2024年05月10日

私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界

私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界 クリスティーン・ボーデン著 桧垣陽子(ひがき・ようこ)訳 クリエイツかもがわ

 本の帯に、『世界でも数少ない認知症の人が書いた本』とあります。
 介護するほうの人の本や映画を観たことはありますが、認知症である人が書いた自身の病気を紹介する本は1冊しか読んだことがありません。『ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA』でした。そちらの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれていました。
 さて、これから読む本には、どんなことが書いてあるのだろう?
 読み始めます。(読みながら感想を書き足していきます)

 筆者は、オーストラリア人です。
 自分はオーストラリアには2回行ったことがあります。もうずいぶん前のことになりました。
 死ぬまでにもう一度シドニーのオペラハウスを見たいねと夫婦で話をしたことがありますが、歳をとってきて体も若い頃のようにびゅんびゅんとは動かなくなったのであきらめもようです。
 自分は認知症にはならないとは思っていません。歳をとってきて物忘れが多くなってきました。早期発見、早期治療です。ニュースの報道番組などで、初期のアルツハイマー型認知症には、エーザイのレカネマブ(商品名:レケンビ)という薬が効く人もいるという知識はもっています。完治はしないそうですが、完治しなくても、効果がある数年間の間だけでも正気(しょうき)でいて、こどもたちに迷惑をかけたくないという気持ちはあります。

『日本の読者のみなさまへ』
 ご自身は、今日が何曜日なのか、お昼に何を食べたのか、きのう何をしたのかなどを覚えていないそうです。わたしも多少、そういうことはあります。定年退職後は毎日が日曜日です。何を食べたのかを思い出す必要もありません。働いていたころは、サービス残業の長時間労働で、夜間や休日の呼び出しもあったし、一年ぐらい先の仕事に関するプランを一日中ずーっと考えて仕事の準備に専念していました。そういうことから解放されたら、気が抜けて、記憶力がどんどん落ちていきました。体もあちこちが痛みだしました。

 自分は認知症だけれど、堂々としていたいというような強い意思表示の文章があります。
 アルツハイマー型認知症の有効な治療法ができることを期待されています。
 認知症をもつ人たちが、希望をもって生きられることを願っておられます。
 その部分の文章を書かれた日付はかなり古い。2003年2月オーストラリア・ブリスベーンにてとあります。2003年は、平成15年で、今からもう21年ぐらい前のことになりました。

 231ページにある著者略歴を見ると、著者は、7回来日されています。2003年(平成15年 岡山、松江(島根県))、2004年(平成16年 京都)、2006年(平成18年 京都)、2007年(平成19年 札幌)、2012年(平成24年 場所は書いてありません)、2017年(平成29年 場所は書いてありません)、2023年(令和5年 場所は書いてありません)

 1949年(昭和29年生まれ)今年75歳ぐらいの女性です。アルツハイマー型認知症の発病が、1995年46歳のときとあります。そのときの職業が、オーストラリア首相内閣省の職員です。日本でいうところの高級官僚でしょう。翌年、おそらく認知症が原因で退職されています。
 4ページに、マイク・マンロというジャーナリストの『はしがき』があり、この本の著者は、自分の電話番号が覚えられなくなり、『やかん(英語でケトル)』という単語を思い出せなくなったとあります。著者は、介護者の苦労を理解したとあります。娘さんが三人おられます。著者は、シングルマザーだそうです。著者は、見知らぬ世界にいる人になっているとあります。

『はじめに』
 ご自身の経歴に自負あり。(じふ:才能と仕事を誇りに思う)。オーストラリア国の上級行政官だった。
 しかし、退職して、余命わずかな認知症の年金生活者になってしまった。
 1995年(平成7年阪神淡路大震災の年です)46歳で、アルツハイマー病の初期と診断された。(いまだと、エーザイのレカネマブという初期の認知症に効果があるという薬があります)その後、奇跡的な改善があったそうです。
 途中でクリスチャンになられたらしい。本の内容は宗教の話が多くなりそうなので、興味がない人は読み飛ばしてほしいそうです。(わたしは、神さまというものは自分の心の中にいるから自分を信じて生きています。祈りだけでは課題は解決しません。できもしないことをできるように思わせるという暗示をかけるような特定の宗教とはかかわりをもちません。だからこの本の宗教の部分は読み飛ばします)
 アルツハイマー病は、オーストラリアでは、4番目に多い死因だそうです。
 発病したころとして、娘が3人いる。イアンシー23歳、リアノン17歳、ミシェリン12歳
 自分にひんぱんな偏頭痛(へんずつう。血管の拡張でズキズキという痛み)があった。

 マーガレット・フリッシェ:首相・内閣省で著者の個人秘書官だった。
 祖母:103歳。
 『はじめに』の部分を書いた日付は、1998年4月(平成8年)になっています。

『目次』
 8つのパート(部分)に分かれています。第1章から第23章まであります。最後に、【付録】があります。

『診断』
 まだ若いのにアルツハイマー病の診断がくだります。若くても診断は出るし、外交官や、弁護士、判事でも診断を下したことがあると医師が言います。(著者は、自分が優秀な人間であることに誇りをもっておられます)

