2025年02月17日
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 沖縄パワスポめぐり!
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 仲間由紀恵と!沖縄パワスポめぐり!伊江島城山(ぐすくやま)→浜比嘉島シルミチュー 動画配信サービス
初充電旅の仲間由紀恵と絶景沖縄パワスポ128キロ!■<伊江島>からゴールは<浜比嘉島>聖地シルミチューなんですが■ダイアン津田が大暴走!ヤバいよヤバいよSP
わたしは、ゲストのダイアン津田さんの奥さんのブログを見ています。ときおり更新されています。ご家族の日常について写真や短い文章が載せられています。津田さんの姿はテレビでよく見ます。テレビ局の職員からも信頼されているのでしょう。
ダイアン津田さんは、今回のロケで、充電させてくれたお宅で、お礼としてだし巻き卵をつくられました。なかなかおじょうずでした。お宅のご家族が、『おいしい』、『うまい』を連発されていました。また、料理をしているさいちゅうの手際(てぎわ)が良かった。
仲間由紀恵さんが、今回のロケ中に話されたことにはびっくりしました。
社交辞令(しゃこうじれい。その場の雰囲気を壊さないように、真意ではないその場限りの話をする)がわからないから変な行動をしてしまうことがあるそうです。
常盤貴子さん(ときわ・たかこさん)に、(冗談だと思います)自分の新婚旅行について来る? と言われて、仲間由紀恵さんは、常盤貴子さんの新婚旅行についていったそうです。ちょっと、考えられません。
もうひとつ、俳優の生瀬勝久(なませ・かつひさ)さんに、今、家族で九州に釣りに来ているけど、来る? と声をかけられて、九州まで行ったそうです。わけがわかりません。生瀬勝久さんに、『本当に来ちゃったんだね』と驚かれたそうです。
そんな、仲間由紀恵さんも、男子双子のお子さん持ちだそうです。こどもさんは、7歳ぐらいと聞こえました。
伊江島(いえじま)というところは初めて知りました。地図を見て、映像を見て、きれいな山です。(この島を舞台にした映画が今年の夏に公開されます。第二次世界大戦中の戦争映画です。沖縄は激戦地でした。タイトルが、『木の上の軍隊』です。井上ひさし原案の舞台作品の映画化です。昨年わたしが、動画配信サービスで観た映画、『父と暮らせば』、『母と暮らせば』、それから、12月にウィンク愛知のホールで観賞したこまつ座の舞台劇、『太鼓たたいて笛吹いて』などとの関連がありそうです。反戦のメッセージがあるのでしょう)
驚いたのは、名古屋の同朋高校の(どうほうこうこう)の生徒さんたちが、修学旅行で伊江島で民泊されていることでした。以前用事があって、同朋高校のあたりを何度か訪れたことがあります。
さらに同校の英語の教材が、『出川イングリッシュ』というもので、それを聞いた出川さんが、『みんなオレの生徒だーーー』と大きな声を出して感激されたこともうなずけました。いいシーンでした。
移動の途中で、ダイアン津田さんから仲間由紀恵さんにゲストが変わったのですが、なりゆきで、なんども沖縄そばを食べることになり、出川さんたちはそのことを仲間さんに黙っていたのがおもしろかった。
宿探しがたいへんでした。最終的に、一般的な賃貸マンションのように見えるホテルで宿泊ができました。よかった。
ダイアン津田さんのお話だと、出川さんのイビキがとても大きくてうるさいそうです。津田さんはよく眠れなかったみたいです。
出川さんは、睡眠時無呼吸症候群かもしれません。
じつは、わたしは睡眠時無呼吸症候群なので治療を受けています。夜、寝ているときは、シーパップ(CPAP)という空気が出るマスクを顔に着用しています。よく眠れます。もしかしたら、出川さんも使用されているかもしれません。しかたがありません。仕事で心身を酷使するとそんなことになるのだろうと自分なりに理由を考えています。働いていた頃は、ストレス解消の方法が暴飲暴食でした。
沖縄の海の景色がとてもきれいです。すきとおったブルー、そしてグリーンの海面です。
訪れたことがあるのに、記憶にないのが芸能人です。仲間由紀恵さんが、自分が琉球村(りゅうきゅうむら)に仕事で来ていたことに気づけませんでした。現地で働く人が教えてくれましたが、思い出せないようすでした。
人に段取りをしてもらって、ついていくだけの人は、自分がどこを訪れたのかを覚えていません。
うちの奥さんもそうです。わたしがつくった旅のプランにのっかって、わたしについてくるだけです。金魚のフンです。時期を変えて、同じところを訪れているのに、『初めて来た!』と発言することが何度かありました。まあ、いいですけど。
当て書き:番組の中で、出川さんがそう発言されたのですが、意味がわかりませんでした。調べました。まず、俳優さんを決めてから台本をつくることだそうです。なるほど。
初充電旅の仲間由紀恵と絶景沖縄パワスポ128キロ!■<伊江島>からゴールは<浜比嘉島>聖地シルミチューなんですが■ダイアン津田が大暴走!ヤバいよヤバいよSP
わたしは、ゲストのダイアン津田さんの奥さんのブログを見ています。ときおり更新されています。ご家族の日常について写真や短い文章が載せられています。津田さんの姿はテレビでよく見ます。テレビ局の職員からも信頼されているのでしょう。
ダイアン津田さんは、今回のロケで、充電させてくれたお宅で、お礼としてだし巻き卵をつくられました。なかなかおじょうずでした。お宅のご家族が、『おいしい』、『うまい』を連発されていました。また、料理をしているさいちゅうの手際(てぎわ)が良かった。
仲間由紀恵さんが、今回のロケ中に話されたことにはびっくりしました。
社交辞令(しゃこうじれい。その場の雰囲気を壊さないように、真意ではないその場限りの話をする)がわからないから変な行動をしてしまうことがあるそうです。
常盤貴子さん(ときわ・たかこさん)に、(冗談だと思います)自分の新婚旅行について来る? と言われて、仲間由紀恵さんは、常盤貴子さんの新婚旅行についていったそうです。ちょっと、考えられません。
もうひとつ、俳優の生瀬勝久(なませ・かつひさ)さんに、今、家族で九州に釣りに来ているけど、来る? と声をかけられて、九州まで行ったそうです。わけがわかりません。生瀬勝久さんに、『本当に来ちゃったんだね』と驚かれたそうです。
そんな、仲間由紀恵さんも、男子双子のお子さん持ちだそうです。こどもさんは、7歳ぐらいと聞こえました。
伊江島(いえじま)というところは初めて知りました。地図を見て、映像を見て、きれいな山です。(この島を舞台にした映画が今年の夏に公開されます。第二次世界大戦中の戦争映画です。沖縄は激戦地でした。タイトルが、『木の上の軍隊』です。井上ひさし原案の舞台作品の映画化です。昨年わたしが、動画配信サービスで観た映画、『父と暮らせば』、『母と暮らせば』、それから、12月にウィンク愛知のホールで観賞したこまつ座の舞台劇、『太鼓たたいて笛吹いて』などとの関連がありそうです。反戦のメッセージがあるのでしょう)
驚いたのは、名古屋の同朋高校の(どうほうこうこう)の生徒さんたちが、修学旅行で伊江島で民泊されていることでした。以前用事があって、同朋高校のあたりを何度か訪れたことがあります。
さらに同校の英語の教材が、『出川イングリッシュ』というもので、それを聞いた出川さんが、『みんなオレの生徒だーーー』と大きな声を出して感激されたこともうなずけました。いいシーンでした。
移動の途中で、ダイアン津田さんから仲間由紀恵さんにゲストが変わったのですが、なりゆきで、なんども沖縄そばを食べることになり、出川さんたちはそのことを仲間さんに黙っていたのがおもしろかった。
宿探しがたいへんでした。最終的に、一般的な賃貸マンションのように見えるホテルで宿泊ができました。よかった。
ダイアン津田さんのお話だと、出川さんのイビキがとても大きくてうるさいそうです。津田さんはよく眠れなかったみたいです。
出川さんは、睡眠時無呼吸症候群かもしれません。
じつは、わたしは睡眠時無呼吸症候群なので治療を受けています。夜、寝ているときは、シーパップ(CPAP)という空気が出るマスクを顔に着用しています。よく眠れます。もしかしたら、出川さんも使用されているかもしれません。しかたがありません。仕事で心身を酷使するとそんなことになるのだろうと自分なりに理由を考えています。働いていた頃は、ストレス解消の方法が暴飲暴食でした。
沖縄の海の景色がとてもきれいです。すきとおったブルー、そしてグリーンの海面です。
訪れたことがあるのに、記憶にないのが芸能人です。仲間由紀恵さんが、自分が琉球村(りゅうきゅうむら)に仕事で来ていたことに気づけませんでした。現地で働く人が教えてくれましたが、思い出せないようすでした。
人に段取りをしてもらって、ついていくだけの人は、自分がどこを訪れたのかを覚えていません。
うちの奥さんもそうです。わたしがつくった旅のプランにのっかって、わたしについてくるだけです。金魚のフンです。時期を変えて、同じところを訪れているのに、『初めて来た!』と発言することが何度かありました。まあ、いいですけど。
当て書き:番組の中で、出川さんがそう発言されたのですが、意味がわかりませんでした。調べました。まず、俳優さんを決めてから台本をつくることだそうです。なるほど。
2025年02月16日
PLAN75(プラン75) 映画 2022年
PLAN75(プラン75) 日本・フランス・フィリピン・カタール合作映画 2022年(令和4年) 動画配信サービス
監督:早川千絵
俳優:倍賞千恵子(角谷ミチ(かくたに・みち)。78歳の役。倍賞さんの当時の実年齢は80歳)、磯村勇斗(いそむら・はやと。岡部ヒロム役)、河合優実(かわい・ゆうみ。成宮揺子役。磯村さんと河合さんは、昨年話題になった宮藤官九郎さん脚本のドラマ『不適切にもほどがある』に出られていました)
倍賞千恵子さんが書いた本、『倍賞千恵子の現場 「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」「駅STATION(ステーション)」出会った素敵な人たち 倍賞千恵子 PHP新書』を読んだあと、1970年(昭和45年)の日本を描いた映画作品である、『家族』を観ました。そして、今回は、このプラン75を観ます。
作品、『家族』に登場する倍賞千恵子さんの実年齢は29歳でした。今回の作品、『PLAN(プラン)75』での倍賞さんの実年齢は、80歳です。
倍賞さんは、手の甲、てのひら、お顔にお皺(しわ)が増えました。皺に、長い時の流れが刻まれました。倍賞さんと共演されたたくさんの俳優さんたちがお亡くなりになりました。そんな映画を映画館で観ていた少年だったわたしも前期高齢者になってしまいました。
そして、こちらの映画、『PLAN75』では、日本に法律ができて、プラン75という制度が始まったのです。
