2023年06月09日
マチズモを削り取れ 武田砂鉄
マチズモを削り取れ 武田砂鉄 集英社
以前同作者の『偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄(たけだ・さてつ) 文藝春秋』を読みました。
痛快なエッセイ集でした。
2020年の東京オリンピックについてのエッセイには、いろいろ考えさせられました。
結果論ですが、コロナ禍によって、無観客での開催ならば、わざわざ国立競技場を新しいものに建て替える必要もありませんでした。競技場の建て替えにともなって、周辺地域にあった古い文化的な建物も取り壊されたようです。
すったもんだがいろいろあった無理やり開催のオリンピック開催でした。マラソンについては、猛暑対策で、札幌での開催に変更されました。
大会は終わりましたが、その後、汚職が明らかになりました。贈収賄(ぞうしゅうわい)です。結局のところ、選手たちを広告塔にして、組織の上層部にいた人間たちが私腹を肥やしたのです。
ばれて損をしたのは当事者ですが。(地位や職権を利用して、利益を自分のポケットに入れる行為があった)一部の企業の信用は地に落ちました。
さて、こちらの本にある『マチズモ』の意味は、読み始める今、わたしにはわかりません。
マージャン用語しか、思い浮かびません。あがりハイを待つのが『マチ』で、並べてある山からハイをもってくることが『ツモ』です。(でもよく見ると「ツモ」ではなく「ズモ」でした)
本の帯を見ると『マチズモ=男性優位主義』と書いてあります。調べたらスペイン語だそうです。マッチョ=男らしいです。男らしい男。筋肉質で好戦的なイメージがあります。男性優位主義です。女性ではだめなのです。
そうか、「男尊女卑反対」ということが、この本のメッセージだなと理解しました。
以前読んだ本が『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ、小山内園子 訳 タバブックス』と『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』でした。どちらも男性優先社会の構造に女性が強く反対する内容でした。
日本も男性社会です。
ただ、歳をとってみてわかったことがあります。
人間は年寄りになると、性別が不明朗になるのです。
全員が男性のようでもあるし、全員が女性のようでもあります。中性的になるのです。もう性別はどちらでもいいのです。おじいさんのようなおばあさんもいますし、おばあさんのようなおじいさんもいます。
病院の待合室のベンチで自分が呼ばれるのを座って待っていて、お隣に座っていた人が名前を呼ばれて立ち上がった時に、それまで、その人をおじいさんだと思っていたら、おばあさんだったので、びっくりしたということが、最近ありました。
長い間生きてきて、体のあちこちが壊れていきます。もう元には戻りません。
脳みその働きも衰えてきています。
だれしも入院して、あっちを切ったり、何かを突っ込まれたり、体をひっくりかえされたり、人に見られたくない姿をさらけだしたり、そのうち羞恥心(しゅうちしん。はずかしいと思う気持ち)はなくなります。
手術となれば、まな板の上の鯉(こい)という状態で、どうにでもしてくれです。好いた(すいた)、惚れた(ほれた)の色気もなにもありません。ヨロヨロのヨボヨボで、しわくちゃです。
老いてみて、気が付くのです。性別にこだわることは無意味なことだと。男でも女でもどちらでもいいじゃないかと。
では読み始めます。
石垣島でのお土産屋(おみやげや)の話です。
シーサーのことが、男女のことにからめて、説明が、男のほうが優位に書いてあると指摘があります。
「お母さんは福を呼ぶ」:お母さんの手元には「福」がない。
「お父さんは福を逃さない(にがさない)」:お父さんの手元には「福」がすでにある。
男女平等じゃない。不公平じゃないかという理屈です。(なるほど)
男女雇用機会均等法:わたしが二十代のときの仕事場の宴会で、上司がそういう法律ができたから、これからは女性活躍の時代だとあいさつされたことを覚えています。
あれから四十年以上が経ちました。さて、世の中は女性活躍の社会になったのかと問われると「いいえ」としか言いようがありません。「多少は……」とは言えそうです。
Kさん:雑誌『すばる』の編集女性。男性優位主義について、いつも怒っているそうです。二十代だそうです。(この本を読み終える頃には、本の中で三十代になられました)
都会の夜道は、女性のひとり歩きは怖いというようなことが書いてあります。
それとは別に都会人の歩き方のおかしさについて書いてあります。(人ごみの中を縫うように歩く。女性は男をよけるように歩く)
おもしろい内容になりそうです。
(つづく)
駅で若い女性にぶつかりながら歩く若い男性のことが書いてあります。女性のおっぱいに自分のひじを瞬間的に当てるそうです。エロいにいさんですな。脳みその一部がいかれています。やられたほうは泣き寝入りですが、最近は、防犯カメラ類が整備されているので、男の行為が録画されていて、ネットで流されているそうです。姿が丸見えですな。そのうち個人が特定されますな。ばちが当たりますな。
『……温厚な人は、むしゃくしゃの管理がなんとか上手くいっているだけで……』(なるほど。うまく管理できないと奇妙な行動に出るのか)
女性の賃金は安い。(なるほど。「女は家で家事」という意識が今もありますな。夫とこどもに尽くせですな。夫の親の世話が加わる時もありますな。いい嫁を演じるのは、つらそうです)
逆じゃないかという日本社会の過去が紹介されています。
ベビーカーはじゃまだから、電車に乗る時は、母親は、まわりの人間に配慮しろみたいなことです。
日本はいじめ社会です。強い者は、弱い者をいじめて、憂さ晴らしをします。(うさばらし)
以前読んだ建築家さんが書いた本に、従事者を日本人だけにするといじめが始まるので、スタッフには必ず外国人を入れるようにしているというコメントがありました。
1970年代のことが書いてあります。
今思い出すと異常な時代でした。
弱肉強食の時代でした。
金もうけ第一主義です。
物事を決定する基準は『損か得か』です。
三密(密閉、密集、密接)の空間が多い大都会では、子育てがたいへんそうです。こどものことで、周囲に気を使うことばかりです。
譲らない男たちがいます。競争主義社会の中で育ってきたから、譲ってくれません。自分のことが最優先です。不公平には敏感です。
男は、トラブルが起これば、原因を女のせいにします。
(つづく)
第一章から第十二章まである本です。これから二章以下を読みます。
細かく書くと文章が長くなりそうなので、感想メモは、おおまかに書きます。それでも長くなりそうです。
大都市の満員電車、通勤や通学で女性が痴漢にあうことが書いてあります。
痴漢も盗撮も脳みその病気だと思います。治りません。変態です。(異常、病的)
なんだか、女性が気の毒になってきます。電車はおそろしい乗り物です。
田舎から夢をもって大都会に出て来て、毎日満員電車で痴漢行為にあう。まわりにいる人たちは知らん顔で助けてくれません。日本人の冷酷さがあります。なかには、にやにや笑っているだけの人もいるそうです。(その後、コロナ禍で、乗客数が減少して、環境がいい方向へと変わったのだろうか)
都会で暮らしてなにが幸せなのだろう。田舎には満員電車はありません。暮らしていくうえで快適な空間があるのは、いなかのほうです。
痴漢の加害者を責めると痴漢の加害者の親があやまりに来るそうです。案外、立派な親のこどもが痴漢の加害者だったりもします。親ごさんの苦労がしのばれます。何回も何回も謝りに行くことが続くのでしょう。こどもなんていないほうがいいと思うかもしれません。
男優遇の社会があります。女を叩いて(たたいて)、いじめて嬉しがる(うれしがる)社会です。そういえば、企業の幹部や有名な俳優がセクハラ、パワハラをしたニュースを何度か耳にしました。英雄は色を好む。しかたがない。ほかのことで成果を出しているからいいじゃないかと許容される男社会です。お金や人事の権力をもった男にさからうことはむずかしい。
女性は『自衛(じえい。自分で自分の身を守る)』するしかない。大都会暮らしでの、女性が快適に過ごせる空間は狭い。
男にしても女にしても、人の体にそれほどの違いはない。つくりは同じです。異性の体が素敵だと感じていたのは錯覚だったと歳をとるとわかります。この世は、誤解と錯覚でできあがっているのです。映画やドラマ、小説の中の男女関係は金もうけのために意図的に加工されて美化された世界です。にせものです。現実とはかけ離れています。
医大の受験で女性の受験者が合格点に達しているのに、女だからという理由で不合格にさせられたというニュースに関する記述があります。当然、著者は反発しています。ごもっともです。
不正で不祥事なのに、この出来事を擁護(ようご。いいじゃないか。しかたがないじゃないか)する男性たち、しかも地位の高い男たちがいます。自分が異常なことに気づけていません。ふんぞり返っています。
あたりまえのことをあたりまえにやれない社会があります。
『カネ(金)、カネ、カネ』の社会があります。
学歴差別があって、性別の差別があります。
男が楽をする社会。男だけがいい思いをする社会があります。
ただ、それでもかまわないという女性もいるようです。責任は男に負わせて、自分は責任の小さい立場で男のそばにいられれば得です。
まだ、自分が十代だったころ、どうして女子が、当時の職業の呼び方ですが『スチュワーデス』になりたいのか理解できませんでした。
喫茶店のウェイトレスの仕事を飛行機の機内でやるだけのことではないか。そう考えていました。
この本では、スチュワーデスの採用の話が出ています。ふくらはぎがきれいなこと。ほかにもありますが省略します。男目線の採用基準です。美人コンテストです。見た目が大事です。
ロボットのことが出ています。受付のロボットは、美しい女性型です。なぜそうなのか。男がつくったロボットです。男の受付ロボットは見かけません。
トイレのことが書いてあります。
国会内のトイレの一部には、男女共用トイレがあるそうです。(本会議場の横)男子トイレの半分を女性用にしてあるそうです。びっくりしました。そうか、女性議員が少ないからか。(演劇の劇場で、男子トイレの数が少ないことの反対なのでしょう)
あんなに立派な国会議事堂の中にあるトイレが男女公平につくられていない。おかしな話ではありますが、いくら女性議員が少ないからといって、男子トイレを女性議員に使わせるのは狂っています。おしっこをする音が聞こえてきそうです。
国会は男社会なのでしょう。
国会という『箱』の中で生活を送っている人たちです。
箱の中にいるうちは、箱の中の常識で生きていけるのでしょうが、箱を出たとたん袋叩きにあいそうです。議員だけでなく、そこで働く国家公務員も同じでしょう。
新幹線のトイレの話があります。
昔のこととして、たしかに、わたしがこどもだったときの在来線のトイレは、汚物が、線路上に落ちるしかけでした。
本の中では話がいろいろ広がります。おしっこのときに、洋式トイレを男性は座ってすべきだというご意見です。男が洋式トイレに立っておしっこをすると、便座におしっこが飛び散って汚いそうです。男女共用の便座です。わたしも同感です。
いつでもどこでも立っておしっこをしようとする男は傲慢だ(ごうまん:威張っている。わがまま)です。
トイレの歴史をふりかえてみると、今の若い人たちは恵まれていると思います。
むかしは、どっぽん便所で、男女無関係の共同トイレで、女子のおしっこの音は響き渡っていて、女性はたいへんだったと思います。(もしかしたら今もそういう職場は残っているのかもしれません)
著者は、目の付け所が(視点)がいい。発想がおもしろい。
裁判官の中には、変な判決を出す人がいるらしい。(強姦事件の加害者を無罪にした。女性の明確な拒否がなければ、同意があったと判断するらしい。(その後の第二審で、有罪になって確定しています))男尊女卑の思考をもつ裁判官がいる。
自分は賃貸物件の内覧という体験がありませんが、アパートを借りる時の内覧は襲われたり、襲ったりという危険があるそうです。男性の不動産あっせん会社の従業員が女性客を襲う。あるいは、案内をする同社の女性従業員が、男性客に襲われることもあるでしょう。もう犬猫ですな。嘆かわしい。厳罰を下さねば。(くださねば)
田舎から夢をもって大都会に出て来て、満員電車で痴漢にあい、アパート探しの内覧で襲われる。夢もふっとびそうです。
日本人男性は、エロ業界によってつくられた、誤った情報に洗脳されているらしい。錯覚です。架空の加工された世界が現実も同じだと勘違いしている。
読んでいるとさみしくなってくる内容です。女性として社会で生きていくことはつらい。
まあ、そんな悪い男ばかりではありません。いい人もたくさんいます。あまり口にする人はいませんが、ひとりの異性を一生愛し続けることができる人はいます。そして、たいていの人はそうなのです。
(つづく)
冠婚葬祭の儀式の話です。
結婚式について、いまどきの世間の人たちは、開催について否定的です。
しかたがありません。
昔のようにショーのような盛大な結婚式は減りました。
されど、最低限のことはやっておきたい。
人生の節目です。
結婚式をやらない理由は、お金の負担がまっさきにくるのですが、本当にそうなのだろうか。めんどうくさいが一番の理由ではなかろうか。うっとおしい親戚づきあいを避けたいということもあるのでしょうが、がっかりします。お葬式も含め冠婚葬祭に関して、あれもしない。これもしないでは、生きている意味があるのだろうかという疑問が生じます。
昔と違って、親族同士が助け合わなくても暮らしていける社会に変わりました。
なんでもかんでもめんどくさいからしないという風潮になってしまいました。
儀式というものは、なぜそうするのか。ここまで生きてくることができたことに感謝するからだと思います。むかしは、こどもが病気や事故で死ぬことが多かった。一日一日生きて、成長してということが喜びだった。
今まで積み重ねてきた長い歴史を否定して、これからの日本では、希薄な人間関係がさらにうすくなっていって、孤独な暮らしを送る人が増えていくのでしょう。
本のほうは、『花嫁』として扱われる女性の不都合について書いてあります。女性はこうあるべきだという決めつけに反発する内容になっています。
飲食をしながら雑談することで生れてくる心の交流はあります。
人生の節目で記念写真を残しておくころは『思い出づくり』になります。
人間の体はやがて動かなくなります。
自分が三十歳のころ、女性が書いた自費出版の本を読んだことがあります。フランスで過ごしたときのことが書いてありました。内容を読んで、お元気な方だなと思ったのですが、本の最後に『今は歳をとって病院に入院していて、どこにも行けない体になってしまいました』という文章にぶつかりました。そんなふうにして、人は活発な時期を経て、人生を終えていくのです。『思い出』が多い人生がいい人生です。トラブルがあったとしても、それもまたいい思い出です。
(つづく)
男性社会の中で、女性の社員が仲間はずれにされて、男性社員たちの会話の輪に女性社員が入れてもらえないという話です。
女性差別です。女性の能力を下に見ている男たちがいます。
『女性』は、そこにいても、いないものとして扱われるのです。
女性にとっては、けっこうつらいしきつい。
存在しない人間扱いです。男性が女性の扱いを知らない。男性が女性に対して気をつかわない構図があります。
株式投資の銘柄探しと旅情報の取得のために、自分は定額無制限読書システムでたくさんの電子書籍の流し読みをしているのですが、週刊誌の記事はつまらない。いろいろなマニュアル(手引き、手順書)はあるけれど、そこに人間の『気持ち』はない。『学び』がありません。
エロ小説やエロ写真の記事をつくっている人はどんな気持ちで働いているのだろうかと思うことがあります。『お金のため』という理由しか浮かんできません。モデルもカメラマンもライターもお金のために女性の肉体をさらしている。男にとって女性は道具扱いです。
男中心社会の大企業の食堂での食事風景があります。異様です。異様だけれどだれも文句は言いません。長年の慣行があるからでしょう。ボスと子分たちがいて、いつもいっしょに行動します。食事もいっしょです。
リタイアしたマニュアル型サラリーマン体験者は、地域社会では迷惑者です。
地域社会の活動には、権利義務関係はありません。強制力も命令もありません。企業人のふるまいは、地域社会では通用しません。
(つづく)
高校野球甲子園をめざしての野球部女子マネージャーの扱いについて書いてあります。
女子マネージャーは、男子部員のユニフォームを洗濯するためにいるんじゃない! という主張です。男尊女卑の慣例を批判されています。
高校生女子マネージャーが野球部の練習に付き合っていて、熱中症で亡くなった話題があります。悲惨です。親は泣きます。
高校野球の記事は、男のために、意図的に美談として加工されている。女子は、男子よりも下の扱いで書かれている。
男に対する文句があります。自分のことは自分でやれ!です。(ごもっともです)
女は男のための飯炊き女(めしたきおんな)ではない。
(つづく)
体育会系、スポーツ部活動のあり方に対する批判があります。
著者の心は冷めています。
暴力的な指導者の教え方、女子をエロの対象として扱うという周囲の環境に憤りをもっておられます。(いきどおり:強い不満、怒り(いかり)、反発心)読んでいて共感します。
『体育会に所属すると、徹底的に「理不尽(りふじん:人の道に反すること。道徳に反すること)」を浴びる』とあります。
体育会系ではありませんが、高校生になったとき、いきなり上級生たちが一年生の教室にどなりこんできて、威嚇(いかく)で下級生を統制しようとしていました。
縦型社会で、たとえば、1年1組、2年1組、3年1組でひとつのグループを組んで、体育祭ほかの学校行事で競い合うのです。わたしも顔つきとふてぶてしい態度だけで、そのグループの応援団に入れられました。こんなことは、おかしいとは思いましたが、がんばりました。
