2025年03月24日
我が家の問題 奥田英朗
我が家の問題 奥田英朗(おくだ・ひでお) 集英社文庫
昨年のいつだったかに読んだ、子どもさん向けの両親の離婚話に対応する本で少し紹介されていたこちらの本だと思います。
とある女子高生は、自宅の加入電話で祖父母からの電話をとったときに、偶然、自分の両親に離婚話があるという情報を得てしまった。さてどうしようというような書き方が離婚関係の本にしてあった記憶です。
こちらの本は、短編が6本あります。
小説、『すばる』に2010年(平成22年)から翌年にかけて発表された作品群です。
単行本は、2011年夏の発行で、文庫本は、2014年の発行で、2019年で、7刷されています。よく読まれている本です。
『甘い生活?』
新婚夫婦がうまくいっていないお話です。
田中淳一 32歳 広告代理店勤務。18歳のときに上京した。結婚して2か月がたった。
田中昌美 30歳 田中淳一の妻。結婚して、大手ゼネコンを退職した。総務部勤務だった。夫の淳一は、共働きのつもりだったが、昌美はさっさと辞めてしまった。そういう会社の慣例らしい。寿退社(ことぶきたいしゃ)。昌美は、30歳になる前に結婚したかった。20代で結婚したかった。現在、専業主婦をしている。
ひとり暮らしをしていると、早く結婚したいな~と思います。家に帰っても話し相手がいないとさびしいのです。
でもじっさいに結婚すると、やっぱりひとりのときのほうが気楽で良かったな~と思います。ひとりのほうがさびしいけれど自由なのです。人間はいつも、ないものねだりです。
淳一は、家に帰りたくない。帰りたくないから、残業と称して、同僚たちとマージャンをやる。ありがちなことです。
夫婦というのは、こどもができると、こどもを介在して、生活を続けていけるということはあります。ふたりだけでというのは、けっこうきつい。
お気楽な男たちの職場での会話があります。各自、奥さんのことを話します。
田中昌美さんはまじめだし、田中さんのご親族もまじめです。田中昌美さんは、客観的に見て非の打ち所がないいい奥さんです。心も優しい。妻として何の落ち度もありません。
だけど、田中淳一さんは、家に帰りたくないのです。奥さんのまじめなところがイヤで、家でふたりきりになると息が詰まりそうなのです。妻のがんばりが、夫にとっては負担なのです。
ああ、家に帰りたくない人って、じっさい、昔職場にいたなあと思い出しました。『帰宅恐怖症』です。まあ、いろいろあります。
田中雅美さんは、人生のスケジュールをもっているのです。
何歳で妊娠して出産してから始まって、こどもの幼稚園はここにして、戸建ては、どこそこに建てて(世田谷区内。埼玉や千葉じゃだめなんだそうです)と、延々と安全で安定した人生を送るための計画ができあがっているのです。
それが、夫にとっては苦痛です。
文章表現がうまい。
こちらの作家さんの作品にはハズレがありません。
田中昌美さんの欠点みたいなところが出てきました。
占い好きなのです。こういう人は、宗教に流れやすい。スピリチュアルです。ヤバイ。人を信じて人にだまされて不幸になるタイプです。
奥村敦子(おくむら・あつこ):田中淳一と同期の女性社員。田中淳一に、『ひとりになる時間をつくりなさい』とアドバイスします。
続けて読んでいます。うまいなあ。文章が生きています。おもしろい!
フィッツジェラルド:アメリカの小説家。1940年(昭和15年)44歳没。代表作『グレートギャツビー』(1925年の作品。日本では大正14年)
いい文章が次々と出てきます。
『……(昔は)見合い結婚が主流で、お互いをろくに知ることなく夫婦になったのだ……』
『学歴は保険』
『旦那の、家事を手伝ってやってるんだという態度が我慢ならなくて、半年で破局したそうです(離婚した)』
マージャンプレイ中のようすがらみの文章がとてもおもしろい。(マージャンがわかる人なら理解できます)
『……あんた冷血漢だね。爬虫類(はちゅうるい)でももう少しやさしいんじゃない』
『じゃあ奥さんに従うのが一番でしょう(昔、太川陽介さんの路線バス乗り継ぎの旅で、ルートどりで太川さんが女性のゲストと対立したことがあります(結果として、女性のほうが正しかった)。そのときに、太川さんの相棒のえびすよしかずさんが、「女性の言うことはきいておいたほうがいいよ」とアドバイスしたことを思い出しました。仕事場でも、女性を敵に回したら仕事が前に進んでいかなくなるということはあります)』
読んでいると、(相性とか価値観とか性格とかが不一致で)このふたりはいっしょになってはいけなかったのではなかろうかという気分になってきます。
まだ妊娠もしていないのに、こどもが生まれる前からこどもの教育方法・手法で対立している不思議な夫婦です。
なんというか、人生は、思っている通りにならないのが常(つね。普通)です。そこを気持ちに折り合いをつけてやっていくのが長い人生をのりきるコツです。
スノビズム:見え張りの気取り屋
田中淳一は、仕事が終わったあと、まっすぐ家には帰らずに、30分ぐらい同じ喫茶店で過ごして気分転換をはかるようになりました。それで、気持ちが落ち着くのです。奥さんには内緒です。(でも、ばれます。奥さんに怒られます)
ふたりいれば、ふたつの考えがある。
『理想』と、『現実』の間で、妥協(だきょう。互いに譲りあって、これならがまんできる)できるところを探す(さがす)。
あきらめる(妥協する)ことで、こどもは、おとなになるという成長過程を通過するということはあります。
このあとの短編も、読んで安心できる作品群となるでしょう。
今年読んで良かった一冊になりそうです。
お互いの本音をぶつけあう激しい夫婦ゲンカ(口論)が始まりました。
お互いを理解するための猛烈な夫婦ゲンカです。
そうやって、夫婦は、夫婦になっていくのです。
人生の長い道のりを歩んでいくのです。理解したあとは、協力しあうのです。
歳をとっても仲がいい夫婦というのはいます。お互いがお互いに気をつかっているから仲がいいのです。
いいお話でした。
『ハズバンド(英語で、夫とか、旦那(だんな)という意味)』
『どうやら夫は仕事ができないらしい』から始まります。(そういうことってあるだろうなあ)
仕事場でいちばん嫌われる人は、仕事をしない人です。仕事をしない人の仕事は、別の人がすることになります。別の人の仕事量が増えますが、給料は増えません。だから、仕事では、自分に割り当てられた分の仕事は、なんとしても自分でやらねばなりません。分担作業です。やらなければ、人に嫌われます。いじめられることもあります。
井上めぐみ:妻。妊娠中。30歳目前に結婚した。2LDKの中古マンションを買って住んでいる。専業主婦。生まれてくるこどもの名前の候補のひとつが、『公平』。マタニティ教室に通っている。
井上秀一(いのうえ・しゅういち):夫。妻より2歳年上
井上秀一の義父:大手自動車メーカーを定年退職して、関連会社の総務部に再就職している。
山田:スーパーの配送サービス担当者(そういうサービスがあるのか。初めて知りました)。40歳ぐらいの男性
山下:井上夫婦宅の下のフロアーに住む人
妻は夫をバリバリ働く優秀な社員だと思っていた。職場のソフトボール大会に行ったときに、夫は周囲からバカにされている社員だということがわかった。夫は職場のお荷物だった。
夫は、家で上司の悪口を言っていたが、それは、夫が、仕事ができないから叱られてばかりいることが原因だった。
これからこどもも生まれてくる。夫は仕事を続けられるのだろうかという不安が妻を襲います。
コーエン兄弟:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン。アメリカ合衆国の映画監督
なかなかリアルです。
『…… 家のローンを組むと、男っておとなしくなるのよ』
『…… 男と会社の関係って、永遠の片思いなのよね』
お荷物社員の種類が提示されています。
マザコン社員:母親から欠勤の電話が入る。
重役クン:上司をさしおいて、上座(かみざ)に座る。
若手宇宙人:独身のお局様(おつぼねさま)に、『結婚しないんですか?』とみんなの前で聞く。
不思議クン:職場に風水(ふうすい。占い(うらない))を持ち込む。
イケメンくん:見た目だけ良い。中身はからっぽ。
おもしろい。じっさいにそういう社員がいそうです。
ご主人は、ちゃんと会社に行っているのだろうか。不安が募ります(つのります)。
ご主人は、バッティングセンター通いを始めました。
ご主人の会社で、人員削減の話が出ます。グループ全体で800人の削減です。ご主人も削減の対象になるのではないか。妻は不安です。夫に、あなたは、会社で役立たずだと思われているんじゃないの?と聞きたいけれど、聞けないもどかしさがあります。
ご主人は、段取りをしない人間だそうです。(準備をしない)。『最初の一歩がとにかく遅い』という評価が、ご主人の妹からあります。
奥さんは、同じお弁当をふたつつくります。ひとつは夫に持たせて、もうひとつは、ご自身のお昼ご飯にします。そうやって、お弁当の出来栄えをチェックします。いい奥さんです。心優しい。
夫には昇進とか昇給の夢は望めないようです。
それでも、奥さんが毎日つくるお弁当が、職場のOLさんたちに好評です。
奥さんは、夫に期待するレベルを下げることにしました。なんとか、勤めてくれていればいい。
ご主人のお弁当づくりをしながら、『自分の大好きな時間の中にいた』という感想をもたれます。
『絵里のエイプリル』
浜田絵里 高校三年生。私立の女子高生。ぽっちゃり女子
『どうやらうちの両親は離婚したがっているらしい。』から始まりました。
高校生の娘は、両親が離婚するなら、こどもふたりの親権者は母で、父には家を出てって欲しいと思っている。家族は戸建てに住んでいるそうです。
母方の祖母:名古屋に住んでいる。浜田絵里を自分の娘だと勘違いして、孫の絵里に、両親の離婚話を電話で話してしまった。絵里は、両親に離婚話があることを知った。(されど、ふだんの生活でその気配は感じられなかった。父親とは長期間話らしい話をしていない。同居していても顔を合わせる時間帯がない。なお、父親は銀行員をしている)
浜田博:浜田絵里の父親。銀行員。休日は家にはいない。ゴルフ場にいる。浮気をするようなタイプではない。小太りでかっこ悪い50代である。家事はできない。
浜田修平:浜田家の長男。絵里の弟。高校一年生。バスケットボール部に入っている。おかあさん子。短足王子
母親:浮気をするようなタイプではない。毎日家にいて、お弁当をつくっている。専業主婦
以下、女子高生の友人たちで、仲良し4人組です。いつも4人でお弁当を食べています。
絵里(主人公):両親は、別々のベッドで寝ている。
奈緒:両親は和室でふたつのふとんに寝ている。
翔子:作家志望。両親はダブルベッドに寝ている。
朝美:家で、家族新聞が発行されている。両親は、ふたつのシングルベッドに寝ている。
内藤さんたち:母の属する婦人会のメンバー。活動として、バザーをしている。
小林:数学教師。むっつりスケベ
石川:物理教師。ひとつのベッドに夫婦で寝ている。
最後の家族旅行は、愛知万博だった。(2005年(平成17年))絵里が中1で、修平が小5だった。5年前のことになる。(時代設定は、2010年(平成22年))
「冷え切った夫婦」
絵里の父親は、平日は、家で夕食を食べない。土日だけ家で食べる。平日は残業をしている。あるいは、居酒屋に寄るか、マージャンをしてから帰宅する。
奈緒の父親は、会社から7時に帰宅して、毎日家で夕食を食べる。
翔子の父親は、9時過ぎに帰宅して、ひとりで夕食を食べる。
朝美の父親は、税理士としている。帰宅時間はバラバラ。週の半分ぐらいは自宅で夕食を食べる。
佐々木:クラスメート女子。美人。両親が離婚している。小2の時、おとうさんが家を出て行った。弟がいる。離婚原因は父親の浮気だった。
1組の神田さんと2組の中川さんも親が離婚している。5組の安藤さん宅は、離婚はしていないがずっと別居している。(佐々木情報です。なんか、すごいなあ、女子高生の情報網って)
橋本:英語教師。30代前半。離婚している。母子家庭。(なんだか、すごいなあ、女子高生たちは、橋本先生に離婚に関するインタビューのようなことをしています。ほかの教師も離婚しているそうです)
「今はがまんして、おとうさんの退職金が出るときを待つ」
(読んでいて、うすうす感じるものがあります。これは、離婚話でない。絵里の誤解ではなかろうかと)(結果:違っていました。本気の離婚話でした)
佐藤雄一(さとう・ゆういち):東高校の生徒。親は医者だが、医者になる気はない。2歳下の弟浩二が医業を継ぐ予定。親は離婚している。弟は母親に引き取られた。自分は父親と暮らしている。父親は弟を引き取れば良かったと言っている。以前佐藤は絵里と付き合いがあった。その後、絵里は関係をうやむやにしている。絵里は佐藤を大好きというわけではない。
『…… 子供の人生が親のものじゃないのと同じで、親の人生も子供のものじゃないんだよな』
こどもたちから、離婚してもいいよと言われたら、親はつらい……
『きょうだいがいてよかった。』
人生の正念場です。
『夫とUFO』
『夫がUFOを見たと言い出した。』から始まります。UFO:空飛ぶ円盤
高木達夫:夫。42歳。課長職。不器用。一本気(いっぽんぎ。純粋でいちず)。正直。うそはつかない。浮気はしない。無骨(ぶこつ。洗練されていない)
高木美奈子:妻。40歳。専業主婦。ふたりは、16年前、26歳と24歳で付き合い始めて結婚した。
高木美咲:長女。私立女子中学1年生
高木大樹:小学5年生。サッカーが好き。
山下部長:創業者の甥(おい)
夫は、仕事のストレスで心が壊れたのか…… 精神、メンタル病でしょう。
交信周波数が合った人間には、UFOが見えるそうです。
アダムスキー型:円盤の下部に、おわん型のでっぱりが3個ある未確認飛行物体(UFO)
夫の言動がおかしい。
住宅ローンがまだあと28年間残っている。下の子が大学を出るまであと11年ある。
夫の頭の中がおかしい。さて、どうする。そんな話です。
家族とか、親族とか、身内とか、タイヘンです。
夫は元気です。でも、おかしいのです。頭の中が、おかしい。
妄想があります。もうそう:誤った判断
だけど、おもしろい! 真っ正直なご主人です。
「家族にはマニュアルがない」
プロパーの営業幹部:正社員
ご主人は、職場でがんばって、がんばって、ついに、頭がおかしくなってしまった。
奥さんが、ご主人の救出に向かいます。(いい奥さんです)
なかなか良かった。奥さんの心もちがステキです。
『里帰り』
盆正月の帰省、里帰りの話題です。結婚すると、とくに、ちびっこが生まれると、悩ましい義務的旅行になります。こどもが大きくなると、忙しく、里帰りも回数が減ります。
夫の実家と妻の実家があります。最初は夫婦そろってですが、たいへんなので、そのうち、それぞれ自分の実家へこどもを連れて帰ることになるのが一般的だとわたしは思います。
親世代が高齢化すると、そういった里帰りがらみの悩みは薄くなります。会いたい人は単独でも会いに来るし、そうでもない人はだんだん疎遠になります。
ゆえに、人生においての一時的なお悩みだと、わたしはとらえています。
短編では、結婚後、初めてお盆を迎える時期です。夫婦は東京住まいです。
それぞれの実家へ帰ることになりますが、夫の実家は北海道、妻の実家は名古屋市です。
作者は、岐阜県出身の方なので、名古屋市の記述はリアルです。身近に感じました。
岸本幸一:夫。30歳。会社員。忠犬IT企業技術職。実家は、北海道札幌市。妹が結婚している。妹の夫は公務員。妹夫婦には、生後6ヶ月の男児勇樹がいる。
祖母は、幸一が知らない間に認知症で老人ホームに入所していた。遠いから死んでも葬儀には来なくていいと言われる。親族には、幸一が知らない間に離婚した女性もいれば、出産した女性もいる。
岸本紗代:妻。29歳。大手デパートを結婚退職後、専業主婦。実家は、愛知県名古屋市
8月15日に北海道へ行き夫の実家で2泊して、新千歳空港から飛行機で、愛知県にある中部国際空港へ移動して、名古屋市内の妻の実家で2泊します。東京へ戻って、骨休めの休日が1日あります。なかなか強行軍です。(時間、体力、精神的に無理があるプラン)
ディーネセン:デンマークの小説家。女性。1962年(昭和37年)77歳没。SF小説、ホラー小説の源流となる小説を書いた。
この短編群の特徴として、悩み事が発生した時に、当事者たちは、周囲の人たちに正直に状態を話して、情報を集めたり、アドバイスを受けたりします。なかなかこのパターンはありません。話が広がって、へんなふうになるのが、世間のありようですが、この小説の中では、うまく解決に導かれていきます。良心的な響きが感じられる短編群です。
札幌では、親族が久しぶりに集まって昼食会です。全員の記念撮影もします。記念写真は残しておいたほうがいい。もう二度とそのメンバーで写真におさまることはないのが、世の常(つね。普通のこと)です。
慶弔儀礼について考えました。
コロナ禍があって、冠婚葬祭の儀式がさびしくなりました。家族葬とか、親族のみの結婚式などです。コロナ禍前は、冠婚葬祭の儀式が、親族をつなぎとめる役割を果たしていました。『家族』が、だんだん、『個(個人)』の世界へと移っています。
たいへんな帰省旅行ですが、若い夫婦が、お互いに気をつかいあっています。ステキです。
夫婦は、こうして、夫婦になるのです。
身内の人たちがふたりに優しい。
ほっとするものがあります。
みんなそれぞれ苦労をかかえています。
みんないい親戚です。
両親の心もちもいい。
お互いに、うちの息子をよろしく、うちの娘をよろしくと、ひそかに頭を下げてお願いされています。
心を洗われました。
『妻とマラソン』
『妻がランニングにはまった。』から始まります。
大塚康夫:夫。46歳。小説家。ベストセラー作品あり。自宅の書斎で、パソコンを使って創作をする。
大塚里美:妻。45歳。専業主婦。夫の小説による大きな印税収入を銀行員に勧められて投資信託に投資して手痛い含み損をつくってしまった。おろしたくてもおろせない状態になっている。そんな状況にあって、ランニングに目覚め、1日に1時間以上走る。
大塚恵介:ふたごの長男。中学三年生受験生。サッカー部員
大塚陽介:ふたごの次男。同じく受験生。サッカー部員
フレディ:大塚家の愛犬
奥さんがランニングに出かけて、帰ってきません。交通事故を心配する3人家族です。(奥さんはただ、何時間も往復を繰りかえす緑道コースで、16kmを走っただけでした)
奥さんの言葉です。
『ただ、走りたいから走っている』
ベストセラー作家の妻にもそれなりのストレスがあるそうです。
ともだちがいない。高収入世帯・高額納税者世帯なので、同世代の女性が近づかない、遠慮する、住んでいる世界が違うという扱いをうけるそうです。ご近所の主婦から、誘われないのです。女たちの節約話には入れないのです。投資信託の失敗を話したら、『いい気味だ(ざまあみろ。人の不幸を喜ぶ)』の大合唱だったそうです。
もうひとつが、ベストセラー作家のだんなさんに先を越されているというあせりがある。人間の能力としてです。妻が、おいてきぼりなのです。
「友だち夫婦」
対等な関係があります。
でも、奥さんはぽつりと言います。あなたは、今なら、女優さんとでも結婚できる。(わたしなんかを結婚相手には選ばないだろう)
妻はすることがない。出かけるところもない。夫に気を使って、別々の時間帯に食事を食べることもある。妻は、孤独です。
2月27日東京マラソン開催日です。
奥さんは、悩んだ末に東京マラソンへの出場を決断しました。こどもたちの応援がためらう気持ちを後押ししてくれました。
走るからには、きちんと走りたいと思う奥さんです。歩けばいいやとは考えていません。
東京マラソン参加者の数が、3万5000人です。すごい。多い。
ふたごのこどもたちが応援する声が沿道で響いています。
『おかあさん! こっち! こっち!』
いいお話でした。
昨年のいつだったかに読んだ、子どもさん向けの両親の離婚話に対応する本で少し紹介されていたこちらの本だと思います。
とある女子高生は、自宅の加入電話で祖父母からの電話をとったときに、偶然、自分の両親に離婚話があるという情報を得てしまった。さてどうしようというような書き方が離婚関係の本にしてあった記憶です。
こちらの本は、短編が6本あります。
小説、『すばる』に2010年(平成22年)から翌年にかけて発表された作品群です。
単行本は、2011年夏の発行で、文庫本は、2014年の発行で、2019年で、7刷されています。よく読まれている本です。
『甘い生活?』
新婚夫婦がうまくいっていないお話です。
田中淳一 32歳 広告代理店勤務。18歳のときに上京した。結婚して2か月がたった。
田中昌美 30歳 田中淳一の妻。結婚して、大手ゼネコンを退職した。総務部勤務だった。夫の淳一は、共働きのつもりだったが、昌美はさっさと辞めてしまった。そういう会社の慣例らしい。寿退社(ことぶきたいしゃ)。昌美は、30歳になる前に結婚したかった。20代で結婚したかった。現在、専業主婦をしている。
ひとり暮らしをしていると、早く結婚したいな~と思います。家に帰っても話し相手がいないとさびしいのです。
でもじっさいに結婚すると、やっぱりひとりのときのほうが気楽で良かったな~と思います。ひとりのほうがさびしいけれど自由なのです。人間はいつも、ないものねだりです。
淳一は、家に帰りたくない。帰りたくないから、残業と称して、同僚たちとマージャンをやる。ありがちなことです。
夫婦というのは、こどもができると、こどもを介在して、生活を続けていけるということはあります。ふたりだけでというのは、けっこうきつい。
お気楽な男たちの職場での会話があります。各自、奥さんのことを話します。
田中昌美さんはまじめだし、田中さんのご親族もまじめです。田中昌美さんは、客観的に見て非の打ち所がないいい奥さんです。心も優しい。妻として何の落ち度もありません。
だけど、田中淳一さんは、家に帰りたくないのです。奥さんのまじめなところがイヤで、家でふたりきりになると息が詰まりそうなのです。妻のがんばりが、夫にとっては負担なのです。
ああ、家に帰りたくない人って、じっさい、昔職場にいたなあと思い出しました。『帰宅恐怖症』です。まあ、いろいろあります。
田中雅美さんは、人生のスケジュールをもっているのです。
何歳で妊娠して出産してから始まって、こどもの幼稚園はここにして、戸建ては、どこそこに建てて(世田谷区内。埼玉や千葉じゃだめなんだそうです)と、延々と安全で安定した人生を送るための計画ができあがっているのです。
それが、夫にとっては苦痛です。
文章表現がうまい。
こちらの作家さんの作品にはハズレがありません。
田中昌美さんの欠点みたいなところが出てきました。
占い好きなのです。こういう人は、宗教に流れやすい。スピリチュアルです。ヤバイ。人を信じて人にだまされて不幸になるタイプです。
奥村敦子(おくむら・あつこ):田中淳一と同期の女性社員。田中淳一に、『ひとりになる時間をつくりなさい』とアドバイスします。
続けて読んでいます。うまいなあ。文章が生きています。おもしろい!
