2012年02月19日

くちびるに歌を 中田永一

くちびるに歌を 中田永一 小学館

 この作家さんの持ち味は後半100ページにあるのでしょう。最初から数十ページは迷います。中学生向けかと思いきや67ページから突如として大人の文章へと変化します。とても中学3年生男子夏休み前の頭脳ではありません。
 素材はテレビ局の全国学校音楽合唱コンクールです。小説中に出てくる内容の本として「拝啓15歳の君へ」を読んだことがあります。CDも聞きましたしDVDも見ました。15歳の中学生が15年後の自分へ手紙を出すのです。15年後のわたしは3歳の娘を腕にかかえて保育園の送迎と仕事に追われていました。
 舞台は長崎県五島列島です。佐世保市や諫早市(いさはやし)も登場します。
 中学校の全校生徒数は150人となっています。一学年50人ぐらいです。コーラス部ですから登場人物はたくさんです。小説はひとりひとりの語りとなっています。だれがしゃべっているのか人数の多さもあってわかりにくい。担当の先生は松山ハル子先生ですが出産のため産休に入っています。臨時講師が柏木先生ですが、松山先生と彼女の夫を争った三角関係のひとりになっています。柏木先生は美人の音楽教師という設定ですが、一部男のセリフで話をしています。文章の見直し不足があります。
 章の区切り目がはっきりしないことがわかりにくさのひとつになっています。最初は教職にある人が書いた文章かと思いました。次に、長崎は江戸時代隠れキリシタンがいた地域であることから、キリスト教カトリック教会関係者が書いた文章かと思いました。記述中には宗教項目が出てきます。これは昨年夏に読んだ「聖夜」佐藤多佳子著と共通します。
 主人公は桑原サトルです。彼に限らずすべての登場人物の名前部分がカタカナ表記となっています。違和感があります。カタカナにすると人間が人形に変化します。実話が基礎にあって匿名性を確保する目的があるのかもしれません。サトルの兄は自閉症です。自分の世界に閉じこもっているので周囲との調和がありません。サトルの仕事は兄の面倒を見ることです。サトルの男友だちが向井ケイスケと三田村リク(柔道部にも在籍)です。サトルは存在感が薄い小柄な生徒です。
 コーラス部の部長は辻エリです。仲村ナズナの母親はナズナが小学生のときに病死しています。父親は嘘つきのろくでなしで、ナズナを祖父母に預けて家を出ていったきりです。
 学校にいるとき、生徒は平等です。同じ制服を着て同じ教科書を使用して同じ給食を食べることができます。学校の外へ出たひとりひとりの生徒は、それぞれが悩みをかかえています。家庭環境が普通の家のほうが珍しい。自立できる年齢でもなく、思い通りにならない葛藤がだれしもあります。
 いくつかの要素が織り込まれている小説です。人は集団の中でけん制しあいながら育つ。性への興味。宗教。大人への成長過程。日本列島の僻地(へきち)に生まれた者の苦労。さびれていくふるさと。障害者をもった家族の苦悩。いろいろな要素をかかえて中学生たちは合唱コンクールへ精神を集中させていきます。後半は泣けます。九州弁の多用は効果的ではない。標準語でよかったと読み進めてきましたが、241ページで「緊張を集中力に替えるとぞ!」、「悔いなく出し切るばい!」で効果ありと認めました。
 仲村ナズナさんの亡母親に対する思いは深い。ナズナさん、立派なおかあさんになってください。
 印象に残った表現です。125ページ、桑原サトルの語り。僕は抜群に存在感がなかった。136ページ、仲村ナズナの語り。父は法律に違反しない程度に善意の心につけこんで好き放題する。247ページ、金賞をとるのではなく、ミスをする恐怖もなく、ただ歌を(ある人へ)届けたかった。249ページ、桑原サトルの語り、(両親は)自分たちが死んだあと(障害のある)兄を世話してくれる弟か妹がほしかった。(自分は兄の面倒をみるための弟として生まれた。)256ページ、ナズナさんの言葉。(亡くなった)母がそばにいるような気がする。


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