2022年10月11日
夕日は沈み 朝日は昇る 撮影地 福岡県内
夕日は沈み 朝日は昇る 撮影地 福岡県内 2022年10月
用事があって九州まで夫婦で行ってきました。
夕映えがきれいでした。遠賀川(おんががわ。下流に向かっての右岸道路を走る車の中から撮影しました。ちょっと車の中からの反射があります)沿いの光景です。

紅色(くれないいろ)の空のショーが始まりました。



次の写真は、翌朝の東方向です。日の出です。この地域は、朝もやが出ることが自然の特徴です。地域全体を囲む(かこむ)山の中腹が白くかすんでいます。

さきほどの朝日が照らす西側方向です。山並みの向こうが福岡市方向です。

この日は、お墓参りをしたあと『伊藤伝右衛門邸(いとう・でんえもん邸)』を見学しました。大きなお屋敷でした。前回見学したのは、2015年10月で、そのときは、次の予定があったので、かけあしでのあわてた見学でした。今回は、ゆっくり見学できました。
見学者は、自分たちと同じような年配の夫婦をちらほら見かけました。前回見学したときは、NHKの朝ドラが放映されたころだったので、見学者がたくさんおられました。
伊藤伝右衛門:1861年(江戸時代)-1947年(昭和22年)86歳没。炭鉱事業経営の実業家。2番目の妻が、柳原樺子(やなぎはら・あきこ。華族(貴族階級)。婚姻期間1911年(明治44年)-1921年(大正10年)歌人。筆名:柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん))
柳原白蓮:1885年(明治18年)-1967年(昭和42年)81歳没。26歳の時に50歳の伊藤伝衛門と結婚した。1921年(大正10年)白蓮事件。柳原白蓮は、駆け落ちをした。
花子とアン:2014年上半期NHK朝ドラ。「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子の半生。村岡花子の大親友が、柳原白蓮。



(新幹線)
博多行きは、岡山駅で降りる人が多かった。
広島駅で大部分の人たちが降りて行って、自分たち夫婦のまわりは、前も後ろも横も空席だらけで、新幹線は空気を運んでいるような感じでした。コロナ禍の影響があるのかもしれません。
岡山駅を過ぎてからの九州方面への景色では、紅色の(くれないいろの)ヒガンバナの群生を多く見ました。
旅をしながら、地方の経済は冷えているという印象を受けました。
高齢化が進み過疎化著しい田舎と人口密集地の都市部と、両極端な状況があります。
お店や車内にお客さんがいないのに、その場にいて働くという、お金のためと割り切ればいいのでしょうが、働く動機付けがむずかしいシーンもありました。
地方も都市部も、どちらも暮らしにくさがあるように感じられました。
バランス(平均的な平衡感覚)が求められます。
博多駅からの帰路では、日本で生活しているような外国人乗客が多かった。神戸駅と京都駅で乗り降りする人たちが多かった。
博多駅近くの街は、人が多く、案内表示も雑多で大量で、かえって地理方向がわかりにくかった。
ちょっと疲れた旅でした。
用事があって九州まで夫婦で行ってきました。
夕映えがきれいでした。遠賀川(おんががわ。下流に向かっての右岸道路を走る車の中から撮影しました。ちょっと車の中からの反射があります)沿いの光景です。

