2023年10月20日

チャーリーとチョコレート工場 映画と小説と観劇

チャーリーとチョコレート工場 映画と小説と観劇

(この部分を書いている今は、2023年9月上旬です)
 毎朝、じぇじぇじぇの『あまちゃん』NHKBS再放送を見ています。
 演者の荒川良々(あらかわ・よしよし)さんと皆川猿時(みながわ・さるとき)さんを舞台でじかに見たくなりました。
 おふたりが出演される演劇として、東京下北沢の本多劇場で『ドクター皆川 ~手術成功5秒前~ 』という舞台を見ようと思いました。
 チケット発売日に申し込み用のネットに接続しようとしたら「集中していてつながりにくくなっています」と表示が出ました。7分ぐらいたって、ようやくつながったら「(発売)予定枚数が終了しました」とメッセージが書いてありがっかりしました。人気者ですなあ。
 ほかになにかないかと探したら、東京池袋のサンシャイン劇場で、三宅裕司さんと小倉久寛さんが出る劇団スーパー・エキセントリック・シアターの『ラスト★アクションヒーロー ~地方都市に手を出すな~ 』のチケットが手に入りそうでした。でも、家族が「古いのではないか」というので、やめました。(でも自分としては、いつかは観てみたい)
 さらに探したら、帝国劇場で公演される『チャーリーとチョコレート工場』を見つけました。家族が見たいといいました。どうせ当たらないだろうと思いながらも抽選に申し込んだら当たりました。うれしい。
 (後日、東山紀之さん出演の『チョコレートドーナツ』が同じような時期に東京渋谷で上演されることを知りました。さらに、某事務所の社長に東山紀之さんがなったり、『チャーリーとチョコレート工場』のほうの出演者である堂本光一さんが事務所のことで話題になったり、“チョコレート”というタイトルも重なって不思議な気配(けはい)を感じました)

 作品のほうは、その後、ジョニー・デップさんの映画と原作の小説があることを知りました。
 こどもさんがらみのどちらかといえば社会福祉関係の物語です。
 家のテレビで、動画配信サービスhulu(フールー)で洋画を見ることができたので、まず映画の感想を書いてみます。

『チャーリーとチョコレート工場 洋画 2005年公開』の感想です。
 主題は「家族をだいじにしよう」です。パパやママ、おじいちゃんやおばあちゃんをだいじにするのです。貧しいチャーリー少年にとっては、チョコレート工場の経営でお金もうけをして大金を手に入れるということよりも、貧乏でも家族7人の助け合い生活を送ることのほうが優先なのです。

 映画を見ながら感じたことをポツポツと書き落としてみます。
 ディズニー映画みたい。とくに工場見学は、ディズニーランドのアトラクションに参加しているような雰囲気でした。
 映像が進むにつれて、いろいろな俳優さんのことが頭に浮かびました。
 チャップリン→(タレントの)パックン→柳生博さん→長州力さん(ちょうしゅうりきさん。プロレスラー)
 洋画「スターウォーズ」のシーンのようでもある。洋画「オズの魔法使い」のような雰囲気もあります。
 ピーターパンの趣旨のようでもある。(気持ちがいつまでもこどもで、おとなになりきれない「こどもおとな」の話)

 お金がない家のこども(男児チャーリー)のお話です。
 家族の人数は多い。7人もいます。こども、両親、父方祖父母と母方祖父母です。
 1枚の板チョコを7人で分け合って食べる家庭なのです。

 チョコレート工場の見学に5組の保護者とこどもが参加します。
 ブラックユーモアがあります(皮肉をこめた笑い。不安、不吉、不気味、残酷さ)
 わがままなこどもと、こどもをわがままに育てた親のことを責める内容でもあります。
 
 ウォンカという工場経営者が、自分が父親とうまくいかなかった葛藤が表現されています。(かっとう:やるせなさ。争い(あらそい)。気持ちのもつれ)

 映画よりも原作小説のほうがおもしろいという映画評が多い。

 その後:似たタイトルの洋画「チョコレートドーナッツ」を観たことがあるのを思い出しました。調べたら今秋演劇が上演されることも知りました。東京渋谷にあるPARCO劇場です。つらい内容です。裁判所の決定によって帰宅した母子家庭、15才のダウン症の少年が、母親のネグレクト(育児放棄)にあって、3日間、屋外を放浪したあと、橋の下で亡くなりました。
 差別撤廃を呼びかける映画です。障害者差別であり、同性愛者差別です。まず、ダウン症の少年を救ったおとなは、ゲイのカップルです。
 ダウン症の少年は母子家庭で、母親は薬物中毒の売春婦です。
 スラム(すさんだ貧困地域)です。どん底です。同性愛者同士の女性役がルディという役名の男性俳優(特典映像で本当にゲイとありました)、彼の夫役が弁護士のポールで、ダウン症の少年がマルコです。
 疑似家族ですが、3人はそれでも1年間、事実上の家族として、幸せな共同生活(夫婦・親子としての)を送ります。
 しかし、そのことを裁判所は認めません。少年は異常な母親のもとに返されて亡くなります。

 事務所を支えるために引退されるという東山紀之さんにとっては最後の作品になるようです。11月の名古屋公演が最後なのかなあと思っています。
 年寄りの自分が思うに、会社員なら定年退職などで退職すると、同じ会社に復帰することはもう無理ですが、芸能人の方たちは個人営業の自由業ですから、引退も復帰も本人の気持ち次第です。いつでも復帰できると思うのです。まわりのファンが支持してくれればだいじょうぶです。今までも、引退後復帰されたタレント(歌手の方など)さんは複数おられました。

 さらにその後:『チャーリーとチョコレート工場』のほうは、12月に洋画が公開されることを知りました。『ウォンカとチョコレート工場の始まり』というタイトルです。なんだか偶然がどんどん重なってきていて不思議な感じがします。


 今度は児童文学小説を読んでみます。本を取り寄せました。
『チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール クェンティン・ブレイク(絵) 柳瀬尚樹(訳) 評論社』
 
