2008年07月18日

京都妙徳山華厳寺けごんじ(鈴虫寺)

京都妙徳山華厳寺けごんじ(鈴虫寺)

 写真は撮り忘れました。展望台のようなところから京都市街を見渡すことができ、そこからの写真でも撮影しておけばよかった。
 竹寺とは反対方向の道をゆき、やがて石段を登り詰めていくと左にお地蔵さまが祭られていました。さらに登るとそこには行列でした。
 前に居た若い女性グループが話しかけてきました。「(中に)なにがあるのですか?」
 「お坊さんの楽しいお話が聞けるそうです。」非常に頭の良さそうな女子のグループでした。何度も入り口まで行って、(待ち時間)あと何分とか、これからの予定とか情報収集に余念がありません。マニュアル人間だなあと感じました。手引きに従ってすばやく綿密な計算をして次の行動に移る。平成時代の日本人です。結局彼女たちは列から離れてしまい姿を消しました。残念なことでした。それから20分ぐらいして入場となりました。130人ぐらいが一度に入れる部屋で、まだ空席が40席ぐらいはありました。待てばよかったのに。
 わたしは鈴虫が1年中お寺さんのお庭で鳴いているから鈴虫寺というのだろうと思い込んでいましたが、違っていました。鈴虫さんたち9000匹が金魚を入れる四角い水のない水槽の中で鳴いていました。その水槽がずらりと部屋の前方に横一直線で並べられていました。水槽の中には電灯がともされており、鈴虫君はさぞや暑かろうと心配するのですが、彼らは涼しい声で鳴いておりました。
 年配のお坊さんが面白いお話をしてくださるのかと思っていたら、若いお坊さんでした。前ふりだけで年配のお坊さんに変わるのだろうと思っていたら、最後まで話が進みました。最悪の人生とは、何もしない人生。夢や希望をもって、それをかなえるよう努力することが最良の人生を送ることです。幸せになりましょう。核はそういうお話でした。
 庭には、三角形の竹もあったのですが、竹全体が落書きされたように傷がつけられていました。何年何月何日にだれそれが来たよという内容のいたずら彫り物がしてあるのです。ひどいことをするものです。きっとばちがあたるでしょう。

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