2022年10月01日
アサガオ一輪(いちりん)
アサガオ一輪(いちりん)
朝の散歩道です。
草むらの中に一輪(いちりん。ひとつ)咲いたアサガオの花を見つけました。
美しかったので、思わずシャッターを押しました。
もう、夏も終わります。
朝の散歩道です。
草むらの中に一輪(いちりん。ひとつ)咲いたアサガオの花を見つけました。
美しかったので、思わずシャッターを押しました。
もう、夏も終わります。
2022年09月24日
赤いヒガンバナと白いヒガンバナ
赤いヒガンバナと白いヒガンバナ
朝の散歩道です。
里山のふちっこで咲いていました。
(数日後)
道を歩いていたら、女性が乗った自転車がわたしを追い越していきました。
その女性は、わたしの前、30mぐらい先で自転車を降りて、道ばたに咲いていた白い花の写真を撮り始めました。
あれ?! 白いヒガンバナが群生しています。
わたしも撮影してみました。
調べたら、九州地方に多く咲いている種類だそうです。
黄色いヒガンバナもあるそうです。
長いこと生きてきましたが、まだまだ知らないことがあります。
朝の散歩道です。
里山のふちっこで咲いていました。
(数日後)
道を歩いていたら、女性が乗った自転車がわたしを追い越していきました。
その女性は、わたしの前、30mぐらい先で自転車を降りて、道ばたに咲いていた白い花の写真を撮り始めました。
あれ?! 白いヒガンバナが群生しています。
わたしも撮影してみました。
調べたら、九州地方に多く咲いている種類だそうです。
黄色いヒガンバナもあるそうです。
長いこと生きてきましたが、まだまだ知らないことがあります。
2022年09月21日
ヒガンバナと一周忌とドラえもん
ヒガンバナと一周忌とドラえもん
先日、義父の一周忌で、お寺さんにお参りに行ってきました。
駅を出たところにある交差点にあった植え込みで、今年初めてのヒガンバナを見つけたので写真撮影をしました。
たった一輪(いちりん)だけが咲いているヒガンバナです。
ヒガンバナのまわりに植えてあったのは、オシロイバナです。夕方になると妖しげ(あやしげ)な雰囲気で咲く花です。
写真撮影を終えて、交差点の歩道で信号待ちをしていたら、自転車で通りかかった若い男の人が、自転車を止めて降りてきて、わたしと同じように同じヒガンバナの写真を撮り始めました。
自分と同じ行動をする人がいるのかと、びっくりしました。
ヒガンバナには、死者を弔う(とむらう)意味合いがあると自分は思っています。
お寺さんでまず若いお坊さんの法話を聴きました。アンパンマンのお話を例に出されて、この世には『バイキンマン』の要素(菌の存在)も必要だということを説かれていました。
参列していたのは年配の人たちばかりで、わたしたちのような夫婦やひとり者らしき方ばかりでした。見渡したところ三十人ぐらいのお参りの方がおられました。
仏さまに向かって左手にある隣接の幼稚園からは、女先生の声がマイクをとおして聞こえてきます。ちびっこたちがにぎやかに遊んでいるようすです。
反対の右側からは、お寺の儀式をしているのか、シンバルのような鐘をうつ音が聞こえてきて、数えたら7回鳴りました。
自分たちがいる広い本堂では、背中側にあたる南側から、心地よいさわやかな風が吹き込んでいました。気持ちが良かった。
法話のあと、複数のお坊さんたちが出てきてお経を読まれて、参列者たちは思い思いに前に出て焼香(しょうこう)をしました。
お年寄りばかりなので、一日一日、自分たちも極楽(ごくらく。天国)に近づいているのだという実感が湧きました。
帰路、お寺さんの隣にあるテレビ局の玄関前に、ドラえもんがいたので、夫婦で記念写真を撮りました。
ドラえもんの笑顔が素敵です。
先日、義父の一周忌で、お寺さんにお参りに行ってきました。
駅を出たところにある交差点にあった植え込みで、今年初めてのヒガンバナを見つけたので写真撮影をしました。
たった一輪(いちりん)だけが咲いているヒガンバナです。
ヒガンバナのまわりに植えてあったのは、オシロイバナです。夕方になると妖しげ(あやしげ)な雰囲気で咲く花です。
写真撮影を終えて、交差点の歩道で信号待ちをしていたら、自転車で通りかかった若い男の人が、自転車を止めて降りてきて、わたしと同じように同じヒガンバナの写真を撮り始めました。
自分と同じ行動をする人がいるのかと、びっくりしました。
ヒガンバナには、死者を弔う(とむらう)意味合いがあると自分は思っています。
お寺さんでまず若いお坊さんの法話を聴きました。アンパンマンのお話を例に出されて、この世には『バイキンマン』の要素(菌の存在)も必要だということを説かれていました。
参列していたのは年配の人たちばかりで、わたしたちのような夫婦やひとり者らしき方ばかりでした。見渡したところ三十人ぐらいのお参りの方がおられました。
仏さまに向かって左手にある隣接の幼稚園からは、女先生の声がマイクをとおして聞こえてきます。ちびっこたちがにぎやかに遊んでいるようすです。
