2023年08月08日

がまんのケーキ かがくいひろし

がまんのケーキ かがくいひろし 教育画劇

 おもしろそうな絵です。
 絵には特徴があります。
 絵はシャープ(するどい)ではありません。もったりしています。
 どじょうのようなものがいちごケーキにはりついています。
 それは、なまずのようでもあります。
 ケーキを山登りのように登っているように見えます。
 その右側には、ヒゲを生やした、あやしげなカメが、これまた山登りのような姿勢で、ケーキにしがみついています。

 表紙をめくったら、先日テレビで観た『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』に出ていた『うばがもち』のような形をしたケーキが目に飛び込んできました。モンブランだろうか。たぶんモンブランでしょうな。

 さらにページをめくったら、ネズミが作文を書いている後ろ姿の絵がまんなかにでてきました。(読み終えて:ネズミではありませんでした。カエルでした。作文ではなく、お手紙でした)

 なまずが言います。『かめぞうさん(ケーキを食べようよ)』
 食べたいけれど、なにかを待っているから食べられないというような状況設定があります。
 (だれかが来るのを待っているのか)

 おや?! なまずはなまずではありませんでした。コイ(鯉)でした。
 コイの名前は『こいたろう』です。
 ふたりが待っているのは『けろこさん』です。カエルですな。
 けろこさんは、買い物に行っているそうな。

 おもしろい。
 ケーキが、こいたろうに『わたしをたべて』って言っているらしい。(そんなこと、ケーキは言ってません)
 こいたろうの口が『ずずずず』とケーキがある方向へのびていきます。ストローのようでもあります。
 
 おーー こいたろうの口が、ゾウの鼻のようになっています。
 これは、ちびっこに、うけそうです。

 こいたろうは、ひっくりかえって、食べたい食べたいとだだをこねます。(甘える。すねる)
 あかちゃんか幼児のようです。

 ヒゲづらをしたかめぞうも、ケーキを食べたいようすです。
 
 これは、けろこさんの帰りを待たずして、ふたりはケーキを食べてしまうのではなかろうか。

 おもしろい! かめぞうの首がろくろっくびのようにびよーんとのびました。
 この絵本を親戚のちびっこにプレゼントする絵本にします。
 今年読んで良かった一冊です。

 ページをめくって、さらにめくて、人情モノになります。
 けろこさんから、ふたりへのお手紙が見つかります。
 ふふふふふ(笑い) おもしろい内容のお手紙です。お手紙の力は強い。
 おいしい紅茶を買ってくるから待っててねです。ケーキは、おあずけです。
 お手紙を読んだふたりがうなだれます。(頭を下げる)
 がまんはだいじです。

 けろこさんの顔の絵がどーんと出てきます。
 いい絵だなーー

 よかったよかった。

 作者のかがくいひろしさんは、2009年(平成21年)に54歳でがんのためにお亡くなりになっています。
 この絵本は、2009年が初版です。
 以前『だるまさんが』のシリーズでお世話になりました。その絵本を読みながら、2歳ぐらいだった孫をぎゅーっと抱きしめてあげると、孫はうれしそうな満足した表情をしていました。ちっちゃいこどもとのスキンシップはだいじです。
 さらに、だるまさんのお弁当箱セット(ランチボックス)の抽選にも当たっていい思いをしました。
 作者は亡くなっても作品は残ります。次々と生まれてくるちびっこたちを楽しませてくれます。  

Posted by 熊太郎 at 07:50Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月03日

どんぐりむらのぱんやさん なかや・みわ

どんぐりむらのぱんやさん なかや・みわ作 学研

 表紙のカバーの一部分を切り取って組み立てるとお人形さんあそびができるようです。どんぐりのキャラクターとぱんやの店舗がつくれます。ぱんやさんごっこです。

 絵本の中には、どんぐり新聞とか、広告パンフレットがはさみこんであります。学研らしい手法の売り方です。おまけで購買意欲を誘います。わたしはこういうやりかたは好みません。絵本なら絵本本体の中身で勝負してほしい。

 表紙をめくって、絵がかわいい。
 こどもさんに好かれるでしょう。
 ぱんやは、朝が早い。
 どんぐりのかぞくがぱんやをいとなんでいます。
 ぱぱとままが朝早くからぱんをつくっています。

 ほんわかとした世界です。
 やさしい世界です。
 茶色がベース(下地したじ)の絵の色合いがいい。
 働くぱぱとままですから、ちびっこふたりは保育園に通っています。
 この絵本は、両親が働いているこどもが読むと、こどもさんに実感がわく絵本です。

 この絵本の特徴は、文章運びとか、ストーリー展開よりも、絵の描写に力が入っている絵本と感じられます。絵が生き生きとしています。

 両親が共働きだから、家族メンバーにとって、思いどおりにならないこともあります。
 予定していた遊園地遊びに行けません。

 新しいぱんをつくる話がでます。
 新しいぱんづくりはうまくいきません。
 なんというか、ものごとというものは、新しいから、いいというものでもありません。
 新しいから、いいと考えるのは勘違いのときもあります。
 昔からあるものを未来に向かっても続けていくことが、いいこともあります。
 先日観たテレビ番組『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』では、江戸時代以前、戦国時代の400年以上前から続いているおもちの和菓子が紹介されていました。たしか『うばがもち』という滋賀県のものでした。心のこもった一品(いっぴん)をそのまま続けていってもいいのです。

 両親にだまって、新しいぱんづくりをするこどもたちですが、両親にだまっていては、うまくありません。脳みそのなかにあることは、なるべく言葉に変えて、口から声を出して、相手に伝えるようにしたほうがいい。だまっていると誤解が生まれて人間関係がうまく運ばなくなります。

 どんぐりが、ぱんをつくるという設定はかわいらしくていい。

 さいごにできたあたらしいぱんの絵を見てびっくりしました。
 さきほど書いた『うばがもち』に似ています。
 やはり、いいものは同じ形に落ち着くのです。  

Posted by 熊太郎 at 06:21Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年08月02日

魔女だったかもしれないわたし エル・マクニコル

魔女だったかもしれないわたし エル・マクニコル・著 櫛田理恵・訳 PHP

 小学生高学年向けの児童文学です。読みながら感想を書き足していきます。
 まず、自分としては『魔女』という存在が、日本人にはなじみが少ないと思いつきます。
 ハリーポッターぐらいでしょうか。
 自分がこどものころに見ていたマンガ『魔法使いサリー』とか『秘密のアッコちゃん』も魔法使いだったとは思いますが、もう歳をとってしまって、はっきりとは思い出せません。

 宗教のからみでしょうか。魔女とか魔法とか悪魔とかは、ヨーロッパ、とくにイギリスの独特な文化と感じます。日本にはありません。ゆえにピンときません。
 外国人は犯罪をすると、たまに『悪魔』がその行為をするようにしむけたと弁明することがあります。日本人には理解できないいいわけです。悪魔のせいにして、すべてが許される風土が外国にはあるのでしょうか。

 そんな、なんやかんやを思いながらの読書が始まります。
 場所はイギリスのジュニパーという村です。(家は少ない。歯医者、医者がひとりずつ。教会、学校、スーパー、葬儀場、銀行がそれぞれひとつある。こぢんまりとした小さな村)
 グーグルマップで見つけました。イギリスの島のまんなかあたりです。北にグラスゴー、南にマンチェスターがあります。グラスゴーの東にエジンバラがあります。
物語の中の季節は9月です。外国ですから新学期です。ひとクラスは34人ぐらい。