フィッツジェラルド:アメリカの小説家。1940年(昭和15年)44歳没。代表作『グレートギャツビー』(1925年の作品。日本では大正14年)
いい文章が次々と出てきます。
『……(昔は)見合い結婚が主流で、お互いをろくに知ることなく夫婦になったのだ……』
『学歴は保険』
『旦那の、家事を手伝ってやってるんだという態度が我慢ならなくて、半年で破局したそうです(離婚した)』
マージャンプレイ中のようすがらみの文章がとてもおもしろい。(マージャンがわかる人なら理解できます)
『……あんた冷血漢だね。爬虫類(はちゅうるい)でももう少しやさしいんじゃない』
『じゃあ奥さんに従うのが一番でしょう(昔、太川陽介さんの路線バス乗り継ぎの旅で、ルートどりで太川さんが女性のゲストと対立したことがあります(結果として、女性のほうが正しかった)。そのときに、太川さんの相棒のえびすよしかずさんが、「女性の言うことはきいておいたほうがいいよ」とアドバイスしたことを思い出しました。仕事場でも、女性を敵に回したら仕事が前に進んでいかなくなるということはあります)』
読んでいると、(相性とか価値観とか性格とかが不一致で)このふたりはいっしょになってはいけなかったのではなかろうかという気分になってきます。
まだ妊娠もしていないのに、こどもが生まれる前からこどもの教育方法・手法で対立している不思議な夫婦です。
なんというか、人生は、思っている通りにならないのが常(つね。普通)です。そこを気持ちに折り合いをつけてやっていくのが長い人生をのりきるコツです。
スノビズム:見え張りの気取り屋
田中淳一は、仕事が終わったあと、まっすぐ家には帰らずに、30分ぐらい同じ喫茶店で過ごして気分転換をはかるようになりました。それで、気持ちが落ち着くのです。奥さんには内緒です。(でも、ばれます。奥さんに怒られます)
ふたりいれば、ふたつの考えがある。
『理想』と、『現実』の間で、妥協(だきょう。互いに譲りあって、これならがまんできる)できるところを探す(さがす)。
あきらめる(妥協する)ことで、こどもは、おとなになるという成長過程を通過するということはあります。
このあとの短編も、読んで安心できる作品群となるでしょう。
今年読んで良かった一冊になりそうです。
お互いの本音をぶつけあう激しい夫婦ゲンカ(口論)が始まりました。
お互いを理解するための猛烈な夫婦ゲンカです。
そうやって、夫婦は、夫婦になっていくのです。
人生の長い道のりを歩んでいくのです。理解したあとは、協力しあうのです。
歳をとっても仲がいい夫婦というのはいます。お互いがお互いに気をつかっているから仲がいいのです。
いいお話でした。
『ハズバンド(英語で、夫とか、旦那(だんな)という意味)』
『どうやら夫は仕事ができないらしい』から始まります。(そういうことってあるだろうなあ)
仕事場でいちばん嫌われる人は、仕事をしない人です。仕事をしない人の仕事は、別の人がすることになります。別の人の仕事量が増えますが、給料は増えません。だから、仕事では、自分に割り当てられた分の仕事は、なんとしても自分でやらねばなりません。分担作業です。やらなければ、人に嫌われます。いじめられることもあります。
井上めぐみ:妻。妊娠中。30歳目前に結婚した。2LDKの中古マンションを買って住んでいる。専業主婦。生まれてくるこどもの名前の候補のひとつが、『公平』。マタニティ教室に通っている。
井上秀一(いのうえ・しゅういち):夫。妻より2歳年上
井上秀一の義父:大手自動車メーカーを定年退職して、関連会社の総務部に再就職している。
山田:スーパーの配送サービス担当者(そういうサービスがあるのか。初めて知りました)。40歳ぐらいの男性
山下:井上夫婦宅の下のフロアーに住む人
妻は夫をバリバリ働く優秀な社員だと思っていた。職場のソフトボール大会に行ったときに、夫は周囲からバカにされている社員だということがわかった。夫は職場のお荷物だった。
夫は、家で上司の悪口を言っていたが、それは、夫が、仕事ができないから叱られてばかりいることが原因だった。
これからこどもも生まれてくる。夫は仕事を続けられるのだろうかという不安が妻を襲います。
コーエン兄弟:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン。アメリカ合衆国の映画監督
なかなかリアルです。
『…… 家のローンを組むと、男っておとなしくなるのよ』
『…… 男と会社の関係って、永遠の片思いなのよね』
お荷物社員の種類が提示されています。
マザコン社員:母親から欠勤の電話が入る。
重役クン:上司をさしおいて、上座(かみざ)に座る。
若手宇宙人:独身のお局様(おつぼねさま)に、『結婚しないんですか?』とみんなの前で聞く。
不思議クン:職場に風水(ふうすい。占い(うらない))を持ち込む。
イケメンくん:見た目だけ良い。中身はからっぽ。
おもしろい。じっさいにそういう社員がいそうです。
ご主人は、ちゃんと会社に行っているのだろうか。不安が募ります(つのります)。
ご主人は、バッティングセンター通いを始めました。
ご主人の会社で、人員削減の話が出ます。グループ全体で800人の削減です。ご主人も削減の対象になるのではないか。妻は不安です。夫に、あなたは、会社で役立たずだと思われているんじゃないの?と聞きたいけれど、聞けないもどかしさがあります。
ご主人は、段取りをしない人間だそうです。(準備をしない)。『最初の一歩がとにかく遅い』という評価が、ご主人の妹からあります。
奥さんは、同じお弁当をふたつつくります。ひとつは夫に持たせて、もうひとつは、ご自身のお昼ご飯にします。そうやって、お弁当の出来栄えをチェックします。いい奥さんです。心優しい。
夫には昇進とか昇給の夢は望めないようです。
それでも、奥さんが毎日つくるお弁当が、職場のOLさんたちに好評です。
奥さんは、夫に期待するレベルを下げることにしました。なんとか、勤めてくれていればいい。
ご主人のお弁当づくりをしながら、『自分の大好きな時間の中にいた』という感想をもたれます。
『絵里のエイプリル』
浜田絵里 高校三年生。私立の女子高生。ぽっちゃり女子
『どうやらうちの両親は離婚したがっているらしい。』から始まりました。
高校生の娘は、両親が離婚するなら、こどもふたりの親権者は母で、父には家を出てって欲しいと思っている。家族は戸建てに住んでいるそうです。
母方の祖母:名古屋に住んでいる。浜田絵里を自分の娘だと勘違いして、孫の絵里に、両親の離婚話を電話で話してしまった。絵里は、両親に離婚話があることを知った。(されど、ふだんの生活でその気配は感じられなかった。父親とは長期間話らしい話をしていない。同居していても顔を合わせる時間帯がない。なお、父親は銀行員をしている)
浜田博:浜田絵里の父親。銀行員。休日は家にはいない。ゴルフ場にいる。浮気をするようなタイプではない。小太りでかっこ悪い50代である。家事はできない。
浜田修平:浜田家の長男。絵里の弟。高校一年生。バスケットボール部に入っている。おかあさん子。短足王子
母親:浮気をするようなタイプではない。毎日家にいて、お弁当をつくっている。専業主婦
以下、女子高生の友人たちで、仲良し4人組です。いつも4人でお弁当を食べています。
絵里(主人公):両親は、別々のベッドで寝ている。
奈緒:両親は和室でふたつのふとんに寝ている。
翔子:作家志望。両親はダブルベッドに寝ている。
朝美:家で、家族新聞が発行されている。両親は、ふたつのシングルベッドに寝ている。
内藤さんたち:母の属する婦人会のメンバー。活動として、バザーをしている。
小林:数学教師。むっつりスケベ
石川:物理教師。ひとつのベッドに夫婦で寝ている。
最後の家族旅行は、愛知万博だった。(2005年(平成17年))絵里が中1で、修平が小5だった。5年前のことになる。(時代設定は、2010年(平成22年))
「冷え切った夫婦」
絵里の父親は、平日は、家で夕食を食べない。土日だけ家で食べる。平日は残業をしている。あるいは、居酒屋に寄るか、マージャンをしてから帰宅する。
奈緒の父親は、会社から7時に帰宅して、毎日家で夕食を食べる。
翔子の父親は、9時過ぎに帰宅して、ひとりで夕食を食べる。
朝美の父親は、税理士としている。帰宅時間はバラバラ。週の半分ぐらいは自宅で夕食を食べる。
佐々木:クラスメート女子。美人。両親が離婚している。小2の時、おとうさんが家を出て行った。弟がいる。離婚原因は父親の浮気だった。
1組の神田さんと2組の中川さんも親が離婚している。5組の安藤さん宅は、離婚はしていないがずっと別居している。(佐々木情報です。なんか、すごいなあ、女子高生の情報網って)
橋本:英語教師。30代前半。離婚している。母子家庭。(なんだか、すごいなあ、女子高生たちは、橋本先生に離婚に関するインタビューのようなことをしています。ほかの教師も離婚しているそうです)
「今はがまんして、おとうさんの退職金が出るときを待つ」
(読んでいて、うすうす感じるものがあります。これは、離婚話でない。絵里の誤解ではなかろうかと)(結果:違っていました。本気の離婚話でした)
佐藤雄一(さとう・ゆういち):東高校の生徒。親は医者だが、医者になる気はない。2歳下の弟浩二が医業を継ぐ予定。親は離婚している。弟は母親に引き取られた。自分は父親と暮らしている。父親は弟を引き取れば良かったと言っている。以前佐藤は絵里と付き合いがあった。その後、絵里は関係をうやむやにしている。絵里は佐藤を大好きというわけではない。
『…… 子供の人生が親のものじゃないのと同じで、親の人生も子供のものじゃないんだよな』
こどもたちから、離婚してもいいよと言われたら、親はつらい……
『きょうだいがいてよかった。』
人生の正念場です。
『夫とUFO』
『夫がUFOを見たと言い出した。』から始まります。UFO:空飛ぶ円盤
高木達夫:夫。42歳。課長職。不器用。一本気(いっぽんぎ。純粋でいちず)。正直。うそはつかない。浮気はしない。無骨(ぶこつ。洗練されていない)
高木美奈子:妻。40歳。専業主婦。ふたりは、16年前、26歳と24歳で付き合い始めて結婚した。
高木美咲:長女。私立女子中学1年生
高木大樹:小学5年生。サッカーが好き。
山下部長:創業者の甥(おい)
夫は、仕事のストレスで心が壊れたのか…… 精神、メンタル病でしょう。
交信周波数が合った人間には、UFOが見えるそうです。
アダムスキー型:円盤の下部に、おわん型のでっぱりが3個ある未確認飛行物体(UFO)
夫の言動がおかしい。
住宅ローンがまだあと28年間残っている。下の子が大学を出るまであと11年ある。
夫の頭の中がおかしい。さて、どうする。そんな話です。
家族とか、親族とか、身内とか、タイヘンです。
夫は元気です。でも、おかしいのです。頭の中が、おかしい。
妄想があります。もうそう:誤った判断
だけど、おもしろい! 真っ正直なご主人です。
「家族にはマニュアルがない」
プロパーの営業幹部:正社員
ご主人は、職場でがんばって、がんばって、ついに、頭がおかしくなってしまった。
奥さんが、ご主人の救出に向かいます。(いい奥さんです)
なかなか良かった。奥さんの心もちがステキです。
『里帰り』
盆正月の帰省、里帰りの話題です。結婚すると、とくに、ちびっこが生まれると、悩ましい義務的旅行になります。こどもが大きくなると、忙しく、里帰りも回数が減ります。
夫の実家と妻の実家があります。最初は夫婦そろってですが、たいへんなので、そのうち、それぞれ自分の実家へこどもを連れて帰ることになるのが一般的だとわたしは思います。
親世代が高齢化すると、そういった里帰りがらみの悩みは薄くなります。会いたい人は単独でも会いに来るし、そうでもない人はだんだん疎遠になります。
ゆえに、人生においての一時的なお悩みだと、わたしはとらえています。
短編では、結婚後、初めてお盆を迎える時期です。夫婦は東京住まいです。
それぞれの実家へ帰ることになりますが、夫の実家は北海道、妻の実家は名古屋市です。
作者は、岐阜県出身の方なので、名古屋市の記述はリアルです。身近に感じました。
岸本幸一:夫。30歳。会社員。忠犬IT企業技術職。実家は、北海道札幌市。妹が結婚している。妹の夫は公務員。妹夫婦には、生後6ヶ月の男児勇樹がいる。
祖母は、幸一が知らない間に認知症で老人ホームに入所していた。遠いから死んでも葬儀には来なくていいと言われる。親族には、幸一が知らない間に離婚した女性もいれば、出産した女性もいる。
岸本紗代:妻。29歳。大手デパートを結婚退職後、専業主婦。実家は、愛知県名古屋市
8月15日に北海道へ行き夫の実家で2泊して、新千歳空港から飛行機で、愛知県にある中部国際空港へ移動して、名古屋市内の妻の実家で2泊します。東京へ戻って、骨休めの休日が1日あります。なかなか強行軍です。(時間、体力、精神的に無理があるプラン)
ディーネセン:デンマークの小説家。女性。1962年(昭和37年)77歳没。SF小説、ホラー小説の源流となる小説を書いた。
この短編群の特徴として、悩み事が発生した時に、当事者たちは、周囲の人たちに正直に状態を話して、情報を集めたり、アドバイスを受けたりします。なかなかこのパターンはありません。話が広がって、へんなふうになるのが、世間のありようですが、この小説の中では、うまく解決に導かれていきます。良心的な響きが感じられる短編群です。
札幌では、親族が久しぶりに集まって昼食会です。全員の記念撮影もします。記念写真は残しておいたほうがいい。もう二度とそのメンバーで写真におさまることはないのが、世の常(つね。普通のこと)です。
慶弔儀礼について考えました。
コロナ禍があって、冠婚葬祭の儀式がさびしくなりました。家族葬とか、親族のみの結婚式などです。コロナ禍前は、冠婚葬祭の儀式が、親族をつなぎとめる役割を果たしていました。『家族』が、だんだん、『個(個人)』の世界へと移っています。
たいへんな帰省旅行ですが、若い夫婦が、お互いに気をつかいあっています。ステキです。
夫婦は、こうして、夫婦になるのです。
身内の人たちがふたりに優しい。
ほっとするものがあります。
みんなそれぞれ苦労をかかえています。
みんないい親戚です。
両親の心もちもいい。
お互いに、うちの息子をよろしく、うちの娘をよろしくと、ひそかに頭を下げてお願いされています。
心を洗われました。
『妻とマラソン』
『妻がランニングにはまった。』から始まります。
大塚康夫:夫。46歳。小説家。ベストセラー作品あり。自宅の書斎で、パソコンを使って創作をする。
大塚里美:妻。45歳。専業主婦。夫の小説による大きな印税収入を銀行員に勧められて投資信託に投資して手痛い含み損をつくってしまった。おろしたくてもおろせない状態になっている。そんな状況にあって、ランニングに目覚め、1日に1時間以上走る。
大塚恵介:ふたごの長男。中学三年生受験生。サッカー部員
大塚陽介:ふたごの次男。同じく受験生。サッカー部員
フレディ:大塚家の愛犬
奥さんがランニングに出かけて、帰ってきません。交通事故を心配する3人家族です。(奥さんはただ、何時間も往復を繰りかえす緑道コースで、16kmを走っただけでした)
奥さんの言葉です。
『ただ、走りたいから走っている』
ベストセラー作家の妻にもそれなりのストレスがあるそうです。
ともだちがいない。高収入世帯・高額納税者世帯なので、同世代の女性が近づかない、遠慮する、住んでいる世界が違うという扱いをうけるそうです。ご近所の主婦から、誘われないのです。女たちの節約話には入れないのです。投資信託の失敗を話したら、『いい気味だ(ざまあみろ。人の不幸を喜ぶ)』の大合唱だったそうです。
もうひとつが、ベストセラー作家のだんなさんに先を越されているというあせりがある。人間の能力としてです。妻が、おいてきぼりなのです。
「友だち夫婦」
対等な関係があります。
でも、奥さんはぽつりと言います。あなたは、今なら、女優さんとでも結婚できる。(わたしなんかを結婚相手には選ばないだろう)
妻はすることがない。出かけるところもない。夫に気を使って、別々の時間帯に食事を食べることもある。妻は、孤独です。
2月27日東京マラソン開催日です。
奥さんは、悩んだ末に東京マラソンへの出場を決断しました。こどもたちの応援がためらう気持ちを後押ししてくれました。
走るからには、きちんと走りたいと思う奥さんです。歩けばいいやとは考えていません。
東京マラソン参加者の数が、3万5000人です。すごい。多い。
ふたごのこどもたちが応援する声が沿道で響いています。
『おかあさん! こっち! こっち!』
いいお話でした。
2025年03月14日
一年一組せんせいあのね こどものつぶやきセレクション
一年一組せんせいあのね こどものつぶやきセレクション 鹿島和夫(かしま・かずお)選 ヨシタケシンスケ絵 理論社
まず、ざーっと1回目の本読みを、目を通すように読みました。
良書です。
今年読んで良かった1冊になりました。
さて、これから、2度目の本読みに入ります。
かなりおもしろい!
