2024年05月02日
ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ)
ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社
2021年発行の本です。(令和3年)
当時ご家族は長崎県長崎市住まいで、ご主人と高校一年生のご長男(お名前は、「あやめ」)、中学二年生の次男(「葵」あおい)、小学二年生の長女さん(お名前はわかりませんが、「あげちゃん」です)の5人家族です。著者の職業は、写真家で女性です。
本に書いてある内容は、2017年(平成29年)夏から始まっています。長男さんは、小学6年生でした。次男さんが、小学4年生、長女さんは、まだ幼稚園年長ぐらいです。(45ページに、4歳とありました。年少ですな)
表紙をめくるとカラー写真があります。
ニワトリが4羽と長男さんだろうか。
長崎での写真の雰囲気は、昭和40年代の、いなかです。ニワトリのエサは、そのへんに生えている野草に見えます。
以前テレビで観た東野&岡村の旅猿で、長崎が旅先だったのですが、ゲストで出ていた平成ノブシコブシの吉村崇さん(よしむらたかしさん)の言葉を思い出します。吉村崇さん『(自分は)なんで東京になんか住んでいるのだろう。こんなおいしいものが地方にはいっぱいある』、おいしい物を食べて、美しい景色に囲まれて、人情がいっぱいの人たちのそばで暮らしを送る。長崎には人と自然の幸(さち)がたくさんあります。
次のページの写真は、三人のこどものちいさな手のひらにのせたニワトリの卵があります。手の中に、『命』があります。
その次のページには、ニワトリの成鳥の写真があります。わたしはまっさきに、『鶏のから揚げ(とりのからあげ)』が思い浮かびました。おいしいです。
序章から始まって、第1章から第4章まで、そして、あとがきです。
読み始めます。
『序章 2017年夏』
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)
『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』
強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
経済動物・産業動物:人間の食べ物になるための動物。反対言葉が、愛玩動物。
ニワトリを買って育てることは、人として、健全な志向です。なんの問題もありません。
『第1章 ニワトリがやってきた』
登場される人たちとして、
剛君:著者の友人。山の上でカフェを営んでいる。養鶏体験あり。馬(対州馬(たいしゅうば。長崎県対馬(つしま)の馬)、ヤギ、犬、猫と暮らしていて動物好き。
小野寺睦さん:剛君の友人。養鶏家。ニワトリを5羽長男に分けてもらった。
弥彦さん:烏骨鶏(うこっけい)を長男に分けてもらった。
自然卵養鶏法(中嶋正著 農山漁村文化協会刊):養鶏の本
烏骨鶏(うこっけい):ニワトリの一品種。烏骨は、黒い骨という意味。皮膚、骨、内臓などが黒い。
内容は、しっかりとした文章で書いてあります。
ケージに土を入れたら、ニワトリのトイレの臭いが消えた。
蹴爪(けづめ):ニワトリの足で、後ろに突き出た爪のようなもの。
鳥は恐竜の子孫。そういう話は、なにかの本で読んだことがあります。
ニワトリの卵の話をこどもさんとしていて、実は自分が流産の体験があることをポロリとこどもに話したお母さんです。こどもさんが、あのとき自分は5歳だったと思い出話をします。いい人生教育です。
読んでいて自分のことで思い出したことがあります。
自分は7歳のころ、農業を営む熊本県の父方祖父母宅で暮らしていました。農耕用の牛を飼っていました。身近にニワトリの卵があったことからおそらくニワトリも飼っていました。物々交換の風習がありました。こどもであったわたしは、おそらく祖母に言われて、ニワトリの卵をよその家に持って行って、その家にある冷蔵庫の氷と交換してもらっていました。
料理で出る野菜くずが、ニワトリのエサになる。ゴミだったものが、ゴミではなくなったそうです。
ニワトリに愛着がわいた4歳の長女さんが、ニワトリに名前を付けようとすると、5年生の長男が、家畜に名前を付けてはいけないと自分の意見を言います。うちのニワトリは、愛玩動物(あいがんどうぶつ。ペット)ではない。名前を付けると愛情が芽生えて食べるために殺すことが苦痛・苦悩になるからです。