紅色(くれないいろ)の空のショーが始まりました。



次の写真は、翌朝の東方向です。日の出です。この地域は、朝もやが出ることが自然の特徴です。地域全体を囲む(かこむ)山の中腹が白くかすんでいます。

さきほどの朝日が照らす西側方向です。山並みの向こうが福岡市方向です。

この日は、お墓参りをしたあと『伊藤伝右衛門邸(いとう・でんえもん邸)』を見学しました。大きなお屋敷でした。前回見学したのは、2015年10月で、そのときは、次の予定があったので、かけあしでのあわてた見学でした。今回は、ゆっくり見学できました。
見学者は、自分たちと同じような年配の夫婦をちらほら見かけました。前回見学したときは、NHKの朝ドラが放映されたころだったので、見学者がたくさんおられました。
伊藤伝右衛門:1861年(江戸時代)-1947年(昭和22年)86歳没。炭鉱事業経営の実業家。2番目の妻が、柳原樺子(やなぎはら・あきこ。華族(貴族階級)。婚姻期間1911年(明治44年)-1921年(大正10年)歌人。筆名:柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん))
柳原白蓮:1885年(明治18年)-1967年(昭和42年)81歳没。26歳の時に50歳の伊藤伝衛門と結婚した。1921年(大正10年)白蓮事件。柳原白蓮は、駆け落ちをした。
花子とアン:2014年上半期NHK朝ドラ。「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子の半生。村岡花子の大親友が、柳原白蓮。



(新幹線)
博多行きは、岡山駅で降りる人が多かった。
広島駅で大部分の人たちが降りて行って、自分たち夫婦のまわりは、前も後ろも横も空席だらけで、新幹線は空気を運んでいるような感じでした。コロナ禍の影響があるのかもしれません。
岡山駅を過ぎてからの九州方面への景色では、紅色の(くれないいろの)ヒガンバナの群生を多く見ました。
旅をしながら、地方の経済は冷えているという印象を受けました。
高齢化が進み過疎化著しい田舎と人口密集地の都市部と、両極端な状況があります。
お店や車内にお客さんがいないのに、その場にいて働くという、お金のためと割り切ればいいのでしょうが、働く動機付けがむずかしいシーンもありました。
地方も都市部も、どちらも暮らしにくさがあるように感じられました。
バランス(平均的な平衡感覚)が求められます。
博多駅からの帰路では、日本で生活しているような外国人乗客が多かった。神戸駅と京都駅で乗り降りする人たちが多かった。
博多駅近くの街は、人が多く、案内表示も雑多で大量で、かえって地理方向がわかりにくかった。
ちょっと疲れた旅でした。
2021年11月25日
暮らし方いろいろ 人生いろいろ
暮らし方いろいろ 人生いろいろ
今回久しぶりに旅をして、田舎風景の中に身を置いて考えたことです。
博多駅から鉄道支線に乗りかえて移動した電車の窓からは、自然に包まれた豊かで深い風景を見ることができました。
山があって、山々の峰は連なっていて、緑の木々も紅葉を迎えた木々も美しい。赤い葉っぱ、黄色い葉っぱがところどころ固まっていました。
川があって、田んぼがあって、木造の古い建物がぽつんぽつんと建っている。
心がほっとできる空間があります。
下の写真は夕映えが始まるころです。

同じ場所でずっと暮らして人生を終える人がいます。
日本各地、あるいは世界各地を転々として人生を終える人もいます。
親族に囲まれて、老若男女を見ながら過ごす人生があります。しわしわのお年寄りがいて、やわらかでつるつるお肌をしたあかちゃんとのふれあいがあります。
仕事いちずで仕事の世界を中心にして終わる人生もあります。
島倉千代子さんの歌曲「人生いろいろ」を思い出します。
人それぞれです。
知らないことを知らないまま終える人生もあります。
人生の過ごし方の選択肢はたくさんあります。
標準的な人生の線路上を走ることができないからといって、人生をあきらめることはないと気づかされます。1億2600万人ぐらいいるこの国の人の人生は、同じ数だけの人生のパターンがあります。

