2012年06月16日

空中庭園 角田光代

空中庭園 角田光代 文春文庫

 かれこれ4年ぐらい前にこの本を読み始めて、体に合わなくて、30ページ付近で読むことを絶ちました。わたしには苦手な文体です。その後、同著者の旅行記「いつも旅のなか」を楽しんで、少しずつ著者の書き方に慣れてきました。「八日目の蝉(せみ)」「対岸の彼女」「予定日はジミー・ペイジ」などの作品を読み継いで、またこの本「空中庭園」に戻ってきました。
 空中庭園と聞くと、行ったことはありませんが、大阪にあるらしき高層ビルの展望台を思い浮かべます。旅行ガイドブックで見たことがあります。
この本は、いくつかの小編を連ねながら全体で276ページの物語になっています。団地暮らしをしている4人家族、夫婦と姉弟、よくある家族形態です。内容は暗い。もう10年ぐらい前になるでしょうか、本屋さんで立ち読みをした本を思い出しました。家族をテーマにして、内容は、家族のメンバーに対する怨(うら)みつらみを集めたものでした。家族というものは結束するものではなくて、散っていくものでした。
「ラブリー・ホーム」前回読んだとき、読み手のわたしは、出だしでつまずいた。15歳の姉マナちゃんによる、「わたしはラブホテルで仕込まれたこどもであるらしい」という語りから始まるのです。マナちゃんの母親は秘密を抱えています。性描写から、なにかしら悲しい家族観が浮き彫りになってくる。根拠は不明だけれどむなしい生活感がただよっています。前回読書を断念した30ページ付近を通過しました。この時点ですでにわたしに達成感が生まれました。著者の文体は、大鉈(おおなた、斧)をふりまわしているようなものです。読み手にも力(ちから)が要(い)ります。作家志望の方が読んだら、小説家になることをあきらめさせてくれる文体です。
「チョロQ]小編の全部を通してですが、出だしで語り手がだれなのかがすみやかに判明しません。だから読むのにとても疲れます。パズルを解いているみたいです。この小編の場合は、語り手がマナちゃんの母親になります。京橋絵里子さんといいます。タカぴょんというのが彼女の夫で、京橋貴史さんです。娘が、マナちゃん、息子が、コウちゃんですが、この時点できちんとした名前が判明しません。そして、みんな嘘つきです。以前血縁関係の無い架空の家族を演じていた宮部みゆき氏の「理由」を読んだことがあります。そのパターンを予測したのですが、京橋一家は血縁関係があります。
「空中庭園」だれもかれもが、地に足が着いていない。だから、空中に浮かんだ庭園(家族)=京橋家の人々なのだろう。しかも庭園だから手入れがされている。見かけだけの家族なのです。
「キルト」京橋家には別居で近居のおばあさんがいます。妻絵里子さんの母親です。この部分を読みながらやっぱり読まないほうがよかったという気持ちになりました。あまりにも嫌な気持ちになって、自分が感じる悲しみが徐々に笑いに変わってきます。作者は若いのにどうして、おばあさんの気持ちがこれほどわかるのだろう。天才です。作者は自分の過去と同時に未来を背負いながら文章を書いています。
「鍵つきドア」読みながら人間が怖くなってきました。みんな嘘つきだ。作者は、同作者の他の作品を含めて「父親」にこだわる人です。
「光の、闇の」最終章となる小編です。わたしは、現実にはないこういう架空の家族という前提で読み続けてきましたが、ここにきて、そうではない。こういう家族って実際にいるという断定的な結論に達しました。最後はコウくん(中学生)の語りになります。最後まで読んで、不思議な気持ちになりました。ここで、この物語は終わるのですが、他の作家の作品につなげることができるのです。あさのあつこ著「バッテリー」です。コウくんをバッテリーのピッチャー巧くん(たくみ)に置き換えることができます。それぞれ個性は異なるのですが、わたしの頭の中ではできます。


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