2025年02月08日
株主優待券で購入した乗車券の乗り越し精算
株主優待券で購入した乗車券の乗り越し精算
昨年秋のことでした。
JR東海の株主である親戚が、自分は使わないからと、株主優待券を譲ってくれました。
みどりの窓口へ行って、名古屋駅から東京駅までの新幹線乗車券と指定席特急券を割引で購入しました。
ふつうは、乗車券の行き先が、『東京都区内』という表示で、山手線のどこの駅でも下車できるタイプの乗車券ですが、株主優待券を使用した場合は、東京駅までですという説明を受けました。
東京駅で、在来線に乗り換えます。山手線の駅で下車するつもりです。
じっさいに行ってきましたが、そのとき、ちょっとやり方がわかりませんでした。
東京駅までの乗車券を、東京駅内の在来線に乗り継ぐ場所にあった自動改札機に入れて、交通系IC乗車券をタッチしました。変な反応がありましたが、通過はできました。
(ここで、わたしは、勘違いをしていました。別のシーンで、たとえば、千葉県内から在来線に乗って、品川駅で下車して、新幹線に乗り継ぐときは、新幹線乗り場の自動改札機で、まず、乗車券と指定席特急券を2枚同時に入れてから、品川駅まで来たときに使用した交通系IC乗車券をタッチします。だから、今回は、乗車券を入れて、交通系IC乗車券を入れれば、山手線の駅で下車するときは、交通系IC乗車券で自動改札機から出ることができると勘違いしました。そうやって、東京駅から山手線の駅までの運賃を、交通系IC乗車券で乗り越し精算ができると思いこんでいました)
勘違いの結果、山手線の駅で、改札口からすんなり出ることができませんでした。
まあ、そのあと、すったもんだして、窓口付近にあったモニターのボタンを押して、リモートで駅職員と話をして、ようやく、自分の考えが誤っていることに気づきました。
単純な話なのです。東京駅の乗り換え口で自動改札機に入れた東京駅までの乗車券を、下車する山手線の駅にある精算機で乗り越し清算すればいいだけなのです。ややこしく考えすぎてしまいました。精算券で、駅の外に出ることができました。
そのあと、JRから乗りかえる地下鉄駅入口の場所がわからなくて、道路をあちこち動きまわり、かなり迷いました。20分ぐらいムダにしてしまいました。とても疲れました。とほほ……
昨年秋のことでした。
JR東海の株主である親戚が、自分は使わないからと、株主優待券を譲ってくれました。
みどりの窓口へ行って、名古屋駅から東京駅までの新幹線乗車券と指定席特急券を割引で購入しました。
ふつうは、乗車券の行き先が、『東京都区内』という表示で、山手線のどこの駅でも下車できるタイプの乗車券ですが、株主優待券を使用した場合は、東京駅までですという説明を受けました。
東京駅で、在来線に乗り換えます。山手線の駅で下車するつもりです。
じっさいに行ってきましたが、そのとき、ちょっとやり方がわかりませんでした。
東京駅までの乗車券を、東京駅内の在来線に乗り継ぐ場所にあった自動改札機に入れて、交通系IC乗車券をタッチしました。変な反応がありましたが、通過はできました。
(ここで、わたしは、勘違いをしていました。別のシーンで、たとえば、千葉県内から在来線に乗って、品川駅で下車して、新幹線に乗り継ぐときは、新幹線乗り場の自動改札機で、まず、乗車券と指定席特急券を2枚同時に入れてから、品川駅まで来たときに使用した交通系IC乗車券をタッチします。だから、今回は、乗車券を入れて、交通系IC乗車券を入れれば、山手線の駅で下車するときは、交通系IC乗車券で自動改札機から出ることができると勘違いしました。そうやって、東京駅から山手線の駅までの運賃を、交通系IC乗車券で乗り越し精算ができると思いこんでいました)
勘違いの結果、山手線の駅で、改札口からすんなり出ることができませんでした。
まあ、そのあと、すったもんだして、窓口付近にあったモニターのボタンを押して、リモートで駅職員と話をして、ようやく、自分の考えが誤っていることに気づきました。
単純な話なのです。東京駅の乗り換え口で自動改札機に入れた東京駅までの乗車券を、下車する山手線の駅にある精算機で乗り越し清算すればいいだけなのです。ややこしく考えすぎてしまいました。精算券で、駅の外に出ることができました。
そのあと、JRから乗りかえる地下鉄駅入口の場所がわからなくて、道路をあちこち動きまわり、かなり迷いました。20分ぐらいムダにしてしまいました。とても疲れました。とほほ……
2025年02月07日
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 福島信夫山から仙台城跡
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 福島信夫山(しのぶさん)から宮城仙台城跡 動画配信サービス
行くぞ!紅葉街道125キロ!福島“信夫山(しのぶさん)”から“仙台城跡”へ!チョイと秋保温泉(あきうおんせん)でもイイ気分!ですが初登場の関水渚が頑張りまくりで哲朗も感激!ヤバイよヤバイよSP
(前半の放送)
前半のゲストは、関水渚(せきみず・なぎさ)さんという方でした。わたしは今回初めて関水さんを見たと思いましたが、以前ドラマで見たことがあったことに気づきました。
関水渚さんは、女優さんで、NHK大河ドラマ、『どうする家康』に出演されたそうです。調べたら思い出しました。
徳川家康の正室(せいしつ。本妻)瀬名(せな。有村架純さん)の幼なじみ田鶴(たず)役でした。なんか、結果的にチョンボを招いてしまう立場の役でした。
じっさいの関水渚さんは、本人曰く(いわく)、関水渚さんのファンになろうかと思う男性が、がっかりする素顔だそうです。以前、関水渚さんのファンになりそうだった男性から、『ざんねん』と言われたことがあるそうです。
本人の言動を見ていると、女性的ではありません。さばさばとしていて、あっさりした人です。自分を意図的に飾りません。本音のままです。
人柄はいい人です。
今回は雨の中、強い雨粒にうたれながらも、電動バイクで、長い距離を進んでいかれました。たいした忍耐力と度胸です。
目に入るいちょうの景色が黄色い葉っぱに変わっていますから、去年の紅葉時期のロケです。この日は、一日中雨でした。翌日のゲスト品川佑(しながわ・ひろし)さんのときは快晴の映像でしたから、関水さんは、お天気運がありませんでした。でも、よくがんばられました。
出だしは、福島県にある信夫山(しのぶさん)という山の展望台ですが、雨天で、周囲は霧で真っ白です。ふだんなら広々とした展望があるのですが、なにせ真っ白で何も見えない。
わたしの体験で以前、栃木県日光いろは坂の途中にある明智平(あけちだいら)というところにあったロープウェイに乗ろうとしたら、『(天候が悪いので、霧が広がって)なにも見えませんよ』と声をかけられましたが、『なかなか来ることができないところなので、どんなところか行くだけ行ってみたい。もしかしたら、もう一生来ることはないかもしれないから』と、おみやげ屋の方に返答をしてロープウェイに乗りました。展望スペースに到着したら、自分の体のまわりからして真っ白でびっくりしました。天候が良ければ、中禅寺湖・男体山(なんたいさん)・華厳の滝(けごんのたき)の絶景を見渡すことができたのに残念でした。それ以来、明智平へは行ったことがありません。わたしにとっては、遠くて、なかなか行けない場所です。
テレビ映像を見ていて、そんなことがあったのを思い出しました。
充電バイクを運転していて、たまたま道ばたにあったおうちのりんごの木に実っていたりんごを食べてみたいとゲストの関水渚さんが言います。
しばらくして、充電バイクを道のわきに止めて休憩していたら、さきほどのりんごの木のお宅の奥さんが、木に実っていた(みのっていた)りんごをたくさん持って来てくださいました。
銘柄は、『王林(おうりん)』で、この地は、王林発祥の地だそうです。たまたまの出来事ですが、良かった。王林は青森県が発祥だと思っていました。福島県だそうです。でかいりんごです。関水渚さんが、豪快に王林をかじって食レポをされました。
小学校の体育館でバスケットボールの試合を小学2年生、3年生のチームとやりました。なかなかいい雰囲気でした。にぎやかです。体はちっちゃくても、バスケはじょうずなちびっこたちです。よかったね。いい思い出になりますね。大会に向けて練習をがんばっているそうです。ぜったい勝つぞーー おーッ!! です。言いたいことをはっきり言えるいいこどもたちでした。
充電バイクで道路を走っているときに、そばを流れている川が、『阿武隈川(あぶくまがわ)』だと紹介がありました。たしか、自分が小学生か中学生のときに習いました。わたしは、社会とか地理の教科書が好きでした。
今回のルートは、車があまり走っていません。雨降りのせいもあって、観光をしているような人は見かけませんでした。
お昼は、おそば屋さんで昼ごはんです。山形そばだそうです。男性年配のお客さんが食べていた、『セット』というものが、大きくて、おいしそうでした。
雨降りもあって、寒いから、食べると体が温まります。(あたたまります)。おいしそうです。ほっとできます。
関水渚さんのコメントが良かった。高嶺の花の女優さんとは思えません。たかねのはな:遠くからながめるだけの人
『おとといの夜は、ピザを食べた。お昼は、二日続けて、おにぎり屋さんのカウンターで、おにぎりを食べた』。おにぎりばっかり食べている食生活だそうです。外食ばかりで、自分では料理はつくらないそうです。とても正直で好感をもちました。
その後の、道の駅でのやりとりもなかなか良かった。
なにせ、雨降りでたいへんです。
今度は夕食場所が見つかりません。いなかゆえに、外食の需要が少ないのでしょう。お店があっても、夕方だと閉じています。
(後半の放送)
ゲストの関水渚さんは熱演でした。夕方の食事中に時間切れとなり、あわただしく、新幹線で東京へ向かわれましたが、なかなか健闘されました。たいへんなロケで、過酷でした。おつかれさまでした。ざっくばらんで、女優らしくない女優さんでした。好感をもちました。ご活躍を期待します。
