2024年04月09日
ねえさんといもうと シャーロット・ゾロトウ 酒井駒子
ねえさんといもうと シャーロット・ゾロトウ文 酒井駒子・絵と訳 あすなろ書房
(1回目の本読み)
絵本ですが、ひととおり読んで、類似の絵本を思い出しました。お留守番が素材になっていました。思い出してみます。
『あさえと ちいさいいもうと 筒井頼子(つつい・よりこ)・さく 林明子・え 福音館書店』以下、感想の一部です。
読み終えてしばらくして思ったことです。
いまどきの『ヤングケアラー』のようです。
兄弟姉妹における長男、長女の立場を語る絵本です。
こどものころは、長男、長女が、弟、妹のめんどうをみるのです。
上のポジションにいる人は、がまんを強いられます。(しいられます)
長男、長女の立場であることのつらさが表現されています。
さて、こちらの絵本のほうは、二度目に読んだ時、さきほどの絵本とは内容がちょっと違うなと感じました。
酒井駒子さんの絵が優しい。(やさしい)。
淡い色、柔らかい(やわらかい)色調です。とても優しい。
姉と妹が、お互いを思いやる内容です。
姉と妹です。妹と姉の物語です。
(2回目の本読み)
表紙に、シャボン玉を飛ばしている姉妹の絵があります。
表紙の裏は布地です。おしゃれで、味わいがあります。高級感ありです。
酒井駒子さんが描く絵本は、絵画集のようでもあります。
お話では、『姉が妹のめんどうをみる状態』から、『妹が姉のめんどうをみる状態』に変化する展開があります。ふたり姉妹とか、ふたり兄弟のパターンです。
だいじなことは、安全であること。平和であることです。
小学校一年生ぐらいの姉と、2歳~3歳ぐらいの妹に見えます。
姉は、母のようでもあります。
姉が妹に、お裁縫(さいほう)を教えます。
泣いている妹を泣きやませます。
姉はいつも、妹に教える立場にあります。
先駆者(せんくしゃ。道を切り開く人)です。
姉はしんどい。姉はいつか、自分がおねえちゃんでいることをやめさせてと、ママに言いそうです。
いっぽう妹は、ある日、姉に指示されることがイヤになりました。
この点が、最初に出した絵本、『あさえと、ちいさいいもうと』とは違います。
どちらの妹も、勝手にないしょで、家の外に出て行ってしまいます。
行方不明になるのです。さあ、たいへんです。
こちらの絵本の妹は、草原(くさはら)に入って行って、草の中に隠れて(かくれて)しまいます。
あちらの絵本の妹は、ひとりで近所の公園に行ってしまいます。
思いやりとか、兄弟姉妹間の愛情の話です。
レモネードとクッキー:レモネードは、レモンのなかに、ハチミツ、シロップ、砂糖などを入れた飲み物です。ホットだと、あったかい飲み物になります。
助け合いがあります。
以前テレビで見たどっきり企画の番組を思い出しました。
おすもうさんの兄弟でした。
たしか、弟のおすもうさんが、(ウソで)400万円貸してくれと兄であるおすもうさんに頼むのです。
兄は、理由も聞かずに、『いいよ』と返答してくれました。弟に、お金を何に使うのかとは問いませんでした。
『(理由は言わなくていい)必要なんだろ。いいよ。』(お兄さんが太っ腹(ふとっぱら)で感心しました。
(1回目の本読み)
絵本ですが、ひととおり読んで、類似の絵本を思い出しました。お留守番が素材になっていました。思い出してみます。
『あさえと ちいさいいもうと 筒井頼子(つつい・よりこ)・さく 林明子・え 福音館書店』以下、感想の一部です。
読み終えてしばらくして思ったことです。
いまどきの『ヤングケアラー』のようです。
兄弟姉妹における長男、長女の立場を語る絵本です。
こどものころは、長男、長女が、弟、妹のめんどうをみるのです。
上のポジションにいる人は、がまんを強いられます。(しいられます)
長男、長女の立場であることのつらさが表現されています。
さて、こちらの絵本のほうは、二度目に読んだ時、さきほどの絵本とは内容がちょっと違うなと感じました。
酒井駒子さんの絵が優しい。(やさしい)。
淡い色、柔らかい(やわらかい)色調です。とても優しい。
姉と妹が、お互いを思いやる内容です。
姉と妹です。妹と姉の物語です。
(2回目の本読み)
表紙に、シャボン玉を飛ばしている姉妹の絵があります。
表紙の裏は布地です。おしゃれで、味わいがあります。高級感ありです。
酒井駒子さんが描く絵本は、絵画集のようでもあります。
お話では、『姉が妹のめんどうをみる状態』から、『妹が姉のめんどうをみる状態』に変化する展開があります。ふたり姉妹とか、ふたり兄弟のパターンです。
だいじなことは、安全であること。平和であることです。
小学校一年生ぐらいの姉と、2歳~3歳ぐらいの妹に見えます。
姉は、母のようでもあります。
姉が妹に、お裁縫(さいほう)を教えます。
泣いている妹を泣きやませます。
姉はいつも、妹に教える立場にあります。
先駆者(せんくしゃ。道を切り開く人)です。
姉はしんどい。姉はいつか、自分がおねえちゃんでいることをやめさせてと、ママに言いそうです。
いっぽう妹は、ある日、姉に指示されることがイヤになりました。
この点が、最初に出した絵本、『あさえと、ちいさいいもうと』とは違います。
どちらの妹も、勝手にないしょで、家の外に出て行ってしまいます。
行方不明になるのです。さあ、たいへんです。
こちらの絵本の妹は、草原(くさはら)に入って行って、草の中に隠れて(かくれて)しまいます。
あちらの絵本の妹は、ひとりで近所の公園に行ってしまいます。
思いやりとか、兄弟姉妹間の愛情の話です。
レモネードとクッキー:レモネードは、レモンのなかに、ハチミツ、シロップ、砂糖などを入れた飲み物です。ホットだと、あったかい飲み物になります。
助け合いがあります。
以前テレビで見たどっきり企画の番組を思い出しました。
おすもうさんの兄弟でした。
たしか、弟のおすもうさんが、(ウソで)400万円貸してくれと兄であるおすもうさんに頼むのです。
兄は、理由も聞かずに、『いいよ』と返答してくれました。弟に、お金を何に使うのかとは問いませんでした。
『(理由は言わなくていい)必要なんだろ。いいよ。』(お兄さんが太っ腹(ふとっぱら)で感心しました。
2024年04月04日
月の満ちかけ絵本 大枝史郎・文 佐藤みき・絵
月の満ちかけ絵本 大枝史郎・文 佐藤みき・絵 あすなろ書房
理科・科学の絵本です。
月の見え方について、新月から満月まで、上弦の月(じょうげんのつき)から下弦の月(かげんのつき)まで紹介します。(吉田拓郎さん(よしだたくろうさん)の歌を思い出しました。『上弦(じょうげん)の月だったっけ ひさしぶりだねぇーー 月見るなんて(つきみるなんて)……』というような歌詞でした。たしか、歌のタイトルは、『旅の宿』でした。
夜の星を見上げる絵本でもあります。
以前類似の絵本を見たことがあります。外国の絵本でした。思い出せるかなあ。
『夜をあるく マリー・ドルレアン作 よしいかずみ訳 BL出版』でした。でも夜空の星を見たあと、家族で、夜明けを見る結末でした。月のことは書いてありませんでした。でも、満点の星空の中に、白い月は輝いていたと想像します。
さて、文字数が多い絵本です。
これから文章を指でなぞりながら読んでみます。
月の輝きの部分は、太陽に照らされている部分である。
地球の自転と公転:1日1回自転。1年365日で公転(太陽のまわりを1周する)
月は、地球のまわりを回っている。
新月:地球から月が見えない。
三日月→半月→満月→欠けていく→新月:約29.5日
月が地球を1周する(公転周期):27.3日
文章と絵なので、わかったような、わからないような気分での読書です。
日食:太陽と月、地球が一直線に並ぶ。金環日食(きんかんにっしょく。太陽がはみだしてリングが見える)、皆既日食(かいきにっしょく。太陽が全部隠れる)、部分日食。
1日目の月は見えない。「朔月(さくげつ)」という。朔は、はじめという意味。新月ともいう。
旧暦:月の満ち欠けで1か月とする。日本の古代から明治時代はじめまで使用された。
2日目の月。二日月(ふつかづき)
2日目なのに『ついたち』とあります。
糸のように細い月です。
大昔の日本では、この二日目の月を一日目の月として数えていた。
『ついたち』は、『月立ち(つきたち)』が由来となった。
小説作品を思い出しました。以前読んだことがある本です。『月の立つ林で 青山美智子 ポプラ社』 次は、読んだ時の感想の一部です。
朔ヶ崎怜花(さくがさき・れいか):主人公女性。41年間ずっと同じ一軒家に住んでいる。41歳です。未婚。元看護士。三か月前、総合病院を辞めた。実家暮らし。40歳過ぎの無職の未婚女性に貸してくれる不動産物件なしのため実家で暮らしている。印刷所の事務員の求職に申し込んだ。高校生のとき、うさぎ(小雪という名前)を飼っていたことがある。(そんな設定から始まります)
絵本に戻ります。
3日目の月。三日月(みかづき)
戦国時代、武将は兜に(かぶとに)三日月を付けて戦に臨んだ(のぞんだ)。三日月はだんだん満ちて満月になる。望みがかなえられる。(なるほど)
7日目の月。上弦の月(じょうげんのつき)。半月(はんげつ)。弓矢の弓のつるが、上にある状態で地平線に沈む。武将の弓矢からきている。
15日目の月。満月。ひと晩じゅう見えるのは満月だけだそうです。
春の満月。『菜の花や 月は東に 日は西に』 江戸時代の俳人の与謝蕪村(よさぶそん)作。1716年-1784年。68歳ぐらいで没。
思い出してみれば、こどものころ、月が身近にありました。
さらにさかのぼれば、電灯がゆきわたっていない時代がありました。
停電もよくありました。
停電して、ろうそくをつけて、夜をすごした体験があります。
テレビ放送が始まって、一般家庭にテレビが普及したのは、昭和40年代(1965年代)だったと思います。それまでは、こどもは、テレビがある家に招かれて、近所のみんなとひとつのテレビを囲んで見ていました。夜8時になるとこどもは寝る時間だと言われて、解散して、夜空に月が見える中を家に帰って行きました。
今から60年ぐらい昔は、静かで、暗い夜がありました。
秋になると、秋の虫たちの鳴き声が家のまわりで響いていました。
28日目・29日目の月。細い糸のような三日月型の月です。
明け方に出るので、『明けの三日月(あけのみかづき)』と呼ばれるそうです。
月の大きさは、だいたい地球の4分の1だそうです。
本の最後のほうに、月と宇宙の豆知識、日食、月食の説明があります。
地球の海の潮の満ち引きは、月の引力が関係しているそうです。遠くにあっても影響力ありです。
月のもようが何に見えるかという説明もあります。うさぎとか、カニとか、ライオンとか。
最後に月の満ち欠け一覧表がありました。これを書いている3月27日は、満月を過ぎたあたりです。