1年生のちびっこたちがつぶやきます。
心優しく、かわいい。
『ありときりぎりす』という有名なイソップのお話があります。
夏の間遊んでいたきりぎりすは、冬になって食べるものがなく困ってしまうのです。
つぶやく1年生の男の子は、困り果てているきりぎりすを助けてあげて、『こんどの夏は、ちゃんとはたらきよ』といって、春まで泊めて(とめて)あげるそうです。
優しい。相手を責めない。いい子です。
体育の授業です。
こどもは、てつぼうを10回しなければならないのに、せんせいは1回もやらない。不公平だとこどもさんが不満を訴えています。(おもしろい。そうだね。お手本をやってほしいよね。先生にちゃんと言えば、やってくれるよ)
詩的なつぶやきがあります。
冬のこおろぎです。
こおろぎの動きがにぶい。
おもしろい。本音や正直な気持ちが続きます。
ヨシタケシンスケさんの絵がいい。
やわらかくて、優しい絵です。
『せんせいあのね なんでそらのほしは ほしのかたちがしてないの』(なるほど。夜空に見える星は、☆の形をしていません)
『けっこん』が良かった。
おとうさんは、おかあさんから申し込みがあったから結婚したと言う。
おかあさんは、おとうさんが、結婚してくれなかったら死ぬと言ったから結婚してやったと言う。
どっちが本当かわからない。
ぼくはどっちでもいい。
ぼくがいることがだいじなんだから。と結んであります。わたしは、おとうさんが言うことも、おかあさなんが言うことも、どっちも本当だと思います。
『おふろ』は、おもしろすぎる。
おふろの中で、弟がおしっこをした。
おとうさんがそれを知らずに、おふろの中で顔を洗った。
なかなかいい。ゆとりとか、余裕があります。
『はみがき』という作品です。
すっぱだかで、はみがきをすると、おちんちんが揺れると書いてあります。
ちいさなお子さんによる、『観察』があります。
遠い過去、自分がちびっこだったときを思い出します。
自然の光景を観て、同じ感想をもったことがあります。
雨つぶが、葉っぱの上をころがるようすについて、つぶやいてあります。
ころころころと小さな水玉が、葉っぱの上をころがります。
2回目の本読みを終えての感想です。
ちょっとさみしげなこどもの世界を垣間見た気持ちになりました。
2023年(令和5年)の発行で、2024年(令和6年)で8刷されています。
良書です。
まず、ざーっと1回目の本読みを、目を通すように読みました。
良書です。
今年読んで良かった1冊になりました。
さて、これから、2度目の本読みに入ります。
かなりおもしろい!
1年生のちびっこたちがつぶやきます。
心優しく、かわいい。
『ありときりぎりす』という有名なイソップのお話があります。
夏の間遊んでいたきりぎりすは、冬になって食べるものがなく困ってしまうのです。
つぶやく1年生の男の子は、困り果てているきりぎりすを助けてあげて、『こんどの夏は、ちゃんとはたらきよ』といって、春まで泊めて(とめて)あげるそうです。
優しい。相手を責めない。いい子です。
体育の授業です。
こどもは、てつぼうを10回しなければならないのに、せんせいは1回もやらない。不公平だとこどもさんが不満を訴えています。(おもしろい。そうだね。お手本をやってほしいよね。先生にちゃんと言えば、やってくれるよ)
詩的なつぶやきがあります。
冬のこおろぎです。
こおろぎの動きがにぶい。
おもしろい。本音や正直な気持ちが続きます。
ヨシタケシンスケさんの絵がいい。
やわらかくて、優しい絵です。
『せんせいあのね なんでそらのほしは ほしのかたちがしてないの』(なるほど。夜空に見える星は、☆の形をしていません)
『けっこん』が良かった。
おとうさんは、おかあさんから申し込みがあったから結婚したと言う。
おかあさんは、おとうさんが、結婚してくれなかったら死ぬと言ったから結婚してやったと言う。
どっちが本当かわからない。
ぼくはどっちでもいい。
ぼくがいることがだいじなんだから。と結んであります。わたしは、おとうさんが言うことも、おかあさなんが言うことも、どっちも本当だと思います。
『おふろ』は、おもしろすぎる。
おふろの中で、弟がおしっこをした。
おとうさんがそれを知らずに、おふろの中で顔を洗った。
なかなかいい。ゆとりとか、余裕があります。
『はみがき』という作品です。
すっぱだかで、はみがきをすると、おちんちんが揺れると書いてあります。
ちいさなお子さんによる、『観察』があります。
遠い過去、自分がちびっこだったときを思い出します。
自然の光景を観て、同じ感想をもったことがあります。
雨つぶが、葉っぱの上をころがるようすについて、つぶやいてあります。
ころころころと小さな水玉が、葉っぱの上をころがります。
2回目の本読みを終えての感想です。
ちょっとさみしげなこどもの世界を垣間見た気持ちになりました。
2023年(令和5年)の発行で、2024年(令和6年)で8刷されています。
良書です。
2025年03月10日
ぎょうざがいなくなりさがしています 玉田美智子
ぎょうざがいなくなりさがしています 玉田美智子(たまだ・みちこ) 講談社
ぎょうざが主人公の絵本です。
おもしろそうです。
ぎょうざが旅に出ます。
絵が柔らかくて感じがいい。
まんがに近い。
昭和時代の風景と雰囲気です。
海岸沿いの、いなか町から始まりました。
ぎょうざに名前はありません。
ぎょうざの特徴などです。
焼きぎょうざです。
ひだが5つあります。
ひとくちサイズです。
としおは、小学生に見えます。低学年でしょう。
それとも幼稚園の年長さんだろうか。それなら、来月4月に小学一年生です。
水ぎょうざ(すいぎょうざ):わたしは、おとなになってから、ぎょうざには、焼きぎょうざと水ぎょうざがあることを知りました。それまでは、ぎょうざといえば、焼きぎょうざでした。
水ぎょうざは、熱湯でゆでて食べます。
わたしは、食べ慣れている焼きぎょうざのほうが好みです。
今回主人公の焼きぎょうざは、どうも、餃子(ぎょうざ)料理専門店から逃げ出したようです。
ぎょうざを擬人化してあるのだろうか。(本当は、店員がきつい労働に耐えられず逃げ出した話とか)
ぎょうざが、新幹線の座席に乗って移動しています。行き先はたぶん東京だろうなあ。
ところが、東京ではありませんでした。
東京の先にある、栃木県の宇都宮市(うつのみやし)でした。(絵本では、『浜都宮(はまつみや)』という地名に変えてあります)。宇都宮はぎょうざいで有名な都市です。
熊太郎じいさんは、小学生のころに宇都宮で子ども向けの舞台劇を観たことがあります。たしか、魔女が出てくる演劇でした。なつかしい。
こちらの絵本には、JR宇都宮駅前にある像に似せた絵が描いてあります。
日本で、もうひとつぎょうざで有名な静岡県浜松市の、『浜』と合体させて、絵本の設定では、『浜都宮(はまつみや)』という都市名にしたのでしょう。
はるまき(春巻き):小麦粉でくるくるっと包んだ豚肉・野菜などを油で揚げた料理(あげた料理)
少林寺の修行道場みたいな絵が出てきました。
昔、イギリス人コメディ男優ミスタービーンの映画で見たことがあるシーンの絵です。
『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』、映画館で観ました。
主人公の男性が、チベットで修行して、拳法を身につけるのです。
こちらの絵本では、拳法だけではなくて、勉学にも励みます。文武両道ですな。
絵本に出てくる焼きぎょうざのようすは、仕事がうまくいかなくてという悩める青年のようです。
働くよりも、気晴らしに遊びたい。
そしてぎょうざは、絵本の中で、ピンチにおちいるのです。
だけど、助けてくれる人(絵本では、カラスたち)が出てきてくれるのです。
そして、自力で立ち直るのです。
なんといか、奇想天外というか、めちゃくちゃというか。
(まあ、いいか)
としおは、やっぱり年長さんぐらいですな。
来月は、一年になって、おめでとう!ですな。
読み終わったあと、ぎょうざを食べたくなる絵本でした。
2023年(令和5年)発行の絵本で、2024年(令和6年)で6刷されています。けっこう売れています。
ぎょうざが主人公の絵本です。
おもしろそうです。
ぎょうざが旅に出ます。
絵が柔らかくて感じがいい。
まんがに近い。
昭和時代の風景と雰囲気です。
海岸沿いの、いなか町から始まりました。
ぎょうざに名前はありません。
ぎょうざの特徴などです。
焼きぎょうざです。
ひだが5つあります。
ひとくちサイズです。
としおは、小学生に見えます。低学年でしょう。
それとも幼稚園の年長さんだろうか。それなら、来月4月に小学一年生です。
水ぎょうざ(すいぎょうざ):わたしは、おとなになってから、ぎょうざには、焼きぎょうざと水ぎょうざがあることを知りました。それまでは、ぎょうざといえば、焼きぎょうざでした。
水ぎょうざは、熱湯でゆでて食べます。
わたしは、食べ慣れている焼きぎょうざのほうが好みです。
今回主人公の焼きぎょうざは、どうも、餃子(ぎょうざ)料理専門店から逃げ出したようです。
ぎょうざを擬人化してあるのだろうか。(本当は、店員がきつい労働に耐えられず逃げ出した話とか)
ぎょうざが、新幹線の座席に乗って移動しています。行き先はたぶん東京だろうなあ。
ところが、東京ではありませんでした。
東京の先にある、栃木県の宇都宮市(うつのみやし)でした。(絵本では、『浜都宮(はまつみや)』という地名に変えてあります)。宇都宮はぎょうざいで有名な都市です。
熊太郎じいさんは、小学生のころに宇都宮で子ども向けの舞台劇を観たことがあります。たしか、魔女が出てくる演劇でした。なつかしい。
こちらの絵本には、JR宇都宮駅前にある像に似せた絵が描いてあります。
日本で、もうひとつぎょうざで有名な静岡県浜松市の、『浜』と合体させて、絵本の設定では、『浜都宮(はまつみや)』という都市名にしたのでしょう。
はるまき(春巻き):小麦粉でくるくるっと包んだ豚肉・野菜などを油で揚げた料理(あげた料理)
少林寺の修行道場みたいな絵が出てきました。
昔、イギリス人コメディ男優ミスタービーンの映画で見たことがあるシーンの絵です。
『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』、映画館で観ました。
主人公の男性が、チベットで修行して、拳法を身につけるのです。
こちらの絵本では、拳法だけではなくて、勉学にも励みます。文武両道ですな。
絵本に出てくる焼きぎょうざのようすは、仕事がうまくいかなくてという悩める青年のようです。
働くよりも、気晴らしに遊びたい。
そしてぎょうざは、絵本の中で、ピンチにおちいるのです。
だけど、助けてくれる人(絵本では、カラスたち)が出てきてくれるのです。
そして、自力で立ち直るのです。
なんといか、奇想天外というか、めちゃくちゃというか。
(まあ、いいか)
としおは、やっぱり年長さんぐらいですな。
来月は、一年になって、おめでとう!ですな。
読み終わったあと、ぎょうざを食べたくなる絵本でした。
2023年(令和5年)発行の絵本で、2024年(令和6年)で6刷されています。けっこう売れています。
2025年03月05日
いやよいやよも旅のうち 北大路公子
いやよいやよも旅のうち 北大路公子(きたおおじ・きみこ) 集英社文庫
『わたしの、本のある日々 小林聡美(こばやし・さとみ) 毎日文庫』で紹介されていた本です。
旅の本だと思って読み始めました。
ところが、著者である北大路公子さんは、旅好きではないのです。
旅はめんどくさいそうです。ご自身を、『留守番人』と称しておられます。自宅に居たい人です。
まあ、旅行へ行けば、トラブルはつきものです。旅はめんどくさいものです。
それでも行きたいのは、新しい世界の発見があるからです。知らないことを知る楽しみがあります。景色、食べ物、人、興味は尽きません。
著者の場合は、雑誌の企画です。物書きは、文章を書いてお金をもらって生活していかねばなりません。2017年(平成29年)から2019年(令和元年)まで、『小説すばる』に連載されています。
なんというか、旅行記というものは、行った本人は盛り上がりますが、ほかの人にとっては、よそ事です。なにか、ユニークさがないと読まれません。お役立ち情報がないと横を向かれます。
本の内容を見てみると、熊太郎じいさんも行ったことがある場所です。
札幌、富士急、盛岡、伊勢神宮、高松、こんぴらさん、那覇などの場所です。
さて、読み始めます。
『北海道編 札幌・恵庭(えにわ)』
埴輪(はにわ)の話です。埼玉県行田市(ぎょうだ市)に行った。古墳のまちだった。オリジナル埴輪をつくった。著者は北海道民です。そんなことがあれこれ書いてあります。
(札幌)
う~む。旅の参考にはならないような内容です。
そんな感想をもちながら読んでいたら、偶然がふたつ発生しました。びっくりしました。
この本を読んでいたときの朝のネットニュースで、札幌市内にある私立の動物園が、管理内容がひどいので、市が閉園命令を出すというような記事が出ました。その動物園が、本の中に出てきたのでびっくりしました。本の記述にもありましたが、私設動物園は相当ひどい状態です。動物がひどいめにあっています。管理者は開き直っていて、どこが悪いという態度だそうです。そんな動物園があるのか。わたしが感ずる動物園は、世界で一番平和な場所、子ども連れで、安心して行ける場所というものですが、そうではないようです。びっくりしました。
本では、動物園の入口にこう表示があるそうです。『当園は普通の動物園ではありません。危険です。ケガや物損は保障できません!全て自己責任です……』(おそろしいところです)
もうひとつの偶然は、わたしは、電子書籍で週刊誌を読んでいるのですが、この本を途中まで読んだあと、電子書籍の週刊誌を見たら、こちらの著者さんの本の紹介記事が載っていて、びっくりしました。
『キミコのよろよろ養生日記 北大路公子 集英社』です。偶然が重なりました。とにかく、びっくりしました。
文章にはリズムがあります。読みやすい。文章に勢いもあります。
されど、旅の役には立たない内容です。
イヤイヤながらの旅行です。文章を書いて、オゼゼをもらうための旅行です。記事のネタのために体験にチャレンジします。もはや、余暇とか趣味ではなく、仕事ですな。
北海道ですから、雪です。大雪です。
それから温泉です。
アルパカ飼育体験にも参加します。訪れた場所は、『えこりん村』というところだそうです。
なんというか、全体的に、地味ですなあ。
『山梨編 富士急・青木ヶ原樹海』
成田離婚:新婚旅行でケンカして、成田空港で離婚を決意すること。
ジェットコースターを楽しみます。
熊太郎じいさんは、『ドドンパ(現在は営業終了)』と『FUJIYAMA』は、同じジェットコースターだと思っていました。
著者さんたちが行ったときは、『ドドンバ』がリニューアルのため工事中で、著者さんたちは、『FUJIYAMA』に乗ったそうです。
66ページあたりに、じょうずに、乗車体験が記述してあります。スリリングです。(ヒヤヒヤする)。おもしろい。『FYJIYAMA』の乗車時間は、3分36秒だそうです。
ジェットコースターは、最後尾が一番こわいという話は初めて聞きました。うちの小学生の孫たちは、一番前に乗りたがります。そして、何度も何度も乗ります。名古屋の東山動物園にあるジェットコースターです。そうか、一番後ろが一番こわいのか。ちびたちに教えてあげよう。
青木ヶ原樹海で冒険コースです。プレミアムBコースというアクティビティ(活動)です。
富士山もいつかは噴火します。いつ噴火するのか、『今でしょ』がおもしろかった。今、噴火してもおかしくはない時期なのです。
洞窟見学があります。(熊太郎じいさんは、福岡県の平尾台というとこで、鍾乳洞(しょうにゅうどう)見学をしたことがあります。夏なのに寒かった。そんなことを思い出しました)。本の中では、『富士風穴(ふじふうけつ)』の見学です。
なかなかおもしろい記述でした。
『岩手編 花巻・遠野・盛岡』
座敷わらしの話が出ます。
水谷豊さんの主演で、『HOME 愛しの座敷わらし』がありました。原作小説は、『愛しの座敷わらし(いとしの)上・下 荻原浩 朝日文庫』です。なかなかいいお話でした。
読んでいて思うのは、旅というものは、若いうちにしておいたほうがいい。歳をとると、感性が枯れています。思考や感情に潤い(うるおい)がありません。現実主義になってしまうのです。
本に書いてある、『カッパ』の部分を読んでいると、出川哲朗さんの充電バイクの旅で、たしかロケがあったと、そのときのシーンが思い出されるのです。東野・岡村の旅猿でもロケがあったかもしれません。ちょっと記憶がおぼろげです。
尾崎放哉(おざき・ほうさい):俳人。1926年(大正15年)41歳没
