2024年08月01日
雀荘(じゃんそう)のこと。
雀荘(じゃんそう)のこと。
NHK朝ドラの、『虎と翼』を見ていたら、主人公の裁判所職員を演じる伊藤沙莉さん(いとうさいりさん)が、マージャンを知人たちとやって交流を深めたいというなシーンに出会いました。そんなことから、ちょっと文章を寄せてみることにしました。
基本的に、マージャンは賭け事(かけごと)ですから、裁判所で働く伊藤沙莉さんはやらないほうがいいでしょう。でも、伊藤沙莉さんは、マージャンというものを知らないのでやりたがります。それなら賭けずにやりましょう。賭けなくてもゲーム自体はおもしろいものです。スリルもあるし、予想外の展開も期待できます。ストレスがたまるときもありますが、解放感と充実感を体感できることもあります。スポーツと同じで、奇跡的な大逆転シーンが起きることもあります。
わたしは月に2回ぐらい二十代から付き合いがある雀友(じゃんゆう。マージャン友だち)と、繁華街にある雀荘でマージャン卓(たく)を囲みます。
それぞれ歳(とし)は異なりますが、もうみんなおじいさんです。
雀荘には、おばあさんたちもたくさん来ています。
マージャンという世界を知らない人には、見たこともない世界でしょうが、80歳前後の女性が多い。60代というよりも、70代の女性が多い感じです。
マージャンは基本的に4人で行うゲームです。女性たちは、6卓ぐらいを囲んでおられます。
24人ぐらいのマダムたち(奥様たち、ご婦人たち)がずらりと全自動マージャン卓を囲んでおられて壮観です。
歳はいっていますが、女子高生たちのように元気で、かん高い声が響くこともあります。
わたしたちおじいさんもいい手があがれたときは、大きな声をあげて喜びます。拍手も湧きます。
平日昼間の雀荘には、老齢者たちの復活した青春時代があります。
マージャンは、囲碁将棋とは違って、運に左右されます。
運がいい人が勝てます。
だいたい同じようなレベルでマージャン卓を囲んで戦います。
勝ったり負けたりです。
マージャンでいいことは、考えながらの作業なのでしょっちゅうではありませんが、ときおり雑談ができることです。おしゃべりの相手は大切です。(競技マージャンとか健康マージャンでは私語は慎む(つつしむ)ようですが、わたしたちは自由なマージャンを打っています)
勝ち負けは二の次で心の交流を楽しみます。
頭をかなり使います。脳みその運動です。認知症の予防目的もありますが、たまにチョンボ(ルール違反とかうっかりミス)も生まれます。それはそれで楽しい。チョンボ料を払うと、みなさんに喜ばれます。
NHK朝ドラの、『虎と翼』を見ていたら、主人公の裁判所職員を演じる伊藤沙莉さん(いとうさいりさん)が、マージャンを知人たちとやって交流を深めたいというなシーンに出会いました。そんなことから、ちょっと文章を寄せてみることにしました。
基本的に、マージャンは賭け事(かけごと)ですから、裁判所で働く伊藤沙莉さんはやらないほうがいいでしょう。でも、伊藤沙莉さんは、マージャンというものを知らないのでやりたがります。それなら賭けずにやりましょう。賭けなくてもゲーム自体はおもしろいものです。スリルもあるし、予想外の展開も期待できます。ストレスがたまるときもありますが、解放感と充実感を体感できることもあります。スポーツと同じで、奇跡的な大逆転シーンが起きることもあります。
わたしは月に2回ぐらい二十代から付き合いがある雀友(じゃんゆう。マージャン友だち)と、繁華街にある雀荘でマージャン卓(たく)を囲みます。
それぞれ歳(とし)は異なりますが、もうみんなおじいさんです。
雀荘には、おばあさんたちもたくさん来ています。
マージャンという世界を知らない人には、見たこともない世界でしょうが、80歳前後の女性が多い。60代というよりも、70代の女性が多い感じです。
マージャンは基本的に4人で行うゲームです。女性たちは、6卓ぐらいを囲んでおられます。
24人ぐらいのマダムたち(奥様たち、ご婦人たち)がずらりと全自動マージャン卓を囲んでおられて壮観です。
歳はいっていますが、女子高生たちのように元気で、かん高い声が響くこともあります。
わたしたちおじいさんもいい手があがれたときは、大きな声をあげて喜びます。拍手も湧きます。
平日昼間の雀荘には、老齢者たちの復活した青春時代があります。
マージャンは、囲碁将棋とは違って、運に左右されます。
運がいい人が勝てます。
だいたい同じようなレベルでマージャン卓を囲んで戦います。
勝ったり負けたりです。
マージャンでいいことは、考えながらの作業なのでしょっちゅうではありませんが、ときおり雑談ができることです。おしゃべりの相手は大切です。(競技マージャンとか健康マージャンでは私語は慎む(つつしむ)ようですが、わたしたちは自由なマージャンを打っています)
勝ち負けは二の次で心の交流を楽しみます。
頭をかなり使います。脳みその運動です。認知症の予防目的もありますが、たまにチョンボ(ルール違反とかうっかりミス)も生まれます。それはそれで楽しい。チョンボ料を払うと、みなさんに喜ばれます。
2024年07月31日
ノートパソコントラブル ウィンドウズのブルースクリーン
ノートパソコントラブル ウィンドウズのブルースクリーン
7月19日金曜日にWindowsについて世界的なトラブルが発生しているとのネットニュースを見て、でもそれは、企業が対象みたいに書いてあって、ああ、個人である自分は関係ないなと安心していたら、報道が流れた翌々日日曜日の朝パソコンを立ち上げると、ブルースクリーン状態が始まりました。(ブルースクリーンとは、青を下地にした白文字での注意喚起表示です。『デバイスに問題が発生したため、再起動する必要があります。自動的に再起動します』というメッセージが現れて、以降何度も再起動が繰り返されました。終わりがありません。ちょっとしたパニックに陥りました(おちいりました))。
