2025年01月10日

父と暮らせば 邦画 2005年

父と暮らせば 邦画 2005年(平成17年) 1時間38分 動画配信サービス

監督:黒木和雄
俳優:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信

 先日観た映画が、『母と暮らせば 邦画 2015年(平成27年)』でした。
 その時に知ったのですが、こちらの『父と暮らせば』と関連がある。
 劇作家、小説家、放送作家であられた井上ひさしさんの作品で、『戦後命の三部作』にあたるそうです。
 広島:父と暮らせば 2005年邦画 1994年舞台
 長崎:母と暮らせば 2015年邦画 2018年(平成30年)舞台
 沖縄:木の上の軍隊 2013年(平成25年)舞台

 こまつ座という劇団が関係していることを知りました。
 こまつ座:1983年(昭和58年)結成。井上ひさし作品を上演する。
 井上ひさし:2010年(平成22年)75歳没
 たまたまですが、先月、大竹しのぶさんが、小説家の林芙美子さんを演じる、『太鼓たたいて笛吹いて』を名古屋駅前にある劇場へ観に行きました。(ウィンク愛知、愛知県産業労働センターホール)。演劇と映画がつながり、縁を感じました。いずれの作品も、『反戦』がテーマです。戦争反対です。

 こちらの映画は、むずかしい内容の映画でした。
 ふたり芝居で、長いセリフの会話が続きます。語りが、娘と父親の交互で長く続きます。
 劇を観ているようでもありました。
 途中で、眠ってしまいました。全体で90分ぐらいのうちのまんなか30分ぐらいが睡眠で、中抜けの鑑賞になってしまいました。(あとで、ちゃんと見直してみます。とりあえず、ここまでの感想です)

 死別した親子の四日間です。
 亡父福吉竹造(ふくよし・たけぞう)は、広島への原子爆弾の投下で命を落としました。
 娘の福吉美津江23歳は、同じく原子爆弾の投下を受けましたが、物陰にいて命は助かりました。
 死んだ父福吉竹蔵が、この世に戻ってきて、延々とふたりで会話を続けるのです。

 宮沢りえさんと原田芳雄さんの魅力を観る映画です。
 生きている娘と、亡き(なき)父の会話が続きます。
 家の中はとてもきれいです。ふたりが着ている洋服もきれいです。
 娘に好意をもっている木下さん(浅野忠信さん)は、たまに画面に出るだけです。広島原爆の資料を集めるために、図書館で働いている宮沢りえさんを訪ねます。
 
 被爆者の気持ちが語られます。
 原子爆弾投下の痛みが表現されている作品です。
 木下は、美津江が好きだけれど、美津江は拒みます。自分は、人を好きになってはいけない。原子爆弾で死んだ人たちのために自分は幸せになってはいけない。自分も原子爆弾で死んでおけば良かった。そんな理屈が語られます。(ちょっと自分には理解できない思考です)
 死ぬのが自然で、生きているのが不自然、生きているのが申し訳ないそうです。不思議な心理です。
 本人の希望として、できるだけ静かに生きる。(結婚は望まない)
 <ここらあたりで、眠ってしまいました。そして、目が覚めたあとのことです>

 金曜日と表示があります。(映画は、火曜日から始まりました)
 自問自答のような会話が続きます。
 戦後生きている人と死んでいる人との会話です。

 二十年ぐらい前の映画ですから、ふたりともお若い。(宮沢りえさんと原田芳雄さん)
 宮沢りえさんが、顔が半分ただれたお地蔵さんにこだわりをもちます。亡くなった友人と重ねておられるようです。

 『幸せになる資格がある人間』とは、どういう人間のことをいうのだろう。

 亡父が、孫が欲しいというような意思表示を娘にします。
 子孫へ歴史を伝えたいのだと受け取りました。自分の血を残したいということもあるでしょう。
 だから、恋愛をして、結婚して、子を産んでほしいと、娘に願っていることがわかります。

 ラストシーンは、原爆ドームの中でした。
 わたしは、原爆ドームを何度か見たことがあるので、リアルに感じました。
 命の物語でした。

(翌日、もう一度観てみました)
 
 眠ってしまっていた部分を観なおしました。
 『水曜日』
 広島県で、7つの川が1本にまとまって(太田川)、広島市内を流れている。
 おとぎ話と原爆投下をつなげる話をつくると原田芳雄さんが言う。みんなが知っている昔話に、原爆の話を取り込んでみんなに話す。
 桃太郎のような話だったり、一寸法師のような話だったりする。
 宮沢りえさんが、話を改変してはいけないと主張する。話をいじっちゃいかん。
 宮沢りえさんは、『昔話研究会』という研究会を友だちとつくっていた。
 戦争のさいちゅうに、好ましくない活動だと軍から指摘を受けて解散したそうです。

 原爆の1万2000度の熱線で変形した物が出てきます。
 瓦(かわら)、ガラス、薬瓶(くすりびん)、ビール瓶(びん)、楽器のホルンのような形になった一升瓶(いっしょうびん)
 広島弁の語りが続きます。
 原爆は、広島市上空580mで爆発した。
 太陽がふたつあるように見えた。まぶしかった。ほんの1秒か2秒だった。(本当の太陽と爆発でできた太陽のような強くてまぶしい光の玉だろうと想像しました)
 風速350mの風が吹いた。
 原田芳雄さんの熱演です。ひとり芝居で、体と声を使って、原子爆弾の爆発を再現します。
 こっぱみじんです。
 先日観た原田芳雄さんの映画、『大鹿村騒動記』を思い出します。原田芳雄さんの動きは、歌舞伎のようです。
 
 『木曜日』
 雨降りです。
 天井から雨漏りをしています。
 原爆病の話が出ます。
 被ばくした本人だけではなく、被爆した女性のこどもも原爆病になるという話が出ます。
 
 おふたりとも、長いセリフをよく暗記できたものだと感嘆します。かんたん:おどろく。感心する。

 『とっつあん、Bが何か落としよったか(B29爆撃機が広島市上空で、原子爆弾を落とした)』
 青白い世界です。
 父は、正面から光を浴びて亡くなった。
 娘は、石灯籠の陰にいて命が助かった。(女友だちから来た手紙をたまたま落としてしゃがんだことが幸いした)。娘に手紙をくれた女ともだちは、原爆で亡くなった。
 『命の恩人の友だち(あきさん)の分まで、幸せにならないけん』と父は言うけれど、娘は、それはできないと主張する。
 戦争体験世代の人たちがつくった世界です。野坂昭如さんの(のさかあきゆきさん)、『火垂るの墓(ほたるのはか』を思い出します。
 被ばくして死にかけている人たちのむごい体の状態の話が続きます。
 手紙をくれた女友だち(亡くなった)の母親が宮沢りえさんに言ったそうです。
 『なして、あんたが生きとる?』
 『うちの子やのうて、あんたが生きとるんはなんでですか?(自分の悲しみを娘の友にぶつける)』
 その後、その母親も亡くなります。
 <重い話です>
 『うちが生き残ったのが、申し訳ない』

 本を一冊思い出しました。
 『ヒロシマ消えたかぞく 指田和(さしだ・かず) 写真・鈴木六郎 ポプラ社』
 かなりせつない。写真絵本です。
 おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。おかあさんが、フジエさん。英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、原子爆弾で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
 ペットの猫のクロと犬のニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。
 からだが少し大きくなったこどもの公子(きみこ)さんが、猫のクロを背中におんぶしています。公子(きみこ)さんは、のんびりした雰囲気をただよわせながら、笑顔で写真に写っています。
 扇風機の前で、前足を出して足を振っている猫のクロはまるで、人間みたいな動きをしています。

 宮沢りえさんが演じる福吉美津江23歳は、純粋な人です。  

2025年01月09日

母と暮らせば 邦画 2015年

母と暮らせば 邦画 2015年(平成27年) 2時間10分 動画配信サービス

監督:山田洋二
俳優:吉永小百合、二宮和也、黒木華、橋爪功、加藤健一、浅野忠信、小林念侍、本田望結(ほんだ・みゆ)

