2016年10月31日

(再読)苦役列車 西村賢太

(再読)苦役列車 西村賢太 新潮文庫

 不潔な内容の小説だったという覚えしか残っていません。また、読むとは思いもよりませんでした。必要があって再読しました。

 漢字が独特でむずかしい。文体は魅力的です。文脈は読みやすい。ただ、造語とも思えるような漢字が多くて読みにくい。「出だしにある嚢時:のうじ。昔という意味なので、この部分は主人公の苗字ではなく、昔、北町貫多は…(と読むのでしょう)貫多19歳、身長177cm、私小説なので作者自身でしょう。ただし、文体は一人称ではありません」、「鱈腹:たらふく。飲食でいっぱい」、「業腹:ごうはら。非常に腹が立つこと」、「インチメート:親密な」、「豊海の現場:とよみちょう。東京月島」、「購め:あがめ、買うこと」、「虚室:人の住んでいない部屋」、「悷じ込み:ねじこみ。教え込む」、「打擲:ちょうちゃく。殴ること」、「番度:ばんたび。毎度、毎回」、「十全:十分に整っている」、「狷介:けんかい。頑固で、自分の信じるところを固く守る。人の言うことはきかない」、「諦観:ていかん。あきらめるとか、物事の本質を見極める」、「拍がつく:はくがつく。値打ちが高くなる」、「慊い:あきたりない。十分満足できない」、「眼目:がんもく。物事の最も重要な点」、「因み:ちなみ。由来、関係があること」、「困憊:こんぱい。困って疲れ果てること。疲労困憊」、「経堂:きょうどう。世田谷区内」、「尤も:もっとも。なるほど」、「奇貨:珍しい品物、機会」、「黽勉:びんべん。勉め励むこと。努力」、「煽り:あおり。誹謗、中傷、挑発」、「鼻白む:はなじろむ。興ざめがする。気分を害する」、「莞爾:かんじ。にっこりと笑うさま」、「深更:しんこう。夜ふけ」、「プリミティブ:原始的、幼稚な、素朴な」、「嵩む:かさむ。増える」、「プラッター:フォークリフト」、「向後:こうご。これからのち」、「僻む:ひがむ。自分が不利なようにゆがんでとらえる」、「低能:侮蔑用語。知能の発達が遅れている」、「俄に:にわかに。突然」、「呪詛:じゅそ。相手に不幸が来るようにとのろうこと」、「独りごちた:ひとりごとを言った」、「ロハ:無料」、「贔屓:ひいき。(例として、好きなプロ野球チームのファン」、「悽愴な幽霊みたい:悲しみ悼むこと。ものさびしい」、「無聊:ぶりょう。退屈なこと。気が晴れないこと」、「ニューアカ:ニュー・アカデミズム80年代の流行・潮流」、「狡獪:こうかい。悪賢い」、「モラトリアム:青年が社会人になるまでの猶予期間」、「茫漠:ぼうばく。ひろびろとしてはっきりしない」、「宥める:なだめる。怒りや不安をやわらげる」、「痛罵:痛烈に非難する」、「叱呵:びんいん(中国語)大声で𠮟りつける」、「不如意:経済的に苦しいこと」、「毫も持ち合わせぬ:きわめてわずかな量」、「立前:たちまえ。日当」、「編輯者:へんしゅうしゃ」、「生っ囓り:なまかじり。表面的なことしか知らないのに全部を知っているような言動」

 内容は面白い。読者に新しい体験世界を提供してくれます。
 以前読んで、その後、東京方面へ行くことが多くなったので、小説に登場する地名がわかり、それもまた読書の楽しみです。

 最底辺で暮らす男の物語です。過去の振り返りですから、小説の今は、主人公が40歳ぐらいでしょう。20年ぐらい前のお話です。
 
 「必要悪」、性的なことが次々と出てくるのですが、それらを「必要悪」と決めつけるところで、安定が保たれます。

 貫多と日下部(くさかべ)のやりとりを読みながら、人間は、見栄があるから、本当のことはなかなか言えないという感想をもち、自分自身の遠い思い出がよみがえりました。

 鵜沢美奈子という女性にはモデルがいるのでしょう。


(前回読んだ時の感想文です。いつ書いたのか、記録が残っていません。おそらく、芥川賞を受賞した2010年頃と思います)苦役列車 西村賢太 新潮社

 「苦役列車」の意味は最後までわからずじまいでした。列車イコール主人公の人生なのだろうか。
 のう時北町(のうはとてもむずかしい字です)というのは苗字(みようじ)なのだろうかと首をかしげながらの読み始めでした。以降は貫太という名前でひとり語りが続きます。父親が性犯罪者らしく、いじめに遭う孤独な少年時代を送っています。それゆえなのか、高校へは進学せず、中学卒業後は、港湾労働者として1日5500円の日銭を稼ぐ労働者となっています。身長177cm19歳となっていますが、読み続けていると27歳ぐらいに思えます。母親や3歳年上の姉とは離れ離れになり、貫太は家賃滞納に追い出しを繰り返しながらその日ぐらしです。狭い部屋で寝て、起きて、早朝日雇い人夫が乗るバスで東京湾の港に着いて働いて、ときには買春をして、食物よりも毒となるたばこやアルコールの摂取を優先する。彼にからむというよりもからまれるのが、九州出身の専門学校生日下部正二(くさかべ)と彼の彼女です。昭和61年頃の時代設定です。
 親が犯罪者だとこういう人生になると読むのか。同情すればいいのか、自堕落な生活を批判すればいいのか迷います。自分を客観的に第三者の立場で見る記述です。特徴的なことは、ユーモラスであることです。暗い内容なのに明るいのです。書き方に独特なものがあります。多用される慣用句は「結句」です。結局の意味です。わたしは始めてその単語を見ました。
 貫太は、他人に迷惑をかけても気にしない人間です。ことにお金の支払いや貸し借りには怠惰です。借りたお金を返済する意識はないし、貸してくれた人に対する感謝の気持もありません。とんでもない奴です。社会人として失格です。
 中卒という学歴について強いひがみがあります。彼は自分がこういう生活を送らねばならなくなったことを「理不尽」と他者の責任にしますが、はたからみていると彼が何を叫ぼうと彼は「みじめ」でしかありません。
 さて、この小説がなにゆえ話題になるのか。出版不況をかかえる業界において、まずは本を売らなければなりません。読みやすい小説です。されど、べたべたとした不潔感があります。作者の声が聞こえてくるのです。「ぼくでいいんですか」
 作者は、創作を心の支えとしながらこれからも書き続けていくのでしょう。その点は強く伝わってきました。


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