教師たちはそのような暴挙を知っていて知らぬふりでした。伝統なのです。いままでずっとそうして統治してきた。生徒は、学年が変わるごとに立場を変えながら続いてきた。怒鳴られた下級生が上級生になると下級生をどなります。今はもうそのようなことはないだろうし、通用しないでしょう。
本にはいろいろ書いてあります。たしかに、第二次世界大戦後の影がまだ残っていた昭和の時代には、異常な精神論がありました。
見た目で選別される。性の対象として見られる。実績のある有名な女子スポーツ選手も同様です。 女性が女性として社会で活動していくことは苦労があります。
エロコンテンツの素材としてアスリートが使われる。
ものが売れるからつくる人間がいる。
買う人間がいる。
盗撮をする人間がいる。
そういう行為をするのが、案外、人の道を教える立場の人間だったりもする。
この世は理不尽(りふじん)なのです。
周囲に訴えても知らん顔をされる。(アイドル男子でも同じ。どこかの芸能事務所のようです)
自分のことは、自分で守るしかないのか……
(つづく)
お寿司屋でのことが書いてあります。
家で料理をするのは女性で、商売で料理を出す料理人は男性なのかについて考察します。とくにお寿司屋さんのことです。
女性をばかにするテレビ番組があります。
テレビ番組には、できないことを笑いにする陰険さ(いんけんさ。いじわる)があります。(自分はあまり見ないようにしています)
男性料理人は女性料理人を見下す。人として扱わないというような内容です。
男たちは、高級寿司店で、うんちくをたれる。(知識を披露する。よく聞くと、中身はないという分析と批評があります。単なる雰囲気づくり。自慢とお世辞(おせじ:喜ばせるほめ言葉)の空間)女性を性的な対象にしたり、見下したりする話題もある。(虚飾の空間です。きょしょく:中身のないうわべだけのもの)
男は師匠の言うことを受け入れる。
師匠が黒いものを白と言ったら、白だと受け入れるのが弟子の基本姿勢です。
男は『選民(せんみん。人間を区分けする。区別する。上下のランク付けをする)』をしたがる。
男にとっていいことは書いてありません。
この部分を読んで、食事は気楽が一番と思いました。
世の中には、男と女しかいないのに、ややこしい。
(つづく)
コロナウィルス感染拡大にちなんで『密閉、密集、密接』の話になりました。(最近は、この言葉も聞かなくなりました)
女性がいる世界が、密閉、密集、密接なのです。犯罪が近い。
『あおり運転』の話が出ます。
あおり運転をするのは男性で、女性があおり運転をしているというテレビ報道は見たことがありません。そんなことが書いてあります。あおり運転をするのは、四十代男性が多い。イライラしている。感情的になって、力づく(ちからづく)でうさ晴らしをしようとする。
もう忘れてしまった言葉として『フラリーマン』(コロナ禍で仕事帰りに居酒屋に立ち寄れなくなったサラリーマンたちが、仕事が終わっても直接家へ帰る気持ちになれない)
この部分を読んでいて『パチンコ』が攻撃されていたことを思い出しました。(感染の場所としてとらえられていた)パチンコ依存症の人たちが悩んでいました。
定番となった編集者女性二十代Kさんからの檄文(げきぶん。意見を強く主張して同意を求める)が届きます。(あたりまえのことが書いてあるのですが、ときに、気の毒で読むことがつらい。男に虐げられている(しいたげられている。いじめられている)女性の叫びが書いてあります。男性が女性よりも優位な公共の場所と空間があります。女性から見れば、むなしい世界です)(次の「章」にKさんの言葉がありました。この本の記事の連載開始当時は27歳だったけれど、30歳になられたそうです)
(つづく)
女性が男性に『人事』をにぎられる話が出てきます。人事権です。人事異動の権限を男性がもっています。採用時のこともあるでしょう。エロ目的の病的な大企業人事担当部署男性社員の懲戒解雇記事をニュースで読んだことがあります。ひどい奴です。会社の信用まで落としてしまいます。就活セクハラです。(読み進めていたら292ページにそんな記事が出てきました。人事担当若手男性社員が、先輩や上司の態度をまねていると分析と評価があります)
『日本社会の随所に存在する男女格差の問題』があって、国は『女性活躍』(そんな言葉がありました)をアピールしたけれどそうならなかった。
かつて、女性にとって職場は『夫となる人』を探す場所であった。結婚したら寿退社(ことぶきたいしゃ)という言葉で退職していた。
そして今は、女性も男性も結婚しなくなった。
読み終えました。
なかなかいい本でした。
以前同作者の『偉い人ほどすぐ逃げる 武田砂鉄(たけだ・さてつ) 文藝春秋』を読みました。
痛快なエッセイ集でした。
2020年の東京オリンピックについてのエッセイには、いろいろ考えさせられました。
結果論ですが、コロナ禍によって、無観客での開催ならば、わざわざ国立競技場を新しいものに建て替える必要もありませんでした。競技場の建て替えにともなって、周辺地域にあった古い文化的な建物も取り壊されたようです。
すったもんだがいろいろあった無理やり開催のオリンピック開催でした。マラソンについては、猛暑対策で、札幌での開催に変更されました。
大会は終わりましたが、その後、汚職が明らかになりました。贈収賄(ぞうしゅうわい)です。結局のところ、選手たちを広告塔にして、組織の上層部にいた人間たちが私腹を肥やしたのです。
ばれて損をしたのは当事者ですが。(地位や職権を利用して、利益を自分のポケットに入れる行為があった)一部の企業の信用は地に落ちました。
さて、こちらの本にある『マチズモ』の意味は、読み始める今、わたしにはわかりません。
マージャン用語しか、思い浮かびません。あがりハイを待つのが『マチ』で、並べてある山からハイをもってくることが『ツモ』です。(でもよく見ると「ツモ」ではなく「ズモ」でした)
本の帯を見ると『マチズモ=男性優位主義』と書いてあります。調べたらスペイン語だそうです。マッチョ=男らしいです。男らしい男。筋肉質で好戦的なイメージがあります。男性優位主義です。女性ではだめなのです。
そうか、「男尊女卑反対」ということが、この本のメッセージだなと理解しました。
以前読んだ本が『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ、小山内園子 訳 タバブックス』と『説教したがる男たち レベッカ・ソルニット ハーン小路恭子・訳 左右社』でした。どちらも男性優先社会の構造に女性が強く反対する内容でした。
日本も男性社会です。
ただ、歳をとってみてわかったことがあります。
人間は年寄りになると、性別が不明朗になるのです。
全員が男性のようでもあるし、全員が女性のようでもあります。中性的になるのです。もう性別はどちらでもいいのです。おじいさんのようなおばあさんもいますし、おばあさんのようなおじいさんもいます。
病院の待合室のベンチで自分が呼ばれるのを座って待っていて、お隣に座っていた人が名前を呼ばれて立ち上がった時に、それまで、その人をおじいさんだと思っていたら、おばあさんだったので、びっくりしたということが、最近ありました。
長い間生きてきて、体のあちこちが壊れていきます。もう元には戻りません。
脳みその働きも衰えてきています。
だれしも入院して、あっちを切ったり、何かを突っ込まれたり、体をひっくりかえされたり、人に見られたくない姿をさらけだしたり、そのうち羞恥心(しゅうちしん。はずかしいと思う気持ち)はなくなります。
手術となれば、まな板の上の鯉(こい)という状態で、どうにでもしてくれです。好いた(すいた)、惚れた(ほれた)の色気もなにもありません。ヨロヨロのヨボヨボで、しわくちゃです。
老いてみて、気が付くのです。性別にこだわることは無意味なことだと。男でも女でもどちらでもいいじゃないかと。
では読み始めます。
石垣島でのお土産屋(おみやげや)の話です。
シーサーのことが、男女のことにからめて、説明が、男のほうが優位に書いてあると指摘があります。
「お母さんは福を呼ぶ」:お母さんの手元には「福」がない。
「お父さんは福を逃さない(にがさない)」:お父さんの手元には「福」がすでにある。
男女平等じゃない。不公平じゃないかという理屈です。(なるほど)
男女雇用機会均等法:わたしが二十代のときの仕事場の宴会で、上司がそういう法律ができたから、これからは女性活躍の時代だとあいさつされたことを覚えています。
あれから四十年以上が経ちました。さて、世の中は女性活躍の社会になったのかと問われると「いいえ」としか言いようがありません。「多少は……」とは言えそうです。
Kさん:雑誌『すばる』の編集女性。男性優位主義について、いつも怒っているそうです。二十代だそうです。(この本を読み終える頃には、本の中で三十代になられました)
都会の夜道は、女性のひとり歩きは怖いというようなことが書いてあります。
それとは別に都会人の歩き方のおかしさについて書いてあります。(人ごみの中を縫うように歩く。女性は男をよけるように歩く)
おもしろい内容になりそうです。
(つづく)
駅で若い女性にぶつかりながら歩く若い男性のことが書いてあります。女性のおっぱいに自分のひじを瞬間的に当てるそうです。エロいにいさんですな。脳みその一部がいかれています。やられたほうは泣き寝入りですが、最近は、防犯カメラ類が整備されているので、男の行為が録画されていて、ネットで流されているそうです。姿が丸見えですな。そのうち個人が特定されますな。ばちが当たりますな。
『……温厚な人は、むしゃくしゃの管理がなんとか上手くいっているだけで……』(なるほど。うまく管理できないと奇妙な行動に出るのか)
女性の賃金は安い。(なるほど。「女は家で家事」という意識が今もありますな。夫とこどもに尽くせですな。夫の親の世話が加わる時もありますな。いい嫁を演じるのは、つらそうです)
逆じゃないかという日本社会の過去が紹介されています。
ベビーカーはじゃまだから、電車に乗る時は、母親は、まわりの人間に配慮しろみたいなことです。
日本はいじめ社会です。強い者は、弱い者をいじめて、憂さ晴らしをします。(うさばらし)
以前読んだ建築家さんが書いた本に、従事者を日本人だけにするといじめが始まるので、スタッフには必ず外国人を入れるようにしているというコメントがありました。
1970年代のことが書いてあります。
今思い出すと異常な時代でした。
弱肉強食の時代でした。
金もうけ第一主義です。
物事を決定する基準は『損か得か』です。
三密(密閉、密集、密接)の空間が多い大都会では、子育てがたいへんそうです。こどものことで、周囲に気を使うことばかりです。
譲らない男たちがいます。競争主義社会の中で育ってきたから、譲ってくれません。自分のことが最優先です。不公平には敏感です。
男は、トラブルが起これば、原因を女のせいにします。
(つづく)
第一章から第十二章まである本です。これから二章以下を読みます。
細かく書くと文章が長くなりそうなので、感想メモは、おおまかに書きます。それでも長くなりそうです。
大都市の満員電車、通勤や通学で女性が痴漢にあうことが書いてあります。
痴漢も盗撮も脳みその病気だと思います。治りません。変態です。(異常、病的)
なんだか、女性が気の毒になってきます。電車はおそろしい乗り物です。
田舎から夢をもって大都会に出て来て、毎日満員電車で痴漢行為にあう。まわりにいる人たちは知らん顔で助けてくれません。日本人の冷酷さがあります。なかには、にやにや笑っているだけの人もいるそうです。(その後、コロナ禍で、乗客数が減少して、環境がいい方向へと変わったのだろうか)
都会で暮らしてなにが幸せなのだろう。田舎には満員電車はありません。暮らしていくうえで快適な空間があるのは、いなかのほうです。
痴漢の加害者を責めると痴漢の加害者の親があやまりに来るそうです。案外、立派な親のこどもが痴漢の加害者だったりもします。親ごさんの苦労がしのばれます。何回も何回も謝りに行くことが続くのでしょう。こどもなんていないほうがいいと思うかもしれません。
男優遇の社会があります。女を叩いて(たたいて)、いじめて嬉しがる(うれしがる)社会です。そういえば、企業の幹部や有名な俳優がセクハラ、パワハラをしたニュースを何度か耳にしました。英雄は色を好む。しかたがない。ほかのことで成果を出しているからいいじゃないかと許容される男社会です。お金や人事の権力をもった男にさからうことはむずかしい。
女性は『自衛(じえい。自分で自分の身を守る)』するしかない。大都会暮らしでの、女性が快適に過ごせる空間は狭い。
男にしても女にしても、人の体にそれほどの違いはない。つくりは同じです。異性の体が素敵だと感じていたのは錯覚だったと歳をとるとわかります。この世は、誤解と錯覚でできあがっているのです。映画やドラマ、小説の中の男女関係は金もうけのために意図的に加工されて美化された世界です。にせものです。現実とはかけ離れています。
医大の受験で女性の受験者が合格点に達しているのに、女だからという理由で不合格にさせられたというニュースに関する記述があります。当然、著者は反発しています。ごもっともです。
不正で不祥事なのに、この出来事を擁護(ようご。いいじゃないか。しかたがないじゃないか)する男性たち、しかも地位の高い男たちがいます。自分が異常なことに気づけていません。ふんぞり返っています。
あたりまえのことをあたりまえにやれない社会があります。
『カネ(金)、カネ、カネ』の社会があります。
学歴差別があって、性別の差別があります。
男が楽をする社会。男だけがいい思いをする社会があります。
ただ、それでもかまわないという女性もいるようです。責任は男に負わせて、自分は責任の小さい立場で男のそばにいられれば得です。
まだ、自分が十代だったころ、どうして女子が、当時の職業の呼び方ですが『スチュワーデス』になりたいのか理解できませんでした。
喫茶店のウェイトレスの仕事を飛行機の機内でやるだけのことではないか。そう考えていました。
この本では、スチュワーデスの採用の話が出ています。ふくらはぎがきれいなこと。ほかにもありますが省略します。男目線の採用基準です。美人コンテストです。見た目が大事です。
ロボットのことが出ています。受付のロボットは、美しい女性型です。なぜそうなのか。男がつくったロボットです。男の受付ロボットは見かけません。
トイレのことが書いてあります。
国会内のトイレの一部には、男女共用トイレがあるそうです。(本会議場の横)男子トイレの半分を女性用にしてあるそうです。びっくりしました。そうか、女性議員が少ないからか。(演劇の劇場で、男子トイレの数が少ないことの反対なのでしょう)
あんなに立派な国会議事堂の中にあるトイレが男女公平につくられていない。おかしな話ではありますが、いくら女性議員が少ないからといって、男子トイレを女性議員に使わせるのは狂っています。おしっこをする音が聞こえてきそうです。
国会は男社会なのでしょう。
国会という『箱』の中で生活を送っている人たちです。
箱の中にいるうちは、箱の中の常識で生きていけるのでしょうが、箱を出たとたん袋叩きにあいそうです。議員だけでなく、そこで働く国家公務員も同じでしょう。
新幹線のトイレの話があります。
昔のこととして、たしかに、わたしがこどもだったときの在来線のトイレは、汚物が、線路上に落ちるしかけでした。
本の中では話がいろいろ広がります。おしっこのときに、洋式トイレを男性は座ってすべきだというご意見です。男が洋式トイレに立っておしっこをすると、便座におしっこが飛び散って汚いそうです。男女共用の便座です。わたしも同感です。
いつでもどこでも立っておしっこをしようとする男は傲慢だ(ごうまん:威張っている。わがまま)です。
トイレの歴史をふりかえてみると、今の若い人たちは恵まれていると思います。
むかしは、どっぽん便所で、男女無関係の共同トイレで、女子のおしっこの音は響き渡っていて、女性はたいへんだったと思います。(もしかしたら今もそういう職場は残っているのかもしれません)
著者は、目の付け所が(視点)がいい。発想がおもしろい。
裁判官の中には、変な判決を出す人がいるらしい。(強姦事件の加害者を無罪にした。女性の明確な拒否がなければ、同意があったと判断するらしい。(その後の第二審で、有罪になって確定しています))男尊女卑の思考をもつ裁判官がいる。
自分は賃貸物件の内覧という体験がありませんが、アパートを借りる時の内覧は襲われたり、襲ったりという危険があるそうです。男性の不動産あっせん会社の従業員が女性客を襲う。あるいは、案内をする同社の女性従業員が、男性客に襲われることもあるでしょう。もう犬猫ですな。嘆かわしい。厳罰を下さねば。(くださねば)
田舎から夢をもって大都会に出て来て、満員電車で痴漢にあい、アパート探しの内覧で襲われる。夢もふっとびそうです。
日本人男性は、エロ業界によってつくられた、誤った情報に洗脳されているらしい。錯覚です。架空の加工された世界が現実も同じだと勘違いしている。
読んでいるとさみしくなってくる内容です。女性として社会で生きていくことはつらい。
まあ、そんな悪い男ばかりではありません。いい人もたくさんいます。あまり口にする人はいませんが、ひとりの異性を一生愛し続けることができる人はいます。そして、たいていの人はそうなのです。
(つづく)
冠婚葬祭の儀式の話です。
結婚式について、いまどきの世間の人たちは、開催について否定的です。
しかたがありません。
昔のようにショーのような盛大な結婚式は減りました。
されど、最低限のことはやっておきたい。
人生の節目です。
結婚式をやらない理由は、お金の負担がまっさきにくるのですが、本当にそうなのだろうか。めんどうくさいが一番の理由ではなかろうか。うっとおしい親戚づきあいを避けたいということもあるのでしょうが、がっかりします。お葬式も含め冠婚葬祭に関して、あれもしない。これもしないでは、生きている意味があるのだろうかという疑問が生じます。
昔と違って、親族同士が助け合わなくても暮らしていける社会に変わりました。
なんでもかんでもめんどくさいからしないという風潮になってしまいました。
儀式というものは、なぜそうするのか。ここまで生きてくることができたことに感謝するからだと思います。むかしは、こどもが病気や事故で死ぬことが多かった。一日一日生きて、成長してということが喜びだった。
