあわてた見学でした。今回は、ゆっくり見学できました。 見学者は、自分たちと同じような年配の夫婦をちらほら見かけました。前回見学したときは、NHKの朝ドラが放映されたころだったので、見学者がたくさんおられました。 伊藤伝右衛門:1861年(江戸時代)-1947年(昭和22年)86歳没。炭鉱事業経営の実業家。2番目の妻が、柳原樺子(やなぎはら・あきこ。華族(貴族階級)。婚姻期間1911年(明治44年)-1921年(大正10年)歌人。筆名:柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん)) 柳原白蓮:1885年(明治18年)-1967年(昭和42年)81歳没。26歳の時に50歳の伊藤伝衛門と結婚した。1921年(大正10年)白蓮事件。柳原白蓮は、駆け落ちをした。 花子とアン:2014年上半期NHK朝ドラ。「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子の半生。村岡花子の大親友が、柳原白蓮。(新幹線) 博多行きは、岡山駅で降りる人が多かった。 広島駅で大部分の人たちが降りて行って、自分たち夫婦のまわりは、前も後ろも横も空席だらけで、新幹線は空気を運んでいるような感じでした。コロナ禍の影響があるのかもしれません。 岡山駅を過ぎてからの九州方面への景色では、紅色の(くれないいろの)ヒガンバナの群生を多く見ました。 旅をしながら、地方の経済は冷えているという印象を受けました。 高齢化が進み過疎化著しい田舎と人口密集地の都市部と、両極端な状況があります。 お店や車内にお客さんがいないのに、その場にいて働くという、お金のためと割り切ればいいのでしょうが、働く動機付けがむずかしいシーンもありました。 地方も都市部も、どちらも暮らしにくさがあるように感じられました。 バランス(平均的な平衡感覚)が求められます。 博多駅からの帰路では、日本で生活しているような外国人乗客が多かった。神戸駅と京都駅で乗り降りする人たちが多かった。 博多駅近くの街は、人が多く、案内表示も雑多で大量で、かえって地理方向がわかりにくかった。 ちょっと疲れた旅でした。
夕日は沈み 朝日は昇る 撮影地 福岡県内 2022年10月
用事があって九州まで夫婦で行ってきました。
夕映えがきれいでした。遠賀川(おんががわ。下流に向かっての右岸道路を走る車の中から撮影しました。ちょっと車の中からの反射があります)沿いの光景です。
紅色(くれないいろ)の空のショーが始まりました。
次の写真は、翌朝の東方向です。日の出です。この地域は、朝もやが出ることが自然の特徴です。地域全体を囲む(かこむ)山の中腹が白くかすんでいます。
さきほどの朝日が照らす西側方向です。山並みの向こうが福岡市方向です。
この日は、お墓参りをしたあと『伊藤伝右衛門邸(いとう・でんえもん邸)』を見学しました。大きなお屋敷でした。前回見学したのは、2015年10月で、そのときは、次の予定があったので、かけあしでのあわてた見学でした。今回は、ゆっくり見学できました。
見学者は、自分たちと同じような年配の夫婦をちらほら見かけました。前回見学したときは、NHKの朝ドラが放映されたころだったので、見学者がたくさんおられました。
伊藤伝右衛門:1861年(江戸時代)-1947年(昭和22年)86歳没。炭鉱事業経営の実業家。2番目の妻が、柳原樺子(やなぎはら・あきこ。華族(貴族階級)。婚姻期間1911年(明治44年)-1921年(大正10年)歌人。筆名:柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん))
柳原白蓮:1885年(明治18年)-1967年(昭和42年)81歳没。26歳の時に50歳の伊藤伝衛門と結婚した。1921年(大正10年)白蓮事件。柳原白蓮は、駆け落ちをした。
花子とアン:2014年上半期NHK朝ドラ。「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子の半生。村岡花子の大親友が、柳原白蓮。
(新幹線)
博多行きは、岡山駅で降りる人が多かった。
広島駅で大部分の人たちが降りて行って、自分たち夫婦のまわりは、前も後ろも横も空席だらけで、新幹線は空気を運んでいるような感じでした。コロナ禍の影響があるのかもしれません。
岡山駅を過ぎてからの九州方面への景色では、紅色の(くれないいろの)ヒガンバナの群生を多く見ました。
旅をしながら、地方の経済は冷えているという印象を受けました。
高齢化が進み過疎化著しい田舎と人口密集地の都市部と、両極端な状況があります。
お店や車内にお客さんがいないのに、その場にいて働くという、お金のためと割り切ればいいのでしょうが、働く動機付けがむずかしいシーンもありました。
地方も都市部も、どちらも暮らしにくさがあるように感じられました。
バランス(平均的な平衡感覚)が求められます。
博多駅からの帰路では、日本で生活しているような外国人乗客が多かった。神戸駅と京都駅で乗り降りする人たちが多かった。