反対の右側からは、お寺の儀式をしているのか、シンバルのような鐘をうつ音が聞こえてきて、数えたら7回鳴りました。
自分たちがいる広い本堂では、背中側にあたる南側から、心地よいさわやかな風が吹き込んでいました。気持ちが良かった。
法話のあと、複数のお坊さんたちが出てきてお経を読まれて、参列者たちは思い思いに前に出て焼香(しょうこう)をしました。
お年寄りばかりなので、一日一日、自分たちも極楽(ごくらく。天国)に近づいているのだという実感が湧きました。
帰路、お寺さんの隣にあるテレビ局の玄関前に、ドラえもんがいたので、夫婦で記念写真を撮りました。
ドラえもんの笑顔が素敵です。
2022年09月05日
おかえり
おかえり
夏の終わりが近づきました。
朝の散歩を始めたら、久しぶりに水辺の常連さんに出会いました。
涼しい北の国から帰ってこられたのでしょう。
左手上空から、新入りのお仲間も姿を見せてくれました。
青いからアオサギさんということにします。
シロサギさんのほうは、このあと竹の棒へと飛び移りました。
水面が鏡のようです。
向こう向きなのが残念。
素人がとる写真なので撮影はにがてです。
また春まで、お付き合いよろしく。
シロサギさんのおしりに、ごあいさつをしておきました。
(追記 数日後の朝)
こんどは、真横から撮影させてくれました。
えっへんと朝日に向かって、胸を張っておられます。
(追記 2022年10月6日木曜日朝の散歩道にて)
2羽というか、おふたりともお元気です。
(雨中のコサギ 2022年10月10日月曜日の朝)
お魚がいるところではないので、虫でも食べておられるのでしょう。
夏の終わりが近づきました。
朝の散歩を始めたら、久しぶりに水辺の常連さんに出会いました。
涼しい北の国から帰ってこられたのでしょう。
左手上空から、新入りのお仲間も姿を見せてくれました。
青いからアオサギさんということにします。
シロサギさんのほうは、このあと竹の棒へと飛び移りました。
水面が鏡のようです。
向こう向きなのが残念。
素人がとる写真なので撮影はにがてです。
また春まで、お付き合いよろしく。
シロサギさんのおしりに、ごあいさつをしておきました。
(追記 数日後の朝)
こんどは、真横から撮影させてくれました。
えっへんと朝日に向かって、胸を張っておられます。
(追記 2022年10月6日木曜日朝の散歩道にて)
2羽というか、おふたりともお元気です。
(雨中のコサギ 2022年10月10日月曜日の朝)
お魚がいるところではないので、虫でも食べておられるのでしょう。
2022年08月22日
水辺に咲くピンク色のお花
水辺に咲くピンク色のお花
写真で見ると紫色ですが、遠くからながめたときに、ピンク色のお花のカーテンみたいに見えました。
歳(とし)をとってきて、目がおかしくなってきているようです。それとも脳みそが劣化したのだろうか。(翌朝もう一度しっかり見たら紫色に見えました。ほっとしました)
朝の散歩道で、若い女性がこのお花の写真撮影をしていたので、自分も何枚か撮ってみました。
とてもきれいです。
水中から生えています。つまり、根っこは水中にあります。
雑草の野草でしょう。お花の名前は知りません。
知らなくてもいい。自分にとっては『ピンク色に見えてしまった紫色のお花』という名前でいい。(その後判明した植物名:エゾミソハギ)
水中にはごく小さな小魚(こざかな)がいっぱいいますが、近づくと、みんな奥の陰に隠れていなくなります。
ぴゅっと、いっせいに逃げちゃいます。
お花のそばを離れて歩きだします。
セミの声が少なくなってきました。
朝方の気温も下がってきて、少しずつ秋が近づいていることを体感する散歩です。
写真で見ると紫色ですが、遠くからながめたときに、ピンク色のお花のカーテンみたいに見えました。
歳(とし)をとってきて、目がおかしくなってきているようです。それとも脳みそが劣化したのだろうか。(翌朝もう一度しっかり見たら紫色に見えました。ほっとしました)
朝の散歩道で、若い女性がこのお花の写真撮影をしていたので、自分も何枚か撮ってみました。
とてもきれいです。
水中から生えています。つまり、根っこは水中にあります。
雑草の野草でしょう。お花の名前は知りません。
知らなくてもいい。自分にとっては『ピンク色に見えてしまった紫色のお花』という名前でいい。(その後判明した植物名:エゾミソハギ)
水中にはごく小さな小魚(こざかな)がいっぱいいますが、近づくと、みんな奥の陰に隠れていなくなります。
ぴゅっと、いっせいに逃げちゃいます。
お花のそばを離れて歩きだします。
セミの声が少なくなってきました。
朝方の気温も下がってきて、少しずつ秋が近づいていることを体感する散歩です。
2022年08月13日
とんぼとねこ
とんぼとねこ
朝の散歩道です。
きれいなとんぼを発見しました。(シオカラトンボです)
息子がまだ小学生だったころ、父子のふたりで、栃木県の山奥へ二泊三日の旅に出ました。