後半のゲスト、品川祐(しながわ・ひろし)さんは、立ち寄った食事場所でお客さんから、『ミキティーの人ですか?』とたずねられたシーンがおもしろかった。(ミキティーは、お笑いコンビ品川庄司の庄司智春さんのほうです)。品川さんの返答が、『その人の知り合いです』でした。
翌日は、いいお天気です。自然の景色がきれいです。
充電先のお宅がいいご家族で良かった。なごみました。(ほのぼのする。なごやかになる)
ご主人が東北新幹線の運転士をされているそうで、新幹線の運転士をしている人というのは初めて見ました。めったに会えません。
温泉入浴はあわただしい。移動中であり、ゆっくりできないのでたいへんです。
牛タンです。(わたしも、仙台駅近くのお店で食べたことがあります)。分厚くておいしいお肉です。食べごたえがありました。(食事の充実感があった)
たまたまですが、出川哲朗さんたちが訪れたお店のご主人は、出川さんを迎えるのは二度目だそうです。前回は、宮城県松島にある系列店でヘルプの勤務で働いていた時に出川さんの対応をされたそうです。
縁がある人というのは、偶然が重なって何度でも出会います。不思議ですなあ。
行くぞ!紅葉街道125キロ!福島“信夫山(しのぶさん)”から“仙台城跡”へ!チョイと秋保温泉(あきうおんせん)でもイイ気分!ですが初登場の関水渚が頑張りまくりで哲朗も感激!ヤバイよヤバイよSP
(前半の放送)
前半のゲストは、関水渚(せきみず・なぎさ)さんという方でした。わたしは今回初めて関水さんを見たと思いましたが、以前ドラマで見たことがあったことに気づきました。
関水渚さんは、女優さんで、NHK大河ドラマ、『どうする家康』に出演されたそうです。調べたら思い出しました。
徳川家康の正室(せいしつ。本妻)瀬名(せな。有村架純さん)の幼なじみ田鶴(たず)役でした。なんか、結果的にチョンボを招いてしまう立場の役でした。
じっさいの関水渚さんは、本人曰く(いわく)、関水渚さんのファンになろうかと思う男性が、がっかりする素顔だそうです。以前、関水渚さんのファンになりそうだった男性から、『ざんねん』と言われたことがあるそうです。
本人の言動を見ていると、女性的ではありません。さばさばとしていて、あっさりした人です。自分を意図的に飾りません。本音のままです。
人柄はいい人です。
今回は雨の中、強い雨粒にうたれながらも、電動バイクで、長い距離を進んでいかれました。たいした忍耐力と度胸です。
目に入るいちょうの景色が黄色い葉っぱに変わっていますから、去年の紅葉時期のロケです。この日は、一日中雨でした。翌日のゲスト品川佑(しながわ・ひろし)さんのときは快晴の映像でしたから、関水さんは、お天気運がありませんでした。でも、よくがんばられました。
出だしは、福島県にある信夫山(しのぶさん)という山の展望台ですが、雨天で、周囲は霧で真っ白です。ふだんなら広々とした展望があるのですが、なにせ真っ白で何も見えない。
わたしの体験で以前、栃木県日光いろは坂の途中にある明智平(あけちだいら)というところにあったロープウェイに乗ろうとしたら、『(天候が悪いので、霧が広がって)なにも見えませんよ』と声をかけられましたが、『なかなか来ることができないところなので、どんなところか行くだけ行ってみたい。もしかしたら、もう一生来ることはないかもしれないから』と、おみやげ屋の方に返答をしてロープウェイに乗りました。展望スペースに到着したら、自分の体のまわりからして真っ白でびっくりしました。天候が良ければ、中禅寺湖・男体山(なんたいさん)・華厳の滝(けごんのたき)の絶景を見渡すことができたのに残念でした。それ以来、明智平へは行ったことがありません。わたしにとっては、遠くて、なかなか行けない場所です。
テレビ映像を見ていて、そんなことがあったのを思い出しました。
充電バイクを運転していて、たまたま道ばたにあったおうちのりんごの木に実っていたりんごを食べてみたいとゲストの関水渚さんが言います。
しばらくして、充電バイクを道のわきに止めて休憩していたら、さきほどのりんごの木のお宅の奥さんが、木に実っていた(みのっていた)りんごをたくさん持って来てくださいました。
銘柄は、『王林(おうりん)』で、この地は、王林発祥の地だそうです。たまたまの出来事ですが、良かった。王林は青森県が発祥だと思っていました。福島県だそうです。でかいりんごです。関水渚さんが、豪快に王林をかじって食レポをされました。
小学校の体育館でバスケットボールの試合を小学2年生、3年生のチームとやりました。なかなかいい雰囲気でした。にぎやかです。体はちっちゃくても、バスケはじょうずなちびっこたちです。よかったね。いい思い出になりますね。大会に向けて練習をがんばっているそうです。ぜったい勝つぞーー おーッ!! です。言いたいことをはっきり言えるいいこどもたちでした。
充電バイクで道路を走っているときに、そばを流れている川が、『阿武隈川(あぶくまがわ)』だと紹介がありました。たしか、自分が小学生か中学生のときに習いました。わたしは、社会とか地理の教科書が好きでした。
今回のルートは、車があまり走っていません。雨降りのせいもあって、観光をしているような人は見かけませんでした。
お昼は、おそば屋さんで昼ごはんです。山形そばだそうです。男性年配のお客さんが食べていた、『セット』というものが、大きくて、おいしそうでした。
雨降りもあって、寒いから、食べると体が温まります。(あたたまります)。おいしそうです。ほっとできます。
関水渚さんのコメントが良かった。高嶺の花の女優さんとは思えません。たかねのはな:遠くからながめるだけの人
『おとといの夜は、ピザを食べた。お昼は、二日続けて、おにぎり屋さんのカウンターで、おにぎりを食べた』。おにぎりばっかり食べている食生活だそうです。外食ばかりで、自分では料理はつくらないそうです。とても正直で好感をもちました。
その後の、道の駅でのやりとりもなかなか良かった。
なにせ、雨降りでたいへんです。
今度は夕食場所が見つかりません。いなかゆえに、外食の需要が少ないのでしょう。お店があっても、夕方だと閉じています。
(後半の放送)
ゲストの関水渚さんは熱演でした。夕方の食事中に時間切れとなり、あわただしく、新幹線で東京へ向かわれましたが、なかなか健闘されました。たいへんなロケで、過酷でした。おつかれさまでした。ざっくばらんで、女優らしくない女優さんでした。好感をもちました。ご活躍を期待します。
後半のゲスト、品川祐(しながわ・ひろし)さんは、立ち寄った食事場所でお客さんから、『ミキティーの人ですか?』とたずねられたシーンがおもしろかった。(ミキティーは、お笑いコンビ品川庄司の庄司智春さんのほうです)。品川さんの返答が、『その人の知り合いです』でした。
翌日は、いいお天気です。自然の景色がきれいです。
充電先のお宅がいいご家族で良かった。なごみました。(ほのぼのする。なごやかになる)
ご主人が東北新幹線の運転士をされているそうで、新幹線の運転士をしている人というのは初めて見ました。めったに会えません。
温泉入浴はあわただしい。移動中であり、ゆっくりできないのでたいへんです。
牛タンです。(わたしも、仙台駅近くのお店で食べたことがあります)。分厚くておいしいお肉です。食べごたえがありました。(食事の充実感があった)
たまたまですが、出川哲朗さんたちが訪れたお店のご主人は、出川さんを迎えるのは二度目だそうです。前回は、宮城県松島にある系列店でヘルプの勤務で働いていた時に出川さんの対応をされたそうです。
縁がある人というのは、偶然が重なって何度でも出会います。不思議ですなあ。
2025年02月06日
マラソンマン 洋画 1977年
マラソンマン 洋画 1977年(昭和52年)日本公開 動画配信サービス
監督:ジョン・シュレシンジャー
俳優:ダスティン・ホフマン、ローレンス・オリビエ
古い映画ですが、観たのは初めてです。
洋画、『マイウェイ』のような人生の困難を克服する映画かと思っていたら違いました。スリラー(恐怖)、サスペンス(ヒヤヒヤする)、ホラー(恐怖。気持ちが悪くなるシーンもある)、そんなたぐいの映画でした。まあ、奇怪な映画です。きっかい:不思議で怪しい(あやしい)。
わたしは、映画監督とか映画製作者の立場に立って映画を観る人なので、シーンをどんなふうに撮影して、セリフや動作のしかたをどのように段取りして映像をつくっているのかを考えながら観ています。一般的な視点とは異なる観方(みかた)です。
だから、気持ち悪いシーンやコワイシーンもがまんできます。
表向きは、政治的な対立にしてあります。(第二次世界大戦の戦争犯罪者であるナチスドイツの人間を責める)。ユダヤ人差別の話が出ます。
本音(ほんね)は、単なるゼニに対する欲望です。高価なダイヤモンドの粒(大量にあります)がほしいのです。
古いニューヨークの街並みです。車の型も古い。四角張ってでっかいアメリカの車が、ケンカするようにしてぶつかって、最後は爆発して、運転していたふたりのじいさんが事故死するところから始まります。
アナログな映像が続きます。現代の映画と違って、手づくり感が満載です。テレビ受信機も電話機も古い型です。
タバコも出てきます。喫煙どこでもOKの時代です。
全体をとおしてですが、役者を輝かせる映画でした。舞台劇のようでもありました。
主役のダスティン・ホフマンのかっこいい魅力が発揮されています。
殺し屋みたいな人間ばかりです。
アクション、スリラー、サスペンスの連続です。
罠(わな)なのです。
トーマス・B・ビリー(ダスティン・ホフマン)は、自分の身のまわりにいるだれも信じることができません。仕掛けにはまってしまったのです。
スリルあるなあ。殺されてはいけない。
『真っ暗』です。映像のつくりがいがあるシーンです。
どうするんだろう? どうなるんだろう? と思いながら真っ暗な映像を見つめます。
(ダスティン・ホフマンは、殺されちゃうぜ)