 長崎原爆を扱った長崎を舞台にした映画でした。
 反戦映画です。家族の映画でもあります。

 白黒映像でスタートして、1945年8月9日午前11時2分に、長崎市上空から原子爆弾が投下されます。
 長崎市は何度か訪れたことがあります。資料館で原子爆弾の模型も見学しました。こんな程度の大きさの爆弾で、何万人もの人たちが死んで、被爆した人たちの未来の人生を変えてしまうなんて、ひどいことをする人がいるものだと恐れおののきました。そのころわたしはまだ18歳でした。

 映画は、むずかしい状況設定です。死んだはずの人が、(遺骨が見つからないのです)、この世に現れました。
 原子爆弾の爆発で、瞬間的にあの世行きになった長崎医科大学生の二宮和也さんが、亡霊になって、助産師(当時は、産婆さん(さんばさん)と呼んだと思います)おかあさんの吉永小百合さんの元へ戻ってきます。
 そういえば、わたしたちきょうだいは、産婆さんの手によって、自宅で生まれました。わたしは、きょうだいが家で生まれたときのようすの記憶が少しですが脳みそに残っています。
 
 理屈っぽい言葉のやりとりが続きます。
 反戦のメッセージです。
 父は結核で死んだ。(吉永小百合さんのだんなさんです)
 兄はビルマで戦死した。
 ぼくは、原爆で死んだ。
 状況説明のセリフが続きます。終戦時から三年間ぐらいの昔話です。

 九州弁の質がとてもいい。
 わたしも九州で数年間暮らしたことがあるので、映画で流れる九州弁が自然な響きであるので、ずいぶん感心しました。
 『奥さんおらす?(奥さんはおられますか?)』(「おらす」という方言を、何十年ぶりかで耳にしました。びっくりしました)

 ちょっと変な立ち位置ですが、死んだ者から見た、『レクイエム(鎮魂曲(ちんこんきょく)。亡くなった人を悼む。死者の霊をなぐさめる)』です。
 
 言葉数が多い。舞台劇を観ているようです
 静かに淡々と人生を思う映画です。
 つくった話だから、現実とは違うものがあります。
 復員局で、父親の戦死を確認した小学二年生の女の子がいます。おとながつくった小学二年生像です。わたしが、小学二年生のときは、もっとぼんやりしていました。映画のようにはやれません。

 幻想(幻視)の世界があります。
 人の命を虫けらのように殺してしまう暴君(ぼうくん。独裁者、権力者)がいます。

 美談です。
 戦後法律を守ってヤミ米を買わずに餓死した裁判官の話が出ます。去年前半の朝ドラ、『虎に翼』でも紹介されていました。がんちゃんが演じていました。(岩田剛典さん(いわたたかのりさん))。そのドラマでも、原爆被害者に関する裁判が扱われていました。

 黒木華(くろき・はる)さんが、吉永小百合さんを抱きしめたシーンが良かった。
 吉永さんのセリフです。
 『幸せにならんばよ(幸せになりなさい)』(九州弁の響きが温かい)

 『(カップルの写真を(亡くなった二宮さんが写っている))引き出しに、なおしとくね(写真を引き出しにしまっておくね)』(なおす→しまうとか、片付けるとか)

 この世では、いつまでも過去を引きずる生き方をする人と、過去を変えることはできないからと、あきらめる人がいます。
 人それぞれで、どちらかの生き方を選んで、人は自分の人生を送ります。

 宗教的でもある映画でした。
 神さま……
 どうして人は、爆弾の犠牲にならなければならないのですかと問う人がいます。

 人はだれしも、『死』を迎えるときが来る。
 観念的な映画でした。観念的:抽象的、現実的ではない。
 最後は、さわやかに終わりました。  

2025年01月08日

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 宮崎県都井岬都農神社

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 宮崎県都井岬(といみさき)から都農神社(つのじんじゃ)TVerとかネットもテレ東とか。

祝巳年(みどし)!宮崎パワスポ街道を都井岬からニョロっと174キロ!ゴールは日向国一之宮(ひゅうがっこくいちのみや)の都農神社ですが年男エガちゃんが絶好調!さまぁ~ず大竹もあさこもパワー全開ヤバイよヤバイよSP

 愛知県から行くと、宮崎は遠い。飛行機でないと観光へ行けません。
 鉄道だと、福岡県小倉駅から南下してもかなり時間がかかります。博多駅方向から鹿児島駅経由で宮崎県に入るほうが時間的には早いけれど、それでも時間がかかります。
 ゆえに、わたしにとっての宮崎県は、なかなか観光へは行きにくい県です。
 宮崎県の土は、高校生の時に大分県との県境にある祖母・傾山(そぼ・かたむきやま)山系を縦走(じゅうそう)したことがあるので踏んだことはあります。そこは、テレビではほとんど紹介されない山の中です。

 今回の映像を見て、宮崎県の特徴は、農林水産業の県、食べ物がおいしい県、気持ち的に、のんびりゆったり暮らすことができる県という印象をもちました。
 観光地は、神社、神宮など、神さま関係が多い。あとは、海の景勝地。青い海の風景がとてもきれいです。
 宮崎牛とか、宮崎地鶏(じどり)、伊勢えびとか、うなぎとか、マンゴーもあるし、ミニトマトなど、おいしい食材が盛りだくさんです。
 番組中、堀切峠というところを訪問して気に入って、神奈川県から宮崎県へ移住してきたという男性が出ましたが、そういうことってあるのだろうなあと思いました。

 ゲストは三人で、江頭2:50(えがしら2時50分)さん、さまぁ~ず大竹さん、いとうあさこさんでした。
 江頭2:50さんについてです。
 九州佐賀県のご出身だとは知りませんでした。現在59歳で今年還暦の60歳を迎えるそうです。還暦記念に東京ドームでイベントをやりたいそうです。ゲストに出川哲朗さんを迎えたいそうです。でも出川さんはあまりその気がなさげでした。
 江頭さんが、『台本がいる芸人・タレント』であることがわかってびっくりしました。充電バイクの番組には台本がないからオドオドされています。どうしていいのかわからないそうです。とんちがきいて、うまく立ち回れる人がお笑い芸人だと思うのですが、実態は違うようです。

 さまぁ~ず大竹さんについてです。
 いつもモヤモヤさまぁ~ず2を楽しみに観ています。アナウンサーの田中瞳さんがあれこれやらされてお気の毒だと思いながらも3人が楽しく遊びながら散策していく企画を気に入っています。

 いとうあさこさんは、ダイナミックです。交代時に、さまぁ~ず大竹さんが食べていた焼き肉を大竹さんのお箸などでバクバク食べていました。なにせ、お酒のみで豪快です。とてもいいところのお嬢さん学校を出ているのが不思議です。

 熊谷ディレクター(くまがいディレクター)の願掛けで、運試しで投げた玉が目標の位置に入ったシーンが良かった。出川さんたちからは、バラエティー番組で、そんな本音の願いを言うものじゃないとたしなめられましたが、子をもつ親としての熊谷さんの気持ちが伝わってきました。『息子が受験に合格してほしい』という願いでした。

 いいお天気で良かった。昨年11月30日土曜日と12月1日日曜日のロケです。
 出川哲朗さんが、『11月にはなぜ31日がないのか!』とわめくので、可笑しかった(おかしかった)。あいかわらず、学力不足、活舌悪い(かつぜつわるい。言い間違いが多い。ロケの途中で今回は、『エガちゃん』のことを間違えて何度も、『ウドちゃん』と言っていました)のですが、それでも大金持ちです。お金持ちになるのに、学歴はいりません。才能と努力と人間関係です。
 出川さんが、『モアイ像』のことをしきりに、『モヤイ像』と繰り返すので、同行のさまぁ~ず大竹さんが、モアイ像とモヤイ像は別々の違うものだと思ったと発言されていました。東京渋谷にあるモアイ像のことをさまぁ~ず大竹さん言ったとき、ああ、わたしもそれを見たことがあると思い出しました。

