2024年08月09日
なんのサンドイッチ? たなかひかる
なんのサンドイッチ? たなかひかる 大和書房
(1回目の本読み)
発想の進展経過をマンガを読むように絵本にしてあるユニーク(珍しい(めずらしい))な絵本です。
(2回目の本読み)
サンドイッチです。
食パンが2枚、中になにかがあります。
ありえないものが、具材に使用されています。
食べられないものです。(自動車、すべり台……)
絵を見ていれば、なにがはさまっているのか、うすうすわかります。
食べられるけれど、一般的な日本人は食べないものです。(ウサギ)
ウサギたちは、オレンジ色のニンジンを食べています。
なかなかおもしろい。
ヘリコプターです。
ヘリコプターのプロペラが、クルクル回っているから、上にある食パンはクルクル回っています。
今度は、馬です。
ここからがおもしろい。
馬だと思っていたらケンタウロスでした。(上半身が人間です)
硬式野球のボールです。
キャッチャーのミットが、食パン2枚です。(おもしろい)
ヒーローと怪獣です。
戦っていたけれど、ふたりは仲良しになります。(おもしろい)
パンのサンドイッチ。
パンのあいだにパンがはさんであります。(なるほど)
どんどん話が発展していきます。
なかなか雄大な展開です。
なるほど。
じょうずな終わり方でした。
小学校低学年の孫に読んであげましたが、発想を理解できず、いまいちだったようです。
(1回目の本読み)
発想の進展経過をマンガを読むように絵本にしてあるユニーク(珍しい(めずらしい))な絵本です。
(2回目の本読み)
サンドイッチです。
食パンが2枚、中になにかがあります。
ありえないものが、具材に使用されています。
食べられないものです。(自動車、すべり台……)
絵を見ていれば、なにがはさまっているのか、うすうすわかります。
食べられるけれど、一般的な日本人は食べないものです。(ウサギ)
ウサギたちは、オレンジ色のニンジンを食べています。
なかなかおもしろい。
ヘリコプターです。
ヘリコプターのプロペラが、クルクル回っているから、上にある食パンはクルクル回っています。
今度は、馬です。
ここからがおもしろい。
馬だと思っていたらケンタウロスでした。(上半身が人間です)
硬式野球のボールです。
キャッチャーのミットが、食パン2枚です。(おもしろい)
ヒーローと怪獣です。
戦っていたけれど、ふたりは仲良しになります。(おもしろい)
パンのサンドイッチ。
パンのあいだにパンがはさんであります。(なるほど)
どんどん話が発展していきます。
なかなか雄大な展開です。
なるほど。
じょうずな終わり方でした。
小学校低学年の孫に読んであげましたが、発想を理解できず、いまいちだったようです。
2024年08月07日
リカバリー・カバヒコ 青山美智子
リカバリー・カバヒコ 青山美智子 光文社
味わい深い文章を書かれる作家さんです。
電子書籍の週刊誌で紹介されていたので取り寄せてみました。
こどもさんが乗って遊ぶ公園にあるカバを手でなでると、なでたその部分が治るというパターンは、長野善光寺にある、『びんずるさん』に似ています。本堂内に置いてあるお釈迦様(おしゃかさま)のお弟子さんの木像です。
わたしたち夫婦がお参りして、びんずるさんをなでなでしたしばらくあとに、その木像が盗まれるという事件がありました。びっくりしました。
びんずるさんは、その後、発見されて善光寺に戻りました。まず、おどろいたのは、木像を持ち上げて持って行ける状態にあったということでした。盗むための対象物という発想はありませんでした。あわせて、仏像がそこにただ置いてあったということでした。盗まれないように(ぬすまれないように)何かで固定されていたわけではありませんでした。
こちらの物語では、児童公園にあるカバの遊具をなでると、その体の部分が良くなるというものです。
人間にはだれしも、『願い』があります。
先日読んだ児童文学、『希望のひとしずく キース・カラブレーゼ作 代田亜希子・訳(だいた・あきこ) 理論社』では、公園の古井戸にコインを投げ入れて願いを言うのですが、井戸の底には、三人の中学一年生、男子ふたり、女子ひとりがいて、願いごとをした人の願いをかなえようと頑張るのです。(洞窟と古井戸の底がつながっている)
登場人物を変えながら、第1話から第5話まであるようです。
第1話を読み終えた時点で、今年読んで良かった一冊になりました。
『第1話 奏斗の頭(かなとのあたま)』
奏斗(かなと):高校一年生。中学までは、いなかの中学校で学力優秀者だった。都内に近い分譲マンションに引っ越して、都内の優秀な進学高に入学したら、今までは良かったテストの点数が、がた落ちになってショックを受けている。高校で友だちはいない。42人中35位の成績です。
新築マンション、『アドヴァンス・ヒル』に住んでいる。両親がいる。父親は奏斗に関心をもっていないようすです。『父さんはいつも優しい。でも褒めてくれる(ほめてくれる)ことはほとんどない』
『どうして僕は、バカになっちゃたんだ……?』
奏斗は自分を、『バカ』ではないと信じたいが、学力が高い学校では、成績順位はうしろのほうになっている。自信を打ち砕かれた状態です。
児童公園にあるのりものである『カバヒコ』の後頭部に油性マジックで落書きされた『バカ』という文字が奏斗自身に重ねた物語になっています。
奏斗は、返ってきたテストの点数、『61点』を『89点』に偽造します。母親は気づけません。先日同じようなシーンが、NHK朝ドラ、『虎に翼』であったことを思い出しました。
奏斗が住む場所の近所にあるものとして、『サンライズ・クリーニング』、『団地』、『日の出公園』、『カバの遊具(アニマルライド。のちに、「リカバリー・カバヒコ」と呼ばれていることがわかる)』。リカバリー:修復。
雫田美冬(しずくだ・みふゆ):奏斗のクラスメート女子。団地住まい。6号棟に住んでいる。6人の兄弟姉妹。家族が多いので自分の部屋もないけれど、勉強でがんばっている。いい子です。高校の学費を稼ぐためにバイトをしている。奏斗が彼女に恋をします。
矢代先生:ふたりの担任の先生。地理担当。
『でも順位なんてさ、いつだって、狭い世界でのことだよ』(そのとおりです)
『(バカという落書きの処理をめぐって)消すのと、隠すのは違うのだ。(『バカ(という落書きを)』塗りつぶすことをめぐって)』
マンション、『アドヴァンス・ヒル』の住人として5歳ぐらいの女の子とその母親:たぶん、このあとの話で主人公として出てくるのでしょう。
アレック先生:奏斗が以前住んでいたところで英語を教えてくれた英会話スクールの先生。
テストの点数のことが書いてあります。
点数で人間の価値が決まるわけではありません。そういうことを重視する人もいますが、全体からみれば少数派です。
まずは、60点でいい。そして、なにかひとつ高得点なものがあるとなおいい。
人生で大事なことは、『心身の健康』です。
わたしは長いこと生きてきて、学力優秀、仕事の業績優秀でも、人生の途中で重い病気にかかって亡くなった人を何人か見ました。志半ばで(こころざしなかばで)人生を終える人はいます。
自分はだいじょうぶなんていうことはありません。わたしも複数回、病気や事故で死にそうになったことがあります。まずは、生きていてこそです。
教室内で、教師から成績優秀者の点数の披露があるのですが、思い出したことがあります。
わたしが中学だった1965年代(昭和40年代)のとき、中間テストや期末テストの結果を、点数順に廊下に張り出してありました。かなりの人数分で実名が書いてありました。40人以上は書いてあった記憶です。今だと大問題になるのでしょうが、当時はあたりまえのことで、だれも文句を言う人はいませんでした。
『誰かに勝ちたかったんじゃなくて、私が、がんばりたかったんだ』
庇:屋根のひさし
セリフの趣旨として、『褒められたくて(ほめられたくて)がんばると、褒められなかったときにくじけちゃう』
『第2話 沙羽の口(さわの口)』
幼稚園のママ友づきあいに悩む主人公の女性です。
樋村砂羽(ひむら・さわ)35歳:ひばり幼稚園年長組の娘みずほ5歳か6歳がいる。夫が佳孝(よしたか)。時期は9月。田舎にある2LDKの賃貸マンションから都心に近い5階建て分譲マンション『アドヴァンス・ヒル』の2階3LDKを夫の意向で購入して4月に転居してきた。
前島文江35歳:樋村砂羽のママ友のひとり。
行村果保(ゆきむら・かほ)37歳:同じく、ママ友のひとり。
西本明美40代なかば:ボス的存在で問題あり。えこひいき。いじめの源(みなもと)となる人物。娘は、杏梨(あんり)と小学6年生の男児。薄笑いをする。
絹川:こどもは、友樹。マイペース。周囲の人間と群れない。自分をもっている。細身でしゅっとしていて無口。
雫田(しずくだ):アサヒストアの店員。感じがいい。第一話で出て来た雫田美冬の母親。50歳ぐらい。
読んでいると気持ちが沈んでいきます。
不本意なのに、つきあいで、グループに巻き込まれていく幼稚園ママさんです。
なんというか、道ばたで、女の人が数人集まって話をしている姿を見かけると、ああ、まただれかの悪口を言っているんだろうなあと思います。人の悪口か、役所の悪口か、そんなことが話題だろうと思います。
主人公は専業主婦で無職です。
分譲マンションを買う時に、『夫に買ってもらってよかったね』と人から声をかけられて、違和感をもちました。
主人公は、もともとは働いていた。
アイネ(全国チェーンのファッションビル)に入っているショップの店員をしていた。それなりにやりがいがあった。誇りもあった。
出産後も働いていたが、あかちゃんの子育てに振り回されて、義母から子育てにおいて、子どもが幼いうちは、母親はそばにいるべきだみたいに言われて仕事を辞めた。以降働き出すチャンスを逸した。(いっした)。
読んでいて思うのは、主人公は、イヤなものはイヤとはっきり言ったほうがいい。
やめてくださいと言ったほうがいい。
正直な気持ちを言葉にしていけばいい。
ママ友どうしのつきあいのつらさが書いてあります。
意思表示をしない人はずるい人です。
被害者のような顔をした加害者です。
以前、建築家の人が書いた本に、チームを組むときは必ず外国人スタッフを入れると書いてありました。日本人だけだと、必ずいじめが始まるそうです。
救いがある本です。文章に救いがあります。
リカバリー・カバヒコには、華(はな)がない。
主人公女性は、働き始めました。
働いた方がいい。
子育ては、10年ぐらいでひと段落します。
マレー:ショッピングセンターだろうか。サマンサというファーストフード店がある。
ひばり幼稚園で11月にバザーがあり、父兄に役割分担がある。
『第3話 ちはるの耳』
失恋とかメンタルの休職みたいな話です。
新沢ちはる(にいざわ・ちはる):26歳。3年間、ブライダルプロデュース会社でウェディングプランナーとして働いていたが、いろいろ人間関係で悩んでいる。
耳が聞こえにくくなって(ストレス、過労が原因。『耳管開放症(じかんかいほうしょう)』)今は休職し始めて2週間がたっている。両親と同居の3人家族、父は私立高校教師、母は公立中学校の教師をしている。
4月に、『アドヴァンス・ヒル』に引っ越してきた。3階に住んでいる。下の部屋が、第二話の樋村砂羽(ひむら・さわ)が住んでいる。
澄恵(すみえ):会社で新沢ちはるの後輩。新沢より1歳年下の25歳。
島谷洋治(しまたに・ようじ):新沢ちはるの同期社員。新沢ちはるは、島谷と結婚したかったが、同期の島谷と後輩の澄恵が恋人同士になってしまった。
稲代(いなしろ):新沢ちはるの顧客。男性。55歳だが初婚。妻となるのは40歳の優菜で再婚者。稲代は、結婚式のやり方で、なにかと新沢ちはるに口やかましい。
『(恋愛・結婚の相手が)どうして私じゃないの?』
こちらが相手を好きでも、相手がこちらを好きでなければ、あきらめるしかありません。
人は、好きだからといって結婚するけれど、しばらくすると、こんなはずじゃなかったということはあります。だから新沢ちはるさんは、失意をもつ必要はありません。
『第4話 勇哉の足』
4年3組の勇哉が、ウソをつくのです。
11月にある駅伝大会出場者を決めるためのくじ引きのときに、けがもしていないのに、右足首に湿布をはって登校し、自分は右足をひねって、足首をねんざしているから走ることはできませんと先生に申告してくじ引きをパスできたのですが、足をけがしているふりをして足をひきずって歩いていたら、本当に足が痛くなってしまったのです。だけど、病院で検査をしても足首に異常はみつかりません。心の持ち方に問題があって、心と体の協調が壊れてしまったのです。
勇哉の家のこと:父親が栃木県から東京本社勤務になったことをきっかけとして、分譲マンション、『アドヴァンス・ヒル』を購入して引っ越してきた。家族は4階に住んでいる。
高杉、森村:クラスメート。ふたりとも足が速い。駅伝大会には、クラスで3人出場する。残りひとりがくじ引きになった。
スグル:くじ引きで駅伝の選手に選ばれた。足が遅いが、本人は駅伝大会に出ることを気にしていない。むしろ楽しみにしている。まじめに練習に取り組んでいるけれど、走りは遅い。
牧村先生:二十代なかばの女性。
伊勢崎:整体師。勇哉のウソを見破りますが、心優しい対応をされます。物静か。黒いTシャツと黒いトレパン姿。長い髪の毛を後ろでひとつにまとめている。
クリーニング店のおばあさんの声かけがいい。勇哉が10歳と聞いて、自分は80歳だ。生まれてからまだ10年なら、自分にとっては、きのうのようなものだと笑います。
整体師伊勢崎さんのアドバイスがいい。『足から意識を飛ばす(足を意識しない)』、『(今ある)目の前のことだけを考える(集中する)』
168ページにあるスグルの言葉は、すぐに仕事を辞めてしまう今の若い人に送りたい。
『(自分は足が遅いけれど、クジが当たって選手に選ばれて)駅伝、やったことないからさ、おれに番が回ってきたから、まずはやってみるっていう、それだけ。もしかしたら楽しいかもしれないし……』
ウソをついたという罪悪感があるから、異常のない右足首が痛む状態になっている。
ふだんの生活の中で、今、目の前にあることを考える。
そうすることによって、意識が変わっていく。
舞台劇になるといいなと思わせてくれる短編でした。
ぼくらはまだ生まれてから十年しか経っていない(たっていない)。
これからです。
『第5話 和彦の目』
中年サラリーマンの悩み事です。世代交代時期を迎えて、仕事のやり方を変えることに抵抗感が強い。悶々としておられます。(もんもんと:悩んで苦しみあり)
溝端和彦(みぞばた・かずひこ):51歳。都内にある出版社栄星社勤務で働いて30年が経つ。編集長。アドヴァンス・ヒルの5階に住んでいる。妻が美弥子(みやこ)47歳。ペットの猫が、チャオという名前です。保護猫だそうです。
高岡:栄星社の社員。編集部員。30歳。新しい企画を通したいが、溝端が壁になっている。
砂川清:漫画家。『ブラック・マンホール』というマンガの作者
溝端和彦の言葉にあるとおり、48歳ぐらいから体のあちこちが壊れ始めます。そして、壊れた部分はもとには戻りません。老眼あたりから始まります。今まで見えていたものが、見えにくくなります。
老化は必ずだれにでも起こります。若い頃にはそのことに気づけません。
物忘れをするようになり、歯周病で歯ぐきから複数の歯が抜けそうな感覚が始まります。それとなく、耳も聞こえづらくなります。
サンライズ・クリーニング:溝端和彦の実家。母親がひとり暮らしをしながらクリーニング店を営んでいる。母親と息子の折り合いは良くはない。息子は、結婚式は挙げていない。入籍だけ。
溝端和彦は知らないけれど、溝端和彦の奥さんは、いい奥さんです。
作者が、のりうつっているように、溝端和彦として語ります。
老いた親の介護はつらい。
一番つらいのは、自分の時間を介護で奪われることです。したいことができなくなります。がまんにも限界があります。
溝端和彦は、日の出公園で、第4話の立原勇哉に出会います。
リカバリー・カバヒコの話になります。
小学4年生の立原勇哉からサンライズ・クリーニングの店主の話が出ます。溝端和彦の実母の話です。
ベクトル:考え方の方向