 アディ(アディライン):主人公11歳女子。小学生でしょう。5人家族。両親とふたごの姉がいる。なにやら、村で開催される委員会で『過去に、ここにいた魔女の慰霊碑(いれいひ)』をつくろうと提案します。(最初は無視される。そのあとは、これから読むのでわかりませんが、きっと慰霊碑ができて、シャンシャンの結末を迎えるのではないと予想をつけてみる)(左に書いた予想は当たりました)
 サメが好き。サメには骨がない。サメには、第六感がある。電気を感知できる。血のにおいがわかる。ヨシキリザメ。ニシオンデンザメ。
 イルカはみんな同じ顔をしている。イルカは社会性があるとされることについて、アディはなんの関心ももてない。イルカに対して、サメは個体ごとに個性が異なる。それぞれがまるっきり違う。
 読んでいると、登場人物の何人かは、なんだか心身に障害があることで差別されているみたいです。まだ最初のほうを読んだだけですが……

 アディの父親:月曜日は父親がパスタをつくる。スーパーで働いている。

 アディの母親:夜勤がある仕事をしている。職業はわかりません。

 キーディ・ダロウ:ふたごの姉のうちのひとり。大学生。背が高い。18歳。妹とは11歳違い。自閉的だそうです。自閉的:対人関係がにがて。強いこだわりをもつ。アディも自閉的。キーディは、仮面をかぶっているらしい。魔女の本を読んでいる。なんだか、キーディが魔女のような見た目に思えてきます。

 ニナ:ふたごの姉のうちのもうひとり。大学には行っていない。動画の投稿をしている。(ユーチューバーか)。茶色の髪。ピアス。
 キーディとニナは双子だが、一卵性ではないから似ていない。キーディの顔は丸くてすっきりしているが、ニナの顔は彫り(ほり)が深い。

 ジェンナ:主人公アディの親友。お互いに幼稚園のときからの友だち。将来は美容師をめざしている。

 マーフィ先生(アディのクラスの担任):もともとの担任は、ブライト先生だった。マーフィ先生は自閉的児童を嫌う。扱いやすい児童が好き。アディをいじめる。同じく自閉的なアディの姉キーディもいじめた。仕事で楽をしたい。自分に手がかかる児童はあてがうなという主張あり。教師歴は30年。無知でおく病で、人を差別する人間

 オードリー:ロンドンからの転校生 ひだりきき。背が高い。黒髪、黒い目をしている。(昔、ひだりききは『魔女』とされていた)。オードリーの兄ダニエルは、オックスフォードの大学に通っている。
 ロンドンにいるときは、カナリーワーフというところに住んでいた。(ロンドン東部)。オードリーはいつかアメリカ合衆国のニューヨークに住みたい。オードリーという名前は、映画女優「オードリーヘップバーン」からとった。オードリーは、歌手になりたい。

 エミリー:クラスメート。エミリーは、アディを好きではないようす。自閉的なアディをいじめるのですが、どうもエミリー自身にも障害があるようです。識字障害か。むずかしい文章の本を読むことができない。エミリーはアディの類語辞典の理解力をねたんでいる。アディの集中力をねたんでいる。(ねたむ:人の高い能力をうらむ。にくむ。自分よりも高い位置にいることを許せない)

 マッキントッシュ:地域の委員会の委員長

 リサ・マクラーレン:地域住民のひとり。委員会で、公園について提案した。夜間、若者が公園に出入りすることを禁止してほしい。喫煙ほか非行の場所、たまり場になっている。

 レアード:住民。ジュニパークにいるガチョウを処分しろという提案。却下

 フラハティのおばあさん:住民。バス停を坂道ではなく、平坦な道のところへ移動してほしい。

 ミリアム・ジェンセン:老女。金持ちの世捨て人。ジュニパーの森にゴミが捨てられていることについて、問題であるから解決しなければならないという趣旨で、村の委員会にゴミ対策を提案する。
 アーネストという名前を付けたカメを飼っている。

 クレイグ:キーディ三姉妹の子守りだが、児童に暴力をふるう。

 ジャッキー:主人公宅のお隣さん

 マギー:ずいぶん昔のことですが、ジュニパー出身で魔女扱いされて苦労した女性。悪魔と結婚していると言われたそうです。おそらく、肉体的な苦痛を与えられて(拷問:ごうもん)、「自分は魔女だ」と自白(じはく。自分の口から言う)したのだろうとのこと。

 図書館司書アリソン先生:くりくりの黒髪に大きめの眼鏡をかけている。背が高い。たぶん男性(外国人は名前だけでは男女の区別がつきにくいです)

 パターソン:エジンバラ大学で博士号をとっている。歴史の先生のようです。魔女の歴史を紹介します。

 ジーン:魔女狩りの犠牲者。人づきあいが悪かった。いつもひとり。ぼそぼそ話す。けんか相手に呪い(のろい)の言葉をあびせた。(悪意のあるおまじない)<自分が思うに、この世に、呪いも魔法も存在しません>

 メアリー:過去の人。魔女狩りの犠牲者。村で変人扱いされていた。お金を恵んでもらっていた。頭が弱いと思われていた。今でいうところの知的障害だった。私的制裁にかけられた。でっちあげ(無実の罪)だった。メアリーには否定する能力がなかった。メアリーは自分が魔法を使ったと認めた。

 ロバート・バーンズ:スコットランドの国民的詩人。1759年-1796年。37歳没。作品として「蛍の光」「故郷の空」

 ラティーマ先生:演劇の先生

 ボニー:ふたごの姉のキーディが13歳ぐらいのころのキーディの友だち女子。母子家庭のこども。精神病の施設に強制的に入れられた。メルトダウンの発作があった。(メルトダウン:精神的に追い詰められてパニックになる)。キーディにとっての親友

 マクブライド:村の委員会の委員。カラザーズという豚を飼っている。そのブタは、ブタ競争の全国大会で5回優勝している。イギリス王室主催のハイランド・ショーにも出場する予定がある。

 ラッジ:アディ宅の隣人

 ブライト先生:ニナが小学生だった時の担任の先生。こどもみんなをわけへだてなく大事にしてくれた。

 クラス担任のマーフィ先生が、主人公のアディを叱っているシーンから始まります。『なんですか、このひどい字は』(字がじょうずに書けない人もいますが、まずは、読めればいいのではないか)アディがつくった物語の文章を見て腹を立てて、その紙を破っているところからこの話はスタートするのです。

 アディのひとり語りが続きます。
 
 スティミング:自己刺激行動。同じ動作や音を繰り返す行動。主人公のアディと姉のキーディにある。手をひらひらさせる。手で頭の後ろをたたく。ニューロティピカル(定型発達の人)。仮面をかぶる。いろいろたいへんそうです。

 ジャーマンシェパード:ドイツ原産の犬。シェパード

 昔、魔女の疑いをかけられて、処刑された女性たちがいたそうです。裁判にかけられて処刑される。(真実としては『魔女』ではなかった)手足をしばられて、ノア湖に投げこまれた。(ノア湖は、現在プリンセス・ストリート・ガーデンと呼ばれる公園になっている)拷問(ごうもん。肉体的な苦痛を与えて自白を強制する)があった。

