2014年08月19日

それでもボクはやってない 映画 DVD

それでもボクはやってない 映画 DVD

 鑑賞する前、痴漢冤罪(えんざい、無罪なのに有罪にされてしまう)を映画の素材にしたことを好ましく思わない自分がいました。ヒットするわけがないと予測していましたがこの映画はヒットしました。理由は、今だにわかりません。過去の感想文を読み返してみると、ちょうど世の中で冤罪が暴かれる事象が続いたからかもしれません。
 時間をかけて丁寧に練られた脚本です。前半は、裁判所研修ビデオを見ているようでした。後半は、人間の深層心理に迫ります。裁判は、結論ありきで形作られていく。
 痴漢というものは常習性が強く病気みたいなものだと解釈しています。わざと混雑した電車の車両に乗る。何度もその区間を往復する。だから、この映画の主人公のような人がいきなり裁かれるということはないのではないかという疑問が残ります。被害者の意思もあるでしょうが、双方証拠を出せない以上、厳重注意ぐらいで終わるような気がします。
 鉄道会社があみだした「女性専用車両」は女子を守りつつ、善良な男子も守ってくれる。そう思いたい。


(2010年12月13日の感想文)
それでもボクはやってない DVD

 電車内の痴漢に関する冤罪(えんざい、裁判で無実の人が有罪判決を受ける。)です。
 これまで、この映画に関心がなく見たことがありませんでしたが、ブックオフで見かけて、有名な映画だし見てみるかという気になりました。見てよかったです。力作です。
 ケースにある主人公26歳フリーター、求職活動中の金子徹平の写真はどんくさそうですが、実際に映画を見たらかっこよかった。写真と映像の雰囲気がずいぶん違います。
 映画の中では1年の時が流れます。どうして痴漢の裁判がそんなに長くかかるのだろう。長すぎる。この国の裁判はシステム(制度とか手法)がおかしい。
 今年は、厚生労働省職員の無実をはじめ死刑を求刑された容疑者の無実があった。警察も検察も裁判所もその権威は地に落ちた。人が人を裁くことができるのか。裁く人によって結果が異なっていいのだろうか。判決文の文章は美しいけれど、結論は、残酷なだけです。関係者はこの映画を見てどんな感想をもつのだろうか。
 電車のドアにはさまった上着を取ろうとした理由、証人の証言、それらで助かると思っていたのにがっくりきました。この世に正義はない。的確ではありませんが、わたしは、いつの頃からか、物事を正しいか正しくないかで判断しなくなりました。流れにのっているか、のっていないかで判断するようになりました。時勢の流れにのっていればいいのです。それが人間社会です。
 真実は、本人しか知らない。ただ、これは、映画です。極端な表現もあるでしょう。ことに警察の取調べは強制的な拷問です。本当にこんなふうなのかなあという疑問は残ります。

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