長男は、ニワトリが卵を産まなくなったら、つぶして食べると言います。(つぶす:殺す)
ここで思い出す作品がふたつあります。
『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』
『ブタがいた教室 邦画 日活㈱』
小説、『食堂かたつむり 小川糸著』では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。
『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。
自立心が強いご長男とお母さんとの対立話があります。
ご長男がちっちゃな家出を繰り返します。
兄弟はケンカをしますが、おとなになって、歳をとるとたいていの兄弟は、ケンカはしなくなります。それぞれが自分の世界をもちます。
『第2章 ニワトリのいる日々』
この2章までを読み終えて感じたことは、この本は、こどもの自立、自活、成長の本です。
長男さんは、自分でお金を稼ぎたい。実業家の面があります。親から離れて自活していきたいという気持ちが強い。こどもさんは、なかなかたいした人物です。読んでいると、こどもさんのほうが、お母さんよりもおとなです。息子さんは、必要があって、歯を食いしばって、ニワトリを殺す作業もやりました。
ニワトリの飼育は、ニワトリをペットとして扱うのではなく、利益を生む事業として扱っています。
卵を販売する。養鶏業(ようけいぎょう)です。数羽のニワトリは、家族では食べきれないぐらいにたくさんの数の卵を産むようになります。
読んでいてふと思い出したことがあります。わたしも母方の実家がある福岡県にいた中学生のときに、ジュウシマツを繁殖させて、生まれてきたジュウシマツのこどもたちを売りに行っていました。ジュウシマツは夫婦仲がいいので、どんどん卵を産んで、ヒナをかえしていきます。わたしは、鳥小屋をつくって、たくさん生まれてきたジュウシマツたちを売りに行っていました。井筒屋という百貨店の小鳥コーナーとか、住んでいた町内にあった小鳥屋のおじいさんが買い取ってくれました。一羽120円ぐらいで買ってもらえました。最初は、『小鳥買います』みたいな表示が、店舗にしてあったことがきっかけでした。お店で売られるときは一羽780円ぐらいだったという記憶です。当時は貧乏な母子家庭だったので、とにかくお金が欲しかったことを覚えています。
こちらの本の長男さんは、まだ中学生ですが、ニワトリでもうけたお金で、今度は株式投資を始めました。ジュニアNISA(ニーサ)の活用です。わたしは、ジュニアNISAというものがどういうものか知りませんが、ご長男は口座を開設して、株式投資の研究を始めます。(ジュニアNISAの制度は2023年で廃止になっているようです)
仄見える:ほのみえる。(読めませんでした。ほのかに見える。かすかに見える)
ボリスブラウン:飼っているニワトリの銘柄
今度は、ヒヨコを仕入れに行きます。
かわいいヒヨコが4羽加わりました。
オツベルと象(ぞう):宮沢賢治作品の童話。オツベルという地主が、大きな白い象をだましてこきつかう。それを知った象たちが、オツベルの邸宅になだれこんで、オツベルをつぶしてしまう。
ビオトープ:野生生物が生息する空間。
長男さんは、養蜂(ようほう)にも興味を持ちます。お母さんが思いとどまらせます。蜂が飛んで、近所迷惑になると思ったからです。
とりあえず、養鶏と株式投資です。
『第3章 “食べ物”は“生き物”』
ジビエというのでしょう。東京中野区から長崎市へ引っ越しをしてきた経過などが書かれたあと、地元の猟師と友だちになって、野生動物の肉(イノシシとかシカとか)をもらって料理を始めたことが書いてあります。
その部分を読みながら、自分の体験として思い出したことがあります。この本に出てくる地元の人と同じく、うちの両親も九州出身です。素行や考え方が、共通するのです。動物はペットではなく、食べるものという意識が同じです。
わたしは、小学生の頃は動物が大好きでいろいろ飼っていましたが、ほとんどを両親に食べられてしまいました。そんなことを文章にしたものが、データで残っていました。文章をつくったのはもう何十年も昔のことです。ちょっとここに落としてみます。
『ぼくのペットは、両親にとっては、おかずだったこと』
小学生だったこどものころ、わたしは、たくさんの動物を飼っていました。