五十年ぐらい前は、鉄道駅やバスターミナル周辺、アーケードの商店街ににぎわいがありましたが、いまはさびれて夜はとくに冷たい空気が流れています。
現在は、バイパス道路沿いや郊外型大型店舗に人が集まっています。
これから先、五十年後は、またようすが変わるのでしょう。
田舎には、自然と共生する生活があります。
電車や車の車窓から、太陽光発電に使用するソーラーパネル施設をいくつも見ました。
田舎では、下水道設備がないので、いまだに汲み取り式の便所を使用しているところもあります。
行政によるし尿の回収作業があります。また、上水(じょうすい)については、水道設備がなく、井戸を使用しているところもあります。
簡易水洗というものを初めて使用しました。レバーを向こうへ倒すと便器にたまっていた水が流れます。手前に引くと次回に備えて、便器の底に水がたまります。
都会で生まれて育って人生を終える人たちには、一生体験することがない生活のしかたです。
そんなところから前述した「人生いろいろ」を思いつきました。

とある峠道の途中にある展望台からの写真です。
五十年ぐらい前に観た山の形に変わりはありません。
この文章をつくっていたときに、背後においてあったラジオから「ひきこもりラジオ」というような番組が流れてきました。
狭い空間に身を置いている人たちの、死にたいとか、外に出るのが怖いとか、生きることが苦痛だとかいうお便りが続きます。聞いていて、気持ちが重くなりました。人になにかをしてもらいたいという依存心を感じました。
本人が、外に出ようと思わなければなんともしようがないのです。外に出ると、いいこともあるし、いやなこともあります。プラスマイナスイコールゼロが、生活の基本です。いい事ばかりはないし、悪い事ばかりでもありません。
人生いろいろですから、できないならできないでもいいのだろうと変に納得したのです。
今回久しぶりに旅をして、田舎風景の中に身を置いて考えたことです。
博多駅から鉄道支線に乗りかえて移動した電車の窓からは、自然に包まれた豊かで深い風景を見ることができました。
山があって、山々の峰は連なっていて、緑の木々も紅葉を迎えた木々も美しい。赤い葉っぱ、黄色い葉っぱがところどころ固まっていました。
川があって、田んぼがあって、木造の古い建物がぽつんぽつんと建っている。
心がほっとできる空間があります。
下の写真は夕映えが始まるころです。
同じ場所でずっと暮らして人生を終える人がいます。
日本各地、あるいは世界各地を転々として人生を終える人もいます。
親族に囲まれて、老若男女を見ながら過ごす人生があります。しわしわのお年寄りがいて、やわらかでつるつるお肌をしたあかちゃんとのふれあいがあります。
仕事いちずで仕事の世界を中心にして終わる人生もあります。
島倉千代子さんの歌曲「人生いろいろ」を思い出します。
人それぞれです。
知らないことを知らないまま終える人生もあります。
人生の過ごし方の選択肢はたくさんあります。
標準的な人生の線路上を走ることができないからといって、人生をあきらめることはないと気づかされます。1億2600万人ぐらいいるこの国の人の人生は、同じ数だけの人生のパターンがあります。
五十年ぐらい前は、鉄道駅やバスターミナル周辺、アーケードの商店街ににぎわいがありましたが、いまはさびれて夜はとくに冷たい空気が流れています。
現在は、バイパス道路沿いや郊外型大型店舗に人が集まっています。
これから先、五十年後は、またようすが変わるのでしょう。
田舎には、自然と共生する生活があります。
電車や車の車窓から、太陽光発電に使用するソーラーパネル施設をいくつも見ました。
田舎では、下水道設備がないので、いまだに汲み取り式の便所を使用しているところもあります。
行政によるし尿の回収作業があります。また、上水(じょうすい)については、水道設備がなく、井戸を使用しているところもあります。
簡易水洗というものを初めて使用しました。レバーを向こうへ倒すと便器にたまっていた水が流れます。手前に引くと次回に備えて、便器の底に水がたまります。
都会で生まれて育って人生を終える人たちには、一生体験することがない生活のしかたです。
そんなところから前述した「人生いろいろ」を思いつきました。
とある峠道の途中にある展望台からの写真です。
五十年ぐらい前に観た山の形に変わりはありません。