仕事は、お金のためだけにするんじゃない。
仕事には、人と人を紡ぐものがある。(つむぐ:会ったり、話したりすることで人生が豊かになっていく)
(偶然ですが、このあと読んだ、『きみのお金はだれのため 田内学 東洋経済新報社』にも同様のことが書かれていました)
味わい深い文章を書かれる作家さんです。
電子書籍の週刊誌で紹介されていたので取り寄せてみました。
こどもさんが乗って遊ぶ公園にあるカバを手でなでると、なでたその部分が治るというパターンは、長野善光寺にある、『びんずるさん』に似ています。本堂内に置いてあるお釈迦様(おしゃかさま)のお弟子さんの木像です。
わたしたち夫婦がお参りして、びんずるさんをなでなでしたしばらくあとに、その木像が盗まれるという事件がありました。びっくりしました。
びんずるさんは、その後、発見されて善光寺に戻りました。まず、おどろいたのは、木像を持ち上げて持って行ける状態にあったということでした。盗むための対象物という発想はありませんでした。あわせて、仏像がそこにただ置いてあったということでした。盗まれないように(ぬすまれないように)何かで固定されていたわけではありませんでした。
こちらの物語では、児童公園にあるカバの遊具をなでると、その体の部分が良くなるというものです。
人間にはだれしも、『願い』があります。
先日読んだ児童文学、『希望のひとしずく キース・カラブレーゼ作 代田亜希子・訳(だいた・あきこ) 理論社』では、公園の古井戸にコインを投げ入れて願いを言うのですが、井戸の底には、三人の中学一年生、男子ふたり、女子ひとりがいて、願いごとをした人の願いをかなえようと頑張るのです。(洞窟と古井戸の底がつながっている)
登場人物を変えながら、第1話から第5話まであるようです。
第1話を読み終えた時点で、今年読んで良かった一冊になりました。
『第1話 奏斗の頭(かなとのあたま)』
奏斗(かなと):高校一年生。中学までは、いなかの中学校で学力優秀者だった。都内に近い分譲マンションに引っ越して、都内の優秀な進学高に入学したら、今までは良かったテストの点数が、がた落ちになってショックを受けている。高校で友だちはいない。42人中35位の成績です。
新築マンション、『アドヴァンス・ヒル』に住んでいる。両親がいる。父親は奏斗に関心をもっていないようすです。『父さんはいつも優しい。でも褒めてくれる(ほめてくれる)ことはほとんどない』
『どうして僕は、バカになっちゃたんだ……?』
奏斗は自分を、『バカ』ではないと信じたいが、学力が高い学校では、成績順位はうしろのほうになっている。自信を打ち砕かれた状態です。
児童公園にあるのりものである『カバヒコ』の後頭部に油性マジックで落書きされた『バカ』という文字が奏斗自身に重ねた物語になっています。
奏斗は、返ってきたテストの点数、『61点』を『89点』に偽造します。母親は気づけません。先日同じようなシーンが、NHK朝ドラ、『虎に翼』であったことを思い出しました。
奏斗が住む場所の近所にあるものとして、『サンライズ・クリーニング』、『団地』、『日の出公園』、『カバの遊具(アニマルライド。のちに、「リカバリー・カバヒコ」と呼ばれていることがわかる)』。リカバリー:修復。
雫田美冬(しずくだ・みふゆ):奏斗のクラスメート女子。団地住まい。6号棟に住んでいる。6人の兄弟姉妹。家族が多いので自分の部屋もないけれど、勉強でがんばっている。いい子です。高校の学費を稼ぐためにバイトをしている。奏斗が彼女に恋をします。
矢代先生:ふたりの担任の先生。地理担当。
『でも順位なんてさ、いつだって、狭い世界でのことだよ』(そのとおりです)
『(バカという落書きの処理をめぐって)消すのと、隠すのは違うのだ。(『バカ(という落書きを)』塗りつぶすことをめぐって)』
マンション、『アドヴァンス・ヒル』の住人として5歳ぐらいの女の子とその母親:たぶん、このあとの話で主人公として出てくるのでしょう。
アレック先生:奏斗が以前住んでいたところで英語を教えてくれた英会話スクールの先生。
テストの点数のことが書いてあります。
点数で人間の価値が決まるわけではありません。そういうことを重視する人もいますが、全体からみれば少数派です。
まずは、60点でいい。そして、なにかひとつ高得点なものがあるとなおいい。
人生で大事なことは、『心身の健康』です。
わたしは長いこと生きてきて、学力優秀、仕事の業績優秀でも、人生の途中で重い病気にかかって亡くなった人を何人か見ました。志半ばで(こころざしなかばで)人生を終える人はいます。
自分はだいじょうぶなんていうことはありません。わたしも複数回、病気や事故で死にそうになったことがあります。まずは、生きていてこそです。
教室内で、教師から成績優秀者の点数の披露があるのですが、思い出したことがあります。
わたしが中学だった1965年代(昭和40年代)のとき、中間テストや期末テストの結果を、点数順に廊下に張り出してありました。かなりの人数分で実名が書いてありました。40人以上は書いてあった記憶です。今だと大問題になるのでしょうが、当時はあたりまえのことで、だれも文句を言う人はいませんでした。
『誰かに勝ちたかったんじゃなくて、私が、がんばりたかったんだ』
庇:屋根のひさし
セリフの趣旨として、『褒められたくて(ほめられたくて)がんばると、褒められなかったときにくじけちゃう』
『第2話 沙羽の口(さわの口)』
幼稚園のママ友づきあいに悩む主人公の女性です。
樋村砂羽(ひむら・さわ)35歳:ひばり幼稚園年長組の娘みずほ5歳か6歳がいる。夫が佳孝(よしたか)。時期は9月。田舎にある2LDKの賃貸マンションから都心に近い5階建て分譲マンション『アドヴァンス・ヒル』の2階3LDKを夫の意向で購入して4月に転居してきた。
前島文江35歳:樋村砂羽のママ友のひとり。
行村果保(ゆきむら・かほ)37歳:同じく、ママ友のひとり。
西本明美40代なかば:ボス的存在で問題あり。えこひいき。いじめの源(みなもと)となる人物。娘は、杏梨(あんり)と小学6年生の男児。薄笑いをする。
絹川:こどもは、友樹。マイペース。周囲の人間と群れない。自分をもっている。細身でしゅっとしていて無口。
雫田(しずくだ):アサヒストアの店員。感じがいい。第一話で出て来た雫田美冬の母親。50歳ぐらい。
読んでいると気持ちが沈んでいきます。
不本意なのに、つきあいで、グループに巻き込まれていく幼稚園ママさんです。
なんというか、道ばたで、女の人が数人集まって話をしている姿を見かけると、ああ、まただれかの悪口を言っているんだろうなあと思います。人の悪口か、役所の悪口か、そんなことが話題だろうと思います。
主人公は専業主婦で無職です。
分譲マンションを買う時に、『夫に買ってもらってよかったね』と人から声をかけられて、違和感をもちました。
主人公は、もともとは働いていた。
アイネ(全国チェーンのファッションビル)に入っているショップの店員をしていた。それなりにやりがいがあった。誇りもあった。
出産後も働いていたが、あかちゃんの子育てに振り回されて、義母から子育てにおいて、子どもが幼いうちは、母親はそばにいるべきだみたいに言われて仕事を辞めた。以降働き出すチャンスを逸した。(いっした)。
読んでいて思うのは、主人公は、イヤなものはイヤとはっきり言ったほうがいい。
やめてくださいと言ったほうがいい。
正直な気持ちを言葉にしていけばいい。
ママ友どうしのつきあいのつらさが書いてあります。
意思表示をしない人はずるい人です。
被害者のような顔をした加害者です。
以前、建築家の人が書いた本に、チームを組むときは必ず外国人スタッフを入れると書いてありました。日本人だけだと、必ずいじめが始まるそうです。
救いがある本です。文章に救いがあります。
リカバリー・カバヒコには、華(はな)がない。
主人公女性は、働き始めました。
働いた方がいい。
子育ては、10年ぐらいでひと段落します。
マレー:ショッピングセンターだろうか。サマンサというファーストフード店がある。
ひばり幼稚園で11月にバザーがあり、父兄に役割分担がある。
『第3話 ちはるの耳』
失恋とかメンタルの休職みたいな話です。
新沢ちはる(にいざわ・ちはる):26歳。3年間、ブライダルプロデュース会社でウェディングプランナーとして働いていたが、いろいろ人間関係で悩んでいる。
耳が聞こえにくくなって(ストレス、過労が原因。『耳管開放症(じかんかいほうしょう)』)今は休職し始めて2週間がたっている。両親と同居の3人家族、父は私立高校教師、母は公立中学校の教師をしている。
4月に、『アドヴァンス・ヒル』に引っ越してきた。3階に住んでいる。下の部屋が、第二話の樋村砂羽(ひむら・さわ)が住んでいる。
澄恵(すみえ):会社で新沢ちはるの後輩。新沢より1歳年下の25歳。
島谷洋治(しまたに・ようじ):新沢ちはるの同期社員。新沢ちはるは、島谷と結婚したかったが、同期の島谷と後輩の澄恵が恋人同士になってしまった。
稲代(いなしろ):新沢ちはるの顧客。男性。55歳だが初婚。妻となるのは40歳の優菜で再婚者。稲代は、結婚式のやり方で、なにかと新沢ちはるに口やかましい。
『(恋愛・結婚の相手が)どうして私じゃないの?』
こちらが相手を好きでも、相手がこちらを好きでなければ、あきらめるしかありません。
人は、好きだからといって結婚するけれど、しばらくすると、こんなはずじゃなかったということはあります。だから新沢ちはるさんは、失意をもつ必要はありません。
『第4話 勇哉の足』
4年3組の勇哉が、ウソをつくのです。
11月にある駅伝大会出場者を決めるためのくじ引きのときに、けがもしていないのに、右足首に湿布をはって登校し、自分は右足をひねって、足首をねんざしているから走ることはできませんと先生に申告してくじ引きをパスできたのですが、足をけがしているふりをして足をひきずって歩いていたら、本当に足が痛くなってしまったのです。だけど、病院で検査をしても足首に異常はみつかりません。心の持ち方に問題があって、心と体の協調が壊れてしまったのです。
勇哉の家のこと:父親が栃木県から東京本社勤務になったことをきっかけとして、分譲マンション、『アドヴァンス・ヒル』を購入して引っ越してきた。家族は4階に住んでいる。
高杉、森村:クラスメート。ふたりとも足が速い。駅伝大会には、クラスで3人出場する。残りひとりがくじ引きになった。
スグル:くじ引きで駅伝の選手に選ばれた。足が遅いが、本人は駅伝大会に出ることを気にしていない。むしろ楽しみにしている。まじめに練習に取り組んでいるけれど、走りは遅い。
牧村先生:二十代なかばの女性。
伊勢崎:整体師。勇哉のウソを見破りますが、心優しい対応をされます。物静か。黒いTシャツと黒いトレパン姿。長い髪の毛を後ろでひとつにまとめている。
クリーニング店のおばあさんの声かけがいい。勇哉が10歳と聞いて、自分は80歳だ。生まれてからまだ10年なら、自分にとっては、きのうのようなものだと笑います。
整体師伊勢崎さんのアドバイスがいい。『足から意識を飛ばす(足を意識しない)』、『(今ある)目の前のことだけを考える(集中する)』
168ページにあるスグルの言葉は、すぐに仕事を辞めてしまう今の若い人に送りたい。
『(自分は足が遅いけれど、クジが当たって選手に選ばれて)駅伝、やったことないからさ、おれに番が回ってきたから、まずはやってみるっていう、それだけ。もしかしたら楽しいかもしれないし……』
ウソをついたという罪悪感があるから、異常のない右足首が痛む状態になっている。
ふだんの生活の中で、今、目の前にあることを考える。
そうすることによって、意識が変わっていく。
舞台劇になるといいなと思わせてくれる短編でした。
ぼくらはまだ生まれてから十年しか経っていない(たっていない)。
これからです。
『第5話 和彦の目』
中年サラリーマンの悩み事です。世代交代時期を迎えて、仕事のやり方を変えることに抵抗感が強い。悶々としておられます。(もんもんと:悩んで苦しみあり)
溝端和彦(みぞばた・かずひこ):51歳。都内にある出版社栄星社勤務で働いて30年が経つ。編集長。アドヴァンス・ヒルの5階に住んでいる。妻が美弥子(みやこ)47歳。ペットの猫が、チャオという名前です。保護猫だそうです。
高岡:栄星社の社員。編集部員。30歳。新しい企画を通したいが、溝端が壁になっている。
砂川清:漫画家。『ブラック・マンホール』というマンガの作者
溝端和彦の言葉にあるとおり、48歳ぐらいから体のあちこちが壊れ始めます。そして、壊れた部分はもとには戻りません。老眼あたりから始まります。今まで見えていたものが、見えにくくなります。
老化は必ずだれにでも起こります。若い頃にはそのことに気づけません。
物忘れをするようになり、歯周病で歯ぐきから複数の歯が抜けそうな感覚が始まります。それとなく、耳も聞こえづらくなります。
サンライズ・クリーニング:溝端和彦の実家。母親がひとり暮らしをしながらクリーニング店を営んでいる。母親と息子の折り合いは良くはない。息子は、結婚式は挙げていない。入籍だけ。
溝端和彦は知らないけれど、溝端和彦の奥さんは、いい奥さんです。
作者が、のりうつっているように、溝端和彦として語ります。
老いた親の介護はつらい。
一番つらいのは、自分の時間を介護で奪われることです。したいことができなくなります。がまんにも限界があります。
溝端和彦は、日の出公園で、第4話の立原勇哉に出会います。
リカバリー・カバヒコの話になります。
小学4年生の立原勇哉からサンライズ・クリーニングの店主の話が出ます。溝端和彦の実母の話です。
ベクトル:考え方の方向
仕事は、お金のためだけにするんじゃない。
仕事には、人と人を紡ぐものがある。(つむぐ:会ったり、話したりすることで人生が豊かになっていく)
(偶然ですが、このあと読んだ、『きみのお金はだれのため 田内学 東洋経済新報社』にも同様のことが書かれていました)
2024年08月02日
なんかひとりおおくない? うめはらまんな
なんかひとりおおくない? うめはらまんな BL出版
意味深な絵本です。いみしん:なにやら深い意味がありそうだ。
ゆうれいばなしを想像、予想します。
まずは、文章を読まずに最後のページまでめくりました。
そうか、『ざしきわらし(座敷童)』の話だなと悟る。さとる:理解する。
ざしきわらしを素材にして、水谷豊さんが出ていたいい映画がありました。映画館で観ました。
原作も良かった。たしかこの映画が映画館で上映されていたころ、阿部寛さんの、『テルマエ・ロマエ』も上映されていました。テルマエ・ロマエは満員で、こちらのざしきわらしの映画はあまりお客さんが入っていませんでした。
『愛しの座敷わらし(いとしの)上・下 荻原浩 朝日文庫』
映画館で映画を観たときの感想が残っていたのでここに落としてみます。
岩手県の自然が美しい。冒頭付近は、邦画、『トトロ』のようです。
水谷豊・安田成美夫妻が演じる高橋ファミリーには東京でいじめに遭っていた長女とゲームでしかサッカーをしたことがない小学生長男がいます。
水谷パパは左遷で盛岡に飛ばされた50代の食品会社課長職という設定になっています。草笛光子さん演じる澄代おばあさんには認知症の気配があります。
悪いこともあればいいこともある。コンクリート、アスファルト、ガラスと金属とプラスチックに囲まれた都会のマンション暮らしから、山や川、田畑や樹木という自然に包まれた地域に引っ越したファミリーは引っ越してきたばかりなのに都市暮らしに戻ろうとします。
最初、ファミリーは、座敷わらしに恐怖感をもちます。古老のおばあさんが「(座敷わらしは)間引きされたこども(いらないこどもと判断されて、わざと流産させられた(死んじゃった))」というあたりから物語は真剣味を増します。
大木が風に揺すられて出す葉の重なり合う音、ときおり差し込まれるコノハズク(フクロウ)の映像、満天いっぱいに広がる無数の星、わたしは風に揺れるススキの一瞬の映像が気に入りました。
座敷わらしのぼくちゃんは座敷わらしそのものの表情としぐさで適役です。水谷パパは愛を語ります。世の中がそうであるといいなという夢があります。でも現実はそうではありません。無理なことです。せめて映画の世界のなかではこんな世界にひたりたい。