しかし、戦前戦後の食糧難(しょくりょうなん)の時代に育った両親は、愛玩動物(あいがんどうぶつ。ペット)という感覚はまったくもっておらず、動物は食べるために飼うという習性が身についていました。
以下、その犠牲(ぎせい)になった、わたしのペットたちを紹介します。
1 鳩(はと)
夕食時、こたつの上に、どーんと置かれた鍋の中に、プカーっと大きな見慣れぬ肉のかたまりが浮いていました。
「これ、何の肉?」とわたし。
両親が声をそろえて「鳩」
ガーンとくるわたし。
「ぼくは、食べない!」
「どうして?」と父。
「こっちがどうして、と言いたいわ!」
「好き嫌いはいけない」と母。
「食べない!」
わたしが、つがいで飼っていた鳩の片方を両親に食べられました。
そして、しばらくして、もう1わも食べられてしまいました。
「卵を産んだら、卵も食べてみるつもりだった」と父。
バカヤローー わたしは、父が嫌いでした。
2 うさぎ
数匹飼っていました。
餌ははっぱで、小学校から帰って来てから、山へ、餌になる草を取りに行っていました。
うさぎは、ころころっとした糞(ふん)をするので、わたしはせっせと掃除をしていました。
それは、わたしが原因でした。
うさぎを両手でだいていたところ、うさぎがバタバタっとあばれたので、思わず自分の両手を広げてしまいました。
うさぎは地面に落ちて、そのまま死んでしまいました。
ふつうは、それから土をほって、死んだうさぎを土にうめて、お墓をつくります。
両手をあわせて、悲しいお別れ…… というすじがきなのですが、わがやの場合は、ちがっていました。
うれしそうな父。
もうだめだと、わたしは、あきらめました。
父は、うさぎをもっていくと、料理のしかたを考えるそぶりをみせました。
わたしは、もう悲しくて、家の外に出て、ひたすらなわとびをしました。
前とびを延々(えんえん)と、とびました。
悲しい、くやしい、にくい。
そんなことを考えながら、とびつづけました。
このままでは、ほかのうさぎたちも親に食べられてしまう。
危機感をいだいたわたしは、友だちをあたり、残ったうさぎを飼ってくれるように頼みこみ、ひきとってもらいました。
3 亀
けっこう大きな亀を、わたしは飼っていました。
甲羅(こうら)のふちっこに錐で(きり)で穴を開けて、穴に針金を通し、針金の先を地面に打ち込んだ杭(くい)につなぎ、亀を家の前を流れる浅い溝に放していました。
餌は、溝の上流から流れてくる生活排水である残飯(ざんぱん)のくずでした。
ある夜、父の友人が、家に遊びに来ました。
そのとき父が、
「亀を食べると、長生きできる。亀をさかさづりにして、首をスパンと切り落として、流れ落ちてくる血をコップに入れて、亀の血を飲み干すと、長生きのいい薬になる」と友人に話をしていました。
わたしは、不吉な予感がしました。
数日後、わたしのペットの亀はいなくなりました。
母に言いました。
「亀がいない!」
「逃げたんじゃないの」
(違う! オヤジが食っちまったんだ)
4 あひる
わたしは、お祭りの縁日で買って来たそのあひるくんを、本当に本当に心をこめて育てていました。
当時、アンデルセンの『みにくいあひるの子』を読んで涙したわたしは、そのあひるくんを大切に育てていました。
しかし、大事に育てすぎて、死なせてしまいました。
ある日、川のそばを流れる用水路で、たくさんのおたまじゃくしを見つけたわたしは、愛するあひるくんに食べさせてあげようと、大量のおたまじゃくしを捕まえてきました。
そして、それらを、あひるくんに食べさせました。
あひるくんは、喜びながら大量のおたまじゃくしを食べました。
それから、あひるくんは、元気がなくなり、動かなくなり、数日後にひっそりと息を引き取りました。
そして、父の登場です。
さばくんですよ。
あひるの首を包丁で。
「ほら、こんなに、おたまじゃくしが、のどにつまっている。窒息死だな」
また、夕食のお鍋に肉のかたまりが浮いていました。
わたしは、胸がつまって、あひるどころか、ごはんつぶひとつも食べることができませんでした。
5 犬
わたしによくなつく白い野良犬(のらいぬ)がいたので、家に連れて帰りました。
わたしは、その犬に『ブタ犬』という名前をつけて飼い始めました。
体が白くて、鼻が赤くて、ブタみたいだったからです。
父が、
『戦時中は、犬も食べたなあ。赤い犬は、食べることができるんだよ』
(おまえは、犬も食べるのか!)