この文章をつくっていたときに、背後においてあったラジオから「ひきこもりラジオ」というような番組が流れてきました。
狭い空間に身を置いている人たちの、死にたいとか、外に出るのが怖いとか、生きることが苦痛だとかいうお便りが続きます。聞いていて、気持ちが重くなりました。人になにかをしてもらいたいという依存心を感じました。
本人が、外に出ようと思わなければなんともしようがないのです。外に出ると、いいこともあるし、いやなこともあります。プラスマイナスイコールゼロが、生活の基本です。いい事ばかりはないし、悪い事ばかりでもありません。
人生いろいろですから、できないならできないでもいいのだろうと変に納得したのです。
2021年11月24日
ちびっこへ 絵本のプレゼント
ちびっこへ 絵本のプレゼント
遠方に住むきょうだいの孫たちに初めて会いました。
絵本をプレゼントに持って行きました。
とても喜んでもらえたので、重たい布製の手提げバッグを持って行ったかいがありました。
〇4歳児と2歳児へのプレゼント
「パンダ銭湯」 tupera tupera(ツペラ ツペラ 亀山達也と中川敦子によるユニット) 絵本館
「だるまさんが」「だるまさんの」「だるまさんと」のシリーズ3冊 かがくい・ひろし ブロンズ新社
絵本よりも、絵本を入れていたポケモンセンターでお買い物をしたときに商品を入れてもらったポケットモンスターがたくさん印刷されている袋のほうにくいついてくれました。ポケモンが大好きだそうです。絵柄を見ながら、これは(ポケモンの)なになにだ! と盛り上がりました。
〇3歳児と生後7か月のあかちゃんへのプレゼント
「ぼうしとったら」「やさいさん」「かぜビューン」
しかけ絵本で、3冊ともtupera tupera ツペラツペラ 学研プラス
上の子は、恥ずかしがり屋で人見知りするのでどうかなという前情報でしたが、プレゼントに絵本をもってきたと告げると大喜びされたので、こちらのほうがびっくりしました。本が好きだそうです。
すぐに読み始めて、なんどもくりかえしながら、エンドレスに読んでいました。読み手のパパもママもお疲れになったことでしょう。
久しぶりにあかちゃんと握手しました。自分の人さし指を、赤ちゃんのもみじのような小さなお手手でぎゅっと握ってもらいました。やわらかくてふわふわした手のひらでした。胸に幸せ気分が広がりました。
今年は、高齢の親族をふたり亡くし、赤ちゃんがひとり生まれました。順繰りで命をつないでいくこの1年でした。
遠方に住むきょうだいの孫たちに初めて会いました。
絵本をプレゼントに持って行きました。
とても喜んでもらえたので、重たい布製の手提げバッグを持って行ったかいがありました。
〇4歳児と2歳児へのプレゼント
「パンダ銭湯」 tupera tupera(ツペラ ツペラ 亀山達也と中川敦子によるユニット) 絵本館
「だるまさんが」「だるまさんの」「だるまさんと」のシリーズ3冊 かがくい・ひろし ブロンズ新社
絵本よりも、絵本を入れていたポケモンセンターでお買い物をしたときに商品を入れてもらったポケットモンスターがたくさん印刷されている袋のほうにくいついてくれました。ポケモンが大好きだそうです。絵柄を見ながら、これは(ポケモンの)なになにだ! と盛り上がりました。
〇3歳児と生後7か月のあかちゃんへのプレゼント
「ぼうしとったら」「やさいさん」「かぜビューン」
しかけ絵本で、3冊ともtupera tupera ツペラツペラ 学研プラス
上の子は、恥ずかしがり屋で人見知りするのでどうかなという前情報でしたが、プレゼントに絵本をもってきたと告げると大喜びされたので、こちらのほうがびっくりしました。本が好きだそうです。
すぐに読み始めて、なんどもくりかえしながら、エンドレスに読んでいました。読み手のパパもママもお疲れになったことでしょう。
久しぶりにあかちゃんと握手しました。自分の人さし指を、赤ちゃんのもみじのような小さなお手手でぎゅっと握ってもらいました。やわらかくてふわふわした手のひらでした。胸に幸せ気分が広がりました。
今年は、高齢の親族をふたり亡くし、赤ちゃんがひとり生まれました。順繰りで命をつないでいくこの1年でした。
2021年11月23日
名古屋から博多 白いクリスマスツリーから青いクリスマスツリー
新幹線のぞみ 名古屋駅から博多駅 白いクリスマスツリーから青いクリスマスツリーへ

