2016年01月01日
戦場のコックたち 深緑野分
戦場のコックたち 深緑野分(ふかみどり・のわき) 東京創元社
27年12月30日午前5時です。これから読み始めます。345ページですが、1ページに2段書きなので、実質690ページ分あります。がんばって読もう。
作者の名前は最初、これは名前かと仰天しました。でも名前でした。よくわからないが、女性らしい。
最初のほうのページをめくりました。第二次世界大戦、フランスノルマンディーでのコックアメリカ隊員たちの話らしい。
(つづく)
63ページまできましたが、ノルマンディー上陸後の戦争状況は悲惨です。死者が多い。そうだったのだろうか。わたしは、同上陸時、ドイツ軍はすでに撤退していて連合国兵士は、「敵なし」の中をゆうゆうと進軍したと思っていました。枢軸国(すうじくこく。ドイツ、イタリア、日本)VS連合国(イギリス、アメリカ、フランスほか)。この本にある双方、戦死者の山というのは信じられません。(全体を読み終えたあと、ノルマンディー上陸作戦の記録を調べました。悲惨でした。知らなかったので驚きもありました。)
主人公、ティモシー(ティム)、愛称キッド、1925年生まれ、1942年17歳で参戦。合衆国陸軍、第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊、第三大隊G中隊管理部付コック、ティモシー・コール五等特技兵。ルイジアナ州の田舎町出身。3歳上の姉シンシアと妹ケイティ、父と母と料理好きな祖母。料理兵は格下に見られていたとあります。それでも彼は、人生の楽しみは、「食べること」と答えてくれます。
彼の属する隊のさしあたっての目標は、ノルマンディー上陸後のフランスの地、イースヴィル村に野戦炊事所をつくることです。
アメリカ映画のような出だしです。空想冒険活劇の様相、そして、クラリネット、サックスのジャズBGM。自由な文体、豊富な知識が披露されています。宝塚歌劇のようでもあります。
いまは、「シードル」というフランスのサイダーが出てきたあたりです。
(つづく)
141ページまできました。アメリカ合衆国の人種差別にまつわるキッドとその祖母の思い出話には胸が熱くなりました。感動しました。
この物語は推理小説の要素をもっています。ライナスはなぜ、パラシュートを集めたのか。集めたパラシュートをなんに使ったのか。パラシュートをくれたお礼にフランスのソーダ、シードルを配っているが、そのシードルはどこから手に入れていたのか。それが最初のミステリーでした。
その次は、大量の粉末卵が紛失しています。3トンの粉末卵がなくなっています。物資の供給の大事さとか、管理の大切さが説かれています。この部分では、兵隊の役付が「見張り」なんてやるだろうかという疑問が生まれました。
ここまで読んだ感想です。遠い国の大昔のお話です。日本人にとっては、身近ではありません。その点で、好みが分かれます。ノルマンディー地方に、フランス映画で有名な「シェルブールの雨傘」の舞台になったシェルブールがあることを本にある地図を見て初めて知りました。その点で親近感をもちました。
戦死者の数はおびただしい。連合国軍側は、4000人ぐらいは死者がいます。それ以外にも負傷者多数、現地フランス人が1万人以上死亡、これにドイツ軍兵士が加わります。めちゃくちゃです。統計がどこまで正確かもありますが、戦争は悲惨です。
わからなかった言葉として、「兵站路(へいたんろ):軍事用道路、補給路」、「ナチスSS上等兵:親衛隊上級狙撃兵」、「黒いベルベット:パイル織物。柔らかい。光沢がある」
これまでに出た料理は、コンビーフハッシュ、豆煮、スープ、ゆで卵、スクランブル・エッグ(素材は人工物で生卵ではない)、ホット・キャベツ・スロー、ソーセージとりんごの円盤ロースト、パンなどです。
物語は、1944年9月14日、「マーケットガーデン作戦」参戦へと進みます。
(つづく)
タイトル副題が、「Armed with Skillets」 (フライパンを武器に)
本日午前5時過ぎぐらいから読み始めて、途中、用事を済ませながら読み続け、226ページまできました。あと100ページと少し、できれば今日中に読み終えたい。年末は読書ざんまいが目標です。
1944年秋、マーケットガーデン作戦が始まりました。オランダからドイツへ向かって北へ一直線進軍を目指します。しかし、結末は予想外の展開になります。
作者は、軍事オタク、戦争オタク、歴史オタクでないかと読みながら推測します。すごすぎるぐらいすごい戦闘シーンです。さっき、会った人が、もう死んでいる。