 スコットランド:島の北部。イギリスを構成する地域
 『スコットランドの魔女裁判』
 
 36ページまできました。あまりおもしろくありません。
 
 村役場で村の委員会が開催される。月に2回あるそうです。どうして、委員会において、11歳、未成年で選挙権のないアディに意見を言う発言権があるのか不思議です。地域の単なる集会か。
 委員会の委員のメンバーは、男性が5人、女性が1人。委員長が、マッキントッシュさん。(マッキントッシュは「レインコート」という意味だそうです)

 アディの委員会での提案理由は、罪のない女性たちを弔いたい。慰霊碑を建てたい。(とむらいたい。魔女とされて、処刑された女性たちの気持ちに気づいてなぐさめたい。不当に命が奪われた)<観光地をめざしている村の方針に逆らう提案だと指摘されました>
 障害があるアディと姉のキーディは、昔なら、自分たちは『魔女扱い』されて処刑されていたと理解しているようです。

 ユーチューバーのニナが、動画で情報と意見を発信するようです。
 
 コンシーラ:化粧品。隠す。目の下のクマや顔のシミを隠すために使う。

(うーむ。慰霊碑をつくるだけのことなら、村の委員会にかけなくても、自力で、有志を募って(ゆうしをつのって。同じ意見をもつ人たちで集まってお金を集めて)、土地と場所、お金を用意して、慰霊碑をつくればいいだけの話ではなかろうか…… 人にやってもらおうとするからうまくいかない。有志を募って(つのって)協力すればいい)(読み続けていたら137ページに『お金なら自分でなんとかします!』というアディの言葉が出てきました)(最終的にはお金持ちのスポンサー(援助者)が現れています)
 
 自閉症の人の脳みその中を表現してあります。
 昔、自閉症とか知的障害の人が『魔女』扱いされたと読み取れます。
 障害者差別があります。
 ものごとの悪いことは、魔女のせいにするのです。
 『呪われた子(のろわれたこ)』『悲劇』などと指摘されます。
 いじめです。
 命まで奪います。
 人間がもつ『悪』について書いてあります。

 自閉症の人の脳みその中の状態のひとつが書いてあります。
 『ときどき、人の表情を読み取るのがすごく大変なことがある。本心と違う表情をされると、わけがわからなくなる』

 もうひとつは『欲』について書いてあります。
 ユーチューバーの人がもつ『欲』です。
 “たくさんの人に動画をみてもらいたい”
 だから、人の目を引くために、してはいけないことをします。
 物語では、障害者をさらしものにします。
 障害者差別があります。
 
 学校というきゅうくつな世界です。
 学校は、卒業してしまえば、時間がたつごとに遠ざかっていく世界です。
 社会に出ると、学校でなにがあったのかは無関係です。

 リース川へ遠足に行く。
 魔女の歴史や当時のようすについて説明がある。
 魔女と疑われたものは裁判にかけられる。
 宗教がからんでいます。
 教区ごとに長老会がある。そこで尋問と証拠の提出がある。
 エジンバラにある組織が刑を執行する。
 しかし、ルール破りの私的制裁があった。法律によらず、勝手に制裁を加えた。
 自閉的なアディの脳みその中ではリアルな光景が展開されます。
 スコットランド(イギリスの地域)の話が出ます。魔女裁判の記録がよく残っている。ロージアン地域に魔女が多くいた。魔女は、キャッスルヒルに連れていかれて殺された。拷問も多かった。
 処刑の方法として、吊るし首(つるしくび。イングランドが一般的)、スコットランドは火刑(かけい。ひあぶり)。
 アディは、魔女とされた女性たちが自分と似ていると気づきます。
 
 障害児は普通学級ではなく、特別支援学校に行かせたほうがいいというような争論話があります。
 基準を人情におくなら、普通学級で健常者の児童と一緒に学ばせましょうとなります。ただ、それは感情論です。うまくいかないような気がします。
 喜怒哀楽の感情を抜いて、冷静にこどものことを中心に考えるなら専門の学校へ行かせたほうがいい。以前読んだ本に、障害児を普通学級に行かせた不幸が書いてありました。
 『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 五十嵐大(いがらし・だい) 幻冬舎』
 著者の父親:後天性の聴覚障害者。幼少期の病気が原因で聴覚を失った。
 著者の母親:生まれつき音を知らない先天性の聴覚障害者
 著者の母親について、次のような記述がありました。
 (母方の)祖父母は障害をもつ子の親の気持ちとして、養護学校ではなく、著者の母親を普通学級に通わせた。そのことで、母親は言葉をわからないままに育つことになった。

 もう一冊あります。
 『育児まんが日記 せかいはことば 齋藤陽道(さいとう・はるみち) ナナロク社』
 著者は、耳が不自由だったのですが、学校は普通学校で補聴器をつけて学習していたのですが、その後補聴器をつけない生活を選択されています。その部分を読んだ時の読書メモです。
 「著者は、小中学生のころ普通学級に行っています。中学校卒業後、ろう学校に入学されています。そのあいだ、補聴器を付けて無理に聴こえない音を聴こうとして苦しんでいました。著者は、二十歳の誕生日で補聴器を付けることをやめました。楽になれました」補聴器がなくても、聴覚障害者としての学習で、日常生活を送ることができるのです。

 魔女の本では、86ページに『……一対一で面倒(めんどう)をみてもらえるところへ移ったほうがいいんじゃないかと(アディについて)』と教師の勧めがあります。
 母親は教師の勧めをきっぱりと断りました。(その場はかっこいいけれど、こどものためにはならないのです。まずこどもにとっての良き未来を考えたい)

 アディの両親は働いていて、家族全員がそろって夕食をとることは少ない。

 ジャコバイトの劇:反革命勢力(王さま側)1688年イングランドで起きた名誉革命
 マリー・アントワネット:フランス国王ルイ16世の妻。フランス革命で処刑された。1755年-1793年。37歳没
 ロバート一世:スコットランドの国王。1274年-1329年。54歳没

 算数や数学の問題を解くのは、たいていは学校にいるときだけです。おとなになると、お金の計算はしますが、たいていの計算は、そこまでです。
 国語も同様で、社会人で漢字を書けない人もけっこういます。
 本の中では先生がアディに対して、けっこうきつい態度です。自閉的な児童が嫌いなことがよくわかります。先生は、標準的な人間が好きなのです。標準的な人間は先生にとって手がかからず扱いやすいからです。

 今を生きている人が、遠い過去(魔女のことは、日本では1500年代の戦国時代のころと思われる)にしばられなければならないのだろうか。(慰霊碑をつくるというアディの希望に対して、174ページに、「……関係した人たちはみな、とっくに亡くなってるんだよ。なんの意味があるわけ?」とあります。そのことに対して、アディが反論しています。障害者差別があった。記録を残しておかないと未来において同じことが起こるということがアディの主張です)なんというか、歴史は繰り返すものです。それが人間です。なかなかとめられません。人間は世代交代していくから、過去の悔いを体験していない世代は、同じ間違いをおかすのです。

 村の委員会では、老人(老害)VS若者たちという構図があります。
 委員長のマッキントッシュの権限が強い。どうして、なんでもかんでも否決する権限が委員長に与えられているのだろうか? 民主主義は多数決です。