ロアルド・ダール:イギリスの作家。1916年(日本だと大正5年)-1990年(平成2年)74歳没

ウィリー・ウォンカ:ミュージカルでは、KinKi Kidsの堂本光一さんが演じます。まちの人たちにとっては英雄で、みんなから好かれています。チョコレート製造の魔術師だそうです。

チャーリー・バケツ(ミュージカルでは発音が「バケット」):子役さん。子役さんたちは複数おられます。その日その日で演じる子役さんが変わります。

バケツ婦人(バケット婦人):観月ありささん

オーガスタス・ブクブトリー:ミュージカルでは子役さんです。

マイク・テレヴィズキー:ミュージカルでは、「マイク・ティビー」という子役さんになっています。

イボダラーケ・ショッパー:ミュージカルでは、いまのところ、どなたかわかりません。

ウンパッパ・ルンパッパ人たち:ミュージカルでは、今のところ、どなたかわかりません。映画では同じ人の姿と顔でたくさんのウンパッパ・ルンパッパが出ていました。忍術の分身の術(じゅつ)みたいでした。こびとで不思議な存在でした。チョコレートの妖精だろうか。背丈はこどもの膝(ひざ)ぐらい。チョコレート工場の工員さんの役割を果たしているようです。

バイオレット・アゴストロング:ミュージカルでは、いまのところ、どなたかわかりません。

以下、ミュージカルでは、

グループ夫人:Wキャストで、鈴木ほのかさんと森公美子さんです。わたしたち夫婦が観劇するときは、森公美子さんです。

ボーレガード氏:芋洗坂係長さん

ジョーじいちゃん:小堺一機さん。本では、96歳半という年齢設定です。

ソルト氏:岸佑二さん

ティービー夫人:彩吹真央さん

 さて、本を読み始めます。
 こどもひとり、おとな6人の7人で、食べていくのもたいへんな貧乏三世代家族です。
 部屋はふたつ、ベッドはひとつ、そのひとつのベッドに年寄り4人が寝ています。4人とも体が弱っていて寝たきりなのです。
 隣の部屋の床に夫婦とこどもであるチャーリー・バケツがマットを敷いて寝る生活をしています。

バケツ氏:世帯主男性。歯磨き工場で、歯磨きの小さなキャップをくるくると回して付けるという仕事をしている。賃金は低い。

バケツ氏の妻

バケツ夫婦の息子:チャーリー・バケツ。本のはじまりに『こんにちは。はじめまして。よろしくね。この子は、きみたちに会えて大喜びだ。』とあります。ここから物語がスタートします。チャーリー少年は、いつもおなかをすかしている。何よりも食べたいのは「チョコレート」だそうです。年に一度だけ、誕生日に板チョコのプレゼントがもらえる。ひと月以上かけて少しずつ板チョコレートを食べるそうです。

バケツ氏の父:ジョーじいちゃん。年寄り4人は全員が90歳を超えている。設定では、チャーリーは孫となっていますが、どう考えてもひ孫としか勘定できません。4人ともチャーリーが好きでおしゃべり好きだそうです。

バケツ氏の母:ジョゼフィーンばあちゃん

バケツ氏の奥さんの父:ジョージじいちゃん

バケツ氏の奥さんの母:ジョージナばあちゃん

チャーリーの家の窓から、巨大なチョコレート工場が見える。『ワンカの工場』だそうです。ウィリー・ワンカは、チョコレート発明家で、チョコレートを製造する巨大な工場を保有している。

 本の『3章 ワンカ氏とインドの王子』の部分は、映画で忠実に再現されていたのでわかりやすかった。

 ワンカの工場の特徴というか秘密:従業員の出入りがない。(ロボット方式でチョコレートづくりをしているのだろうか)
 昔、ウィリー・ワンカは、たくさんの従業員を雇っていた。その中にスパイがいた。チョコレートづくりのアイデアを盗まれた。ワンカは、従業員を信用しなくなった。
 キママチョコピーの工場:溶けないアイスクリームをつくりはじめた。
 ハナツッコミーの工場:噛んでも噛んでも味の消えないチューインガムを売り出した。
 ナメクジナミーの工場:大きくふくらませることができる砂糖風船を作り始めた。
 みんな、ワンカのアイデアだった。

 話は『ワンカ工場ついに公開 幸運の数名限定』へとつながっていきます。

(つづく)

 10年間姿を見せなかったウィリー・ワンカ氏が、顧客のちびっこ5人(保護者同伴)をチョコレート工場に招く。
 手法は、商品の板チョコレートに当選券を忍ばせる(しのばせる。『黄金切符(おうごんきっぷ』。その黄金切符を各自が手に入れるまでの経過が記されています。
 最後の1枚をチャーリーが手に入れて、ジョウじいちゃんとチャーリーがワンカのチョコレート工場を訪問することになります。
 見学の最後に特別プレゼントとして、一生分のチョコレートとキャンディがプレゼントされます。

 寵児(ちょうじ):親に愛されている(甘やかされている)こども。流行にのっているこども
 いけすかない:気にくわない。
 
 祖父母たちのチャーリーに対する愛情が伝わってくる文章です。
 祖父母たちはチャーリーに腹いっぱい食べさせてやりたい。
 祖父母は間接的な立場ですが、こどもにおいしいものをおなかいっぱい食べさせることを続けることが親の愛情であり親の役割です。親が親であることの基本です。

 50ペンス銀貨:75円ぐらい

 読んでいて思うのは『お金とか財産は、ひとり占めをするともめる』という法則です。

 工場訪問の日:2月1日。午前10時から。

 作者は貧乏人の味方です。

 ローン・レインジャー:西部劇を題材にしたラジオドラマ。アメリカ合衆国。1930年代(昭和5年)日本のテレビドラマは1958年(昭和33年)アニメ1967年(昭和42年)
 