すったもんだしましたが、時間をあけて何回か修復に挑戦して、夕方になって、自力で回復できました。ほっとしました。こんなこともあるんだと、びっくりしました。
再起動状態が延々と続くので、とりあえず、電源ボタンを長押しして(約10秒間)電源を落としました。
マニュアルを見ようとしたのですが、だいじにしすぎて、マニュアルをどこにしまったのか、見つかりません。
今年2月にこんなことがありました。
『固定電話の契約をNTTからほかの会社に変えたことがきっかけだったと思うのですが、屋内工事のあと、2週間以内に切り替わりますと言われて、屋内工事後5日目のお昼に電源を入れると変な画面が出てきました。
起動したら、『BitLocker(ビットロッカー)回復』という表示が出て、『回復キー(48文字の数字)』の入力を求められました。なんのことかわからず、『回復キー』、そんなものは知らないと思いこみ四苦八苦しながら操作をしました。そのうち、パソコンは、電源を入れてもうんともすんともいわなくなりました。だけど、さらにがんばってみました。
さんざん苦労して、パソコン購入時のマニュアルに、『回復キー』が、ノートパソコンを設定した時に、自分の手で鉛筆書きしてあるのを見つけました。恐ろしい思いをしました。良かった。本当に良かった。ほっとしました』
そのときに、マニュアル(取扱説明書)を大事に保管しておかねばならないと思い、どこかにしまったのですが、どこにしまったのかを思い出せません。
しかたなく、パソコンメーカーのホームページとか、ラインとかで、調べたり、問い合わせをしてみたりしましたが、休日であり、相手はAI(人工知能)であり、明確な答えが返ってきません。
とにかく、マニュアルを探そうということで、片付けを兼ねて、ていねいに整理整頓を始めたところ、今年3月にスマホが壊れて買い換えたときの携帯電話会社の紙袋にノートパソコンのマニュアルを見つけました。ほっとしました。
パソコンメーカーによってやり方が違うのでしょうが、マニュアルを見ながら、ノートパソコンを起動させました。
画面に、英語で書かれた、『起動メニュー』が表示されたので操作しました。
次に、ブルースクリーンの状態で、『BitLocker(ビットロッカー)』画面が出たので、回復キー(48文字の数字)を入力しました。次に、『続行』をクリックしてノートパソコンは短時間で元通りになりました。
ほっとしました。
どうして自分のノートパソコンがおかしくなったのだろうかと考えました。たぶん、『Windows365』を利用しているからでしょう。わたしは、サブスクリプション(サブスク)の年間使用契約で、ワードとかエクセルなどを利用しています。インターネットを利用して、データを、『クラウド(雲)』というところに保存しているので、その関係だろうと推測しました。
7月19日金曜日にWindowsについて世界的なトラブルが発生しているとのネットニュースを見て、でもそれは、企業が対象みたいに書いてあって、ああ、個人である自分は関係ないなと安心していたら、報道が流れた翌々日日曜日の朝パソコンを立ち上げると、ブルースクリーン状態が始まりました。(ブルースクリーンとは、青を下地にした白文字での注意喚起表示です。『デバイスに問題が発生したため、再起動する必要があります。自動的に再起動します』というメッセージが現れて、以降何度も再起動が繰り返されました。終わりがありません。ちょっとしたパニックに陥りました(おちいりました))。
すったもんだしましたが、時間をあけて何回か修復に挑戦して、夕方になって、自力で回復できました。ほっとしました。こんなこともあるんだと、びっくりしました。
再起動状態が延々と続くので、とりあえず、電源ボタンを長押しして(約10秒間)電源を落としました。
マニュアルを見ようとしたのですが、だいじにしすぎて、マニュアルをどこにしまったのか、見つかりません。
今年2月にこんなことがありました。
『固定電話の契約をNTTからほかの会社に変えたことがきっかけだったと思うのですが、屋内工事のあと、2週間以内に切り替わりますと言われて、屋内工事後5日目のお昼に電源を入れると変な画面が出てきました。
起動したら、『BitLocker(ビットロッカー)回復』という表示が出て、『回復キー(48文字の数字)』の入力を求められました。なんのことかわからず、『回復キー』、そんなものは知らないと思いこみ四苦八苦しながら操作をしました。そのうち、パソコンは、電源を入れてもうんともすんともいわなくなりました。だけど、さらにがんばってみました。
さんざん苦労して、パソコン購入時のマニュアルに、『回復キー』が、ノートパソコンを設定した時に、自分の手で鉛筆書きしてあるのを見つけました。恐ろしい思いをしました。良かった。本当に良かった。ほっとしました』
そのときに、マニュアル(取扱説明書)を大事に保管しておかねばならないと思い、どこかにしまったのですが、どこにしまったのかを思い出せません。
しかたなく、パソコンメーカーのホームページとか、ラインとかで、調べたり、問い合わせをしてみたりしましたが、休日であり、相手はAI(人工知能)であり、明確な答えが返ってきません。
とにかく、マニュアルを探そうということで、片付けを兼ねて、ていねいに整理整頓を始めたところ、今年3月にスマホが壊れて買い換えたときの携帯電話会社の紙袋にノートパソコンのマニュアルを見つけました。ほっとしました。
パソコンメーカーによってやり方が違うのでしょうが、マニュアルを見ながら、ノートパソコンを起動させました。
画面に、英語で書かれた、『起動メニュー』が表示されたので操作しました。
次に、ブルースクリーンの状態で、『BitLocker(ビットロッカー)』画面が出たので、回復キー(48文字の数字)を入力しました。次に、『続行』をクリックしてノートパソコンは短時間で元通りになりました。
ほっとしました。
どうして自分のノートパソコンがおかしくなったのだろうかと考えました。たぶん、『Windows365』を利用しているからでしょう。わたしは、サブスクリプション(サブスク)の年間使用契約で、ワードとかエクセルなどを利用しています。インターネットを利用して、データを、『クラウド(雲)』というところに保存しているので、その関係だろうと推測しました。
2024年07月04日
スマートEX。交通系ICカードで新幹線に乗車する。
スマートEXを利用する。交通系ICカードで新幹線に乗車する。
用事があって、久しぶりにひとりだけで、名古屋駅から博多駅へ行くことになりました。
いつもは、親族と複数で移動するので、新幹線チケットは名古屋駅まで事前に買いに行っていました。
東京駅へ行くときは、親戚からJR東海の運賃が割引になる株主優待券を譲ってもらえるので、用紙に記入して優待券を添えてみどりの窓口に並んで買っています。それ以外のルートのときは、自動券売機で座席を指定して複数枚を買ったりしています。
スマートEXは、ずいぶん前から加入していましたが、空席の位置を確認するだけに使っていました。申込用紙に、何号車の何番にある空席に座りたいと書いて窓口で交渉していました。
(名古屋駅から博多駅へ行く前のこと)
今回のひとり旅をきっかけに、交通系ICカードでスマートEXにチャレンジしてみることにしました。
当地には、敬老パスというものがあって、わたしは所持しています。(交通系のICカードです。名古屋市内の地下鉄・市バスほか一部の交通機関の乗車料金が無料です。利用にあたっては、いろいろ条件があるようですが、極端な使い方をしない限りトラブルになるとは思えません。所得に応じて自己負担があります。わたしは年間5000円の自己負担額を納めています。65歳以上がもらえる対象です)
敬老パスで、地下鉄に乗って、そのあと引き続き、敬老パスで新幹線に乗ってみることにしました。2万円がチャージ(入金)の限度額なので、往路の片道利用です。(オートチャージなるものがありますが、わたしはやりません)【博多から帰宅して、その後わかったこと:わたしは勘違いをしていました。新幹線の乗車料金は、交通系ICカードにチャージしてあるお金から落ちるものだと思いこんでいました。チャージは関係ありません。クレジットカード利用で、銀行口座から落ちます。チャージしてある金額が0円でも新幹線に乗車できるのです。すばらしい。わたしの場合、敬老パス1枚で、新幹線駅のどこへでも行けるのです。まことに、すばらしい】
ネットで、スマートEXのホームページを操作して、こわごわと入力を続けて、無事に自分が乗りたいのぞみ号を予約しました。(スマホアプリもありますが、わたしは、ホームページの画面のほうが操作しやすいです)
当日は、名古屋駅の改札口で敬老パスをタッチすると、細長い改札機の先でスマートEXの利用票が出てくるそうです。その紙片をとって乗車すればいいらしい。最初のときはドキドキしそうです。係員がいるそばの自動改札機を利用して、うまくいかなかったときは、『初めてです。お助けください』と、お願いしよう。
さらに思いつきました。
机の引き出しを探したら、もう何年も前に使用していた通勤定期用の交通系ICカードが出てきました。もしかしたら復路(帰路)で利用できるかもしれない。(定期券に書いてある経路などを見ていたら、人事異動の転勤で車通勤だった頃のことも含めて、朝早くから夜遅くまで、くたくたになるまで働いていたことを思い出して、よくがんばったなあと自分をほめたくなりました。冷静に考えると、過酷な通勤でひどいめにあいました。仕事というものは、まず通勤の習慣が身に付かないと継続はむずかしい。慣れてくると、頭で考えなくても体が勝手に通勤してくれる状態をつくってくれます)
地下鉄駅の券売機でさきほどの定期券として使用していた交通系ICカードにチャージができました。何年も前に使っていたICカードだったので、処理速度が遅いような気がして胸がドキドキしました。チャージする前のカードの残高は33円でした。
この定期券だった交通系ICカードを使って、博多駅から名古屋駅への復路(帰路)でスマートEXに挑戦してみよう。
スマートEXのネットのホームページに、使用する交通系ICカードが変更できるという欄がありました。帰りの復路では、行きの時の交通系ICカード(敬老パス)の番号から、定期券で使用していた交通系ICカードに書いてある番号に変更します。【さきほども書きましたが、チャージしてあるお金から新幹線の乗車料金が落ちるわけではなく、クレジットカード利用で銀行口座から落ちます。この文章全体は、博多へ行く前に書いた文章に、行ったあとのことを合わせた文章になっています】
複数人で利用する場合には、利用者の交通系ICカードの番号を追加入力すればよろしいということになっています。わたしの場合、配偶者も敬老パスを持っているので、その番号を入力することになります。
(博多駅まで行ったあとのこと。実際に使ってみての感想です)
『スマートEX』、これはいい! なかなかいいシステムです。ステキだ!!
新幹線車内3人掛けのC席(通路側)を選択して乗車しましたが、結局名古屋駅から博多駅までA席、B席にはだれも来ず、ひとりで3席を使っているような気分でした。さらに、後ろの3席にもだれもこず、リクライニングを深く倒して寝っ転がるような姿勢でのんびりできました。
アプリについて:自分は、ホームページの画面のほうがわかりやすいので、その画面で操作しますが、スマホにインストールしたアプリの情報もなかなかいい。たまたま帰るときは、梅雨時の大雨に当たってしまったのですが、アプリを見ると、運行状況がていねいに表示されています。列車の号数と何分遅れているかが図も使って表示してあって、参考になるし、なにより安心します。
さきほども書きましたが、大雨の帰路だったので、予定を早めて帰ることにして、あらかじめ予約していた列車を早い時刻のものに変更しました。
博多駅の新幹線改札口の横で、スマホを使って、30分後ぐらいに発車するのぞみ号に変更入力をしました。
そのあと、定期券で使っていた交通系ICカードで改札機に入り、出てきた、『EXご利用票』を手に取って、ホームへ向かいました。スムーズです。窓口に並ばなくていいし、自分の座りたい席を簡単におさえることができます。【これも、さきほど書きましたが、敬老パス1枚で済む話でした】
JRさんありがとう。
半世紀ぐらい前の新幹線窓口予約や、ブルートレインという長距離寝台車でのひと晩かけての移動を思い出すと、ほんとうに便利になりました。こういうシステムを構築された技術者のみなさんに対しては、感謝しかありません。
土曜日の夜に、NHKのテレビ番組で似たような技術開発のことが紹介されています。『新プロジェクトX(エックス)~挑戦者たち~』です。たいしたものです。日本人の誇りです。
用事があって、久しぶりにひとりだけで、名古屋駅から博多駅へ行くことになりました。
いつもは、親族と複数で移動するので、新幹線チケットは名古屋駅まで事前に買いに行っていました。
東京駅へ行くときは、親戚からJR東海の運賃が割引になる株主優待券を譲ってもらえるので、用紙に記入して優待券を添えてみどりの窓口に並んで買っています。それ以外のルートのときは、自動券売機で座席を指定して複数枚を買ったりしています。
スマートEXは、ずいぶん前から加入していましたが、空席の位置を確認するだけに使っていました。申込用紙に、何号車の何番にある空席に座りたいと書いて窓口で交渉していました。
(名古屋駅から博多駅へ行く前のこと)
今回のひとり旅をきっかけに、交通系ICカードでスマートEXにチャレンジしてみることにしました。
当地には、敬老パスというものがあって、わたしは所持しています。(交通系のICカードです。名古屋市内の地下鉄・市バスほか一部の交通機関の乗車料金が無料です。利用にあたっては、いろいろ条件があるようですが、極端な使い方をしない限りトラブルになるとは思えません。所得に応じて自己負担があります。わたしは年間5000円の自己負担額を納めています。65歳以上がもらえる対象です)
敬老パスで、地下鉄に乗って、そのあと引き続き、敬老パスで新幹線に乗ってみることにしました。2万円がチャージ(入金)の限度額なので、往路の片道利用です。(オートチャージなるものがありますが、わたしはやりません)【博多から帰宅して、その後わかったこと:わたしは勘違いをしていました。新幹線の乗車料金は、交通系ICカードにチャージしてあるお金から落ちるものだと思いこんでいました。チャージは関係ありません。クレジットカード利用で、銀行口座から落ちます。チャージしてある金額が0円でも新幹線に乗車できるのです。すばらしい。わたしの場合、敬老パス1枚で、新幹線駅のどこへでも行けるのです。まことに、すばらしい】
ネットで、スマートEXのホームページを操作して、こわごわと入力を続けて、無事に自分が乗りたいのぞみ号を予約しました。(スマホアプリもありますが、わたしは、ホームページの画面のほうが操作しやすいです)
当日は、名古屋駅の改札口で敬老パスをタッチすると、細長い改札機の先でスマートEXの利用票が出てくるそうです。その紙片をとって乗車すればいいらしい。最初のときはドキドキしそうです。係員がいるそばの自動改札機を利用して、うまくいかなかったときは、『初めてです。お助けください』と、お願いしよう。
さらに思いつきました。
机の引き出しを探したら、もう何年も前に使用していた通勤定期用の交通系ICカードが出てきました。もしかしたら復路(帰路)で利用できるかもしれない。(定期券に書いてある経路などを見ていたら、人事異動の転勤で車通勤だった頃のことも含めて、朝早くから夜遅くまで、くたくたになるまで働いていたことを思い出して、よくがんばったなあと自分をほめたくなりました。冷静に考えると、過酷な通勤でひどいめにあいました。仕事というものは、まず通勤の習慣が身に付かないと継続はむずかしい。慣れてくると、頭で考えなくても体が勝手に通勤してくれる状態をつくってくれます)
地下鉄駅の券売機でさきほどの定期券として使用していた交通系ICカードにチャージができました。何年も前に使っていたICカードだったので、処理速度が遅いような気がして胸がドキドキしました。チャージする前のカードの残高は33円でした。
この定期券だった交通系ICカードを使って、博多駅から名古屋駅への復路(帰路)でスマートEXに挑戦してみよう。
スマートEXのネットのホームページに、使用する交通系ICカードが変更できるという欄がありました。帰りの復路では、行きの時の交通系ICカード(敬老パス)の番号から、定期券で使用していた交通系ICカードに書いてある番号に変更します。【さきほども書きましたが、チャージしてあるお金から新幹線の乗車料金が落ちるわけではなく、クレジットカード利用で銀行口座から落ちます。この文章全体は、博多へ行く前に書いた文章に、行ったあとのことを合わせた文章になっています】
複数人で利用する場合には、利用者の交通系ICカードの番号を追加入力すればよろしいということになっています。わたしの場合、配偶者も敬老パスを持っているので、その番号を入力することになります。
(博多駅まで行ったあとのこと。実際に使ってみての感想です)
『スマートEX』、これはいい! なかなかいいシステムです。ステキだ!!