博多駅近くの街は、人が多く、案内表示も雑多で大量で、かえって地理方向がわかりにくかった。
ちょっと疲れた旅でした。]]>
福岡県
熊太郎
2022-10-11T11:05:04+09:00
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暮らし方いろいろ 人生いろいろ
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e145783.html
暮らし方いろいろ 人生いろいろ 今回久しぶりに旅をして、田舎風景の中に身を置いて考えたことです。 博多駅から鉄道支線に乗りかえて移動した電車の窓からは、自然に包まれた豊かで深い風景を見ることができました。 山があって、山々の峰は連なっていて、緑の木々も紅葉を迎えた木々も美しい。赤い葉っぱ、黄色い葉っぱがところどころ固まっていました。 川があって、田んぼがあって、木造の古い建物がぽつんぽつんと建っている。 心がほっとできる空間があります。 下の写真は夕映えが始まるころです。 同じ場所でずっと暮らして人生を終える人がいます。 日本各地、あるいは世界各地を転々として人生を終える人もいます。 親族に囲まれて、老若男女を見ながら過ごす人生があります。しわしわのお年寄りがいて、やわらかでつるつるお肌をしたあかちゃんとのふれあいがあります。 仕事いちずで仕事の世界を中心にして終わる人生もあります。 島倉千代子さんの歌曲「人生いろいろ」を思い出します。 人それぞれです。 知らないことを知らないまま終える人生もあります。 人生の過ごし方の選択肢はたくさんあります。 標準的な人生の線路上を走ることができないからといって、人生をあきらめることはないと気づかされます。1億2600万人ぐらいいるこの国の人の人生は、同じ数だけの人生のパターンがあります。 五十年ぐらい前は、鉄道駅やバスターミナル周辺、アーケードの商店街ににぎわいがありましたが、いまはさびれて夜はとくに冷たい空気が流れています。 現在は、バイパス道路沿いや郊外型大型店舗に人が集まっています。 これから先、五十年後は、またようすが変わるのでしょう。 田舎には、自然と共生する生活があります。 電車や車の車窓から、太陽光発電に使用するソーラーパネル施設をいくつも見ました。 田舎では、下水道設備がないので、いまだに汲み取り式の便所を使用しているところもあります。 行政によるし尿の回収作業があります。また、上水(じょうすい)については、水道設備がなく、井戸を使用しているところもあります。 簡易水洗というものを初めて使用しました。レバーを向こうへ倒すと便器にたまっていた水が流れます。手前に引くと次回に備えて、便器の底に水がたまります。 都会で生まれて育って人生を終える人たちには、一生体験することがない生活のしかたです。 そんなところから前述した「人生いろいろ」を思いつきました。とある峠道の途中にある展望台からの写真です。五十年ぐらい前に観た山の形に変わりはありません。 この文章をつくっていたときに、背後においてあったラジオから「ひきこもりラジオ」というような番組が流れてきました。 狭い空間に身を置いている人たちの、死にたいとか、外に出るのが怖いとか、生きることが苦痛だとかいうお便りが続きます。聞いていて、気持ちが重くなりました。人になにかをしてもらいたいという依存心を感じました。 本人が、外に出ようと思わなければなんともしようがないのです。外に出ると、いいこともあるし、いやなこともあります。プラスマイナスイコールゼロが、生活の基本です。いい事ばかりはないし、悪い事ばかりでもありません。 人生いろいろですから、できないならできないでもいいのだろうと変に納得したのです。
暮らし方いろいろ 人生いろいろ
今回久しぶりに旅をして、田舎風景の中に身を置いて考えたことです。
博多駅から鉄道支線に乗りかえて移動した電車の窓からは、自然に包まれた豊かで深い風景を見ることができました。
山があって、山々の峰は連なっていて、緑の木々も紅葉を迎えた木々も美しい。赤い葉っぱ、黄色い葉っぱがところどころ固まっていました。
川があって、田んぼがあって、木造の古い建物がぽつんぽつんと建っている。
心がほっとできる空間があります。
下の写真は夕映えが始まるころです。
同じ場所でずっと暮らして人生を終える人がいます。
日本各地、あるいは世界各地を転々として人生を終える人もいます。
親族に囲まれて、老若男女を見ながら過ごす人生があります。しわしわのお年寄りがいて、やわらかでつるつるお肌をしたあかちゃんとのふれあいがあります。
仕事いちずで仕事の世界を中心にして終わる人生もあります。
島倉千代子さんの歌曲「人生いろいろ」を思い出します。
人それぞれです。
知らないことを知らないまま終える人生もあります。
人生の過ごし方の選択肢はたくさんあります。
標準的な人生の線路上を走ることができないからといって、人生をあきらめることはないと気づかされます。1億2600万人ぐらいいるこの国の人の人生は、同じ数だけの人生のパターンがあります。