(その後)
これまで読んだことがある本で、月にちなんだものをいくつかピックアップしてみました。
『月と散文 又吉直樹 KADOKAWA』
エッセイ集です。どこかに掲載していた文章をまとめてあるようです。
『はじめに』に、小学生の時に書いた作文が笑われたとあります。なぜかというと、ひとつの作文の中に、『はずかしかったです。』という文節が大量に書かれていたからだそうです。なるほど。笑えます。リフレインのように(くりかえし)、『はずかしかったです。』と書かれていれば、読み手には自然と笑いが生まれてきます。
『つきのぼうや イブ・スパング・オルセン やまのうち・きよこ訳 福音館書店』
まず、絵本のサイズが変わっています。縦が、34cmで、横が、12.7cm。細長い本です。この細長さを利用して、空の月から下にある地面、そして、海底までを絵で表現してあります。1975年(昭和50年)初版の絵本です。
『おやすみなさい おつきさま マーガレット・ワイズ・ブラウン作 クラメント・ハート絵 せた・ていじ 訳 評論社』
絵は、反対色の構成です。緑と赤の反対色です。昔懐かしいダイヤル式の黒電話機です。この絵本は、アメリカ合衆国における1947年(日本では昭和22年)の作品で、日本では、1979年(昭和54年)に初版が出版されています。
『きょうはそらにまるいつき 荒井良二 偕成社』
2016年発行の絵本です。月夜ですから、月の姿があります。『あかちゃんがそらをみています』から始まります。風景は、外国、イギリスに見えます。背の高いビルディングを背景にして、樹木が生えた都市公園が見えます。ページをめくると、黄色で大きな満月の絵が目に飛び込んできました。こどもにはいい絵です。月がどかーんと見開き2ページの半分ぐらいを占領しています。
『まんげつのよるに 木村裕一・作 あべ弘士・絵 講談社』
シリーズ「あらしのよるに」の第7話でこれが最終話です。第6話で雪崩に飲み込まれたオオカミのガブはどうなったのか心配です。ガブは物語の主人公ですから必ず生きているはずです。ほら生きていました。よかった。えッ?! なんとそれはヤギのメイの夢でした。
『パパ、お月さまとって! エリック=カール・さく もりひさし・やく 偕成社』
こどもさん向けの絵本です。まずは、全体を1ページずつめくってみました。なんというか、すごい絵本です。しかけがある絵本です。ダイナミックです。1986年が初版です。アメリカの田舎町でしょう。夜空も地上も広い。なんていう長いハシゴなんだ。
『月と珊瑚(るなとさんご) 上條さなえ(かみじょう・さなえ) 講談社』
「月(るな)」も「珊瑚(さんご)」も人の名前です。「月」は、つきとは読まずに、「るな」と読みます。 「月」は英語でいうと、「ムーン」です。「ルナ」は、ラテン語で、「月の女神」です。ローマ神話に出てきます。この物語の舞台は、沖縄で、第二次世界大戦のことが書いてあるのかもしれないと予想しました。
『流浪の月(るろうのつき) 凪良ゆう(なぎら・ゆう) 東京創元社』
流浪:住むところを定めず、さまよい歩くこと。小説の中では、小学校上級生ぐらいの女児である家内更紗(かない・さらさ)が、両親がいなくなって、預けられた叔母の家の居心地が悪くて、公園で見かけた大学生男子のマンションにころがりこんでいます。「月」は、家内更紗をさしているような。
『おつきさまこんばんは 林明子 福音館書店』
絵本です。最初にスリムなネコの黒い影絵があります。アメリカ映画のピンクパンサーみたい。かっこいい。黒い影の一戸建ての家があって、ネコが2匹いて、あたりは、真っ暗。室内に黄色い電灯がついている。屋根の上が少しだけ黄色いだ円になる。ほんの少し明るい。エジプト絵画みたい。明るい。太陽のような月が目を閉じている。おめめをあけてくださーい。金太郎顔のお月さんです。猫2匹がお月さんの顔に見とれています。こんばんは。
『太陽と月の大地 コンチャ・ロペス=ナルバエス作 宇野和美訳 福音館』
スペインの昔の話です。1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見しています。日本は、室町時代です。宗教の対立があります。キリスト教とイスラム教です。100年間ぐらいかけて、イスラム教徒がキリスト教徒に追い出されたような内容と、冒頭付近を読むと、書いてあります。キリスト教が上で、イスラム教が下みたいな雰囲気がただよいます。
『月の満ち欠け 佐藤正午 岩波書店』
かなりおもしろい。こういう話は読んだことがありません。某作家の作品「秘密」に似ていますが違います。佐野洋子さんの「百万回生きたねこ」には通じています。舞台は青森八戸、千葉県稲毛、市原、船橋、福岡、名古屋、そのほか、自分が知っている地名が次々と出てきます。憑依(ひょうい)とか、時間移動、輪廻転生(りんねてんせい)、ホラーの要素もあります。
『月はぼくらの宇宙港 佐伯和人 新日本出版社』
60年ぐらい前、月はまだロマンチックな存在でした。うさぎが、もちつきをしている影絵を見た記憶があります。その後、たくさんのアポロが、何度も月を訪れて、荒涼とした月面風景を画像で観ることが重なり、月がもっていた神秘性は消えていきました。この本では、月学者である作者(ときにおたくっぽい)が、科学的に月のありようを解説しています。そんななかでも、月を港とし、地球を宇宙船とたとえるロマン(夢や冒険へのあこがれ)があります。作者が記しているとおり、もともと宇宙開発は、戦争のためのものでした。宇宙から、相手の国を攻撃するのです。もし、それが、現実となれば、勝者はいません。地球は滅びます。
『みかづき 森絵都(もり・えと) 集英社』
時は、昭和36年です。登場人物は、大島吾郎22歳、赤坂千明27歳、赤坂頼子40代、赤坂蕗子(ふきこ)小学1年生ほかです。それから茶々丸とかブラウニとかいう愛犬が出てきます。この時代に、学習塾をつくろう!とするようです。
『二日月(ふつかづき) いとうみく・作 丸山ゆき・絵 そうえん社』
障害者差別解消をめざした作品です。主人公夏木杏(なつき・あん)小学校4年生に、障害児の妹が生まれます。両親、とくに母親が妹の芽生(めい)にかかりっきりになります。母親に相手にしてもらえなくなった杏は母親の愛情不足のストレスに陥ります。そこを、克服していかねばなりません。同級生の磯部真由が支えになってくれます。
『月と蟹 道尾秀介 文春文庫』
直木賞受賞作品ですが、読み始めは、児童文学を読み始めたような感じがします。小学校5年生の利根慎一、富永春也、葉山鳴海(女子)たちが登場人物で、舞台は神奈川県、地名は書いてありませんが、わたしは、藤沢市あたりだろうと勝手に設定して読み始めました。(読み進めた先で、横須賀線沿線のような記述があったので、はずれでしょう。)慎一と春也が、鎌倉の鶴岡八幡宮、建長寺、十王岩を訪れています。
『チャーシューの月 村中李衣(むらなかりえ) 小峰書店』
児童養護施設で暮らす少年少女たちの暮らしぶりです。最初の数ページを過ぎたあたりから、泣けそうになります。最後は涙がにじみました。子どもを育てる気がない親はいらない。
小学校6年生女子美香の視点から見た世界がつづられています。美香の相方が、小学校1年生新米入所の明希(あき)です。彼女は正確な記憶力をもっています。
『赤い月 なかにし礼 新潮社文庫 上巻・下巻』
スタートは冷酷非情です。戦争において殺人は罪に問われません。簡潔平易な文章であるが実情がよく伝わってきます。「説明」ではないことが不思議なくらいです。情景、状況の表現がわかりやすい。これは自伝なのだろうか。満州での逃亡列車の様子は凄惨(せいさん)です。人の行為は詐欺です。善も悪もありません。植物的で無表情で平らな心が広がります。日本人が第二次世界大戦をとおして、どのように生きてきたのかをたどるいい本です。
けっこうたくさんありました。
理科・科学の絵本です。
月の見え方について、新月から満月まで、上弦の月(じょうげんのつき)から下弦の月(かげんのつき)まで紹介します。(吉田拓郎さん(よしだたくろうさん)の歌を思い出しました。『上弦(じょうげん)の月だったっけ ひさしぶりだねぇーー 月見るなんて(つきみるなんて)……』というような歌詞でした。たしか、歌のタイトルは、『旅の宿』でした。
夜の星を見上げる絵本でもあります。
以前類似の絵本を見たことがあります。外国の絵本でした。思い出せるかなあ。
『夜をあるく マリー・ドルレアン作 よしいかずみ訳 BL出版』でした。でも夜空の星を見たあと、家族で、夜明けを見る結末でした。月のことは書いてありませんでした。でも、満点の星空の中に、白い月は輝いていたと想像します。
さて、文字数が多い絵本です。
これから文章を指でなぞりながら読んでみます。
月の輝きの部分は、太陽に照らされている部分である。
地球の自転と公転:1日1回自転。1年365日で公転(太陽のまわりを1周する)
月は、地球のまわりを回っている。
新月:地球から月が見えない。
三日月→半月→満月→欠けていく→新月:約29.5日
月が地球を1周する(公転周期):27.3日
文章と絵なので、わかったような、わからないような気分での読書です。
日食:太陽と月、地球が一直線に並ぶ。金環日食(きんかんにっしょく。太陽がはみだしてリングが見える)、皆既日食(かいきにっしょく。太陽が全部隠れる)、部分日食。
1日目の月は見えない。「朔月(さくげつ)」という。朔は、はじめという意味。新月ともいう。
旧暦:月の満ち欠けで1か月とする。日本の古代から明治時代はじめまで使用された。
2日目の月。二日月(ふつかづき)
2日目なのに『ついたち』とあります。
糸のように細い月です。
大昔の日本では、この二日目の月を一日目の月として数えていた。
『ついたち』は、『月立ち(つきたち)』が由来となった。
小説作品を思い出しました。以前読んだことがある本です。『月の立つ林で 青山美智子 ポプラ社』 次は、読んだ時の感想の一部です。
朔ヶ崎怜花(さくがさき・れいか):主人公女性。41年間ずっと同じ一軒家に住んでいる。41歳です。未婚。元看護士。三か月前、総合病院を辞めた。実家暮らし。40歳過ぎの無職の未婚女性に貸してくれる不動産物件なしのため実家で暮らしている。印刷所の事務員の求職に申し込んだ。高校生のとき、うさぎ(小雪という名前)を飼っていたことがある。(そんな設定から始まります)
絵本に戻ります。
3日目の月。三日月(みかづき)
戦国時代、武将は兜に(かぶとに)三日月を付けて戦に臨んだ(のぞんだ)。三日月はだんだん満ちて満月になる。望みがかなえられる。(なるほど)
7日目の月。上弦の月(じょうげんのつき)。半月(はんげつ)。弓矢の弓のつるが、上にある状態で地平線に沈む。武将の弓矢からきている。
