2014年05月21日
マッチ箱日記 2014課題図書
マッチ箱日記 ポール・フライシュマン BL出版 2014課題図書
小学校5・6年生対象の課題図書なのに絵本です。どうしたことだろう?
本を読まなくなった若年層に本の面白さを知ってもらうためにページが少なくて読みやすい絵本にしたのだろうか。本読みのきっかけづくりです。それとも、塾通いで忙しいこどものために配慮したのだろうか。首をかしげながら読み始めました。
(1回目の本読み 絵だけを見ながらページをめくる。)
絵の色調は、全体をとおして茶色系統です。上品で落ち着いており高級感があります。(2回目の本読み後、内容がお年寄りの昔話であることから、写真が茶褐色に変化した状態を絵で脚色してあると推測しました。思い出の色です。)。そして、立体的です。写真のような絵で書かれた絵本です。登場人物たちはまるで生きているようで、今はやりの映画「アナと雪の女王」の画像のようです。
ページをめくる。お金の札束に見えた箱の中身は、小さなマッチ箱でした。箱の中身はチョコレートで使うカカオの実でしょう。(2回目の本読みで、オリーブの種であることがわかりました。)
絵は、昔のアメリカ合衆国の家族です。おじいさんが孫娘になにかを語っています。(2回目の本読みで、ひいおじいさんであることがわかりました。びっくりしました。)
船の絵が出てきました。航海です。さきほどの家族は、アメリカ合衆国への移民でしょう。海は、嵐の風景です。
家族が集まって団結しているような絵があります。ここで、本のタイトル「日記」とどういう関係があるのだろうかと考えました。野球の試合の絵やチョークで歩道にアルファベットを書いている絵があります。(チョークではなくて、石炭でした。)
最後のほうでは、「活字」の四角な金属が出てきます。昔、もう35年ぐらい前に、タイプライターを打つ仕事をしていました。そのことを思い出しました。
最後、チョコレート菓子のケースのようなものが描かれています。
(2回目の本読み。文字を読みました。)
図書館のように大きな部屋です。箱は葉巻を入れる箱でした。禁煙社会の今、こどもさんは葉巻というものを知らないでしょう。
ひいおじいさんは、イタリア人です。イタリアでの生活苦があります。「床のない部屋で暮らしていた」。ここでわたしは、カメラマン土門拳さんの「筑豊(ちくほう)のこどもたち」という写真集を思い出しました。昭和20年代から30年代ぐらいの福岡県炭鉱地域のこどもたちの写真集です。少年少女たちは、一部分床が抜けた住宅で暮らしていました。
マッチ箱に入っていた種は「カカオ」ではなくて「オリーブ」でした。ひもじさを耐えるためになめる種でした。
ひいおじいさんのおとうさんは、お金を稼ぐために、イタリアからアメリカ合衆国に出稼ぎに出ていました。思ったのです。日本も外国も同じです。わたしの父親もわたしが小さい頃、都会に出稼ぎに出ていました。生活をしていくためにはお金が必要です。家族が一緒に暮らすことができるのは幸せなことです。
ひいおじいさんの先生の息子は文字の読み書きができました。文字を書くことができるから思い出を日記にできるのです。ひいおじいさんは文字の読み書きができませんでした。ひいおじいさんだけではなく、家族のみんなが文字の読み書きができませんでした。教育を受ける機会がありませんでした。これは、日本も同じです。わたしが若い頃、文字の読み書きができないお年寄りがたくさんいました。昔、世界中のこどもたちは、労働力でした。義務教育というものはありませんでした。みなさんが、あたりまえと思っている今の教育制度は、昔の人たちの悲しみと努力、そして、熱意の上にできあがった制度なのです。
ひいおじいさんの家族は、おばあさんをイタリアに残してアメリカ合衆国へ移住しました。別れの悲しさが伝わってきます。もう、二度と互いに会えないかもしれません。この世での別れです。今も昔も、まずは、とにかくお金、生活費がいるのです。それがあってから、家族みんなが集まれるのです。
文字の読み書きができないひいおじいさんは、日記の代わりに、マッチ箱に思い出の品物を入れるようになります。そのときのつらさを忘れないために、思い出の小さな品物をマッチ箱におさめていきます。中国の物語で「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」というものがあります。耐え忍ぶためにそのときのことを忘れないために、薪(まき)の上で寝るのです。痛いです。痛みを味わって、過去の苦痛を忘れないようにするのです。
ひいおじいさんが言います。今なら、イタリアからニューヨークは飛行機で5時間だが、自分の時代は、船で19日間だった。しかも命がけの航海だった。ニューヨークに着くころ、バナナを提供されて、バナナを皮ごと食べようとした。皮をむいて食べることを知らなかった。
先祖の苦労に思いをはせてほしい。ひいおじいさんは、缶詰工場で単純労務作業を続けます。ドラマがあります。マッチ箱の中には、イタリア人差別を受けて石を投げつけられたときにとれた歯がおさめられています。ひいおじいさんはその後、印刷工を30年間続けたあと、勉強をして、本屋さんを開き、骨董品の店を始めています。文字の読み書きもできるようになりました。
ラストページ、幼稚園に通う娘さんは、お菓子のケースに、小さな品物を収めます。伝承です。
小学校5・6年生対象の課題図書なのに絵本です。どうしたことだろう?