五十年ぐらい前は、鉄道駅やバスターミナル周辺、アーケードの商店街ににぎわいがありましたが、いまはさびれて夜はとくに冷たい空気が流れています。
現在は、バイパス道路沿いや郊外型大型店舗に人が集まっています。
これから先、五十年後は、またようすが変わるのでしょう。
田舎には、自然と共生する生活があります。
電車や車の車窓から、太陽光発電に使用するソーラーパネル施設をいくつも見ました。
田舎では、下水道設備がないので、いまだに汲み取り式の便所を使用しているところもあります。
行政によるし尿の回収作業があります。また、上水(じょうすい)については、水道設備がなく、井戸を使用しているところもあります。
簡易水洗というものを初めて使用しました。レバーを向こうへ倒すと便器にたまっていた水が流れます。手前に引くと次回に備えて、便器の底に水がたまります。
都会で生まれて育って人生を終える人たちには、一生体験することがない生活のしかたです。
そんなところから前述した「人生いろいろ」を思いつきました。
とある峠道の途中にある展望台からの写真です。
五十年ぐらい前に観た山の形に変わりはありません。
この文章をつくっていたときに、背後においてあったラジオから「ひきこもりラジオ」というような番組が流れてきました。
狭い空間に身を置いている人たちの、死にたいとか、外に出るのが怖いとか、生きることが苦痛だとかいうお便りが続きます。聞いていて、気持ちが重くなりました。人になにかをしてもらいたいという依存心を感じました。
本人が、外に出ようと思わなければなんともしようがないのです。外に出ると、いいこともあるし、いやなこともあります。プラスマイナスイコールゼロが、生活の基本です。いい事ばかりはないし、悪い事ばかりでもありません。
人生いろいろですから、できないならできないでもいいのだろうと変に納得したのです。]]>
福岡県
熊太郎
2021-11-25T07:18:33+09:00
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ちびっこへ 絵本のプレゼント
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e145775.html
ちびっこへ 絵本のプレゼント 遠方に住むきょうだいの孫たちに初めて会いました。 絵本をプレゼントに持って行きました。 とても喜んでもらえたので、重たい布製の手提げバッグを持って行ったかいがありました。〇4歳児と2歳児へのプレゼント 「パンダ銭湯」 tupera tupera(ツペラ ツペラ 亀山達也と中川敦子によるユニット) 絵本館 「だるまさんが」「だるまさんの」「だるまさんと」のシリーズ3冊 かがくい・ひろし ブロンズ新社 絵本よりも、絵本を入れていたポケモンセンターでお買い物をしたときに商品を入れてもらったポケットモンスターがたくさん印刷されている袋のほうにくいついてくれました。ポケモンが大好きだそうです。絵柄を見ながら、これは(ポケモンの)なになにだ! と盛り上がりました。〇3歳児と生後7か月のあかちゃんへのプレゼント 「ぼうしとったら」「やさいさん」「かぜビューン」 しかけ絵本で、3冊ともtupera tupera ツペラツペラ 学研プラス 上の子は、恥ずかしがり屋で人見知りするのでどうかなという前情報でしたが、プレゼントに絵本をもってきたと告げると大喜びされたので、こちらのほうがびっくりしました。本が好きだそうです。 すぐに読み始めて、なんどもくりかえしながら、エンドレスに読んでいました。読み手のパパもママもお疲れになったことでしょう。 久しぶりにあかちゃんと握手しました。自分の人さし指を、赤ちゃんのもみじのような小さなお手手でぎゅっと握ってもらいました。やわらかくてふわふわした手のひらでした。胸に幸せ気分が広がりました。 今年は、高齢の親族をふたり亡くし、赤ちゃんがひとり生まれました。順繰りで命をつないでいくこの1年でした。
ちびっこへ 絵本のプレゼント
遠方に住むきょうだいの孫たちに初めて会いました。
絵本をプレゼントに持って行きました。
とても喜んでもらえたので、重たい布製の手提げバッグを持って行ったかいがありました。
〇4歳児と2歳児へのプレゼント
「パンダ銭湯」 tupera tupera(ツペラ ツペラ 亀山達也と中川敦子によるユニット) 絵本館
「だるまさんが」「だるまさんの」「だるまさんと」のシリーズ3冊 かがくい・ひろし ブロンズ新社
絵本よりも、絵本を入れていたポケモンセンターでお買い物をしたときに商品を入れてもらったポケットモンスターがたくさん印刷されている袋のほうにくいついてくれました。ポケモンが大好きだそうです。絵柄を見ながら、これは(ポケモンの)なになにだ! と盛り上がりました。
〇3歳児と生後7か月のあかちゃんへのプレゼント
「ぼうしとったら」「やさいさん」「かぜビューン」
しかけ絵本で、3冊ともtupera tupera ツペラツペラ 学研プラス
上の子は、恥ずかしがり屋で人見知りするのでどうかなという前情報でしたが、プレゼントに絵本をもってきたと告げると大喜びされたので、こちらのほうがびっくりしました。本が好きだそうです。