15日目の月。満月。ひと晩じゅう見えるのは満月だけだそうです。
春の満月。『菜の花や 月は東に 日は西に』 江戸時代の俳人の与謝蕪村(よさぶそん)作。1716年-1784年。68歳ぐらいで没。
思い出してみれば、こどものころ、月が身近にありました。
さらにさかのぼれば、電灯がゆきわたっていない時代がありました。
停電もよくありました。
停電して、ろうそくをつけて、夜をすごした体験があります。
テレビ放送が始まって、一般家庭にテレビが普及したのは、昭和40年代(1965年代)だったと思います。それまでは、こどもは、テレビがある家に招かれて、近所のみんなとひとつのテレビを囲んで見ていました。夜8時になるとこどもは寝る時間だと言われて、解散して、夜空に月が見える中を家に帰って行きました。
今から60年ぐらい昔は、静かで、暗い夜がありました。
秋になると、秋の虫たちの鳴き声が家のまわりで響いていました。
28日目・29日目の月。細い糸のような三日月型の月です。
明け方に出るので、『明けの三日月(あけのみかづき)』と呼ばれるそうです。
月の大きさは、だいたい地球の4分の1だそうです。
本の最後のほうに、月と宇宙の豆知識、日食、月食の説明があります。
地球の海の潮の満ち引きは、月の引力が関係しているそうです。遠くにあっても影響力ありです。
月のもようが何に見えるかという説明もあります。うさぎとか、カニとか、ライオンとか。
最後に月の満ち欠け一覧表がありました。これを書いている3月27日は、満月を過ぎたあたりです。
(その後)
これまで読んだことがある本で、月にちなんだものをいくつかピックアップしてみました。
『月と散文 又吉直樹 KADOKAWA』
エッセイ集です。どこかに掲載していた文章をまとめてあるようです。
『はじめに』に、小学生の時に書いた作文が笑われたとあります。なぜかというと、ひとつの作文の中に、『はずかしかったです。』という文節が大量に書かれていたからだそうです。なるほど。笑えます。リフレインのように(くりかえし)、『はずかしかったです。』と書かれていれば、読み手には自然と笑いが生まれてきます。
『つきのぼうや イブ・スパング・オルセン やまのうち・きよこ訳 福音館書店』
まず、絵本のサイズが変わっています。縦が、34cmで、横が、12.7cm。細長い本です。この細長さを利用して、空の月から下にある地面、そして、海底までを絵で表現してあります。1975年(昭和50年)初版の絵本です。
『おやすみなさい おつきさま マーガレット・ワイズ・ブラウン作 クラメント・ハート絵 せた・ていじ 訳 評論社』
絵は、反対色の構成です。緑と赤の反対色です。昔懐かしいダイヤル式の黒電話機です。この絵本は、アメリカ合衆国における1947年(日本では昭和22年)の作品で、日本では、1979年(昭和54年)に初版が出版されています。
『きょうはそらにまるいつき 荒井良二 偕成社』
2016年発行の絵本です。月夜ですから、月の姿があります。『あかちゃんがそらをみています』から始まります。風景は、外国、イギリスに見えます。背の高いビルディングを背景にして、樹木が生えた都市公園が見えます。ページをめくると、黄色で大きな満月の絵が目に飛び込んできました。こどもにはいい絵です。月がどかーんと見開き2ページの半分ぐらいを占領しています。
『まんげつのよるに 木村裕一・作 あべ弘士・絵 講談社』
シリーズ「あらしのよるに」の第7話でこれが最終話です。第6話で雪崩に飲み込まれたオオカミのガブはどうなったのか心配です。ガブは物語の主人公ですから必ず生きているはずです。ほら生きていました。よかった。えッ?! なんとそれはヤギのメイの夢でした。
『パパ、お月さまとって! エリック=カール・さく もりひさし・やく 偕成社』
こどもさん向けの絵本です。まずは、全体を1ページずつめくってみました。なんというか、すごい絵本です。しかけがある絵本です。ダイナミックです。1986年が初版です。アメリカの田舎町でしょう。夜空も地上も広い。なんていう長いハシゴなんだ。
『月と珊瑚(るなとさんご) 上條さなえ(かみじょう・さなえ) 講談社』
「月(るな)」も「珊瑚(さんご)」も人の名前です。「月」は、つきとは読まずに、「るな」と読みます。 「月」は英語でいうと、「ムーン」です。「ルナ」は、ラテン語で、「月の女神」です。ローマ神話に出てきます。この物語の舞台は、沖縄で、第二次世界大戦のことが書いてあるのかもしれないと予想しました。
『流浪の月(るろうのつき) 凪良ゆう(なぎら・ゆう) 東京創元社』
流浪:住むところを定めず、さまよい歩くこと。小説の中では、小学校上級生ぐらいの女児である家内更紗(かない・さらさ)が、両親がいなくなって、預けられた叔母の家の居心地が悪くて、公園で見かけた大学生男子のマンションにころがりこんでいます。「月」は、家内更紗をさしているような。
『おつきさまこんばんは 林明子 福音館書店』
絵本です。最初にスリムなネコの黒い影絵があります。アメリカ映画のピンクパンサーみたい。かっこいい。黒い影の一戸建ての家があって、ネコが2匹いて、あたりは、真っ暗。室内に黄色い電灯がついている。屋根の上が少しだけ黄色いだ円になる。ほんの少し明るい。エジプト絵画みたい。明るい。太陽のような月が目を閉じている。おめめをあけてくださーい。金太郎顔のお月さんです。猫2匹がお月さんの顔に見とれています。こんばんは。
『太陽と月の大地 コンチャ・ロペス=ナルバエス作 宇野和美訳 福音館』
スペインの昔の話です。1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見しています。日本は、室町時代です。宗教の対立があります。キリスト教とイスラム教です。100年間ぐらいかけて、イスラム教徒がキリスト教徒に追い出されたような内容と、冒頭付近を読むと、書いてあります。キリスト教が上で、イスラム教が下みたいな雰囲気がただよいます。
『月の満ち欠け 佐藤正午 岩波書店』
かなりおもしろい。こういう話は読んだことがありません。某作家の作品「秘密」に似ていますが違います。佐野洋子さんの「百万回生きたねこ」には通じています。舞台は青森八戸、千葉県稲毛、市原、船橋、福岡、名古屋、そのほか、自分が知っている地名が次々と出てきます。憑依(ひょうい)とか、時間移動、輪廻転生(りんねてんせい)、ホラーの要素もあります。
『月はぼくらの宇宙港 佐伯和人 新日本出版社』
60年ぐらい前、月はまだロマンチックな存在でした。うさぎが、もちつきをしている影絵を見た記憶があります。その後、たくさんのアポロが、何度も月を訪れて、荒涼とした月面風景を画像で観ることが重なり、月がもっていた神秘性は消えていきました。この本では、月学者である作者(ときにおたくっぽい)が、科学的に月のありようを解説しています。そんななかでも、月を港とし、地球を宇宙船とたとえるロマン(夢や冒険へのあこがれ)があります。作者が記しているとおり、もともと宇宙開発は、戦争のためのものでした。宇宙から、相手の国を攻撃するのです。もし、それが、現実となれば、勝者はいません。地球は滅びます。
『みかづき 森絵都(もり・えと) 集英社』
時は、昭和36年です。登場人物は、大島吾郎22歳、赤坂千明27歳、赤坂頼子40代、赤坂蕗子(ふきこ)小学1年生ほかです。それから茶々丸とかブラウニとかいう愛犬が出てきます。この時代に、学習塾をつくろう!とするようです。
『二日月(ふつかづき) いとうみく・作 丸山ゆき・絵 そうえん社』
障害者差別解消をめざした作品です。主人公夏木杏(なつき・あん)小学校4年生に、障害児の妹が生まれます。両親、とくに母親が妹の芽生(めい)にかかりっきりになります。母親に相手にしてもらえなくなった杏は母親の愛情不足のストレスに陥ります。そこを、克服していかねばなりません。同級生の磯部真由が支えになってくれます。
『月と蟹 道尾秀介 文春文庫』
直木賞受賞作品ですが、読み始めは、児童文学を読み始めたような感じがします。小学校5年生の利根慎一、富永春也、葉山鳴海(女子)たちが登場人物で、舞台は神奈川県、地名は書いてありませんが、わたしは、藤沢市あたりだろうと勝手に設定して読み始めました。(読み進めた先で、横須賀線沿線のような記述があったので、はずれでしょう。)慎一と春也が、鎌倉の鶴岡八幡宮、建長寺、十王岩を訪れています。
『チャーシューの月 村中李衣(むらなかりえ) 小峰書店』
児童養護施設で暮らす少年少女たちの暮らしぶりです。最初の数ページを過ぎたあたりから、泣けそうになります。最後は涙がにじみました。子どもを育てる気がない親はいらない。
小学校6年生女子美香の視点から見た世界がつづられています。美香の相方が、小学校1年生新米入所の明希(あき)です。彼女は正確な記憶力をもっています。
『赤い月 なかにし礼 新潮社文庫 上巻・下巻』
スタートは冷酷非情です。戦争において殺人は罪に問われません。簡潔平易な文章であるが実情がよく伝わってきます。「説明」ではないことが不思議なくらいです。情景、状況の表現がわかりやすい。これは自伝なのだろうか。満州での逃亡列車の様子は凄惨(せいさん)です。人の行為は詐欺です。善も悪もありません。植物的で無表情で平らな心が広がります。日本人が第二次世界大戦をとおして、どのように生きてきたのかをたどるいい本です。
けっこうたくさんありました。
2024年04月03日
やさいのおしゃべり 泉なお・作 いもとようこ・絵
やさいのおしゃべり 泉なお・作 いもとようこ・絵 金の星社
野菜の擬人化です。
まず、きゅうりが出てきます。
次に、きゅうりがキライな、小学一年生のれいちゃんが出てきます。
(わたしは、きゅうりは、味がしないけれど、腸の中をきれいにそうじしてくれるような気がします)
そのあと、物を乱暴に扱うおかあさんが登場します。
冷蔵庫の中です。野菜が、たくさんあります。
ニンジン、トマト、キャベツ、ピーマン、タマネギ、ナス、アスパラ、ネギ、ダイコン、サツマイモ(サツマイモは、冷蔵庫に入れるようなものではないと思いました。案の定(あんのじょう)、あとからその話が出てきます)
冷蔵庫の2階にあるのが、冷蔵室です。
カマボコ(カビがはえているカマボコです)、ハム
冷蔵庫の3階にあるのが、冷凍室です。
3年前のごはんが凍っています。(こおっています。きたないです。3年前とはえらい古い)
女の人だから、きれい好きとは限りません。お顔はきれいで、スタイルが良くても、家に帰れば、ごみ屋敷ということはあります。
女の人だから、片付けやおそうじができるとは限りません。
料理がじょうずとは限りません。
家計簿をきちんとつけて、お金の管理ができるとは限りません。