本を読まなくなった若年層に本の面白さを知ってもらうためにページが少なくて読みやすい絵本にしたのだろうか。本読みのきっかけづくりです。それとも、塾通いで忙しいこどものために配慮したのだろうか。首をかしげながら読み始めました。
(1回目の本読み 絵だけを見ながらページをめくる。)
絵の色調は、全体をとおして茶色系統です。上品で落ち着いており高級感があります。(2回目の本読み後、内容がお年寄りの昔話であることから、写真が茶褐色に変化した状態を絵で脚色してあると推測しました。思い出の色です。)。そして、立体的です。写真のような絵で書かれた絵本です。登場人物たちはまるで生きているようで、今はやりの映画「アナと雪の女王」の画像のようです。
ページをめくる。お金の札束に見えた箱の中身は、小さなマッチ箱でした。箱の中身はチョコレートで使うカカオの実でしょう。(2回目の本読みで、オリーブの種であることがわかりました。)
絵は、昔のアメリカ合衆国の家族です。おじいさんが孫娘になにかを語っています。(2回目の本読みで、ひいおじいさんであることがわかりました。びっくりしました。)
船の絵が出てきました。航海です。さきほどの家族は、アメリカ合衆国への移民でしょう。海は、嵐の風景です。
家族が集まって団結しているような絵があります。ここで、本のタイトル「日記」とどういう関係があるのだろうかと考えました。野球の試合の絵やチョークで歩道にアルファベットを書いている絵があります。(チョークではなくて、石炭でした。)
最後のほうでは、「活字」の四角な金属が出てきます。昔、もう35年ぐらい前に、タイプライターを打つ仕事をしていました。そのことを思い出しました。
最後、チョコレート菓子のケースのようなものが描かれています。
(2回目の本読み。文字を読みました。)
図書館のように大きな部屋です。箱は葉巻を入れる箱でした。禁煙社会の今、こどもさんは葉巻というものを知らないでしょう。
ひいおじいさんは、イタリア人です。イタリアでの生活苦があります。「床のない部屋で暮らしていた」。ここでわたしは、カメラマン土門拳さんの「筑豊(ちくほう)のこどもたち」という写真集を思い出しました。昭和20年代から30年代ぐらいの福岡県炭鉱地域のこどもたちの写真集です。少年少女たちは、一部分床が抜けた住宅で暮らしていました。
マッチ箱に入っていた種は「カカオ」ではなくて「オリーブ」でした。ひもじさを耐えるためになめる種でした。
ひいおじいさんのおとうさんは、お金を稼ぐために、イタリアからアメリカ合衆国に出稼ぎに出ていました。思ったのです。日本も外国も同じです。わたしの父親もわたしが小さい頃、都会に出稼ぎに出ていました。生活をしていくためにはお金が必要です。家族が一緒に暮らすことができるのは幸せなことです。
ひいおじいさんの先生の息子は文字の読み書きができました。文字を書くことができるから思い出を日記にできるのです。ひいおじいさんは文字の読み書きができませんでした。ひいおじいさんだけではなく、家族のみんなが文字の読み書きができませんでした。教育を受ける機会がありませんでした。これは、日本も同じです。わたしが若い頃、文字の読み書きができないお年寄りがたくさんいました。昔、世界中のこどもたちは、労働力でした。義務教育というものはありませんでした。みなさんが、あたりまえと思っている今の教育制度は、昔の人たちの悲しみと努力、そして、熱意の上にできあがった制度なのです。
ひいおじいさんの家族は、おばあさんをイタリアに残してアメリカ合衆国へ移住しました。別れの悲しさが伝わってきます。もう、二度と互いに会えないかもしれません。この世での別れです。今も昔も、まずは、とにかくお金、生活費がいるのです。それがあってから、家族みんなが集まれるのです。
文字の読み書きができないひいおじいさんは、日記の代わりに、マッチ箱に思い出の品物を入れるようになります。そのときのつらさを忘れないために、思い出の小さな品物をマッチ箱におさめていきます。中国の物語で「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」というものがあります。耐え忍ぶためにそのときのことを忘れないために、薪(まき)の上で寝るのです。痛いです。痛みを味わって、過去の苦痛を忘れないようにするのです。
ひいおじいさんが言います。今なら、イタリアからニューヨークは飛行機で5時間だが、自分の時代は、船で19日間だった。しかも命がけの航海だった。ニューヨークに着くころ、バナナを提供されて、バナナを皮ごと食べようとした。皮をむいて食べることを知らなかった。
先祖の苦労に思いをはせてほしい。ひいおじいさんは、缶詰工場で単純労務作業を続けます。ドラマがあります。マッチ箱の中には、イタリア人差別を受けて石を投げつけられたときにとれた歯がおさめられています。ひいおじいさんはその後、印刷工を30年間続けたあと、勉強をして、本屋さんを開き、骨董品の店を始めています。文字の読み書きもできるようになりました。
ラストページ、幼稚園に通う娘さんは、お菓子のケースに、小さな品物を収めます。伝承です。
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