2013年10月23日

ロンドン貧乏物語 ヘンリー・メイヒュー

ロンドン貧乏物語 ヘンリー・メイヒュー 悠書館

 この本は、英国作家によるロンドンで呼び売り商人(行商人、店舗をもたず商品を街頭で売る)から取材した結果をまとめた本です。作家は西暦1812年に弁護士の息子として生まれ、1887年に74歳で亡くなっています。日本の時代におきかえると、江戸時代後期から明治時代初期にあたります。141ページまで読みましたが、日本の50年ぐらい前の暮らしと共通する点もあります。読んでいると、過去へ行っている感覚があり、今年読んでよかった1冊になりそうです。
 この本のなかでは、男女は14歳から16歳で結婚するとあります。親は早朝から深夜まで働いている。子どもたちは子ども同士で集団になって育っていく。6歳ぐらいから働き出す。学校へは通わない。文字の読み書きはできない。彼らは無知であり、無教育である。貯金の習慣はない。いろいろデメリットらしきことが書かれてありますが「秩序」はあります。
 書き方が優しい。慈しむ(いつくしむ)気持ちが伝わってきます。珍しい書き方です。物売りの人たちが売るものは多様です。季節に応じて、魚だったり、野菜だったりします。動物・鳥・金魚もあります。専門分野もあるようですが、ひとりの物売りがいろいろな物を扱っています。お客が楽しむ料理は、豆スープとあつあつのウナギです。ウナギがあるとは思いませんでした。
 日本人も外国人もみかけは違ってもしていることは同じという気持ちになるのです。

(つづく)

 読み終わりました。フェデリコ・フェリーニ監督の洋画「道」を観たことがあります。名作の呼び声が高いのですが、意味をとれませんでした。今回この本を読んで少しわかった気になりました。年頃の娘ジェルソミーナが売られていく。彼女は大道芸人男性と暮らし始める。家は馬車。移動家屋です。フェスティバルの土地を転々とする。彼女は最後に死んでしまうわけですが、人生の悲哀に満ちた映画でした。
 感想を続けます。あらゆるものが街頭で売られています。現代の大型スーパーマーケットのようでした。金魚、犬の餌(廃馬)、文具、本、絵、歌声、食器、お面、葉巻、石炭、ねずみ、ハエとり紙、きりがありません。モノなら何でも売るのです。それぞれの能力と才能に応じて仕事をして収入を得て生活しています。
 話には悲しみが満ちています。ちょっと行ってくると30kmほど離れた土地へ行ったところそれから家に帰れなくなり、何十年も母親に会っていない。もう母は死んだだろうというものでした。
 作者は数値でモノを考える人です。人口、収入の額、仕入れの額、そして、分類していきます。けっこういい収入の商人もいます。
 人間の歴史ってすごいなあ。現代が最高水準とはいえません。車やクーラーがなくても、人として、高いレベルの暮らしがあります。この本を読むと今を嘆く必要はありません。苦しいのは、自分を狭い世界に置くからと気づきます。
 記述はインタビュー方式で、商人の話し言葉で続きます。小説を聞いているようです。旅をするとき、旅先の土地について、下地となる知識をもってから観光をする。○○年前、ここにこういう人がいたという土地の歴史を現場で想像する。そしてみんな亡くなったと感慨にふける。
 イギリスビクトリア時代(世界制覇を続けていた頃の黄金時代)のお話でした。
 印象に残った部分を要約して終わります。
 街頭商人の前歴として、落ちぶれた職人、零落した上流階級の召使、屋内での事務仕事が苦痛な人、元牧師もいる。
 よくある話だが、若くてバカだった。若いもんは、外国を見たがった。
 (大半の街頭商人の性質として)幼稚で粗野、欲求・本能・情動で生きている。善悪の基準が未熟。気前の良さと攻撃的性質を兼備。優しくされるともろくも感謝する。復讐心に燃える。女性の貞節に無頓着。神さまを知らない。
 (花売り娘の言葉)もう生きるのがいやになった。(ろくでなしの父親に金ずるにされて)
 小僧は馬車の下が寝床
 「おれ、12才だと思う(自分の年齢がわからない)」

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