わんこそばの記事があります。熊太郎じいさんは、わんこそばは食べません。どうしてあんなにいそいで、そばを口の中に、ほおりこまなければならないのだろうか。そばは、ゆっくり味わって食べたい。
この本は、日記形式のエッセイです。
なんというか、記録をすることが好きな人は、こどものころから、コツコツと日記をつけています。生まれながらにコツコツ記録することが、苦にならないのです。
おそらく、古代邪馬台国の時代からそういう人っていたのだと思います。だから、過去の歴史が未来においてもある程度わかるのでしょう。
『三重県 伊勢神宮』
伊勢神宮あたりは何度か行ったことがあります。
記事には伊勢市のそばにある鳥羽市(とば市)もあります。そちらも何度か訪れました。
お伊勢参りです。休日はかなり混雑します。平日はそうでもなかった記憶ですが、今はどうかわかりません。
著者は、札幌の人ですから、新千歳空港から中部セントレア空港へ飛行機移動をして、名古屋駅からJR電車利用です。
最初に、『夫婦岩(めおといわ)』へ行かれています。その後、その日の宿泊地、鳥羽市へ移動されています。駅からホテルまで、ホテルが用意してくれたリムジンカーを利用されています。
熊太郎じいさんはリムジンには乗ったことがないので、乗り方・座り方が本に書いてありおもしろいなあと思いました。中に段差があるので、まず座ってから段差を乗り越えないと、足が段差に当たってころんでしまうそうです。外から見るのと中のようすは違うようです。
翌日が伊勢神宮参拝です。伊勢神宮の正式名称は、『神宮』です。
外宮(げくう)と内宮(ないくう)が離れた場所にあります。まず、外宮をお参りしてから、内宮へ行くのが正式な順序です。外宮には大きな樹木がたくさんあって、神秘的です。落ち着いた雰囲気が広がっています。
本には、著者が書いたイラストマンガがのっています。それほどおじょうずでもありませんが、雰囲気は伝わってきます。
赤福餅(あかふくもち)の記述がおもしろかった。餅とあんこが逆ではないかと指摘されています。(なるほど、そのとおりです。もちのまわりにあんこがあります。赤福はそういうものだという思い込みが熊太郎じいさんにはあったので、逆じゃないかという発想が生まれてきませんでした)
記事にはありませんでしたが、『伊勢うどん』という土地の名物もあります。お汁がなくて、黒いつゆを麺(めん)にからめて食べます。独特ですが、熊太郎じいさんは好きです。麺は太いです。
お寺さんで、『写経(しゃきょう。お経を書く)』をされています。
熊太郎じいさんは、その部分を読んだ時に、自分が京都の苔寺(こけでら。西芳寺(さいほうじ))で写経をしたときのことを思い出しました。感想メモが残っています。人間って、けっこういいかげんなのです。
『般若心経(はんにゃしんぎょう)の写経をしていたとき、広間に100人ぐらいでしょうか、年配の人が多いのですが、あらかじめうすく書かれているお経(おきょう)を筆でなぞっていくのです。『左側から書けばいいよ(筆を持った右手に墨がつかないから。本来は漢字の縦書きなので右から左へ書く)』というささやき声が聞こえたり、『(見学時間がないから)書いてあとから送ればいい』とか、そんな声にそれはいけないと思うと首をかしげていたら、10人ぐらいが並んでいたわたしの列はわたしたち夫婦を残していつのまにか、だれもいなくなっていました。うーむ、自分で自分の快適な世界をつくるという技(わざ)もありだなとみなさんを責める気にはなれませんでした。(狭い場所だったので、自分が楽になったこともあります。ちなみにわたしも正座をすると足がしびれるのはわかっていたので、最初からあぐらをかいて書きました。)
『名古屋めし』のことが書いてあります。ギョーザ、サラダ、ビールは、ちがうんじゃないかと思いました。熊太郎じいさんが思いつくのは、味噌カツ、手羽先、エビフライ、ひつまぶし、台湾ラーメン、味噌煮込みうどん、きしめん、てんむす、鉄板にのったスパゲティ(イタリアンとかミートとか)、モーニングセット、そんな感じです。
『香川県 高松・こんぴらさん』
高松駅あたりとか、小豆島(しょうどしま)、金毘羅山(こんぴらさん)には、熊太郎じいさんも行きました。
本では、いやいや旅をしているという記述が続きます。
そんなに無理をしてまで旅をしなくてもいいのにと、疑問をもちました。(お金のための旅体験です。旅体験を文章にして出版社から原稿料をもらいます)
新千歳空港から、高松空港まで飛ぶのです。著者はめんどくさがりやです。
同行者は雑誌社の方のようです。
彼女が言います。『大丈夫ですよ!「いやよ旅」ですから……』(へんなの)
初めて見た、『瀬戸内海』の感想が書いてあります。熊太郎と同じ感想が書いてあります。静かなのです。海面はおだやかで、海とは思えないのです。湖のようです。
水族館の紹介記事があります。
そのあと、源平合戦の話があります。歴史が好きでないと楽しめないかも。
以前、太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎの旅で、長野県にある川中島の合戦があったあたりを路線バスで通りかかったときに、えびすさんが、『(川中島の合戦って)源氏と平家だったよね(戦った両者は、武田信玄と上杉謙信です)』と言ったので笑ったことを思い出しました。
延々と書いてある著者のつぶやきは、自問自答形式です。
同著者で、この本を読む前に読んだ本があります。
『ぐうたら旅日記 恐山・知床をゆく 北大路公子(きたおおじ・きみこ) PHP文芸文庫』
そちらの旅日記は、なんの役にも立ちませんでした。エッセイというよりも、雑記(ざっき)でした。正式な原稿になる前の荒い文章のかたまりに感じました。
されど、こちらの、『いやよいやよも旅のうち』は、けっこうおもしろい。
こちらの本は、2020年(令和2年)の発行ですから、ちゃんとしたのでしょう。
ぐうたら旅日記のほうは、2012年(平成24年)に単行本が発行されています。文庫本は、2016年(平成28年)に発行されています。
やる気のない旅人である著者です。
高松市内のタクシーの中で、北海道から来ていると言ったら、運転手が、自分がバイクで北海道を回った時の思い出話をします。ところが、著者は、北海道札幌居住者なのに、タクシー運転手が話す北海道内観光地へ行ったことがありません。たいていの人の人生って、そんなものなのかも。
下ネタがおもしろい。
四国高松ですから、讃岐うどん(さぬきうどん)の食堂を探します。
『ぽんぽん』というお店を探しているはずが、スマホで、『ぽこぽこ』と検索してしまい、『ち〇ぽこ』が出てきてしまいます。
文章にリズムがあって読みやすい。
2019年(平成31年)3月に、すでに閉館したそうですが、『高松平家物語歴史館』での、蝋人形(ろうにんぎょう)見学レポートがあります。まるで、遊園地にある幽霊屋敷の中を歩いているようなレポートで、おそろしいものがありましたが、歴史話にからめた文章で、なかなかいい感じでした。秀逸な記述です。
高松城跡の、『玉藻公園(たまもこうえん)』で、お城の内堀を周遊する、『城舟体験(じょうせんたいけん)』に参加します。わたしも訪問したことがある場所なので、そのときのことを思い出しながら文章を読みました。わたしが訪問したときは、城舟体験というものは見なかったのですが、じっさいに行ったことがある場所だと、文章を読んでいると、自分もそこにいるようで、なかなかいい感じでした。
2013年(平成25年)から城舟体験が始まったそうです。わたしが、現地を訪れたのは、2008年(平成20年)でした。
こんぴらさんに登ります。かなり高い山の上に社(やしろ)があります。わたしは、19歳のときに登りました。かすかに頂上風景が脳裏に残っています。たくさんの階段がありました。こちらの本には、『1368段』と書いてあります。
260ページに、著者は、麻雀(マージャン)のルールを亡くなった父親に教えてもらったと書いてあります。
わたしは、囲碁将棋を習っている孫たちには囲碁将棋では勝てないので、自分が若い時から楽しんでいるマージャンなら勝てるだろうと思い、小学生の孫たちにマージャンを教えています。じじばばと孫たち4人で卓を囲みます。
二泊三日の讃岐旅が終わりました。
『沖縄編 那覇』
わたしが沖縄に行ったときは、わたしはまだ二十歳すぎだったと思います。友人たちと行きました。
当時の感想として、沖縄で暮らす現地の人たちは、心がとても優しいと思いました。
泊まったホテルで、今はもう亡くなってしまいましたが、谷村新司さんを見ました。わたしがロビーのソファーセットに座って友だちが来るのを待っていたら、谷村新司さんが来て、お向かいのソファーセットに座られました。びっくりしました。そのあと、スタッフの人と打ち合わせをされていました。谷村新司さんはたいそう胸板の厚い、がっちりした体をされていました。あんな丈夫そうな人だったのに、まだ若いのに亡くなって残念です。
さて、こちらの本を読みます。
う~む。また、行きたくないから始まります。こんなに行きたくない沖縄ってある?! というのが項目です。(なら、やめればいいのに)
ふと、自分が若い頃もっていた夢を思い出しました。
定年退職をしたら、北海道で一時的に暮らしてみたい。
秋から暮らし始めて、雪深い寒い冬を越して、春を迎える喜びを体全体で味わってみたい。
そして、定年退職をしました。
行きたくありません。寒いのはいやです。寒いのはだめです。
著者の気持ちもそんな感じだろうか。
(274ページに、「(沖縄に旅行へ行ったら)そのまま半年ぐらい沖縄に住んでみたいなあ……」と書いてあります)
著者は、沖縄の海で、セパレートタイプの水着姿になるという企画にのれないという気持ちです。腹が出ているらしい。
シュノーケリングもやるらしい。
海中で熱帯魚に囲まれてエサやりをした影響もあって、船酔いでふらふらになって、あんまり楽しくない、もうやりたくないそうです。
行きたくない沖縄の話が続きます。
おきなわワールドというところへ行って、セグウェイ(電動立ち乗り二輪車。1台100万円ぐらいする)に乗って移動して、雨が降り始めました。
なんだかさえない沖縄旅のリポートでした。何しに行ったのだろう。
『あとがき』
富士急ハイランドで入らなかったお化け屋敷に入っておけばよかったというようなことが書いてあります。
旅では、チャンスを見送ると、もう二度と人生で同じことを体験することができなくなったりもします。後悔するのがイヤなら、とりあえず、やっておいたほうがいい。
『わたしの、本のある日々 小林聡美(こばやし・さとみ) 毎日文庫』で紹介されていた本です。
旅の本だと思って読み始めました。
ところが、著者である北大路公子さんは、旅好きではないのです。
旅はめんどくさいそうです。ご自身を、『留守番人』と称しておられます。自宅に居たい人です。
まあ、旅行へ行けば、トラブルはつきものです。旅はめんどくさいものです。
それでも行きたいのは、新しい世界の発見があるからです。知らないことを知る楽しみがあります。景色、食べ物、人、興味は尽きません。
著者の場合は、雑誌の企画です。物書きは、文章を書いてお金をもらって生活していかねばなりません。2017年(平成29年)から2019年(令和元年)まで、『小説すばる』に連載されています。
なんというか、旅行記というものは、行った本人は盛り上がりますが、ほかの人にとっては、よそ事です。なにか、ユニークさがないと読まれません。お役立ち情報がないと横を向かれます。
本の内容を見てみると、熊太郎じいさんも行ったことがある場所です。
札幌、富士急、盛岡、伊勢神宮、高松、こんぴらさん、那覇などの場所です。
さて、読み始めます。
『北海道編 札幌・恵庭(えにわ)』
埴輪(はにわ)の話です。埼玉県行田市(ぎょうだ市)に行った。古墳のまちだった。オリジナル埴輪をつくった。著者は北海道民です。そんなことがあれこれ書いてあります。
(札幌)
う~む。旅の参考にはならないような内容です。
そんな感想をもちながら読んでいたら、偶然がふたつ発生しました。びっくりしました。
この本を読んでいたときの朝のネットニュースで、札幌市内にある私立の動物園が、管理内容がひどいので、市が閉園命令を出すというような記事が出ました。その動物園が、本の中に出てきたのでびっくりしました。本の記述にもありましたが、私設動物園は相当ひどい状態です。動物がひどいめにあっています。管理者は開き直っていて、どこが悪いという態度だそうです。そんな動物園があるのか。わたしが感ずる動物園は、世界で一番平和な場所、子ども連れで、安心して行ける場所というものですが、そうではないようです。びっくりしました。
本では、動物園の入口にこう表示があるそうです。『当園は普通の動物園ではありません。危険です。ケガや物損は保障できません!全て自己責任です……』(おそろしいところです)
もうひとつの偶然は、わたしは、電子書籍で週刊誌を読んでいるのですが、この本を途中まで読んだあと、電子書籍の週刊誌を見たら、こちらの著者さんの本の紹介記事が載っていて、びっくりしました。
『キミコのよろよろ養生日記 北大路公子 集英社』です。偶然が重なりました。とにかく、びっくりしました。
文章にはリズムがあります。読みやすい。文章に勢いもあります。
されど、旅の役には立たない内容です。
イヤイヤながらの旅行です。文章を書いて、オゼゼをもらうための旅行です。記事のネタのために体験にチャレンジします。もはや、余暇とか趣味ではなく、仕事ですな。
北海道ですから、雪です。大雪です。
それから温泉です。
アルパカ飼育体験にも参加します。訪れた場所は、『えこりん村』というところだそうです。
なんというか、全体的に、地味ですなあ。
『山梨編 富士急・青木ヶ原樹海』
成田離婚:新婚旅行でケンカして、成田空港で離婚を決意すること。
ジェットコースターを楽しみます。
熊太郎じいさんは、『ドドンパ(現在は営業終了)』と『FUJIYAMA』は、同じジェットコースターだと思っていました。
著者さんたちが行ったときは、『ドドンバ』がリニューアルのため工事中で、著者さんたちは、『FUJIYAMA』に乗ったそうです。
66ページあたりに、じょうずに、乗車体験が記述してあります。スリリングです。(ヒヤヒヤする)。おもしろい。『FYJIYAMA』の乗車時間は、3分36秒だそうです。
ジェットコースターは、最後尾が一番こわいという話は初めて聞きました。うちの小学生の孫たちは、一番前に乗りたがります。そして、何度も何度も乗ります。名古屋の東山動物園にあるジェットコースターです。そうか、一番後ろが一番こわいのか。ちびたちに教えてあげよう。
青木ヶ原樹海で冒険コースです。プレミアムBコースというアクティビティ(活動)です。
富士山もいつかは噴火します。いつ噴火するのか、『今でしょ』がおもしろかった。今、噴火してもおかしくはない時期なのです。
洞窟見学があります。(熊太郎じいさんは、福岡県の平尾台というとこで、鍾乳洞(しょうにゅうどう)見学をしたことがあります。夏なのに寒かった。そんなことを思い出しました)。本の中では、『富士風穴(ふじふうけつ)』の見学です。
なかなかおもしろい記述でした。
『岩手編 花巻・遠野・盛岡』
座敷わらしの話が出ます。
水谷豊さんの主演で、『HOME 愛しの座敷わらし』がありました。原作小説は、『愛しの座敷わらし(いとしの)上・下 荻原浩 朝日文庫』です。なかなかいいお話でした。
読んでいて思うのは、旅というものは、若いうちにしておいたほうがいい。歳をとると、感性が枯れています。思考や感情に潤い(うるおい)がありません。現実主義になってしまうのです。
本に書いてある、『カッパ』の部分を読んでいると、出川哲朗さんの充電バイクの旅で、たしかロケがあったと、そのときのシーンが思い出されるのです。東野・岡村の旅猿でもロケがあったかもしれません。ちょっと記憶がおぼろげです。
尾崎放哉(おざき・ほうさい):俳人。1926年(大正15年)41歳没
わんこそばの記事があります。熊太郎じいさんは、わんこそばは食べません。どうしてあんなにいそいで、そばを口の中に、ほおりこまなければならないのだろうか。そばは、ゆっくり味わって食べたい。
この本は、日記形式のエッセイです。
なんというか、記録をすることが好きな人は、こどものころから、コツコツと日記をつけています。生まれながらにコツコツ記録することが、苦にならないのです。
おそらく、古代邪馬台国の時代からそういう人っていたのだと思います。だから、過去の歴史が未来においてもある程度わかるのでしょう。
『三重県 伊勢神宮』
伊勢神宮あたりは何度か行ったことがあります。
記事には伊勢市のそばにある鳥羽市(とば市)もあります。そちらも何度か訪れました。
お伊勢参りです。休日はかなり混雑します。平日はそうでもなかった記憶ですが、今はどうかわかりません。