長生きをしてはいけないのです。高齢化対策という理由で、75歳を過ぎたら、希望者は安楽死なのです。おぞましい。年寄りに、生きるか死ぬかの選択肢を与える制度がPLAN75なのです。死にたい希望者には、支度金(したくきん)として10万円が贈呈されます。ガスを吸って死んで、火葬して、共同墓地に埋葬してくれるから心配いらないそうです。(わたしはイヤです。長生きしたい)
高齢者が、国の財政を圧迫しているそうです。若い人たちの未来のために、高齢者はあの世へ旅立ってくださいと促される制度です。
映画の中での話ですが、全国で、高齢者が襲撃される事件が発生しているそうです。今どきの闇バイトみたいです。
闇バイトは犯罪ですが、PLAN75は、国会の議決を経て成立した法律が基本になっています。日本社会の高齢化問題を解決する糸口になるであろうと期待されています。
そして、いっけん良さそうに見える合同プラン(火葬と霊園)は、実はウソなのです。無料が誘い文句です。みんなでいっしょにごみ焼却場で焼かれるのです。ごみ焼却処分場で焼かれて、ごみとして処理されるのです。亡くなった人が身に付けていた品物や持参していたものは、リサイクルで再利用します。一部、遺品を自分のポケットに入れてしまう処分場の従業員もいます。現金もポケットに入れたのでしょう。
以前、内容が同類の小説を読んだことがあります。2013年(平成25年)の読書メモが残っています。
『百年法 上・下 山田宗樹 角川書店』
SF(サイエンスフィクション)です。分厚い本2冊ですが、読みやすく、1日半で全部読みました。『百年法』は、法律です。HAVI(ハヴィ human-antiaging-virus inoculation ヒト不老化ウィルス接種処置)を処置することによって、人間は死ななくなりました。その結果、特定の人物・世代が永遠に日本共和国を支配することとなったので、下の世代の不満が高まってきました。ゆえに寿命は100年までとする法律が『百年法』です。冒頭ではまだ施行されていません。
西暦2048年からスタートします。35年後の未来人の生活はしあわせそうではありません。便利なようですが、管理される社会です。『家族』という概念は自然消滅しています。人は『個』です。
映画に戻ります。
若い時にびゅんびゅん動けていた体は、歳(とし)をとるとヨロヨロになります。だれでもです。
プロのスポーツマンだった人でもヨロヨロになります。人間の体には耐用年数があるのです。
この映画では、殺しちゃうわけか。(ガスで安楽死です。ヤダネーー)
小説家太宰治氏(だざい・おさむ氏)の、『生まれてきてすいません』を思い出しました。
この映画では、『長生きしてすいません』です。
淋しいことだけが人生の人たちです。
だけど、そんなに急がなくても、お迎えは必ず訪れます。
もう何十年も前のことですが、わたしは若い頃、入院病棟の大きな部屋にずらりと置かれたベッドに、たくさんのお年寄りたちが寝かされているシーンを見たことがあります。
もうみなさん、寝たきりで、天井を見上げたまま身動きできないのです。骨と皮の状態でした。壮観でした。そうかん:規模が大きい。
思うに、動けないけれど、心は正常に働いていたことでしょう。(自分自身が二十代のときに内臓の病気になったとき、そのような体験をしたことがあります。体が動かず声は出せないけれど、意識はあって、まわりの声は聞こえるのです)
映画の映像を観ていて、そんな昔のことを思い出しました。
人間として、人生でやることをやり終えたあとの生活は静かです。
学んで、働いて、結婚して、子どもができて、子どもを育てて一人前にして、親の介護をして見送って、孫の顔を見て、年金と貯えで生活しながら、人生が終わるまで生きるだけです。食べて寝ての日々が続きます。
映画の中では、倍賞千恵子さんもほかの高齢者の方たちも孤独です。ひとり暮らしです。
老齢で働けない。(年齢を理由に雇用されない)
年金収入が少ない。
仕送り援助をしてくれる親族もいない。身の回りの世話をしてくれる身内もいない。いても助けは期待できない。
生活保護を受けるしかない状態です。働く場所がない。住む場所がない。(高齢を理由に貸してもらえるアパートがない)。生活保護なら、役所が保証人のようなものです。高齢者でも借りることができるのでしょう。
高齢で働けず、貯えも尽きた人は、生活保護を受ければいいと思います。援助してくれる親族がいる人は少ないのが現実です。でも、倍賞千恵子さんは、相談窓口までは足を運びましたが、相談できませんでした。本日の相談件数は、もう予定数に達してしまったそうです。
倍賞千恵子さんは、生きていてもいいことがあるわけでもないから、もう死のうと気持ちが動いたのです。倍賞千恵子さんは、PLAN75を申し込みました。生き続けることをあきらめました。
<10万円の支度金(したくきん)>をもらって人生を終える。
何でもお金で解決です。(命もです)
倍賞千恵子さんは、話し相手の友人を亡くして(寿命で、自宅で孤独死されていました)、役所の担当者が話し相手です。まあ、それも、相手には給料が出る話し相手です。お話しできる時間が、『15分間だけ』とか、『30分間だけ』とかで、限られています。相手にとっては仕事なのです。むなしさとか、悲しみがあります。話を聞く職員自身も胸が詰まっています。だって、国の制度で死んじゃう人なのですから。死なせる人なのですから。
自分は若い頃、ひとり暮らしを10年間ぐらいした体験があるのですが、とある日曜日の夜に、(きょうは一日中家にいて、ひとことも言葉を発しなかった(はっしなかった))ことに気づき深いショックを受けました。結婚したいと思いました。その後、結婚できて良かったと思います。歳をとった今も、朝から晩まで相棒(嫁さん)としゃべっています。話し相手がいることは、精神状態を安全に維持するためにはだいじです。もしかしたら、この映画は、結婚促進PRの裏テーマをもっているのかもしれません。
もう寿命で亡くなった義父が言っていました。義父は90歳の高齢で亡くなりましたが、『死ぬのもたいへんだ』と言っていました。なかなか死ねるものではありません。生きるのも大変ですが、死ぬのも大変です。
劇中に出てくる若者は(磯村勇斗さん演じる岡部ヒロム)、その年齢で生まれて初めて遺体を見たのだろうか。
ちゃんと冠婚葬祭には、こどもも出席させて、葬式のときに、こどもにも遺体を見せておいたほうがいい。人間としての心を育む(はぐくむ)ために、肉親・親族の遺体を見ておいたほうがいい。そうすれば、PLAN75なんていう法制度はできあがりません。
映画全体を観ての感想です。
う~む。表現手法がうまくいっていない。なんだか、うまくない。
倍賞千恵子さんは命拾いします。
人間ってさ、やっぱり生きなきゃ。
生きることは、人間の義務と権利です。
りんごの木の下で、あした、また会いましょうというような歌詞の歌が流れました。
『あしたも会えたらいいね』です。
人間だもの。(人とふれあいたい)
ロボットじゃないもの。
わたしは、人間だもの。
倍賞千恵子さんが演じる角谷ミチさん(かくたに・みちさん)は、二度結婚して、二度離婚されたようなお話でした。こどもさんは、最初の結婚で妊娠・出産した時、死産になってしまったそうです。生きていくことは、けっこうむずかしいものです。
(鑑賞後2週間ぐらいがたって思ったこと)
お金がなくて生活ができない人であれば、生活保護を受給できる。葬儀をしてくれる人がなくても、役所が葬儀の手配と支払いをしてくれる。
だけど、お金があって、葬儀をしてくれる人がいない人はどうするのだろう。たぶんなにかしらやりようがある。システムがある。前払いでどこかへお金をおさめる。そんなことができるのだろうと想像しました。現実には起きることであり、じっさいに起きていると思います。ただ、事前に本人がそのような手続きをしていなくて、本人は死んで、お金だけが残っている状態もありそうです。
ふーっ。生きるのもたいへんですが、死ぬのもたいへんです。まあ、死んだあとは、本人の意思や意識はこの世にないわけですから、本人にとっては、まあいいかなのかもしれません。
監督:早川千絵
俳優:倍賞千恵子(角谷ミチ(かくたに・みち)。78歳の役。倍賞さんの当時の実年齢は80歳)、磯村勇斗(いそむら・はやと。岡部ヒロム役)、河合優実(かわい・ゆうみ。成宮揺子役。磯村さんと河合さんは、昨年話題になった宮藤官九郎さん脚本のドラマ『不適切にもほどがある』に出られていました)
倍賞千恵子さんが書いた本、『倍賞千恵子の現場 「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」「駅STATION(ステーション)」出会った素敵な人たち 倍賞千恵子 PHP新書』を読んだあと、1970年(昭和45年)の日本を描いた映画作品である、『家族』を観ました。そして、今回は、このプラン75を観ます。
作品、『家族』に登場する倍賞千恵子さんの実年齢は29歳でした。今回の作品、『PLAN(プラン)75』での倍賞さんの実年齢は、80歳です。
倍賞さんは、手の甲、てのひら、お顔にお皺(しわ)が増えました。皺に、長い時の流れが刻まれました。倍賞さんと共演されたたくさんの俳優さんたちがお亡くなりになりました。そんな映画を映画館で観ていた少年だったわたしも前期高齢者になってしまいました。
そして、こちらの映画、『PLAN75』では、日本に法律ができて、プラン75という制度が始まったのです。
長生きをしてはいけないのです。高齢化対策という理由で、75歳を過ぎたら、希望者は安楽死なのです。おぞましい。年寄りに、生きるか死ぬかの選択肢を与える制度がPLAN75なのです。死にたい希望者には、支度金(したくきん)として10万円が贈呈されます。ガスを吸って死んで、火葬して、共同墓地に埋葬してくれるから心配いらないそうです。(わたしはイヤです。長生きしたい)
高齢者が、国の財政を圧迫しているそうです。若い人たちの未来のために、高齢者はあの世へ旅立ってくださいと促される制度です。
映画の中での話ですが、全国で、高齢者が襲撃される事件が発生しているそうです。今どきの闇バイトみたいです。
闇バイトは犯罪ですが、PLAN75は、国会の議決を経て成立した法律が基本になっています。日本社会の高齢化問題を解決する糸口になるであろうと期待されています。
そして、いっけん良さそうに見える合同プラン(火葬と霊園)は、実はウソなのです。無料が誘い文句です。みんなでいっしょにごみ焼却場で焼かれるのです。ごみ焼却処分場で焼かれて、ごみとして処理されるのです。亡くなった人が身に付けていた品物や持参していたものは、リサイクルで再利用します。一部、遺品を自分のポケットに入れてしまう処分場の従業員もいます。現金もポケットに入れたのでしょう。
以前、内容が同類の小説を読んだことがあります。2013年(平成25年)の読書メモが残っています。
『百年法 上・下 山田宗樹 角川書店』
SF(サイエンスフィクション)です。分厚い本2冊ですが、読みやすく、1日半で全部読みました。『百年法』は、法律です。HAVI(ハヴィ human-antiaging-virus inoculation ヒト不老化ウィルス接種処置)を処置することによって、人間は死ななくなりました。その結果、特定の人物・世代が永遠に日本共和国を支配することとなったので、下の世代の不満が高まってきました。ゆえに寿命は100年までとする法律が『百年法』です。冒頭ではまだ施行されていません。