新幹線車内3人掛けのC席(通路側)を選択して乗車しましたが、結局名古屋駅から博多駅までA席、B席にはだれも来ず、ひとりで3席を使っているような気分でした。さらに、後ろの3席にもだれもこず、リクライニングを深く倒して寝っ転がるような姿勢でのんびりできました。
アプリについて:自分は、ホームページの画面のほうがわかりやすいので、その画面で操作しますが、スマホにインストールしたアプリの情報もなかなかいい。たまたま帰るときは、梅雨時の大雨に当たってしまったのですが、アプリを見ると、運行状況がていねいに表示されています。列車の号数と何分遅れているかが図も使って表示してあって、参考になるし、なにより安心します。
さきほども書きましたが、大雨の帰路だったので、予定を早めて帰ることにして、あらかじめ予約していた列車を早い時刻のものに変更しました。
博多駅の新幹線改札口の横で、スマホを使って、30分後ぐらいに発車するのぞみ号に変更入力をしました。
そのあと、定期券で使っていた交通系ICカードで改札機に入り、出てきた、『EXご利用票』を手に取って、ホームへ向かいました。スムーズです。窓口に並ばなくていいし、自分の座りたい席を簡単におさえることができます。【これも、さきほど書きましたが、敬老パス1枚で済む話でした】
JRさんありがとう。
半世紀ぐらい前の新幹線窓口予約や、ブルートレインという長距離寝台車でのひと晩かけての移動を思い出すと、ほんとうに便利になりました。こういうシステムを構築された技術者のみなさんに対しては、感謝しかありません。
土曜日の夜に、NHKのテレビ番組で似たような技術開発のことが紹介されています。『新プロジェクトX(エックス)~挑戦者たち~』です。たいしたものです。日本人の誇りです。
2024年03月18日
スマホが壊れた。
スマホが壊れた。
親族とリモート電話をしていたら、スマホの画面が固まりました。
話が終わって、電話を切ろうとしても切ることができません。
相手に切ってもらいました。
スマホの画面は、ピクリとも動きません。
やむなく、再起動しようと、ボタンを長押しして電源を落としました。
以降、スマホは立ち上がらなくなりました。
実は、10日ほど前から、突然画面が(フリーズ。凍る(こおる)。止まる)して、再起動をして立ち上げることを5回~6回ぐらいしていました。修理か、機種変更が必要な時期なのかなあ。
販売店訪問の予約をして、訪問して修理をお願いしました。
翌日電話があって、修理不能と返答がありました。
型落ち(古い型)でよければ、無償で交換するとのことでしたが、新型にしたかったので、機種変更をすることにしました。
そのあと、新しいスマホの設定等で、苦闘がありました。疲れました。
1 ようやく知ったこと。
画面の下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)のマークがありますが、このマークを表示したり、非表示にしたりすることができることを知りました。『設定』から入って設定できました。
これまで使っていた自分のスマホにはその表示がなくて、スマホでなにかの手続きをしているときに、直前に表示していたページ(履歴)を見たくても、どうやって、どこを見ていいのかわからず、混乱していました。(あとから、画面の下から少し上に指をすべらせると、履歴の画面が出てくることを知りました)
スマホを修理に出した時にショップで貸してくれたスマホの画面下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)の表示があり、自分のスマホには、スリーボタンがないので、履歴のページの見方がわからないというようなことを、店員さんに話をしたら教えてくれました。これまで自分はいったい、何に苦労していたのだろうかと、力が抜けました。スリーボタン表示だと、■を押すと、過去に見たページが表示されます。
2 最初に入力するPIN(ピン。数字6桁(けた))のこと。
新たに買ったスマホをいじっていました。(ちなみに、以前のスマホでは、PINの設定とか、指紋認証とか、顔認証の設定はしていませんでした。スマホは基本的に、電話とメール、写真撮影とラインなど、どうしても必要な範囲内で使っています)
わたしのスマホは家電(いえでん。家に置いてある加入電話機)みたいなもので、わたしがいないときに電話の呼び出し音が鳴ったり、ラインの到着音がしたりすると、家族が気づけばスマホの電話やラインに出てくれます。また、相手と電話で会話をするときには、みんなに通話の声が聞こえるようにして、複数でわいわいがやがやと話をすることもあります。だから、だれかに知られて困るようなことがらは、スマホの中には入っていません。
新しく買ったスマホの画面に、個人情報を保護するための設定をしてください、みたいな文章が出てきたので、あとでPINのいらない状態に戻せばいいからと思いPINを設定しました。(そこから苦闘と苦悩が始まりました)。PINの消し方がわかりません。
スマホには、大金がからんだアプリは入れていないこともあって、いちいち立ち上げるときにPINを入れるのはめんどうです。自分は個人情報を気にする世代として人生を送ってきてはいません。