標高600mぐらいの位置にある古い駅舎を出ると、小型のとんぼが空中いっぱいに飛んでいました。
歳をとってきて、未来のことを夢見るよりも、過去のことをなつかしく思い出すことが多くなりました。
さらに歩みを進めると、いつもの場所にいつものねこがいます。
『うー 暑くて眠れなかった。熱帯夜はこたえるわい』
『なんだ熊太郎じいさんか。人畜無害な男だな、おまえは』
『ああ、またねむりに落ちそうだ』
『おやすみ…… エブリバディ(みなさん)』
(翌朝のこと)
また同じかっこうで寝ていました。
今度は向こう側から撮ってみました。
安心しきっています。
平和です。
よく見ると、右耳のみみたぶあたりに赤い傷があります。(上の写真ではわかりませんが、もう1枚上の写真で、右耳のさきっぽがV字にカットされています)
このとき通りがかった人の話では、去勢されているしるしだそうです。(きょせい:こどもができないように体に処置がされている)
飼い猫が捨てられたのか、自分から家を出てきたのか……
(あとで調べたら、野良猫に去勢処置をすることもあるようです)
人間が生きていくのはたいへんですが、猫も生きていくのはたいへんです。
まあゆっくり寝てちょうだい。
(数日後)
この日の朝はかなりリラックスしたようすで、写真ではお伝えできませんが、このかっこうで、しっぽを上へ下へとふりふりしていました。
このねこにとっては、いまが一番しあわせな時期なのかもしれません。
『自由』があります。
(その後 半月がたった8月下旬のこと)
この日の朝は、かなりリラックスしていました。
ねこは、きっと夢をみているのだと思います。
夢は人間だけではなく、ねこだって、眠っているときに夢をみているのに違いありません。
そんな顔をしているように見えるのです。
なんの夢をみているのだろう。
空でも飛んでいるよな夢でしょう。
(2023年7月なかごろのこと)
あれから一年ぐらいがたちました。
ネコは、一年前のときと同じようなポーズで眠っています。
平和です。
一年たって、ネコは歳をとったような雰囲気があります。
ネコの一年は、人間の4年ぐらいの感覚があるような気がします。
ネコの平均寿命は15年ぐらいだそうです。
わたしはあと15年生きていられるだろうか……
自分の人生のさいごのほうはきっと『生きているというよりも、死んでいないだけだ』という状態になりそうです。
朝の散歩道です。
きれいなとんぼを発見しました。(シオカラトンボです)
息子がまだ小学生だったころ、父子のふたりで、栃木県の山奥へ二泊三日の旅に出ました。
標高600mぐらいの位置にある古い駅舎を出ると、小型のとんぼが空中いっぱいに飛んでいました。
歳をとってきて、未来のことを夢見るよりも、過去のことをなつかしく思い出すことが多くなりました。
さらに歩みを進めると、いつもの場所にいつものねこがいます。
『うー 暑くて眠れなかった。熱帯夜はこたえるわい』
『なんだ熊太郎じいさんか。人畜無害な男だな、おまえは』
『ああ、またねむりに落ちそうだ』
『おやすみ…… エブリバディ(みなさん)』
(翌朝のこと)
また同じかっこうで寝ていました。
今度は向こう側から撮ってみました。
安心しきっています。
平和です。
よく見ると、右耳のみみたぶあたりに赤い傷があります。(上の写真ではわかりませんが、もう1枚上の写真で、右耳のさきっぽがV字にカットされています)
このとき通りがかった人の話では、去勢されているしるしだそうです。(きょせい:こどもができないように体に処置がされている)
飼い猫が捨てられたのか、自分から家を出てきたのか……
(あとで調べたら、野良猫に去勢処置をすることもあるようです)
人間が生きていくのはたいへんですが、猫も生きていくのはたいへんです。
まあゆっくり寝てちょうだい。
(数日後)
この日の朝はかなりリラックスしたようすで、写真ではお伝えできませんが、このかっこうで、しっぽを上へ下へとふりふりしていました。
このねこにとっては、いまが一番しあわせな時期なのかもしれません。
『自由』があります。
(その後 半月がたった8月下旬のこと)
この日の朝は、かなりリラックスしていました。
ねこは、きっと夢をみているのだと思います。
夢は人間だけではなく、ねこだって、眠っているときに夢をみているのに違いありません。
そんな顔をしているように見えるのです。
なんの夢をみているのだろう。
空でも飛んでいるよな夢でしょう。
(2023年7月なかごろのこと)
あれから一年ぐらいがたちました。
ネコは、一年前のときと同じようなポーズで眠っています。
平和です。
一年たって、ネコは歳をとったような雰囲気があります。
ネコの一年は、人間の4年ぐらいの感覚があるような気がします。
ネコの平均寿命は15年ぐらいだそうです。
わたしはあと15年生きていられるだろうか……
自分の人生のさいごのほうはきっと『生きているというよりも、死んでいないだけだ』という状態になりそうです。