 いなかです。集落では充電先がなかなか見つかりません。住人の方に会えても、テレビに出るのはちょっとと固辞されることが続きます。高齢の方が多い。
 しかたがありません。特殊詐欺とか、闇バイトとか、ぶっそうな日本になってしまいました。わたしがこどものころだった半世紀以上昔は安全で穏やかな田舎の風景がありました。どこの家も鍵をかけずに農作業に出かけていました。

 江頭さんが、ダンボールでつくった災害用のトイレにまたがりました。とても似合っていました。

 江頭さんのユーチューブ登録者数が、440万人だそうです。すごいなあ。たいしたものです。

 七五三がらみもあってか、映像では、小さなお子さんたちが多い。みなかわいい。
 
 小学生ソフトボールチームとバッティング対決をしました。
 女子ピッチャーが投げる球が速い。出川さんやいとうあさこさんでは、ヒットは無理です。

 ゲストをまじえて、二十代のころ何をしていたかの話が出ます。みなさん、駆け出しの無名時代があります。江頭さんと出川さんの交流は三十年間ぐらいあるそうです。熊谷ディレクターにも下積み時代があります。みなさんお仲間ですな。

 ホテル探しをしていて見つけたコテージの施設が良かった。一戸建てのようなもので、料金もひとり1万円以下で安い。
 3つのS(エス)を大事にしているそうです。①すばらしい出会いの「す」のS ②至福の時間の「至福」のS ③「最上」のS 3Sの意味が、ちょっとわかりにくいのですが、設備自体は十分3Sを達成していました。

 番組中、青島神社の黄色いポストはなぜ黄色かという出川さんの質問に答えがなかったので、調べてみました。
 邦画、『幸せの黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ) 1977年(昭和52年) 舞台は北海道の道東から夕張の炭鉱街(たんこうまち) 高倉健 倍賞千恵子 武田鉄矢 桃井かおり』を観た宮崎市役所職員の発案で黄色に塗って、青島神社にまつられている、『豊玉姫(とよたまひめ)』と、『山幸彦(やまさちひこ)』のように幸せになってほしいそうです。ふたりは互いにラブレター(恋文こいぶみ、手紙)を送りあったそうです。だから、ポスト(黄色い)なのです。実際、文通が縁で結婚されたというご夫婦の話はテレビで見たことがあります。昔は、SNSはなかったので、手紙のやりとりが男女の縁を結んでくれました。
 『幸せの黄色いハンカチ』は、男にとって都合のいい内容の映画かもしれませんが、1977年(昭和52年)当時の時代背景を考えると、映画は、いい映画でした。当時、大半の日本人にとっての北海道は、未知の観光地でしたし、石炭産業は斜陽化により、炭鉱の閉山が続いて産炭地では産業の終末期を迎えていました。昨年末にドラマで放映された、『海に眠るダイヤモンド』の環境とも重なります。

 宮崎ですから、宮崎でキャンプ(開幕前の事前練習)をするジャイアンツ巨人軍選手の話がたくさん出てきます。わたしは、グアム島へ観光に行ったときに、ジャイアンツのキャンプを見たことがありますが、そのときの感想だと、練習という雰囲気はあまりなく、もとからずばぬけた才能がある選手たちが、能力を向上させるというよりも、お互いが、チームワークづくりの交流をする場というように見えました。もうすでに、野球をプレイする能力は十分身に付いているのです。あとは、マスコミサービスだろうか。観客誘致策ですな。
 そういえば、昔、太川陽介さんとえびすよしかずさんが、路線バス乗り継ぎの旅をしていたときに、ゲストで出演していた女性から、プロ野球のキャンプというのは、プロ野球の選手たちがキャンプ場でキャンプをしているのかと思っていましたというような趣旨の発言があって笑いました。選手たちが、ホテルに泊まると聞いて驚かれていました。でもよく考えてみると、プロ野球を知らない人だったらそう勘違いしてもしかたがありません。逆に、女性が知っている女性の世界を、男性は知らないということはあります。

 カピピン:宮崎第一ホテルの公式キャラクターだそうです。

 広がるコスモス畑、上空にはF-15戦闘機が飛んでいます。いろんなものがあるのね。

 畳屋さんでの充電はにぎやかでした。畳仕事で忙しそうでした。
 
 神社に行くたびに引くおみくじで一喜一憂です。
 まあ、なんというか迷信(めいしん。科学的根拠も合理的根拠もない)ですから、いいことが書いてある文章には喜び、悪いことを書いてある文章は無視しましょう。  

2025年01月03日

テレ東旅の日8時間スペシャル 路線バス旅 千葉から青森

テレ東旅の日8時間スペシャル ローカル路線バス乗り継ぎの旅 千葉成田山新勝寺(しんしょうじ)から青森龍飛崎(たっぴざき)へ ニッポン列島縦断800キロ 4時間放送を二夜連続放送 テレビ東京

 千葉県成田市にある新勝寺には行ったことがあるので親しみを感じます。
 初日の放送を見ていて気づいたのですが、移動ルートで、太川陽介さんとえびすよしかずさんがバス旅で、以前訪れたところがいくつか出てきます。なつかしい。
 とくに、宮城県蔵王町役場の職員さんは、前回と同じ男性が対応してくれているとすぐに気づきました。前回は、役場業務始業時の朝礼の最中でした。もう7年ぐらい前だったと思います。役場の職員さんは、自治体の頭脳です。助かります。

 えびすさんの笑顔がなつかしい。えびすさんは、認知症になってしまって、いまはもうヨロヨロです。ときおり、NHKのEテレ福祉関係番組でお見かけします。週刊誌のコラムも読んでいますが、本人はちゃんとした文章を書けるような健康状態ではないので、本人と話をして、ほかの方が文章化されているのだろうと推測しながら読んでいます。
 今回の番組中で太川陽介さんから発言があったのですが、自分自身が当時のえびすさんと同じ年齢になってみて(60代なかば。太川さんの体力も落ちました)、ふたりで路線バス乗り継ぎの旅番組をしていた当時は、三泊四日のバス旅で、えびすさんはものすごくがんばっていたことがよくわかった。自分が同じ年齢になって、実感したと話されていました。わたしも同感です。ただ、えびすさんは、ただひとつの目的であるギャラ(報酬)がほしくてがんばったのだと思います。えびすさんは変わっていますが、正直でいい人です。

 今回は、担当を1区から4区にわけて、駅伝のように、『たすき』をつなぎながら、目的地の龍飛崎をめざします。
 リーダーは、太川陽介さんと髙木菜那さんで、かわりばんこにチームをつくって挑みます(いどみます)。

『初日の放送から』
(1区のメンバー:太川陽介さん、ぱーてぃちゃん信子さん、水谷準さん(翌日は、お笑いコンビ宮下草薙(みやしたくさなぎ)の草薙航基さんに交代しました)

 ぱーてぃちゃん信子さんは不思議な人です。以前もバス旅に出演されましたが、15cmの厚底靴で挑戦です。体力があるのか、長時間の徒歩も気にしていません。調べたら陸上競技の選手だったそうです。また、番組中、水戸藩第九代藩主、徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)の実父徳川斉昭(とくがわ・なりあき)の紹介が出たのですが、ぱーてぃちゃん信子さんが、自分にとってのお友だちだと(徳川の系譜に自分がある)話されたのでびっくりしました。

 水谷隼さん(みずたにじゅんさん)は、バスの中のゲームで、ぱーてぃちゃん信子さんのペットであるネコの名前をあてたのがすごかった。(ヒントをもらって)『フグ』と『タイ』でした。勘がいい。

 太川陽介さんは、老眼で地図の小さな文字が見えません。(わたしの体験だと、48歳ぐらいから老眼で小さな文字を読めなくなります)
 草薙さんの役目が、小さい文字を読むことになりました。おもしろい。

 いつもこの番組を観ているのですが、ゲストさんたちが、この企画をとおして、仲良しになっていかれる経過があります。番組という仕事を離れたあとも親交は続いて、やがて親友同士になられる方もいるかと思います。いい番組です。
 今回も、笑いが多いことがいい。