わたしは、恐怖(きょうふ)を覚えて、ブタ犬を逃がすことにしました。
でも、心配はいりませんでした。
ブタ犬のほうが、先にそのことに気づいたのか、わたしの家から逃げてしまいました。
小学校から帰ると、家にはブタ犬はもういませんでした。
数日後、集落のはずれでブタ犬を見つけたので、わたしはブタ犬に、何度も声をかけましたが、(フンとした表情で横向きで)無視されました。
長くなってしまいました。
本の感想に戻ります。
2011年(平成23年)東日本大震災を東京都中野区で体験して、そのあとの理由がふあ~とされた感じなのですが、地方への移住を考えたそうです。いろいろ地方を見て回って、場所を長崎にしたそうです。とくだん、長崎に親戚がいるということもなく、見て回ったときの印象が良かったそうです。
長崎は、坂の上にたくさん家が建っていて、車を横付けできるスペースがないのですが、地元の人が不便だと感じることを、東京暮らしをしていたご夫婦にとっては、快適な空間だったそうです。
不便なだけ、住民同士の距離が近いそうです。気持ちのもちかたの話です。声をかけやすい。声をかけられやすい。ものをもらったり、あげたりすることが楽しい。
ベルベット:毛足の長い織物。光沢がある。
母親と長男で、雉(キジ)を捌きます(さばきます)。迫力に満ちています。
しっかりした文章ですが、書いているお母さんは、ちょっと理屈っぽい人でもあります。
ここまで読んできて、今年読んで良かった一冊になりました。
『第4章 家族、この儘ならぬ(ままならぬ)もの』
コロナ禍だったときのことが書いてあります。
ご主人は職を失っておられます。長い在宅期間があって、どうも、これから先、ご家族で養鶏を目指されるような内容で終わっています。
ご長男は、実業家タイプです。まだ中学生の時から株式投資に目覚めて、農業関係の業種に投資先としての目をつけておられます。あわせて、コロナ禍の時は、株の暴落を体験されています。
ご長男の立場になってみると、生まれてから、勝手なことをする両親に振り回されているという不満はあられるかとは思います。東京の中野区にいたのに、長崎の山の中に連れてこられて、大きな環境の変化があったわけで、こずかいせんももらえず、自分で考えてお金をゲットしなければ、ほしいものも買えないという状況でした。
夫から妻に電話があって、『(コロナ禍の影響があって)退職することになりそう』と話があります。
中学生の長男が、『うちはなんでこんな不安定なんだよ!』と怒鳴り(どなり)、『子どもを養うのが親の務めだろ』と言います。
その部分を読んでいて思い出したことがあります。
自分がまだ四十代はじめだった頃、仕事でおもしろくないことがあって、家で家族がそろっているところで、『こんな仕事辞めてやる!』と大声で怒鳴った(どなった)ことがあります。
その後、しばらくたって、まだ小学校中学年ぐらいだった息子から、『あの時、本当にお父さんが仕事を辞めたら、これからさきうちは、どうやって生活していくのだろうかと不安だったよ』と聞かされて、すまなかったなと思ったことがあります。(がまんして、仕事は辞めませんでした)
長男さんはプチ家出を繰り返されて(公園で一夜を過ごすとか)、なかなか波乱万丈なご家庭です。中学生の長男さんが通っているのは、中高一貫教育の私立の学校なので、高校受験がないぶん、気持ちがあせらなくてすんだということはあります。(以前読んだ本に似たようなことが書いてありました。『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二 夏葉社』 なによりもだいじなものは、『時間』。私立学校だったので大学受験がなかった。エスカレーター式(中学から大学まで内部進学できる)だった。受験勉強をしなくてよかったので、自分が自由に使える『時間』があった。時間を有効に使う。時間をムダにしない)
受験勉強に大量の時間を使うよりも、もっとほかのことに時間を使ったほうが、青春時代にとっては有益なのです。
なかなか厳しい長男と父親の対立があります。
(失業した父親に向かって長男が)『仕事もなくて、お父さんはあわれだよな』(いくらなんでも、言ってはいけない言葉です)
インターネット中毒のような話も出てきます。父親はスマホ、長男はパソコンです。そうやって、互いにぶつからないよう別々の世界をもちます。
読んでいるうちに、名作ドラマ、『北の国から』を思い出しました。父親である黒板五郎(田中邦衛さん(たなかくにえさん))と長男である純(吉岡秀隆さん。まだ小学校低学年のこどもでした)が対立します。純は、北海道富良野(ふらの)から生き別れになった(離婚後の)お母さんがいる東京に帰りたいのです。
プチ家出をした中学生の長男さんを地域社会が見守ります。田舎のいいところです。都会だと知らん顔で警察頼みです。