推理の材料として、玩具店経営者ヤンセン夫妻の心中自殺が提示されます。事情は複雑で深い。
出てきた料理は、イワシのオイル漬けにチーズを入れて火にかける。ときおり出てくるグレン・ミラー楽団が演奏するムーンライト・セレナーデ。おまえの手(料理をする手だから)いい匂いがするな。母さんの手みたいで落ち着くよと言って死んでいった兵士オハラには涙しました。
故郷から送られてきた写真を見て、自分がいなくてもアメリカで平和に暮らしている家族たちを見ると、明日は戦闘で死ぬかもしれないという今の自分の存在はなんだろうと悩む兵士の気持ちが伝わってきて、戦争ってなんだろうという思考が始まります。クリスマスイブに、雪深い森の中で、双方が、ドイツ語と英語で讃美歌を歌う。「きよしこの夜」、「もろびとこぞりて」。しばしの非戦闘時間帯があります。今、おれたちは、何のために、ここで殺し合いをしているのだろう。
ヒットラー、そして、ユダヤ人迫害の記事も出てきます。ジャンルとしてこの物語は、「戦争小説」です。ただ、なぜ、今、この時代に、この場所で(日本)という疑問が生まれます。メッセージ、作者のメッセージの動機は何なのか。
(つづく)
現在、2015年12月31日午前1時8分です。残り、まだ100ページぐらいあります。結局、昨日のうちに読了できませんでした。引き続き読み続けます。
ここまでの感想です。
240ページ付近は、感動の渦に巻き込まれます。G中隊コックのエドの生い立ち話には涙しました。私生児として生まれて、家族を知らない。こどもの頃、ともだちがいなかった。大学教授が親代わり。
汗は汗でなくて涙だったとか、西海岸、カナダ国境に近い漁村での暮らしは寒かったとか、読んでいて、とくに、小学2年生の頃、転校して、自分も友達がいなくて淋しい思いをしていた頃、本や動物や昆虫が友達代わりだったことを思い出して、(主人公キッドの表現だと、ふたをしていた記憶がよみがえった)、胸にぐっとくるものがありました。
感心した表現として、自分たちは、ひとりひとりが死神を背負っている。それは、自分が死に近いという意味と相手が死に近いという意味の両方を指す。
ドイツ軍の装備から出てきた食材として、チョコレート、トマトシチュー・ハンバーグ、アイントプフ(スープ)、お互いの国においしい食べ物があるのに、なぜ対立しなければならないのか。
拷問のような生活です。陽気なお調子者だったプエルトリコ系のディエゴがメンタル系の病にかかります。銃撃戦のあと、銃にナイフを付けて、刺殺し合いをして生き残れたのですが、その結果、精神を病んでしまいます。彼のカウンセリングをやるらしき牧師も30歳と若い。
いい作品ですが、難点を言うと、感動する箇所がとびとびの部分的なものです。全体を戦闘の悲惨さ、むなしさが包んでいます。なんというか、全体の固まりとして、気持ちに押し寄せてくる波のようなものがほしい。
(つづく)
12月31日(木)午前9時07分に読了
2015年に読み終えた本ですが、2016年今年読んでよかった本として記録に残しておこう。筆力が強力でした。力作です。
戦地で殺されるか殺すかの毎日を送っていると、人権感覚が麻痺して、死が怖くなくなるというエドのセリフがあります。コックは、コックだけをやるわけではない。まず、戦闘があって、戦闘時間帯以外は、コックの役割を果たしていく。それは、読み始めに気づけなかったことです。
極端すぎる嫌いはありました。たとえば、戦場で男は、女を見れば必ず強姦するわけではないし、兵士全員が簡単に人を殺害できるわけでもありません。表現が、徹底的過ぎて息が詰まる部分が多々ありました。人間の心はそんなふうにはできていない。
独房で、キッドがレシピを呪文のように唱えるシーンがありました。山場です。人はもっとのんびり、ゆったり、平和に生きたいという性格をもっています。
「仲間」を大事にする小説でもありました。若い頃、ともに苦労した仲間と思い出を共有する。現代は、孤独な人がふえました。キッドの祖母の言葉がいい。「あんたの悲しみを分かち合える人間はこの家族の中にはいない」
1945年4月30日ヒットラー自殺、5月7日ドイツ降伏。ユダヤ人虐殺について詳しく記されています。日本人にとっては遠い話ですが、欧米の人にとっては、忘れがたき負の過去です。
エピローグ(最終章)を読んでいたら、洋画「フォレスト・ガンプ」のベトナム戦争帰りの将校とフォレスト・ガンプ、そして戦死した黒人兵士(帰還したらエビで儲けたい希望があった)のやりとりを思い出しました。