絵本の表紙には7人の小学生たちが書いてあります。
男の子が3人、女の子が4人です。
そして、裏表紙のところにもうひとりいます。ざしきわらしくんですな。
樹木の上のほう、ちょっと太い枝のうえにちいさな男の子がちょこんとおすわりをしています。
きみが、ざしきわらしくんだね。
絵にあるようなわらぶきの大きな家でわたしも暮らしていた頃(ころ)があります。
熊本県にある父方の祖父母宅で居候(いそうろう。間借り。一時的なもの)みたいにして世話になっていた時期があります。自分は7歳前後でした。
大きな農家だったので、牛小屋もあり、小屋には、親子の牛がいて、農耕作業で働く牛でした。
深いつるべ式の井戸もありました。ほかにニワトリも飼っていたような覚えです。
岐阜県の白川郷とか五箇山集落(ごかやま)に観光で行ったことがあるのですが、大きな農家に自分が住んでいた体験があると、そのような家屋についての興味は湧きません。
今住んでいる愛知県だと、豊田市に合併した足助町(あすけちょう)にも、この絵本に描いてあるような家屋が展示されています。
ざしきわらしは、ふだんはひとりぼっちでさみしいから、だれか遊びにくると、じぶんも仲間に入れてほしくて、そーっとあそびに入ってくるのです。
(さて、ゆっくり、読み始めます)
大縄跳びをしている絵から始まりました。
小学校低学年ぐらい、それから幼稚園生ぐらいのこどもたち7人とたぶん白いワンちゃん(ふつうの柴犬っぽいけれど、たぶん雑種でしょう)の姿があります。
次のページでは、7人が両手をつないで輪をつくって、笑顔でなにか歌いながらまわっているようすです。まんなかにひとり、だれかがしゃがんでいれば、『かーごめ、かごめ かーごのなかのとーりぃは……』という遊びですが、だれもしゃがんでいません。それとも、目には見えないけれど、ざしきわらしが、しゃがんでいるのだろうか。想像はふくらみます。
夏休みに祖父宅にいとこたちが集まりました。
昔はよくあった光景です。今どきはどうでしょうか。少子化です。いとこ関係がたぶん減っています。祖父母との交流もこどもさんが小さいうちだけのような気がします。さみしい限りです。
昭和の時代、盆正月には、祖父母宅には兄弟姉妹やそのこどもたち(いとこ)が集まって、冠婚葬祭でも集まって、親睦を深めてという慣例や風習がありましたが、すたれてしまいました。
生まれてくるこどもの数は減って、ひとり暮らしをする人が増えて、なんだか孤独な日本人が増えています。この傾向は、もうなんともしようがないのでしょう。
(この大きな古い家は)ぼくたちが住んでいるマンションとは違うというこどもさんの言葉があります。
それでも最近はいなかでもマンションが建つようになりました。
空き家が多いのに、いなかにマンションを建てる必要があるのだろうか。
いつも金もうけ優先、工事優先の世の中です。
ページをめくると、広い屋根裏の空間に、ざしきわらしがいます。
顔はよく見えませんが、鼻から下が見えます。
屋根裏の梁(はり。柱と柱をつなぐために横にのびる木の部分)の部分に、ざしきわらしがちょこんとのっかって座っています。
次のページにもざしきわらしがいます。
屋根裏の空間で、女の子の背後にそーっと隠れています。そこは薄暗い。
なんだか、絵本、『ウォーリーをさがせ!』、みたいになってきました。
こどもたちは、かくれんぼ遊びをしたあと、こんどは、ドッジボールを始めました。
頭髪がおちょんぼ(サムライのちょんまげみたい)で、おもしろいみためのざしきわらしです。小さなおとこの子です。人間だと、二歳半ぐらいです。わたしは、こどもさんは、二歳半ぐらいがいちばんかわいらしい時期だと感じています。まるで天使です。
ページをめくるたびに、ざしきわらしが、どこかに隠れています。
絵本の読み聞かせなどをしながら、読み手と聞き手で、ざしきわらしがどこにいるのかを探すゲームになりますな。
おじいさんはいるけれど、おばあさんは出てきませんなあ。
次のページをめくったら、おばあさんが出てきました。
やっぱりおじいさんとおばあさんは両方でてきたほうが安心します。
ひとりだけ、江戸時代のこどものようなみためをしています。ざしきわらしのことです。
みんなで、スイカを食べて、庭に向かって、スイカの種を飛ばします。
いなかの大きな敷地にある大きな農家だからできることです。
ここには、ゲームはなさそうです。
夜になりました。オバケが出てくるような雰囲気があります。
暗い庭にだれかがいます。(ざしきわらしです)、何かをしています。
たくさんのスイカの芽が見えます。
お昼にこどもたちが、スイカの種飛ばし競争をしたのですが、その種から芽が出たようです。
魔法ですな。
お庭に大きなまるいスイカがたくさんできました。
ざしきわらしの恩返しです。
きのうごちそうになったから、おかえしに、たくさんのスイカをくれたのでしょう。
スイカの皮に、三角のおめめと口をかいてお面みたいにして、顔を隠しているのが、ざしきわらしです。ほかの子たちも、おめん遊びをしています。
ざしきわらしのスイカのおめんがはずれて、ざしきわらしの照れている笑顔がみんなに丸見えになりました。
(全体をとおしてですが、ちみつな絵です。白黒鉄筆版画の線でしょうか。時間をかけて、ていねいに作画してあります。わたしが中学生のときに体験した美術版画作成のためのエッチングという手法を思い出しました)
いろりを囲んで、ざしきわらしに関するおじいさんのお話をこどもちが聞いています。
年寄りの話はためになります。経験で物事を考える人間になった人たちが年寄りです。
ざしきわらし=妖怪(ようかい)です。妖精(ようせい)ともいえます。
会いたいときに会えないのが、ざしきわらしです。
夏休みが終わります。
こどもはみんな、じいちゃんの家を去ります。2台の乗用車が、こどもたちをお迎えに来ました。
おじいちゃんの家は、さみしくなります。
『らいねんもきてね』
麦わら屋根のてっぺんで、ざしきわらしがぽつんと座って、都会の自宅に帰るこどもたちをながめています。
こどものときだけ見えるのが、ざしきわらしです。ピーターパンに似ています。
バイバーイ
最後のページです。
なわとびしよう。そうしよう。
いとこがいっぱいいていいねぇ。
意味深な絵本です。いみしん:なにやら深い意味がありそうだ。
ゆうれいばなしを想像、予想します。
まずは、文章を読まずに最後のページまでめくりました。
そうか、『ざしきわらし(座敷童)』の話だなと悟る。さとる:理解する。
ざしきわらしを素材にして、水谷豊さんが出ていたいい映画がありました。映画館で観ました。
原作も良かった。たしかこの映画が映画館で上映されていたころ、阿部寛さんの、『テルマエ・ロマエ』も上映されていました。テルマエ・ロマエは満員で、こちらのざしきわらしの映画はあまりお客さんが入っていませんでした。
『愛しの座敷わらし(いとしの)上・下 荻原浩 朝日文庫』
映画館で映画を観たときの感想が残っていたのでここに落としてみます。
岩手県の自然が美しい。冒頭付近は、邦画、『トトロ』のようです。
水谷豊・安田成美夫妻が演じる高橋ファミリーには東京でいじめに遭っていた長女とゲームでしかサッカーをしたことがない小学生長男がいます。
水谷パパは左遷で盛岡に飛ばされた50代の食品会社課長職という設定になっています。草笛光子さん演じる澄代おばあさんには認知症の気配があります。
悪いこともあればいいこともある。コンクリート、アスファルト、ガラスと金属とプラスチックに囲まれた都会のマンション暮らしから、山や川、田畑や樹木という自然に包まれた地域に引っ越したファミリーは引っ越してきたばかりなのに都市暮らしに戻ろうとします。
最初、ファミリーは、座敷わらしに恐怖感をもちます。古老のおばあさんが「(座敷わらしは)間引きされたこども(いらないこどもと判断されて、わざと流産させられた(死んじゃった))」というあたりから物語は真剣味を増します。
大木が風に揺すられて出す葉の重なり合う音、ときおり差し込まれるコノハズク(フクロウ)の映像、満天いっぱいに広がる無数の星、わたしは風に揺れるススキの一瞬の映像が気に入りました。
座敷わらしのぼくちゃんは座敷わらしそのものの表情としぐさで適役です。水谷パパは愛を語ります。世の中がそうであるといいなという夢があります。でも現実はそうではありません。無理なことです。せめて映画の世界のなかではこんな世界にひたりたい。
絵本の表紙には7人の小学生たちが書いてあります。
男の子が3人、女の子が4人です。
そして、裏表紙のところにもうひとりいます。ざしきわらしくんですな。
樹木の上のほう、ちょっと太い枝のうえにちいさな男の子がちょこんとおすわりをしています。
きみが、ざしきわらしくんだね。
絵にあるようなわらぶきの大きな家でわたしも暮らしていた頃(ころ)があります。
熊本県にある父方の祖父母宅で居候(いそうろう。間借り。一時的なもの)みたいにして世話になっていた時期があります。自分は7歳前後でした。
大きな農家だったので、牛小屋もあり、小屋には、親子の牛がいて、農耕作業で働く牛でした。
深いつるべ式の井戸もありました。ほかにニワトリも飼っていたような覚えです。
岐阜県の白川郷とか五箇山集落(ごかやま)に観光で行ったことがあるのですが、大きな農家に自分が住んでいた体験があると、そのような家屋についての興味は湧きません。
今住んでいる愛知県だと、豊田市に合併した足助町(あすけちょう)にも、この絵本に描いてあるような家屋が展示されています。
ざしきわらしは、ふだんはひとりぼっちでさみしいから、だれか遊びにくると、じぶんも仲間に入れてほしくて、そーっとあそびに入ってくるのです。
(さて、ゆっくり、読み始めます)
大縄跳びをしている絵から始まりました。
小学校低学年ぐらい、それから幼稚園生ぐらいのこどもたち7人とたぶん白いワンちゃん(ふつうの柴犬っぽいけれど、たぶん雑種でしょう)の姿があります。
次のページでは、7人が両手をつないで輪をつくって、笑顔でなにか歌いながらまわっているようすです。まんなかにひとり、だれかがしゃがんでいれば、『かーごめ、かごめ かーごのなかのとーりぃは……』という遊びですが、だれもしゃがんでいません。それとも、目には見えないけれど、ざしきわらしが、しゃがんでいるのだろうか。想像はふくらみます。
夏休みに祖父宅にいとこたちが集まりました。
昔はよくあった光景です。今どきはどうでしょうか。少子化です。いとこ関係がたぶん減っています。祖父母との交流もこどもさんが小さいうちだけのような気がします。さみしい限りです。
昭和の時代、盆正月には、祖父母宅には兄弟姉妹やそのこどもたち(いとこ)が集まって、冠婚葬祭でも集まって、親睦を深めてという慣例や風習がありましたが、すたれてしまいました。
生まれてくるこどもの数は減って、ひとり暮らしをする人が増えて、なんだか孤独な日本人が増えています。この傾向は、もうなんともしようがないのでしょう。
(この大きな古い家は)ぼくたちが住んでいるマンションとは違うというこどもさんの言葉があります。
それでも最近はいなかでもマンションが建つようになりました。
空き家が多いのに、いなかにマンションを建てる必要があるのだろうか。
いつも金もうけ優先、工事優先の世の中です。
ページをめくると、広い屋根裏の空間に、ざしきわらしがいます。
顔はよく見えませんが、鼻から下が見えます。
屋根裏の梁(はり。柱と柱をつなぐために横にのびる木の部分)の部分に、ざしきわらしがちょこんとのっかって座っています。
次のページにもざしきわらしがいます。
屋根裏の空間で、女の子の背後にそーっと隠れています。そこは薄暗い。
なんだか、絵本、『ウォーリーをさがせ!』、みたいになってきました。
こどもたちは、かくれんぼ遊びをしたあと、こんどは、ドッジボールを始めました。
頭髪がおちょんぼ(サムライのちょんまげみたい)で、おもしろいみためのざしきわらしです。小さなおとこの子です。人間だと、二歳半ぐらいです。わたしは、こどもさんは、二歳半ぐらいがいちばんかわいらしい時期だと感じています。まるで天使です。
ページをめくるたびに、ざしきわらしが、どこかに隠れています。
絵本の読み聞かせなどをしながら、読み手と聞き手で、ざしきわらしがどこにいるのかを探すゲームになりますな。
おじいさんはいるけれど、おばあさんは出てきませんなあ。
次のページをめくったら、おばあさんが出てきました。
やっぱりおじいさんとおばあさんは両方でてきたほうが安心します。
ひとりだけ、江戸時代のこどものようなみためをしています。ざしきわらしのことです。
みんなで、スイカを食べて、庭に向かって、スイカの種を飛ばします。
いなかの大きな敷地にある大きな農家だからできることです。
ここには、ゲームはなさそうです。
夜になりました。オバケが出てくるような雰囲気があります。
暗い庭にだれかがいます。(ざしきわらしです)、何かをしています。
たくさんのスイカの芽が見えます。
お昼にこどもたちが、スイカの種飛ばし競争をしたのですが、その種から芽が出たようです。
魔法ですな。
お庭に大きなまるいスイカがたくさんできました。
ざしきわらしの恩返しです。
きのうごちそうになったから、おかえしに、たくさんのスイカをくれたのでしょう。
スイカの皮に、三角のおめめと口をかいてお面みたいにして、顔を隠しているのが、ざしきわらしです。ほかの子たちも、おめん遊びをしています。
ざしきわらしのスイカのおめんがはずれて、ざしきわらしの照れている笑顔がみんなに丸見えになりました。
(全体をとおしてですが、ちみつな絵です。白黒鉄筆版画の線でしょうか。時間をかけて、ていねいに作画してあります。わたしが中学生のときに体験した美術版画作成のためのエッチングという手法を思い出しました)
いろりを囲んで、ざしきわらしに関するおじいさんのお話をこどもちが聞いています。
年寄りの話はためになります。経験で物事を考える人間になった人たちが年寄りです。
ざしきわらし=妖怪(ようかい)です。妖精(ようせい)ともいえます。
会いたいときに会えないのが、ざしきわらしです。
夏休みが終わります。
こどもはみんな、じいちゃんの家を去ります。2台の乗用車が、こどもたちをお迎えに来ました。
おじいちゃんの家は、さみしくなります。
『らいねんもきてね』
麦わら屋根のてっぺんで、ざしきわらしがぽつんと座って、都会の自宅に帰るこどもたちをながめています。
こどものときだけ見えるのが、ざしきわらしです。ピーターパンに似ています。
バイバーイ
最後のページです。
なわとびしよう。そうしよう。
いとこがいっぱいいていいねぇ。
2024年07月27日
かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった 絵本
かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む2 怒り・かんしゃく 新井洋行 岡田俊・監修(児童精神科医) パイ インターナショナル
ふだんはおとなしそうに見えるかいじゅうポポリですが、怒るとびゅーんと狂暴になるようすが、ぶあつい表紙をめくると描いてあります。
赤い体に、頭の上に白い角(ツノ)を2本付けて、赤鬼みたいなかいじゅうポポリです。
体はそれほど大きくはありません。幼稚園児のイメージです。
ポポリのともだちなのか、そうでもなさそうなかいじゅうが、かいじゅう、『ゾムゾーラム』で、大きな体、白い体に水色の、せびれのようなものがついています。
おこりんぼだと、人が離れていきます。(ポポリはかいじゅうだから、かいじゅうたちが離れていきます)
おこりんぼは、最後はひとりぼっちになってしまいます。
人間界にいるクレーマーみたいなものです。(しつこく苦情を言うお客さん。あきらめないことを善(ぜん。いいこと))だと勘違いしている)
クレーマーは、自分が文句を言っても言い返せない立場の人に文句を言います。ほかに相手をしてくれる人がいないからです。典型的な弱い者いじめです。
クレーマーは、さびしんぼです。しかたがありません。いつも文句ばかり言っているので、いっしょにいても楽しくないから人が離れていきます。