名古屋駅前に設置された白いクリスマスツリーです。
駅に入る前に撮影しました。
暗くなる夕方ぐらいから電灯がともされるのでしょう。
用事があって福岡へ行ってきました。
新幹線に乗ったのはコロナ禍の影響もあって、二年ぶりぐらいです。
名古屋駅のホームにある待合室で、座って、ぼーっとしていました。
のぞみ何号だったっけと、窓の外の小さな吊り下げ式電光掲示板を見上げたら「東京」という文字が目に入りました。
ふーん。あれ?! 自分たちは、博多駅へ行くのに、どうして「東京」と書いてあるのだろう。ふと気づきました。『た・い・へ・ん・だ』
予約した博多行きのぞみの発車時刻まで10分ほどあったので、気持ちを落ち着けて、大きな荷物を背中にしょって立ち上がり、静かにゆっくりと、線路の向こう側にある博多駅方面行列車が停まるホームへ移りました。
エスカレーターを下がって、通路を歩いて、エスカレーターを上がって、そのままホームで列に並んでちょっと待って、到着してきた予約していた車両へ無事に乗ることができました。
加齢で夫婦ともに頭の中がぼんやりしています。危なかった。
新幹線のぞみの車内では、窓際席足元に電源コンセントがなくてとまどったのですが、イスのひじ掛けのはしっこ、手のひらをのせるところに差し込み口がありました。便利になりました。
長いこと生きてきて、あちこち行ったり来たりしたので、自分の頭の中の日本地図では、日本列島の長さが30cmぐらいの距離感しかありません。
日本は、一日24時間以内で、たいていのところへ行ける島国です。
名古屋駅から博多駅まで3時間ちょっとです。昔のことを思えば便利で楽になりました。
新幹線の路線が博多までなかったころは、ひと晩かけて寝台車で移動していました。午前六時過ぎごろ名古屋駅に到着するブルートレイン「金星」を利用していました。
現役で働いていた時代の一時期に、鉄道を利用した長時間通勤をしていたことを思えば、博多駅までの3時間も、毎日の通勤時間の延長ぐらいにしか思えません。
歳をとってきて、ものごとを考える「意識」が「乾燥」してきました。みずみずしさという新鮮味のない人生最後の時間帯を過ごすステージに達したからでしょう。
博多駅はたいへんな混雑で驚かされました。勢いがあります。
観光客とたぶん地元のショッピングのお客さんたちでいっぱいです。
タクシー乗り場は長蛇の列です。並んでいる人たちは、長時間の待ち時間を苦にする様子もなくむしろおしゃべりを楽しんでおられるようすでした。結婚式帰りの人たちも見かけました。
コロナ禍がおさまってきて、日常生活が回復に向かっていることがわかります。
今の自分の心の中にある疑問です。本当に第6波が来るのだろうか。もう来ないでほしい。
博多駅前に設置されていた青いクリスマスツリーです。
ブルーに輝いていました。

