2016年02月07日
死んでいない者 滝口悠生
死んでいない者 滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう) 文藝春秋
芥川賞受賞作品です。60ページまで読んだところです。
集会所でのお通夜ですが、葬祭風景は今のところ希薄です。親族が多くてややこしい。一族のなかに、中学から登校拒否、亡くなったおじいさんと高校卒業後暮らして、現在も祖父宅敷地内プレハブ小屋にこもるらしき人物27才美之(よしゆき、よっちゃん)が、どうも作者自身(モデルとして)というふうに受け取れます。
整理します。
亡くなった老人は「服部」さん。86才ぐらい。奥さんは、10年少し前に死没
ご夫婦のこどもたちは5人
長男:春寿(はるひさ・元教員、60才)、妻が美津子さん。息子が寛36才(5年間行方不明)、2男崇志32才、3男正仁30才ぐらい(鹿児島在住)、長男寛はいちおう行方不明だが、居場所はわかっているもよう。彼の元妻理恵子とは8年前に離婚後みんな会っていない。そのふたりのこどもが、長男浩輝、中1、13才、2男涼太、小6、12才、父母離婚後、父に引き取られたが、父は5年前に失踪。板橋のアパートで、8才と7才で暮らしているところを保護され、春寿と美津子祖父母が育てている。
長女:吉美(よしみ)、夫は勝行56才、保険会社営業マン、ふたりの長女が紗重(さえ)で28才、紗重の夫がダニエル32才、ふたりの長男が秀斗(しゅうと)3才、ダニエルの3才年上の姉はアメリカに住んでいる。
2女:多恵、夫が憲司、吉美と多恵の両夫婦は両方とも夫が同い年56才で、結婚30年、夫同士が兄弟に見える。多恵夫婦の娘が知花で、高校2年生17才、その兄がさきほど書いた美之27才
2男:保雄、彼の息子が、英太、高校2年生(知花と同じ17才、サッカー部)、その妹が、陽子中学3年生15才
3男:一日出(かずひで)。妻が奈々恵(ななえ)36才、子どもが、森夜(しんや)14才と海朝(みあ)13才
親戚じゃないけれど、亡くなった服部じいさんのおさななじみが、「はっちゃん」というおじいさん
もしかしたら、多少の間違いがあるのかもしれないけれど、作中でも、親族歴史に誤りがあるかもという高校2年生知花さんの言葉どおり、気にすることはないのかもしれない。
なんか、人間の営みにおいて、さびしさとか、はかなさとか、そんなこんなを書いてあるような作品という予想をたてました。
(続く)
昭和時代の大家族の思い出でした。しみじみします。「縁」とか、「義理」でつながる親族関係があります。まともでない者とまともな者との比較もあります。平成の世になって30年近くが経過して、濃厚な親戚づきあいとは遠ざかるようになりました。郷愁がありますが、わずらわしさもあります。日本独特の文化だったのでしょう。西欧では聞きません。
よくまとまった作品でした。視点は亡くなった86才ぐらいのおじいさんでしょう。だから「死んでいない者」なのでしょう。それとも、生き残りを「死んでいない者」と指しているのだろうか。わたしには、前者に思えます。
季節は10月、場所は埼玉県西部地域、鎌倉から車でかけつけるのは孫の紗重さんとダニエル夫婦です。
お坊さんが登場しての通夜式とか、本番の告別式の風景はなく、親族一同で、通夜の一夜を明かす前にスーパー銭湯へ行ったり、こどもたちは、いとこ同士で、ひきこもり青年のプレハブ小屋で酒盛りをしたり、亡くなったおじいちゃんの幼馴染は、ふたりで知人の婚礼のために福井県敦賀へ行ったときのことを思い出したりします。家庭が円満なところもあるし、破たんしているところもある。されど、起源は、亡くなったおじいちゃんという一点にある。
ほかに出てくる地名は、横浜、西永福というのはどこなのかわからないが、戸塚区は聞いたことがあります。三鷹、調布、杉並、浜田山、ちょっとわからない。
不登校の兄と中高一貫女子高の妹との合い通じる心がある。それはエロではなく、血族としての契り。アルコール依存のろくでなし分類の人間たちと、まじめ人間たちとの区別は、どこでどうしてそうなったのかがあるのだが、どちらがどちらに属してもおかしくなかった事情もある。有能な者もいれば、そうなれなかった者もいる。同じ一族でもこの世では幸・不幸が混在している。