さて、かいじゅうポポリは、クレーマーの類(たぐい)でしょうか。
『ポポリのしっぽって、おもしろいかたちだねえ』、とゾムゾーラムが言っただけで、パポリは真っ赤になって、からだがビッグになって、がおおおおおお!と怒り狂います。(いかりくるいます)
しっぽのことでばかにされたと思った。誤解です。
ポポリは頭が悪いのです。考えが不足しているのです。
さよならポポリです。ゾムゾーラムは、もうポポリには会いたくありません。
公園に、かいじゅうギブラとパーパルとスミスーイがいます。水遊びをしています。
ちょっと極端な設定で、お話がつくられています。
通りがかっただけのくせに、自分を仲間はずれにしたなと三人におこるポポリです。
(話のつくりすぎではなかろうか。おおげさです)
ポポリと三人のケンカが始まりました。
ポポリは自分勝手な人間(かいじゅう)なのです。
ポポリの言葉、『ぼくなんか、いなくなればいいんだ!』は、意味がとおりません。
(だれもいなくなればいいとは言っていません。迷惑だと言っているのです)
ポポリは、おなかがすいているから怒る(おこる)んじゃないだろうか。
おいしいごはんをおなかいっぱい食べればおこらなくなるんじゃないだろうか。
読み手であるわたしはそう考えました。
絵本の文字が、絵の役割を果たします。
文字が大きくなって、絵のようです。文字が、絵にとけこみます。
太くて大きな文字です。
自分に自信がないから怒る(おこる)ということはあります。自信:自分の価値や能力を信じること。自分は自分だから大丈夫(だいじょうぶ)だと自分を信じる心。
自信がないと不安になります。不安を吹き飛ばすために人に対して怒ります。(おこります)。力で自分の言うことをきかせようとします。
プアイズ:『いかりのマスターかいじゅう』だそうです。怒り(いかり)をコントロールするということだろうか。頭に白い角(ツノ)が生(は)えているひとつ目の小さなかいじゅうです。
この絵本では、『怒り(いかり)』を赤い色で表現してあります。赤色は怒りの色です。
なぜ怒り(いかり)が生まれるのかを考えます。
見開き2ページにわたって、とっても細かく、怒りが生まれる理由が絵付きで紹介されています。
自分に対して被害(不利益)があったときに怒り(いかり)が生まれるようです。
いろんな絵があって、ポケモンの種類みたいです。
自分がされてイヤなことは、人に対してやってはいけないとも考えることができます。
対策を考えます。
すぐにカッとこないで、時間の間(ま)をもちます。
いつも気持ちを100%に張りつめて(はりつめて)がんばっていると、予想外のことが起きたときに、そのことを受け止める余裕がなくなります。だから、力は常に100%発揮してはいけません。40%から60%ぐらいでいいのです。それで十分です。わたしはそう思います。
なにがどうなろうと、なんとかなるさと考える。
物事が行きどまりになることはありません。自分が損をするということはあります。損をしたり得をしたりしながら時は過ぎていきます。それはそうなるものだったと思えばいい。
世の中では、ネバーギブアップとか言って、あきらめたらいけないみたいな教えとか指導や指示があります。
あきらめてもいいのです。むしろ、じょうずにあきらめることを覚えたほうがいい。相手にじょうずに負けるのもこの世を生き抜く手段です。
顔で泣いて、心で笑っていればいいのです。
そういう人のまわりには人が集まります。孤独ではありません。
なにがなんでも自分の思いどおりにならないと、カッとなって、大声でどなったり、机をたたいたり、イスをけったりする人がいます。暴力で相手に自分の言うことをきかせようとします。
自分が悪いくせに、人が悪いと主張します。パワハラです。自分で自分の感情をコントロールできない人です。頭がおかしい。こどもです。案外、組織で有能だという人に多い。わたしは長いこと生きてきて、パワハラをする男の人や女の人を何人も見ました。あまりにもひどかったときに、『どうしてそんなに感情的になって怒鳴り続けるのですか。落ち着いて静かに話してください』と上司に言ったら、絶句されていました。(ぜっく。言葉が詰まって言い返すことができない)。本人の脳みそのなかに、想定していない状況が起きてしまったからなのでしょう。パワハラは心の病気です。薬はありません。本人自身が努力して自分の人格を変えようとしなければ治りません。(なおりません)。
世の中はなんとでもなるのです。そうなるしかないのです。極端な話、あなたがいなくてもなんとかなる。なんとかなるしかないのです。
おこりんぼのポポリと、ダーギーと、ペコバラスとが、ボードゲームをしています。
ルールのことで、ポポリが怒り(おこり)だしそうです。
なにがなんでも相手にゲームで勝つのではなく、じょうずに負けることも覚えたほうがいい。自分だけの幸せよりも全体の平和のほうが、自分にとっていいこともあります。そして、たかが、ゲームなのです。
昔、プロ野球で怒ってばかりいる監督(ほしの監督)が言っていました。『気持ちは熱くはなるけれど、最後は、しょせん野球です。たかが野球の話です。(広い世の中にあっては)小さな話です』。ほしの監督は、寛大な人だったのです。
だいじなことは、自分が勝っていい思いをするということではなく、みんなで楽しく遊べることなのです。あしたもまたいっしょに遊べるということは、気持ちがいいことなのです。
今度は、ポポリの前に、かいじゅうソーサラスが出てきて、ポポリをからかいはじめました。
怒り(いかり)をがまんする、がまんしたいポポリです。
笑いたいときには笑って、泣きたいときには泣いて、だって、人間だから(かいじゅうだけど)。ぼくは、おこりんぼかいじゅうじゃない。そんな気持ちになりました。
理屈(りくつ)はむずかしいけれど、この絵本をこどもに読んであげれば、こどもの気持ちは落ち着くでしょう。
昔、クレーマーとクレーマーがぶつかったらどうなるのかと思ったことがありました。
そうしたら、クレーマーとクレーマーがぶつかるシーンを見ました。
クレーマーにも、強い弱いがあるのだと知りました。強いクレーマーにぶつかると、弱いクレーマーは身を引きます。
もうひとつは、違うシーンでした。
クレーマーを見たクレーマーが言いました。『あの人はひどいクレーマーだ』、その人は自分がクレーマーだとは自覚していないのだということがわかりました。
もうひとつ付け加えると、クレーマーをじょうずに扱えるようになると、お金(お給料)が上がったり昇進(出世)したりすることもあります。そういうことができる人には、いい人が集まってきます。したたかに生きることでうまくいくことがあります。したたか:打たれ強くてしっかりしている。
なんだか、アンガーマネジメントの研修本を読むようでした。(怒り(いかり)をコントロールする)
ふだんはおとなしそうに見えるかいじゅうポポリですが、怒るとびゅーんと狂暴になるようすが、ぶあつい表紙をめくると描いてあります。
赤い体に、頭の上に白い角(ツノ)を2本付けて、赤鬼みたいなかいじゅうポポリです。
体はそれほど大きくはありません。幼稚園児のイメージです。
ポポリのともだちなのか、そうでもなさそうなかいじゅうが、かいじゅう、『ゾムゾーラム』で、大きな体、白い体に水色の、せびれのようなものがついています。
おこりんぼだと、人が離れていきます。(ポポリはかいじゅうだから、かいじゅうたちが離れていきます)
おこりんぼは、最後はひとりぼっちになってしまいます。
人間界にいるクレーマーみたいなものです。(しつこく苦情を言うお客さん。あきらめないことを善(ぜん。いいこと))だと勘違いしている)
クレーマーは、自分が文句を言っても言い返せない立場の人に文句を言います。ほかに相手をしてくれる人がいないからです。典型的な弱い者いじめです。
クレーマーは、さびしんぼです。しかたがありません。いつも文句ばかり言っているので、いっしょにいても楽しくないから人が離れていきます。
さて、かいじゅうポポリは、クレーマーの類(たぐい)でしょうか。
『ポポリのしっぽって、おもしろいかたちだねえ』、とゾムゾーラムが言っただけで、パポリは真っ赤になって、からだがビッグになって、がおおおおおお!と怒り狂います。(いかりくるいます)
しっぽのことでばかにされたと思った。誤解です。
ポポリは頭が悪いのです。考えが不足しているのです。
さよならポポリです。ゾムゾーラムは、もうポポリには会いたくありません。
公園に、かいじゅうギブラとパーパルとスミスーイがいます。水遊びをしています。
ちょっと極端な設定で、お話がつくられています。
通りがかっただけのくせに、自分を仲間はずれにしたなと三人におこるポポリです。
(話のつくりすぎではなかろうか。おおげさです)
ポポリと三人のケンカが始まりました。
ポポリは自分勝手な人間(かいじゅう)なのです。
ポポリの言葉、『ぼくなんか、いなくなればいいんだ!』は、意味がとおりません。
(だれもいなくなればいいとは言っていません。迷惑だと言っているのです)
ポポリは、おなかがすいているから怒る(おこる)んじゃないだろうか。
おいしいごはんをおなかいっぱい食べればおこらなくなるんじゃないだろうか。
読み手であるわたしはそう考えました。
絵本の文字が、絵の役割を果たします。
文字が大きくなって、絵のようです。文字が、絵にとけこみます。
太くて大きな文字です。
自分に自信がないから怒る(おこる)ということはあります。自信:自分の価値や能力を信じること。自分は自分だから大丈夫(だいじょうぶ)だと自分を信じる心。
自信がないと不安になります。不安を吹き飛ばすために人に対して怒ります。(おこります)。力で自分の言うことをきかせようとします。
プアイズ:『いかりのマスターかいじゅう』だそうです。怒り(いかり)をコントロールするということだろうか。頭に白い角(ツノ)が生(は)えているひとつ目の小さなかいじゅうです。
この絵本では、『怒り(いかり)』を赤い色で表現してあります。赤色は怒りの色です。
なぜ怒り(いかり)が生まれるのかを考えます。
見開き2ページにわたって、とっても細かく、怒りが生まれる理由が絵付きで紹介されています。
自分に対して被害(不利益)があったときに怒り(いかり)が生まれるようです。
いろんな絵があって、ポケモンの種類みたいです。
自分がされてイヤなことは、人に対してやってはいけないとも考えることができます。
対策を考えます。
すぐにカッとこないで、時間の間(ま)をもちます。
いつも気持ちを100%に張りつめて(はりつめて)がんばっていると、予想外のことが起きたときに、そのことを受け止める余裕がなくなります。だから、力は常に100%発揮してはいけません。40%から60%ぐらいでいいのです。それで十分です。わたしはそう思います。
なにがどうなろうと、なんとかなるさと考える。
物事が行きどまりになることはありません。自分が損をするということはあります。損をしたり得をしたりしながら時は過ぎていきます。それはそうなるものだったと思えばいい。
世の中では、ネバーギブアップとか言って、あきらめたらいけないみたいな教えとか指導や指示があります。
あきらめてもいいのです。むしろ、じょうずにあきらめることを覚えたほうがいい。相手にじょうずに負けるのもこの世を生き抜く手段です。
顔で泣いて、心で笑っていればいいのです。
そういう人のまわりには人が集まります。孤独ではありません。
なにがなんでも自分の思いどおりにならないと、カッとなって、大声でどなったり、机をたたいたり、イスをけったりする人がいます。暴力で相手に自分の言うことをきかせようとします。
自分が悪いくせに、人が悪いと主張します。パワハラです。自分で自分の感情をコントロールできない人です。頭がおかしい。こどもです。案外、組織で有能だという人に多い。わたしは長いこと生きてきて、パワハラをする男の人や女の人を何人も見ました。あまりにもひどかったときに、『どうしてそんなに感情的になって怒鳴り続けるのですか。落ち着いて静かに話してください』と上司に言ったら、絶句されていました。(ぜっく。言葉が詰まって言い返すことができない)。本人の脳みそのなかに、想定していない状況が起きてしまったからなのでしょう。パワハラは心の病気です。薬はありません。本人自身が努力して自分の人格を変えようとしなければ治りません。(なおりません)。
世の中はなんとでもなるのです。そうなるしかないのです。極端な話、あなたがいなくてもなんとかなる。なんとかなるしかないのです。
おこりんぼのポポリと、ダーギーと、ペコバラスとが、ボードゲームをしています。
ルールのことで、ポポリが怒り(おこり)だしそうです。
なにがなんでも相手にゲームで勝つのではなく、じょうずに負けることも覚えたほうがいい。自分だけの幸せよりも全体の平和のほうが、自分にとっていいこともあります。そして、たかが、ゲームなのです。
昔、プロ野球で怒ってばかりいる監督(ほしの監督)が言っていました。『気持ちは熱くはなるけれど、最後は、しょせん野球です。たかが野球の話です。(広い世の中にあっては)小さな話です』。ほしの監督は、寛大な人だったのです。
だいじなことは、自分が勝っていい思いをするということではなく、みんなで楽しく遊べることなのです。あしたもまたいっしょに遊べるということは、気持ちがいいことなのです。
今度は、ポポリの前に、かいじゅうソーサラスが出てきて、ポポリをからかいはじめました。
怒り(いかり)をがまんする、がまんしたいポポリです。
笑いたいときには笑って、泣きたいときには泣いて、だって、人間だから(かいじゅうだけど)。ぼくは、おこりんぼかいじゅうじゃない。そんな気持ちになりました。
理屈(りくつ)はむずかしいけれど、この絵本をこどもに読んであげれば、こどもの気持ちは落ち着くでしょう。
昔、クレーマーとクレーマーがぶつかったらどうなるのかと思ったことがありました。
そうしたら、クレーマーとクレーマーがぶつかるシーンを見ました。
クレーマーにも、強い弱いがあるのだと知りました。強いクレーマーにぶつかると、弱いクレーマーは身を引きます。
もうひとつは、違うシーンでした。
クレーマーを見たクレーマーが言いました。『あの人はひどいクレーマーだ』、その人は自分がクレーマーだとは自覚していないのだということがわかりました。
もうひとつ付け加えると、クレーマーをじょうずに扱えるようになると、お金(お給料)が上がったり昇進(出世)したりすることもあります。そういうことができる人には、いい人が集まってきます。したたかに生きることでうまくいくことがあります。したたか:打たれ強くてしっかりしている。
なんだか、アンガーマネジメントの研修本を読むようでした。(怒り(いかり)をコントロールする)
2024年07月26日
かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった 絵本
かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む1 不安・、こわい気持ち 新井洋行 森野百合子・監修(児童精神科医/英国児童・思春期精神科専門医) パイ インターナショナル
こどもさん向けの絵本です。
かいじゅうたちは、ロボットに見えます。
かいじゅうたちは、鳥のようでもあり、小動物のようでもあり、虫のようでもあり、ポケモンたちのようでもあります。
かいじゅうといえば、ティラノザウルスとか、トリケラトプスとかの恐竜、ゴジラとか、ガメラとか、キングギドラとかの映画の主人公を思い浮かべますが、こちらの絵本の怪獣はロボットのようです。
かいじゅうたちは、それぞれが、幼稚園生か、小学校低学年のこどもたちに見えます。
かいじゅうたちは、だいたいが男の子に見えます。
『かいじゅう その1 モーモクロスのばあい』
モーモクロスと聞くと、ももいろクローバーZを思い出します。
モーモーと聞くと、牛の鳴き声を思い出します。
お話は、高所恐怖症のお話です。
高いところがにがてなのに、どういうわけか、モーモクロスというかいじゅうが、がけから飛び降りて、バンジージャンプにチャレンジするそうです。(わたしはやりません。100万円もらってもやりません)
ページをめくりました。
なんと!