 以下、黄金切符を手にしたこどもたちです。

1 オーガスタス・ブクブトリー 男の子9歳 でぶでぶ。太っている。付き添いは両親

2 イボダラーケ・ショッパー 女の子 金持ち両親 遠くの大都会に住んでいる。付き添いは両親。夫人は地理担当教員

3 バイオレット・アゴストロング お嬢さん いつもチューインガムを噛んでいる。付き添いは両親

4 マイク・テレヴィズキー 男の子 9歳 テレビを見るのが好き。付き添いは両親

5 チャーリー・バケツ 主役です。付き添いは父方祖父

(昨夜、テレビで帝国劇場の裏側を紹介するような放送を番組『行列のできる法律相談所』でやっているのを偶然見ました。来月観に行く演目で主演者の方々も出ておられたので偶然のことでしたが映像を楽しみました。帝国劇場の地下にある部屋部分での説明がありました。ウィリー・ワンカのチョコレート工場の構造みたいです。地下に大きなチョコレート工場があります)

 おとな9人とこども5人、合計14人のグループをウィリー・ワンカが自分のチョコレート工場を案内します。
 (読んでいて、昔こどもたちを連れて行ったことがある『お菓子の城』を思い出しました。愛知県犬山市にあります)

 ウィリー・ワンカのチョコレート工場の製造場所部分は地下です。地面からずーっと深い場所に広い工場部分があります。
 チョコレート室、ウンパッパ・ルンパッパ人(チョコレート工場の工員さんに思えます。こどもの膝(ひざ)ぐらいの高さの身長です)、永久ペロペロキャンディー、ヘアトッフイ(食べると30分後に頭のてっぺんにふさふさの毛が生える。口ひげもあごひげも生える)、食用マシュマロ枕、なめられる壁紙、いろいろアイデアがいっぱいです。ホット・アイスクリーム、チョコレート・ミルクを出す乳牛、炭酸上昇ドリンク、丸目に見える四角いキャンディ、バタースコッチとバタージン(酔っ払いそうです)。
 
 チョコレート・ファッジ:チョコレートを混ぜたお菓子、食べ物

(『ナルニア国物語』を読んでいるようでもある)

 チャーリー・バケツは、心が優しい。
 ウィリー・ワンカもいい人です。
 ジョウじいちゃんも優しい。
 ほかのメンバーは、いじわるだったり、くしんぼうだったり、欲が深い。
 
 オーガスタス・ブクブトリーとバイオレット・アゴストロングがいなくなります。行儀が悪いふたりでした。

 映画の流れと同じ内容なのでわかりやすい。
 クルミの実をむくリスたちの登場です。
 そして、すったもんだがあります。

(つづく)

 残ったちびっこは、マイク・テレヴィズキーとチャーリー・バケツだけになりました。
 その後、テレビ好きのマイク・テレヴィズキーは『テレビチョコレート室』で、テレビの中に入ってしまいました。(この部分を読んだとき、わたしがたぶん小学生のときに放映されていたテレビ番組の『万国びっくりショー(ばんこくびっくりしょー)』を思い出しました。
 最終的に残ったのは、チャーリー・バケツだけです。
 『ガラスの大エレベーター』で大移動です。
 
 氷砂糖鉱山、ココナッツ・アイス・スケートリンク、ストローベリー・ジュース水鉄砲、自宅庭園用トッフィーアップル樹の全サイズ、敵撃破爆弾キャンディ、夜間ベッド用棒付き夜光飴…… 甘いものがいっぱいです。

 断乎(だんこ):どんなことがあってもかならずするという強い意思表示のあらわれ。

 ウィリー・ワンカは、チャーリー・バケツに、自分の工場の経営権を自分の死後渡すことを約束します。こどもがいないお金持ちが、養子をもらったようなものです。
 ウィリー・ワンカは、心が純粋できれいな人です。
 『わたしは年寄りでしてね…… いつまでもつづけられはしない。わたしには子供はいませんし、家族もない…… 「欲(よく)」のある人間はいらない』チョコレートづくりに関して、わたしの意思を継いでくれるこどもをさがしていたと続きます。
 社会福祉の物語でもあります。正直者がばかをみない世の中をめざしているウィリー・ワンカです。ちなみに、著者も同じ意思で、この本の収益の一部は寄付に回されています。