今まで積み重ねてきた長い歴史を否定して、これからの日本では、希薄な人間関係がさらにうすくなっていって、孤独な暮らしを送る人が増えていくのでしょう。
本のほうは、『花嫁』として扱われる女性の不都合について書いてあります。女性はこうあるべきだという決めつけに反発する内容になっています。
飲食をしながら雑談することで生れてくる心の交流はあります。
人生の節目で記念写真を残しておくころは『思い出づくり』になります。
人間の体はやがて動かなくなります。
自分が三十歳のころ、女性が書いた自費出版の本を読んだことがあります。フランスで過ごしたときのことが書いてありました。内容を読んで、お元気な方だなと思ったのですが、本の最後に『今は歳をとって病院に入院していて、どこにも行けない体になってしまいました』という文章にぶつかりました。そんなふうにして、人は活発な時期を経て、人生を終えていくのです。『思い出』が多い人生がいい人生です。トラブルがあったとしても、それもまたいい思い出です。
(つづく)
男性社会の中で、女性の社員が仲間はずれにされて、男性社員たちの会話の輪に女性社員が入れてもらえないという話です。
女性差別です。女性の能力を下に見ている男たちがいます。
『女性』は、そこにいても、いないものとして扱われるのです。
女性にとっては、けっこうつらいしきつい。
存在しない人間扱いです。男性が女性の扱いを知らない。男性が女性に対して気をつかわない構図があります。
株式投資の銘柄探しと旅情報の取得のために、自分は定額無制限読書システムでたくさんの電子書籍の流し読みをしているのですが、週刊誌の記事はつまらない。いろいろなマニュアル(手引き、手順書)はあるけれど、そこに人間の『気持ち』はない。『学び』がありません。
エロ小説やエロ写真の記事をつくっている人はどんな気持ちで働いているのだろうかと思うことがあります。『お金のため』という理由しか浮かんできません。モデルもカメラマンもライターもお金のために女性の肉体をさらしている。男にとって女性は道具扱いです。
男中心社会の大企業の食堂での食事風景があります。異様です。異様だけれどだれも文句は言いません。長年の慣行があるからでしょう。ボスと子分たちがいて、いつもいっしょに行動します。食事もいっしょです。
リタイアしたマニュアル型サラリーマン体験者は、地域社会では迷惑者です。
地域社会の活動には、権利義務関係はありません。強制力も命令もありません。企業人のふるまいは、地域社会では通用しません。
(つづく)
高校野球甲子園をめざしての野球部女子マネージャーの扱いについて書いてあります。
女子マネージャーは、男子部員のユニフォームを洗濯するためにいるんじゃない! という主張です。男尊女卑の慣例を批判されています。
高校生女子マネージャーが野球部の練習に付き合っていて、熱中症で亡くなった話題があります。悲惨です。親は泣きます。
高校野球の記事は、男のために、意図的に美談として加工されている。女子は、男子よりも下の扱いで書かれている。
男に対する文句があります。自分のことは自分でやれ!です。(ごもっともです)
女は男のための飯炊き女(めしたきおんな)ではない。
(つづく)
体育会系、スポーツ部活動のあり方に対する批判があります。
著者の心は冷めています。
暴力的な指導者の教え方、女子をエロの対象として扱うという周囲の環境に憤りをもっておられます。(いきどおり:強い不満、怒り(いかり)、反発心)読んでいて共感します。
『体育会に所属すると、徹底的に「理不尽(りふじん:人の道に反すること。道徳に反すること)」を浴びる』とあります。
体育会系ではありませんが、高校生になったとき、いきなり上級生たちが一年生の教室にどなりこんできて、威嚇(いかく)で下級生を統制しようとしていました。
縦型社会で、たとえば、1年1組、2年1組、3年1組でひとつのグループを組んで、体育祭ほかの学校行事で競い合うのです。わたしも顔つきとふてぶてしい態度だけで、そのグループの応援団に入れられました。こんなことは、おかしいとは思いましたが、がんばりました。
教師たちはそのような暴挙を知っていて知らぬふりでした。伝統なのです。いままでずっとそうして統治してきた。生徒は、学年が変わるごとに立場を変えながら続いてきた。怒鳴られた下級生が上級生になると下級生をどなります。今はもうそのようなことはないだろうし、通用しないでしょう。
本にはいろいろ書いてあります。たしかに、第二次世界大戦後の影がまだ残っていた昭和の時代には、異常な精神論がありました。
見た目で選別される。性の対象として見られる。実績のある有名な女子スポーツ選手も同様です。 女性が女性として社会で活動していくことは苦労があります。
エロコンテンツの素材としてアスリートが使われる。
ものが売れるからつくる人間がいる。
買う人間がいる。
盗撮をする人間がいる。
そういう行為をするのが、案外、人の道を教える立場の人間だったりもする。
この世は理不尽(りふじん)なのです。
周囲に訴えても知らん顔をされる。(アイドル男子でも同じ。どこかの芸能事務所のようです)
自分のことは、自分で守るしかないのか……
(つづく)
お寿司屋でのことが書いてあります。
家で料理をするのは女性で、商売で料理を出す料理人は男性なのかについて考察します。とくにお寿司屋さんのことです。
女性をばかにするテレビ番組があります。
テレビ番組には、できないことを笑いにする陰険さ(いんけんさ。いじわる)があります。(自分はあまり見ないようにしています)
男性料理人は女性料理人を見下す。人として扱わないというような内容です。
男たちは、高級寿司店で、うんちくをたれる。(知識を披露する。よく聞くと、中身はないという分析と批評があります。単なる雰囲気づくり。自慢とお世辞(おせじ:喜ばせるほめ言葉)の空間)女性を性的な対象にしたり、見下したりする話題もある。(虚飾の空間です。きょしょく:中身のないうわべだけのもの)
男は師匠の言うことを受け入れる。
師匠が黒いものを白と言ったら、白だと受け入れるのが弟子の基本姿勢です。
男は『選民(せんみん。人間を区分けする。区別する。上下のランク付けをする)』をしたがる。
男にとっていいことは書いてありません。
この部分を読んで、食事は気楽が一番と思いました。
世の中には、男と女しかいないのに、ややこしい。
(つづく)
コロナウィルス感染拡大にちなんで『密閉、密集、密接』の話になりました。(最近は、この言葉も聞かなくなりました)
女性がいる世界が、密閉、密集、密接なのです。犯罪が近い。
『あおり運転』の話が出ます。
あおり運転をするのは男性で、女性があおり運転をしているというテレビ報道は見たことがありません。そんなことが書いてあります。あおり運転をするのは、四十代男性が多い。イライラしている。感情的になって、力づく(ちからづく)でうさ晴らしをしようとする。
もう忘れてしまった言葉として『フラリーマン』(コロナ禍で仕事帰りに居酒屋に立ち寄れなくなったサラリーマンたちが、仕事が終わっても直接家へ帰る気持ちになれない)
この部分を読んでいて『パチンコ』が攻撃されていたことを思い出しました。(感染の場所としてとらえられていた)パチンコ依存症の人たちが悩んでいました。
定番となった編集者女性二十代Kさんからの檄文(げきぶん。意見を強く主張して同意を求める)が届きます。(あたりまえのことが書いてあるのですが、ときに、気の毒で読むことがつらい。男に虐げられている(しいたげられている。いじめられている)女性の叫びが書いてあります。男性が女性よりも優位な公共の場所と空間があります。女性から見れば、むなしい世界です)(次の「章」にKさんの言葉がありました。この本の記事の連載開始当時は27歳だったけれど、30歳になられたそうです)
(つづく)
女性が男性に『人事』をにぎられる話が出てきます。人事権です。人事異動の権限を男性がもっています。採用時のこともあるでしょう。エロ目的の病的な大企業人事担当部署男性社員の懲戒解雇記事をニュースで読んだことがあります。ひどい奴です。会社の信用まで落としてしまいます。就活セクハラです。(読み進めていたら292ページにそんな記事が出てきました。人事担当若手男性社員が、先輩や上司の態度をまねていると分析と評価があります)
『日本社会の随所に存在する男女格差の問題』があって、国は『女性活躍』(そんな言葉がありました)をアピールしたけれどそうならなかった。
かつて、女性にとって職場は『夫となる人』を探す場所であった。結婚したら寿退社(ことぶきたいしゃ)という言葉で退職していた。
そして今は、女性も男性も結婚しなくなった。
読み終えました。
なかなかいい本でした。
2023年06月05日
フードバンクどろぼうをつかまえろ! オンジャリQ.ラウフ
フードバンクどろぼうをつかまえろ! オンジャリQ.ラウフ・作 千葉茂樹・訳 スギヤマカナヨ・絵 あすなろ書房
ちょっとわかりませんが、この物語の作者は女性で、どこのお国の人かわかりませんが、勝手にインドあたりのお国の人だろうかと推測しながら読み始めてみます。(イギリスにお住まいだそうです。国籍はわかりません。シリアかも。性別はもしかしたら、生まれは男性だけれど、本当は女性というパターンかも。妄想(もうそう)はふくらみます。うーむ。インド系イギリス人ということもあるだろうなあ)
タイトルからすると、福祉施策としてのフードバンクに置いてある食べ物を盗む人間あるいは動物がいるのだろうかという読み始める前の想像です。
目次を見ると、9つ(ここのつ)の章があります。(9つの小話(こばなし)の連続)
その下に、登場人物の絵があります。
ネルソン:主人公男子。小学6年生ぐらいに見えます。
アシュリー:ネルソンの妹だそうです。幼稚園の年中さん(5歳)ぐらいに見えます。髪はポニーテール(結んで、子馬のしっぽみたいにしている)愛用のおもちゃがプラスチックの車で、車に名付けた名前が「フレディー」。46ページにアシュリーは、6歳と書いてあるのを見つけました。小学校には行ってはいないまだ幼稚園の年長さんでしょう。たぶん。(外国だから学年の制度が日本とは違うかもしれません)
クリシュ:男の子。ネルソンの同級生に見えます。(ネルソンの親友だそうです)サッカーが好き。スパイダーマンのマスクをつけて食べ物どろぼうを追う。彼はヒンドゥー教徒で、教えに従うと生肉に直接さわれない。ベジタリアン(菜食主義者)
ハリエット:女子。中学生ぐらいに見えます。ネルソンの姉だろうか。(ネルソンの親友だそうです。そうすると同級生でしょう)カーレースが好き。F1(えふわん。カーレース。フォーミュラーワン)のファン。ハリエットの母親は、サッカーのコーチをしている。父親はレストランで働いている。
お母さん(ジェームズ):ネルソンの母親。看護師だそうです。やさしそうな人に見えます。(どうしてだんなさんは女をつくった家を出て行ってしまったのだろう)すらっとしていて背の高い人に見えます。
ラムジット先生:メガネをかけた四十代ぐらいの男性に見えます。小学校の教頭先生。男性。朝食クラブの運営をしている。
ベル先生:やせていて背が高い女性の先生です。小学校の校長先生。女性。朝食クラブの運営をしている。
ノア・エキアーノ:男性。大柄。運動選手のようです。(プロのサッカー選手でした)あだ名が『ビクトリーノ(勝利を意味するビクトリーからきている。ノアが、決勝ゴールをあげてくれる)』がキャッチフレーズのようです。(注目を高める言葉)
パテル:女性。フードバンク(食べものの銀行)の銀行員
アンソニー:男性。フードバンクの銀行員
ナターシャ:女性。フードバンクの銀行員。馬のしっぽみたいな豊かな髪をしている。
モーリーン:給食の配膳係。女性。グレーのカーリーヘア(灰色でチリチリモジャモジャの髪型)
ラビーニア:女子。オレンジ色の髪、ふくらんでいる。
レオン:朝食クラブの利用者男子
ウィリアム:朝食クラブの利用者男子
ケリー:朝食クラブの利用者女子
クワンのおばあちゃん:ケリーの知り合い。近所の人
ユニコーン:一角獣。角が生えた白馬のような獣(けもの)。伝説の生き物
オニオーク・サミュエルズ:グラッドスーパーの店長
『はらぺこきょうだい』から始まります。ネルソンとアシュリーです。学校の給食しか食事がないようなことをネルソンが言っています。(育ち盛りなのに)
フィッシュフライ:白身魚のフライ
フライドポテト:油でジャガイモを揚げたもの(あげたもの)
『朝食クラブ(家でごはんを食べるのがむずかしい子どもたちに、無料で朝ごはんを提供してくれるクラブ)』日本における『こども食堂』のようなものだろうか。(無料、安価で、食事を提供する社会活動。月数回、食事ほかの費用は、寄附、助成金などでまかなう)
『つもりゲーム』食べ物がなくてもある『つもり』になるゲーム。
むかし、まだ小さかった自分もきょうだいといっしょに料理本の写真を見ながら、そこにある食べ物を食べる動作をしていました。熊じいさんもこの物語の主人公きょうだいと同様に貧しかった。
兄妹には、母さんはいるけれど、父さんはいないようです。
ひとり親家庭なのか。(あとから、父さんは、女ができて出て行ったという話が出ます。ひどいやつです。縁を切りましょう)
熊じいさんも中学のときに親父(おやじ)が病気で死んで、そのあとお金がなくてたいそう苦労しました。ひとり親家庭のこどもの苦労は、体験した者でなければわかりません。結婚して共働きでがんばり始めてから、経済的に楽になりました。
『ひきかえ券』母親が銀行にもっていくとお金をもらえるようです。なにか、手当でももらっているのか。物ももらえるようです。『スパイスセット』をもらったとあります。それとも銀行というのは、本物の銀行ではなくて、福祉施策としてものがもらえるような銀行だろうか。(お金はもらえませんでした。食べ物との引換券でした)
木曜日が『ひきかえの日』だそうです。『銀行』は、『フードバンク(食べものの銀行)』だそうです。食べ物をもらうのに、お金はいらないそうです。
昔、台湾の台北(たいぺい)にある『龍山寺(りゅうざんじ)』を訪れた時のことを思い出しました。この本に書かれていることに似ている事例がありました。
とても感じのいいお寺さんでした。そのときの訪問メモが残っています。
『……驚いたのは、お供え物(おそなえもの)の果物・野菜類は、お参りに来た各自がお参りを済ませたあとに持ち帰るのです。願いがかなった人たちがお礼にお供えした(おそなえした)ごりやくがあるその食べ物をまだ願いがかなっていない人たちがいただくのだそうです。日本のようなお賽銭(さいせん)の箱はありませんでした。参拝者は、願い事がかなったときや、その気になったときに、お礼としてお寺さんに食べ物を寄付するそうです。感心しました。いいシステムです(やり方のこと)』
ネルソンは、フードバンクの銀行員に会ってからまる一年ぐらいがたつそうです。(男性のアンソニーと女性のパテルとナターシャに会った)
銀行の引き出しリスト(これまで受け取った食べもの一覧です)
リストの内容を見ましたが、健康のことを考えるとあまりよくなさそうな食べ物が多い。ピーナッツチョコレート、チョコレートクリーム、ポテトチップ、いわゆるジャンクフードが並んでいます。(栄養価のバランスを欠いた調理済み食品。高カロリー、高塩分など)
宗教のことがあります。
イスラム教でしょう。断食あけ(だんじきあけ。たしか「ラマダン」という断食の期間がある)のお祭りが『イード』だそうです。
ヒンドゥー教の新年のお祭りとして『ディワリ』というものがあるそうです。
シリアル:とうもろこし、麦、米などをすりつぶして加工して、牛乳やヨーグルトなどをかけて食べる。
朝食クラブ:朝、フードバンクが開いているのだろうか? 小学校に行く前に行くのだろうか? 不思議です。
『秘密のクラブ』とあります。学校の朝食クラブのことです。小学校に登校する前に行く場所です。秘密のクラブだから、一般に公表されていないのだろうか? 場所は、小学校にある食堂です。
『朝食クラブのルールはひとつだけ』と書いてあります。朝食クラブのことをだれにも話してはいけないそうです。なぜだろう? とくに、クラブに来ていない人には絶対に話してはいけないそうです。
朝食クラブには、朝の8時までに行く。8時5分には、着席していなければならない。食べるものは、フルーツひとつ、ドリンク1本、シリアルのボウル(入れ物)をひとつとトーストを1枚がひとりあたりの割り当てだそうです。(わたしは、シリアルを食べる習慣がないので、シリアルとトーストを同時に食べることがちょっと驚きでした。シリアルというものは、ごはんとかパンの代わりだと思っていました)
フルーツは複数の中から選択制、シリアルの種類も複数ある。トーストは、チェコレートクリーム塗りとジャム塗りの二種類がある。
金曜日には、おやつがつく。ドーナッツとか、クッキーとか、ヨーグルトとか。
この部分を読んでいて、思い出した本が二冊あります。『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』と『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』です。ちゃんとしたごはんを食べることが幸せへの一歩です。
お金がある家のこどもであるクリシュ(男の子の同級生)とハリエット(女の子の同級生)は、朝食クラブを利用しない。
短い文章の中にたくさんの情報が入っています。
朝食クラブの食べ物のスポンサー(お金を出してくれる人)は、ベル校長だそうです。
『朝食クラブ』とは別のシステムの『フードバンク』から食べ物を盗む人がいるらしい。
『フードバンク』と『朝食クラブ』の区別がはっきりしません。同じものなのだろうか? 違うようです。
(つづく)
主人公のネルソンは貧乏なのでごはんをいっぱい食べられないようです。
熊じいさんも母子家庭のときは、食べるものが粗末なことと、着る私服がなくて困りました。高校の林間学校のキャンプも制服で行きました。みんなは、Tシャツにジーンズでした。くそったれ! 負けてたまるか! という気持ちをもって参加しました。ネルソンもがんばれ!