加害者が何度も繰り返して問うてくる言葉が、『安全か?』(わたしには、その問いの意味をとる(理解する)ことができませんでした。
暴力映画です。
『白い天使と呼ばれた男(白髪の男。大金持ちの戦犯(せんぱん。戦争犯罪者))』
味方だと思っていた人間が敵だった。
罠(わな)だった。
マラソンのように走る(加害者から逃げる)。ダスティン・ホフマンとオリンピックマラソンランナーのアベベ選手の映像がでます。
アベベ・ビキラ:1973年(昭和48年)41歳没。自動車事故ののち、脳溢血(のういっけつ)で死去した。ローマオリンピック、東京オリンピックマラソンの金メダリストです。
なんだかわからないけれど、にげろ、にげろ、にげろーーーー
HELP!(ヘルプ。助けて――)、彼女に。(こうなるわなあという展開です)
『信頼関係』を築くのはたいへんです。
すべてが、仕組まれた罠(わな)、狙いは(ねらいは)、高額のダイヤモンドです。
なんだか、闇バイトみたいな組織があります。
古風な雰囲気が心地いい。
自分が高校生のころに観ていた感じの映画です。
最後は、どんな仕掛けがあるのだろう。
銀行の貸金庫が出てきます。
邦画、阿部サダヲさん主役だった、『シャイロックの子供たち』を思い出します。
最近ニュースになったメガバンクでの貸金庫がらみの不祥事を思い出します。
高学歴・有名大学卒・責任者の立場の人でも、会社や人のお金を自分のポケットに入れる人がいます。気をつけなければなりません。仕事を慣れ合いでするとだまされます。人は見ためや職業、ポスト(役職)では、性質や性癖まで判断できません。きちんとした仕事は、仲良しごっこの関係では、なかなか成立しません。
クレイジーです。俳優さんを輝かせる映画です。鑑賞後の後味は良くありません。むしろ、悪い。
人間がもつ異常な、『金銭欲』を表現してある映画です。
映像で、加害者が、転落して死ぬことは予想できます。
やっぱり、ドボン。
じょうずにつくってあります。
これで終わりか。
おもしろかった。
人間にとってだいじなものは、『物』じゃない。そう心に刻み込みました。(きざみこみました)
監督:ジョン・シュレシンジャー
俳優:ダスティン・ホフマン、ローレンス・オリビエ
古い映画ですが、観たのは初めてです。
洋画、『マイウェイ』のような人生の困難を克服する映画かと思っていたら違いました。スリラー(恐怖)、サスペンス(ヒヤヒヤする)、ホラー(恐怖。気持ちが悪くなるシーンもある)、そんなたぐいの映画でした。まあ、奇怪な映画です。きっかい:不思議で怪しい(あやしい)。
わたしは、映画監督とか映画製作者の立場に立って映画を観る人なので、シーンをどんなふうに撮影して、セリフや動作のしかたをどのように段取りして映像をつくっているのかを考えながら観ています。一般的な視点とは異なる観方(みかた)です。
だから、気持ち悪いシーンやコワイシーンもがまんできます。
表向きは、政治的な対立にしてあります。(第二次世界大戦の戦争犯罪者であるナチスドイツの人間を責める)。ユダヤ人差別の話が出ます。
本音(ほんね)は、単なるゼニに対する欲望です。高価なダイヤモンドの粒(大量にあります)がほしいのです。
古いニューヨークの街並みです。車の型も古い。四角張ってでっかいアメリカの車が、ケンカするようにしてぶつかって、最後は爆発して、運転していたふたりのじいさんが事故死するところから始まります。
アナログな映像が続きます。現代の映画と違って、手づくり感が満載です。テレビ受信機も電話機も古い型です。
タバコも出てきます。喫煙どこでもOKの時代です。
全体をとおしてですが、役者を輝かせる映画でした。舞台劇のようでもありました。
主役のダスティン・ホフマンのかっこいい魅力が発揮されています。
殺し屋みたいな人間ばかりです。
アクション、スリラー、サスペンスの連続です。
罠(わな)なのです。
トーマス・B・ビリー(ダスティン・ホフマン)は、自分の身のまわりにいるだれも信じることができません。仕掛けにはまってしまったのです。
スリルあるなあ。殺されてはいけない。
『真っ暗』です。映像のつくりがいがあるシーンです。
どうするんだろう? どうなるんだろう? と思いながら真っ暗な映像を見つめます。
(ダスティン・ホフマンは、殺されちゃうぜ)
加害者が何度も繰り返して問うてくる言葉が、『安全か?』(わたしには、その問いの意味をとる(理解する)ことができませんでした。
暴力映画です。
『白い天使と呼ばれた男(白髪の男。大金持ちの戦犯(せんぱん。戦争犯罪者))』
味方だと思っていた人間が敵だった。
罠(わな)だった。
マラソンのように走る(加害者から逃げる)。ダスティン・ホフマンとオリンピックマラソンランナーのアベベ選手の映像がでます。
アベベ・ビキラ:1973年(昭和48年)41歳没。自動車事故ののち、脳溢血(のういっけつ)で死去した。ローマオリンピック、東京オリンピックマラソンの金メダリストです。
なんだかわからないけれど、にげろ、にげろ、にげろーーーー
HELP!(ヘルプ。助けて――)、彼女に。(こうなるわなあという展開です)
『信頼関係』を築くのはたいへんです。
すべてが、仕組まれた罠(わな)、狙いは(ねらいは)、高額のダイヤモンドです。
なんだか、闇バイトみたいな組織があります。
古風な雰囲気が心地いい。
自分が高校生のころに観ていた感じの映画です。
最後は、どんな仕掛けがあるのだろう。
銀行の貸金庫が出てきます。
邦画、阿部サダヲさん主役だった、『シャイロックの子供たち』を思い出します。
最近ニュースになったメガバンクでの貸金庫がらみの不祥事を思い出します。
高学歴・有名大学卒・責任者の立場の人でも、会社や人のお金を自分のポケットに入れる人がいます。気をつけなければなりません。仕事を慣れ合いでするとだまされます。人は見ためや職業、ポスト(役職)では、性質や性癖まで判断できません。きちんとした仕事は、仲良しごっこの関係では、なかなか成立しません。
クレイジーです。俳優さんを輝かせる映画です。鑑賞後の後味は良くありません。むしろ、悪い。
人間がもつ異常な、『金銭欲』を表現してある映画です。
映像で、加害者が、転落して死ぬことは予想できます。
やっぱり、ドボン。
じょうずにつくってあります。
これで終わりか。
おもしろかった。
人間にとってだいじなものは、『物』じゃない。そう心に刻み込みました。(きざみこみました)
2025年02月05日
ぐうたら旅日記 恐山・知床をゆく 北大路公子
ぐうたら旅日記 恐山・知床をゆく 北大路公子(きたおおじ・きみこ) PHP文芸文庫
『わたしの、本のある日々 小林聡美(こばやし・さとみ) 毎日文庫』で、こちらの作家さんが紹介されていたので取り寄せてみました。
その本を読んだ時には、『いやよいやよも旅のうち 北大路公子 集英社文庫』という本のことが書いてあったのですが、関連で、青森県恐山のことが書いてあるこの本も読みたくなりました。
2年ぐらい前でしたか、NHKのテレビ番組、『72時間』で、恐山(おそれざん)を訪れる人たちのことが放送されていたのを見て、ちょうど、高齢だった妻の両親(義父母)が相次いで亡くなって間もなくの時期であったので、一度恐山にお参りに行きたいねと夫婦で話しました。
番組企画は、歴代のベスト10を決めるような内容だったと思います。『ドキュメント72時間 恐山 死者たちの場所 2014年6月6日放送(平成26年)』
されど、放送された当時はコロナ禍であり、その後、クマが出たり、地震の心配もあったりして、恐山への旅はまだ実現していません。
とりあえず、この本を読んで、行った気分になってみたい。
本に書いてある旅の内容は、恐山と知床が、2011年(平成23年)、積丹半島(しゃこたんはんとう)が、2006年~2008年(平成18年~平成20年)ですから、ちと古い。
(1回目の本読み)
わたしは、実用書の類(たぐい)は、まず、ひととおりゆっくりページを最後までめくりながら、どんなことが書いてあるのかを把握してから、最初のページに戻ってゆっくり読み始めます。
後ろ向きな言葉、後ろ向きな態度から文章が始まりました。旅はめんどくさいから嫌いだそうです。めんどくさがりいのおばちゃんですな。
70ページ、『ヒグマはあなたのすぐ横に』という記事があります。知床ですな。
もうずいぶん昔のことになりますが、自分たち家族が子ども連れで北海道へ行ったときに訪れた場所が、本に、次々と出てきます。レンタカーを運転して北海道を回りました。まだ、こどもたちも小さかった。
摩周湖、硫黄山、川湯温泉(横綱大鵬(たいほう)の故郷)、阿寒湖、屈斜路湖、網走、帯広、本の記事では、場所は、青森県に移って、三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき。確か、縄文時代の遺跡が展示してありました)、それらは、わたしも訪れたことがある観光地です。
後半は、旅とは関連のないエッセイも含まれているようです。
(2回目の本読み)
『春の恐山四人旅』
2011年5月の旅です。
20ページあたりまで読んで、うーむ。これは失敗したかもしれない。作品として成立するのだろうか。旅の雑記です。
旅した時期もかなり古い。2011年5月ですから、東日本大震災が3月11日にあったあとです。どうしてもそのことが頭の中にありながらの旅行記読書になってしまいます。
中年男女の春の恐山紀行です。40代女子が3人、男子がひとりというメンバーです。
男子は、『コパパーゲさん、編集者』、女子は、『シマさん、自営業、女子』、『みわっち、編集者』、そして、著者です。
女衒(ぜげん):女を遊女屋に売る仲介人
著者は、北海道から青森にフェリーで渡るのですが、フェリーの朝風呂で、おっぱいの大きな女の人を見ます。(フェリーに、ふろがあるのか。驚きました)
苫小牧からの出発ですが、到着地がどこかは書いてありません。調べたら、青森県八戸市でした。7時間半から8時間30分かかります。なんだか、旅の参考にはならない本のようです。
