2018年01月27日
(再読)おらおらでひとりいぐも
(再読)おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 文藝2017冬号
芥川賞作品です。一度読みましたが、よくわかりませんでした。ということで、再読です。今度は単行本ではなく、雑誌で読んでみます。
雑誌掲載の文章のほうが読みやすかった。文字が目に優しい。一度読んで、筋書を既読ということもある。
東北弁を標準語に翻訳しながら読む読書です。昔は、方言表記を避けたものですが、時代が変わりました。頭脳内翻訳はけっこう疲れますが、2回目なので、方言がとろけた感じがします。
東北弁をからめて、「わたし」と「おら」の対立があります。おらは、おらであって、わたしではないのです。
スタイルは、一人暮らし高齢者女性のつぶやきです。
テレビ番組で受賞を知らせる内容をいくつか見ましたが、作者の人となりを取り上げるだけで、作品内容まで言及したものはありませんでした。まだ、読んでない、いや、読む気はないのかもしれない。
娘との疎遠があります。息子もいるのですが、どうも子育てに失敗しています。
からめて、実母との対立があります。対して、祖母との密着があります。
自分の生き方を貫けば、娘からも息子からも見放されて孤独になる。母親に苦労をかけたばちがあたった。
主人公の名前は、日高桃子さん。理解者だった夫の周造さんは病死されている。
八角山の麓には、桃子さんがたくさんいて、霊魂となって、死の時を待っている。そこに、宮澤賢治作品がからんでくる。
こどもよりも自分が大事だった。
若いころには考えられなかった感情が老いた今ある。
娘から孫娘への伝承と祖母、母、自分への継承がある。
命(生きていること)の賛歌でした。
2018年1月5日記事
おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 河出書房新社
タイトルの意味は、「おらは、おらで、ひとりで、生きていく!」という意思表示ととらえて、読み始めました。(読みながら、やがて、おらは、おらで、ひとりで逝くけれどもという、反対の意味に考えが変わりました。その後、どうも、ひとりで行くが妥当らしいとなりました。)
東北弁がきつい。全部この調子だったら、理解に苦労する。(そんなことはありませんでした。されど、わかりにくい。)
どうも、おらは、二人いるようです。自問自答です。
一人暮らし高齢者おばあさんのお話です。
一人称のようで、一人称ではない。「桃子さん(主人公のおばあさん)は…」
休憩場所のない長文が続きます。読むのに少ししんどい。
8ページのジャズセッションの表現はリズミカルで良かった。おもしろい。
詩が挿入されているのですが、うーむ。詩の挿入をすると小説の構築が崩れる気がして、わたしはお勧めしません。
桃子さんを支える人として、「ばっちゃ(亡くなった祖母)」
娘直美さんとの関係にこだわりあり。(こだわらないほうが、幸福になれると読み手は思う。)
44ページあたりからおもしろくなってきました。(されど、具体的な伸びはなかった。)
なかなか理解することがむずかしい作品です。
孤独と付き合う内容です。
東京オリンピック(昭和30年代開催)がからめてあるのは、2年後のオリンピックを意識してあるのかも。
今は一人暮らしとなった75歳日高桃子さんの過去の生活内容は苦しい。
猛烈な孤独感が満載された作品です。
夫が病死、ふたりのこどもは家を出てしまった。
自分は何をしてきたのだろう。
ところどころ難しいのか、感覚の違いなのか、意味がわからない部分があります。笑いでいっぱいという作品ではありません。
ひとりぼっちの淋しさを笑ってごまかす。心の声は、桃子本人の声以外にも亡夫の声であったり、祖母の声であったりもする。
調べた文字です。「弄う:いらう。いじる。さわる。」、「身罷う:みまかう。死ぬ」、「深く肯んずる:がえんずる。承諾する。聞き入れる。」、「独りごつ:ひとりごとを言う」、「太母たいぼ:祖母。書中ではこどもを大切に育てた母親」、「贖罪しょくざい:キリスト教。罪への償い」、「仮託かたく:他の物事を借りて言い表す」、「燭光しょっこう:火の灯り」、「屹立きつりつ:高くそびえ立つ」、「睥睨へいげい:にらみつける」、なんだか、漢字検定みたいになってきました。「恣意的しいてき:論理的でなくその場しのぎで、きままに扱う」、「けんじゅう:宮澤賢治作品の登場人物」、「朋輩ほうばい:同僚」、「歓心:よろこび」、「十全:十分に整っている」、「何如なんじょ:どうであるか」
良かった表現などです。「吐き出ほきだす」、「長年の主婦という暮らし」、「桃子さんの心情を地球の地層で表す。地学のようです。」、「この人には、この人の時間が流れている」、「(心の動きを)柔毛突起」、「早く起きても何もすることがない」、「目的がある一日はいい」、「町も老いる」、「人の期待を生きる(ことが苦行)」、「全体でもあり部分でもある」、「食べらさる(さあ、食べるぞ!)」、「まぶる(見守る)」、「自分の心を友とする」
ちょっとわたしには、むずかしすぎました。
