2015年08月15日

家族という病 下重暁子

家族という病 下重暁子(しもじゅうあきこ) 幻冬舎新書

 ベストセラー本です。たいした分量、ページ数でもないので、いっき読みしてみます。読みながら感想も同時進行でつくってみます。

序章「ほんとうはみな家族のことを知らない」
 「家族」を否定する。あるいは、「家族」に期待しない。そんな姿勢の内容の本だろうという先入観をもちながら読み始めました。作者ご自身のご家族はどうもうまくいっていなかったらしい。
この部分を読み終えてなにかしら、さびしくなりました。

第一章「家族は、むずかしい」
 家族を構成する個々の人間の精神が未熟なのか。子や孫を甘やかす親や祖父母がいます。よかれと思ってしていることが逆効果になっています。自立できない子どもたちがいます。
 家族は他人というのはちょっと、そこまでは思えません。友人とは思えます。

第二章「家族という病」
 家族の話は愚痴か自慢という説は的をとらえています。地位が高いから人間が高潔であるわけでもありません。孤高なあまり日常会話ができなくなるということもあります。
 作者は高齢の方なので、話題がどうしてもとても古い昔のことです。新聞を読みこまれているので、近い時代の話題もありますが、それでも少し遠い。そういう点から、作者の少し下の世代の方たちが対象の本だと思いました。
 「家族団らん」というものは、上の世代から下の世代への伝承だと思うのです。作者自身の家庭にはなかったと記述されています。作者のおやごさんのその上の世代にもなかったのでしょう。

第三章「家族を知る」
 高齢者でも肉料理が好きな人が多いそうです。初めて知りました。
 中近東の国々やテレビ局のお話は、別世界のことであり、ついていけませんでした。
 安心できる場所が「家庭」
 ペットに愛情を注ぐのは、子に愛情を注ぐのと同じ。

第四章「旅立った家族に手紙を書くということ」
 亡くなったご家族への作者からのお手紙です。
 事情がわからないので、読み手としては、流し読みをしました。
 母親に対しては、あなたからの愛情が負担でしたとあります。

 三章・四章は身近ではありませんでした。
 人の生活の順番として、この世に生まれて、教育を受けて、就職をして、結婚をする。夫婦になって、子どもを産んで育てて、子どもが巣立って、孫が生まれて、老いてあの世に逝く。そういうものだと思って生活してきたけれど、時代は急速に変化して、生活様式とか、生活文化もずいぶん変化しました。多種多様な選択枝があって、どれも間違いではない正解がない時代になりました。
人生の後半記に入って、これから先、こどもたちがまだ小さかった頃のにぎやかな「家族」生活を味わうこともないでしょう。
波風立たない静かな今は、しあわせな期間です。

印象に残った表現です。
「くやしさはあしたへのエネルギー、失敗は大きな肥し」

3時間ぐらいで読み終えました。

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