青森駅近くで、他のメンバーと合流し、『尻屋崎(しりやざき)恐山のずいぶん東の岬の突端』へと車を運転しながら移動します。変わったルートです。
なんか、40代男女のとっぴょうしもない旅が予想されます。結婚されているような雰囲気がありません。
ああ、先に恐山に寄ってから、尻屋崎に向かうのか。それなら納得です。
わたしが行って見たいなあと思っている、『恐山』の記述があるのですが、読んでもそれほど参考にはなりません。このあと間をおいて、再び、『恐山』を訪れた記事が出てくるはずです。
あまり得るものがないような旅行記です。雑記にすぎない。
なんというか、全体的に雑記、日記のたぐいの文章です。読む価値があるのだろうか?と思いつつも、まだ読み始めたばかりだからという気持ちで文章を目で追いかけています。
わたしは、ふだん、『学び』があるブログを作成しようと心がけています。わたしの文章を読んだ方に、『発見』がある。なにかひとつ知識が増えて、得をしたという気分になる。そういう文書を書こうという気持ちが、書き手である自分のスタンス(立ち位置)だと思っています。
ゆえに、わたしは逆に、『学び』があるブログをフォローしています。自分が見て、読んで、ほうそうなのかと気づきを与えてくれるブログをけっこうたくさんフォローしていて、なるべく毎日見たり読んだりするようにしています。自分が体験していなくても、読むだけで、体験した気持ちになれます。
そんなこんなを考えていると、この本は、読んで、『学び』があるのだろうかと疑問を持ちながら読んでいるのです。
お酒のみの人たちのようです。
いらぬ話ですが、ときおり、ネットやテレビ報道で、『貧困』の話が出るのですが、貧困に至る原因を観察してみると、たいていは、アルコール、ニコチン、ギャンブルでお金を使い果たしての貧困なのです。なかなか同情する気持ちにはなれないのです。
移動がひんぱんな旅です。旅の目的はなんだろう。
奇怪な(きっかいな)岸壁の仏ヶ浦(ほとけがうら)、(マグロ漁で有名な)大間(おおま)、大間-函館のフェリー、前の車の中で、カップルがキスをした、函館五稜郭(ごりょうかく)、文章にはリズムがあります。啄木小公園(石川啄木(いしかわたくぼく)の公園)、なんだか忙しい。車であちゃこちゃ回ります。札幌市内の渋滞では、車がほとんど動かない。
『夏の知床ミステリーツアー』
2011年8月の旅です。(平成23年)。メンバーは、3人。著者と30代女性と40代編集者男性です。
なんか、地理を知らない著者です。頭の中にある北海道内の地図が、正常ではありません。まあ、地理を知らない人はたくさんいるのでしょう。世の中は誤解と錯覚で成り立っているのです。
先日テレビで、野球のルールを知らない人が、球団のオーナーになっていたということを放送していたのを聞いて、なんだかなあと思いました。権力とお金をもっている人間はなんでもやれちゃいます。
斜里町、『津軽藩士殉難慰霊の碑(つがるはんしじゅんなんいれいのひ)』
1807年、江戸時代、ロシア方向からの侵略を防ぐ。100名中、寒さで、72名が死去。28名が生存。(そんなことがあったのか)
まあ、日記みたいです。
『(刑事)コロンボ』(なつかしい。中学生ぐらいの頃好きでいっしょうけんめい見ていました。NHKで流れていた刑事ドラマです。成人して見て、キライになりました。コロンボは、わざと容疑者をだますようにして逮捕に結びつけるのです。姑息な手段だと思いました。こそく:卑怯者(ひきょうもの)
摩周湖:自分も行ったことがあります。本の中では霧の中で湖面も見えなかったとありますが、わたしが行ったときは全体がはっきりと見えました。カラスが多かった。7月という夏だったのに、とても寒かった。
ときおり著者は、気に入らない人たちに、心の中で呪いを(のろいを)かけます。
著者は子供がキライみたいです。子供がさきざき、ぐれて家族に迷惑をかけるといいなというような呪いの言葉が多い。
わたしはたまに考えることがあります。結婚していない、配偶者がいない、こどもがいない、当然孫もいない、そういう人って、年齢を重ねて、どんな感じなのかなあと。
以前、そういう人たちにそのような質問をしたことがあります。答えは、『わからない』という返事でした。体験したことがないから、配偶者やこども、孫がいるという環境とか感覚がわからないそうです。
わたしが思うに、単身の人の頭の中は、18歳ぐらいの意識のままで、歳(とし)をとって、加齢で肉体が衰えていく状態なのだろうということです。永遠の少年・少女なのです。だから、家族持ちと単身者は、お互いにわかりあえないということはあろうかと思います。
わたしも訪れたところが次々と出てきます。屈斜路湖(くっしゃろこ)、阿寒湖(あかんこ)、ただ、読んでいて、その場所の描写が薄いような……
『恐山再びの旅』
2011年10月の旅です。
旅のメンバーは、著者と高校の同級生女子ふたり、40代編集者男性です。なんだかへんな組み合わせです。男性は著者のなんなのか。互いに異性を感じない親友なのか。
どういうわけか、奈良公園の鹿の写真があります。それから、神戸の中華街の写真もあります。恐山の旅レポートではないのか。なんでもありです。まあ、いいけど。
アルコールばっかり飲んでいます。いとうあさこさんたちの旅番組みたいです。お酒のみですなあ、
イタコの口寄せについて体験記が書いてあります。
まあ、霊がおりてくるというのはうそですな。
それでも行列ができていて、4時間は待たねばならぬようです。
まあ、ほかにやることもないからですな。
マグロ漁の大間に行きます。(おおま)
浅虫温泉(あさむしおんせん)にも行きます。(わたしも宿泊したことがあります)
棟方志功さんの記念館のことが書いてあります。わたしは去年、棟方志功の本、『板上に咲く 原田マハ 幻冬舎』を読みました。棟方夫婦の心温まる(こころあたたまる)物語でした。
酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)と八甲田連峰(はっこうだれんぽう)は、わたしも訪れたことがあります。11月下旬にロープウェイで山頂へ上りました。一面の銀世界(雪が積もって)で、感動しました。無音の世界で、空気が澄んでいました。岩木山が近く見えました。
八甲田山雪中行軍記念館:わたしは、小説を読んで、映画も見ました。日露戦争のための訓練で、大勢の人たちが亡くなりました。
映画の感想メモが残っています。
『不朽の名作(ふきゅうの、後世まで残る秀作)です。明治35年(1902年)雪山での軍事訓練中に参加者が大量死した事件・事故です。
音楽・映像・脚本・原作、そして演技、いずれも魂がこもっています。史実と映画は異なることでしょうが、女性案内人に対する高倉健さんの心熱い感謝の姿勢が気持ちを揺り動かしました。映画は夢です。希望です。こうあったらいいなという人の気持ちに触れることができます。
この映画はいくつかの対比を含んだ作品です。北大路欣也さんと高倉健さん、それぞれの隊の雪中行軍の形態は正反対です。二次的なこととして自意識過剰・能力不足の上司をもった部下の不幸が描かれています。一次的なことは反戦です。雪中行軍で帰還した高倉健さんたちも、のちの日露戦争で戦いに勝利したものの本人たちは戦死しています。戦争で失うものは大きい。立派ないい人材が命を落としていきます。日本国の損失です。
『ぐうたら夜話』
なんというか、旅の行き先はあまり意味がないのかなあ。
みんなで、わいわいがやがややる雰囲気がまずはだいじなのです。
本のタイトルは、『ぐうたら旅日記』なのですが、どういうわけか、この部分は、旅とは無関係ない内容です。
短いお話が数本入っています。
まえがきを読み直してみると、インターネットの交流サイトに投稿したショート・ストーリーだそうです。
丸川ヤマオという人物が登場したりしなかったりします。『湯』、『完璧なゆで卵』、『そろばん師』、『アンケート』、『家族』。
丸川ヤマオ:地方公務員。お大師様の夢をみる。お大師様:弘法大師。空海。真言宗。和歌山県高野山。
まあ、なんというか、あまり中身のないお話でした。
『心のふるさと積丹(しゃこたん)をゆく』
ウニへの道とあります。みんなでウニを食べに行くようです。
2006年8月の旅です。(もうずいぶん昔のことです。平成18年です)
同行者は、30代女性、40代女性姉妹、さらに40代女性、30代女性、いつもの40代男性編集者、著者を入れて合計7人です。
おたる水族館、移動しながらのアルコールの話が多い。アワビの話。
なつかしい。『水戸黄門の歌』が出てきました。
ふと思い出したことがありました。わたしは中学生のころ、熊本県の天草(あまくさ)という島で一時期暮らしていたのですが、海が近くにあったので、中学校が終わると、級友と漁船が泊まる港の岩場へ行き、ウニやサザエを取ってきて、家へ持ち帰り、七輪(しちりん)の火で貝類を焼いてみんなで食べていました。なつかしい。
『新ウニへの道』
2007年(平成19年)8月の記録です。
著者を含んで16人大所帯での旅です。
車3台で出発です。
ルートは前回と同じ、のんだくれの大騒ぎが続きます。
カニの話やら、ジンギスカンやら。北海道はうまいものがたくさんあります。
『ウニツアーというよりウニ合宿』
2008年(平成20年)8月、合計12人です。
ケモノのようなおばちゃんたちです。
おばちゃんたちは強い。
『あとがき』
2012年11月の日付で書いてあります。
『私は読者の方から「本当にエッセイに書かれているようないい加減な暮らしをしているのか。いい年してそれはどうか』と説教されるそうです。(わたしも同感です)
(読み終えて)
なんだったのだろう。なにも得るものがなかった。
読書に要した時間を返してほしい……
これは、旅ではない。
おおいなる人生の時間つぶしだ。
されど、そこが人生のいいところなのだろう。
そう思うしかない。
『わたしの、本のある日々 小林聡美(こばやし・さとみ) 毎日文庫』で、こちらの作家さんが紹介されていたので取り寄せてみました。