すぐに読み始めて、なんどもくりかえしながら、エンドレスに読んでいました。読み手のパパもママもお疲れになったことでしょう。
久しぶりにあかちゃんと握手しました。自分の人さし指を、赤ちゃんのもみじのような小さなお手手でぎゅっと握ってもらいました。やわらかくてふわふわした手のひらでした。胸に幸せ気分が広がりました。
今年は、高齢の親族をふたり亡くし、赤ちゃんがひとり生まれました。順繰りで命をつないでいくこの1年でした。]]>
福岡県
熊太郎
2021-11-24T07:21:18+09:00
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名古屋から博多 白いクリスマスツリーから青いクリスマスツリー
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e145765.html
新幹線のぞみ 名古屋駅から博多駅 白いクリスマスツリーから青いクリスマスツリーへ 名古屋駅前に設置された白いクリスマスツリーです。 駅に入る前に撮影しました。 暗くなる夕方ぐらいから電灯がともされるのでしょう。 用事があって福岡へ行ってきました。 新幹線に乗ったのはコロナ禍の影響もあって、二年ぶりぐらいです。 名古屋駅のホームにある待合室で、座って、ぼーっとしていました。 のぞみ何号だったっけと、窓の外の小さな吊り下げ式電光掲示板を見上げたら「東京」という文字が目に入りました。 ふーん。あれ?! 自分たちは、博多駅へ行くのに、どうして「東京」と書いてあるのだろう。ふと気づきました。『た・い・へ・ん・だ』 予約した博多行きのぞみの発車時刻まで10分ほどあったので、気持ちを落ち着けて、大きな荷物を背中にしょって立ち上がり、静かにゆっくりと、線路の向こう側にある博多駅方面行列車が停まるホームへ移りました。 エスカレーターを下がって、通路を歩いて、エスカレーターを上がって、そのままホームで列に並んでちょっと待って、到着してきた予約していた車両へ無事に乗ることができました。 加齢で夫婦ともに頭の中がぼんやりしています。危なかった。 新幹線のぞみの車内では、窓際席足元に電源コンセントがなくてとまどったのですが、イスのひじ掛けのはしっこ、手のひらをのせるところに差し込み口がありました。便利になりました。 長いこと生きてきて、あちこち行ったり来たりしたので、自分の頭の中の日本地図では、日本列島の長さが30cmぐらいの距離感しかありません。 日本は、一日24時間以内で、たいていのところへ行ける島国です。 名古屋駅から博多駅まで3時間ちょっとです。昔のことを思えば便利で楽になりました。 新幹線の路線が博多までなかったころは、ひと晩かけて寝台車で移動していました。午前六時過ぎごろ名古屋駅に到着するブルートレイン「金星」を利用していました。 現役で働いていた時代の一時期に、鉄道を利用した長時間通勤をしていたことを思えば、博多駅までの3時間も、毎日の通勤時間の延長ぐらいにしか思えません。 歳をとってきて、ものごとを考える「意識」が「乾燥」してきました。みずみずしさという新鮮味のない人生最後の時間帯を過ごすステージに達したからでしょう。 博多駅はたいへんな混雑で驚かされました。勢いがあります。 観光客とたぶん地元のショッピングのお客さんたちでいっぱいです。 タクシー乗り場は長蛇の列です。並んでいる人たちは、長時間の待ち時間を苦にする様子もなくむしろおしゃべりを楽しんでおられるようすでした。結婚式帰りの人たちも見かけました。 コロナ禍がおさまってきて、日常生活が回復に向かっていることがわかります。 今の自分の心の中にある疑問です。本当に第6波が来るのだろうか。もう来ないでほしい。 博多駅前に設置されていた青いクリスマスツリーです。 ブルーに輝いていました。
新幹線のぞみ 名古屋駅から博多駅 白いクリスマスツリーから青いクリスマスツリーへ
名古屋駅前に設置された白いクリスマスツリーです。
駅に入る前に撮影しました。
暗くなる夕方ぐらいから電灯がともされるのでしょう。
用事があって福岡へ行ってきました。
新幹線に乗ったのはコロナ禍の影響もあって、二年ぶりぐらいです。
名古屋駅のホームにある待合室で、座って、ぼーっとしていました。
のぞみ何号だったっけと、窓の外の小さな吊り下げ式電光掲示板を見上げたら「東京」という文字が目に入りました。
ふーん。あれ?! 自分たちは、博多駅へ行くのに、どうして「東京」と書いてあるのだろう。ふと気づきました。『た・い・へ・ん・だ』
予約した博多行きのぞみの発車時刻まで10分ほどあったので、気持ちを落ち着けて、大きな荷物を背中にしょって立ち上がり、静かにゆっくりと、線路の向こう側にある博多駅方面行列車が停まるホームへ移りました。
エスカレーターを下がって、通路を歩いて、エスカレーターを上がって、そのままホームで列に並んでちょっと待って、到着してきた予約していた車両へ無事に乗ることができました。
加齢で夫婦ともに頭の中がぼんやりしています。危なかった。