フードバンクの食べ物を盗む人が出てくるようですが、こそこそ盗むのでなく、どろぼうにもどうどうと食べさせてあげればいいと思います。きっとおなかがすいているんです。
『小さな勇者』:貧困で、しばらくは、十分な量の食事が与えられないという意味だそうです。がまんしてねです。(自分で畑仕事をして農作物をつくれないのだろうか。中学生のころ、サツマイモのつるをむいて炒めて(いためて)味付けをして食べていたと妻に話をしたら、そんなものが食べられるのかと驚いていました。それから、海や川で魚釣りをして釣った魚を食べるということはできないのだろうか。海なら貝拾いでもいい。
昔グアム島に行ったとき、なにかしら貧困な人たちもいるようで、地元の人が海で魚を釣っているのですが、いかにも、釣った魚を家で食べるんだという真剣味が感じられました。
だれか人の手伝いをしてお金をもらってもいい。小学生だから賃金は渡せないので、お礼ということで、おこずかいをもらえばいい。この物語のように、人からなにかをもらうよりも、自分で稼ぐ(かせぐ)という自立心がほしい。
料理の達人ゲーム:フードバンクからもらった食べ物を使って料理をするゲーム。キュウリの酢づけサンドイッチ、ツナとジャムのパイ、マスタードとソースをかけてかきまぜたヌードル、びっくりパイナップル(レモネードにひたしたパンをフライパンで焼く。その上に缶詰のパイナップルをのせて、オーブンで焼く)
メニューづくりゲーム:フードバンクでもらってきた食べ物を使ってのメニューをつくる。レタスがついたマッシュルーム、しっぽで立って踊る魚の絵
変身ゲーム:食べたくないものを見ながら、おいしい料理を想像して、そのことをみんなに話す。
なんというか、いつもはらぺこの主人公ネルソンです。
フードバンクに出す食材がなくなってきて、フードバンクを閉鎖しなければならなくなりそうだそうです。
読んでいて疑問がわきます。どうして、人から食べ物をもらおうとするのだろう。
自分で調達できる方法を考えた方がいい。
農林水産業、サービス業(労働奉仕)の手段があります。
物語は、フードバンクで食材を盗む人間をつかまえようという話に発展します。
(本当に盗まれているのだろうか? うたがわしい思いをいだきながら読んでいます)
スーパーマーケットからフードバンクに食材は届く。
スーパーのお客さんからの寄付が提供される食べ物になる。
どろぼうたちは、フードバンクの場所から食べ物を盗むのではなく、スーパーマーケットから盗んでいるのにちがいない。(どろぼうをつかまえたからといって、こどもたちがすぐその場で食べ物にありつけるわけでもなかろうに。以後のための盗難防止が目的か)
お金がなくなって、お母さんは、おばあちゃんの指輪を質屋(しちや)に持って行ってお金に代えてきました。(わたしの家も貧乏だったので、こどものとき、親といっしょにときどき質屋に行きました。衣類や家具などを持って行くとお金を貸してくれました。期限までにお金を返済しないと預けた物は売却されます)
(つづく)
読み終わりました。うーむ。わたしには合わない作品でした。いろいろ文句を書いてしまいそうです。
まず、巻末にある122ページから始まる『解説』の記述部分を最初にもってきてほしい。
一般社団法人の職員さんのコメント部分です。『フードバンク』とは何か。日本におけるフードバンクの現状はこうですとか、『朝食クラブ』とは何かとかが書いてあります。
日本では見聞きしないことがらなので、いきなり物語を読み始めても何のことか理解できません。(外国起源の制度です。スーパーで志(こころざし)のある人たちが、寄附用のカート(手押しかご)に自分が買った食べ物の一部を入れていく。『フードバンクへの寄付はこちらへ』の看板表示あり)
さて、69ページに戻って感想を続けます。
少年少女たちは、スーパーマーケットで、寄附用の食べ物が盗まれていると推理してスーパーマーケットで張り込みして、食べ物どろぼうを見つけて追いかけるという展開になっていきました。
プロサッカーのスター選手であろう『ノア・エキアーノ』という選手がからんだお話になってきます。彼を英雄視します。(抵抗感があります。考えすぎかもしれませんが、意図的に錯覚を生もうとする宗教を思い出しました。中心にカリスマ的指導者の存在がある。(超人間的。教祖。英雄)。熱狂的な会員がいる。ノア・エキアーノ選手のモデルは、イギリスにあるプロサッカーリーグ、マンチェスターユナイテッド所属のマーカス・ラシュフォード選手だそうです。
少年少女たちは、万引きを捕まえる警備員みたいな行動をしますが、警備員ではありません。
カートの中にこどもが入って(ネルソンの妹のアシュリー)、それをネルソンが押してどろぼうを追いかけますが、そんなことをしてはいけません。(以前、公共施設で、中学生男子たちが、体が不自由な人のために置いてあった車いすにのって、押して、ふざけて走り回っていたことがあります。びっくりしました。無知すぎます。まるで幼児です)
記述はマンガのようです。
食べ物を粗末にします。
肉を投げたり、ポテトチップスやチョコレートが飛びかったりします。(食べ物をそのように扱ってはいけません)
フードバンク用の寄付された食べ物を盗む犯人たちについては、今どきの闇バイトで高級時計の強盗をする集団を思い出しました。
『なぜ、どろぼうはどろぼうになったのか』というところを考えないと説得力のある物語は成立しません。一方的な思い込みは正確ではありません。そんなことを考えました。
ちょっとわかりませんが、この物語の作者は女性で、どこのお国の人かわかりませんが、勝手にインドあたりのお国の人だろうかと推測しながら読み始めてみます。(イギリスにお住まいだそうです。国籍はわかりません。シリアかも。性別はもしかしたら、生まれは男性だけれど、本当は女性というパターンかも。妄想(もうそう)はふくらみます。うーむ。インド系イギリス人ということもあるだろうなあ)
タイトルからすると、福祉施策としてのフードバンクに置いてある食べ物を盗む人間あるいは動物がいるのだろうかという読み始める前の想像です。
目次を見ると、9つ(ここのつ)の章があります。(9つの小話(こばなし)の連続)
その下に、登場人物の絵があります。
ネルソン:主人公男子。小学6年生ぐらいに見えます。
アシュリー:ネルソンの妹だそうです。幼稚園の年中さん(5歳)ぐらいに見えます。髪はポニーテール(結んで、子馬のしっぽみたいにしている)愛用のおもちゃがプラスチックの車で、車に名付けた名前が「フレディー」。46ページにアシュリーは、6歳と書いてあるのを見つけました。小学校には行ってはいないまだ幼稚園の年長さんでしょう。たぶん。(外国だから学年の制度が日本とは違うかもしれません)
クリシュ:男の子。ネルソンの同級生に見えます。(ネルソンの親友だそうです)サッカーが好き。スパイダーマンのマスクをつけて食べ物どろぼうを追う。彼はヒンドゥー教徒で、教えに従うと生肉に直接さわれない。ベジタリアン(菜食主義者)
ハリエット:女子。中学生ぐらいに見えます。ネルソンの姉だろうか。(ネルソンの親友だそうです。そうすると同級生でしょう)カーレースが好き。F1(えふわん。カーレース。フォーミュラーワン)のファン。ハリエットの母親は、サッカーのコーチをしている。父親はレストランで働いている。
お母さん(ジェームズ):ネルソンの母親。看護師だそうです。やさしそうな人に見えます。(どうしてだんなさんは女をつくった家を出て行ってしまったのだろう)すらっとしていて背の高い人に見えます。
ラムジット先生:メガネをかけた四十代ぐらいの男性に見えます。小学校の教頭先生。男性。朝食クラブの運営をしている。
ベル先生:やせていて背が高い女性の先生です。小学校の校長先生。女性。朝食クラブの運営をしている。
ノア・エキアーノ:男性。大柄。運動選手のようです。(プロのサッカー選手でした)あだ名が『ビクトリーノ(勝利を意味するビクトリーからきている。ノアが、決勝ゴールをあげてくれる)』がキャッチフレーズのようです。(注目を高める言葉)
パテル:女性。フードバンク(食べものの銀行)の銀行員
アンソニー:男性。フードバンクの銀行員
ナターシャ:女性。フードバンクの銀行員。馬のしっぽみたいな豊かな髪をしている。
モーリーン:給食の配膳係。女性。グレーのカーリーヘア(灰色でチリチリモジャモジャの髪型)
ラビーニア:女子。オレンジ色の髪、ふくらんでいる。
レオン:朝食クラブの利用者男子
ウィリアム:朝食クラブの利用者男子
ケリー:朝食クラブの利用者女子
クワンのおばあちゃん:ケリーの知り合い。近所の人
ユニコーン:一角獣。角が生えた白馬のような獣(けもの)。伝説の生き物
オニオーク・サミュエルズ:グラッドスーパーの店長
『はらぺこきょうだい』から始まります。ネルソンとアシュリーです。学校の給食しか食事がないようなことをネルソンが言っています。(育ち盛りなのに)
フィッシュフライ:白身魚のフライ
フライドポテト:油でジャガイモを揚げたもの(あげたもの)
『朝食クラブ(家でごはんを食べるのがむずかしい子どもたちに、無料で朝ごはんを提供してくれるクラブ)』日本における『こども食堂』のようなものだろうか。(無料、安価で、食事を提供する社会活動。月数回、食事ほかの費用は、寄附、助成金などでまかなう)
『つもりゲーム』食べ物がなくてもある『つもり』になるゲーム。
むかし、まだ小さかった自分もきょうだいといっしょに料理本の写真を見ながら、そこにある食べ物を食べる動作をしていました。熊じいさんもこの物語の主人公きょうだいと同様に貧しかった。
兄妹には、母さんはいるけれど、父さんはいないようです。
ひとり親家庭なのか。(あとから、父さんは、女ができて出て行ったという話が出ます。ひどいやつです。縁を切りましょう)
熊じいさんも中学のときに親父(おやじ)が病気で死んで、そのあとお金がなくてたいそう苦労しました。ひとり親家庭のこどもの苦労は、体験した者でなければわかりません。結婚して共働きでがんばり始めてから、経済的に楽になりました。
『ひきかえ券』母親が銀行にもっていくとお金をもらえるようです。なにか、手当でももらっているのか。物ももらえるようです。『スパイスセット』をもらったとあります。それとも銀行というのは、本物の銀行ではなくて、福祉施策としてものがもらえるような銀行だろうか。(お金はもらえませんでした。食べ物との引換券でした)
木曜日が『ひきかえの日』だそうです。『銀行』は、『フードバンク(食べものの銀行)』だそうです。食べ物をもらうのに、お金はいらないそうです。
昔、台湾の台北(たいぺい)にある『龍山寺(りゅうざんじ)』を訪れた時のことを思い出しました。この本に書かれていることに似ている事例がありました。
とても感じのいいお寺さんでした。そのときの訪問メモが残っています。
『……驚いたのは、お供え物(おそなえもの)の果物・野菜類は、お参りに来た各自がお参りを済ませたあとに持ち帰るのです。願いがかなった人たちがお礼にお供えした(おそなえした)ごりやくがあるその食べ物をまだ願いがかなっていない人たちがいただくのだそうです。日本のようなお賽銭(さいせん)の箱はありませんでした。参拝者は、願い事がかなったときや、その気になったときに、お礼としてお寺さんに食べ物を寄付するそうです。感心しました。いいシステムです(やり方のこと)』
ネルソンは、フードバンクの銀行員に会ってからまる一年ぐらいがたつそうです。(男性のアンソニーと女性のパテルとナターシャに会った)
銀行の引き出しリスト(これまで受け取った食べもの一覧です)
リストの内容を見ましたが、健康のことを考えるとあまりよくなさそうな食べ物が多い。ピーナッツチョコレート、チョコレートクリーム、ポテトチップ、いわゆるジャンクフードが並んでいます。(栄養価のバランスを欠いた調理済み食品。高カロリー、高塩分など)
宗教のことがあります。
イスラム教でしょう。断食あけ(だんじきあけ。たしか「ラマダン」という断食の期間がある)のお祭りが『イード』だそうです。
ヒンドゥー教の新年のお祭りとして『ディワリ』というものがあるそうです。
シリアル:とうもろこし、麦、米などをすりつぶして加工して、牛乳やヨーグルトなどをかけて食べる。
朝食クラブ:朝、フードバンクが開いているのだろうか? 小学校に行く前に行くのだろうか? 不思議です。
『秘密のクラブ』とあります。学校の朝食クラブのことです。小学校に登校する前に行く場所です。秘密のクラブだから、一般に公表されていないのだろうか? 場所は、小学校にある食堂です。
『朝食クラブのルールはひとつだけ』と書いてあります。朝食クラブのことをだれにも話してはいけないそうです。なぜだろう? とくに、クラブに来ていない人には絶対に話してはいけないそうです。
朝食クラブには、朝の8時までに行く。8時5分には、着席していなければならない。食べるものは、フルーツひとつ、ドリンク1本、シリアルのボウル(入れ物)をひとつとトーストを1枚がひとりあたりの割り当てだそうです。(わたしは、シリアルを食べる習慣がないので、シリアルとトーストを同時に食べることがちょっと驚きでした。シリアルというものは、ごはんとかパンの代わりだと思っていました)
フルーツは複数の中から選択制、シリアルの種類も複数ある。トーストは、チェコレートクリーム塗りとジャム塗りの二種類がある。
金曜日には、おやつがつく。ドーナッツとか、クッキーとか、ヨーグルトとか。
この部分を読んでいて、思い出した本が二冊あります。『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』と『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』です。ちゃんとしたごはんを食べることが幸せへの一歩です。
お金がある家のこどもであるクリシュ(男の子の同級生)とハリエット(女の子の同級生)は、朝食クラブを利用しない。
短い文章の中にたくさんの情報が入っています。
朝食クラブの食べ物のスポンサー(お金を出してくれる人)は、ベル校長だそうです。
『朝食クラブ』とは別のシステムの『フードバンク』から食べ物を盗む人がいるらしい。
『フードバンク』と『朝食クラブ』の区別がはっきりしません。同じものなのだろうか? 違うようです。
(つづく)
主人公のネルソンは貧乏なのでごはんをいっぱい食べられないようです。
熊じいさんも母子家庭のときは、食べるものが粗末なことと、着る私服がなくて困りました。高校の林間学校のキャンプも制服で行きました。みんなは、Tシャツにジーンズでした。くそったれ! 負けてたまるか! という気持ちをもって参加しました。ネルソンもがんばれ!
フードバンクの食べ物を盗む人が出てくるようですが、こそこそ盗むのでなく、どろぼうにもどうどうと食べさせてあげればいいと思います。きっとおなかがすいているんです。
『小さな勇者』:貧困で、しばらくは、十分な量の食事が与えられないという意味だそうです。がまんしてねです。(自分で畑仕事をして農作物をつくれないのだろうか。中学生のころ、サツマイモのつるをむいて炒めて(いためて)味付けをして食べていたと妻に話をしたら、そんなものが食べられるのかと驚いていました。それから、海や川で魚釣りをして釣った魚を食べるということはできないのだろうか。海なら貝拾いでもいい。
昔グアム島に行ったとき、なにかしら貧困な人たちもいるようで、地元の人が海で魚を釣っているのですが、いかにも、釣った魚を家で食べるんだという真剣味が感じられました。
だれか人の手伝いをしてお金をもらってもいい。小学生だから賃金は渡せないので、お礼ということで、おこずかいをもらえばいい。この物語のように、人からなにかをもらうよりも、自分で稼ぐ(かせぐ)という自立心がほしい。
料理の達人ゲーム:フードバンクからもらった食べ物を使って料理をするゲーム。キュウリの酢づけサンドイッチ、ツナとジャムのパイ、マスタードとソースをかけてかきまぜたヌードル、びっくりパイナップル(レモネードにひたしたパンをフライパンで焼く。その上に缶詰のパイナップルをのせて、オーブンで焼く)
メニューづくりゲーム:フードバンクでもらってきた食べ物を使ってのメニューをつくる。レタスがついたマッシュルーム、しっぽで立って踊る魚の絵
変身ゲーム:食べたくないものを見ながら、おいしい料理を想像して、そのことをみんなに話す。
なんというか、いつもはらぺこの主人公ネルソンです。
フードバンクに出す食材がなくなってきて、フードバンクを閉鎖しなければならなくなりそうだそうです。
読んでいて疑問がわきます。どうして、人から食べ物をもらおうとするのだろう。
自分で調達できる方法を考えた方がいい。
農林水産業、サービス業(労働奉仕)の手段があります。
物語は、フードバンクで食材を盗む人間をつかまえようという話に発展します。
(本当に盗まれているのだろうか? うたがわしい思いをいだきながら読んでいます)
スーパーマーケットからフードバンクに食材は届く。
スーパーのお客さんからの寄付が提供される食べ物になる。
どろぼうたちは、フードバンクの場所から食べ物を盗むのではなく、スーパーマーケットから盗んでいるのにちがいない。(どろぼうをつかまえたからといって、こどもたちがすぐその場で食べ物にありつけるわけでもなかろうに。以後のための盗難防止が目的か)
お金がなくなって、お母さんは、おばあちゃんの指輪を質屋(しちや)に持って行ってお金に代えてきました。(わたしの家も貧乏だったので、こどものとき、親といっしょにときどき質屋に行きました。衣類や家具などを持って行くとお金を貸してくれました。期限までにお金を返済しないと預けた物は売却されます)
(つづく)
読み終わりました。うーむ。わたしには合わない作品でした。いろいろ文句を書いてしまいそうです。
まず、巻末にある122ページから始まる『解説』の記述部分を最初にもってきてほしい。
一般社団法人の職員さんのコメント部分です。『フードバンク』とは何か。日本におけるフードバンクの現状はこうですとか、『朝食クラブ』とは何かとかが書いてあります。
日本では見聞きしないことがらなので、いきなり物語を読み始めても何のことか理解できません。(外国起源の制度です。スーパーで志(こころざし)のある人たちが、寄附用のカート(手押しかご)に自分が買った食べ物の一部を入れていく。『フードバンクへの寄付はこちらへ』の看板表示あり)
さて、69ページに戻って感想を続けます。
少年少女たちは、スーパーマーケットで、寄附用の食べ物が盗まれていると推理してスーパーマーケットで張り込みして、食べ物どろぼうを見つけて追いかけるという展開になっていきました。
プロサッカーのスター選手であろう『ノア・エキアーノ』という選手がからんだお話になってきます。彼を英雄視します。(抵抗感があります。考えすぎかもしれませんが、意図的に錯覚を生もうとする宗教を思い出しました。中心にカリスマ的指導者の存在がある。(超人間的。教祖。英雄)。熱狂的な会員がいる。ノア・エキアーノ選手のモデルは、イギリスにあるプロサッカーリーグ、マンチェスターユナイテッド所属のマーカス・ラシュフォード選手だそうです。
少年少女たちは、万引きを捕まえる警備員みたいな行動をしますが、警備員ではありません。
カートの中にこどもが入って(ネルソンの妹のアシュリー)、それをネルソンが押してどろぼうを追いかけますが、そんなことをしてはいけません。(以前、公共施設で、中学生男子たちが、体が不自由な人のために置いてあった車いすにのって、押して、ふざけて走り回っていたことがあります。びっくりしました。無知すぎます。まるで幼児です)
記述はマンガのようです。
食べ物を粗末にします。
肉を投げたり、ポテトチップスやチョコレートが飛びかったりします。(食べ物をそのように扱ってはいけません)
フードバンク用の寄付された食べ物を盗む犯人たちについては、今どきの闇バイトで高級時計の強盗をする集団を思い出しました。
『なぜ、どろぼうはどろぼうになったのか』というところを考えないと説得力のある物語は成立しません。一方的な思い込みは正確ではありません。そんなことを考えました。
2023年06月01日
たまごのはなし しおたにまみこ
たまごのはなし しおたにまみこ ブロンズ新社
(1回目の本読み)
絵本です。評判がいい。
まず、文章を読まずに、絵だけを目で追って最後のページまでいってみます。
擬人化(ぎじんか)の場合、動物を人間にたとえることが多い。
ゆでたまごみたいに見える卵を擬人化するやり方は、初めて見ます。
独特な絵です。卵に目・鼻・口、そして、手足がついています。
たまごは、女子に見えます。
ゆでたまごのイメージです。
不気味でもある。
お話が3話あります。『めを さましたら』『さんぽ』『あめのひ』の3話です。
植木鉢の絵にも顔があります。目、鼻、口があります。手足はありません。
細かい描写の絵もあります。
絵の製作には、時間がかかっています。
顔付きのトイレットペーパーみたいな絵がありますが、トイレットペーパーではないでしょう。いまのところ、それが何なのかはわかりません。お掃除用の手動式ローラーだろうか。(マシュマロでした)
かわいい絵ではありません。(感じ方は人によりけりですが……)
この絵本は、こどもに受けるのだろうか? 不審な点ありです。
(2回目の本読み さて、文章を読みます)
たまごを入れる陶器のコップみたいな器(うつわ)の上に腰かけているのが主役のたまごです。
おとなの女性のように見えます。
第一話『めをさましたら』
主役は、卵の妖精だろうか。
ほかの卵には顔はありません。
妖精は長い眠りから目を覚ました。そう読み取れます。
『われ思う ゆえにわれあり(思うから自分の存在がわかる)』というような出だしです。
たまごが立ち上がります。
あかちゃんの成長のようです。立って歩きだすのです。
たまごが妖精でなかったら『突然変異』でしょう。
たまごに人格が宿っています。人間のようです。
マシュマロとの出会いがあります。
マシュマロにも顔があります。手足もあります。たくさんあるマシュマロのなかの、ひとつだけが生きています。
マシュマロに『孤独』のにおいがあります。
いい言葉があります。
『じぶんが かんがえていることは はなさなければ あいてには ほとんどつたわらないんだって。』(そのとおりです。人それぞれの『脳みそにある世界と風景』は、お互いにわかりません。顔やスタイルなどの見た目と本人の中身は一致しません)
自分の頭の中にあることを、言葉にして、正確に発信することはむずかしいけれど、自分のことを知ってもらうためには必要な作業です。がんばりましょう。
だまっていると、相手の都合のいいように誤解されます。
先日、三十歳ぐらいの男の人が、いきなり刃物を出してきて、ふたりの高齢女性を刺したり、猟銃で、警官ふたりを撃ったりした事件がありました。
卑劣な行為です。(ひれつ:人としてあってはならない行為)
『自殺』と『殺人』は、人生において、とりかえしがつきません。
人を殺傷したら自分や自分の家族がそのあとどうなるのか、想像できないとしたら、これまでのその人の人生はなんだったのかということになります。読み書き計算能力を身につけて、不合理、不条理(ふじょうり)、理不尽(りふじん)な社会に気持ちの折り合いをつけて生き抜く工夫(くふう)をしていかねばなりません。