未成年者たちの飲酒シーンには、身に覚えがあり、じんとくるものがありました
芥川賞受賞作品です。60ページまで読んだところです。
集会所でのお通夜ですが、葬祭風景は今のところ希薄です。親族が多くてややこしい。一族のなかに、中学から登校拒否、亡くなったおじいさんと高校卒業後暮らして、現在も祖父宅敷地内プレハブ小屋にこもるらしき人物27才美之(よしゆき、よっちゃん)が、どうも作者自身(モデルとして)というふうに受け取れます。
整理します。
亡くなった老人は「服部」さん。86才ぐらい。奥さんは、10年少し前に死没
ご夫婦のこどもたちは5人
長男:春寿(はるひさ・元教員、60才)、妻が美津子さん。息子が寛36才(5年間行方不明)、2男崇志32才、3男正仁30才ぐらい(鹿児島在住)、長男寛はいちおう行方不明だが、居場所はわかっているもよう。彼の元妻理恵子とは8年前に離婚後みんな会っていない。そのふたりのこどもが、長男浩輝、中1、13才、2男涼太、小6、12才、父母離婚後、父に引き取られたが、父は5年前に失踪。板橋のアパートで、8才と7才で暮らしているところを保護され、春寿と美津子祖父母が育てている。
長女:吉美(よしみ)、夫は勝行56才、保険会社営業マン、ふたりの長女が紗重(さえ)で28才、紗重の夫がダニエル32才、ふたりの長男が秀斗(しゅうと)3才、ダニエルの3才年上の姉はアメリカに住んでいる。
2女:多恵、夫が憲司、吉美と多恵の両夫婦は両方とも夫が同い年56才で、結婚30年、夫同士が兄弟に見える。多恵夫婦の娘が知花で、高校2年生17才、その兄がさきほど書いた美之27才
2男:保雄、彼の息子が、英太、高校2年生(知花と同じ17才、サッカー部)、その妹が、陽子中学3年生15才
3男:一日出(かずひで)。妻が奈々恵(ななえ)36才、子どもが、森夜(しんや)14才と海朝(みあ)13才
親戚じゃないけれど、亡くなった服部じいさんのおさななじみが、「はっちゃん」というおじいさん
もしかしたら、多少の間違いがあるのかもしれないけれど、作中でも、親族歴史に誤りがあるかもという高校2年生知花さんの言葉どおり、気にすることはないのかもしれない。
なんか、人間の営みにおいて、さびしさとか、はかなさとか、そんなこんなを書いてあるような作品という予想をたてました。
(続く)
昭和時代の大家族の思い出でした。しみじみします。「縁」とか、「義理」でつながる親族関係があります。まともでない者とまともな者との比較もあります。平成の世になって30年近くが経過して、濃厚な親戚づきあいとは遠ざかるようになりました。郷愁がありますが、わずらわしさもあります。日本独特の文化だったのでしょう。西欧では聞きません。
よくまとまった作品でした。視点は亡くなった86才ぐらいのおじいさんでしょう。だから「死んでいない者」なのでしょう。それとも、生き残りを「死んでいない者」と指しているのだろうか。わたしには、前者に思えます。
季節は10月、場所は埼玉県西部地域、鎌倉から車でかけつけるのは孫の紗重さんとダニエル夫婦です。
お坊さんが登場しての通夜式とか、本番の告別式の風景はなく、親族一同で、通夜の一夜を明かす前にスーパー銭湯へ行ったり、こどもたちは、いとこ同士で、ひきこもり青年のプレハブ小屋で酒盛りをしたり、亡くなったおじいちゃんの幼馴染は、ふたりで知人の婚礼のために福井県敦賀へ行ったときのことを思い出したりします。家庭が円満なところもあるし、破たんしているところもある。されど、起源は、亡くなったおじいちゃんという一点にある。
ほかに出てくる地名は、横浜、西永福というのはどこなのかわからないが、戸塚区は聞いたことがあります。三鷹、調布、杉並、浜田山、ちょっとわからない。
不登校の兄と中高一貫女子高の妹との合い通じる心がある。それはエロではなく、血族としての契り。アルコール依存のろくでなし分類の人間たちと、まじめ人間たちとの区別は、どこでどうしてそうなったのかがあるのだが、どちらがどちらに属してもおかしくなかった事情もある。有能な者もいれば、そうなれなかった者もいる。同じ一族でもこの世では幸・不幸が混在している。
未成年者たちの飲酒シーンには、身に覚えがあり、じんとくるものがありました
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