淀川長治(よどがわ・ながはる):なつかしい、太川陽介さんが紹介してくれました。映画評論家。1998年(平成10年)89歳没

 乗り継ぎの、『場所』がわかっても、『バス停の位置』が瞬間的にわからないのが、このゲームのむずかしさです。
 今回も、『バス停』があるのに、それは違うバス停だと勘違いしたり、バス停の表示が小さいことと、目立たないことで、バス停の前を通り過ぎたりとチョンボをしそうになりました。先をいそいであせっていると思いがけないチョンボ(勘違いによる失敗)をしてしまいます。髙木菜那さんを見ていて、先日の鉄道対決旅で、村井美樹さんが、ありえないようなチョンボをしたことを思い出しました。(乗ってきた電車に、再び乗り込んでしまった。それは、折り返しの電車で、メンバーはだれも気づかず、また、自分たちがもと居た駅へと戻って行った)

 バス旅は人生そのものです。うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあります。
 メンバーは、障害物競走にチャレンジするように前へ進んでいきます。
 困難を克服してゴールできると、胸いっぱいに幸せが広がります。チームなので、喜びを共有できます。
 目標を達成できないこともありますが、また今度はがんばろうという勇気と意欲が湧いてきます。

 草薙さんは食べ物のアレルギーがあるそうです。たいへんだなあ。
 草薙さんは、なんとなくなよなよしていますが、人柄はいい人です。

 『白河の関』という地名が出てきました。先日観た、出川哲朗さんの、『充電させてもらえませんか?』でのゴール地点でした。さらに、そのときゲストだった、『松村沙友里(まつむら・さゆり、さゆりんご)』さんが、こちらの番組に翌日出られるそうです。びっくりしました。松村沙友里さんもぱーてぃちゃん信子さんみたいなところがあって、出川さんの番組では、お母さんがフォアグラを焼いて食べさせてくれていたという発言がありました。(お金持ちのお嬢さまかもしれません)

 太川さんと草薙さんの掛け合い、じゃれあいみたいな会話の流れがおもしろい。太川さんが草薙さんをいろいろいじます。草薙さんも負けていません。

(2区のメンバーに交代しました)
 高木菜那さんがきたーーーー

 同行者は、たんぽぽの川村エミコさんです。わたしは、川村さんが書いた本を読んだことがあります。
 『わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社』
 ページ数、文字数は少ない小品でした。ちびまる子ちゃんのように小学校低学年頃のお話が多い思い出の自伝です。
 ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が、『とにかく生きなきゃならない』だったそうで、同感です。
 
 高木菜那さんは、とにかく、すばしっこい。ねずみみたいに駆け回ります。性格は明るい。積極的です。常に前へ前へと進む姿勢です。たいしたものです。

 長距離歩きが続きます。10キロ歩いて、また8キロ歩きます。
 仕事だからできるということはあります。
 仕事じゃなきゃできないということもあります。
 なんというか、一般的な仕事でも、毎日のように10キロ以上歩く仕事はあります。営業とか、学術研究調査とか、資料集め、点検作業などです。

 みなさん明るい。

 高木菜那さんは、スポーツマンで肉食系です。以前、女性三人によるバス旅を見ました。三船美佳さん、たけうちほのかさんというメンバーでした。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅W 第3弾 愛知県伊良湖岬(いらごみさき)~長野県善光寺 ネットもテレ東とかTVer(ティーバー)』
 三人は、夜の居酒屋で晩ごはんのときに、ビールをはでに床にこぼしました。髙木菜那さんは、大量のビールを自分のズボンにこぼして、おしっこをちびったようなびちょびちょ状態になりました。髙木さんは、お店の大将(年配男性)のジャージを借りてはきました。まあ、なんというか、すごい!
 たしか、髙木菜那さんが酔ってきて、前回放映した同番組の第2弾のときは、結局泊るところが見つからなくて、そのときのメンバーはやむなくラブホテルに泊まったのですが(髙木さんはいなかった)、髙木さんが、自分も泊まってみたいというようなことを言い始めたので、三船美佳さんがあわてて、もうカメラを止めてとスタッフに声掛けしたような記憶があります。おもしろい。人間らしい。ステキです。

 翌日、川村エミコさんの交代要員として高島礼子さんが登場したときは驚きました。ベテランです。そして、還暦だそうです。(60歳)びっくりしました。
 これまでに出演したバス旅で、一番歩いたのは、一日に33キロだそうです。たのもしい。

 途中、山形市方向を選ぶか、仙台市方向を選ぶのかという二択があるのですが、これまでのバス旅番組を振り返ると、迷うことなく、仙台方向を選んだ方がいいと思うのです。
 ゲストのみなさんは、過去のえびすさんたちの番組は見ていないようで、いつもぶっつけ本番のような状況に追い込まれます。
 東北でのバス旅は、東北新幹線沿いに北上するのがコツだとわたしは考えています。日本海側は、路線とか本数が少ない。人口が少ない。路線バスの利用者が少ない。(結果的にはそうではありませんでした)

 高速道路を走る高速バスが多いのですが、高速道路を走るバスでも高速道路以外の一般道を走る部分はOKというルールがありがたい。

 バスの車内で、演者である女三人髙木菜那さん、佐々木彩夏さん(ささきあやかさん、ももいろクローバーZ)、川村エミコさんが、バスの後部座席にひとりで乗っていた若い学生さんみたいな男子に声掛けをしたシーンがよかった。えびすさんがいたころは、しょっちゅうバスの車内でお客さんと会話をしていました。今どきの番組内容は、『競争優先』で、車内での会話シーンはほとんどなくなりました。残念です。
 男の子の写真を撮るときに、芸能人女子三人が男の子に、『もっと笑顔で!』と声をかけたシーンが良かった。そうです。いつも笑顔でいきましょう。

 ダッシュで、乗り換えのバスをつかまえた高木菜那さんです。すさまじい。オリンピックスケート金メダリストです。走っている途中で、アクシデントでも起きて、事故にならないだろうかと心配しました。
 翌日川村エミコさんと交代した高島礼子さんが、『なめんなよーって感じだね』。髙木菜那さんのバスの進行方向を予測する野生の勘です。高島礼子さんも凄み(すごみ)があります。(そういえば、高島礼子さんは昨年、NHKドラマ『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ。定時制高校科学部のメンバーががんばる話です)』で、憎まれ役の権威ある研究者として出演されていました)
 
 仙台駅前の映像は、自分たち夫婦も行ったことがあるのでなつかしい。
 珍しく、乗り込んだバスの中で落ち込む高木菜那さんです。(山形県新庄駅へのバスに乗り込んだのですが、これは、もしかしたら自分の選択ミスかもしれないとへこんでいます)(これは、ミスです。わたしはそう思いました。日本海側へは行かないほうがいい)(翌日、その選択は、大失敗だったことが判明します(ところが、チャレンジ終了後の検証によると、そうではありませんでした))(でも、最後はちゃんと龍飛漁港にギリギリで到着するのです。人生に失敗はつきものです。思いがけない病気やケガ、事故や事件に巻き込まれることもあります。うまくいかないことが起きても、こんなときもあるさと、気持ちに折り合いをつけて、へこたれずに、長い人生の旅路をがんばるのです)
 心配した佐々木彩夏さんが、気持ちが落ち込んでいる髙木菜那さんをなぐさめます。『(バスに)乗っちゃったら楽しもう!』
 わたしもそうですが、昔の失敗や人さまに迷惑をかけてしまったことをたまに思い出して、ああ、あのときは……と悔やむ(くやむ)気持ちがぶりかえすことがあるのですが、歳をとってみて、『あれは、あれで良かった』と思うようにしました。いくら悔やんでも(くやんでも)過去を変えることはできません。『あれは、あれで良かった』のです。
 黒柳徹子さんがだれかに長生きの秘訣を聞かれたことがあるのですが、徹子さんは、『反省しないこと』ときっぱりと答えておられました。うまくいかなかったことが起こったとしても、『あれは、あれで良かった』のです。