世の中は、誤解と錯覚で、できあがっています。
男の人だから、強くてたくましくて、頼りがいがあるとは限りません。
見た目で、中身を判断するのは気が早すぎる判断です。
ぼく:キュウリのことです。
ナス:冷蔵庫の中で、おかあさんから忘れられた存在
みんな早く食べられたい。食べられることが、みんなの役割です。
ダイコン:美人。女の子のダイコンだそうです。買って来た時は若かった。放置された今は老齢でお顔にはブツブツがいっぱいできています。ダイコンさんは、病気にかかっているように見えます。
サツマイモとジャガイモとニンニクの主張があります。自分たちは冷蔵庫に入れるのではなく、冷蔵庫の外で保存してほしいそうです。ごもっともです。
おもしろい。
野菜たちの会話です。
その夜は、マーボナスとサラダの夕食でした。ナスとトマトが冷蔵庫から出て行きました。
くさったカボチャとしょうがは、ごみ箱へポイされました。(悲しいことです)
(この本を親戚のちびっこにプレゼントしよう。来月5月、また親戚にちびっこが生まれます。ここ数年、出産ラッシュです)
おかあさんの声が聞こえます。
キュウリは酢の物にしよう。だいこんはおでんにしよう。
好き嫌いはやめようという雰囲気の呼びかけがありますが、どうしても食べられないものというのはだれしもありそうです。
わたしは、こどものころ、おみそ汁に入っているワカメがにがてでした。口の中でぬるぬるして気持ち悪くてのみこめませんでした。しかたがありません。どうしてもにがてなものは、無理して食べなくてもいいのです。
心優しい内容の絵本でした。
ちびっこにとっては、優しいのが一番です。
野菜の擬人化です。
まず、きゅうりが出てきます。
次に、きゅうりがキライな、小学一年生のれいちゃんが出てきます。
(わたしは、きゅうりは、味がしないけれど、腸の中をきれいにそうじしてくれるような気がします)
そのあと、物を乱暴に扱うおかあさんが登場します。
冷蔵庫の中です。野菜が、たくさんあります。
ニンジン、トマト、キャベツ、ピーマン、タマネギ、ナス、アスパラ、ネギ、ダイコン、サツマイモ(サツマイモは、冷蔵庫に入れるようなものではないと思いました。案の定(あんのじょう)、あとからその話が出てきます)
冷蔵庫の2階にあるのが、冷蔵室です。
カマボコ(カビがはえているカマボコです)、ハム
冷蔵庫の3階にあるのが、冷凍室です。
3年前のごはんが凍っています。(こおっています。きたないです。3年前とはえらい古い)
女の人だから、きれい好きとは限りません。お顔はきれいで、スタイルが良くても、家に帰れば、ごみ屋敷ということはあります。
女の人だから、片付けやおそうじができるとは限りません。
料理がじょうずとは限りません。
家計簿をきちんとつけて、お金の管理ができるとは限りません。
世の中は、誤解と錯覚で、できあがっています。
男の人だから、強くてたくましくて、頼りがいがあるとは限りません。
見た目で、中身を判断するのは気が早すぎる判断です。
ぼく:キュウリのことです。
ナス:冷蔵庫の中で、おかあさんから忘れられた存在
みんな早く食べられたい。食べられることが、みんなの役割です。
ダイコン:美人。女の子のダイコンだそうです。買って来た時は若かった。放置された今は老齢でお顔にはブツブツがいっぱいできています。ダイコンさんは、病気にかかっているように見えます。
サツマイモとジャガイモとニンニクの主張があります。自分たちは冷蔵庫に入れるのではなく、冷蔵庫の外で保存してほしいそうです。ごもっともです。
おもしろい。
野菜たちの会話です。
その夜は、マーボナスとサラダの夕食でした。ナスとトマトが冷蔵庫から出て行きました。
くさったカボチャとしょうがは、ごみ箱へポイされました。(悲しいことです)
(この本を親戚のちびっこにプレゼントしよう。来月5月、また親戚にちびっこが生まれます。ここ数年、出産ラッシュです)
おかあさんの声が聞こえます。
キュウリは酢の物にしよう。だいこんはおでんにしよう。
好き嫌いはやめようという雰囲気の呼びかけがありますが、どうしても食べられないものというのはだれしもありそうです。
わたしは、こどものころ、おみそ汁に入っているワカメがにがてでした。口の中でぬるぬるして気持ち悪くてのみこめませんでした。しかたがありません。どうしてもにがてなものは、無理して食べなくてもいいのです。
心優しい内容の絵本でした。
ちびっこにとっては、優しいのが一番です。
2024年03月29日
これはのみのぴこ 谷川俊太郎・作 和田誠・絵
これはのみのぴこ 谷川俊太郎・作 和田誠・絵 サンリード
『これはのみのぴこ』というのは、『これは、のみの、ぴこ』という意味で、さらに、『これは、蚤(のみ)のぴこ』という、蚤の名前が、『ぴこ』ということなのです。
こどもさん向けの絵本です。1979年(昭和54年)にできたお話です。
(1回目の本読み)
今の子どもは、『蚤(のみ)』を知らないのではないか。(わたしでさえ、わたしがこどものころに、一度だけしか「蚤(のみ)」を見たことがありません。とても小さくてぴょーんとはねます)
ねこの名前が、『ごえもん(五右衛門)』です。
こどものころ、近所の家にあった五右衛門ぶろに一度だけ入ったことがあります。
お釜が熱いので、板を踏んづけて沈ませながら入りました。恐ろしかった記憶が今も残っています。
石川五右衛門のことです。有名な大泥棒です。1590年頃の人物。関ヶ原の合戦が1600年です。
捕まって、かまゆでの刑に処せられたのですが、同時に、こどもであった息子もお釜に入れられたとだれかから聞きました。お湯が湧きだした最初は、熱くなるお湯からこどもをかばって、お湯の上にこどもを持ち上げていたのですが、お釜の底は鉄で、だんだんお湯が熱くなると、五右衛門は自分のこどもを自分の足の下にしいたと聞きました。こどもは死んじゃいます。残酷です。その話が、ほんとか、どうかは知りません。そんなふうにだれかに聞きました。おとなから聞いた覚えです。最後は、五右衛門もお釜の中で死んじゃうんです。ふろに入れてあったのは、わたしが思うお湯ではなく、油だったという話もあります。ちょっと思い出しました。小学校低学年の時に、学校の先生から聞いた話でした。
この絵本に出てくるねこに、『五右衛門』と名づけたということは、そのねこは、どろぼうねこだったのかもしれません。
ひとつ思い出しました。小学生の時に、石川くんという男の子がいて、石川五右衛門とからかわれていました。気が強い子だったので、『五右衛門』と呼ばれるとかなり怒っていました。
絵本では、だんだん文章が長くなっていきます。
そういう連鎖か。落語の『寿限無(じゅげむ。ながーいお名前)』みたいです。
左のページは、長い文章、右のページが絵です。
さいごはどうなるのだろう。
ずーっと話が続いて、「おしまい」でした。
谷川俊太郎さん・文:1931年(昭和6年)生まれ。92歳
和田誠さん・絵:2019年(令和元年)83歳没。料理愛好家平野レミさんのだんなさんで、テレビ番組徹子の部屋で、平野レミさんがゲストのときに、だんなさんのことが毎回紹介されます。
(2回目の本読み)
文章は、ぜーんぶ、ひらがなです。
ところどころのページで、ちっちゃなのみを絵の中でさがす楽しみがあります。ちびっこと読み手でさがしましょう。のみは、どーこだ?
(のみの)ぴこ→(ねこの)ごえもん→あきら→あきらくんのおかあさん→おだんごやさん→ぎんこういん→おすもうさん→かしゅ(歌手)→どろぼう→やおやさん→しちょう(市長)→はいしゃさん(歯医者さん)→ほるんのせんせい(ホルン(管楽器)の先生)→(ねこの)しゃるる→のみのぷち(蚤のぷち)
のみから始まってのみで終わる。物語づくりの基本パターンです。
そして、よーく見ると、のみの名前が、最初と最後で違うのです。のみの名前は、『ぴこ』で始まって、最後の、のみの名前は、『ぷち』で終わっています。オチですな。(お話の締め。結末)
世の中には、いろいろなものがあるということを、ちびっこに教える絵本です。
ちびっこに音読させると、読み方の練習にもなるでしょう。
『これはのみのぴこ』というのは、『これは、のみの、ぴこ』という意味で、さらに、『これは、蚤(のみ)のぴこ』という、蚤の名前が、『ぴこ』ということなのです。
こどもさん向けの絵本です。1979年(昭和54年)にできたお話です。
(1回目の本読み)
今の子どもは、『蚤(のみ)』を知らないのではないか。(わたしでさえ、わたしがこどものころに、一度だけしか「蚤(のみ)」を見たことがありません。とても小さくてぴょーんとはねます)
ねこの名前が、『ごえもん(五右衛門)』です。
こどものころ、近所の家にあった五右衛門ぶろに一度だけ入ったことがあります。
お釜が熱いので、板を踏んづけて沈ませながら入りました。恐ろしかった記憶が今も残っています。
石川五右衛門のことです。有名な大泥棒です。1590年頃の人物。関ヶ原の合戦が1600年です。
捕まって、かまゆでの刑に処せられたのですが、同時に、こどもであった息子もお釜に入れられたとだれかから聞きました。お湯が湧きだした最初は、熱くなるお湯からこどもをかばって、お湯の上にこどもを持ち上げていたのですが、お釜の底は鉄で、だんだんお湯が熱くなると、五右衛門は自分のこどもを自分の足の下にしいたと聞きました。こどもは死んじゃいます。残酷です。その話が、ほんとか、どうかは知りません。そんなふうにだれかに聞きました。おとなから聞いた覚えです。最後は、五右衛門もお釜の中で死んじゃうんです。ふろに入れてあったのは、わたしが思うお湯ではなく、油だったという話もあります。ちょっと思い出しました。小学校低学年の時に、学校の先生から聞いた話でした。
この絵本に出てくるねこに、『五右衛門』と名づけたということは、そのねこは、どろぼうねこだったのかもしれません。
ひとつ思い出しました。小学生の時に、石川くんという男の子がいて、石川五右衛門とからかわれていました。気が強い子だったので、『五右衛門』と呼ばれるとかなり怒っていました。
絵本では、だんだん文章が長くなっていきます。
そういう連鎖か。落語の『寿限無(じゅげむ。ながーいお名前)』みたいです。
左のページは、長い文章、右のページが絵です。
さいごはどうなるのだろう。
ずーっと話が続いて、「おしまい」でした。
谷川俊太郎さん・文:1931年(昭和6年)生まれ。92歳
和田誠さん・絵:2019年(令和元年)83歳没。料理愛好家平野レミさんのだんなさんで、テレビ番組徹子の部屋で、平野レミさんがゲストのときに、だんなさんのことが毎回紹介されます。
(2回目の本読み)
文章は、ぜーんぶ、ひらがなです。
ところどころのページで、ちっちゃなのみを絵の中でさがす楽しみがあります。ちびっこと読み手でさがしましょう。のみは、どーこだ?