西暦2048年からスタートします。35年後の未来人の生活はしあわせそうではありません。便利なようですが、管理される社会です。『家族』という概念は自然消滅しています。人は『個』です。
映画に戻ります。
若い時にびゅんびゅん動けていた体は、歳(とし)をとるとヨロヨロになります。だれでもです。
プロのスポーツマンだった人でもヨロヨロになります。人間の体には耐用年数があるのです。
この映画では、殺しちゃうわけか。(ガスで安楽死です。ヤダネーー)
小説家太宰治氏(だざい・おさむ氏)の、『生まれてきてすいません』を思い出しました。
この映画では、『長生きしてすいません』です。
淋しいことだけが人生の人たちです。
だけど、そんなに急がなくても、お迎えは必ず訪れます。
もう何十年も前のことですが、わたしは若い頃、入院病棟の大きな部屋にずらりと置かれたベッドに、たくさんのお年寄りたちが寝かされているシーンを見たことがあります。
もうみなさん、寝たきりで、天井を見上げたまま身動きできないのです。骨と皮の状態でした。壮観でした。そうかん:規模が大きい。
思うに、動けないけれど、心は正常に働いていたことでしょう。(自分自身が二十代のときに内臓の病気になったとき、そのような体験をしたことがあります。体が動かず声は出せないけれど、意識はあって、まわりの声は聞こえるのです)
映画の映像を観ていて、そんな昔のことを思い出しました。
人間として、人生でやることをやり終えたあとの生活は静かです。
学んで、働いて、結婚して、子どもができて、子どもを育てて一人前にして、親の介護をして見送って、孫の顔を見て、年金と貯えで生活しながら、人生が終わるまで生きるだけです。食べて寝ての日々が続きます。
映画の中では、倍賞千恵子さんもほかの高齢者の方たちも孤独です。ひとり暮らしです。
老齢で働けない。(年齢を理由に雇用されない)
年金収入が少ない。
仕送り援助をしてくれる親族もいない。身の回りの世話をしてくれる身内もいない。いても助けは期待できない。
生活保護を受けるしかない状態です。働く場所がない。住む場所がない。(高齢を理由に貸してもらえるアパートがない)。生活保護なら、役所が保証人のようなものです。高齢者でも借りることができるのでしょう。
高齢で働けず、貯えも尽きた人は、生活保護を受ければいいと思います。援助してくれる親族がいる人は少ないのが現実です。でも、倍賞千恵子さんは、相談窓口までは足を運びましたが、相談できませんでした。本日の相談件数は、もう予定数に達してしまったそうです。
倍賞千恵子さんは、生きていてもいいことがあるわけでもないから、もう死のうと気持ちが動いたのです。倍賞千恵子さんは、PLAN75を申し込みました。生き続けることをあきらめました。
<10万円の支度金(したくきん)>をもらって人生を終える。
何でもお金で解決です。(命もです)
倍賞千恵子さんは、話し相手の友人を亡くして(寿命で、自宅で孤独死されていました)、役所の担当者が話し相手です。まあ、それも、相手には給料が出る話し相手です。お話しできる時間が、『15分間だけ』とか、『30分間だけ』とかで、限られています。相手にとっては仕事なのです。むなしさとか、悲しみがあります。話を聞く職員自身も胸が詰まっています。だって、国の制度で死んじゃう人なのですから。死なせる人なのですから。
自分は若い頃、ひとり暮らしを10年間ぐらいした体験があるのですが、とある日曜日の夜に、(きょうは一日中家にいて、ひとことも言葉を発しなかった(はっしなかった))ことに気づき深いショックを受けました。結婚したいと思いました。その後、結婚できて良かったと思います。歳をとった今も、朝から晩まで相棒(嫁さん)としゃべっています。話し相手がいることは、精神状態を安全に維持するためにはだいじです。もしかしたら、この映画は、結婚促進PRの裏テーマをもっているのかもしれません。
もう寿命で亡くなった義父が言っていました。義父は90歳の高齢で亡くなりましたが、『死ぬのもたいへんだ』と言っていました。なかなか死ねるものではありません。生きるのも大変ですが、死ぬのも大変です。
劇中に出てくる若者は(磯村勇斗さん演じる岡部ヒロム)、その年齢で生まれて初めて遺体を見たのだろうか。
ちゃんと冠婚葬祭には、こどもも出席させて、葬式のときに、こどもにも遺体を見せておいたほうがいい。人間としての心を育む(はぐくむ)ために、肉親・親族の遺体を見ておいたほうがいい。そうすれば、PLAN75なんていう法制度はできあがりません。
映画全体を観ての感想です。
う~む。表現手法がうまくいっていない。なんだか、うまくない。
倍賞千恵子さんは命拾いします。
人間ってさ、やっぱり生きなきゃ。
生きることは、人間の義務と権利です。
りんごの木の下で、あした、また会いましょうというような歌詞の歌が流れました。
『あしたも会えたらいいね』です。
人間だもの。(人とふれあいたい)
ロボットじゃないもの。
わたしは、人間だもの。
倍賞千恵子さんが演じる角谷ミチさん(かくたに・みちさん)は、二度結婚して、二度離婚されたようなお話でした。こどもさんは、最初の結婚で妊娠・出産した時、死産になってしまったそうです。生きていくことは、けっこうむずかしいものです。
(鑑賞後2週間ぐらいがたって思ったこと)
お金がなくて生活ができない人であれば、生活保護を受給できる。葬儀をしてくれる人がなくても、役所が葬儀の手配と支払いをしてくれる。
だけど、お金があって、葬儀をしてくれる人がいない人はどうするのだろう。たぶんなにかしらやりようがある。システムがある。前払いでどこかへお金をおさめる。そんなことができるのだろうと想像しました。現実には起きることであり、じっさいに起きていると思います。ただ、事前に本人がそのような手続きをしていなくて、本人は死んで、お金だけが残っている状態もありそうです。
ふーっ。生きるのもたいへんですが、死ぬのもたいへんです。まあ、死んだあとは、本人の意思や意識はこの世にないわけですから、本人にとっては、まあいいかなのかもしれません。
2025年02月15日
家族 邦画 1971年
家族 邦画 1971年(昭和46年) 1時間46分 動画配信サービス
監督:山田洋次
俳優:倍賞千恵子(25歳の役。当時の本人の年齢は、29歳)、笠智衆(65歳の役。倍賞さんと同じく、66歳)、井川比佐志(30歳の役。同じく、34歳)、子役ふたり男児の兄と女児の妹(3歳と1歳)、渥美清(当時、42歳)、前田吟(まえだ・ぎん。当時、26歳)、クレージーキャッツのメンバーほか
倍賞千恵子さんの本、『倍賞千恵子の現場 「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」「駅STATION(ステーション)」出会った素敵な人たち 倍賞千恵子 PHP新書』に書いてあった映画です。興味が湧いて観てみました。
映画の公開は、1971年(昭和46年)ですが、映画の映像は、1970年(昭和45年)大阪万博の年です。なつかしい。ドキュメンタリータッチの映画としてつくられています。
長崎県の海に浮かぶ伊王島(いおうじま)から、5人家族が、北海道にある中標津駅(なかしべつ駅)を目指します。北海道の東、釧路とか根室方面にある駅です。酪農で食べて行くそうです。
長崎県の伊王島には炭鉱がありました。5人家族のうちのおじいさん65歳(笠智衆りゅうちしゅう)さんは、炭鉱夫でした。昨年秋のドラマ、『海に沈むダイヤモンド』の物語と重なるような雰囲気もあります。ドラマであるダイヤモンドの舞台だった端島(はしま。軍艦島)の北方向に、伊王島が位置しています。
映画の劇中では、笠智衆さんが何度か炭坑節を歌います。この当時は、カラオケというものは世の中にはなかったので、みんなの手拍子(てびょうし)で歌います。
サラリーマンの会社勤めがイヤで、夫が以前からの夢だった北海道にある開拓村での酪農を目指します。最初は、夫だけで行くつもりでしたが、妻の意向で、家族全員が北海道に移住することにしました。
まあ、いろいろあります。たいへんです。過酷な旅です。
電車や船の移動の途中で、あかちゃんが病気になって亡くなります。悲しみがあります。
ようやく北海道についても、おじいさんが、ぽっくり病のようにしてふとんの中で亡くなります。旅で疲れ果てたことが、亡くなった遠因(えんいん。間接的な原因)といえないこともありません。
移動の途中、広島県福山市にある駅で、おじいさんはそのときに、父親を引き取ってめんどうをみることはできないという次男と、もうこれでこの世の別れになるかもしれんと言葉をかわしたのですが、本当にそのようになってしまいました。
こんなことなら北海道へ来るんじゃなかったと、しょんぼりする長男夫婦です。
されど、亡くなる人がいれば、生まれてくる命もあります。いいこともあるし、そうでないこともあるし、それが人生です。映画には、悲しみのあとの続きがあります。いい映画でした。
自分もこどものころに体験した、日本列島を電車で移動する中身の映画です。観ていて、実感があります。わたしは7歳ごろに長崎あたりで、小型客船での移動を体験しました。寝台車ではない夜行列車の旅も体験しました。なつかしい。暗い中の走行で、遮断機が何度もカンカンカンと鳴っていました。山の中腹には大きな宣伝看板がいくつも立ててありました。
福岡県北九州の八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)の映像は、自分が小学生のときに現地で観た風景と同じでした。煙突(えんとつ)から煙が出ていました。
中学校の修学旅行では、修学旅行専用列車(ディーゼルカー)『飛梅号(とびうめ号。菅原道真公(すがわらのみちざね)にちなんでいます)』で、福岡県内にあった地元の駅から京都駅まで行きました。親たちに見送られて、朝8時頃地元の駅を出発して、夕方5時ぐらいに京都駅に到着した記憶です。車窓から見えた瀬戸内海の景色が、映画で出てくる瀬戸内海の景色と似ていました。
中学校の修学旅行では、帰りは、国鉄がストライキをしていて、大阪駅のホームに新聞紙をしいて座り、ずーっと飛梅号が来るのをホームで待っていました。もう今となっては、遠い記憶です。浅田美代子さんの歌、『赤い風船』をみんなで歌っていました。
こちらの映画では、『別れ』と、『希望』と、『出会い』があります。
最初おじいさんだけは、広島県福山市に住む次男宅でやっかいになるというような話でしたが、いざ次男の家に行ってみると、家は狭くちびっこがいて、暮らし向きがたいへんで、とてもおじいさんがやっかいになれるような状態ではありませんでした。いろいろいざこざがあります。おじいさんの次男宅での同居をあきらめました。
次男は、父親を駅のホームで見送る時に、これで最後になるかもしれないと言います。そのとおりになりました。しみじみくるものがあります。