 ちょくちょく出てくるのが、アディが使っている『類語辞典』です。自閉的なアディの心の友です。辞典の中身を暗記することができるのがアディの能力です。
 
 エミリーは、アディをトイレに呼び出して、いじわるなことをします。
 アディがついにきっぱりと断りました。
 『またトイレでエミリーから意地悪されるのはごめんだから』(呼び出されても、わたしはトイレには行かない)
 「もう行かない!」(相手の言いなりにならないことはだいじです)
 共感できない人とはつきあう必要はありません。とかく、学校はきゅうくつです。

 スコットランドの5ポンド(紙幣):日本円には両替できないようです。感覚としては850円ぐらいか(自分なりの感じです)アディが寄付で隣人ラッジからもらった額です。

 ドゥリヒ:スコットランド語。どんよりとした。みじめな。

 事件が起きます。エミリーが、アディの類語辞典をハサミで切ります。アディは発狂したようになりエミリーに暴力をふるい続けます。アディの類語辞典にエミリーの字で「知恵遅れ」と書いてあります。

 続けて、激しい内容の記述があります。
 わたしはその部分を読みながら思いました。
 アディの気持ちはわかるけれど、自分は歳(とし)をとった。もう不正な行為を糾弾(きゅうだん。悪いことだと指摘して非難すること)するような情熱が体の中から出てこない。自分はこの物語でいう村の委員会の委員長のマッキントッシュ氏のような立ち位置です。保守的です。変化することが苦手です。

 校庭監視員:よくわかりませんが、イギリスにある、保護者なり学校関係者が、いじめ行為がないか監視するシステムようです。

 学校の先生というのは、いい先生とそうでない先生がいます。
 いい先生は、こどものことを最優先で考えてくれています。
 なかには悪人(いじめる側。いじめる側に地元の有力者がいたりする)の味方をする先生もいます。
 
 日本だと人権擁護委員会(じんけんようごいいんかい。法務省の管轄)に申し立てをしなければならないような事案に発展していきます。
 障害者団体に相談ということもあるでしょう。

 小学生にはむずかしい本です。

 三人姉妹が協力する姿が素敵です。

 読んでいて、いじめってなんだろうなあと考えます。いじめをする人の性格についてです。
 自分の体験だと、いじめる人は、人生の途中でいじめをやめる人がいます。
 ご本人が大病などして苦労されると、いじめをしなくなる性格に変化されます。
 苦労体験をされないと、ずーっといじめる人として人生を過ごしてお亡くなりになります。全部がそうだとは言えませんが……
 
 サメが物語の伏線になっています。予定調和で仲良しに見えるイルカはよくて、孤独で行動しそうに見えるサメはだめという感じ方があります。
 『海にはあらゆる魚が欠かせない』(アディの姉であるキーディの声)

 アディは、魔女だと指摘された女性たちと自分は同じだと主張します。標準的ではないことで差別されてみせしめに殺された。
 社会が『標準的』であることを求めた。あるいは、当時の権力者や権力をもつ組織が大衆に自分たちにとって支配するのに都合(つごう)のいい『人間像』を求めるようにしむけた。
 イルカが標準で、サメが例外的な存在です。イルカはみんな同じ顔をして仲良しごっこをしている。サメは一匹一匹が違っていて、それぞれ特別な能力を身に着けている。(そんな書きぶりです)
 
 『スコットランド類語辞典』(オードリーからアディへのプレゼント本)

 ショートブレッド:スコットランドの伝統的な菓子。ビスケットみたいな感じ。
 ハロウィーン:毎年10月31日に開催されるお祭り。古代アイルランドが起源。現代は、宗教色はない。商業的なお祭り。

 なかなか重い話題でした。
 印象的だったのは、ふたごの姉妹で、自閉的な姉には、友だちが障害者の女性ひとりしかいなかったが、ふたりのきずなは強かった。
 いっぽう、社交的な妹にはおおぜいのとりまきの女ともだちがいたが、年月が流れてみると、たくさんいた友だちはひとりもいなくなっていた。最初から本当の意味での友だちはひとりもいなかったという部分でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月29日

5番レーン ウン・ソホル作

5番レーン ウン・ソホル作 ノ・インギョン絵 すんみ訳 すずき出版

 小学生高学年向けの韓国児童文学で、小学校の水泳部員のお話です。

カン・ナル:主人公女子。漢江小学校(はんがんしょうがっこう。漢江(はんがん)は韓国ソウルを流れる川です)日本とは制度が違うのか13歳で小学生です。(あとのページで、韓国は数え年で、生まれたときが1歳で年齢計算が始まるそうです)
 水泳部のエース。水泳部員6年生でグループチャットをつくっている。カン・ナルは6年2組です。6年3組のチ・スンナムと付き合っているらしい。(あとでわかるのですが、チ・スンナムとは、幼稚園のときからの友だち。恋愛関係にはない)
 カン・ナルの水泳人生は8年。5歳からYMCAの子どもスポーツ団で水泳を始めた。水泳部長の男子部員チ・スンナムも同時期にその場にいた。
 カン・ナルは、競泳での勝負に負ける『いいわけ』が多い。
 わたしなりに表現すると『やりくり』という言葉と同意味です。
 自分にとって都合のいいように物事を解釈するのが『やりくり』です。
 カン・ナルは、タイムを0.1秒縮めるために学校のプールを百往復する。

カン・ボドゥル:カン・ナルの姉でカン・ナルより2歳年上。中学2年生だろうか。水泳をしているが、中学になって、競泳から飛込(とびこみ)に種目変更した。タイムが伸びず身長も伸びなかった。両親はスポーツ選手。飛び込み台は10mが一番高い。この本の中では5mでの飛び込み台シーンから始まります。
 作品中に『競泳』と『飛込』の比較があるようです。『競泳』は他人との闘いで、『飛込』は自分との闘いと読み取れます。高いところから落ちながら体を回したりねじったりするわけですから、恐怖なのですが、演技している本人には快感があるようです。
 とくに水中に入ったあとの泡の光景がいいらしい。ボドゥルは、3位以内のメダルにはこだわりません。自分のめざす目標の演技に近づければいい。ボドゥルは『克服する』喜びを知っています。

テム・サラン:女子水泳部員

パク・セチャン:男子水泳部員。背泳ぎ担当

シン・ドンヒ:女子水泳部員。平泳ぎ担当

チ・スンナム:水泳部部長。わたしは最初おとなだと思っていましたが違っていました。6年生の水泳部員の中での部長です。そして、わたしは最初女子だと思っていましたが違っていました。男子児童で、主人公のカン・ナルと付き合っているといううわさがあります。(でも、たんなる幼ななじみの友だちです)

キム・チョヒ:他校(プルン小学校)の優秀な水泳アスリート(競技者)女子。カン・ナルよりも腕が長く、泳ぎも速い。主人公のカン・ナルが5番レーン、ライバルのキム・チョヒが4番レーンです。(4番は予選タイムで一番速い人のレーン)キム・チョヒの水着が光るそうです。(なにかを隠している?)