(のみの)ぴこ→(ねこの)ごえもん→あきら→あきらくんのおかあさん→おだんごやさん→ぎんこういん→おすもうさん→かしゅ(歌手)→どろぼう→やおやさん→しちょう(市長)→はいしゃさん(歯医者さん)→ほるんのせんせい(ホルン(管楽器)の先生)→(ねこの)しゃるる→のみのぷち(蚤のぷち)
のみから始まってのみで終わる。物語づくりの基本パターンです。
そして、よーく見ると、のみの名前が、最初と最後で違うのです。のみの名前は、『ぴこ』で始まって、最後の、のみの名前は、『ぷち』で終わっています。オチですな。(お話の締め。結末)
世の中には、いろいろなものがあるということを、ちびっこに教える絵本です。
ちびっこに音読させると、読み方の練習にもなるでしょう。
2024年03月27日
母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香
母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香 中央公論新社
短編が、第一話から第六話まであります。
『第一話 上京物語』
読み終えて、自分が若かったころを思い出しました。
詳細は異なりますが、自分は18歳になって実家を出てひとり暮らしを始めました。雰囲気は小説に書いてあるこんな内容の感じでした。半世紀ぐらい前は、学校を出ると、住み込みで職人技を覚える仕事をしたり、会社の独身寮に入ったり、学生なら学生寮や下宿(げしゅく)に入る人が多かった。今ほど、住宅事情が充実していませんでした。
中学や高校を出るなり、大学を出るなりしたら、一時期でもいいからひとり暮らしを体験しておいたほうが、その後に人生に役立ちます。
衣食住の基本的なやりかたとか、社会での契約のしかた、人づきあいのしかたなどを学ぶのです。
たまに、生まれてからずーっと家にいて、おとなになってからも親と同居を続けていますという人をみると、う~むとうなってしまいます。
結婚して他人である配偶者との生活が始まると、夫婦として、いろいろうまくいかないことがありそうです。親にめんどうをみてもらう中学生ぐらいの衣食住に関する暮らし方の意識と知識のまま夫婦生活がスタートすると、いずれゆきづまりそうです。夫婦ゲンカが絶えない混乱の夫婦生活になるでしょう。
またいらぬことを書いてしまいますが、こどもにやらせるべきことをこどもにやらせないで、親や学校の先生がこどもより先にこどものことをやってしまっているせいなのか、学校を卒業して社会に出てくる新人をみて、とほうにくれたことがあります。どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかということです。いつでもどこでもだれかが自分の世話をタダでしてくれると思いこんでいる。自分はいつでもどこでもお客さまという扱いをしてもらえるものだと思いこんでいる。自分の思いどおりにならないことがあると、相手のほうに責任があるとして相手を責める(せめる)。そんな新人を相手にすると、もうあなたの顔は二度と見たくないから、もうここには来ないでくれという気持ちになります。自立心とか、自活するんだという心意気が感じられないのです。
さて、こちらのお話です。
吉川美羽(よしかわ・みう):岩手県盛岡市に実家がある。反対する母親を押し切って、東京の短大英文科に進学した。将来ライター、カメラマンなどになりたい。親からの援助と自分の資金30万円ぐらいをもって、杉並区高円寺(こうえんじ)にあるアパートを借りた。人生の節目をへて、新たなスタートです。(最初は孤独感を味わうことになります。人にだまされないように注意してね。まあ、だまされて痛い目にあうことも人生経験ですが。それからアルコールは飲みすぎないほうがいいよ)
吉川小百合(よしかわ・さゆり):吉川美羽の母親。娘に対して過干渉です。『地元岩手第一主義の人』。ご本人も若い頃は東京にあこがれたけれど、東京で暮らしたことはない。東京に遊びには何度も行ったらしい。
吉川美羽の兄:東京の広告会社で働いている。妹の美羽がアパートを借りるまで、妹を同居させた。
吉川美羽の父:農家の三男坊。地元の国立大学を出て、盛岡市の信用金庫に就職した。役員候補。吉川美羽の妻小百合は美羽にパパのような男と結婚してほしいと願っている。娘の結婚相手は、『堅い職場』で働いている男性希望です。
町田:相場不動産の社員。吉川美羽にアパートを紹介した。美羽の母親ぐらいの年齢の女性。
相場:相場不動産の社長。杖をついた老人(男性)
小坂:コサカアパートの家主。コサカアパートの部屋は、四戸ある。
金髪店長:リサイクルショップの店長
美枝子:吉川美羽の母小百合の友人(じっさいはライバル)。東京のタワーマンションに住んでいる。お金があるらしい。ブランド品も集めている。美人。48歳。長男修介、次男修一、いずれも慶応大学関連の学校に通学している。美枝子さんは、自己顕示欲のかたまりです。タワーマンションの高い位置にある部屋から人や街を見下ろして、自己満足をされています。
佳乃:美羽の短大の女子学生。岩手県花巻市出身。
高円寺(こうえんじ)のあたりは、鉄道で何度か通過したことがあるので親しみが湧きます。
文化・芸能に興味がある人たちが住んでいるというイメージがあります。
南部せんべい:青森県八戸(はちのへ)地域発祥のおせんべい
おかあさんは、かなり、娘の人生について干渉しすぎです。
親が心配するほど、娘は男性にもてないということはあります。
話の内容は、おもしろい。
大学というところは、レジャーセンター(遊びにいくところ)なのか。
『……東京というものがなんだか、怖く感じられたのだ。巨大なブラックホールみたいになんでも引き寄せて吸いこんで……』
読んでいて、自分が18歳だったころを思い出します。
老後を迎えて、よくやってこれた。いつだって、一生懸命だった。これでいい。あれで良かった。これで良かった。歳をとった今、そう思います。
人生の体験について考えました。
最近は、冠婚葬祭を軽くすませることが多くなりました。
結婚式を挙げないカップルも多い。
思うに、結婚式のやりかたを体験していないと、自分のこどもが結婚式を挙げるときに、結婚式の挙げ方(あげかた)を、親がわからないということがあります。ほかの儀式についても同様です。人生の節目にある儀式を軽くみる傾向を、人のありかたとして、それでいいのだろうかと心配しています。お葬式も同様です。(この本の最後のお話にそういうことが出てきます。ふつう、親が死んだときには、葬祭場の部屋で、棺桶に入った親といっしょに一夜を過ごします。お通夜です(おつや)。その話のときに出てくる娘さんは、ホテルを借りてホテルで過ごしました。びっくりです)
この本は、親の『子離れ』の話だろうか。
『第二話 ママはキャリアウーマン』
かなりいい内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。第一話との関連はありません。
以前読んだ別の本のタイトルを思い出しました。『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』。娘にとって、あなたはこうしなさいと強制してくる母親は悩みの種なのです。
新井莉奈(あらい・りな):新婚さん。主婦。夫の北海道への転勤で、札幌市から車で1時間ぐらいのところに住み始めた。こどもはいない。
新井大樹:新井莉奈の夫。大手損害保険会社勤務。20代。大卒。係長。北海道の支社へ転勤。将来出世するための転勤と受け取れます。会社の借り上げ住宅(社宅代わり)に住んでいる。
新井大樹は、職場のことでいろいろとストレスがたまっている。妻の就労については、働いてもいいし、働かなくてもいい、本人次第と思っている。
松永敬子:新井莉奈の母親。離婚後、母子家庭で娘を育て上げた。夫と離婚してから必死に働いて、起業して今はお金持ち。東京住まい。
渡辺:新井大樹の会社の社員。新井大樹にとっては、年上の部下。新井大樹はやりにくい。
母親には自負があります。(じふ:自信、誇り)。自分は、女手一人(おんなでひとり)で、働いて、娘を一人前に育てた。母親は娘に、女性の自立として、結婚後の就労を強要します。
娘には、負い目(おいめ)があります。一生懸命働いて自分を育ててくれたことには母に感謝している。されど、自分がこどものころ、母親は仕事に追われて、日常生活は、殺伐とした(さつばつとした)雰囲気だった。こどもの自分は、母親にほったらかしにされて、かぎっ子でさびしい思いをした。暗い家庭だった。自分は、そんな家庭にはしたくないので、結婚しても働きたくない。主婦一本でやっていきたい。夫や、いつかできるであろうこどものために働きたくない。
読んでいて思い出したことがあります。主婦の人には怒られるかもしれません。
『主婦』という人は、組織で働く人間の苦悩を知らないと思ったことがあります。
勤め人には、自分が自由に使える時間があまりありません。主婦にはあります。主婦の仕事もあるでしょうが、自分で自分の時間をコントロールできる権利があります。勤め人と違って、時間を使う自由度が格段に違います。
読んでいて、母親の娘に対する束縛(そくばく。行動の自由を奪う。強制)が厳しい。
渋面(じゅうめん):不愉快そうな顔つき。
『本当に好きな人と結婚できるチャンスは、人生に何度もないよ』(一般的に、そのとおりです)
『家庭をおろそかにしてまで、働く必要なんてない。』(ケースバイケースです。食べていけなければ、こどもを犠牲にしてまで働かなければならないこともあります)
北海道の郷土料理が、みんなを救います。北海道の赤飯(せきはん。甘納豆が入っている)、それから、いももち。
食事はだいじです。食事内容が、会話のネタになります。無難な話題です。(ぶなん:あたりさわりがない。問題にならない。無事(ぶじ))
『損か得か』にこだわると、『文化』からは距離が遠くなります。人生のおもしろさからは、離れていきます。
実(じつ)の娘なら、母親に対して、母親の自分に対する強制的な態度が、イヤならイヤとちゃんと言えばいい。
不満があったら、言わなきゃわかりあえません。
沈黙は、了解と受け取られてしまいます。
イヤなことがあっても、やらねばならないこと、やるべきことをやるのが大人(おとな)です。やりたいことだけをやって、やりたくないことをやらないのはこどもです。
こどもに対して、こどもの人生を決めようとする強制的な親に読んでほしい一編(いっぺん)です。
ラジオでお昼に流れている番組、『テレホン人生相談』みたいな内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。
この話の場合、母親は、いくらお金があっても、哀れ(あわれ)な人です。
『第三話 疑似家族』
読み終えての感想です。
昔よく言われていた、『結婚と恋愛は違う』という内容の話です。結婚は、似た者同士で結婚したほうがいい。
お話の中では、理想に近づく形で終わっていますが、自分は、つくり話だと感じました。お金持ちの家の青年が性格もいい人として書いてありますが、そういうことはないと思います。お金の苦労をしたことがない人に、お金がない苦労がどんなにつらいものかはわかりません。お金持ちである彼と彼の親族は、きっと貧しい女性とその親族を見くだします。人には、人を差別したがる性質があります。
石井愛華(いしい・あいか):28歳。人材派遣会社勤務。群馬県出身。両親は愛華が小学生の頃に離婚して、父親は家を出て行ったまま行方知れずとなっている。こどものころは、親から虐待を受けていた。
愛華は、お金の無心(むしん。貸してくれとねだる。返してはくれない)をしてくる母親から逃げて都内で身を隠しながらひとり暮らしをしている。お金がないので、一生懸命働いている。親が今どこでどうしているのか知らない。
石井愛華は、野々村幸多と同棲している。彼に同棲を頼まれた。石井愛華は、ほんのでき心から同棲することになった野々村幸多にウソをついている。自分は、幸せな家庭に育った娘だとウソをついている。
石井愛華の信条(心構え)は、『自分を守れるのは自分しかいない』(そのとおりです)
石井愛華には、輝かしい経歴も家柄もない。大学通学のための奨学金はキャバ嬢をやって全額返済した。