著者は、札幌の人ですから、新千歳空港から中部セントレア空港へ飛行機移動をして、名古屋駅からJR電車利用です。
最初に、『夫婦岩(めおといわ)』へ行かれています。その後、その日の宿泊地、鳥羽市へ移動されています。駅からホテルまで、ホテルが用意してくれたリムジンカーを利用されています。
熊太郎じいさんはリムジンには乗ったことがないので、乗り方・座り方が本に書いてありおもしろいなあと思いました。中に段差があるので、まず座ってから段差を乗り越えないと、足が段差に当たってころんでしまうそうです。外から見るのと中のようすは違うようです。
翌日が伊勢神宮参拝です。伊勢神宮の正式名称は、『神宮』です。
外宮(げくう)と内宮(ないくう)が離れた場所にあります。まず、外宮をお参りしてから、内宮へ行くのが正式な順序です。外宮には大きな樹木がたくさんあって、神秘的です。落ち着いた雰囲気が広がっています。
本には、著者が書いたイラストマンガがのっています。それほどおじょうずでもありませんが、雰囲気は伝わってきます。
赤福餅(あかふくもち)の記述がおもしろかった。餅とあんこが逆ではないかと指摘されています。(なるほど、そのとおりです。もちのまわりにあんこがあります。赤福はそういうものだという思い込みが熊太郎じいさんにはあったので、逆じゃないかという発想が生まれてきませんでした)
記事にはありませんでしたが、『伊勢うどん』という土地の名物もあります。お汁がなくて、黒いつゆを麺(めん)にからめて食べます。独特ですが、熊太郎じいさんは好きです。麺は太いです。
お寺さんで、『写経(しゃきょう。お経を書く)』をされています。
熊太郎じいさんは、その部分を読んだ時に、自分が京都の苔寺(こけでら。西芳寺(さいほうじ))で写経をしたときのことを思い出しました。感想メモが残っています。人間って、けっこういいかげんなのです。
『般若心経(はんにゃしんぎょう)の写経をしていたとき、広間に100人ぐらいでしょうか、年配の人が多いのですが、あらかじめうすく書かれているお経(おきょう)を筆でなぞっていくのです。『左側から書けばいいよ(筆を持った右手に墨がつかないから。本来は漢字の縦書きなので右から左へ書く)』というささやき声が聞こえたり、『(見学時間がないから)書いてあとから送ればいい』とか、そんな声にそれはいけないと思うと首をかしげていたら、10人ぐらいが並んでいたわたしの列はわたしたち夫婦を残していつのまにか、だれもいなくなっていました。うーむ、自分で自分の快適な世界をつくるという技(わざ)もありだなとみなさんを責める気にはなれませんでした。(狭い場所だったので、自分が楽になったこともあります。ちなみにわたしも正座をすると足がしびれるのはわかっていたので、最初からあぐらをかいて書きました。)
『名古屋めし』のことが書いてあります。ギョーザ、サラダ、ビールは、ちがうんじゃないかと思いました。熊太郎じいさんが思いつくのは、味噌カツ、手羽先、エビフライ、ひつまぶし、台湾ラーメン、味噌煮込みうどん、きしめん、てんむす、鉄板にのったスパゲティ(イタリアンとかミートとか)、モーニングセット、そんな感じです。
『香川県 高松・こんぴらさん』
高松駅あたりとか、小豆島(しょうどしま)、金毘羅山(こんぴらさん)には、熊太郎じいさんも行きました。
本では、いやいや旅をしているという記述が続きます。
そんなに無理をしてまで旅をしなくてもいいのにと、疑問をもちました。(お金のための旅体験です。旅体験を文章にして出版社から原稿料をもらいます)
新千歳空港から、高松空港まで飛ぶのです。著者はめんどくさがりやです。
同行者は雑誌社の方のようです。
彼女が言います。『大丈夫ですよ!「いやよ旅」ですから……』(へんなの)
初めて見た、『瀬戸内海』の感想が書いてあります。熊太郎と同じ感想が書いてあります。静かなのです。海面はおだやかで、海とは思えないのです。湖のようです。
水族館の紹介記事があります。
そのあと、源平合戦の話があります。歴史が好きでないと楽しめないかも。
以前、太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎの旅で、長野県にある川中島の合戦があったあたりを路線バスで通りかかったときに、えびすさんが、『(川中島の合戦って)源氏と平家だったよね(戦った両者は、武田信玄と上杉謙信です)』と言ったので笑ったことを思い出しました。
延々と書いてある著者のつぶやきは、自問自答形式です。
同著者で、この本を読む前に読んだ本があります。
『ぐうたら旅日記 恐山・知床をゆく 北大路公子(きたおおじ・きみこ) PHP文芸文庫』
そちらの旅日記は、なんの役にも立ちませんでした。エッセイというよりも、雑記(ざっき)でした。正式な原稿になる前の荒い文章のかたまりに感じました。
されど、こちらの、『いやよいやよも旅のうち』は、けっこうおもしろい。
こちらの本は、2020年(令和2年)の発行ですから、ちゃんとしたのでしょう。
ぐうたら旅日記のほうは、2012年(平成24年)に単行本が発行されています。文庫本は、2016年(平成28年)に発行されています。
やる気のない旅人である著者です。
高松市内のタクシーの中で、北海道から来ていると言ったら、運転手が、自分がバイクで北海道を回った時の思い出話をします。ところが、著者は、北海道札幌居住者なのに、タクシー運転手が話す北海道内観光地へ行ったことがありません。たいていの人の人生って、そんなものなのかも。
下ネタがおもしろい。
四国高松ですから、讃岐うどん(さぬきうどん)の食堂を探します。
『ぽんぽん』というお店を探しているはずが、スマホで、『ぽこぽこ』と検索してしまい、『ち〇ぽこ』が出てきてしまいます。
文章にリズムがあって読みやすい。
2019年(平成31年)3月に、すでに閉館したそうですが、『高松平家物語歴史館』での、蝋人形(ろうにんぎょう)見学レポートがあります。まるで、遊園地にある幽霊屋敷の中を歩いているようなレポートで、おそろしいものがありましたが、歴史話にからめた文章で、なかなかいい感じでした。秀逸な記述です。
高松城跡の、『玉藻公園(たまもこうえん)』で、お城の内堀を周遊する、『城舟体験(じょうせんたいけん)』に参加します。わたしも訪問したことがある場所なので、そのときのことを思い出しながら文章を読みました。わたしが訪問したときは、城舟体験というものは見なかったのですが、じっさいに行ったことがある場所だと、文章を読んでいると、自分もそこにいるようで、なかなかいい感じでした。
2013年(平成25年)から城舟体験が始まったそうです。わたしが、現地を訪れたのは、2008年(平成20年)でした。
こんぴらさんに登ります。かなり高い山の上に社(やしろ)があります。わたしは、19歳のときに登りました。かすかに頂上風景が脳裏に残っています。たくさんの階段がありました。こちらの本には、『1368段』と書いてあります。
260ページに、著者は、麻雀(マージャン)のルールを亡くなった父親に教えてもらったと書いてあります。
わたしは、囲碁将棋を習っている孫たちには囲碁将棋では勝てないので、自分が若い時から楽しんでいるマージャンなら勝てるだろうと思い、小学生の孫たちにマージャンを教えています。じじばばと孫たち4人で卓を囲みます。
二泊三日の讃岐旅が終わりました。
『沖縄編 那覇』
わたしが沖縄に行ったときは、わたしはまだ二十歳すぎだったと思います。友人たちと行きました。
当時の感想として、沖縄で暮らす現地の人たちは、心がとても優しいと思いました。
泊まったホテルで、今はもう亡くなってしまいましたが、谷村新司さんを見ました。わたしがロビーのソファーセットに座って友だちが来るのを待っていたら、谷村新司さんが来て、お向かいのソファーセットに座られました。びっくりしました。そのあと、スタッフの人と打ち合わせをされていました。谷村新司さんはたいそう胸板の厚い、がっちりした体をされていました。あんな丈夫そうな人だったのに、まだ若いのに亡くなって残念です。
さて、こちらの本を読みます。
う~む。また、行きたくないから始まります。こんなに行きたくない沖縄ってある?! というのが項目です。(なら、やめればいいのに)
ふと、自分が若い頃もっていた夢を思い出しました。
定年退職をしたら、北海道で一時的に暮らしてみたい。
秋から暮らし始めて、雪深い寒い冬を越して、春を迎える喜びを体全体で味わってみたい。
そして、定年退職をしました。
行きたくありません。寒いのはいやです。寒いのはだめです。
著者の気持ちもそんな感じだろうか。
(274ページに、「(沖縄に旅行へ行ったら)そのまま半年ぐらい沖縄に住んでみたいなあ……」と書いてあります)
著者は、沖縄の海で、セパレートタイプの水着姿になるという企画にのれないという気持ちです。腹が出ているらしい。
シュノーケリングもやるらしい。
海中で熱帯魚に囲まれてエサやりをした影響もあって、船酔いでふらふらになって、あんまり楽しくない、もうやりたくないそうです。
行きたくない沖縄の話が続きます。
おきなわワールドというところへ行って、セグウェイ(電動立ち乗り二輪車。1台100万円ぐらいする)に乗って移動して、雨が降り始めました。
なんだかさえない沖縄旅のリポートでした。何しに行ったのだろう。
『あとがき』
富士急ハイランドで入らなかったお化け屋敷に入っておけばよかったというようなことが書いてあります。
旅では、チャンスを見送ると、もう二度と人生で同じことを体験することができなくなったりもします。後悔するのがイヤなら、とりあえず、やっておいたほうがいい。
2025年02月26日
オッサンの壁 佐藤千矢子
オッサンの壁 佐藤千矢子(さとう・ちやこ) 講談社新書
テレビで著者を見て、本を取り寄せました。おもしろそうです。
男女差別とか、男尊女卑、女性の生きにくさについて書いてある本だろうと予想をつけて読み始めます。
今どきだと、元男性タレントによる元テレビ局女性社員への性被害があります。こちらの本では、政治家による女性政治記者への性被害について書いてあるようです。
人間のありようについていえば、優れた能力を発揮する人は、それに見合うだけの闇をもっているということはあります。
人間には、表の顔と裏の顔があります。ジキルとハイド、二重人格なのです。
それは、それで、生物学的には、人間としてバランスを保っているということなのでしょう。
なにごとも、プラス・マイナス0(ゼロ)が、この世の基本です。いいところもあれば、そうでないところもあるのが人間です。
オッサン村=東京都千代田区永田町(ながたちょう)。国会議事堂とか、首相官邸、議員会館、国立国会図書館、憲政記念館などがあります。わたしは、そのうちのいくつかは、施設見学で訪れたことがあります。
さて、読み始めます。
わたしは、『永田町』というのは、官僚も含めて、箱だと考えています。
関係者は、箱の中にいるうちは身分をしっかり守られますが、いったん箱を出ると袋叩き(ふくろだたき)にあいそうです。生きるか死ぬかの世界です。
不公平、不条理、不合理、理不尽(りふじん)に包まれた、ある意味、日本社会の縮図のような世界です。昨年から裏金問題が攻撃の的(まと)になっていますが、裏金はなにも、永田町だけにあるものではないでしょう。それが世の中の現実です。
男性政治記者の場合、政治家と仲良しになるには、政治家と女遊びをすることだそうです。
お互いの恥部(ちぶ。人に知られたくないこと)を握り合って、仲良しになるそうです。お互いにお互いを脅す(おどす)ネタを握って、表面上は仲良しこよしになるのです。異常ですなあ。
『はじめに』で、著者が毎日新聞社に就職してからの歴史が書いてあります。
政治部長のポストなどを経て現在は論説委員です。
『男性社会の壁(女性が乗り越えることができないような壁)』について書くそうです。
ミソジニー:女性嫌悪、女性蔑視(べっし。さげすむ)
男社会は、『予定調和』、『不規則発言を禁じる』社会と読み取れます。(女は文句を言うということなのでしょう)
人口の半分は女性なのに、女性には、男性と同等の権利が与えられていない。
日本社会は、『男性優位』で構築されている。(ただ、わたしは、『男性に依存する女性』の存在もあると思っています。男性にやらせて、男性に責任をとらせる。自分は(女性は)関係ないと主張する)。責任逃れ(のがれ)、責任回避のスタンス(姿勢)をとることができるメリット(利点)があります。
『目次(もくじ)』を見ます。
著者のこれまでの新聞記者体験をベースにしたエッセイ(随筆)の雰囲気があります。
「おっぱい好きな大物議員」という項目があります。政治家ではありませんが、以前問題になった官僚の幹部がテレビで、「おっぱい、おっぱい」とつぶやき続ける音声と映像が流れたことを思い出しました。異様で異常でした。いい年をした男が幼児みたいです。しかも、国の方針を決めて実行していく立場の人間です。あたまがおかしい。
思うに、毎月決まった日に決まった給料がもらえるという経済的に安定した立場にあって、かつ強力な権力を手にした人は、気が緩んで(ゆるんで)、おかしな思考を始めるではないか。なにをしても、注意する人がいなくなるからです。ある意味、不幸で異常な環境に置かれるのです。
自制心が求められます。自分の脳みそで考えて、自分の心身をちゃんとコントロールするのです。
『秘書がディープキス』とか、『日常的セクハラ』とか、ぶっそうな項目が目に飛び込んできます。
『選択的夫婦別姓』(戸籍法の改正が、手続き上、難儀(なんぎ)だろうと思います)
目次だけ目を通して読んでみて、いつかは、女性が首相になる時代が来る期待感があります。
100年後、日本はどんな社会になっているのだろうか。もうそのころわたしはこの世にはいないけれど……
『第一章 立ちはだかるオッサン』
老害と呼ばれる高齢者のかたまり世代がありますが、それでもいつかは、世代交代の時期が訪れます。命は必ず尽きます。ロシアのトップもアメリカ合衆国のトップもいつかは命が尽きて、この世からいなくなります。しょせん人間界は、なるようになるのです。
どんな日本に変わっていけるのだろう。
『衰退』というワードしか思い浮かびません。
良くも悪くも、がむしゃらに働く世代がいたから、日本は経済的に発展できたと思うのです。
今何もかもが尻すぼみの状態です。
統廃合が進んでいます。
昔は、男がする仕事と女がする仕事の区分けがはっきりしていました。
著者の働き始めが書いてあるこちらの本では、新聞記者は、男がする仕事という意識が男社会の中で定着しています。
記者が女性だと下に見られる。相手方から、女性記者ではなく、男の記者にしてくれと言われる。ほかの会社でも組織でも同様でしょうと著者の観察があります。
単調な記述が続きます。
『首相官邸』でのことが書いてあります。首相官邸あたりへは、東京見物に行ったときに何回か近くを歩いて通ったことがあるので読んでいて実感が湧きます。いつも厳戒態勢です。
著者の仕事は、1990年(平成2年)から始まっています。この年に女性記者が増えたそうです。そのとき、首席総理秘書官から、記者が女性であることでばかにされたそうです。
政治に限らず、組織の上層部にいる人には差別思考があります。性別、学歴、親族関係で、人間を分類して、序列の判断をしてから相手と対応する性質をもっておられます。人間をA・B・C・Dと格付けする人がいます。テストの点数で人間を分類する人に似ています。
『日本国憲法第14条:「法の下(もと)の平等」、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という原則をわかっていない人がいます。建て前(たてまえ)と本音の世界があります。
ハコ乗り競争:東京高輪(たかなわ)にある議員宿舎へ午前6時過ぎに行く。玄関ロビーで待っていて、政治家が出勤する車に記者が乗り込んで取材をする。後席に政治家と記者ふたり、助手席に記者ひとりが乗る。現在夜10時からの番組でニュースキャスターをしている大越健介氏の姿もあったそうです。
わたしが思うに、現実社会での仕事現場では、女の人を敵に回すと仕事が回らなくなります。ときに、男は、あきらめなければならないのです。
以前、路線バス乗り継ぎ人情旅の番組で、太川陽介さんが、女子アナと路線バスのルートどりで対立したことがありました。(女子アナが提案したルートが正解でした)
そのときに、えびすよしかずさんが太川さんに、『女の人の言うことはきいといたほうがいいよ』とアドバイスしました。えびすさんの言うとおりです。(昨夜から、BSテレ東で路線バス人情乗り継ぎ旅の初回からの再放送が始まりました。夕食をゆっくり食べながら映像を楽しみました。やっぱり、えびすさんはおもしろい!)