チョン・テヤン:転校生男子。6年2組。背が高い。水泳部に入って、水泳をやりたい気持ちが強い。カン・ナルの隣の席に座る。
 テヤンは『大洋』と書く。広い海に向かって進め。小学3年生から近所のスポーツセンターで水泳を習っていた。けっこう速そうです。
 チョン・テヤンの見た目はかっこいいそうです。それから、腕が長い。バタフライ担当。
 将来科学者になりたい夢がある。人類は月の土地に今まで12人が立った。アメリカ合衆国のアポロ計画でした。

イ・ジフン:児童。同学年でしょう。

ウ・ジミン:児童。クラスメート女子。チョン・テヤンに片思いをしている。

ジンミョン:アイドルグループ『ブラックホール』のメンバー

ライカ:犬の名前

 ざーっとページをめくって250ページにある『訳者あとがき』から読んでみる。
 韓国の学校では、水泳を習わないそうです。(でもこの物語では、漢江小学校の水泳部員です。訳者の学校では水泳の授業がなかったということだろうか。ちょっとよくわかりません)
 大学受験や就職活動における競争社会のことが書いてあります。(人生は、そこまでよりも、そこからのほうがはるかに永い(ながい))
 物語の主題として(テーマ)『勝ち負けにこだわらない』『なぜ水泳をしているのか(自分は何をしたいのか)を考える』ということが提示されています。

 次に読んだのが、245ページにある選評です。選評:選ばれた作品の講評。第21回文学トンネ児童文学賞大賞を受賞した作品です。(トンネは出版社)
 ここまで読んできて、先日テレビ番組アメトークを思い出しました。『スイミングクラブ芸人』というものでした。こどものころスイミングクラブに通っていた芸人さん男女が楽しい思い出話を話してくれて盛り上がりました。

 タイトル『5番レーン』というは、プールのコースが5つ(いつつ)あるということだろうか、それとも、5番目のレーンということだろうか。(5番目のレーンということでした。ちなみに、4番レーンに立つ人の予選タイムが良くて、一番速い人が泳ぐレーンのようです)
 
 さて、最初から読み始めます。
 10ページの挿絵(さしえ。物語のシーン(場面))がきれいです。透き通った(すきとおった)色合いです。
 50m自由形の競争です。韓国の全国ジュニア体育大会です。
 キム・チョヒ26秒75、カン・ナル29秒33(かなり遅い)4位
 
 16ページまで読んできて、韓国における競争社会の窮屈さ(きゅうくつさ)が伝わってきました。
 
 『(体育館のどっかにプールがあるはずだから』(韓国の小学校のプールは屋内プールなのだろうか。競技用として、たぶんそうなのでしょう)

 6年生の教室は5階にある。
 
 水泳部がある小学校とない小学校がある。
 チョン・テヤンの母親が息子に中学校に行く準備をしなければならないと言います。私立中学校を受験するのだろうか。それから、中学校には部活はないそうです。韓国の中学校には部活がないのか。

 いいなと思った表現です。
 『……体育会系では何よりも重要なのは顔ではなく体だ。』
 
 キム・チョヒの水着があやしい:キラキラ輝いているそうです。反則があるというような指摘ですが、意味がわかりません。反則とか不正というとドーピング(薬物使用)を思い出します。「特殊な水着」と表現されています。

 競泳のことが書いてあります。1人の勝者と、その他おおぜいの引き立て役が構図です。
 
 小学6年生の競泳タイムとして、50mを37秒以内で泳ぐのは早いほうなのでしょう。(速い子は30秒を切るようです)

 ロールモデル:お手本にする人。チョン・テヤンの場合は「ブルース・バナー」とあります。アメリカ合衆国のコミックマンガに出てくる超人ハルク(天才的な物理学者ロバート・ブルース・バナー)のことだそうです。

 仁川文鶴競技場:インチョンムンハツきょうぎじょう。仁川空港には行ったことがあります。その近くだろうか。(グーグルマップで見ました。ちょっと離れていました。競技場は立派な施設のようです)

(つづく)

 カン・ナルは、学校で、0時間目(なぜ1時間目から始まらないのか? 授業開始前という意味か?)、7時間目、8時間目に水泳がある。

 外国人名は性別がわからないので、読むのにちょっと苦労があります。この物語の場合は韓国です。

 上弦の月(じょうげんのつき):弓の弦が左手にある。月の右側の部分が見える。下弦は反対

 体育中学校:韓国の制度。トップアスリートの養成機関(選ばれた運動競技者)世界的レベルで韓国代表をめざす。

 大統領杯全国水泳大会が、8月28日に開催される。

 メドレーリレー:4人。各自100m。背泳ぎ:パク・セチャン-平泳ぎ:シン・ドンヒ-バタフライ:チョン・テヤン-自由形(泳法はなんでもいいがクロールが一番速いのでクロールで泳ぐ選手がほとんどなのでしょう):チ・スンナム

 読んでいてのおとなとしての感想ですが、なんというか、小学校高学年生のこどものことです。
 おとなのように働いて税金を納めているわけでもありません。
 まだまだこどもの世界にいる人たちです。

 136ページ付近まできて、読んでいても楽しくありません。

(つづく)

 どろぼうの話です。
 キム・チョヒの水着になにかしかけがあって、それが不正であるような、あるいは、魔法の水着であるような説明は不可解で理解できません。水着は水着です。その水着をカン・ナルが出来心とはいえ更衣場所(こういばしょ。着替え)で盗むという行為も理解できません。もしそうならば、カン・ナルには物を盗む癖、盗癖(とうへき)があります。生まれもって、脳みその中にある癖です。治療が必要です。会社のお金や他人の現金を見ると、自分のポケットに入れたくなる、あるいは入れてしまう人がいます。万引き盗癖みたいなものです。心の病気です。それとも、カン・ナルが水泳のことで悩んで、そこまで自分の心を自分で追い詰めたと受け止めればいいのだろうか。

 今時の文章です。
 『ライン』や『プラスメッセージ』のような、チャットグループ(おしゃべりグループ)のようなやりとりがあります。

 小学6年生同士のお付き合いです。(男女交際)
 お互いにお互いのどういうところが良かったのかがわかりません。
 水泳という共通のものがあって、気楽に話ができる。あとは、お互いの見た目か。(外見)
 だけど、主人公のカン・ナルは、水着どろぼうです。

 付き合いを学校で秘密にするということもよく理解できません。まだ小学6年生です。どちらかといえば、これから思春期に向かうにつれて男女はお互いに話をしなくなります。
中学入学から卒業まで一度も女子と話をしないまま卒業する男子というのはいくらかいます。自分は男なので女子のことはわかりませんが、女子にも逆パターンでいると思います。

 女子をめぐって、ふたりの男子が対立するのは、女子を自分の所有物とみなす意識があるからではなかろうか。人ではなく、モノという意識で女性をみるのは、女性差別です。
 
 『競泳』よりも『飛込(とびこみ)』のほうが、格が下と読み取れる文脈があります。
 それは問題です。
 それぞれ別の種目です。上も下もありません。

 トッポギ:餅(もち)を使用した韓国の料理。棒状の餅を甘辛く(あまからく)煮込んである。
 
 なんというか、学校をやめるのは問題がありますが、水泳をやめるのは、問題はありません。

 韓国のこととして、年齢による上下関係がきついようです。妹よりも姉のほうが偉いというようなシーンがあります。年功序列です。
 韓国では『勝つ』意識が強い。息苦しさを感じる社会です。
 
 ランチジャー:保温型入れ物のお弁当

 トゥトゥデー:男女が付き合い始めて22日目。韓国での記念日
 
 210ページ、チョン・テヤンからの手紙は心やさしい内容です。『ぼくはいつもナルの味方だよ……』
 
 蚕室水泳場(チャムシルすいえいじょう):首都ソウルのオリンピック公園あたりにあるのでしょう。ソウルオリンピック(1988年。昭和63年開催 対抗馬が名古屋市であったことを、もうだれも話題にすることもありません)

