2022年10月19日
やましたくんはしゃべらない 山下賢二・作 中田いくみ・絵
やましたくんはしゃべらない 山下賢二・作 中田いくみ・絵 岩崎書店
しゃべらないこどもさんというのは、20年ぐらい前に小学校での親の参観日で見たことがあります。
その子は、保育園時代はしゃべっていたのに、小学生になったころから学校では口をきかなくなりました。(家ではしゃべっていたそうです)
理由はわかりませんが、理由はあるのでしょう。
障害児というわけではなく、しゃべることができるのに、少なくとも学校ではしゃべらない。
不可解ではあります。
その子はいまごろ30代ですが、今どこでなにをしているのかは知りません。
この絵本では、小学生時代に学校ではしゃべらなかったという作者ご本人のことを絵本にされているそうです。
絵に特徴があります。
ベースは茶色系統で、優しい描画(びょうが)です。
小学3年生ぐらいに見えるやましたくんです。
しゃべらないやましたくんを、まわりにいるみんなは不思議に思いながらも心配しています。
なんとか、しゃべらせたい。
やましたくんは、障害児には見えません。
言葉を知らないこどもにも見えません。
しゃべらない理由を考えてみます。
本人にとって、ショックな出来事があった。
本人にとって、嫌なことがあった。
だから、しゃべらないことにした。
しゃべらないことで、本人にとって守られることがある。
『しゃべってみろやっ』と、しゃべらないやましたくんに、腹が立つクラスメートもいます。
合唱の授業では、やましたくんは、口パクです。(口だけ動かして、声を出さない)
(なるほど。徹底しています)
しゃべらいないのは、だれかへの抗議だろうか。
家族に問題があるのだろうか。
親の授業参観日には、作文の朗読があります。
やましたくんひとりが朗読をやらなくてもいいとなると、朗読が嫌いな他の児童も朗読をやりたくないと言い出します。(標準化という画一教育があります。(かくいつ))
やましたくんは、朗読当日、おもしろい発想による行動をします。
なるほどという行動です。
ここには書きません。
やましたくんは、朗読をしました。(どうやってやったかは、絵本を買うか借りるかして読んでください)
タイトルは『ぼくのおとうさん』でした。
家族関係に問題点はなさそうです。
だったらなぜ、やましたくんは、しゃべらないのだろう。
テレビドラマのシーンみたいなページが出ます。
級友がやましたくんをほめます。
小学校の卒業式シーンです。
ということは、やましたくんは小学6年生だったのか。
わたしは、3年生ぐらいだと思って、ここまで読んできました。
ラストシーンまでたどり着きました。
なんともいいようがありません。
この絵本には、どんなメッセージがあるのだろう。
わからない……
(ほかの方たちの書評を読んでみました)
ああ、読み落としと勘違いがありました。
絵本では、やましたくんについて、1年生から始まって、6年生になったころのことが書いてありました。
つまり、6年間しゃべらなかったというような下地があります。(されど、小学校の卒業証書授与式のときにだれにも聞こえないぐらいの声で、名前を呼ばれての返事の発声はしたらしい)
小学校を卒業して中学生になったらしゃべるようにしたそうな。
しゃべらないと、おとなになったら困ります。
仕事をしなければなりません。
作者であるご本人は、その後、人前でもしゃべるようになられたようです。
しゃべらなかった理由もありました。ネットで読みました。ここには書きません。
まあ、ミステリーを含んだ推理小説のような要素もある絵本です。
しゃべらないこどもさんというのは、20年ぐらい前に小学校での親の参観日で見たことがあります。
その子は、保育園時代はしゃべっていたのに、小学生になったころから学校では口をきかなくなりました。(家ではしゃべっていたそうです)
理由はわかりませんが、理由はあるのでしょう。
障害児というわけではなく、しゃべることができるのに、少なくとも学校ではしゃべらない。
不可解ではあります。
その子はいまごろ30代ですが、今どこでなにをしているのかは知りません。
この絵本では、小学生時代に学校ではしゃべらなかったという作者ご本人のことを絵本にされているそうです。
絵に特徴があります。
ベースは茶色系統で、優しい描画(びょうが)です。
小学3年生ぐらいに見えるやましたくんです。
しゃべらないやましたくんを、まわりにいるみんなは不思議に思いながらも心配しています。
なんとか、しゃべらせたい。
やましたくんは、障害児には見えません。
言葉を知らないこどもにも見えません。
しゃべらない理由を考えてみます。
本人にとって、ショックな出来事があった。
本人にとって、嫌なことがあった。
だから、しゃべらないことにした。
しゃべらないことで、本人にとって守られることがある。
『しゃべってみろやっ』と、しゃべらないやましたくんに、腹が立つクラスメートもいます。
合唱の授業では、やましたくんは、口パクです。(口だけ動かして、声を出さない)
(なるほど。徹底しています)
しゃべらいないのは、だれかへの抗議だろうか。
家族に問題があるのだろうか。
親の授業参観日には、作文の朗読があります。
やましたくんひとりが朗読をやらなくてもいいとなると、朗読が嫌いな他の児童も朗読をやりたくないと言い出します。(標準化という画一教育があります。(かくいつ))
やましたくんは、朗読当日、おもしろい発想による行動をします。
なるほどという行動です。
ここには書きません。
やましたくんは、朗読をしました。(どうやってやったかは、絵本を買うか借りるかして読んでください)
タイトルは『ぼくのおとうさん』でした。
家族関係に問題点はなさそうです。
だったらなぜ、やましたくんは、しゃべらないのだろう。
テレビドラマのシーンみたいなページが出ます。
級友がやましたくんをほめます。
小学校の卒業式シーンです。
ということは、やましたくんは小学6年生だったのか。
わたしは、3年生ぐらいだと思って、ここまで読んできました。
ラストシーンまでたどり着きました。
なんともいいようがありません。
この絵本には、どんなメッセージがあるのだろう。
わからない……
(ほかの方たちの書評を読んでみました)
ああ、読み落としと勘違いがありました。
絵本では、やましたくんについて、1年生から始まって、6年生になったころのことが書いてありました。
つまり、6年間しゃべらなかったというような下地があります。(されど、小学校の卒業証書授与式のときにだれにも聞こえないぐらいの声で、名前を呼ばれての返事の発声はしたらしい)
小学校を卒業して中学生になったらしゃべるようにしたそうな。
しゃべらないと、おとなになったら困ります。
仕事をしなければなりません。
作者であるご本人は、その後、人前でもしゃべるようになられたようです。
しゃべらなかった理由もありました。ネットで読みました。ここには書きません。
まあ、ミステリーを含んだ推理小説のような要素もある絵本です。
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