2014年01月05日

永遠の0(永遠のゼロ) 映画館と小説(再読を含む)

永遠の0(永遠のゼロ) 映画館と小説(再読を含む) 百田尚樹

 映画館は満席でした。びっくりしました。良質な作品は万人に受け入れられます。
 小説と比較して、映画は力不足でしたが、及第点です。
 映画で省略されている小説の部分として、ラスト、宮部久蔵機が戦艦に突き立ったあと、米国空母の乗組員たちが、勇敢な戦闘機乗りであった彼に敬意を表して水葬を行います。また、孫娘の三角関係がありません。やくざの親分が宮部久蔵の妻を助けたシーンはセリフだけになっています。その他、通信員のせつない体験がありませんでした。よかったら小説も読んでください。
 内容を知っているので、冒頭の戦闘機が海面すれすれに飛行するシーンから、涙が目じりを伝います。宮部さんは純粋であったがゆえに命を落としました。亡くなったあとも子孫に貢献する。目には見えないけれど助けてくれる。
 やくざの親分が語るシーンで、雨がよかった。宮部久蔵の妻を演じた井上さんがよかった。戦時中、宮部さんにくってかかるとんがった若者たちがよかった。

以下は小説の感想です。

永遠の0(ゼロ) 百田尚樹(ひゃくたなおき) 講談社文庫 2011年1月16日
 書評の評判が良かったので読んでみました。今年読んでよかった1冊になりました。有益な書物です。575ページあります。淡々と読み続けて、2日半で最後のページにたどりつきました。0はゼロ式戦闘機を指します。ゼロ戦です。
 太平洋戦争末期、特攻という攻撃がありました。日本軍航空機によるアメリカ軍艦船への自爆攻撃です。冒頭から後半近くまでは、NHKこども向け教育番組のような構成です。特攻で亡くなった祖父の孫である姉と弟による関係者へのインタビューとなっています。内容はリポートです。ところが、530ページまでの長文を経て、その後、物語の展開は、すさまじい変貌を遂げて、本作品は光り輝くがっちりとした1本の小説となります。最初と最後にある米国軍人の報告が物語を引き締めています。
 主役は操縦士宮部久蔵大正8年生まれ、生きていれば85歳ですが、26歳のときに特攻の自爆攻撃をして戦死しています。彼は、生きて戦場から帰りたかった。妻と娘(あかちゃん)に会いたかった。彼は、特攻に反対していた。教官として生徒に死ぬなとメッセージを送っていた。そんな彼の妻が松乃で、そのふたりのこどもが娘の清子です。清子のこどもである姉慶子30歳フリーライターと弟健太郎26歳無職のインタビューを受けた人たちを列挙してみます。
 海軍少尉長谷川梅男(旧姓石岡)、海軍中尉伊藤寛次、この時点で、祖父宮部久蔵氏は、海軍航空隊では「臆病者」と呼ばれていたことが発覚します。これまで、わたしが知らないことがたくさん書いてありました。そのひとつは飛行機の種類です。爆撃機は爆弾を装てんしている飛行機で、重量が重いため速度が遅い。爆撃機を警護するのが戦闘機で、爆撃機の速度にあわせるためジグザグに飛行する。ほかにもたくさんありましたが、ここには書きません。歴史経過を登場人物に喋らせる手法で、その内容はわかりやすい。「二十四の瞳」壺井榮著が思い浮かびました。
 海軍飛行兵曹長井崎源次郎、この部分を読んだときに高校時代の恩師を思い出しました。わたしが中学・高校生の頃はまだ、戦地体験者の先生たちが教鞭をとっておられました。授業の合間に戦争体験を語ってくださいました。それから初めてグァム島を訪れた30年前を思い出しました。ツアーのなかに戦争時のことを熱く語るおじいさんがいました。観光グループの中で浮いた存在でした。同じ時代、同じ国民でも、同じ場所で、まったく異なる感想をもつのです。
 ゼロ戦という当時高性能の機種がなかったら、日本は外国の植民地になっていたかもしれません。この本は、今、弱気になっている人を励ます力があります。この時代のこの体験をした人たちの苦労に比べたら現代日本での日本人の苦労は苦労に値(あたい)しません。この本を読むと、なんとか生き抜いていけるという勇気が湧いてきます。