(先日、お昼に流れているラジオの人生相談で、80代の女性が、三世代で息子の家族と暮らしているけれど、自分が、家族からやっかい者扱いされているような気がする。これからさき、どうやって、(とくに息子のお嫁さんと)付き合っていけばいいかと相談されていました。わたしも、最近、長生きするって、なんなんだろうなあと考えることがあります。長生きすることが、自分や家族にとって、いいことばかりではないなと感じるのです。つらい話ですが…… まわりに負担をかけてしまうのです)
こちらの映画では、大阪万博、太陽の塔あたりでのロケもあります。
この映画は、ドキュメンタリー映画で、役者さんたちが、雑踏の中に入って、まわりの人たちは気づかないままに撮影がなされています。
1970年(昭和45年)当時のじっさいの日本の風景や光景がフィルムにおさめられています。映像に映っている人たちの大半はもうあの世へ行かれていることでしょう。
みなさん、九州弁がうまい。
にぎやかです。じっさい、当時は映像の中のような感じでした。
人と人との距離がとても近かった。電車の中では、知らない者同士でもよく会話をしました。今どきの電車の中は、みんな無言で、シーンとしています。スマホばかりを見ています。しゃべっちゃいけないんです。へんなの。
演者のみなさんは、本当の家族のようです。観ていて、じっさいにああいう時代があったと思い出します。社会でも、他人同士が本当の家族のように暮らしていました。子だくさんの時代でしたので、次男以下は、郷里に残れず、都会に行って、他人同士で固まって、疑似家族のようにして暮らしていました。
お金の話が何度も出てきます。裕福ではない庶民の暮らしです。
老いた父親の居場所がない。狭いこどもの家での同居はできない。お金がないということはさみしいことです。
1970年(昭和40年)当時、まだ、日本人の寿命は長寿ではありませんでした。当時の男性の平均寿命は、67.74歳でした。(女性は、72.92歳)。おじいちゃん長生きしてねと言ってくれる孫がいました。
映画ってなんだろうと思いながら観ています。
山田洋次監督は、いい映画をつくられました。
倍賞千恵子さんは、必死の演技です。
大阪は、人込みだらけです。東京も同様です。
いなかから大都会に出てくると、いなかの人は、人の多さにびっくりします。そして、途方にくれます。(とほうにくれます)
おじいさんは、エスカレーターにうまくのれない。若い女性はミニスカート。ハネムーンのカップル乗客が新幹線に乗っています。
倍賞さんは自分のこどもたちに子守唄を歌ってきかせます。とてもきれいな歌声です。
クレージーキャッツのみなさんは、ちびっこに優しい。
渥美清さんの演技がおもしろい。見ているだけで、気持ちがリラックスできてほっとします。
長崎県がらみなので、キリスト教の話が出ます。カトリックだから、避妊はできないとか、堕胎(だたい。中絶)はできないとか、そっち関係の話です。お墓は映像では土葬でした。
鉄道は、JRではなくて、国鉄です。このころはよくストライキがありました。電車が動いてくれませんでした。
タバコ社会でしたから、どこへ行ってもタバコの煙だらけです。
電車の中でも喫煙可でした。
森進一さんの歌声が流れています。
みんな大きな荷物をかかえて移動しています。
ケンカしても一緒にいるのが家族です。
北海道は一面の雪景色です。広大な原野が広がっています。何もないところです。
この当時、庶民が飛行機利用で移動することはなかった記憶です。自家用車もまだ普及していませんでした。
夫が言います。『オイはアホやった』(北海道に来たことを後悔します。長崎県の伊王島にいれば良かった)
(過去の決定を振り返って)あれはあれで良かったと思うしかないのが人生です。
ちょっと重たい映画でもありました。
父親が暴君という、当時はよくあった現象です。ぼうくん:横暴なトップ
一家の主(あるじ)ではあるのですが、経験と能力が、見合っていません。井川比佐志さん演じる父親は実力不足なのです。
ひとりのがんこおやじのために、家族みんなが迷惑しています。親としても夫としても、息子としても配慮が足りません。
なにがなんでも、自分がしたいようにするおやじさんです。
過酷な旅の中でふたりの人間が疲れ果てて亡くなってしまいました。
こどもというものは、とりあえず、生きていてくれればいい。残念です。
肉親の死の悲しみに耐えながら生きていくのが人生でもあります。
最初はひとりで1回見て、2回目は夕食を食べながら家族と観ました。
いい映画でした。
監督:山田洋次
俳優:倍賞千恵子(25歳の役。当時の本人の年齢は、29歳)、笠智衆(65歳の役。倍賞さんと同じく、66歳)、井川比佐志(30歳の役。同じく、34歳)、子役ふたり男児の兄と女児の妹(3歳と1歳)、渥美清(当時、42歳)、前田吟(まえだ・ぎん。当時、26歳)、クレージーキャッツのメンバーほか
倍賞千恵子さんの本、『倍賞千恵子の現場 「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」「駅STATION(ステーション)」出会った素敵な人たち 倍賞千恵子 PHP新書』に書いてあった映画です。興味が湧いて観てみました。
映画の公開は、1971年(昭和46年)ですが、映画の映像は、1970年(昭和45年)大阪万博の年です。なつかしい。ドキュメンタリータッチの映画としてつくられています。
長崎県の海に浮かぶ伊王島(いおうじま)から、5人家族が、北海道にある中標津駅(なかしべつ駅)を目指します。北海道の東、釧路とか根室方面にある駅です。酪農で食べて行くそうです。
長崎県の伊王島には炭鉱がありました。5人家族のうちのおじいさん65歳(笠智衆りゅうちしゅう)さんは、炭鉱夫でした。昨年秋のドラマ、『海に沈むダイヤモンド』の物語と重なるような雰囲気もあります。ドラマであるダイヤモンドの舞台だった端島(はしま。軍艦島)の北方向に、伊王島が位置しています。
映画の劇中では、笠智衆さんが何度か炭坑節を歌います。この当時は、カラオケというものは世の中にはなかったので、みんなの手拍子(てびょうし)で歌います。
サラリーマンの会社勤めがイヤで、夫が以前からの夢だった北海道にある開拓村での酪農を目指します。最初は、夫だけで行くつもりでしたが、妻の意向で、家族全員が北海道に移住することにしました。
まあ、いろいろあります。たいへんです。過酷な旅です。
電車や船の移動の途中で、あかちゃんが病気になって亡くなります。悲しみがあります。
ようやく北海道についても、おじいさんが、ぽっくり病のようにしてふとんの中で亡くなります。旅で疲れ果てたことが、亡くなった遠因(えんいん。間接的な原因)といえないこともありません。
移動の途中、広島県福山市にある駅で、おじいさんはそのときに、父親を引き取ってめんどうをみることはできないという次男と、もうこれでこの世の別れになるかもしれんと言葉をかわしたのですが、本当にそのようになってしまいました。
こんなことなら北海道へ来るんじゃなかったと、しょんぼりする長男夫婦です。
されど、亡くなる人がいれば、生まれてくる命もあります。いいこともあるし、そうでないこともあるし、それが人生です。映画には、悲しみのあとの続きがあります。いい映画でした。
自分もこどものころに体験した、日本列島を電車で移動する中身の映画です。観ていて、実感があります。わたしは7歳ごろに長崎あたりで、小型客船での移動を体験しました。寝台車ではない夜行列車の旅も体験しました。なつかしい。暗い中の走行で、遮断機が何度もカンカンカンと鳴っていました。山の中腹には大きな宣伝看板がいくつも立ててありました。
福岡県北九州の八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)の映像は、自分が小学生のときに現地で観た風景と同じでした。煙突(えんとつ)から煙が出ていました。
中学校の修学旅行では、修学旅行専用列車(ディーゼルカー)『飛梅号(とびうめ号。菅原道真公(すがわらのみちざね)にちなんでいます)』で、福岡県内にあった地元の駅から京都駅まで行きました。親たちに見送られて、朝8時頃地元の駅を出発して、夕方5時ぐらいに京都駅に到着した記憶です。車窓から見えた瀬戸内海の景色が、映画で出てくる瀬戸内海の景色と似ていました。
中学校の修学旅行では、帰りは、国鉄がストライキをしていて、大阪駅のホームに新聞紙をしいて座り、ずーっと飛梅号が来るのをホームで待っていました。もう今となっては、遠い記憶です。浅田美代子さんの歌、『赤い風船』をみんなで歌っていました。
こちらの映画では、『別れ』と、『希望』と、『出会い』があります。
最初おじいさんだけは、広島県福山市に住む次男宅でやっかいになるというような話でしたが、いざ次男の家に行ってみると、家は狭くちびっこがいて、暮らし向きがたいへんで、とてもおじいさんがやっかいになれるような状態ではありませんでした。いろいろいざこざがあります。おじいさんの次男宅での同居をあきらめました。
次男は、父親を駅のホームで見送る時に、これで最後になるかもしれないと言います。そのとおりになりました。しみじみくるものがあります。
(先日、お昼に流れているラジオの人生相談で、80代の女性が、三世代で息子の家族と暮らしているけれど、自分が、家族からやっかい者扱いされているような気がする。これからさき、どうやって、(とくに息子のお嫁さんと)付き合っていけばいいかと相談されていました。わたしも、最近、長生きするって、なんなんだろうなあと考えることがあります。長生きすることが、自分や家族にとって、いいことばかりではないなと感じるのです。つらい話ですが…… まわりに負担をかけてしまうのです)
こちらの映画では、大阪万博、太陽の塔あたりでのロケもあります。
この映画は、ドキュメンタリー映画で、役者さんたちが、雑踏の中に入って、まわりの人たちは気づかないままに撮影がなされています。
1970年(昭和45年)当時のじっさいの日本の風景や光景がフィルムにおさめられています。映像に映っている人たちの大半はもうあの世へ行かれていることでしょう。
みなさん、九州弁がうまい。
にぎやかです。じっさい、当時は映像の中のような感じでした。
人と人との距離がとても近かった。電車の中では、知らない者同士でもよく会話をしました。今どきの電車の中は、みんな無言で、シーンとしています。スマホばかりを見ています。しゃべっちゃいけないんです。へんなの。
演者のみなさんは、本当の家族のようです。観ていて、じっさいにああいう時代があったと思い出します。社会でも、他人同士が本当の家族のように暮らしていました。子だくさんの時代でしたので、次男以下は、郷里に残れず、都会に行って、他人同士で固まって、疑似家族のようにして暮らしていました。
お金の話が何度も出てきます。裕福ではない庶民の暮らしです。
老いた父親の居場所がない。狭いこどもの家での同居はできない。お金がないということはさみしいことです。
1970年(昭和40年)当時、まだ、日本人の寿命は長寿ではありませんでした。当時の男性の平均寿命は、67.74歳でした。(女性は、72.92歳)。おじいちゃん長生きしてねと言ってくれる孫がいました。