 物語を読み終えましたが、よくわからない話でした。
 主人公のカン・ナルは、水泳競技大会に出場してはいけません。
 だって、ライバルの水着を更衣室で盗んだのですから。カン・ナルには窃盗(せっとう。ぬすみ)の罪があります。刑事罰の対象になります。
 222ページにカン・ナル自身の言葉として『試合に出る資格がありません』とあります。(そのとおりです。少なくとも被害者であるキム・チョヒの許しがない限り試合に出場する資格がありません)
 そしてなんと状況は複雑なのですが、キム・チョヒはカン・ナルの出場を認めます。認めたうえで、水泳の競争でカン・ナルを叩く(たたく)のです。カン・ナルに勝つのです。みせしめです。カン・ナルに恥(はじ)をかかせます。
 いろいろややこしい話があります。カン・ナルは謝罪だけではすみません。罰(ばつ)を受けねばなりません。

 韓国は、競争主義社会だということがわかります。社会が競争を容認しているようすがあります。
 生きづらそうです。
 五番レーンをめざすのです。
 五番以外のレーンでの生き方もあります。  

Posted by 熊太郎 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月25日

みえるとかみえないとか ヨシタケシンスケ 伊藤亜紗

みえるとかみえないとか ヨシタケシンスケ・さく 伊藤亜紗(いとうあさ)・そうだん アリス館

 宇宙旅行の絵からスタートです。
 『ぼくは うちゅうひこうし……』
 
 宇宙飛行士のぼくは、いろいろな星に立ち寄ります。
 おもしろい。
 到着した星に住む宇宙人とご対面です。
 宇宙人は、緑色のからだで、目が三つあります。
 うしろをみるための目だそうです。

 『逆障害者』の発想があります。
 もう三十年以上昔の話になりますが、わたしは用事があって、障害者に医療を提供する施設を訪問したことがあります。
 中に入ると、みなさんが身体障害者なのです。体の部位はいろいろなのですが、体のどこかに障害をもっておられる。
 そしてなんと、医師もそこで働く職員も障害者の方たちだったのです。
 変な言い方ですが、健常者は自分だけで、まわりにいる人たちがみんな障害者となると、体のつくりが自分だけほかの人と違うのです。ゆえに、自分のほうが全体のうちの少数派で、自分のほうがどこかおかしいのではないかという気分に包まれたのです。そんなことがあったのを、この絵本を読み始めて思い出しました。

 絵本では、目玉がふたつの地球人である宇宙飛行士のぼくについての考察があります。
 この『三つ目生物』の星では『二つ目生物』の自分はめずらしい。
 でも、地球では『二つ目』があたりまえ。

 絵本の絵は色がきれいです。
 三つ目の宇宙人の体は緑色なので、カエルのようにも見えます。二本足で立つカエルです。

 絵本の内容には、りくつっぽさがあります。(理屈:りくつ。ものごとをていねいに関連付けて考える)それでも、不快感はありません。
 
 『みえないひとには こう「みえて」いるみたい』のページに、「わん」というなきごえがきこえたら、ひだりへと書いてあります。
 思い出しました。むかし、わたしが、今は亡き義母に手渡した宿泊施設まで行く道案内の地図に、「この角(かど)を曲がると犬がほえる」と書いて渡したら、現場で本当に犬がほえたので、みんなで大笑いをしたよ! と義母が笑っていたことを思い出しました)

 その部分を読んでいてもうひとつ思いついたことがあります。
 先日読み終えた本『アップステージ -シャイなわたしが舞台に立つまで- ダイアナ・ハーモン・アシャー作 武富博子・訳 評論社』の感想に書いたことです。
 『読み終えての自分なりの解釈です。
 人間は、見た目で受ける印象と、脳みその中身は違います。
 脳みその中には、人それぞれ、異なる世界が広がっています。
 各自の知識や人生体験、素質や能力によって、脳みその中にある世界はだいぶ違います。
 自分のことをわかってもらうためには、相手に向かって、しゃべらないといけません。
 自分の頭の中にあることを、言葉に変えてしゃべることで、自分は何者なのかを相手に伝えることができます。
 お互いが話す言葉をしっかり聞き取って話し合うことで、お互いの脳みその中にある世界が伝わってきます。
 黙っていたら(だまっていたら)いつまでたってもわかりあえません。
 察する(さっする。黙っていても気づく。以心伝心(いしんでんしん)言わなくてもわかる)ことなんて無理なんです……』
 
 この絵本は、障害者福祉の本です。
 もうひとつ『ひらがなの力(ちから)が感じられる本』です。
 
 人間の標準化について書いてあります。
 将来会社や組織で役立つ人材を育てるために従順に働いてくれるロボットのような動きをする人間を大量生産する教育をこどもたちにほどこすのです。(その結果、一部の人間が富を独占して、多数の人間がその人たちのために働かされる世界が誕生します)
 標準化の枠(わく)に入れない人間は否定されます。
 大きな組織にいる、仕事ができるとされる人の中には、人を差別する人がいます。人をランク付けします。また、人を分類したがります。
 仕事ができるとされる人間は、24時間、どんな場面にいても仕事の話ばかりをします。

 この絵本は、哲学書を読むような絵本です。(人間とはどうあるべきかについて考えさせられる)

 今の世界は、平和を維持することがむずかしい。
 ウクライナとかロシアとか、台湾とか中国とか、大多数の国民は戦争がない平和な国を願っているのに、どうして、一部のトップとそのグループが、地球を破壊するほどの戦争を実行するのだろう。

 こちらの絵本の最後のページでは『共存』というメッセージが紹介されています。  

Posted by 熊太郎 at 07:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2023年07月23日

ふたりのえびす 高森美由紀 

ふたりのえびす 高森美由紀 フレーベル館

 えびすといえば、太川陽介さんのバス旅のコンビだった蛭子能収(えびすよしかず)さんを思い浮かべます。
 えびすさんは認知症になってしまって、バス旅企画で観ることはできませんが、先日の夜は第24弾で、熊切あさ美さんをゲストに迎えて、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)から京都府の天橋立(あまのはしだて)まで、路線バスで移動されて、みごと成功された昔の放送をBSテレ東で観ました。
 途中のお城の欄干(らんかん。展望場所)で、えびすさんが『これからぼくたちは新幹線でどこへ向かうの?』と太川陽介さんと熊切あさ美さんに質問しました。おふたりがあぜんとした表情で言葉を失います。間があって、今、バス旅の企画で、路線バスで移動しているということをわかっているか?とたずねると、えびすさんが真顔で、ああそうかと答えます。そのころからえびすさんの脳みその中はおかしくなっていたのでしょう。このパターンのバス旅は次の第25弾で終了しています。

 さて、こちらは、舞台は青森県八戸あたり(はちのへあたり)、小学校5年1組の(郷土芸能であるらしき)地元の歌舞伎みたいなお祭り演技に小学生が挑戦するようです。
 『南部藩(なんぶはん)とか南部という地域名』わたしは、長いこと、どうして本州の北部にあるのに『南部藩』というのか、不思議でした。そうしたら『南部』というのは、そこを治めていた(おさめていた)人の名前だと知り納得しました。

