2020年03月05日

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第13弾 新宿→新潟市萬代橋

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第13弾 新宿→新潟市萬代橋 テレビ番組

 2013年1月放送分です。三国峠の手前で立ち往生をしてマドンナ田中律子さんの知人に電話をして迎えに来てもらう部分だけをテレビでちらりと見た記憶があります。全体を見たのは今回が初めてです。力作であり、名作です。まず、ルートがすごい。そんなことができたのだなあという感嘆があります。蛭子さんがいまとは違って若い。元気と意欲があります。加えて、真剣味があります。動きもすばやい。三泊四日の過酷な旅でした。ゴールした時に太川さんが、「さあ、これから新幹線に乗って東京へ2時間で帰ろう」と言ったときには、そこを4日かけて来たという実感が湧きました。三人は絶体絶命のルートを克服しました。スタッフさんもお疲れさまでした。田中律子さんが言われるとおり、ヒヤヒヤのジェットコースターに乗っているようでした。

 おもしろおかしかったこととして、
①新宿駅バスターミナルで、当日が13日だったらしく、不吉な数値という話が出て、蛭子さんが、自分は13階に住んでいると言い、バスターミナルには、13番乗り場が欠番になっていて存在しなかった。
②田中律子さんと蛭子能収さんは10年間テレビ番組で一緒だった。
③(路線バスが堀越高校の前を通って田中律子さんが)「わたし、ここにこの路線バスで通っていた」
④(田中律子さんのこどもさんが14歳と聞いて蛭子さんが)「非行の年頃ですね」
⑤(バスの車内でお客さんと下の名前が「律子」でいっしょで、その方が佐藤さんで、蛭子さんが)「佐藤と田中で、苗字が似ていますね」
⑥(蛭子さんが、乗客の明らかに年齢の上下がわかるこどもさんふたりについて)「どっちが年上なの」(田中律子さんが)「見てわかるじゃない」
⑦(蛭子さんが食事処でステーキを勧められて)「食べたくなかったけれど食べるか」
⑧(蛭子さんが徒歩による過酷な三国峠越えで)「路線バスを廃止するなー」
⑨(長岡市内悪天候、雨、みぞれ、雷、太川さんが蛭子さんに)「蛭子さんに落雷だよ」
⑩「雪で(バスの)時刻表が見えない」
⑪(蛭子さんが言ったあとふたりに促されて反省)「違うバス会社同士でも連携をとるべきだ」(新潟直通の高速バスがある環境の中で路線バスを選択する乗客が多数いるわけでもないので、この番組だけのために特別なことはできないのです)

 同じ一日でも東京と新潟の天候はずいぶん違うことがわかりました。