 翌日の放送で登場される人たちの表示が出ました。楽しみです。
 松村沙友里(まつむら・さゆり、さゆりんご)さん
 澤穂希さん(さわほまれさん)
 ザ・マミィの酒井貴士さん(さかいたかしさん)
 神田愛花(かんだ・あいか)さん
 村井美樹さん

『第二夜』

 最後まで観ました。いいゴール(成功)でした。ギリギリで到着しました。おめでとーーーー
 観ていて、途中でもう無理だと何度も思いましたが、鉄道が止まって、代行バスが出ていたということが幸運でした。バス旅なので鉄道に乗ることはできませんが、バスに乗ることはできます。すばらしい。いいものを見せてもらいました。ありがとーーー
 とても長い距離を歩く旅ですが、考えてみれば、江戸時代の人たちは、基本的に徒歩で国内を移動していたわけで、昔の人たちは偉いなあと感心するのです。
 大昔からのことになりますが、時間的に速い移動方法として、船旅があったのでしょう。でも、船が沈んだら死んじゃいます。便利さと危険が同居している旅です。

 寒いし、雪やあられが降るし、風も強い。
 青森県内の移動などを見ていて、小説・邦画の、『八甲田山死の彷徨(はっこうださんしのほうこう。さまようこと)』を思い出しました。新田次郎さんの小説でした。
 1902年(明治35年)日露戦争のための訓練で、210名中、199名が雪の中で亡くなっています。日露戦争(1904年(明治37年)から翌年まで)。
 今回の旅とロケは、それに匹敵するぐらいの迫力で過酷に見えました。だから、ゴールできてほんとうに良かった。スタッフさんたちもお疲れさまでした。今回8時間の放送とはいえ、8日分の記録を8時間に短くまとめることはたいへんな作業だったと思います。

 3区で太川陽介さん、澤穂希さん(さわほまれさん)と参加した神田愛花さん(かんだあいかさん)は、わたしは神田さんをよく知らなかったのですが、なんだか、すごい人でした。言動が、5歳児ぐらいの発想なのですが、頭はいい。バス旅ファン、バス旅マニアです。太川陽介さんと協力したい(けして、命令に従う上司と部下の関係ではない)、言いたいことは直接相手に言う(こういう役割を果たしてくれる人はだいじです)、そして、めげない人です。

 すごい雪景色です。
 わたしも以前、11月20日ごろに青森空港へ飛行機で降りたことがあるのですが、離陸した愛知県にある中部セントレア空港は快晴のいいお天気だったのに、着陸した青森空港付近はすっかり雪景色でおおわれていてびっくりしたことがあります。同じ日本でも、気候が全然違います。

 3区は歩く一日になってしまいました。バスは1本しか乗れませんでした。1日1本しか乗れなかったのは、番組での新記録でしょう。
 (日本海側の北上をあきらめて、仙台へ引き返す選択もあったのかも……)(仙台市在住の澤穂希さんが少々ぶぜんとされていました。お気持ちがわかります。澤さんも仙台から北上したほうが良かったと強調されていました)(でも、事後の検証では、仙台からの北上ルートだと、ゴールが非常に困難だったことが判明するのです)

 澤さんのサッカーの話が良かった。
 『(サッカーは、攻撃よりも)守備が疲れる』(なるほど)
 『(プレイをしていて)ゾーンに入る(異世界を体験する。自分の周囲の動作がスローモーションに見えるときがあったそうです。そうすると奇跡的なプレイができる)』(わたしもわかります。40代のころ、仕事の内容で悩んでいて、考えて、考えて、考え抜いて、発狂するラインの少し先までいくと、いいアイデアがひらめくことが何度かありました。ただし、そのラインからすみやかに戻ってこないと気が狂うに違いないという恐怖感がありました)

 とにかく歩く。幸いに、クマは出ない道だそうです。

 バス路線はあるけれど、土日は運休です。土日にバスが必要な人がいない。運転手が土日は休む。たぶんそんなところでしょう。

 澤穂希さんは、結局、バス1本(距離として75km)に乗車しただけで、あとは長距離を歩いただけで帰宅されました。家で、こどもさんの世話があるそうです。(お疲れさまでした)

 神田愛花さんと村井美樹さんは友だちだそうです。だから、神田愛花さんは太川陽介さんと同じチームになって、村井美樹さんのチームとは対決したくないそうです。

 ザ・マミィの酒井貴士(さかい・たかし)さんが澤穂希さんと交代です。
 酒井さんは、33歳だそうですが老けて(ふけて)見えます。(その後、年末番組『アメトーク』の運動ができない芸人のコーナーでお見かけしました。笑いました。ほかの芸人さんも含めて、どうして、体が、あのようなへんちくりんな動きになるのかが不思議です)
 酒井さんは、クズキャラ芸人という個性が、売りだそうです。
 酒井さんは、運動はしない。
 ヘビースモーカーで、肺年齢は75歳だそうです。早死にしてしまいます。タバコはやめましょう。タバコを吸っても幸せにはなれません。不幸せにはなります。
 岡野陽一さん(お笑い芸人)とよく間違えられるそうです。
 競艇(きょうてい)もやるそうで、えびすよしかずさんと似ています。ギャンブルでは、負けていることでしょう。
 
 重苦しい雰囲気が続きます。バスルートがありません。バスの本数も少ないうえに、ロケ日である土日は運行がお休みです。なんということでしょう。バス旅ではなく、徒歩旅です。

 神田愛花さんのファインプレイがありました。ヒットです。
 秋田空港へ行って(徒歩を含む)、秋田市内行きのバスに乗ります。(秋田市内に行けました)
 神田愛花さんの発想でした。

 酒井貴士さんは手品がおじょうずです。バスの車内で披露されました。口から、競艇のハズレ券をたくさん出されました。見ていてやりかたはわかりましたが、かなりおじょうずでした。
 酒井さんの特技が手品で、太川さんの特技が、二倍速で歩くことだそうです。太川さんはいやがっていましたが、そのとおりです。
 以前、本物の太川陽介さんを見たくなって、東京渋谷にあるシアターオーブという劇場へ、森公美子さんの、『天使にラブ・ソングを』というミュージカルを観に行きました。太川陽介さんは、神父の役で、終始ニコニコしながら、ステージのまんなかあたりで演技をされていました。貧乏な教会の財政を立て直すために、修道女のみなさんでコーラスグループを結成して、お客さんから料金を集めるのです。なかなかよかった。

 『さゆりんご』というキャッチフレーズの松村沙友里さんががんばります。本人がいうには、これまで、『甘えてきた人生でした』という言葉ですが、歩くよりも走る方が得意ですとアピールされて、鬼軍曹村井美樹さんとスピードスケート金メダリスト髙木菜那さんのかけ足に猛烈な勢いでついていきました。立派です。三人とも悪天候の中で、カッパを着ての爆走でした。

数検(数学検定):さゆりんごさんがもっていると自慢されていました。聞いたことがない検定だったので調べました。『実用数学技能検定』というそうです。知りませんでした。

 さゆりんごさん(松村沙友里さん)が、秋田名物『なまはげ』を、『なまはげ』という言葉が出てこなくて、『仮面をかぶった怪獣』と表現したので笑いました。おもしろい。

 村井美樹さん提供の食事がとれなかったときに食べる食事を、『行動食』といい、髙木菜那さんがそれを、『流動食』と言い間違えたところもおもしろかった。

 コミュニティバスの運転手さんが、芸能人や撮影スタッフが、いなかのバス停で待ち構えていたのに驚いて、『なぬッ?!』と声を出されたのがおもしろかった。
 コミュニティバスの中に、乗客が書いたノートがありました。感謝のメッセージや要望です。
 『バスって、ありがたい』、お年寄りの感謝の言葉には、ほろりとくるものがありました。
 バスは、弱者の味方であってほしい。思うに、バスにしても鉄道にしても、公共交通機関の利用者の大半は、交通弱者なのです。自分で自家用車を運転して目的地に行けないのです。高齢者、障害者、病気の人、こどもさんなどです。
 到着したバス停では、大粒のあられが降ってきました。
 これが、夏のロケなら、ずいぶん楽だったでしょうに。