 ハッピーエンドでした。
 良かった。
 
 最後の訳者のメッセージに、9歳から12歳を対象に書かれた作品ですが、幅広い世代に楽しんでいただける作品ですと書いてありました。


『観劇の感想です。チャーリーとチョコレート工場 東京帝国劇場にて 10月のとある夜』
 ミュージカルです。
 思い出すまま、思いつくまま、感想を並べてみます。

 森公美子さんは意外に小柄な方でした。歌は声量があって迫力がありました。
 みどり色のシンボルカラーのお母さん役の方とテレビ好きヤンキー少年役の男の子の演技がとても良かった。リズミカルに歌と踊りが展開されていました。
 事前に物語のあらすじを知っておいたほうが内容を理解しやすい。
 にぎやかでいい雰囲気でした。
 始まりからしばらくは、話の展開も演技もいまいちな感じがしましたが、幕間のあとの後半は密度が濃くなって、充実していました。全体で3時間ぐらい、幕間の休憩が20分から25分間ぐらいでした。午後6時開始、午後9時過ぎ終了でした。
 舞台背景の月の色が最初はオレンジ色で、わたしなりに、月は白色のほうが、色合いがいいのにと気になりましたが、幕間のあとの後半では、白っぽい月の色に変わっていました。満足しました。
 こびとの妖精のようなチョコレート工場の従業員であろうウンパ・ルンパ役(やく)の人たちのがんばり演技が、舞台の盛り上がりに貢献しています。かなりいい感じです。
 照明、灯り(あかり)、映像、目の前にある情景がすべて映画の映像のように見えることがあり、たいしたものだと感じ入りました。
 人生で初めて、1500人以上の女性のかたまりの中で過ごしました。熊太郎夫婦のようにカップルや両親とこどもの親子連れの人もいて、男性が少ない姿に違和感はありませんでしたが、観客は女性のものすごい人の群れでした。女性用トイレの行列はすさまじく長く(男子はすんなり用を足せました)、グッズ販売の行列もすごく、二階席へ続く階段も人が並び、ロビーは、人ひとりがかろうじて移動できる通路の空間が残されているだけでした。
 食事は、開幕前にロビーのイスに座っておにぎりを食べて、幕間の休憩のときに座席でサンドイッチを食べました。幕間中に座席で飲食することは禁止されていないようです。
 前半は、ユーモアの部分にかけるかなあという印象がありましたが、後半は笑える部分もそこそこありました。
 上演が最後に終わった時、びっくりしました。観客全員が立ち上がってステージの演者に盛大な拍手を送りました。つられて自分たちも立ち上がりました。ものすごい音量の拍手でした。
 座席のイスの前後の長さが太ももの部分が長い男性にとっては短い気がしました。長時間の着席なので、お尻が痛くなるときが何度かありました。劇場自体がだいぶ古いです。建て替えの計画があるようです。
 後半で出てきたリスのつくりものがかわいらしかった。
 観月ありささんは、背の高い人だと感じました。演者は子役のこどもさんたちもいて、小柄な人が多かった。叱られるかもしれませんが、ステージ上では、小太りの人、(役柄的に)小太りの衣装を着ている人(ウンパ・ルンパ役の人たちはたぶん膝で立っておられたと思います)が多いわけで、いっぽう、観客の女性のなかにもいくぶん小太りの女性のかたもちらほらとおられ、自分は長いこと生きてきましたが、あんなにたくさんの小太りの人を見たのは初めてでした。劇のタイトルにチョコレートとあり、話の中身もお菓子の話だから、タイトルと中身が一致していて納得しました。
 こちらも小太りである芋洗坂係長(いもあらいざかかかりちょう。体重が100キロ以上あるそうです。ダンサーさんです)さんは、動きが意外にシャープで、しゅっとして、キレがある動きを披露されていました。以前テレビで観たときの老齢の配役の顔とはぜんぜん違いました。
 後半部の舞台装置や映像は、万華鏡(まんげきょう)の中のようで、宝石がキラキラ輝く視界でした。絵本の連続撮影のようでもありました。草間彌生(くさまやよい)さんが描く絵画の色調でした。
 キーワードが『イマジネーション(発想力。想像力)』でした。小説だと、親や祖父母を大切にするチャーリー少年の思いやりの意識が重要視されるのですが、こちらの劇では、チョコレート類の新製品を発想する『イマジネーション』が主題として重視されていました。
 歌のときに、観客席ももっと積極的に手拍子をするシーンが何度かあっても良かったのではないかと感じました。ステージ上は盛り上がっているのに、観客席は静かだったことが何度かありました。サクラ役(頼まれて意図的に雰囲気づくりをする人)の観客のグループがいて、音楽に合わせた手拍子を誘導してくれるといいのになと思いましたが、もしかしたら、そういうことはしてはいけないというマナーがあるのかもしれません。
 舞台の最後に幕がどんどん上がっていって、中二階(ちゅうにかい)みたいな位置にオーケストラのみなさんがおおぜい座っていて、生演奏をされていたことを知りびっくりしました。音楽は録音されたものが再生されていたと思っていました。演技に合わせて生演奏をしていたんだーー 驚きました。すさまじいエネルギーが注ぎ込まれていた舞台でした。



 撮影しませんでしたが、写真にある幕の下には、おおぜいの女性たちが固まっています。



 翌日、劇場前にある日比谷公園を散策したときにまた写真をとりました。






 素敵な舞台をありがとう。

(その後のこと。11月5日曜日追記)
 先日の夜NHKで、俳優吉岡秀隆さんの『ファミリーヒストリー』を見ていたら、帝国劇場の建物と帝国劇場内のステージ、イス席、ロビーの映像が流れてびっくりしました。
 半月ほど前に、自分たち夫婦が観劇で着席していたシートも見えて本当にびっくりしました。
 吉岡秀隆さんのお父上が帝国劇場の大道具責任者を担当されていたそうです。
 白黒映像は1966年(昭和41年)のものでした。当時で、最新式のものと紹介がありました。現在は老朽化が進んでいるように見えるのですが、建物も内装も先日訪れたときと変わりありませんでした。感激しました。長いこと働いてきてリタイヤして歳をとってしまいましたが、ようやく舞台芸術とか娯楽という世界を楽しめるような立場になれました。やれやれです。  

Posted by 熊太郎 at 07:05Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年07月28日

東京都世田谷区下北沢『本多劇場(ほんだげきじょう)』にて

東京都世田谷区下北沢『本多劇場(ほんだげきじょう)』にて

 初めて下北沢というところへ行きました。
 人がいっぱいで活気があります。テレビのインタビュー番組でよく登場するところです。『家、ついて行ってイイですか?』とか『月曜から夜ふかし』とか。
 駅を出たところで妻が芸能人を見たそうですが、1980年代ぐらいに活躍された音楽をやる男性で、名前が出てこないといまだに言っています。
 駅の周りは再開発をしているようで、工事のために道が迷路のようになっています。
 エスカレーターで、段差があるようなところを下がってなんとか目的の本多劇場へ着きました。
 スマホの地図を見ながら行きましたが、駅から近いのに、ややこしくて、帰り道のルートを忘れてしまわないかと不安になりましたが、同行の妻が覚えていてくれてだいじょうぶでした。
 都市部での劇場というと、広い道路に面した大きな建物を想像していたのですが、本多劇場は街中のビルで、おそらく地下から3階か4階ぐらいまでが劇場で、上の階は住居に見えました。(事実はわかりません)
 階段をあがっていくとアナログな感じ(昔風)で折り畳みの机を並べただけの受付がありました。演目の開始までに時間があったので、近くのラーメン屋に寄って、しょうゆラーメンを食べました。外食をあまりしないので、夫婦でカウンターに座ったら入口にある機械で食券を買ってくださいとうながされました。ああそうだったと思い出しました。定年退職をしてから何年もたちましたので事前食券購入のやりかたを忘れてしまいました。



