2012年08月29日

こころ 夏目漱石

こころ 夏目漱石 岩波書店

 これは夏目漱石氏の遺書としての遺作にあたるのでしょう。文章は読みやすく話は淡々と進んでいきます。語り始めにある「私」も、相手方である「先生」のいずれも夏目漱石氏自身と感じます。
 186ページまで読み進みました。全体が3つの固まりとなっている。それぞれの固まりの中に番号が振ってあります。番号の違いが場面の違いとは限りません。ただ番号があるのでとても読みやすい。目を休める休憩タイムを得ることができます。新聞連載小説だったのだろうか。だからたくさん番号が振ってあるのかもしれない。
 前半は人間の汚れた部分、金銭欲が焦点です。登場人物の「私」も「先生」も若くて純粋です。無知であるが故に傷ついていく。普通は傷つきながら汚れた大人へと自然に成長していくのでしょうが、それができない彼らは心が壊れていきます。
 面白いと感じたのは、明治時代という設定の中で「私」の両親が若者たち文化の行動を悲観するところで、それは平成時代の今とも同じであるということです。百年単位の歴史の流れがあったとしても、しょせん人間という生き物は同じことを繰り返しながら世代交代をしているだけなのです。最初は青春小説という印象を受けますが最終章に向かって、人生を深く考える世界へと変化を遂げます。
(また読み進んでから続きを書きます。)
 読み終えました。金銭欲が恋愛欲へと変わる中で、前半において被害者であった「先生」が後半では加害者になります。男と女しかいないこの世ではありがちな話です。私自身が先生であれば、友人の死後、自身の縁談は破棄するでしょう。それは自分のこころを守るためです。友人の遺書で、最後にある言葉は胸を貫きます。それが乃木大将の殉職にまで関連付けられていきます。登場人物の背後に時代背景を配置する。
 作者は1916年大正5年に病気で亡くなっています。この文庫は1927年(昭和2年)第1刷発行で2005年第115刷となっています。文章は読みやすく長い年月を経てこれからも読み継がれていく作品です。
 私はこの作品で「日本人のこころ」について考えました。西欧的な即断即決果敢に実行ではなく、じっくりゆっくり時間をかけながら進んで戻る、戻って進むということを繰り返しながら通過点を通過していく。最終的な目的地はありません。通過点を通過していくことが目的です。それが東洋のこころです。
 文末に「秘密」という言葉が出てきます。先日読んだ東野圭吾作「秘密」が浮かびました。人生は秘密だらけです。

次に映画の感想を付記しておきます。

こころ 映画 ケーブルTV録画

 1955年に上映されたわたしが生まれる前の白黒映画です。映像の表面は古さを感じさせず美しい。冒頭のシーンは最初はわからなかったのですが、鎌倉沖への入水自殺をイメージするものでした。原作は夏目漱石作品です。
 親戚から相続で裏切られた主人公は、自分は被害者という立場を主張しつつも、やがて結婚問題で親友を精神的に追い込むという加害者になります。人間がもつ二面性を克明に描いた作品です。当時の役者さんたちの表情はりりしい。(ひきしまっている。)
 明治45年の設定で、当時の再現街並みとか暮らしに目がいきました。先生はビールや紅茶を飲めたり、家には電灯がともっていたりする。奈良市で見た志賀直哉氏の豪邸を思い出します。
 人間は近づけば近づくほど、お互いのこころを傷つけることになります。だから現代人は相手に距離を置くようになりました。しかたがありません。


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