突然ですが、思い出したことがあります。半世紀ぐらい前、給料は現金支給で、受取りの一覧表に各自が領収印を押していました。町内会の回覧板みたいに、全員の給料の一覧表が回ってきて、領収印欄に押印して次に回していました。一覧表には、だれがいくらもらっていて、税金等はいくらで、職場がからんだ貯金はいくら、親睦会費はいくら、職場がらみで借りた住宅ローンの返済金はいくらといろいろ記載がありました。
他人の給料が丸見えという今考えるとありえないことなのでしょうが、当時はほとんどだれも気にしていませんでした。そもそも当時の日本人社会に、『個人情報』という言葉はなかった記憶です。仕事場にいる人たちは、みんな家族のような仲間でした。(そういうことがイヤだという人はいたと思いますが、少数派でした)
話が脱線しましたが、さらに、老齢で、視力も衰えているので、スマホの画面に数字を入れ間違えるし、パスワード等のど忘れも最近多いです。スマホへのPIN入力が苦痛の種となりました。
ネットで調べたら、初期化(最初の状態に戻す)しないとPINは消せないみたいに書いてあるので、ああ、個人情報保護の観点からしかたがない設定だとあきらめました。それでも、心の中は悶々(もんもん)としたストレスを抱えることになりました。
息子が家に晩御飯を食べに来た時に、(息子は、もう三十代のおっさんになってしまいました)そんな愚痴をこぼしました。すると、PINは消すことができるし、自分は、毎日必要に応じて、設定したり消したりしているというので、ひっくりかえるほどびっくりしました。息子に教えてもらって、PINの設定、非設定ができるようになりました。心の重荷がとれて、ほっとしました。いい気分です。
ほかにも自分の思いどおりに使えないことがいくつもありましたが、自分の無知が原因でした。
克服できたおかげで、今は快適にスマホを使用できるようになりました。
ふりかえって思うのは、やはり、学習(教えてもらう)が必要です。
ネットの説明記事を見ただけでは、わからないこともあります。
年寄り向けのスマホの操作の研修を受けるといいのでしょう。
何歳になっても新しいことを覚えるための勉強は必要です。
まあ、あとは、スマホなんて、もたなくてすむならもたないほうがいい。
人間の心が、徹底的に内(うち)にこもるような道具です。
先々週、金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』で、主役の阿部サダヲさん(昭和61年、1986年の人間が現代にタイムトラベルで来ているという設定で)が、スマホに怒りを感じて、大きな怒鳴り声をあげながら、スマホを床にたたきつけようとします。バカヤロー、こんなもの(いらんわ!)です。同感です。
親族とリモート電話をしていたら、スマホの画面が固まりました。
話が終わって、電話を切ろうとしても切ることができません。
相手に切ってもらいました。
スマホの画面は、ピクリとも動きません。
やむなく、再起動しようと、ボタンを長押しして電源を落としました。
以降、スマホは立ち上がらなくなりました。
実は、10日ほど前から、突然画面が(フリーズ。凍る(こおる)。止まる)して、再起動をして立ち上げることを5回~6回ぐらいしていました。修理か、機種変更が必要な時期なのかなあ。
販売店訪問の予約をして、訪問して修理をお願いしました。
翌日電話があって、修理不能と返答がありました。
型落ち(古い型)でよければ、無償で交換するとのことでしたが、新型にしたかったので、機種変更をすることにしました。
そのあと、新しいスマホの設定等で、苦闘がありました。疲れました。
1 ようやく知ったこと。
画面の下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)のマークがありますが、このマークを表示したり、非表示にしたりすることができることを知りました。『設定』から入って設定できました。
これまで使っていた自分のスマホにはその表示がなくて、スマホでなにかの手続きをしているときに、直前に表示していたページ(履歴)を見たくても、どうやって、どこを見ていいのかわからず、混乱していました。(あとから、画面の下から少し上に指をすべらせると、履歴の画面が出てくることを知りました)
スマホを修理に出した時にショップで貸してくれたスマホの画面下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)の表示があり、自分のスマホには、スリーボタンがないので、履歴のページの見方がわからないというようなことを、店員さんに話をしたら教えてくれました。これまで自分はいったい、何に苦労していたのだろうかと、力が抜けました。スリーボタン表示だと、■を押すと、過去に見たページが表示されます。
2 最初に入力するPIN(ピン。数字6桁(けた))のこと。
新たに買ったスマホをいじっていました。(ちなみに、以前のスマホでは、PINの設定とか、指紋認証とか、顔認証の設定はしていませんでした。スマホは基本的に、電話とメール、写真撮影とラインなど、どうしても必要な範囲内で使っています)
わたしのスマホは家電(いえでん。家に置いてある加入電話機)みたいなもので、わたしがいないときに電話の呼び出し音が鳴ったり、ラインの到着音がしたりすると、家族が気づけばスマホの電話やラインに出てくれます。また、相手と電話で会話をするときには、みんなに通話の声が聞こえるようにして、複数でわいわいがやがやと話をすることもあります。だから、だれかに知られて困るようなことがらは、スマホの中には入っていません。