映画ってなんだろうと思いながら観ています。
山田洋次監督は、いい映画をつくられました。
倍賞千恵子さんは、必死の演技です。
大阪は、人込みだらけです。東京も同様です。
いなかから大都会に出てくると、いなかの人は、人の多さにびっくりします。そして、途方にくれます。(とほうにくれます)
おじいさんは、エスカレーターにうまくのれない。若い女性はミニスカート。ハネムーンのカップル乗客が新幹線に乗っています。
倍賞さんは自分のこどもたちに子守唄を歌ってきかせます。とてもきれいな歌声です。
クレージーキャッツのみなさんは、ちびっこに優しい。
渥美清さんの演技がおもしろい。見ているだけで、気持ちがリラックスできてほっとします。
長崎県がらみなので、キリスト教の話が出ます。カトリックだから、避妊はできないとか、堕胎(だたい。中絶)はできないとか、そっち関係の話です。お墓は映像では土葬でした。
鉄道は、JRではなくて、国鉄です。このころはよくストライキがありました。電車が動いてくれませんでした。
タバコ社会でしたから、どこへ行ってもタバコの煙だらけです。
電車の中でも喫煙可でした。
森進一さんの歌声が流れています。
みんな大きな荷物をかかえて移動しています。
ケンカしても一緒にいるのが家族です。
北海道は一面の雪景色です。広大な原野が広がっています。何もないところです。
この当時、庶民が飛行機利用で移動することはなかった記憶です。自家用車もまだ普及していませんでした。
夫が言います。『オイはアホやった』(北海道に来たことを後悔します。長崎県の伊王島にいれば良かった)
(過去の決定を振り返って)あれはあれで良かったと思うしかないのが人生です。
ちょっと重たい映画でもありました。
父親が暴君という、当時はよくあった現象です。ぼうくん:横暴なトップ
一家の主(あるじ)ではあるのですが、経験と能力が、見合っていません。井川比佐志さん演じる父親は実力不足なのです。
ひとりのがんこおやじのために、家族みんなが迷惑しています。親としても夫としても、息子としても配慮が足りません。
なにがなんでも、自分がしたいようにするおやじさんです。
過酷な旅の中でふたりの人間が疲れ果てて亡くなってしまいました。
こどもというものは、とりあえず、生きていてくれればいい。残念です。
肉親の死の悲しみに耐えながら生きていくのが人生でもあります。
最初はひとりで1回見て、2回目は夕食を食べながら家族と観ました。
いい映画でした。
2025年02月13日
ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in長野
ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in長野 松本駅から飯山市飯山城址公園(いいやまじょうしこうえん) テレビ東京
太川陽介チーム:えなこ(コスプレイヤー。わたしは存じ上げませんが、旅の途中で立ち寄った中野市がアニメキャラクターの掲示物を市役所にたくさん出して宣伝していたので、オタク文化への取り組みがすばらしいと、えなこさんがとても盛り上がるようすに驚きました)
お笑いコンビマシンガンズ西堀亮(にしほり・りょう)。わたしは、相方の滝沢修一さんが書いた本を読んだことがあります。 『このゴミは収集できません マシンガンズ 滝沢秀一(たきざわ・しゅういち) 白夜書房』。お笑い芸人だけでは生活できないので、ごみ収集員をもう6年間している。ごみ出しのルールを守らない人は、ほかのルールも守らない。守れない。守る気がない。そういう人は避けたほうがいい。そんなことが書いてありました。
河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙田真希(バスケットボール女子日本代表。愛知県の人なんだと気づきました。名古屋市内にあるバスケットボールが強い桜花学園高校(おうかがくえんこうこう)を出られた人でした)
元木大介(プロ野球元巨人軍選手。わたしはあまり好きな人ではありません。曲者(くせもの。あやしい奴)と呼ばれています。今回も、歩きたくない、やる気ないという態度で始まって、同じチームの髙田真希さんから、あの人、本当にアスリート(身体運動に優れた選手)だったんですかと愚痴(ぐち)られていました。世代が違うから、たぶん、元木選手がプレイしていたシーンは見たことがないのでしょう)
内容はとても良かった。
河合郁人チームの最後のあたりの追い上げが、勢いがあって、わたしはもしかしたら河合チームが逆転勝ちしたのではないかと思いました。(同点引き分けでした)
髙田真希さんは体が大きいなあ。
長野駅前で女子高生たちに声をかけられていっしょに写真におさまっておられました。女子高生たちはとても喜んでいました。
へんな話ですが、長野駅前のバスターミナルで、先日通り魔事件があったわけで、以前、わたしたち夫婦もそのバスターミナルを利用して善光寺へ行ったことがあり、今回のこの番組の映像でも自分も立っていたことがある事件現場らしきあたりが映っており、不思議な気持ちになりました。
あと、映像を見ていると、たぶん移動途中の風景で、桜が咲いているようでした。ロケが、昨年の春とは思えず、秋に咲く桜の花だろうと思いました。(その後:昨年(2024年)の春にロケをしたのであろうとネットの記事で読みました。どうして、それからずーっと放送しなかったのだろう。今はもうテレビから大雪情報が流れる2025年2月です。きょうも外は雪景色です。(2月8日土曜日にこれを書いています)。へんなの)
チェックポイントでの食べ物がおいしそうでした。
①アップルパイ:パイ生地が粉雪みたいだと太川さんが言っていました。サラサラだそうです。そして、リンゴがおいしい。
②ハーブティーとシュークリーム
③栗パフェ:たまたま今NHKで放送している夜ドラ、『バニラな毎日』で、モンブランづくりをしているのですが、こちらの映像では、モンブランのパフェに見える商品でした。ふたつの出来事が重なりました。
④キノコのピザ:日本で収穫するキノコの量が日本では長野が一番多いというような説明がありました。そうなのか。
えびすよしかずさんの、『陣(じん)とられましたよ』の声が携帯電話からときおり流れてきます。なつかしい。えびすさんは認知症になってしまって、もう自分がバス旅をしていたことも忘れてしまわれたそうです。ときどき、録画してある昔のバス旅の映像を再生して見ています。しみじみします。人はだれしもそうやって老いていくのです。
洋服かぶりがおもしろかった。
マシンガンズの西堀亮さんですが、上に着ている服の色は、同じチームのえなこさんが着ている緑色の洋服の色と重なり、下に着ていたボーダー(横しま模様)のシャツは、太川さんが着ている服を同じ柄で重なっていました。おもしろかった。
なにせ、人がいません。道を聞きたくても、人が外を歩いていません。う~む。過疎地(かそち)ですな。バスの路線や本数も少ないのでしょう。
両チームのかけひきというか、なりゆきが、とてもおもしろい。
事前の根回しなしのガチ(真剣勝負。本気(ほんき))だからおもしろい。
おもしろいなあ。太川陽介チームがあきらめたお餅屋さんを、あとから来た河合郁人チームが取りました。『信州須坂藩一万石』という食べ物で、将棋の藤井聡太王将がその食べ物を食べたそうです。
なかなか良かった。楽しめました。
太川陽介チーム:えなこ(コスプレイヤー。わたしは存じ上げませんが、旅の途中で立ち寄った中野市がアニメキャラクターの掲示物を市役所にたくさん出して宣伝していたので、オタク文化への取り組みがすばらしいと、えなこさんがとても盛り上がるようすに驚きました)
お笑いコンビマシンガンズ西堀亮(にしほり・りょう)。わたしは、相方の滝沢修一さんが書いた本を読んだことがあります。 『このゴミは収集できません マシンガンズ 滝沢秀一(たきざわ・しゅういち) 白夜書房』。お笑い芸人だけでは生活できないので、ごみ収集員をもう6年間している。ごみ出しのルールを守らない人は、ほかのルールも守らない。守れない。守る気がない。そういう人は避けたほうがいい。そんなことが書いてありました。
河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙田真希(バスケットボール女子日本代表。愛知県の人なんだと気づきました。名古屋市内にあるバスケットボールが強い桜花学園高校(おうかがくえんこうこう)を出られた人でした)
元木大介(プロ野球元巨人軍選手。わたしはあまり好きな人ではありません。曲者(くせもの。あやしい奴)と呼ばれています。今回も、歩きたくない、やる気ないという態度で始まって、同じチームの髙田真希さんから、あの人、本当にアスリート(身体運動に優れた選手)だったんですかと愚痴(ぐち)られていました。世代が違うから、たぶん、元木選手がプレイしていたシーンは見たことがないのでしょう)
内容はとても良かった。
河合郁人チームの最後のあたりの追い上げが、勢いがあって、わたしはもしかしたら河合チームが逆転勝ちしたのではないかと思いました。(同点引き分けでした)
髙田真希さんは体が大きいなあ。
長野駅前で女子高生たちに声をかけられていっしょに写真におさまっておられました。女子高生たちはとても喜んでいました。
へんな話ですが、長野駅前のバスターミナルで、先日通り魔事件があったわけで、以前、わたしたち夫婦もそのバスターミナルを利用して善光寺へ行ったことがあり、今回のこの番組の映像でも自分も立っていたことがある事件現場らしきあたりが映っており、不思議な気持ちになりました。
あと、映像を見ていると、たぶん移動途中の風景で、桜が咲いているようでした。ロケが、昨年の春とは思えず、秋に咲く桜の花だろうと思いました。(その後:昨年(2024年)の春にロケをしたのであろうとネットの記事で読みました。どうして、それからずーっと放送しなかったのだろう。今はもうテレビから大雪情報が流れる2025年2月です。きょうも外は雪景色です。(2月8日土曜日にこれを書いています)。へんなの)
チェックポイントでの食べ物がおいしそうでした。
①アップルパイ:パイ生地が粉雪みたいだと太川さんが言っていました。サラサラだそうです。そして、リンゴがおいしい。
②ハーブティーとシュークリーム
③栗パフェ:たまたま今NHKで放送している夜ドラ、『バニラな毎日』で、モンブランづくりをしているのですが、こちらの映像では、モンブランのパフェに見える商品でした。ふたつの出来事が重なりました。
④キノコのピザ:日本で収穫するキノコの量が日本では長野が一番多いというような説明がありました。そうなのか。
えびすよしかずさんの、『陣(じん)とられましたよ』の声が携帯電話からときおり流れてきます。なつかしい。えびすさんは認知症になってしまって、もう自分がバス旅をしていたことも忘れてしまわれたそうです。ときどき、録画してある昔のバス旅の映像を再生して見ています。しみじみします。人はだれしもそうやって老いていくのです。
洋服かぶりがおもしろかった。
