2013年01月04日

手鎖心中・江戸の夕立 井上ひさし

手鎖心中・江戸の夕立 井上ひさし 文春文庫

「手鎖心中」
 刑として、両手に鎖をかけられて、たとえば川に男女ふたりが入水自殺(じゅすいじさつ)をするわけです。
 時代設定は、1789年江戸時代後期、田沼意次とか杉田玄白がいた頃です。登場人物は、最後になって判明しますが、有名な作家3人の若い頃です。
 職業作家を目指す者たちの決意が表明されている作品です。江戸時代の物書きは、原稿料だけでは生活ができなかった。他に本職をもつか、裕福な商家の入り婿になるか、選択枝はふたつだった。登場人物栄次郎は、才覚がないのにもかかわらず、お笑い作家を目指しますが、だれも相手にしてくれません。苦肉の策で、違法な作品を製作し、当局の裁きを自ら受けようと画策します。その結果、才能ある3人の作家の意志に火がつくのです。書く情熱が高まり、決意が固まります。
 店内の光景がこと細かく筆記され、その勢いに圧倒されます。すごい作家さんです。例示が豊富です。いくつかの小品作品の合体にも思えます。
 人から笑われたい。人に見られたい。自分から逮捕されたいと吹聴(ふいちょう、いいふらす)する栄次郎の個性設定が見事です。最後はどうオチともっていくのか、途中から興味津々でした。
「江戸の夕立」
 かなり面白い。今年読んでよかった最初の物語です。力作です。
 まず、前提があります。昨年の秋に車で東京湾を一周しました。都市高速道路の湾岸線を右回りに横浜-羽田-浦安-幕張-市川-海ほたると回りました。また、千葉県房総半島にある鋸山(のこぎりやま)に登りました。この物語の冒頭付近では、江戸時代末期の時代設定で、江戸の薬問屋の若旦那清之助とたいこもちの桃八が品川で時化(しけ、海が荒れる)に遭い遭難します。ふたりが東京湾内を漂流しながらながめる場所が、さきほど書いた地名の場所です。とても身近に感じました。ことに羽田空港で見た黒富士(富士山の背後に夕日が沈んでいく)の記述に感激しました。わたしが見たときは黒富士というよりも赤黒富士でした。「江戸の夕立」とは江戸時代の終焉(しゅうえん、終わり)を指します。江戸時代に生きて死んでいった人たちの暮らしぶりが文章で生き生きと再生されている作品です。
 十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)の作品として、東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)があるのですが、この物語はその東北バージョンです。笑えます。冒険です。超えて、人間の生命力とか、許容とか、友情・愛情、悪友、人の縁、この世の縁まで回想します。若旦那とたいこもちのコンビは、お互いに言いたいことが言える関係です。女に振り回されて、いかさまばくちにだまされて、横道にそれてばかりは人生そのものです。東北東海岸のいくつかの港町が登場します。東日本大震災が起きた今読むと胸にジンとくるものがあります。
 同作者が原作者のひとりとしてたずさわった「ひょっこりひょうたん島」を思い出しました。江戸の夕立もひょうたん島もアイデアの豊富さという共通点があります。前回読んだ「手鎖心中」では、戯作(ぎさく、江戸時代後期の通俗本)が社会風刺、ざれごと、未来のない作品、中身がない作品と定義、評価されるなかで、戯作の製作にまいしんする作家たちが描かれていたのですが、戦後現代に彼らの息が復活したかのような勢いがあります。
 両作品の解説は中村勘三郎さんで、作者ともども亡き今読むと、胸にしみいるものがあります。


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