 野生の白鳥の群れを見ることができました。
 鳥たちは、たんぼに集まってなにかを食べていました。

 能代(のしろ)から北へ方向を撮るか、東へ方向をとるかで迷われましたが、迷うことなんかない、東へ行くのですと教えてあげたい気持ちでした。(東へ行かれました。良かった。絶対東ルートです)

 歩く、歩く、12キロ歩く。

 村井美樹さんと髙木菜那さんが、午後5時になって、『ここからがバス旅だ!』と息巻きます。この遅い時刻からが本番なのです。さゆりんごさんがおびえるように引いていました。
 わたしも仕事をしていたころは、午後5時になると、今からが仕事の本番だと力を入れてがんばっていました。いまは歳をとってしまったので、そんなことをしたら体が壊れてしまいます。

 最終日です。残り時間も少なくなってきました。バスがなくなったら終わりです。
 『ゴールをとりに行こう! レッツゴーー 最終日だーーー』三人が走ります。
 髙木菜那さんは、闘志のかたまりです。
 過酷です。
 津軽半島の地名のあれこれは、太宰治作品『津軽』を思い出させてくれます。名作です。
 大金持ちの家に生まれて、実母ではなく、乳母(うば)に育てられて(長い年数、乳母が母親だと思っていたそうです)、大きな屋敷で生活していて、まわりにたくさん人がいてもひとりぼっちで、心が屈折していった。母親代わりだった乳母を慕う気持ちが書かれています。
 1944年(昭和19年)11月の刊行です。まだ、戦時中です。翌年8月が終戦です。
 太宰治作品のなかでは、自分はこの作品が一番の好みです。淡々と静かです。太宰治というよりも本名の津島修治として書かれているような気がするのです。ふと気づいたのですが、筆名にある「治」は、本名の「修治」の治からとってあるのかもしれません。
 仲が良かった二歳年下の弟さんが若くして亡くなった部分にはほろりときました。
 作者は津軽を愛していました。
 
 途中で出会ったおじさんがおもしろい。
 『500mぐらい歩けば、民家なくなる。ライトがなくなる』(4kmぐらい電気(街灯)なしです)
 おじさんが、うしろからついてきてくれて、メンバーに何度も声をかけてくれます。『がんばれ! 民家なくなる!』
 三人ともすごい体力です。若さがうらやましい。
 『カニター―(地名です) 行くぜ~~~』
 
 ゴールは、『龍飛漁港(たっぴぎょこう)』です。
 ギリギリでゴールしました。すごーい。千葉県の新勝寺から、青森県の津軽半島のさきっぽまで、路線バスと徒歩だけで到着できましたーーー 800キロ、45本のバスで来ましたーーー
 バス車内のアナウンスは、運転手さんの生の声で、『終点龍飛漁港です』
 おめでとーーーーー 『龍飛りんごーーー』という三人の声が響き渡りました。

(その後のこと YouTube ユーチューブで答え合わせの検証を見ました)
 驚いたのは、大失敗だと思っていた髙木菜那さんの仙台駅前バスターミナルでの選択が大正解だったことです。
 髙木菜那さんの判断と決断で、メンバーは、仙台駅前→山形県新庄市へのバスに乗り込みました。髙木菜那さんはバス車内で、うつ的になるほど深く悩まれました。
 山形県新庄市へは行かずに、今いる仙台市で一泊して、翌日、仙台市から北上するルートをとっても、目的地にゴールすることはかなり困難だったそうです。
 そうなのか。思いこみだけで評価してはいけないと気づかされました。髙木菜那さん、正解ですよーーー 自信をもってくださーい。  

2025年01月02日

東野&岡村の旅猿26『何も決めずに香川県の旅』

東野&岡村の旅猿26~プライベートでごめんなさい… 『何も決めずに香川県の旅』 ゲスト:バカリズム TVer(ティーバー)とかhulu(フールー)とかBS日テレ火曜23時とか。

 あけましておめでとうございます。
 ことしもまた、淡々と書き綴って(つづって)みます。
 よろしく。

(第1話)

 東野幸治さんがロケ中に一般人に優しかったのでびっくりしました。岡村隆史さんも、『そんなキャラ(個性)でしたっけ?』と疑問を出しておられましたが同感です。
 東野幸治さんが、『充電させてもらえませんか?』の出川哲朗さんや『家族に乾杯!』の笑福亭鶴瓶さんみたいに、通りすがりの一般人に積極的に声をかけて、いっしょに写真におさまりましょうと誘うのです。
 東野幸治さんは、これまでそんなことをするような人ではありませんでした。なにかの話題づくりが目的だろうか。香川県に来て一般女性ふたり連れに声をかけたり、ご家族連れに声をかけて、いっしょに記念写真を撮ったりしました。

 バカリズムさんが、運転免許証を持っていないと言われたことも意外でした。
 前回、八丈島への旅では、原付バイクに乗ろうという企画で、バカリズムさんと同じく福岡県が故郷(ふるさと)の博多華丸さんが、高校時代原付バイクに乗ってうんぬんかんぬんという話が出て盛り上がりました。
 バカリズムさんも原付バイクにのりましょうと東野&岡村のおふたりが誘ったら、バカリズムさんが、『免許持ってません』ときっぱりと返答されました。

 にぎやかな三人です。
 これからどこへ行こうかという話が出て、小田和正さんがライブをやったという『さぬき市野外音楽広場テアトロン』に行くことになりましたが、今回は、小田和正さんが今、コンサートをしている最中というわけではなく、野外音楽広場だけの見学予定です。ご本人の歌を聴けると勘違いをして、期待に胸をふくらませていた岡村隆史さんが、がっかりしていました。

 旅の目的は、香川県の宣伝をすることですが、名産としての『うどん』は、はずすそうです。
 うどんの話が長い。うどんのことが、ゲストの頭から離れません。
 香川県は、『うどん』以外にPRする戦略がないような印象です。(このあと2回目の放送で意外な展開になりました)
 
 日本のウユニ塩湖(えんこ)、『父母が浜(ちちぶがはま)』が登場します。
 潮だまり(海の水が砂浜にたまっている)に写る写真がキレイなところです。人物像がジャンプしたときなどに海水に反射して映る写真を撮って楽しみます。
 有名なところなので、これまでに、ほかの旅番組でも何回か観ました。今回のメンバーが訪れた時間帯がそれほどいい時間帯ではなかった(夕映え時がいい)せいもあってか、パッとしないロケでした。
 バカリズムさんが持っていた黄色いスマホの黄色い色がいいなあと思ったぐらいです。
 写真はきれいでも現場は意外にしょぼいとだれかが言っていました。
 南米ボリビアにある、『ウユニ塩湖』を出さなくても、単体で、いい景色を見ることができるスポット(場所)としてアピールすればいいのではないかとバカリズムさんから提案がありました。
 東野幸治さんは、みずたまりの手前に立つので、みずたまりに自分の姿が写らないわけで、企画内容をよく理解されていないようすでした。

 ヒロカネ屋というところで、『たこ判(たこばん)』を食べました。
 めずらしい。248円。卵たこ判(たまごたこばん)とコロッケを注文しました。
 たこ判は、お好み焼きとたこやきの合体のような食べ物で初めて見ました。ソースがたっぷりかかっています。想像していたものとは違いました。なつかしい味のコロッケだそうです。そういえば、バカリズムさんのご実家は、弁当屋だったと思います。 福岡の田川市あたりがご実家でした。(わたしは、去年9月に田川市にある石炭歴史博物館を見学しました。なかなか良かった)
 たこ判もコロッケもとてもおいしいそうです。家庭料理のような雰囲気とお店で、中高生などが、学校のクラブ活動帰りにおなかをすかせて食べるような雰囲気の家庭的なお店でした。美容院も併せて(あわせて)やられているそうです。
 美容院なので、床屋とか理髪の話が出て、以前、くっきーさんが博多で、それから、ダイアンの津田さんが出たマカオの回のときに、番組内で髪を切った話がでました。
 わたしも両方テレビで見ました。まあ、どこまでが仕事かわからない番組です。この番組は、プラベートでごめんなさいというサブタイトルです。