 書中では、大本営とか、日本軍とか、海軍とか、官僚とかに対する批判がたびたび登場します。下の者は死んで、上の者は生き残った。下の者は、人間ではなく、消耗品、備品といった物扱いを受けた。責任を負う責任者はいなかったとなっています。上層部は下層部の進言を聞かず、作戦の失敗がたくさんあったようです。エリートは現場を知らない。映画「八甲田山死の彷徨(ほうこう、さまようこと)」を思い出しました。上層部を信じきってはいけない。現代でも似たようなことはままあります。士農工商に引き続く身分制度がまだ生き続けていたのでしょう。そのような時代背景のなかにあっても、主人公宮部久蔵氏はNo!と言える人でした。戦時中の制服職場で、かつ役職者でありましたが、極限状態でも平常心を失わない勇者でした。下の者たちが南方諸島において命がけで戦っていた頃、上層部は戦艦大和で音楽を聴き、食事を楽しんでいたのです。「大和ホテル」という呼称には腹が立ちました。アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のようなロマンと正義は現実にはなかったのです。日本国民はアメリカ合衆国に負けたのではなく、軍部の上層部に負けたのです。251ページ、井崎さんのセリフは涙なしには読めない。戦死した方からのメッセージのリレーです。
 海軍整備兵曹長永井清隆氏、この部分で、ふたりの祖父宮部久蔵氏は「臆病者」ではなく、カリスマ的な操縦の達人であったことが判明しだします。永井氏の話を聞くと、戦争は止められない。そういう時代もあったと諦観(ていかん、あきらめる)するしかないという気持にさせられます。
 海軍中尉谷川正夫、なかにし礼著「兄弟」を思い出しました。作者の兄が戦争から帰ってきたら人格が一変していた。金銭感覚が破綻していたというものでした。330ページ、内地の人たちは、戦争の怖さを知らない。他の本を読んでいると、終戦前年の昭和19年に日本各地を鉄道で旅行したり、旅先ののんびりとした運動会風景を記述したりした場面に出くわします。空爆があったのは、都市部であり、地方の生活に大きな変化はなかったと推測するのです。現代日本人の大半は、戦いの悲劇を体験していない民族です。第7章で、谷川さんが語ります。戦後の人と戦前の人は違う。「道徳」が失われたと結びます。谷川さんは、戦後、何度も人からだまされ、裏切られています。「恥ずかしながら帰って参りました」というセリフで昭和47年にグァム島のジャングルから帰還した兵隊さんを思い出しました。読み進めていると、もしかしたら主役の宮部さんはどこかで生存しているのではないかという推測と期待感が生まれます。なかなか、彼の死亡の瞬間を見た人は書中に現れません。
 姉さんと司法試験に合格できず実家の鉄工所を継いだ藤木秀一36歳、新聞記者高山隆二38歳の三角関係が挿入されているのですが、この話は当初いらないのではないかという感想をもちました。しかし、最後に必要であったことが判明します。
 海軍少尉岡部昌男、一昨年12月に鹿児島県知覧特攻平和会館を見学しました。そのときに、「先生のわすれられないピアノ」という本を知り、その後読みました。音楽大学の学生さんが特攻に行く前に小学校のピアノを弾かせてほしいと学校に来るのです。これは実話です。岡部少尉の語りを聞いて合点(がてん、理解)がいったのです。なにゆえ、音楽大学の学生が戦闘機で飛ぶのか。そもそも操縦できるのか。軍部は、人材不足を補うために、大学生を特攻隊の要員として引っ張り出し、死地へ赴(おもむ)かせたのです。ピアノを弾(ひ)いた音大生たちは亡くなったことでしょう。本書の主人公宮部久蔵氏は、教官として大学生に「死んではいけない」と諭(さと)します。今も昔もそういうことを言える人は少ない。
 海軍中尉武田貴則、彼は新聞記者高山を徹底的に攻撃します。日本が戦争に突入するようけしかけたのは、新聞社の報道だと断定します。その部分を読んでいると、マスコミの報道に左右されることなく、しっかり判断ができる賢い有権者になろうという気になります。
 海軍上等飛行兵曹影浦介山79歳、元暴力団、たぶん組長クラス、殺人犯歴あり。宮部久蔵を憎んでいます。彼の話を聞いていて、身分制度がないと社会の構築はできないのかとか、死を美化することは間違っていると感じました。
 海軍一等兵曹大西保彦通信員、特攻隊員が特攻に成功したか否かを本人からのモールス信号で確認する役目です。心が苛(さいな、責められる)まれます。彼は、宮部久蔵さんを指して、心が優しすぎたと結びます。
 最後に、読みながら、何度も涙がにじんでくる小説です。「誠実に生きる」ということを学びました。いくつかの心に残った言葉や場面を書き残します。241ページ、海上に不時着した操縦士が、9時間泳いでグァム島にたどり着いた。漂流中、弟の「兄ちゃん」と呼ぶ顔が支えてくれた。286ページ、男にとって「家族」とは、全身で背負うもの。293ページから296ページ、涙なくしては読めません。夫婦とこどもの平凡な暮らしの記述です。344ページ、勇猛果敢な特攻隊員と讃えられた息子の母親が、小学校の用務員室でひとり寂しく亡くなっています。

(その後)
 同作者の「永遠の0(えいえんのぜろ)」と「影法師」が、同じ構想・構築でできあがっていることに気づきました。
 ・主人公がすでに亡くなっている。「影法師」では、磯貝彦四郎が亡くなっています。
 ・主人公の姿が見えない。周囲にいた人たちの証言で、主人公像を浮かび上がらせます。
  これは、東野圭吾「白夜行(びゃくやこう)」とも共通します。
 ・亡くなった主人公は、愛した女性を他の男性に任(まか)せます。
  影になって、夫婦を支えます。夫のためではなく、愛した女性のためです。
 ・いずれの作品も名作です。

(再読)永遠の0(永遠のゼロ) 百田尚樹 講談社文庫 2013年5月21日
 日本文学史上に金字塔として存在する名作です。第三章「真珠湾」までを読み終えたところで感想文を書き始めます。
 現代人である姉・弟による自身の先祖に関するルーツ(根っこ)探しです。今この世にいる自分たち、自分たちの親夫婦の仲の良さの源は、先人の苦労のうえに成り立っています。
 第二次世界大戦、国民の命を守らない国家権力に対する強い抗議を感じられる作品です。第三章「真珠湾」まで読み進めてきて、当時の日本人はなぜ米国人を憎んでいたのかという疑問にかられました。米国の本音は、日本の領土拡大政策を阻みたかった。(後記されている記述を読むと、日本人のなかには軍部に対する反対意見はあったが、軍の若手による殺人を含めた暴力で文民の意思は押さえ込まれたとなっています。)
 記述は事実として厳しい。ぎりぎりの場での命のやりとりがあります。スポーツではありません。ゲームセットの声がかかったとき、命はない。飛行機乗りにとって「死」は身近にある。主人公宮部久蔵は、「生きて帰りたい」、「真珠湾攻撃に参加するとわかっていたなら結婚しなかった」、「妻のために死にたくない」と明言します。
(つづく)
 読み終えました。最後半部では、再読ではありますが、涙があふれでます。目は赤くなり、鼻水がたれます。
 1回目の読書では「反戦」が強く印象に残りました。2回目の読書では「夫婦愛」のほうが強調されているとうけとりました。
 戦地から生きて帰国することが「恥」だと言われた時代がありました。悲惨なガダルカナルの戦闘の部分では、神さまが日本に罰(ばつ)を与えたと感じました。あまりにも過酷で、もう終わったことだと顔をそむけました。戦争は、精神力や気合では勝てません。権力者がつくる都合のいい迷信です。情報収集能力、兵力数、兵器数、戦闘システムの集大成で勝負が決まります。勝利国は戦う前にわかります。記述では、当時の日本軍上層部は、人より物を大事にしていた。兵隊に休暇はなかった。みんながするとおりに行動する日本人の性質を利用した。「玉砕(ぎょくさい)」不気味な言葉です。掟(おきて)、連帯責任という縛り(しばり)などが、米軍・米国民の性質と比較して、対照的に筆記されています。
 敗戦が明らかなのに降伏することができない。原子爆弾2発を落とされてようやく戦争は止まった。本作品では、架空ではありますが、歴史の舞台から消えたある人物の姿を見せ始めることからメッセージの発信が始まります。
 小学生の頃、尊敬する人はだれという質問がありました。エジソンとかリンカーンとか野口英世とかが当時の答えのモデルでした。今なら、架空の人物ではありますが、本作品中の主人公である宮部久蔵氏です。「信念をもつ。」上の言うことを盲信しない。周囲に否定されても自分の考え方を信じる。自立する。家族を守る。死んだあとも家族を守る。4400人の若者たちと同数の航空機が失われてゆくのをみて、宮部九蔵は自分の無力さを責めました。それが、彼がゼロ戦を操縦して、米空母に体当たりした理由です。惜しい人を亡くしました。
 以下、印象に残った文節です。
 (現代人の考察)洗脳が解けたからです。(当時の体験者)洗脳などされていない。行間を読め。(検閲されていた手紙類に書かれていない気持ちをくみとれ)
 軍隊に入った理由に貧しさがあった。
 先輩たちによる貴重な訓練によって生き延びることができた。
 経験こそが最大の勉強
 続けていくうちに力がついてくる。
 娘に会うまではなんとしても死ねない。
 米軍はパイロットの命を大切にした。
 命はひとつしかない。
 空の上は気持ちだけではどうしようもない。
 きょうまで戦ってきたのは死ぬためではない。
 この女のために生きる。
 名もないひとたちはいつもがんばっている。
 教えるほうも教わる方も必死
 みなさんには死んでほしくありません。
 (Noと言えなくて)おれたちは弱虫だな。
 俺の機体が滑っていた。
 宮部さん許してください。
 自分を責める心と暗い絶望
 生まれ変わってでも必ず君の元へ戻ってくる。
 奴は本物のエースだ。(米国軍人の言葉)

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