 えびす舞(まい):縁起がよくなりますように。豊作でありますように。無事祈願でしょう。

内村太一(うちむら・たいち):主人公5年1組の男子児童。4年生の春に、青森県三戸町(さんのへまち)から八戸市(はちのへし)へ引っ越しして来た。内村太一は、小学校で、ほんとうの自分とは違う自分のようなもの(個性)を演じています。小学校では、おちゃらけた明るいキャラクターを演じています。へんな言葉づかいをします。「聞いたんたん?」「ありがとるねーど!」「おはとるねーど」「おたよん」「ないがあ」ほか。

大路優希(おおじ・ゆうき):12月にクラスに来た転校生。ニックネームが、王子さまの『王子』背が高くて、体の線が細くて、色白、顔は小さい。なんだか、フィギュアスケーターの羽生結弦(はにゅう・ゆずる)さんのようです。イケメン。納豆(なっとう)はにがてなようです。見た目はイケメンですが、家ではいろいろゴタゴタがあるようです。父親が仕事を失って転校してきた。八戸へ来て、父親は「ちくわ工場」で働いている。母親は家でパソコンを使った仕事をしている。大路優希は、塾には行っていない。家では両親の夫婦ゲンカあり。(現実社会では、仲のいい夫婦というのは少ないです。32ページにちょっと書いてありますが、「自分の要求とか意見とか、はっきり言っておたがいに……」。なんというか、「おまかせします」と相手に言えないと離婚が近づきます。親の仲が悪いと、こどもは悲惨(ひさん)な思いをします)ちょっと変わった雰囲気の母親です。都会的です。ドラマ『北の国から』の田中邦衛さん(たなかくにえさん)といしだあゆみさんの組み合わせを思い出しました。
 大路優希は、見た目は立派ですがどんくさい。音楽のリズム感がない。体の動きもぎこちない。(おとなの男女を仮定して考えると、付き合い始めた女性から「なんか違う」と言われて、別れを切り出される男性のタイプです。見た目がいいだけで中身がないのです)。大路優希は、前の学校では『残念王子』と呼ばれていた。

大路優希の母親:自分は都会人という意識あり。いなかとかいなかの人にとけこみたくないそうです。

雪田知美(ゆきた・ともみ):クラスメート。大路優希に気があるようすです。

土谷かおり(つちや・かおり):昔そういう名前のアイドル女性歌手がいたような。

遠藤:同じクラスの男子児童。小柄。ニックネームは『豆』むかしは、小柄だと、マンガの天才バカボンにちなんで『チビ太』と名付けることが多かった。

親方:2011年3月11日に起きた東日本大震災がらみで2012年の冬に郷土芸能である『えんぶり』(2月に開催される)の親方になった。。

岡田:「えんぶり」での指導者

岩田じいさん

大山:親方の知り合い

細木:6年生男子。ひょろり体形つり目。「太夫(たゆう)」をやる。ニックネームは「ひょろり」

森:6年生男子。背が低くてもじゃもじゃ頭。「太夫」をやる。ニックネームは「もじゃ毛」

小谷(こたに):6年生男子。「太夫」をやる。ニックネームは「ネズミ」

佐藤:5年生女子。クラス一かわいい。舌たらず。

鈴木:5年女子。クラスで二番目にかわいい。赤いピンでショートヘアの前髪をとめている。

有田:親方の友だち。東日本大震災の津波で亡くなった。

炊事場(すいじば)のおばちゃん

せんべい汁:青森の郷土料理。おせんべいを似てお汁で食べる。野菜、豆腐、サバ缶が入っている。

メメガー:方言。目がない。大好物ということ。

 東北の人のなまり(方言ほうげん)は、ともだちづくりの武器になりそうです。ばかにするのはもったいない。

(つづく)

 読んでいて『学校』について感じたことです。
 学校というのはきゅうくつな世界です。
 義務教育という強制で、こどもらが、広くもない校舎や教室に押し込められて、気が合うとか合わないとかに関係なく、多数の人間(個性)を集めて、同じ教科書で同じような人間になるように学習させる。みんな仲良く、協力しなさいと強いられる。(しいられる)。将来、企業や組織にとって都合のいい個性と習性をもった人間をつくる。歳をとってみて、そう悟るのです。(さとる:見抜く。理解する)。そして、一部の人間である富裕層の金もうけのために、大多数の大衆は利用されているのですが、そのことに気づく人は少ない。

 親方:グループのリーダー。指示を出す人
 ダルマストーブ:昔よく学校の教室で使われていた鉄製の石炭ストーブ。見た目が「だるま」っぽい。いまのこどもたちにはわからないと思います。昭和40年代のイメージです。1965年代。

 八戸(はちのへ)でよく聞くのは『八食センター(はっしょくせんたー)』です。バラエティの旅番組でよく出てきます。

 えんぶり:毎年2月17日から同月20日まで、青森県八戸市で行われる郷土芸能行事。国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統あるお祭り。町内会の組が運営する。主人公の内村太一は『七つ組』に属している。
 構成として、
 おはやし
 松の舞(まい):祝福芸
 大黒舞(だいこくまい):祝福芸
 えびす舞(えびすまい):祝福芸。福の神「えびす」がさかなつりをする場面を踊る。10分間ぐらい。主人公の内村太一が親方に指名されたあと、大路優希が手を上げて立候補する。ふたりで演じる芸

 関係者・出演者として、七つ組は、全員で30人
 親方(おやかた):リーダー。踊りを教える。合図を出す。指揮棒が『ザイ』。七つ組の親方は80歳ぐらいの男性。昔漁師をしていた。小柄だががっしりしていて眼光鋭い。
 太夫(たゆう):「えんぶり」の主役。太夫の踊りを「摺り(すり)」という。踊りは勇ましくてかっこいい。太夫の踊りの合間に祝福芸という「松の舞」「大黒舞」「えびす舞」が差し込まれる。全体で1時間ぐらい。太夫は6年生がやる。細木(ひょろり体形つり目)、森(背が低くてもじゃもじゃ頭)、小谷(こたに。ネズミに似ている)
 舞い子(まいこ):「大黒舞」のメンバーとして、土谷かおりと雪田友美、メンバーは全員で10人
 歌い手(うたいて)
 おはやし

 (読んでいての感想です:言葉が古くてむずかしい)

 ふたりでやる「えびす舞」での「失敗は許されない」というような書き方がしてありますが、だいじょうぶです。
 失敗しても許される年齢です。まだ、小学5年生です。
 失敗して、お金を失う話でもありません。
 のびのび楽しんで踊りましょう。

(つづく)
 
 転校のことが書いてあります。
 転校のイヤな部分についてです。気弱で繊細(せんさい。感じやすく傷つきやすい)です。
 わたしは、父親が気が短くてお酒のみで、仕事場の上司とケンカして短期間で仕事をやめるので、こどものころは引っ越しばかりしていました。小学校は6校、中学校は3校通いました。(父親は体を壊して中学の時に死んでしまいました)。景気がいい時代だったので、どこにいってもすぐに仕事が見つかりました。まあ、溶接(ようせつ。金属をとかしてくっつける)とかの肉体労働でしたが。
 わたしは、そのころ、転校がイヤだと思ったことはありませんでした。オヤジについていくしかないのです。なんでこんな家に生まれてきてしまったんだと思ったことはありました。
 近所で、こどもが、転校するのはイヤだとか、親が、こどもを転校させるのはかわいそうだとかという話を耳にしたときは『ちゃんちゃらおかしい(ばからしい)』と自分は思いました。新しい土地に行けば新しい人や環境との出会いがありました。こどもだったので好奇心が強かった。いろいろな体験がその後の人生を支えてくれました。