 劇場では『鹿版 銀河鉄道の夜‘23』という音楽劇を観劇しました。にぎやかで良かった。ご当地ネタでは、会場が爆笑していました。スズナリという劇場があるようです。柄本明さんのお名前が出ていました。
 演劇のほうは、なんというか、若い男の人たちが、男のだいじなところ(あそこ)だけを隠して、すっぱだかに近い姿で熱演されていました。(いやらしくはありません)
 座長の女性がしきりにお金がないということを強調されていました。衣装を買うお金がないようです。舞台装置のお金もないようです。まあ、劇団というのはそういうものだろうと思っています。
 演劇にしても音楽にしてもダンスにしても、舞台の上は華やかですが、舞台をおりるとお金がない世界です。

 おぼろげな記憶ですが、宮沢賢治作品の銀河鉄道の夜は、貧しくてひとりぼっちのジョバンニが、カムパネルラ(実は水の事故で死んでいる)と電車に乗って、夜空を旅する(冥土(めいど)へ行く旅。死後の世界へ行く旅)話で、途中、タイタニックの沈没事故で亡くなったような人たち(霊魂でしょう)も乗車してくるような感じの話だった記憶です。
 今回の観劇のしばらく前に、外国の人が、氷山に衝突後沈没したタイタニックの残骸(ざんがい)を観光で見学に行って、深海潜水艇が事故を起こして死者が出たニュースがありました。
 天の川=(イコール)三途の川(さんずのかわ。あの世へと渡る川)かなと自分は思っています。わたしの思う筋立てに勘違いがあったらごめんなさい。
 宮沢賢治作品は文章に色彩のイメージがあって、わたしにはむずかしいです。愛知県半田市出身の新美南吉(にいみ・なんきち)作品のこどもさん向け童話のほうが、自分にとっては読みやすいです。

 劇は、若い人たちのパワーが全開でした。男性たちは裸、女性たちは白い衣装をまとって、舞台装置は少なく、体全体をいっぱいに使って表現されていました。
 演者のみなさんが、この演劇の上演のために、すさまじいパワーをつぎこんだことがわかります。大量の労力と時間がそそぎこまれた演技でした。たくさん練習(稽古けいこ)をされたと思います。

 舞台の背景に映し出されるたくさんの色鮮やかな星々は、プラネタリウムのようにロマンチックできれいでした。

 ジョバンニに対する『(あなたは)死ぬな! 死んではいけない!!』のメッセージを正面から受け止めることができました。ジョバンニは、死んでいるカムパネルラについていこうとするのです。親友であるカムパネルラを失いたくないということが動機です。
 カムパネルラは、自分といっしょについてきてはいけないと、ジョバンニを説得します。
 ジョバンニは、死んではいけないのです。君は、生きろ!です。

 劇場には、お客さんがたくさん入っていて、家族的な温かい雰囲気があり好感をもちました。
 ロビーも『昭和時代』の雰囲気が残っていて、そこにいるとほっとできました。



 こちらの劇場では、小泉今日子さんとか、石田ひかりさん、竹下景子さん、松雪泰子さん、黒島結菜(くろしま・ゆいなさん)、それから、自分は今BSNHKで再放送の『あまちゃん』を見ているのですが、あまちゃんに出ている皆川猿時さんとか、荒川良々(あらかわ・よしよしさん)も舞台出演されています。

 今回の観劇で、女性の座長さんの話を聞きながら、自分も十代のころは、そちらの世界で働きたいなあという気持ちがあったけれど、しかしそれでは食べていけないわけで、そんなこともあったなあと自分の若い時をふりかえりました。

 その後、座長さんの履歴を見て、ひっくりかえるほどびっくりしました。
 座長さんの出身地がわたしと同じでした。同郷の人でした。わたしが同地を離れたあとにお生まれになっています。
 山に囲まれた盆地のようなところで、田んぼや川がある自然豊かな地域から、福岡県の博多駅なり、小倉駅まで出て、東を目指されたのでしょう。ご苦労をお察しします。  

Posted by 熊太郎 at 06:56Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年07月27日

東京都三鷹市太宰治(だざい・おさむ)氏のこと

東京都三鷹市太宰治(だざい・おさむ)氏のこと

 下の写真にあるのは『玉鹿石(ぎょっかせき)』です。表示板の左に石があります。(ここに来る前には、山本有三氏の『路傍の石(ろぼうのいし)』を見学しました。石つながりで、こんどは、太宰治氏です。
 『玉鹿石(ぎょっかせき)』は、太宰治氏が愛人と玉川上水(たまがわじょうすい)に入水(じゅすい。身投げ)した付近に設置してありました。注意深く見ていないと通り過ぎてしまいます。心中(しんじゅう。ともに自死する)の場所ですから、めだつような表示はしにくかったのでしょう。入水して6日後に、ご遺体が下流で発見されています。
 玉鹿石(ぎょっかせき)は太宰治氏の故郷である青森県北津軽郡金木(かなぎちょう。現在五所川原市ごしょがわらし)から取り寄せられています。同地特産の石だそうです。
 以前自分は、太宰治氏の自宅であった『斜陽館(しゃようかん)』を訪れたことがあります。
 青森空港からレンタカーを運転して斜陽館まで走ったときのことを思い出して、しみじみしました。薄曇りの今にも雪が降りだしそうな寒い時期でした。
 青森の斜陽館は、東京のここからは、とても遠い距離にあります。斜陽館は、板の間や廊下がよく磨かれていて、キラキラと黒光りしていた立派な邸宅でした。二階のふすまに書いてあった文章の中に『斜陽』の文字がありました。(太宰治作品に『斜陽』があります)
 自分は昭和40年代ころ(1965年代)、森田童子(もりた・どうじ)さんという女性シンガーが、太宰治氏のことを歌う悲しげな唄を知りました。挫折して、死んでしまう歌ばかりで、暗いものだったのですが、思春期の自分の心には響くものがありました。
 その後、森田童子さんという方は、60代で亡くなったことを知りました。作詞家・小説家であるなかにし礼さんの兄の娘さん(叔父と姪の関係)だったということを知りました。
 なかにし礼さんの作品で『兄弟』があります。すさまじい内容でした。兄が太平洋戦争から帰還して人格が悪いほうへと一変(いっぺん。急激に正反対になる)します。弟であるなかにし礼さんは、お兄さんから、お金のことで大きな迷惑をかけられています。そのお兄さんの娘さんが森田童子さんだと知り、娘さんご本人はたいへんなご苦労をされたであろうとお察ししました。
 