儘ならぬもの:ままならぬもの。思うようにならない。
後半部は、正直な母親の苦労を語られています。ふつう、心の奥底で、人に言うことは、はばかるような(思いとどまる)ことを書かれています。
(3人の)兄弟妹間で、区別(差別ともとれる)する扱いを自分はしていた。自分の心の中に、『鬼』がいた。
ほかの人の話で、泣き止まない(やまない)こどもを、マンションから落とそうと思ったことがあると書いてあるのを見て、自分も思い出したことがあります。
まだ、こどもがあかちゃんだったとき、生後半年ぐらいからひどい夜泣きが毎晩続き、心身ともに憔悴(しょうすい。疲れ果ててやつれる)したことがあります。真夜中、台所があるリビングで、泣きわめくあかちゃんを抱いてあやしながら、発作的に、床にたたきつけたいと思ったことがあります。たしか、翌日職場で先輩にその話をしたら、自分はそういうことはなかったけれど、あかちゃんの夜泣きは、半年ぐらいがまんすれば、ぱたりとなくなるし、それから一年もすれば、あかちゃんが夜泣きをしていたことも忘れてしまうよと言われたことを覚えています。じっさいそのとおりになりました。
親というものはつらいものなのです。子育てには、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねが必要です。世代交代しながら、順繰りで体験をして、人生とは、こういうものだということを味わうのです。
長男の家出がやまったら、こんどは、次男が小さな家出をしたそうです。なかなかたいへんです。
2021年発行の本です。(令和3年)
当時ご家族は長崎県長崎市住まいで、ご主人と高校一年生のご長男(お名前は、「あやめ」)、中学二年生の次男(「葵」あおい)、小学二年生の長女さん(お名前はわかりませんが、「あげちゃん」です)の5人家族です。著者の職業は、写真家で女性です。
本に書いてある内容は、2017年(平成29年)夏から始まっています。長男さんは、小学6年生でした。次男さんが、小学4年生、長女さんは、まだ幼稚園年長ぐらいです。(45ページに、4歳とありました。年少ですな)
表紙をめくるとカラー写真があります。
ニワトリが4羽と長男さんだろうか。
長崎での写真の雰囲気は、昭和40年代の、いなかです。ニワトリのエサは、そのへんに生えている野草に見えます。
以前テレビで観た東野&岡村の旅猿で、長崎が旅先だったのですが、ゲストで出ていた平成ノブシコブシの吉村崇さん(よしむらたかしさん)の言葉を思い出します。吉村崇さん『(自分は)なんで東京になんか住んでいるのだろう。こんなおいしいものが地方にはいっぱいある』、おいしい物を食べて、美しい景色に囲まれて、人情がいっぱいの人たちのそばで暮らしを送る。長崎には人と自然の幸(さち)がたくさんあります。
次のページの写真は、三人のこどものちいさな手のひらにのせたニワトリの卵があります。手の中に、『命』があります。
その次のページには、ニワトリの成鳥の写真があります。わたしはまっさきに、『鶏のから揚げ(とりのからあげ)』が思い浮かびました。おいしいです。
序章から始まって、第1章から第4章まで、そして、あとがきです。
読み始めます。
『序章 2017年夏』
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)
『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』
強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
経済動物・産業動物:人間の食べ物になるための動物。反対言葉が、愛玩動物。
ニワトリを買って育てることは、人として、健全な志向です。なんの問題もありません。
『第1章 ニワトリがやってきた』
登場される人たちとして、
剛君:著者の友人。山の上でカフェを営んでいる。養鶏体験あり。馬(対州馬(たいしゅうば。長崎県対馬(つしま)の馬)、ヤギ、犬、猫と暮らしていて動物好き。
小野寺睦さん:剛君の友人。養鶏家。ニワトリを5羽長男に分けてもらった。
弥彦さん:烏骨鶏(うこっけい)を長男に分けてもらった。
自然卵養鶏法(中嶋正著 農山漁村文化協会刊):養鶏の本
烏骨鶏(うこっけい):ニワトリの一品種。烏骨は、黒い骨という意味。皮膚、骨、内臓などが黒い。
内容は、しっかりとした文章で書いてあります。
ケージに土を入れたら、ニワトリのトイレの臭いが消えた。
蹴爪(けづめ):ニワトリの足で、後ろに突き出た爪のようなもの。
鳥は恐竜の子孫。そういう話は、なにかの本で読んだことがあります。
ニワトリの卵の話をこどもさんとしていて、実は自分が流産の体験があることをポロリとこどもに話したお母さんです。こどもさんが、あのとき自分は5歳だったと思い出話をします。いい人生教育です。