その本を読んだ時には、『いやよいやよも旅のうち 北大路公子 集英社文庫』という本のことが書いてあったのですが、関連で、青森県恐山のことが書いてあるこの本も読みたくなりました。
2年ぐらい前でしたか、NHKのテレビ番組、『72時間』で、恐山(おそれざん)を訪れる人たちのことが放送されていたのを見て、ちょうど、高齢だった妻の両親(義父母)が相次いで亡くなって間もなくの時期であったので、一度恐山にお参りに行きたいねと夫婦で話しました。
番組企画は、歴代のベスト10を決めるような内容だったと思います。『ドキュメント72時間 恐山 死者たちの場所 2014年6月6日放送(平成26年)』
されど、放送された当時はコロナ禍であり、その後、クマが出たり、地震の心配もあったりして、恐山への旅はまだ実現していません。
とりあえず、この本を読んで、行った気分になってみたい。
本に書いてある旅の内容は、恐山と知床が、2011年(平成23年)、積丹半島(しゃこたんはんとう)が、2006年~2008年(平成18年~平成20年)ですから、ちと古い。
(1回目の本読み)
わたしは、実用書の類(たぐい)は、まず、ひととおりゆっくりページを最後までめくりながら、どんなことが書いてあるのかを把握してから、最初のページに戻ってゆっくり読み始めます。
後ろ向きな言葉、後ろ向きな態度から文章が始まりました。旅はめんどくさいから嫌いだそうです。めんどくさがりいのおばちゃんですな。
70ページ、『ヒグマはあなたのすぐ横に』という記事があります。知床ですな。
もうずいぶん昔のことになりますが、自分たち家族が子ども連れで北海道へ行ったときに訪れた場所が、本に、次々と出てきます。レンタカーを運転して北海道を回りました。まだ、こどもたちも小さかった。
摩周湖、硫黄山、川湯温泉(横綱大鵬(たいほう)の故郷)、阿寒湖、屈斜路湖、網走、帯広、本の記事では、場所は、青森県に移って、三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき。確か、縄文時代の遺跡が展示してありました)、それらは、わたしも訪れたことがある観光地です。
後半は、旅とは関連のないエッセイも含まれているようです。
(2回目の本読み)
『春の恐山四人旅』
2011年5月の旅です。
20ページあたりまで読んで、うーむ。これは失敗したかもしれない。作品として成立するのだろうか。旅の雑記です。
旅した時期もかなり古い。2011年5月ですから、東日本大震災が3月11日にあったあとです。どうしてもそのことが頭の中にありながらの旅行記読書になってしまいます。
中年男女の春の恐山紀行です。40代女子が3人、男子がひとりというメンバーです。
男子は、『コパパーゲさん、編集者』、女子は、『シマさん、自営業、女子』、『みわっち、編集者』、そして、著者です。
女衒(ぜげん):女を遊女屋に売る仲介人
著者は、北海道から青森にフェリーで渡るのですが、フェリーの朝風呂で、おっぱいの大きな女の人を見ます。(フェリーに、ふろがあるのか。驚きました)
苫小牧からの出発ですが、到着地がどこかは書いてありません。調べたら、青森県八戸市でした。7時間半から8時間30分かかります。なんだか、旅の参考にはならない本のようです。
青森駅近くで、他のメンバーと合流し、『尻屋崎(しりやざき)恐山のずいぶん東の岬の突端』へと車を運転しながら移動します。変わったルートです。
なんか、40代男女のとっぴょうしもない旅が予想されます。結婚されているような雰囲気がありません。
ああ、先に恐山に寄ってから、尻屋崎に向かうのか。それなら納得です。
わたしが行って見たいなあと思っている、『恐山』の記述があるのですが、読んでもそれほど参考にはなりません。このあと間をおいて、再び、『恐山』を訪れた記事が出てくるはずです。
あまり得るものがないような旅行記です。雑記にすぎない。
なんというか、全体的に雑記、日記のたぐいの文章です。読む価値があるのだろうか?と思いつつも、まだ読み始めたばかりだからという気持ちで文章を目で追いかけています。
わたしは、ふだん、『学び』があるブログを作成しようと心がけています。わたしの文章を読んだ方に、『発見』がある。なにかひとつ知識が増えて、得をしたという気分になる。そういう文書を書こうという気持ちが、書き手である自分のスタンス(立ち位置)だと思っています。
ゆえに、わたしは逆に、『学び』があるブログをフォローしています。自分が見て、読んで、ほうそうなのかと気づきを与えてくれるブログをけっこうたくさんフォローしていて、なるべく毎日見たり読んだりするようにしています。自分が体験していなくても、読むだけで、体験した気持ちになれます。
そんなこんなを考えていると、この本は、読んで、『学び』があるのだろうかと疑問を持ちながら読んでいるのです。
お酒のみの人たちのようです。
いらぬ話ですが、ときおり、ネットやテレビ報道で、『貧困』の話が出るのですが、貧困に至る原因を観察してみると、たいていは、アルコール、ニコチン、ギャンブルでお金を使い果たしての貧困なのです。なかなか同情する気持ちにはなれないのです。
移動がひんぱんな旅です。旅の目的はなんだろう。
奇怪な(きっかいな)岸壁の仏ヶ浦(ほとけがうら)、(マグロ漁で有名な)大間(おおま)、大間-函館のフェリー、前の車の中で、カップルがキスをした、函館五稜郭(ごりょうかく)、文章にはリズムがあります。啄木小公園(石川啄木(いしかわたくぼく)の公園)、なんだか忙しい。車であちゃこちゃ回ります。札幌市内の渋滞では、車がほとんど動かない。
『夏の知床ミステリーツアー』
2011年8月の旅です。(平成23年)。メンバーは、3人。著者と30代女性と40代編集者男性です。
なんか、地理を知らない著者です。頭の中にある北海道内の地図が、正常ではありません。まあ、地理を知らない人はたくさんいるのでしょう。世の中は誤解と錯覚で成り立っているのです。
先日テレビで、野球のルールを知らない人が、球団のオーナーになっていたということを放送していたのを聞いて、なんだかなあと思いました。権力とお金をもっている人間はなんでもやれちゃいます。
斜里町、『津軽藩士殉難慰霊の碑(つがるはんしじゅんなんいれいのひ)』
1807年、江戸時代、ロシア方向からの侵略を防ぐ。100名中、寒さで、72名が死去。28名が生存。(そんなことがあったのか)
まあ、日記みたいです。
『(刑事)コロンボ』(なつかしい。中学生ぐらいの頃好きでいっしょうけんめい見ていました。NHKで流れていた刑事ドラマです。成人して見て、キライになりました。コロンボは、わざと容疑者をだますようにして逮捕に結びつけるのです。姑息な手段だと思いました。こそく:卑怯者(ひきょうもの)
摩周湖:自分も行ったことがあります。本の中では霧の中で湖面も見えなかったとありますが、わたしが行ったときは全体がはっきりと見えました。カラスが多かった。7月という夏だったのに、とても寒かった。
ときおり著者は、気に入らない人たちに、心の中で呪いを(のろいを)かけます。
著者は子供がキライみたいです。子供がさきざき、ぐれて家族に迷惑をかけるといいなというような呪いの言葉が多い。
わたしはたまに考えることがあります。結婚していない、配偶者がいない、こどもがいない、当然孫もいない、そういう人って、年齢を重ねて、どんな感じなのかなあと。
以前、そういう人たちにそのような質問をしたことがあります。答えは、『わからない』という返事でした。体験したことがないから、配偶者やこども、孫がいるという環境とか感覚がわからないそうです。
わたしが思うに、単身の人の頭の中は、18歳ぐらいの意識のままで、歳(とし)をとって、加齢で肉体が衰えていく状態なのだろうということです。永遠の少年・少女なのです。だから、家族持ちと単身者は、お互いにわかりあえないということはあろうかと思います。
わたしも訪れたところが次々と出てきます。屈斜路湖(くっしゃろこ)、阿寒湖(あかんこ)、ただ、読んでいて、その場所の描写が薄いような……
『恐山再びの旅』
2011年10月の旅です。
旅のメンバーは、著者と高校の同級生女子ふたり、40代編集者男性です。なんだかへんな組み合わせです。男性は著者のなんなのか。互いに異性を感じない親友なのか。
どういうわけか、奈良公園の鹿の写真があります。それから、神戸の中華街の写真もあります。恐山の旅レポートではないのか。なんでもありです。まあ、いいけど。
アルコールばっかり飲んでいます。いとうあさこさんたちの旅番組みたいです。お酒のみですなあ、
イタコの口寄せについて体験記が書いてあります。
まあ、霊がおりてくるというのはうそですな。
それでも行列ができていて、4時間は待たねばならぬようです。
まあ、ほかにやることもないからですな。
マグロ漁の大間に行きます。(おおま)
浅虫温泉(あさむしおんせん)にも行きます。(わたしも宿泊したことがあります)
棟方志功さんの記念館のことが書いてあります。わたしは去年、棟方志功の本、『板上に咲く 原田マハ 幻冬舎』を読みました。棟方夫婦の心温まる(こころあたたまる)物語でした。
酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)と八甲田連峰(はっこうだれんぽう)は、わたしも訪れたことがあります。11月下旬にロープウェイで山頂へ上りました。一面の銀世界(雪が積もって)で、感動しました。無音の世界で、空気が澄んでいました。岩木山が近く見えました。
八甲田山雪中行軍記念館:わたしは、小説を読んで、映画も見ました。日露戦争のための訓練で、大勢の人たちが亡くなりました。
映画の感想メモが残っています。
『不朽の名作(ふきゅうの、後世まで残る秀作)です。明治35年(1902年)雪山での軍事訓練中に参加者が大量死した事件・事故です。
音楽・映像・脚本・原作、そして演技、いずれも魂がこもっています。史実と映画は異なることでしょうが、女性案内人に対する高倉健さんの心熱い感謝の姿勢が気持ちを揺り動かしました。映画は夢です。希望です。こうあったらいいなという人の気持ちに触れることができます。
この映画はいくつかの対比を含んだ作品です。北大路欣也さんと高倉健さん、それぞれの隊の雪中行軍の形態は正反対です。二次的なこととして自意識過剰・能力不足の上司をもった部下の不幸が描かれています。一次的なことは反戦です。雪中行軍で帰還した高倉健さんたちも、のちの日露戦争で戦いに勝利したものの本人たちは戦死しています。戦争で失うものは大きい。立派ないい人材が命を落としていきます。日本国の損失です。
『ぐうたら夜話』
なんというか、旅の行き先はあまり意味がないのかなあ。
みんなで、わいわいがやがややる雰囲気がまずはだいじなのです。
本のタイトルは、『ぐうたら旅日記』なのですが、どういうわけか、この部分は、旅とは無関係ない内容です。
短いお話が数本入っています。
まえがきを読み直してみると、インターネットの交流サイトに投稿したショート・ストーリーだそうです。
丸川ヤマオという人物が登場したりしなかったりします。『湯』、『完璧なゆで卵』、『そろばん師』、『アンケート』、『家族』。
丸川ヤマオ:地方公務員。お大師様の夢をみる。お大師様:弘法大師。空海。真言宗。和歌山県高野山。
まあ、なんというか、あまり中身のないお話でした。
『心のふるさと積丹(しゃこたん)をゆく』
ウニへの道とあります。みんなでウニを食べに行くようです。
2006年8月の旅です。(もうずいぶん昔のことです。平成18年です)
同行者は、30代女性、40代女性姉妹、さらに40代女性、30代女性、いつもの40代男性編集者、著者を入れて合計7人です。
おたる水族館、移動しながらのアルコールの話が多い。アワビの話。
なつかしい。『水戸黄門の歌』が出てきました。
ふと思い出したことがありました。わたしは中学生のころ、熊本県の天草(あまくさ)という島で一時期暮らしていたのですが、海が近くにあったので、中学校が終わると、級友と漁船が泊まる港の岩場へ行き、ウニやサザエを取ってきて、家へ持ち帰り、七輪(しちりん)の火で貝類を焼いてみんなで食べていました。なつかしい。
『新ウニへの道』
2007年(平成19年)8月の記録です。
著者を含んで16人大所帯での旅です。
車3台で出発です。
ルートは前回と同じ、のんだくれの大騒ぎが続きます。
カニの話やら、ジンギスカンやら。北海道はうまいものがたくさんあります。
『ウニツアーというよりウニ合宿』
2008年(平成20年)8月、合計12人です。
ケモノのようなおばちゃんたちです。
おばちゃんたちは強い。
『あとがき』
2012年11月の日付で書いてあります。
『私は読者の方から「本当にエッセイに書かれているようないい加減な暮らしをしているのか。いい年してそれはどうか』と説教されるそうです。(わたしも同感です)
(読み終えて)
なんだったのだろう。なにも得るものがなかった。
読書に要した時間を返してほしい……
これは、旅ではない。
おおいなる人生の時間つぶしだ。
されど、そこが人生のいいところなのだろう。
そう思うしかない。
2025年02月04日
RRR(アールアールアール) インド映画
RRR(アールアールアール) インド映画 2022年(令和4年) 2時間59分 動画配信サービス
ネットのどこかで、この映画がいいと書いてあった記憶が観たきっかけです。
インド映画だということは知りませんでした。
欧米のギャング映画だろうかという予想で観始めましたが違っていました。
観終えて、なかなか楽しかったです。
RRRは、蜂起と咆哮と反乱と(ほうきとほうこうとはんらんと)という意味だそうです。
マンガ的です。じっさいにはありえないような人間の体の動きです。
熊太郎じいさんには、主役の男性俳優ふたりが、ダンサー、振付師のパパイヤ鈴木さんに見えました。女優さんたちがきれいです。美しい。
表面上は、大英帝国に植民地として支配されていた当時の現地インド人の怒りがベース(下地したじ)になった映画です。奴隷解放のようなテーマです。1920年(日本だと大正9年。インドの独立が、1947年(昭和22年))
映画の中では、インド人がイギリス人に家畜のように扱われています。インド人の激しく厳しい怒り(いかり)があります。ただ、インド人のみなさんは、明るく元気です。歌と踊りで気持ちをひとつにして、イギリスの軍隊に向かっていきます。熱く激しく強いインド人魂(たましい)が表現されている作品です。
勢いよく始まりました。歌劇です。全体をとおして、3時間のミュージカルの舞台を観るようです。男性も女性も元気です。
すごい始まり方です。小さな少女がイギリス人に連れていかれて、母親は木の幹で殴られて殺されます。連れていかれた少女をイギリス軍のエリアから救出することが現地インド人の目標です。(昨年のNHK大河ドラマ、『光る君に』と似たようなシーンがありました。まだこどもだった紫式部の母親が、菅原道真(すがわらのみちざね)の兄にいきなり刺殺されたシーンがありました)
すさまじい暴力シーンです。拷問(ごうもん)があります。
群衆の撮影がダイナミックです。スーパーマンみたいな主役の男性ふたりです。格闘技は、ブルース・リーみたい、ボクシング、プロレス、いろんな技で敵を倒します。味方同士だと思っていたふたりの男子は、やがて、敵同士になり、最後は和解して、味方同士になり、イギリス軍をやっつけます。本来対立する立場にあったふたりのインド人男子が、親友になっていきます。
まあ、現実にはありえないような闘い方です。スーパーマンです。激しい戦闘シーンをじょうずに撮影してあります。マンガ的な動きです。
アクション映画です。原始的でもある。迫力があります。力が入ります。
インドの大自然の風景があります。
イギリス人がインド人を見下しています。
イギリス人はインド人を人間扱いしません。ひどいことです。
インド人は、家畜か虫けら扱いです。
BGM(バックグラウンドミュージック)とアクション映像が一体化していて元気がいい。
若い男女が、バイクに二人乗りして、なんか、洋画の『ローマの休日』みたい。
インド人の誇りが、音楽で表現されています。『ナートゥー』
ダンス、ダンス、ダンス、そして、ミュージック、ドラムの早打ちです。
過去あった戦争の中で表現された強いプライドを示す言葉を思い出します。
『ひざまずいて生きるよりも、立って死にたい』
映像では、そんなシーンが、インド人の立場として出てきます。捕まった(つかまった)インド人はかたくなに、イギリス人のトップに対して謝罪をしません。いくらムチで体を打たれても、ひざまずいて頭を下げません。長時間の力が入ったシーンでした。『(うそでもいいから)己の命を守れ(おのれのいのちをまもれ)』と親友が捕まった友にアドバイスをしましたが、親友の相手である男子は受け入れませんでした。ひざまずきません。
そこから歌曲になるのです。そういう発想は日本人にはないと一瞬思いましたが、イヤありました。ドラマ、『不適切にもほどがある』で、そのパターンが用いられていました。もしかしたら、脚本家の宮藤官九郎さんは、この映画をヒントにして、『不適切にもほどがある』のミュージカル演舞シーンをつくったのかもしれません。
毒蛇を使った反撃があります。
猛獣たちを使った攻撃もあります。
インド的です。
プロレス、ボクシングみたいな殴り合いのシーンは、まるで舞踏です。(ぶとう。踊り)
インド人を殺すときに、銃弾がもったいない。銃弾1発がいくらすると思うのだというイギリス軍上司の言葉があります。銃弾がもったいないから、そのへんにある大きな石や、棒でインド人を殴って殺すのです。すさまじい。
銃撃戦がリアルです。(ウクライナのことを思ってしまいます)
日本の時代劇の雰囲気もあります。
戦で(いくさで)、人を殺すときの心構えです。『迷い』をもってはいけないのです。冷酷(れいこく。感情を消す)になるのです。心身ともに、機械的なものになる。そうしなければ、自分が殺されてしまうのです。
だんだん、宗教みたいになってきました。アメリカ映画みたいでもある。
大群衆による暴動が起きます。
昔、まだ小さかったうちのこどもたちと映画館へ観に行ったアニメ映画、『バグズ・ライフ(虫の生活)』を思い出しました。少数派のバッタが、多数派のアリを支配しているのですが、最後は、少数派のバッタが多数派のアリに、数の力で負けてしまうのです。
大きな群れの力に、権力をもった少数派グループは勝てない。
(ただ、現実の世界で起きていることをみると、そうでもない。武力とお金をもっている権力集団は少数派でもけっこう強い。大衆に無関心層が多いのでしょう)
組織を壊すときは、外部からではなく、内部から壊していく。
無言で壊していく。壊すのに言葉はいらない。
アクロバット的ですなあ。曲芸、離れ業(はなれわざ)です。なかなかできることではありません。
火薬という化け物があります。大爆発です。
映画だなあ。
香港映画、『少林寺』みたい。
シルベスター・スタローンの洋画、『ランボー』みたい。
きっと、こちらの映画の監督はじめ製作者は、毎日24時間、映画のことを考えている。そうでなければ、これだけ盛りだくさんで、ち密な作品を仕上げることはできません。
森の中へ逃げた。弓と矢があった。
あたり一面が、炎の海です。すごい。
人間が、バイクを持って、自由自在にバイクを振り回しています。
バイクと馬で攻撃です。
壮大な爆発シーンです。
こっぱみじんです。
ドカーン、ドカーン
血が流れるのが、キモイ
外国の人は、容赦なしです。(ようしゃ:控えめにする。許さない)
インド解放バンザイの映画です。国は国民のもの。異国のものではない。
まず、最初にめざすことが、『(国民に)読み書きを!』です。『教育』です。
映画には主張があります。
にぎやかな映画でした。
主人公ふたりの男性は、『英雄』です。
インドの技術レベルは高い。
最後は、マツケンサンバみたいです。
スピーディ、スピード感がすばらしい!