 少し歩いたところにあったのが文学サロンでした。
 中に入って、それほど広いスペースではありませんでしたが、たくさんの本に囲まれて、コーヒーを飲みながら、ボランティアさんと長々とお話をさせてもらいました。ありがとうございました。
 ここには、昔は、太宰治氏がよく通っていた酒屋さんが建っていたそうです。







 太宰治氏はその行動から、好き嫌いが分かれる作家さんです。
 お金持ちの家に生まれたけれど幸せではなかった。
 実母に育てられず、叔母(おば)や、おもに乳母(うば)に育てられています。(乳母を実母だと思っていたときもあったそうな)
 金貸しで財産家になった父親に不信感をもった太宰治氏です。(お金を返せない農民からは土地を奪った)
 きれいごとでは生きていけない現実があります。
 たてまえと現実にはさまれて、心が屈折するような思春期の時期にある若い人にとっては、太宰治作品は、心を支え、物事を深く考えるために必要な作品群です。
 作品『走れメロス』を思い出しました。
 『走れメロス』を昔読んだ時の読書メモが残っていました。その一部です。
 『メロスが、暴君(国王)デイオニスを殺そうとして逆に捕まります。メロスは死刑です。
 メロスは、暴君(国王)デイオニスに願いを申し出ます。死刑の刑は受ける。ただし、故郷にひとり残る妹を信頼できる男と結婚させてから死刑にしてくれ。猶予は三日間でいい。メロスには、両親も妻もなく、身内は妹だけです。
 メロスはさらに、自分の人質として、竹馬の友(ちくばの友。おさななじみ)のセリヌンティウスを差し出します。自分が三日以内に戻らない時は、自分の代わりにセリヌンティウスを処刑してもらっていい。セリヌンティウスは、メロスの申し出を受けて人質になります。
 王さまのデイオニスは笑います。笑いながら、メロスの申し出を受け入れます。そんな美談は成立しない。メロスは、自分の命を守るために逃げるであろうと断定します。
 しかし、美談は起きます。成立します。
 王さまのデイオニスは、メロスとセリヌンティウス、ふたりともの命を救います。

 この日の翌日に用事があって、わたしたち夫婦は千葉駅へ到着したのですが、駅構内に、太宰治氏の故郷の祭り山車(だし)である『立佞武多(たちねぶた)』が展示してあったので縁を感じました。小型の立佞武多です。勇ましい。(いさましい)






  

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2023年07月26日

東京都三鷹市山本有三記念館

東京都三鷹市山本有三記念館

 井の頭公園内(いのかしらこうえんない)にある弁財天(べんざいてん)でお参りをしたあと、公園内を通って、玉川上水沿い(たまがわじょうすいぞい)に歩き、到着したところが山本有三記念館です。ご家族がご自宅として使用していた建物です。
 ここまで来る途中の公園内では、欧米人の人たちがくつろぐようすがあって、外国の風景のなかを歩いているような感じがありました。

 中学生のころの自分の愛読書が山本有三作品『路傍の石(ろぼうのいし)』でした。主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)が、恵まれない環境にあってもめげずにがんばるお話です。自分と吾一少年を重ね合わせながら、自分もがんばらなければと、ずいぶん励みになりました。今回は感謝の気持ちをもって記念館を訪問しました。

 入口に『路傍の石(ろぼうのいし)』の展示がありました。
 想像していたものとずいぶん違う石だったのでびっくりしました。大きいので岩のようです。
 自分が想像していたのは、道のはしっこにころがっている、手のひらにのるぐらいの小さな石でした。道ばたにある石ころみたいな人間でも、粘り強くがんばっているのだということを示している本のタイトルだと思っていました。

 『路傍の石』は、昭和12年ころ(1937年ころ)執筆された作品で、時代背景は明治時代、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)は、丁稚奉公(でっちぼうこう。当時の小学校を出て、商家に住み込みをしながら、読み書き計算、商売のしかたについて学ぶ)に出されていろいろな苦労を重ねるという内容だったと思います。
 自分の母方の祖父が明治40年(1907年)生まれで、吾一少年と同じような体験をした人でした。自分が中学生の時に、祖父からは、奉公先での苦労話などを聴きました。祖父はまじめな人でした。




















 展示してあった年譜をながめていてびっくりしました。
 1910年(明治41年)ご本人23歳の時に、栃木県の山奥にあった銅山で労働体験をされて小説作品を書いておられます。
 同地に自分は小学生のときに数年間居住しました。山本有三氏がそこにいたときから半世紀ぐらい先、1965年代(昭和40年代)のころです。
 次の写真は、同地でのご本人の姿です。
 『路傍の石』の読書でお世話になった作家さんと同じ場所にいたということが、今頃になってわかったわけですが、ちょっとした感動がありました。
 なおこの地域については、春先に村井美樹さんがBSのテレビ番組で紹介されていました。テレビになつかしい風景映像が流れて自分はこどものころの思い出にひたることができました。『ローカル線よくばり絶景旅 村井美樹が行く わたらせ渓谷鉄道 新名所&穴場徹底満喫スペシャル BSテレ東』という番組でした。











 上の写真は建物の二階廊下ですが、今春見学した東京四谷(よつや)にある迎賓館赤坂離宮の雰囲気に似ています。
 迎賓館は、赤、白、黄金色のきらびやかなつくりでした。

 次の花の写真は、お庭で撮影しましたが、なにかしら由緒あるお花に見えました。
 花の名前がわかったら追記してみます。(追記:スーパーベナだと思います。別名『美女桜(びじょざくら)』です)



