2012年11月15日

諸葛孔明 陳舜臣

諸葛孔明 陳舜臣(ちんしゅんしん) 上・下巻 中公文庫

 諸葛孔明という人は何をした人だろう。三国志で登場する優秀な戦略の策士という印象があります。西暦100年ぐらいの出来事です。中国本は、戦記が多いと感じます。中国の国土では常に戦闘が繰り返されていたということが、本のうえでの理解です。
 諸葛孔明氏は、大英雄の補佐役になることを目指して、その役割を果たすことに徹していきます。人の話をよく聞く。本を読む。そして、自分の目で現場を見て考える。賢い人です。
 中国の戦(いくさ)の定義が興味深い。戦は怨み(うらみ)をはらすためにするのです。いっぽう諸葛孔明は住民の平穏な生活を得るために戦います。
 命について考えました。もう2000年も前に生きていた人たちの物語ですが、そのなかでもひとりひとりの寿命に長い短いがあります。歴史においては、人の寿命は瞬間でしかない。
 諸葛孔明にも19歳の頃があった。いままでわたしは彼について、老人のイメージしかありませんでした。
三顧の礼(さんこ)では、皇帝劉備元徳が20歳の諸葛孔明を3回訪ねてお願いごとをするのですが、わたしは3回会ったのだと思っていました。1回目は留守、2回目は病気で会えなかったとは知りませんでした。
 わたしは2回断られて、3回目に承諾を得られたと勘違いしていました。軍事力+知力、国を治めていくために必要なものです。知力を得るためには、大権力者の年配の人でも年齢の若い者に頭を下げる姿が新鮮でした。

 下巻を読み終えましたので感想を続けてみます。
 曹操という人はどの物語でも悪役、敵役(かたきやく)のようなポジション(位置)で不思議です。劉備元徳や諸葛孔明が正義の味方とも思えず、両者ともに同類の似た者同士だと思うのです。
 相手を陥れるためには事実でもないことを捏造(ねつぞう)して、相手の落ち度として言いがかりをつけていく。戦いとは醜いものです。そして勝った者が正義なのです。
 どんな英雄でも最後には死にます。死はだれにでもいつか必ず訪れます。三国志とはいうけれど、同じ民族なのですから、国がみっつというよりも地域がみっつという感じがしました。中国史ですが、中国に行ったことがある人、住んでいたことがある人でないと、なかなか文章の内容を把握することができません。日本人には、なじめない部分があります。
 174ページに記述がある言葉はGoodです。人が治めるのではなく、法が治める。法治国家です。諸葛孔明が目指したことです。372ページにある「いい仕事をするためには休養が必要」という趣旨も好きな内容です。
 諸葛孔明が目指したのは、戦争がない、平和な国づくりです。民衆が穏やかに生活できる国づくりです。2000年経ってもその願いはかなっていません。人間が地球上に存在する限りかなわない理想のような気がします。
 下巻391ページになってようやく、魏志倭人伝の卑弥呼が登場してきます。邪馬台国は奈良にあったのか、九州だったのか、興味が湧きました。
 読み終えて見て、制動(ブレーキ)をかけることができる人が偉人だと感じました。悪い方向へ動き出した巨大な力をもつ集団を止めることができる人が本物のリーダーです。


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