新幹線のぞみの車内では、窓際席足元に電源コンセントがなくてとまどったのですが、イスのひじ掛けのはしっこ、手のひらをのせるところに差し込み口がありました。便利になりました。
長いこと生きてきて、あちこち行ったり来たりしたので、自分の頭の中の日本地図では、日本列島の長さが30cmぐらいの距離感しかありません。
日本は、一日24時間以内で、たいていのところへ行ける島国です。
名古屋駅から博多駅まで3時間ちょっとです。昔のことを思えば便利で楽になりました。
新幹線の路線が博多までなかったころは、ひと晩かけて寝台車で移動していました。午前六時過ぎごろ名古屋駅に到着するブルートレイン「金星」を利用していました。
現役で働いていた時代の一時期に、鉄道を利用した長時間通勤をしていたことを思えば、博多駅までの3時間も、毎日の通勤時間の延長ぐらいにしか思えません。
歳をとってきて、ものごとを考える「意識」が「乾燥」してきました。みずみずしさという新鮮味のない人生最後の時間帯を過ごすステージに達したからでしょう。
博多駅はたいへんな混雑で驚かされました。勢いがあります。
観光客とたぶん地元のショッピングのお客さんたちでいっぱいです。
タクシー乗り場は長蛇の列です。並んでいる人たちは、長時間の待ち時間を苦にする様子もなくむしろおしゃべりを楽しんでおられるようすでした。結婚式帰りの人たちも見かけました。
コロナ禍がおさまってきて、日常生活が回復に向かっていることがわかります。
今の自分の心の中にある疑問です。本当に第6波が来るのだろうか。もう来ないでほしい。
博多駅前に設置されていた青いクリスマスツリーです。
ブルーに輝いていました。
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福岡県
熊太郎
2021-11-23T07:14:52+09:00
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福岡県飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e112521.html
福岡県飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸観光客の数が多くてびっくりしました。駐車場は入口が少しわかりにくかったけれど、わき道を通り過ぎて、後戻りしてわかりました。NHKの連続朝ドラマの内容は知りませんが、「白蓮れんれん」は読んだことがあります。大きなお屋敷でした。
福岡県飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸
観光客の数が多くてびっくりしました。
駐車場は入口が少しわかりにくかったけれど、わき道を通り過ぎて、後戻りしてわかりました。
NHKの連続朝ドラマの内容は知りませんが、「白蓮れんれん」は読んだことがあります。
大きなお屋敷でした。
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福岡県
熊太郎
2015-10-16T19:39:02+09:00
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福岡県北九州市皿倉山(さらくらやま)
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e112480.html
福岡県北九州市皿倉山(さらくらやま)絶景でした。ケーブルカーとスロープカーで登りました。ここで、ジャンバーを山口県内のホテルの部屋に忘れてきたことに気づき、再び山口県のホテルへ向かいました。レンタカーを運転しながら、関門橋を行ったり来たりしましたが、それはそれで楽しい思い出となりました。
福岡県北九州市皿倉山(さらくらやま)
絶景でした。ケーブルカーとスロープカーで登りました。
ここで、ジャンバーを山口県内のホテルの部屋に忘れてきたことに気づき、再び山口県のホテルへ向かいました。レンタカーを運転しながら、関門橋を行ったり来たりしましたが、それはそれで楽しい思い出となりました。]]>
福岡県
熊太郎
2015-10-14T19:40:01+09:00
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男はつらいよ 幸福の青い鳥 第37作 昭和61年
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e112330.html