先日、太川陽介さんのユーチューブを見ました。奥さんとふたりで群馬県内を路線バスで巡る企画でした。太川さんが、奥さんに対して乱暴な言葉づかいをするので驚きました。テレもあるのでしょうが、奥さんを下に見てばかにするような話し方でした。たくさんの人たちが観ている映像です。きっと奥さんはイヤな気持ちになったと思います。昭和の男というプライドを捨てて、夫婦円満のために優しく接してください。
著者は記者活動を始めましたが、当時はまだ女性向けのパンツ(ズボン)があまり売っていなくて苦労されたそうです。記者活動をするときに、スカートではやりにくかったそうです。なんとなくわかります。
今はパンツの販売は豊富になりました。平成が始まったころは、まだまだ昭和時代のなごりがありました。女性の服装は、スカートが定番でした。(お決まりのもの)
本に書いてあるとおり、『夫は外で働き、妻は家庭を守るべき』、性別役割分担の意識があります。
したたかに女性であることを武器にして、男性である政治家に近づこうとする手法もあります。バレンタインデーにチョコレートをプレゼントするのです。媚びる(こびる。なまめかしさで、男の気を引く)
グルです。(一味。いちみ。仲間)。表面上対立する関係にある者同士が、裏では握手しているのです。
取材で、正直に正面から質問すると、しっぺ返しがあったりもします。なんと、仲間からのしっぺ返しです。
今だから書けることがいろいろ書いてあります。
なんというか、政治の異様な世界です。ここは日本なのに、アフガニスタンみたいに女性の人権がありません。異様な男たちがいます。
しょせん人間界は、強欲のぶつかりあい。いじめや、蔑み(さげすみ)、バカにするというようなことが横行するのです。
強い権力をもつ者が勝利する。強い者のところへ人が集まる。弱者は切り捨てです。
高齢になって、認知症のような状態になった政治家がいます。引退してくれません。認知症の症状である、『あなたどなたさま?』が、凄み(すごみ。おそろしさ)になります。
書いてあることは、一般人の視点で観ると、興味のわかない世界です。政治家と記者との関係です。かけひきの世界です。
政治家にしても記者にしても、がんばったからといって、家族の幸せにはつながりそうもありません。
『第二章 ハラスメントの現場』
今話題になっている引退した芸能人とか某テレビ局の話題とも共通します。業務遂行において有利な条件をつくるために、異性を商品として扱うのです。おぞましい。
著者は、仕事をするときに、若い時は苦労した。歳をとって女性としてのお色気路線での商品価値がなくなって、自由になれたというようなことを書いておられます、
組織の幹部とかカリスマ型の人間には、英雄、色を好むということはあります。困ったことです。男だから欲があるのはしかたがありませんが、自己コントロールができません。
権力を握った人間は自分の権力に溺れて自滅の道へと吸い込まれていきます。権力者の足を引っ張って、権力者の座からひきずりおろしたいと思っている人間はそばに、たいていいます。
読んでいると、まあひどいセクハラ行為がいろいろ書いてあります。加害者は、政治家、政治家の関係者です。こんな人たちに投票することがばからしくなります。
女性を人間と見ていません。もの扱いです。彼らの頭の中は、『おっぱい、おっぱい』です。乳幼児みたいです。
『おっぱい、もんでやろうか』、『減るもんじゃないのに』、おっぱいにさわりたい人がいっぱいいます。政治家個人だけではなく、関係する組織も容認しています。女性が上納品ですな。おぞましい。恐怖と嫌悪(けんお)があります。警察職員も消防職員も信用できません。女性は、だれにも相談できません。権力をもつ組織に所属する日本人たちは、弱者に対して冷たい。おもしろおかしさを楽しむ男たちの残虐性があります。一般企業も同じなのでしょう。エロ男、エロおじさん、エロオッサンがいます。
国民のために働いている人たちとは思えません。軽蔑します。けいべつ:ばかにする。さげすむ。
まあ、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の時代になりましたから、加害者に対しては、録画・録音で反撃開始です。覚悟してくださいです。
読んでいると、オッサンたちの世代が死に絶えるまで待つしかないのかという気持ちにもなります。
『第三章 「女性初」が嫌だった』
2013年(平成25年)48歳のときに、『論説委員』になる。
論説委員:新聞社の社論を書く。毎日2時間近くの議論。1日2本の社説を書く。政治部、経済部、外信部、社会部、くらし医療部、科学環境部、学芸部、運動部などの経験者から20人ぐらいが選ばれている。著者の担当は、外交・安全保障だった。
122ページまで読んできて、なんだろう、何かしら平面的な文章です。
組織の中にいる人の話題です。組織の中にいる人の話題に終始しています。
組織に守られている。
そして、過去の話です。未来へのワクワク感はありません。もう終わったことです。
今から24年ぐらい前のこと、2001年(平成13年)著者36歳のとき以降のことが書いてあります。
平面的な感想がどうして生まれるのだろうと考えてみました。
こどもとか、だんなさんとか、結婚、出産、育児などの家庭に関する記事・記述がないからです。心の豊かさが伝わってきません。
仕事人間の人の話です。
家族がいない老後は淋しい(さびしい)。
現役時代にいくら仕事場で輝いていたとしても、身内がいないと、老後はひとりぼっちになってしまいます。
国会の権力者(政治家、官僚)が、自分たちに抵抗する人や組織を力でねじふせようとします。
官僚組織は、公文書の改ざんをするし、自殺者も出ます。ひどい。権限があるから、自分たちを守るためにやりたいほうだいできちゃいます。
政治家はえこひいきをします。自分の味方を優遇し、敵をたたきます。
そんな話が書いてあります。
『男には養うべき家族がいる』という言葉が出てきます。だけど、女にも養うべき家族がいます。
男とか、女とか関係ない。
これしかできないからこの仕事をしているということはあります。
そもそも仕事とはそういうものです。
たいていは、自分ができることを仕事にします。
男女差別が全体として、完璧になくなることはないのではないかという感想をもちます。
153ページに、子どもさんがいる女性記者の実情が出てきました。やはりたいへんそうです。過酷です。思うに、子育てに、親の介護が重なると悲惨です。一般的に、子育てが落ち着くと、次は、親の介護が待っています。
女性について、仕事と家庭の両立には、夫や親族(両親、義父母)の協力は不可欠です。
男を敵対視するよりも、男の協力を求めたほうがいい。
『第四章 女性議員の壁』
女性が生きづらい、『オッサン社会』について書いてあります。
選択的夫婦別姓について書いてあります。
わたしは、日本のように、結婚すると、たいていは、女性が男性の苗字を名乗る国というのは、他の国ではないと若い頃に聞いたことがあります。そのときはあまり深く考えませんでした。そういうものだと、当時はそういう世の中でした。女性の人権向上という話はありましたが、自分は主婦でいい、夫の扶養家族でいいという女性もおられました。そんな時代でした。
これまでに、総理大臣候補となった女性国会議員について書いてあります。
毀誉褒貶(きよほうへん):ほめたり、けなしたり。世間の評判。賛否両論
まずは、衆議院選挙で当選することに専念しなければならない。
選挙にはお金がかかる。
ハラスメントが多い。セクハラ、マタハラ(マタニティ・ハラスメント。妊娠、出産、育児を理由に不利益を与える。働く女性に嫌がらせをする。仕事を辞めさせる)
パリテ:同等、同一、同量。議員数について、男女ともに50%にする。
『第五章 壁を壊すには』
コロナ禍のことが書いてあります。
会社で出世するなら、転勤が必要。単身赴任とか。
テレワークが進んでも、出世したかったら転勤は必須事項
女性で活躍するなら、専門職に就く。一般職での会社勤めは長続きしない。
仕事と家庭の両立には男性の協力が必要
女性の賃金が低い。
非正規雇用労働者の数が多い。
クオーター制:クオーターは、4分の1。男女の割合が一定の数値になるようにする。(ちょっとピンときません)
女性がお金を稼げる社会にする。
現在は、女性が働いても、儲からない仕組みになっている。
飲食業や宿泊業に従事する女性が多い。雇用の調整弁になっている。忙しい時は数を増やし、ヒマな時(コロナ禍)は、数を減らす。
『男は仕事、女は家庭』ではなく、『男も女も、仕事と家庭』、あるいは、『男は家庭、女は仕事』もありなのでしょう。
『おわりに』
一般家庭で、だんなさんがリモート勤務により、家で仕事をすると、家にいる妻との関係が悪化するというようなことが書いてあります。ごもっともです。
この本は、2022年(令和4年)の発行となっています。
テレビで著者を見て、本を取り寄せました。おもしろそうです。
男女差別とか、男尊女卑、女性の生きにくさについて書いてある本だろうと予想をつけて読み始めます。
今どきだと、元男性タレントによる元テレビ局女性社員への性被害があります。こちらの本では、政治家による女性政治記者への性被害について書いてあるようです。
人間のありようについていえば、優れた能力を発揮する人は、それに見合うだけの闇をもっているということはあります。
人間には、表の顔と裏の顔があります。ジキルとハイド、二重人格なのです。
それは、それで、生物学的には、人間としてバランスを保っているということなのでしょう。
なにごとも、プラス・マイナス0(ゼロ)が、この世の基本です。いいところもあれば、そうでないところもあるのが人間です。
オッサン村=東京都千代田区永田町(ながたちょう)。国会議事堂とか、首相官邸、議員会館、国立国会図書館、憲政記念館などがあります。わたしは、そのうちのいくつかは、施設見学で訪れたことがあります。
さて、読み始めます。
わたしは、『永田町』というのは、官僚も含めて、箱だと考えています。
関係者は、箱の中にいるうちは身分をしっかり守られますが、いったん箱を出ると袋叩き(ふくろだたき)にあいそうです。生きるか死ぬかの世界です。
不公平、不条理、不合理、理不尽(りふじん)に包まれた、ある意味、日本社会の縮図のような世界です。昨年から裏金問題が攻撃の的(まと)になっていますが、裏金はなにも、永田町だけにあるものではないでしょう。それが世の中の現実です。
男性政治記者の場合、政治家と仲良しになるには、政治家と女遊びをすることだそうです。
お互いの恥部(ちぶ。人に知られたくないこと)を握り合って、仲良しになるそうです。お互いにお互いを脅す(おどす)ネタを握って、表面上は仲良しこよしになるのです。異常ですなあ。
『はじめに』で、著者が毎日新聞社に就職してからの歴史が書いてあります。
政治部長のポストなどを経て現在は論説委員です。
『男性社会の壁(女性が乗り越えることができないような壁)』について書くそうです。
ミソジニー:女性嫌悪、女性蔑視(べっし。さげすむ)
男社会は、『予定調和』、『不規則発言を禁じる』社会と読み取れます。(女は文句を言うということなのでしょう)
人口の半分は女性なのに、女性には、男性と同等の権利が与えられていない。
日本社会は、『男性優位』で構築されている。(ただ、わたしは、『男性に依存する女性』の存在もあると思っています。男性にやらせて、男性に責任をとらせる。自分は(女性は)関係ないと主張する)。責任逃れ(のがれ)、責任回避のスタンス(姿勢)をとることができるメリット(利点)があります。
『目次(もくじ)』を見ます。
著者のこれまでの新聞記者体験をベースにしたエッセイ(随筆)の雰囲気があります。
「おっぱい好きな大物議員」という項目があります。政治家ではありませんが、以前問題になった官僚の幹部がテレビで、「おっぱい、おっぱい」とつぶやき続ける音声と映像が流れたことを思い出しました。異様で異常でした。いい年をした男が幼児みたいです。しかも、国の方針を決めて実行していく立場の人間です。あたまがおかしい。
思うに、毎月決まった日に決まった給料がもらえるという経済的に安定した立場にあって、かつ強力な権力を手にした人は、気が緩んで(ゆるんで)、おかしな思考を始めるではないか。なにをしても、注意する人がいなくなるからです。ある意味、不幸で異常な環境に置かれるのです。
自制心が求められます。自分の脳みそで考えて、自分の心身をちゃんとコントロールするのです。
『秘書がディープキス』とか、『日常的セクハラ』とか、ぶっそうな項目が目に飛び込んできます。
『選択的夫婦別姓』(戸籍法の改正が、手続き上、難儀(なんぎ)だろうと思います)
目次だけ目を通して読んでみて、いつかは、女性が首相になる時代が来る期待感があります。
100年後、日本はどんな社会になっているのだろうか。もうそのころわたしはこの世にはいないけれど……
『第一章 立ちはだかるオッサン』
老害と呼ばれる高齢者のかたまり世代がありますが、それでもいつかは、世代交代の時期が訪れます。命は必ず尽きます。ロシアのトップもアメリカ合衆国のトップもいつかは命が尽きて、この世からいなくなります。しょせん人間界は、なるようになるのです。
どんな日本に変わっていけるのだろう。
『衰退』というワードしか思い浮かびません。
良くも悪くも、がむしゃらに働く世代がいたから、日本は経済的に発展できたと思うのです。
今何もかもが尻すぼみの状態です。
統廃合が進んでいます。
昔は、男がする仕事と女がする仕事の区分けがはっきりしていました。
著者の働き始めが書いてあるこちらの本では、新聞記者は、男がする仕事という意識が男社会の中で定着しています。
記者が女性だと下に見られる。相手方から、女性記者ではなく、男の記者にしてくれと言われる。ほかの会社でも組織でも同様でしょうと著者の観察があります。
単調な記述が続きます。
『首相官邸』でのことが書いてあります。首相官邸あたりへは、東京見物に行ったときに何回か近くを歩いて通ったことがあるので読んでいて実感が湧きます。いつも厳戒態勢です。
著者の仕事は、1990年(平成2年)から始まっています。この年に女性記者が増えたそうです。そのとき、首席総理秘書官から、記者が女性であることでばかにされたそうです。
政治に限らず、組織の上層部にいる人には差別思考があります。性別、学歴、親族関係で、人間を分類して、序列の判断をしてから相手と対応する性質をもっておられます。人間をA・B・C・Dと格付けする人がいます。テストの点数で人間を分類する人に似ています。
『日本国憲法第14条:「法の下(もと)の平等」、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という原則をわかっていない人がいます。建て前(たてまえ)と本音の世界があります。
ハコ乗り競争:東京高輪(たかなわ)にある議員宿舎へ午前6時過ぎに行く。玄関ロビーで待っていて、政治家が出勤する車に記者が乗り込んで取材をする。後席に政治家と記者ふたり、助手席に記者ひとりが乗る。現在夜10時からの番組でニュースキャスターをしている大越健介氏の姿もあったそうです。
わたしが思うに、現実社会での仕事現場では、女の人を敵に回すと仕事が回らなくなります。ときに、男は、あきらめなければならないのです。
以前、路線バス乗り継ぎ人情旅の番組で、太川陽介さんが、女子アナと路線バスのルートどりで対立したことがありました。(女子アナが提案したルートが正解でした)
そのときに、えびすよしかずさんが太川さんに、『女の人の言うことはきいといたほうがいいよ』とアドバイスしました。えびすさんの言うとおりです。(昨夜から、BSテレ東で路線バス人情乗り継ぎ旅の初回からの再放送が始まりました。夕食をゆっくり食べながら映像を楽しみました。やっぱり、えびすさんはおもしろい!)
