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2009年09月27日

半島へ、ふたたび 蓮池薫

半島へ、ふたたび 蓮池薫 新潮社

 韓国ソウルへ経つ3日前に本屋さんでこの本を見かけて、ソウル訪問の前にこの本を読んでおかなければと思い立ち、購入即座に読み始めて半日で読み終えました。
 蓮池さん翻訳の本として以前「母と旅した900日」を読んだことがあります。しっかりした日本語で翻訳されていました。また、北朝鮮拉致被害者の作品として、チャールズ・ジェンキンスさんの「告白」を読んだことがあります。こちらもまた緻密な記述の書籍でした。
 旅行ガイドブックがわりとして読んだので、その視点でいくつか感想を書きます。
 読む前は、日本との貨幣価値の比較がよくわかりませんでした。現在、1万ウォンが850円ぐらいです。蓮池さんがソウルに行かれた2008年2月頃は、1万ウォンが1120円ぐらいなので、ウォンのほうがずいぶん不利になっています。本に記述があるタクシー運転手の月収は、160万ウォンですから13万6000円になります。それが、労働者の一般的な月収のようです。台北に行ったことがあるのですが、そこでもやはり労働者の月収は10万円ぐらいと聞きました。北京に行ったときはかなり格差があって、土産を買ったり清涼飲料水を飲んだりしましたが、滞在中は結局日本円で3000円ぐらいしか使いませんでした。貨幣価値が日本の10分の1ぐらいもしくはそれ以下に感じました。
 51ページにあるテレビドラマづくりの手法は、放映日の前日までロケをしているとか、台本は視聴者の意向にそってつくるというのは、作者の意志は尊重されないのかと不満をもちつつもその柔軟性に賛成する気持ちも生じました。テレビドラマの記述から「夜景」の記述に移っていくのですが、それが、北朝鮮、東京の夜景に続くあたりの記述は秀逸です。
 後半に日本との対立とか差別の記事があります。豊臣秀吉が起こした文禄の役・慶長の役は1590年代のことであり、400年も前のことが今も尾を引いていることは悲しい。作者は立場上、韓国の生活者の暮らしに深く関わりをもっていくわけですが、日本の一般人は観光客としてしか立ち寄れない近づきがたいものがあります。
 117ページにある、昔は、お金で刑の身代わりが頼めたとか(韓国民族村で刑場を見学しました)、119ページにあった茶道に関する韓国人からの質問とか入浴習慣の違い、翻訳の苦労話など読んでいて、目からうろこが落ちる部分がありました。
 この本は2部構成になっています。後半は、作者の翻訳業を始めとして作家として生活していきたい気持ちが語られています。第2部の中で、韓国人女性作家が、しあわせな状態を旅先でのんびりたくさんの本を読むことと記しています。同じ時期に読んでいた「とんび」重松清著では、しあわせとは、明日が楽しみだと思える生活を送ること、という主人公のヤスさんのセリフがあります。24年間、自由を拘束されていた作者は、まったく逆の体験をしています。作者はわたしより年齢が1歳上、学年は2こ上だと思います。作者は書中であと何年生きられるだろうかという記述をしていますが、わたしも同感です。日本人は長寿になりましたが、自分はそんなに長くは生きられないと予測しています。やり残しはなるべく少ない人生にしたい。

(ソウルタワーと夜景です。山の上に建っているので、展望台の高さは山と塔をあわせて500mぐらいになります。この夜は三日月がきれいでした。タワーに続く急な坂道をアンニョハムシカー(一日中使えるあいさつ)と言いながら縄跳びをしながら上り下りする西洋人とか、自転車で上ってくる人たちとかを見かけました。ここと夜の遊覧船がプロポーズの場所として選ばれることが多いそうです。)












夜景はうまく撮影できていません。もっと明るくていっぱいに広がっていました。


(板門店 日本語で「はんもんてん」ですが、原語では「パンムンジョム」です。)



写真は国境線の向こうにある北朝鮮の建物(板門閣)になります。見える人影は、北朝鮮側の観光客です。中国人観光客だろうとのことでした。対して、こちら側にも同じような建物(自由の家)があり、日本人観光客があちらを眺めることになります。事前に、相手を指差したり、手を振ったりしてはいけないと厳しく指示されます。こちら側の観光客は次から次へと順番待ちでしたが、相手側は、このときしか観光客の姿はありませんでした。
日本人は簡単に観光できますが、韓国人はかなり前から予約して審査を受けて、なおかつ個人でしか見学できないそうです。家族の見学を許すと家族そろって北朝鮮側へ行ってしまうおそれがあるそうです。

軍事停戦委員会会議室の中です。韓国側の兵士です。人形のように微動だにしません。彼の隣に立って順番に記念撮影をします。右側窓の外に立っているのが、北朝鮮の兵士です。国連の旗が立っている位置が軍事境界線で、右側が北朝鮮側になります。


会議室の外に立っている北朝鮮の兵士です。




バスで板門店へ行く途中にあった「自由の橋」(手前)です。川は「臨津江イムジンガン」になります。
鉄橋部分は鉄道が走っていました。




(板門店のブリーフィングルーム(説明会場)で説明を受けました。)
今まで知らなかったことが多々ありました。
日本が朝鮮半島全体を支配していた。1945年8月15日終戦の日から半島全体が国ではなくなった。
半島の北と南で異なったリーダーが生まれて戦争となった。北が南の釜山付近まで攻め込んだり、南が北の中国付近まで攻めたりしたのち戦争は泥沼化した。

わたしは「南北離散家族」というのは、300人程度だろうと勝手に独りで思い込んでいました。その数は、何百万人という単位だそうで、たいそう驚きました。まだまだ知らないことがたくさんあります。

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