名古屋駅前に設置された白いクリスマスツリーです。
駅に入る前に撮影しました。
暗くなる夕方ぐらいから電灯がともされるのでしょう。
用事があって福岡へ行ってきました。
新幹線に乗ったのはコロナ禍の影響もあって、二年ぶりぐらいです。
名古屋駅のホームにある待合室で、座って、ぼーっとしていました。
のぞみ何号だったっけと、窓の外の小さな吊り下げ式電光掲示板を見上げたら「東京」という文字が目に入りました。
ふーん。あれ?! 自分たちは、博多駅へ行くのに、どうして「東京」と書いてあるのだろう。ふと気づきました。『た・い・へ・ん・だ』
予約した博多行きのぞみの発車時刻まで10分ほどあったので、気持ちを落ち着けて、大きな荷物を背中にしょって立ち上がり、静かにゆっくりと、線路の向こう側にある博多駅方面行列車が停まるホームへ移りました。
エスカレーターを下がって、通路を歩いて、エスカレーターを上がって、そのままホームで列に並んでちょっと待って、到着してきた予約していた車両へ無事に乗ることができました。
加齢で夫婦ともに頭の中がぼんやりしています。危なかった。
新幹線のぞみの車内では、窓際席足元に電源コンセントがなくてとまどったのですが、イスのひじ掛けのはしっこ、手のひらをのせるところに差し込み口がありました。便利になりました。
長いこと生きてきて、あちこち行ったり来たりしたので、自分の頭の中の日本地図では、日本列島の長さが30cmぐらいの距離感しかありません。
日本は、一日24時間以内で、たいていのところへ行ける島国です。
名古屋駅から博多駅まで3時間ちょっとです。昔のことを思えば便利で楽になりました。
新幹線の路線が博多までなかったころは、ひと晩かけて寝台車で移動していました。午前六時過ぎごろ名古屋駅に到着するブルートレイン「金星」を利用していました。
現役で働いていた時代の一時期に、鉄道を利用した長時間通勤をしていたことを思えば、博多駅までの3時間も、毎日の通勤時間の延長ぐらいにしか思えません。
歳をとってきて、ものごとを考える「意識」が「乾燥」してきました。みずみずしさという新鮮味のない人生最後の時間帯を過ごすステージに達したからでしょう。
博多駅はたいへんな混雑で驚かされました。勢いがあります。
観光客とたぶん地元のショッピングのお客さんたちでいっぱいです。
タクシー乗り場は長蛇の列です。並んでいる人たちは、長時間の待ち時間を苦にする様子もなくむしろおしゃべりを楽しんでおられるようすでした。結婚式帰りの人たちも見かけました。
コロナ禍がおさまってきて、日常生活が回復に向かっていることがわかります。
今の自分の心の中にある疑問です。本当に第6波が来るのだろうか。もう来ないでほしい。
博多駅前に設置されていた青いクリスマスツリーです。
ブルーに輝いていました。
2015年10月16日
福岡県飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸
福岡県飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸
観光客の数が多くてびっくりしました。
駐車場は入口が少しわかりにくかったけれど、わき道を通り過ぎて、後戻りしてわかりました。
NHKの連続朝ドラマの内容は知りませんが、「白蓮れんれん」は読んだことがあります。
大きなお屋敷でした。


観光客の数が多くてびっくりしました。
駐車場は入口が少しわかりにくかったけれど、わき道を通り過ぎて、後戻りしてわかりました。
NHKの連続朝ドラマの内容は知りませんが、「白蓮れんれん」は読んだことがあります。
大きなお屋敷でした。


2015年10月14日
福岡県北九州市皿倉山(さらくらやま)
福岡県北九州市皿倉山(さらくらやま)
絶景でした。ケーブルカーとスロープカーで登りました。


ここで、ジャンバーを山口県内のホテルの部屋に忘れてきたことに気づき、再び山口県のホテルへ向かいました。レンタカーを運転しながら、関門橋を行ったり来たりしましたが、それはそれで楽しい思い出となりました。
絶景でした。ケーブルカーとスロープカーで登りました。


ここで、ジャンバーを山口県内のホテルの部屋に忘れてきたことに気づき、再び山口県のホテルへ向かいました。レンタカーを運転しながら、関門橋を行ったり来たりしましたが、それはそれで楽しい思い出となりました。