2017年05月04日
空にむかってともだち宣言 2017課題図書
空にむかってともだち宣言 茂木ちあき 国土社 2017課題図書
日本人とミヤンマー人との交流を記したお話でした。
ミヤンマーといえば、言論弾圧の軍事政権国家だった。アウンサン・スーチーさんという有名な女性政治家がいる国、ビルマという国だった。戦争の地、占領の地、「ビルマの竪琴」という小説・映画が思い浮かびます。
主人公は、日本人女子小学4年生桧山あいりです。彼女の2階建てアパートおとなりの部屋にミヤンマー人難民5人家族が引っ越してきます。あいりと同じクラスになるナーミン、それから小学校1年生の双子の男児ヘインとルーインです。
ナーミンは、クラスの男児3人航平、勇太、大樹、その他の無関心メンバーたちから人種差別、いじめらしき対応をされますが、あいりや、ボランティア団体らしきグループのメンバー権田悟志、教師や父母たちの力によって不平等を克服していきます。
その手法は、教育(講演会)であり、イベントによる交流、音楽・舞踏(ダンス)の活用でした。
そのほかにも、いなかのおばあちゃんの行動を素材にした「リサイクル」(もったいないの精神)、日本の位置は世界地図の右はじだけれど、日本独自に、日本が中心に位置する世界地図を使用している。それが日本人の自分中心の思考の証拠になるのか、それとも、明解さの追求なのかという提示はあります。
他者に対する排除意識は、日本人だからということではなく、人間だからという動物の本能的なものが強い。ただそれでは、両者ともに最後は滅びます。だから「共存」という部分で悩みます。
難民は、「安全」という場所を求めて日本に来ます。
対して、大部分の日本人は戦争による「危険」を知りません。
難民から見た日本は「天国」です。
島国の有利さがあります。
言葉の違いがあります。
英語だけが外国語ではありません。
「ミンガラバー:こんにちは」
「チェーズティンバーデー:ありがとうございます」
「アメー:おかあさん」
日本人同士でも差別はあります。
人間の本能だから、「差別」も「いじめ」もなかなかなくなりません。
「ロンジー:伝統的な民族衣装。下半身に着用する筒状の衣装。男女ともにあり。(ネットで観ていたら、みなさん、日本人に容姿が似ているので驚きました。)
「バガンダンス:ミヤンマーの踊り。仏さまに捧げるような踊りです」
日本人とミヤンマー人との交流を記したお話でした。
ミヤンマーといえば、言論弾圧の軍事政権国家だった。アウンサン・スーチーさんという有名な女性政治家がいる国、ビルマという国だった。戦争の地、占領の地、「ビルマの竪琴」という小説・映画が思い浮かびます。
主人公は、日本人女子小学4年生桧山あいりです。彼女の2階建てアパートおとなりの部屋にミヤンマー人難民5人家族が引っ越してきます。あいりと同じクラスになるナーミン、それから小学校1年生の双子の男児ヘインとルーインです。
ナーミンは、クラスの男児3人航平、勇太、大樹、その他の無関心メンバーたちから人種差別、いじめらしき対応をされますが、あいりや、ボランティア団体らしきグループのメンバー権田悟志、教師や父母たちの力によって不平等を克服していきます。
その手法は、教育(講演会)であり、イベントによる交流、音楽・舞踏(ダンス)の活用でした。
そのほかにも、いなかのおばあちゃんの行動を素材にした「リサイクル」(もったいないの精神)、日本の位置は世界地図の右はじだけれど、日本独自に、日本が中心に位置する世界地図を使用している。それが日本人の自分中心の思考の証拠になるのか、それとも、明解さの追求なのかという提示はあります。
他者に対する排除意識は、日本人だからということではなく、人間だからという動物の本能的なものが強い。ただそれでは、両者ともに最後は滅びます。だから「共存」という部分で悩みます。
難民は、「安全」という場所を求めて日本に来ます。
対して、大部分の日本人は戦争による「危険」を知りません。
難民から見た日本は「天国」です。
島国の有利さがあります。
言葉の違いがあります。