 次回は、古代のサウナ、『から風呂(からぶろ)』だそうです。

(第2話)

 バカリズムさんが独特です。
 前回は、運転免許証を持っていないと言い(まあ、そういう人もいるでしょう。ただ、『旅猿』はたいていレンタカー移動で、ゲストも運転します)、今回は、バカリズムさんから、これまでの人生で、讃岐うどん(さぬきうどん)を一度も食べたことがないという発言が飛び出しました。聞いていて、これまでの人生で、うどんというものを一度も食べたことがないと発言されているような雰囲気でした。びっくりしました。
 それなのに、今回の香川県の旅では、うどんは食べないと定義(決定事項として東野さんが最初に話をまとめてしまった)づけして決定してしまいました。もう香川県のさぬきうどんは取材されつくされている。だから、今回は、うどんをはずしましょうという流れでした。
 バカリズムさんが、うどんを食べたことがないと聞いて驚いた東野さんが、それはいかん!と言い出し、きゅうきょ、讃岐うどんを食べることになりました。そんな経過がありました。わたしは、日本人で、うどんを食べたことがないという人を初めて見ました。
 オープニングの作戦会議でのていねいさに欠けました。スタッフも雑です。まあ、バカリズムさんの個性は不思議です。なにかしら極端な生活をしている。なにかしら、極端な人生体験をされておられます。
 
 『から風呂(ぶろ)』は、高温のサウナでした。170℃もあります。石室(いしむろ。狭い。三人いっぺんに入りました)の中で5分間をがまんです。
 全身を覆うように(おおうように)防護服を着るようなかっこうで、頭巾(ずきん)をかぶって、さらに、毛布で全身をくるんで顔も隠します。相当暑かったようです。出てきた時にみなさんが、『涼しい』と繰り返していました。

 岡村さんが、スマホで、お昼ご飯のお店に電話をかけて撮影交渉をするのですが、岡村さんは事務屋さんではないためか、へたくそです。岡村さんの電話のしかたは、しつこくて、繰り返しが多く、ムダがあります。慣れていない。へんなの。

 みなさんが車で移動している様子をみて、自分と友だちが、同じように車であちこちを回っていた二十歳前後のことを思い出しました。でも、映像のみなさんは、もう年齢がだいぶ進んでおられます。いつまでも少年です。ふつうその年齢(五十代男性)では、旅猿映像のような旅をする人は少ないと思います。毎日仕事に追われています。でも、みなさんは、これが仕事です。これを書いていて、まあ、自分でも何が言いたいのかわからなくなりました。
 演者さんたちの奥さんやこどもさんたちは怒っているかもしれません。自分(夫、父)だけがいい思いをしていると。三人とも家族サービスを欠かさないようにしましょう。

(第3話)

 原付バイクが用意されていますが、バカリズムさんは運転免許を持っていないので、東野さんと岡村さんがバイク、その後ろを、車にのったバカリズムさんがついていきます。お互いにマイクを使って会話をしますが、会話ははずみません。変なロケでした。

 音楽広場『テアトロン』で、ものまねをする人が、奥田民生さんの歌などを歌いましたが、これもまた盛り上がりませんでした。
 井上陽水(いのうえ・ようすい)さんのものまねも出ました。井上陽水さんとバカリズムさんは同郷の方ですが、世代が異なるので関連性は薄いでしょう。(福岡県筑豊地区田川市)。IKKO(イッコー)さんとか小峠英二さんもたしか同郷でした。むかしは炭鉱で栄えましたが、今は静かな町です。

 仕事の話です。ロケで何を撮るかです。
 自分たちで薪(まき)をくべて火をつけて風呂を沸かして入る。というようなことにチャレンジするようです。

 三人の姿を見ていて年長者の立場で思ったことです。
 体が元気で、わいわいやれているうちは楽しい。
 だれしも、やがて老いが近づいてきます。
 やれていたことがやれなくなってくるし、脳みその働きも衰えてきます。
 やれるときに、いい思い出をたくさんつくっておく。
 やれなくなったら、ああ、あのときは楽しかったなと思い出す。思い出が多い人生が、いい人生です。
 10年後、20年後、30年後、三人さんはどうなっているだろうかと想像を巡らせました。
(先日うちの親戚のひとりが、認知症で施設に入ったと電話で聞きました。若い頃、あんなにきれいで元気だった人がとショックを受けました。もう会っても、ちゃんとした会話はできそうにありません)

(第4話)
 
 今回で香川県への旅は終わりです。
 古民家を活用したお宿で宿泊です。自分たちで、薪(まき)を使って、おふろのお湯をわかします。わたしも中学生のころ、日曜日は薪割りをしていました。おふろをわかす燃料は、薪と石炭でした。日常生活でそういうことをしていましたが、今は、ガス給湯器(きゅうとうき)があってとても便利です。

 翌朝の朝食は、高松市内で、さぬきうどんの朝食です。
 大阪のおじさんたちは、パンとコーヒーの朝食が好き。モーニングは、名古屋のイメージとか、いろいろ話が出ます。
 以前、この番組で出ていた長崎県での朝食が安価でおいしかったことを思い出しました。ゲストが、平成ノブシコブシの吉村崇(よしむら・たかし)さんで、吉村さんが、こんなことを言っていたことを思い出しました。
 三人は長崎県で、朝食に貝汁定食を堪能されました。(たんのう:十分に楽しみ満足した)おでんで、厚揚げ、牛すじもありました。貝汁は映像を観る限り、一般の家庭でつくる形態のもので、九州地方にあっては、ふだんの生活で食べる食べ物に見えました。
 吉村崇さん『(自分は)なんで東京になんか住んでいるのだろう。こんなおいしいものが地方にはいっぱいある』おいしい食べ 物を食べて、美しい景色に包まれて暮らしを送る。
 働いて、ある程度お金が貯まったら地方で暮らすのも人生を楽しむ手法です。
 三人は『100点満点の朝』と満足されました。

 今回の三人も、香川県でのおうどんの朝食に満足されていました。
 バカリズムさんは、うどんを楽しめて良かったと発言されました。
 名物があるということは、観光において、強みになります。

 次回は、京都府丹後半島にある伊根の舟屋(いねのふなや)で、ゲストは、映像ではベッキーさんに見えました。楽しみです。
 年をとってきて、交通の便が不便な土地に行くのは、体の負担になってきています。最近は、旅先が、都市部に限られるようになってきました。
 これまでにあちこち旅行に行ったので、もう無理しなくてもいいかなという気持ちもあります。
 旅番組は、テレビの映像を見るだけでそこへ行った気分になれるので助かります。  

2024年12月28日

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 中禅寺湖→白河の関

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 中禅寺湖→白河の関 TVerとかネットもテレ東とか。

北関東縦断128キロ■紅葉の<中禅寺湖>から<日光・那須高原>へ■ゴールは高校球児の名所<白河の関>なんですが■マジラブ村上&さゆりんごがヤバイよヤバイよSP

 前半のゲストが、お笑いコンビマジカルラブリーの村上さん、後半が、元乃木坂46のさゆりんご(松村沙友理(まつむら・さゆり)タレント・ファッションモデル・女優)さんでした。
 村上さんは、こどもたちに、『勉強しろよーー』という人で、さゆりんごさんは、勉強よりもハートが熱い人でした。

 自分は小学生のときに一時期栃木県に住んでいたことがあるので、日光市は身近な地域です。成人してからも何度か訪ねたことがある場所です。職場の友だちと泊まりで行ったり、まだ小学生だった息子と二人旅をしたり、夫婦ふたりで訪ねたりもしました。
 いろは坂をのぼったところにある中禅寺湖にも何度か行きました。今回充電メンバーがバイク移動の途中で訪れた東照宮とか鬼怒川にも行ったことがあります。映像を見ていてなつかしかった。映像では、紅葉がきれいです。中禅寺湖のそばにそびえたつ男体山(なんたいさん)もくっきり見えます。

