2010年08月28日

◎俺たちは天使じゃない DVD

俺たちは天使じゃない DVD

 痛快です。これぞ映画でした。89年の作品です。ブラウン神父ということになってしまった脱獄囚のショーン・ペンは、若さに満ちていて気持ちがいい。おしゃべり好きだけど自信がなくて、たいていたばこをくわえて淋しげです。雰囲気がどこかジェームス・ディーンに似ている。後半にあった彼の演説シーンには感動しました。ポケットの中には何もない。だけど、生き続けるために何かを信じる。ポケットの中にあるものは「希望」だという主旨のものでした。すばらしい。
 ライリー神父ということになった脱獄囚のロバート・デ・ニーロは、この映画では脇役っぽい。ふたりの行動は面白おかしくて笑わせてもらいました。なおかつ、人間の気持ちを大切に扱った泣ける映画でもありました。
 母子家庭の母親を演じるデミムーアは、個性が強すぎると感じるのですが、彼女以外の適役は思いつきません。
 ふたりの男子は脱獄囚で、なおかつ罪名は殺人のようなのですが、ふたりは殺人ができるような人間ではありません。物語の設定上そうなっているだけと割り切りました。冒頭は外国映画らしく、豪快で残虐です。話の組み合わせ方がうまい。優れた脚本です。きっかけを積み重ねていく手法です。庶民の生活ぶりが心に沁(し)みます。宗教と障害児と貧困をからめ、信じることと、手話による心の交流とお金がすべてではないというメッセージを観客に送ってくれます。
 出所したふたりの女性を描く「いつか陽のあたる場所で」とか「すれ違う背中を」(乃南アサ著)のヒントはこの映画にあるのではないか。また、映画「カイジ」の地下労働シーンは、この映画の冒頭シーン、鉱山の地下労働にあるのではないか。
 死んで元々だから生きると主張したもうひとりの脱獄囚ボビーが生き残れなかったのは、まわりにいる人の命を奪ったからです。まわりにいる人の命を守ろうとしないと、自分の命が奪われます。
 偽の神父に扮したふたりはラストシーンで、自分たちがいた刑務所へ慰問に行くという場面を予想しましたが違っていました。物語の展開は自由自在で、いかようにも変化させることができます。きっと、ラストシーンはいくつかの案が用意されていたのでしょう。
 聖母マリアの飾り、裏が温度計なのですが、それが伏線の材料になると予想しましたがはずれました。伏線の材料になったのは、せんたくばさみでした。
 着ている洋服で、人間の肩書きとか中身を判断することが多い内容の映画です。
 心がきれいな人ほど、だまされると心が真っ黒になるとも少し感じました。
 手話のやりとりでは、「てとてとてとて」浜田桂子作を思い出しました。たしか、書中に点字部分がありました。
 もう10年ぐらい前、十字架を背負って歩くグループを描いた日本映画の脚本を読んだことがあるのを思い出しました。すっかり忘れていました。アメリカ人と日本人は容姿が違うけれど、気持ちは同じであることがわかります。

(再鑑賞 2011年4月23日)
1 忘れていた場面あり。
2 外国人と日本人の風景についての感覚に違いあり。
3 「神はいない」だけど、神がいるということを信じることで救われるのなら信ずればよい。という演説がよかった。
4 ロバート・デ・ニーロのパントマイムがとてもいい。ショーン・ペンの闊達(かったつ)な言動と対比となって作品の仕上がりがよい。

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