2008年07月23日
京都 嵯峨野 オルゴール博物館
京都 嵯峨野 オルゴール博物館
オルゴールの音色が好きです。地図にあったので、建物に近づいたのですが、外観はレストランでした。引き返そうとしたら、入口前にいたクラウンというのでしょうか、道化師が招き入れるので入ってみました。2階が博物館になっていました。
30分ぐらいオルゴールの説明と音色を聞きました。なにか1点でも購入しようかとしたのですが、お値段の桁が非常に高くて手が出せませんでした。
2008年07月22日
2008年07月21日
京都 嵐山 大河内山荘
京都 嵐山 大河内山荘
大河内山荘とは亡き映画俳優大河内傳次郎氏(でんじろう)の別荘でした。山荘内に経歴を示した資料があり、丹下左膳を演じた方です。
俳優で得た収入のほとんどを使ってこの別荘を建てたそうです。ひと山買って、昭和中期にこのような立派な建築物を建てられたことは驚嘆に値します。氏は嵐山駅から馬で山荘を訪れたという逸話にも時代を感じました。
山荘から見えた比叡山のうすい影が富士山のようで美しかった。
反対側に見えた大悲閣(だいひかく)とか嵐山、小倉山方面です。
2008年07月20日
京都 嵐山 天龍寺
京都 嵐山 天龍寺
立派なお庭があります。縁側のようなところで、一日中朝から夕方まで、ずーっと座っていると、太陽や雲の動きにつれて風景も変化していくのでしょう。
ただじっと座ってぼんやりする。ひとそれぞれの瞑想にふける。そんなことができることが、京都観光のよさと感じます。
2008年07月19日
嵐山にてサギと出会う。
嵐山にてサギと出会う。
ホテルにて、朝、目を覚まし、カーテンを開けるとお向かいの屋根の上にタンチョウヅルがいて、びっくりしました。いったい何が起こったのだろう!? ホテルの人に聞いたらサギだそうです。
サギ氏は堂々としていました。両翼を広げると2m~3m近くにも感じました。迫力満点です。写真をうまく撮れなくて、なんだか宇宙人と遭遇したみたいになってしまいました。
京都は都市と思っていましたが、自然が豊かなところでした。代々嵐山で生まれ育った由緒あるサギ氏なのでしょう。
江戸時代には、たくさんのトキが日本各地の空を飛んでいたという、子どもの頃に読んだマンガの絵を思い出しました。
2008年07月18日
京都妙徳山華厳寺けごんじ(鈴虫寺)
京都妙徳山華厳寺けごんじ(鈴虫寺)
写真は撮り忘れました。展望台のようなところから京都市街を見渡すことができ、そこからの写真でも撮影しておけばよかった。
竹寺とは反対方向の道をゆき、やがて石段を登り詰めていくと左にお地蔵さまが祭られていました。さらに登るとそこには行列でした。
前に居た若い女性グループが話しかけてきました。「(中に)なにがあるのですか?」
「お坊さんの楽しいお話が聞けるそうです。」非常に頭の良さそうな女子のグループでした。何度も入り口まで行って、(待ち時間)あと何分とか、これからの予定とか情報収集に余念がありません。マニュアル人間だなあと感じました。手引きに従ってすばやく綿密な計算をして次の行動に移る。平成時代の日本人です。結局彼女たちは列から離れてしまい姿を消しました。残念なことでした。それから20分ぐらいして入場となりました。130人ぐらいが一度に入れる部屋で、まだ空席が40席ぐらいはありました。待てばよかったのに。
わたしは鈴虫が1年中お寺さんのお庭で鳴いているから鈴虫寺というのだろうと思い込んでいましたが、違っていました。鈴虫さんたち9000匹が金魚を入れる四角い水のない水槽の中で鳴いていました。その水槽がずらりと部屋の前方に横一直線で並べられていました。水槽の中には電灯がともされており、鈴虫君はさぞや暑かろうと心配するのですが、彼らは涼しい声で鳴いておりました。
年配のお坊さんが面白いお話をしてくださるのかと思っていたら、若いお坊さんでした。前ふりだけで年配のお坊さんに変わるのだろうと思っていたら、最後まで話が進みました。最悪の人生とは、何もしない人生。夢や希望をもって、それをかなえるよう努力することが最良の人生を送ることです。幸せになりましょう。核はそういうお話でした。
庭には、三角形の竹もあったのですが、竹全体が落書きされたように傷がつけられていました。何年何月何日にだれそれが来たよという内容のいたずら彫り物がしてあるのです。ひどいことをするものです。きっとばちがあたるでしょう。
写真は撮り忘れました。展望台のようなところから京都市街を見渡すことができ、そこからの写真でも撮影しておけばよかった。
竹寺とは反対方向の道をゆき、やがて石段を登り詰めていくと左にお地蔵さまが祭られていました。さらに登るとそこには行列でした。
前に居た若い女性グループが話しかけてきました。「(中に)なにがあるのですか?」
「お坊さんの楽しいお話が聞けるそうです。」非常に頭の良さそうな女子のグループでした。何度も入り口まで行って、(待ち時間)あと何分とか、これからの予定とか情報収集に余念がありません。マニュアル人間だなあと感じました。手引きに従ってすばやく綿密な計算をして次の行動に移る。平成時代の日本人です。結局彼女たちは列から離れてしまい姿を消しました。残念なことでした。それから20分ぐらいして入場となりました。130人ぐらいが一度に入れる部屋で、まだ空席が40席ぐらいはありました。待てばよかったのに。
わたしは鈴虫が1年中お寺さんのお庭で鳴いているから鈴虫寺というのだろうと思い込んでいましたが、違っていました。鈴虫さんたち9000匹が金魚を入れる四角い水のない水槽の中で鳴いていました。その水槽がずらりと部屋の前方に横一直線で並べられていました。水槽の中には電灯がともされており、鈴虫君はさぞや暑かろうと心配するのですが、彼らは涼しい声で鳴いておりました。
年配のお坊さんが面白いお話をしてくださるのかと思っていたら、若いお坊さんでした。前ふりだけで年配のお坊さんに変わるのだろうと思っていたら、最後まで話が進みました。最悪の人生とは、何もしない人生。夢や希望をもって、それをかなえるよう努力することが最良の人生を送ることです。幸せになりましょう。核はそういうお話でした。
庭には、三角形の竹もあったのですが、竹全体が落書きされたように傷がつけられていました。何年何月何日にだれそれが来たよという内容のいたずら彫り物がしてあるのです。ひどいことをするものです。きっとばちがあたるでしょう。