2012年12月26日

号泣する準備はできていた 江國香織

号泣する準備はできていた 江國香織 新潮社

 長編小説かと思いきや、非常に短い文章が12作品集まった本でした。全体を通して、向田邦子作品「思い出トランプ」路線のようでした。身内、親族同士の争いは、大昔、保元の乱とか平治の乱を思い起こさせてくれる部分がありました。
「前進、もしくは前進のように思われるもの」なかなかいい。味わいあり。夫婦の生業(なりわい)というものは、前進しているようでしていないようでしているのです。
「じゃこじゃこのビスケット」卑屈な女性心理なのか、そうでないのか、その辺が男性のわたしにはわからない。
「熱帯夜」女性同士のLove?標準化して集団のなかで暮らせない人たちのお話です。
「煙草配りガール」妻子もちの身としては、こどもの居ない夫婦の気ままな生活とうつりました。
「溝」前作同様、なんとも暗い話が続く。
「こまつま」こまねずみのように働く妻を指します。作者の日常生活が作品に落とされているようです。
暗さだけでは、幸福感に達せない。
「洋一も来られればよかったのにね」作品全体を通じてですが、記憶力が良すぎて、過去の嫌な体験が忘れらずに苦しいということはあります。この本に登場する主役女性たちには「芯」がありません。まじめに努力して、根性と忍耐で生活している人が読むと腹立たしい部分があります。登場する女性たちは、優柔不断でもあります。嫌なら嫌とはっきり意思表示をしてほしい。
「住宅地」浮気はあたりまえとテレビの向こう、番組では盛んに言っているけれど、日本人の90%以上は浮気はしていないでしょう。生活に追われて、浮気をしている時間はありません。
「どこでもない場所」父のいない子をつくることは、児童虐待ではなかろうか。女性に対して、勝手にしてくれと思ってしまいました。
「手」家族の代わりが動物、そして、セックスフレンド。むなしい。
「号泣する準備はできていた」今読んでいるインド旅行記の作者を主人公に重ねてみたらぴったりきました。
「そこなう」わびしくなりました。


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