モーモクロスの背中に、羽がはえました。ナイス!(ステキです)
自分にとって、いいふう(つごうの良いように)考える。自分の背中に羽が生えるからだいじょうぶ。
自己暗示ですな。自己催眠でもありますな。
バンジージャンプの結果は安全だとわかっているから、あとは、度胸だけです。
モーモクロスは、無事(ぶじ)にジャンプできました。(なるほど)
『かいじゅう その2 サスピッチのばあい』
サスピッチは注射がキライだそうです。(注射が好きだという人をわたしは聞いたことがありません。わたしの場合は持病があって、4週間に1回、血液検査のために採血があります。毎回イヤだな~と思いますが健康管理のためですからしかたがありません。あきらめています)
注射対策が提示されました。体がカチンコチンになる(固まる)そうです。絵を見て笑えました。
固くなると注射針を刺(さ)せなくなるのではないか。
むしろ、とうふや、コンニャクのように柔らかくなったほうがいいのではないか。
リラックスしたほうが、いいとわたしは思います。
『かいじゅう その3 パルリラのばあい』
パルリラは、おおぜいの前で発表することがにがてだそうです。緊張するのです。まあ、だれでもそうでしょう。
ページをめくりました。どうかなあと思う対策です。
大きな息を吐いたら、お客さんが全員どこかへふっとんでいきました。
対策は、演じる技術を身につけるということです。演劇でなくても、ふつうの人でも自分ではない自分のようなものを演じながら仕事をしています。人間はみんな役者なのです。悪いことではありません。
『かいじゅう その4 ガラーブのばあい』
ガラーブは、暗いところがこわいそうです。
夜中はこわくてトイレに行けません。
ついに行けませんでした。(照明で明るくすればいいのに)
ガラーブは、おしっこがとまったと言いましたが、おねしょをしたかもしれません。
行かねばならないときは、行かねばなりません。やらねばならないことは、歯をくいしばってやらねばなりません。
最初は、ゆっくり、少しずつでやっていけば、だんだん慣れていきます。なにごとも、そのようにやれば、たいていは、うまくいきます。
全体のまとめに入りました。
パルリラが、自分たちは、逃げただけじゃないかとみんなに問題提起します。
こわいものから逃げたくない。(逃げてもいい時はあります)
『こわい』の原因は、『ゾワゾワ』だそうです。
そうしたら、ゾワゾワが4つ出てきました。黄色で、星みたいな形をしています。大きくはありません。
次に、ゾワゾワの親分のような、黄色いウニみたいなかいじゅうが出てきました。『ゾワゾワキング』だそうです。
うまくやるコツは、ゾワゾワをつぶすのではなくて、ゾワゾワと仲良しになることだそうです。
う~む。できることはできるし、できないことはできない。それでいいし、それだけのことだと、わたしは思います。
説明が抽象的で、こどもさんにはわかりにくい。
こどものころにはわからないことがあります。
人は、お金を手に入れて生活していくということです。
食べていくためにはお金がいるのです。
勉強だけをしていてもお金は懐に(ふところに)入ってきません。
おとなになるとわかります。
だから、つらいことがあっても、お金を手に入れるために、がんばったり、いやなことでもやったりできるのです。
お金をもらうとうれしくなるのです。
先日読んだ文章でなるほどと思うものがありました。
日本人は、宝くじで高額賞金が当たると、仕事を辞める(やめる)ことを考える。
外国人は、宝くじで当たったお金を資金にして、事業を始めて、さらにもうけることを考える。
日本人の気質をじょうずに言い当てていると感心しました。日本人は、ネガティブ(うしろ向き)なのです。
困ったことがあったときに励ましたり、なぐさめたりしてくれる仲間がいると心にいいということはあります。
ただ、人間的に同じようなタイプで、お互いの傷をなめ合う関係だと、愚痴をこぼしあうだけで、状況は好転せず、現状維持か、堕ちていく(おちていく)ことになります。
なかなかむずかしい。
こどもさん向けの絵本です。
かいじゅうたちは、ロボットに見えます。
かいじゅうたちは、鳥のようでもあり、小動物のようでもあり、虫のようでもあり、ポケモンたちのようでもあります。
かいじゅうといえば、ティラノザウルスとか、トリケラトプスとかの恐竜、ゴジラとか、ガメラとか、キングギドラとかの映画の主人公を思い浮かべますが、こちらの絵本の怪獣はロボットのようです。
かいじゅうたちは、それぞれが、幼稚園生か、小学校低学年のこどもたちに見えます。
かいじゅうたちは、だいたいが男の子に見えます。
『かいじゅう その1 モーモクロスのばあい』
モーモクロスと聞くと、ももいろクローバーZを思い出します。
モーモーと聞くと、牛の鳴き声を思い出します。
お話は、高所恐怖症のお話です。
高いところがにがてなのに、どういうわけか、モーモクロスというかいじゅうが、がけから飛び降りて、バンジージャンプにチャレンジするそうです。(わたしはやりません。100万円もらってもやりません)
ページをめくりました。
なんと!
モーモクロスの背中に、羽がはえました。ナイス!(ステキです)
自分にとって、いいふう(つごうの良いように)考える。自分の背中に羽が生えるからだいじょうぶ。
自己暗示ですな。自己催眠でもありますな。
バンジージャンプの結果は安全だとわかっているから、あとは、度胸だけです。
モーモクロスは、無事(ぶじ)にジャンプできました。(なるほど)
『かいじゅう その2 サスピッチのばあい』
サスピッチは注射がキライだそうです。(注射が好きだという人をわたしは聞いたことがありません。わたしの場合は持病があって、4週間に1回、血液検査のために採血があります。毎回イヤだな~と思いますが健康管理のためですからしかたがありません。あきらめています)
注射対策が提示されました。体がカチンコチンになる(固まる)そうです。絵を見て笑えました。
固くなると注射針を刺(さ)せなくなるのではないか。
むしろ、とうふや、コンニャクのように柔らかくなったほうがいいのではないか。
リラックスしたほうが、いいとわたしは思います。
『かいじゅう その3 パルリラのばあい』
パルリラは、おおぜいの前で発表することがにがてだそうです。緊張するのです。まあ、だれでもそうでしょう。
ページをめくりました。どうかなあと思う対策です。
大きな息を吐いたら、お客さんが全員どこかへふっとんでいきました。
対策は、演じる技術を身につけるということです。演劇でなくても、ふつうの人でも自分ではない自分のようなものを演じながら仕事をしています。人間はみんな役者なのです。悪いことではありません。
『かいじゅう その4 ガラーブのばあい』
ガラーブは、暗いところがこわいそうです。
夜中はこわくてトイレに行けません。
ついに行けませんでした。(照明で明るくすればいいのに)
ガラーブは、おしっこがとまったと言いましたが、おねしょをしたかもしれません。
行かねばならないときは、行かねばなりません。やらねばならないことは、歯をくいしばってやらねばなりません。
最初は、ゆっくり、少しずつでやっていけば、だんだん慣れていきます。なにごとも、そのようにやれば、たいていは、うまくいきます。
全体のまとめに入りました。
パルリラが、自分たちは、逃げただけじゃないかとみんなに問題提起します。
こわいものから逃げたくない。(逃げてもいい時はあります)
『こわい』の原因は、『ゾワゾワ』だそうです。
そうしたら、ゾワゾワが4つ出てきました。黄色で、星みたいな形をしています。大きくはありません。
次に、ゾワゾワの親分のような、黄色いウニみたいなかいじゅうが出てきました。『ゾワゾワキング』だそうです。
うまくやるコツは、ゾワゾワをつぶすのではなくて、ゾワゾワと仲良しになることだそうです。
う~む。できることはできるし、できないことはできない。それでいいし、それだけのことだと、わたしは思います。
説明が抽象的で、こどもさんにはわかりにくい。
こどものころにはわからないことがあります。
人は、お金を手に入れて生活していくということです。
食べていくためにはお金がいるのです。
勉強だけをしていてもお金は懐に(ふところに)入ってきません。
おとなになるとわかります。
だから、つらいことがあっても、お金を手に入れるために、がんばったり、いやなことでもやったりできるのです。
お金をもらうとうれしくなるのです。
先日読んだ文章でなるほどと思うものがありました。
日本人は、宝くじで高額賞金が当たると、仕事を辞める(やめる)ことを考える。
外国人は、宝くじで当たったお金を資金にして、事業を始めて、さらにもうけることを考える。
日本人の気質をじょうずに言い当てていると感心しました。日本人は、ネガティブ(うしろ向き)なのです。
困ったことがあったときに励ましたり、なぐさめたりしてくれる仲間がいると心にいいということはあります。
ただ、人間的に同じようなタイプで、お互いの傷をなめ合う関係だと、愚痴をこぼしあうだけで、状況は好転せず、現状維持か、堕ちていく(おちていく)ことになります。
なかなかむずかしい。
2024年07月24日
希望のひとしずく キース・カラブレーゼ
希望のひとしずく キース・カラブレーゼ 代田亜香子(だいた・あかこ)訳 理論社
(1回目の本読み)
最後までページをゆっくりめくります。
『主な登場人物』に、31人も書いてあります。『主な(おもな)』だから、ふつう数人ではなかろうか。ちょっと読むのがたいへんそう。だいじょうぶかなあ。
中学生たちの物語で児童文学です。
アーネスト・ウィルメット:1945年にできた大工場ウィルメット工業製作所の経営者のひとり息子で、大金持ちの家のこどもだそうです。アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんが創業した。アーネスト・ウィルメットは跡継ぎの立場にあります。
アメリカ合衆国中西部にあるオハイオ州の高級住宅地に住んでいる。中学一年生になったばかりの12歳の彼は、『奇跡を信じている』そうです。
亡くなったおじいちゃんの名前が、エディ・ウィルメット。死ぬ8週間前に、屋根裏部屋の整理をアーネストに頼んで約束した。おじいちゃんは、アーネスト・ウィルメットが住む家とは別の家に住んでいた。アーネスト・ウィルメットは、屋根裏部屋でりっぱな『お絵かきセット』を見つけました。(このお絵かきセットが伏線になって、話をいい方向へと導いてくれます)
エディ・ウィルメットの弟がロバート(ロロ)で、心肥大(しんひだい。心臓の筋肉が厚くなり、心臓の機能が低下する)という病気で9歳のときに亡くなっています。ロロの親友が、ジャック・ホー。ジャック・ホーの家族を長年支えてきたのが、今は介護施設に入っている元刑事で、スタンリー・ドナン。アーネスト・ウィルメットは、自分の体が小柄であることを気にしているようすです。
最近両親のようすがおかしい。なにかを隠している。こどもの前では深刻な話をしない両親に対して、アーネスト・ウィルメットは不信感をもっています。
大家族がいいとして、両親は大きな家を建てたけれど、こどもは、アーネスト・ウィルメットひとりしか生まれなかった。
親の工場は経営が傾いているらしい。
アーネスト・ウィルメットは、忘れん坊のようです。ときどき、物を置き忘れます。
ライアン・ハーディ:父親が、アーネスト・ウィルメットの工場の従業員で現場監督をしている。人は人、自分は自分という考え方をする少年だそうです。
ライアン・ハーディは、お金持ちのアーネスト・ウィルメットをよくは思っていない。父親が従業員の立場なので、アーネスト・ウィルメットとはあまり関係をもちたくない。
アーネスト・ウィルメットは、エラそうにしていない。いつもニコニコしている。人なつっこくて、いつもゴキゲン。物事を明るく考える人間。そういうところが、ライアン・ハーディはキライだそうです。
ライアン・ハーディの向かいの家に住んでいるのが、アニー・ヘメルレ(体重が40キロくらいしかないおばあちゃん。少しぼけが始まっているようです)さん。
ヘメルレの孫娘が、テス。冒頭付近では、ヘメルレ宅の芝刈りをアルバイトとしてやっている。ヘメルレ家のおじいちゃんは二年前に亡くなった。ご夫人は、『(蓄えを。たくわえを)切り崩して生活』している。
ライアン・ハーディは、アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメット宅の芝刈りもしていた。エディは、お金持ちなのに、『サウス』に住んでいたとあります。きっと、『サウス』は、お金持ちが住むようなところではないのでしょう。一般人が住むところなのでしょう。
ライアン・ハーディの母親の名前は、カレン・ハーディ。父親の名前は、ダグ・ハーディ。ライアン・ハーディには、あかちゃんのデクランという弟がいる。ライアン・ハーディの母親であるカレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。
リジー・マコーマー:ライアン・ハーディと幼なじみの女子中学生でライアンに気があるみたいです。ママは看護師長をしている。ママの名前は、ジュリア・マコーマー。リジー・マコーマーのおばさんがパティ。パティの娘がチェルシーで、リジーからみていとこです。
チェルシーは、派手好きで、チェルシーは、リジー・マコーマーの改造計画を始める。同じくパティの娘が、アンバーで、姉チェルシーとは性格が正反対。おとなしい。
リジー・マコーマー本人は成績優秀、読書大好き。でも、おとぎ話はキライだそうです。母ジュリア・マコーマーと同じ病院で働いているドクターが、トム・シェイ。同じく看護師が、ジーン。ジーンのカレシが、エアライン(航空会社)の係員で、ドリュー。
ママは離婚している。今のママにはどうもカレシがいる。リジー・マコーマーは、実父のパパに会いたい。
リジー・マコーマーは、お化粧などをして、きれいになりたい。
ウィンストン・パティル:転校生で引っ越してきたばかり。まだ友だちがいない。いつも絵を描いている。パパはドクターで、評判のいい外科医。世界をまたにかけている。(回っている)。
シカゴからオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。違和感が大きい。
ウィンストン・パティルは、インド系のファミリーの一員。人種が多いシカゴでは溶け込めたが、いなかであるクリフ・ドネリーでは、アウェイ感満載(まんさい。浮いている。敵地。歓迎されていない。避けられている)
トミー・ブリックス:いじめっこ。三人兄弟の末っ子。兄ふたりは問題児。長男ウェイドは傷害罪で刑務所にいる。次男サムは海兵隊にいるが、刑務所と海兵隊とどちらかを選べと裁判で言われて海兵隊を選んだ。
トミー・ブリックスは、実は乱暴者ではない。父親のハーラン・ブリックスが酒飲み、ふたりの兄が乱暴者であることから近所の人たちにトミー・ブリックスもおかしいと思われている。トミー・ブリックスは、そのことで気持ちに迷いがある。
海兵隊に入った次兄サムの工具:兄がトミー・ブリックスに預けた。酒飲みのオヤジに見つかるとオヤジは工具を売却して酒を買ってしまう。トミー・ブリックスは、工具を学校のロッカーの壁の奥に隠したい。
アーロン・ロビネット:ビッグフットがいると信じている。(ビッグフット:足が大きい? アメリカ合衆国の話。大きな猿人(えんじん)に見えます)。サスクワッチ:未確認動物。大きな足跡、毛むくじゃらの体。
ジェイミー・ダール:アーロン・ロビネットの親友。ビッグフットの存在は信じていない。父親は刑事で、名前は、アート・ダール。アート・ダールの甥っ子が、バディで、森でタバコを吸っている。
ジェシュ・レディガー:海兵隊員の兄マット・レディが-が、アフガニスタンで亡くなった。マット・レディガ-の親友が、アフガニスタンから帰国した元海兵隊員のチャド・フィネガン。
ペイジ・バーネット:美人の人気者。弟のセス(小学一年生)が字を読めないことを心配している。(識字障害だろうか。伊予原新作品(いよはら・しん作品)、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 文藝春秋』に書いてありました。文字のフォント(デザイン)で、ディスレクシアの人でも文字や文章を読めることがある。