 次の写真は、玄関の反対側から見た全景です。
 とても立派なお屋敷でした。
 クリスマスには、サンタクロースが来そうです。



  

Posted by 熊太郎 at 06:18Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年07月24日

東京吉祥寺井の頭弁財天あたり

東京吉祥寺井の頭弁財天(きちじょうじ・いのかしらべんざいてん)あたり

 先日、東京都武蔵野市にある吉祥寺を散策してきました。
 数回に分けて、ちょっとリポートしてみます。
 次の写真は、吉祥寺駅そばにあるユニクロの店舗なのですが、おそらくほかの店舗も同じような展示手法なのでしょうが、自分には珍しく目に映りました。窓ガラスの向こうにたくさんのマネキンが飾られてありました。(この日、愛知県にある家から出かける朝に、株式のテレビ番組で『ファーストリテイリング』の株価がどうのこうのと放送されていたことを思い出しました。ファーストリテイリング:ユニクロとかジーユーの運営会社です)



 次の写真は、井の頭公園内にある池です。(いのかしらこうえん)
 夏ですから、シャワーの光景が恋しい。
 東京駅からここまででは、マスクをしている人が少ないと感じました。
 猛暑です。外国人をはじめとして、観光客は解放感を楽しみたい。



 同じ場所を今春、桜の花が咲くころに訪れました。
 次の写真は、井の頭弁財天(いのかしらべんざいてん)です。
 前回は、離れたところから赤いお社(やしろ)をながめて、そのあと吉祥寺駅方向へ遠ざかりました。
 その後、テレビだったか雑誌だったかで、あたりまえのことなのですがお参り(おまいり)ができることを知り、今回はきちんとお参りをしました。小銭を洗うところもあったので洗いました。(銭を洗うとお金がたまるらしいです)



 噴水がきれいです。気持ちがいい。











 写真には写しませんでしたが、左方向に外国人観光客が集まっていて、案内の日本人ガイドさんから、この場所案内の説明を聞いておられます。そのなかに、小学6年生ぐらいの外国人の女の子がいて、ニュージーランドから来ているというようなことをガイドさんと話していました。ニュージーランドは南半球で季節が日本とは反対なので、今は冬なのでしょう。外国の学校は、6月から8月ぐらいがお休みで、9月とか10月が新学期なのでしょう。秋入学です。春入学の日本は世界では少数派です。

 夜は吉祥寺駅に近いホテルに宿泊しました。
 居酒屋で夕食をとったのですが、いろいろ驚きました。
 夜10時を過ぎても人が多い。女性が多い。みなさんよく飲んでいます。(アルコール)
 路上にいくつかあるバス停には、バス乗車待ちをされている長い列ができていました。あの時間帯にお酒を飲んだあとバスで自宅に帰るのはたいへんだろうなあ。
 自分たち夫婦は、そのあとスーパーマーケットに入ってお菓子なんかの買い物をしましたが、店内の雰囲気が、昔行ったことがある外国での東南アジアのお店のような感じでした。異国情緒たっぷりです。  

Posted by 熊太郎 at 07:11Comments(0)TrackBack(0)東京

2023年04月02日

東京吉祥寺へ行く。あわせて、迎賓館赤坂離宮を見学

東京都武蔵野市吉祥寺(むさしのし・きちじょうじ)へ行く。あわせて、四ツ谷の迎賓館赤坂離宮を見学する。

(以下は、2023年2月に書いた文章です)
 3月下旬に用事があって千葉県に行きます。
 ついでに東京観光ということで、吉祥寺の井の頭公園(いのかしらこうえん)あたりと四ツ谷(よつや)にある迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)の見学に立ち寄れないかとプランをつくりはじめました。

 小説に出てくる場所や、テレビのロケ番組で見る、山手線の西側にある各地、駅付近のようすには興味がありますが、自分の旅のしかたとして、現地の人たちが衣食住を送っている住宅地をウロウロすることには抵抗感があります。
 よそ者である観光客が、地元住民の生活エリアに入り込むことは、迷惑に思われるような気がするのです。

 訪れてみたい土地として、中央線沿いだと『大久保』『中野』『高円寺』『吉祥寺』『三鷹』『国分寺』『国立』『立川』などがあります。
 京王井の頭線沿線だと『下北沢』です。そのあたりは、演劇の街というイメージがあります。
 東急東横線だと『中目黒』『自由が丘』『田園調布』などがあります高級住宅地と聞きます。
 今回は、半日程度しか見学時間がないので、吉祥寺の井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)あたりと、その後千葉方向へ移動するので、港区四ツ谷(よつや)の迎賓館を見学してみるつもりです。

 井の頭公園で開花した桜を見ることがひとつの希望です。(行ってみて:かないました。今年は早咲きだったので散ってしまいはしないかと心配しましたが、いい感じで花が開いていました)
 それから見たいのは『山本有三記念館』自分が小学生か中学生の時に作品『路傍の石(ろぼうのいし。道ばたにころがっている石ころという意味。人間の存在に重ねてあります)』を読んで、主人公の吾一少年の前向きな姿勢に自分の弱る気持ちを助けられました。井の頭公園の近く、三鷹市内にあります。開館は午後5時までです。
 もう一か所は『太宰治文学サロン』三鷹市。午後5時半まで。
 三鷹駅のそばにある太宰治展示室はわたしが訪れる時はあいにく休館です。
(現地近くまで実際に行ってみて:時間がなかったのと、道に迷いそうだったのであきらめました。また次の機会ということもあるでしょう)

 そのあと『迎賓館赤坂離宮』を見学したい。以前青山通りを歩いていた時に、きれいな建物が見えました。いつか、もっと近づいてみたいと思いました。
 事前予約がいらない本館と庭園の見学をします。一般1500円。午後5時までです。