 この作品では、考えるべきこととして『素の(すの)自分ではない「個性」を演じる』ことに光を当ててあります。
 主人公の内村太一は、学校では、おどけた人気者を演じていますが、それは、ほんとうの内村太一の姿ではありません。

 対比があります。内村太一と大路優希(おおじ・ゆうき)のふたりが、郷土芸能『えんぶり』で、ふたり一組で踊る『えびす舞』を披露するわけですが、内村太一は、ふだん人前で『いい人間』を演じることに心を注いでいます。
 それに対して大路優希は、ありのままの自分をさらけだします。気の毒なのは、見た目がいい(イケメン)なので、なんでも上手にできる完成された人間だと誤解されることです。(俳優さんでも、見た目はイケメン・美女でも、話し出すと、どこにでもいるおじさん、おばさんのようだったりもします)
 個性が異なる登場人物のふたりは、最終的にはお互いを理解して、かたい友情が芽生えるという展開が予想されます。
 
 青森県南部の方言として、
 へっちょはぐ:疲れる。
 アんべ:行こう。(岩手県を舞台にした朝ドラ『あまちゃん』に出てくる片桐はいりさん演じるあんべちゃんを思い浮かべてしまいます。そちらのドラマでは『じぇじぇじぇ(驚いたときについ出てしまう言葉』がはやりです)
 ンだば:さようなら
 
 このあと、65ページあたりまで、6年生たちが5年生のふたりをいじめるくだり(話)が出てくるのですが、作家としてこんな書き方でいいのかあと思ってしまいました。うーむ。うまくない。読んでいて不快な気持ちになります。6年生は一方的に悪者です。バランスがよくない。人間には二面性があります。
 
 アルミの灰皿:見かけなくなりました。禁煙教育や習慣が浸透してきたのでしょう。いまどきのこどもさんは灰皿やたばこのことを知らないかもしれません。

 踊りの練習は、宗教のようでもあります。
 だいじょうぶだろうか。
 狭い特殊な世界が描いてあります。
 おとながこどもにやらせて満足する世界です。

 人はひとりになったとき読書を始める。
 読んでいると、内村太一も大路優希もひとりです。

 一番に釣り上げたのは『金のタイ』
 二番目に釣り上げたのは『エンブダン(金(きん。砂金さきんのこと))』
 三番目に釣り上げたのは『えびす様のむすめ』
 だいじょうぶだろうか。「むすめを釣る」というのは、娘=ごほうびのもの。商品であるからして、男尊女卑とか女性差別と指摘されそうです。金と女を手に入れて男社会はウハウハととれます。まあ、歴史的背景とかありますし、神事(しんじ)っぽいのでいいのでしょう。

 いんずい:方言。違和感のこと。
 自分なりの違和感として、東京=都会とは思えないのです。まあ、東京は、都市と田舎の混在です。むしろ東京のほうが、いまだに『昭和時代』が感じられる地域が残っています。共存しているところが素敵です。古いもの、新しいもの、地方の人たち、もともとの江戸っ子のひとたちなどの共存です。

 蕪島神社(かぶしまじんじゃ):テレビで時々見ます。『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』とか、NHKの『72時間』とか、ほかにも見た記憶はあるのですが、番組名を思い出せません。『旅猿』でも見たような気がするのですが自信がありません。

 うーむ。2011年の地震と津波の話が、お決まりのように出てきます。
 なんだかなあ。必ず出さねばならぬものなのだろうか。宮藤官九郎さんの意思として『あまちゃん』に震災のことは出したくなかったという記事を思い出しました。なんだろう。創作したときにその話を出す予定はなかった。それから、不幸をネタにして関心をもたせるという手法はよくありません。
 
 種差海岸:たねさしかいがん。こちらも観光地です。

 ブドウ虫:釣りのエサ。ガの幼虫
 オキアミ:釣りのエサ。エビに似たプランクトン
 アオイソメ:釣りのエサ。ミミズのようなムカデのような。

 大路優希の母親が『都会の自分』にこだわりをもっている。
 内村太一は『明るいキャラ』をかぶっている。

 親方の言葉として『つりはしんぼうだ。根気だ。がまん強くまっていればいずれあたりはくる……(あたり:つれたときの目印となる動きの感触)』

 実際の釣りと演技の『えびす舞』をつなげる。
 ソイ:海の魚。本では体長40センチぐらいのソイが釣れています。メバルとかカサゴのような姿をしている。

(つづく)

 言葉がどうだろうか。
 方言もそうですが、ほかの言葉も、ときおり、意味がとれなくて、内容をすんなり理解することができません。
 この手法は読み手にとっては好ましくありません。
 オラんど:自分
 フォカッチャ:イタリア料理。平たいパンですが、話の中では、そのパンのことは指していません。
 おかっちゃ:母親のこと。
 どしたば?:どうした?(うーむ。なにかと会話文が不自然です)
 親切からけるってゆってるんで:親切心で言っているので(だろうか?)
 いんずい:しっくりこない。うまくいかない。居心地(いごこち)が悪い。
 カクメー:食べ物がうまいという意味らしい。
 ンダバ:「それなら」という意味だろうか。よくわかりません。
 「ヒョロリ」とか「もじゃ毛」とか「ネズミ」とか:ちゃんと氏名で書いてもらったほうがわかりやすい。6年生男子のニックネームというか隠語(いんご。表に出せないような言葉)です。
 ジャンギ:「えんぶり」のときに使用する棒
 ゆるさねすけな:ゆるさないからな
 ごわんなさい:ごめんなさい
 ラッキーワッキー 助かりまんぼっ:なんというか。すべっているような。「マンボ」は相当古い時代の言葉です。
 ザイ:指揮棒
 わかりマリンバ:わかりました
 
 心が弱い人は、うまくいかなかったとき、人のせいにします。

 親方が海に落ちるという乱暴な展開があります。

 マジカルンバ:本。魔法使いの話

 「みんなが主役」という言葉:時と場所と目的で主役やわき役は変化すると思うのですが、この話の場合では、フィット感(ぴったりくる)がありません。

 一年上の上級生たちとうまくいきません。
 年功序列の意識があるのですが、それも最近は薄れてきました。
 ただ、下の者に無礼な態度をとられると年上の者はそれなりの反発をするのが常です。
 頭を下げない人間は嫌われます。

 『えんぶり』にしても『えびす舞(まい)』にしても、相手がいて、勝ち負けがあるものではないので、出来栄えの評価はなかなかむずかしい。
 
 人から良く思われたいがために、いい人を演じる。
 自分の身を守りたい。
 生(なま)の自分を表に出すことができない。
 内村太一が、自分に自信がない証拠です。

 2月17日にえんぶりが開催されました。

 読み終えて、こちらの物語は、小学校5年生前後のこどもさんには、むずかしい内容だと思いました。

 もう一つ考えたことです。
 物語の主題は『自分ではない自分のようなものを演じることはやめようではないか』というものだというメッセージを受け取りました。
 現実社会では、だれしもが、職場などでは自分ではない人格(いい人)を演じています。
 そんなふたりが夫婦になったときが大変です。
 演じている者どうしが結婚すると、お互いにお互いの本当の姿を見て失望します。
 時には離婚につながることもあります。こんなはずじゃなかった。
 「夫婦」はだめだけれど、「友だち」なら長続きするということはあります。  

Posted by 熊太郎 at 07:43Comments(0)TrackBack(0)読書感想文