第二話『さんぽ』
さんぽ=外の世界を知るということでしょう。
なんとなく、ひきこもりは、ひきこもって、いっけん安全な場所にいるような錯覚をもっているけれど、そうじゃない。
外には、いいことも、そうでないこともあるけれど、ひきこもっているよりは、いいことがあると示しているような、この章の内容です。
たまごとマシュマロは、台所の上から台所の床の上に降りてきて、さんぽをしながら、自分が知らない未知の世界を探検します。
うえきばちとの出会いがあります。うえきばちには、目、鼻、口があります。おもしろい! うえきばちがしゃべります。
たまごとマシュマロのふたりに、クッションとの出会いがあります。
クッションが、ふたりにさんぽを勧められましたが、クッションは、さんぽすると自分の体がよごれちゃうと言います。
たまごがクッションに言葉を返します『よごれても あらえば いいだけだよ』
そうです。『自殺』と『殺人』以外は、やりなおしはきくのです。
先日NHKテレビ番組『72時間』を見ました。郵便局での定点観測でした。手紙を出しに来た若い男性が『刑務所で服役している友人に手紙を送る。出所したら、自分が立ち上げる事業をいっしょにやろうと書いた』とお話しされました。ほろりときました。
たまごとマシュマロのふたりは『とけい(時計)』と出会いました。でも、時計には顔はありません。顔はありませんが、時計がふたりに話しかけてきます。
とけいは仕事人間です。忠実に時を刻む仕事をしているから自由がありません。時計はそのことに満足していて、自由がないことの不自由さを感じていません。
ふたりは、時計の乾電池を抜いて、時計を休ませてあげました。仕事で脳みそが麻痺(まひ)して『過労死』してはだめなんです。
第三話『あめのひ』
熊じいさんは、雨はイヤです。でも雨は必要です。
たまごが言います。自分は雨の日が好きだ。雨の日は、考えごとができるから好きだ。
自分のことについて考えるそうです。
どうして自分はたまごなんだろう。どんなたまごなんだろう。いいたまご? わるいたまご? へいぼんなたまご? ばかなたまご? (なかなか深い思索があります。しさく:考えること)
自分じゃ、自分の中身を見ることができないからわからない。(黄身があるとか、白身があるとかがわからない……)
34ページにあるたまごが、たいそう(体操)をする姿がおもしろい。
ひとりでさんぽに行っていたマシュマロの話が紹介されます。
ナッツ(豆)たちがケンカをしていたそうです。
アーモンド、カシューナッツ、ピーナッツ、ピーカンナッツがそのメンバーだった。
それぞれの特徴をお互いにけなしあっていた。
人間の『標準化』という視点があります。義務教育における人間の標準化教育が、昭和の時代にはあったという記憶です。社会にとって(企業や組織にとって)都合のいい人間を学校での教育で育てるのです。
それぞれ個性があるナッツは、自己主張が強い。
『みんな おなじがいい』ナッツたちが出した結論です。
たまごは、みんながおなじになるように、ナッツたちを粉にしてしようと提案します。
マシュマロが、それはナッツじゃないとつぶやきます。
たまごがよかれと思ってやろうとしたことは、ナッツたちには受け入れられませんでした。
『共存』というヒントがあります。違う者同士が、お互いに妥協点を見つけて共存するのです。どちらかが、この世からすべていなくなるなんてことは無理なんです。
思考はさらに伸びていきますが、ここに書くのはやめておきます。考える。考える。考えるです。
たまごは、大学の先生みたいでした。人間とはなにかを考えるのです。
人間には多面性がある。
人間は成長しながら、そのときそのときの年齢になって、多面性の内容が変化することもある。
(そのとおりなのですが、だからこうすればいいということは、絵本の中にはありません…… 読み手が読み終えてから自分で考えるのです)
(1回目の本読み)
絵本です。評判がいい。
まず、文章を読まずに、絵だけを目で追って最後のページまでいってみます。
擬人化(ぎじんか)の場合、動物を人間にたとえることが多い。
ゆでたまごみたいに見える卵を擬人化するやり方は、初めて見ます。
独特な絵です。卵に目・鼻・口、そして、手足がついています。
たまごは、女子に見えます。
ゆでたまごのイメージです。
不気味でもある。
お話が3話あります。『めを さましたら』『さんぽ』『あめのひ』の3話です。
植木鉢の絵にも顔があります。目、鼻、口があります。手足はありません。
細かい描写の絵もあります。
絵の製作には、時間がかかっています。
顔付きのトイレットペーパーみたいな絵がありますが、トイレットペーパーではないでしょう。いまのところ、それが何なのかはわかりません。お掃除用の手動式ローラーだろうか。(マシュマロでした)
かわいい絵ではありません。(感じ方は人によりけりですが……)
この絵本は、こどもに受けるのだろうか? 不審な点ありです。
(2回目の本読み さて、文章を読みます)
たまごを入れる陶器のコップみたいな器(うつわ)の上に腰かけているのが主役のたまごです。
おとなの女性のように見えます。
第一話『めをさましたら』
主役は、卵の妖精だろうか。
ほかの卵には顔はありません。
妖精は長い眠りから目を覚ました。そう読み取れます。
『われ思う ゆえにわれあり(思うから自分の存在がわかる)』というような出だしです。
たまごが立ち上がります。
あかちゃんの成長のようです。立って歩きだすのです。
たまごが妖精でなかったら『突然変異』でしょう。
たまごに人格が宿っています。人間のようです。
マシュマロとの出会いがあります。
マシュマロにも顔があります。手足もあります。たくさんあるマシュマロのなかの、ひとつだけが生きています。
マシュマロに『孤独』のにおいがあります。
いい言葉があります。
『じぶんが かんがえていることは はなさなければ あいてには ほとんどつたわらないんだって。』(そのとおりです。人それぞれの『脳みそにある世界と風景』は、お互いにわかりません。顔やスタイルなどの見た目と本人の中身は一致しません)
自分の頭の中にあることを、言葉にして、正確に発信することはむずかしいけれど、自分のことを知ってもらうためには必要な作業です。がんばりましょう。
だまっていると、相手の都合のいいように誤解されます。
先日、三十歳ぐらいの男の人が、いきなり刃物を出してきて、ふたりの高齢女性を刺したり、猟銃で、警官ふたりを撃ったりした事件がありました。
卑劣な行為です。(ひれつ:人としてあってはならない行為)
『自殺』と『殺人』は、人生において、とりかえしがつきません。
人を殺傷したら自分や自分の家族がそのあとどうなるのか、想像できないとしたら、これまでのその人の人生はなんだったのかということになります。読み書き計算能力を身につけて、不合理、不条理(ふじょうり)、理不尽(りふじん)な社会に気持ちの折り合いをつけて生き抜く工夫(くふう)をしていかねばなりません。
第二話『さんぽ』
さんぽ=外の世界を知るということでしょう。
なんとなく、ひきこもりは、ひきこもって、いっけん安全な場所にいるような錯覚をもっているけれど、そうじゃない。
外には、いいことも、そうでないこともあるけれど、ひきこもっているよりは、いいことがあると示しているような、この章の内容です。
たまごとマシュマロは、台所の上から台所の床の上に降りてきて、さんぽをしながら、自分が知らない未知の世界を探検します。
うえきばちとの出会いがあります。うえきばちには、目、鼻、口があります。おもしろい! うえきばちがしゃべります。
たまごとマシュマロのふたりに、クッションとの出会いがあります。
クッションが、ふたりにさんぽを勧められましたが、クッションは、さんぽすると自分の体がよごれちゃうと言います。
たまごがクッションに言葉を返します『よごれても あらえば いいだけだよ』
そうです。『自殺』と『殺人』以外は、やりなおしはきくのです。
先日NHKテレビ番組『72時間』を見ました。郵便局での定点観測でした。手紙を出しに来た若い男性が『刑務所で服役している友人に手紙を送る。出所したら、自分が立ち上げる事業をいっしょにやろうと書いた』とお話しされました。ほろりときました。
たまごとマシュマロのふたりは『とけい(時計)』と出会いました。でも、時計には顔はありません。顔はありませんが、時計がふたりに話しかけてきます。
とけいは仕事人間です。忠実に時を刻む仕事をしているから自由がありません。時計はそのことに満足していて、自由がないことの不自由さを感じていません。
ふたりは、時計の乾電池を抜いて、時計を休ませてあげました。仕事で脳みそが麻痺(まひ)して『過労死』してはだめなんです。
第三話『あめのひ』
熊じいさんは、雨はイヤです。でも雨は必要です。
たまごが言います。自分は雨の日が好きだ。雨の日は、考えごとができるから好きだ。
自分のことについて考えるそうです。
どうして自分はたまごなんだろう。どんなたまごなんだろう。いいたまご? わるいたまご? へいぼんなたまご? ばかなたまご? (なかなか深い思索があります。しさく:考えること)
自分じゃ、自分の中身を見ることができないからわからない。(黄身があるとか、白身があるとかがわからない……)
34ページにあるたまごが、たいそう(体操)をする姿がおもしろい。
ひとりでさんぽに行っていたマシュマロの話が紹介されます。
ナッツ(豆)たちがケンカをしていたそうです。
アーモンド、カシューナッツ、ピーナッツ、ピーカンナッツがそのメンバーだった。
それぞれの特徴をお互いにけなしあっていた。
人間の『標準化』という視点があります。義務教育における人間の標準化教育が、昭和の時代にはあったという記憶です。社会にとって(企業や組織にとって)都合のいい人間を学校での教育で育てるのです。
それぞれ個性があるナッツは、自己主張が強い。
『みんな おなじがいい』ナッツたちが出した結論です。
たまごは、みんながおなじになるように、ナッツたちを粉にしてしようと提案します。
マシュマロが、それはナッツじゃないとつぶやきます。
たまごがよかれと思ってやろうとしたことは、ナッツたちには受け入れられませんでした。
『共存』というヒントがあります。違う者同士が、お互いに妥協点を見つけて共存するのです。どちらかが、この世からすべていなくなるなんてことは無理なんです。
思考はさらに伸びていきますが、ここに書くのはやめておきます。考える。考える。考えるです。
たまごは、大学の先生みたいでした。人間とはなにかを考えるのです。
人間には多面性がある。
人間は成長しながら、そのときそのときの年齢になって、多面性の内容が変化することもある。
(そのとおりなのですが、だからこうすればいいということは、絵本の中にはありません…… 読み手が読み終えてから自分で考えるのです)
2023年05月31日
ころべばいいのに ヨシタケシンスケ
ころべばいいのに ヨシタケシンスケ ブロンズ新社
表紙をめくると、暗い雰囲気の女の子が登場します。表紙の裏に細かい絵が12シーン(場面)描いてあります。
女の子は、5歳か6歳ぐらい、幼稚園の年中さんか、年長さんぐらいに見えます。
さらにページをめくると、人の不幸を願う、人の不幸を喜ぶような表情をした女の子がランドセルをしょって、小学校の校門から出てきます。(幼稚園児だと思っていた女の子は小学生でした。だとすると、小学二年生か三年生ぐらいに見えます)
それはさておき、人の不幸を願う人って、現実社会にいます。
人が嫌がることを相手に対してやって、相手が困る姿を見て、うれしがる人がいます。幼児期のこどもの行動に多い。
そういうことをするのは、いじめっ子が多いのですが、この女の子の場合は、それにくわえて、ガミガミしかる小学校の先生も、いじわるな人に思えています。
おもしろい。女の子は、嫌いな小学校の先生を小人(こびと)にして、左手の手のひらの上にのせて、右手でパンとたたきつぶしました。
まるで、メガネをかけた男のおじさん先生が、会社の上司のようにも見えます。
仕返し(しかえし)の絵は、刑事ドラマ『相棒(復讐が動機の殺人が多い)』のようです。
ページに描かれていることを見ていると、絵本というよりも、大人(おとな)のためのドキュメンタリー物語です。(実話としての社会的な事件の内情を追う映像作品)
人は、人からかけられた一言(ひとこと)で救われることがあります。
そのひとつが『ほめ言葉』です。
東京都内市街地に、怪獣ゴジラ(女の子の姿)が現れたみたいな絵がかっこいい! 赤い炎がメラメラと燃えあがっています。ほかも含めて、絵の色彩がきれいです。
リフレッシュ(気分転換)のために、趣味をもつ。
自分で自分にご褒美(ほうび)を贈る。(欲しい品物を買ったり、おいしいものを食べたり、旅行に出たりするなど)
世の中には、いろんな人がいます。
自分が社会に出て驚いたことがいくつかありました。
五体満足で口が達者でも働けない人がいます。ふりかえってみると、なにかを最後までやりとげたという実績がないのです。短期間でやめてしまう。だけど、どうしようもないのです。しかたがないのです。現実社会の事実として、そういう人もいます。
もうひとつは、オギャーとこの世に産まれたとたん、(相続で)お金や財産がたくさんくっついてくるあかちゃんがいます。一生働かなくても生活できる人がいます。
生活のしかたのひとつとして、自分が自立・自活はせずに、なにかに『寄生』して生活していく生活パターンを送る人がいます。
この世では、不合理(理屈に合わない)、不条理(筋道がとおらない)、理不尽(人の道に反する)なことが横行しています。
されど、それらのことについて、心の中で、そういうものだと、気持ちに折り合いをつけて生活していくことが、おとなになるということです。
グレーゾーン(どっちつかずの灰色の区域)の中で、工夫をして、強くしぶとく生活していくのです。
人間全員と仲良くなることはできません。
善人をだます悪人がいます。
いい人だと思っていた人が、じつは悪人で、相手に都合のいいように自分が利用されていたということもあります。
賢い人(かしこいひと)にならねばなりません。
この絵本には『サタン』みたいな影が出てきます。
宗教的です。
思考を極めると宗教にたどりつくのか。
非科学的です。
見えないものは見えないし、聴こえないものは、聴こえないのです。
洗脳されてはいけません。(他者に、脳みその働きをコントロールされる)
この絵本は、途中まではおもしろかった。
理屈ばかりになると、おもしろみが薄れていきます。
人間界の『お悩み克服法』というハウツー本(なにをどうしたら最善か)というノウハウ本でした。(know-how「知る」)
無理をして環境に順応しようとすると心の病(やまい)になりますよというメッセージがあります。
自分を変えるか、自分がいる場所の環境を変えるか(移動する)の選択はむずかしいけれど、若い人なら、時間はたっぷりあります。よく考えて判断して実行してほしい。
気が合うパートナーとか親族、友人がいるといい。その数は多くなくていい。
哲学書のようでした。
人は、このつらい世の中を、どうやって生きていくかが主題の絵本です。
表紙をめくると、暗い雰囲気の女の子が登場します。表紙の裏に細かい絵が12シーン(場面)描いてあります。
女の子は、5歳か6歳ぐらい、幼稚園の年中さんか、年長さんぐらいに見えます。
さらにページをめくると、人の不幸を願う、人の不幸を喜ぶような表情をした女の子がランドセルをしょって、小学校の校門から出てきます。(幼稚園児だと思っていた女の子は小学生でした。だとすると、小学二年生か三年生ぐらいに見えます)
それはさておき、人の不幸を願う人って、現実社会にいます。
人が嫌がることを相手に対してやって、相手が困る姿を見て、うれしがる人がいます。幼児期のこどもの行動に多い。
そういうことをするのは、いじめっ子が多いのですが、この女の子の場合は、それにくわえて、ガミガミしかる小学校の先生も、いじわるな人に思えています。
おもしろい。女の子は、嫌いな小学校の先生を小人(こびと)にして、左手の手のひらの上にのせて、右手でパンとたたきつぶしました。
まるで、メガネをかけた男のおじさん先生が、会社の上司のようにも見えます。
仕返し(しかえし)の絵は、刑事ドラマ『相棒(復讐が動機の殺人が多い)』のようです。
ページに描かれていることを見ていると、絵本というよりも、大人(おとな)のためのドキュメンタリー物語です。(実話としての社会的な事件の内情を追う映像作品)
人は、人からかけられた一言(ひとこと)で救われることがあります。
そのひとつが『ほめ言葉』です。
東京都内市街地に、怪獣ゴジラ(女の子の姿)が現れたみたいな絵がかっこいい! 赤い炎がメラメラと燃えあがっています。ほかも含めて、絵の色彩がきれいです。
リフレッシュ(気分転換)のために、趣味をもつ。
自分で自分にご褒美(ほうび)を贈る。(欲しい品物を買ったり、おいしいものを食べたり、旅行に出たりするなど)
世の中には、いろんな人がいます。
自分が社会に出て驚いたことがいくつかありました。
五体満足で口が達者でも働けない人がいます。ふりかえってみると、なにかを最後までやりとげたという実績がないのです。短期間でやめてしまう。だけど、どうしようもないのです。しかたがないのです。現実社会の事実として、そういう人もいます。
もうひとつは、オギャーとこの世に産まれたとたん、(相続で)お金や財産がたくさんくっついてくるあかちゃんがいます。一生働かなくても生活できる人がいます。
生活のしかたのひとつとして、自分が自立・自活はせずに、なにかに『寄生』して生活していく生活パターンを送る人がいます。
この世では、不合理(理屈に合わない)、不条理(筋道がとおらない)、理不尽(人の道に反する)なことが横行しています。
されど、それらのことについて、心の中で、そういうものだと、気持ちに折り合いをつけて生活していくことが、おとなになるということです。
グレーゾーン(どっちつかずの灰色の区域)の中で、工夫をして、強くしぶとく生活していくのです。
人間全員と仲良くなることはできません。
善人をだます悪人がいます。
いい人だと思っていた人が、じつは悪人で、相手に都合のいいように自分が利用されていたということもあります。
賢い人(かしこいひと)にならねばなりません。
この絵本には『サタン』みたいな影が出てきます。
宗教的です。
思考を極めると宗教にたどりつくのか。
非科学的です。
見えないものは見えないし、聴こえないものは、聴こえないのです。
洗脳されてはいけません。(他者に、脳みその働きをコントロールされる)
この絵本は、途中まではおもしろかった。
理屈ばかりになると、おもしろみが薄れていきます。
人間界の『お悩み克服法』というハウツー本(なにをどうしたら最善か)というノウハウ本でした。(know-how「知る」)
無理をして環境に順応しようとすると心の病(やまい)になりますよというメッセージがあります。
自分を変えるか、自分がいる場所の環境を変えるか(移動する)の選択はむずかしいけれど、若い人なら、時間はたっぷりあります。よく考えて判断して実行してほしい。
気が合うパートナーとか親族、友人がいるといい。その数は多くなくていい。
哲学書のようでした。
人は、このつらい世の中を、どうやって生きていくかが主題の絵本です。
2023年05月26日
それで、いい! 礒みゆき・文 はたこうしろう・絵
それで、いい! 礒みゆき(いそ・みゆき)・文 はたこうしろう・絵 ポプラ社
絵描きさんの絵本です。
絵描きさんは、人間ではなくて『きつね』です。
絵を描くのにも悩みます。そんな話が書いてありました。
きつねとうさぎ、きつねが描いた絵を気に入らないきつねは、絵を丸めて、ポイとうしろのほうへ放り投げて捨てます。
うさぎが、紙のボールになった空中の紙ごみを見上げています。そんな絵から始まります。
登場人物が、いっぱいいます。順番に拾ってみます。
ショウリョウバッタ:草むらでよく見かけるバッタです。熊じいさんは、小学二年生のときに野原で捕まえて、お菓子の空き箱で飼育を試みたことがあります。最後は乾燥してカラカラの体になってしまいました。
えのころぐさ:キャラクターとして、動物や昆虫ではありませんが、これもよく見かける草です。稲のようなつくりで、穂があります。
やまねこ:野生のねこですな。
あひる:きつねとやまねこのけんかの仲裁役です。絵の展覧会があるよと、きつねに教えてくれます。
ニジマス:川魚(かわざかな)。サケ科。食用魚。おいしい。
いたち:いのししと、ボールあそびをしていた。
いのしし:いたちと、ボールあそびをしていた。
わし:鳥です。名古屋の東山動物園にいます。かっこいいです。かっこいいから、運動チームのシンボルマークになることも多いです。
あらいぐま:てつぼうで、前回りをしています。
ぶた:てつぼうで、前まわりをしています。4回できました。こぶたたちは、きょうだいで、兄と弟がいます。姉さんもいます。
りす:てつぼうで、前まわりをしています。16回できました。
やまねこ:てつぼうで、前回りをしています。25回もできました。
うさぎ:てつぼうで、前回りをしています。みんなとちがって、1回もできません。
てつぼうで前回りが1回もできないうさぎは、やまねこにばかにされて、元気をなくして、家に帰ってしまいました。きつねがうさぎを追いかけます。
ことり:きつねとうさぎは、空中を飛んでいることりを見て、絵画制作における創作のコツに気が付きます。なにかを見て、心が動く、感動する。感動=『すごいもの』ではなかろうか。自由な発想をする。なにものにもしばられない自由な思考が華(はな。人の心をつかむもの)を生む。本では『かきたいものをかく。かきたいからかく』と表現してあります。
きつねの絵を描く道具は、8色入りのクレヨンです。
描く紙はいろいろです。さんすうのノートのすみっこ、チラシや包み紙の裏(白いのでしょう)、地面、絵を描くことが大好きなきつねです。壁にも書いちゃうそうです。
絵本の絵が生き生きとしていていい。
どうぶつたちが、生きているようです。
絵をかくきつねは、神経質です。
自分が描いた絵が、人からどんなふうに見られるのか、どのように評価されるのか、とても気になります。(自分の書きたいように自由に書くのが『絵』です。いい絵を描こうとするといい絵は描けません)
きつねは、人をびっくりさせるようないい絵を描こうとチャレンジします。絵を描くためには素材が必要です。素材探しが始まります。素材=『すごいもの』です。
きつねは、ニジマスの絵を描いて、みんなから「じょうず」とほめられたい。
きつねは、できあがったニジマスの絵に不満があるらしく、絵を丸めてぽいと捨ててしまいました。
きつねは次に、りんごの絵を描きましたが、その絵もくしゃくしゃと丸めてぽいと捨てました。
2ページ見開きの大きな絵が出てきました。
きつねが木の枝の上にいて、きりっとした顔つきで左方向を見ています。
その隣の枝で、リスがやっぱり左方向を見ています。いい絵だなあ。
左方向に何が見えるのだろう?