野々村幸多(ののむら・こうた):商事会社勤務。お金持ちのお坊ちゃん。父親は、東証一部上場企業の役員、母親は主婦をしながら点字のボランティア活動をしている。東京都豊島区高級住宅地である目白(めじろ)に実家がある。有名な私立学校に通っていた。家族仲は良い。野々村は、恵比寿でひとり暮らしをしていたが、石井愛華を気に入って、彼女を家に招き入れて同棲している。野々村は、石井愛華と結婚したい意思がある。男三人兄弟。野々村幸多の親戚は、医者や学者、弁護士などです。野々村は、石井愛華のほんとうの素性を知らない。(すじょう。生まれ育ち)
楓(かえで):石井愛華の親友である女性。東北出身。
都築めぐみ:群馬県居住。農家で、農作物のネット販売をしている。夫は役所勤めで農作業を兼業している。娘は29歳で、東京都墨田区にある金融会社勤務、息子は高校生。夫の母親と同居している。
小料理屋喜楽(きらく)の60代のおかみ。おかみの仲介で、若いふたりが知り合った。
母親からという設定で(実はウソ)、石井愛華にお米とサツマイモが送られてきます。(都築めぐみからのネット販売です)
石井愛華の同棲相手である野々村の笑顔があります。石井愛華の母親と家庭について誤解しています。石井愛華のウソにだまされています。
ラタトュイユ:フランスニースの郷土料理。夏野菜の煮込み料理。
ご笑納(しょうのう):っまらないものですが、笑ってお受け取りください。(贈り物を渡すときの言葉)
読んでいる途中で意味がわからなくなります。石井愛華がウソをついているからです。タイトル、『疑似家族』に通じるものがあります。
積極的に愛華に結婚を迫る野々村幸多ですが、石井愛華は、自分の本当の家柄のことを野々村幸多に言えません。
身分が違うと、結婚話がしづらいということはあります。いくら財産がある相手でも、自分の親も含めた親戚づきあいがつらい。人生は気楽が一番です。結婚は、同じような人間同士がいっしょになるのが最適です。似た者同士です。
石井愛華にとって、小包を送ってくれる優しい親はいない。
122ページ、読んでいてせつなくなる。(胸が痛む)
石井愛華に、ちゃんとしたアドバイスをしてくれる人が現れます。良かった。
人生において、結婚できるチャンスは、そう何回もあるとは思えません。
この物語のふたりの結婚はむずかしい。結婚できたとしても、結婚生活を継続していくためには、このパターンの場合、男が、女をしっかり守るという強い意識をもっていなければなりません。もし苦難を克服できたらすごいことです。
『第四話 お母さんの小包、お作りします』
初めて短編同士がつながりました。
第三話で登場した群馬県の農家都築めぐみさん宅の状況です。
どこの家でもうまくいかないことがいろいろあります。
東京に出た娘さんが妻子ある男性と不倫をして捨てられて、お金まで吸い取られて仕事を辞めて、10年ぶりに群馬の実家へ本格的に帰ってきました。(数年に1回の帰省はあった)
都築めぐみ:都築宅の母親。『ありんこ農場』を名乗って、お母さんの小包をつくって(中身は米ほか農作物)、ネットやラインで受け付けて配送している。
めぐみの夫:地元の役所勤務で、仕事の合間に農作業をしている。
都築さとみ:長女。東京へ行くと、親の反対を振り切って大学進学で上京して、東京で就職したのに仕事を辞めて帰郷した。28歳ぐらいか。
都築隆:長男。高校生
祖母:認知症が始まっている。アルツハイマー型認知症。症状は軽い。
亜美:都築さとみの小学校の時の友だち。思春期は、不良グループに所属していた。父親がいない。母親は美容師。自宅の近くのアパートを3万円で借りて暮らしている。ユニクロは高くて買えない。古着屋を利用している。コメダ珈琲(コーヒー)も高くて入れない。マックの100円コーヒーを飲んでいる。
友ちゃん:同じく、さとみの幼馴(おさな)なじみ。
お宝市場:リサイクルショップ
駒田:都築さとみをだましたテレビディレクター。チビで、デブでハゲだそうです。妻子あり。詐欺師のような男。めぐみの貯金を吸い上げた。貢がせた(みつがせた)。めぐみを自分の借金の保証人にした。
『24歳から5年間妻子ある男と付き合ってしまった』(ばかだなあ。そんな男に、『誠実』という言葉はありません)
読みながら考えたことです。
人間はなんのために生きているのか。
人間は、遊ぶために生きている。
遊ぶために働いている。
人生を楽しむために働こう。
水沢うどん:群馬県渋沢市伊香保町の名物料理
一筆箋(いっぴつせん):小型の便箋(びんせん)。短文を書く。
ロム専(ろむせん):読むだけで書き込みをしない人。Read Only Member
読んでいると、さみしくなってくるような内容でした。
テレビ局の番組とか、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の弊害(へいがい。有害なこと)が書いてあります。
う~む。つくってある話です。現実ではありません。
『第五話 北の国から』
北海道に、もしかしたら亡くなった父親の母親(主人公にとっての祖母)がいるのではないかという話です。
亡くなった父親の両親は、離婚している。父親は祖父が引き取って育てた。祖母の所在は不明という設定です。
亡くなった父親(脳出血で急逝(きゅうせい。突然亡くなった))に毎年1回昆布が送られてきていたという経過があります。相手の名前は、槇恵子さんです。(まき・けいこ)
両親を失って、天涯孤独の身になった24歳の内藤拓也(広島県出身。東京の会社の独身寮住まい。18歳で上京、専門学校卒業後東京で就職)が、恋人の奈瑞菜(なずな。世田谷区下北沢居住。実家は千葉の稲毛(いなげ))と北海道羅臼(らうす)にいる槇恵子を訪ねます。
名古屋とか、千葉市稲毛区とか、昨年夏に訪れた下北沢とか、自分にとって土地勘のある場所が物語に出てきたので、親しみを感じました。
親戚はいても親戚づきあいをしてこなかったので、少し遠縁の親戚とは交流がない内藤拓也です。
係累(けいるい):親族のつながり。とくに、夫婦・親子兄弟姉妹
小包を送る話ですが、相手のことを思って、力いっぱい、たくさんの物を箱に入れて送るということはあります。自分たち夫婦にも、こどもたちや孫たちにそうやって大量の物を送った体験があります。歳月が流れて、そのときのことを思い出すと、たぶん迷惑だっただろうなあと今になって気づきます。でも、あれはあれで良かったと思います。人間とはそういうものなのです。気持ちがだいじです。
昆布の送り主は、内藤拓也くんの祖母ではありませんでした。
こういうことってあるのだろうなあ。年に1回だけのお世話になった方へのあいさつの物を送る交流です。(年賀状ということもあります)。お互いに会うことはないけれど、切りたくない人間関係ってあります。こちらの話の場合は、若い頃にかなわなかった恋の継続維持です。好き同士でも、結婚できず、それぞれが所帯をもつということはあります。
『第六話 最後の小包』
主人公は24歳の若い女性なのですが、読んでいて、その女性がキライになりました。
彼女の脳みその中は、反抗期にある中学二年生女子の思考です。まわりにいる人間たちがみんな敵という感じ方と考え方です。(まわりにいる人たちは、その女性にかなり気を使っています。その女性を攻撃などしていません)
主人公女性の気持ちはわかりますが、自分の言いたい事だけ言って、自分がやるべきことを人にやらせています。(実母の葬儀一式)。そして、イヤならイヤとまわりの人に話をすべきなのに、説明もしません。勝手に腹を立てて、無言で、その場を去っています。とんでもない人です。
イヤでもやるべきことはやるのが、おとなです。やらないのは、こどもです。
主人公の女性は、中学二年生の頭脳のまま、見た目だけ24歳のおとなに成長した人です。
後藤弓香(ごとうゆみか):24歳。食品会社大阪支店勤務。本店は東京都内にある。中一のときに父母別居。父親が家を出て行った。その後、父母離婚。父の不倫が離婚の原因。父は、部下に手をつけた。母はその後再婚して、二度目の夫(元高校教師。定年退職して70歳ぐらい)と千葉県の房総半島で暮らしていた。その母が肺炎で急死した。継父の親族は後藤弓香をきらっていないのに、後藤弓香は、継父の親族たちをきらい、終始失礼で無礼(ぶれい)な態度を継父の親族たちにとった。東京杉並区内に、昔の家族三人で暮らしていたころの母親名義の分譲マンションがあるが今は空き家になっている。
平原正夫:後藤弓香の母親の再婚相手。70歳ぐらい。元高校教師。前妻も教師だったがすでに病死している。こどもはふたり。長男と長女がいて、長男夫婦に孫がひとりいる。
後藤弓香は、気持ちがカッカきて自分ひとりで興奮状態になるけれど、あきらめたほうがいい。人生は流されたほうが楽なときもあります。
がんこを貫いても(つらぬいても)、ひとりぼっちになってしまうだけです。
重松清作品『卒業』を思い出します。継父・継母がからんだこどものお話です。苦悩から、卒業するのです。名作です。
意地を張って馬鹿(ばか)だから、後藤弓香は、母親の死に目に立ち会うことができませんでした。親不孝者です。
人生経験がないから勝手です。後藤弓香は、葬式の段取りも知りません。結婚式の段取りも知らないでしょう。
人生は、知識よりも体験が重要です。
年齢に応じたやるべきことをやって体験を積んでおいた方が、のちのちの人生で楽ができます。
喪主(もしゅ)なんて、だれがやってもいいと思いますが、妻が死んだら、ふつうは夫が喪主です。
娘である自分が喪主をやりたいなら、そのことを継父に言えばいい。
継父は二度続けて妻を病気で亡くしています。精神的にかなり強いショックがあります。
だまっていて、怒りの対象になる相手がいないところで文句を言うのは卑怯者です。(ひきょうもの。勇気がない。臆病者(おくびょうもの)。いやしい。どうどうとしていない)
池知智春(いけち・ともはる):後藤弓香の元カレ。高校生のときに父親を亡くしている。
物語の中で、後藤弓香を見て、この人は、クズだと思いました。
そんな後藤弓香に、母が亡くなってから、母が亡くなる直前に、娘にあてて送った小包が届きました。後藤弓香は、ばかたれです。改心しなさい。(かいしん。心を入れ替える)。心ある親はいつだって、こどものことを心配しているのです。
短編が、第一話から第六話まであります。
『第一話 上京物語』
読み終えて、自分が若かったころを思い出しました。
詳細は異なりますが、自分は18歳になって実家を出てひとり暮らしを始めました。雰囲気は小説に書いてあるこんな内容の感じでした。半世紀ぐらい前は、学校を出ると、住み込みで職人技を覚える仕事をしたり、会社の独身寮に入ったり、学生なら学生寮や下宿(げしゅく)に入る人が多かった。今ほど、住宅事情が充実していませんでした。
中学や高校を出るなり、大学を出るなりしたら、一時期でもいいからひとり暮らしを体験しておいたほうが、その後に人生に役立ちます。
衣食住の基本的なやりかたとか、社会での契約のしかた、人づきあいのしかたなどを学ぶのです。
たまに、生まれてからずーっと家にいて、おとなになってからも親と同居を続けていますという人をみると、う~むとうなってしまいます。
結婚して他人である配偶者との生活が始まると、夫婦として、いろいろうまくいかないことがありそうです。親にめんどうをみてもらう中学生ぐらいの衣食住に関する暮らし方の意識と知識のまま夫婦生活がスタートすると、いずれゆきづまりそうです。夫婦ゲンカが絶えない混乱の夫婦生活になるでしょう。
またいらぬことを書いてしまいますが、こどもにやらせるべきことをこどもにやらせないで、親や学校の先生がこどもより先にこどものことをやってしまっているせいなのか、学校を卒業して社会に出てくる新人をみて、とほうにくれたことがあります。どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかということです。いつでもどこでもだれかが自分の世話をタダでしてくれると思いこんでいる。自分はいつでもどこでもお客さまという扱いをしてもらえるものだと思いこんでいる。自分の思いどおりにならないことがあると、相手のほうに責任があるとして相手を責める(せめる)。そんな新人を相手にすると、もうあなたの顔は二度と見たくないから、もうここには来ないでくれという気持ちになります。自立心とか、自活するんだという心意気が感じられないのです。
さて、こちらのお話です。