マーカス・アール:担任の先生。男性。想像力が豊かで話がじょうず。マーカル・アールの大学の同級生で、元カノで(カノジョ)、テレビの放送記者が、アンドレア・チェイス。
アンドレア・チェイスはいい人ではありません。地域のゴシップ(うわさ話)をネタにして、お金もうけになる記事を書く人です。後半で、トラブルの原因になります。見た目は美しく賢く仕事で成功しているそうです。強くて自身に満ちあふれているそうです。
マーカス・アールの昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書いている。アール先生は、ライアン・ハーディのお気に入りの先生。生徒に人気がある。服装はセンスがなくダサイ。背が高い。両親の人種が異なっているのでハーフだが、両親の民族が不明。ライアン・ハーディのクラスで、英語とホームルームを担当している。
トルーマン:中学校の用務員。何十年も働いている。
ネイト・コリンズ:消防署長で、元海兵隊員
アート・ダール:ジェイミー・ダールの父親。刑事をしている。甥っ子が(おいっこ)、バディ。
ジェイニー・ダベンポート:高校二年生。図書館でボランティアをしている。
コンウェー:ジェイニー・ダベンポートがボランティアをしている図書館の司書。5歳の息子ジェイソンがいる。
ブロディリック先生:ジェイニー・ダベンポートの通う高校の生物の先生。
ビルクス:アーネスト・ウィルメットの父親の会社経営資金に関する相談相手。
ハックウェル:理科の先生。
うしろのほうにある訳者あとがきを読みました。
主人公は、三人の中学生だそうです。
その三人が、通称、『残念な町』で、奇跡を起こすそうです。
ジグソーパズルの小さなピースが集まって、やがて美しい絵ができあがるような感覚だそうです。
人の思いやりとか想像力で、奇跡を起こすというメッセージがあるそうです。
(2回目の本読み)
ちいさな文章の固まりが順番に出てきます。
それぞれ語る人が異なります。
語る人を変えていく記述手法がとられています。
アーネスト・ウィルメットもライアン・ハーディも、きちんと話をしたことがないから、お互いを誤解しています。それぞれが思いこんでいるような相手の人格ではなさそうです。『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』。以前、なにかの本でその言葉を読んだことがあります。真実でしょう。
ディする:相手を批判する。けなす。
おとこ運:めぐりあわせの良し悪し(あし)
クリフ・ドネリー:登場人物たちが住んでいる町の名称。人口22,177人。1835年にできた。(日本では1853年がペリーの黒船来航)
作者が、それぞれの人物になりきって、ひとり語りが続きます。心地よい。
ロッド・サーリング中学校:1930年代創立(日本だと昭和5年代)。校舎は3階建てで、広い中庭がある。
スケープ・ゴート:生贄(いけにえ)、犠牲。身代わり。
トンプキンス井戸:ノースサイド公園にある井戸。コインを投げて、願い事をする。言い伝えとして、孫の命を救うために身代わりになったのが、エゼキエル・トンプキンスという人物。この井戸が、あとあと物語の伏線になっていきます。
井戸の下につながる洞穴(ほらあな)があって、井戸の真下である洞穴の中にいると、願い事をしに来た井戸の上にいる人の願い事を願う声が聞こえるのです。おもしろいなあ。
ノースとサウス:読んでいるとどうも、ノースは、資本家(経営者。お金持ち)が住む地域で、サウスが、労働者が住む地域のようです。労働者は、お金持ちではないという比較があります。
サウスの人間は、おとなに告げ口はしないそうです。こどもの世界でトラブルがあったときは、おとなには話をせずに、こどもの世界で解決するそうです。
自然保護区があるそうです。ノースサイド公園に出口がある。
ノースサイド公園で、悪魔崇拝の儀式をやっているという噂がある。
(つづく)
ウィンストン・パティルがきっかけで、アーネスト・ウィルメットがからみ、ライアン・ハーディとトミー・ブリックスがケンカになりそうです。
トミー・ブリックスが、ウィンストン・パティルの絵をばかにした。それを見たアーネスト・ウィルメットがトミー・ブリックスを注意した。
アーネスト・ウィルメットは、父親が働く会社の経営者なので、ライアン・ハーディが仲介に入ったという流れです。トミー・ブリックスは、止めに入ったライアン・ハーディを不愉快に思ってケンカするぞ!になるのですが、トミー・ブリックスは、世間の評判と違って、頭の中身は暴力的ではないのです。彼の父親と兄ふたりが暴力的なのです。
トミー・ブリックスは、彼なりに迷い困っているのです。ライアン・ハーディと殴り合いのケンカはしたくないけれど、自分の威厳は保ちたい。いえるのは、トミー・ブリックスは、根っからのいじめっこじゃない。
いい話が続きます。
みんな、それぞれ、悩みをかかえています。
表面上見える人柄と本当の人格は異なっています。
69ページでちょっとびっくりしました。
『チャーリーとチョコレート工場』のウンパルンパという文章が出てきました。
わたしは、去年の秋に、東京帝国劇場で、ミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を観劇しました。にぎやかでいい雰囲気でした。ウンパルンパ役の人たちもがんばっておられました。
色彩とか映像・音楽がきれいな舞台でした。
オッカムのカミソリ理論:ものごとを説明するときに必要以上に多くを仮定してはならない。
ティリー:アーネスト・ウィルメットがつくった架空のおばさん。今年の1月で87歳になる。
ダドリー:アーネスト・ウィルメットのいとこ。
デビッド・オルティーズ:米国プロ野球選手。
本のタイトル、『希望のひとしずく』の、ひとしずくは、コインのことをさすのだろうか。古井戸に願い事をしながら投げ込むコインのことです。古井戸の下にいる少年二人に願いが伝わって、少年たちが願いごとをかなえるように努力するという全体像でいいのだろうか。読み進めてみます。
アーネスト・ウィルメットのおじいちゃんの家の屋根裏にあるもの。
ボードゲーム(カラーフォーム。くっつけたりはがしたりできる)、靴下でつくったサルの人形、おもちゃのピストル、手づくりのキルト、古い消火器。
ヘメルレおばあちゃんが、大昔の写真を出してきます。白黒写真にこどもが3人写っています。14歳くらいの男の子(エディ・ウィルメット。アーネスト・ウィルメットの祖父)、9歳ぐらいの女の子(ヘメルレさん)、もうひとりの9歳ぐらいの男の子(エディ・ウィルメットの弟。ロバート。愛称がロロ。顔がアーネスト・ウィルメットにそっくり)。
リジー・マコーマーに、ライアン・ハーディがトンプキンス井戸の下にいたことがばれました。こんどは、ライアン・ハーディが、リジー・マコーマーをトンプキンス井戸の下に連れて行くことになりました。
ドリトスくさい:お菓子のドリトス(スナック菓子)のにおい。
輻輳不全(ふくそうふぜん):近くの文字を読もうとするときに、寄り目がうまくできない症状。医療系の話。ペイジ・バーネットの小学一年生の弟セスの症状。
カレン:ペイジ・バーネットの弟小学一年生セスの担任教師。
アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父が屋根裏部屋に遺してくれた(のこしてくれた)品物が、幸せの町の人たちの幸せにつながっていくというお話の流れです。
今度は消火器です。長さ1m近く。直径15センチ以上あります。古い消火器です。(その後、使うことになります)。エルクハート社製のヴィンテージ真鍮(しんちゅう)消火器。ヴィンテージ:古い。
4人組の高校生:男ふたり(バディ:好きなものは、タバコ、破壊すること、汚い茶色のコートを着ること(タバコが火災の原因になります)。
バディは、図書館でボランティアをしているジェニー・ダベンボートの父親で刑事のアート・ダールの甥(おい。兄弟姉妹のこども)。もうひとりの男子が、ドレイク)。女ふたり(ヘザーとマーゴ)。ドレイクとマーゴがカップル。
ジャック・ホー:9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友。ロロが亡くなった日は、ロロの誕生日だった。その日に、ジャック・ホーの父親が家を出て行った。ジャック・ホーと母親が家に残された。
ジャック・ホーは、ロロへの誕生日プレゼントに、サルのぬいぐるみを贈ることにした。靴下でつくったサルの人形だった。(人形の中に秘密があります。『ホルヨークの赤いダイヤモンド』が人形に隠されていました。1952年(日本だと昭和27年)シカゴの豪商ユースタス・ホルヨークの地下室から盗まれたダイヤモンドです。ジャック・ホーの父親は盗みをする人でした)
チャド・フィネガン:海兵隊でアフガニスタンの戦争に行っていた。親友が、マット・レディガ-だったが、マットは地雷を踏んで亡くなった。
サスクワッチ:ビッグフット。体の大きな猿人のような生き物。足が大きい。
アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットが屋根裏に遺した品物は、彼の9歳で病死した弟ロロへのプレゼントだった。
ネイト・コリンズ:消防署長
シェイディ・レーンズ(介護施設の名称):金曜日にジャック・ホー(9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友)が入所者スタンリー・ドナン(元刑事)に会いに行く。スタンリー・ドナンは、ジャック・ホーの父親が家を出たあと、ジャック・ホーと彼の母親の面倒を見た。ジャック・ホーの父親ベン・マッティングリーは空き巣狙いの犯罪者だった。拠点はイリノイ州シカゴ、インディアナ州のインディアナポリスで空き巣をしていた。
なかなかややこしい話です。日本人中学生が読むのにはむずかしい本です。
オルスン・マルドゥーン:盗品(宝石とか)の仲介屋。故買(こばい)
182ページで、ライアンとアーネストとリジーは、もうトンプキンス井戸の下には行かないことにしました。
(つづく)
アーネスト・ウィルメットの祖父宅の屋根裏にあったものから、『キルト(緑と青の柄のパッチワーク布)』と『古いおもちゃのピストル』をアーネスト・ウィルメットが持ち出して、ライアン・ハーディに預けました。
ヘメルレおばあさんが亡くなりました。
自宅の椅子に座ったまま、眠るように亡くなっていました。
911番:日本でいうところの119番と110番。救急、消防、警察に連絡する緊急用の電話番号。
ライアン・ハーディは、亡くなっているヘメルレさんにキルトをそーっとかけました。
ライアン・ハーディは泣きますが、眠るように死ねたら大往生(だいおうじょう。安らかに死ぬ)です。泣くことはありません。長寿を全うしたのです。まっとう:自分の役割を完全に果たした。
超悪趣味な茶色のコートを着た人物:喫煙男子高校生のバディのことです。タバコが火災の原因になりました。バディは、刑事アート・ダールの甥っ子です。おいっこ:兄弟姉妹のこども。叔父・甥の関係。ビッグフットの存在を信じているアーロン・ロビネットの親友ジェイミー・ダールの父親。
ハーラン・ブリックス:トミー・ブリックスの父親。
スラッピー・ジョー:サンドイッチの種類のひとつ。
イエロージャーナリズム:新聞の発行部数を伸ばすために、おおげさで感情的な報道をすること。
ジュリア・マコーマー:リジー・マコーマーの母親で看護師長。ER担当。ER:救急室、救急外来。
チャック:カメラマン。アンドレア・チェイスと行動を共にしている。
スキャンダル:不祥事、不正。
よくわからないのですが、トンプキンス井戸の下でこどもたちが、願いを聞いて、願いがかなうように行動したことが、テレビ記者に問題視されるのです。美談に裏事情ありです。そんなに、問題視することだろうか。
If only:「たられば」。仮定の話。もし~なら。
ジョシュ・レディガー:トンプキンス井戸で、お願いをした。アフガニスタンで戦死した兄のために家庭が壊れた。家族を元通りにしたい。
ウィンストン・パティルのおばあちゃん。インド人。
最後の一品(ひとしな)である、『おもちゃのピストル』はどうなるのだろう。
ワダ・パーヴ:インドのハンバーガー。
241ページにある、『ジニー』は、『ジーン』の間違いではなかろうか。ジーン:看護師。
243ページの歌の歌詞を見て、洋画『ペーパームーン』を思い出しました。
テス:ヘメルレおばあちゃんの孫娘。
246ページまで読みました。あと少しです。あと61ページぐらい。なかなかややこしい。
(つづく)
なかなかややこしい。
ミステリー(推理小説)のような展開になってきました。
亡くなったヘメルレおばあさんの孫娘であるテスがいます。
こどもたちの担任男性教師のマーカス・アールがいます。
父がアーネスト・ウィルメットの父親の従業員であるライアン・ハーディがいます。
警官が、アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父のエディ・ウィルメットの家から出てきます。
テレビの放送女性記者であるアンドレア・チェイスが手錠を付けられた状態で玄関から出てきます。
担任男性教師マーカス・アールが話をでっちあげた。(つくり話を成立させた)
9歳で亡くなったロロの親友のジャック・ホーの父親であるベン・マッティングリーは、ホルヨークの赤いダイヤを盗んだが単独犯ではない。
宝石の売買に関与したのは、マルドゥーンではない。
エドガー・ウィルメットが売買に関与した。エドガー・ウィルメットは、ウィルメット工業製作所の創設者である。
ここからがわからないことです。
リジー・マコーマーは、男の子ふたりと施設にいたと書いてありますが、施設とは、『トンプキンス井戸』のことを指すのだろうか。
男の子ふたりで、そのうちのひとりが、アーネスト・ウィルメットである。エドガー・ウィルメットのひ孫である。
エドガー・ウィルメットとベン・マッティングリーは共犯者である。
エドガー・ウィルメットは、自分の工場を利用して、ベン・マッティングリーが盗んで得たお金をロンダリングしていた。ロンダリング:資金洗浄。不正なお金を正当なお金にみせかける。
エドガー・ウィルメットが、盗品を自宅に隠していた。そして、その家を息子のエディ・ウィルメットが引き継いで死ぬまで住んだ。
地下室の壁が二重構造になっていて、いまでも、その中に、ベン・マッティングリーが盗んだ宝石やお金がいっぱい入っている。
3人目の協力者が、介護施設に入っている元刑事のスタンリー・ドナンである。
オーソン・マルドゥーンは、ベン・マッティングリーを殺していない。
スタンリー・ドナンが、ベン・マッティングリーを殺した。
なんだか、わかったような、わからないような筋書きです。
すべてが事実とも思えない。さらに、どんでん返しがあるかもしれません。
読み続けます。
(その後)
読み終えました。
長かった。
この物語の内容を中学生がすんなり理解できるとは思いにくい。読書感想文の課題図書として適しているとは思えませんでした。
では、継ぎ足しの感想メモです。
ドクター・トム・シェイ:スーツを着た背の高いイケメンのおじさん。リジー・マコーマーの看護師長である母親のジュリア・マコーマーの仕事仲間。心臓外科医。そして、ジュリア・マコーマーのカレシ。ただし、ジュリア・マコーマーには、家を出て行った夫がいます。その後、ジュリア・マコーマーとドクター・トムは結婚していますが、離婚が成立していたのか、婚姻中でも式だけでも挙げたのか(あげたのか)わからなかったのですが、おそらくきちんと離婚していて、結婚ができたのでしょう。
ヘメルレおばあさんが、ライアン・ハーディに、家の清掃等をしてくれた報酬を支払っていない話が出ます。払おうとしても、ライアン・ハーディが、もうもらってあるとウソを言い続けたのです。そのあたりの趣旨がどういう意味なのかわかりません。作者は読者に何を言いたいのだろう。日本人と外国人の感覚の違いがあるのかもしれません。