先日、太川陽介さんのユーチューブを見ました。奥さんとふたりで群馬県内を路線バスで巡る企画でした。太川さんが、奥さんに対して乱暴な言葉づかいをするので驚きました。テレもあるのでしょうが、奥さんを下に見てばかにするような話し方でした。たくさんの人たちが観ている映像です。きっと奥さんはイヤな気持ちになったと思います。昭和の男というプライドを捨てて、夫婦円満のために優しく接してください。
著者は記者活動を始めましたが、当時はまだ女性向けのパンツ(ズボン)があまり売っていなくて苦労されたそうです。記者活動をするときに、スカートではやりにくかったそうです。なんとなくわかります。
今はパンツの販売は豊富になりました。平成が始まったころは、まだまだ昭和時代のなごりがありました。女性の服装は、スカートが定番でした。(お決まりのもの)
本に書いてあるとおり、『夫は外で働き、妻は家庭を守るべき』、性別役割分担の意識があります。
したたかに女性であることを武器にして、男性である政治家に近づこうとする手法もあります。バレンタインデーにチョコレートをプレゼントするのです。媚びる(こびる。なまめかしさで、男の気を引く)
グルです。(一味。いちみ。仲間)。表面上対立する関係にある者同士が、裏では握手しているのです。
取材で、正直に正面から質問すると、しっぺ返しがあったりもします。なんと、仲間からのしっぺ返しです。
今だから書けることがいろいろ書いてあります。
なんというか、政治の異様な世界です。ここは日本なのに、アフガニスタンみたいに女性の人権がありません。異様な男たちがいます。
しょせん人間界は、強欲のぶつかりあい。いじめや、蔑み(さげすみ)、バカにするというようなことが横行するのです。
強い権力をもつ者が勝利する。強い者のところへ人が集まる。弱者は切り捨てです。
高齢になって、認知症のような状態になった政治家がいます。引退してくれません。認知症の症状である、『あなたどなたさま?』が、凄み(すごみ。おそろしさ)になります。
書いてあることは、一般人の視点で観ると、興味のわかない世界です。政治家と記者との関係です。かけひきの世界です。
政治家にしても記者にしても、がんばったからといって、家族の幸せにはつながりそうもありません。
『第二章 ハラスメントの現場』
今話題になっている引退した芸能人とか某テレビ局の話題とも共通します。業務遂行において有利な条件をつくるために、異性を商品として扱うのです。おぞましい。
著者は、仕事をするときに、若い時は苦労した。歳をとって女性としてのお色気路線での商品価値がなくなって、自由になれたというようなことを書いておられます、
組織の幹部とかカリスマ型の人間には、英雄、色を好むということはあります。困ったことです。男だから欲があるのはしかたがありませんが、自己コントロールができません。
権力を握った人間は自分の権力に溺れて自滅の道へと吸い込まれていきます。権力者の足を引っ張って、権力者の座からひきずりおろしたいと思っている人間はそばに、たいていいます。
読んでいると、まあひどいセクハラ行為がいろいろ書いてあります。加害者は、政治家、政治家の関係者です。こんな人たちに投票することがばからしくなります。
女性を人間と見ていません。もの扱いです。彼らの頭の中は、『おっぱい、おっぱい』です。乳幼児みたいです。
『おっぱい、もんでやろうか』、『減るもんじゃないのに』、おっぱいにさわりたい人がいっぱいいます。政治家個人だけではなく、関係する組織も容認しています。女性が上納品ですな。おぞましい。恐怖と嫌悪(けんお)があります。警察職員も消防職員も信用できません。女性は、だれにも相談できません。権力をもつ組織に所属する日本人たちは、弱者に対して冷たい。おもしろおかしさを楽しむ男たちの残虐性があります。一般企業も同じなのでしょう。エロ男、エロおじさん、エロオッサンがいます。
国民のために働いている人たちとは思えません。軽蔑します。けいべつ:ばかにする。さげすむ。
まあ、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の時代になりましたから、加害者に対しては、録画・録音で反撃開始です。覚悟してくださいです。
読んでいると、オッサンたちの世代が死に絶えるまで待つしかないのかという気持ちにもなります。
『第三章 「女性初」が嫌だった』
2013年(平成25年)48歳のときに、『論説委員』になる。
論説委員:新聞社の社論を書く。毎日2時間近くの議論。1日2本の社説を書く。政治部、経済部、外信部、社会部、くらし医療部、科学環境部、学芸部、運動部などの経験者から20人ぐらいが選ばれている。著者の担当は、外交・安全保障だった。
122ページまで読んできて、なんだろう、何かしら平面的な文章です。
組織の中にいる人の話題です。組織の中にいる人の話題に終始しています。
組織に守られている。
そして、過去の話です。未来へのワクワク感はありません。もう終わったことです。
今から24年ぐらい前のこと、2001年(平成13年)著者36歳のとき以降のことが書いてあります。
平面的な感想がどうして生まれるのだろうと考えてみました。
こどもとか、だんなさんとか、結婚、出産、育児などの家庭に関する記事・記述がないからです。心の豊かさが伝わってきません。
仕事人間の人の話です。
家族がいない老後は淋しい(さびしい)。
現役時代にいくら仕事場で輝いていたとしても、身内がいないと、老後はひとりぼっちになってしまいます。
国会の権力者(政治家、官僚)が、自分たちに抵抗する人や組織を力でねじふせようとします。
官僚組織は、公文書の改ざんをするし、自殺者も出ます。ひどい。権限があるから、自分たちを守るためにやりたいほうだいできちゃいます。
政治家はえこひいきをします。自分の味方を優遇し、敵をたたきます。
そんな話が書いてあります。
『男には養うべき家族がいる』という言葉が出てきます。だけど、女にも養うべき家族がいます。
男とか、女とか関係ない。
これしかできないからこの仕事をしているということはあります。
そもそも仕事とはそういうものです。
たいていは、自分ができることを仕事にします。
男女差別が全体として、完璧になくなることはないのではないかという感想をもちます。
153ページに、子どもさんがいる女性記者の実情が出てきました。やはりたいへんそうです。過酷です。思うに、子育てに、親の介護が重なると悲惨です。一般的に、子育てが落ち着くと、次は、親の介護が待っています。
女性について、仕事と家庭の両立には、夫や親族(両親、義父母)の協力は不可欠です。
男を敵対視するよりも、男の協力を求めたほうがいい。
『第四章 女性議員の壁』
女性が生きづらい、『オッサン社会』について書いてあります。
選択的夫婦別姓について書いてあります。
わたしは、日本のように、結婚すると、たいていは、女性が男性の苗字を名乗る国というのは、他の国ではないと若い頃に聞いたことがあります。そのときはあまり深く考えませんでした。そういうものだと、当時はそういう世の中でした。女性の人権向上という話はありましたが、自分は主婦でいい、夫の扶養家族でいいという女性もおられました。そんな時代でした。
これまでに、総理大臣候補となった女性国会議員について書いてあります。
毀誉褒貶(きよほうへん):ほめたり、けなしたり。世間の評判。賛否両論
まずは、衆議院選挙で当選することに専念しなければならない。
選挙にはお金がかかる。
ハラスメントが多い。セクハラ、マタハラ(マタニティ・ハラスメント。妊娠、出産、育児を理由に不利益を与える。働く女性に嫌がらせをする。仕事を辞めさせる)
パリテ:同等、同一、同量。議員数について、男女ともに50%にする。
『第五章 壁を壊すには』
コロナ禍のことが書いてあります。
会社で出世するなら、転勤が必要。単身赴任とか。
テレワークが進んでも、出世したかったら転勤は必須事項
女性で活躍するなら、専門職に就く。一般職での会社勤めは長続きしない。
仕事と家庭の両立には男性の協力が必要
女性の賃金が低い。
非正規雇用労働者の数が多い。
クオーター制:クオーターは、4分の1。男女の割合が一定の数値になるようにする。(ちょっとピンときません)
女性がお金を稼げる社会にする。
現在は、女性が働いても、儲からない仕組みになっている。
飲食業や宿泊業に従事する女性が多い。雇用の調整弁になっている。忙しい時は数を増やし、ヒマな時(コロナ禍)は、数を減らす。
『男は仕事、女は家庭』ではなく、『男も女も、仕事と家庭』、あるいは、『男は家庭、女は仕事』もありなのでしょう。
『おわりに』
一般家庭で、だんなさんがリモート勤務により、家で仕事をすると、家にいる妻との関係が悪化するというようなことが書いてあります。ごもっともです。
この本は、2022年(令和4年)の発行となっています。
2025年02月14日
倍賞千恵子の現場 出会った素敵な人たち
倍賞千恵子の現場 『男はつらいよ』『幸福の黄色いハンカチ』『駅STATION(ステーション)』出会った素敵な人たち 倍賞千恵子 PHP新書
倍賞千恵子:女優。1941年生まれ(昭和16年。現在83歳)。1960年(昭和35年)松竹音楽舞踏学校卒業。松竹歌劇団入団。翌年、松竹映画でデビュー。62年『下町の太陽』でレコード大賞新人賞。その後、映画『男はつらいよ』シリーズで、さくら役を務める。
2017年(平成29年)に出版された本です。
この世代ですから、戦争中の話が出ます。(第二次世界大戦)
茨城県に疎開されていたそうです。
戦後の浅草でがんばった話も出ます。
浅草は、芸能文化の中心地だった。浅草で芸能人として育った。
そんなことが書いてある、『はじめに』から始まりました。
映画、『下町の太陽』に出演したとき、倍賞さんは22歳、映画監督の山田洋次さんは32歳です。長い時が流れました。
自分も同じ時代を生きてきたので、思い出は多い。
映画、『駅STATION』で歌われていた、『舟歌(ふなうた)』の歌手、八代亜紀さんもお亡くなりになりました。昔、三重県にある長島温泉でご本人のステージを観たことがあります。それも遠い過去のことになってしまいました。
八代亜紀:歌手。2023年(令和5年)73歳没
阿久悠(あく・ゆう):作詞家。舟歌を作詞した。2007年(平成19年)70歳没
『第一章 寅さんと渥美さんと私』
わたしは、『男はつらいよ』シリーズは全部観ました。リアルタイムで、その時代に映画館で観た作品もありますし、その後、DVDで観た作品もあります。
スクリーンの中で、家族が、わっちゃかやるのですが、スクリーンの中の世界と現実の世界が一致していました。映画を観終えて、映画館を出て、家に帰れば、寅さんのご実家と同じような自分の家や家庭がありました。
昭和40年代は、(1965年代)まだ、人と人との距離がとても近い時代で、いなかの映画館だと、観客と映画館で働く人が知り合いでした。スマホはない時代ですから、映画を観ていると、映画館の人が観客に向かって、『〇〇く~ん、家から電話だよーー』と声をかけてきました。『は~い』と立ち上がって、電話に向かうお客さんがいました。また、映画館の座席は、今みたいに、指定席ではありませんでした。いろいろ世の中変わりました。
本を読みながら、渥美清さんは、演技の天才だったことがわかります。
黒柳徹子さんが渥美清さんと仲が良くて、たまに番組、『徹子の部屋』で亡くなった渥美清さんの話をされます。フーテンの寅さんは、演技であって、ご本人は寅さんの個性とは、まったく違う人だったと聞きました。渥美清さんは、俳優さんなのです。
男はつらいよの俳優陣のチームは、かなり人間関係の相性が良かったようです。各自の能力が高かったこともあるのでしょう。問題や課題があったようには思えません。みなさん楽しく仕事をされています。
アリア:オーケストラの伴奏で歌う抒情的な曲(じょじょうてきな曲:感情、心情がこもっている)
読みながら、自分たち家族が、葛飾柴又を訪れたときのことを思い出しました。
京成電車の柴又駅の駅舎とかホームとか、寅さんやさくらさんの銅像とか、柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん。お寺さんです。題経寺だいけいじ)のことも思い出します。
帝釈天の渡り廊下の欄干に(らんかんに)、まだ2歳ぐらいだったうちの男児の孫がしっかりつかまりながら、大きな声で、『まっかだなー まっかだなー つたーのはっぱが まっかだなー』と、童謡の『真っ赤な秋』をいっしょうけんめい歌っていました。渡り廊下を歩いてきたおじいさんたちのグループが、じょうずだねーーと優しく声をかけてくださった光景を今も覚えています。幸せなひと時でした。まるで寅さん映画の中のシーンのようでした。
渥美清さんの演技のふくらませかたがうまい。台本に書いてあることはシンプルです。渥美さんでないとやれないキャラクターが、車寅次郎(くるま・とらじろう)です。
倍賞千恵子さんのお父さんも、ふだんは優しいのに、お酒を飲み過ぎると、ちゃぶ台をひっくりかえすタイプだったそうです。ストレスをアルコールで発散するタイプです。アニメ、『巨人の星』の星一徹(ほし・いってつ)もそのタイプでした。さらに、わたしの父親も同類でした。アルコールが入っていないときは、ちゃんとした人間なのに、アルコールが入ると暴れん坊になるのです。わたしも母も苦労しました。そんなふうだったから、父は体を壊して病気になって、とうの昔に亡くなりました。昭和の時代は、そんなタイプの男が、世間にたくさんいました。
渥美清さんも、高倉健さんも、『贅肉(ぜいにく)のない芝居』をされていたそうです。
すっと立っている。ムダな動きはしない。
隙(すき)がないのに隙があるように見せる。美しい。
渥美清さんには、取り巻きの人がいなかった。
財布やカバンは持ち歩かなかった。
ポケットにお札が裸で入っていたようです。
1万円札を東京代官山駅の売店の人に預けておいて、そこから引いてもらって物を買って、足りなくなったらまた1万円札を預けるという物の買い方をしていたそうです。電車に乗る時は、1万円を預けたお店の人から、切符を買うための小銭をもらっていたそうです。なお、代官山のマンションを本宅とは別に仕事場として借りていたそうです。きっと、マンションで、演技の練習をしていたのでしょう。
渥美清さんのお母さんが認知症になってしまって、渥美さんのことがだれなのかわからなくなってしまった話が書いてあります。『(あなたは)どちら様ですか?』の世界です。
渥美さんは心優しき人です。障害者に優しい。不安をかかえている俳優さんに優しい。よほど苦労されたのでしょう。苦労された人は、優しい人が多い。
倍賞千恵子さんが、乳がんで入院された病室が、偶然、渥美清さんが、肝臓がんから肺に転移したときに入院していた病室と同じだったそうです。人の縁があります。
『男はつらいよ』の第一作のとき、渥美清さんが41歳、倍賞千恵子さんが26歳です。
渥美清さんは68歳でお亡くなりになりました。1996年(平成8年)8月4日でした。
『第二章 本番、よーいスタート!』
映画監督の山田洋次さんのことが書いてあります。映画の撮影時は厳しい人です。1931年(昭和6年)生まれ、現在は93歳になられました。
本に書いてあることはかなり古い。昭和30年代のお話です。(1955年代)
昔は見合い結婚が多かった。愛情よりも、経済的に食べて行けるかどうかが結婚相手を選ぶための『ものさし(基準)』でした。(『男はつらいよ』の第一作で、さくらさんは、社長の息子との見合い相手を断って、印刷工場の工員である博さんとの結婚を選びます。お金よりも愛情を優先した当時では珍しい選択でした)
読んでいると、思い出多い人生が、いい人生だと思えてきます。
佐藤蛾次郎(さとう・がじろう)さんは、倍賞さんの料理の先生だったそうです。意外です。
『男はつらいよ』シリーズは、思いやりとか、優しさがいっぱい詰まった映画でした。
『北海道、そして健さん』
健さんは、高倉健さんです:2014年(平成26年)83歳没。福岡県中間市(なかまし)出身
わたしは親族といっしょに映画館で、『幸福の黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)』を観ました。1977年(昭和52年)秋の公開でした。名古屋市の矢場町というところに、たしか、ヘラルドというような名称の映画館がありました。今はもうありません。
劇中、福岡県出身の高倉健さんが武田鉄矢さんを叱りながら、出身地は福岡のどこだという話になります。武田鉄矢さんは、『博多』と答え、高倉健さんは、『飯塚(いいづか)』と答えます。飯塚市は、観ている自分たちにとって身近な市だったので、たいそうびっくりした覚えがあります。飯塚は、映画での設定ですが、福岡県は、たくさんの有名人が出ている県です。
『幸福の黄色いハンカチ』では、炭坑長屋住宅の前に立てた、『鯉のぼりの竿(高倉健さんが生まれてくるこどものために立てました。でも、妻役の倍賞さんは、流産してしまいました)』に、倍賞さんが、自分(健さん)がしたことを許して迎え入れてくれるのなら、黄色いハンカチをぶらさげておいてくれ。もしそれが下がっていなかったら、俺はそのまま引き返して、二度と夕張には現れないからと手紙を出したのです。
結果、鯉のぼりの竿には、2本のヒモが山型につながれていて、そのヒモには、たくさんの黄色いハンカチが吊るされていたのです。(つるされていたのです。美術部さんが、1枚1枚ミシンで縫ってくれたそうです)。いたわりあう夫婦の基本を描いた名作映画でした。
本には、ふたりが出会ったスーパーでのレジ打ちをする倍賞さんの演技について書いてあります。倍賞さんはレジ打ちの練習を繰り返し何度もされています。レジ打ちをしながら自然にセリフを言うのはとてもむずかしかったそうです。
考えてみれば、今では、レジは、セルフレジにまで進化しました。レジでの男女の出会いは望めそうもありません。バーコードで価格読取りのピッピッという音がするだけです。
先日テレビで見た出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?では、宮崎県青島に黄色いポストがあって、この映画を観た宮崎市役所の職員さんの提案で、黄色いポストができたそうです。幸せのラブレターを交換するためのポストというのが趣旨だそうです。
倍賞千恵子さんが、東日本大震災の被災地である岩手県山田町の小学校を訪れたときのことが書いてあります。校庭にある校旗掲揚のポールに黄色いハンカチがずらりと並んでいたそうです。
昨年、岩手県山田町がらみの本を一冊読みました。
『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』
小学校の学校新聞のお話でした。震災を経ての地域の歴史が書いてありました。
2023年(令和5年):出版記念号外、『海よ光れ』発行。23歳、24歳になった昔の小学校新聞製作メンバーが、号外を発行しました。みなさん故郷や社会に貢献されています。町役場職員、警察官、看護師、漁師、町の商店経営、航空自衛官、みなさん、しっかり地に足を付けて生活されています。学校新聞、『海よ光れ』をつくった体験が、その後の人生に生かされていると、本を読み終えて考えました。
作品、『駅STAION』では、烏丸せつこさん(からすませつこさん)と根津甚八さん(ねずじんぱちさん)の演技が忘れられません。連続殺人鬼の兄と食堂で働く妹さんでした。心にじんとくる人間模様がありました。根津甚八さんも亡くなってしまいました。さびしい限りです。2016年(平成28年)69歳没でした。
降旗康雄(こうはた・やすお):映画監督。2019年(令和元年)84歳没
木村大作:降旗作品の撮影カメラマン。1939年(昭和14年)生まれの85歳
三枝成彰(さえぐさ・しげあき):作曲家。1942年(昭和17年)生まれの82歳
『第四章 普通を演じる』
『家族(1970年。昭和45年の作品)』という映画についての文章を読んでいると、昨年末に放映されていたドラマ、『海に眠るダイヤモンド』を思い浮かべます。舞台は長崎県の島で炭坑の話がからんでいます。(この映画に出てくる島は、『海に眠るダイヤモンド』で紹介された軍艦島ではありません。なんというか、現代の人が見ると、島にある炭坑というのは、唯一(ゆいいつ)という感じなのでしょうが、昔は、いたるところに炭鉱がありました。ほかの島にも炭鉱はありました)
もう一本、『故郷(こきょう。1972年。昭和47年の作品)』という映画についての文章を読んでいると、一冊の写真集を思い浮かべます。映画の舞台は瀬戸内海を夫婦が石船で砕石運びをする場所です。船を操縦するのは奥さんの仕事です。石船:石材を運ぶ小型木造船
思い浮かべる本は、『はたらくことは生きること 昭和三十年前後の高知 石田榮写真集 羽鳥書店』です。白黒写真の写真集で、高知県内、石灰石の石を船で運びます。
得たものを捨てないと次の仕事ができないという倍賞千恵子さんの意識について書いてあります。
賞を受賞したら、そのときは喜んで、なるべく早く受賞したことを忘れる。トロフィーや賞状は、一定期間が過ぎたら処分するそうです。