新しく買ったスマホの画面に、個人情報を保護するための設定をしてください、みたいな文章が出てきたので、あとでPINのいらない状態に戻せばいいからと思いPINを設定しました。(そこから苦闘と苦悩が始まりました)。PINの消し方がわかりません。
スマホには、大金がからんだアプリは入れていないこともあって、いちいち立ち上げるときにPINを入れるのはめんどうです。自分は個人情報を気にする世代として人生を送ってきてはいません。
突然ですが、思い出したことがあります。半世紀ぐらい前、給料は現金支給で、受取りの一覧表に各自が領収印を押していました。町内会の回覧板みたいに、全員の給料の一覧表が回ってきて、領収印欄に押印して次に回していました。一覧表には、だれがいくらもらっていて、税金等はいくらで、職場がからんだ貯金はいくら、親睦会費はいくら、職場がらみで借りた住宅ローンの返済金はいくらといろいろ記載がありました。
他人の給料が丸見えという今考えるとありえないことなのでしょうが、当時はほとんどだれも気にしていませんでした。そもそも当時の日本人社会に、『個人情報』という言葉はなかった記憶です。仕事場にいる人たちは、みんな家族のような仲間でした。(そういうことがイヤだという人はいたと思いますが、少数派でした)
話が脱線しましたが、さらに、老齢で、視力も衰えているので、スマホの画面に数字を入れ間違えるし、パスワード等のど忘れも最近多いです。スマホへのPIN入力が苦痛の種となりました。
ネットで調べたら、初期化(最初の状態に戻す)しないとPINは消せないみたいに書いてあるので、ああ、個人情報保護の観点からしかたがない設定だとあきらめました。それでも、心の中は悶々(もんもん)としたストレスを抱えることになりました。
息子が家に晩御飯を食べに来た時に、(息子は、もう三十代のおっさんになってしまいました)そんな愚痴をこぼしました。すると、PINは消すことができるし、自分は、毎日必要に応じて、設定したり消したりしているというので、ひっくりかえるほどびっくりしました。息子に教えてもらって、PINの設定、非設定ができるようになりました。心の重荷がとれて、ほっとしました。いい気分です。
ほかにも自分の思いどおりに使えないことがいくつもありましたが、自分の無知が原因でした。
克服できたおかげで、今は快適にスマホを使用できるようになりました。
ふりかえって思うのは、やはり、学習(教えてもらう)が必要です。
ネットの説明記事を見ただけでは、わからないこともあります。
年寄り向けのスマホの操作の研修を受けるといいのでしょう。
何歳になっても新しいことを覚えるための勉強は必要です。
まあ、あとは、スマホなんて、もたなくてすむならもたないほうがいい。
人間の心が、徹底的に内(うち)にこもるような道具です。
先々週、金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』で、主役の阿部サダヲさん(昭和61年、1986年の人間が現代にタイムトラベルで来ているという設定で)が、スマホに怒りを感じて、大きな怒鳴り声をあげながら、スマホを床にたたきつけようとします。バカヤロー、こんなもの(いらんわ!)です。同感です。
2024年02月22日
いじわるな人
いじわるな人
もうずいぶん昔のことになりましたが、就職した時に、職場に中年のいじわるな女性がいました。
二十代だったわたしに、なにかしら、いじわるな言動をするのでした。わたしのことが心の底からキライだったようです。
わたしが困っているのに、そこまで言わなくてもいいのにと思うことがありました。
一度は、そばにいた男性の先輩が間に入って、話を穏便に(おんびんに。おとなしく。おだやかに)まとめてくれたことがありました。
自分が人事異動してからは、いじわるな女性と会うことはありませんでした。
それから40年ぐらいがたって、リタイアした自分は、年1回開催される職場の同窓会に行きました。
名簿にいじわるだった女性の名前とコメントがありました。『病気療養中で同窓会には参加できません』と書いてありました。
ああ、あの人は、40年ぐらいたっても、いじわるな性格は変わっていないのだろうなあと考えました。
コロナ禍があって、3年間職場の同窓会が中止になりました。
去年久しぶりに開催された同窓会に行ったら、配布された資料の物故者(ぶっこしゃ。亡くなった人)の紹介の欄に、いじわるだった人のお名前がありました。ああ、結婚されずに亡くなったのだなあと思いました。生まれつきいじわるな人は、一生いじわるな人だったのだろうなあという思いがありました。
それからしばらくして、自分が二十代だったころの仕事仲間と久しぶりに会い、雀荘で(じゃんそうで)、マージャン卓を囲みました。
左に座っていた男性の先輩が、『自分は、〇〇さん(わたしが思ういじわるな女性)にとても世話になった。』と、突然話し始めました。あの人がいなかったら、今の自分はないとまで話をされるので、わたしはびっくりしました。(わたしは、そのとき、なにも話しませんでした)
もう亡くなったあの女性は、いじわるな人ではなかったようだと思いましたが、なにやらすっきりしません。
ずーっと考えました。そして、結論が出ました。
『えこひいきをする人だったのだ』
自分が気に入った人は厚遇して(こうぐう。手厚いフォロー(世話)をする)、自分が気に入らない人には冷遇(れいぐう。冷たくする。冷淡な態度で接する)する人だったのだ。