 マジカルラブリーの村上さんが、神社でのお賽銭(さいせん)を、スタッフの製作費から出させようとします。この人もかとあきれました。これまでに、お賽銭の自己負担をいやがったのは、クロちゃんとナダルさんでした。軽蔑(けいべつ)しました。
 村上さんは、このあとも出川さんに対して無礼(ぶれい)な行動がありました。わざとやって受けを狙ったとも思えません。好感度が下がりますぞい。
 出川さんは、『勉強も大事だけれど、好きなものを見つけてくれ!』と、ちびっこたちに声をかけますが、村上さんは、こどもたちに、『勉強しろよーーー』とけしかけます。出川さんは、村上さんの高学歴(東京六大学卒)を聞いて相当なショックを受けて言葉を失っていました。
 わたしが思うに、一般的には、小学生というものは、最低限の読み書き計算ができていればいい。まずは、生きて小学校を卒業してほしい。死んじゃだめです。親や祖父母は、自分より先に子や孫が死んだら泣きます。

 あの長い日光いろは坂を電動バイクで走るなんて驚きです。快挙でした。

 豆乳ゆばラーメン(とうにゅうゆばラーメン)がおいしそうでした。優しい味(やさしいあじ)でしょう。麺(めん)の上に、ゆばがたくさんのっています。
 塩ラーメンだそうです。
 優しい店主さんでした。
 
 雨が降ってきたので、メンバーがかわいそうでした。
 村上さんは体が太いので、雨がっぱが小さく、上半身がぱんぱんできつい。
 村上さんは、体重が110kgぐらいあるそうです。やせたほうがいいですよ。
 
 鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)には、45年ぐらい前に行って宿泊したことがあります。とてもにぎわっていました。現在の鬼怒川温泉は、さびれてしまったような雰囲気があります。
 当時の日本では、まだオートマチック車は普及していなくて、マニュアル車のレンタカーを借りて、友だち三人を乗せて運転して東武日光駅あたりから周辺観光に行きました。そのときの三人とは、お互いに前期高齢者になった今でも交流があります。みんな、歳をとりました。

 豚肉料理がおいしそう。食べてみたい。映像を見ているだけで、口の中につばが出てきます。
 とんかつステーキのお店でした。

 ホテルに泊まれて良かった。いつもホテル探しがたいへんです。予約なし、その場で探すドタバタ騒ぎです。
 毎回のことですが、ゲストさんは、宿泊した翌朝早くに、仕事がありますと言われて帰っていきます。たまには、通しで(とおしで)同じゲストさんでやってもいいのではないだろうか。だれかひとりぐらい、出川さんたちに最後までつき合ってほしい。
 昔の太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バスの旅では、三泊四日でずーっと同じゲストさんでした。過酷ではありましたが、見ごたえもありました。

 さゆりんごさんは、知名度が低いのか、悪戦苦闘されていました。
 地元の人に、『(タレントの)王林さんの仲間?』とか、キャッチフレーズを聞いても、『何?』という反応でした。
 さゆりんごさんは、映像に出てきてそうそう、白河へは最近仕事で行ったばかりと話が出ましたが、尻切れトンボで、その話題は後半にはつながりませんでした。
 なんというか、『白河(しらかわ)』という土地に対する解釈がヘンでした。全国各地に、『白河』があるというような錯覚が感じられました。
 おこられるかもしれませんが、さゆりんごさんは、勉強がにがてそうで、前半ゲストのマジカルラブリー村上さんと対象的でした。でも人情とファイトでは、さゆりんごさんのほうが優って(まさって)おられました。

 乃木神社というところで、こどもさんの七五三参りに遭遇(そうぐう)しました。
 赤い鯛(たい)のかぶりものをしたお子さんのかぶりものがおもしろい。
 インタビューのようにして、ちいさなお子さんに、将来何になりたいかを質問です。
 小さい子は、ケーキ屋さんになりたいと言い、ちょっと大きな子は、JRの職員になりたいと答えがありました。どなたか身近にJRの職員がいるのかもしれません。
 お子さんたちの姿が相変わらず多いロケです。少子化が感じられません。

 さゆりんごさんは、コミュニケーションがにがてそうです。
 ひとりで、充電の依頼をするのですが、かなり緊張されています。
 地元民とうまく雑談ができなさそうな個性です。
 台本が必要なタレントさんです。
 でも地元の方は、みなさん誠実な人でした。
 充電を受けてもらえて良かった。
 充電先のお母さんと娘さんのお顔がよく似ていました。
 
 那須高原駅の近くでおまつりです。
 この番組のロケは、土日がけっこう多いのはそういうわけかと気づきました。
 地元でお祭りやイベントが開催される土日を狙っている(ねらっている)のです。
 いきなり泊まるホテルは見つけにくくなりますが、祭りがあれば、飛び込んで、番組で使える映像を手に入れることができます。

 充電先のお宅の畑でとれた立派なサツマイモが映像に出てきた時に、BGM(バックグラウンドミュージック)で、南こうせつさんの、『妹よ』の歌声が流れました。つい先日、ご本人の歌を東京にある日本武道館で聴いたので、胸にジーンとくるものがありました。黒柳徹子さんの番組、『徹子の部屋コンサート』を聴きに行ってきました。

 偶然見つけた、ひっそりとやっているフランス料理屋さんのお料理がおいしそうでした。お肉が柔らかい。
 今回のロケは、グルメの旅になりました。地元の食材などがいいので、おいしいお料理が出せるのでしょう。地産地消(ちさんちしょう)ですな。
 フランス料理の食事中に、さゆりんごさんが、『いつもお母さんがフォアグラを焼いてくれる』と発言されたので、お嬢さまなのかとびっくりしました。
 出川さんは、さゆりんごさんを、たいてい言い間違えて、『ゆきりんごちゃん』と何回も紹介していました。村上さんの、マジラブ(マジカルラブリー)も、何度も、違うふうに、『ラジマブ』と紹介していました。へんなの。

 那須ワールドモンキーパークでは、おさるさんのショーに感激です。
 観ていて、わざと失敗して、ついに成功するというストーリーのショーなのに、さゆりんごさんは感動して(がんばるということに、(おさるさんが)何度も挑戦して最後に成し遂げるということに)大粒の涙をこぼされていました。まだまだ純真なお嬢さんです。(おさるさんはね、最初から技を(わざを)できるんですよ。わざとできないようにして、じょうずに演技をしているのですよ)
 それにしても、ショーでは、大きな緑色のインコがしゃべるのですが、そのタイミングと言葉のキレの良さに感心しました。
 エリマキキツネザルとのからみもおもしろかった。サルに俊敏な動きがあります。ウッキーのポーズです。
 
 福島県内の田舎道をひたすら走ります。もうあたりは暗い。
 バッテリーの充電が0%です。土方ディレクター(ひじかたディレクター)が、0%なのに、『行きましょーー』とかけ声をかけます。オモシロイ。土方さんは、変わっているけれど、いい人です。
 もうあたりは真っ暗なのに、充電を受けてくださったお宅がありました。良かった。
 夜ですが、親戚一同集合で記念撮影です。芸能人たちの突然の訪問に、さぞや驚かれたことでしょう。なかなか良かった。にぎやかです。

 ようやく白河の関に到着です。
 神社にお参りをしました。
 以前、仙台市に行ったときに、夜の始まりで暗くなったころ、百貨店の屋上にある小さな神社でお参りをした時の雰囲気に映像が似ていました。映像を見ながら、仙台への旅のシーンを思い出しました。暗い中での参拝でした。
 松村沙友理さんは、ガッツ(闘志)があります。
 今回が今年最後の番組ですので、『またらいねーん』で終わりました。(来年も楽しみにしています。1月3日金曜日午後5時55分、場所は宮崎県、ゲストは、江頭2:50、さま~ずの大竹さん(いつも、もやもやさま~ず2を見ています)、いとうあさこさんです(いとうあさこさんたちは、お酒ばっかり飲んでいる旅番組なので、わたしは見ていませーん)