マシンガンズの西堀亮さんですが、上に着ている服の色は、同じチームのえなこさんが着ている緑色の洋服の色と重なり、下に着ていたボーダー(横しま模様)のシャツは、太川さんが着ている服を同じ柄で重なっていました。おもしろかった。
なにせ、人がいません。道を聞きたくても、人が外を歩いていません。う~む。過疎地(かそち)ですな。バスの路線や本数も少ないのでしょう。
両チームのかけひきというか、なりゆきが、とてもおもしろい。
事前の根回しなしのガチ(真剣勝負。本気(ほんき))だからおもしろい。
おもしろいなあ。太川陽介チームがあきらめたお餅屋さんを、あとから来た河合郁人チームが取りました。『信州須坂藩一万石』という食べ物で、将棋の藤井聡太王将がその食べ物を食べたそうです。
なかなか良かった。楽しめました。
2025年02月12日
バニラな毎日 NHK夜ドラ 5話から12話
バニラな毎日 NHK夜ドラ 5話から12話 月曜日~金曜日夜10時45分~11時 NHKとかNHK+とか
第5話
う~む。前週と比較すると、あんまり内容が自分に入ってきません。
メンタルっぽくなった音楽バンドのボーカルさんが登場します。
いきなり、ドンドンドンと入口ドアをたたき続けるので、闇バイトの強盗が来たのかと勘違いしそうです。オソロシイ
バンドマンボーカル 役名:秋山静(あきやま・しずか) 俳優:木戸大聖(きど・たいせい) 有名な音楽バンドだそうですが、パティシエ(洋菓子職人)の白井葵は彼を知りません。彼は、思うところあってなのか、体調面なのか理由はまだ明らかにされませんが、活動休止中だそうです。秋山静のバンドは、全国ツアーで10万人の観客を集めたそうです。彼は、下戸(げこ。アルコールは受け付けない体。お酒を飲めない)で、お菓子は好き。
毎週4話でひとつのお話が完結するスタイルをとるようです。
4話ですから、毎日が、『起承転結(きしょうてんけつ)』の順番なのでしょう。
本日は、『起(き)』の部分ですな。
秋山静は、佐渡谷真奈美と白井葵に教えてもらって、佐渡谷真奈美の料理教室で、『オペラ』というケーキをつくりたい。(高級感があるケーキです)
素人(しろうと。秋山静)には、『オペラ』はむずかしくてつくれない。『ブラウニー』というケーキならいいのではないか。
なんだかんだあって、代わりに、『ザッハトルテ』という洋菓子をつくることになりました。
アプリコットジャムがいるそうです。(アプリコットは植物。あんず。甘酸っぱさを生かしたジャム)
白井葵の心の気づきがあります。今まで、仕事の狭い世界にいて、気づけていなかった街で暮らす人たちの日常に気づきます。(ここが、この週のポイントになっていくのでしょう)
第6話
白井葵が自営の洋菓子店を成功させるために欠けている部分が明らかにされる今週の話題なのでしょう。
今週のゲスト、秋山静が、鋭く切り込む気配があります。対立です。秋山静と白井葵が険悪になるのでしょう。もともとタイプが真逆のふたりです。
15分間という短い時間帯にたくさんの情報が詰め込まれているので理解することに時間を要します。
料理については研修のようです。料理番組のようでもありますがドラマです。恋愛の話になります。お客さんをひきつけるお店にするためには、店主の人間性が大事なのです。まじめで熱心なだけでは商売はもうからないのです。
パッション:激しい情熱
ブラウニー:庶民
オペラ:特別な人
ひとりの人間の中に、ブラウニーもあれば、オペラもある。
秋山静は、楽曲創作のために恋愛を重ねた。(浮気もした)。本当に相手が好きだったのか。恋愛行為が好きだったのか。相手からは、創作のために自分を恋人にしていると拒否された。別れた。
落ち込んだ秋山静は、カウンセラーに相談した。カウンセラーは、佐渡谷真奈美の姪(めい。兄弟姉妹のこども)だった。名前を明日香先生という。
ここで、判明することがあります。このつぶれた洋菓子店での料理教室は、カウンセリングを受けている人が来る料理教室なのです。来訪者はみなさんリッチマンですな。生徒はひとりだけですから、授業料は高額です。
気楽が一番。この場限りの関係とする。ここは、ストレス社会で自分が解放される場所とする。脱力系の自分でいられる場所だそうです。
グラサージュ:ケーキなどの表面に糖衣(とうい。糖分でおおう)をする。
白井葵:なんでも自分でやるタイプです。人に任せられない。譲らない。(ゆずらない)。その点をあなたの弱点だと、秋山静が指摘します。白井葵が怒ります。『何ですか! はっきり言ってください!』
ケーキを例にしてのたとえ話があります。
異質なものを合わせる。対極にあるものを合わせる。チョコとあんず、男と女、合わせるとは、恋をすること。味が良くなる。人生の味わいが良くなる。
う~む。抽象的ではあります。暗示のようです。
白井葵は、無機質な世界で生きている。むきしつ:生命感がない。
以下、ケーキの種類などです。
オペラ:ぜいたく、華美な味
ブラウニー:庶民の味
ザッハトルテ:日常を豊かにしてくれるのは、ザッハトルテ
ルセット:レシピ、料理法
第7話
蓮佛美沙子さんの演技がずば抜けてうまい。真剣です。
他人と関わることを避けている個性だそうです。白井葵も秋山静も。
ふたりとも同類の人間だそうです。
自分ひとりで生きる。
自分ひとりでやらねばならないと思いこんでいる。
人を頼れない。(白井葵の脳裏で、『おかあさん』という声がしました。なにかわけありのようです。母親は頼れなかった成育歴があるのかもしれません)
がんばっても報われない(嫌われて、人が離れていく)
第8話
ぬるい感じがしました。
白井葵(蓮佛美沙子さん)と秋山静(あきやま・しずか。木戸大聖さん)をカップルにしたいのですが、なんか似合いません。
男子がこどもっぽく見えます。逆に女子はおとなっぽい。
無理なカップル編成に見えます。
あとは、本音で話ができることはいいことです。現実の夫婦は本音で話すので、ときに対立します。
(人はたいてい)『これしかやれることがないこと』を仕事にしている。(そのとおりです。給料が高い安い以前に、自分ができることを仕事にします)
佐渡谷真奈美は、フランスパリにいたことがあるようです。
バニラビーンズ:さやに入った状態のバニラ。おおきな豆みたいです。
第9話
新しい登場人物の登場です。
優美(ゆみ。演者は、伊藤修子さん):なんか、変なキャラクター(個性)です。人を殺したことがあるそうです。(どういう意味?)(佐渡谷真奈美さんの姪(カウンセラーをしている)のお客さんだそうです。
優美はどうして、機械のように淡々としゃべるのだろう。変です。
優美は、実母に対する後悔があるそうです。実母が亡くなるまでの経過について後悔があるそうです。
母が好きだった洋菓子が、ケーキの、『モンブラン』だそうです。
今回は、三人で、モンブランづくりに挑戦するそうです。
白井葵と秋山静との恋愛話の種も最後の当たりで落としてありますが、わたしは、カップルとしてピタッとこないなと感じています。
このドラマの主役は、蓮佛美沙子さんです。脇役が、永作博美さんです。そう感じました。若い人にがんばってもらおう。
第10話
秋山静は、白井葵と付き合いたい。見た目ではなく、人間の内面性をみて、自分と同じ性質をもっていると判断できるから好きになったそうです。
真剣な理由ですが、演技としては、気持ちが伝わってきません。う~む。配役ミスか。
優美の母親とのうまくいかなかった過去の詳細がわからないので、優美のこだわりが観ていてわかりません。うむ。説明不足か。
優美を中心とした三人の女子たちは、ケーキ、『モンブラン』づくりを始めます。優美と母親との事情をかんがみたモンブランづくりです。優美が好きなチーズケーキのチーズと母親が好きだった栗のモンブランをくっつけるそうですが、優美に抵抗感があります。母は家を出て行った自分をうらんでいたそうです。(ここも、ちと、わかりかねます。こどもというものは、いつかは、家から巣立つのがあたりまえのことです)(「どこに行くのゆみちゃん? 待って、行かないで! (う~む。毒親ですな)」
『スフレフロマージュ入りモンブラン』をつくります。
エクセラン:フランス語で、「すばらしい」、「みごとな」、「卓越した」、「最高の」
第11話
話はけっこうややこしい。優美と亡くなったとされる母親との関係です。(優美が、自分は母親を殺したといいますが、直接手をくだしたわけではなさそうです。見殺しにしたということでしょう。母親は、病気だったのか、自殺されたのか。どうも雰囲気としては、病死のようです)
優美(ゆみ)は長い引きこもり生活を送っていた。
父親が死んだ。
母親とふたりで、ケーキを食べに行った。(家から出ることができた)
ケーキがとてもおいしかった。
母親に感謝した。
ゆみは、ボランティア活動を始めた。
ゆみは家を出て自立したいと思った。
母親が、ゆみが家を出ることを拒んだ。
いろいろあります。
表現手法が舞台劇のようです。
ゆみの心の中で、母親の言葉が繰り返されます。
幻聴ですな。心の病気ですな。
ゆみの頭の中は、母親に対する、『ゴメンナサイ』でいっぱいです。
(ふ~む。へんですな。見ている自分には理解できません)
母がうざい。
母親が死んだ日に、ゆみはボランティア仲間とカラオケボックスで夜遊びをしていた。朝帰りをした。心配したであろう母親からスマホに何度も電話があったが無視した。(電話に出なかったことで深く、強く、悔いている(くいている))
(ケーキを)食べることで、幸せな気持ちになれる。
複雑な心の中の葛藤(かっとう。ああでもないこうでもない)があります。
(実は(じつは)ゆみは)母がいなくなって、ホッとした。
(罪悪感はある)
本を一冊思い出しました。
『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』
過干渉な親の話でした。
第12話
もやもやとしたものがありますが、ゆみの件はひと段落したようです。
次回は、高校二年生車いすの少女がお菓子づくりに挑戦するというような前振りがありました。マカロンをつくりたいそうです。
いっぽう白井葵のほうは、スカウト話がきました。やはり、就職とか人事は人間関係が大事です。
ていねいな仕事をする白井葵の洋菓子づくりを見ていてくれる人がいます。借金が400万円もある白井葵です。さて、どうするのか。
大手メーカーであるデイジー食品ホールディングス(日本一店舗数が多いチェーン店のパン屋)開発部長岩下純平さんからの申し出です。(岩下純平さんの奥さんとアルバイトの白井葵が仕事仲間です)
佐渡谷真奈美(永作博美)には、秘密があります。
なぜ、お金があるのか。
本人いわく、自分もカウンセラーのクライアントだった。(患者だったということでしょう)
オルヴォアール:フランス語で、「さようなら」
第5話
う~む。前週と比較すると、あんまり内容が自分に入ってきません。
メンタルっぽくなった音楽バンドのボーカルさんが登場します。
いきなり、ドンドンドンと入口ドアをたたき続けるので、闇バイトの強盗が来たのかと勘違いしそうです。オソロシイ