アドレナリン:ストレスに対抗するホルモン。
後半になるにしたがって、おとなの事情の話が入りこんできます。こども世界だけのきれいな話ではありません。
会社がつぶれるとか、お金のやりくりの話です。
危機をくぐりぬけるために芝居を打つ。(ウソでのりきる)
チャド・フィネガン:消防署の職員。
コリンズ署長:消防署長。
SF映画、『フラッシュゴードン』の写真が付いている箱に、古い光線銃のおもちゃが入っている。
ドリュー:看護師ジーンのカレシ。飛行場で登場受付の仕事をしている。
ミズ・チェイス:飛行場の受け付けで、ファーストクラスへのアップグレードをドリューに断られた美人の乗客。
エヴリン・リーヴス:マーカス・アール先生の昔の日曜学校の先生。本を書いている。
アンバー:リジー・マコーマーのいとこ。パティの妹。
民話とか、伝説とか、物語が必要な話が書いてあります。
子どもにおとなの言うことを聞かせるために物語が必要だという考えが示されます。
物語は人間を結びつける。人と人とのつながりをつくってくれる。
ラストで、文章を読んでいると、作者の気持ちは高揚しています。こうよう:精神や気分が高まっている。
複雑で長いお話でした。
人と人との出会いで、幸せが生まれる。
そんなことが書いてあったお話でした。
250ページの最初の数行の意味をとれませんでした。
<リジーが男の子ふたりと施設にいたっていってただろ?>
さきほども書きましたが、『施設』というのは、トンプキンス井戸のことだろうか? わたしにとっては謎です。
そこにいた3人の少年少女のことが、どうして、アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんエドガー・ウィルメットの犯罪共犯者の話の証拠になるのだろうか。不可解でした。
すいぶん長い文章になってしまいましたが、最後に、主な人物一覧を並べておきます。
かなりややこしい。
アーネスト・ウィルメット:12歳、中学一年生、お金持ち工場経営者のひとり息子。
両親がいる。祖父が、エディ・ウィルメット。祖父の弟が、ロバート・ウィルメット(愛称がロロ)で、9歳の時に心肥大で亡くなった。ロバートウィルメット(ロロ)の親友がジャック・ホーで、ジャック・ホーの母子家庭の生活を支えていたのが、元刑事で、今は介護施設に入所しているスタンリー・ドナン。
ライアン・ハーディ:アーネスト・ウィルメットのクラスメート。
アーネスト・ウィルメットの父親が経営する会社で、ライアン・ハーディの父親が働いている。彼の父親は工場で現場監督をしている。
自宅の向かいにひとりぐらい高齢者のアニー・ヘメルレおばあちゃんが暮らしていて、ライアン・ハーディが、お宅の芝刈りのアルバイトをしている。
ライアン・ハーディの母親カレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。
父親の名前は、ダグ・ハーディで、弟の名前はデグラン(まだあかちゃん)。
リジー・マコーマー:前記ふたりの生徒のクラスメート。
ライアン・ハーディに気があるみたい。(恋)
母親は、ジュリア・マコーマーで病院の看護師長をしている。夫とは離婚している。今は、カレシがいて、最後はそのカレシと結婚する。
母親姉妹であるパティがおばにあたる。
おばのパティの長女が、チェルシー(にぎやか)、次女が、アンバー(おとなしい)
ウィン・パテル:クラスメート。インド人男子。転校してきた。
いつも絵を描いている。
大都市シカゴから、田舎町のオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。
父親は、外科医。
トミー・ブリックス:クラスメート。
周囲からいじめっ子と言われているが、本当はそうではない。いい奴(やつ)
父と兄ふたりに恵まれていない。
酒乱の父、乱暴者の兄ふたり。長兄は刑務所に入っている。次兄は海兵隊にいる。
アーロン・ロビネット:クラスメート。
ビッグ・フット(野猿、巨人)がいると信じている。
ジェイミー・ダール:クラスメート。
アーロン・ロビネットの親友。父親が、刑事のアート・ダール。アート・ダールの甥っ子(おいっこ)がバディ。バディは不良の高校生男子。
ペイジ・バーネット:クラスメート。女生徒。
弟セス(小学一年生)が、字を読めない。
マーカス・アール:担任の男先生。ハーフ。
大学の同級生で元カノが、テレビ放送記者のアンドレア・チェイス。
マーカス・アールが関係する昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書く人。
(1回目の本読み)
最後までページをゆっくりめくります。
『主な登場人物』に、31人も書いてあります。『主な(おもな)』だから、ふつう数人ではなかろうか。ちょっと読むのがたいへんそう。だいじょうぶかなあ。
中学生たちの物語で児童文学です。
アーネスト・ウィルメット:1945年にできた大工場ウィルメット工業製作所の経営者のひとり息子で、大金持ちの家のこどもだそうです。アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんが創業した。アーネスト・ウィルメットは跡継ぎの立場にあります。
アメリカ合衆国中西部にあるオハイオ州の高級住宅地に住んでいる。中学一年生になったばかりの12歳の彼は、『奇跡を信じている』そうです。
亡くなったおじいちゃんの名前が、エディ・ウィルメット。死ぬ8週間前に、屋根裏部屋の整理をアーネストに頼んで約束した。おじいちゃんは、アーネスト・ウィルメットが住む家とは別の家に住んでいた。アーネスト・ウィルメットは、屋根裏部屋でりっぱな『お絵かきセット』を見つけました。(このお絵かきセットが伏線になって、話をいい方向へと導いてくれます)
エディ・ウィルメットの弟がロバート(ロロ)で、心肥大(しんひだい。心臓の筋肉が厚くなり、心臓の機能が低下する)という病気で9歳のときに亡くなっています。ロロの親友が、ジャック・ホー。ジャック・ホーの家族を長年支えてきたのが、今は介護施設に入っている元刑事で、スタンリー・ドナン。アーネスト・ウィルメットは、自分の体が小柄であることを気にしているようすです。
最近両親のようすがおかしい。なにかを隠している。こどもの前では深刻な話をしない両親に対して、アーネスト・ウィルメットは不信感をもっています。
大家族がいいとして、両親は大きな家を建てたけれど、こどもは、アーネスト・ウィルメットひとりしか生まれなかった。
親の工場は経営が傾いているらしい。
アーネスト・ウィルメットは、忘れん坊のようです。ときどき、物を置き忘れます。
ライアン・ハーディ:父親が、アーネスト・ウィルメットの工場の従業員で現場監督をしている。人は人、自分は自分という考え方をする少年だそうです。
ライアン・ハーディは、お金持ちのアーネスト・ウィルメットをよくは思っていない。父親が従業員の立場なので、アーネスト・ウィルメットとはあまり関係をもちたくない。
アーネスト・ウィルメットは、エラそうにしていない。いつもニコニコしている。人なつっこくて、いつもゴキゲン。物事を明るく考える人間。そういうところが、ライアン・ハーディはキライだそうです。
ライアン・ハーディの向かいの家に住んでいるのが、アニー・ヘメルレ(体重が40キロくらいしかないおばあちゃん。少しぼけが始まっているようです)さん。
ヘメルレの孫娘が、テス。冒頭付近では、ヘメルレ宅の芝刈りをアルバイトとしてやっている。ヘメルレ家のおじいちゃんは二年前に亡くなった。ご夫人は、『(蓄えを。たくわえを)切り崩して生活』している。
ライアン・ハーディは、アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメット宅の芝刈りもしていた。エディは、お金持ちなのに、『サウス』に住んでいたとあります。きっと、『サウス』は、お金持ちが住むようなところではないのでしょう。一般人が住むところなのでしょう。
ライアン・ハーディの母親の名前は、カレン・ハーディ。父親の名前は、ダグ・ハーディ。ライアン・ハーディには、あかちゃんのデクランという弟がいる。ライアン・ハーディの母親であるカレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。
リジー・マコーマー:ライアン・ハーディと幼なじみの女子中学生でライアンに気があるみたいです。ママは看護師長をしている。ママの名前は、ジュリア・マコーマー。リジー・マコーマーのおばさんがパティ。パティの娘がチェルシーで、リジーからみていとこです。
チェルシーは、派手好きで、チェルシーは、リジー・マコーマーの改造計画を始める。同じくパティの娘が、アンバーで、姉チェルシーとは性格が正反対。おとなしい。
リジー・マコーマー本人は成績優秀、読書大好き。でも、おとぎ話はキライだそうです。母ジュリア・マコーマーと同じ病院で働いているドクターが、トム・シェイ。同じく看護師が、ジーン。ジーンのカレシが、エアライン(航空会社)の係員で、ドリュー。
ママは離婚している。今のママにはどうもカレシがいる。リジー・マコーマーは、実父のパパに会いたい。
リジー・マコーマーは、お化粧などをして、きれいになりたい。
ウィンストン・パティル:転校生で引っ越してきたばかり。まだ友だちがいない。いつも絵を描いている。パパはドクターで、評判のいい外科医。世界をまたにかけている。(回っている)。
シカゴからオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。違和感が大きい。
ウィンストン・パティルは、インド系のファミリーの一員。人種が多いシカゴでは溶け込めたが、いなかであるクリフ・ドネリーでは、アウェイ感満載(まんさい。浮いている。敵地。歓迎されていない。避けられている)
トミー・ブリックス:いじめっこ。三人兄弟の末っ子。兄ふたりは問題児。長男ウェイドは傷害罪で刑務所にいる。次男サムは海兵隊にいるが、刑務所と海兵隊とどちらかを選べと裁判で言われて海兵隊を選んだ。
トミー・ブリックスは、実は乱暴者ではない。父親のハーラン・ブリックスが酒飲み、ふたりの兄が乱暴者であることから近所の人たちにトミー・ブリックスもおかしいと思われている。トミー・ブリックスは、そのことで気持ちに迷いがある。
海兵隊に入った次兄サムの工具:兄がトミー・ブリックスに預けた。酒飲みのオヤジに見つかるとオヤジは工具を売却して酒を買ってしまう。トミー・ブリックスは、工具を学校のロッカーの壁の奥に隠したい。
アーロン・ロビネット:ビッグフットがいると信じている。(ビッグフット:足が大きい? アメリカ合衆国の話。大きな猿人(えんじん)に見えます)。サスクワッチ:未確認動物。大きな足跡、毛むくじゃらの体。
ジェイミー・ダール:アーロン・ロビネットの親友。ビッグフットの存在は信じていない。父親は刑事で、名前は、アート・ダール。アート・ダールの甥っ子が、バディで、森でタバコを吸っている。
ジェシュ・レディガー:海兵隊員の兄マット・レディが-が、アフガニスタンで亡くなった。マット・レディガ-の親友が、アフガニスタンから帰国した元海兵隊員のチャド・フィネガン。
ペイジ・バーネット:美人の人気者。弟のセス(小学一年生)が字を読めないことを心配している。(識字障害だろうか。伊予原新作品(いよはら・しん作品)、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 文藝春秋』に書いてありました。文字のフォント(デザイン)で、ディスレクシアの人でも文字や文章を読めることがある。
マーカス・アール:担任の先生。男性。想像力が豊かで話がじょうず。マーカル・アールの大学の同級生で、元カノで(カノジョ)、テレビの放送記者が、アンドレア・チェイス。
アンドレア・チェイスはいい人ではありません。地域のゴシップ(うわさ話)をネタにして、お金もうけになる記事を書く人です。後半で、トラブルの原因になります。見た目は美しく賢く仕事で成功しているそうです。強くて自身に満ちあふれているそうです。
マーカス・アールの昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書いている。アール先生は、ライアン・ハーディのお気に入りの先生。生徒に人気がある。服装はセンスがなくダサイ。背が高い。両親の人種が異なっているのでハーフだが、両親の民族が不明。ライアン・ハーディのクラスで、英語とホームルームを担当している。
トルーマン:中学校の用務員。何十年も働いている。
ネイト・コリンズ:消防署長で、元海兵隊員
アート・ダール:ジェイミー・ダールの父親。刑事をしている。甥っ子が(おいっこ)、バディ。
ジェイニー・ダベンポート:高校二年生。図書館でボランティアをしている。
コンウェー:ジェイニー・ダベンポートがボランティアをしている図書館の司書。5歳の息子ジェイソンがいる。
ブロディリック先生:ジェイニー・ダベンポートの通う高校の生物の先生。
ビルクス:アーネスト・ウィルメットの父親の会社経営資金に関する相談相手。
ハックウェル:理科の先生。
うしろのほうにある訳者あとがきを読みました。
主人公は、三人の中学生だそうです。
その三人が、通称、『残念な町』で、奇跡を起こすそうです。
ジグソーパズルの小さなピースが集まって、やがて美しい絵ができあがるような感覚だそうです。
人の思いやりとか想像力で、奇跡を起こすというメッセージがあるそうです。
(2回目の本読み)
ちいさな文章の固まりが順番に出てきます。
それぞれ語る人が異なります。
語る人を変えていく記述手法がとられています。
アーネスト・ウィルメットもライアン・ハーディも、きちんと話をしたことがないから、お互いを誤解しています。それぞれが思いこんでいるような相手の人格ではなさそうです。『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』。以前、なにかの本でその言葉を読んだことがあります。真実でしょう。
ディする:相手を批判する。けなす。
おとこ運:めぐりあわせの良し悪し(あし)
クリフ・ドネリー:登場人物たちが住んでいる町の名称。人口22,177人。1835年にできた。(日本では1853年がペリーの黒船来航)
作者が、それぞれの人物になりきって、ひとり語りが続きます。心地よい。
ロッド・サーリング中学校:1930年代創立(日本だと昭和5年代)。校舎は3階建てで、広い中庭がある。
スケープ・ゴート:生贄(いけにえ)、犠牲。身代わり。
トンプキンス井戸:ノースサイド公園にある井戸。コインを投げて、願い事をする。言い伝えとして、孫の命を救うために身代わりになったのが、エゼキエル・トンプキンスという人物。この井戸が、あとあと物語の伏線になっていきます。
井戸の下につながる洞穴(ほらあな)があって、井戸の真下である洞穴の中にいると、願い事をしに来た井戸の上にいる人の願い事を願う声が聞こえるのです。おもしろいなあ。
ノースとサウス:読んでいるとどうも、ノースは、資本家(経営者。お金持ち)が住む地域で、サウスが、労働者が住む地域のようです。労働者は、お金持ちではないという比較があります。
サウスの人間は、おとなに告げ口はしないそうです。こどもの世界でトラブルがあったときは、おとなには話をせずに、こどもの世界で解決するそうです。
自然保護区があるそうです。ノースサイド公園に出口がある。
ノースサイド公園で、悪魔崇拝の儀式をやっているという噂がある。
(つづく)
ウィンストン・パティルがきっかけで、アーネスト・ウィルメットがからみ、ライアン・ハーディとトミー・ブリックスがケンカになりそうです。
トミー・ブリックスが、ウィンストン・パティルの絵をばかにした。それを見たアーネスト・ウィルメットがトミー・ブリックスを注意した。
アーネスト・ウィルメットは、父親が働く会社の経営者なので、ライアン・ハーディが仲介に入ったという流れです。トミー・ブリックスは、止めに入ったライアン・ハーディを不愉快に思ってケンカするぞ!になるのですが、トミー・ブリックスは、世間の評判と違って、頭の中身は暴力的ではないのです。彼の父親と兄ふたりが暴力的なのです。