吉川美羽(よしかわ・みう):岩手県盛岡市に実家がある。反対する母親を押し切って、東京の短大英文科に進学した。将来ライター、カメラマンなどになりたい。親からの援助と自分の資金30万円ぐらいをもって、杉並区高円寺(こうえんじ)にあるアパートを借りた。人生の節目をへて、新たなスタートです。(最初は孤独感を味わうことになります。人にだまされないように注意してね。まあ、だまされて痛い目にあうことも人生経験ですが。それからアルコールは飲みすぎないほうがいいよ)
吉川小百合(よしかわ・さゆり):吉川美羽の母親。娘に対して過干渉です。『地元岩手第一主義の人』。ご本人も若い頃は東京にあこがれたけれど、東京で暮らしたことはない。東京に遊びには何度も行ったらしい。
吉川美羽の兄:東京の広告会社で働いている。妹の美羽がアパートを借りるまで、妹を同居させた。
吉川美羽の父:農家の三男坊。地元の国立大学を出て、盛岡市の信用金庫に就職した。役員候補。吉川美羽の妻小百合は美羽にパパのような男と結婚してほしいと願っている。娘の結婚相手は、『堅い職場』で働いている男性希望です。
町田:相場不動産の社員。吉川美羽にアパートを紹介した。美羽の母親ぐらいの年齢の女性。
相場:相場不動産の社長。杖をついた老人(男性)
小坂:コサカアパートの家主。コサカアパートの部屋は、四戸ある。
金髪店長:リサイクルショップの店長
美枝子:吉川美羽の母小百合の友人(じっさいはライバル)。東京のタワーマンションに住んでいる。お金があるらしい。ブランド品も集めている。美人。48歳。長男修介、次男修一、いずれも慶応大学関連の学校に通学している。美枝子さんは、自己顕示欲のかたまりです。タワーマンションの高い位置にある部屋から人や街を見下ろして、自己満足をされています。
佳乃:美羽の短大の女子学生。岩手県花巻市出身。
高円寺(こうえんじ)のあたりは、鉄道で何度か通過したことがあるので親しみが湧きます。
文化・芸能に興味がある人たちが住んでいるというイメージがあります。
南部せんべい:青森県八戸(はちのへ)地域発祥のおせんべい
おかあさんは、かなり、娘の人生について干渉しすぎです。
親が心配するほど、娘は男性にもてないということはあります。
話の内容は、おもしろい。
大学というところは、レジャーセンター(遊びにいくところ)なのか。
『……東京というものがなんだか、怖く感じられたのだ。巨大なブラックホールみたいになんでも引き寄せて吸いこんで……』
読んでいて、自分が18歳だったころを思い出します。
老後を迎えて、よくやってこれた。いつだって、一生懸命だった。これでいい。あれで良かった。これで良かった。歳をとった今、そう思います。
人生の体験について考えました。
最近は、冠婚葬祭を軽くすませることが多くなりました。
結婚式を挙げないカップルも多い。
思うに、結婚式のやりかたを体験していないと、自分のこどもが結婚式を挙げるときに、結婚式の挙げ方(あげかた)を、親がわからないということがあります。ほかの儀式についても同様です。人生の節目にある儀式を軽くみる傾向を、人のありかたとして、それでいいのだろうかと心配しています。お葬式も同様です。(この本の最後のお話にそういうことが出てきます。ふつう、親が死んだときには、葬祭場の部屋で、棺桶に入った親といっしょに一夜を過ごします。お通夜です(おつや)。その話のときに出てくる娘さんは、ホテルを借りてホテルで過ごしました。びっくりです)
この本は、親の『子離れ』の話だろうか。
『第二話 ママはキャリアウーマン』
かなりいい内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。第一話との関連はありません。
以前読んだ別の本のタイトルを思い出しました。『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』。娘にとって、あなたはこうしなさいと強制してくる母親は悩みの種なのです。
新井莉奈(あらい・りな):新婚さん。主婦。夫の北海道への転勤で、札幌市から車で1時間ぐらいのところに住み始めた。こどもはいない。
新井大樹:新井莉奈の夫。大手損害保険会社勤務。20代。大卒。係長。北海道の支社へ転勤。将来出世するための転勤と受け取れます。会社の借り上げ住宅(社宅代わり)に住んでいる。
新井大樹は、職場のことでいろいろとストレスがたまっている。妻の就労については、働いてもいいし、働かなくてもいい、本人次第と思っている。
松永敬子:新井莉奈の母親。離婚後、母子家庭で娘を育て上げた。夫と離婚してから必死に働いて、起業して今はお金持ち。東京住まい。
渡辺:新井大樹の会社の社員。新井大樹にとっては、年上の部下。新井大樹はやりにくい。
母親には自負があります。(じふ:自信、誇り)。自分は、女手一人(おんなでひとり)で、働いて、娘を一人前に育てた。母親は娘に、女性の自立として、結婚後の就労を強要します。
娘には、負い目(おいめ)があります。一生懸命働いて自分を育ててくれたことには母に感謝している。されど、自分がこどものころ、母親は仕事に追われて、日常生活は、殺伐とした(さつばつとした)雰囲気だった。こどもの自分は、母親にほったらかしにされて、かぎっ子でさびしい思いをした。暗い家庭だった。自分は、そんな家庭にはしたくないので、結婚しても働きたくない。主婦一本でやっていきたい。夫や、いつかできるであろうこどものために働きたくない。
読んでいて思い出したことがあります。主婦の人には怒られるかもしれません。
『主婦』という人は、組織で働く人間の苦悩を知らないと思ったことがあります。
勤め人には、自分が自由に使える時間があまりありません。主婦にはあります。主婦の仕事もあるでしょうが、自分で自分の時間をコントロールできる権利があります。勤め人と違って、時間を使う自由度が格段に違います。
読んでいて、母親の娘に対する束縛(そくばく。行動の自由を奪う。強制)が厳しい。
渋面(じゅうめん):不愉快そうな顔つき。
『本当に好きな人と結婚できるチャンスは、人生に何度もないよ』(一般的に、そのとおりです)
『家庭をおろそかにしてまで、働く必要なんてない。』(ケースバイケースです。食べていけなければ、こどもを犠牲にしてまで働かなければならないこともあります)
北海道の郷土料理が、みんなを救います。北海道の赤飯(せきはん。甘納豆が入っている)、それから、いももち。
食事はだいじです。食事内容が、会話のネタになります。無難な話題です。(ぶなん:あたりさわりがない。問題にならない。無事(ぶじ))
『損か得か』にこだわると、『文化』からは距離が遠くなります。人生のおもしろさからは、離れていきます。
実(じつ)の娘なら、母親に対して、母親の自分に対する強制的な態度が、イヤならイヤとちゃんと言えばいい。
不満があったら、言わなきゃわかりあえません。
沈黙は、了解と受け取られてしまいます。
イヤなことがあっても、やらねばならないこと、やるべきことをやるのが大人(おとな)です。やりたいことだけをやって、やりたくないことをやらないのはこどもです。
こどもに対して、こどもの人生を決めようとする強制的な親に読んでほしい一編(いっぺん)です。
ラジオでお昼に流れている番組、『テレホン人生相談』みたいな内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。
この話の場合、母親は、いくらお金があっても、哀れ(あわれ)な人です。
『第三話 疑似家族』
読み終えての感想です。
昔よく言われていた、『結婚と恋愛は違う』という内容の話です。結婚は、似た者同士で結婚したほうがいい。
お話の中では、理想に近づく形で終わっていますが、自分は、つくり話だと感じました。お金持ちの家の青年が性格もいい人として書いてありますが、そういうことはないと思います。お金の苦労をしたことがない人に、お金がない苦労がどんなにつらいものかはわかりません。お金持ちである彼と彼の親族は、きっと貧しい女性とその親族を見くだします。人には、人を差別したがる性質があります。
石井愛華(いしい・あいか):28歳。人材派遣会社勤務。群馬県出身。両親は愛華が小学生の頃に離婚して、父親は家を出て行ったまま行方知れずとなっている。こどものころは、親から虐待を受けていた。
愛華は、お金の無心(むしん。貸してくれとねだる。返してはくれない)をしてくる母親から逃げて都内で身を隠しながらひとり暮らしをしている。お金がないので、一生懸命働いている。親が今どこでどうしているのか知らない。
石井愛華は、野々村幸多と同棲している。彼に同棲を頼まれた。石井愛華は、ほんのでき心から同棲することになった野々村幸多にウソをついている。自分は、幸せな家庭に育った娘だとウソをついている。
石井愛華の信条(心構え)は、『自分を守れるのは自分しかいない』(そのとおりです)
石井愛華には、輝かしい経歴も家柄もない。大学通学のための奨学金はキャバ嬢をやって全額返済した。
野々村幸多(ののむら・こうた):商事会社勤務。お金持ちのお坊ちゃん。父親は、東証一部上場企業の役員、母親は主婦をしながら点字のボランティア活動をしている。東京都豊島区高級住宅地である目白(めじろ)に実家がある。有名な私立学校に通っていた。家族仲は良い。野々村は、恵比寿でひとり暮らしをしていたが、石井愛華を気に入って、彼女を家に招き入れて同棲している。野々村は、石井愛華と結婚したい意思がある。男三人兄弟。野々村幸多の親戚は、医者や学者、弁護士などです。野々村は、石井愛華のほんとうの素性を知らない。(すじょう。生まれ育ち)
楓(かえで):石井愛華の親友である女性。東北出身。
都築めぐみ:群馬県居住。農家で、農作物のネット販売をしている。夫は役所勤めで農作業を兼業している。娘は29歳で、東京都墨田区にある金融会社勤務、息子は高校生。夫の母親と同居している。
小料理屋喜楽(きらく)の60代のおかみ。おかみの仲介で、若いふたりが知り合った。
母親からという設定で(実はウソ)、石井愛華にお米とサツマイモが送られてきます。(都築めぐみからのネット販売です)
石井愛華の同棲相手である野々村の笑顔があります。石井愛華の母親と家庭について誤解しています。石井愛華のウソにだまされています。
ラタトュイユ:フランスニースの郷土料理。夏野菜の煮込み料理。
ご笑納(しょうのう):っまらないものですが、笑ってお受け取りください。(贈り物を渡すときの言葉)
読んでいる途中で意味がわからなくなります。石井愛華がウソをついているからです。タイトル、『疑似家族』に通じるものがあります。
積極的に愛華に結婚を迫る野々村幸多ですが、石井愛華は、自分の本当の家柄のことを野々村幸多に言えません。
身分が違うと、結婚話がしづらいということはあります。いくら財産がある相手でも、自分の親も含めた親戚づきあいがつらい。人生は気楽が一番です。結婚は、同じような人間同士がいっしょになるのが最適です。似た者同士です。
石井愛華にとって、小包を送ってくれる優しい親はいない。
122ページ、読んでいてせつなくなる。(胸が痛む)
石井愛華に、ちゃんとしたアドバイスをしてくれる人が現れます。良かった。
人生において、結婚できるチャンスは、そう何回もあるとは思えません。
この物語のふたりの結婚はむずかしい。結婚できたとしても、結婚生活を継続していくためには、このパターンの場合、男が、女をしっかり守るという強い意識をもっていなければなりません。もし苦難を克服できたらすごいことです。
『第四話 お母さんの小包、お作りします』
初めて短編同士がつながりました。
第三話で登場した群馬県の農家都築めぐみさん宅の状況です。
どこの家でもうまくいかないことがいろいろあります。
東京に出た娘さんが妻子ある男性と不倫をして捨てられて、お金まで吸い取られて仕事を辞めて、10年ぶりに群馬の実家へ本格的に帰ってきました。(数年に1回の帰省はあった)
都築めぐみ:都築宅の母親。『ありんこ農場』を名乗って、お母さんの小包をつくって(中身は米ほか農作物)、ネットやラインで受け付けて配送している。
めぐみの夫:地元の役所勤務で、仕事の合間に農作業をしている。
都築さとみ:長女。東京へ行くと、親の反対を振り切って大学進学で上京して、東京で就職したのに仕事を辞めて帰郷した。28歳ぐらいか。
都築隆:長男。高校生
祖母:認知症が始まっている。アルツハイマー型認知症。症状は軽い。