バンドマンボーカル 役名:秋山静(あきやま・しずか) 俳優:木戸大聖(きど・たいせい) 有名な音楽バンドだそうですが、パティシエ(洋菓子職人)の白井葵は彼を知りません。彼は、思うところあってなのか、体調面なのか理由はまだ明らかにされませんが、活動休止中だそうです。秋山静のバンドは、全国ツアーで10万人の観客を集めたそうです。彼は、下戸(げこ。アルコールは受け付けない体。お酒を飲めない)で、お菓子は好き。
毎週4話でひとつのお話が完結するスタイルをとるようです。
4話ですから、毎日が、『起承転結(きしょうてんけつ)』の順番なのでしょう。
本日は、『起(き)』の部分ですな。
秋山静は、佐渡谷真奈美と白井葵に教えてもらって、佐渡谷真奈美の料理教室で、『オペラ』というケーキをつくりたい。(高級感があるケーキです)
素人(しろうと。秋山静)には、『オペラ』はむずかしくてつくれない。『ブラウニー』というケーキならいいのではないか。
なんだかんだあって、代わりに、『ザッハトルテ』という洋菓子をつくることになりました。
アプリコットジャムがいるそうです。(アプリコットは植物。あんず。甘酸っぱさを生かしたジャム)
白井葵の心の気づきがあります。今まで、仕事の狭い世界にいて、気づけていなかった街で暮らす人たちの日常に気づきます。(ここが、この週のポイントになっていくのでしょう)
第6話
白井葵が自営の洋菓子店を成功させるために欠けている部分が明らかにされる今週の話題なのでしょう。
今週のゲスト、秋山静が、鋭く切り込む気配があります。対立です。秋山静と白井葵が険悪になるのでしょう。もともとタイプが真逆のふたりです。
15分間という短い時間帯にたくさんの情報が詰め込まれているので理解することに時間を要します。
料理については研修のようです。料理番組のようでもありますがドラマです。恋愛の話になります。お客さんをひきつけるお店にするためには、店主の人間性が大事なのです。まじめで熱心なだけでは商売はもうからないのです。
パッション:激しい情熱
ブラウニー:庶民
オペラ:特別な人
ひとりの人間の中に、ブラウニーもあれば、オペラもある。
秋山静は、楽曲創作のために恋愛を重ねた。(浮気もした)。本当に相手が好きだったのか。恋愛行為が好きだったのか。相手からは、創作のために自分を恋人にしていると拒否された。別れた。
落ち込んだ秋山静は、カウンセラーに相談した。カウンセラーは、佐渡谷真奈美の姪(めい。兄弟姉妹のこども)だった。名前を明日香先生という。
ここで、判明することがあります。このつぶれた洋菓子店での料理教室は、カウンセリングを受けている人が来る料理教室なのです。来訪者はみなさんリッチマンですな。生徒はひとりだけですから、授業料は高額です。
気楽が一番。この場限りの関係とする。ここは、ストレス社会で自分が解放される場所とする。脱力系の自分でいられる場所だそうです。
グラサージュ:ケーキなどの表面に糖衣(とうい。糖分でおおう)をする。
白井葵:なんでも自分でやるタイプです。人に任せられない。譲らない。(ゆずらない)。その点をあなたの弱点だと、秋山静が指摘します。白井葵が怒ります。『何ですか! はっきり言ってください!』
ケーキを例にしてのたとえ話があります。
異質なものを合わせる。対極にあるものを合わせる。チョコとあんず、男と女、合わせるとは、恋をすること。味が良くなる。人生の味わいが良くなる。
う~む。抽象的ではあります。暗示のようです。
白井葵は、無機質な世界で生きている。むきしつ:生命感がない。
以下、ケーキの種類などです。
オペラ:ぜいたく、華美な味
ブラウニー:庶民の味
ザッハトルテ:日常を豊かにしてくれるのは、ザッハトルテ
ルセット:レシピ、料理法
第7話
蓮佛美沙子さんの演技がずば抜けてうまい。真剣です。
他人と関わることを避けている個性だそうです。白井葵も秋山静も。
ふたりとも同類の人間だそうです。
自分ひとりで生きる。
自分ひとりでやらねばならないと思いこんでいる。
人を頼れない。(白井葵の脳裏で、『おかあさん』という声がしました。なにかわけありのようです。母親は頼れなかった成育歴があるのかもしれません)
がんばっても報われない(嫌われて、人が離れていく)
第8話
ぬるい感じがしました。
白井葵(蓮佛美沙子さん)と秋山静(あきやま・しずか。木戸大聖さん)をカップルにしたいのですが、なんか似合いません。
男子がこどもっぽく見えます。逆に女子はおとなっぽい。
無理なカップル編成に見えます。
あとは、本音で話ができることはいいことです。現実の夫婦は本音で話すので、ときに対立します。
(人はたいてい)『これしかやれることがないこと』を仕事にしている。(そのとおりです。給料が高い安い以前に、自分ができることを仕事にします)
佐渡谷真奈美は、フランスパリにいたことがあるようです。
バニラビーンズ:さやに入った状態のバニラ。おおきな豆みたいです。
第9話
新しい登場人物の登場です。
優美(ゆみ。演者は、伊藤修子さん):なんか、変なキャラクター(個性)です。人を殺したことがあるそうです。(どういう意味?)(佐渡谷真奈美さんの姪(カウンセラーをしている)のお客さんだそうです。
優美はどうして、機械のように淡々としゃべるのだろう。変です。
優美は、実母に対する後悔があるそうです。実母が亡くなるまでの経過について後悔があるそうです。
母が好きだった洋菓子が、ケーキの、『モンブラン』だそうです。
今回は、三人で、モンブランづくりに挑戦するそうです。
白井葵と秋山静との恋愛話の種も最後の当たりで落としてありますが、わたしは、カップルとしてピタッとこないなと感じています。
このドラマの主役は、蓮佛美沙子さんです。脇役が、永作博美さんです。そう感じました。若い人にがんばってもらおう。
第10話
秋山静は、白井葵と付き合いたい。見た目ではなく、人間の内面性をみて、自分と同じ性質をもっていると判断できるから好きになったそうです。
真剣な理由ですが、演技としては、気持ちが伝わってきません。う~む。配役ミスか。
優美の母親とのうまくいかなかった過去の詳細がわからないので、優美のこだわりが観ていてわかりません。うむ。説明不足か。
優美を中心とした三人の女子たちは、ケーキ、『モンブラン』づくりを始めます。優美と母親との事情をかんがみたモンブランづくりです。優美が好きなチーズケーキのチーズと母親が好きだった栗のモンブランをくっつけるそうですが、優美に抵抗感があります。母は家を出て行った自分をうらんでいたそうです。(ここも、ちと、わかりかねます。こどもというものは、いつかは、家から巣立つのがあたりまえのことです)(「どこに行くのゆみちゃん? 待って、行かないで! (う~む。毒親ですな)」
『スフレフロマージュ入りモンブラン』をつくります。
エクセラン:フランス語で、「すばらしい」、「みごとな」、「卓越した」、「最高の」
第11話
話はけっこうややこしい。優美と亡くなったとされる母親との関係です。(優美が、自分は母親を殺したといいますが、直接手をくだしたわけではなさそうです。見殺しにしたということでしょう。母親は、病気だったのか、自殺されたのか。どうも雰囲気としては、病死のようです)
優美(ゆみ)は長い引きこもり生活を送っていた。
父親が死んだ。
母親とふたりで、ケーキを食べに行った。(家から出ることができた)
ケーキがとてもおいしかった。
母親に感謝した。
ゆみは、ボランティア活動を始めた。
ゆみは家を出て自立したいと思った。
母親が、ゆみが家を出ることを拒んだ。
いろいろあります。
表現手法が舞台劇のようです。
ゆみの心の中で、母親の言葉が繰り返されます。
幻聴ですな。心の病気ですな。
ゆみの頭の中は、母親に対する、『ゴメンナサイ』でいっぱいです。
(ふ~む。へんですな。見ている自分には理解できません)
母がうざい。
母親が死んだ日に、ゆみはボランティア仲間とカラオケボックスで夜遊びをしていた。朝帰りをした。心配したであろう母親からスマホに何度も電話があったが無視した。(電話に出なかったことで深く、強く、悔いている(くいている))
(ケーキを)食べることで、幸せな気持ちになれる。
複雑な心の中の葛藤(かっとう。ああでもないこうでもない)があります。
(実は(じつは)ゆみは)母がいなくなって、ホッとした。
(罪悪感はある)
本を一冊思い出しました。
『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』
過干渉な親の話でした。
第12話
もやもやとしたものがありますが、ゆみの件はひと段落したようです。
次回は、高校二年生車いすの少女がお菓子づくりに挑戦するというような前振りがありました。マカロンをつくりたいそうです。
いっぽう白井葵のほうは、スカウト話がきました。やはり、就職とか人事は人間関係が大事です。
ていねいな仕事をする白井葵の洋菓子づくりを見ていてくれる人がいます。借金が400万円もある白井葵です。さて、どうするのか。
大手メーカーであるデイジー食品ホールディングス(日本一店舗数が多いチェーン店のパン屋)開発部長岩下純平さんからの申し出です。(岩下純平さんの奥さんとアルバイトの白井葵が仕事仲間です)
佐渡谷真奈美(永作博美)には、秘密があります。
なぜ、お金があるのか。
本人いわく、自分もカウンセラーのクライアントだった。(患者だったということでしょう)
オルヴォアール:フランス語で、「さようなら」
2025年02月10日
NHKドラマ10 東京サラダボウル エピソード5
NHKドラマ10 火曜日午後10時 東京サラダボウル 国際捜査事件簿 エピソード5
俳優:奈緒(鴻田麻里こうだ・まり)、松田龍平(有木野了ありきの・りょう。アリキーノと呼ばれる)、中村蒼(なかむら・あおい。織田覚おだ・さとる)、武田玲奈(今井もみじ。ベトナム語通訳)、関口メンディー(黒須雄介。英語通訳)、 阿部進之介(八柳隆太やなぎ・りゅうた。警視庁捜査一課)、平原テツ(太良尾保たらお・たもつ。元暴力団担当の係長)、イモトアヤコ(清宮百合。シンハラ語通訳。通訳の総括)、皆川猿時(飯山修・総括係長)
『ep5(エピソード5) ティエンと進』
高齢者介護施設で起きた冤罪窃盗事件(えんざいせっとうじけん。施設入所者のタブレットが、ベトナム人技能実習生男性のロッカーで見つかった。日本人同僚が盗んで、ベトナム人実習生のロッカーに入れた。ベトナム人技能実習生は、窃盗の疑いで、警察署へ連れていかれた)です。
日本人労働者によるベトナム人技能実習生に対する差別とか嫉妬(しっと)が遠因となっています。ドラマでは、孤独で未熟な日本人男性労働者たちの姿を浮き彫りにしています。
深い話です。人間の心の奥底にある汚れた気持ち、そして逆に、きれいな気持ちがじょうずに表現されたいい作品でした。たいしたものです。
アリキーノについては、今後の展開として、同性愛らしきネタが、ときおりシーンとして置いてあります。
伏線の設定の仕方が抜群にうまい。
今回タイトルの、『(登場人物の名前)進』の意味が最後にわかるように構成してあります。感心しました。
通訳の話です。言葉の誤解があります。日本人若者男性労働者が、ベトナム人技能実習生男性が言った、『同じ』の意味を取り違えます。