絵を描く場合に、きつねが言うには、というか、きつねがまわりの人に言われるには、形がおかしかったり、クレヨンの色がはみだしたりするのはいけないらしい。(そんなことはありません。天才画家のピカソの絵は、素人目で見て、何が描いてあるのかわからない絵もあります。サルバドールダリの絵もそうです)
絵を描くときには、人からどう言われようと自分が描きたいように書くのです。自分を信じて、自分に自信をもって描くのです。いい絵を描こうと思って描いたら、そのさもしい(心が欲にまみれていやしい)気持ちが絵に表れます。いい絵にはなりません。
きつねは思うように絵を描けないので、崖の上に腰かけてさみしそうです。
夕焼け小焼けの空が赤く広がっています。
きつねの口から出てくるのは、ためいきばかりです。
きつねは、うさぎの家で知りました。
うさぎは、きつねが捨てたきつねが書いた絵を拾っていたのです。
うさぎは、そうやって拾った絵をたくさん、自宅の部屋の壁に掲示して飾っているのです。
くすのき:みきが太く、背は高くなる大きな木です。
うさぎは、くすのきに登ってみたいけれど、登れない。
きつねが描いた一枚一枚の絵について、うさぎの夢がうさぎの口から語られます。
見てみたいけれど、自分には見ることができない光景(シーン)が絵になっています。
小鳥が飛ぶシーンで、きつねがハッと気づきます。
(描きたいように描く)
きつねとうさぎの恋愛関係の始まりを感じさせるような後半部です。
てんらんかいの日がきました。
やまねこは、悪者役ですな。きつねの絵をけなします。
きつねが描いた絵は『うさぎの顔』です。
うさぎの顔は、写真のように写実的ではありませんが、いい感じの色合いです。描いたきつねの愛情が見た人に伝わってきます。全体的にオレンジ色の絵です。
うさぎの絵を見た人たちに笑顔が生まれます。
うさぎも喜んでいます。
幸福感に満ちたラストシーンです。
絶景を見る時は、スマホもデジカメも横に置いて、自分の瞳で風景をしっかり見て、脳みそにすばらしいシーンを焼き付けたほうがいい。自分で自分の脳みそに絵を描いて残しておくのです。
(つけたしとして)
先日動画配信サービスTVer(ティーバー)で番組『有吉クイズ』を見ました。(よくはわかりませんが、東海地区の地上波では放映されていないようです)
えびすよしかずさんと有吉弘行さんが合作で絵を描いている映像でした。
えびすさんは、太川陽介さんと路線バス乗り継ぎの旅をしていたころのような、はつらつとした輝きはない75歳ぐらいの認知症お年寄りになられていましたが、絵を書き出すと(本業は漫画家)のめり込むように時間が過ぎていきました。独特な絵なのですが、専門家の方はほめておられました。
絵が好きな人は、ちょっとほかの人とは生活習慣が違うのかもしれない。そんなことをこの絵本を読んだあとに思いました。自由な気持ちになりたいから絵を描くのでしょう。自分の世界をのびのびと、ひろびろと実現するのです。自分の気持ちを正直に表現できる人が、人を感心させる絵を描けるのでしょう。
絵描きさんの絵本です。
絵描きさんは、人間ではなくて『きつね』です。
絵を描くのにも悩みます。そんな話が書いてありました。
きつねとうさぎ、きつねが描いた絵を気に入らないきつねは、絵を丸めて、ポイとうしろのほうへ放り投げて捨てます。
うさぎが、紙のボールになった空中の紙ごみを見上げています。そんな絵から始まります。
登場人物が、いっぱいいます。順番に拾ってみます。
ショウリョウバッタ:草むらでよく見かけるバッタです。熊じいさんは、小学二年生のときに野原で捕まえて、お菓子の空き箱で飼育を試みたことがあります。最後は乾燥してカラカラの体になってしまいました。
えのころぐさ:キャラクターとして、動物や昆虫ではありませんが、これもよく見かける草です。稲のようなつくりで、穂があります。
やまねこ:野生のねこですな。
あひる:きつねとやまねこのけんかの仲裁役です。絵の展覧会があるよと、きつねに教えてくれます。
ニジマス:川魚(かわざかな)。サケ科。食用魚。おいしい。
いたち:いのししと、ボールあそびをしていた。
いのしし:いたちと、ボールあそびをしていた。
わし:鳥です。名古屋の東山動物園にいます。かっこいいです。かっこいいから、運動チームのシンボルマークになることも多いです。
あらいぐま:てつぼうで、前回りをしています。
ぶた:てつぼうで、前まわりをしています。4回できました。こぶたたちは、きょうだいで、兄と弟がいます。姉さんもいます。
りす:てつぼうで、前まわりをしています。16回できました。
やまねこ:てつぼうで、前回りをしています。25回もできました。
うさぎ:てつぼうで、前回りをしています。みんなとちがって、1回もできません。
てつぼうで前回りが1回もできないうさぎは、やまねこにばかにされて、元気をなくして、家に帰ってしまいました。きつねがうさぎを追いかけます。
ことり:きつねとうさぎは、空中を飛んでいることりを見て、絵画制作における創作のコツに気が付きます。なにかを見て、心が動く、感動する。感動=『すごいもの』ではなかろうか。自由な発想をする。なにものにもしばられない自由な思考が華(はな。人の心をつかむもの)を生む。本では『かきたいものをかく。かきたいからかく』と表現してあります。
きつねの絵を描く道具は、8色入りのクレヨンです。
描く紙はいろいろです。さんすうのノートのすみっこ、チラシや包み紙の裏(白いのでしょう)、地面、絵を描くことが大好きなきつねです。壁にも書いちゃうそうです。
絵本の絵が生き生きとしていていい。
どうぶつたちが、生きているようです。
絵をかくきつねは、神経質です。
自分が描いた絵が、人からどんなふうに見られるのか、どのように評価されるのか、とても気になります。(自分の書きたいように自由に書くのが『絵』です。いい絵を描こうとするといい絵は描けません)
きつねは、人をびっくりさせるようないい絵を描こうとチャレンジします。絵を描くためには素材が必要です。素材探しが始まります。素材=『すごいもの』です。
きつねは、ニジマスの絵を描いて、みんなから「じょうず」とほめられたい。
きつねは、できあがったニジマスの絵に不満があるらしく、絵を丸めてぽいと捨ててしまいました。
きつねは次に、りんごの絵を描きましたが、その絵もくしゃくしゃと丸めてぽいと捨てました。
2ページ見開きの大きな絵が出てきました。
きつねが木の枝の上にいて、きりっとした顔つきで左方向を見ています。
その隣の枝で、リスがやっぱり左方向を見ています。いい絵だなあ。
左方向に何が見えるのだろう?
絵を描く場合に、きつねが言うには、というか、きつねがまわりの人に言われるには、形がおかしかったり、クレヨンの色がはみだしたりするのはいけないらしい。(そんなことはありません。天才画家のピカソの絵は、素人目で見て、何が描いてあるのかわからない絵もあります。サルバドールダリの絵もそうです)
絵を描くときには、人からどう言われようと自分が描きたいように書くのです。自分を信じて、自分に自信をもって描くのです。いい絵を描こうと思って描いたら、そのさもしい(心が欲にまみれていやしい)気持ちが絵に表れます。いい絵にはなりません。
きつねは思うように絵を描けないので、崖の上に腰かけてさみしそうです。
夕焼け小焼けの空が赤く広がっています。
きつねの口から出てくるのは、ためいきばかりです。
きつねは、うさぎの家で知りました。
うさぎは、きつねが捨てたきつねが書いた絵を拾っていたのです。
うさぎは、そうやって拾った絵をたくさん、自宅の部屋の壁に掲示して飾っているのです。
くすのき:みきが太く、背は高くなる大きな木です。
うさぎは、くすのきに登ってみたいけれど、登れない。
きつねが描いた一枚一枚の絵について、うさぎの夢がうさぎの口から語られます。
見てみたいけれど、自分には見ることができない光景(シーン)が絵になっています。
小鳥が飛ぶシーンで、きつねがハッと気づきます。
(描きたいように描く)
きつねとうさぎの恋愛関係の始まりを感じさせるような後半部です。
てんらんかいの日がきました。
やまねこは、悪者役ですな。きつねの絵をけなします。
きつねが描いた絵は『うさぎの顔』です。
うさぎの顔は、写真のように写実的ではありませんが、いい感じの色合いです。描いたきつねの愛情が見た人に伝わってきます。全体的にオレンジ色の絵です。
うさぎの絵を見た人たちに笑顔が生まれます。
うさぎも喜んでいます。
幸福感に満ちたラストシーンです。
絶景を見る時は、スマホもデジカメも横に置いて、自分の瞳で風景をしっかり見て、脳みそにすばらしいシーンを焼き付けたほうがいい。自分で自分の脳みそに絵を描いて残しておくのです。
(つけたしとして)
先日動画配信サービスTVer(ティーバー)で番組『有吉クイズ』を見ました。(よくはわかりませんが、東海地区の地上波では放映されていないようです)
えびすよしかずさんと有吉弘行さんが合作で絵を描いている映像でした。
えびすさんは、太川陽介さんと路線バス乗り継ぎの旅をしていたころのような、はつらつとした輝きはない75歳ぐらいの認知症お年寄りになられていましたが、絵を書き出すと(本業は漫画家)のめり込むように時間が過ぎていきました。独特な絵なのですが、専門家の方はほめておられました。
絵が好きな人は、ちょっとほかの人とは生活習慣が違うのかもしれない。そんなことをこの絵本を読んだあとに思いました。自由な気持ちになりたいから絵を描くのでしょう。自分の世界をのびのびと、ひろびろと実現するのです。自分の気持ちを正直に表現できる人が、人を感心させる絵を描けるのでしょう。
2023年05月25日
ラブカは静かに弓を持つ 安檀美緒
ラブカは静かに弓を持つ 安檀美緒(あだん・みお) 集英社
24ページまで読んだところで感想を書き始めます。
本屋大賞の候補作でした。(大賞は別の作品が受賞しました)
タイトルの意味がわからなかったのですが、ラブカと呼ばれる人物が、チェロを弾くのだと、24ページまで読んで理解しました。
音楽著作権の不正利用を素材にした話になっていると思うのですが、著作権者にお金を払わずに楽譜を使用している大手の音楽教室会社を裁判で訴えて、著作権使用料を支払ってもらうというような流れに見えます。
この物語では、その不正使用を証拠として立証するために、著作権協会の職員がスパイとして音楽教室に入り込みドラマがスタートするようです。
自分の親族に、音楽教室運営がらみの仕事をしている人間がいます。
この本の素材は、以前、わたしたちふたりの雑談の中で話題になったことがらです。
たしか、裁判は、最終的には、最高裁判所で判決が出て、生徒には著作権使用料を支払う義務はないけれど、教える先生には著作権使用料の支払いを著作権協会が求めることができるというような内容で話を聞いた記憶です。(「求めることができる」ですから任意規定です。請求してもいいし、しなくてもいい)
なお、音楽教室は、演奏行為をする人物(法人格としての人)ではないので、著作権使用料の支払い義務の対象ではないという判断だったと思います。(ゆえに、生徒から集める月謝の中から著作権使用料は払わなくていい)
自分はその道のしろうとなので自信はありませんが、そんな雑談でした。
今度会った時に、この本の話をしてみます。(追記:話をしてみました。東京で実際にスパイ事件があったそうです。その事件がこの物語の素材になっているのかもしれません)
さしあたっての登場人物紹介です。(読みながら、徐々に書き足していきます)
橘樹(たちばな・いつき):12年ぶりにチェロを弾くことになりそうです。この人がスパイのポジションを務める『ラブカ』になるのでしょう。全日本音楽著作権連盟(通称「全著連」一般社団法人という設定でしょう)の職員です。13歳でチェロをやめて、12年がたっているので今は25歳です。
この春に人事異動で「広報部」から「資料部」に異動してきた。資料部は、閑職(かんしょく。簡単な業務で、暇な職場)である。広報部の前は、仙台支社にいました。
5歳から13歳までの8年間、チェロを弾いた。平成26年7月15日就職試験の面接でそう本人が面接官に語った。そのときの面接記録メモが人事担当部署の資料に残っている。
長野県松本市の出身のようです。松本市には、オーケストラのまちというようなイメージが自分にはあります。
実家は地元の名士のようです。祖父の勧めで、大きな屋敷でチェロを弾いていた。祖父と母親と自分の三人暮らし。祖父と母親は険悪な関係にあったらしい。橘樹の父親は、樹が小さい頃に家を出て行った。樹には父の記憶はない。
スパイ行為をするために録音機能付きボールペンを持っている。ウソの職業が公務員(東京都目黒区役所職員を名乗っている。緑地・公園、街路樹管理の仕事をしているように振る舞う)
こどものころになにやら事件に巻き込まれて、チェロを弾くことを辞めたらしい。
親族間の争いが原因で心の病(やまい)があるらしくクリニックに通院している。
スパイ活動を始めてから、自分が弾くチェロの音がメンタルの病気にはいいそうです。落ち着く。橘はチェロの演奏がうまくなりたい。
全著連の本社は、最上階が「理事室」、地下1階が「資料室」です。なにやら理事がらみで、組織内の権力闘争があるような雰囲気が、文脈にただよっています。派閥(はばつ。利害で結びついたグループ。人事権をもった人間がボスの場合が多い)があります。
全著連の役割は、日本国内の音楽著作権の管理です。
塩坪信弘(しおつぼ・のぶひろ):橘樹の新しい上司です。橘に音楽教室にもぐりこんで、二年間スパイ活動を行うよう指示します。小柄な中年男。鷹揚(おうよう。ゆったり。小さなことにこだわらない)。仕事人間
三船綾香:全著連の職員。橘樹になれなれしい。美人。所属は総務
湊良平:全著連の職員。橘樹より二歳年上
ミカサ:音楽教室を全国展開している大企業。生徒総数35万人。音楽教室内での演奏は、『公衆に対する演奏ではない』から、著作権使用料を支払う義務はないと裁判で主張する。(公衆に対する演奏をするときは、著作権者の許可が必要であるというようなことが、著作権法の第22条に書いてあるそうです)
(ミカサのチェロの先生)浅葉桜太郎(あさば・おうたろう):27歳。ハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽院卒業。最初はピアノをやっていた。4歳でピアノを始めて、11歳からチェロを始めた。兄と姉がいる。ハンガリーでのチェロの先生は、ハンス先生
(ミカサのチェロ教室の生徒)花岡千鶴子:初老の女性。レストラン『ヴィヴァーチェ』を経営している。最年長
(同じく生徒)青柳かすみ:女子大生。最初の登場時は大学2年生。二十歳ぐらい。人からは、かすみちゃんと呼ばれている。純朴そう。大学で幼児教育を学んでいる。幼稚園教員の資格試験を受ける。
(同じく生徒)蒲生芳実(がもう・よしみ):おっとり年配男性。ほっそり色白頬(ほほ)。花岡千鶴子の次に年長。東京都庁職員
(同じく生徒)梶山:42歳。化粧品会社勤務営業課長。体育会系の男性。ガードマンぽい。息子が10歳
(同じく生徒)片桐琢郎(かたぎり・たくろう):ひょうろ長い風貌(ふうぼう)。メガネが印象的。へらへら笑う青年。文系の大学院生
小野瀬晃(物語の中だけの架空の人物です):作曲家、チェロ奏者
海部(かいふ):作曲家
磯貝:全著連の職員
ピアスの医師:橘樹の主治医。精神科医師。自分の読み落としなのか、男性か女性かわかりませんでした。ピアスを付けているから女性なのでしょう。
小野瀬晃コンサート:チェロの演奏である『The Play』というタイトルの東京公演は、9月半ばの二日間。代表作『雨の日の迷路』
物語の構成は、第一楽章、第二楽章、エピローグです。オーケストラが奏でる(かなでる)クラッシック曲の演奏順みたいです。
第一楽章
音楽教室は、自分たちの都合がいいように勝手にタダで楽譜を使っていたという理屈と主張が上司の塩坪信弘にあります。そして、彼と橘樹は、裁判では、全著連が必ず勝つという確証をもっています。つまり、音楽教室は生徒から集めた受講料収入(月謝)のなかから、何パーセントかを全著連(著作権者)に支払うという判決が出る。(現実社会では、最終的には、そうはなりませんでしたが……)
カラオケスナックを対象とした著作権料を争う裁判の判決は、「管理・支配・利益性」がお店にあった。ゆえに、お店は「演奏の主体」と判断できるから、お店は著作権使用料を支払う義務があるという理屈です。(法律論は、なかなかむずかしい。音楽教室もカラオケスナックのお店と同様な気がします。作者はどんなメッセージをこの物語で読者に送ろうとしているか?)