27年12月30日午前5時です。これから読み始めます。345ページですが、1ページに2段書きなので、実質690ページ分あります。がんばって読もう。
作者の名前は最初、これは名前かと仰天しました。でも名前でした。よくわからないが、女性らしい。
最初のほうのページをめくりました。第二次世界大戦、フランスノルマンディーでのコックアメリカ隊員たちの話らしい。
(つづく)
63ページまできましたが、ノルマンディー上陸後の戦争状況は悲惨です。死者が多い。そうだったのだろうか。わたしは、同上陸時、ドイツ軍はすでに撤退していて連合国兵士は、「敵なし」の中をゆうゆうと進軍したと思っていました。枢軸国(すうじくこく。ドイツ、イタリア、日本)VS連合国(イギリス、アメリカ、フランスほか)。この本にある双方、戦死者の山というのは信じられません。(全体を読み終えたあと、ノルマンディー上陸作戦の記録を調べました。悲惨でした。知らなかったので驚きもありました。)
主人公、ティモシー(ティム)、愛称キッド、1925年生まれ、1942年17歳で参戦。合衆国陸軍、第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊、第三大隊G中隊管理部付コック、ティモシー・コール五等特技兵。ルイジアナ州の田舎町出身。3歳上の姉シンシアと妹ケイティ、父と母と料理好きな祖母。料理兵は格下に見られていたとあります。それでも彼は、人生の楽しみは、「食べること」と答えてくれます。
彼の属する隊のさしあたっての目標は、ノルマンディー上陸後のフランスの地、イースヴィル村に野戦炊事所をつくることです。
アメリカ映画のような出だしです。空想冒険活劇の様相、そして、クラリネット、サックスのジャズBGM。自由な文体、豊富な知識が披露されています。宝塚歌劇のようでもあります。
いまは、「シードル」というフランスのサイダーが出てきたあたりです。
(つづく)
141ページまできました。アメリカ合衆国の人種差別にまつわるキッドとその祖母の思い出話には胸が熱くなりました。感動しました。
この物語は推理小説の要素をもっています。ライナスはなぜ、パラシュートを集めたのか。集めたパラシュートをなんに使ったのか。パラシュートをくれたお礼にフランスのソーダ、シードルを配っているが、そのシードルはどこから手に入れていたのか。それが最初のミステリーでした。
その次は、大量の粉末卵が紛失しています。3トンの粉末卵がなくなっています。物資の供給の大事さとか、管理の大切さが説かれています。この部分では、兵隊の役付が「見張り」なんてやるだろうかという疑問が生まれました。
ここまで読んだ感想です。遠い国の大昔のお話です。日本人にとっては、身近ではありません。その点で、好みが分かれます。ノルマンディー地方に、フランス映画で有名な「シェルブールの雨傘」の舞台になったシェルブールがあることを本にある地図を見て初めて知りました。その点で親近感をもちました。
戦死者の数はおびただしい。連合国軍側は、4000人ぐらいは死者がいます。それ以外にも負傷者多数、現地フランス人が1万人以上死亡、これにドイツ軍兵士が加わります。めちゃくちゃです。統計がどこまで正確かもありますが、戦争は悲惨です。
わからなかった言葉として、「兵站路(へいたんろ):軍事用道路、補給路」、「ナチスSS上等兵:親衛隊上級狙撃兵」、「黒いベルベット:パイル織物。柔らかい。光沢がある」
これまでに出た料理は、コンビーフハッシュ、豆煮、スープ、ゆで卵、スクランブル・エッグ(素材は人工物で生卵ではない)、ホット・キャベツ・スロー、ソーセージとりんごの円盤ロースト、パンなどです。
物語は、1944年9月14日、「マーケットガーデン作戦」参戦へと進みます。
(つづく)
タイトル副題が、「Armed with Skillets」 (フライパンを武器に)
本日午前5時過ぎぐらいから読み始めて、途中、用事を済ませながら読み続け、226ページまできました。あと100ページと少し、できれば今日中に読み終えたい。年末は読書ざんまいが目標です。
1944年秋、マーケットガーデン作戦が始まりました。オランダからドイツへ向かって北へ一直線進軍を目指します。しかし、結末は予想外の展開になります。
作者は、軍事オタク、戦争オタク、歴史オタクでないかと読みながら推測します。すごすぎるぐらいすごい戦闘シーンです。さっき、会った人が、もう死んでいる。
推理の材料として、玩具店経営者ヤンセン夫妻の心中自殺が提示されます。事情は複雑で深い。