誤解です。ベトナム人技能実習生男性に悪気(わるぎ)とか悪意はありません。そのことが最後にわかります。日本人たちは、深く反省することになります。
『ドジった』という言葉が効果的に活用されました。じょうずに伏線がはってありました。
ドラマは、警察署で働く通訳さんたちの話ですから、言葉に関する考察がいろいろ出てくるドラマです。
禁煙話が出ます。(タバコはやめたほうがいい。タバコを吸っても幸せにはなれません。不幸にはなります)
外国人技能実習生に対する偏見ですが、教える立場にある日本人事業所従事者の不満があります。外国人に、仕事をいくら教えてあげても、期限がくれば帰国してしまう。教えがいがないというものです。自分や自分が働いている施設にかえってくるメリット(利点、利益)がない。
仕事というものは、そういうものです。マニュアルに従って機械のように同じ動作を繰り返すということで、だれかの役には立っています。あわせて、給料ももらえます。働いてお金をもらうときは、気持ちに折り合いをつけて、割り切ることがだいじです。
ドラマを見ていて、アメリカ合衆国新大統領の不法移民強制追い出し政策が頭に浮かびました。なんというか、得する人がいる反面、困る人もいるのが、人間社会のありようです。ひとり勝ちはありえません。強い権力を持つ者は、どこかの線で、妥協が必要です。
ベトナム人技能実習生役の方の演じ方がいい。しみじみとしながら、淡々(たんたん)としているところがいい。大声をあげて、わめくような演技は案外簡単です。感情を静かに表現するところに演技者の技量があります。
故郷を離れる。
家族と離れる。
友だちがいない。
ひとりぼっち。
毎日目上の人にどなられて、まわりの人たちからは、かわいそうと見られている。そんな自分がみじめだ。
ベトナム人技能実習生をかわいそうだと思っていたら、かわいそうなのは、(日本人の)自分のほうだったことに気づいた日本人の若者がいます。そんな流れです。
家族がいないというのはつらい。
現役で働いていたころ、クレーマー対応の仕事をしていたことがあります。
かなりしんどい。
仕事をしながら、いつも思っていたことです。
クレーマー=孤独。いつも文句ばかり言ったり、相手の言うことを否定したりするから、人が離れていく。ひとりぼっちです。自分が優位な立場で、自分と話をしてくれる話し相手がほしい。ひとりぼっちでさびしい人。それが、クレーマーだと。
たいていのクレーマーには、家族がいない。いても、家族や親族から相手にされていない。
対して、話を聞いている自分には、心の支えになってくれる妻やこどもたちや孫たちもいる。
相手には、親身になってくれる妻子も身内も友だちもいない。
相手と比べて、自分のほうが幸せだ。
だから、この仕事に耐えられる。
仕事をしていくうえで、なにかしら、気持ち的に、相手よりも優位な位置にいないと、心が壊れやすいということはあります。
ドラマが発するメッセージは深くて重い。
『同情』と、『友情』は違う。
相手の基本的人権を尊重することは、自分自身を守るためにもある。
お互いに必要だからここにいる。『存在』に関する考察があります。
相手を信じないと、友情は成立しない。
『許容』と、『あきらめ』が必要です。
外国人には、働いてもらっている。
仕事において、最前線の現場で体を動かして働く日本人の数が減りました。学歴が高いことを利用して、口を動かして指示をするだけの仕事を好む人が増えました。
日本人社会のあらゆるボリューム(分量。人口、経済力、生活能力、知恵)が、しぼみはじめています。
飲食を共にして、おしゃべりを楽しみながら交流する。
今回も、食べ物シーンがいくつかありました。
日本生まれのベトナム人です。見た目は外国人でも、中身は日本人です。
このドラマの趣旨は、国際化です。
ベトナム人名である、『ミン』は、漢字で(ベトナムにも漢字文化があるそうです)『明』と書く。人には、『アキラ』と呼ばれている。
冤罪(えんざい。ぬれぎぬ。じっさいは無実)の罪をきせられたベトナム人若者名の、『ティエン』は、漢字で、『進』と書く。だから、冤罪となる原因をつくったティエンの同僚の進さんは、ティエンと同じ名前なのです。
ティエンの口から出た、『同じ』という言葉を、同僚の進さんは誤解して、悪い意味にとってしまいました。いつも下に見ていたベトナム人に、自分がばかにされたと勘違いをしてしまいました。残念な出来事でした。言葉の意味のとりかたで、結果が正反対になってしまいました。
自分の関係する人(親族や友人)が、幸せそうにしていると、自分の心が満たされて、うれしいという感情が湧いてくることがあります。こまやかな人間心理を扱った、なかなか深いお話でした。よかった。今年観て良かったドラマの一本になりました。
俳優:奈緒(鴻田麻里こうだ・まり)、松田龍平(有木野了ありきの・りょう。アリキーノと呼ばれる)、中村蒼(なかむら・あおい。織田覚おだ・さとる)、武田玲奈(今井もみじ。ベトナム語通訳)、関口メンディー(黒須雄介。英語通訳)、 阿部進之介(八柳隆太やなぎ・りゅうた。警視庁捜査一課)、平原テツ(太良尾保たらお・たもつ。元暴力団担当の係長)、イモトアヤコ(清宮百合。シンハラ語通訳。通訳の総括)、皆川猿時(飯山修・総括係長)
『ep5(エピソード5) ティエンと進』
高齢者介護施設で起きた冤罪窃盗事件(えんざいせっとうじけん。施設入所者のタブレットが、ベトナム人技能実習生男性のロッカーで見つかった。日本人同僚が盗んで、ベトナム人実習生のロッカーに入れた。ベトナム人技能実習生は、窃盗の疑いで、警察署へ連れていかれた)です。
日本人労働者によるベトナム人技能実習生に対する差別とか嫉妬(しっと)が遠因となっています。ドラマでは、孤独で未熟な日本人男性労働者たちの姿を浮き彫りにしています。
深い話です。人間の心の奥底にある汚れた気持ち、そして逆に、きれいな気持ちがじょうずに表現されたいい作品でした。たいしたものです。
アリキーノについては、今後の展開として、同性愛らしきネタが、ときおりシーンとして置いてあります。
伏線の設定の仕方が抜群にうまい。
今回タイトルの、『(登場人物の名前)進』の意味が最後にわかるように構成してあります。感心しました。
通訳の話です。言葉の誤解があります。日本人若者男性労働者が、ベトナム人技能実習生男性が言った、『同じ』の意味を取り違えます。
誤解です。ベトナム人技能実習生男性に悪気(わるぎ)とか悪意はありません。そのことが最後にわかります。日本人たちは、深く反省することになります。
『ドジった』という言葉が効果的に活用されました。じょうずに伏線がはってありました。
ドラマは、警察署で働く通訳さんたちの話ですから、言葉に関する考察がいろいろ出てくるドラマです。
禁煙話が出ます。(タバコはやめたほうがいい。タバコを吸っても幸せにはなれません。不幸にはなります)
外国人技能実習生に対する偏見ですが、教える立場にある日本人事業所従事者の不満があります。外国人に、仕事をいくら教えてあげても、期限がくれば帰国してしまう。教えがいがないというものです。自分や自分が働いている施設にかえってくるメリット(利点、利益)がない。
仕事というものは、そういうものです。マニュアルに従って機械のように同じ動作を繰り返すということで、だれかの役には立っています。あわせて、給料ももらえます。働いてお金をもらうときは、気持ちに折り合いをつけて、割り切ることがだいじです。
ドラマを見ていて、アメリカ合衆国新大統領の不法移民強制追い出し政策が頭に浮かびました。なんというか、得する人がいる反面、困る人もいるのが、人間社会のありようです。ひとり勝ちはありえません。強い権力を持つ者は、どこかの線で、妥協が必要です。
ベトナム人技能実習生役の方の演じ方がいい。しみじみとしながら、淡々(たんたん)としているところがいい。大声をあげて、わめくような演技は案外簡単です。感情を静かに表現するところに演技者の技量があります。
故郷を離れる。
家族と離れる。
友だちがいない。
ひとりぼっち。
毎日目上の人にどなられて、まわりの人たちからは、かわいそうと見られている。そんな自分がみじめだ。
ベトナム人技能実習生をかわいそうだと思っていたら、かわいそうなのは、(日本人の)自分のほうだったことに気づいた日本人の若者がいます。そんな流れです。
家族がいないというのはつらい。
現役で働いていたころ、クレーマー対応の仕事をしていたことがあります。
かなりしんどい。
仕事をしながら、いつも思っていたことです。
クレーマー=孤独。いつも文句ばかり言ったり、相手の言うことを否定したりするから、人が離れていく。ひとりぼっちです。自分が優位な立場で、自分と話をしてくれる話し相手がほしい。ひとりぼっちでさびしい人。それが、クレーマーだと。
たいていのクレーマーには、家族がいない。いても、家族や親族から相手にされていない。
対して、話を聞いている自分には、心の支えになってくれる妻やこどもたちや孫たちもいる。
相手には、親身になってくれる妻子も身内も友だちもいない。
相手と比べて、自分のほうが幸せだ。
だから、この仕事に耐えられる。
仕事をしていくうえで、なにかしら、気持ち的に、相手よりも優位な位置にいないと、心が壊れやすいということはあります。
ドラマが発するメッセージは深くて重い。
『同情』と、『友情』は違う。
相手の基本的人権を尊重することは、自分自身を守るためにもある。
お互いに必要だからここにいる。『存在』に関する考察があります。
相手を信じないと、友情は成立しない。
『許容』と、『あきらめ』が必要です。
外国人には、働いてもらっている。
仕事において、最前線の現場で体を動かして働く日本人の数が減りました。学歴が高いことを利用して、口を動かして指示をするだけの仕事を好む人が増えました。
日本人社会のあらゆるボリューム(分量。人口、経済力、生活能力、知恵)が、しぼみはじめています。
飲食を共にして、おしゃべりを楽しみながら交流する。
今回も、食べ物シーンがいくつかありました。
日本生まれのベトナム人です。見た目は外国人でも、中身は日本人です。
このドラマの趣旨は、国際化です。
ベトナム人名である、『ミン』は、漢字で(ベトナムにも漢字文化があるそうです)『明』と書く。人には、『アキラ』と呼ばれている。
冤罪(えんざい。ぬれぎぬ。じっさいは無実)の罪をきせられたベトナム人若者名の、『ティエン』は、漢字で、『進』と書く。だから、冤罪となる原因をつくったティエンの同僚の進さんは、ティエンと同じ名前なのです。
ティエンの口から出た、『同じ』という言葉を、同僚の進さんは誤解して、悪い意味にとってしまいました。いつも下に見ていたベトナム人に、自分がばかにされたと勘違いをしてしまいました。残念な出来事でした。言葉の意味のとりかたで、結果が正反対になってしまいました。
自分の関係する人(親族や友人)が、幸せそうにしていると、自分の心が満たされて、うれしいという感情が湧いてくることがあります。こまやかな人間心理を扱った、なかなか深いお話でした。よかった。今年観て良かったドラマの一本になりました。