 歳をとってきたので、体力的にあまり無理をせず回りたい。その場にいられただけで満足です。

(3月最終週の平日に行ってきました。まず、吉祥寺です)







 小学生のころ音楽の授業のときに歌ったサトウハチローさんの『小さい秋見つけた』の記念碑です。ピアノの形をしていました。
 なつかしい。
 音楽室で音楽の授業が始まる前に『小さい秋見つけた』を、みんなで、替え歌にして歌っておどけていました。その歌詞は忘れてしまいました。



 井の頭弁財天(いのかしらべんざいてん)の赤い建物がなかなかいい雰囲気を出していました。
 桜の花とマッチしていました。和風の風景でした。











 訪れる前の予想として、井の頭公園(いのかしらこうえん)というのは開放感があるところという思い込みがありました。
 現地の池は細長く、池の両側に樹木が生えており、開放感は少なく、ぎゅっと締まった閉塞感が特徴と感じました。







 次の写真は「お茶の水」と呼ばれる湧き水で井戸のようになっています。
 以前、明治神宮で見た加藤清正さんがらみの井戸を思い出しました。
 説明には、徳川幕府の偉い人たちがこの水を使ってお茶を飲んだというようなことが書いてありました。

 この地を徳川将軍の方が訪れて鷹狩をされて狩猟を楽しまれたそうです。
 ああそれで『三鷹市(みたかし)』という地名があるのかと納得しました。



 石楠花(シャクナゲ)の紅の花が輝いています。
 立派でお見事でした。







 中央線の電車で到着した吉祥寺の駅を出たあと、手荷物を預けるためにコインロッカーを探していたら、方向オンチなわたしたち夫婦は、いつものように道に迷い、気がついたら駅を一周ぐるりと回っていました。『あれ、さっき通ったところじゃん』
 コインロッカーは、交通系のICカードで支払うもので(現金も可能)、最近は鍵式のコインロッカーは見かけなくなりました。コインロッカーのまんなかあたりにタッチパネルの画面があって、その画面で操作します。
 荷物をコインロッカーに預けたあと、近くにいた工事現場の警備員さんに声をかけて、井の頭公園の場所を聞いて細い道を迷うように歩き、公園の横ちょに出ました。

 駅のまわりは、道が狭く、駅中(えきなか)のショッピングセンターの通路も狭く、人はものすごく多くて、びっくりしました。
 小型の建物や商店街、ショッピングのお店などがびっしりくっついてひしめきあっています。
 平日でこれだけ人が多いということは、土日はもっとすごいだろうなあ。
 自分は、空気が薄く感じられて、呼吸困難になって、水面で口をパクパクさせている池の金魚みたいなものです。自分はここには住めないなという気づきがありました。

 ここまで来る中央線の電車から見えた車窓風景は、高い建物がなく、空が広く感じられたことが、この地は、都心近くにあって意外でした。
 車窓の外には低層の建物が続く住宅地が広がっており、観光地の雰囲気は感じられませんでした。
 一部分の面しか見なかったので、勘違いがあるかもしれません。また訪れる機会もあるでしょう。まだ長生きしたいので、これからの楽しみにとっておきます。



(次の写真が、JR四ツ谷の駅から歩いて行った迎賓館赤坂離宮です)
 JR赤坂口の出口を出て左側へ歩くと迎賓館がありましたが、最初は、相変わらずの方向オンチで、スマホの地図アプリを見ても、東西南北も自分が向いている方向もわからず、同じ歩道上を行ったり来たりしてしまいました。
 おまわりさんがいっぱいいましたが、道をたずねるため気軽に声をかけられるような雰囲気ではありませんでした。一般車が一台止められて警察となにかやっていました。交通違反があったのかもしれません。

 迎賓館は建物内部の撮影は禁止です。
 館内のようすについては、ぶ厚い豪華なカラー写真がたくさん掲載されたパンフレットをもらいました。
 室内は、なにせ、どこもかしこも金ぴか色でした。
 金色(装飾)と白色(内壁)と赤色(じゅうたん)と、巨大でぴかぴかに磨き(みがき)あげられた鏡がたくさんありました。天井からつりさげられた大きな照明は、シャンデリアで電灯色でした。

 日本政府の人たちが外国要人と肩を寄せ合いながら会議を開いたり、懇親会を開催したりする部屋をいくつも見学しました。一時間半ぐらいかけて、たっぷりと見学できました。

 迎賓館の中に入場する前には持ち物検査があります。
 外国人観光客の人たちに混じりながら行列に並びました。
 ペットボトルのお茶は、なにか光を当てて検査されました。
 ボールペンと万歩計もポケットから出して手荷物で預けました。

 見学を終えて、また行ってもいいなと思いました。
 天井画(てんじょうが)も素晴らしく、フランスのパリに行かなくても、ここでパリにある宮殿を見学している気分を味わうことができます。

 室内に置いてある装飾品は、実用品というよりも美術品です。食事の時の食器類はながめるだけで十分です。じっさいに使用すると汚れたり傷つけたりしそうでこわいです。(まあ、そいういうことは自分に起こることはありえませんが)

 この建物を訪れた亡き前首相の写真や外国の政治家の方などの写真がいくつも置いてありました。
 
 次は、正面玄関方向(北)から見た建物の写真です。







 正面の反対側(南)のお庭にあった噴水です。かなり大きい。







 噴水にある造形物は、上半身が鷹、下半身がライオンで、伝説とか神話に出てくるような生き物なのでしょう。ほかに亀とかライオンの顔がありました。



 帰宅してから気づいたのですが、この噴水を前景にして、北方向に見える迎賓館の建物をバックに入れて写真を撮ることが定番の撮影位置だったに違いありません。失念しました。(しつねん:うっかりしていて気づけなかった)

 次の写真が、噴水の向こう側に見える建物です。(南から北を見る)



 いいお天気に恵まれて良かった。
 この敷地のそと、遠くには都内で咲く桜の花が見えていました。
 高層ビルの影もちらほら見えていました。  

Posted by 熊太郎 at 10:03Comments(0)TrackBack(0)東京