男はつらいよ 幸福の青い鳥 第37作 昭和61年 福岡県飯塚市 中学生の頃、一時的に福岡県筑豊地区で暮らしていたことがあります。当時の正月に母方祖父に誘われて飯塚市内にある嘉穂劇場(かほげきじょう)で旅役者による演劇を鑑賞しました。お客さんは少なくて、劇団員さんたちは困っていましたが、劇が始まると少しずつお客さんが増えてきました。人情もののちゃんばら演劇でした。中古ビデオショップで、この作品のケースにあった説明を読み自分が知っている場所が舞台だったので興味をもち観ることにしました。昭和61年当時は忙しい生活を送っていたのでこの作品のことは知りません。 観ているうちにいつものようにうとうとして眠ってしまいました。最後頃に目が覚めて、いったん終了してからまた最初に戻りもう一度観ました。1時間40分くらいの長さの作品です。 中盤までは、笑いはあるけれど、もの悲しい内容だと、沈む気持ちでした。 栄華を誇っていた炭鉱は、石炭から石油へのエネルギー革命により力を失い衰退してしまった。旅役者劇団の座長は亡くなり、娘の志穂美悦子さんは生活に困っている。古びた炭鉱住宅(炭住)がなつかしい。 東京葛飾寅屋の隣で町工場を経営しているたこ親父さんは、機械化で、人員を削減しなければならなくなった。余剰人員という言葉が繰り返されます。 鹿児島県から出てきた画家志望の長渕剛さんは、選考会が落選続きで自信喪失している。 公衆電話の赤電話は今はもうない。携帯電話やスマホの時代です。 劇中のセリフにある「汽車」もありません。車移動の時代です。 寅屋でのおおぜいが、ちゃぶ台を囲んだ夕食風景は、気持が温まります。今は、各自バラバラで夕食を食べる個食の時代になりました。 そんな暗い雰囲気はラストで盛り上がります。お見事でした。 志穂美さんの九州弁がよかった。「九州とんこつラーメン」ということで、地方にある「特産品」って大事です。日本のどこにいっても通用する「特産品」の存在が生活を支えてくれることもあると納得しました。(2015年10月12日追記)福岡県嘉穂劇場 2015年10月見学用事があって、近くで宿泊しましたので、見学してきました。なつかしかった。昔ながらの芝居小屋です。
男はつらいよ 幸福の青い鳥 第37作 昭和61年 福岡県飯塚市
中学生の頃、一時的に福岡県筑豊地区で暮らしていたことがあります。当時の正月に母方祖父に誘われて飯塚市内にある嘉穂劇場(かほげきじょう)で旅役者による演劇を鑑賞しました。お客さんは少なくて、劇団員さんたちは困っていましたが、劇が始まると少しずつお客さんが増えてきました。人情もののちゃんばら演劇でした。中古ビデオショップで、この作品のケースにあった説明を読み自分が知っている場所が舞台だったので興味をもち観ることにしました。昭和61年当時は忙しい生活を送っていたのでこの作品のことは知りません。
観ているうちにいつものようにうとうとして眠ってしまいました。最後頃に目が覚めて、いったん終了してからまた最初に戻りもう一度観ました。1時間40分くらいの長さの作品です。
中盤までは、笑いはあるけれど、もの悲しい内容だと、沈む気持ちでした。
栄華を誇っていた炭鉱は、石炭から石油へのエネルギー革命により力を失い衰退してしまった。旅役者劇団の座長は亡くなり、娘の志穂美悦子さんは生活に困っている。古びた炭鉱住宅(炭住)がなつかしい。
東京葛飾寅屋の隣で町工場を経営しているたこ親父さんは、機械化で、人員を削減しなければならなくなった。余剰人員という言葉が繰り返されます。
鹿児島県から出てきた画家志望の長渕剛さんは、選考会が落選続きで自信喪失している。
公衆電話の赤電話は今はもうない。携帯電話やスマホの時代です。
劇中のセリフにある「汽車」もありません。車移動の時代です。
寅屋でのおおぜいが、ちゃぶ台を囲んだ夕食風景は、気持が温まります。今は、各自バラバラで夕食を食べる個食の時代になりました。
そんな暗い雰囲気はラストで盛り上がります。お見事でした。
志穂美さんの九州弁がよかった。「九州とんこつラーメン」ということで、地方にある「特産品」って大事です。日本のどこにいっても通用する「特産品」の存在が生活を支えてくれることもあると納得しました。
(2015年10月12日追記)
福岡県嘉穂劇場 2015年10月見学
用事があって、近くで宿泊しましたので、見学してきました。
なつかしかった。
昔ながらの芝居小屋です。
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福岡県
熊太郎
2015-10-06T21:48:28+09:00
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福岡県関門海峡めかりパーキングエリア
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e82311.html
福岡県関門海峡めかりパーキングエリア山口県壇ノ浦パーキングエリアと比較するとここは狭い。見える景色も壇ノ浦のほうが生き生きとしていました。
福岡県関門海峡めかりパーキングエリア
山口県壇ノ浦パーキングエリアと比較するとここは狭い。
見える景色も壇ノ浦のほうが生き生きとしていました。]]>
福岡県
熊太郎
2012-08-30T19:43:52+09:00
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博多櫛田(くしだ)神社飾り山傘
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e37948.html