英語だけが外国語ではありません。
「ミンガラバー:こんにちは」
「チェーズティンバーデー:ありがとうございます」
「アメー:おかあさん」
日本人同士でも差別はあります。
人間の本能だから、「差別」も「いじめ」もなかなかなくなりません。
「ロンジー:伝統的な民族衣装。下半身に着用する筒状の衣装。男女ともにあり。(ネットで観ていたら、みなさん、日本人に容姿が似ているので驚きました。)
「バガンダンス:ミヤンマーの踊り。仏さまに捧げるような踊りです」
2017年05月02日
ばあばは、だいじょうぶ 2017課題図書
ばあばは、だいじょうぶ 楠章子 童心社 2017課題図書
この物語の感想は、こどもさんが、こどもさんの立場で書くほうがいい。
わたしが書くと、おばあさんの立場で書くことになります。
おばあさんの立場で書くと、家族に迷惑をかけて申し訳ない。
わたしの存在は忘れて、みんなで幸せにお暮らしなさいとなります。
つまり、どこか、鍵のかかる病院か、鍵のかかる施設にでも入れてください。わたしのことは忘れてください。
もとより、認知症で、何が起こっているのか、自分でもわからないわけですから、わたしがなにか思うことはないわけです。
ただし、このごろは、高齢者の数が増えきて、自宅で看取られる(みとられる。死を迎える)ことが優先になってきました。だから、自宅で亡くなる人が増えてきているように思います。であれば、ぼけないように頭の訓練を続けていこう。そんな感想文ができあがります。それでも人は認知症になります。
孫のことをなんでも許すのが祖母の基本姿勢です。
そこから考えると、祖母が認知症になったら孫が祖母をいたわる番です。
しかし、認知症にはこわい面があります。
介護の終わりがなかなか見えないのです。
身内の許容が続きます。
耐えきれなくなって共倒れになることもあります。
耐えるという意識を消滅させなければなりません。
これがふつうと思えるまでにどれだけの忍耐がいるのか。それは、子育てに似ているけれど、未来がない分、子育てよりつらい。
書中では、記憶を失わないようにと、ばあばが書いた大量のメモが見つかります。
病気には勝てないのです。せつないものがあります。
三世代の交流が薄くなった現在、この物語のシーンを理解できる孫世代がどれほどいるのかわかりませんが、介護体験は昔と比較して薄くなりました。どちらかといえば、親子・夫婦・単身で苦労する時代です。なかなかむずかしい素材です。
この物語の感想は、こどもさんが、こどもさんの立場で書くほうがいい。
わたしが書くと、おばあさんの立場で書くことになります。
おばあさんの立場で書くと、家族に迷惑をかけて申し訳ない。
わたしの存在は忘れて、みんなで幸せにお暮らしなさいとなります。
つまり、どこか、鍵のかかる病院か、鍵のかかる施設にでも入れてください。わたしのことは忘れてください。
もとより、認知症で、何が起こっているのか、自分でもわからないわけですから、わたしがなにか思うことはないわけです。
ただし、このごろは、高齢者の数が増えきて、自宅で看取られる(みとられる。死を迎える)ことが優先になってきました。だから、自宅で亡くなる人が増えてきているように思います。であれば、ぼけないように頭の訓練を続けていこう。そんな感想文ができあがります。それでも人は認知症になります。
孫のことをなんでも許すのが祖母の基本姿勢です。
そこから考えると、祖母が認知症になったら孫が祖母をいたわる番です。
しかし、認知症にはこわい面があります。
介護の終わりがなかなか見えないのです。
身内の許容が続きます。
耐えきれなくなって共倒れになることもあります。
耐えるという意識を消滅させなければなりません。
これがふつうと思えるまでにどれだけの忍耐がいるのか。それは、子育てに似ているけれど、未来がない分、子育てよりつらい。
書中では、記憶を失わないようにと、ばあばが書いた大量のメモが見つかります。
病気には勝てないのです。せつないものがあります。