芥川賞作品です。一度読みましたが、よくわかりませんでした。ということで、再読です。今度は単行本ではなく、雑誌で読んでみます。
雑誌掲載の文章のほうが読みやすかった。文字が目に優しい。一度読んで、筋書を既読ということもある。
東北弁を標準語に翻訳しながら読む読書です。昔は、方言表記を避けたものですが、時代が変わりました。頭脳内翻訳はけっこう疲れますが、2回目なので、方言がとろけた感じがします。
東北弁をからめて、「わたし」と「おら」の対立があります。おらは、おらであって、わたしではないのです。
スタイルは、一人暮らし高齢者女性のつぶやきです。
テレビ番組で受賞を知らせる内容をいくつか見ましたが、作者の人となりを取り上げるだけで、作品内容まで言及したものはありませんでした。まだ、読んでない、いや、読む気はないのかもしれない。
娘との疎遠があります。息子もいるのですが、どうも子育てに失敗しています。
からめて、実母との対立があります。対して、祖母との密着があります。
自分の生き方を貫けば、娘からも息子からも見放されて孤独になる。母親に苦労をかけたばちがあたった。
主人公の名前は、日高桃子さん。理解者だった夫の周造さんは病死されている。
八角山の麓には、桃子さんがたくさんいて、霊魂となって、死の時を待っている。そこに、宮澤賢治作品がからんでくる。
こどもよりも自分が大事だった。
若いころには考えられなかった感情が老いた今ある。
娘から孫娘への伝承と祖母、母、自分への継承がある。
命(生きていること)の賛歌でした。
2018年1月5日記事
おらおらでひとりいぐも 若竹千佐子 河出書房新社
タイトルの意味は、「おらは、おらで、ひとりで、生きていく!」という意思表示ととらえて、読み始めました。(読みながら、やがて、おらは、おらで、ひとりで逝くけれどもという、反対の意味に考えが変わりました。その後、どうも、ひとりで行くが妥当らしいとなりました。)
東北弁がきつい。全部この調子だったら、理解に苦労する。(そんなことはありませんでした。されど、わかりにくい。)
どうも、おらは、二人いるようです。自問自答です。
一人暮らし高齢者おばあさんのお話です。
一人称のようで、一人称ではない。「桃子さん(主人公のおばあさん)は…」
休憩場所のない長文が続きます。読むのに少ししんどい。
8ページのジャズセッションの表現はリズミカルで良かった。おもしろい。
詩が挿入されているのですが、うーむ。詩の挿入をすると小説の構築が崩れる気がして、わたしはお勧めしません。
桃子さんを支える人として、「ばっちゃ(亡くなった祖母)」
娘直美さんとの関係にこだわりあり。(こだわらないほうが、幸福になれると読み手は思う。)
44ページあたりからおもしろくなってきました。(されど、具体的な伸びはなかった。)
なかなか理解することがむずかしい作品です。
孤独と付き合う内容です。
東京オリンピック(昭和30年代開催)がからめてあるのは、2年後のオリンピックを意識してあるのかも。
今は一人暮らしとなった75歳日高桃子さんの過去の生活内容は苦しい。
猛烈な孤独感が満載された作品です。
夫が病死、ふたりのこどもは家を出てしまった。
自分は何をしてきたのだろう。
ところどころ難しいのか、感覚の違いなのか、意味がわからない部分があります。笑いでいっぱいという作品ではありません。
ひとりぼっちの淋しさを笑ってごまかす。心の声は、桃子本人の声以外にも亡夫の声であったり、祖母の声であったりもする。
調べた文字です。「弄う:いらう。いじる。さわる。」、「身罷う:みまかう。死ぬ」、「深く肯んずる:がえんずる。承諾する。聞き入れる。」、「独りごつ:ひとりごとを言う」、「太母たいぼ:祖母。書中ではこどもを大切に育てた母親」、「贖罪しょくざい:キリスト教。罪への償い」、「仮託かたく:他の物事を借りて言い表す」、「燭光しょっこう:火の灯り」、「屹立きつりつ:高くそびえ立つ」、「睥睨へいげい:にらみつける」、なんだか、漢字検定みたいになってきました。「恣意的しいてき:論理的でなくその場しのぎで、きままに扱う」、「けんじゅう:宮澤賢治作品の登場人物」、「朋輩ほうばい:同僚」、「歓心:よろこび」、「十全:十分に整っている」、「何如なんじょ:どうであるか」
良かった表現などです。「吐き出ほきだす」、「長年の主婦という暮らし」、「桃子さんの心情を地球の地層で表す。地学のようです。」、「この人には、この人の時間が流れている」、「(心の動きを)柔毛突起」、「早く起きても何もすることがない」、「目的がある一日はいい」、「町も老いる」、「人の期待を生きる(ことが苦行)」、「全体でもあり部分でもある」、「食べらさる(さあ、食べるぞ!)」、「まぶる(見守る)」、「自分の心を友とする」
ちょっとわたしには、むずかしすぎました。
この記事へのトラックバックURL
http://kumataro.mediacat-blog.jp/t126379
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません