2015年08月29日

トイレのピエタ 松永大司

トイレのピエタ 松永大司 文藝春秋

 映画化されているようですが知りません。若者が短命で亡くなるお話のようです。

 「トイレのピエタ」の意味は読み始めて40ページ程度でまだわかりません。
 ピエタは、キリスト教で、教会がらみの建築物だった気がします。過去の読書記録を今調べたら孤児院になっていました。この作品との関連はまだ想像できません。

 主人公は、園田宏28歳、窓ふきがアルバイト、銀座の高層ビルでゴンドラに乗りながら窓ふきをしているシーンから始まりました。
 彼の恋人役になるのが、尾崎さつき、同級生のようです。

(つづく)

 1週間かけて読み終えました。
 トイレのピエタとは、自宅アパートトイレを個室のプールと見立てます。個室の壁に絵が得意な主人公が壁画・天井画を描いて病死していくのです。ピエタとは、死んだイエス・キリストを抱く聖母マリアの絵を指します。
 トイレ内の空間は水槽です。そこで、金魚と主人公と女子高生宮田真衣が自由に泳ぐのです。水の世界、感覚はまだ胎児だった頃の羊水につかっていた頃を思い出させます。

 読みながら考えたことは人の寿命です。
 生まれて、小学校へ通って、中学校を卒業して、その途中で、子どものまま人生を終わる人たちがいます。
 就職して、20代で病死や事故死をしていく人たちがいます。
 その後も、40代過ぎ、50代で亡くなっていく人たちがいます。
 どの時代でもその確率は0になることはありません。
 自分がそこの範囲に該当するかしないかはなかなか予測できません。

 主人公に深くからんだのは、尾崎さつきではなく、ゆきずりの女子高生16歳の宮田真衣でした。3人女系家族、祖母、母、彼女、父親は離婚して家を出ました。祖母は認知症で、真衣にはストレスがたまっています。

 主人公の園田宏はスキルス性の胃がんで短命な人生を閉じることになります。死ぬ前の葛藤があります。泣きはらします。宗教的な救いを求めます。「威風堂々」という歌を歌います。抗がん剤の副作用を伴う治療は精神的にも苦しい。苦しみがよく伝わってきます。
 園田にとって、女子高生宮田真衣が聖母マリアのような存在になっていきます。真衣の言動は、反発する態度とともに魅力的です。28歳の大人が、16歳の女子高生に甘えるという構図がどうかなと思うのですが、死ぬ立場に立ってみると理解できます。真衣の攻撃的なところがいい。

 心に響いた言葉です。
・病院から逃げられても病気からは逃げられない。
・こんなときに親友がだれもいない。
・(真衣について)しかたなく高校へ行く。(大学は目指さない)
・(真衣について)家族は他人だ。(死ぬ運命の園田に惹かれる)。彼女の携帯電の園田の名前として「大人」

 何だろう。全体は、園田宏のひとり劇です。作品は、創作作品の一歩手前の状態と感じました。気持ちが入りすぎています。実体験の投射が生々しすぎます。
 詩の世界です。自分で悲劇の世界をつくって、自分で悲しみにひたる。
 上手なのは、大半の人たちの気持ちを代弁しているところです。だれしもが、作者の考えに共感するでしょう。

 最後に思ったのは、もっときれいでわかりやすいタイトルはないのだろうか。

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