出てきた料理は、イワシのオイル漬けにチーズを入れて火にかける。ときおり出てくるグレン・ミラー楽団が演奏するムーンライト・セレナーデ。おまえの手(料理をする手だから)いい匂いがするな。母さんの手みたいで落ち着くよと言って死んでいった兵士オハラには涙しました。
故郷から送られてきた写真を見て、自分がいなくてもアメリカで平和に暮らしている家族たちを見ると、明日は戦闘で死ぬかもしれないという今の自分の存在はなんだろうと悩む兵士の気持ちが伝わってきて、戦争ってなんだろうという思考が始まります。クリスマスイブに、雪深い森の中で、双方が、ドイツ語と英語で讃美歌を歌う。「きよしこの夜」、「もろびとこぞりて」。しばしの非戦闘時間帯があります。今、おれたちは、何のために、ここで殺し合いをしているのだろう。
ヒットラー、そして、ユダヤ人迫害の記事も出てきます。ジャンルとしてこの物語は、「戦争小説」です。ただ、なぜ、今、この時代に、この場所で(日本)という疑問が生まれます。メッセージ、作者のメッセージの動機は何なのか。
(つづく)
現在、2015年12月31日午前1時8分です。残り、まだ100ページぐらいあります。結局、昨日のうちに読了できませんでした。引き続き読み続けます。
ここまでの感想です。
240ページ付近は、感動の渦に巻き込まれます。G中隊コックのエドの生い立ち話には涙しました。私生児として生まれて、家族を知らない。こどもの頃、ともだちがいなかった。大学教授が親代わり。
汗は汗でなくて涙だったとか、西海岸、カナダ国境に近い漁村での暮らしは寒かったとか、読んでいて、とくに、小学2年生の頃、転校して、自分も友達がいなくて淋しい思いをしていた頃、本や動物や昆虫が友達代わりだったことを思い出して、(主人公キッドの表現だと、ふたをしていた記憶がよみがえった)、胸にぐっとくるものがありました。
感心した表現として、自分たちは、ひとりひとりが死神を背負っている。それは、自分が死に近いという意味と相手が死に近いという意味の両方を指す。
ドイツ軍の装備から出てきた食材として、チョコレート、トマトシチュー・ハンバーグ、アイントプフ(スープ)、お互いの国においしい食べ物があるのに、なぜ対立しなければならないのか。
拷問のような生活です。陽気なお調子者だったプエルトリコ系のディエゴがメンタル系の病にかかります。銃撃戦のあと、銃にナイフを付けて、刺殺し合いをして生き残れたのですが、その結果、精神を病んでしまいます。彼のカウンセリングをやるらしき牧師も30歳と若い。
いい作品ですが、難点を言うと、感動する箇所がとびとびの部分的なものです。全体を戦闘の悲惨さ、むなしさが包んでいます。なんというか、全体の固まりとして、気持ちに押し寄せてくる波のようなものがほしい。
(つづく)
12月31日(木)午前9時07分に読了
2015年に読み終えた本ですが、2016年今年読んでよかった本として記録に残しておこう。筆力が強力でした。力作です。
戦地で殺されるか殺すかの毎日を送っていると、人権感覚が麻痺して、死が怖くなくなるというエドのセリフがあります。コックは、コックだけをやるわけではない。まず、戦闘があって、戦闘時間帯以外は、コックの役割を果たしていく。それは、読み始めに気づけなかったことです。
極端すぎる嫌いはありました。たとえば、戦場で男は、女を見れば必ず強姦するわけではないし、兵士全員が簡単に人を殺害できるわけでもありません。表現が、徹底的過ぎて息が詰まる部分が多々ありました。人間の心はそんなふうにはできていない。
独房で、キッドがレシピを呪文のように唱えるシーンがありました。山場です。人はもっとのんびり、ゆったり、平和に生きたいという性格をもっています。
「仲間」を大事にする小説でもありました。若い頃、ともに苦労した仲間と思い出を共有する。現代は、孤独な人がふえました。キッドの祖母の言葉がいい。「あんたの悲しみを分かち合える人間はこの家族の中にはいない」
1945年4月30日ヒットラー自殺、5月7日ドイツ降伏。ユダヤ人虐殺について詳しく記されています。日本人にとっては遠い話ですが、欧米の人にとっては、忘れがたき負の過去です。
エピローグ(最終章)を読んでいたら、洋画「フォレスト・ガンプ」のベトナム戦争帰りの将校とフォレスト・ガンプ、そして戦死した黒人兵士(帰還したらエビで儲けたい希望があった)のやりとりを思い出しました。
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