 脳の前頭葉全体に神経の脱落が見られるそうです。CTスキャンとかMRIの検査を受けておられます。
 著者は不安な世界に突き落とされました。娘三人がいるシングルマザーです。住宅ローンもあります。

 しばらく読んでいて、気づいたことがあります。外国人はこういう書き方をするのだろうか。去年読んだ本で、乳がんを克服された西加奈子さんの、『くもをさがす』がありました。読みにくい本でした。だらだらと友人や医療関係者とのやりとりが、牛のよだれのように延々と続くのです。夏目漱石作品、『吾輩は猫である』のパターンでもあります。
 今読んでいるこの本もそのような書き方です。
 時系列に従って、病気の経過が書いてあります。

 仕事のストレスは大きかったようすです。それでも著者は、仕事が好きな仕事人間でした。
 
 理由はわかりませんが、長女のイアンシーが自殺企図をしています。

 著者が1993年5月(日本だと平成5年)に離婚した夫は、DVの加害者でした。家庭内暴力。
 自分の思いどおりにならないと、机をたたいたり、イスを蹴ったり(けったり)する男性がいます。学力的には優秀な人だったりもします。

 著者はひどい偏頭痛に苦しんでいた。
 1995年、出勤途中に、職場への道がわからなくなる。自分で車を運転中です。怖い(こわい)。
 同年9月15日に、専門医から退職勧告を受けた。

『私は誰になっていくの?』
 『アルツハイマー病で死ぬはずがない』から始まります。
 アルツハイマー病が原因で、退職しなければならないので、老齢退職年金会社に年金の申請をしますが受け付けてもらえません。年金査定委員会にはねられます。仮病扱いです。16年間以上保険料を納めてきたのに。(オーストラリアの年金制度は日本とは異なるようです)
 
 長女は大学を一年間休学することになりました。(休学中は学費を払わなくていいようです)

 1996年2月(平成8年)の専門医の判断として、著者は、約一年後に身の回りの世話の解除が必要になる。数年後には、全介護が必要になる。

 この部分を読んでいて、先日自分が整形外科クリニックを受診した時のことを思い出しました。見るからに認知症であろう小柄な70代ぐらいの女性が、年老いた夫と看護師に両腕をかかえられてよろよろと、ほんとうにゆっくり歩いているというか、前に進んでおられました。夫がかける声にはかすかな反応があるのですが、看護師がかける声には無感心なようすでした。喜怒哀楽のない無表情の女性でした。その方は、声を発することはありませんでした。
 安心はできません。明日は我が身かもしれません。気をつけていても認知症になってしまいます。

 高齢のアルツハイマー病患者の生存予想年数:15年~20年と書いてあります。
 65歳以下のアルツハイマー病患者は、全体の2%。若いと病気の進行が早い。生存予想年数:5年~10年と書いてあります。

 状態として、脳の細胞が侵され(おかされ)、もつれて混乱し、もはや機能できなくなると書いてあります。人格、行動、思考、記憶をつかさどる細胞が働かなくなる。

『アルツハイマー病になると、どんな感じなのか?』
 病状について書いてあります。
 まわりに人がいるときは、元気だが、人がいなくなると、疲れ切ってぐったりしてしまうそうです。
 人とにぎやかに談笑したあとは疲れ果てて2・3時間、横になるそうです。
 1995年10月のこととして、『タクリン』という薬を飲まれています。今なら、エーザイの『レカネマブ』という薬のような位置づけなのでしょう。認知症の薬です。(その後、タクリンは全般的に効果がなかったようです)

 以前のご自身の能力(脳の力ともいえる)について語っておられます。
 生まれつき、記憶力が抜群に良かった。(天才です。関係先のたくさんの電話番号とか、10ケタもある各種カード番号とかを瞬時に口にすることができたそうです)
 あらゆるものを短時間で記憶できた。すばやかった。相手が遅いことにイライラした。
 しかし、認知症になった今、その並外れた、『記憶力(記憶する力)』は、もうない。
 今日が何曜日なのかわからないそうです。西暦もわからない。
 今、午前なのか、午後なのかもわからない。
 頭の中全体にぼんやり霧がかかっていて、何をするのにも、大変な努力とコントロールがいるそうです。
 いつも間違ってしまう。
 遠い過去の記憶はあるけれど、最近のことが思い出せない。
 同時に複数のことができない。火事を出しそうになるそうです。料理をしながら、洗濯をして、アイロンをかけて、そういうことをしているうちに、お鍋やアイロンのことを忘れて放置する。
 用事があって電話をかけているうち(番号を押す)に、用事の内容を忘れて、相手が電話に出て、相手がだれなのかを忘れて、相手にあやまる。(つらいことです)

 にぎやかなところが苦痛です。おおぜいが参加するパーティとか、ショッピングセンターとか、音や人の声で、とても疲れるそうです。
 どこから音が聞こえてくるのかがわからないそうです。
 