読んでいて自分のことで思い出したことがあります。
自分は7歳のころ、農業を営む熊本県の父方祖父母宅で暮らしていました。農耕用の牛を飼っていました。身近にニワトリの卵があったことからおそらくニワトリも飼っていました。物々交換の風習がありました。こどもであったわたしは、おそらく祖母に言われて、ニワトリの卵をよその家に持って行って、その家にある冷蔵庫の氷と交換してもらっていました。
料理で出る野菜くずが、ニワトリのエサになる。ゴミだったものが、ゴミではなくなったそうです。
ニワトリに愛着がわいた4歳の長女さんが、ニワトリに名前を付けようとすると、5年生の長男が、家畜に名前を付けてはいけないと自分の意見を言います。うちのニワトリは、愛玩動物(あいがんどうぶつ。ペット)ではない。名前を付けると愛情が芽生えて食べるために殺すことが苦痛・苦悩になるからです。
長男は、ニワトリが卵を産まなくなったら、つぶして食べると言います。(つぶす:殺す)
ここで思い出す作品がふたつあります。
『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』
『ブタがいた教室 邦画 日活㈱』
小説、『食堂かたつむり 小川糸著』では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。
『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。
自立心が強いご長男とお母さんとの対立話があります。
ご長男がちっちゃな家出を繰り返します。
兄弟はケンカをしますが、おとなになって、歳をとるとたいていの兄弟は、ケンカはしなくなります。それぞれが自分の世界をもちます。
『第2章 ニワトリのいる日々』
この2章までを読み終えて感じたことは、この本は、こどもの自立、自活、成長の本です。
長男さんは、自分でお金を稼ぎたい。実業家の面があります。親から離れて自活していきたいという気持ちが強い。こどもさんは、なかなかたいした人物です。読んでいると、こどもさんのほうが、お母さんよりもおとなです。息子さんは、必要があって、歯を食いしばって、ニワトリを殺す作業もやりました。
ニワトリの飼育は、ニワトリをペットとして扱うのではなく、利益を生む事業として扱っています。
卵を販売する。養鶏業(ようけいぎょう)です。数羽のニワトリは、家族では食べきれないぐらいにたくさんの数の卵を産むようになります。
読んでいてふと思い出したことがあります。わたしも母方の実家がある福岡県にいた中学生のときに、ジュウシマツを繁殖させて、生まれてきたジュウシマツのこどもたちを売りに行っていました。ジュウシマツは夫婦仲がいいので、どんどん卵を産んで、ヒナをかえしていきます。わたしは、鳥小屋をつくって、たくさん生まれてきたジュウシマツたちを売りに行っていました。井筒屋という百貨店の小鳥コーナーとか、住んでいた町内にあった小鳥屋のおじいさんが買い取ってくれました。一羽120円ぐらいで買ってもらえました。最初は、『小鳥買います』みたいな表示が、店舗にしてあったことがきっかけでした。お店で売られるときは一羽780円ぐらいだったという記憶です。当時は貧乏な母子家庭だったので、とにかくお金が欲しかったことを覚えています。
こちらの本の長男さんは、まだ中学生ですが、ニワトリでもうけたお金で、今度は株式投資を始めました。ジュニアNISA(ニーサ)の活用です。わたしは、ジュニアNISAというものがどういうものか知りませんが、ご長男は口座を開設して、株式投資の研究を始めます。(ジュニアNISAの制度は2023年で廃止になっているようです)
仄見える:ほのみえる。(読めませんでした。ほのかに見える。かすかに見える)
ボリスブラウン:飼っているニワトリの銘柄
今度は、ヒヨコを仕入れに行きます。
かわいいヒヨコが4羽加わりました。
オツベルと象(ぞう):宮沢賢治作品の童話。オツベルという地主が、大きな白い象をだましてこきつかう。それを知った象たちが、オツベルの邸宅になだれこんで、オツベルをつぶしてしまう。
ビオトープ:野生生物が生息する空間。
長男さんは、養蜂(ようほう)にも興味を持ちます。お母さんが思いとどまらせます。蜂が飛んで、近所迷惑になると思ったからです。
とりあえず、養鶏と株式投資です。
『第3章 “食べ物”は“生き物”』
ジビエというのでしょう。東京中野区から長崎市へ引っ越しをしてきた経過などが書かれたあと、地元の猟師と友だちになって、野生動物の肉(イノシシとかシカとか)をもらって料理を始めたことが書いてあります。
その部分を読みながら、自分の体験として思い出したことがあります。この本に出てくる地元の人と同じく、うちの両親も九州出身です。素行や考え方が、共通するのです。動物はペットではなく、食べるものという意識が同じです。