博多櫛田(くしだ)神社飾り山傘もう何年も前の写真なので、現在展示されているものとは異なるでしょう。宮本武蔵と佐々木小次郎による巌流島の決闘シーンです。櫛田神社は博多駅からそれほど離れていない位置にあるのですが、地下鉄を利用すると遠回りになるのか遠く感じます。また、商店街からの入口が狭く、足が積極的に境内(けいだい)へ伸びません。総じて地下鉄は距離感がなくなり、方向もわからなくなり、近くも遠くに感じてしまいます。キャナル・シティを何度か訪れるうちに足を踏み入れました。敷地は広くて、もっと早く見学をすればよかったと後悔しました。境内には、歴代の横綱・大関を始めとしたおすもうさんが持ち上げたという大きな石がありました。怪力です。
博多櫛田(くしだ)神社飾り山傘
もう何年も前の写真なので、現在展示されているものとは異なるでしょう。
宮本武蔵と佐々木小次郎による巌流島の決闘シーンです。
櫛田神社は博多駅からそれほど離れていない位置にあるのですが、地下鉄を利用すると遠回りになるのか遠く感じます。また、商店街からの入口が狭く、足が積極的に境内(けいだい)へ伸びません。総じて地下鉄は距離感がなくなり、方向もわからなくなり、近くも遠くに感じてしまいます。キャナル・シティを何度か訪れるうちに足を踏み入れました。敷地は広くて、もっと早く見学をすればよかったと後悔しました。
境内には、歴代の横綱・大関を始めとしたおすもうさんが持ち上げたという大きな石がありました。怪力です。]]>
福岡県
熊太郎
2009-06-21T22:28:05+09:00
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福岡市キャナルシティのライトアップ
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e29524.html
福岡市キャナルシティのライトアップ 写真は何年か前の年末に撮影したものです。 キャナルシティは「運河の街」という意味だと思います。オランダあたりを模しているのでしょう。 博多駅の北西に位置していたと思います。地下鉄の駅で降りて歩いていったり、車で行ったりしたことがあります。初めて見たときはその色彩と形状に驚嘆しました。日本では見かけない形と色です。派手でもあります。されど、楽しい気分にさせてもらえる。ここに来ると何か楽しいことがあるに違いないという期待感が湧いてきます。
福岡市キャナルシティのライトアップ
写真は何年か前の年末に撮影したものです。
キャナルシティは「運河の街」という意味だと思います。オランダあたりを模しているのでしょう。
博多駅の北西に位置していたと思います。地下鉄の駅で降りて歩いていったり、車で行ったりしたことがあります。初めて見たときはその色彩と形状に驚嘆しました。日本では見かけない形と色です。派手でもあります。されど、楽しい気分にさせてもらえる。ここに来ると何か楽しいことがあるに違いないという期待感が湧いてきます。]]>
福岡県
熊太郎
2008-12-02T22:12:30+09:00
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福岡ドームとシーホークホテル
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e23279.html
福岡ドームとシーホークホテル 博多湾の波この砂浜に立つのは、9年ぶり。久しぶりに、砂浜を打つ波の音を聞く。心地よい。淡々と繰り返される波の鼓動永い歴史が流れていく。波の音を聞いていると静かな気持ちになれる。*ここを舞台にした物語で「半島を出よ 上・下」村上龍著幻冬舎があります。北朝鮮軍はこのドームとホテルを占拠します。日本政府は救ってくれません。黙認のうちに九州を日本から手放す気配です。自衛隊は、日本海を渡ってくる北朝鮮軍の船団を包囲はしますが、発砲はしません。監視が目的なのですが、まるで、護衛艦のような動きをみせます。侵略に立ち向かっていったのは、孤独な非行少年たちを中心にしたグループでした。
福岡ドームとシーホークホテル 博多湾の波
この砂浜に立つのは、9年ぶり。
久しぶりに、砂浜を打つ波の音を聞く。
心地よい。
淡々と繰り返される波の鼓動
永い歴史が流れていく。
波の音を聞いていると静かな気持ちになれる。
*ここを舞台にした物語で「半島を出よ 上・下」村上龍著幻冬舎があります。
北朝鮮軍はこのドームとホテルを占拠します。
日本政府は救ってくれません。黙認のうちに九州を日本から手放す気配です。
自衛隊は、日本海を渡ってくる北朝鮮軍の船団を包囲はしますが、発砲はしません。
監視が目的なのですが、まるで、護衛艦のような動きをみせます。
侵略に立ち向かっていったのは、孤独な非行少年たちを中心にしたグループでした。]]>
福岡県
熊太郎
2008-06-25T21:28:15+09:00
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松本清張記念館
