2025年02月10日

NHKドラマ10 東京サラダボウル エピソード5

NHKドラマ10 火曜日午後10時 東京サラダボウル 国際捜査事件簿 エピソード5

俳優:奈緒(鴻田麻里こうだ・まり)、松田龍平(有木野了ありきの・りょう。アリキーノと呼ばれる)、中村蒼(なかむら・あおい。織田覚おだ・さとる)、武田玲奈(今井もみじ。ベトナム語通訳)、関口メンディー(黒須雄介。英語通訳)、 阿部進之介(八柳隆太やなぎ・りゅうた。警視庁捜査一課)、平原テツ(太良尾保たらお・たもつ。元暴力団担当の係長)、イモトアヤコ(清宮百合。シンハラ語通訳。通訳の総括)、皆川猿時(飯山修・総括係長)

『ep5(エピソード5) ティエンと進』

 高齢者介護施設で起きた冤罪窃盗事件(えんざいせっとうじけん。施設入所者のタブレットが、ベトナム人技能実習生男性のロッカーで見つかった。日本人同僚が盗んで、ベトナム人実習生のロッカーに入れた。ベトナム人技能実習生は、窃盗の疑いで、警察署へ連れていかれた)です。
 日本人労働者によるベトナム人技能実習生に対する差別とか嫉妬(しっと)が遠因となっています。ドラマでは、孤独で未熟な日本人男性労働者たちの姿を浮き彫りにしています。

 深い話です。人間の心の奥底にある汚れた気持ち、そして逆に、きれいな気持ちがじょうずに表現されたいい作品でした。たいしたものです。

 アリキーノについては、今後の展開として、同性愛らしきネタが、ときおりシーンとして置いてあります。
 伏線の設定の仕方が抜群にうまい。

 今回タイトルの、『(登場人物の名前)進』の意味が最後にわかるように構成してあります。感心しました。
 通訳の話です。言葉の誤解があります。日本人若者男性労働者が、ベトナム人技能実習生男性が言った、『同じ』の意味を取り違えます。
 誤解です。ベトナム人技能実習生男性に悪気(わるぎ)とか悪意はありません。そのことが最後にわかります。日本人たちは、深く反省することになります。

 『ドジった』という言葉が効果的に活用されました。じょうずに伏線がはってありました。
 ドラマは、警察署で働く通訳さんたちの話ですから、言葉に関する考察がいろいろ出てくるドラマです。

 禁煙話が出ます。(タバコはやめたほうがいい。タバコを吸っても幸せにはなれません。不幸にはなります)

 外国人技能実習生に対する偏見ですが、教える立場にある日本人事業所従事者の不満があります。外国人に、仕事をいくら教えてあげても、期限がくれば帰国してしまう。教えがいがないというものです。自分や自分が働いている施設にかえってくるメリット(利点、利益)がない。

 仕事というものは、そういうものです。マニュアルに従って機械のように同じ動作を繰り返すということで、だれかの役には立っています。あわせて、給料ももらえます。働いてお金をもらうときは、気持ちに折り合いをつけて、割り切ることがだいじです。

 ドラマを見ていて、アメリカ合衆国新大統領の不法移民強制追い出し政策が頭に浮かびました。なんというか、得する人がいる反面、困る人もいるのが、人間社会のありようです。ひとり勝ちはありえません。強い権力を持つ者は、どこかの線で、妥協が必要です。

 ベトナム人技能実習生役の方の演じ方がいい。しみじみとしながら、淡々(たんたん)としているところがいい。大声をあげて、わめくような演技は案外簡単です。感情を静かに表現するところに演技者の技量があります。

 故郷を離れる。
 家族と離れる。
 友だちがいない。
 ひとりぼっち。
 毎日目上の人にどなられて、まわりの人たちからは、かわいそうと見られている。そんな自分がみじめだ。
 ベトナム人技能実習生をかわいそうだと思っていたら、かわいそうなのは、(日本人の)自分のほうだったことに気づいた日本人の若者がいます。そんな流れです。

 家族がいないというのはつらい。
 現役で働いていたころ、クレーマー対応の仕事をしていたことがあります。
 かなりしんどい。
 仕事をしながら、いつも思っていたことです。
 クレーマー=孤独。いつも文句ばかり言ったり、相手の言うことを否定したりするから、人が離れていく。ひとりぼっちです。自分が優位な立場で、自分と話をしてくれる話し相手がほしい。ひとりぼっちでさびしい人。それが、クレーマーだと。
 たいていのクレーマーには、家族がいない。いても、家族や親族から相手にされていない。
 対して、話を聞いている自分には、心の支えになってくれる妻やこどもたちや孫たちもいる。
 相手には、親身になってくれる妻子も身内も友だちもいない。
 相手と比べて、自分のほうが幸せだ。
 だから、この仕事に耐えられる。
 仕事をしていくうえで、なにかしら、気持ち的に、相手よりも優位な位置にいないと、心が壊れやすいということはあります。

 ドラマが発するメッセージは深くて重い。
 『同情』と、『友情』は違う。
 相手の基本的人権を尊重することは、自分自身を守るためにもある。
 お互いに必要だからここにいる。『存在』に関する考察があります。
 相手を信じないと、友情は成立しない。
 『許容』と、『あきらめ』が必要です。
 
 外国人には、働いてもらっている。
 仕事において、最前線の現場で体を動かして働く日本人の数が減りました。学歴が高いことを利用して、口を動かして指示をするだけの仕事を好む人が増えました。
 日本人社会のあらゆるボリューム(分量。人口、経済力、生活能力、知恵)が、しぼみはじめています。
 
 飲食を共にして、おしゃべりを楽しみながら交流する。
 今回も、食べ物シーンがいくつかありました。
 日本生まれのベトナム人です。見た目は外国人でも、中身は日本人です。
 このドラマの趣旨は、国際化です。
 
 ベトナム人名である、『ミン』は、漢字で(ベトナムにも漢字文化があるそうです)『明』と書く。人には、『アキラ』と呼ばれている。
 冤罪(えんざい。ぬれぎぬ。じっさいは無実)の罪をきせられたベトナム人若者名の、『ティエン』は、漢字で、『進』と書く。だから、冤罪となる原因をつくったティエンの同僚の進さんは、ティエンと同じ名前なのです。
 ティエンの口から出た、『同じ』という言葉を、同僚の進さんは誤解して、悪い意味にとってしまいました。いつも下に見ていたベトナム人に、自分がばかにされたと勘違いをしてしまいました。残念な出来事でした。言葉の意味のとりかたで、結果が正反対になってしまいました。

 自分の関係する人(親族や友人)が、幸せそうにしていると、自分の心が満たされて、うれしいという感情が湧いてくることがあります。こまやかな人間心理を扱った、なかなか深いお話でした。よかった。今年観て良かったドラマの一本になりました。

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