トミー・ブリックスは、彼なりに迷い困っているのです。ライアン・ハーディと殴り合いのケンカはしたくないけれど、自分の威厳は保ちたい。いえるのは、トミー・ブリックスは、根っからのいじめっこじゃない。
いい話が続きます。
みんな、それぞれ、悩みをかかえています。
表面上見える人柄と本当の人格は異なっています。
69ページでちょっとびっくりしました。
『チャーリーとチョコレート工場』のウンパルンパという文章が出てきました。
わたしは、去年の秋に、東京帝国劇場で、ミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を観劇しました。にぎやかでいい雰囲気でした。ウンパルンパ役の人たちもがんばっておられました。
色彩とか映像・音楽がきれいな舞台でした。
オッカムのカミソリ理論:ものごとを説明するときに必要以上に多くを仮定してはならない。
ティリー:アーネスト・ウィルメットがつくった架空のおばさん。今年の1月で87歳になる。
ダドリー:アーネスト・ウィルメットのいとこ。
デビッド・オルティーズ:米国プロ野球選手。
本のタイトル、『希望のひとしずく』の、ひとしずくは、コインのことをさすのだろうか。古井戸に願い事をしながら投げ込むコインのことです。古井戸の下にいる少年二人に願いが伝わって、少年たちが願いごとをかなえるように努力するという全体像でいいのだろうか。読み進めてみます。
アーネスト・ウィルメットのおじいちゃんの家の屋根裏にあるもの。
ボードゲーム(カラーフォーム。くっつけたりはがしたりできる)、靴下でつくったサルの人形、おもちゃのピストル、手づくりのキルト、古い消火器。
ヘメルレおばあちゃんが、大昔の写真を出してきます。白黒写真にこどもが3人写っています。14歳くらいの男の子(エディ・ウィルメット。アーネスト・ウィルメットの祖父)、9歳ぐらいの女の子(ヘメルレさん)、もうひとりの9歳ぐらいの男の子(エディ・ウィルメットの弟。ロバート。愛称がロロ。顔がアーネスト・ウィルメットにそっくり)。
リジー・マコーマーに、ライアン・ハーディがトンプキンス井戸の下にいたことがばれました。こんどは、ライアン・ハーディが、リジー・マコーマーをトンプキンス井戸の下に連れて行くことになりました。
ドリトスくさい:お菓子のドリトス(スナック菓子)のにおい。
輻輳不全(ふくそうふぜん):近くの文字を読もうとするときに、寄り目がうまくできない症状。医療系の話。ペイジ・バーネットの小学一年生の弟セスの症状。
カレン:ペイジ・バーネットの弟小学一年生セスの担任教師。
アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父が屋根裏部屋に遺してくれた(のこしてくれた)品物が、幸せの町の人たちの幸せにつながっていくというお話の流れです。
今度は消火器です。長さ1m近く。直径15センチ以上あります。古い消火器です。(その後、使うことになります)。エルクハート社製のヴィンテージ真鍮(しんちゅう)消火器。ヴィンテージ:古い。
4人組の高校生:男ふたり(バディ:好きなものは、タバコ、破壊すること、汚い茶色のコートを着ること(タバコが火災の原因になります)。
バディは、図書館でボランティアをしているジェニー・ダベンボートの父親で刑事のアート・ダールの甥(おい。兄弟姉妹のこども)。もうひとりの男子が、ドレイク)。女ふたり(ヘザーとマーゴ)。ドレイクとマーゴがカップル。
ジャック・ホー:9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友。ロロが亡くなった日は、ロロの誕生日だった。その日に、ジャック・ホーの父親が家を出て行った。ジャック・ホーと母親が家に残された。
ジャック・ホーは、ロロへの誕生日プレゼントに、サルのぬいぐるみを贈ることにした。靴下でつくったサルの人形だった。(人形の中に秘密があります。『ホルヨークの赤いダイヤモンド』が人形に隠されていました。1952年(日本だと昭和27年)シカゴの豪商ユースタス・ホルヨークの地下室から盗まれたダイヤモンドです。ジャック・ホーの父親は盗みをする人でした)
チャド・フィネガン:海兵隊でアフガニスタンの戦争に行っていた。親友が、マット・レディガ-だったが、マットは地雷を踏んで亡くなった。
サスクワッチ:ビッグフット。体の大きな猿人のような生き物。足が大きい。
アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットが屋根裏に遺した品物は、彼の9歳で病死した弟ロロへのプレゼントだった。
ネイト・コリンズ:消防署長
シェイディ・レーンズ(介護施設の名称):金曜日にジャック・ホー(9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友)が入所者スタンリー・ドナン(元刑事)に会いに行く。スタンリー・ドナンは、ジャック・ホーの父親が家を出たあと、ジャック・ホーと彼の母親の面倒を見た。ジャック・ホーの父親ベン・マッティングリーは空き巣狙いの犯罪者だった。拠点はイリノイ州シカゴ、インディアナ州のインディアナポリスで空き巣をしていた。
なかなかややこしい話です。日本人中学生が読むのにはむずかしい本です。
オルスン・マルドゥーン:盗品(宝石とか)の仲介屋。故買(こばい)
182ページで、ライアンとアーネストとリジーは、もうトンプキンス井戸の下には行かないことにしました。
(つづく)
アーネスト・ウィルメットの祖父宅の屋根裏にあったものから、『キルト(緑と青の柄のパッチワーク布)』と『古いおもちゃのピストル』をアーネスト・ウィルメットが持ち出して、ライアン・ハーディに預けました。
ヘメルレおばあさんが亡くなりました。
自宅の椅子に座ったまま、眠るように亡くなっていました。
911番:日本でいうところの119番と110番。救急、消防、警察に連絡する緊急用の電話番号。
ライアン・ハーディは、亡くなっているヘメルレさんにキルトをそーっとかけました。
ライアン・ハーディは泣きますが、眠るように死ねたら大往生(だいおうじょう。安らかに死ぬ)です。泣くことはありません。長寿を全うしたのです。まっとう:自分の役割を完全に果たした。
超悪趣味な茶色のコートを着た人物:喫煙男子高校生のバディのことです。タバコが火災の原因になりました。バディは、刑事アート・ダールの甥っ子です。おいっこ:兄弟姉妹のこども。叔父・甥の関係。ビッグフットの存在を信じているアーロン・ロビネットの親友ジェイミー・ダールの父親。
ハーラン・ブリックス:トミー・ブリックスの父親。
スラッピー・ジョー:サンドイッチの種類のひとつ。
イエロージャーナリズム:新聞の発行部数を伸ばすために、おおげさで感情的な報道をすること。
ジュリア・マコーマー:リジー・マコーマーの母親で看護師長。ER担当。ER:救急室、救急外来。
チャック:カメラマン。アンドレア・チェイスと行動を共にしている。
スキャンダル:不祥事、不正。
よくわからないのですが、トンプキンス井戸の下でこどもたちが、願いを聞いて、願いがかなうように行動したことが、テレビ記者に問題視されるのです。美談に裏事情ありです。そんなに、問題視することだろうか。
If only:「たられば」。仮定の話。もし~なら。
ジョシュ・レディガー:トンプキンス井戸で、お願いをした。アフガニスタンで戦死した兄のために家庭が壊れた。家族を元通りにしたい。
ウィンストン・パティルのおばあちゃん。インド人。
最後の一品(ひとしな)である、『おもちゃのピストル』はどうなるのだろう。
ワダ・パーヴ:インドのハンバーガー。
241ページにある、『ジニー』は、『ジーン』の間違いではなかろうか。ジーン:看護師。
243ページの歌の歌詞を見て、洋画『ペーパームーン』を思い出しました。
テス:ヘメルレおばあちゃんの孫娘。
246ページまで読みました。あと少しです。あと61ページぐらい。なかなかややこしい。
(つづく)
なかなかややこしい。
ミステリー(推理小説)のような展開になってきました。
亡くなったヘメルレおばあさんの孫娘であるテスがいます。
こどもたちの担任男性教師のマーカス・アールがいます。
父がアーネスト・ウィルメットの父親の従業員であるライアン・ハーディがいます。
警官が、アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父のエディ・ウィルメットの家から出てきます。
テレビの放送女性記者であるアンドレア・チェイスが手錠を付けられた状態で玄関から出てきます。
担任男性教師マーカス・アールが話をでっちあげた。(つくり話を成立させた)
9歳で亡くなったロロの親友のジャック・ホーの父親であるベン・マッティングリーは、ホルヨークの赤いダイヤを盗んだが単独犯ではない。
宝石の売買に関与したのは、マルドゥーンではない。
エドガー・ウィルメットが売買に関与した。エドガー・ウィルメットは、ウィルメット工業製作所の創設者である。
ここからがわからないことです。
リジー・マコーマーは、男の子ふたりと施設にいたと書いてありますが、施設とは、『トンプキンス井戸』のことを指すのだろうか。
男の子ふたりで、そのうちのひとりが、アーネスト・ウィルメットである。エドガー・ウィルメットのひ孫である。
エドガー・ウィルメットとベン・マッティングリーは共犯者である。
エドガー・ウィルメットは、自分の工場を利用して、ベン・マッティングリーが盗んで得たお金をロンダリングしていた。ロンダリング:資金洗浄。不正なお金を正当なお金にみせかける。
エドガー・ウィルメットが、盗品を自宅に隠していた。そして、その家を息子のエディ・ウィルメットが引き継いで死ぬまで住んだ。
地下室の壁が二重構造になっていて、いまでも、その中に、ベン・マッティングリーが盗んだ宝石やお金がいっぱい入っている。
3人目の協力者が、介護施設に入っている元刑事のスタンリー・ドナンである。
オーソン・マルドゥーンは、ベン・マッティングリーを殺していない。
スタンリー・ドナンが、ベン・マッティングリーを殺した。
なんだか、わかったような、わからないような筋書きです。
すべてが事実とも思えない。さらに、どんでん返しがあるかもしれません。
読み続けます。
(その後)
読み終えました。
長かった。
この物語の内容を中学生がすんなり理解できるとは思いにくい。読書感想文の課題図書として適しているとは思えませんでした。
では、継ぎ足しの感想メモです。
ドクター・トム・シェイ:スーツを着た背の高いイケメンのおじさん。リジー・マコーマーの看護師長である母親のジュリア・マコーマーの仕事仲間。心臓外科医。そして、ジュリア・マコーマーのカレシ。ただし、ジュリア・マコーマーには、家を出て行った夫がいます。その後、ジュリア・マコーマーとドクター・トムは結婚していますが、離婚が成立していたのか、婚姻中でも式だけでも挙げたのか(あげたのか)わからなかったのですが、おそらくきちんと離婚していて、結婚ができたのでしょう。
ヘメルレおばあさんが、ライアン・ハーディに、家の清掃等をしてくれた報酬を支払っていない話が出ます。払おうとしても、ライアン・ハーディが、もうもらってあるとウソを言い続けたのです。そのあたりの趣旨がどういう意味なのかわかりません。作者は読者に何を言いたいのだろう。日本人と外国人の感覚の違いがあるのかもしれません。
アドレナリン:ストレスに対抗するホルモン。
後半になるにしたがって、おとなの事情の話が入りこんできます。こども世界だけのきれいな話ではありません。
会社がつぶれるとか、お金のやりくりの話です。
危機をくぐりぬけるために芝居を打つ。(ウソでのりきる)
チャド・フィネガン:消防署の職員。
コリンズ署長:消防署長。
SF映画、『フラッシュゴードン』の写真が付いている箱に、古い光線銃のおもちゃが入っている。
ドリュー:看護師ジーンのカレシ。飛行場で登場受付の仕事をしている。
ミズ・チェイス:飛行場の受け付けで、ファーストクラスへのアップグレードをドリューに断られた美人の乗客。
エヴリン・リーヴス:マーカス・アール先生の昔の日曜学校の先生。本を書いている。
アンバー:リジー・マコーマーのいとこ。パティの妹。
民話とか、伝説とか、物語が必要な話が書いてあります。
子どもにおとなの言うことを聞かせるために物語が必要だという考えが示されます。
物語は人間を結びつける。人と人とのつながりをつくってくれる。
ラストで、文章を読んでいると、作者の気持ちは高揚しています。こうよう:精神や気分が高まっている。
複雑で長いお話でした。
人と人との出会いで、幸せが生まれる。
そんなことが書いてあったお話でした。
250ページの最初の数行の意味をとれませんでした。
<リジーが男の子ふたりと施設にいたっていってただろ?>
さきほども書きましたが、『施設』というのは、トンプキンス井戸のことだろうか? わたしにとっては謎です。
そこにいた3人の少年少女のことが、どうして、アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんエドガー・ウィルメットの犯罪共犯者の話の証拠になるのだろうか。不可解でした。
すいぶん長い文章になってしまいましたが、最後に、主な人物一覧を並べておきます。
かなりややこしい。
アーネスト・ウィルメット:12歳、中学一年生、お金持ち工場経営者のひとり息子。
両親がいる。祖父が、エディ・ウィルメット。祖父の弟が、ロバート・ウィルメット(愛称がロロ)で、9歳の時に心肥大で亡くなった。ロバートウィルメット(ロロ)の親友がジャック・ホーで、ジャック・ホーの母子家庭の生活を支えていたのが、元刑事で、今は介護施設に入所しているスタンリー・ドナン。
ライアン・ハーディ:アーネスト・ウィルメットのクラスメート。
アーネスト・ウィルメットの父親が経営する会社で、ライアン・ハーディの父親が働いている。彼の父親は工場で現場監督をしている。
自宅の向かいにひとりぐらい高齢者のアニー・ヘメルレおばあちゃんが暮らしていて、ライアン・ハーディが、お宅の芝刈りのアルバイトをしている。
ライアン・ハーディの母親カレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。
父親の名前は、ダグ・ハーディで、弟の名前はデグラン(まだあかちゃん)。
リジー・マコーマー:前記ふたりの生徒のクラスメート。
ライアン・ハーディに気があるみたい。(恋)
母親は、ジュリア・マコーマーで病院の看護師長をしている。夫とは離婚している。今は、カレシがいて、最後はそのカレシと結婚する。
母親姉妹であるパティがおばにあたる。
おばのパティの長女が、チェルシー(にぎやか)、次女が、アンバー(おとなしい)
ウィン・パテル:クラスメート。インド人男子。転校してきた。
いつも絵を描いている。
大都市シカゴから、田舎町のオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。
父親は、外科医。
トミー・ブリックス:クラスメート。
周囲からいじめっ子と言われているが、本当はそうではない。いい奴(やつ)
父と兄ふたりに恵まれていない。
酒乱の父、乱暴者の兄ふたり。長兄は刑務所に入っている。次兄は海兵隊にいる。
アーロン・ロビネット:クラスメート。
ビッグ・フット(野猿、巨人)がいると信じている。
ジェイミー・ダール:クラスメート。
アーロン・ロビネットの親友。父親が、刑事のアート・ダール。アート・ダールの甥っ子(おいっこ)がバディ。バディは不良の高校生男子。
ペイジ・バーネット:クラスメート。女生徒。
弟セス(小学一年生)が、字を読めない。
マーカス・アール:担任の男先生。ハーフ。
大学の同級生で元カノが、テレビ放送記者のアンドレア・チェイス。
マーカス・アールが関係する昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書く人。