2016年05月09日
わたしを離さないで カズオ・イシグロ
わたしを離さないで カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 早川書房
日本人による小説なのに和訳してあり、まず、そこに驚かされました。
120ページ、第6章まで読みましたが、何が書いてあるのかわかりません。キャシー・Hという人物は、31歳で11年以上介護人(おそらく介護士とか家政婦)をしている。彼女の一人称でのひとり語り、思い出話です。時代設定は1990年代後半、場所は英国です。
どうも彼女は、孤児院育ちらしく、ヘーシャルム出身というのが、その児童養護施設を指すようです。幼少時から日本でいうところの小学校を経て、現在は、13歳、中学生ぐらいの設定です。
「ルース」という女性、そして、「トミー」という男性が、同級生らしく、なにか鍵を握っています。冒頭では、キャシーがふたりを介護しているような雰囲気のことが書いてありました。
ルースは、ジェラルディン先生に恋をしているようです。先生のことは、「保護官」というのが正式のようです。推測ばかりしながら本読みを続けています。
「展示館:生徒たちの絵とか作品を販売するらしき場所だが、実在するかは不明」、「マダム:マダムが前記した生徒たちの絵をもっていく。この組織の代表者、経営者、支配者。」、「ポシブルを探す:臓器を移植するにあたり、拒否反応の少ない移植対象適合者を探すという意味にとりました。(もしかしたら彼らの親という意味もあるかもしれません。)」
「この子らはどう生まれ、なぜ生まれたのか(60ページ)」、「1956年、ジュディ・ブリッジウォーターの「夜に聞く歌」という曲にあるベイビー、ベイビー、わたしを離さないでという繰り返しのフレーズ(文節)。この小説では、本来の曲の意味を誤解した女子が、あかちゃんと母親との分離シーンを意味しているととる。」、「担当している提供者が使命を終える瞬間がくる(提供者の死を意味するととりました。)。人体に2個ずつあるもの。腎臓、卵巣、精巣、肺」。提供は4回が限度のようです。」、「最後の日は、12月のさわやかな午後だった。」。最終的に命まで奪うのか。
(つづく)
内容を理解しました。衝撃的です。ショックです。
少年少女たちは、将来、臓器提供者となるために施設で養育されているのです。女子は、出産はできません。
だから、冒頭、主人公のキャシーが、内臓の一部を失っても生きている級友たちの介護をしているわけかと合点がいきました。
合法的な臓器移植制度だろうか。基本的人権の侵害です。こんな話とは予想もしていませんでした。むかし、「私の中のあなた」というタイトルの外国小説を読んだことを思い出しました。姉が病弱で、クローンとして生まれた妹の臓器を、姉の成長のタイミングに合わせて提供していくもので、妹が弁護士を立てて弁護士である母親と裁判で争うものでした。外国では臓器移植者(ドナー)を育てるという発想があるようです。日本人では考えにくい。
読み手としては、少年少女たちに「逃げろ!」と声をかけるしかありません。
重い内容です。こどもたちの6人部屋での生活が続き、やがて、16歳ぐらいで施設を出るようですが、逃げることはしません。まるで、ニワトリ扱いです。
不遇な生い立ち(親が親としての資格がない)の孤児を救うための活動なのでしょうが、衣食住を保証する代わりに医療で貢献させることは、人道的とはいいがたい。
恋愛体験の青春記です。男女ですから性行為の記述も多くなります。三角関係愛憎劇もあります。あるのは、「悲しみ」、「喪失感」、「狭い世界の中の倒錯(とうさく、異常)」
臓器移植の場面は文章で表記されません。「訓練」と書いてあります。「回復センター」という単語表現があります。
トミーが描く動物の絵の意味はわかりませんでした。抽象的で漠然としていて、まあ、わからないことが多い小説です。イギリス人ではないので感覚の違いがあるでしょう。オタマジャクシの尾がついた蛙(かえる)の絵はなんとなく、おとなになりきれない彼らの心理として理解できます。
このあとネットで調べていたら、中国とか、東南アジアでは、人身売買、内臓売買があるらしい。なんでもありの人間という存在が怖い。提供をすると人格が変わっていくだろう。人間に対する憎悪が強まる気がします。
日本人による小説なのに和訳してあり、まず、そこに驚かされました。
120ページ、第6章まで読みましたが、何が書いてあるのかわかりません。キャシー・Hという人物は、31歳で11年以上介護人(おそらく介護士とか家政婦)をしている。彼女の一人称でのひとり語り、思い出話です。時代設定は1990年代後半、場所は英国です。
どうも彼女は、孤児院育ちらしく、ヘーシャルム出身というのが、その児童養護施設を指すようです。幼少時から日本でいうところの小学校を経て、現在は、13歳、中学生ぐらいの設定です。
「ルース」という女性、そして、「トミー」という男性が、同級生らしく、なにか鍵を握っています。冒頭では、キャシーがふたりを介護しているような雰囲気のことが書いてありました。
ルースは、ジェラルディン先生に恋をしているようです。先生のことは、「保護官」というのが正式のようです。推測ばかりしながら本読みを続けています。
「展示館:生徒たちの絵とか作品を販売するらしき場所だが、実在するかは不明」、「マダム:マダムが前記した生徒たちの絵をもっていく。この組織の代表者、経営者、支配者。」、「ポシブルを探す:臓器を移植するにあたり、拒否反応の少ない移植対象適合者を探すという意味にとりました。(もしかしたら彼らの親という意味もあるかもしれません。)」
「この子らはどう生まれ、なぜ生まれたのか(60ページ)」、「1956年、ジュディ・ブリッジウォーターの「夜に聞く歌」という曲にあるベイビー、ベイビー、わたしを離さないでという繰り返しのフレーズ(文節)。この小説では、本来の曲の意味を誤解した女子が、あかちゃんと母親との分離シーンを意味しているととる。」、「担当している提供者が使命を終える瞬間がくる(提供者の死を意味するととりました。)。人体に2個ずつあるもの。腎臓、卵巣、精巣、肺」。提供は4回が限度のようです。」、「最後の日は、12月のさわやかな午後だった。」。最終的に命まで奪うのか。
(つづく)
内容を理解しました。衝撃的です。ショックです。
少年少女たちは、将来、臓器提供者となるために施設で養育されているのです。女子は、出産はできません。
だから、冒頭、主人公のキャシーが、内臓の一部を失っても生きている級友たちの介護をしているわけかと合点がいきました。
合法的な臓器移植制度だろうか。基本的人権の侵害です。こんな話とは予想もしていませんでした。むかし、「私の中のあなた」というタイトルの外国小説を読んだことを思い出しました。姉が病弱で、クローンとして生まれた妹の臓器を、姉の成長のタイミングに合わせて提供していくもので、妹が弁護士を立てて弁護士である母親と裁判で争うものでした。外国では臓器移植者(ドナー)を育てるという発想があるようです。日本人では考えにくい。
読み手としては、少年少女たちに「逃げろ!」と声をかけるしかありません。
重い内容です。こどもたちの6人部屋での生活が続き、やがて、16歳ぐらいで施設を出るようですが、逃げることはしません。まるで、ニワトリ扱いです。
不遇な生い立ち(親が親としての資格がない)の孤児を救うための活動なのでしょうが、衣食住を保証する代わりに医療で貢献させることは、人道的とはいいがたい。
恋愛体験の青春記です。男女ですから性行為の記述も多くなります。三角関係愛憎劇もあります。あるのは、「悲しみ」、「喪失感」、「狭い世界の中の倒錯(とうさく、異常)」
臓器移植の場面は文章で表記されません。「訓練」と書いてあります。「回復センター」という単語表現があります。
トミーが描く動物の絵の意味はわかりませんでした。抽象的で漠然としていて、まあ、わからないことが多い小説です。イギリス人ではないので感覚の違いがあるでしょう。オタマジャクシの尾がついた蛙(かえる)の絵はなんとなく、おとなになりきれない彼らの心理として理解できます。
このあとネットで調べていたら、中国とか、東南アジアでは、人身売買、内臓売買があるらしい。なんでもありの人間という存在が怖い。提供をすると人格が変わっていくだろう。人間に対する憎悪が強まる気がします。
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