ひとりの人間でも、二重人格ということはよくあります。自分が気に入った人には親切にして、自分が気に入らない人には冷たくします。相性(あいしょう)があります。気が、合う、合わないです。その区別の具体的な理由がわからないときがあります。
なんとなく好きで、なんとなく嫌いなのです。
しかたがありません。しょせん人間なんて、そんなものなのでしょう。
もうずいぶん昔のことになりましたが、就職した時に、職場に中年のいじわるな女性がいました。
二十代だったわたしに、なにかしら、いじわるな言動をするのでした。わたしのことが心の底からキライだったようです。
わたしが困っているのに、そこまで言わなくてもいいのにと思うことがありました。
一度は、そばにいた男性の先輩が間に入って、話を穏便に(おんびんに。おとなしく。おだやかに)まとめてくれたことがありました。
自分が人事異動してからは、いじわるな女性と会うことはありませんでした。
それから40年ぐらいがたって、リタイアした自分は、年1回開催される職場の同窓会に行きました。
名簿にいじわるだった女性の名前とコメントがありました。『病気療養中で同窓会には参加できません』と書いてありました。
ああ、あの人は、40年ぐらいたっても、いじわるな性格は変わっていないのだろうなあと考えました。
コロナ禍があって、3年間職場の同窓会が中止になりました。
去年久しぶりに開催された同窓会に行ったら、配布された資料の物故者(ぶっこしゃ。亡くなった人)の紹介の欄に、いじわるだった人のお名前がありました。ああ、結婚されずに亡くなったのだなあと思いました。生まれつきいじわるな人は、一生いじわるな人だったのだろうなあという思いがありました。
それからしばらくして、自分が二十代だったころの仕事仲間と久しぶりに会い、雀荘で(じゃんそうで)、マージャン卓を囲みました。
左に座っていた男性の先輩が、『自分は、〇〇さん(わたしが思ういじわるな女性)にとても世話になった。』と、突然話し始めました。あの人がいなかったら、今の自分はないとまで話をされるので、わたしはびっくりしました。(わたしは、そのとき、なにも話しませんでした)
もう亡くなったあの女性は、いじわるな人ではなかったようだと思いましたが、なにやらすっきりしません。
ずーっと考えました。そして、結論が出ました。
『えこひいきをする人だったのだ』
自分が気に入った人は厚遇して(こうぐう。手厚いフォロー(世話)をする)、自分が気に入らない人には冷遇(れいぐう。冷たくする。冷淡な態度で接する)する人だったのだ。
ひとりの人間でも、二重人格ということはよくあります。自分が気に入った人には親切にして、自分が気に入らない人には冷たくします。相性(あいしょう)があります。気が、合う、合わないです。その区別の具体的な理由がわからないときがあります。
なんとなく好きで、なんとなく嫌いなのです。
しかたがありません。しょせん人間なんて、そんなものなのでしょう。
2024年02月08日
添い寝(そいね)
添い寝(そいね)
旅先のホテルで、小学校低学年の男の孫とベッドで添い寝をすることがあります。
孫がいっしょに寝たがります。孫には甘い祖父なので、孫からは慕われています。よくなついてくれています。
初めての添い寝の時は、夜中に孫がベッドから転落しました。(とはいえ、おおごとにはなりません)
その後の宿泊では転落することもなく熟睡しているようすです。
隣で小さなこどもが寝ていると、自分も気持ちが落ち着きます。
孫が生まれたときの姿を覚えているので、大きくなったなあという実感があります。
自分が小学生だったころ、たまにおねしょをしていました。
夜中にオヤジがこっちへこいと呼ぶので、オヤジのふとんでふたりで寝ました。
わたしは、いばりんぼうで権力的なオヤジがキライでしたが、濡れたふとんで寝るのはイヤでした。
オヤジのふとんはあったかくて、気持ちが良かったことを今でも覚えています。
中学の時にオヤジが病気で死んでからもう50年以上がたちました。
時が過ぎるのは早いものです。いろいろありましたが、やれやれです。残りの人生という時間を楽しんで、孫たちにいいじいさんだったと惜しまれながら(おしまれながら)、この世にサヨナラしたいものです。
旅先のホテルで、小学校低学年の男の孫とベッドで添い寝をすることがあります。
孫がいっしょに寝たがります。孫には甘い祖父なので、孫からは慕われています。よくなついてくれています。
初めての添い寝の時は、夜中に孫がベッドから転落しました。(とはいえ、おおごとにはなりません)
その後の宿泊では転落することもなく熟睡しているようすです。
隣で小さなこどもが寝ていると、自分も気持ちが落ち着きます。
孫が生まれたときの姿を覚えているので、大きくなったなあという実感があります。
自分が小学生だったころ、たまにおねしょをしていました。
夜中にオヤジがこっちへこいと呼ぶので、オヤジのふとんでふたりで寝ました。
わたしは、いばりんぼうで権力的なオヤジがキライでしたが、濡れたふとんで寝るのはイヤでした。
オヤジのふとんはあったかくて、気持ちが良かったことを今でも覚えています。
中学の時にオヤジが病気で死んでからもう50年以上がたちました。
時が過ぎるのは早いものです。いろいろありましたが、やれやれです。残りの人生という時間を楽しんで、孫たちにいいじいさんだったと惜しまれながら(おしまれながら)、この世にサヨナラしたいものです。