亜美:都築さとみの小学校の時の友だち。思春期は、不良グループに所属していた。父親がいない。母親は美容師。自宅の近くのアパートを3万円で借りて暮らしている。ユニクロは高くて買えない。古着屋を利用している。コメダ珈琲(コーヒー)も高くて入れない。マックの100円コーヒーを飲んでいる。
友ちゃん:同じく、さとみの幼馴(おさな)なじみ。
お宝市場:リサイクルショップ
駒田:都築さとみをだましたテレビディレクター。チビで、デブでハゲだそうです。妻子あり。詐欺師のような男。めぐみの貯金を吸い上げた。貢がせた(みつがせた)。めぐみを自分の借金の保証人にした。
『24歳から5年間妻子ある男と付き合ってしまった』(ばかだなあ。そんな男に、『誠実』という言葉はありません)
読みながら考えたことです。
人間はなんのために生きているのか。
人間は、遊ぶために生きている。
遊ぶために働いている。
人生を楽しむために働こう。
水沢うどん:群馬県渋沢市伊香保町の名物料理
一筆箋(いっぴつせん):小型の便箋(びんせん)。短文を書く。
ロム専(ろむせん):読むだけで書き込みをしない人。Read Only Member
読んでいると、さみしくなってくるような内容でした。
テレビ局の番組とか、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の弊害(へいがい。有害なこと)が書いてあります。
う~む。つくってある話です。現実ではありません。
『第五話 北の国から』
北海道に、もしかしたら亡くなった父親の母親(主人公にとっての祖母)がいるのではないかという話です。
亡くなった父親の両親は、離婚している。父親は祖父が引き取って育てた。祖母の所在は不明という設定です。
亡くなった父親(脳出血で急逝(きゅうせい。突然亡くなった))に毎年1回昆布が送られてきていたという経過があります。相手の名前は、槇恵子さんです。(まき・けいこ)
両親を失って、天涯孤独の身になった24歳の内藤拓也(広島県出身。東京の会社の独身寮住まい。18歳で上京、専門学校卒業後東京で就職)が、恋人の奈瑞菜(なずな。世田谷区下北沢居住。実家は千葉の稲毛(いなげ))と北海道羅臼(らうす)にいる槇恵子を訪ねます。
名古屋とか、千葉市稲毛区とか、昨年夏に訪れた下北沢とか、自分にとって土地勘のある場所が物語に出てきたので、親しみを感じました。
親戚はいても親戚づきあいをしてこなかったので、少し遠縁の親戚とは交流がない内藤拓也です。
係累(けいるい):親族のつながり。とくに、夫婦・親子兄弟姉妹
小包を送る話ですが、相手のことを思って、力いっぱい、たくさんの物を箱に入れて送るということはあります。自分たち夫婦にも、こどもたちや孫たちにそうやって大量の物を送った体験があります。歳月が流れて、そのときのことを思い出すと、たぶん迷惑だっただろうなあと今になって気づきます。でも、あれはあれで良かったと思います。人間とはそういうものなのです。気持ちがだいじです。
昆布の送り主は、内藤拓也くんの祖母ではありませんでした。
こういうことってあるのだろうなあ。年に1回だけのお世話になった方へのあいさつの物を送る交流です。(年賀状ということもあります)。お互いに会うことはないけれど、切りたくない人間関係ってあります。こちらの話の場合は、若い頃にかなわなかった恋の継続維持です。好き同士でも、結婚できず、それぞれが所帯をもつということはあります。
『第六話 最後の小包』
主人公は24歳の若い女性なのですが、読んでいて、その女性がキライになりました。
彼女の脳みその中は、反抗期にある中学二年生女子の思考です。まわりにいる人間たちがみんな敵という感じ方と考え方です。(まわりにいる人たちは、その女性にかなり気を使っています。その女性を攻撃などしていません)
主人公女性の気持ちはわかりますが、自分の言いたい事だけ言って、自分がやるべきことを人にやらせています。(実母の葬儀一式)。そして、イヤならイヤとまわりの人に話をすべきなのに、説明もしません。勝手に腹を立てて、無言で、その場を去っています。とんでもない人です。
イヤでもやるべきことはやるのが、おとなです。やらないのは、こどもです。
主人公の女性は、中学二年生の頭脳のまま、見た目だけ24歳のおとなに成長した人です。
後藤弓香(ごとうゆみか):24歳。食品会社大阪支店勤務。本店は東京都内にある。中一のときに父母別居。父親が家を出て行った。その後、父母離婚。父の不倫が離婚の原因。父は、部下に手をつけた。母はその後再婚して、二度目の夫(元高校教師。定年退職して70歳ぐらい)と千葉県の房総半島で暮らしていた。その母が肺炎で急死した。継父の親族は後藤弓香をきらっていないのに、後藤弓香は、継父の親族たちをきらい、終始失礼で無礼(ぶれい)な態度を継父の親族たちにとった。東京杉並区内に、昔の家族三人で暮らしていたころの母親名義の分譲マンションがあるが今は空き家になっている。
平原正夫:後藤弓香の母親の再婚相手。70歳ぐらい。元高校教師。前妻も教師だったがすでに病死している。こどもはふたり。長男と長女がいて、長男夫婦に孫がひとりいる。
後藤弓香は、気持ちがカッカきて自分ひとりで興奮状態になるけれど、あきらめたほうがいい。人生は流されたほうが楽なときもあります。
がんこを貫いても(つらぬいても)、ひとりぼっちになってしまうだけです。
重松清作品『卒業』を思い出します。継父・継母がからんだこどものお話です。苦悩から、卒業するのです。名作です。
意地を張って馬鹿(ばか)だから、後藤弓香は、母親の死に目に立ち会うことができませんでした。親不孝者です。
人生経験がないから勝手です。後藤弓香は、葬式の段取りも知りません。結婚式の段取りも知らないでしょう。
人生は、知識よりも体験が重要です。
年齢に応じたやるべきことをやって体験を積んでおいた方が、のちのちの人生で楽ができます。
喪主(もしゅ)なんて、だれがやってもいいと思いますが、妻が死んだら、ふつうは夫が喪主です。
娘である自分が喪主をやりたいなら、そのことを継父に言えばいい。
継父は二度続けて妻を病気で亡くしています。精神的にかなり強いショックがあります。
だまっていて、怒りの対象になる相手がいないところで文句を言うのは卑怯者です。(ひきょうもの。勇気がない。臆病者(おくびょうもの)。いやしい。どうどうとしていない)
池知智春(いけち・ともはる):後藤弓香の元カレ。高校生のときに父親を亡くしている。
物語の中で、後藤弓香を見て、この人は、クズだと思いました。
そんな後藤弓香に、母が亡くなってから、母が亡くなる直前に、娘にあてて送った小包が届きました。後藤弓香は、ばかたれです。改心しなさい。(かいしん。心を入れ替える)。心ある親はいつだって、こどものことを心配しているのです。
2024年03月26日
もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作
もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作 中央公論新社
たべられるのは牛くんです。
おぼろげな色調の絵が渋い。(地味だが味わい深い)
最初の絵にある文句が、『ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ。』
この一行を見て、思い出す文学作品と邦画があります。
『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』
『ブタがいた教室(DVD) 日活㈱』
小説、『食堂かたつむり』小川糸著では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。
『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を同じく愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。
絵本では、牛の擬人化があります。
牛は、お肉になる前にお母さんに会いたい。
ありえない流れです。
牛に感情をもたせます。
牛は、列車に乗って、母親がいる牧場を目指します。
絵本です。
母と子がいます。親子です。
どうして、母子は同じ牧場にいないのだろう。(読み手であるへんくつなおとなのわたしです。偏屈:性格が素直ではない)
お肉になるのは、黒毛和牛です。絵本の絵は、乳牛です。(ヘンです)
う~む。つっこみどころが多そうな絵本です。
ペットになる愛玩動物と、人間が食べる食材になる商業用動物がいる。
メッセージは、牛肉を食べないということではなく、食材になる生き物に感謝するということだろうか。
牛の親子の愛情シーンというのは、イメージがわきません。
牛の母は、牛の息子のことなんか考えてはいないでしょう。
自分がお肉になると母親に言ったら、母親は悲しむだろうと考えて、牛君は、母親に会わずに帰ろうとします。電車にのって、帰ろうとします。
(感情に流され過ぎではなかろうか。ふつう、こどもがお肉になる前に、親が先にお肉になるのではなかろうか)
母牛が息子牛に気づいて、息子牛が乗った列車を、ものすごい勢いで走りながら追いかけてきます。
(ああやっぱり)『……ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたらいいな。』
お話は終わりました。
(本づくりとして)う~ん。どうかなあ。もっと自信をもってほしい。
強気でいかないとメンタルがつぶれてしまいます。(心が折れる。メンタル:精神。精神力)
悲しみではなく、人間に向かって、お~れを食べるのなら、最高においしく食べてくれ! ぐらいの気概がほしい。(きがい:強い気持ち)
たべられるのは牛くんです。
おぼろげな色調の絵が渋い。(地味だが味わい深い)
最初の絵にある文句が、『ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ。』
この一行を見て、思い出す文学作品と邦画があります。
『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』
『ブタがいた教室(DVD) 日活㈱』
小説、『食堂かたつむり』小川糸著では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。
『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を同じく愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。
絵本では、牛の擬人化があります。
牛は、お肉になる前にお母さんに会いたい。
ありえない流れです。
牛に感情をもたせます。
牛は、列車に乗って、母親がいる牧場を目指します。
絵本です。
母と子がいます。親子です。
どうして、母子は同じ牧場にいないのだろう。(読み手であるへんくつなおとなのわたしです。偏屈:性格が素直ではない)
お肉になるのは、黒毛和牛です。絵本の絵は、乳牛です。(ヘンです)
う~む。つっこみどころが多そうな絵本です。
ペットになる愛玩動物と、人間が食べる食材になる商業用動物がいる。
メッセージは、牛肉を食べないということではなく、食材になる生き物に感謝するということだろうか。
牛の親子の愛情シーンというのは、イメージがわきません。
牛の母は、牛の息子のことなんか考えてはいないでしょう。
自分がお肉になると母親に言ったら、母親は悲しむだろうと考えて、牛君は、母親に会わずに帰ろうとします。電車にのって、帰ろうとします。
(感情に流され過ぎではなかろうか。ふつう、こどもがお肉になる前に、親が先にお肉になるのではなかろうか)
母牛が息子牛に気づいて、息子牛が乗った列車を、ものすごい勢いで走りながら追いかけてきます。
(ああやっぱり)『……ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたらいいな。』
お話は終わりました。
(本づくりとして)う~ん。どうかなあ。もっと自信をもってほしい。
強気でいかないとメンタルがつぶれてしまいます。(心が折れる。メンタル:精神。精神力)
悲しみではなく、人間に向かって、お~れを食べるのなら、最高においしく食べてくれ! ぐらいの気概がほしい。(きがい:強い気持ち)