2012年11月14日

機関車先生 伊集院静 

機関車先生 伊集院静 集英社文庫

 山口県の1枚地図を広げてみました。この小説では、大分県国東半島が見えると紹介されています。今夏、九州までドライブしたときのパーキングエリアで、同半島が見えますと石碑があったことを思い出しました。そこは、「富海PA(とのみパーキングエリア)」でした。小説の舞台である「葉名島(はなじま)」を探してみます。瀬戸内海国立公園のはじっこにある「野島(のしま)」でした。夏前に読んだ「オン・ザ・ライン」がらみの広島県江田島の文字も見つけました。漢字にはふりがながふってあり、その点で、この作品はこどもさん向けに書かれたものであることがわかります。
 機関車先生というタイトルの由来は、機関車のような先生という意味は二次的なもので、最初は「口をきかない先生」、「口をきけない先生」、つまり口をきかん、機関車先生というところからきています。先生は病気をした結果、声を出すことができなくなった障害者なのです。されど、そんなハンディをものともせず、先生は手話や筆談で生徒たちに勉強を教えます。大きな体で腕っぷしも強い。ことに剣道が強い。島のこどもたちはそんな機関車先生に惹かれてゆきます。
 もう25年ぐらい前、いやそれよりももっと前、島を舞台にした小説を書いてみたいと思ったことがあります。書けるはずもなく、今、この小説を読んでみると、自分が考えた設定の小説は他のアイデアも含めて、すでにこの世に登場している、かつ、完成度も高いというあきらめと安堵(あんど、安心)に至りました。自分は読み手でいい。小説にしても歌にしても、先人たちの創作能力は高度でその後の若い世代は抜けませんし勝てません。作品のなかでも語られますが、戦争体験が表現能力を豊かにしています。また、庶民の歴史上の共通体験が作品を分厚く支える根底となっています。昭和30年代の風景です。学力があっても進学を断念する。そういう人たちが社会を支える柱となってきました。
 対立を和解にもっていく手法です。世の中は、右があれば左がある。前があれば後ろがあるというように相対するものが微妙なバランス(平衡感覚)を保って適度な世界が成立しています。どちらか一方の権力のみが支配するという相関図は戦後日本では珍しい。
 印象に残った部分を記して終わります。
 54ページ、生徒たちの初めてのやりとりは、二十四の瞳、大石久子先生を思い出しました。
 83ページ、佐古周一郎校長先生による吉岡誠吾機関車先生の両親についての昔話。
 130ページ、借金が元で島を去ることになった生徒とその両親。
 196ページ、戦争末期に死んだヤコブというドイツ系日本人の死。
 210ページ、仕返しの繰り返しが戦争に発展してゆく。
 274ページ、山口線、蒸気機関車、別れ。
 284ページ、あとがきのような「葉名島」にて、作者のふるさと地域であることの紹介


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