わたしは、小学生の頃は動物が大好きでいろいろ飼っていましたが、ほとんどを両親に食べられてしまいました。そんなことを文章にしたものが、データで残っていました。文章をつくったのはもう何十年も昔のことです。ちょっとここに落としてみます。
『ぼくのペットは、両親にとっては、おかずだったこと』
小学生だったこどものころ、わたしは、たくさんの動物を飼っていました。
しかし、戦前戦後の食糧難(しょくりょうなん)の時代に育った両親は、愛玩動物(あいがんどうぶつ。ペット)という感覚はまったくもっておらず、動物は食べるために飼うという習性が身についていました。
以下、その犠牲(ぎせい)になった、わたしのペットたちを紹介します。
1 鳩(はと)
夕食時、こたつの上に、どーんと置かれた鍋の中に、プカーっと大きな見慣れぬ肉のかたまりが浮いていました。
「これ、何の肉?」とわたし。
両親が声をそろえて「鳩」
ガーンとくるわたし。
「ぼくは、食べない!」
「どうして?」と父。
「こっちがどうして、と言いたいわ!」
「好き嫌いはいけない」と母。
「食べない!」
わたしが、つがいで飼っていた鳩の片方を両親に食べられました。
そして、しばらくして、もう1わも食べられてしまいました。
「卵を産んだら、卵も食べてみるつもりだった」と父。
バカヤローー わたしは、父が嫌いでした。
2 うさぎ
数匹飼っていました。
餌ははっぱで、小学校から帰って来てから、山へ、餌になる草を取りに行っていました。
うさぎは、ころころっとした糞(ふん)をするので、わたしはせっせと掃除をしていました。
それは、わたしが原因でした。
うさぎを両手でだいていたところ、うさぎがバタバタっとあばれたので、思わず自分の両手を広げてしまいました。
うさぎは地面に落ちて、そのまま死んでしまいました。
ふつうは、それから土をほって、死んだうさぎを土にうめて、お墓をつくります。
両手をあわせて、悲しいお別れ…… というすじがきなのですが、わがやの場合は、ちがっていました。
うれしそうな父。
もうだめだと、わたしは、あきらめました。
父は、うさぎをもっていくと、料理のしかたを考えるそぶりをみせました。
わたしは、もう悲しくて、家の外に出て、ひたすらなわとびをしました。
前とびを延々(えんえん)と、とびました。
悲しい、くやしい、にくい。
そんなことを考えながら、とびつづけました。
このままでは、ほかのうさぎたちも親に食べられてしまう。
危機感をいだいたわたしは、友だちをあたり、残ったうさぎを飼ってくれるように頼みこみ、ひきとってもらいました。
3 亀
けっこう大きな亀を、わたしは飼っていました。
甲羅(こうら)のふちっこに錐で(きり)で穴を開けて、穴に針金を通し、針金の先を地面に打ち込んだ杭(くい)につなぎ、亀を家の前を流れる浅い溝に放していました。
餌は、溝の上流から流れてくる生活排水である残飯(ざんぱん)のくずでした。
ある夜、父の友人が、家に遊びに来ました。
そのとき父が、
「亀を食べると、長生きできる。亀をさかさづりにして、首をスパンと切り落として、流れ落ちてくる血をコップに入れて、亀の血を飲み干すと、長生きのいい薬になる」と友人に話をしていました。
わたしは、不吉な予感がしました。
数日後、わたしのペットの亀はいなくなりました。
母に言いました。
「亀がいない!」
「逃げたんじゃないの」
(違う! オヤジが食っちまったんだ)
4 あひる
わたしは、お祭りの縁日で買って来たそのあひるくんを、本当に本当に心をこめて育てていました。
当時、アンデルセンの『みにくいあひるの子』を読んで涙したわたしは、そのあひるくんを大切に育てていました。
しかし、大事に育てすぎて、死なせてしまいました。
ある日、川のそばを流れる用水路で、たくさんのおたまじゃくしを見つけたわたしは、愛するあひるくんに食べさせてあげようと、大量のおたまじゃくしを捕まえてきました。
そして、それらを、あひるくんに食べさせました。
あひるくんは、喜びながら大量のおたまじゃくしを食べました。
それから、あひるくんは、元気がなくなり、動かなくなり、数日後にひっそりと息を引き取りました。
そして、父の登場です。
さばくんですよ。
あひるの首を包丁で。
「ほら、こんなに、おたまじゃくしが、のどにつまっている。窒息死だな」
また、夕食のお鍋に肉のかたまりが浮いていました。
わたしは、胸がつまって、あひるどころか、ごはんつぶひとつも食べることができませんでした。
5 犬
わたしによくなつく白い野良犬(のらいぬ)がいたので、家に連れて帰りました。
わたしは、その犬に『ブタ犬』という名前をつけて飼い始めました。
体が白くて、鼻が赤くて、ブタみたいだったからです。
父が、
『戦時中は、犬も食べたなあ。赤い犬は、食べることができるんだよ』
(おまえは、犬も食べるのか!)