公衆とは:①特定多数の者 ②不特定の者
ミカサ音楽教室二子玉川店(ふたこたまがわてん。6階建て、1・2階が楽器店舗、3・4階が音楽教室とスタジオ、5・6階がコンサートホール):橘樹が音楽教室の生徒になりすまして、スパイとして潜入する店舗です。
数年前にリニューアルした旗艦店(きかんてん。中核となるべき店舗)職務命令です。断れません。いや、違法行為なら断れるか。でも、違法行為ではないでしょう。
スパイ行為を断ればこの仕事を辞めてくれ。断らなければ出世・昇進・昇給を約束するとも言われそうです。まあ、物語ですから、橘は、この仕事を受けるでしょう。
橘は、12年ぶりにチェロを演奏することになりそうです。
橘は、人づきあいが得意ではないから、潜入先で深い関係になる人間はいないだろうという上層部の見込みです。(なかなかそうはならないと思います)
上司が『ポップスを弾いてみたい』と店側に言うように橘くんに指示しました。
おもしろそうです。
橘樹に、リスクとチャンスが与えられました。
実地調査委員会:全著連内にある秘密のチームのようです。
(つづく)
チェロ:バイオリンの三倍の厚みがある。高さは約130cm
橘樹には依存症があるのだろうか。
アルコール依存症とか、薬物依存症の気配があります。
今は、通院・服薬をしながら耐えている。
やっかいな病気があるようです。
眠れないそうです。
不眠症ですが、睡眠不足と限界まできたときの突然の寝落ちがあるそうです。危ない。(あぶない)
赤坂派と神楽坂派(かぐらざかは):全著連内の派閥。会合に使う場所で分けてある。
赤坂派:橘の上司である塩坪に言わせると、下品な人たちが所属しているそうです。
神楽坂派:上品。橘の上司である塩坪信弘が所属している。
著作権収入である『利益』という砂糖の山に集まった人間たちがいます。みんなでその『利益』をワケワケして生活していくのです。
公務員の天下りがあるようです。国家公務員の定年退職後のポストが関連法人に用意してある。
文化庁と全著連のなれあいです。関係者みんなで、利益を共有します。
いま47ページを読んでいます。
チェロではありませんが、葉加瀬太郎さんが演奏するバイオリンの音が脳内に流れてきます。情熱大陸のメロディーです。
文章や話の運びが平坦な感じがします。
でこぼことしたものが、いまのところありません。
映画の台本のような流れです。
シーンが目に浮かびます。
感覚を『地上1.5メートル』と高さで表現する。
舞台劇のようでもあります。
7月初旬、訴状が全著連に届く。
ミカサ側が著作権使用料規定に関する協議をしたい。
新聞は、全著連を悪役扱いしている。
ミカサは全著連と著作権使用料の取り扱いについて協議したい。
合意しない時は、ミカサは、文化庁長官に裁定を申請するが、新規程『音楽教室における演奏等』の前に裁定の申請があれば、裁定があるまで全著連は新規程を実施できない。音楽教室からお金をとれない。使用料徴収は過去にさかのぼれない。
12年前、橘樹はチェロ教室の帰り道に誘拐されそうになった。
路上でかかえあげられて、拉致(らち:連れ去り)されて車に押し込ませそうになったが、背中に背負ったチェロとそのケースがワンボックスカーのドアにひっかかって体が車両の中に入らないところにタクシーが通りかかって犯人は誘拐をあきらめた。誘拐未遂事件です。北朝鮮のしわざのようです。犯人は、こどものときにいなくなった父親だろうか。それとも金持ちのこどもだと思われたからの誘拐だろうか。(実は実家はお金がないそうです。門と塀だけが立派なだけの古くて大きな屋敷だそうです)
どういうわけか、祖父と母の怒りが『チェロ』に向かっています。チェロ教室に通っていたから誘拐されそうになった。祖父はチェロを庭で焼いて灰にしてしまいました。(読後、このへんの扱いが未回収になっていると感じました)なお、チェロの教室通いを勧めたのは祖父です。その理由はわかりません。
橘樹は13歳でチェロをやめていますから、12年前のことなら、今は25歳です。
トランジット:乗りかえ、移動
レンタルのチェロを借りて自宅に持って行ってカラオケボックスで練習する。
レッスンの時は、スタジオのチェロを借りる。
眠れない病気をチェロに治してもらうのか。
二子多摩川(ふたこたまがわ):テレビ番組『出没!アド街ック天国』で、ニコタマというふうに言われているのを見たことがあります。
シャンディガフ:ビールベースのカクテル。ビールをジンジャーエールで割る。
不遜(ふそん):おごりたかぶっている。
味に煩い:あじにうるさい
パテ:フランス料理。肉や魚をつぶしてペースト状、ムース状にする。
アラビアータ:イタリア料理。唐辛子をきかせたトマトソース
パブロ・カザルス:スペインのチェロ奏者、指揮者、作曲家。1973年(昭和48年)96歳没
マジャール語:ハンガリーで話されている言葉
音楽業界で演奏者としてやっていくのには人脈が必要
人事権をもっている人とケンカすると干される。(ほされる)
実力一本だけでは、勝負できない世界
そんなことが書いてあります。
ハンガリーには、音楽と温泉がある。
首都はブタペスト
12月23日に発表会がある。土曜日。場所は、ミカサ音楽教室二子玉川店5階ホール
モンテスラ:観葉植物。葉に穴があいている形。サトイモ科
戦慄のラブカ(わななきのラブカ):曲名。チェロ奏者小野瀬晃(物語の中だけの架空の人物です)の作品。映画音楽で使用された。ピアノから始まる。ピアノ伴奏が付いたチェロ演奏のための曲。わななき:体や手足が震える。声や楽器の音が震える。
使用された映画は、スパイ映画。「ラブカ」は深海魚の名前。醜い魚(みにくい)。スパイを指す(さす)。ラブカは、ヘビのような、サメのような、ウナギのような顔と体をもつ。(本のカバー絵を見ていたら、その魚の絵が描いてありました)165cmから200cm近くの長さ。水深120mから1280mの位置ぐらいで生息している。妊娠期間が三年半と長い。
物語ではスパイをラブカにたとえてあります。なんの光も届かない真っ暗なところにいる。
映画でのスパイ(諜報員ちょうほういん)は、天涯孤独の身の上だったが、潜入先の敵国であたたかいもてなしを受けて心が変わる。
劇伴(げきばん):BGM。バックグラウンドミュージック。背景伴奏
105ページ付近を読みながら思うことは、橘樹は、最終的に仕事を辞めることになるのかもしれない。
(つづく)
『チェロという楽器は、響きがすべてだ』(納得できます)
『座標が狂う』(音を座標にたとえてあります。座標:点の位置)
この本の作者は『うまい演奏(じょうずな演奏)』という錯覚を読者に対して創り出そうとしている。(つくりだそうとしている。暗示をかける行為)
チェロの先生である浅葉桜太郎は、生徒である橘樹のスパイ行為(音楽教室への潜入調査)を知っているように見える。
すべてのことは、橘樹の上司である塩坪信宏が仕組んだことという発想もできる。その目的はわからないが…… わたしの妄想(もうそう)かもしれない。(読み終えて:わたしの妄想でした)
音楽の音の世界は、抽象的な世界です。
ドッツァウワー:ドイツのチェリスト、作曲家
オートクチュール:オーダーメイドの最高級仕立服
(ここから、第二楽章です)
二年が経過しています。
青柳かすみは、大学四年生になっています。
マスタークラス:教室の先生が受講する。研修のようなものです。三夜連続チェロのクラスで浅葉桜太郎が受講しました。教えるのは第一線のチェロ演奏家です。
読んでいて思うのは、チェロってこんなに人気があるのだろうか。(地味な楽器の印象があります)
青柳かすみの幼稚園教員試験筆記試験が6月。筆記試験に通ればその後面接と実技がある。
教室のメンバーによるレストラン「ヴィヴァーチェ」でのチェロアンサンブルの演奏は10月(アンサンブル:合奏)。その後、年末近くに教室の発表会がある。
橘樹の潜入調査は、6月で終わる。6月でミカサを退会します。教室のみんなとの縁は切れます。裁判所での証人尋問は7月の予定
トリル:装飾音
『(音楽著作権)不正使用楽曲の一覧』がある。
最初から感じていたことですが、平面的な感じがする作品です。でこぼこした感じがありません。感情のでこぼこです。
コンクールのことが書いてあります。全日本音楽コンクールとあります。国内最高峰の音楽コンクールだそうです。音楽に限らず『なんとか賞』というものは、主催団体にとって、都合がいい人、都合がいい作品が選ばれるのだとわたしは思っています。質が最高にいいかどうかは疑わしいときもあります。
小野瀬晃チェロ演奏作品として『難破(なんぱ)』
読んでいて思うのですが、作曲家である小野瀬晃という人物が、どんな人物なのかの描写が不足しています。イメージがふくらみません。彼の人物像がはっきりしません。
カノン:きれいな曲です。映像でよく使われます。
お金のことはシビア(厳しい)です。著作権で食べている人間にとっては生活がかかっています。世間では、請求されなければ、なんでもタダだと思っている人間は多い。最初からお金を払うつもりがなく、物を買ったり、お金を借りたりする人もいます。善人はだまされます。
『営利目的の楽曲使用』のことが書いてあります。
縺れて:もつれて。読めませんでした。
スパイ行動(潜入調査活動)は信頼関係を裏切る行為です。悪人がやることです。橘樹には、罰(ばつ)が下るでしょう(くだるでしょう)。
『(チェロ講師である)浅葉の無自覚な裕福さは窺えた(うかがえた)』(クラシック音楽の演奏者は、親世代などが裕福で、生活費の心配がない人たちだろうという先入観が自分にはあります)
『(盗聴録音機能付きの)ボールペン』(ばれているような気がします)
浅葉桜太郎には、橘樹のスパイ行動を知っててだまっているような雰囲気があります。(ばれていませんでした)
橘樹が属する全著連の組織、とくに上層部の人間の雰囲気として、ページを読んでいると「自分は悪くない。お前が悪いんだ。(上司である、あるいはその上の幹部である自分は、悪くない。部下のおまえが悪いんだ)」というような論調につながっていく、橘樹にとっては悲劇につながるものを感じます。
組織の上層部の人たちは、著作権者ではないけれど、著作権使用料で食べていく人たちです。著作権使用料という砂糖の山に集まる人たちです。
総務に所属する三船綾香が、なにかにからんできそうです。
裁判になれば、橘樹は、裁判所で証言することになる。その場に、教室のメンバーはいるに決まっているのです。相手にも弁護士が付きます。反論の証人を出すでしょう。
橘樹がそのプレッシャーに耐えられたら、たいしたものです。将来幹部職員になれるかもしれません。そのかわり、人望は失うでしょう。
(つづく)
橘樹のスパイ行為(潜入調査)は、音楽教室のメンバーたちの数人には、ばれているのではないか。知っている人は、知らないふりをしているだけではなかろうか。(わたしの予想ははずれました)
チェロ講師の浅葉桜太郎は、橘樹のボールペンが、録音機能付きのものだと気づいているだろう。
もうひとり、東京都庁に勤務している東京都職員の蒲生芳実なら、都内特別区の目黒区役所職員だと名乗る橘樹の名前を職員名簿で調べたのではないか。
団体や会社では、内部で情報を共有するために、職員や社員の所属と役職名、氏名を載せた名簿をつくっているでしょう。名簿には、橘樹の名前はない。橘樹は、目黒区役所の職員ではない。蒲生芳実は、橘樹が、ウソをついていると思うでしょう。
組織命令に従っているとはいえ、橘樹は悩み始めます。彼のスパイ行為で、自分に親切にチェロの弾き方を教えてくれているチェロ講師浅葉桜太郎の人生の流れが変わるのです。
リスケ:リ・スケジュール。予定変更
洋画『タイタニック』のなかのひとつのシーン:音楽演奏家たちが、沈んでゆく大型船の甲板で楽器を弾き続けながら、明るい雰囲気で、海に沈んでいく。(映像を覚えています。人間はだれしもいつかは死ぬ。自殺しなくてもだれもが最後は死ぬ。どんな死に方を迎えるのか、自分で考えておく。この部分の文章を読みながら、そんなことを思いました)
三十歳になろうとする浅葉桜太郎がチェロのコンクールに挑戦します。(いまさら感があります)
この部分を読みながら世代の差を感じました。自分たちの世代は、三十歳のときは、もう小さなこどもをかかえていて、生活することに追われていました。
橘樹が動きます。
昔、読んだ本を思い出しました。『勇気ってなんだろう 江川紹子 岩波ジュニア文庫』ちゃんとやろうとした人とその家族が、ボロボロになっていった実話です。一般社会の大衆からみれば、標準的な生活の枠の外で生きることを実行した人たちです。「正義」を貫くのです。仕返しを受けるのは不正を告発した本人だけではありません。本人と同居する何も知らない家族も攻撃されます。孤立とか孤独という厳しい環境を体験されています。
橘樹もその本の内容と似たような行動をとります。
橘樹は、イヤならイヤときちんと上司に話をすべきです。無言の行動は身を滅ぼします。まわりも巻き込み不幸に堕ちます。(おちます)選択の仕方や、やり方が間違っています。
小野瀬晃のチェロコンサートが二日間の連続で開催される。
橘樹は、初日のチケットをゲットした。
青柳かすみは二日目のチケットを手に入れた。
なるほど、やっぱりという展開になります。(ここには書けません)
傾いでいく:かしいでいく。かたむいていく。
繋がる:つながる。
有耶無耶:うやむや。こういう漢字だとは知りませんでした。ふりがながふってあります。
大団円(だいだんえん):物事がうまく収まり、円満な結末を迎えること。
ピンズ:ピンバッジ。この物語の場合は『社章(しゃしょう)』。サラリーマンのたぐいは、会社のシンボルマークをスーツの左襟に付けます。身分証明とともに、本人にとっては、心理的な支えとしての誇りや自信であったりもします。
被る:かぶる。こうむる。229ページにある『女だって被ったことないし……』は、意味がわかりませんでした。
佳人:かじん。美しい女性
抉る:えぐる。心臓をもするどくえぐった。(243ページ)
シーリングファン:天井に取り付ける扇風機
ターコイズのピアス:トルコ石の耳飾り。青から緑の色
身を竦ませる:すくませる
カウンセリング:メンタルクリニックにて。保険適用はない。60分1万円。わたしはそういうものはきらいです。相手にみおろされて評価されることは屈辱です。
(ところどころ、読めない漢字や意味がわからない漢字が出てきて、読書の目が止まってしまいます。書き手さんには「ひらがな」でいいですとお伝えしたい。こちらの本の書き手さんには、話が盛り上がってくると、むずかしい漢字を使うことを好む傾向がみられます。読み手は苦しい)
悲しくなってくる話です。
橘樹は、ラブカになった。
『講師と生徒のあいだには、信頼があり、絆(きずな)があり、固定された関係がある……』(講師も生徒も音楽が好きだから演奏するのです。橘樹は違う目的で教室に参加していた)
『音楽教室には、信頼と絆(きずな)があるんだそうですよ』(権力を行使する組織にはないのかもしれません)
チェロを弾くときは、弦を押さえる左手よりも、弓を弾く右手のほうが重要だそうです。
音楽教室のメンバーは、みなさん人柄がいい。
制服職場(サラリーマンのスーツも制服のようなものです)の場合は、命令には服従です。見返りが給料や社会保障です。お金のためには、イヤなこともがまんしてやります。生活していくためです。家族のために働いています。
262ページ、まだ話は終わっていませんが、いい話でした。
スパイというものは、敵からも味方からも責められる立場にあります。
『仕事』じゃなくて『会社』が好きな人はいます。
会社が家庭で、上司や先輩・同僚・後輩が家族です。昭和の時代は、会社の名前を最初につけて、○○一家(いっか)と言って仲良しをアピールするベテランがいました。ボスがいて、子分がいる社会です。徒弟制度(とていせいど)の面もあります。師匠と弟子です。
あばれる人は、思索ができない人です。(しさく:深く、広く、考える)
良かった表現として『……この世のすべてはおまえのせいか……』
『花』には、気持ちとか、願いとか、祈りがこめられています。
橘樹は新卒から五年の就労を経て、春の時期を迎えています。
手に入る予定だった二億円以上を失い、その代わりになにかを得ました。
物語づくりの基本は、最後は最初のシーンに戻るのです。
ラストは、なにかのシーンで観たような(みたような)気がしますが、思い出せません。
いい話でした。
24ページまで読んだところで感想を書き始めます。
本屋大賞の候補作でした。(大賞は別の作品が受賞しました)
タイトルの意味がわからなかったのですが、ラブカと呼ばれる人物が、チェロを弾くのだと、24ページまで読んで理解しました。
音楽著作権の不正利用を素材にした話になっていると思うのですが、著作権者にお金を払わずに楽譜を使用している大手の音楽教室会社を裁判で訴えて、著作権使用料を支払ってもらうというような流れに見えます。
この物語では、その不正使用を証拠として立証するために、著作権協会の職員がスパイとして音楽教室に入り込みドラマがスタートするようです。
自分の親族に、音楽教室運営がらみの仕事をしている人間がいます。
この本の素材は、以前、わたしたちふたりの雑談の中で話題になったことがらです。
たしか、裁判は、最終的には、最高裁判所で判決が出て、生徒には著作権使用料を支払う義務はないけれど、教える先生には著作権使用料の支払いを著作権協会が求めることができるというような内容で話を聞いた記憶です。(「求めることができる」ですから任意規定です。請求してもいいし、しなくてもいい)
なお、音楽教室は、演奏行為をする人物(法人格としての人)ではないので、著作権使用料の支払い義務の対象ではないという判断だったと思います。(ゆえに、生徒から集める月謝の中から著作権使用料は払わなくていい)
自分はその道のしろうとなので自信はありませんが、そんな雑談でした。
今度会った時に、この本の話をしてみます。(追記:話をしてみました。東京で実際にスパイ事件があったそうです。その事件がこの物語の素材になっているのかもしれません)
さしあたっての登場人物紹介です。(読みながら、徐々に書き足していきます)
橘樹(たちばな・いつき):12年ぶりにチェロを弾くことになりそうです。この人がスパイのポジションを務める『ラブカ』になるのでしょう。全日本音楽著作権連盟(通称「全著連」一般社団法人という設定でしょう)の職員です。13歳でチェロをやめて、12年がたっているので今は25歳です。
この春に人事異動で「広報部」から「資料部」に異動してきた。資料部は、閑職(かんしょく。簡単な業務で、暇な職場)である。広報部の前は、仙台支社にいました。
5歳から13歳までの8年間、チェロを弾いた。平成26年7月15日就職試験の面接でそう本人が面接官に語った。そのときの面接記録メモが人事担当部署の資料に残っている。
長野県松本市の出身のようです。松本市には、オーケストラのまちというようなイメージが自分にはあります。
実家は地元の名士のようです。祖父の勧めで、大きな屋敷でチェロを弾いていた。祖父と母親と自分の三人暮らし。祖父と母親は険悪な関係にあったらしい。橘樹の父親は、樹が小さい頃に家を出て行った。樹には父の記憶はない。
スパイ行為をするために録音機能付きボールペンを持っている。ウソの職業が公務員(東京都目黒区役所職員を名乗っている。緑地・公園、街路樹管理の仕事をしているように振る舞う)
こどものころになにやら事件に巻き込まれて、チェロを弾くことを辞めたらしい。
親族間の争いが原因で心の病(やまい)があるらしくクリニックに通院している。
スパイ活動を始めてから、自分が弾くチェロの音がメンタルの病気にはいいそうです。落ち着く。橘はチェロの演奏がうまくなりたい。
全著連の本社は、最上階が「理事室」、地下1階が「資料室」です。なにやら理事がらみで、組織内の権力闘争があるような雰囲気が、文脈にただよっています。派閥(はばつ。利害で結びついたグループ。人事権をもった人間がボスの場合が多い)があります。
全著連の役割は、日本国内の音楽著作権の管理です。
塩坪信弘(しおつぼ・のぶひろ):橘樹の新しい上司です。橘に音楽教室にもぐりこんで、二年間スパイ活動を行うよう指示します。小柄な中年男。鷹揚(おうよう。ゆったり。小さなことにこだわらない)。仕事人間
三船綾香:全著連の職員。橘樹になれなれしい。美人。所属は総務
湊良平:全著連の職員。橘樹より二歳年上
ミカサ:音楽教室を全国展開している大企業。生徒総数35万人。音楽教室内での演奏は、『公衆に対する演奏ではない』から、著作権使用料を支払う義務はないと裁判で主張する。(公衆に対する演奏をするときは、著作権者の許可が必要であるというようなことが、著作権法の第22条に書いてあるそうです)
(ミカサのチェロの先生)浅葉桜太郎(あさば・おうたろう):27歳。ハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽院卒業。最初はピアノをやっていた。4歳でピアノを始めて、11歳からチェロを始めた。兄と姉がいる。ハンガリーでのチェロの先生は、ハンス先生
(ミカサのチェロ教室の生徒)花岡千鶴子:初老の女性。レストラン『ヴィヴァーチェ』を経営している。最年長
(同じく生徒)青柳かすみ:女子大生。最初の登場時は大学2年生。二十歳ぐらい。人からは、かすみちゃんと呼ばれている。純朴そう。大学で幼児教育を学んでいる。幼稚園教員の資格試験を受ける。
(同じく生徒)蒲生芳実(がもう・よしみ):おっとり年配男性。ほっそり色白頬(ほほ)。花岡千鶴子の次に年長。東京都庁職員
(同じく生徒)梶山:42歳。化粧品会社勤務営業課長。体育会系の男性。ガードマンぽい。息子が10歳
(同じく生徒)片桐琢郎(かたぎり・たくろう):ひょうろ長い風貌(ふうぼう)。メガネが印象的。へらへら笑う青年。文系の大学院生
小野瀬晃(物語の中だけの架空の人物です):作曲家、チェロ奏者
海部(かいふ):作曲家
磯貝:全著連の職員
ピアスの医師:橘樹の主治医。精神科医師。自分の読み落としなのか、男性か女性かわかりませんでした。ピアスを付けているから女性なのでしょう。
小野瀬晃コンサート:チェロの演奏である『The Play』というタイトルの東京公演は、9月半ばの二日間。代表作『雨の日の迷路』
物語の構成は、第一楽章、第二楽章、エピローグです。オーケストラが奏でる(かなでる)クラッシック曲の演奏順みたいです。
第一楽章
音楽教室は、自分たちの都合がいいように勝手にタダで楽譜を使っていたという理屈と主張が上司の塩坪信弘にあります。そして、彼と橘樹は、裁判では、全著連が必ず勝つという確証をもっています。つまり、音楽教室は生徒から集めた受講料収入(月謝)のなかから、何パーセントかを全著連(著作権者)に支払うという判決が出る。(現実社会では、最終的には、そうはなりませんでしたが……)
カラオケスナックを対象とした著作権料を争う裁判の判決は、「管理・支配・利益性」がお店にあった。ゆえに、お店は「演奏の主体」と判断できるから、お店は著作権使用料を支払う義務があるという理屈です。(法律論は、なかなかむずかしい。音楽教室もカラオケスナックのお店と同様な気がします。作者はどんなメッセージをこの物語で読者に送ろうとしているか?)