三世代の交流が薄くなった現在、この物語のシーンを理解できる孫世代がどれほどいるのかわかりませんが、介護体験は昔と比較して薄くなりました。どちらかといえば、親子・夫婦・単身で苦労する時代です。なかなかむずかしい素材です。
2017年05月01日
この嘘がばれないうちに 川口俊和
この嘘がばれないうちに 川口俊和 サンマーク出版
前作、「コーヒーが冷めないうちに」は、名作でした。
プロローグを見ただけで、この物語が、きちんと構成されていることがわかります。
ただ、今回の本は、二匹目のどじょうを狙った形で失敗に終わっていると感じました。設定は前回と同じです。すでにわかっているルールなのに、ルール説明がくどくどと続きます。
説明でページ数をかせいでいます。肝心な部分は文章量が少ない。舞台脚本のようなイメージです。物語の基礎や展開にも無理があります。期待は次第に薄らいでいきました。死に方もかなりつくりすぎです。
時空間移動を手法として、その創作パターンを変更するのではなく、続編を出すということは本流だと思います。終わり方からして、第三弾も用意されていくのでしょう。
最愛の人が亡くなったとして、何十年間(冒頭の作品の場合22年間)もその悲しみをひきずって生きるのか、それとも、からりと(乾燥)忘れて、未来に幸せを求めるという選択肢を選んだほうがいいのか。世代によって判定が変わることもあるでしょう。わたしにとっては、今は、後者が正解だと思います。
作品の性質には、「幸せ」って何だろう? と、読者へ、逆提案してくる面があります。
(再読)
流し読みのあと、また読みました。
喫茶「フニクリフニクラ」が出すコーヒーは、モカ・ハラ―という豆の一種類のみ。酸味が強いとあります。モカは飲んだことがありますがそうだったかなあ。
自殺はやめよう! という強いメッセージがあります。
死亡までの日数を表現して、他者の幸福を願うメッセージがあります。
だれだれのせいで、こうなったという思考をやめようというメッセージがあります。
最後の話「夫婦」は、夫婦をやったことがある人にとってはせつない。夫は仕事を辞めたい。でも辞めない。老いた夫は妻に感謝する。「君がいてくれたから(辞職を避けられた)」、そして、最後の言葉は、「ありがとう」の感謝です。
前作、「コーヒーが冷めないうちに」は、名作でした。
プロローグを見ただけで、この物語が、きちんと構成されていることがわかります。
ただ、今回の本は、二匹目のどじょうを狙った形で失敗に終わっていると感じました。設定は前回と同じです。すでにわかっているルールなのに、ルール説明がくどくどと続きます。
説明でページ数をかせいでいます。肝心な部分は文章量が少ない。舞台脚本のようなイメージです。物語の基礎や展開にも無理があります。期待は次第に薄らいでいきました。死に方もかなりつくりすぎです。
時空間移動を手法として、その創作パターンを変更するのではなく、続編を出すということは本流だと思います。終わり方からして、第三弾も用意されていくのでしょう。
最愛の人が亡くなったとして、何十年間(冒頭の作品の場合22年間)もその悲しみをひきずって生きるのか、それとも、からりと(乾燥)忘れて、未来に幸せを求めるという選択肢を選んだほうがいいのか。世代によって判定が変わることもあるでしょう。わたしにとっては、今は、後者が正解だと思います。
作品の性質には、「幸せ」って何だろう? と、読者へ、逆提案してくる面があります。
(再読)
流し読みのあと、また読みました。
喫茶「フニクリフニクラ」が出すコーヒーは、モカ・ハラ―という豆の一種類のみ。酸味が強いとあります。モカは飲んだことがありますがそうだったかなあ。
自殺はやめよう! という強いメッセージがあります。
死亡までの日数を表現して、他者の幸福を願うメッセージがあります。
だれだれのせいで、こうなったという思考をやめようというメッセージがあります。
最後の話「夫婦」は、夫婦をやったことがある人にとってはせつない。夫は仕事を辞めたい。でも辞めない。老いた夫は妻に感謝する。「君がいてくれたから(辞職を避けられた)」、そして、最後の言葉は、「ありがとう」の感謝です。