ネットのどこかで、この映画がいいと書いてあった記憶が観たきっかけです。
インド映画だということは知りませんでした。
欧米のギャング映画だろうかという予想で観始めましたが違っていました。
観終えて、なかなか楽しかったです。
RRRは、蜂起と咆哮と反乱と(ほうきとほうこうとはんらんと)という意味だそうです。
マンガ的です。じっさいにはありえないような人間の体の動きです。
熊太郎じいさんには、主役の男性俳優ふたりが、ダンサー、振付師のパパイヤ鈴木さんに見えました。女優さんたちがきれいです。美しい。
表面上は、大英帝国に植民地として支配されていた当時の現地インド人の怒りがベース(下地したじ)になった映画です。奴隷解放のようなテーマです。1920年(日本だと大正9年。インドの独立が、1947年(昭和22年))
映画の中では、インド人がイギリス人に家畜のように扱われています。インド人の激しく厳しい怒り(いかり)があります。ただ、インド人のみなさんは、明るく元気です。歌と踊りで気持ちをひとつにして、イギリスの軍隊に向かっていきます。熱く激しく強いインド人魂(たましい)が表現されている作品です。
勢いよく始まりました。歌劇です。全体をとおして、3時間のミュージカルの舞台を観るようです。男性も女性も元気です。
すごい始まり方です。小さな少女がイギリス人に連れていかれて、母親は木の幹で殴られて殺されます。連れていかれた少女をイギリス軍のエリアから救出することが現地インド人の目標です。(昨年のNHK大河ドラマ、『光る君に』と似たようなシーンがありました。まだこどもだった紫式部の母親が、菅原道真(すがわらのみちざね)の兄にいきなり刺殺されたシーンがありました)
すさまじい暴力シーンです。拷問(ごうもん)があります。
群衆の撮影がダイナミックです。スーパーマンみたいな主役の男性ふたりです。格闘技は、ブルース・リーみたい、ボクシング、プロレス、いろんな技で敵を倒します。味方同士だと思っていたふたりの男子は、やがて、敵同士になり、最後は和解して、味方同士になり、イギリス軍をやっつけます。本来対立する立場にあったふたりのインド人男子が、親友になっていきます。
まあ、現実にはありえないような闘い方です。スーパーマンです。激しい戦闘シーンをじょうずに撮影してあります。マンガ的な動きです。
アクション映画です。原始的でもある。迫力があります。力が入ります。
インドの大自然の風景があります。
イギリス人がインド人を見下しています。
イギリス人はインド人を人間扱いしません。ひどいことです。
インド人は、家畜か虫けら扱いです。
BGM(バックグラウンドミュージック)とアクション映像が一体化していて元気がいい。
若い男女が、バイクに二人乗りして、なんか、洋画の『ローマの休日』みたい。
インド人の誇りが、音楽で表現されています。『ナートゥー』
ダンス、ダンス、ダンス、そして、ミュージック、ドラムの早打ちです。
過去あった戦争の中で表現された強いプライドを示す言葉を思い出します。
『ひざまずいて生きるよりも、立って死にたい』
映像では、そんなシーンが、インド人の立場として出てきます。捕まった(つかまった)インド人はかたくなに、イギリス人のトップに対して謝罪をしません。いくらムチで体を打たれても、ひざまずいて頭を下げません。長時間の力が入ったシーンでした。『(うそでもいいから)己の命を守れ(おのれのいのちをまもれ)』と親友が捕まった友にアドバイスをしましたが、親友の相手である男子は受け入れませんでした。ひざまずきません。
そこから歌曲になるのです。そういう発想は日本人にはないと一瞬思いましたが、イヤありました。ドラマ、『不適切にもほどがある』で、そのパターンが用いられていました。もしかしたら、脚本家の宮藤官九郎さんは、この映画をヒントにして、『不適切にもほどがある』のミュージカル演舞シーンをつくったのかもしれません。
毒蛇を使った反撃があります。
猛獣たちを使った攻撃もあります。
インド的です。
プロレス、ボクシングみたいな殴り合いのシーンは、まるで舞踏です。(ぶとう。踊り)
インド人を殺すときに、銃弾がもったいない。銃弾1発がいくらすると思うのだというイギリス軍上司の言葉があります。銃弾がもったいないから、そのへんにある大きな石や、棒でインド人を殴って殺すのです。すさまじい。
銃撃戦がリアルです。(ウクライナのことを思ってしまいます)
日本の時代劇の雰囲気もあります。
戦で(いくさで)、人を殺すときの心構えです。『迷い』をもってはいけないのです。冷酷(れいこく。感情を消す)になるのです。心身ともに、機械的なものになる。そうしなければ、自分が殺されてしまうのです。
だんだん、宗教みたいになってきました。アメリカ映画みたいでもある。
大群衆による暴動が起きます。
昔、まだ小さかったうちのこどもたちと映画館へ観に行ったアニメ映画、『バグズ・ライフ(虫の生活)』を思い出しました。少数派のバッタが、多数派のアリを支配しているのですが、最後は、少数派のバッタが多数派のアリに、数の力で負けてしまうのです。
大きな群れの力に、権力をもった少数派グループは勝てない。
(ただ、現実の世界で起きていることをみると、そうでもない。武力とお金をもっている権力集団は少数派でもけっこう強い。大衆に無関心層が多いのでしょう)
組織を壊すときは、外部からではなく、内部から壊していく。
無言で壊していく。壊すのに言葉はいらない。
アクロバット的ですなあ。曲芸、離れ業(はなれわざ)です。なかなかできることではありません。
火薬という化け物があります。大爆発です。
映画だなあ。
香港映画、『少林寺』みたい。
シルベスター・スタローンの洋画、『ランボー』みたい。
きっと、こちらの映画の監督はじめ製作者は、毎日24時間、映画のことを考えている。そうでなければ、これだけ盛りだくさんで、ち密な作品を仕上げることはできません。
森の中へ逃げた。弓と矢があった。
あたり一面が、炎の海です。すごい。
人間が、バイクを持って、自由自在にバイクを振り回しています。
バイクと馬で攻撃です。
壮大な爆発シーンです。
こっぱみじんです。
ドカーン、ドカーン
血が流れるのが、キモイ
外国の人は、容赦なしです。(ようしゃ:控えめにする。許さない)
インド解放バンザイの映画です。国は国民のもの。異国のものではない。
まず、最初にめざすことが、『(国民に)読み書きを!』です。『教育』です。
映画には主張があります。
にぎやかな映画でした。
主人公ふたりの男性は、『英雄』です。
インドの技術レベルは高い。
最後は、マツケンサンバみたいです。
スピーディ、スピード感がすばらしい!
2025年02月03日
東野&岡村の旅猿26 京都で伊根の舟屋満喫の旅
東野&岡村の旅猿26 ~プライベートでごめんなさい~ 『京都で伊根の舟屋満喫の旅』 ゲスト ベッキーさん TVer(ティーバー)とかhulu(フールー)とかBS日テレ火曜23時とか。
(第一話)
久しぶりのベッキーさんです。もう何年も前、まだ独身のベッキーさんのときから観ています。たま~に出演されます。いつも気の毒です。東野さんたちにいじられて、いじめられてみたいなパターンが多い。今回も、レンタカーの運転手はベッキーさんです。ベッキーさんはマニュアル車が好きで、マニュアル車のレンタカーしか運転しません。オートマも運転できるけれどオートマは怖い(こわい)そうです。対して、東野・岡村のふたりは、マニュアル車の運転が怖い。番組的に、ベッキーさんが運転したほうがおもしろい話にできあがるので、スタッフは、ベッキーさんに相談することなくマニュアル車のレンタカーを借ります。まあ、しかたがありません。その分、ギャラをはずんであげてください。
12月のロケです。京都駅前からロケのスタートです。
この寒いのに、京都府日本海側、日本三景の天橋立(あまのはしだて)あたりまで行きます。車で2時間半以上かかります。カニ料理がおいしいかもしれない。天候が心配です。京都市内はよく晴れていますが、これから訪れる現地は、雨模様の天気予報だそうです。
車の中で、芸能界の内輪話、裏話です。いま不祥事で話題になっているタレントさんの差し入れにまつわる話がけっこう長く続きました。だいじょうぶだろうかと思いましたが、内容的にはだいじょうぶな雑談でした。
三人ともいい感じで歳をとられました。もう何年も前からこの番組を観続けているので、歴史を感じます。三人の人生という歴史です。
おいしそうな朝食です。京都市内の喫茶店ですが、予約がいるそうです。驚きました。
モーニングで、分厚いトースト、ピザ風の料理、ゆで卵やバナナなどが映像に見えました。うまそうです。
東野さんが、飲み会の二次会がイヤだとか、飲み食いしながらの仕事の打ち合わせはイヤだと主張するように言います。同感です。とくに五十代になると、夜の飲み会は体にきつい。早く家に帰って寝たいものです。
東野さんは、お正月に海外におられる長女さんのご家族がこどもさんを連れて帰国されるそうです。お孫さんですな。次女の方も結婚の予定があるような話をされていました。
岡村さんのほうは、お正月は海外滞在だそうです。もともと海外旅行にはまったく興味がなかったけれど、この番組、『旅猿』でインドに行ってから海外旅行に目覚めたそうです。よかったですね。
パーキングエリアで、『京丹波栗(きょうたんばくり)』を焼いてもらって食べました。大きくて立派な栗です。きれいです。できあがった栗は、まるで焼き芋みたいにほかほかでおいしそうでした。
栗は、きっと熱かったと思います。ほかほかです。
(第二話)
天橋立へ行きます。あいにくの雨模様でしたが、股のぞきの場所に着いたときには奇跡的に雲間から晴れてきて、幻想的な光景を見ることができました。空から、光の柱がおりてきたのです。美しい自然現象がありました。
伊根の舟屋(いねのふなや)に着いて、宿泊場所となる船宿(小規模な戸建て。1階が船着き場になっている。一日一組2名様宿泊用)の玄関から、ジミー大西さんが、おかみさん(女装)として出てきました。旅猿ではひさしぶりの現地登場です。しばらくお見かけしなかったので、映像を見ているこちらは、うれしくほっとできるものがありました。
されど、ほかの三人さん、とくに、ベッキーさんにとっては、好ましいゲストではありません。以前、飲み会に来たジミー大西さんが、ベッキーさんを襲うように触りまくろうとして大暴れをしたシーンがありました。まあ、ひどいことをする人です。根は正直者なのですが、異常な一面があります。
わたしは、天橋立には行ったことがなくて、行ってみたいなあと以前から思っていたのですが、途中コロナ禍もあって、旅行ができなくて、その後だんだん自分が歳(とし)をとってきて、旅先として、交通の便が不便で時間がかかるところは避けたいなあと思うようになりました。とくに、旅先で困るのは、トイレです。歳をとるとトイレが近くなります。しかたがないことです。
ゆえに、最近の旅先は都市部が多くなりました。都市部であれば、さしあたってトイレに困ることがありません。安心です。
今回の番組は、天橋立(あまのはしだて)あたりの映像を見ながら十分行った気分になれました。
(第三話)
船で伊根湾を周遊します。
船舶操縦免許を持っている岡村隆史さんも船の操縦をさせてもらいました。
船のまわりを飛び交うたくさんのカモメにエサやりです。
人間の手から、カモメが餌を奪うようにとっていきます。にぎやかです。