公衆とは:①特定多数の者 ②不特定の者
ミカサ音楽教室二子玉川店(ふたこたまがわてん。6階建て、1・2階が楽器店舗、3・4階が音楽教室とスタジオ、5・6階がコンサートホール):橘樹が音楽教室の生徒になりすまして、スパイとして潜入する店舗です。
数年前にリニューアルした旗艦店(きかんてん。中核となるべき店舗)職務命令です。断れません。いや、違法行為なら断れるか。でも、違法行為ではないでしょう。
スパイ行為を断ればこの仕事を辞めてくれ。断らなければ出世・昇進・昇給を約束するとも言われそうです。まあ、物語ですから、橘は、この仕事を受けるでしょう。
橘は、12年ぶりにチェロを演奏することになりそうです。
橘は、人づきあいが得意ではないから、潜入先で深い関係になる人間はいないだろうという上層部の見込みです。(なかなかそうはならないと思います)
上司が『ポップスを弾いてみたい』と店側に言うように橘くんに指示しました。
おもしろそうです。
橘樹に、リスクとチャンスが与えられました。
実地調査委員会:全著連内にある秘密のチームのようです。
(つづく)
チェロ:バイオリンの三倍の厚みがある。高さは約130cm
橘樹には依存症があるのだろうか。
アルコール依存症とか、薬物依存症の気配があります。
今は、通院・服薬をしながら耐えている。
やっかいな病気があるようです。
眠れないそうです。
不眠症ですが、睡眠不足と限界まできたときの突然の寝落ちがあるそうです。危ない。(あぶない)
赤坂派と神楽坂派(かぐらざかは):全著連内の派閥。会合に使う場所で分けてある。
赤坂派:橘の上司である塩坪に言わせると、下品な人たちが所属しているそうです。
神楽坂派:上品。橘の上司である塩坪信弘が所属している。
著作権収入である『利益』という砂糖の山に集まった人間たちがいます。みんなでその『利益』をワケワケして生活していくのです。
公務員の天下りがあるようです。国家公務員の定年退職後のポストが関連法人に用意してある。
文化庁と全著連のなれあいです。関係者みんなで、利益を共有します。
いま47ページを読んでいます。
チェロではありませんが、葉加瀬太郎さんが演奏するバイオリンの音が脳内に流れてきます。情熱大陸のメロディーです。
文章や話の運びが平坦な感じがします。
でこぼことしたものが、いまのところありません。
映画の台本のような流れです。
シーンが目に浮かびます。
感覚を『地上1.5メートル』と高さで表現する。
舞台劇のようでもあります。
7月初旬、訴状が全著連に届く。
ミカサ側が著作権使用料規定に関する協議をしたい。
新聞は、全著連を悪役扱いしている。
ミカサは全著連と著作権使用料の取り扱いについて協議したい。
合意しない時は、ミカサは、文化庁長官に裁定を申請するが、新規程『音楽教室における演奏等』の前に裁定の申請があれば、裁定があるまで全著連は新規程を実施できない。音楽教室からお金をとれない。使用料徴収は過去にさかのぼれない。
12年前、橘樹はチェロ教室の帰り道に誘拐されそうになった。
路上でかかえあげられて、拉致(らち:連れ去り)されて車に押し込ませそうになったが、背中に背負ったチェロとそのケースがワンボックスカーのドアにひっかかって体が車両の中に入らないところにタクシーが通りかかって犯人は誘拐をあきらめた。誘拐未遂事件です。北朝鮮のしわざのようです。犯人は、こどものときにいなくなった父親だろうか。それとも金持ちのこどもだと思われたからの誘拐だろうか。(実は実家はお金がないそうです。門と塀だけが立派なだけの古くて大きな屋敷だそうです)
どういうわけか、祖父と母の怒りが『チェロ』に向かっています。チェロ教室に通っていたから誘拐されそうになった。祖父はチェロを庭で焼いて灰にしてしまいました。(読後、このへんの扱いが未回収になっていると感じました)なお、チェロの教室通いを勧めたのは祖父です。その理由はわかりません。
橘樹は13歳でチェロをやめていますから、12年前のことなら、今は25歳です。
トランジット:乗りかえ、移動
レンタルのチェロを借りて自宅に持って行ってカラオケボックスで練習する。
レッスンの時は、スタジオのチェロを借りる。
眠れない病気をチェロに治してもらうのか。
二子多摩川(ふたこたまがわ):テレビ番組『出没!アド街ック天国』で、ニコタマというふうに言われているのを見たことがあります。
シャンディガフ:ビールベースのカクテル。ビールをジンジャーエールで割る。
不遜(ふそん):おごりたかぶっている。
味に煩い:あじにうるさい
パテ:フランス料理。肉や魚をつぶしてペースト状、ムース状にする。
アラビアータ:イタリア料理。唐辛子をきかせたトマトソース
パブロ・カザルス:スペインのチェロ奏者、指揮者、作曲家。1973年(昭和48年)96歳没
マジャール語:ハンガリーで話されている言葉
音楽業界で演奏者としてやっていくのには人脈が必要
人事権をもっている人とケンカすると干される。(ほされる)
実力一本だけでは、勝負できない世界
そんなことが書いてあります。
ハンガリーには、音楽と温泉がある。
首都はブタペスト
12月23日に発表会がある。土曜日。場所は、ミカサ音楽教室二子玉川店5階ホール
モンテスラ:観葉植物。葉に穴があいている形。サトイモ科
戦慄のラブカ(わななきのラブカ):曲名。チェロ奏者小野瀬晃(物語の中だけの架空の人物です)の作品。映画音楽で使用された。ピアノから始まる。ピアノ伴奏が付いたチェロ演奏のための曲。わななき:体や手足が震える。声や楽器の音が震える。
使用された映画は、スパイ映画。「ラブカ」は深海魚の名前。醜い魚(みにくい)。スパイを指す(さす)。ラブカは、ヘビのような、サメのような、ウナギのような顔と体をもつ。(本のカバー絵を見ていたら、その魚の絵が描いてありました)165cmから200cm近くの長さ。水深120mから1280mの位置ぐらいで生息している。妊娠期間が三年半と長い。
物語ではスパイをラブカにたとえてあります。なんの光も届かない真っ暗なところにいる。
映画でのスパイ(諜報員ちょうほういん)は、天涯孤独の身の上だったが、潜入先の敵国であたたかいもてなしを受けて心が変わる。
劇伴(げきばん):BGM。バックグラウンドミュージック。背景伴奏
105ページ付近を読みながら思うことは、橘樹は、最終的に仕事を辞めることになるのかもしれない。
(つづく)
『チェロという楽器は、響きがすべてだ』(納得できます)
『座標が狂う』(音を座標にたとえてあります。座標:点の位置)
この本の作者は『うまい演奏(じょうずな演奏)』という錯覚を読者に対して創り出そうとしている。(つくりだそうとしている。暗示をかける行為)
チェロの先生である浅葉桜太郎は、生徒である橘樹のスパイ行為(音楽教室への潜入調査)を知っているように見える。
すべてのことは、橘樹の上司である塩坪信宏が仕組んだことという発想もできる。その目的はわからないが…… わたしの妄想(もうそう)かもしれない。(読み終えて:わたしの妄想でした)
音楽の音の世界は、抽象的な世界です。
ドッツァウワー:ドイツのチェリスト、作曲家
オートクチュール:オーダーメイドの最高級仕立服
(ここから、第二楽章です)
二年が経過しています。
青柳かすみは、大学四年生になっています。
マスタークラス:教室の先生が受講する。研修のようなものです。三夜連続チェロのクラスで浅葉桜太郎が受講しました。教えるのは第一線のチェロ演奏家です。
読んでいて思うのは、チェロってこんなに人気があるのだろうか。(地味な楽器の印象があります)
青柳かすみの幼稚園教員試験筆記試験が6月。筆記試験に通ればその後面接と実技がある。
教室のメンバーによるレストラン「ヴィヴァーチェ」でのチェロアンサンブルの演奏は10月(アンサンブル:合奏)。その後、年末近くに教室の発表会がある。
橘樹の潜入調査は、6月で終わる。6月でミカサを退会します。教室のみんなとの縁は切れます。裁判所での証人尋問は7月の予定
トリル:装飾音
『(音楽著作権)不正使用楽曲の一覧』がある。
最初から感じていたことですが、平面的な感じがする作品です。でこぼこした感じがありません。感情のでこぼこです。
コンクールのことが書いてあります。全日本音楽コンクールとあります。国内最高峰の音楽コンクールだそうです。音楽に限らず『なんとか賞』というものは、主催団体にとって、都合がいい人、都合がいい作品が選ばれるのだとわたしは思っています。質が最高にいいかどうかは疑わしいときもあります。
小野瀬晃チェロ演奏作品として『難破(なんぱ)』
読んでいて思うのですが、作曲家である小野瀬晃という人物が、どんな人物なのかの描写が不足しています。イメージがふくらみません。彼の人物像がはっきりしません。
カノン:きれいな曲です。映像でよく使われます。
お金のことはシビア(厳しい)です。著作権で食べている人間にとっては生活がかかっています。世間では、請求されなければ、なんでもタダだと思っている人間は多い。最初からお金を払うつもりがなく、物を買ったり、お金を借りたりする人もいます。善人はだまされます。
『営利目的の楽曲使用』のことが書いてあります。
縺れて:もつれて。読めませんでした。
スパイ行動(潜入調査活動)は信頼関係を裏切る行為です。悪人がやることです。橘樹には、罰(ばつ)が下るでしょう(くだるでしょう)。
『(チェロ講師である)浅葉の無自覚な裕福さは窺えた(うかがえた)』(クラシック音楽の演奏者は、親世代などが裕福で、生活費の心配がない人たちだろうという先入観が自分にはあります)
『(盗聴録音機能付きの)ボールペン』(ばれているような気がします)
浅葉桜太郎には、橘樹のスパイ行動を知っててだまっているような雰囲気があります。(ばれていませんでした)
橘樹が属する全著連の組織、とくに上層部の人間の雰囲気として、ページを読んでいると「自分は悪くない。お前が悪いんだ。(上司である、あるいはその上の幹部である自分は、悪くない。部下のおまえが悪いんだ)」というような論調につながっていく、橘樹にとっては悲劇につながるものを感じます。
組織の上層部の人たちは、著作権者ではないけれど、著作権使用料で食べていく人たちです。著作権使用料という砂糖の山に集まる人たちです。
総務に所属する三船綾香が、なにかにからんできそうです。
裁判になれば、橘樹は、裁判所で証言することになる。その場に、教室のメンバーはいるに決まっているのです。相手にも弁護士が付きます。反論の証人を出すでしょう。
橘樹がそのプレッシャーに耐えられたら、たいしたものです。将来幹部職員になれるかもしれません。そのかわり、人望は失うでしょう。
(つづく)
橘樹のスパイ行為(潜入調査)は、音楽教室のメンバーたちの数人には、ばれているのではないか。知っている人は、知らないふりをしているだけではなかろうか。(わたしの予想ははずれました)
チェロ講師の浅葉桜太郎は、橘樹のボールペンが、録音機能付きのものだと気づいているだろう。
もうひとり、東京都庁に勤務している東京都職員の蒲生芳実なら、都内特別区の目黒区役所職員だと名乗る橘樹の名前を職員名簿で調べたのではないか。
団体や会社では、内部で情報を共有するために、職員や社員の所属と役職名、氏名を載せた名簿をつくっているでしょう。名簿には、橘樹の名前はない。橘樹は、目黒区役所の職員ではない。蒲生芳実は、橘樹が、ウソをついていると思うでしょう。
組織命令に従っているとはいえ、橘樹は悩み始めます。彼のスパイ行為で、自分に親切にチェロの弾き方を教えてくれているチェロ講師浅葉桜太郎の人生の流れが変わるのです。
リスケ:リ・スケジュール。予定変更
洋画『タイタニック』のなかのひとつのシーン:音楽演奏家たちが、沈んでゆく大型船の甲板で楽器を弾き続けながら、明るい雰囲気で、海に沈んでいく。(映像を覚えています。人間はだれしもいつかは死ぬ。自殺しなくてもだれもが最後は死ぬ。どんな死に方を迎えるのか、自分で考えておく。この部分の文章を読みながら、そんなことを思いました)
三十歳になろうとする浅葉桜太郎がチェロのコンクールに挑戦します。(いまさら感があります)
この部分を読みながら世代の差を感じました。自分たちの世代は、三十歳のときは、もう小さなこどもをかかえていて、生活することに追われていました。
橘樹が動きます。
昔、読んだ本を思い出しました。『勇気ってなんだろう 江川紹子 岩波ジュニア文庫』ちゃんとやろうとした人とその家族が、ボロボロになっていった実話です。一般社会の大衆からみれば、標準的な生活の枠の外で生きることを実行した人たちです。「正義」を貫くのです。仕返しを受けるのは不正を告発した本人だけではありません。本人と同居する何も知らない家族も攻撃されます。孤立とか孤独という厳しい環境を体験されています。
橘樹もその本の内容と似たような行動をとります。
橘樹は、イヤならイヤときちんと上司に話をすべきです。無言の行動は身を滅ぼします。まわりも巻き込み不幸に堕ちます。(おちます)選択の仕方や、やり方が間違っています。
小野瀬晃のチェロコンサートが二日間の連続で開催される。
橘樹は、初日のチケットをゲットした。
青柳かすみは二日目のチケットを手に入れた。
なるほど、やっぱりという展開になります。(ここには書けません)
傾いでいく:かしいでいく。かたむいていく。
繋がる:つながる。
有耶無耶:うやむや。こういう漢字だとは知りませんでした。ふりがながふってあります。
大団円(だいだんえん):物事がうまく収まり、円満な結末を迎えること。
ピンズ:ピンバッジ。この物語の場合は『社章(しゃしょう)』。サラリーマンのたぐいは、会社のシンボルマークをスーツの左襟に付けます。身分証明とともに、本人にとっては、心理的な支えとしての誇りや自信であったりもします。
被る:かぶる。こうむる。229ページにある『女だって被ったことないし……』は、意味がわかりませんでした。
佳人:かじん。美しい女性
抉る:えぐる。心臓をもするどくえぐった。(243ページ)
シーリングファン:天井に取り付ける扇風機
ターコイズのピアス:トルコ石の耳飾り。青から緑の色
身を竦ませる:すくませる
カウンセリング:メンタルクリニックにて。保険適用はない。60分1万円。わたしはそういうものはきらいです。相手にみおろされて評価されることは屈辱です。
(ところどころ、読めない漢字や意味がわからない漢字が出てきて、読書の目が止まってしまいます。書き手さんには「ひらがな」でいいですとお伝えしたい。こちらの本の書き手さんには、話が盛り上がってくると、むずかしい漢字を使うことを好む傾向がみられます。読み手は苦しい)
悲しくなってくる話です。
橘樹は、ラブカになった。
『講師と生徒のあいだには、信頼があり、絆(きずな)があり、固定された関係がある……』(講師も生徒も音楽が好きだから演奏するのです。橘樹は違う目的で教室に参加していた)
『音楽教室には、信頼と絆(きずな)があるんだそうですよ』(権力を行使する組織にはないのかもしれません)
チェロを弾くときは、弦を押さえる左手よりも、弓を弾く右手のほうが重要だそうです。
音楽教室のメンバーは、みなさん人柄がいい。
制服職場(サラリーマンのスーツも制服のようなものです)の場合は、命令には服従です。見返りが給料や社会保障です。お金のためには、イヤなこともがまんしてやります。生活していくためです。家族のために働いています。
262ページ、まだ話は終わっていませんが、いい話でした。
スパイというものは、敵からも味方からも責められる立場にあります。
『仕事』じゃなくて『会社』が好きな人はいます。
会社が家庭で、上司や先輩・同僚・後輩が家族です。昭和の時代は、会社の名前を最初につけて、○○一家(いっか)と言って仲良しをアピールするベテランがいました。ボスがいて、子分がいる社会です。徒弟制度(とていせいど)の面もあります。師匠と弟子です。
あばれる人は、思索ができない人です。(しさく:深く、広く、考える)
良かった表現として『……この世のすべてはおまえのせいか……』
『花』には、気持ちとか、願いとか、祈りがこめられています。
橘樹は新卒から五年の就労を経て、春の時期を迎えています。
手に入る予定だった二億円以上を失い、その代わりになにかを得ました。
物語づくりの基本は、最後は最初のシーンに戻るのです。
ラストは、なにかのシーンで観たような(みたような)気がしますが、思い出せません。
いい話でした。