わたしは、恐怖(きょうふ)を覚えて、ブタ犬を逃がすことにしました。
でも、心配はいりませんでした。
ブタ犬のほうが、先にそのことに気づいたのか、わたしの家から逃げてしまいました。
小学校から帰ると、家にはブタ犬はもういませんでした。
数日後、集落のはずれでブタ犬を見つけたので、わたしはブタ犬に、何度も声をかけましたが、(フンとした表情で横向きで)無視されました。
長くなってしまいました。
本の感想に戻ります。
2011年(平成23年)東日本大震災を東京都中野区で体験して、そのあとの理由がふあ~とされた感じなのですが、地方への移住を考えたそうです。いろいろ地方を見て回って、場所を長崎にしたそうです。とくだん、長崎に親戚がいるということもなく、見て回ったときの印象が良かったそうです。
長崎は、坂の上にたくさん家が建っていて、車を横付けできるスペースがないのですが、地元の人が不便だと感じることを、東京暮らしをしていたご夫婦にとっては、快適な空間だったそうです。
不便なだけ、住民同士の距離が近いそうです。気持ちのもちかたの話です。声をかけやすい。声をかけられやすい。ものをもらったり、あげたりすることが楽しい。
ベルベット:毛足の長い織物。光沢がある。
母親と長男で、雉(キジ)を捌きます(さばきます)。迫力に満ちています。
しっかりした文章ですが、書いているお母さんは、ちょっと理屈っぽい人でもあります。
ここまで読んできて、今年読んで良かった一冊になりました。
『第4章 家族、この儘ならぬ(ままならぬ)もの』
コロナ禍だったときのことが書いてあります。
ご主人は職を失っておられます。長い在宅期間があって、どうも、これから先、ご家族で養鶏を目指されるような内容で終わっています。
ご長男は、実業家タイプです。まだ中学生の時から株式投資に目覚めて、農業関係の業種に投資先としての目をつけておられます。あわせて、コロナ禍の時は、株の暴落を体験されています。
ご長男の立場になってみると、生まれてから、勝手なことをする両親に振り回されているという不満はあられるかとは思います。東京の中野区にいたのに、長崎の山の中に連れてこられて、大きな環境の変化があったわけで、こずかいせんももらえず、自分で考えてお金をゲットしなければ、ほしいものも買えないという状況でした。
夫から妻に電話があって、『(コロナ禍の影響があって)退職することになりそう』と話があります。
中学生の長男が、『うちはなんでこんな不安定なんだよ!』と怒鳴り(どなり)、『子どもを養うのが親の務めだろ』と言います。
その部分を読んでいて思い出したことがあります。
自分がまだ四十代はじめだった頃、仕事でおもしろくないことがあって、家で家族がそろっているところで、『こんな仕事辞めてやる!』と大声で怒鳴った(どなった)ことがあります。
その後、しばらくたって、まだ小学校中学年ぐらいだった息子から、『あの時、本当にお父さんが仕事を辞めたら、これからさきうちは、どうやって生活していくのだろうかと不安だったよ』と聞かされて、すまなかったなと思ったことがあります。(がまんして、仕事は辞めませんでした)
長男さんはプチ家出を繰り返されて(公園で一夜を過ごすとか)、なかなか波乱万丈なご家庭です。中学生の長男さんが通っているのは、中高一貫教育の私立の学校なので、高校受験がないぶん、気持ちがあせらなくてすんだということはあります。(以前読んだ本に似たようなことが書いてありました。『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二 夏葉社』 なによりもだいじなものは、『時間』。私立学校だったので大学受験がなかった。エスカレーター式(中学から大学まで内部進学できる)だった。受験勉強をしなくてよかったので、自分が自由に使える『時間』があった。時間を有効に使う。時間をムダにしない)
受験勉強に大量の時間を使うよりも、もっとほかのことに時間を使ったほうが、青春時代にとっては有益なのです。
なかなか厳しい長男と父親の対立があります。
(失業した父親に向かって長男が)『仕事もなくて、お父さんはあわれだよな』(いくらなんでも、言ってはいけない言葉です)
インターネット中毒のような話も出てきます。父親はスマホ、長男はパソコンです。そうやって、互いにぶつからないよう別々の世界をもちます。
読んでいるうちに、名作ドラマ、『北の国から』を思い出しました。父親である黒板五郎(田中邦衛さん(たなかくにえさん))と長男である純(吉岡秀隆さん。まだ小学校低学年のこどもでした)が対立します。純は、北海道富良野(ふらの)から生き別れになった(離婚後の)お母さんがいる東京に帰りたいのです。
プチ家出をした中学生の長男さんを地域社会が見守ります。田舎のいいところです。都会だと知らん顔で警察頼みです。
儘ならぬもの:ままならぬもの。思うようにならない。
後半部は、正直な母親の苦労を語られています。ふつう、心の奥底で、人に言うことは、はばかるような(思いとどまる)ことを書かれています。
(3人の)兄弟妹間で、区別(差別ともとれる)する扱いを自分はしていた。自分の心の中に、『鬼』がいた。
ほかの人の話で、泣き止まない(やまない)こどもを、マンションから落とそうと思ったことがあると書いてあるのを見て、自分も思い出したことがあります。
まだ、こどもがあかちゃんだったとき、生後半年ぐらいからひどい夜泣きが毎晩続き、心身ともに憔悴(しょうすい。疲れ果ててやつれる)したことがあります。真夜中、台所があるリビングで、泣きわめくあかちゃんを抱いてあやしながら、発作的に、床にたたきつけたいと思ったことがあります。たしか、翌日職場で先輩にその話をしたら、自分はそういうことはなかったけれど、あかちゃんの夜泣きは、半年ぐらいがまんすれば、ぱたりとなくなるし、それから一年もすれば、あかちゃんが夜泣きをしていたことも忘れてしまうよと言われたことを覚えています。じっさいそのとおりになりました。
親というものはつらいものなのです。子育てには、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ねが必要です。世代交代しながら、順繰りで体験をして、人生とは、こういうものだということを味わうのです。
長男の家出がやまったら、こんどは、次男が小さな家出をしたそうです。なかなかたいへんです。
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