浦嶋神社というところでお参りをして、竜宮城につながる穴というところを見学しました。
ジミー大西さんは、あいかわらず、場の雰囲気を読まないような言動を繰り返します。ベッキーさんがあきれます。いつもの調子、いつもの雰囲気です。
(第四話)
最終話です。
酒蔵探訪(さかぐらたんぼう)があります。
ワインのような色と味をした日本酒が出てきます。『伊根満開』という銘柄です。ベッキーさんがそのお酒をたいそう気に入りました。
利き酒(ききざけ)ゲームをやって楽しみます。ジミー大西さんは、いつもはったりです。(ほらをふく。できないのにできると言う)匂い(におい)でお酒の銘柄がわかると言いましたが、正解をはずしました。
そういえば、先日見た番組、『探偵ナイトスクープ』で、匂い(におい)のかぎわけができるすごい能力をもった8歳の少女がいました。まあすごかった。各種ペットボトルのお茶とか、色紙の色のにおいとか、ちびっこたちの体のにおいとか、なんでもかんでも、においをかぎわけて当てちゃうのです。まあ、地球上に何十億人という人間がいれば、なかには、超能力みたいな力をもっている人がいるのでしょう。
お酒のお店では、女性店員さんの言葉、『真剣においしい』というフレーズがおもしろかった。何回も繰り返されるセールスフレーズでした。お笑いコンビの漫才で使うと有効かもしれません。力をこめながら、この商品は、『真剣においしいんです』とアピールするのです。
チェイサー:お酒を飲んだあとに口に入れて、口をすすいだり、のどをうるおしたりする飲み物
和食料理店へ行ってお食事です。
地元の海でとれた新鮮な幸(さち)が料理されて出てきます。どれもおいしそうです。
お酒とお料理を楽しみます。
地魚のおつくりも追加しました。
ふぐの白子豆腐(しらことうふ)という一品(いっぴん)もでました。
ひととおりロケをやって、打ち合わせです。
なにせ、京都府の北の先っぽまで来ているので、翌日の仕事に間に合うようにするためには、岡村隆史さんが、翌朝は、午前4時45分出発、ほかの3人が、午前5時40分出発だそうです。過酷です。
予定では、翌朝、景色のいいところでエンディングを撮影するつもりでしたが、まあ、ここでエンディングをやって終わりましょうということになりました。わたしも賛成です。心身の健康確保・維持が最優先です。体を壊したらせっかく楽しめた旅行がだいなしです。みなさんおつかれさまでした。
次回は、フィリピンだそうです。なにやら楽しそうです。楽しみにしています。
(第一話)
久しぶりのベッキーさんです。もう何年も前、まだ独身のベッキーさんのときから観ています。たま~に出演されます。いつも気の毒です。東野さんたちにいじられて、いじめられてみたいなパターンが多い。今回も、レンタカーの運転手はベッキーさんです。ベッキーさんはマニュアル車が好きで、マニュアル車のレンタカーしか運転しません。オートマも運転できるけれどオートマは怖い(こわい)そうです。対して、東野・岡村のふたりは、マニュアル車の運転が怖い。番組的に、ベッキーさんが運転したほうがおもしろい話にできあがるので、スタッフは、ベッキーさんに相談することなくマニュアル車のレンタカーを借ります。まあ、しかたがありません。その分、ギャラをはずんであげてください。
12月のロケです。京都駅前からロケのスタートです。
この寒いのに、京都府日本海側、日本三景の天橋立(あまのはしだて)あたりまで行きます。車で2時間半以上かかります。カニ料理がおいしいかもしれない。天候が心配です。京都市内はよく晴れていますが、これから訪れる現地は、雨模様の天気予報だそうです。
車の中で、芸能界の内輪話、裏話です。いま不祥事で話題になっているタレントさんの差し入れにまつわる話がけっこう長く続きました。だいじょうぶだろうかと思いましたが、内容的にはだいじょうぶな雑談でした。
三人ともいい感じで歳をとられました。もう何年も前からこの番組を観続けているので、歴史を感じます。三人の人生という歴史です。
おいしそうな朝食です。京都市内の喫茶店ですが、予約がいるそうです。驚きました。
モーニングで、分厚いトースト、ピザ風の料理、ゆで卵やバナナなどが映像に見えました。うまそうです。
東野さんが、飲み会の二次会がイヤだとか、飲み食いしながらの仕事の打ち合わせはイヤだと主張するように言います。同感です。とくに五十代になると、夜の飲み会は体にきつい。早く家に帰って寝たいものです。
東野さんは、お正月に海外におられる長女さんのご家族がこどもさんを連れて帰国されるそうです。お孫さんですな。次女の方も結婚の予定があるような話をされていました。
岡村さんのほうは、お正月は海外滞在だそうです。もともと海外旅行にはまったく興味がなかったけれど、この番組、『旅猿』でインドに行ってから海外旅行に目覚めたそうです。よかったですね。
パーキングエリアで、『京丹波栗(きょうたんばくり)』を焼いてもらって食べました。大きくて立派な栗です。きれいです。できあがった栗は、まるで焼き芋みたいにほかほかでおいしそうでした。
栗は、きっと熱かったと思います。ほかほかです。
(第二話)
天橋立へ行きます。あいにくの雨模様でしたが、股のぞきの場所に着いたときには奇跡的に雲間から晴れてきて、幻想的な光景を見ることができました。空から、光の柱がおりてきたのです。美しい自然現象がありました。
伊根の舟屋(いねのふなや)に着いて、宿泊場所となる船宿(小規模な戸建て。1階が船着き場になっている。一日一組2名様宿泊用)の玄関から、ジミー大西さんが、おかみさん(女装)として出てきました。旅猿ではひさしぶりの現地登場です。しばらくお見かけしなかったので、映像を見ているこちらは、うれしくほっとできるものがありました。
されど、ほかの三人さん、とくに、ベッキーさんにとっては、好ましいゲストではありません。以前、飲み会に来たジミー大西さんが、ベッキーさんを襲うように触りまくろうとして大暴れをしたシーンがありました。まあ、ひどいことをする人です。根は正直者なのですが、異常な一面があります。
わたしは、天橋立には行ったことがなくて、行ってみたいなあと以前から思っていたのですが、途中コロナ禍もあって、旅行ができなくて、その後だんだん自分が歳(とし)をとってきて、旅先として、交通の便が不便で時間がかかるところは避けたいなあと思うようになりました。とくに、旅先で困るのは、トイレです。歳をとるとトイレが近くなります。しかたがないことです。
ゆえに、最近の旅先は都市部が多くなりました。都市部であれば、さしあたってトイレに困ることがありません。安心です。
今回の番組は、天橋立(あまのはしだて)あたりの映像を見ながら十分行った気分になれました。
(第三話)
船で伊根湾を周遊します。
船舶操縦免許を持っている岡村隆史さんも船の操縦をさせてもらいました。
船のまわりを飛び交うたくさんのカモメにエサやりです。
人間の手から、カモメが餌を奪うようにとっていきます。にぎやかです。
浦嶋神社というところでお参りをして、竜宮城につながる穴というところを見学しました。
ジミー大西さんは、あいかわらず、場の雰囲気を読まないような言動を繰り返します。ベッキーさんがあきれます。いつもの調子、いつもの雰囲気です。
(第四話)
最終話です。
酒蔵探訪(さかぐらたんぼう)があります。
ワインのような色と味をした日本酒が出てきます。『伊根満開』という銘柄です。ベッキーさんがそのお酒をたいそう気に入りました。
利き酒(ききざけ)ゲームをやって楽しみます。ジミー大西さんは、いつもはったりです。(ほらをふく。できないのにできると言う)匂い(におい)でお酒の銘柄がわかると言いましたが、正解をはずしました。
そういえば、先日見た番組、『探偵ナイトスクープ』で、匂い(におい)のかぎわけができるすごい能力をもった8歳の少女がいました。まあすごかった。各種ペットボトルのお茶とか、色紙の色のにおいとか、ちびっこたちの体のにおいとか、なんでもかんでも、においをかぎわけて当てちゃうのです。まあ、地球上に何十億人という人間がいれば、なかには、超能力みたいな力をもっている人がいるのでしょう。
お酒のお店では、女性店員さんの言葉、『真剣においしい』というフレーズがおもしろかった。何回も繰り返されるセールスフレーズでした。お笑いコンビの漫才で使うと有効かもしれません。力をこめながら、この商品は、『真剣においしいんです』とアピールするのです。
チェイサー:お酒を飲んだあとに口に入れて、口をすすいだり、のどをうるおしたりする飲み物
和食料理店へ行ってお食事です。
地元の海でとれた新鮮な幸(さち)が料理されて出てきます。どれもおいしそうです。
お酒とお料理を楽しみます。
地魚のおつくりも追加しました。
ふぐの白子豆腐(しらことうふ)という一品(いっぴん)もでました。
ひととおりロケをやって、打ち合わせです。
なにせ、京都府の北の先っぽまで来ているので、翌日の仕事に間に合うようにするためには、岡村隆史さんが、翌朝は、午前4時45分出発、ほかの3人が、午前5時40分出発だそうです。過酷です。
予定では、翌朝、景色のいいところでエンディングを撮影するつもりでしたが、まあ、ここでエンディングをやって終わりましょうということになりました。わたしも賛成です。心身の健康確保・維持が最優先です。体を壊したらせっかく楽しめた旅行がだいなしです。みなさんおつかれさまでした。
次回は、フィリピンだそうです。なにやら楽しそうです。楽しみにしています。
2025年02月01日
冷蔵庫からピピピピピの音
冷蔵庫からピピピピピの音
とある日のことでした。
居間にいたら、台所から、『ピピピピピピピ……』という小さな音が聞こえてきました。
火災警報器だろうかと思って、天井に付いている装置を見ましたが、そこから聞こえてくる音ではありません。
目覚まし時計か、タイマーの音だろうかと台所の壁まわりを探しましたが、時計もタイマーも出てきません。
夫婦ふたりで、何だろう、何だろうと、探しているうちにずいぶん時間が経ってしまいました。
そして、ようやく気づきました。
冷蔵庫のドアがかすかに開いていたのです。注意喚起のために冷蔵庫が警告音を発していたのです。(はっしていたのです)
なんというか、それなりにショックを受けました。
加齢によるものなのでしょうが、どこから音が聞こえてくるのかが長時間わかりませんでした。さらに、夫婦ふたりとも長い時間、音源の場所に気づけませんでした。
日々、老いを実感する毎日でございます。
とある日のことでした。
居間にいたら、台所から、『ピピピピピピピ……』という小さな音が聞こえてきました。
火災警報器だろうかと思って、天井に付いている装置を見ましたが、そこから聞こえてくる音ではありません。
目覚まし時計か、タイマーの音だろうかと台所の壁まわりを探しましたが、時計もタイマーも出てきません。
夫婦ふたりで、何だろう、何だろうと、探しているうちにずいぶん時間が経ってしまいました。
そして、ようやく気づきました。
冷蔵庫のドアがかすかに開いていたのです。注意喚起のために冷蔵庫が警告音を発していたのです。(はっしていたのです)
なんというか、それなりにショックを受けました。
加齢によるものなのでしょうが、どこから音が聞こえてくるのかが長時間わかりませんでした。さらに、夫婦ふたりとも長い時間、音源の場所に気づけませんでした。
日々、老いを実感する毎日でございます。