 『その時、何歳だった?』と質問されて、『4時半だったわ』と返答してしまいます。
 『郵便受け』という単語を思い出せなくて、『切手を貼った手紙を入れるあの箱』と表現します。

 読んでいて、ふと思ったのです。
 こうやって、きちんと文章が書かれていることが不思議です。
 認知症の状態からして、このようなしっかりした文章は書けないような気がするのです。
 93ページにそのことについて書かれてあります。
 コンピューター(パソコン)なら、(文章などを)打てる。手書きはほとんどできないそうです。コンピューターで字を書くのは自分にとってはやさしいこととあります。

 著者の脳みそは、ロボットのようです。
 娘さんから、『ママの声は、ロボットのようだわ……』と言われます。

 アラーム付き薬入れ:そういうものがあることを初めて知りました。飲み忘れ防止対策です。

 物の置忘れが多い。

『見知らぬ世界への旅立ち』
 自分で自分の脳を、『腐れ脳(くされのう)』と呼ぶ。

 計算能力がなくなる。銀行口座の管理・運用はできない。
 長女のイアンシーに代理人の権限を設定する手続きをした。
 手書きで文字や数値を書くことがむずかしくなった。
 車の運転席で、どのペダルがなにかわからなくなった。(すぐに思い出すので、しばらく運転をされていました。恐ろしいことです(おそろしいことです))。車のバックがむずかしくなる。
 階段ののぼりおりが、気持ちを集中させないとできない。自分の足につまずく。
 
 娘や孫たちと過ごす時間を大切にしたい。いっしょに過ごしたい。
 
 宗教の話が多くなってきました。(わたしは興味がないので流し読みします)

『これからどこへ』
 1996年(平成8年)、新聞の記事になる。テレビ番組に出る。アルツハイマー病について説明がなされた。
 
 神さまの話が続きます。

『後記 驚きにみちた神!』
 1997年7月から数か月間のことです。(平成9年)
 (病状が)よくなっている感じがする。
 また、車の運転をしたい。
 1998年2月。車の運転をしています。頭がはっきりしているそうです。
 イギリスにいる父親が亡くなって、葬儀に出席されているようです。
 (このあたり、文章が興奮していて、時系列がよくわかりませんでした。ご自身はわかっているのでしょうが、読み手にはわかりにくい)

『神が担って(になって)くださる!』
 だいじょうぶだろうか。思いこみで心をコントロールされているような雰囲気があります。マインドコントロール。この場合、宗教。聖書とか、クリスチャンとかの単語が出てきます。

 6年後から8年後には、死ぬだろう。3年後から5年後には、ホームで全介護が必要になるだろう。

『付録』アルツハイマー病とはどのような病か?
 著者の言葉です。
 脳室が拡大する。脳回(脳のしわの隆起した部分)が縮む(ちぢむ)。脳溝(のうこう。脳のしわのくぼんだ部分)は開く。大脳皮質(脳を覆う(おおう)しわしわの部分)が減少する。大脳皮質ほかに老人斑(ろうじんはん。たんぱく質の沈着(アミロイドという核をもっている))が見られる。
 以下、本に書いてあることは、説明がとても細かいので、ここに書くのは疲れるからやめておきます。
 アミロイドβ(アミロイドベータ)というたんぱく質(「ごみ」らしい)が、アルツハイマー型認知症の原因になっていて、アミロイドβを退治する薬が、エーザイの『レカネマブ』という薬のことだろうと、自分は理解しています。(株式投資をしていての知識です。自分は、エーザイの株を保有しています)

 全人格がゆっくりと崩れていく。知性、想像力、コミュニケーション、感情、判断、動機づけ、行動、自制心に影響が及ぶ。
 最終的には、脳が減少して、身体機能が維持できなくなり死に至る。排泄のコントロールができなくなり、言葉を話したり、歩いたり、立ち上がったり、ほほえむことができなくなる。
 最後に、動けなくなり、寝たきりになり、意識がなくなり、死を迎える。

『クリスティーンさん訪問の記録 石倉康次 立命館大学産業社会学部教授』
 有志5人で、オーストラリア・ブリスベーン郊外にある著者のご自宅を訪問された時の記録です。
 著者は、再婚されています。1998年(平成10年)に結婚紹介所で知り合われたそうです。
 宗教とか信仰の話があります。
 著者の一日の過ごし方について、お話されています。
 著者は、作家のような生活を送られています。

『認知症を生きるということ 小澤勲 精神科医 2008年(平成20年)70歳没』
 読んでいて自分が思ったことと同じことが書いてあります。『これが認知症を病む人が書いた文章だろうか』、誤診ではなかろうかということです。
 でも、脳の画像は異常なのです。MRIの画像では、脳に激しい萎縮があるそうです。
 『認知症になってしまえば、本人は何もわからないのだから……』→ということはないそうです。認知症になっても、心の動きはあるのです。

 全体を読み終えて思ったことです。
 人間は、最後はだれでも死んでしまう。
 だから、どう生きて、どう死ぬのか、よく考える。

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