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e21630.html
松本清張記念館 福岡県北九州市西小倉駅南にある小倉城の敷地角にありました。 松本清張氏直筆の原稿を見たかった。 美しい文字で伸びやかにかつ整然と書かれていたので少し驚きました。以前、鎌倉文学館で見た詩人たちの原稿は悪筆でマス目を無視したものでした。 名前はせいちょうと読むものと思っていましたが、ふりがなが「きよはる」とふってありました。 松本作品は、人間の汚れた深層心理を深く追求するということがわたしの印象です。 新幹線が止まる小倉駅は、田舎っぽい駅でした。東京、名古屋、京都、大阪、博多などの駅と同じく巨大な駅を想像していたので意外でした。在来線駅のホームに立ちながら、「点と線」で登場する東京駅の場面は、東京駅では見られなくなったけれど、ここ小倉駅ならまだ見ることができると発見したのでした。 「点と線」の読後感想をここに記しておきます。点と線 松本清張 新潮文庫 どうなのだろう。女性が読んだらどんな感想をもつのでしょうか。私は男性なのでわかりません。推理小説の根っこは女性心理となっています。憎悪を晴らすために綿密な殺人計画を実行して自らも命を絶つ。女性はこれを読んで共感するのでしょうか、それとも否定するのでしょうか。完全犯罪の仕掛けがなかなか解けず、主人公ともども読者も完璧なアリバイの壁にぶつかって、いらいらします。読み終えてみれば、豪快で重量感のある推理小説でした。
松本清張記念館
福岡県北九州市西小倉駅南にある小倉城の敷地角にありました。
松本清張氏直筆の原稿を見たかった。
美しい文字で伸びやかにかつ整然と書かれていたので少し驚きました。以前、鎌倉文学館で見た詩人たちの原稿は悪筆でマス目を無視したものでした。
名前はせいちょうと読むものと思っていましたが、ふりがなが「きよはる」とふってありました。
松本作品は、人間の汚れた深層心理を深く追求するということがわたしの印象です。
新幹線が止まる小倉駅は、田舎っぽい駅でした。東京、名古屋、京都、大阪、博多などの駅と同じく巨大な駅を想像していたので意外でした。在来線駅のホームに立ちながら、「点と線」で登場する東京駅の場面は、東京駅では見られなくなったけれど、ここ小倉駅ならまだ見ることができると発見したのでした。
「点と線」の読後感想をここに記しておきます。
点と線 松本清張 新潮文庫
どうなのだろう。女性が読んだらどんな感想をもつのでしょうか。私は男性なのでわかりません。推理小説の根っこは女性心理となっています。憎悪を晴らすために綿密な殺人計画を実行して自らも命を絶つ。女性はこれを読んで共感するのでしょうか、それとも否定するのでしょうか。完全犯罪の仕掛けがなかなか解けず、主人公ともども読者も完璧なアリバイの壁にぶつかって、いらいらします。読み終えてみれば、豪快で重量感のある推理小説でした。]]>
福岡県
熊太郎
2008-05-11T16:32:42+09:00
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レトロな門司港
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e21600.html
北九州市門司港(もじ) 宴会終了後、北と南を間違えて、道に迷って2時間歩き回った翌日はグロッキーで寝込みました。わたしは方向音痴です。 そのまた翌日に今度は福岡県北九州市小倉駅でまた間違えてしまいました。西に行くつもりが東に行く電車に乗ってしまいました。まだ時間があったので、まあいいかとあきらめて終点の門司港駅まで乗りました。 駅舎は昭和20年代から30年代の装飾です。ゴールデンウィークのイベント時期であり、駅前では「どまつり」のように地元のグループがかわるがわる踊りを踊っていました。 港のほうへと散策すると、おそらく25年ぶりぐらいで関門海峡と関門橋を見ました。この日はそのあと、列車から、たんぼ一面に広がるきれいなレンゲの花を見ることもできて、有意義な迷子でした。
北九州市門司港(もじ)
宴会終了後、北と南を間違えて、道に迷って2時間歩き回った翌日はグロッキーで寝込みました。わたしは方向音痴です。
そのまた翌日に今度は福岡県北九州市小倉駅でまた間違えてしまいました。西に行くつもりが東に行く電車に乗ってしまいました。まだ時間があったので、まあいいかとあきらめて終点の門司港駅まで乗りました。
駅舎は昭和20年代から30年代の装飾です。ゴールデンウィークのイベント時期であり、駅前では「どまつり」のように地元のグループがかわるがわる踊りを踊っていました。
港のほうへと散策すると、おそらく25年ぶりぐらいで関門海峡と関門橋を見ました。この日はそのあと、列車から、たんぼ一面に広がるきれいなレンゲの花を見ることもできて、有意義な迷子でした。
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福岡県
熊太郎
2008-05-10T20:06:17+09:00