2013年05月05日

リンカーン 映画館

リンカーン 映画館

 久しぶりに映画館へ行きました。
 目的の映画は「藁の盾(わらのたて)」でした。一番前と一番うしろに一席ずつしか空きがなくてあきらめました。ほかの映画にすることにしました。ギャングものがありましたが、内容がわからずポスターさえ貼られていません。なんとかドビュッシーは、ゴールデンウィークのさなかの土曜日午前だというのに、観客がふたりしかいませんでした。気持ちが引きました。結果、すでに放映が始まっていましたが、「リンカーン」にしました。力のこもったなかなかいい映画でした。暴力的なシーンはありませんが、言論のやりとりに迫力がありました。米国における奴隷解放のための憲法修正案可決・否決のかけひき抗争です。南北戦争の終結交渉がからみます。現代日本の改憲論争とも重なります。
 前半1時間ではたくさんの英会話を聞きました。意味がわかるわけもなく、うっすらと眠っていました。後半1時間は展開が濃密です。父子の対立が描かれますが、劇中では解決に至っていません。妻は夫であるリンカーンを責め続けます。
 民主主義イコール多数決です。リンカーン属する共和党が提案した憲法修正案(自分なりに解釈すると法のもとの平等)を可決するための票(おそらく3分の2)が20票足りないのです。相手は見返りを求めてきます。人間臭いドラマです。周知の事実として、リンカーンは暗殺されるのですが、夢がかなった数日後に射殺されたことは初めて知りました。その後調べたら、至近距離から1発頭に撃ち込まれていました。即死に近く、本人は殺害されたという意識はなかったと推測します。つまり、彼は、幸福感に満たされた心理状態のまま天国に召されたでしょう。劇中、「神」という表現があちこちに出てきます。神がどうした、こうしたという理屈がとおっていくことが不可思議でもあります。時代背景と米国事情は日本人には理解しがたい部分もあります。
 映画のラストである1865年、日本は、明治維新が近づく騒乱状態でした。以前別の本を読んだときに、開国を迫る米国には、日本に関心を寄せる余裕はなかったと思いました。
 映画では、米国議会において、女性と黒人が絶対的に差別されています。ことに選挙権はなんとしても与えないというがんこな意思をもつ議員が多い。リンカーンは純粋です。今は、自分が生まれてきてよかった時代なのだろうかと悩みます。自分が今ここに存在していることが、ふさわしいかという言葉で表現されます。重厚な力作でした。英国にしても、米国にしても奴隷の扱いについては、深刻な思想があるようです。映画を見ながら以前、同様のパターンの映画を見たことがあると記憶をたどりました。英国映画の「アメイジング・グレイス」でした。奴隷貿易廃止の法案を通すがテーマでした。


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