俳優として演技をする仕事についての心構えが書いてあります。
ちゃんと生活していくのです。ちゃんと生きる。
たくさんの人たちに見られているという意識をもつ。
まじめにきちんとした生活を送る。
演技中は、演技をしている自分を見ているもうひとりの自分を設定して、もうひとりの目線で、自分の演技を分析・評価していく。
『男はつらいよ』のさくら役では、結婚、出産、子育て、息子に彼女ができて、息子が就職してという経過の中で、老いていく母親の役を仕上げる。
自分は、お嬢さん女優ではない。生まれ育ちは、にぎやかな下町の長屋だった。庶民派女優、下町の女優という立ち位置でこれまでやってきた。
滝沢修:俳優、演出家。2000年(平成12年)93歳没
『お笑い』のことについて書いてあります。演じる人たちは、まじめで、集中力があったそうです。渥美清さん、ザ・ドリフターズ、志村けんさん、みなさんお笑いに対して、真剣な態度で取り組まれていたそうです。情熱とひたむきな努力があります
笠智衆さんのお人柄について書いてあります。
笠智衆(りゅうち・しゅう):俳優。1993年(平成5年)88歳没
いつも竹のようにまっすぐ立って、風が吹けば風にまかせて、しなやかにゆれるようなお人だったそうです。そして、とてもまじめな方です。
役者にとって、必要なものは、『観察力』だそうです。
そして、プロの世界はとても厳しい。
ずばぬけた才能と努力、運と人間関係が必要と読み取れます。
今年読んで良かった一冊になりました。
『第5章 人生というステージ』
自分の仕事は、女優と歌手だそうです。
戦時中、茨城県で疎開していたときの神社で座布団(ざぶとん)をあかちゃんに見立てて、『赤城の子守歌(あかぎのこもりうた)』を歌ったそうです。まだ、3歳か4歳ぐらいのころでしょう。
やはり才能に恵まれていたのでしょう。その後、いろいろな選考で合格されて、とんとんびょうしに芸能人の仲間入りをされています。
わたしは、仕事は、才能と努力と人間関係だと思っています。これしかできないからこの仕事をしているということはあります。ほかの人から見たらとてもやれないことでも、本人にとっては簡単にできてしまうのです。でも、だからといって、その人が、事務職や営業職ができるわけではないのです。人それぞれ、自分の得意分野で仕事を選べば、仕事が長続きします。
わたしがこどものころに聴いた、『希望 藤田敏雄作詞 いずみたく作曲 岸洋子歌』という曲は、もともとは、倍賞千恵子さんのためにつくられた曲だそうですが、倍賞さんがまだ若く、歌いこなすことができない曲だったそうです。いい歌でした。『希望という名のあなたを訪ねて……』という歌です。
倍賞千恵子さんは、1975年(昭和50年)に、東宝ミュージカル、『屋根の上のバイオリン弾き』で、テヴィエ(森繁久彌さん)の次女ボーデル役で出演した。(たまたまなのですが、今年4月に名古屋市栄にある芸術劇場で、市村正親さん(いちむらまさちかさん)で、同劇の公演があるので、チケットの先行抽選申し込みをしませんかとお誘いがあったので申し込んであります。当たるといいなあ)(その後:抽選に当選しました。観劇が楽しみです)
愚兄賢妹(ぐけいけんまい):『男はつらいよ』の仮タイトルだったタイトルだそうです。ふ~ん。では、『男はつらいよ』のタイトルの由来はどこから出てきたのだろう。(当時のテレビプロデューサーの発想だそうです)
ステージで、ゾーン体験がある。(もう一人の自分がいる)
そういえば、こないだの太川陽介さんの路線バス乗り継ぎ旅で、ゲストで出た女子サッカー選手だった澤穂希さん(さわ・ほまれさん)が、サッカーの試合中に自分の意識が、ゾーンに入ることがあると表現されていました。選手たちの動作がスローモーションに見えて、神業(かみわざ)が生まれるというようなことをお話しされていました。
1993年(平成5年)作曲家の小六禮次郎氏(ころく・れいじろう氏)と結婚。倍賞千恵子さんが、52歳ぐらいのときです。
倍賞さんは、2001年(平成13年)に乳がんの手術をされておられます。60歳のときです。
倍賞千恵子さんは、癌の家系の方に見えます。母(肺がん。1988年(昭和63年)没、父(喉頭がん。1995年(平成7年)没
236ページからは、『生と死』のお話です。
余生を楽しく過ごすために、日々をちゃんと生きる。そう自分に言い聞かせておられるそうです。
その部分を読んで、わたしもちゃんとしなきゃと再認識したのでした。
今年読んで良かった一冊になりました。倍賞さんありがとう。
倍賞千恵子:女優。1941年生まれ(昭和16年。現在83歳)。1960年(昭和35年)松竹音楽舞踏学校卒業。松竹歌劇団入団。翌年、松竹映画でデビュー。62年『下町の太陽』でレコード大賞新人賞。その後、映画『男はつらいよ』シリーズで、さくら役を務める。
2017年(平成29年)に出版された本です。
この世代ですから、戦争中の話が出ます。(第二次世界大戦)
茨城県に疎開されていたそうです。
戦後の浅草でがんばった話も出ます。
浅草は、芸能文化の中心地だった。浅草で芸能人として育った。
そんなことが書いてある、『はじめに』から始まりました。
映画、『下町の太陽』に出演したとき、倍賞さんは22歳、映画監督の山田洋次さんは32歳です。長い時が流れました。
自分も同じ時代を生きてきたので、思い出は多い。
映画、『駅STATION』で歌われていた、『舟歌(ふなうた)』の歌手、八代亜紀さんもお亡くなりになりました。昔、三重県にある長島温泉でご本人のステージを観たことがあります。それも遠い過去のことになってしまいました。
八代亜紀:歌手。2023年(令和5年)73歳没
阿久悠(あく・ゆう):作詞家。舟歌を作詞した。2007年(平成19年)70歳没
『第一章 寅さんと渥美さんと私』
わたしは、『男はつらいよ』シリーズは全部観ました。リアルタイムで、その時代に映画館で観た作品もありますし、その後、DVDで観た作品もあります。
スクリーンの中で、家族が、わっちゃかやるのですが、スクリーンの中の世界と現実の世界が一致していました。映画を観終えて、映画館を出て、家に帰れば、寅さんのご実家と同じような自分の家や家庭がありました。
昭和40年代は、(1965年代)まだ、人と人との距離がとても近い時代で、いなかの映画館だと、観客と映画館で働く人が知り合いでした。スマホはない時代ですから、映画を観ていると、映画館の人が観客に向かって、『〇〇く~ん、家から電話だよーー』と声をかけてきました。『は~い』と立ち上がって、電話に向かうお客さんがいました。また、映画館の座席は、今みたいに、指定席ではありませんでした。いろいろ世の中変わりました。
本を読みながら、渥美清さんは、演技の天才だったことがわかります。
黒柳徹子さんが渥美清さんと仲が良くて、たまに番組、『徹子の部屋』で亡くなった渥美清さんの話をされます。フーテンの寅さんは、演技であって、ご本人は寅さんの個性とは、まったく違う人だったと聞きました。渥美清さんは、俳優さんなのです。
男はつらいよの俳優陣のチームは、かなり人間関係の相性が良かったようです。各自の能力が高かったこともあるのでしょう。問題や課題があったようには思えません。みなさん楽しく仕事をされています。
アリア:オーケストラの伴奏で歌う抒情的な曲(じょじょうてきな曲:感情、心情がこもっている)
読みながら、自分たち家族が、葛飾柴又を訪れたときのことを思い出しました。
京成電車の柴又駅の駅舎とかホームとか、寅さんやさくらさんの銅像とか、柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん。お寺さんです。題経寺だいけいじ)のことも思い出します。
帝釈天の渡り廊下の欄干に(らんかんに)、まだ2歳ぐらいだったうちの男児の孫がしっかりつかまりながら、大きな声で、『まっかだなー まっかだなー つたーのはっぱが まっかだなー』と、童謡の『真っ赤な秋』をいっしょうけんめい歌っていました。渡り廊下を歩いてきたおじいさんたちのグループが、じょうずだねーーと優しく声をかけてくださった光景を今も覚えています。幸せなひと時でした。まるで寅さん映画の中のシーンのようでした。
渥美清さんの演技のふくらませかたがうまい。台本に書いてあることはシンプルです。渥美さんでないとやれないキャラクターが、車寅次郎(くるま・とらじろう)です。
倍賞千恵子さんのお父さんも、ふだんは優しいのに、お酒を飲み過ぎると、ちゃぶ台をひっくりかえすタイプだったそうです。ストレスをアルコールで発散するタイプです。アニメ、『巨人の星』の星一徹(ほし・いってつ)もそのタイプでした。さらに、わたしの父親も同類でした。アルコールが入っていないときは、ちゃんとした人間なのに、アルコールが入ると暴れん坊になるのです。わたしも母も苦労しました。そんなふうだったから、父は体を壊して病気になって、とうの昔に亡くなりました。昭和の時代は、そんなタイプの男が、世間にたくさんいました。
渥美清さんも、高倉健さんも、『贅肉(ぜいにく)のない芝居』をされていたそうです。
すっと立っている。ムダな動きはしない。
隙(すき)がないのに隙があるように見せる。美しい。
渥美清さんには、取り巻きの人がいなかった。
財布やカバンは持ち歩かなかった。
ポケットにお札が裸で入っていたようです。
1万円札を東京代官山駅の売店の人に預けておいて、そこから引いてもらって物を買って、足りなくなったらまた1万円札を預けるという物の買い方をしていたそうです。電車に乗る時は、1万円を預けたお店の人から、切符を買うための小銭をもらっていたそうです。なお、代官山のマンションを本宅とは別に仕事場として借りていたそうです。きっと、マンションで、演技の練習をしていたのでしょう。
渥美清さんのお母さんが認知症になってしまって、渥美さんのことがだれなのかわからなくなってしまった話が書いてあります。『(あなたは)どちら様ですか?』の世界です。
渥美さんは心優しき人です。障害者に優しい。不安をかかえている俳優さんに優しい。よほど苦労されたのでしょう。苦労された人は、優しい人が多い。
倍賞千恵子さんが、乳がんで入院された病室が、偶然、渥美清さんが、肝臓がんから肺に転移したときに入院していた病室と同じだったそうです。人の縁があります。
『男はつらいよ』の第一作のとき、渥美清さんが41歳、倍賞千恵子さんが26歳です。
渥美清さんは68歳でお亡くなりになりました。1996年(平成8年)8月4日でした。
『第二章 本番、よーいスタート!』
映画監督の山田洋次さんのことが書いてあります。映画の撮影時は厳しい人です。1931年(昭和6年)生まれ、現在は93歳になられました。
本に書いてあることはかなり古い。昭和30年代のお話です。(1955年代)
昔は見合い結婚が多かった。愛情よりも、経済的に食べて行けるかどうかが結婚相手を選ぶための『ものさし(基準)』でした。(『男はつらいよ』の第一作で、さくらさんは、社長の息子との見合い相手を断って、印刷工場の工員である博さんとの結婚を選びます。お金よりも愛情を優先した当時では珍しい選択でした)
読んでいると、思い出多い人生が、いい人生だと思えてきます。
佐藤蛾次郎(さとう・がじろう)さんは、倍賞さんの料理の先生だったそうです。意外です。
『男はつらいよ』シリーズは、思いやりとか、優しさがいっぱい詰まった映画でした。
『北海道、そして健さん』
健さんは、高倉健さんです:2014年(平成26年)83歳没。福岡県中間市(なかまし)出身
わたしは親族といっしょに映画館で、『幸福の黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)』を観ました。1977年(昭和52年)秋の公開でした。名古屋市の矢場町というところに、たしか、ヘラルドというような名称の映画館がありました。今はもうありません。
劇中、福岡県出身の高倉健さんが武田鉄矢さんを叱りながら、出身地は福岡のどこだという話になります。武田鉄矢さんは、『博多』と答え、高倉健さんは、『飯塚(いいづか)』と答えます。飯塚市は、観ている自分たちにとって身近な市だったので、たいそうびっくりした覚えがあります。飯塚は、映画での設定ですが、福岡県は、たくさんの有名人が出ている県です。
『幸福の黄色いハンカチ』では、炭坑長屋住宅の前に立てた、『鯉のぼりの竿(高倉健さんが生まれてくるこどものために立てました。でも、妻役の倍賞さんは、流産してしまいました)』に、倍賞さんが、自分(健さん)がしたことを許して迎え入れてくれるのなら、黄色いハンカチをぶらさげておいてくれ。もしそれが下がっていなかったら、俺はそのまま引き返して、二度と夕張には現れないからと手紙を出したのです。
結果、鯉のぼりの竿には、2本のヒモが山型につながれていて、そのヒモには、たくさんの黄色いハンカチが吊るされていたのです。(つるされていたのです。美術部さんが、1枚1枚ミシンで縫ってくれたそうです)。いたわりあう夫婦の基本を描いた名作映画でした。
本には、ふたりが出会ったスーパーでのレジ打ちをする倍賞さんの演技について書いてあります。倍賞さんはレジ打ちの練習を繰り返し何度もされています。レジ打ちをしながら自然にセリフを言うのはとてもむずかしかったそうです。
考えてみれば、今では、レジは、セルフレジにまで進化しました。レジでの男女の出会いは望めそうもありません。バーコードで価格読取りのピッピッという音がするだけです。
先日テレビで見た出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?では、宮崎県青島に黄色いポストがあって、この映画を観た宮崎市役所の職員さんの提案で、黄色いポストができたそうです。幸せのラブレターを交換するためのポストというのが趣旨だそうです。
倍賞千恵子さんが、東日本大震災の被災地である岩手県山田町の小学校を訪れたときのことが書いてあります。校庭にある校旗掲揚のポールに黄色いハンカチがずらりと並んでいたそうです。
昨年、岩手県山田町がらみの本を一冊読みました。
『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』
小学校の学校新聞のお話でした。震災を経ての地域の歴史が書いてありました。
2023年(令和5年):出版記念号外、『海よ光れ』発行。23歳、24歳になった昔の小学校新聞製作メンバーが、号外を発行しました。みなさん故郷や社会に貢献されています。町役場職員、警察官、看護師、漁師、町の商店経営、航空自衛官、みなさん、しっかり地に足を付けて生活されています。学校新聞、『海よ光れ』をつくった体験が、その後の人生に生かされていると、本を読み終えて考えました。
作品、『駅STAION』では、烏丸せつこさん(からすませつこさん)と根津甚八さん(ねずじんぱちさん)の演技が忘れられません。連続殺人鬼の兄と食堂で働く妹さんでした。心にじんとくる人間模様がありました。根津甚八さんも亡くなってしまいました。さびしい限りです。2016年(平成28年)69歳没でした。
降旗康雄(こうはた・やすお):映画監督。2019年(令和元年)84歳没
木村大作:降旗作品の撮影カメラマン。1939年(昭和14年)生まれの85歳
三枝成彰(さえぐさ・しげあき):作曲家。1942年(昭和17年)生まれの82歳
『第四章 普通を演じる』
『家族(1970年。昭和45年の作品)』という映画についての文章を読んでいると、昨年末に放映されていたドラマ、『海に眠るダイヤモンド』を思い浮かべます。舞台は長崎県の島で炭坑の話がからんでいます。(この映画に出てくる島は、『海に眠るダイヤモンド』で紹介された軍艦島ではありません。なんというか、現代の人が見ると、島にある炭坑というのは、唯一(ゆいいつ)という感じなのでしょうが、昔は、いたるところに炭鉱がありました。ほかの島にも炭鉱はありました)
もう一本、『故郷(こきょう。1972年。昭和47年の作品)』という映画についての文章を読んでいると、一冊の写真集を思い浮かべます。映画の舞台は瀬戸内海を夫婦が石船で砕石運びをする場所です。船を操縦するのは奥さんの仕事です。石船:石材を運ぶ小型木造船
思い浮かべる本は、『はたらくことは生きること 昭和三十年前後の高知 石田榮写真集 羽鳥書店』です。白黒写真の写真集で、高知県内、石灰石の石を船で運びます。
得たものを捨てないと次の仕事ができないという倍賞千恵子さんの意識について書いてあります。
賞を受賞したら、そのときは喜んで、なるべく早く受賞したことを忘れる。トロフィーや賞状は、一定期間が過ぎたら処分するそうです。
俳優として演技をする仕事についての心構えが書いてあります。
ちゃんと生活していくのです。ちゃんと生きる。
たくさんの人たちに見られているという意識をもつ。
まじめにきちんとした生活を送る。
演技中は、演技をしている自分を見ているもうひとりの自分を設定して、もうひとりの目線で、自分の演技を分析・評価していく。
『男はつらいよ』のさくら役では、結婚、出産、子育て、息子に彼女ができて、息子が就職してという経過の中で、老いていく母親の役を仕上げる。
自分は、お嬢さん女優ではない。生まれ育ちは、にぎやかな下町の長屋だった。庶民派女優、下町の女優という立ち位置でこれまでやってきた。
滝沢修:俳優、演出家。2000年(平成12年)93歳没
『お笑い』のことについて書いてあります。演じる人たちは、まじめで、集中力があったそうです。渥美清さん、ザ・ドリフターズ、志村けんさん、みなさんお笑いに対して、真剣な態度で取り組まれていたそうです。情熱とひたむきな努力があります
笠智衆さんのお人柄について書いてあります。
笠智衆(りゅうち・しゅう):俳優。1993年(平成5年)88歳没
いつも竹のようにまっすぐ立って、風が吹けば風にまかせて、しなやかにゆれるようなお人だったそうです。そして、とてもまじめな方です。
役者にとって、必要なものは、『観察力』だそうです。
そして、プロの世界はとても厳しい。
ずばぬけた才能と努力、運と人間関係が必要と読み取れます。
今年読んで良かった一冊になりました。
『第5章 人生というステージ』
自分の仕事は、女優と歌手だそうです。
戦時中、茨城県で疎開していたときの神社で座布団(ざぶとん)をあかちゃんに見立てて、『赤城の子守歌(あかぎのこもりうた)』を歌ったそうです。まだ、3歳か4歳ぐらいのころでしょう。
やはり才能に恵まれていたのでしょう。その後、いろいろな選考で合格されて、とんとんびょうしに芸能人の仲間入りをされています。
わたしは、仕事は、才能と努力と人間関係だと思っています。これしかできないからこの仕事をしているということはあります。ほかの人から見たらとてもやれないことでも、本人にとっては簡単にできてしまうのです。でも、だからといって、その人が、事務職や営業職ができるわけではないのです。人それぞれ、自分の得意分野で仕事を選べば、仕事が長続きします。
わたしがこどものころに聴いた、『希望 藤田敏雄作詞 いずみたく作曲 岸洋子歌』という曲は、もともとは、倍賞千恵子さんのためにつくられた曲だそうですが、倍賞さんがまだ若く、歌いこなすことができない曲だったそうです。いい歌でした。『希望という名のあなたを訪ねて……』という歌です。
倍賞千恵子さんは、1975年(昭和50年)に、東宝ミュージカル、『屋根の上のバイオリン弾き』で、テヴィエ(森繁久彌さん)の次女ボーデル役で出演した。(たまたまなのですが、今年4月に名古屋市栄にある芸術劇場で、市村正親さん(いちむらまさちかさん)で、同劇の公演があるので、チケットの先行抽選申し込みをしませんかとお誘いがあったので申し込んであります。当たるといいなあ)(その後:抽選に当選しました。観劇が楽しみです)
愚兄賢妹(ぐけいけんまい):『男はつらいよ』の仮タイトルだったタイトルだそうです。ふ~ん。では、『男はつらいよ』のタイトルの由来はどこから出てきたのだろう。(当時のテレビプロデューサーの発想だそうです)
ステージで、ゾーン体験がある。(もう一人の自分がいる)
そういえば、こないだの太川陽介さんの路線バス乗り継ぎ旅で、ゲストで出た女子サッカー選手だった澤穂希さん(さわ・ほまれさん)が、サッカーの試合中に自分の意識が、ゾーンに入ることがあると表現されていました。選手たちの動作がスローモーションに見えて、神業(かみわざ)が生まれるというようなことをお話しされていました。
1993年(平成5年)作曲家の小六禮次郎氏(ころく・れいじろう氏)と結婚。倍賞千恵子さんが、52歳ぐらいのときです。
倍賞さんは、2001年(平成13年)に乳がんの手術をされておられます。60歳のときです。
倍賞千恵子さんは、癌の家系の方に見えます。母(肺がん。1988年(昭和63年)没、父(喉頭がん。1995年(平成7年)没
236ページからは、『生と死』のお話です。
余生を楽しく過ごすために、日々をちゃんと生きる。そう自分に言い聞かせておられるそうです。
その部分を読んで、わたしもちゃんとしなきゃと再認識したのでした。
今年読んで良かった一冊になりました。倍賞さんありがとう。